2014/10/01-03 五島列島
「上五島&下五島に泊まる!絶景の島五島列島縦断3日間」というツアーに参加しました。資料が残っていないので詳しいことがわかりませんが、写真などの記録を見ながら思い出せる範囲で書いていくことにします。前回記事にした、別子銅山来島海峡は探したらでてきたのですが、五島列島の分は見つかっていません。どこか違う場所のものと一緒になっていそうです。
まず、コースの概略です。1日目は、新幹線で博多まで行ってそこからバスで長崎港に向かいます。長崎港からは高速船で五島列島福江島に渡ります。到着後、鐙瀬溶岩海岸を観察した後、鬼岳公園に行き、その北側にあるコンカナ王国で宿泊です。福江火山群の山々が見られるのを期待しています。
2日目は福江島を時計回りに一周した後福江港からチャーター船で中通島に渡ります。途中で、若松島のキリシタン洞窟を見ます。中通島は西半分を見た後蛤浜で宿泊です。宿ははっきりしませんが、位置や建物の外観で見る限りではホテルマリンピアのようです。
3日目は、中通島の北側と東側+頭ヶ島を見た後帰阪です。中通島から高速船で九州に渡り、バスで博多まで戻ったら新幹線で大阪に帰ってきます。
申込時にはあまり意識していませんでしたが、教会巡りがメインだったようです。
写真の記録はいきなり長崎港から始まります。これから乗る高速船ジェットホイルです。
指定席だったかな。座ったのは2階左窓側最前列でした。動き始めた直後に、長崎港対岸にあるカトリック飽の浦教会堂が見えています。
湾を進んでいるときに見えたグラバー園です。グラバー邸にはたくさんの観光客がいます。
ジェットホイルは90km/hほどの速度で進んでいます。道路を走る車を追い抜いているようです。
湾を抜けたところで軍艦島が見えるという放送が入りました(と思う)。ものすごく霞んでいますが、これがそうでしょう。
五島列島に到着です。これは中通島の海岸です。これが見えているということは、いったんここに帰港したのかな。ここから今日の寄港地福江まではまだまだあります。
福江島までの間もたくさんの島が見えます。椎木島中ノ小島二子島草島と記録されています。久賀島と糀島の間にあります
福江港に到着です。ターミナルが見えています。
福江港からは、バスで鐙瀬溶岩海岸に向かいます。このあたりが、福江火山群の中心になるところです。活火山としては単成火山が多いようです。代表的なのが鬼岳で火砕(スコリア)丘です。海岸の南側の島々も火山の一員のようです。溶岩海岸というのも、どれかの火山から流れ出したもののようです。
鬼岳はどこに見えるのかよくわかっていません。車窓から見えた、火砕丘のように見える山です。これは火ノ岳でした。
次に見えた火砕丘です。同じ様な形をしています。先ほどのものと区別ができません。これは鬼岳でした。
鐙瀬溶岩海岸からみえた東側の山です。これも火砕丘のように見えます。左が箕岳、右が臼岳です。
海と反対側に見えるのが鬼岳です。ここの溶岩は鬼岳から流れてきたものかな。
沖合に見える黒島です。これも火山です。それらしくありませんが円頂丘なのかな。黄島とか赤島といった島が見えます。もっと霞んでいます。これらの島も火山です。
海岸の岩です。溶岩らしくごつごつしています。
岩場の上にいたキアシシギです。
ビジターセンターで情報をつかみたかったのですが、どこにいるのかはっきりしていなかったのとそれほど見学時間がなかったのとで見られていません。
次に向かったのは鬼岳公園です。鬼岳の中腹くらいのところに駐車場があります。ちょっと雨が降っているので、添乗員さんは降りて見にいくかと聞いてきました。躊躇している人が多いようです。いきたかったので、しばらくようすを見ていました。声をかけようとした時に他のところでいきますという声が上がりました。
斜面を登っていきます。途中火山涙出土地の案内板がありました。ペレーの涙ともいいます。草に埋もれていたのでわからないでしょうと思っていました。よく考えれば土を洗えばでてきたはずです。やり損ねたのは残念です。
少し高くなったところの広場から見た鬼岳頂上方向です。上までいって火口を見たかったのですが、そこまでするのは気が引けました。
広場から見た福江港方向です。霞んでいますがたくさんの島々が見えます。
バスに戻り、鬼岳と反対側にある宿に向かいます。コテージ風の宿です。食堂や温泉は別の建物になります。雨が強くなっていますが、傘を差しての移動になります。草の上を通ると足元が濡れるのが困りものです。遠回りして正規の道を通るべきなのか。
山にも登れないし、星も見えないし、というこことで温泉には食事前と寝る前の二回いくことになりました。
2日目の朝です。早めにおきて鬼岳に登ろうとしたのですが、まだ雨はやんでいません。しかたがないので、朝食時間まで温泉に浸かって時間をつぶします。
朝食を済ませて後は、バスで出発です。ガイドさんが温泉に何回浸かったかと聞いてきました。3回というとびっくりしていました。
最初にいったのが、井持浦教会です。道路から少しはいったところにあります。バスから降りて歩いていきます。見えてきた教会堂です。
AとMのあわさった模様がここのシンボルマークだそうです。
ルルドの泉が復元され聖母の像が置かれています。泉の水は万病に効くそうです。
入口から見た建物の全景です。
次に向かったところは大瀬崎です。ここから尾根を越えて反対側にあります。
展望台のある所は、バスを止めるだけの場所がありませんから、道路で降りて、バスは奧にある駐車場で待機します。バスを降りたところから見た大瀬崎の灯台方向です。
道路沿いに遊歩道がついていて、景色を見ながら少しだけ降りていきます。先はバスには狭いのですが駐車場があります。そこから少しはいったところに展望台があり景色がよく見られるようになっています。見えた南側の海岸線です。この方向は少し霞んでいます。それでも切り立った断崖が続いているのがわかります。
見えていた、三角形の岩礁を拡大して見ました。
灯台の拡大です。
展望台入り口にあった乗用車駐車場まで戻ります。バスが迎えにきてくれたので、乗って次のところに向かいます。
井持浦教会や大瀬崎のあるところは、福江島と平行に伸びる半島になっていて、その先にある島とあわせて福江島との間は玉之浦という北に開いた深い湾になっています。バスガイドさんの話によれば、この湾は外国漁船が台風に遭遇したときには避難してよい場所になっているのだそうです。何年か前には、避難のためにここに大量の漁船が押し寄せて住民は台風より、船の数におびえたそうです。
いったん半島のつけ根まで戻り、そこから西海岸に沿って北上していきます。この間近畿大学のマグロ養殖場の話もあったような気がします。この時は完全養殖に成功していたのかどうか..。研究していたというのは知っていました。
大きな砂浜が見えてきました。二つ並んでいますが、これは高浜の方です。福江島の島民の一大海水浴場だそうです。
島の北側に回った所にある三井楽の道の駅に入りました。何のために入ったのか記憶にはないのですが、時間的には昼食時間でした。たぶんそれでしょう。でも何を食べたのか..。
展望塔があったのであがってみました。裏側に三井楽川が見えます。河口付近です。潮は引いているのかな。川の水が濁っているのが気になります。昨日の雨のせいかな。
上流側です。にごりはそれほどでもないような。
ふるさと館ステンドグラスと記録されています。展望塔に登る途中にあったような..。船は遣唐使船だったのかな。
次の写真の記録はいきなり石田城北門となっています。福江城です。中は高校になっていてちょうど下校する生徒がいるようです。それにしても、この間どこも立ち寄らないで福江港まで戻ってきたのかな。
この後は、船に乗って中通島に渡ります。
福江島から中通島に渡ります。普通なら定期船で渡りますが、途中、若松島にあるキリシタン洞窟を見るということで、チャーター船になっています。基本的には島巡り観光船です。
福江島をでてからしばらくの間の記録はありません。左側の席に座ったので島は見えていたはずです。島から離れていたところを通っていたためでしょうか。この間、近くに見えそうな小島はたくさんあります。
若松島のキリシタン洞窟が近づいてきました。このあたりは切り立った岩壁が続いています。
ところどころに洞窟が見えます。
キリシタン洞窟にあるキリスト像と十字架です。反対側だったので、窓枠や人が入らないように、望遠で写しています。添乗員さんが写してくれるといったので、カメラを渡しましたが、どういうわけかビデオモードになっていたので写っていませんでした。
少し離れてからのようすです。下が広場のようになっています。船から説明がありましたが、あらすじの一部しか覚えていません。明治時代になってからのキリスト教迫害事件だったようです。
洞窟を離れて、中通島に向かいます。その間にも洞窟がいくつか見えました。
海食洞です。
若松島白崎の岩壁です。若松島の最南端になります。凝灰岩のような岩石が見えています。
細長い湾のようなものが見えてきました。若松島と中通島の間にある海峡です。若松瀬戸というようです。
中通島に上陸しました。記録がないのでどこで上陸したのかはっきりしません。船の距離からいえば南部の奈良尾港になります。その後の、写真の景色とか時間的なことを考えてみると、若松瀬戸を北上して、瀬戸北端近くにある郷の首港に入ったように見えます。そう考えていると、ついたところが何となく周りに民家のようなものが少ないところだったように思えてきました。
ここからバスに乗って進んで行きます。バスガイドさんから跡次教会が見えると説明がありました。窓から見るだけでした。
三本松洋上石油備蓄基地が見えてきました。これほど大規模なものは他にもあるようですが、どこにあるといっていたのかな..。
青方教会です。メモには丸尾教会と書いていました。形が全然違います。ここも車窓から見るだけです。
冷水教会です。逆光できれいに写りません。しっかり冷水教会と書かれています。丸尾教会もとんがり屋根の塔ですが、十字架にこのような飾りはありません。ここも窓から見るだけでした。
少し進んだ所から海岸に降りていきます。降りる途中に見えた岬です。三角形の山が見えます。矢堅目というようです。最近のマップにはトトロ岩と書かれています。
海岸にでたところに製塩工場があります。湾の入口付近から海水を引いてきているのだそうです。中を見学させてもらいました。
湾対岸の入口方向です。山は番岳です。手前に崖が目立っています。よく見ると崖はもっと大きく全体に赤黒い色をしています。 表面だけが赤黒い色をしているようです。赤ダキ断崖と書かれています。
塩分はあまり取りすぎたくないので、塩は基本的にパスです。にがりには興味がありましたが、買うまでにはいきませんでした。
製塩工場の前の湾は奈摩湾といいます。上から見ると長方形に近い形の湾です。この湾を奥まで引き返していきます。湾奥にある町を過ぎたところから湾に沿って進んで行くと、次に向かう青砂ヶ浦が見えてきました。ここにある青砂ヶ浦教会が次の目的地です。白い建物の右斜め下の茶色っぽい建物がそれです。
教会到着後、正面から見た青砂ヶ浦教会です。
前に教会の鐘があります。火の見櫓のような形をしています。
月がでていました。半月のように見えます。
ブドウのような飾り模様がありました。紋章でしょうか。
前で咲いていたコスモスです。だいぶ傾いてきた日に照らされています。
今日の宿に到着しました。早めの到着です。夕食時間までしばらくあります。ちょっと行ったところに海岸がありますから出かけてみることにしました。運動公園の横の水路に沿って進んで行くと浜にでます。蛤浜といいます。ちょうど山のてっぺんに太陽がかかるところでした。このまま浜に降りても山の影に入って薄暗いのと、潮が高く浜もそれほど広くないので浜に降りるのはなしにしました。
横に展望広場があります。あがっていきました。ここからさらに奧に進む遊歩道があって、その先に展望台があります。北東側の景色です。気がついていませんでしたが、遠くにぼんやりと見えるのは平戸島です。手前の島は右から山案中島と野案中島です。
展望台前の広場から上を見上げるとたくさんのトビが飛んでいるのがみえます。
かなり近くまで下りてきているものもいます。
ここから湾の奧近くです。中に小さな島があります。長瀬になります。
湾の入口付近に灯台のある岩礁が見えています。このあたりにあるのは継子瀬灯台だけです。さらに沖合に岩礁が見えます。地図を見る限りでは、これに該当するものがありません。ここは一体どこなのでしょう。
横にあった木に実がついていました。羽子板の羽根のような形をしています。クサギです。
地面にいたベンケイガニです。暗くなってきていてうまく写せていません。
戻ったところの広場から見た蛤浜です。
夕食時間が近づいてきました。宿に戻ることにします。この日はその後の星見の記録がありません。運動公園の明かりがあったためなのか、半月近い月明かりのためなのか、雲が広がってきていたためなのか、それとも別の理由があったのか記憶にありません。1泊目は撮るつもりでいたのは確かなので、準備をしていたのは間違いありません。
3日目の朝です。早くに目覚めたので散歩に出かけることにしました。といってもいくところは蛤浜しかありません。昨日は展望所の方を中心にまわったので、今日はできれば浜の方を中心にしようと思っています。潮の状態でどうなるかははっきりしません。とりあえず、昨日のコースで浜まで歩いて行きます。
川に沿って進んでいるとカワセミがいるのが見えました。ここまで近づくのが精一杯でした。
浜にでました。昨夕より潮は引いています。沖まで砂浜が広がっています。表面にはたくさんの漣痕模様があります。ほとんどが水に半分だけ浸かっています。
砂浜に大きな潮だまりのようなものができています。海に向かって一方的に傾いているのではないようです。引いていく海水と打ち寄せる波とのせめぎ合いでこうなるのか、不思議です。
海水の残った砂の上に、朝日に照らされた雲が写っています。
湾入り口方向です。潮だまりと砂浜が交互に沖合まで続いています。
砂の表面にできていたカニの巣穴です。でたり入ったりした足跡が残されています。
浜の西がについたときに、朝日がさしてきました。
大きな水たまりにいたアオサギです。
朝食時間が近づいているので、宿の引き返すことにしました。来るときにカワセミを見たところで、再びカワセミを見ました。同じ個体なのでしょうか。
この日の朝食は、青方の漁港で捕れた魚のバーベキューです。他に地元のお母さん手作りのお寿司もあったのかな。そんな感じだったような記憶です。
バスに荷物を積み込んだら出発です。青方は昨日通っていますからバックするように進んで行きます。漁港ついたら食事の前にせりのようすを見学する事になっています。漁港の駐車場でバスから降りると、湾の入口側に大曽教会が見えています。
せりにかけられる魚です。いろいろな種類がいます。魚の種類はわかりません。下にいるのはヒラメなのかな。上のも何なんだろう、
たくさんの魚が並んでいます。このサイズだとハマチなのかな。関東だと呼び方が違うみたいです。
せりのようすです。そのようにやっているか説明がありましたが何だったのかよく覚えていません。値段を紙に書いて台のところにいる人に渡す方法だったのか..。
競り落とした魚を、活け締めしてくれるというので見せてもらいました。延髄のところに包丁を入れています。
船着き場から跡次教会が見えるます。昨日はこの反対方向から見ています。
食事会場の近くで咲いていたユリの花です。
食事が済んで見学に出発です。跡次教会とか大曽教会には行きません。そのまま南下していって鯛ノ浦に向かいます。鯛ノ浦教会があります。教会の前にはバスを駐める所がありませんから、教会の下の道路で降りて歩いて行きます。見学の間バスは離れたところで待機していることになります。バスを降りたところから教会まで歩いて行く途中遠くに墓地が見ます。墓石は十字架になっています。
あがっていって見えた鯛ノ浦教会です。
入口前にあったルルドの泉です。
教会(聖堂というのかな)の内部です。窓にはカラフルなステンドガラスがはめられています
。
天井の部分です。曲線が入り組んで幾何学模様を作っています。引き込まれそうになります。
内部にはいろいろなものが展示されています。これは踏み絵です。だいぶ磨り減っています。たくさんに人に踏まれたようです。
教会建物を正面から見たところです。
一段降りたところに新教会堂があります。現在はこちらの方を主に使っているようです。
バスは鯛ノ浦から進んでいってどこかの浜に立ち寄りました。いやな予感がします。一度見たことのある景色です。どう見ても、昨夕、今朝と立ち寄った蛤浜です。これで3回目になります。宿の近くは立ち寄って欲しくないというのが希望です。
前2回と違って、今回は潮が完全に満ちています。ちょっと雰囲気は違うといっても、行動範囲は狭くなります。
砂の上にいたカニです。コメツキガニかな。
カニの作った砂団子です。砂の表面についた有機物をこし取った残りが丸められています。
蛤浜の次は有川港に向かいました。このあたりを散歩するようです。海童神社というのがあります。鳥居の向こうに立っている棒状のものはクジラのあごの骨でできた鳥居だそうです。だいぶ風化しています。
海童神社というのを見にいったのですが、該当の場所にあったものです。これのことでしょうか。
バスに乗って次に向かいます。出発直後に見えた鯨見山です。この付近は捕鯨基地だったようで、この山の上から鯨がやってくるのを見張っていたそうです。その建物が見えています。復元されたものかな。
バスガイドさんから石垣の説明がありました。石垣の石はこの付近特産の五島石を使っているとのことでした。この石垣もそうなのかな。防風の石垣のようです。
次に行くのは頭ヶ島教会です。中通島と橋でつながっている頭ヶ島にあります。頭ヶ島に渡る橋の上から見た頭ヶ島です。遠くの丘の上に見えている建物は空港施設です。この頃はまだ使っていたのかな。この橋は、空港に行くために作られたようです。
海岸に降りたところでバスは止まります。ここから歩いて教会に向かいます。途中の道脇ではフヨウが咲いていました。
教会の天主堂が見えてきました。
教会の前で咲いていた。黄色のヒガンバナです。
写真の記録を見る限りでは、教会建物は周りを一周しただけです。中に入っていない理由は不明です。天主堂の壁面です。五島石を積み上げてできているそうです。
駐車場向かい側に教会墓地が見えます。
すぐ手前の道沿いに白浜遺跡と書かれた案内板があります。20体ほどの人骨がでたそうです。縄文時代の土器も見つかっています。柵に囲まれたところとしたら狭すぎるような気がします。
ここから海側です。このあたりは白浜海岸といいます。遠くに見える山並は中通島の北に伸びる細長い岬です。一番高いところは番岳かな。手前の島は山案中島と野案中島です。蛤浜の展望所から見えていた島です。
バスに乗り、元来た道を戻っていきます。だいぶ上がった所から天主堂が見えていました。
再び橋を渡って中通島に戻ります。その後にいったのは江ノ浜の坂本龍馬ゆかりの広場です。坂本龍馬像があります。どうしてここに坂本龍馬が関係する理由については、バスガイドさんが説明してくれていたのですが、きれいに忘れていました。
龍馬は海運業を始めるために亀山社中を設立し、洋船を手に入手します。その船は、命名式と訓練のための航海で暴風雨に遭い、この沖で座礁したそうです。その時に4名の乗組員が亡くなっています。
龍馬は事故直後にこの地を訪れ碑を建てたそうです。この像は、龍馬が海に向かって同士を弔っている姿だそうです。
海岸で咲いていた花です。種類はわかりません。
これでだいたいの見学地に立ち寄って事になります。道を引き返していきます。バスが動き出してすぐに見えた頭ヶ島方向です、手前の島は沖の小島です。
空港につながる道路に戻ってからは中通島を引き返すように進んで行きます。
この後の九州に渡るまでの行程については、どうなっていたのか曖昧なところがいくつかあります。
まずは昼食です。五島うどんを食べたのは確かです。食事のできるところは有川港にあります。有川港は海童神社のあったところです。海童神社に寄ったついでに食べていたとしたら、時刻が早すぎるのと、立ち寄っている時間が短すぎます。とすると、有川港には2回よっていることになりますが、2回は昼食以外記憶にありません。海童神社とかを見ていたのかどうか..。全く違う場所と思っていた可能性もあります。
2番目は、どこから船に乗ったのかという問題です。可能性としては、南側の奈良尾港からか昼食を食べた有川港からのどちらかになります。乗った船の写真の解説では場所は有川港になっています。直後に作っているので間違いはないでしょう。有川港の方が可能性は高そうです。奈良尾港のような景色の記憶もありません。
3番目です。九州のどこについたかという問題です。普通に考えるなら来た時と同じ長崎港です。船の写真を見ると、有川でも長崎でもなさそうです。さらに写真左端にある茶色い建物をよくみると「SASEBO PORT」と書かれています。としたら佐世保港なのでしょうか。現在の佐世保港周辺の建物にはこれに該当するものは見つけられていません。
そう考えてみると、ものすごく曖昧ですが、当時も長崎に戻るものだと思っていたところ、佐世保と聞いて確かにこっちの方が近いと納得したような気もしています。長崎ではだいぶ遠回りになります。見直していて同じように納得しています。
港から、バスに乗り博多まで戻ってきます。太宰府付近を通過した後見えてきた水城です。
福岡市内に入ったころには、太陽が沈み始めていました。
バスは博多駅までです。そこから新幹線で大阪まで帰ってきました。