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帯岩(下地島巨石)
帯岩
沖縄県宮古島市下地島

 沖縄県宮古島諸島の下地島西海岸にあります。琉球石灰岩でできた台地上に、直径が20m高さが10mほどの巨大な岩がみえます。 下地島巨石といいます。この岩の上部3分の1くらいのところに、岩を一周するように窪みが見られます。 帯を締められ胴体が絞られて細くなっているようすに似ていることから、ふつうは帯岩と呼ばれています。
 この岩の奇妙なところはもうひとつあります。岩と地面の間にすき間が見られます。 岩の中心部まであるのかどうかは、大きすぎて確認できませんが、周辺部の見える範囲では、大きなすき間があり、 そこには砂利が詰まっているようです。この岩が、平らな地面の上に乗っかっているように見えます。
 岩は、海面から20mほどの高さの台地上にあります。 周囲を見わたしても、ここより目立って高いところがありませんから、どこかから転がり落ちてきたということは考えられません。
 この岩の謎は、2つあります。岩を一周する窪みはなになのか。この岩はどうしてここにあるのかということです。
 2つ目の答えは、はっきりとそのいわれにかかれています。1771年(明和3年)8月10日の大津波で打ち上げられたというのです。 津波で、大きな岩が動かされということは、いくつかの津波で観測されています。 東日本大震災のときにも、三陸海岸では大きな岩が動いたということがわかっています。 このように、津波で運ばれてきた大きな岩を「津波石」といいます。下地島のこの近辺には、このような岩がたくさんあったそうです。 ほとんどが、下地島空港を作るときに使われ、この帯岩のみが残されたようです。
※ 宮古島近辺では明和の大津波はそれほど大きくなく、別の津波によって運ばれたものではないかという説もあります。 過去2000年の間に3〜4回大きな津波があったことがわかっています。

 この岩がどこかから運ばれてきたということを前提にして、帯状の窪みがどのようにしてできたのかを考えることにします。 岩質は、琉球石灰岩で、この付近の地盤を作っているものと同じです。地盤の一部が、津波の力ではがれて持ち上げられてきたものでしょう。 溶食ノッチ
 何かヒントになるものはないかと周辺を見わたしてみます。右写真は、近くの海岸の景色です。 琉球石灰岩の地層が見えています。海面あたりの高さのところで崖が大きく奥の方にえぐられています。 二酸化炭素を含んだ海水に石灰岩が溶かされてできたものです。「溶食ノッチ」といいます。 海水中の二酸化炭素の濃度は、空気に触れる海面で最も濃くなります。従って海面あたりの高さが一番たくさん溶かされ、 深くなるに従って溶かされる量は少なくなっていくことになります。波のあたらない高さでは、ほとんど溶かされることはありません。 波打ち際にできる溶食ノッチでとかされた部分の形は「つ」の字型になります。
 帯岩を見直してみます。帯の部分の断面形は「つ」の字になっているようです。 岩を一周していることも、元々はこの高さのところで海に浸かっていたということを示しています。 帯よりも上の部分はざらざらした感じになっていますが、下の部分は滑らかなように見えます。 石灰岩が空気中に出ている所では、水のたまるところが溶かされていき表面はざらざらしていきます。 これが海水中に浸かると、尖ったところほどとかされやすいので、表面は滑らかになっていきます。 元々帯岩は、帯になっている所まで海に浸かっていた小島のような岩だったようです。
 このようにしてみると、帯岩は海面近くにあったものをそのままヒョイと持ち上げられてきたように見えます。 一般に流れに流されてくるときは、転がってくることが普通です。それだと、海岸近くの段差をそのまま越えてくるのは無理なようです。 土石流のような流れだと、岩をそのまま浮かび上がらせて運んでくることができます。 土石流で橋が水に浮かんだように流されてきているとう映像も撮られています。 この時の津波は、土石流のような流れだったということになります。 それでも、津波の高さは今ある帯岩の上面近くまでないと岩を運ぶことはできません。20m以上の高さは必要です。
 帯岩が元々あった場所はどこでしょうか。それがわかると津波がやってきた方向がわかります。 小島のような岩がある海岸は、下地島の西側にたくさん見られます。帯岩もこのような岩の一つだったのでしょう。 津波は、西寄りの方向から押し寄せてきたと考えられます。
 下地島では石灰岩台地の高さは東ほど低くなっています。東にある伊良部島とは細長い水路のような海が挟まれています。 この付近はほとんど海面と同じ高さくらいです。このようなところ大きな岩が突き出していて、 そこから運ばれてきたとは考えられません。東からやってきたのではないようです。
 下地島(+伊良部島)と来間島との間は、礁湖のような地形はみられるものの、その縁に見られるはずのリーフが見られません。 津波が激しくあたったことによってリーフが破壊されたとして考えると、津波の襲来方向は南西方向といえます。


 帯岩は、下地島の西海岸のどこかにあった小島のような岩の一つでした。それが、高さ20mを越える大津波によって はぎとられ、高台の上に運ばれてきたものです。



 宮古島での津波石のいくつかを載せます。
 佐和田の浜です。下地島北部から伊良部島西部にかけての海岸です。
 海岸からカタバルイナウ(礁湖)にかけての地域に無数の岩が点在しています。
佐和田の浜

 東平安名崎です。駐車場から岬先端の灯台方向を見ています。
 ここも海面よりも高い平坦面になっています。そこにたくさんの岩が見えます。 山のようになっているものもあります。津波で運ばれてきたものです。下地島も、空港が作られる前はこのような様子だったのでしょう。
東平安名崎

 同じく東平安名崎です。付け根から先端方向の海岸沿いを見ています。
 岬の左(北東)がわの礁湖にたくさんの岩が見られます。南西側は、リーフの発達が悪く、岩も崖近くに集まっているようです。 右側から津波がやってきて、岬を乗り越え、左側にぬけていったよう見えます。
東平安名崎

 津波石は、先島諸島にはたくさんあるようです。石垣島のものは天然記念物となっています。 明和の大津波で運ばれてきたものもありますが、それ以前のものもあるようです。

2018.07.15





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