ヨッシンと地学の散歩 > 散歩道の宝物  > 胎内樹型

ヨッシンと 地学の散歩

散歩道の宝物



胎内樹型
胎内樹型
山梨県富士河口湖町船津

 今から約1000年前に富士山の8合目付近から、河口湖に向けて溶岩流が流れました。剣丸尾溶岩流といいます。 東側にも青木ヶ原溶岩流と名付けられた別の溶岩が流れ、青木ヶ原樹海の土台をつくったり、西湖と本栖湖を分離したりしました。 これらの溶岩流は森林の中を流れ樹木の所だけが空洞になって、多くの溶岩樹型を作りました。 この船津の溶岩樹型や南東約1kmの所にある溶岩樹型では、 内部を天井から溶けた溶岩がヒダ状に流れて固まっているのが見えます。その形が、肋骨を内部から見ている様にも見えるので、 胎内樹型とよばれています。
 大規模な溶岩流では、表面は堅く固結しているのに内部で溶岩が流れることがあります。溶岩の供給が止まると、内部の溶岩が流れ去り、 中に洞窟が形成されます。溶岩トンネルや溶岩洞窟といわれます。青木ヶ原溶岩流には、鳴沢の氷穴などたくさんの溶岩トンネルが見られます。 船津の洞窟が溶岩トンネルでないのは、ほぼ直角に枝分かれする断面がまん丸の小さな枝洞がたくさん見られることからわかります。 これらの枝洞は、もともと木の枝であったものが、溶岩樹型として残されたものです。従って、本洞も溶岩樹型として考えるのが妥当です。 船津の胎内樹型は、5本の樹木が重なってできたと考えられています。
 溶岩トンネルでは、内部を液状の溶岩が埋めていたので、内壁を溶岩が被い、したたり落ちることで、 溶岩鍾乳石 のようなものが作られます。 これに対して溶岩樹型では、内部から固結するので、内部に液状の溶岩が残されることはありません。
 船津の溶岩樹型の内部が溶けた原因については、あくまでも推察なのですが、次のように考えることができます。
 鍾乳石様の模様ができている溶岩樹型は、一般に横臥型溶岩樹型とよばれる型のものだけに見られます(あくまでも船津で感じたこと)。 この型のものだけが、溶岩に完全に覆われ、外気と接しない特徴があります。また、溶岩の融点は、水などの不純物が混ざると下がります。 溶岩が樹木に被さって固まった後、 周囲の溶岩によって内部は高温になります。溶融温度に近づいてきます。外側から溶け始めたかも知れません。
横臥型溶岩樹型の内部だけが外気と接しないため、樹木は燃え尽きることなく残されています。水蒸気や墨などとなって残されていたでしょう。 これと、高温の固結溶岩とが反応することによって、溶岩の融点を下げます。水蒸気や墨が高圧になったことも反応を進めたのかも知れません。 墨などが溶岩に取り込まれるようにして溶岩を内側から溶かしていきます。 溶けた溶岩が、溶岩樹型内壁にうっすらととでき、 窓にできた結露がいくつかの筋を作りながら流れ落ちていくのと同じようにして、内壁を流れ落ちた跡が、 筋のようになって流れ落ち胎内樹型よばれるものになったようです。

 富士河口湖町船津6603にある河口湖フィールドセンターでは、さまざまな形の溶岩樹型を見ることができます。 溶岩樹型の研究はここを中心に成されたようです。胎内樹型もフィールドセンターの敷地内にあります。本文中「船津」 と書いたのはここのことです。
2013.02.23





<散歩道の道標>  <散歩道の宝箱>
<<前へ 次へ>>