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ヒスイ輝石岩

ヒスイ輝石岩
 富山県の宮崎海岸では、運がよければ、ヒスイの転石を拾うことができます。そのため、この海岸をヒスイ海岸と呼んでいます。 ここより東側、糸魚川市姫川の河口までの間の海岸では、どこでもヒスイの転石を拾えることがあるようです。
 ここでいうヒスイとは、硬玉のことで、ヒスイ輝石と呼ぶ鉱物のことを言います。 実際にはヒスイ輝石を主体としてできた岩石ですので、正確にはヒスイ輝石岩のことになります。
 ところで、ヒスイ輝石岩はどこに露出しているのでしょうか。青海川や姫川の支流の小滝川の川底に、 ヒスイ輝石岩が密集してあるところが見つかっています。そこより上流では見つからないことから、 その近くに露出していると考えられますが、実際にはそのよう場所は見つかっていません。海岸のヒスイの転石は、 ここから流されてきたと考えられていますが、宮崎海岸は河口から離れすぎていますので、その沖合にもあるのではと考える人もいます。
 地学の本には必ず書いてあることですが、ソウチョウ石という鉱物に高い圧力をかけると、石英とヒスイ輝石に分解します。 ところがヒスイ輝石岩を調べてみると石英と一緒に見つかることはありません。ということは、 ヒスイ輝石はソウチョウ石の分解によってできたものではないことになります。それどころか、ヒスイ輝石だけでできている岩石も見つかっていますから、 何らかの方法で直接作られた可能性も考えられますが、詳しいことはよくわかっていません。
 産状から推定できることもあるのですが、露出している場所が見つかっていないので、そこからの検討もできません。 露出している可能性のある場所は全て、蛇紋岩が見つかる地域であることから、蛇紋岩と何らかの関係が考えられます。
 ヒスイ輝石は大きな圧力がかかるとできることがあること、蛇紋岩地帯は地殻変動によって大きな圧力がかかったところにできることから、 ヒスイ輝石岩は非常に大きな圧力が加わったところでできたと考えられています。今から約5億年前、 中国大陸の南半分を作っていた大陸(揚子大陸)と北半分を作っていた大陸(中朝大陸)が衝突合体し今の中国大陸ができました。 このときに生じた非常に大きな圧力がないとヒスイ輝石は作られなかったと考える人もいます。


分 類: 変 成 岩 (広域変成岩) 
岩石名: ヒ ス イ 輝 石 岩    
 産 地:新潟県糸魚川市小滝川ヒスイ峡



 特定の鉱物からなる岩石を呼ぶとき、鉱物名の最後についている「石」をはずしてかわりに「岩」をつけて呼びます。 この岩石の場合、ヒスイ輝石(Jadeite)の集合ですのでヒスイ輝岩となるはずですが、ヒスイ輝石岩(Jadeitite)と呼ぶのが一般的になっています。




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