2014/6/25-7/1 小笠原諸島
6月7月は梅雨に入るので、旅行をするにしても雨にあいそうです。国内では北海道と小笠原は梅雨がないので、このどちらかにすると雨にかからなくてすみそうです。小笠原はいってみたいところの上位に入っていますから、ここに行くことで計画を立ててみることにしました。
小笠原でみたいものはいくつかあります。独特の生物群、貨幣石や無人岩、それと星です。星のことを考えると月明かりのないときに限ります。6月7月ともに新月は27日です。この前後になるでしょう。7月27日前後だと国内でも梅雨が明けているところがありますから、小笠原でなくてもよさそうです。6月頃なら、小笠原高気圧が勢力を伸ばしてくる頃なので天気もよさそうです。6月にします。
行程でネックになるのはもう一つあります。行き帰りはおがさわら丸しかありません。出航日が限られてきます。基本的な運行パターンは、東京竹芝桟橋10時出航で、25時間半(2021年では24時間のようです)かかった翌日の11時30分に父島に到着します。船はそのまま父島に3泊し、出航日から5日目の14時に父島をでて6日目の15時半に竹芝に帰ってきます。その後何日か(2日だったかな)空けて竹芝出発と繰り返していきます。
行くとすると、このパターンに沿った小笠原3泊か、出航を1つ見送って次の運航サイクルで帰ってくる事もできます。でも、後者のパターンだとたぶん小笠原10泊と期間が長くなり過ぎるのでパスです。あまり長くなると前か後の日程で月明かりの影響を受けます。これだけ毎晩星を見ていなくてもいいかも。
6月27日を挟むサイクルは、竹芝発6月25日で、帰ってくるのが30日という日程になります。別のサイクルなら、硫黄島近海クルーズとか聟島(兄島だったかな)ツアーもありますが、肝心の父島の見学がほとんどできなくなるのでパスします。
竹芝桟橋の出航時刻についても、新幹線を始発近くの列車に乗ると、なんとか乗船手続きの時間内に到着できそうです。帰りもその日の新幹線でじゅうぶん帰れそうです。到着時刻からすると、上野公園(博物館)とか三鷹天文台といった東京見物をしてから帰ってくるというのは無理そうです。到着時には閉館時間を過ぎていそうです。
小笠原を不定期で結ぶ貨物船に乗るという方法がネットで紹介されていました。日程が合うものは東京出航がおがさわら丸より先で父島到着がおがさわら丸より遅いので、これはなしとしました。
小笠原は、父島だけではなく母島へも行ってみたいと思っています。父島から母島まではははじま丸で2時間10分かかります。父島・母島間の船の運行パターンについては細かいところはうろ覚えですが、おがさわら丸の運行にあわせていたようです。父島到着後すぐにでて母島に向かいます。そのまま停泊して翌日昼に母島出港、父島到着後翌朝に母島へ出航。そのまま1泊して翌朝に母島を出航します。これは父島ではすぐに帰りの竹芝行きに接続となります。(その後主要時間とかダイヤとかは変わっているようです)
これからすると、父島と母島の両方を巡るパターンは2通りになります。パターン1です。父島に到着後そのまま母島行きの船に乗り、母島で1泊した後翌日午後の船で父島に戻って2泊して帰ってくるという行程です。
パターン2は、父島到着後そのまま2泊し、3日目の朝に母島に渡り翌日の船で父島に戻ってくるという行程です。
とりあえずパターン1で宿泊場所を探すことにします。父島ですが、見たところ民宿しかないないようです。星が見られそうな場所としては、大村海岸が候補になります。ここへいくのに便利そうなところで何軒かチェックします。一番最初に電話した大洋荘でOKが取れました。
母島は、宿の形態がペンションとか色々あって迷います。西側ほど港から離れますから灯りの影響は少なそうです。港近くは強力な灯りがあります。それと町中よりは町外れの方がいいでしょう。町外れにある宿から順番に電話を始めたところ、最初に電話したクラフトイン・ラメーフでは逆パターンなら空いているということでした。他を探すのは難しそうです(というよりめんどくさかったのが本音です)。父島側がそれでも大丈夫ならその形でお願いしたいということにして、すぐに大洋荘に確認したところそれでも大丈夫ということなので日程変更をお願いしました。すぐにラメールに連絡し宿泊を確定しました。
26日27日父島大洋荘2泊、28日母島ラメーフ1泊で確定です。
小笠原での行動も考えておきます。どこをまわるか、何を見るかが重要になります。固有種の保護ということから、自由に立ち入ることのできる遊歩道と、ガイド付きツアーに参加してまわるところが決められています。
独特の生物は見ただけでは名前とかがわからないでしょう。父島にビジターセンターがありますからここで情報やパンフレットを入手するのが一番です。できるだけ到着後すぐに行くことにします。
ツアーでないと行くことのできない場所としては南島があります。沈水カルストという特殊な地形になっています。これは候補になります。他は、生物の説明を受けながらの山歩きが多いようです。たくさん聞いても頭がパンクするだけです、ツアーに参加するよりは自由コースを回ることにします。申し込んでも人数の関係で行けるかどうかわかりません。
いろいろ調べている内にわかったことです。見学地の参考になるでしょう。父島の岩石は無人岩という独特の石で地球上ではここにしかない鉱物が含まれているようです。それと同族の鉱物が、洗い出されて海岸にたまっているところがあります。ウグイス砂といい、見られる場所としては釣浜があげられています。ここは外せないでしょう。
もう一つわかった事は、父島ではよくグリーンフラッシュが見られるということです。日没直後の太陽が緑色に光るという現象です。めったに起こらないのですが、見るのに挑戦するだけの価値はあります。見えそうな場所としては、ウェザーステーション展望台になりそうです。新夕陽丘もありますがちょっと離れています。日の出の瞬間にも起こりえますが、日がでてきたとわかった瞬間には終わっていますから、見られる難易度はマックスでしょう。
父島で起こるということは母島でも起こりそうです。西に開けた海岸はたくさんありますから場所選びは苦労しないでしょう。
小笠原での移動は島の大きさから考えるとレンタバイクがいいでしょう。この時期は、雨が降らないでしょう(と勝手に思っています)。心配は無用です。
父島では1日半、散策に使えます。南島ツアーはだいたい半日です。到着日の午後にツアーがあれば申し分なしです。調べていると、小笠原観光でドルフィンスイム付のツアーが到着日の午後に出発します。そこではレンタバイクもやっていますから、ツアーから帰ってからバイクを1日(24時間)借りるのがよさそうです。電話で予約を入れました。2日目はバイクで島内観光が決まりです。
母島です。バイクを借りられそうなところは、アイランドリゾート母島ナンプーとユースホステルです。朝の返却になりますから、ガソリン補給不要のナンプーがよさそうです。ここは予約をしたのかどうか記憶にありません。
島内には、貨幣石化石が見られるところがたくさんあるようです。代表的なのが御幸之浜です。ここは絶対いくことにします。後は最南端から行ける範囲の最北端までの往復かな。乳房山周回コース(5時間)というのもあります。林の中ばかりだと飽きそうです・石灰岩地帯(石門)のツアーなどもあります。林の中というのはそれほど変わらないでしょう。パスします。できたらメグロを見たいですね。
星を見る場所として、旧ヘリポートがお勧めだそうです。近くの海岸で何とかなりそうです。ここも候補に挙げておきます。
確定した行程です。全て6月になります。
<25日>
始発頃(時刻は記録に残っていません)の新幹線で東京(品川にしていたかも)まで、そこから山手線か京浜東北線で浜松町へ、駅からは徒歩で竹芝桟橋に向かいます。9時半頃に到着予定です。桟橋で乗船手続きをして、10時出航のおがさわら丸に乗船します。
<26日>
11時半父島到着です。13時(だったと思う)集合で南島ツアーがあります。出発までは、ビジターセンターを見学と前の公園を散策します。ツアーから帰ってきてからは、バイクを借りて、ウェザーステーション展望台へ夕陽を見に行きます。その後は大洋荘泊りです。
<27日>
父島島内をバイクでまわります。この日の夕方にバイクを返却することになりそうです。宿泊は大洋荘連泊です。
<28日>
7時半の船で母島に渡ります。到着は10時前でどこかにに荷物を置いたらバイクを借りて、島内一周です。最初は御幸之浜かな。コースはその時考えます。夜は旧ヘリポートに星を見に行くかも知れないので、バイクは朝返しになります。宿はクラフトイン・ラメーフです。
<29日>
ひたすら東京に向けて帰ります。母島10時発父島着12時過ぎ、父島発が14時そのまま船中泊です。
<30日>
15時半竹芝桟橋着、浜松町から新幹線利用で大阪まで帰ってきます。
出発日の朝です。早い新幹線に間に合うように自宅を出発する事ができました。新大阪経由で行きます。東京で乗り換えたのが品川で乗り換えたのかはっきりしません。朝のラッシュの終わりかけた頃です。大きな荷物を抱えて乗り込むのは大変だったような気がします。
浜松町駅から竹芝桟橋までのコースも昔とだいぶようすが変わっています。芝離宮の庭園が整備されて公園になっています。帰りに見ることにして先を急ぎます。船の乗船手続きが待っています。
竹芝桟橋には、少し余裕で到着です。ターミナルも立派になっているような。ついてからもどちらに行ったらいいのかとまどったような。前回きたのは、1986年に伊豆大島が噴火したときだった気がします。
船は定時に出航しました。直後の港のようすです。竹芝桟橋を写したつもりでしたが、日の出桟橋のあたりのようです。このあたりからだと東京タワーが見えてもよさそうですが、当時はそんなことには気がついていません。中央やや左の東芝ビルの向こうになっているようです。
船の中には、いろいろなパンフレットが置かれていました。25時間の間おがさわら丸でどう過ごすのかということの書かれているパンフもあります。まずは、東京湾クルーズを楽しんでくださいと書かれています。でも、出航直後に写した1枚以外は何も残っていません。景色を楽しんでいたのでしょうか。
船に乗っているとトビウオとかが飛ぶのを見られることがあります。東京湾を抜けてから、時々見に行きました。オオミズナギドリが船と並ぶように飛んでいるのが見えました。真ん中付近の1羽と、その左上白い点のようにもう1羽写っています。時間的には大島付近を通過している頃のものです。
反対側のデッキに行ってみると、フィールドスコープやら大きなカメラを並べた団体がいました。時々何時の方向にいるとか声を掛け合っています。海鳥の観察をしているようです。方角は船の進行方向を12時として時計の短針の指している方向と推察されます。指示のあった方角を見ても何も見えません。目のいい人は見えているのでしょうね。
鳥はだいぶ近づいてからわかります。これはハイイロミズナギドリとしています。
トビウオです。尾びれで助走して飛び立っています。
アナドリです。上から見ると羽根に白い筋があります。
利島沖を通過します。再びトビウオです。中央左上、滑空しています。
オオミズナギドリの群れが海面に浮かんでいました。これも声かけがあったのでわかりました。アナドリも混じっているようです。たくさんいます。
船が近づいていくと一斉に飛び立ちました。
1時間ほどで三宅島沖を通過します。島は霞んでいます。なんとか見えています。
この時間帯は、多くの乗客がデッキにでてきています。大島沖を通過してからしばらくの間は携帯電話の電波が入ってきません。通話できるのは、大きな島の近くを通過するときに限られるからです。次のチャンスは3時間後の八丈島沖通過時です。それ以後は、父島まではつながりません。
夕陽や朝日、夜の星の記録がありません。星は船で揺れるので撮影は無理としても、夕陽とかはどうしてないのか気になります。出発前は、梅雨前線が日本列島の南側で停滞していたような気がします。その影響で、夜中は雨だったのかも知れません。朝デッキにでたときは水浸しになっていたような気が何となくしてきています。記事作成のために天気図を見直してみたら、前線は北緯30度付近にあって、低気圧が通過しています。雨の中心は鳥島沖を通過していた頃になりそうです。
明るくなってきた頃にデッキにでてみると、船と並走するようにして飛ぶカツオドリが見えています。
ちょっと遠いのですが、海面に浮かんでいるカツオドリもいました。船が近づいていくと、飛び立とうとし始めました。
海面近くには霧のようなものがかかっています。太陽の日差しを受けて虹ができています。雨の後にできる虹と違って、色の違いがぼんやりとしています。小さな水滴にできる虹はこのようになります。フォグボーといいます。
カツオドリは同じものかどうかわかりませんが、ずっと並走をしています。船首側にいることが多く普通に写せばこのようにおしりからの写真になってしまいます。
たまに、ミズナギドリ類も見かけます。これはオオミズナギドリです(にしています)。
カツオドリの横とか顔を写そうとすると、たまに後の方に行って戻ってくる時をねらわないといけません。チャンスは一瞬ですから、これも難易度が高めになります。
だいぶ聟島列島に近づいてきましたカツオドリの数が少しずつ増えてきているようです。2羽いますがお尻になっています。
3羽になったときのものです。
海の中に飛び込んだカツオドリがいました。着水の瞬間の写真も写せていますが、しぶきとカメラぶれで何かよくわかりません。その直後に飛び立とうとしているときのものです。さかなをつかめたといったようすはないようです。
カツオドリばかり、200枚近く写してしまいました、比較的写りの良いものを、掲載します。
カツオドリが船と並走して飛ぶのは、トビウオをねらっているのだといっている人がいました。本当なのでしょうか。そういえばこのあたりでは、トビウオのジャンプは見かけていません。
聟島列島の写真はありませんでした。霧で見えなかったのか、太陽の方角だったから無理しなかったのか、カツオドリに見とれていたからなのか、どれなのでしょう。
2時間ほどしたら、父島列島の北端に近づいて島影が見えるようになってきます。左側の小島が孫島、大きな島が弟島です。
弟島から兄島にかけての一画です。島が近接しているのでどこまでが一つの島かはっきりしません。
真ん中に小さな島のようなものが見えています。位置からひょうたん島にしていましたが、これほど高くないようです。弟島小浜崎の山かな。とするとその向こうは、兄島になります。
父島の南端方向です。離れて見える島は南島かな。
南島方向の拡大です。数は少なくなりましたが、時々カツオドリも見かけます。
父島二見港の入口です。真ん中の島は烏帽子岩です。
烏帽子岩を回ると二見港が見えてきました。
下船準備をして、港到着を待ちます。船を降りるとき最初にするのは、濡れたマットの上で、靴についた種子などを落とす作業です。下りてからみたおがさわら丸です。
パンフによると宿の人が迎えに来てくれるということなのですが、どうだったのかはっきり覚えていません。
父島に着いてから、いったん宿によったのかははっきりしません。GPSロガーの記録では正午ごろに宿のある場所にいたことになっています。宿によって荷物を置いた可能性は高そうです。となると、宿の人が迎えに来てくれていたのかな。
最初にビジターセンターにいくことにしていましたから、センターには間違いなくよっているはずです。残っている資料を見ると、父島内の観光場所で見られる花を中心に書かれたパンフと、大神山公園の散策マップがあります。このような資料を入手したようです。
船の写真の次の記録は、ビジターセンター前の大村海岸から写した写真になります。西側方向の写真です。手前の建物は気象庁父島測候所になります。
ビジターセンターの東側は大神山公園お祭り広場になっています。いろいろな植物が植わっています。解説も書かれています。時間的な経過からすると、ここを見ながらビジターセンターに行ったようです。
モンパノキです。熱帯から亜熱帯地域の海岸で広く見られるそうです。
オオハマギキョウです。固有種だそうです。ノヤギに食べられて数が減っているそうです。
お祭り広場の木にメジロがいました。先の写真から30分ほど経過しています。この間に、ビジターセンタの見学をしていたようです。
記録ではハスノハギリになっています。実の形からかな。イヌビワのような実ですが、トキワイヌビワとは葉の形が違います、
地面の上にいた鳥です。イソヒヨドリです。真ん中がオス、左にいるのがメスです。
テリハボクです。沖縄でもよく見かけます。
南島ツアーの集合時刻が近づいてきたので、ツアー会社に向かいます。お祭り広場から港側に少し戻ったところ、道路反対側にあります。手続きをしてから、シュノーケリングの説明と着替えがあります。泳げませんからこれはパスです。実際のところは浮かぶくらいはできます。めがねを取ると何も見えないのでわざわざそこまでする意味がないだけです。度付きの水中マスクもあるみたいですが、どれほど役に立つのか疑問です。
船のある所までは、歩いた記憶がありませんから、車で送ってもらったようです。船に乗ったら、南島に向けて移動していきます。二見港をでるときに、左側に野羊山が見えます。ここの崖に見える、無人岩の枕状溶岩は見事です。
枕状溶岩の拡大です。全体が枕状溶岩です。真ん中付近で丸い岩が積み重なったように見えるところが特徴をよく表しています。
場所がはっきりしません。野羊山の南側かな..。蛸岩にしていますが、そうだとすると島になっているはずです。ここも枕状溶岩です。
父島の南西端から沖合にかけては小さな島がたくさんあります。その表面はかなりトゲトゲしています。現地ではラピエといっています。石灰岩の溶食によってできたものです。鳥がいます。本州ならウミウが普通です。くちばしが黄緑色なのでカツオドリでしょう。
たくさんある島というか岩礁の一つです。海面付近の高さのところがくびれるように細くなっています、海水表面に溶け込んだ炭酸ガスによって石灰岩が溶かされてできたものです。ノッチといいます。
この岩礁は、表面に雨水が流れたような模様が見えます。尖ったところの上にはカツオドリがいます。全部で8羽です。
離れた島の崖に孔が開いています。その向こうに砂浜のようなものも見えています。該当する場所は、南島の扇池の海側のみです。
父島側の崖にハートロックが見えています。残念ながら、霧のため全貌はよくわかりません。崖の表面に赤いハートマークが見られるはずなのですが..。
南島の鮫池入口に到着です。先行する船が鮫池に入っていこうとしています。
南島の鮫池に入っていって、これから上陸となります。といっても、ここには桟橋がありません。上陸方法はかなりワイルドです。船の舳先を岩場につけ、エンジンを微速前進にして舳先を岩に押さえつけて離れないようにします。その状態で、舳先から岩に飛び移って上陸達成です。先行して入った船からこの方法で上陸しているようすがみえます。
この船が離れた後、ほぼ同じ場所から我々も上陸です。その際に、案内者から軍手を手渡されました。ネットにあった案内には手袋を持ってくるようにと書かれていたので持参しています。一度は断ったのですが、念を押されたので借りることにしました。岩が鋭いので手でつかむと切れることがあります。
岩場をあがっていった横は入り江になっています。ここにはネムリブカがたくさんいます。真ん中まで出てくるものは少ないようです。
振り返って見た鮫池です。乗ってきた船は岸から離れて船長さんといっしょに待機しています。次のグループが上陸できませんし、先のグループが帰ろうとしても乗船できなくなります。
岩場で密集して咲いていた花です。ハマゴウかな。
入り江を真下に見下ろせるところがありましたのでのぞいて見ました。岸近くでたくさんのネムリブカが黒いかたまりになっているのが見えます。もう少しのり出したいところですが、落下の危険がありますからこれが限界です。あまりコースから離れることも許されていません。
だいぶ高いところまで登ってきました。後方の鮫池です。丸い池のようですが、外海と通路が開けています。切り立った石灰岩の崖でかこまれています。形態的にはウバーレですが、海に浸かっています。沈水カルストとよんでいるようです。通路のところは、崩落した鍾乳洞でしょう。
こののちシュノーケリングがありますから、ほとんどの参加者はウェットスーツ(ドライとの違いはわからないです)を着ています。
道脇に卵が落ちているのを見つけた人がいました。ここでカツオドリ(だったかな)が繁殖しているそうです。
貝殻が転がっていると思っていました。よく見ると脚がでています。ヤドカリが住処にしているようです。
峠のようなところを越えると砂地になります。その上には、ヤドカリが這った跡が残されています。
峠からは道が2つあります。右側の尾根を登って高台に行く道とそのままますぐ行って正面の窪地に下りて行く道です。先のグループが高台の方に行きました。高台側はいっぱいになっているということで、先に窪地の方に下りて行くことになりました。
窪地には砂がたまっています。周囲を取り囲む岩の一部に穴が開いていて、そこから海水が入りこんでいます。この部分は扇池といいます。
砂浜には大きなものを引きずったような筋がいくつか見えます。ウミガメがあがってきて這った跡です。
斜面に大きな窪地ができています。ウミガメがここで穴を掘って産卵し埋め戻した跡だそうです、産卵した場所とわかるように木の棒をさしておくそうです。
貝殻のようなものがたくさん落ちています。ヒロベソカタマイマイという種類だそうです。今は絶滅しているということで、小笠原では半化石と呼んでいるようです。
砂の断面が見られるところがあります。半化石が密集した層になっているところがあります。半化石を取り込みながら砂が少しずつ堆積していった時に、砂が洗い流される時期があると、砂の中にあった半化石がその時の表面に集まって密集した層を作ります。レキなどでこのような1列の層になっているのをよく見ます。
表面にたくさん集まっている場所です。
扇池の奥にはもう一つ淡水の陰陽池があります。こちらは藻がたくさん浮かんでいます。
オガサワライトトンボという固有種がいるそうです。草に止まっているイトトンボがいました。これが固有種なのでしょうか。ここの藻も、絶滅危惧種になっているそうです。
この後は高台にあがる予定です。先に登ったグループは高台から降り始めようとしているところです。我々のグループは扇池周辺に集まっています。高台のグループが降りてくるとすぐに出発になりますから、扇池の近くで待機です。降りてくるのを待ちながら、周辺を見直してみることにします。
待機場所に戻る途中に見えた扇池です。右側の方向に穴が開いていて海とつながっています。海水はその周辺にだけ入ってきています。底が低くて海水がたまっていますから、穴から砂が少しずつ運び去られているのでしょう。手前を横切るようにウミガメの這い跡があります。
穴を通して向こうの景色が見えるようになった状態です。この穴は鍾乳洞なのかな。ここまで奥行きがが短くなると天然橋といいます。
日影になったところの岩の隙間に、ヒロベソカタマイマイの殻が集まっています。見ていると動き出しました。脚がでています。ヤドカリが半化石を住処として利用しています。
先のグループが降り始めたので、別ルートから高台にあがっていきます。上から見下ろした扇池です。ウバーレなのでしょう。穴を埋めた砂がどこから来たのかは疑問です。左側の斜面も砂に埋もれています。先のグループはウバーレの低地を横断しています。
扇池と反対側の父島側です。ここからみえるとしたら、ジニービーチのあたりになります。
島の鞍部より向こうの斜面です。砂地の斜面がでこぼこになっています。たくさんの鳥が巣を作るために掘った跡です。カツオドリといっていたかな。
船の着いたところに戻っていきます。鮫池の入り江のところでは、ネムリブカが泳いでいるのが見えました。
南島上陸の後は、シュノーケリングとドルフィンスイムです。南島近辺でもイルカがいるということで、いそうなところをゆっくりまわっていきます。30分ほど探してやっと見つけることができました。今日は少ないようです。GPSの記録では、南島から二見港入口にある野羊山沖までの真ん中くらいのところにきていたようです。
イルカがでる場所はもう一ヵ所あるということでそちらでドルフィンスイムをする事になりました。父島の西側を通って北端に向かいます。
父島の北側には兄島があり、その間は狭い海峡になっています。海流も早いところのようで、兄島瀬戸とよんでいます。
兄島瀬戸西入口付近から奧のようすです。左側が兄島で、真ん中の岩は中通島です。この間が兄島瀬戸です。
父島側に見えた枕状溶岩です。黒いかたまりの一つひとつがが枕と見ていいでしょう。
中通島の枕状溶岩です。島全体にあります。海面近くのものです。枕が細長くなっています。流れの方向とちょっと斜めに横切るような断面になります。
父島側宮之浜入り口東側の海岸です。小さな海食洞門がたくさん見えます。ここの岩石は泥流堆積物かな。
兄島側の海岸、キャベツビーチでシュノーケリングがあります。泳ぎながら魚を見るのが目的です。といっても、泳ぐ準備をしていないので上から見ているだけです。
海水の透明度は高く、底まで透き通って見えています。エサをまくとたくさんの魚がよってきます。海面からだと波で形ははっきり見えません。
えさによってくるようすです。釣をしたら入れ食いなのでしょうね。
箱めがねを貸してくれました。よく見えますが写真を撮るのは大変です。めがねは海に押し込まないと使えません。魚はエサを撒いた瞬間だけよってきます。
右手でエサを撒いて、左手で箱めがねを海中におしこんで、魚がどこかに行くまでの間に、右手にカメラを持ち替え構えてシャッターを押すのは慣れないと無理なようです。一番よく写っていた1枚です。
なかなかうまくいかないので、あきらめてしまいました。エサをとる一瞬はこんな感じです。素早いですね。
次は、ドルフィンスイムです。シュノーケリングをした場所は狭く、沖合にでると潮流が早いのでドルフィンスイムには適していません。イルカもこのあたりでは少ないようです。よく出没するところに移動します。兄島瀬戸を元来た方向に引き返していきます。
中通島の横を通ります。こちらから見ると二つの岩に見えます。
反対側から見た岩のつなぎ目の部分です。海食洞門が開いています。
イルカの出没海域に到着です。GPSロガーの記録では三日月山北西の沖合300m程のところの海上になっています。探し始めてすぐに見つかりました。
イルカはすぐに見えなくなります。でそうな場所を探してあちらこちらに移動します。風が強いから用心はしていたのですが、カメラがつばにあたったとたん帽子を飛ばされてしまいました。別に回収されなくてもよかったのですが、船の向きを変えてとりに行ってくれました。船の上からものを廃棄してはいけないという決まりがあったような..。
再びイルカを追いかけます。
ドルフィンスイムのしくみです。イルカがでると、その進行方向の先に船を進め。船長さんの合図で船尾から海に飛び込みます。うまくいけば目の前をイルカが通ってくれるしくみです。エサをあげたり触ったりするのは厳禁だそうです。
潜った人によると見えるのは一瞬だったそうです。
イルカが通り過ぎると、船に戻ります。全員が戻ったことを確認してから船のエンジンをかけ、再びイルカ探しの態勢に入ります。
海に入らないので、船上からイルカの撮影に専念します。
こちらに向かってきていますから、飛び込むタイミングだったのでしょう。
何度か海に飛び込んだ後、ドルフィンスイムは終了です。港に戻ります。
船上でカメラのキャップを落とした人がいました。座席のしたの狭いすきまに入りこんだようです。相談されたので、懐中電灯で照らしながら方位磁石についている鏡ですきまをのぞいたのですが見つけることはできませんでした。
船が港に戻るとツアー店にいったん戻ります。船着き場まで車が迎えにきてくれていたのでしょう。ウェットスーツを着ている人は、シャワーを浴びてから着替えになります。ここで、バイクを借りられるよう手配していたので、借りて行きます。
最初に、操作に慣れてくださいということなのでいろいろ触っていました、ライトがついているのに気がつきました・消そうとしたのですがスイッチがわかりません。聞いてみたところ、法律が変わって常時つけないといけなくなっていたようです。この前にバイクに乗ったのはいつだったのかな。2006年の屋久島かな。
借り期間です。2日後の朝はツアー店が開く前に母島に向けて出航になります。返却ができませんから、翌日の最終になります。25時間借りることになります。1日より1時間余分な分はどうしたのかな。1時間はあきらめたかも。
だいぶ遅くなっています。それほど遠くには行けないでしょう。とりあえずは日没時のグリーンフラッシュが狙いとなります。ウェザーステーション展望台に様子を見に行くことにします。
展望台からの景色です。二見湾入口や野羊山、南島が見えています。
眼下の海岸です。先ほどはこの沖合でドルフィンスイムをしていたようです。船上からこの岩場が見えていました。といっても、当時はどこにいたのかわかっていません。
沖合にある西島です。グリーンフラッシュはからっと晴れていないと見えません。これでは無理でしょう。それどころか、夕陽も無理なようです。
すぐ横に津波地震検知網父島2観測局と書かれた看板があります。これがそうなのでしょうか。薄暗くてよくわかりません。
横で咲いていた木の花です。ムニンヒメツバキにしています。小笠原の固有種です。
ここから見える二見湾です。細長い葉の木はモクマオウです。侵略的外来植物で駆除の対処となっています。
日没は6時30分です。暗くなるまでまだ少し時間がありますので、ここから上にある三日月山の方まで行ってみることにしました。ここからは徒歩です。
開けたところからの景色です。兄島瀬戸の西入口が見えています。瀬戸の向こうが兄島で、さらに向こうに弟島が見えます。瀬戸の入口にある島が人丸島、その左向こうがひょうたん島になります。
すぐ横の断崖です。ここから海側は切り立った崖になっています。
道脇で咲いていた花です。ホナガソウで外来植物になります。
正面に洞穴が見えてきました。戦時中に作られたトーチカのようです。
この上にあがったところが展望台になります。そこから見えた二見港です。小山の向こうにおがさわら丸が停泊しているのが見えます。
東側です。陸地の間に湖のように見えるのが兄島瀬戸でその向こうが兄島になります。
ウエザーステーション展望台に戻り、そこからバイクで下って大根山公園までいきました。そこから見えた二見港です。おがさわら丸が先ほどよりはっきり見えます。
ここにも軍関係の施設跡があります。むき出しになったトーチカかな。
雲が多いので夕陽はあきらめて宿に戻ります。普通なら部屋に入っているのですが、ダイニングでテーブルについていました。土壌を研究している学者さんと京都から釣をしに来たという人がいっしょでした。何の話をしていたのかは覚えていません。ダイニングが一番居心地がよかったようです。
宿の人が、電気(灯り)のつかない部屋があるといっていました。とりあえずは懐中電灯を出すということで探していました。保管してある電池も残りわずかだったようです。とりあえずはそれでしのいでもらったようです。民宿ではよくあることです(かな)。都会ではないのでその後どうなるのか心配です。
食後は、三脚にカメラをセットして星を見に大神山公園に行きました。曇り空で星は見えませんが、明日晴れたときの下見になります。展望台が2ヵ所あります。下方が狭いのですが、屋根がない分星がよく見えそうです。当時は覚えていたと思いますが、今となってはどこのことだったのか覚えていません。
困ったことが一つあります。道脇からたくさんのアフリカマイマイが這い出してきています。踏みつけずに歩くのは困難です。何個か踏みつけてしまいました。この時はわかっていませんでしたが、広東何とかという寄生虫を持っているので問題です。人に寄生してきます。踏みつけない方がよかったようです。
公園を降りて、大浜海岸の方に行ってみました。ウミガメが産卵するということで、邪魔をしないように、周辺の灯りが消されていました。星を見るならこちらの方がよさそうです。波打ち際では、小さい何かが時々光っています。夜光虫なのかな。
浜は基本的に無灯火で歩いていたのですが、出口を確認するために懐中電灯で陸側を照らしたら、つけないでくださいと注意されてしまいました。後は、赤ライトにしました。そのまま宿に戻って、小笠原一日目の行動は終了です。
父島2日目の朝です。大神山の方に散歩に行くことにしました。大神山公園散策マップにはどこにどんな植物があるか詳しく書かれています。宿からは一番近い入口は1本山側の通りに入っておがさわら丸のついた港の方に歩いて行ったところにある西入口です。こちらの方から入っていくことにします。
西入口から坂を登っていくとその先に階段があります。階段を上り詰めたところが大神山神社になります。神社の社殿です。
神社からさらに登っていくとメイン展望台に着きます。そこから見た二見港入口方向の景色です。ものすごい霧が流れてきています。
さらに登ったところに、トーチカがあります。
中を通りぬけていきます。
トーチカの上が山頂展望台になります。ここから見た二見港対岸です。防波堤の先にある岩が二見岩で、その右側が製氷海岸でサンゴが群生しているそうです。霞んでいてよくわかりません。
タチテンノウメの花です。ところどころに名札がつけられているので名前を確認することができます。
これは札がありませんでした。つぼみの着き方からウラジロエノキにしていますが、葉裏が銀白色のはずです。他に該当しそうなものは、パンフにはありません。
大神山の山頂付近から、どのようにまわって宿に戻ったのか記録には残っていません。覚えているのは、ノヤシ橋へいったということくらいです。ここを写した写真はありませんが、北口にある旧管理事務所らしい建物が写っている写真があります。ノヤシ橋の近くにあります。こちらに行ったことは間違いないでしょう。
山頂から先の行程で写真記録に残っている植物です。テリハハマボウです。つぼみがついています。
ムニンネズミモチです。固有種です。シャリンバイにしていましたが、花の形が全然違っています。
ノヤシと名札のあったところにあったヤシの木です。
下の名札には、マルハチと書かれています。ノヤシ橋の近くで見たような気がします。付近にはシダ類がたくさん育っていました。
ここからどう歩いたのかもはっきりしません。山の反対側にある清瀬隧道にいった記憶があります。いけるとしたらこの時か、昨晩しかありません。薄暗かったような気がしていますから、昨晩だったのかも。この後の写真の記録には大村と書かれているものもあります。これは清瀬隧道の続きにある大村隧道のことでしょうか。大神山より南西側の町も大村というようです。
ムラサキヤハズカズラです。外来種になります。
プルメリアです。外来植物です。背景が何となく町中っぽくなっています。記録に書かれた場所は大村となっています。
マダガスカルジャスミンです。
グンバイヒルガオです。海岸(砂浜)性の広域種です。砂地の上に生えているところを撮っています。隧道の近くには砂浜はなさそうです。となると大村海岸(前浜)の近くまで行ったのかな。
朝の散歩の記録はここまでです。この後は宿に戻ったようです。
昨晩の電気がつかない部屋があったという事件は、電気屋さんに見てもらうことができて、修理できたようです(修理にきてもらうという話だったかも)。この件は一件落着でしょう。
朝ご飯を済ませて、父島見学に出発です。バイクでまわります。まずは、釣浜に行く予定です。ウグイス砂を見たいと思っています。町外れの清瀬というところから脇道を入っていくと駐車場に着きます。ここから下り坂を5分ちょっと下ると釣浜に到着です。
浜にでる草むらにトカゲがいました。茶色い色をしていますがグリーンアノールです。飼われていたのものが放たれて大繁殖しています。
海岸です。湾の奧にだけ浜があります。石がたくさん転がっています。
石の少ないところを見ると、表面が緑っぽい色になっています。岩石中に含まれる古銅輝石が密集してこのような色に見えています。
崖の岩です。無人岩の枕状溶岩です。枕の形ははっきりしていません。何となく丸い構造が見える程度です。
岩石中の穴の中を白い半透明な鉱物が詰まっています。めのうです。岩石ができてからも海底に噴出した熱水に含まれていた珪酸分が沈着してできたものです。
右側の海岸です。兄島瀬戸の東側の入口方面になります。
海岸の奧です。浜からすぐに林になっています。奧に切り立った崖が見えます。
一つ目的を達成しました。次は、南西端にある遊歩道に行くことにします。小港海岸から中山峠、ブタ海岸、高山を通ってジョンビーチに抜けるコースの往復になります。歩く距離が長く、どれくらいかかるかわかりません。途中どこにもよらずに小港海岸に直行します。小港海岸までは海岸沿いの道を通ったのではないかと思われます。いくのが優先で記録を残していません。
小港海岸に到着です。パンフには2リットル以上の水を持っていくようにと書かれています。少し足りません。何とかなるでしょう。この近くで少しだけ水を補給したような気もしています(場所は戻ったところの駐車場かな)。
道路脇にある八瀬川です。かなり水が濁っています。よどんでいるせいかな。それとも満潮か。
バイクは道路終点から先の広場の隅っこに駐めて、ジョンビーチ方面への遊歩道を歩いて行きます。少しいったところで八瀬川を橋で渡ります。橋の上から見た河口方向の景色です。
橋を渡ると登り坂が続きます。ちょっと開けたところから、先ほど渡った橋が見えていました。
小港から先にある湾が見えてきました。一番遠くの山は野羊山です。二見港の入口の南側にあります。
海の色が濃い青色をしています。こういうのをボニンブルーというのでしょうか。
さらにあがると尾根にでました。ここからは小港海岸がよく見えます。野羊山の向こうに二見湾が見えています。大村海岸まで見えているようです。
尾根の左側です。谷の向こうにブタ海岸と饅頭岬が見えています。
尾根を進んで行くと中山峠と書かれた看板のあるところにでました。これから行くブタ海岸を大きく写してみました。
中山峠に着いたときにはだいぶへばっていました。とにかく暑かったのが一番でしょう。そのわりには汗がでていません。登り始める前に水分を補給していますから汗をかいているのが普通です。状況としては暑い以外は長距離走でへばったときと同じ感覚です。息が切れているわけでもありません。気を引き締めないと脚が前に進みません。
少し休憩してから道を降りていきます。日影になるところはなかったような。ブタ海岸に降り始めるとすぐに到着です。海岸から湾の入口方向の景色です。
湾の右側には饅頭岬に続く山が見えています。
海岸に沿って饅頭岬の方にいってみました。岬の山との間は鞍部になっていますが、ここだけ木が生えていません。刈り取られたのか強風が吹き抜けるのか、どうしてなんでしょう。
湾の反対側です。これから行く高山の方向になります。濃い霧がかかっています。向こうから流れてきているようです。
ブタ海岸にでてから、道がはっきりしていません。とりあえず海岸に沿って高山の方に歩いていきます。浜の端の方では谷から流れてきた川が海から波で打ち上げられる砂礫で塞がれています。
海岸沿いはこの先に道はありません。川の左岸を遡っていくと、山の中に入って行く道と標識がありました。この道を登っていきます。
登り口の足元を見るとヤドカリがいました。脚が紫色をしています。ムラサキオカヤドカリでしょうか。それにしてもこの貝殻はアフリカマイマイのような..。
坂を登っていったところから見えた饅頭岬です。崖にでている岩は枕状溶岩かな。輪郭がぼやけています。
ちょっと湿った地面に野ヤギの足跡がついていました。
遊歩道は、まっすぐジョンビーチに行く道と、高山を経由していく道とに分かれています。へばっていて登れるか心配ですが、高山経由でいくことにしました。
山頂に近づくにつれ霧が濃くなってきました。なんとか山頂と書かれたところに到着しました。かなり応えています。長めの休憩をとりました。
霧で景色は全く見えません。見えたのは、アオノリュウゼツランの花穗だけです。繊維をとるために持ち込まれたそうですが、野生化し大繁殖しています。花が咲くと枯れると書かれています。
この先は、尾根沿いに道は続いています。霧で両側は全く見えていません。迷わないように地面に道を示す目印が埋められています
展望台もあったようですが写真はありません。GPSの記録には残っています。霧で何も見えなかったのでしょう。南島とかハートロックが(横からになります)見えるらしいのですが残念です。
展望台から少し引き返したところから山を下りて行きます。ジョンビーチに真っ直ぐ行く遊歩道と合流するあたりではオガサワラビロウがたくさん生えていました。固有種だそうです。
合流点は広場のようになっています。やはりここでも休憩が入りました。
外来生物侵入阻止のためのマットやらブラシが置かれています。陸貝類を食べるの渦虫の仲間が侵入しないようにするために靴とかを洗ってくださいと書かれていたようです。具体的に何をやったのか覚えていませんが、指示されたとおりのことはしました。柵があったような気がしたのですがここではなかったかも。
道を進んでいくと左側が開けてきて海が見えてきました。へばっていたためか気がついていませんでしたが、岩石の感じが今までの火山岩類と全く違っています。
崖の上の山です。こちらの方角は青空が見えています。カルスト地形っぽい感じがします。これも気がついていませんでした。
ジョンビーチに到着です。海岸は平たい一枚岩のように見えますが、ビーチロックといい、砂のすきまに石灰分が沈着することでコンクリートのようにかためられたものでできています。
ここに到着しても再び休憩です。とにかく暑いの一言に尽きます。南側には切り立った崖があって、その下は日影になっています。ここにへばりついていました。泳ぎに来ている人もいました。日なたにい手も平気なようです。
じっとしていても体温が下がらないので、勇気を出して海岸を歩いてみました。
ビーチロックの上をカニが歩いています。ちょっと遠かったかな。
海側の景色です。南側の岩壁から縦島が見えています。海の色が濃い青色です。
ビーチロックのすきまに魚がいました。ハゼの仲間かな。
ジョンビーチからジニービーチには陸路では行けなくなっています。いけたとしてもこれだけへばっていたので行ったかどうか疑問です。来た道を引き返していきます。
高山に登る道との分岐点まで戻りました。ここで小休止します。周囲を見わたしてみると地面にキノコが生えていました。種類は不明です。横にマツの葉と松ぼっくりが落ちています。
中山峠に戻りました。休憩がてら景色も見ていきます。ここから南島が見えているようです。
中山峠からみたコぺぺ海岸です。右側の尾根に国土地理院の電波望遠鏡があります。これで父島が本州に近づいている速度が測定されました。
小港まで戻ってきました。海岸まででてみることにします。近くで咲いていたヤハズカズラです。小港のどのあたりで咲いていたのかは不明です。橋のあたりかな。
小港海岸です。白い砂浜です。
入り江右(北)側です。穴の開いた岩が見えます。その先が小港岬です。
南側の崖です。洞窟みたいになっている所があります。その表面に枕状溶岩特有の模様が見えます。
その上の方です。中山峠の展望所とそこにある看板が見えます。
小港海岸からは山の方の道を通って宿のある二見港まで戻ることにします。小港から山に入る手前に亜熱帯農業センターがあります。ここによっているはずです。写真には植物の名札が1枚だけ残されています。何もないのはどうしてなのでしょう。理由が思い出せません。
山を縦断する道沿いからいくつかの場所にむけて遊歩道がつけられています。まずは、10分ほどで行けるみたいなので中央山にいってみました。道路に入ってすぐのところに入口があります。
入口から歩いていくと2手に別れています。展望台と見晴台です。距離が近いということで展望台に行くことにしました。林を抜けたところから見えてきた北側の景色です。桑の木山かな。こちらに見晴台があります。
その右側です。見えているのは東島かな。オガサワラビロウの木が見えます。
初寝浦の方向です。左から霧が流れてきています。
太平洋戦争中の電波探信儀の台座が残されています。奥に展望台が見えます。
展望台からから歩いてきた方向を振り返ってみたようすです。
道路まで引き返していきます。そこで出会った人は夕陽はダメそうなのであきらめて明日朝日を見に来るといっていました。霧が流れてきたいたような気がします。見えるのでしょうか。
見晴台の方へいっていないのはまだ体調が回復していなかったからかな。本調子ならいってそうです。それをいうなら小港からコペペ海岸へも行ったかも。初寝浦へもパスしています。初寝浦は案内書には急な下り坂と書かれています。往復なので帰りはきつい登り坂になります。
先に進んで行きます。NASDAのロケット追跡所の前を通ります。入口前から電波受信機を写させてもらいました。
山の中を通る道路は夜明け道路と名前がつけられています。夜明山の横を通っているからでしょうか。夜明山と書かれている標識の近くに初寝浦展望台と書かれた標識もあります。バイクで入っていけそうだったのでいってみました。
展望所からの景色です。初寝浦が見えています。ここにもウグイス砂があるそうです。海の色が濃い青色をしています。下りて行っていたら戻ってくるのが大変そうです。
横にあった廃屋のような建物です。太平洋戦争時の軍施設が残されていると書かれています。これのことでしょうか。普通のお店の残骸のようにもみえます。中までは確認していません。
道路に戻り先に進んで行くと、国立天文台VERA観測局がありました。ここに入っていいのかどうかわからなかったので、入口から電波望遠鏡の写真を撮らせてもらいました。
国立天文台から少し進んだ道路脇に駐車場があって、その奥に海を展望できる場所かあります。案内図には旭平展望台と書かれています。よってみました。
兄島瀬戸がよく見えます。左側が兄島最東端付近、右側が東島です。
父島側の長崎です。明るい色をしています。無人岩ではなさそうです。
直下の海です。ここからは切り立った断崖になっています。海の透明度は高そうです。
先に進んで行きます。旭山への登山道の入口があります。体調のことを考えていかなかったのか、入口を見つけられなかったのか、とにかく旭山の方へはいっていません。
枕状溶岩の露頭もあります。これも気がついていませんでした。単なる道路の切り通しだと思っていたようです。
記録では長崎展望台にいったことになっています。写真を比べてみた感じでは、枕状溶岩の崖前からみたとした方がしっくりするような気がします。旭平展望台からの写真も、長崎展望台からとしていました。こうした方がしっくりくるのでこのように記述しています。
旭平展望台の次に行った場所から写した兄島東半分です。雲が向こうから湧き上がっているのがわかります。
西半分です。昨日行ったキャベツビーチは見えていません。
ここからそのまま下りて行くとすぐに二見港のある町に到着です。
二見港の町にはだいぶ早くに戻ってきました。山の中は歩き回らなかった分時間を使わなかったようです。朝小港に向かうときは、いくことを優先していましたので、もう一度海岸沿いに境浦まで南下していくことにしました。
二見港の防波堤を越えたところに小笠原海洋センターがあります。ここを見学していくことにします。ウミガメを飼育しています。記憶では入場料代わりにキャベツを買って与えてくださいというシステムだったような気がします。
水槽で飼われていたウミガメです。赤いけどアオウミガメです。目の間にあるウロコが2枚なのが特徴です。子どもです。年齢が書かれていたようですが、何歳だったか記録されていません。
群れているところです。
アオウミガメの写真をつづけます。
海洋センターでの写真はウミガメしかありませんでした。他に何を見たのかな。次は境浦までいきます。トンネルを越えた先で見えてきた境浦です。
ここの湾には太平洋戦争中に魚雷攻撃を受けて座礁した濱江丸がそのまま残されています。
湾奥の全景です。
道沿いに小さな滝が見えました。名前は確認できませんでした。無いのかな。
境浦の次は宮之浜に行っています。そのまま進めば扇浦で亜熱帯農業センターのある所です。この付近は見ているということでしょうか、境浦で引き返しています。コペペ海岸にいくというのもあったようです。
二見港のある町を通りぬけて反対側の海岸までいきます。道は海岸の近くまで続いています。道脇の広いところにバイクを置いて浜まで歩いて行きます。
浜にでて見えた海岸東半分です。沖合は潮流が早いということで遊泳は近くのみという制限があります。浜に沿って遊歩道が続いています。電信山遊歩道はここが始点で長崎展望台まで続いています。歩道の先に穴の開いた岩が見えています。
穴の開いた岩に接近しました。これより近づいても岩陰になってみえないようです。キャベツビーチ沖でシュノーケリングをした場所からは、この岩を反対側から見ていたようです。
ここからみえる湾反対側の景色です。見えている山は三日月山になるのかな。
浜にはウミガメの這い跡も残っていました。
この後、ウェザーステーション展望台に夕陽のようすを見にいっています。昨日よりも霧が濃いようです。野羊山が半分しか見えていません。手前に見えていた烏帽子岩は、今日は霧に隠れています。
西島です。海面は霧で完全に覆われています。流れてきた霧が島にぶつかってそこから上昇を始め流れていくようすが見えます。昨日はまだ雲に切れ目がありました。
一番明るく見えた方角です。これではグリーンフラッシュどころか夕陽も無理なようです。夕陽を見に来るのはあきらめます。日没までにバイクを返さないといけません。歩いてくるだけでもかなりの距離があります。
そのまま山をおり。大村海岸近くでガソリンを入れてからバイクを返却します。このようすだと5時頃に返しに行ったのかな。
宿に戻ったら、釣をしにきたという人が、釣れた魚をさばいていました。プロが使うような長い包丁を持っています。わざわざ持参したといっていました。よく持ってこれたと感心しています。夕食では、刺身を振る舞ってくれました。ごちそうさまでした。
確認はしたと思いますが、星は見えそうにないのでそとには出かけていません。昨晩と同じように、ダイニングで3人でだべっていました。今日の体調不良については土壌学者さんからは塩分不足だといわれました。旅行中はふだんより塩分過多になっていますから、それが原因だったのかは疑問です。
宿の人に、昨晩の電気をつかなかった人の宿泊費をどうしたものか相談されました。自分がその立場だとすると、そうしてくれといっているみたいになります。答えにくかったところ、土壌学者さんが宿泊費は無料かなと答えてくれました。
明日は母島に渡ります。土壌学者さんはどこかの島に渡ってそこで野営するということで大きな箱に入った荷物を整理していました。水なんかもこうして送ってきた方が安くつくそうです。こちらは適当な頃合いを見計らって就寝です。
小笠原3日目です。今日は母島に渡ることになっています。出航時刻は7時半で乗船手続きとかがありますから、7時には港に着いていないといけません。その分朝食時間も早くなります。朝の散歩には出かけていません。
港まで送ってくれたのか歩いて行ったのか覚えていません。港にはははじま丸がついていました。
ははじま丸に乗り込む前に、渦虫を母島に持ち込まないように靴を消毒する作業があったようですが、よく覚えていません。何回もしているのでどこのものだったのか。
出航直後の港のようすです。泊まっている白い船がおがさわら丸で青い船が共勝丸です。共勝丸は小笠原への定期的に運行している貨物船です。後方には三日月山が見えています。
二見港を離れる前に見える三日月山です。このあたりから見ると、左側の急な断崖がはっきりとわかります。地すべりによってできたという説明もあります。
二見湾出口の大根崎と烏帽子岩です。天気が回復して、青空が広がり始めています。海の色が青色が濃くなったように見えます。
すぐにイルカがでてきました。この時間なのにすでにイルカ観察の船がでています。そういう宿の船かな。1昨日にドルフィンスイムをした場所より2kmほど南になります。
左側に1頭、右側に何頭かかたまっています。
記憶が曖昧なのですが、イルカがわかったのはおがさわら丸で海鳥を見ていた(鯨を探していたのかも)グループが乗っていて、デッキで探鳥していたのにくっついていたからのような気がします。
ウミガメもいました。丸い甲羅が見えています。こういうのは誰かの手助けがないと見つけられていないでしょう。
アナドリもいました。羽根の白っぽい筋がはっきりと写っています。
船は15分ほどすると南島が見えてくるようになります。南島といっても、父島の南方にあるというだけで、ジニービーチから見ると西側になります。左側が父島ジョンビーチからジニービーチ、南崎のある一画で右が南島、間の背の高い島が霊岸島、その手前の平らな島が閂島でしょう。
南島です。
再びミズナギドリです。ハイイロミズナギドリにしています。
さらに南に行ったところからは千尋岩(ハートロック)が見えてくるということなのですが、このあたりは濃い霧が立ちこめています。それにしても雲の湧き上がり方がものすごいことになっています。
再びアナドリです。
湧き上がるような雲が見えます。湿った空気が山の斜面を昇ってできたのかな位にしか考えていませんでした。前後に写した写真を見ると父島側母島側とも周囲の雲の様子が違います。どちらにもなさそうです。該当する島はと考えてみると、残るのは西ノ島しかなさそうです。出発前に活動が活発になっているという情報が発表されていました。西ノ島の噴煙の可能性が高そうです。方角だけでも確認しておくべきでした。
この頃には母島にだいぶ近づいています。最北端の乾崎が見えています。その右側の遠くの島は向島と平島かな。
船は母島の東海岸に沿って南下しています。だいぶ近づいてきたので、海岸沿いの崖のようすもはっきりと見えるようになってきます。
母島最北端の乾崎です。手前に大きな岩があります。島くらいの大きさがあります。鬼岩です。遠景は東山になるのかな。ちょっと霧がかかっています。
斜面が大きく崩落しているところが見えます。航空写真では館山の南西斜面に崩落跡が確認できます。
穴の開いた岩が見えます。記録にはムエアサキオモトと書かれているのですが。何のことなのでしょう。わからなくなっています。
これも大きな岩です。四本岩にしています。
頭の尖った岩です。観光案内書にある眼鏡岩に似ています。眼鏡は壊れたそうです。後に見える山は小富士です。
地層がきれいに見える岩です。三角岩かな。
崖を柱のようなものが支えているように見ます。向島の北西の崖かな。左側に北根のような岩礁が見えています。
妹島が見えています。
円錐形の山が母島の小富士、手前の白い浜がワイビーチです。
母島では宿の人が迎えに来てくれていたようです(はっきりしていません)。荷物を置いて観光に出かけます。まずバイクを借りにいきます。店(ここも宿泊施設になっています)で聞いたところ、カバーの割れたものしかないということです。倒れず動いて止まれば問題が無いので借りることにしました。明日の朝返しになります。
バイクに乗って最初にいくところは御幸之浜です。都道を南下していって途中から旧ヘリポートの方に入ってまっすぐ進み、突き当たりから少し歩いていくと浜の横にでます。
ちょっと高台になっている所(そのような記憶がないのですが展望台になっていたようです)から海中をのぞいたようすです。丸いかたまりのように見えるのはサンゴかな。
ここから見える左側の岩壁です。堆積岩ぽい地層が見えています。
海岸の方に下りて行く道に、貨幣石の入った岩が転がっています。
こちらの方が、断面ではなく平面なのでわかりやすいでしょう。
浜に降りました。岩場の上に小石をばらまいたような浜です。横の崖を見ると、貨幣石の化石が地層中に埋まっているのが見えます。きれいに並んでいますね。
海岸近くの岩です。黒っぽい色をしています。枕状溶岩のように見えますが、一つ一つのかたまりは角張っていて、大きさもまちまちです。水冷自破砕溶岩(ハイアロクラスタイト)といいます。浅海に溶岩が流れ込んだときに、海水を一気に蒸発させた勢いで溶岩が粉々に砕けることでできます。
崖の上の道に戻ってみえる遠くの景色です。御幸之浜の右側にある中岬とその遠方には向島が見えています。
御幸之浜というのは昭和天皇がここに来て生物採集をしたことにちなんでいるとか。その頃に作った石碑になるのかな。字体が「濱」になっています。
御幸之浜の次は南崎遊歩道に行くことにします。都道に戻り先に進んで行きます。道路の終点はロータリーになっていて、脇に駐車スペースがあります。この先から遊歩道が始まります。その入口には都道最南端と書かれた看板があります。ここは東京都ですね。ちなみにGPSロガーの記録は、北緯26度37分23.3秒、東経142度10分46.4秒です。いっしょですね。
遊歩道入口の階段を降りたところには、外来植物を持ち込まないように、マットなどが置かれています。ここでもしっかりと靴についた種などを落としていきます。
ビロウの葉の上に貝がいましたと思ったら脚がでてきました。これもヤドカリでした。
すり鉢を通過します。お椀型に地面がえぐれています。地すべりなのかな。暖地なのですね。土が赤い色をしています。ラテライトといいます。
後につつく海岸も急な崖になっています。ここの土は赤くなっていません。洗い流されたようです。
しばらくすり鉢の縁に沿って進みます。真ん中くらいまできたところから見たすり鉢の底方向です。木が生えているところは、すべり落ちた林のようです。
さらに進んで行きます。葉裏が紫色の草が密集して生えているところがあります。観葉植物として出荷用に栽培されていたムラサキオモトが枯れずに残っているそうです。
林の中の遊歩道のようすです。ところどころで足のようなものがいっぱいでている木を見かけます。その形がたこの足に似ているということで、タコノキといいます。アダンという別名もあります。固有種と書かれています、ここのものは沖縄とかと違うのかな。
林の中にいた鳥です。イソヒヨドリにしていましたが、トラツグミのようです。
木の枝に停まっているのはメジロです。
南崎遊歩道は分岐路がたくさんあります。とりあえず今は一番奥にある小富士を目指しています。国内にある地域富士(あるなんとか富士とよばれる地方の山)の中で一番南にあるものだそうです。沖縄にはないのかな。
鎖場とかがあったみたいですがよく覚えていません。急に開けたところにでて、そこから見えてきた島です。鰹鳥島といいます。ここでカツオドリが繁殖しているそうです。小さいのですが、拡大して見たときに鳥が写っているのを見つけました。
鉄のかたまりのようなものが地面に埋まっています。戦争関連の遺物なのでしょうか。
尾根の上にでました。鰹鳥島とは反対側にある浜が見えています。波のあたっていないところの表面が真っ白です。
遠くに見える山です。乳房山です。
眼下に見える海です。ここもサンゴがあるのかな。かなり深いところまで透けて見えているようです。
沖合に見る島です。向島になります。
南崎です。
鰹鳥島から先にいくつかの島が連なっています。
ここから見える母島全景です。母島は細長い島だというのがよくわかります。
小富士の近くの山です。平助山かな。すり鉢のような崩れた地形がたくさん見られます
姪島(左)と妹島です。母島列島には母島の他に姉島、妹島、姪島、父島列島には父島、兄島、弟島、孫島があります。父島列島の北側にある聟島列島には聟島、嫁島、媒(なこうど)島と名前のつけ方が独特です。
南崎遊歩道を引き返していきます。来るときにいかなかった分岐路を見ながらいくことにします。一番最初にあった分岐路が南崎海岸への道です。
入っていって見つけたのがオガサワラトカゲです。固有種です。
隠れようとしているのか木を登っていくのもいました。
浜のようなところにでました。ここからの南崎方向です。潮は引いているのか目の前の海は浅く岩のようなものがたくさん転がっています。
反対側の小富士です。
沖合に見える島です。鰹鳥島とその手前の岩礁、奧は中鰹鳥島、小鰹鳥島かな。左遠方は妹島のようです。
海岸の石です。平べったい石がたくさん転がっています。乾燥すると白くなるようです。
海岸の植物です。クサトベラかな。海岸なら普通に見かけます。
南崎遊歩道にはワイビーチへの分岐路もあります。小富士への分岐路から南崎方面の遊歩道に入ってすぐに、ワイビーチへの分岐路があったようです。ワイビーチの方へもいってみました。ちなみにワイビーチというのは、ホワイトがなまったものだそうです。
林の中では再びオガサワラトカゲを見ました。木漏れ日の中で日向ぼっこの最中かな。
すぐにワイビーチにでました。それほど深くない入り江です。右側の崖の向こうに乳房山が見えています。
入り江の左側です。砂の白さがよくわかります。遠くは母島の西海岸が続いています。
砂浜にあったウミガメの足跡です。卵の穴はあったのかな。
崖をよく見ると貨幣石の化石が入っているのが見えました。
貨幣石化石の密集しているところです。
ここから戻る途中で見た鳥です。頭がぼさぼさなので、オガサワラヒヨドリにしています。目の後のところも何となく茶色っぽく見えます。本州のものに比べて形がはっきりしていません。
南崎遊歩道を半分くらい戻ったところから、蓬莱根海岸への分岐路があります。この分岐点の近くには、小鳥の水場が設けられていて、ペットボトルの水をわけてあげてくださいと書かれています。母島到着後に水は確保できていません。ごめんなさいということで対応させてもらいました。
分岐路から蓬莱根海岸方面へ少し歩いたところで、鳥の鳴き声がするので見るといたのはハハジマメグロでした。特別天然記念物に指定されています。
比較的近くまで来たものです。
こちらを向いているところです。
海岸にでました。岩伝いに北に行けば広い浜があるなどということは意識していませんでした。この時は小さな浜だと思っていました。岩石はハイアロクラスタイト(水冷自破砕溶岩)のようです。
海岸にいたカニです。この石はビーチロックかな。
道を戻っていきます。再びオガサワラトカゲを見ました。葉っぱの向こうで顔だけ出しています。
分岐点近くまで戻ると、メグロに似た鳥がいましたが、こちらは目の周りが白いメジロです。
都道最南端まで戻っていきます。すぐに到着します。まだまだ見学に使えそうな時間はたくさんあります。次はどこへ行こうかな。
乳房山の遊歩道は5時間くらいかかるのでこれから行くのは無理です。手元にある手書きで書かれたような案内書には船木山の滝遊歩道というのがあります。1時間くらいの歩行で往復できるようです。ここに行ってみることにします。それにしても、この案内書はいつどこで入手したのかな。船を降りてから、観光案内所へよっている時間は無かったような。バイクを借りてから最初にいったのか。
玉川ダムまでバイクで行きます。農業用水取水のために造られたダムです。その横から遊歩道が続いています。
歩き始めてすぐに、カエルがでてきました。オオヒキガエルのこどものようです。害虫駆除のために持ち込まれたそうですが、生態系を破壊するということで駆除の対象となっています。猛毒があるので触るのは要注意です。
しばらくは玉川ダムのダム湖にそって歩きます。岸にはシュロガヤツリが群生していると書かれています。遠くでどのような植物かはっきりわかりませんでした。
シュロのような形をしていそうです。ほとんどのものは葉の形がだいぶ違います。ところどころに、放射状に葉のでているものがあります。黄緑色のかたまりになって写っています。現在は観賞用に栽培されているみたいなので、ここのものも元々はそれだったのかも。
戦時中の壕の跡があります。危険なので立入はできません。
シュクシャの群落があります。花が咲いていないので、普通に雑草に見えます。ショウガのようなきれいな花が咲きます。
船木山の滝に到着です。水がチョロチョロっとしたたり落ちています。思ったより小さな滝です。雨が降ると増えるのかな。ここか行き止まりです。滝に該当しそうなものはこれしかありませんでした。
板根の発達した木がありました。シマホルトノキにできるようです。この木でしょうか。幹にコブコブがいっぱいできるみたいですが、そこまでは確認できていません。
案内書にはバードウオッチングができると書かれていましたが、出合ったのはオオヒキガエルだけでした。玉川ダムまで戻ってきました。ダム堤からダム湖のようすです。
このすぐ下に、木生シダのマルハチがたくさんありました。
マルハチの新芽です。ワラビのような形をしています。ヘゴはゼンマイのような形になります。
マルハチの葉が脱落した跡にできる模様です。丸に八の字を逆さまに書いたような模様があることからマルハチといいます。写真は左が上になります。
案内書に書かれている見学場所(ハイキングコース)として残っているのは、大沢海岸です。島の北部にあります。静沢遊歩道というのもありますが、この時には気がついていませんでした。こちらは戦跡がたくさん残っています。
こんどは都道を北の端に向かってバイクを走らせていきます。元地の集落を抜けたら山の中を走り続けます。
途中道脇に見かけない赤い花がかたまって咲いているのが見えました。かなり目を引きます。最近になってやっとヒギリ(緋桐)と判明しました。東南アジア原産の栽培植物だそうです。学名はVolkameria japonica Thunberg in Murrayです。山の中のここにだけあるというのは気になります。場所は桑の木橋の近くだったと思います。
長浜トンネルの入口前に、長浜トンネル展望台入り口と書かれた案内板がありました。トンネルの上に展望台が作られています。入口横の空き地にバイクを置いて階段を登っていきます。
展望台からの景色です。南側堺崎方面です、遠くにあるのは向島です。
山側、石門山方向です。石門山ではなく手前のピークが見えているようです。手前の涸れた木は何だろう。アカギとかモクマオウのような外来種は枯らして駆除しているようです。左側の木はギンネムかな。これも駆除の対象です。
トンネルを越えると道が下りになって、海が見えてきました。手前側が東港になります。この付近に探照基地跡があるみたいなのですが、見つけられませんでした。看板とかがあったはずなのですが。
東港まで降りてみました。港のわりには船がないような。カヤックツアーの出発地になっているような感じです。正面には石門山が見えます。
左側に続く崖です。
海岸に沿って南側です。高い山は庚申岳です。道路は左端の尾根のへこんだところからゆっくり右へ降りてきているようです。へこんだところの向こうでは尾根の反対側を通っています。
都道に戻り北側に進む坂道を下っていくと、北村小学校跡の前を通ります。戦前にはこのあたりは、水が豊富なことから大きな集落があったそうです。戦時中に強制疎開があり、戦後アメリカから返還されるまでは放置されていたようです。
北村小学校にはガジュマルの木があったようで、入口付近は垂れてきた気根に覆われてうっそうとしています。
入口には、製糖圧搾機のローラーで作った門柱があるみたいなのですがガジュマルに圧倒されてよく見ていませんでした。入っていいのかどうかわからなかったので中にも入っていません。道のようなところ、入って左側に石の円柱が写っています。
そのまま進んで行って入り江が見えてきたら都道は終点になります。そこから正面に見える入り江です。深い入り江です。
右側の海岸です。海岸から桟橋のようなものがでているのがわかります。
左側の海岸です。母島最北端の乾崎あたりまで見えているようです。
展望所のような建物があり、その裏側を進んで行くと橋が架かっています。端の橋と呼んでいるみたいです。ここからが、大沢遊歩道になります。逆光がきつくうまく写っていせん。
大沢遊歩道での写真がありません。何も特筆すべきものがないと思ったのか。ひたすら歩くのに熱中していたからなのか。写真を撮れるような場所はなかったというのもありそうです。どうなのでしょう。
大沢海岸近くでみたヤドカリです。これも足が紫色なのでムラサキオカヤドカリにしています。
大沢海岸にでました。ここから見ても深い入り江のように見えます。
右側の断崖から続く海岸線です。北岬まで見えています。手前の岬との間に北港に続く入り江があります。
大沢遊歩道で唯一写していた写真です。「ムニンサジラン?」にしています。ランではなくシダの仲間です。
北港から宿のある静沢に戻ることにします。途中で新夕日が丘を通ります。ヘアピンカーブになっていて、西側の海がよく見る場所です。日没の1時間ほど前になります。全体に雲というより流れる霧が濃くて太陽がかげっています。このままだと夕陽は無理そうな感じです。ここから静沢までだいぶありますので、夕陽観察に戻ってくるのは大変そうです。
都道を南下して宿に近づいたところで、直接静沢方向に抜ける村道があります。ここを戻って見ると、何カ所か西側が開けた場所があります。夕陽観察はここに決定です。まだ雲は多いようです・
いったん宿に戻ってからバイクを置いて歩いて行ったのか、そのままバイクで行ったのか(たぶん後者かな)はっきりしませんが、近くの脇浜なぎさ公園に行っています。まだ明るかったのと、星が見られそうな場所なのかの確認も兼ねていたような気がします。
堤防があって、先に灯台があります。ちょっと気にはなりますが何とかなりそうです。
木にメジロがいました。
ここでもリュウゼツランの花がありました。
なぎさ公園です。浜が広がってい星を見るにはよさそうです。
日没時刻か近づいてきたので、先ほどチェックした場所に行ってみます。わりと開けたところにバイクを置いて、石垣の上から見ることにしました。まだ雲がたくさん残っています。
見ている間に車でやってきた人がいました。道路の所で見ています。よくここに来るといっていました。
結局、夕陽が見えないまま日没時刻となりました。宿に引き返しすことにしました。
夕陽を見た帰り道で、4人ほどの団体が歩いて町の方に向かっているのが見えました。同じ宿に泊まっている人達のようです。声をかけて追い抜こうとしたら、乗せてといわれました。いくらなんでも定員オーバーです。この時は2人乗り可能なバイクだったかな。どちらを借りたのかよく覚えていません。とりあえず定員オーバーということで断らせてもらいました。一人だけというのも不公平です。
ここでどうなっていたのかわからないことがあります。このグループのメンバーを知っているということは、どこかで顔を合わせたことになります。同じ宿ということを知っているということから、宿の中でしょう。不思議なのは宿に着いてから、それほど長居をせずに外を歩き回っています。顔を合わせた時間がほとんど無いようです。
グループを見たのが、夕陽見物帰りのタイミングで、場所もはっきりしています。少なくとも父島でないことははっきりしています。個人客ばかりで団体客は泊まっていませんでした。
一斉に顔を合わせるとしたら、夕食時間しか考えられません。ところでこの夕食時間もはっきりとしていません。新夕日が丘にいたのが写真の記録から17時25分とわかります。脇浜なぎさ公園は43分から記録が残っています。バイクで10分かかるとしたら、この間宿に戻ってゆっくりしている時間は無かったようです。
なぎさ公園にいた時刻から夕陽観察場所に着くまで30分ほど行動のはっきりしていない時間があります。宿に夕陽を見に行くと直接話ししています。この時間もいつだったのかはっきりしていません。場所はダイニングでしょう。いったん戻ったとしてそこにこの人たちがいたとしたら、顔を見るチャンスはあります。でも、この人たちがどこかに出かけて道で出合った場所まで戻ってくる時間が無くなります。
夕食時間が迫ってきている頃なので、あまり際に話をしたということはないでしょう。それに、食事前は準備のために、ダイニングでくつろげなくなります。
宿に着くと宿帳の記入があります。いつだったか覚えていないのですが、母島に到着してすぐに宿に入り書いたような気がします。同時に宿の説明があったような。そうだとするとこの時に顔を合わす機会がありそうです。でもそれほど記憶力がよくないので、夕方までに、この人たちを覚えていることができたのかどうか。夕食時に隣だった人のことも覚えていませんでした。
夕陽観察を終えて戻ってから食事をしたのでしょう。何となく他の人たちが夕食が半分以上終わりかけた頃に戻ったような記憶があります。夕陽の写真から、次に行動したときの写真まで1時間しかありません。どちらかというと早食いなので、時間的には収まりそうです。
内容は、創作料理のセットでリッチな気分になれたような気がします。
団体さんは後からやってきたのかな。同じテーブルにいた人は、北関東の人で、今日は石門山にガイドと1対1でいっていたとか。別に愛知県から来たという夫婦のような感じの2人連れが、東京発のパッケージツアーに参加しているか。そう聞けばははじま丸を降りた直後に、ツアー参加者いませんかという声のところに近づいていた2人組に似ているような気がしてきました。これはおがさわら丸を降りてからだったかな。
小笠原に着いてから問題が一つ発生しています。ズボンがべとべとして気持ち悪くなっています。代わりは持ってきていませんが、寝間着代わりに持ってきているハーフパンツがあります。出歩かないのなら履きかえて、洗濯する事は可能です。
食事の間は、他の人が洗濯機を使用しています。終わるのを待っていたら星を見にいくことができません。帰ってからだと、遅くに洗濯機を回して良いものか悩ましいところがある上に、朝までに乾くかどうかが心配です。結局悩んでいる内に時間切れでそのままになってしまいました。水で軽く濯いで、脱水をかけるだけでもだいぶ違ったかも。
部屋で寝る段になって別に少し悩むことができました。ベッドの上布団が厚くて暑そうです。なしで寝ると逆に寒く感じます。クーラーをわずかにつけて、布団をかぶって寝ることにしました。これにあわせた布団だったのかな。一応快眠はできました。
空調からでる空気はあまり好きではないし、真夏に厚着をするためにクーラーを入れるみたいでおかしいような気がします。小笠原では電気・水は貴重品だとでる前にみた解説書に書かれていました。
翌朝食事前のことだったと思います。近くに鳥が来ていて玄関前のテラスから見えるという情報が入りました。メグロだったのかカラスバトだったのかははっきり覚えていません。情報に従って行って探したのですが、見えませんでした。
どこかに行ってしまった後なのか、みんなで押しかけたからどこかに行ってしまったのか。鳥がやってくるというのは小笠原では町中でもよくあることのようです。
夕食後は星を見に行きました。まずは脇浜なぎさ公園にいってみました。状況は、最悪です。なぎさ公園の手前は漁港になっていて、ここに多数のナトリウム灯があり、付近が煌々と照らされています。これでは、星が見えそうにありません。離れれば何とかなるか一応見に行くことにしました。
枠で囲まれている一角があります。中を覗いてみると、何か丸く大きなものがゆっくり動いています。ウミガメっぽく見えます。案内書に産卵所があると書かれています。それにしてもこれだけ明るいと、孵化した直後のカメは無事に海の方に戻ることができるのでしょうか。父島では懐中電灯の明かりでも注意されました。
漁港の光を背中に受けるような形で堤防の方の写真を写してみました。ここでも端にある明かりが強烈に入ってきます。偶然に流れ星が写っています。
何枚か撮ったときに突然脇の灯りが消えました。消灯時間ということでしょうか。漁港の灯りは明るいままです。30秒露出の写真を10枚ほど比較明合成しています。
カラズ座ははっきりわかります。帰ってから調べてみたら、主要なものはケンタウルス座ですが、白い標柱にくっつくような感じで南十字星が写っているのを見つけました。
わかりにくいので拡大して星座線を入れてみました。
明るいので、旧ヘリポートに行ってみることにしました。ここの心配は、評議平グラウンドの明かりの影響がないかということです。ヘリポートに行く途中、グラウンド入り口付近の道路脇にテニスコートがありました。この周辺は強い明かりで照らされています。これは星の観察に影響を及ぼしそうです。
ヘリポートについてから空を見ると、西側から霧が流れてきているようです。見える星は少なめです。ポータブル赤道儀を持っていったと思うのですが、使っていないようです。北極星が見えず極軸合わせができなかったためでしょうか。
北の空をとったと書かれています。中心付近の星座はケフェウス座のようです。右端にはくちょう座がわずかに入ってくるあたりのようです。
左半分は、光の影響をかなり受けています。霧の濃さによっては真っ白(オレンジがかっています)に覆い尽くされます。評議平グラウンドか下のテニスコートの灯りの影響と思われます。霧が無ければ、影響は少なそうですが、それでも皆無とは言えません。
霧のかかっていないところとしてはさそり座の一角が時々見えるくらいです。アンタレスがきれいに見えます。左下の雲のようなものは天の川でしょう。霧も重なっています。
さそり座の右下側です。まだ霧が流れてきています。
さそり座の尾付近です。白いのは霧なのか天の川なのか。
霧が広がってきたので、これ以上の観測は終了にします。結局写真に写せたのはさそり座の一角だけでした。霧が無ければきれいに写りそうですが、西の空に被ってくる明かりは気になるところです。
朝は明るくなった頃から周辺を散歩しています。最初にいったのが脇浜なぎさ公園です。まずはウミガメの産卵場をのぞいてみました。何匹かのウミガメが泳いでいるのが見えます。このウミガメはどこから来たのでしょう。網にかかったものをここに放っているのでしょうか。
水面からに顔を出しているところです。アオウミガメですね。
外からの波があたるところには何匹かかたまっていました。外にでようとしているのでしょうか。
砂浜の所についている、ウミガメの足跡です。
斜面を登っていく道があり、鮫が崎展望台と書かれています。いってみました。高台になっている所に、屋根のある展望所がありました。ここからの景色です。正面には向島が見えています。
母島に沿って南側の海岸線です。南崎・小富士の先に霧で霞んでいますが、妹島が見えています。
西に続く海岸線です。海面近くは断崖のようですが、その上は斜面です。
沖港の方向です。朝日が昇っています。港に、ははじま丸がいません。この後出航できるのでしょうか。
朝食時間まではまだだいぶとあるようです。入手した案内書の中には、完全手書きの清見が岡周辺地図といいうのがあります。手軽に回れそうなので行ってみることにしました。鳥もたくさんいるそうです。場所は沖港背後にある小高い丘です。
沖港待合所を通り過ぎて月ヶ岡神社と書かれた標柱のある所の階段を登っていくと月ヶ岡神社です。ひょっとすると待合所手前の駐車場のようなところから入っていったのかも。どこからいったのかはっきりしていません。どちらからいっても拝殿の前につきます。
拝殿の左側に遊歩道の入口があります。写真の並びを見ると反対に回ったようです。柵で塞がれた穴があります。鍾乳洞のたて穴入口のようです。
石で組まれた建物のようなものがあります。案内書には祈祷所跡と書かれています。上からガジュマルの気根がたくさん垂れ下がってきています。
カルスト石と書かれていた場所にあった石です。石灰岩が溶食で残されたもののようです。南島ではラピエといっていました。
コース内で唯一写した植物です。花が咲いていたからでしょう、肝心なところはピンぼけです。「ヒメマサキ?」としています。花のつきかたが少し違うようです。
案内書には、下の道路の脇にベンガルボダイジュがあると書かれていました。ボダイジュは見たことがないので、該当の場所を探したのですが見つけられませんでした。後に調べ直したところでは、ベンガルボダイジュはインドボダイジュ(シナノキ科)ではなく、ガジュマルに近い木だったようです。シナノキっぽい木を探していました。
港の広場を歩いていると空にカツオドリが飛んでいるのが見えました。
道脇の箱に止まっているのはイソヒヨドリです。
沖港の岸壁からの対岸です。泥流堆積物のような地層が見えます。
結局、鳥を見たのは港近くでの2種類だけでした。
今日は船を乗り継いで東京に向けて帰ってくることになっています。朝ご飯を済ませてから、出発します。送ってくれるといっていたみたいですが、バイクの返却があります。乗って返しに行きます。レンタル料はガソリン代込みで支払っています。入れる必要はありません。
店というか宿泊施設に行ったら、ちょうど忙しい時間帯だったのか置いといてといわれました。指示通り置いて帰ります。ハンドルが曲がっていることを伝え忘れました。
すぐ近くに、ロース記念館というのがあります。よってみました。いったん港まで行って、戻ってきたのかもわかりません。
ロース記念館です。小笠原母島に住んで島を開拓した人の名前をとっています。大正時代に、砂糖倉庫として港に建てられたものを移築したそうです。壁に使われている石が、ロースがこの近くで発見したロース石です。砂岩の一種かと思いましたが凝灰岩とされています。屋根は移築時にシュロッパ(ビロウ)葺きにしたそうです。
中の展示です。アカガシラカラスバトの剥製が置いてありました。見損ねたのでここのものを..。
ロース石で作られた製品です。
室内のようすです。
鶉石というのがありました。始めて聞く名前です。硫黄島の噴火で吹き出されたものだそうです。白い細かい筋模様が入っています。
外に置かれていたものです。ロース石の石臼です。
道脇に置かれた石に貨幣石化石が入っていました。
沖港の待合所に戻りました。それでも乗船開始まで時間があるので、裏山にある鍾乳洞を見に行くことにしました。
鍾乳洞を見るには、船舶待合所内にある観光協会に届け出て、ヘルメットを借りて行くことになっています。大きな荷物は邪魔になるので、置いていって良いかと確認すると自己責任だそうです。持って行かれても行き先は限られます。邪魔にならないところに置いていくことにしました。
鍾乳洞の入口は清見寺の裏手の狭いところにあります。入口にある電灯のスイッチを入れて見学開始です。
入った所のようすです。狭めですがしっかりとした通路があります。
鍾乳洞の壁面です。このあたりは流れ込んだ水によってできたツルツルのフローストーンに覆われています。
たて穴があって、空が見えています。早朝に見たたて穴かな。
再び壁面です。ここでは畔石様の模様ができ始めています。
ここの鍾乳洞は乾いています。木の根っこがたくさん入りこんでいます。地面まで近いということなのでしょうか。ガジュマルの気根はこれくらい長さなら垂れ下がりそうです。
木の根は垂れ下がっているというよりしっかり張っているようにも見えます。
それほどゆっくりしている時間が無いので、すぐに打ち切って消灯して戻ります。
沖港待合所に戻ってヘルメットを返却します。乗船までまだしばらくあります。うろ覚えなのですが、この少し前に乗船手続きが始まったようなので、申込書に必要事項を記入して、乗船券を購入しました。乗船開始までまだしばらくあります。
同宿だった北関東の人を見かけました。貨幣石を見損ねたといっています。わかっている限りでは町反対側のロース記念館のものが一番近そうです。でも乗船開始までに往復している程の時間は残っていません。残念ですがあきらめてもらうほかはありません。
乗船を待っている間にこれから乗る「ははじま丸」を写しました。早朝にいなかったのはどうしてなのでしょう。
乗船時間になり船に乗ります。デッキから見た出航前の見送り風景です。警視庁のパトカーもやってきています。まだちょっと緊張感がありません。
出航直後の見送り風景です。海に飛び込んで手を振っています。
出航直後の母島です。鮫が崎の横の岬から北側へ三角岩あたりまでの海岸が見えているようです。
さらに遠くの母島です。沖合にあるのは四本岩かな。
母島から離れていきます。母島の北端あたりにたどり着いた頃のものです。
これから進んで行く先の方角です。まだ父島らしきものは見えていません。
母島沖港に停泊していたははじま丸の写真を見ると、ホエールライナーと書かれています。4月頃までは、クジラとよく遭遇するのでこのように呼んでいるようです。クジラのことは中心ではありませんでしたが、帰りの船でもデッキにでて海を見ていました。
飛んでいる鳥ではほとんどがミズナギドリの仲間で、アナドリがこの付近では多いようです。
こちらはカツオドリです。来るときはあまり見ませんでしたが、今日はよく見かけます。飛んでいる時間帯があるのでしょうか。
これもカツオドリです。海面で休んでいます。
間近に来たカツオドリです。
これはオナガミズナギドリかな。他のミズナギドリに比べて尾が長いのが特徴です。カツオドリに比べてくちばしが細く短いことで区別ができます。
これはアナドリです。羽根背面の白い筋がはっきりと見えます。
鳥を見ている内に、父島が見えるようになってきました。
鳥とかを見ている内に1時間ほどたっています。まだ、クジラは見ていません。でてきてくれるのでしょうか。問題は見たことがないのでどういう場所を探せばいいのかがわかりません。大きさもどれくらいのなのやら。この間にも母島はだいぶ遠くになってきました。
もう少ししてからの父島のようすです。それにしても山にすごい雲がかかっています。映画では魔界の島になっていそうです。
父島のアップです。天の鼻にしていますが飛磯崎かも。
これも尾がながいのでオナガミズナギドリかな。
ハートロックが見えてきましたが、上の方が霧の中できれいなハート型にはなっていません。
見ていると上の方の霧はだんだん薄くなってハートの形に近くなってきました。その後は、左側から南島が手前に入ってきてこれ以上きれいに見えることはありませんでした。
30分ほどで父島二見港に到着です。桟橋対岸には製氷海岸というところに、サンゴの群落があるそうです。海面が茶色く見えるところは浅くなっています。この付近にサンゴの群落があるのでしょう。左端の岩は二見岩です。
この時には着岸態勢に入っています。船を降りる準備をしないといけません。船室に大きな荷物を置いたままです。
父島二見港で船の乗り継ぎになります。出航まで1時間ちょっとあります。この間に食事とか買い物とかになるのでしょう。母島で同宿だった人に、水産センターで魚が見られるという情報を教えてもらいました。すぐ近くなのでいってみました。
いろいろな魚が展示されています。テナガエビがいました。じっとしているので、撮影は楽です。
ユウゼンです。チョウチョウウオの仲間です。ここで世界初の人工交配に成功したと書かれています。
一番たくさん写している魚です。アカハタの稚魚を放流していますと書かれています。それなのでしょうか。白いまだら模様がないのが気になります。
ウミガメです。
いろいろな魚がが混ざって泳いでいます
魚がたくさんいます。名前まではちょっと..。
町中で買い物をして船の待合所に戻ります。何を買ったのだっけ。食べるものを買ったような。ふだんならパンとかで済ませるのですが、本土のスーパーで見るような工場製のパンはありません。あっても賞味期限間近です。船で運ばれてくるしか運搬手段がないですね。
待合所に戻って出航を待ちます。時間になっておがさわら丸に乗り出航です、港での見送りのようすです。たくさんの船が並走して走り見送ってくれます。
ちょっと先を行った船がエンジンを止めたら、船に乗っていた人が一斉に海に飛び込みます。かなり沖合まで来ています。回収し忘れないか心配です。
この頃には西島を中心にまわっているようです。その向こうに見えるのは弟島か。
見送りの船がいなくなって、単独航行になります。西島はだいぶ迂回できたようです。父島からは離れ始めていますが、周辺の島々はまだまだ続いています。父島(右)と兄島が並んで見えます。間にあるのが兄島瀬戸です。右端にみえる父島の手前に西島の一部分が写っています。
兄島とその北側の弟島です。いつの間にか青空が広がってきています。
しばらく島影か見えなくなるのでいったん船室に戻りました。船内を歩いていると、母島で同宿だった人とであいました。知人に島ずしをもらったけれども食べきれないので、食べて欲しいということです。ほとんど手をつけていないように見えました。一応遠慮しながらもいただきました。しょうゆ漬けの魚がねたになっています。
いろいろと話をしている時に、父島で同宿だった人もやってきました。その後はこのメンバーで行動することになります。
この頃に、乗客の中に医者がいませんかという船内放送が入っています。船医さんが同乗していますが、対応しきれない症状のようです。たいしたことが無ければいいのですが。
再び島影が見えそうになってきたのでデッキに上がりました。カツオドリが飛んでいるのが見えます。あまり近くへは寄ってきません。来るときとはだいぶ様子が違います。左側に聟島列島が見えてきています。
聟島列島の南端の島々です。嫁島とその右端前方に屏風のような前島が重なっています。その右側の三角形の島は前南小島です。
その左側少し離れたところにあるのが媒島です。眼鏡岩は入っていません。
船の進行に伴って北側の島が順々に見えてきています。次に見えてきたのが、針の岩です。右側の岩礁地帯に尖った高い岩がたくさんあります。
聟島です。平らに見えますが、島が大きいためです。高さは他の島々とそれほど変わりません。
北端の島です。北之島(左)と中ノ島です。周辺に小さな島がたくさんあります。北之島にあるはげ山が気になります。地肌が赤い色をしています。
聟島列島から離れていっています。島影はこの先はしばらくありません。それでも時々海鳥等を見ることができます。時々デッキで観察しています。
オオミズナギドリです。実際のところミズナギドリ類はアナドリ以外は区別がついていません。遠くなので肉眼や双眼鏡では細かいところまではわかりません。
トビウオです。真ん中くらいのところに尾びれが水面をけってできた筋があります。本体はその少し先です。
しばらく見ていましたが船室に戻って休憩します。日が傾むきはじめる頃に再びデッキに上がりました。オナガミズナギドリが飛ぶのが見えます。日が低くなっているので、体をひねったときに腹面の白色が目立ちます。
この頃に、急病人がでたために船は父島二見港に引き返すという放送が入りました。船で処置できないのなら仕方ないでしょう。父島に戻って処置ができるかどうかが心配です。周囲にいる人から文句を言うような声は聞こえてきませんでした。心配するような雰囲気が支配的でした。
予定通りに帰ることはあきらめます。ここは夕陽観察に専念です。小笠原メンバーが集合していました。太陽はだいぶ低くなってきています。
夕陽が雲に隠れるところです。ここでもグリーンフラッシュは見ることができませんでした。
薄暗くなりはじめた頃に反対側の景色も確認してみました。聟島列島の北端の島々が見えてきています。少し戻ってきたようです。
西の空では月がでているのが見えました。ちょうど三日月のようです。
横に明るい星が見えるのは何かと聞かれました。この明るさだと金星か木星になります。どちらかは確定できません。近くにいた人がスマホで木星だと確認してくれました。
21時に船は二見港に戻る予定だと船内放送が入りました。出航したのが14時ですから7時間ぶりです。ということは引き返した時刻は17時半頃になります。このあたりの記録はとっていません。GPSロガーによると聟島の最北端に達したのが16時過ぎでだいたい同じ所まで戻ってきたのが19時前になっています。こちらからも17時半頃に聟島の北50km位のところから引き返したということになります。
二見港に入港しますという船内放送が入ってデッキに上がってみました。港の灯りが見えています。
着岸時の二見港です。救急車が待機しています。島の人も心配なのかたくさん見に来ています。救急車に乗り込むタイミングで船からがんばれという声がかかりました。
船は病人と付き添い者を下ろしたらすぐに出航しました。急いで東京に戻らないといけません。ロスタイムは7時間です。
二見港に戻る前だったか戻ってからだったかはっきりしませんが、小笠原メンバーで星空観察会をやっています。船では夜は星を見るのを推奨しています。他にもたくさんの人たちがでてきて星を見ています。
星を見るには灯りがない方がいいのですが、海への転落の危険がありますし、転落してもわからなかったら困ります。一応それなりに明かりがあります。灯りが構造物の影になりそうな一画を見つけています(とすると二見港を再出港してからになりそうです)。そこでの観察会になります。天の川や夏の大三角がきれいに見えました。
翌朝です。早い時間の記録がありません。9時過ぎに貨物船とすれ違った写真が残っています。霧の中で霞んでいます。5時半頃におきてデッキに行ったようすがあります。写真を撮っていないのは天気がよくなかったからでしょう。当日の天気図には北緯30度付近に梅雨前線が停滞しています。夜明け頃にちょうどそこを通過しているはずです。
昼過ぎくらいから、トビウオの数が増えてきました。黒潮の近くを横断しているためでしょうか。三宅島に近づいています。
これもトビウオです。
かなり頻繁に飛んでいます。
トビウオの大群と思ったのですが、飛跡が全然違います。糸のようなものを引いています。本体部分を拡大して見るとイカの姿をしています。糸のようなものはろうとから噴き出す水のようです。始めて見るものなので拡大しています(他にも拡大した方がいいのはたくさんあります)。
海鳥も時々見かけます。これは、ハイイロミズナギドリにしています。
三宅島に接近しています。久々の携帯通話タイムなので、多くの人がデッキにでて電話をしています。そういえば、ここに来るまでの間、船内のコンセントはみんな携帯電話の充電に使われていました。持ち主はおいたままどこかに行ってい近くにいません。これでよくなくならないものだと感心していました。
三宅島の次の通話タイムは大島沖になります。時間的には夕刻です。帰りはGPSを三宅島沖で切っていますから(というより大島からは電源を入れていない)どこを通っているかは定かではありません。往路では大島より房総半島の洲崎や野島埼の方が近かったようです。東京湾に入ると携帯電話の電波はつながり続けるようです。
外にでてみると巡視艇がいます。ラインが赤なので気になってよく見るとU.S. COAST GUARDと書かれています。何かの訓練かな。
周囲が明るくなりはじめた頃、遠くに街明かりが見えるようになってきました。だいぶ横浜に近づいています。
タワーのようなものがいっぱいたっているところを通過します。コンテナ積み下ろしのためのクレーンでしょう。大井埠頭のあたりになります。
前方にレインボーブリッジが見えてきました。
お台場の船の科学館あたりかな。桟橋に停泊する船が何艘かあります。
有名放送局の本社です。
レインボーブリッジの下を通過します。
晴海埠頭ターミナルが見えています。一番明るい建物がそれです。竹芝桟橋はこの少し奧の向かい側です。まもなく到着しそうです。
父島二見港をでてから戻ってくるまで7時間かかっています。そのままの遅れで竹芝桟橋に入港したとしたら、到着は真夜中になります。その時間なら新幹線で大阪まで戻ってくるのは無理でしょう。宿をどうするか考えないといけないでしょう。重たい荷物を持って、ホテルを探して歩き回るのは大変です。何とかなるだろうということで大きく構えています。
船内放送で、遅れの対応について時々連絡が入ります。
一つは入港予定時刻です。21時頃になるとのことです。新幹線の最終にぎりぎり間に合うかどうかという時刻になります。浜松町まで歩いて行って電車を乗り継いでと考えたらかなり厳しそうです。
父島で同宿だった人は調べたところ新幹線は無理と見たようです。他を当たって、夜行バス(たぶん京都まで)の予約が取れたといっていました。母島の人は、何とか帰れるといっていました。金券ショップで回数券の片割れを買っています。夜行バスでは無駄になりますからパスです。予約する手段もありません。
到着時刻について気がついていませんでしたが、そのまま遅れたとした場合よりも早く帰ってきているようです。かなりがんばって船を走らせたのでしょう。その分燃料のロスが大きくなっていそうです。
2つ目はどちらかというと朗報です。竹芝桟橋到着後、船内の一室で泊まれるようにしてくれるというものです。ホテルシップと名付けています。終電に乗れるかどうかの心配をしなくて済むだけでもラッキーです。ホテルを探さないとということをあわせて考えるとこの手に乗るしかないでしょう。
ホテルシップを利用するには、手続きが必要です。30日の昼過ぎに船内のロビーで受付が始まりましたから、乗船券を持って手続きにいきました。
ホテルシップの注意事項です。泊まる客室は変更になります。使っていなかった二等客室かな。一般客が下船後移動することになります。掃除の都合もありますから当然でしょう。一等室や特等室にバラバラに客がいては把握も大変です。このことからも当然といえるでしょう。
船の停泊場所が変更になります。一般客が下船後に船は竹芝桟橋から芝浦ふ頭へ移動します。そこで一晩停泊(ずっとかな)しますから、そこで随時下船して帰ることになります。チェックはありませんが、一応チェックアウトは翌朝10時になります。
船内を歩き回れたかどうかは覚えていませんが、トイレ洗面所近辺しか移動していないようなので制限されていたのかも知れません。
おがさわら丸は浴室はなく代わりにシャワー室があります。ホテルシップで使えたかどうかはわかりませんが、少なくとも竹芝入港の前までは使えたようです。
3つ目です。これもどちらかといえば朗報です。30日の夕食は船の遅延ということなので船が提供してくれるようです。といっても、おにぎりかカップラーメンのどちらかを選んでくださいということです。これだけでも助かります。塩分の関係でカップラーメンは控えています。おにぎりを選択しました。他の小笠原メンバーはラーメンだったようです。
システムを覚えていないのですが、事前に乗船券(この時点ではホテルシップの宿泊券になっていたかな)との突き合わせでチケットをもらっていたような気がします。
食事をもらう段になって列に並んでみると、ラーメンがやたらに長くおにぎりはすんなりともらえました。途中でラーメンからおにぎりに変更できたようです。暖かい方がよかったからかな。それとも、ラーメンの方が食べ慣れているからとか。
その後は、東京湾ナイトクルーズを堪能です。
到着が遅れたということで延着証明書を発行してくれるようです。特に必要はありませんが、一応もらっておきました。名前の欄は自分で記入するというシステムになっています。この部分は画像処理をしています。
竹芝桟橋が近づいて一般客が下船の準備に入ります。いつの間にか小笠原メンバーとはバラバラになって別れを言うことはなく解散となりました。客室を移動して指定された場所で就寝です。遅くに床に着いています。
朝起きて、船から外を見ると桟橋と反対側に船が横付けされています。太いホースのようなものがおがさわら丸に引き込まれています。給油かなと思ったのですが、給水・汚水処理といったものもあります。本当のところはどれだったのでしょう。
船内でもう一眠りしてから帰ることにします。急ぐ必要もないのでゆっくりしていると、次第に人がいなくなっていきます。日が差し込みませんから時刻もはっきりしません。腕時計は8時を指しています。
あまりに人がいなくなったので、帰ることにしました。芝浦ふ頭から近くの田町駅までの地図は船内に貼りだされていましたから、しっかり確認して歩いて行きます。一本通りを行き過ぎたような気もします。
駅に近づいたところで、朝食ということで食堂に入りました。何の店か覚えていませんがカウンター席だったようです。荷物が邪魔になっていましたが遠慮がちに置かせてもらいました。
テレビがついていて時刻が表示されています。昼近い時刻が書かれています。腕時計ではまだ朝です、よく見ると秒針が止まっています。明け方に電池切れになったようです。小笠原で切れていたらどうなっていたのでしょう。きわどいところでした。この後時刻はどうやって確認したのかわかっていません。少なくともその必要はなかったのかも。
せっかく東京にいて、時間もあるのでどこか見学して帰るということもできます。三鷹天文台や上野国立博物館などもいきたいところの候補です。気がついていませんでしたが芝公園東京タワーも近くにあります。芝離宮を見ようというのは桟橋が変わった時点でなくなっています。
でも問題があります。ズボンの件です。母島では洗濯レベルに達していたと書いています。その後はだんだんひどくなっていく一方です。おがさわら丸に洗濯室がありましたがフル稼働の上に洗濯室が乾燥機からの熱気と湿気でむんむんとしています。これでは乾きそうもないということで、ついに最後の手段でハーフパンツを出してはいています。この格好では都会の真ん中を歩き回る勇気はありません。
時計が止まっていて時刻がわからないというのもあります。ここはおとなしく帰ることにしました。ちなみに、後日判明した限りではズボンのべとべとの原因は汗ではなく海水のしぶきのようです。南島見学の途中くらいから気持ち悪くなっています。
田町の駅で回数券を帰りの指定席と交換してもらいます。品川経由か東京経由のどちらがいいのかわからなかったので近い方でというと、品川経由になりました。電車に乗ってからわかったのですが、田町から品川まで一駅でした。駅員さんに馬鹿にされていないかな。
その後は京都経由在来線の途中下車(回数券だから回収だったかな)でなんとか帰ってきました。
写真を並べてここで何を見ましたと書いて簡単に済むだろうと思っていました。一応どこで何を見た写真なのかという記録はとっています。わかる範囲で説明を加えるのもいいでしょう。小笠原でもらってきたパンフレット類も残っています。これは記事を書く上で大いに参考になりました。
行く前にいろいろ調べたことのメモがあるはずなのに見当たりません。新幹線、船の日時とか、宿やレンタルバイク、ガイドツアー会社の電話番号や住所、料金等はどこかに書いているはずです、どこに何があるかなどの資料もありません。宿や船の領収書も残っていません。そういうものはどうしたのでしょうか。
記事の下原稿を書いていて気になったことは調べ直したりしています。記録を書いた時点でもだいぶ調べています。正確を期したいというのがありますから、わからないところはできる範囲で調べ直しています。記録に書いたことが正しかったというところがある半面、間違っていたというのもあります。わからないのでそのままというかその通り不明と書いたところもあります。
結局調べ直して時間がかかってしまいました。花の名前などは、小笠原でもらってきたパンフが元になります。どこに何が書かれていたかわかりませんから全部の用紙を見直して調べることになります。机の上がいっぱい散らかったりで大変でした。
場所を調べるのに役立っているのがストリートビューです。道路上の景色を見ることができるので比較に使えます。似た景色があればここだと断定できます。見たいところの写真がない事があるのが残念です。
記録の間違っているところの訂正はした方がいいのですが、まだ手をつけていません。そのうちに忘れてしまいそうです。
気になって調べ直して記録が違っていたとわかった一つ例を挙げてみます。
父島の夜明道路を戻ってきたとき、国立天文台の次によった場所についてのことになります。記録では場所は長崎展望台となっています。おそらくそこによったつもりになっていたのでしょう。パンフなどの概略地図からは正確な場所はわかりません。簡単に位置関係を見るために地理院地図の該当の場所を示します。
黄色い線が夜明け道路で、右下から左へ抜けています。実際の長崎展望台は青丸印をつけた場所です。
長崎展望台で写したことになっている写真は全部で7枚あります。撮影時刻をチェックしてみると15時18分が5枚、15時23分が2枚あります。
ここでおかしなことに気がつきました。その前の国立天文台(電波望遠鏡)を撮影したのが15分です。3分間の移動で長崎展望台に着くのは無理そうです。さらに写真を写してから5分間何もせずにいて、また同じような写真を撮りだしたというのも変です。この5分間の間に場所を移動した可能性があります。
記事に載せた写真を確認して見ます。18分に写した分です。
写っているいる岬の形を地形図と比べてみると長崎であるのは間違いありません。ここで一つ奇妙なことに気がつきました。長崎展望台から長崎を見ると長崎の左側面が見えるはずです。写真では右側面が写っています。このことから撮影場所が長崎展望台でないことが確定します。
GPSロガーの記録を見るとこれを撮影したのと同じ時刻の位置記録があります。その場所は、先ほどの地図上に赤丸印で示しています。ここからなら、長崎の右側面を見ることとなり写真と一致します。
この場所を、グーグルマップで確認すると、旭平展望台となっています。ストリートビューでは、道沿い海側に駐車帯があり、そこから少しはいったところが広場になっています。別にその広場からの写真もあり、長崎と海向こうにある兄島の入り江(万作浜)の位置関係もぴったり一致します。GPSの記録も道路からわずかに海よりということもここでバイクを置いて何かをしたということを示しています。このようなことから、写真の撮影場所は旭平展望台と確定できます。同時刻の残り4枚もここからのものでしょう。
夜明け道路沿いからはここ以外に海や長崎の右側面が見えそうな場所はありません。
残りの2枚の撮影場所はどこなのでしょう。長崎展望台に行っていることになっています。ここでしょうか。国立天文台から旭平展望台まで3分、旭平展望台から長崎展望台まで5分かかっています。距離的には同じくらいです。長崎展望台への途中はループがありますからそのままならちょうどくらいの時間間隔です。
この2枚は長崎展望台からと確定しかけました。そうだとすると、2点ほど奇妙なことがあるのに気がつきました。1つ目は、駐車場から長崎展望台までは遊歩道を歩いていかないとたどり着けないのですがそのようなところを歩いた記憶がありません。バイクを置いてから5分くらいはかかりそうです。とすると時間が足りません。そのわりには駐車場は見たような気がしています。
再びストリートビューの登場です。駐車場近辺から該当の写真が撮れそうなところがないか探してみました。残念ながら見つけられませんでした。駐車場入口付近からは海は見えますが、景色が全く違います。
もう一つの疑問点は、長崎展望台という以上は長崎が見えるはずなのですが、それが写っていない事です。見えなかったというのは考えられません。どうも長崎展望台には行っていないようです。
それではということで、ここに来るまでの間で、海の見えそうな場所をチェックしてみることにしました。候補としては道がループしているところ、トンネル入口付近です。調べてみるとそこに海が見えるところがあり、父島側の岩場の形と向こうに見える兄島の地形(丸山)が一致するところを見つけました。写真には、道路脇の反射材のようなものの一部分が写っています。両面が平行になっていなくて海側に広くなっていますから、海と反対側に曲がっている道脇のものと思われます(写真撮影後つけ替えられているようです)。その写真を再掲します。
この場所は地図には緑色丸印で示しています。グーグルマップでは、枕状溶岩と書かれている場所です。海と反対側にある崖は、大事な崖のはずなのに。変な色の崖としか意識していなかったようです。意識できていれば場所確認はスムーズにできていたでしょう。
駐車場を見たような気がしているのは、たぶんそこまでは行ったのでしょう。駐車場近辺からは海が見えません。駐車場というより行き止まりの道路というような場所です。遊歩道入口も奥まったところにありますから見つけられなかった可能性が大きいようです。そのまま引き返したと考えられます。
帰ってきてからは、長崎展望台に行った気にはなっていたのでしょう。旭平展望台に行ったことはそれほど意識していなかったようです。駐車場のすぐ横ですから。ということで、記録には長崎展望台に行ったということになってしまいました。
ストリートビューの写真を比較のために載せられればいいのですが、転載禁止となっています。リンクを貼るのは可能ですがいつまでも同じものがあるという保証はありません。載せることは無理なのであきらめます。興味のある人は探してみてください。
<写真がない>
長崎展望台近辺で写した写真が、2ヵ所で7枚ということはあまり写真を撮りまくっていなかったことを示しています。デジタルカメラを使い始めてからだいぶ経っていますが、まだフィルムカメラを使っていた頃の名残か、いらないデータは消せばいいという感覚にまではなっていなかったようです。一度は、メモリーカードの残り容量がなくなり閉店間際の家電店に行ったこともあります。そのわりには往路の船上でカツオドリばかり200枚近く撮っていたのは多いですね。旅行全体での撮影枚数は全部で1200枚ちょっとでした。
写真を見ていた思ったことは、ここでの写真がほとんど無い、または全くないという場所が見られたことです。
典型的なのは、父島亜熱帯農業センターです。植物の標札が1枚写っているだけです。他はありません。残っている写真が不自然です。写さなかったのか、写すものがなかったのか、写っていなかった(記録されなかった)のかのどれなのでしょう。
持っていったカメラは、1年後に壱岐島で撮影できなくなったカメラです。おかしくなる前に、写したはずの写真がなかったりしています(今も完全に直りきっていなくて写真が写っていないことがあります)。その影響かなとも考えたのですが、小笠原以後の1年の間は普通に写っていましたから、この時にだけ症状がでたということはなさそうです。
写っているのはダイリンヒメフヨウと書かれた標札です。地面にはモクマオウの枝がたくさん落ちています。花の写真がないのは、花が咲いていなかったからなのか、それらしい木が無かったからなのかはわかりません。花が咲いていれば何かのアクションがありそうです。写真には写らなかったのでしょうか。
またしても、ストリートビューを確認します。駐車場の奥にトイレがあることは記憶に一致します。この付近にはセンターの施設らしきものはありません。何もなかったというのも記憶通りです。
到着後の行動を考えてみます。トイレに行った記憶があります。その次ですが、園内の情報を入手するでしょう。少なくとも駐車場からでは、どこを見学できるのかがわかりません。駐車場は袋小路で周囲は林の中でした。一目見ただけでは案内のようなものは見つけられませんでした。他に建物のようなものはありません。ストリートビューを見ると入口の向こう側に背を向ける形で案内板が設置されています。ヤシの木の向こうですから見落とす可能性は多いにあります。直前の南崎往復で相当へばっています。そういうものを探す気力が無かったのかも知れません。
工事中と書かれていた様な記憶もあります。部分的にやっていたのかも知れませんが、どこs湖が見学できませんという一言があれば、全部見られないと思ってしまうこともありそうです。
そもそもここがセンターの駐車場とどうしてわかったのでしょう。大きな道路から入るところに案内板があり、それに従って行くと普通の道沿いに駐車場があったというだけです。それで合っている事が多いのですが、多少は不安になったのかも知れません。
結論としては、ここは駐車場のトイレだけで帰ったようです。来たという証拠に標札だけを写したのかな。
他にも撮っているはず、あるいは撮っているだろうというものはいっぱいあります。
撮ったはずというのでは、父島大神山公園のノヤシ橋の写真です。無いのが気になります。
父島高山展望台付近の写真もありません。これは霧の中だったからかな。山頂でもリュウゼツランしか写していません。その先ジニービーチ入口にあったウズムシがこの区域に進入しないようにする掃除用具も写したと思うのですが、ここではキノコ以外の写真はありません。
母島の北港から大沢海岸への往復時の写真もありません。林の中の狭い道を歩き続けたからなのかと思われます。案内書には途中にある見どころのようなものが書かれています。別の資料だったので見ていなかったのかも知れません。藪の間に見えるので見落としていた見つけられなかったということもありそうです。藪しか写らないので撮らなかったということはなかったような気がします。大沢海岸にあるという戦跡や滝なども確認していませんでした。見どころがよくわからなかったのかも。
この区間は標準時間よりは早く歩いていますから、へばっていたということはなさそうです。どちらかというと、脇目も振らずに歩いていたのかも知れません。父島南崎遊歩道の写真も途中は少なめです。そう考えてみると、遊歩道を歩いているときの写真はあまりないような気がします。
最近はブログを書くことを意識していますから、何を写したか、どこで写したか、これは何なのかがわかるようなものもいっしょに撮るようになっています。そうでなくても手当たり次第写しています。どこで写したかと写真で悩むことは少なくなっています。
<GPSロガー>
小笠原にはGPSロガーを持って行っています。使い方を模索していた頃になります。初期の頃はいくつか問題を抱えています。まず電池が1日持たないという問題がありました。小笠原のように1週間近くにもなるとそれだけでも電池の数はたくさんになります。充電池が使えるということがわかっていなかった頃です。おそらく倹約したいということで、ふだんは電源オフで主要ポイントで電源を入れ記録をとっていたと思われます。記録地点の数は60ポイントほどです。
データの使い方もよくわかっていなかったようです。時刻、経度、緯度、標高のデータをCSVファイルとして出力しているだけです。製造会社の付属付属ソフトでグーグルマップに落としてみられるようにはなっていますが、使い勝手が悪くロガーを使い始めた直後から使っていません。ソフトを使ってデータをCSV出力したものと思われます。
ファイルから位置を求めるのに、地図を印刷して経緯度の線を引きそこから、位置を割り出していたようです。そのような図が残されています。60地点でも場所を調べるだけでも大変だったと思われます。
今なら、同様のCSVファイルを使って、地理院地図上やグーグルマイマップで表示させることができます。更に拡張して写真も同時に表示できるというので、そのファイルを作ってみました。
ファイル名は、1406250000.kml です。26.7kbあります。
1406250000.kmlをダウンロードする
ファイルをダウンロードしてどこかに保存してください。右クリックから「名前をつけてリンク先を保存」でできます。そのままクリックだとファイルの内容が表示されるかも知れません。その場合は、「名前をつけてページを保存」で保存できます。
次に、地理院地図を開いてください。アドレスは https://maps.gsi.go.jp/ です。開いたページに、エクスプローラに表示されているファイル名をドラッグするだけです。
カメラのアイコンが表示されたところをクリックすると写真が見られます。できるだけ近い場所の写真を選んでいますが多少位置(時刻)がずれていることもあります。丸印は時刻・緯度・経度・標高のみです。速度はあまり意味がありません。GPSロガーが記録した場所を表示させているので、特定の場所や写真、スキューバダイビングをした場所・写真があるというわけではありません。下のような画面が表示できます。
グーグルマップでも使えます。その場合の手順は 左上「≡」マーク→マイプレイス→マイマップ→地図を作成→「無題のレイヤ」に地図名を入力+「インポート」→ファイルをドラッグしてください。マイマップを開くにはグーグルアカウントが必要です。データを消去するのはグーグルドライブからしかできません。
<なぜへばったのか>
今回の旅行で一番気になるのは、父島の小港からジョンビーチへの遊歩道で完全にへばってしまったということです。かなり早い段階、中山峠に着く頃にすでに症状がでています。原因がつかめなければ、再発することもあります(今のところは無事です)。
基本的な症状としては、足が前に進まなくなったということです。気合いを入れれば何とか動きます。長距離を走っていてスタミナが切れたという時の症状に似ています。体が熱く感じている点が少し違っています。基本的には熱中症の症状なのかな。体がだるい、力が入らないは中等度の症状に該当しますが、その他の症状(めまい、立ちくらみ、気分不快など)はありません。スタミナ切れにしては症状がでるには早すぎるようです。
一つ前の、釣浜でも暑かったような記憶があります。この時は暑いくらいでやり過ごせています。駐車場に戻ってからも水分補給もしていますし、南崎遊歩道に入る前にも水分は補給しています。全体的にはいつもより多めに水分を補給していたようです。
小笠原旅行前に、山に登り始めてくたばったことがあります。動けなくなったという点で似ていますが、息切れがいつまでも収まりませんでした。この時は登りはじめのハイペースがたたったようです。今回は、息が少し荒くなる程度でゆっくり歩いていましたし、動けなくなったときも息切れはすぐに収まっています。
不思議なのはそれほど汗をかいたという感じではなかったことです。のどが渇いたという感覚もありません。水分を補給してから、汗がでてくということもありませんでした。夕方になってもやたらと水は飲みたくなることはなく、脱水症状というまでにはいってなかったようです。
宿にいた土壌学者さんは、塩分不足が原因といっていました。父島での食事にどれくらい塩分が使われていたかわかりませんが、少なくとも外食をすると、そこに含まれている塩分はふだんの食事と比べるとはるかに多量になります。これで速攻塩分不足になるでしょうか。それまで汗はほとんどでていません。服や首筋に塩がついていたということもなかったようです。
基本的には、汗がでなかったことにより体温調節ができず、体温が上がりすぎていたのは間違いないでしょう。川や海の水とかを使って体を冷やせばよかったのかも。今後は、この対処法も選択肢に入れることにします。
その後の中央山とか宮之浜でもだいぶましになっているものの、多少は症状が残っています。その分、無理するのは避けたようです。初寝浦とか旭山とかには行っていません。旭山は道を見つけられなかったからかな。
前日の三日月山遊歩道や、翌日の母島では特に問題なしに歩けていたようです。この日たまたま何かの理由で体調が悪かったというのもありそうです。
ここでへばっていたということで気になったのは所要時間の問題です。写真のタイムスタンプからみると、小港に着いたのが9時、戻ってきたのが14時なので5時間かかっています。記事を書くのに見ていた、「父島 自分でいけるMAP」では、ジョンビーチへは小港から片道100分になっています。往復では3時間半ほどと計算できます。これからすると1時間半休憩していたことになります。そんなに消耗していたのかと思うとびっくりです。
ところで、小港から中山峠までですが、MAPには20分と書いてあります。実際には休憩も含めて15分で歩いています。このハイペースがたたったのか。いつもなら普通のペースです。
これも含めて考えると、ロスタイムは2時間くらいになりそうです。高山を経由していますからその分少なく見積もればいいのですが、ロスタイムが所要時間に近い数値を見てだいぶ落ち込んでいました。
父島部分の旅行記の原稿を書き終わって、母島の資料を出したらその中に「小笠原ハイキングルートマップ」というのがあました。これにも小港からジョンビーチまでチェックポイント間の所要時間が書かれています。歩いたコースを合計すると320分でこの中には高山展望台までの往復が含まれていません。これからするとコースタイムよりは早かったようです。「父島ガイドマップ」にも小港ジョンビーチ間片道150分とか書かれています。「自分でいけるマップ」の記述間違いだったのでしょう。
結局へばっていたといっても、何とか標準時間で歩いていたようです。
他のコースでも比較してみます。
母島南崎遊歩道です。所要時間2時間10分で、小富士コースタイムは片道1時間(小笠原ハイキングルートマップ)になります。寄り道コースにも入っていますから、少し短めだったようです。
母島大沢遊歩道です。北港から大沢まで30分でついています。コースタイムは50分(母島ガイドマップ・母島フィールドブック)です。このことからも闇雲に歩いていたと言えそうです。元気だとこれくらいの差があるのかな。普通は写真を撮りながら歩いて普通の人と同じくらいの速度です。このコースは岩が多い、足場が悪いというような印象はありませんでした。