2015/11/7-9 うふあがり
うふあがりというのは沖縄の方言によることばです。「うふ」は遠くの、「あがり」は東を意味します。東のはるか先という意味です。沖縄のはるか東に島があり、これを「うふあがり島」と呼んでいました。現在の名前では大東島です。大東島は3つの島からできています。ほとんど隣接して北大東島と南大東島、そこから100kmちょっと離れて沖大東島です。南大東島は、気象通報で3番目に出てくるので、気象関係者にはよく知られています。
地理的には、九州パラオ海嶺の近くに位置していて、フィリピン海プレートの形成に関係して興味のある場所です。このあたりの話は、本家(ヨッシンと地学の散歩)に記述しています。
昨年、旅行会社のツアーを探していると、両島を巡るツアーがありました。申し込んだのですが、その日のツアーは催行中止になりました。別の日に変えることもできたのですが、他の条件が合わなくて行けずに終わりました。今年も、同じツアーが企画されていました。日程の条件に合うものが、そうそう催行が決定されていて、しかも定員に達していませんでした。ということで早々と申し込みました。ツアーのコースは、大阪空港または関西空港から那覇空港に行き、飛行機を乗り継いで北大東島へ、島内を観光した後、空路で南大東島に渡り、南大東島を観光、そこから那覇空港経由で大阪空港または関西空港に帰ってくる設定になっています。
大東島のような、周りに海しか無い様な場所は、別な面で魅力があります。それは、町明かりがないということで、星がきれいに見えると言うことです。小笠原・青ヶ島と言ってきましたが、どちらも、行った日は霧が流れてきて、今ひとつでした。空の暗いところで見てみたいものがあります。一つは対日照、もう一つは大気夜光です。どちらも見たことがありません。みられるのでしょうか。確定している宿の場所を見ると、1日目は、灯台の下、2日目は、大きな集落の真ん中です。あまり条件はよくなさそうです。
旅行社の案内には、燐鉱石集積場所跡に行くと書かれています。燐鉱石というのも気になります。国内で採掘されているところはありません。北大東島と沖大東島で採掘されていたようです。両島の燐鉱石は海鳥の糞が集まってできたものだそうです。燐鉱石がどのようなものか見てみたいものです。
旅行に出かけるまでの間で、大阪市内に出かけることがあったので、両島の地形図を買っておきました。周囲は20mほどの切り立った崖に囲まれていて、海岸から1kmほど内側が最も高く、その内側は崖になっていて急に低くなり、島の中心部に向かって緩やかに低くなっています。中心部の標高は、海面とほとんど変わらない高さです。カルデラと外輪山の関係に似ていますが、カルデラ内部にあたる部分が中央が低くなっている点と、標高差が小さいという点で違っています。これは、隆起環礁という地形で、一度できた環礁が、何かの理由で隆起したものだとされています。環礁は、周辺部ほど高くなっていると思っていたのですが、そうでもないようです。また、環礁は島が沈降していくことによってでき、プレートの運動と関係しています。それが、隆起を始めるのに至った理由も興味があります。
旅行にあたって気になるのは、天気(気候)です。信越で、星を見ているときに非常に寒くて、難儀しましたので11月の最低気温を調べておくことにしました。気象庁のサイトから知ることができます。結果はどんなに寒くなっても14℃ということでした。これだと、防寒と言うより、1枚余分に着るだけで十分な寒さです。
晴れるか曇るかは、直前にならないとわかりません。2日ほど前の天気予報では大阪に低気圧が接近し、大阪は大雨になるとの予報です。これだと、沖縄地方は逆に前線が押し上げられ、いい天気になるのが普通です。天気も期待できます。
旅行に準備するものは、他には特にありません。いつもと同じものを持っていくことにします。
1週間ほど前に、旅行会社から日程が送られてきました。往きは、関西空港発8時50分の飛行機で、1時間前の7時50分集合です。JRの時刻を調べてみると、1つ前の電車は、前日出発になっています。三陸に行くときは、まだ前の電車が表示されていたようですが、どうなっているのか気になります。後日やり直してみると、表示されました。今回の集合時間に間に合うのは7時20分着です。リムジンバスでも同じ時刻です。朝の早いのは大変なので、ぎりぎりになりますが、7時42分着になる電車で行くことにします。ぎりぎりですが何とかなるでしょう。それでも朝の出発は、6時前になります。
ツアーによっては、添乗員さんから集合時刻の確認とかで電話がかかってくることがあるのですが、今回はありません。沖縄那覇空港から添乗するようです。
駅に着く時刻は、対馬の時の失敗がありますから、1台早い電車に乗れる時刻にします。この電車は、なんと、対馬に行ったときに乗った電車と同じ電車です。前回同様、新大阪で降ります。いつもなら大阪駅まで行くのですが、ここから湯浅行きの電車があります。はるか・きのくにのでるホームまで行き電車を待ちます。湯浅から来た列車の折り返しです。この電車は知名度が低いのかホームに並んでいる人はまばらです。天王寺発では座れないところです。到着した電車に余裕で座れました。
電車は大阪駅を通らず、旧貨物線をとおり直接福島から西九条へ、ここから環状線に入り、天王寺に行きます。新今宮からいったん関西線に入ります。ネットでは天王寺で乗り換えとでていたのですが、こちらの方が前を走るのと、天王寺駅を端から端まで歩かなくていいこと、席に座れていることからこのまま日根野まで行きます。前回腹痛で苦労したこともあります。
和泉府中を出発した頃に、「和歌山線で事故のため電車遅れ」とで表示が出ました。その影響が出るはずものなく、予定通り日根野到着。乗り換えの関西空港行きも予定通り来ました。ところが、関西空港行きはなかなか発車しません。和歌山方面からの電車の乗り継ぎ待ちをしているとのことです。和歌山線の乗り継ぎ待ちをしてから出発したようです。ちょっと長めの停車の後、関西空港駅に向けて出発です。駅の表示には3分遅れとでていますが、手元の時計ではもっと遅れている様に思えます。関西空港駅に到着した時の表示は、5分遅れでした。集合時刻まであと、3分しかありません。できるだけいぞぎます。2分遅れましたが、何も言われませんでした。搭乗券を受け取って荷物を預けます。あとは、スムーズにすすみ8時前には終わりました。
やることがないので、ラウンジに行きます。クレジットカードで無料です。開店を待って、中に入り、ジュースを飲みながら本を読むことにします。同じツアーのバッジをつけている人がいました。ここはそのままにしておきます。20分ほど本を読んだ後、見ると先ほどの人はいません。先に行ったようです。保安検査を受けないといけない時刻です。チェックを受けて搭乗待合室に行きます。あとはスムーズに飛行機に乗ることができました。中型の飛行機で、席は11K、窓際です。
関西空港を出発してからしばらくは雲の上です。雲に落ちる飛行機の影の周りに、ブロッケンの虹ができています。いつもできているはずなのですが、影が見える方向が悪いので見ることは少ないようです。
離陸後30分ほどして、飛行機は室戸岬の上空だとアナウンスが入ります。那覇空港の気温は27℃ちょっと暖かめです。
窓の外に、雲なのか山並みなのか区別のできないものが見えます。山並みだとすると、石鎚山地か九重山あたりになるのでしょうか。
まだ、しばらくは雲の上を飛行します。最初にわかった場所は、鹿児島県志布志湾です。
ここからは、雲が切れ始め陸地や海上がよく見えます。薩摩半島先端部です。池田湖・開聞岳から枕崎方面が見えています。このあたりで飛行距離が半分といったところでしょうか。
次に機内アナウンスがあったのは、屋久島上空です。下の方に屋久島、その向こうにこの前噴火した口之永良部島が見えます。
ここからは奄美大島まではトカラ列島になります。その中の諏訪之瀬島です。南端部に使われていない滑走路があります。雄山は雲の中です。今でも噴煙を上げているのでしょうか。皆既日食の観測に来ましたが、その時間帯は雲が広がっていました。
ここからは小さな島が続きます。奄美大島は見えませんでした。沖縄本島に近づくと、島も多くなり、珊瑚礁が広がっているのが見えます。伊平屋島です。かなり飛行高度は低くなっています。
慶良間諸島が見えてきたらまもなく那覇空港に到着です。この時は、この向こうの島が慶良間諸島だとは思っていませんでした。
那覇空港で飛行機を降り、搭乗ゲートを抜けたあたりで添乗員さんが待っていました。全員がそろったところで、那覇空港での行動を支持されます。参加者は13名、今回は単独参加者が多いようです。まず、乗り換え飛行機の待合場所です。すぐ近くの階段を降りたところです。昼食です、保安管理区域をでた空港内で摂れること、その場合1時までに保安検査を通ることなどです。那覇空港内の各フロアを案内してくれました。
案内後、いったん解散になりました。関西空港で乗り継ぎ時間は4時間弱と説明してくれていたので那覇市内に行こうか迷いましたが、やめて空港内を見ることにします。まず最上階に行き、添乗員さんがよく見えるといっていた慶良間諸島を確認します。よく見えますが、意外と近いので前にも見ていたかも知れません。今までそうといわれないので見落していそうな気がします。下の階では飛行機の間に見えにくくなっていました。
食事をすることにします。昼食なのでかるく沖縄そばにしました。そーきそばです。食べるのにはそれほど時間がかかりません。終わってからは、ビルを上から順に見ていきます。3階の展望デッキにも行ってみました。沖縄の日差しは強くまぶしくめがいたくなってきました。この先思いやられます。ビル内に入った後、土産物屋を見て回りますが、まだついたばかりなので買いません。帰りによったときの参考にします。だいたい一通り見終わったのですが、まだまだ時間があります。ラウンジで本を読みながら時間つぶしをします。添乗員さんも来ていました。声はかけていません。
意外と早く、時間は過ぎました。後で考えると関西空港では出発時刻を説明していたようです。それなら14時といってくれればわかったのですが。
保安検査を済ませ、搭乗待合室に行きます。そこから、バスに乗って駐機してある場所まで移動します。展望デッキのすぐ下の場所です。これから乗る飛行機です。乗客39人の小型のプロペラ機です。
この場所から南は、自衛隊の基地になっているようで、自衛隊の航空機が並んでいます。
那覇空港を出た飛行機は、沖縄本島南部をまわって進みます。南部の戦跡施設が見えます。中城付近から太平洋にでます。この付近でも海は浅く、珊瑚礁が見えます。
その後、1時間ほどは海の上です。やっと北大東島が見えてきました。この時には車輪を下ろしています。
この後、島を反時計回りに半周するように回った後、空港に到着しました。飛行機は引き続き南大東島に行きます。南大東島に行く人もいったん下りるようにアナウンスがあります。明日の南大東島への移動はこの便になるのでしょう。飛行機を降りた時に見えた空港ビルです。
ここで、ガイドさんとマイクロバスが迎えに来てくれていました。バスは、泊まる予定の宿のものです。関西空港で預けた荷物を持ってから出発です。団体は、少人数なので自由席になるようです。乗り込んだときには最後部右側の席が空いていました。しばらくはこの席になるのでしょう。
北大東島で最初に向かったのは、北港です。空港を出て島の周回道路に出たところで、走っている女の子と伴走する車の後ろにつきました。島をあげての駅伝大会をやっているのだそうです。小学生から社会人までいろいろなチームが一緒になって走っているそうです。バスはしばらく後ろについたまま走ります。
バスが最初に向かったのは、北港です。ところがゲートが閉まっています。波の強い日は、岸壁を波が洗うので近づけないようにゲートを閉めるそうです。時々波しぶきが上がって、岸壁も濡れています。青ヶ島に比べてたいしたことがないと思ったのですが、そうだったのでしょうか。
ここから見た、島の北側の海岸線です。波しぶきがたっています。
北港を後にして、次に向かったところが西港です。ここは昔、燐鉱石を積み出していた港です。バスは海岸に沿って走ります。といっても、海面からは2−30mの切り立った崖になっています。その縁あたりを進みます。道の両側には、尖った岩が林立しています。石灰岩のカレンににていますが、とかされた表面はざらざらしています。下手に触ると手を切りそうです。
西港にある燐鉱石貯蔵庫跡です。最盛期には、この上に燐鉱石が積み上げられていました。かまぼこ形のものの下はトンネルになっていて、トロッコが走れるようになっています。鉱石の積み出し時には、トンネル上部にある穴から燐鉱石をトロッコに落として乗せ、トロッコを向こう側に運び出していたようです。廃棄された後の高波によってかなり破壊されています。
右側の海側からみたものです。上の写真は、左側の道路の途中から撮ったものです左側奥の白い建物は当時の事務所跡です。
燐鉱石の積み出し港です。船などをあげられるように坂道が作られています。
燐鉱石貯蔵庫のトロッコの出口側です。壁はこちら側に燐鉱石が落ちてこないようにするために作られたのでしょう。大きな穴がトンネルにつながっています。中には入れないよう石を積み上げています。壁の手前側は、最近の台風襲来時に壊されたそうです。
足元に落ちている燐鉱石です。このあたりの、茶色っぽい石はだいたい燐鉱石だそうです。普通の土が硬くなったのとあまり違いがないように見えます。始めて見るのですが見分け方がわかりません。最初にこれが燐鉱石だと判定した人はすごいと思います。写真の石の塊の中には、1mmほどの透明な結晶ができていました。燐灰石の結晶のようです。
周囲の岩で、気になる模様がたくさんあります。丸いへこみから放射状にすじができています。半径は1m位です。ガイドさんによると、ダイナマイトで岩を壊したときにできる模様だそうです。ローマの真実の口を連想するのは私だけでしょうか。
もう一つ、はばが1m位の楕円形の穴がたくさん空いています。その縁を見ると波形の縞模様が見えます。これはシャコ貝の化石です。
ここの岩石は、石灰岩のように見えますが、マグネシウムをたくさん含むドロマイトという岩石だそうです。石灰岩と見かけはほとんど区別がつきません。ガイドさんは、石灰岩と訳していましたが、正しくは苦灰岩です。でも細かいことにはこだわらずにこのまま通すことにします。
西港は、燐鉱石貯蔵庫跡のすぐ横です。岸壁にたって下を見ると、海面ははるか下にあります。
大東島の港は、どこも高いところに作られています。西港での波のかぶり方は、青ヶ島に比べてたいしたことはないようでしたが、岸壁の高さの違いを考えると、大東島もひけをとらず波が荒いといえます。
海の色です。透明度は高く青い色をしています。沖縄の色と言うより、小笠原の色(ボニンブルー)に近いようです。
ガイドさんは、ウミガメがいると言います。あそこで動いているというのですが、どこかよくわかりません。みんなが探すのをやめてどこかに行っても、探し続けていると、1匹上がってきました。
ウミガメは、このあたりの海底にある藻を食べに来ていて、いつも何匹かはいるそうです。
岸壁から南を見ると、南大東島が見えます。平らな島です。すぐ近くに見えます。
岩の隙間に砂がたまっているところには、いろいろな植物が見えます。何とかスベリヒユといっていましたが、何とかの部分の名前は忘れてしまいました。
アツバクコの花です。大東島の固有種で、絶滅危惧種だそうです。
こちらは、その実です。
くこは、近畿では河原などに見られます。実は薬用になり薬膳料理には必ず入っています。杏仁豆腐についている赤い実です。効用は血圧や血糖の低下・抗脂肪肝・精神の強壮作用・血行改善・眼精疲労の回復・免疫機能調整などだそうです。何でもありですね。健康にいいスーパーフルーツともいわれています。ガイドさんが、食べてもいいというので、食べてみましたが、これといっておいしいとかいう感じはしませんでした。
空港からずっと、海岸に沿って反時計回りにまわってきています。西港からこのまま、回り続けていきます。次についたのは、上陸公園です。入口のゲートの飾りというかモニュメントです。
ガイドさんは何を表しているかわかりにくいといっていましたが、足形を想像していました。実際その通りでした。
北大東島に、最初に人が入ったのは、ここからなので、その記念碑が建っています。
実際に上陸した場所です。険しい断崖をよじ登ったようすが想像できます。後で道が作られています。誰も降りていかないので、上から見るだけにします。
足元の、砂地に生えているハマゴウの花です。実もついています。実には強い芳香があります。海岸ではよく見かけるような気がします。
この時点で、かなり日は傾き始めています。島の周回は翌日になります。ここでいったん島の中心部に行き、お土産を買う人のために、唯一の店である農協のショップに立ち寄ります。今日は、結構暑かったので、お茶のペットボトルだけは買っておくことにします。といってもあったのはさんぴん茶です。沖縄ではこれが普通に飲まれているそうです。ジャスミン茶のことです。
店の角には、島唯一の信号機があります。
ここも、小学校の前でした。LEDになっているのでみんながびっくりしていました。最近の台風で壊れてLEDに付け替えられたそうです。
この信号を左折して真っ直ぐ行くと、5分ほどで宿に着きます。星を見る場所を探さないといけないのですが、宿には展望台があり、ほとんどの明かりは眼下になります。灯台の明かりがありますが、島内どこでも照らしていそうなので避けることはできません。それなら、ここでじゅうぶんでしょう。ここから見た、島の風景です。中心部の建物の多いところが、島を取り巻く崖に囲まれて低くなっているのがわかります。
バスが着いてから夕日を見に行く時間があったのですが、ここまででかなり時間を使ってしまいました。ガイドさんに、夕日の見える場所を確認すると西港まで行かないと見えないとのことです。間に合うか、厳しい時間になっています。とりあえず行って見ることにします。部屋の鍵を預けると、バスの運転手さんが受け渡しをしていました。どうも、この宿の偉い人のようです。
ガイドさんは日の出・日の入り時刻が、沖縄本島に比べて30分早いというのですが、360km東にあるので、経度で3.3度差になります。1度で4分早くなりますから、13分早いというのが正解です。今頃だと四国と同じくらいの時刻ですです。
港までの、ちょうど真ん中あたりでかなり日は低くなっています。下の方に雲がありますので、海に太陽が落ちるところは見えないかも知れませんが、港まで急ぐことにします。
ここからは、町中に入ります。町を過ぎたあたりが一番高くなっています。町を抜けるのに5分近くかかったので、海が見えたときは沈んでしまっていました。翌日再び同じ道を通ったときに気がついたのですが、山のすき間にわずかに水平線が見えています。写真でも、太陽の下に写っています。無理に進まず、ここで待っていれば、海に落ちる太陽を見られたかも知れません。これが、今日最後の太陽だった可能性もあります。
宿に戻って、食事を済まることにします。テレビの天気予報では明日は晴れだが気温は29℃のとのこと。夏に逆戻りした感じがします。
食後は展望台で星を見て、写真を撮ることにします。展望台からは灯台の明かりが見えますが、そちらを見なければ特に問題はないようです。時々明かりが上を通ります。空気がきれいなせいか、それほど光線は明るくありません。見ていると、南の方からもやってきているように見えます。別に灯台がもう一つあるのかなと思ったのですが、どうも錯覚のようでした。
南側に明るい光のある一画があります。南大東島ではなく、島南部の港湾建設現場あたりのようです。小さな雲が、転々と流れています。星を見るのは問題がないのですが、写真には入ってきそうです。
写真を撮るために機材をセットします。北極星を探さないといけないのですが、高度が低くいつもと感じが違います。
見たいところの1つ、おひつじ座のあたりです、対日照があるはずですがよくわかりません。写真にも写っていないようです。
東の空です。すばるが昇ってきています。カシオペアからペルセウスにかけての天の川がはっきり見えます。二重星団あたりの明るいものは雲のようですが目で見る限りわかりません。
すばるを拡大してみました。たくさんの星と星雲が写っています。
頭上です。カメラのモニタは確認しづらい向きなので、何が写っているかよくわからなかったのですが、アンドロメダ星雲(真ん中の星のようなもの)が写っているようです。
取り直してみました。隣のM33も同時に入れたいのですが入ってくれませんでした。
見ているうちに、すばるは高く上がり、おうし座・ぎょしゃ座が完全に見えるようになりました。オリオン座も一部が写っています。
10時頃になってくると、だんだん雲が広がってきました。カシオペア・ペルセウス・アンドロメダ座が写っています。右側の緑色の光が雲です。
このあと、完全に雲に覆われ、消えそうもなかったので、星見は終わりにしました。流れ星は3こ見えました。今年は、おうし座流星群が活発になり、明るい流れ星が増えるかもといわれていたのですが、該当のものはなかったようです。時々、何かが視野をかすめることがあります。流れ星かなと期待するのですが、コウモリでした。40cm近くあります。かなり大きいです。この付近に生息するダイトウオオコウモリのようです。
翌朝は日の出前に目が覚めました。昨日、月と金星、木星が接近してたはずですが、天気が悪く見えませんでした。今日はどうなっているかみました。
写真を撮ろうとしたのですが、手ぶれを起こします。昨晩、カバンの中にしまい込んだ三脚を取り出し撮影しました。月の上にあるのが金星です。雲の向こうなので暗く写っています。上の方にあるのが木星です。間に火星も見えるのですが、ほとんどくもにかくれていました。
右側の低い所に、明るい星が見えます。位置からするとカノープスです。緯度が低い分高いところに見え、ずいぶん明るいです。このあたりも雲が多く、一部星の写っていない場所があります。
南十字星が昇っていないか調べてみたのですが、無いようです。出てくるのはもう1−2ヶ月先のようです。
しばらくすると空が白んできました。コウモリが何匹か飛ぶのが見えます。ねぐらに帰るのでしょうか。
この後、空が明るくなってきたので、日の出を見るために出かけることにしました。宿から見ると、周囲の山の上に雲がかかっています。日の出はこの雲の上になりそうですが、雲の下が切れていてそこから日の出が見えるかも知れません。
宿を出て、島を取り巻く尾根を越えた後、そのまま進んでも東側の空は開けませんので、右側に伸びる道に入ります。ここから、島北側の海岸線が見えるようになったのですが、海岸線の方向が、太陽の昇ってきそうな方向よりわずかに左に振れています。これでは、水平線から昇る朝日を見ることはできません。できるだけ日の出の方向が低くなっているところを探します。
造成中の貯水池がありました。このあたりで見るしかないようです。
池にはセイタカシギが何羽かいます。
サギも1羽飛んできました。足先が灰色なのでチュウサギです。ガイドさんは足先が黄色いのがチュウサギといっていましたが、間違っていると自信がなかったため訂正しませんでした。
日の出が、近づいてくると遠くをシギの集団が飛ぶのが見えます。鳥の活動が活発になっているようです。
日の出は、結局雲の上でした。
添乗員さんもやってきました。宿では、行こうかやめようか迷っていた人が多かったそうです。これだと宿でも変わりがなかったようです。
日の出後、朝食まではまだまだ時間があります。ちょっとこのあたりをぶらぶらしてみることにします。といってもこのまま東に進んでも何もなさそうです。西に進むと、昨日いった西港です。こちらの方に行くことにします。いったん海岸近くを周回する道路側に行きます。途中の道沿いにある木の枝先にアカモズがいました。
電線にハトのような形をした鳥がいます。この島にハトはいないそうなので何か気になります。これ以上近づいたら、飛んでいってしまいました。後で、写真から確認するとチョウゲンボウでした。
周回道路に出たので、このまま西港方面に行きます。町外れの道路沿いで咲いていたハイビスカスです。まだまだ暖かいのですね。
町を過ぎたところに、町内の道案内する看板があって、そこから上っていく階段があります。何かありそうなので上がっていきました。あったのは玉置半右衛門の碑です。
玉置半右衛門は、大東島に最初に上陸し大東島を開拓した人です。
碑のある場所は高台になっていて、西港方面にある燐鉱石集積場跡がよく見えます。
近くの木にヒヨドリがいて、けたたましく鳴いています。ダイトウヒヨドリと名前がついていますが、普通のヒヨドリとの違いはわかりませんでした。
ここからいったん、西港に行きます。燐鉱石がよくわからなかったので、もう一度見直すことにします。やはり、茶色い土がかたまったものでいいようです。この後、国標のあるところまで足を伸ばしましたが、ここの報告は後ほどすることにします。ここから宿に戻ります。
灯台の下まで来たところで、アサギマダラを見ました。渡りをする蝶として有名です。沖縄本島からここま、飛んでくるのは簡単なのでしょうか。ガイドさんによるとたくさんいるそうです。
祠のようなものもあります。後で見た地図には観音さんと書かれていました。
ここまで来る道路上に、黒くて平べったく丸い物がたくさん落ちているのを見かけました。よく見ると、カエルが車に轢かれてぺっちゃんこになったものでした。
宿はもう目の前に見えています。朝食時間ちょっと前に戻れそうです。
今日のツアー出発は9時です。この時刻になっているのは、となりにある民俗資料館に行くためです。資料館は日曜日は休館なのですが、特別に開けてもらっています。人材交流センターと併設しています。
入って、最初にあるのが自然コーナーで、ダイトウオオコウモリの剥製があり、その生活が展示されています。他にも北大東島にいる鳥などの解説があります。今朝とった鳥の写真の鑑定もできました。北大東島の石もあります。オニキスのようなきれいな石もあるようです。地元ではレインボーストーンといっているそうです。コウモリの次にあるのが、北大東島の開拓史のコーナーで、他に生活用品も展示されています。
30分ほど見た後は、島の中心部から観光します。最初はちょうど真ん中にある中野のビロウ林です。開拓される前はたくさん生えていたらしいのですが、今では林になっているのは、ここだけになっています。カブトムシの被害に遭って立ち枯れしている木の何本かありました。
ビロウの花です。
ビロウ林を後にして、南に向かいます。すぐに行く手を崖が阻みます。北大東島は、島を一周する尾根があります。これは長幕と呼ばれています。長幕の外側は緩やかなのですが、内側は3−40mの高さの崖になっています。崖は南側のものが、急でほとんど垂直になっています。この崖は屏風岩といいます。屏風岩の一部です。
屏風岩の麓は、崩れ落ちてきた岩が積み重なっています。このような場所を崖錘といいます。岩が多く人の手が入りにくく、元の自然が残されています。この地域独特の植物もあるそうです。遠くから見るだけで、何があるのかはよくわかりません。モクマオウが目立ちますが大丈夫なのでしょうか。沖縄本島では増えすぎていて困っているそうです。
元の植物が多そうな一画です。
バスを停めた近くに、大きめのハマイヌビワの木があります。小さなイチジクのような実がなっています。
ここから、崖までの間に、サトウキビ畑が広がっています。その中で、イナゴが大量発生していて、いっぱい飛ぶのが見えます。葉に止まっている1匹です。
長幕の観察地から次に向かったのは、ゲットウ工場です。休みの日だそうですがわざわざ開けてもらっています。
ゲットウから、布地を作るための繊維をとりだしたり、芳香成分を抽出して化粧水を作ったりしています。北大東島では、月桃茶としてよく飲まれています。
ゲットウ工場前の、ゲットウです。名物にしているのですが、島では、ここで始めてみました。収穫したサトウキビを縛るために、持ち込まれたものだそうです。
取り出された繊維です。
抽出のための、蒸留釜です。
月桃工場を後にして、次は赤池に向かいます。このあたりは、島で最も低いところで、地図で見ると池や沼がたくさん書かれています。
赤池の手前から見えた、発電所です。
赤池の向かい側には、製糖工場があります。今はサトウキビの収穫時期ではないので動いていません。1月2月にはたくさんの人が働きに来るそうです。
赤池です。表面は淡水ですが、底の方は海水が混じっているそうです。海水分がどこからやってくるのかよくわかっていません。隠岐の島では、雨水が、海水を押しのけて島の深いところまであると書いていました。こちらでこれが起こっていないのはどうしてでしょうか。
池の縁に祠があります。水神様だそうです。
東北大学が、この池の縁で、ボーリングしています。結果は180mの底まで石灰岩(苦灰岩?)だったそうです(後で調べた文献には430mと書いてあった 別のものなのか)。ボーリングした場所に建てられた記念碑です。水路は製糖工場につながっています。
赤池の入口に、ハマタマナの木があり実がついています。足元にも実がたくさん落ちています。ガイドさんによると種の中の部分は食べられるそうです。みんな割ってみようとするのですがなかなか割れません。固いというより、ボール紙にくるまれているような感じで、へこんだりして力が逃げて割れないようです。誰一人として食べることはできませんでした。
赤池のとなりに、大東宮というのがあります。近くなので歩いて行くようです。道沿いの地面にオニフスベのようなキノコがいっぱいでていました。
頭上には、ギンネムの木があり、花が咲いていました。まずいのか有毒なのかで食べないそうです。島では増えすぎて困っているそうです。
大東宮には、すぐに到着しました。
大東宮はもともとは、現在灯台のあるあたりにあったそうです。軍の施設を作るとかで現在の位置に移築されたそうです。
最初に見えてきたのは、入口の鳥居です。
参道にある一本の木から赤い花がたくさんぶら下がっていました。フウリンブッソウゲというそうです。ブッソウゲとはハイビスカスのことです。
移築された社殿です。
前には、土俵があって相撲が奉納されるそうです。こどもが大きくなると、父子で3番勝負をするそうです。大概はこどもの2勝1敗で終わるらしいです。土俵の写真を撮り忘れていました。
横には庫裏があって、神輿がしまわれています。特別に見せてもらえることになりました。左側は子供用の神輿です。
大東宮の周りも、古い林が残されています。ぐるっと回ってみます。いろいろな種類のヤシの木が見られます。そのうちのクロツグといわれたヤシです。
別のヤシ類です。実と花がついています。種類は覚え切れていません。
社叢を一周したら次に向かいます。時間的にはもうすぐ昼です。西港に漁船が帰ってくるので、その様子を見に行く予定です。港に向かいます。中心部から、長幕を越えたあたりは、燐鉱石が盛んに掘られていた場所です。その時にできた窪地が、貯水池として整備されています。後で写真を見て気がついたのですが、上空を猛禽類の鳥が飛んでいます。黒い点で写っています。ミサゴでしょうか。
掘られた鉱石は選別され質のよくないものはその付近に捨てられたそうです。このあたりの地肌に見える石はその時のものでしょうか。
まもなく、西港に着きます。
西港は、早朝に来たのを入れて3回目です。今回は、高台側から近づいていきます。ここは、西港公園として整備されています。元々は、住宅と燐鉱石の乾燥場があったそうですが、使われなくなったので公園になりました。南大東島もよく見えます。
燐鉱石を乾燥させていたあたりの足元に燐鉱石が落ちていないか見ると、赤とんぼがやってきていました。帰ってきてから見た新聞には大阪では赤とんぼは絶滅危惧になっていると書かれていました。
西港公園には、国標というのがあります。最初に大東島を発見したとされるのは、ロシアの軍艦ボロジニ号で、ここの島をボロジニアイランヅと命名しています。ロシアが所有権を主張しなかったのもあって、ここを沖縄県の管轄地とし、それをしめすために建てたのが、この国標です。沖縄県で始まる地名が書かれています。沖縄のものは日本のものということで国標と呼ばれています。最初のは傷んだため付け替えられ、現在のものは3代目だそうです。
近くには巨大なブイも置かれています。港に船をつなぐために置いていたものだそうです。
高台から、西港までは30段ほどの階段を降りていきます。階段の苦手な人は、バスで送ってもらって、元気な人は階段を降ります。
降りた先から見た、西港です。ウミガメのいた場所はずっと右側の写っていない場所になります。沖合に漁船もいます。
ここの岩壁は非常に高く、船が近づいてもそこから上がってくることは不可能です。そこでどうするかというと、クレーンで持ち上げます。
漁船を港に係留せず、クレーンで岡にあげるところは、南北大東島と青ヶ島の3ヵ所だけだそうです。青ヶ島はここと違って、ロープウェイのようなものにつるしてあげます。
このクレーンは建設会社のもので、仕事時間の合間に、漁船のつり上げをしているそうです。そのために、つり上げ時刻は12時と決まっています。
持ち上げられた漁船は、車が引っ張る台車に直接乗せられます。後は、車に引っ張られて、自宅近くの舟置き場まで持って行かれます。
漁船は3艘引き上げられました。最後に吊り上げられた漁船の漁師さんが釣れた魚を見せてくれました。キハダマグロです。早く帰りたいところを、ありがとうございました。
こちらは、建設会社への差し入れでしょうか、渡していた魚です。ツンブリだそうです。96cmあります。北大東島では1mに満たないので小魚らしいです。
正午もまわっていますので、次は昼食です。
島で昼食を摂れるところは、1ヵ所しかありません。泊まった宿のレストランです。再び戻ることになります。今日は日曜日なので、地元の人もたくさん来るそうです。いっぱいになっていて、座れる場所があるかどうか心配です。
レストランの中は数組のお客さんが来ていました。若い人が多いようです。ガイドさんによると島は若い人が増えていてこどもの人口も多いそうです。
いつもと同じで何を食べたかよく覚えていません。夕食と同じくらいの量がでて、全体に多かったように思えます。
食後後休憩時間が少しあったのでもう一度庭を見て回ることにしました。咲いていた花などです。まずは、パパイヤです。実がぶら下がっているのはよく見るのですが、花は初めてです。
実はこんな感じです。
中庭の池には、魚に混じってオタマジャクシがいます。魚に食べられないのが不思議です。親のカエルは毒を持っているのですが、こどもにも毒があるのでしょうか。
宿の入口にあるサンカヨウという花です。クチナシに似ています。
ハマオモト(ハマユウ)です。目立たないところで花が咲いていました。
ハマオモトの葉にいた陸貝です。カタツムリにしては殻が厚く全体が太めです。
休憩も終わって、出発になります。行き先はすぐ目の前の灯台です。宿の展望台から見た灯台です。
バスに乗り込む前に、宿に預けていた荷物をバスに積み込みます。トランクには入り切りませんので、自分の分は席の横が空いているので、そこに置くことにします。
今朝、灯台へ行こうとしたのですが、道がわからず途中から戻ってきていました。引き返したところよりまだ先に入口がありました。
近くから見た灯台です。
灯台の門の横には、旧軍隊の塹壕があります。戦時中、ここに陣地がしかれていたそうです。大東島は、米軍から無視されていたのか、戦闘にならずに終戦を迎えたそうです。全員無傷だった旧日本軍はほとんどないでしょう。
この横に、島の最高地点があります。ふだんは草に埋もれている場所ですが、わざわざ我々のために刈ってくれていたそうです。歩きやすくなっています。
周囲にたくさん生えていた桑の木です、花とか実がついているものもありました。
島の最高地点です。軍隊が物見台にするために周りをかため台状になっています。
ここには、三角点が置かれています。島内の測量用でしょう。沖縄本島までの距離は測るのは不可能です。
物見台の横は、深い穴が掘られています。燐鉱石を採掘したためにできたものだそうです。写真でみると木の枝が被っていて何かよくわかりません。
灯台の、門を入ってすぐの所に、シークヮーサーの木があります。今年は実があまりついていないようです。2−3こほど落ちているのが見えます。はっぱに青虫がいました。みかん類によくいるアゲハの幼虫のようです。
灯台の見学はこれで終わりです。次は、途中で終わっている島一周の続きをします。
灯台からは、西港方面に進み、そこから海岸線に沿って走ります。といっても海岸線は崖の下で見えません。最初に見えてきたのは、巨大な工事現場です。漁港を作っているそうです。大東島周辺にいる船が台風時などに避難するところがありませんからその場所も兼ねるそうです。
ここで切り出した石は、島内に捨てるところがありませんから、石垣として利用されています。朝日を見た貯水池の石垣の石はここから運ばれてきたのものです。ここは危険なためか、車窓から見るだけです。
少し進んだところに、江崎港があります。ここの岸壁も高いです。
港のあたりが、北大東島最南端になります。南大東島もかなり近くなりました。
ここからバスは、いったん島内部に入ります。といっても長幕の外側のなだらかな場所を走って行きます。所々で、圃場整備をしています。上土を脇に集めて、底の岩をならした後、よけた上土を戻す作業です。農作業機械に岩があたらなくなり、作業しやすくなりそうです。
遠くに岡のようなものと鳥居が見えます。天狗岩と秋葉神社です。この向こうが空港滑走路南端になります。ここは遠くから見るだけでした。
ここから、滑走路南端から滑走路の東側にまわります。道路の切り割りには、石灰岩(苦灰岩?)の上に、赤土のようなものがのっているのが見えます。テラロッサです。石灰岩の上にはこの赤土ができるのですが、島北東部では、茶色い色をしていたので、成分が違うことはわかります。
滑走路と海岸の間の狭い場所を走る道路に入ります。本来なら工事中では入れないのですが、我々が通る時間だけ、工事を中断して通れるようにしてくれています。途中重機が置いてあって、道が狭くなっているところがあります。通れるか心配だったのですが、ぎりぎりで通ることができました。
道沿いの、ゴジラ岩と説明のあった岩です。そっくりという声が上がっていましたが、もう一つです。違うものをみていたのかも。
道はまもなく行き止まりになります。
滑走路と海との間にある道の先は公園になっていて、その横に記念碑が作られています。沖縄最東端の碑です。中に日時計が置かれています。
最東端といっても、海岸線は北北東方向に伸びています。この先にある真黒岬の方が東のような気がします。そこには近寄れないのでここでいいことにしておきます。
下の海岸には波が激しく打ち寄せています。
この付近は、波が海岸より少し離れたところでできます。そのようすが、沖縄付近でよく見られるリーフに打ちつける波に似ているということで、沖縄海と名付けられています。
波のあるところより内側は、潮が引いていれば、プールになるそうです。閉じ込められた魚といっしょに泳ぐことができそうです。
公園の横の岩にはサンゴの化石がたくさん見られます。
これで、北大東島の見学は終わりです。次の目的地、南大東島に行く飛行機の時刻が近づいています。ここから、滑走路の反対側にある空港ターミナルに、来た道を戻っていきます。すぐにターミナルに到着しました。
ここから、南大東島までは10kmほどです。日本一短い定期航空路となっています。飛行時間は約3分だそうです。
ロビーで、チケットを受け取って、荷物を預けます。保安検査を通る前に屋上で飛行機の到着を待ちます。飛行機が到着する予定時刻を過ぎてもなかなか来ません。昨日のってきた便です。10分ほど遅れて飛行機がやってきました。
ロビーに戻って保安検査を受け、搭乗待合室で飛行機に乗れるのを待ちます。やっと乗れるようになり、飛行機に乗り込みます。席は通路側だったので、外の景色はよく見えません。ドアが閉まってからも通常の機内点検があります。シートベルトのチェックもしっかりやっていました。終われば、救命胴衣の着用方法説明です。ここまででも、5分近くかかっています。滑走路に行き、離陸待機場所に着いたら、プロペラがフル回転になるまで待ってから離陸開始です。滑走距離は少なく、すぐに離陸します。いったん車輪を格納したのですが、10秒ほどで再び出したそうです。飛行高度もかなり低いようです。離陸してからちょうど3分で南大東空港に着陸しました。遊園地の乗り物並みの時間です。滑走路から乗降場所に移動し、プロペラの回転が完全に止まってからやっと降りることができます。飛行時間よりその他の時間の方がはるかに長かった移動でした。飛んだという感覚は、離陸待機場所で、プロペラの回転が上がって機体が大きくゆれているときと、滑走開始と離陸で加速力が加わっているときくらいでした。
飛行機を降りて見えた空港ビルです。
南大東島も、北大東島と同じように、岡が島を一周しているいるように見えます。北よりは平坦なように見えます。
空港で出迎えに着ていたバスは、村役場のものです。案内は、村でやっているのでしょうか。
飛行機で預けた荷物を受け取ってから、バスに積み込んだら出発です。乗り込みは最後の方になったのですが、最後部右側が空いていました。これから、南大東島のバスはこの席が定位置になるのでしょうか。
最初に向かったのは、南大東漁港です。陸を大きく掘り下げて作られています。北大東島の工事も完成したらこのようになるそうです。
漁港があって桟橋もあるのですが、ここでも漁船はクレーンでつり上げられます。これでも小型漁船にとっては岸壁が高いためだそうです。
沖合に北大東島が見えます。
ここでの目的は、海に出て、島を外から眺めてみることです。まず、人数が多く2隻で行きます。そのため2班に分かれます。バスの座席の位置でA班になりました。漁船に乗るために救命胴衣をつけます。船に乗ったら、船ごとクレーンでつり下げられて海に下ろされます。途中で、撮った写真です。
B班の船がつり下げられているようすです。
これからこの2隻の船で、港の外側に出ることになります。
降ろされた船から見ると岸壁が高く見えます。
そのまま、すぐに港の外に出ました。B班の船に続いて走って行きます。船長さんは波の少なそうなところを選んで、慎重に進んで行きます。予想の仕方が違うのか、途中から違う経路で進み、お互いに見える距離ですが、離ればなれになりました。時々。予想が外れるのか、大きな揺れの続くことがあります。
海岸の岩場の上に巨大な石垣が作られています。石は漁港を掘るときにでたものです。積み上げら、内側に平地ができ利用しやすくしているようです。
完全に要塞のように見えます。
B班の漁船です。こんな感じで乗っているのでしょうか。
20分ほど、進みましたが、相変わらず石垣が続いています。上はゴルフ場でしょうか。
岩場についている白い筋が気になります。地層なのでしょうか。ちょっと斜めになっています。
こちらの筋も気になります。
帰りに見えた北大東島です。高台から見るより、低く見えます。
港に戻った漁船は、漁港の中を一周します。このあたりは大型の船が着岸できるようになっています。小型船では、護岸が高すぎます。
これで、漁船による島巡りは終わりです。
次に行くには、いったん船から下りないといけないのですが、簡単には岸には上がれません。船が下ろされた場所から、再び釣り上げられて陸に上がります。
B班の船も吊り上げられてきました。
島巡りが目的というより、漁船が吊り上げられるのを体験するというのが大きな目的のようでした。
この時点で、5時を過ぎています。日没まであとわずかです。宿へと急ぎます。バスが走り出したころには、日はかなり低くなっていました。
宿に着いてから、星が見られそうな所を確認します。フロントで聞いたところ、屋上がいけるようです。責任者ではないから何ともということです。後で確認するとして、次の候補も聞きました。池の畔に水月公園があってそこならどうかといいます。地図を見て候補に選んでいた場所の一つです。屋上がだめならここに行くことにします。
夕食時に、添乗員さんから屋上の使用を確認してもらったところ、あまりいい結果ではありませんでした。水月公園に行くことにします。
夕食後は、ナイトツアーに出発です。最初はダイトウオオコウモリを見に行きます。暗い夜道をバスが走っていきます。運転手さんが車内灯を消してくれました。天の川がきれいに見えます。林の中の広場のような所にバスは着きました。ここでコウモリの見学です。ガイドさんが、バスの窓をこすって音を出します。コウモリの鳴き声をまねているようです。しばらくすると近くをコウモリが飛び交い始めました。飛んでいるコウモリを撮るのは難しいようです(右上の筋になっているものです)。
止まっているのがいました。ちょっと遠すぎます。手ぶれを心配して、望遠を最大にしていませんでした。後で拡大して見るのですから、ここで拡大すべきでした。
次に、星空観察に移動です。場所は暗くてわからないのですが、船を下りてから宿に着くまでの間に看板が見えていた夕日の広場か明日行く予定の西港のようです。夕日の広場はちょっと遠いし、西港にしては狭くなにもない感じです。南東側が少し高くなっていますが、ほぼ全天が明かりなしで見ることができます。三脚を持ってこなかったのも失敗でした。先ほどのコウモリもきれいに撮れたかもわかりません。
星空の解説をという声があったのですが、ガイドさんはわからないらしく、いきなり振られてしました。部屋のこともありますし(内緒です)、夏の大三角といて座とすばるを説明しておきました。あとは、南十字が見えるかとかの質問会になってしまいました。
それほど時間をとらずに宿に戻ります。後は個人的に星見に行きます。水月公園の方に行きましたが、途中街灯の明かりが切れるところはありませんでした。水銀灯なのでかなりまぶしいです。なぜか、足元には、カエルがいっぱい出てきています。ミヤコヒキガエルだそうです。北大東島で、せんべいガエルがたくさんあった原因が納得できました。
水月公園は、ちょっと大きめの公園という場所の中に水銀灯が6本もあり最悪です。ここまでもかなり歩いています。これ以上遠くには行けませんから、もう少し行った先から脇道に入り明かりの影響の少ないところで星を見ることにします。どこに行っても懐中電灯なしで歩けます。
昨晩と同じ、うお座・おひつじ座の一画です。なぜか、空が赤っぽく写っています。やや左側の下にあるシミが気になります。
真上付近を撮りました。星の写りも悪くなっているようです。
この後、空が曇ってきて、小雨が降り出しました。撤収します。見るとカメラのレンズに露がついていました。赤く写ったのはこれと街灯の明かりのせいかもしれません
翌朝です。散歩に出かけることにします。まだ、日の出前です。昨晩行った水月公園に行くことにします。公園の手前に水月橋という橋があります。ここから見た水路です。
空には、月が出ています。昨日より細くなっています。
公園から、瓢箪池の方向です。だいぶ明るくなってきています。雲は多めです。
この感じでは、橋の上から見るとちょうど良さそうです。橋まで戻ります。端から見るとカイツブリがたくさん見えます。
しばらくすると、東側の空は赤くなってきました。
この後、朝焼けも薄くなってきました。昇る太陽は雲の中で見えません。
宿に戻ることにしますが、昨晩星を見たところから戻ることにします。このあたりは至る所に水路があります。島の中心部で、低くなっている場所です。
集落の外れまで戻ってきました。映画撮影の記念碑があります。海抜の表示もあります。低いですね。このあたりは、明かりがなく、星を見るのに向いていたかも知れません。星見に行く方向を間違えました。
奥の家の横でヤギが飼われていました。見ていると何か欲しそうに顔を出してきました。
だいぶ繁華街に近づいてきました。足元にはアフリカマイマイがいます。父島では猛威を奮っていましたが、こちらでは大丈夫なのでしょうか。
この先で、島の繁華街の中心部をとおります。ここには夜遅くまでやっている居酒屋やスナックがたくさんあります。自宅の近くの駅前より多いのではないかと思います。
繁華街を通り抜けると宿に着きます。
宿に戻ったら朝食時間です。納豆好きの人の前に納豆が山積みになっていました。大阪人は嫌いな人が多いのですね。朝ご飯を食べたら、早めの出発です。今日の最初のツアー見学は測候所です。
途中に見えた工場の建物です。駅舎のように見えます。
すぐに、測候所に着きました。このきょりなら歩いてもいけます。測候所の玄関です。
ここでの目的は、気象ゾンデの放出を見ることです。世界時0時に各地で放出されます。南大東島もその1ヵ所になっています。放出のための小屋があります。昔は時計を見ながら、手で打ち上げたものです。右側の円筒形の部分から自動的にふたが開いて、ゾンデが出てきます。
ゾンデのゴム風船です。ガイドさんと職員さんとツアー客です。掲載許可を取っていませんので、マナーに従っています。ごめんなさい。火気厳禁とあるのは、気球に詰める水素ガスを、ここで水を電気分解して作っているからです。引火すると大変です。
計器です。ずいぶんと小さくなりました。1回の放出に2万円ほどかかるそうです。
9時に測定することになっていますが、上昇するのに時間がかかるために、8時30分に打ち上げられます。定刻どおりふたが開いて、ほんのちょっと間を置いてから、気球が出始めた瞬間です。指令は東京で各地の分を一括して出されているそうです。
上がり始めたら、すぐに小さくなっていきました。
他にもいくつか観測装置を見ることができます。上空の風の動きを測るウインドプロファイラという機械です。
ガイドさんが、転倒枡形雨量計が少量の雨でシーソー運動をすると言っていたので、どれくらいの量で傾きが変わるか暗算で求めしようとしたのですが、頭の中がこんがらかって無理でした。答えは15ccほどで大さじにだいたい一杯くらいの量です。
測候所の敷地にはきれいな花が咲いていました。名前はわかりません(後日、一つ目はヤハズカズラと判明しました)。暖かいせいなのか花がいっぱいです。
測候所の次は、西港に向かいます。途中松並木の間を走ります。
道の横に遊歩道があります。草の間からちらちらと見えます。元々は線路が走っていたそうです。
道の曲がり角に、地蔵さんが置かれています。卒塔婆もたくさんあります。大東島の開拓民は八丈島からやってきているので、そちらから伝わった風習が残されています。沖縄にはみられないものです。
ここから、坂を下り港に到着です。ここでの目的は、定期船が到着するので、そこから降りるようすを観察することです。たまたま定期船の到着日に当たっていたので見ることができました。船の着き方とかの説明があります。人はこのかごに乗って、乗り降りするそうです。何人か試しに入ってみています。
あまりに、物珍しそうにしていたためなのか、クレーンの操縦士さんが、実際につるしてみてくれると言います。みんな乗り込みます。吊り上げられたかごから見たクレーンです。
かなり高いところまで上がることができます。乗ってきたバスが小さく見えます。
サービスで海面近くまで下ろしてくれました。
クレーンを一周した後、無事元のところに戻ってくることができました。これだけで、遊園地のアトラクションに乗った気分です。
急なアトラクションが入ったためか、あまり待つことなく、船がやってくるのが見えました。
船の着岸の手順です。まず、はしけ(小型船)が下ろされます。この写真は戻ってきたときのものです。
はしけは、船から降ろされた、もやい(ロープ)を沖合のブイにかけます(この作業は見えませんでした)。船がある程度岸壁に近づいたら、もやいを岸につなぎます。船の左舷後部にいる人が、もやい誘導用のひもを岸に投げ飛ばす準備をしています。錘を投げ縄のように振り回して飛ばすと思っていたら、いきなり、空気銃で打ち出したような感じで錘が飛んできました。
3方向のもやいを張って、船尾部分が固定されました。
船首部分も同じ方法で固定されます。船は、完全に岸に着けられていませんから着岸とはいえませんが、これで完了です。こんなめんどくさいことをしなくても、昨日見た漁港には入れるようにしていれば簡単だったと思うのですが、何か問題があったのでしょうか。
船と岸が離れているので、どうやって降りるのかというと先ほどのかごが登場します。こんな感じです。
この日はヤギも下ろされてきました。かなり怖がっています。引っ張られるのをいやがっていました。
荷物の積み下ろしは、どこでもだいたい同じです。予想以上に下ろされるコンテナは少ないです。3つだけでした。青ヶ島では20個近く下ろされていました。
乗客の預け荷物の入ったコンテナです。
続いて、車が下ろされました。奥にある農耕作業車もこの後下ろされます。
港から次に向かったのは、星野洞です。鍾乳洞です。建物から入っていくのは、珍しいものです。
屋根の上から見た景色です。周りは平らです。サトウキビ畑が広がっています。
入る前に、懐中電灯を手渡されます。中は暗いのでしょうか。気になります。
建物中に入ってからはスロープで降りていきます。2つ目の扉の先が鍾乳洞です。ここまでの壁にはこども達の絵などが置かれています。
中は照明があるのですが、歩くのには問題がありませんが、鍾乳石を見るためにはくらいかなと言う位の明るさです。この方が、鍾乳石にコケなどがつかなくていいですね。
鍾乳石は、透明度が高くきれいです。あまり光が当たっていなかった効果があるようです。
鍾乳管があります。壊れやすいものですが、長さが1m以上に伸びています。ガイドさんはソーダストローと言っていましたが、ストローと言うのが正式名称です。日用品のものと紛らわしいので、前にソーダとつけていたのでしょうか。でも、主成分はナトリウムではなくカルシウムです。カルクストローといった方がいいような気がしますが、あまり細かいことにはこだわらずに、このままにしておきます。
こちらは、ものすごくたくさん密集しています。
正面に、洞内一の石柱が見えてきます。ここの真ん中にだけコケがついているのは残念です。こうなってしまうと削らない限り取ることはできません。でもなぜここだけなのでしょうか。
別の石柱です。
石柱は、下から伸びてきた石筍がと上から降りてくる鍾乳石がくっついてできます。これはほとんどくっつきかかっていますが、くっついていないので石筍です。
ここの鍾乳洞には珍しいものがまだまだいっぱいあります。
鍾乳洞の隅っこには、酒瓶がまとめておかれています。地元の中学生が卒業するときに場所を決めてまとめておいておくのだそうです。成人式になるととりだして、これで祝うのだそうです。置いている間に熟成されておいしくなるそうです。一度に飲みきれる量ではないので、どちらかというと、親が置かせているような、いないような。
鍾乳石には、部分的に色がついているところがあります。地下水に含まれる泥分が多いと、このようになりそうです。
奥の連なった鍾乳石が、赤白幕のように、茶色と白色に塗り分けられています。
これは、カーテンという構造です。これほどひらひら感のあるものはみたことがありません。
なんか、お肉の赤身と脂身のようで、おいしそうです。
ヘリクタイトと言います。曲がりくねっているので、曲がり石とも言います。どうしてこのようなものができるのかはよくわかっていません。ここのは、数も多く、広い場所に見られます。
洞窟サンゴ(ケーブコーラル)です。尖ったぼつぼつが伸びてきてます。もうちょっと大きいとサンゴらしく見えます。
丸いのは、洞窟真珠(ケーブパール)と言います。ここのは壁にへばりついています。普通は、水たまりの中で大きくなります。
写真の左側に写っているのは、懐中電灯です。みんなストロボを使わずに、この光で写真を撮っていました。この方が適度な影ができて、きれいに撮れているようです。
石筍の頭が、人の顔のように見えます。
洞窟生成物の博物館みたいな鍾乳洞でした。これだけいろいろなものがみられるところは他に見たことがありません。
星野洞の次は、ふるさと文化センターです。
入口の表札を支えている石です。縞模様が気になります。
かけているところから断面が見えています。レインボーストーンと呼んでいる石なのでしょうか。オニキスとして売られている石に似ています。
ここでの大きな目的はビデオを見ることです。南大東島は、鉄道が縦横に敷かれていた時代があり、その時のようすを記録したものです。
鉄道は、サトウキビと精製した砂糖の運搬用に使われていたものです。そのためか、シュガートレインと呼ばれています。センター建物の横に汽車が保存されています。何となく弁慶号に似ています。さびがひどく、鉄板が薄くなって今にも崩れそうです。
機関車の運転席部分です。細かい部品もなくなっているようです。蒸気機関の雰囲気だけはわかります。
気動車も使われていた時代もあったようです。
運転席です。ハンドルとかが低い位置にあるように見えます。
客車だったのでしょうか、窓がついています。
サトウキビ運搬用の貨車です。
鉄道があったという島はあまり聞いたことがありません。鉄道マニア間では戦後沖縄で唯一初瀬行っていた鉄道ということで有名らしいです。昔は山の奥まで鉄道が敷かれたことを考えれば、あり得ないことではない話です。鉄道があることから、サトウキビの収穫量が多かったことが想像できます。
復元するという計画もあるようです。鉄道ファンなら見に来そうです。見合った観光客が来るための、環境を整えることも考える必要があるでしょう。
さらにこの隣は、農協のスーパーです。南大東島も土産物を買う店が少ないので、ここで買うことになります。売られているものをみるだけでも色々参考になります。いくつか、お土産を買いました。
この時点で、もうお昼前です。町中に戻って、食事になります。
食事は、宿の前の沖縄そば屋さんです。たくさんのお客さんが来て込んでいます。沖縄そばと大東ずしが出てきました。沖縄そばは、沖縄本島のものとは違って、ちょっと細いうどんのような感じです。大東ずしは、ずけにした魚を載せたもので、小笠原や八丈の島ずしに似ています。大東島は、沖縄と八丈の文化が混じっていると言われますが、この食べ物にも現れています。
ほとんど食べ終わってから、気がついたので、となりの方のあまり食べていないものを撮らせてもらいました。
食事が終わってから、まだまだ時間があります。その辺をぶらぶらしてみます。あまり行っていない、北の方に行ってみます。宿の前で咲いていた花です。アナマンダと言うそうです。帰ってから検索してもかかりません。何か聞き間違えたのでしょうか。
街角には、至る所に石巌當があります。沖縄ではよく見かけるものです。
町外れから見た宿です。遠くからでも目立つので、ここを目指して戻れば道に迷うことはありません。屋上には、某放送局の、テレビカメラが設置してあって、台風が来ると、これを使って中継をするそうです。南大東島は、本土に上陸する台風が一番最初に接近する、人の住んでいる陸地です。
鳥のさえずり声がするので探してみると、木にダイトウメジロがとまっていました。
町外れに信号機がありました。島でここだけだそうです。学校があるのではとみたら、やはりありました。
もう少し進んで行くと、大東神社は右500mと書かれています。時間的にぎりぎりなのですが、いけるところまで行って見ることにします。
道沿いにガジュマルの木がありましたが、やはり根っこはすごいことになっています。
このあたりの道路は、何となく昨晩通ったような気がします。運転手さんが車内灯を消した走っていたところです。
時間的にもう限界です。あそこまで行ってなかったら引き返そうと思っていたその場所に神社がありました。境内の工事用具を置いてある雰囲気は、昨晩コウモリを見たところとそっくりです。よく見ると、オオコウモリ生息地の案内板と標識がありました。これで、昨晩来ていた場所だと確信が持てました。
大東神社の社殿です。時間がなかったのでこれ以上進んでいません。ガイドさんが、見学予定地になっていると言っていたような気もします。
神社や森のようすもゆっくり見ておきたいのですが、戻らないといけない時間なので引き返します。途中ちょっとだけ走りました。
食後のツアーの、最初の目的地は、島南部の日の丸展望台です。島で一番高いところにあります。北大東村と南大東村は、何かと競い合っているようです。島の最高峰の高さもほんのちょっとこちらが低いだけですが、大変気にしていました。展望台の上だと、北より高いかも知れません。
展望台の上からは、島全体がよく見渡せます。北側の景色です。
緑色のところはサトウキビ畑で、茶色く土がむき出しになっているところは、カボチャやジャガイモを植え付けたところだそうです。サトウキビ以外の作物として考えられたそうです。大東島は交通の便が悪いので、日持ちのいいものしか作っても売れないそうです。ジャガイモなどは北海道に負けそうですが、収穫の時期がずれるので、北海道に売り込みに行ってもじゅうぶんしょうばいになるそうです。
眺めていると遠くにうっすらと北大東島も見えます。ここから見ると、島の向こうの方にある山のような感じがしますが、実際は別の島です。間に2000m近い深さの海があります。
写真を撮り忘れていたので、上の写真の切り抜きです。これで5倍くらいに拡大したことになります。そういえば展望台の写真も取り忘れています。
西側です。林になっているところは、島を取り巻いている尾根の場所です。斜面なので、耕作に使われていないようです。
西南西側です。木の間から、発電用の風車が見えます。台風の風で倒れないか心配していたら、ここの風車は、あらかじめ倒しておくことができるそうです。2基あるのですが、一つは倒されています。
東側です。やはり尾根が続いています。
尾根の植物です。ビロウが多いようです。外来種のモクマオウも目立ちます。
バスの停まっているところに戻ろうとしたら、見慣れない蜂がいると騒いでいました。写真に撮って見ると、みんなが嫌うあの虫でした。ピンぼけのものにしたのですが、これでもよくわかります。
日の丸展望台から東に向かい、海に出たところが海軍棒です。海岸には四角く穴が掘られていて、プールができています。今は潮が満ちていますので、波があたっています。
この付近の海岸は海食台が続いているのが見られます。普通の海食台より海面から高いところにあるようです。
海軍棒という名前は、昔、海軍が突き出た岩の上に棒を立てたことからつけられています。目的は、北大東島の国標と同じで、日本の領土であることを示すためのものです。地名が書かれているそうです。現在は、3代目だそうです。北大東島と同じです。
プールのあるところまで降りてみました。坂はかなりの勾配です。体を後ろに倒した感じにならないとバランスがとれません。一度こけると下まで転がりそうです。
プールのあるところから海軍棒を見上げるとこんな感じです。島の大きさからすると、遠くから見てここにあるということがわかるようなものには見えません。奥にあるのは展望台です。家に帰ってから文献を見ていると、この崖にに不整合があると書かれています。気がつきませんでした。写真を見直してみると、たしかにこれかなと言うものが写っています。
プールに降りる途中の道沿いの岩場に洞穴のようなものがあります。鍾乳洞なのでしょうか。鍾乳石はできていません。洞穴形成時のものなら、鍾乳石がないこともあります。
海軍棒近くの、植物も保護されているようです。海岸によく見られるアダンです。これをかいくぐって棒を立てに行くのは、大変です。傷だらけになりそうです。
陸地の方に、他の海岸性の植物もありようですが、遠くて種類まではわかりません。
足元を見ると、石灰岩にサンゴの化石が入っているところがあります。
プールまで降りていったのは2人だけでした。みんな坂のきつさに怖じ気づいたようです。
次の目的地は、島の中心部にあるラム酒工場です。南大東島では、中心部に入った出たりを繰り返しているような気がします。
海軍棒へ来るときに、道路の分岐点に、ゲットウの花が咲いてるのを見つけたのでバスを停めてもらいました。花の時期は過ぎています、狂い咲きなのでしょうか。気温が30℃近くになっている影響でしょうか。
ラム酒工場です。元南大東空港の建物を再利用しています。中には空港だった頃の案内板などが残されています。工場見学というより、ラム酒の売店に寄ったという感じです。お土産物を買う場所が少ないのでこれも必要なのでしょう。試飲できましたが、いちばん度数の低いものでも、口の中が火の車でした。
工場を出た後は、北上して行きます。元滑走路が住宅地に変わりつつあります。
次に行ったのは、大池です。マングローブ林が見られます。展望台から見るようになっています。展望台の上り口に、カブトムシのトラップが仕掛けられていて、1匹かかっていました。北大東島では、ビロウ林を枯らしていた虫です。トラップは、大東島では至る所で見られます。かかっているのを見たのは、これで2個目です。
展望台から見た大池です。手前の葉っぱの大きな木がマングローブ(オヒルギ)です。
近くに木の上に、サギがいます。チュウサギのようです。どうして木の上にいるのか議論になっていました。ふつう、サギは木の上に巣を作ります。
オヒルギの新芽です。
こちらは、枯れた花から実ができ始めています。
マングローブの実は、落ちた後地面に突き刺さりそこから芽を出します。林の中で何本か芽が伸び始めています。このままだと暗くて育つかどうかが問題です。
すぐ横は、サトウキビ畑です。これ以上マングローブ林が広がったらと心配していますが、水気のないところではオヒルギは育たないでしょう。
島の真ん中にマングローブ林があるというのは、いくつかの疑問が残ります。後で検証することにします。
足元にいたトンボです。普通に見かけるものと同じようです。
東の空を北大東島に向かって飛んでいく飛行機が見えます。初日は、もっと北大東島に近いコースを飛んでいたような気がします。風向きの関係だと思いますが、何か不吉な予感がします。
大池から、再び町中心部の方に行きます。途中に寄ったのが大東神社です。ガイドさんは、蚊が多いと言って、でるのをためらっていました。そのせいか、誰も車から降りようとはしません。みんなの動きに従います。3時間ほど前に来たときには、それほど多いとは思わなかったのですが。
誰も降りなかったので、そのまま進みます。次は空港に向かいます。
途中、月見橋を通りました。橋の上から池を見ます。朝より鳥が増えているような感じです。バスの窓から、見るだけですぐに出発です。
外周の尾根です。このあたりは崖になっていますが、それほど高くないようです。
空港に近づくと、並木道になってきました。このあたりはビロウでしょうか。
まもなく、空港到着です。
ロビーでチケットを受け取って、荷物を預けます。空港の施設を見て回ったりします。展望デッキで、飛行機の到着を待ちますが、なかなか来ません。ちょっと遅れているようです。北大東島に迂回して入ったために遅れたのでしょうか。20分遅れでした。
保安検査を済まし、飛行機に乗り込みます。横に置いてあった機械がいきなり大きな音を立て始めました。何かと聞いたら、電源供給器とのことです。乗降中はプロペラを回せないので、発電できないのでしょう。
ここで、20分遅れましたから、那覇到着も20分遅れです。乗り継ぎの1時間が40分になってしまいました。いったん、保安区域外に出て土産物を買う時間はなくなりました。搭乗待合所の近くで、沖縄そばを食べて、弁当類で唯一売られていた、大東祭りずしを買っていたら、搭乗時刻になりました。
那覇出発は予定通りです。でも、飛行機は大きすぎます。がらがらです。回送の関係でしょうか。10列あるシートの全員が窓側に座っています。
那覇空港を出発したときには、外はかなり暗くなっています。那覇市街の夜景がきれいです。
大阪は、伊丹空港に8時過ぎに到着です。荷物の受け取りにちょっと待たされました。大東島からの荷物はほとんど同時に出てくると考えていたのですが、結構ばらばらに出てきたようです。受け取ってから周りを見たのですが、同時に歩き出したツアー仲間はあまりいませんでした。そうそうに受け取って先に帰った人もいました。結局、モノレールで一緒になったのは1組だけでした。伊丹だと関西空港より歩く距離は長くなりますが、移動にかかる時間は半分以下です。それほど遅くない時刻に帰ってくることができました。
大東島についてのいくつか、気になったことを書いていくことにします。
−マングローブ林がどうしてあるのか−
1つ目は、塩分の問題です。オヒルギは塩分のない水域には育ちません。大池は、北大東島の赤池と同じように、淡水なのは表面だけで、深いところは塩分が含まれているようです。この塩水はどのように持ち込まれたのでしょうか。
高波の時に、山を越えて侵入してきたというのが一般的ですが、南大東島で周囲の尾根のいちばん低い所が35m位です。絶海の孤島であることを考えると、これを越える津波がやってきたというのはあまり考えられません。あったとしたら他の地域でも記録が起こされているはずです。
南大東島の大池にマングローブ林があります。一般的にマングローブ林があるのは、河口近くの汽水域と呼ばれる場所です。ところが、南大東島のマングローブ林は、陸人に囲まれた水域である大池の縁にあります。ここにあるのはオヒルギ一種だけなのですが、どうしてここにできたのかについて、いくつか疑問が湧いてきます。
可能性のあるのは、大東島は隆起珊瑚礁であることから、鍾乳洞で海とつながっているのではないかということです。星野洞の底の部分は、海面よりちょっと高いぐらいの高さにあります。しみこんだ水が流れ出していく先の高さに鍾乳洞ができることを考えると、星野洞が海につながっていくと考えるのは自然です。大池そのものも、岸から急激に深くなっていて、カルスト地形特有のドリーネではないかという考えもあります。
両島の、中央にある低湿地の高さがほぼ海抜0mというのも気になります。偶然なのでしょうか。確率的にはかなり低い様な気がします。おそらく、中央部全体が大きな池であった時代があって、それが埋め立てられいって、現在の低湿地ができたと考えた方が自然です。池は、鍾乳洞で海とつながることで、ほぼ海面の高さにできたのでしょう。海岸からの距離と、鍾乳洞の透水性の関係で、潮の満ち引きが相殺され、池には干満の影響が出てこないのでしょう。北大東島の赤池の縁ででボーリングをしています。そこでの表層土がどれくらいあったのか気になるところです。
隠岐諸島では、島の中心部は海面より深いところの地下水も、淡水になっています。島が透水性のあまりよくない岩石でできているため、地下水が流れにくくなっています。そのため、地下水面は勾配ができ、島の中心部では地下水面は海面よりかなり高くなっています。島内部の海面の高さでは、地下水に圧力が加わっていて、その力で海水を押し出しています。大東島では、透水性のいい石灰岩(石そのものは水を通さないのですが、とかされて穴が開きそこを水が通る)なので、島中心部の地下水面の上昇も起こりません。そのため、島中心部まで海水がしみこんでいるのでしょう。
池の塩分の由来が、島が隆起を始めたときに、島内部に閉じ込められた海水と考えることもできます。それが現在まで残されているかどうかは疑問です。また、排水路のない低地では、山から流れ込んだ水に含まれている塩分が、次第に濃縮されて海水化することがあります。死海やカスピ海がその例です。これらの塩湖では、流入する河川は長く、湖のたどり着くまでにもかなりの量の水分が蒸発しています。大東島にははっきりとした河川はありませんから、池の水が濃縮したとはちょっと考えられません。表層部が淡水、深部が海水というのも様子が違います。
2つ目は、種子がどのようにして運ばれてきたかという問題です。オヒルギの種子は15cmほどあり大きく、一番近い琉球や南西諸島から鳥が運んできたとは考えられません。海岸に漂着した種子を鳥が銜えて島中心部に運んだ可能性も考えられますが、運びそうな鳥は見当たりません。サギぐらいだったら運べそうです。巣を作る材料として海岸から運んできたのでしょうか。
島が隆起し始め、内側の海が閉じ込められようとしたころに、漂着したとします。その頃に、オヒルギが育つような汽水の湿地があったとは思えません。大きな川がありません。汽水となったのは、内側の海が完全に閉じ込められた後でしょう。それなら、種子の侵入は不可能です。
津波で運ばれてきたかもしれません。南大東島では尾根の標高の低い南部から海水が浸入してきそうですから、一番奥の大池の近くまで運ばれてきてそこで芽吹いたということもあります。先ほど述べたように、津波があった可能性はあまり考えられません。
オヒルギが島に定着して、なぜ大池だけなのかも問題です。島全体に広がっていてもおかしくありません。たぶん、オヒルギが南大東島にやってきたのはそんなに古くはないのでしょう。そう考えてみると、人が島に入植したときに何らかの理由で持ち込まれたと考えるのはどうでしょうか。ミヤコヒキガエルとかモクマオウとか色々持ち込まれています。
−隆起環礁−
大東島について調べたときに、南北大東島が地理学的には、隆起環礁と呼ばれる特殊な地形であると書かれていました。そうだとすると、島の奇妙な形とか地質学的な特徴がうまく説明できます。それでも不思議な点が残ります。隆起環礁というものは、環礁が隆起し、海面上に顔を出したものですから、まずは環礁についての説明から始めます。
海洋中の島は、元々は火山が噴火し、その山頂部が海面上に出るようになってできたものがほとんどです。このようにしてできた島も、海洋プレートの移動に伴ってだんだん運ばれていきます。海洋プレートが移動していくのに伴って、プレートそのものが沈んでいくので、海底の深さはだんだん深くなっていきます。当然、そこに乗っている島もだんだん海中に沈んでいきます。
この島が、暖かい海域にできていたとします。島の周囲には珊瑚礁が成長します。このような珊瑚礁を裾礁と言います。この島が沈んでいくと、珊瑚礁はほぼ同じ位置に作られますが、島の海岸線は内側に入りこんでいきます。こうなると、島から少し離れて、島を取り巻くように珊瑚礁ができます。このようなものが堡礁です。さらに、沈んで完全に島が水没すると島を取り囲んでいた珊瑚礁だけが成長し残されます。これが環礁です。環礁は、島の沈降速度が珊瑚礁の成長を上回らない限り、いつまでもでき続けます。北大東島赤池で、180m掘っても火山の溶岩がでてこないで、石灰岩が出てきたのはそのためです。
環礁の断面はどのようになっているのでしょうか。珊瑚礁は、波が一番よくあたる外洋に面したところで発達します。その外側は急激に深くなっています。そのすぐ内側も、サンゴ以外の生物などによってそこそこ埋め立てられていきます。そのため浅い海底が続きます。これがある程度内側に入ってくると、サンゴの作り出す栄養分が行き届かなくなるようで、他の生物も極端に少なくなり、生物による埋め立てはなくなります。そのため、海は深くなるようです。環礁の形は、リングのようになった高まりがありその内側と外側は、急激に深くなる構造をしています。リング状の高まりは、周辺部の方が高く内側に低くなる構造をもっています。
南北大東島も、島をリング状に取り巻く高まりがあり、中央部は低くなっています。形を見る限りは、環礁に似ています。このことから、島は、環礁が隆起してできたと考えられます。
よく調べてみると、リング部の形にわずかな違いが認められます。両島では、島の外周部より、数百m内側の場所の方が高くなっていることです。北大東島では長幕と呼ばれている場所です。これは、島が隆起を始めたときに、海面上に出た部分が浸食を受けた結果だと思われます。外洋に面した側の方が、浸食の影響力が大きくなるので、いつまでも削られ続けためだと考えられます。
このように、大東島は環礁が隆起をしてできたものだと考えられますが、なぜ隆起を始めたのかという点も大きな問題となります。というのも、海洋島は沈降を続けることはあっても、隆起をすることはないからです。プレートの運動方向の変化など、何か原因があるのでしょうけれども、原因を特定する決め手にはかけています。
−燐鉱石の問題−
燐鉱石の問題を考える前に、燐鉱石がどのようにしてできるかを解説しておきます。燐鉱石の元になるのは、鳥の糞です。生物の糞が集まってできた岩石はグアノと呼ばれます。従って正式な岩石名はグアノになります。
糞がどうしてたくさん集まるのかというと、断崖に囲まれた島では、海鳥が集団で巣を作ることがあります。当然巣の周りには、糞や食べかす、鳥の死骸などが放置されます。それが年月がたつうちに、大量にたまってできます。これ以外にも、洞窟でコウモリが作るものもあります。
この時にできるグアノの主成分は、窒素分が多く、硝石として採掘されているところがあります。そのような場所は一般的には雨の少ない乾燥地域になります、雨の多い地域では窒素分は雨に流されてしまいます。流されずに残されるのは、魚の骨や鱗などの主成分となっているリン酸カルシウムです。鳥の骨も混ざっているかも知れません。これが、燐鉱石として採掘される元となります。
燐鉱石があるのは、北大東島と沖大東島だけで、南大東島にはありません。この違いはどうしてできたのでしょうか。
現地での説明は、北大東島の方が標高が高いからというものでした。高い分だけ海面から付き出した島になっていてそこにたくさんの鳥が巣を作ったと考えます。北大東島でいちばん標高が高いのは灯台のある場所です。ここが南大東島より高いと言うのですが、南大東島の最高地点日の丸展望台とほとんど高さは変わりません。それどころか、北大東島で採掘された跡がある場所は、標高で30m位のところとなっています。おまけに、沖大東島の最高地点の標高も35mです。どうも現在の高さは関係ないようです。
北大東島と南大東島では、リング状の尾根の形にわずかな違いが見られます。ここにヒントがありそうです。北大東島では、尾根の一番内側が最も高くなっていて、その外側は比較的平坦です。これは、一番高くなっているところが、早くの時期に波による強い浸食を受けなくなっていたためでしょう。周囲の低い所で浸食が続いているので、陸地化していたと思われます。この時期に、海鳥の繁殖地としてこれに対して使われることがあったのでしょう。これに対して、南大東島では尾根が全体に平らです。ずっと波による浸食を受け続けていたのでしょう。波を被る岩場といった感じでしょう。
そう考えてみると、もう一つの疑問点に対しても解決できるような気がします。それは、南大東島の方がはるかに大きいのに内側の盆地部が、どちらの島も同じくらい埋め立てられているという点です。北大東島では、波によって削られた岩石は、外洋側に流されるばかりで、内側には運ばれず、内部の低地を埋めるのにはあまり使われません。これに対して南大東島では、波は内部まで入りこんでいきますから、削られた岩も内側に運ばれ、内部の低地を埋め立てられるのに使われます。
その後、北大東島では、北西部の浸食を受けていた一画が、浸食に打ち勝ち陸地化します。ここも鳥の繁殖地として使われるようになります。これからだいぶ立ってから、南大東島もやっと島になります。北大東島も、浸食を受け続けていた南東部も陸化したでしょう。こうなったときに、もう一つの変化が起こります。内部の低地が海から隔離されます。こうなると、直接海水が入ってこられないので、雨水などの影響によって塩分が薄められ、植物が生育できるようになります。こうなると、チョウゲンボウやミザゴなどの猛禽類も繁殖ができるようになります。海鳥の繁殖にとっては、大問題です。雛や卵なども食べられてしまいます。だんだん、海鳥が遠ざかって行ったのでしょう。
と、このような(前回の話も含めて)このようなシナリオを作ってみたのですが、どんなもんでしょうか。何で北大東島の方が浸食に強かったのか→北大東島は苦灰岩で南大東島は石灰岩だから(そうでもないみたい)→どうして石の種類が違うのか、とか−隆起の速度が違ったから→その原因はと続けていったら切りがないので、この辺で終わりにしておきます。
−大東島移動説−
北大東島の民俗資料館の展示には、大東島移動説というのが書かれていました。北大東島の観光ウェブサイトにも書かれていますので、興味のある方はご覧になってください。概略というかこれしかないのですが、大東島は、今のニューギニアあたりで作られて、その後、今の位置まで動いてきたというものです。
大東島の乗っているフィリピン海プレートは、北西方向に年間10cm弱の速さで北西方向に移動しています。大東島付近の海底の年齢が四千万年なので、大東島もこの時期にできたとして、10cm/年の速さで四千万年動くと移動距離は約4千kmになります。大東島の南東方向4千kmのところを探してみるとニューギニア付近に行き当たります。このあたりから、ニューギニア付近で大東島が作られたという説が出てきたのでしょう。でも、よく考えてみたら、大陸だって移動するので、大東島だって動くのはあたりまえと思ってしまえば、大して重要ではないような気がしてきます。どこから来たのかが重要なのかも知れません。
大東島は移動してきたのは間違いないでしょう。この説を聞いたら、ニューギニアから分かれて移動していたように感じますが、そうではないでしょう。ニューギニアは、オーストラリアプレートとユーラシアプレートの衝突によってできたとされています。衝突が始まったのは、四千万年前より古くはないので、大東島ができた頃には、ニューギニアはなかったかも知れません。あったとしても、ずっと南の方からオーストラリアプレートに押されて移動してきたはずです。
フィリピン海プレートの移動方向や移動速度は、四千万年の間同じだったわけではありません。四千万年前にできたプレートの東側に、千五百万年前に新しくプレートが付け加わっています。この影響で運動方向が変化した可能性があります。文献などをあたってみると、六百万年前に移動方向が北北西から北西に変わったと書かれています。単純にどこから来たのかということは決めにくいようです。
−TPP−
大東島の主要産物はサトウキビです。運搬のために沖縄で最後まで鉄道が敷かれていたことからも、その生産量の多さがわかります。サトウキビから作られる砂糖は、外国のものの方がはるかに安くなります。TPPによって関税が廃止されると、国内の砂糖生産は打撃を受けるのは目に見えています。今のところ、関税存続で落ち着いたようですが、いつまた話がぶりかえしてくるかわかりません。対策は必要でしょう。
北はどうかわかりませんが、南大東島では、他の作物へ転換ができないか模索中のようです。今試みられているのが、カボチャとジャガイモです。カボチャは高級品種を作っているようですが、需要が限られそうです。ジャガイモも北海道と季節がずれるという利点はあるのですが、大丈夫か心配です。他のものは何でもというわけにはいかにそうです。輸送をどうするかということが一番のネックになっています。海が荒れると船が着けないですから。カボチャを羊羹にしたりとか、工夫もされています。これも、観光客の少なさからどうなるのか心配です。他の沖縄の島々がまねを始めたら太刀打ちできるのでしょうか。
TPPは、アメリカの大企業が、販路拡大のために障害を取り除こうとして始まったことだと思っています。たとえば、著作権。保護期間50年の国に、一律75年に延長する仕組みができてしまいました。これで、儲かるのはハリウッドとディズニーです。他の、著作者のものは取るに足らない額でしょう。これでは、いつまでたってもミッキーやそれに似た絵を自由に描いて楽しむことができません。
もう一つあります。自国の主要食糧は、自国で生産すべきだと思っています。有事の場合に、兵糧攻めに遭う可能性もあります。
TPPになっても、いいもの(というより高級品)を作れば売れますよと宣伝していますが、庶民はそんなに高級品ばっかりに飛びつくのでしょうか。もうちょっと、庶民の事を考えて、どうすれば最善なのか決められなかったのかと思います。
ツアー
旅行に行くとき、ツアーにするか、自分で計画を立てるかのどちらかになります。目的が一致していれば、ツアーの方が安く気楽になります。逆に、内容があわないとかもっと自由に見たいといった場合は、自分で計画を立てることになります。壱岐対馬の場合は、ヤマネコを見ない事からツアーは使いませんでした。隠岐では、微妙なところだったようです。
今回はまわるところがそれほどないだろうということでツアーにしました。帰ってから、別の旅行会社の案内が来ていました。価格はほぼ同じだったのですが、こちらは南大東島のガイドはなしです。昨年申し込んだのはこちらのツアーだったようです。
まわってみて、ツアーや集団で行ったことによる恩恵がたくさんあったようです。開いていないところを開けてもらったり、ガイドさんのコネでいろいろなサービスがついてきたりと、個人旅行ではできないことがいっぱいありました。お土産物屋さんに寄るというのはおきまりですが織り込み済みです。でも、それほど嫌みは感じませんでした。
恩恵があった分、島民の皆さんにご迷惑をおかけした事になります。この場を借りてお礼を言いたいと思います。ありがとうございました。そのついでみたいですが、宣伝を。
鍾乳洞
南大東島では、星野洞を見学しました。この鍾乳洞は、見学するのに手頃な大きさです。なんといってもいろいろな鍾乳石が見られ、鍾乳石の博物館のようです。一個一個の鍾乳石も汚染されていなくできれいなので見応えがあります。透明度の高いもの、不思議な模様のついているものなど見事です。鍾乳管も雨のように降ってくるように見えるようすは見事です。中でもヘリクタイトは、多くの鍾乳洞では見ることができないのですが、ここのものは規模・数・状態ともに最大です。今まで見た鍾乳洞の中で、きれいさ、質の良さではトップクラスです。見に行く価値はじゅうぶんあると思います。
星
始め、地図で宿の位置を確認すると最悪だと思いました。1日目は灯台の下、2日目は大きめの集落の真ん中だったからです。実際に行ってみると、灯台の光線はそれほどはっきり見えなく、問題となるほどではありませんでした。直接灯台を見なければ、じゅうぶん見ることができます。港の工事現場と思われる場所の明かりが強いのが気になりました。これも工事が終わればなくなるでしょう。宿からそんなに移動しなくていいのも利点です。
2日目は失敗でした。下見をせずに行ったためにあまり見られなかったようです。翌日、周辺を歩いてみた感じではちがう方向に行けば、適地はたくさんあったようです。街灯の明かりが結構まぶしいので、主要な道路からそれる必要はあります。
どちらも、空の暗さはじゅうぶんです。天の川が180度見られたので満足しています。夜の星・コウモリもいいですよ。
八丈島と沖縄のチャンプルー
大東島を開拓したのは、玉置半右衛門を初めとする八丈島出身者です。なぜ沖縄ではなく八丈なのかは疑問なところです。そのためか、八丈関連の風習が残っています。言葉ですが、いらっしゃいませを、「おじゃりあれ」というのは八丈で聞きましたが、ここでも使われているようです。地蔵さんや卒塔婆も持ち込まれました。大東ずしは、伊豆小笠原の漬けずしが起源のようです。逆に沖縄の風習としてあるのが、魔除けとして使われる石巌當です。シーサーはあまり気がつきませんでした。大東そばもだいぶアレンジが入っていますが、沖縄そば起源と思われます。建物や石垣、植物もどちらかというと沖縄的です。石垣の玉石は大東島では手に入らないので無理なのでしょう。
意外なところに、両方の文化が混ざっているのがみられ、興味深く感じます。
ここから再び私事です
旅行に行く前に、大型書店で2.5万分の1地形図を買って行きました。行く前に、宿の周辺の状態を確認する事ができたのですが。現地でも、そこそこ使うことができました。どちらかというと、帰ってきてからどこに行ったとかここの地形はどうなっているとかの確認には便利でした。
帰ってきてから、南大東島の分が見当たりません。たぶん途中、南大東島のバスの中と思われます。もしあったら有効利用してください。地図はなくなっていても別にいいのですが、後で、ネットの地理院地図にアクセスして確認するのは面倒でした。
星を撮影しました。1日目は何もなかったのですが、2日目にはレンズに露がついてきました。1日目は早めに切り上げないといけなかったので影響がなかったのかも知れません。2日目は、早くから外に出していたのでカメラが冷えたのでしょうか。雨も降り出したので、湿度も高かったようです。曇り対策はしっかりしておいた方がいいようです。少なくともすぐに拭き取る方法が必要です。たぶんティッシュパーパーでじゅうぶんでしょう。
カメラも、星の撮影中に一度電池切れで交換した後の動作がおかしくなりました。電源を切ってから入れるごとに設定がリセットされます。原因は現在でも不明なのですが、別の設定方法を見つけました。今のところその方法で問題は発生していません。なんかの拍子に、その設定操作をしてしまったのかも知れません。
バス車内から景色を撮影しようとしたとき、たまたま偏光フィルターがついていたことがありました。おかげでガラスの反射が抑えられ、きれいに写っていました。これからは、車内から撮影するときには利用してみようと思います。
携帯電話も持っていきました。初日島についたとたんに電池切れでした。容量は減っているのはわかっていたのですが、甘く見ていました。放電しきってから充電するようにと書かれていたので、じゅうぶん持つだろうとそのままにしていました。荷物を減らしたいので充電器を持って行っていません。宿でアダプターをそろえていたのでそをれをかりて充電しました。実際には使うことはありませんでした。それにしても充電器の数を減らすいい方法はないのでしょうか。
かかった経費です。ツアー代金以外を整理しました。金額は100円単位に四捨五入しています。
交通費 関空まで と 伊丹から 2000円
飲食費 主に那覇空港で食事 2200円
その他 土産他 4800円