2016/02/01-06島津氏膝元駆抜る
冬の寒い時期は、南の暖かいところに行きたくなります。昨年は四国に行きましたので、今年は九州南部にします。自家用車でまわることにします。九州へは、夜行フェリーがあります。これで運んでもらってぐるっと回ってから帰ってくることにします。南九州へは、志布志に行くものと、宮崎に行くものと2種類あります。どちらでもよかったのですが、往復とも宮崎までの便を使うことにします。志布志は何となく不便なような気がしたからです。といっても車だとそんなに変わりはありません。フェリーを予約してわかったのですが、早割というのが使えば新幹線で鹿児島まで行くのとほとんど変わらない料金で車を運んでくれます。当然この中には運転手の料金も含まれています。
次は日程です。星も見たいので新月の前後になります。8日が新月です。土曜日と祝日前日の宿は取りにくいのでできるだけ避けたいです。それと、九州までの経費のことを考えると最低3泊はしたいものです。あわせて考えることにします。6日と10日は泊まらないとして、この間は無理そうです。後ろに回すと月明かりが出てきそうです。前しかないようです。6日出発のフェリーで帰ってくるように設定します。行ってから気がついたのですが、中華圏では、春節にあたります。後にしたら、中華系観光客の多い時期に当たって大変だったかも知れませんでした。
だいたいどのコースをとるのかも問題です。見たいところは色々ありますが、宮崎からだと、第1は日南海岸です。となると佐田岬も行ってみたくなります。反対側の薩摩半島の方も東側の海岸沿いしか見ていません。西海岸にも行ってみたいです。
宿の位置と、何泊するかを決めることにします。これで行程もだいたい決まります。宿は、基本的に公共の宿を利用しています。近くになければ、市や町の観光協会のサイトから探すことになります。
1日目です。フェリーで宮崎に着いた後、日南海岸を南下して行きます。道路地図には飫肥の町並みが名所として書かれています。ここで泊まるか、もうちょっと南下して都井岬に行ってその先で泊まるかのどちらかです。宮崎県内は、プロ野球等のキャンプが張られていて、宿が取りづらいとも書かれています。もう少し進んでおきたいというのもあって、志布志の宿を第一候補とし、日南のものを予備とします。
2日目です。大隅半島を先まで行くとほぼ一日かかりそうです。大隅半島の付け根で探すと、志布志まで戻ってくるか、内之浦で泊まるか、桜島まで行くかのどれかです。桜島は星が期待できそうではないので最下位にします。同じ所に戻ってくると言うのも能がないし戻りすぎになるので志布志は第2位、内之浦を第一候補にします。
3日目です。薩摩半島で探すことになります。指宿にありますが、こちら側は行っているので、別の所にします。となると、半島の西側の吹上砂丘に3つ並んでいる所のどれかになります。大隅半島から薩摩半島までの移動距離を考えると、距離が長いのが心配です。南側のものから優先的にあたることにします。南側ほど星空がきれいそうだというのもあります。
4日目です。このまま宮崎まで帰っても良いのですが、ちょっと距離があります。間にもう1泊入れることにします。宮崎までの間にあるのは、球磨川とえびの高原です。球磨川は北に寄りすぎのようです。えびの高原がいいでしょう。えびの高原については1つ気がかりなことがあります。何年か前に3月の終わりに九州に旅行したときに、別の高原にある宿に着く直前の峠越えで雪に阻まれたことがあることです。このあたりも確認する必要があります。
えびのに泊まった後は宮崎に抜けてフェリーで帰ってくることにします。フェリーは6日に乗るとして、逆算して出発は1日のフェリーになります。宿の予約はどこもすんなりと取れました。えびの高原の雪も今年はないそうです。フェリーの予約も、2等個室寝台でとることができました。普通の2等室では、団体客の話し声が夜遅くまで聞こえてくる事があり睡眠不足になるリスクがあります。
用意するものです。車で行くとなると、前回カーナビの置き場で困りました。適当な大きさのアルミ板を見つけたので。それを使って取り付けられないかとやってみたらうまくいきそうでした。これを使うことにします。
今までに観光地を回ったときに、自転車があればと思ったことが何回かあります。車に積んで持っていくことにします。早速折りたたみの自転車を近くの自転車に買いに行きました。たまたま中古のものが6000円であったので買うことにしました。乗って帰って、車に積もうとしたら折りたたみ方がわかりません。自転車屋まで戻って聞きました。レバーを引っ張るのだそうです。再び、車に積もうとしたら、今度はハンドルがつかえて入りません。下げ方がわからなかったので再び自転車屋に戻り下げてもらい、何とか車に乗るようになりました。まだちょっとハンドルが高いので、積み込みには苦労します。
自宅の望遠鏡が修理に出そうとしてここ半年ほど使えなくなっていました。望遠鏡鏡筒は2本あります。これを1つの架台の上に載せて使っていたので、大きい方が使えなくなると小さい方だけではバランスが取れず小さい方も使えません。そこで、単独で使えるように小さい方の望遠鏡鏡筒に架台をつけることにしました。こうすれば、この望遠鏡を持ち運んでそこで観測することができます。大きい方も車で運んでいたこともあったのですが、最近はもっぱら据え置きで使っています。
望遠鏡鏡筒に架台をつけるとなると問題が一つあります。その鏡筒は、現在生産していないメーカーのものです。望遠鏡店に相談しに行きます。鏡筒を架台につけるバンドは、バンドのクッションをとればつけられそうです。ファインダーもないのでつけたいのですが、ちょっと難しそうです。あうのではないかというものをそろえてみましたが、やはり取り付け台座のねじ径があわず、つけることができません。ねじやねじ穴を削ったりで何とかつくようにはしたのですが、ちょっとぐらついています。どうなるのでしょうか。
このほかは、星見用の大きめの双眼鏡以外は、ふだん持って行くものと同じもので良いでしょう。車だと何でも積み込めるということでちょっと荷物が多めになります。
1月の終わりに最強寒波といわれるものがやってきました。えびの高原の雪が心配です。その後はしばらく暖かかったので、問題はなさそうです。一応確認した所大丈夫だとのことでした。ところが出発直前になって、週間予報を見ると、えびの高原に行く予定日の都城の天気は曇りのち雨で気温は2℃となっています。高原の道路は雪が積もっていたり、凍結していたりする可能性があります。
予報が変わらないかとぎりぎりまで様子を見たのですが、変わりそうもないなのでタイヤを雪用のものに換えようとしました。1本を交換したところで、タイヤの空気が抜けていることがわかりました。これでは使えません。長期間置いていたのでその間に自然に抜けたものと思えますが、パンクしている可能性もあります。空気を入れてからタイヤをつけ直している時間はありません。空気を入れたとして空気漏れがあれば、途中で往生します。これでは普通のタイヤで走るしかないようです。タイヤを元に戻したら、出発時刻が迫っていました。
荷物を積んでフェリーのでる三宮まで高速道路で行きます。途中の阪神高速は渋滞していることが多く、所要時間が読めませんので早めの出発になります。走ってみたところ、順調で40分ほどで三宮につくことができました。フェリーターミナルに向かいます。埠頭の近くまで来たときに、前方を歩いて行くアスリートの軍団を見かけました。元気なので同じ船だと夜遅くまで起きている可能性がおおいにあります。どうなるのでしょうか。そのままフェリー乗り場の方へ直行したら、いきなり乗船待ちの列に並ばされました。フェリーの真横です。横には大きなフェリーが留まっています。
フェリー予約時に乗船料金は支払っていますが、乗船券をもらっていないので乗船券売り場で発行してもらわないといけません。売り場は近くに見当たりません。乗船口が見えますから、そこまで行ってさらに乗船者の来る道をたどって進んでいきます。通路はかなりの長さがあります。500m位進んだような感じがします。待合室にたどり着きました。この時に、例のアスリート軍団とすれ違いました。同じ船に乗るようです。
その付近を探したのですがそこにも売り場はなく、さらに1階まで降りてやっと見つけました。予約票と乗船名簿を渡し、乗船券を手に入れることができました。キャンペーン中とかで、朝食券がついていました。
再び長い道を車まで戻ります。切符売り場の近くに車を停めた場合に比べてかなりの時間を使ってしまいました。船の中でいりそうなものを買いに行こうと思うのですが、乗船が始まりそうな時刻になっています。自転車ならいけそうなので、取り出して乗っていこうとしました。ところが、トラックの乗船が始まっていて危険なので、先ほどの通路を通らないと抜けられないようです。乗船券売り場まで押していく羽目になりました。結局移動に時間がかかり、三宮駅前のスーパーまで行く時間がなくなり、途中のコンビニで済ませました。買うのは、夕食になるものと、夜食になるものです。お茶も買っておきます。
車に戻ったら、出航1時間前になっています。そろそろ乗船が始まります。自転車を積み込み、船内に持ち込む荷物を分けていたら、乗船券のチェックに来ました。すでに、チェックは始まっていたようです。しばらく待っていたら船内に誘導されます。車両甲板のようすです。
船室に移動し荷物を置いたら、船内を一巡した後、デッキに出ます。ハーバーランドの夜景が見えます。
船が岸壁を離れるまで見ていた後、夕食を持ってロビーまで行きます。お茶を入れていたと思ったのですが、見当たりません。お茶はサービスで出されていたのですが、コップはなく、10円で紙コップを買うシステムになっていました。若い人たちがインスタントラーメンを食べるために、給湯器の前に列ができていました。並んでお茶をゲットしてやっと夕食を食べることができました。
食べ終わって、再びデッキに上がると明石海峡大橋が見えていました。
反対側を見たのですが、大阪方面はよく見えないようです。景色はこれで最後のようです。風呂に入ったりで、適当に時間をつぶし寝ることにします。同じ船室の人たちはみんな、眠りにつくのが早いようです。
船は寝ている間走り続けます。目が覚めて、景色を見たのですがはるか前方に陸地らしきものがうっすらと見えるだけです。月が見えますが、水平線近くは雲がたくさんあります。
日の出時刻まで見ていたのですが、雲の中に昇ってきているようです。
朝食時間も決まっています。太陽が見えるまではしばらくかかりどうだし、かなり高くなってからのようなので、先に朝食を済ませます。普通の店の朝定食とあまり変わらない内容で、キャンペーン期間中ということで値段も手頃になっています。しっかり食べたい人ならじゅうぶん価値があるでしょう。
食べ終わってデッキに行ってみると、太陽はかなりの高さに上がっています。雲が多いので、すぐに影に入ってしまいます。
進行前方には宮崎の海岸が見えてきています。霧島山も見えているようです。もうちょっとで到着するようです。
宮崎港に入ってからは、船足が遅くなります。岸壁らしきものはなかなか見えてきません。港内が急に開けてきたときに、岸壁らしきものがやっと見えてきました。長い岸壁のどこにつくのでしょうか。
船の後ろあたりに、フェリーターミナルと書かれ建物が見えてきます。接岸かなとなってから、さらに動きがゆっくりになります。船の横を見るとタグボートが押しているのが見えました。
岸壁側に、報道関係のクルーがいます。誰かの到着を待っているようです。誰が有名人がこの船に乗っているのでしょうか。
下船準備もしないといけないので、いったん離れます。なかなか車両甲板への移動アナウンスがでません。ちょっと報道関係者の様子を見に行ったときには機材を片付けていました。徒歩乗船者はもうすでに下船が終わっていました。
下船ができたのは、9時近くになっていました。車両甲板で待機中にカーナビをつけようとしたのですが、うまくついてくれません。仕方なく、助手席前のダッシュボードに差し込んでおくことにしました。
ちょっと手間取ったので、下船後のコースを確認できませんでした。とにかく有料道路を走って高速道路までのどこかで降りれば良いことだけはわかっています。船を下りた後、何も考えずに真っ直ぐ走っていると、沖合の埠頭の方に道は進んで行きます。どうやら最初から間違えたようです。これからちゃんと走っていけるのでしょうか。
再び、正しい道に戻り有料道路に入ります。道を確認したいのですが、カーナビの画面は、太陽の光で光って何も見えません。とりあえず、日南方面の標識を頼りに進んで行きます。途中、青島方面への分岐がありました。青島へは一度来たことがあるのでパスします。そのままバイパスを進んで行きます。峠を越えたところで広い駐車スペースがあります。堀切峠と思って入ったのですが、それはまだまだ先で、青島パーキングという所でした。それがわかったのはこの後だいぶ走ってからでした。この国道沿いには、「とるぱ」と呼ぶ、近くに駐車場が設けられている撮影スポットがいくつかあるようです。ここはその一つのようです。指示に従って高台に登ってみます。海岸に青島が見えます。
列車の音が聞こえてきます。すぐ下を日南線の列車が走り抜けていきます。
車に戻り次に向かうことにします。その前に、カーナビを安定したところに置き直すことにします。色々やってみたのですが、結局助手席の荷物にもたれかけさせることになりました。
車を走らせてしばらく行くと、道の駅への分岐があります。日南の観光情報を入手したいので、寄っていくことにします。分岐を入りしばらく行くと、堀切峠と書かれた標識がありました。ここで間違いに気がつきます。道の駅はすぐ近くのようなので、道の駅まで急ぎます。
道の駅では、土産物屋さんだけが営業していて、観光情報を得ることはできませんでした。周りにあるものが気になりますので、ちょっとぶらぶらとしてみることにします。最初に目に入ったのが、ブーゲンビリアです。花に元気がありません。与論島に比べだいぶ寒いようです。
バナナか芭蕉かよくわかりませんが、これも枯れています。
ゴクラクチョウカも最近まで咲いていたようですが、これも枯れています。
日南といえば、フェニックスです。これは、元気なようです。葉の落ちた跡の所に、シダとか色々生えています。
海岸を見ると砂泥互層の海岸が広がっています。地層は曲がらず真っ直ぐです。鬼の洗濯岩に相当するものでしょう。
海岸まで降りることができます。降りてみました。地層の様子がよくわかります。
道の駅からさらに南下を続けます。すぐに、旧道からバイパスに戻ります。しばらく走ると、海側に広い駐車スペースがあります。イルカ岬パーキングです。海が見えそうなので寄っていくことにします。
駐車スペースの車止めに使われている石は、奇妙な模様が入っています。カバの皮膚みたいです。岩石にできたクラックから不純物がしみこんで岩石の風化に差が生じそのためにできた模様にも見えます。石灰岩の角礫の入り方は人工的のようにも見えます。
海岸の石もこれに似た岩石のようです。同じような模様が見られます。
遠くで、波が打ちつけているところもあります。このあたりは浅くなっているようです。
さらに南下を続けていきます。長いトンネルを抜けた後、崖に見えた地層が気になります。車を停める場所がないので走らせていると、駐車スペースがありました。鵜戸パーキングです。
だいぶ遠くなっていますが、その崖です。
瀬平崎というようです。山の斜面に沿って厚い地層が見られます。鬼の洗濯岩を作るような地層ではなく硬そうな岩石できています。いるか崎の岩石と同じものなのでしょうか。足元の岩石も同じものがここまで続いてきているようです。
海岸に降りることはできないようなので次に向かいます。次のトンネルを抜けたところで、鵜戸神宮を示す標識が出てきました。フェリーの中で見た情報では、有名な神社である事が書かれていました。寄っていくことにします。
標識通りに進んで行くと、駐車場に着きます。土産物屋さんのあるところからの道を確認すると、鳥居の方から行く道と、迂回路になる道があるようです。鳥居のある方の道が正しい道のようなので、そちらから行くことにします。
鳥居の正面から見ても、神社らしきものはありません。長い階段が続いているだけです。
八丁坂というらしいです。人通りも全くありません。本当にたどり着けるのか気になりますが、気合いを入れて登っていくことにします。
八丁坂の石段は真ん中がへこんでいます。すり減ってこのようになったもののように見えます。後で調べてわかったのは、八丁坂は鵜戸神宮へお参りする本参道で、参拝客のためにすり減ったものだそうです。
坂を登り切ったところにあったのが、歴代別当の墓所です。工事中のようなので寄らずに進みます。何かお寺風なのが気になります。
ここから道は下りの石段になっています。だんだん間違ったところにきているのではないかと不安になってきます。登りと同じくらい降りたところで、神社らしいものが見えてきました。
坂を下りきった正面に、奇妙な形の岩が見えます。しめ縄があります。由緒がありそうです。これは、神犬石(いぬいし)というそうです。犬といわれれば、そうかなぁという形です。猿の横顔にも見えます。
ここから人通りが急に増えます。神犬石の反対側が駐車場になっています。ほとんどの人はこちらから参拝しに来ているようです。
駐車場と反対の方向が本殿と思われますのでそちらの方に進みます。正面に山門のようなものが見えます。右大臣・左大臣がいますので、随神門でしょうか。
門をくぐった横手の広場で、弓道大会のようなものが開かれていました。弓矢は小さく座って矢を射っています。的までの距離も短いようです。横にあった幟には、四半的大会と書かれていました。何のことなのか、読み方すらわかりませんでした。後でわかったのは、「しはんまと」と読み、この地方独特の弓道だそうです。的までの距離が4間半とか、4.5に関係した値の大きさのものを使って行われるのが名前の由来です。
皆さん正確に的の中心を射ていました。
参道に戻ります。2つ目の門があります。
本殿にはなかなかたどり着きません。参道沿いにはウサギの石像がたくさんあります。鵜戸神宮祭神の使いだそうです。
本殿はまだまだ先のようです。
ウサギの石像を見ながら進んで行くと、そり橋が見えてきます。橋は、玉橋または神橋と呼ばれ、釘を使わずに作られているそうです。さらにその先にある洞窟に、本殿らしき建物が見えてきました。
本殿のある洞窟の前は広場のようになっていて海が見えます。岩礁は比較的平らな岩でできているのですが、上には丸い石のようなものがいっぱい乗っています。
岩礁の隙間にある岩です。亀岩と書かれているもののようです。右側に突き出た部分が亀の頭かなというような感じです。一番高くなったところに四角い穴があって、しめ縄のようなもので囲まれています。この中にかわらけのようなものを投げ入れることができたら願い事が叶うそうです。かなり難しそうです。
鵜戸神宮の本殿は、洞窟の中にきっちり収まっていて、正面は洞窟に降りる階段でふさがれているので、正面は参拝するスペースしかありません。拝殿を横から撮ったものです。
拝殿の飾りです。象のようなものが掘られています。
本殿の裏には、鵜戸神宮の祭神である日子波瀲武??草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)の産湯の跡があります。
その横には、お乳岩があってそこからお乳水がしたたっていると書かれています。天井の岩のことか奥の壁の岩のことなのかよくわかりませんでした。伝承では、豊玉姫命が関係しているようです。壱岐で暮らしていたような気がします。
天井の岩から鍾乳管のようなものがぶら下がっています。地層中にわずかに含まれる石灰分からもできるようです。あまり長いものはできていません。
道はここで行き止まりなので引き返すことになります。山門の横にも門があって。そこから山の方に入る道があります。入っていくことにします。何かありそうです。
鵜戸神宮山門横の小さな門をくぐったところにある狛犬です。1828年に土砂崩れにより海中に埋没していたものを引き上げ修復したもの(説明文のまま)だそうです。古そうな感じがします。
古狛犬の奥にある稲荷神社です。ここにあるのは何か唐突な感じがします。
その横にある恵比須神社です。
さらに奥に波切神社があります。といっても、鵜戸神宮本殿のある岩山の上をまわって裏側の海岸に降りたところになります。こちらも洞窟の中にあります。不動明王がとなりに祀られています。正面には卍のマークがつけられています。
洞窟の入口から見た海岸です。ここは入り江のようになっています。硬そうな岩石の下に柔かそうな岩石があり、下の岩石だけが削られて洞窟ができたようです。
鵜戸神宮から来た道を途中まで戻り、山の方に登っていきます。こちらにヘゴの自生地があると書かれています。道は苔むしています。
その先にあるのが吾平山上陵です。ひこなぎさたけうがやふきあえずのみことの墓とされています。宮内庁の管轄で立ち入り禁止になっています。
ここから奥にヘゴ自生地の北限があるようです。その標識です。
道なりと書いてあるので進んで行ったのですが、途中で道らしきものはなくなっています。道の迷った人も多そうで、小さな枝道のようなものがいっぱいできています。木の枝を折って目印をつけながら進んだにもかかわらず帰り道もわからなくなりました。適当に戻っていると、立ち入り禁止の陵墓の中に出てしまいました。
柵をまわって元の道に復帰し、鵜戸神宮まで戻りました。途中、登ってくる人に御陵までの距離を聞かれましたが、たいしたものはないと答えておきました。ちょっと時間をロスした気分です。
神犬岩の所まで戻ったころで、ここからの車までの帰り道は、歩いてきた八丁坂の方ではなく、海岸沿いに戻ることにします。こちら側にも何かありそうです。
鵜戸神宮山門の向かい側の山の崖には磨崖仏が彫られています。鵜戸神宮に面した側には不動明王があります。突き出した岩に彫られているようです。
山の反対側にあるのが、閻魔大王と四天王です。それぞれ別の岩に彫られています。3つ並んだ岩の左側が閻魔大王、右側が四天王です。
海岸沿いの道に戻ります。神宮山門前に直接通じる道です。峠のような所からは灯台が見えます。鵜戸崎灯台です。灯籠のような形をしています。
坂を下っていくと、海食台が広がっているのが見えます。鬼の洗濯岩のような模様が見えます。鵜戸千畳敷奇岩として県の天然記念物に指定されています。
海岸に下りられるところがあったので降りてみました。地層が真っ直ぐに延びています。
地層の正面というか横からというか、そこからみえる地層の断面です。砂岩泥岩が規則正しくくり返したまっているように見えます。つきだした砂岩層の上面はシャープで、下面はぼやけている感じがします。逆さまになっているとこのようになります。
漁港まで戻ったら階段があります。車を停めたのはこの上のようです。登っていきます。鳥居が見えますので、八丁坂はここから始まっているようです。
階段沿いの木にジョウビタキが留まっています。頭が灰白色なのでオスです。
階段を上ると車を停めた駐車場に着きました。鵜戸神宮でだいぶ時間を使ってしまいました。次に行くことにしますが、神宮前の駐車場に入るところが気になります。国道まで戻ったところには確かに鵜戸神宮の標識があります。ここから国道に戻って坂を下ったところには鵜戸神宮の標柱が立っています。こちらを曲がったら境内に近い駐車場に行けたようです。
鵜戸神宮から、日南市の方に向けて車を走らせていると、飫肥の方に向かう分岐があります。そちらに入って進みます。どこをどう走っているのかよくわからず適当に走らせた割には飫肥に到着しました。観光駐車場に車を止めます。
正面の建物に観光案内と書かれていたので、観光情報を聞きに入りました。観光ガイドの待合所だったようです。パンフはもらえましたが、7施設共通入館券はとなりの建物で販売されていました。500円アップで、食べ歩き券付のものがありましたが、店に入っている時間がないと思い普通のにしました。持ち歩いて食べられるものももらえたのでこちらの方がよかったのかも知れません。
これから町中をまわることにします。駐車場の入口は飫肥城大手門から延びる通りです。正面に大手門が見えます。
反対側です。通りは真っ直ぐ伸びています。真っ直ぐな道は城下町では少ないような気がします。
大手門の手前にあるのが豫章館です。明治2年に飫肥藩主が移り住んだ場所です。薬医門です。
主屋です。飫肥城本丸奥御殿の書院を移築したものだそうです。春のせいなのか入口に雛飾が飾られています。
庭園です。ここでの見学ポイントの1つです。
気づきにくい離れたところに御数寄屋があります。
御数寄屋から見られる川向こうは、飫肥城攻防の古戦場の跡だそうです。ここで1485年にあった戦いでは、攻めてきた島津氏に破れたそうです。
豫章館から飫肥城に向かいます。大手門の前には堀の跡が見られます。
内側から見た大手門です。内側の通路は鍵型に曲がっています(枡形)。攻めてきた軍勢を、正面の石垣でひるませたところを上から狙い撃ちする作戦なのでしょうか。枡形は門の外側が普通なような気がします。
城内には、大きな杉の木がたくさんあります。飫肥杉というのだそうです。
歴史資料館裏手の曲がり角の四隅にある杉はしあわせ杉といって、対角線の中心に立つとしあわせになれるのだそうです。
松尾の丸に上る階段です。
松尾の丸には、書院造りの建物が作られていて、武家の生活が体験できるようになっています。建物の玄関です。
庭園側にも玄関があります。
庭には梅の花が咲いています。このところ春のような陽気が続いているせいでしょうか。
飫肥城大手門から旧本丸に向かう道と松尾の丸への道の分岐付近にピンク色の花が咲いています。梅だと思っていたのですが、よく見ると桜でした。日南寒咲一号という品種だそうです。
旧本丸跡です。高台のようなところで平らになっていて、杉の木がたくさんあります。
旧本丸跡から歴史資料館の前を通って大手門に戻ります。歴史資料館には甲冑や刀など飫肥藩ゆかりの資料が展示されています。
ここからは、一つ一つの見学場所が離れていそうです。徒歩ではなく自転車でまわることにします。
まずは、武家屋敷通りの方に行きます。大手門から東側にあります。お城に隣接するようにあるのが小村寿太郎の生家です。
入っていいのかどうかわからなかったので、ここから見るだけにしました。
その前を東西につらぬく武家屋敷通りです。立派な塀のある屋敷が続きます。
立派な屋敷門のある家がほとんどです。伊東民部邸で映画のロケにも使われたそうです。
伊東伝左右衛門家です。玄関上の家紋が立派です。
武家屋敷通りの1本北側の通りに面して、藩校であった振徳堂があります。通りからのようすです。
中の建物です。当時の状態を復元するために講義室には文台などもおかれています。
このまま真っ直ぐ進むと大手門に戻ります。次は、大手門前の通りを行くことにします。
飫肥城大手門通りを南下する途中にあるのが、旧山本猪平家です。明治末期の商家の本宅で、建築当時のまま残されているそうです。
奥に通じる通路です。床面にきれいなタイルが敷かれています。通路にあるのは始めて見ました。
室内には雛飾とか人形とかが飾られていました。
窓ガラスです。最近はこのような模様の入ったガラスは見かけなくなりました。
山本猪平家のとなりに小村寿太郎生誕地の碑があります。猪平邸も小村寿太郎と関係があるようです。
南に進んででた広い通りが、本町商人通りです。国道でもあります。
ここを西に進んであるのが商家資料館です。明治初期の妹尾金物店を移築したそうです。
建物の作りの他、様々な道具類などの展示もあります。
こちらは欄間です。汽車が彫られています。時代がよく分かります。
次は、商人通りを東に進むことにします。
本町商人通りを東に進んだところにあるのが、旧高橋源次郎家です。元士族だった人の家です。明治中期の建物だそうです。通りから塀を見ています。
門を入った玄関前になります。
室内のふすまや戸板に見事な絵が描かれています。重要文化財に指定されているものもあります。
こちらは、中庭になります。
高橋家からさらに東に進んでいきます。スーパーマーケットがあったので、ちょっと小腹に入れるものをということで、入って飫肥天ととむら焼きというのを買って食べました。
ここからさらに進んで、道路の向かいに古そうな建物が見えます。地図によると服部植物研究所のようです。
ここの路地を入っていくと、勝目氏邸にでます。庭が、武家屋敷庭園を代表する枯山水式の庭園になっているそうです。その庭です。
庭を見ていると後ろから誰かに見られているような気がします。振り返ってみると室内に猫がいてこちらをじっと見ていました。こちらがその主屋になります。室内が写らないように横から撮っています。
飫肥の町には、屋敷に沿って水路が張り巡らされ様々な用途に使われていたようです。水路のある後町通りです。
錦鯉も放流されています。エサをもらえると思っているのか一斉にこちらに向かって泳いできます。
これで、飫肥の町をだいたい一周したようです。施設入場券にスタンプが7つあったので、全部行ったと思っていました。帰ってからよく考えてみると、一つは券を買ったときに押してもらったものです。1つ行き忘れています。それは小村記念館でした。
予定よりかなり遅くなっています。次に行くことにします。飫肥の観光案内所で、堀川運河も良いところだといわれています。途中にあったので寄って見ました。
堀川運河です。油津港に近いところから上流側を見ています。
石積の護岸が、明治後期から昭和初期にかけて作られたものの、コンクリートに覆われるようになったようです。覆いを取り除いて現在のような形になったそうです。
資料館があります。到着がわずかに遅く閉館した直後でした。
その川側から見た運河です。架かっている堀川橋は、石積のめがね橋のようですが、工事中で見ることはできませんでした。
川から町の方に入っていきます。油津赤れんが館というのがあります。大正期の倉庫だったそうです。
道路を隔てて反対側にもレンガ建ての建物があります。写真を撮っている人は、こちら側を見ずに行きすぎていきました。
このあたりには、他にも古そうな建物がたくさんありそうです。
見向きもされていなかったレンガ建ての建物のとなりに銅板で覆われた建物があります。杉村金物店と書かれています。昭和初期の建物です。レンガ建ての建物は店の倉庫で大正期のものだそうです。
同じ通り沿いにある建物です。満尾書店で、これも昭和初期の建物だそうです。
ここから再び路地に入ります。北側にあるのが旧河野宗泰家です。江戸時代に作られた主屋に、大正期に二階建て建物を増築したそうです。
渡邊家住宅です。現在は酒造をしていて、テレビ番組でも酒蔵としてロケに使われたそうです。
この先の十字路に出てマグロ通りに入ればすぐに油津港です。車の場所に帰ってきました。
だいぶ時間も遅くなっています。次に進みます。問題は、都井岬に寄れるかどうかです。馬は見たいのですが時間的にはぎりぎりです。とりあえず、近道をとるのではなく、岬の方に車を進めることにします。
岬の入口を通過したのは5時をまわっていした。ゲートの管理人さんがもうすぐゲートを閉めるといいます。無理かな思ったのですが、通るときには開け閉めして欲しいということでした。遅かったので環境協力金もいらないといいます。中に入って斜面の上に馬がいるのが見えました。見たいのは馬なので、近くに車を停めて見に行きました。ここの馬も小さめです。
西の方を見ると、日は沈んだ後のようです。
ここから宿の方に電話を入れようとしたのですが、電波が届きません。見たいものは見たので、宿に向かうことにします。ゲートを通過した先でやっと電波が届いたので、宿に連絡を取ることができました。
宿の方に向けて車を走らせます。串間の駅前に広島の路面電車がおかれていました。観光案内所と書かれています。こういう使い方もあるのですね。信号待ちの間に急いでとったので手ぶれをしています。
ここから宿まで10km弱、宿に到着したときは薄暗くなっていました。
宿は、串間市から志布志市に入ってすぐのダグリ岬です。宿の駐車場には車がいっぱい駐まっています。宿泊客が多いのかと思ったら、ほとんどが日帰り入浴客のようです。
星が見られそうな場所を確認しましたが、あまり良い場所は見当たりません。できるだけ街灯のないところで撮ることにします。
夕食を済ませて、外に出て街灯から一番遠いところで、望遠鏡をセットします。北極星がわかりにくいです。極軸望遠鏡に導入しようとしたのですがなかなか入ってくれません。あきらめてだいたいの向きだけ合わせることにしました。
馬頭星雲を狙ってみました。奇妙なものが写っています。NGC2022です。
それより星が流れているのが気になります。
の方に向きを変えてみました。やはり星が流れます。
南の空なので、星が流れるのは向きが合っていないせいです。調整し直しました。今度は流れずに写りました。
細い筋も写っています。静止衛星のようです。露出を延ばすしてみました。赤く被ります。街灯の光をもらっています。
馬頭星雲も撮り直してみました。ぼんやりと写っています。これ以上露出を延ばすと被るのでこれが限界のようです。
すばるも狙ってみました。星が流れるように写っています。
極軸の傾きが間違っているからです。望遠鏡の目盛りで北緯30度にあわせると流れは少なくなりました。極軸望遠鏡に北極星がなかなか入らなかったのは、この角度の違いのせいだったようです。
カニ星雲も狙ってみました。入っていないと思ったのですが、ぎりぎり入っていました。右上隅です。
望遠鏡のセッティングなどに時間がかかったために、だいぶ遅くなっています。今日の観測は終わりにして、風呂に入って寝ることにします。
「ダグリ岬」というのは奇妙な名前です。その由来は、志布志藩が藩内に出入りする荷駄をチェックするために、荷物を積み替えさせたことによるものだそうです。荷物を別の馬に積み替える事を「駄繰る」と呼ぶことが語源です。
ダグリ岬は先端に展望台があり、そこまで行く遊歩道があります。早朝の散歩がてらいってみることにします。
月が見えます。新月まであと4−5日というところでしょうか。
木々の間から見える都井岬方面の海岸には、海面から霧があがっているのが見えます。
岬の植物は、マテバシイが多いようです。林の中からは写真をとることはできないので、展望台からとっています。
もう一つ目立つのがヤブツバキです。花もちらほらと見えます。
林を抜けると展望台に着きます。
展望台下の岩礁です。岩場がたくさんあります。
大きめの岩場の一つに、漁船のようなものが近づいて行き、そこから人が何人か降りていきます。釣りをする人は、こんな早くから動いているのですね。
展望台から岬の先端までまだ少しあります。岬の先端部です。馬の背状になっていて通り抜けるのは大変そうです。
東の空です。日の出にはまだしばらくありそうです。
太陽が出てくるまで待っていると、朝食時刻に間に合いそうもありません。宿の近くまで戻って見ることにします。宿の敷地内から見える志布志の町です。太陽は昇っているかどうかはぎりぎりのところのようです。
ダグリ岬の一番高いところは飯森山といい、ここに宿があります。また80mの前方後円墳が見つかっています。
太陽が顔を出す前に朝食時間になりましたので、先に食事に行くことにします。
食事を済ませて部屋に戻ろうとしたら、展望室入り口と書かれているところがありました。覗いて見ました。西側に建物の屋根がある以外は、周囲の景色がよく見えます。中には朝日が差し込んでいました。
北側は、岬への入口にあたり、遊園地があります。
その東側は、砂浜が広がり海水浴場になっているようです。
西側です。日南線の大隅夏井駅があります。漁港のようなものが見えます。
ちょっと休憩を取ってから出発することにします。今日の目的地は佐多岬で、宿は内之浦町にとっています。
宿でもらったパンフレットに志布志町あるきマップがあります。それによると、市街地の北東部に城跡がありその周りに武家屋敷とかがたくさん残されているようです。よっていくことにします。
志布志小学校横の公民館前に観光駐車場があります。ここに車を駐めます。だいぶ歩きそうなので自転車でまわろうかなとも思ったのですが、歩いて行くことにしました。
志布志城はいくつかの山城の集まりで、それぞれの山城に名前があります。駐車場から北側にあるのが内城です。
駐車場の近くに、平山氏庭園があります。元々は寺院の庭園だったようです。入っていいのかわからなかったので、入口から見るだけにしておきます。
ここから北に進んでいくと、内城入口につきます。中に入ってちょっと進んだところです。
両側が真っ直ぐ切り立った崖になっています。シラス台地を削って道が作られているような感じです。中は迷路のようになっていそうなのでこれ以上入っていません。
途中に見えた、松尾城跡です。谷の向こう側にあります。
内城と松尾城の間を北に進んでいくと、遊水池があり、その横に山頭火の句碑があります。
その先の道の分岐点にある天水氏庭園の入口です。ここでも外から見える範囲での観察です。門は立派です。武家屋敷の門だったのでしょうか。
その前に、蔵王田の涌水があります。道路の真下にあるので、道路からはわき出た水しか見ることはできません。フェンスに扉があるので開けて入っていきます。道路の下からわき出しているような感じです。
この先は何軒か武家屋敷や屋敷門があります。ざっと見てから駐車場の近くまで戻ります。
駐車場から西に進んでいくと、松尾城の南側を通る道になります。道を挟んで、松尾城跡の反対側の山は高城跡になります。この方向も、武家屋敷のたくさん残されている地域になります。
少し進むと道路の北側に、涌水のでているところがあります。パンフには湧水群と書かれている場所です。
さらに進むと、松尾城跡に入る道があります。この道も切り立った崖の間をすり抜けるような道が続きます。途中までで引き返してきました。
道の両脇には、立派な門と生垣や石垣のある屋敷が続いています。
御前の水です。岩の間から水がわき出ているようです。
パンフにはこの先に現瑞観音像があると書かれていますが、見つけることはできませんでした。御前の水がわき出している岩の上に、地蔵さんの様なものがありましたがこれのことだったのでしょうか。離れたところにあるように書かれています。
涌水のある場所は、たいがいこのような像があります。どのような意味があるのでしょうか。なかったのは蔵王田の涌水だけです。
パンフにはこの先には何も書かれていません。再び駐車場に戻ります。
駐車場のあるあたりにも武家屋敷が残されています。高城跡のある山の斜面にある屋敷の門です。このような門と石垣のある屋敷はたくさんあります。
駐車場から、東に進み内城跡の東側に行ってみることにします。小学校の前を通ることになります。小学校前にあった嫁女石です。標石のようにも見えます。この石で良いのでしょうか。他に石は見当たりません。パンフには婦女石があると書かれています。これとは別物なのでしょうか。
何かわからないまま、進んで行くことにします。
志布志小学校の横にあったのが若宮神社です。神社というよりお寺のような建物です。拝殿・本殿という並びになっているので神社なのでしょう。
参道脇には、右大臣・左大臣のような石像があります。代わりに狛犬は見当たりません。左大臣です。
ここから山の方に入っていくと、福山氏庭園があります。説明板の近くにはいくつかそれらしき屋敷があります。方角とか形から考えてこの門のある建物のようです。
事前予約があれば見られるようです。それほど計画的ではありません。門だけでがまんします。門の左側に石巌當があります。沖縄でよく見られますが、本州では始めて見ました。
川沿いの道路に戻り北に進みます。小渕橋の向かい付近に清水氏庭園があると書かれていますが、どこかわかりません。ありそうな屋敷はたくさんありますので、表示がないだけでしょうか。かなり先まで歩いて行きました。
小渕橋まで戻り橋を渡って対岸を戻っていくことにします。橋を渡ったところあたりが志布志の名前の由来になったところです。天皇に布を献上したらしいのですが、肝心の場所がよくわかりません。
川沿いに下っていきます。宝満寺跡がありますが、宝満寺というお寺もあります。そのお堂です。
このお寺の南側に広く空いた場所がありここに、宝満寺があったようです。
奈良時代に作られた由緒のあるお寺のようですが。明治時代の廃仏毀釈によって建物は取り壊されたそうです。
駐車場のような広場の山側には庭園が残されています。池や橋などを見ることができます。
同様に残されている、隅田原兄弟仁王像の一体です。
仁王像の前の宝満橋を渡ると小学校の前に出ます。橋を渡り駐車場に戻ることにします。志布志でだいぶ時間を使ってしまいました。
志布志市の中心部にもいくつか見所はあるようですが、今日の目的地佐多岬に向かうことにします。コースとしては、大隅半島の西海岸に沿って進むのが良さそうです。まずは大隅半島を横断しないといけません。結構距離があります。鹿屋市あたりで休憩を入れようとしました。物産館があるみたいなので入っていこうとしたら、正面に自衛隊航空基地の守衛門がありましたのでやめました。結局休めるところがなく、大隅半島を横断してしまいました。
海が見えてくると、錦江湾対岸の山が見えてきます。開聞岳が見えてきましたが、車を駐められる場所がなく何とか撮った1枚です。
後方には桜島も見えてきました。蒸気がたくさん上がっています。
10分ほど走ると、道の駅がありました。車を駐めてゆっくりと山や海を見ることにします。
走ってきた方向です。山の頂が平らです。シラス台地のようです。
海岸です。砂浜が続いています。
砂浜に段差があって、断面が見えています。黒っぽい色をした砂が多いようです。砂鉄ではなく、有色鉱物のようです。縞模様になっています。
ここからさらに南に20分ほど走ると別の道の駅に出ます。ここからだと開聞岳は半島の先端近くになっています。山の左に見えるのは長崎鼻です。
ここの海岸の砂です。貝殻が密集しているところがあります。軽石も混ざっています。
佐多岬までもう一息です。
道の駅からさらに南下を続けます。40分ほど走るとふれあいパーク佐田に着きます。烏賊浦という場所です。駐車場・トイレ・展望台があるだけですが、ちらっとのぞいていきます。展望台から南側には島が見えます。噴煙を上げています。薩摩硫黄島です。
開聞岳方面です。左側に枕崎が見えてきています。
花壇のサツキツツジも咲いていました。
ここを過ぎると、山道になっていきます。所々でガジュマルが気根を垂らして、道路に被さっています。アコウと思っていましたが、それよりも根が細いようです
途中、桜の花が咲いているところもありました。日南何とかという品種でしょうか。
ふれあいパークから30分で佐多岬の駐車場に到着です。ここにも大きなガジュマルの木があります。
電話ボックスがあります。本土最南端の電話ボックスになります。灯台の形をしています。
駐車場の横にトンネルがあってここを進んで行くと佐多岬に行けるようです。
まだまだ距離があるので、自転車を出そうとしたのですが、歩行者専用となっていました。歩いて行くしかありません。トンネルの先は長そうです。
最南端の地までここから800mだそうです。あるいていると、途中に神社があります。御崎神社です。
さらに進んで行くと木々の間から薩摩硫黄島と並んで島が見えてきます。竹島になります。
こちらは種子島です。かなりうっすらとしています。さらに左側へと続いています。
開聞岳が見られる場所は1ヵ所だけだそうです。そこからの開聞岳です。
岬の手前にレストハウスがあったのですが、老朽化ののために解体して新しいものを作り直しています。解体工事は終わったようです。地ならしをしています。遊歩道も新しいものを作っているようです。
遊歩道沿いにあったソテツです。幹が曲がりくねっていて、かなり古そうです。
灯台も間近に見えてきました。といっても向こうの島の上にあります。
この少し上に、恵比寿大明神と書かれた祠があり縁結びの神とも書かれています。祠よりおみくじの箱の方が目立ちます。
この坂を登り切れば佐田岬展望台です。
展望台のあるところも広場になっています。まだ整備中のようです。周りは仮の柵のようです。北側の山の方向です。
ここからも今まで見えていた島や山がよく見えます。はっきりわからなかった屋久島です。灯台のある島のすぐ右側にありました。
海岸です。それほど波は高くないようです。といってもこちらは内湾側になります。
アーチのような形をした奇妙な岩があります。横からなので本当にアーチになっているのかは不明です。
展望台の周囲にある灌木にはメジロがやってきていました。
一通り景色を堪能したら、駐車場に戻ることにします。帰り道は、御崎神社の前ではなく、下に降りる道を通ることにします。
横に御崎神社の鳥居があります。社殿まで道が続いていいますが、ガジュマルの気根や倒れたソテツやらで通るのは困難そうです。
駐車場に戻り、次に向かうことにします。どこに行くにしても、佐田岬ロードパークというのを戻らないといけないようです。手持ちの地図には有料1000円となっていたのですが、料金所はありませんでした。
途中でイノシシに出くわしました。このちょっと先でも猿もでていたのですが、こちらは対向車に蹴散らされてしまいました。
佐多岬から伊座敷に戻ってからのルートをどうとるかが問題です。宿は大隅半島の東側にあります。このまま、東側に抜ける道と、来た道を引き返し途中から国道を通って東海岸に抜ける道、半島の真ん中を突っ切る道です。東海岸の道は狭く曲がりくねっていて大変そうです。真ん中のルート沿いは何もなさそうです。来た道を帰るのは、普通ならやりたくないところです。ただ、来るときに、砲台跡と書かれていたところは、行きすぎた上に後続車がいたのでそのまま通り過ぎています。他にも滝があるとか書かれているところもありました。佐多岬優先で通り過ごしています。見落としたところを、見直しながら戻っていくことにします。
台場公園は、2つ目の道の駅の南約2kmの所にあります。薩英戦争の時に、錦江湾に入る英国軍艦に対応するために作られた砲台場を、整備して公園にしています。砲台場はいくつか作られたようですが原形をとどめているのはここだけだそうです。
駐車場は公園の南端にあります。ここから歩いて砲台場を目指します。
途中に島津斉彬ゆかりの手水鉢というのがあります。視察に来たときにこれを使ったのだそうです。あらかじめ用意してたのでしょうか。
公園内にアシタバが自生しています。伊豆諸島の植物だと思っていました。
海岸です。対岸の薩摩半島までよく見えます。通る船を狙い撃ちにするには良い場所のようです。それより、こちらの岸に落ちている大量の岩が気になります。防壁にしたものが崩れたのか、たまたまこの付近に、岩が打ち上げられていたものなのか気になります。
砲台場跡には、大砲が復元されておかれています。こんな感じで沖を通る船を狙っていたのでしょうか。
大砲は2門あります。防御用に石垣で囲われています。
台場公園を後にして北上を続けます。雄川にかかる橋のあたりから南側に切り立った崖に登っていく道が見えます。登るのは車でも大変そうです。
二つ目の道の駅を過ぎたあたりから見える桜島からは、白い噴煙がいっぱい上がっているのが見えていました。すぐに写真を撮ろうと思ったのですが、次に車を駐めやすくなった、一つ目の道の駅近くでは噴煙は収まっていました。
この近くに神川の大滝というのがあるようです。まだ時間がありますので寄っていくことにします。
神川大滝公園は、道の駅の近くから県道を上り、山に登り始める手前から川沿いに進む道をいった突き当たりにあります。工事をしていて、一部は通れなくなっていました。
進んできた道の両側はものすごく切り立っています。火砕流台地を削ってできた谷のようです。
車を駐めた正面に、岩の割れ目から水の湧き出しているところがあります。
岩には不規則な柱状節理が発達しています。岩石は溶結凝灰岩のようです。
奥に滝が見えます。これは小滝というそうです。たしかに大滝というには貧弱です。
小滝は、裏側に回る道がついていて、裏側からも見られるようになっています。写真に撮って見ると噴水のようです。
大滝はさらに奥にありました。小滝と同じ高さの所から落ちているようです。溶結凝灰岩の上面にあたる場所のようです。
頭の上には吊り橋が見えます。ここから滝を見るようになっているみたいです。下流側から撮ったものです。
この吊り橋に行けそうな道は、小滝の横にあったらせん階段だけです。小滝を上からも見てみたいので、階段を登っていくことにします。
階段をあがったところから見た、小滝の滝口です。急に落ち込んでいます。
滝の上の河床です。思ったより平らです。溶結凝灰岩層の上面は平らになっていることがよくあります。その表面でしょう。
ちょっと歩くと、吊り橋に出ます。吊り橋を渡ったところからとっています。
吊り橋の上から見た、大滝です。川幅の割に、滝壺が広くなっています。滝横の岩の割れ目からも水が湧き出し落ちている様子がわかります。
滝口です。何となく岩が六角形をしているように見えます。柱状節理を上から見た割れ目のようです。
吊り橋から、奥に進んでいてっても元の駐車場に戻れるようです。このまま進んで行きます。
遊歩道沿いにあったナギの木です。これでも裸子植物です。
真っ直ぐ進んで行くと階段があります。こちらは建物の非常階段のような形です。眼下には川にかかる小さな吊り橋が見えます。公園の広場に渡るためにかけられています。2本ある内の下流側の1本です。
下まで降りきったら、もう一本上流側にある吊り橋を渡ると、すぐに車を駐めたところにつきます。ここの案内には、吊り橋から見る大滝は圧巻と書かれています。初めは、この吊り橋から滝を探していました。ここからだと小滝しか見えません。ちょっと紛らわしいです。
神川大滝で思ったより時間がかかってしまいました。そろそろ宿に向かわないといけません。ここからの道は、国道まで戻るか、県道を逆に進み山の中で国道に合流するか、県道から山の中を北上し途中から直接内之浦町に行く道に入るかのどれかです。
1番目の戻るのは遠回りになりそうです。3番目の道は、たくさんの道が入り組んでいて間違えそうです。2番目の道で行くことにします。
県道に入ってすぐに山の上に上がります。思ったより平らです。道沿いに大きな家の屋根のような形で大根が干されています。大根やぐらというそうです。
桜島も見えますので、しばらくは見えないと思われますから、車を駐めて見てみたいです。公園があったのでそこによりました。宿利原農村公園というそうです。たくさんの大根やぐらが見えますが、大根がかかっているものは少ないようです。かかっていても片側だけの物がたくさんあります。時期的には終わりなのでしょうか。畑にだいこんが植わっているようすはありません。
ここから見た桜島です。半分山の陰になっています。噴煙も少ないようです。
横には開聞岳も見えます。どちらもしばらくは見納めです。
農村公園を後にして車を走らせます。途中で曲がる方向を間違え2番目の道に入ってしまいました。正しい道を走らせられるか不安です。
走らせていると所々に内之浦と書かれている標識がでてきました。それに従って進みます。地図に書かれているほど道は入り組んでいませんでした。遅くなってきていますので、肝付町国見というところで、信号にかかったので待っている間に電話を入れます。つながったところで信号が変わってしまいました。交差点を抜けたところで車を駐め話を続けます。このまま真っ直ぐ進んで行けば良いようです。
長いトンネルができていて、その先が内之浦です。途中国見展望所というのがありましたので何があるのかと思いよってみました。見えたの川だけでした。よく考えてみると後ろ側に国見岳という山があります。それを見るためのものだったのでしょうか。斜面しか見えなかったように思います。
山を降りきったところが内之浦です。すぐに宿に到着です。ロケットの町だけあって宿の前にロケットの模型が飾られています。本物なのでしょか。ちょっとぼこぼこしています。
宿は温泉施設と併設になっています。背景左側が宿泊施設で、右側が温泉施設です。
到着後最初に、星見の場所を確認します。ちょっと街灯が多いようです。近くに街灯のないところでは、電線が被ってきます。適した場所は近くにないかも知れません。
まずは、食事を済ませます。ご飯は炊き込みご飯だったのですが、お代わりをすると白ご飯になるといいます。おかずが多いときはそれの方がいいので、そちらをお願いしたのですがどういうわけか、巻き寿司になりました。今日は節分の丸かぶりの日だからだそうです。初めからこれでもよかったような気がします。宿泊客は少ないようですが、食券を持った人が入れ替わりやってきます。温泉施設とセットになっているのでしょうか。
食後、だいぶ暗くなってきたので、星を見に行くことにします。宿の前は予想通り街灯が邪魔をしています。明かり電線のないところでは、北極星が見えません。星もたくさんは見えません。ここでの観測はあきらめ別の場所を探します。
宿の建物の横から海岸に出られます。ここからだと、星はきれいに見えます。足場は砂地で不安定なのとここまで暗い道を進んでこないといけないのでここまで望遠鏡をかついてきて見るのはたいへんです。しばらくここで星を見ていたのですが、他を探すことにしました。
町中を歩いたのですが、広場のような所は見当たりません。町中心部と反対にある川に沿って左岸を河口まで行くと良いところを見つけました。車も入ってくることができます。この時にはかなり遅くなっていたので、セットしたりとかの時間を考えると車を運んできてもあまり見る時間はないようです。しばらくここで星を眺めることにします。東の空からしし座があがってきています。真上には、ふたご座を通る天の川も見えます。早くに見つけていればよかったようです。
適当な時間になったので宿に戻り、温泉につかってから、寝ることにしました。
内之浦の散歩に出かけることにします。まずは海岸に出てみます。深い入り江に砂浜が広がっています。
空には月が出ています。昨日よりは細くなっています。
沖合には、船がたくさんでています。漁師さんが釣りをしているようです。
太陽の出てきそうな方角を見ると、日の出は山の斜面にかかりそうです。
少し北に移動すれば、海面から昇る朝日が見られそうです。車で移動することにします。湾の北斜面を登る道の途中に広くなっているところがあるのでそこに車を駐め日の出を待ちます。
日の出時刻です。太陽は昇ってきているようなのですが、何か変です。望遠鏡でも撮影してみることにします。
海面と平行に二本の筋が見えます。ぎざぎざがあってワニの口のようにも見えます。これが太陽なのでしょうか。
しばらく見ていると、海面上にたなびくのもやの上に太陽が顔を出しました。
これを見てわかったのは、蜃気楼の浮島現象によって太陽像が引きちぎられ、二重になっていたようです。上部が見えなかったのはもやに隠されていたからでしょう。太陽が海面近くに写る下位蜃気楼も起こっているようです。
食事時間が迫っていますので、いったん宿に戻ることにします。宿では太陽はまだ山の向こうで、顔を出していないようです。
食事を済ませます。聞こえてくる会話から想像すると、宿の宿泊者の大半はJAXA関係者が多いようです。みんな早くに出発していきました。宿泊代を支払います。ここの公共の宿のグループは、2ヵ所で宿泊すると次回10%引きの割引券がもらえるキャンペーンを行っています。壱岐とダグリ岬で2泊したので割引券をもらっています。どこで使おうか迷ったのですがここで使うことにしました。お土産も買って出発します。
今日の行き先です。まずはこの町にJAXAの宇宙空間観測所があります。朝の8時半から見学できるようなので、よらないわけにはいきません。町中からもそれらしき施設が山の上に見えています。
観測所に行くために国道を南下します。町中の国道沿いの橋には、ロケットに関係した飾りがつけられています。何がつけられているかは橋によって違っています。
坂を登り切ったところに観測所があります。まず、守衛室で入構許可をもらいます。
いちおう、見学コースと見学上の注意事項の説明があります。聞いた上で許可証がもらえます。もらった許可証です。車の見えるところにつけておきます。
まず、衛星ヶ丘展望台に行きます。ここでは、構内全体を見渡すことができます。20mパラボラアンテナの設置されているところです。
遠くに種子島が見えます。こちらにもロケット発射場があります。
すぐ下に見えるコントロールセンターです。
ロケット発射台も見えます。工事をしているようです。
向こうの山の上にも施設らしきものが見えます。敷地はかなり広いようです。
衛星ヶ丘展望台は観測所の一番奥にあります。他の施設を見るために、来た道を引き返すことにします。
衛星ヶ丘展望台から少し下ったところにあるのが、衛星追跡センターとコントロールセンターです。道路を挟んで向かい合ってあります。
衛星追跡センターにある34mパラボラアンテナです。他にも変わった形のアンテナのような物があります。
コントロールセンターは建物の外観が見えるだけです。窓もほとんどありません、
さらに下っていきます。管理棟があります。アンテナのようなものが多いかなという以外は普通の建物と変わりません。
この前の交差点脇に日本初の人工衛星「おおすみ」の打ち上げ記念碑と糸川英夫博士の像があります。おおすみの碑です。
この前を進んで行くとKSセンターに着きます。κロケットシングル(1段式)という意味だそうです。観測ロケット発射場です。発射ドームがあります。
現在観測ロケットの中心になっているS−520型機の模型がおいてあります。1段式で直径520mm1号機というというのを記号で表しているそうです。520mmはちょっと太めの土管といった感じです。
こちらはM(ミュー)−3Sロケットの模型です。長さは24m近くあるそうです。
発射ドームの内部です。窓からのぞいて見ています。ランチャーにロケットが取り付けられています。打ち上げに使われるのでしょうか。
天井がどのようになっているのか気になったのですが、結局見ることはできませんでした。
守衛室での説明に従って、M(ミュー)センターに行きます。いったん守衛室の前を通って外に出ることになります。守衛室の内側では桜が咲いています。ロケット桜というそうです。そういう品種なのでしょうか。
守衛室を出てほとんどUターンするような形で進むとMセンターに着きます。イプシロンロケットにあわせて整備してるのでしょうか。工事中で柵があって立ち入り場所が制限されています。
ロケット組立室です。今は、工事でロケットは組み立てられていないようです。
さらに海側にあるのが、ロケット整備棟です。ロケット発射台にもなります。衛星ヶ丘から見えていました。KSセンターのものよりかなり大きいです。
ここにはL(ラムダ)ロケットの模型がおかれています。「おおすみ」の打ち上げに使われものだそうです。
こちらは、M−V型ロケット地上試験機だそうです。模型ではなく実物ということになります。
Mロケット発射台の方向転換に使われていた部品だそうです。トロッコ並みの大きさがあります。
見学最後の場所は、宇宙科学資料館です。守衛室の横にあります。車で戻り、守衛室の前に車を駐めて歩いて行きます。手前の橋は、美宇橋といいます。M(ミュー)からとられたものでしょうか。
内部は、ロケットの関する様々な展示があります。
下に降りていく構造になっていて、橋の下から外に出て遊歩道をあがってくのが順路のようです。出口から出たところで何かが逃げていきます。イノシシでした。
守衛室に入構許可証を返したら見学は終了です。見学に2時間近くつかってしまいました。予定より遅れています。この先急がないといけません。
今日の行動を考えます。宿は、薩摩半島の東シナ海側です。鹿児島県を横断する形になります。薩摩半島では、知覧の武家屋敷には寄って見たいと思っています。枕崎にも興味があります。あと鹿児島市内の薩摩藩関係の施設も何か見ておきたいものです。とりあえず鹿児島まで行くことになります。コースは大きく二つ、高速道路で行くのと、桜島からフェリーで抜ける方法です。高速道路の方が早そうですが、大きく迂回するのでそれほど時間の短縮にはならないでしょう。高速道路はただ走るだけになります。これももう一つです。桜島コースで行くことにします。
いずれにしても、大隅半島を横断しないといけません。昨日内之浦に入ったコースの方が近そうなのでそこを引き返し鹿屋市から垂水市に抜けることにします。昨日の朝半島を横断したコースとはクロスする感じになります。
もう一つ気がついたのは、携帯電話の電池容量がなくなりかけています。前回この状態からなくなるまではすぐだったので、充電の必要があります。明日の天気次第では、明日宿に電話をする必要が出てきます。今晩充電できないということもあります。望遠鏡用のバッテリーから充電できます。今日明日の天気は今ひとつで今後あまり使いそうもないのでこちらから充電しても大丈夫でしょう。
内之浦から車を走らせ続けます。途中何も寄ってみたいなと言うところがなく桜島が近づいてきました。何かあってもよっている時間はなかったでしょう。
島に渡る直前に見た桜島です。昨日より噴煙が多いようです。
有村溶岩展望所という所にでます。トイレ休憩もしたかったので、寄っていくことにします。桜島はさらに近くになっています。といってもここは桜島の中です。
大正溶岩が観察できるように、遊歩道が作られ所々に待避壕があります。
溶岩です。ごつごつしています。
何となく見たことがある景色です。前回桜島に来たときに見たようです。その時はレンタサイクル(ママチャリ)でした。ここに来る坂がきつそうなで来ていないと思っていました。あのときは桜島を一周しているのでここを通っているはずです。
先を急ぎますが、桜島を北回りで横断することにします。
黒神の埋没鳥居です。ここも前回訪れています。
近くに、門柱が埋もれているところもあります。てっぺんだけが顔を出しています。
新島です。燃島ともいいます。横に中の島とかがあるのですが見つけられませんでした。別名は硫黄島・軽石島です。火山と関係ある名前がつけられています。
錦江湾北部を見ながら車を走らせているとすぐに桜島港に到着です。フェリーがたくさん停泊しています。
フェリーは着岸して待っています。航送料を支払うとすぐに船に誘導されます。普通航海中は、車両デッキは立ち入り禁止なので船室に向かいます。ほとんどの人が車に乗ったまま待っています。良いのでしょうか。
すぐに船は岸壁を離れていきます。
フェリーに乗っている間に軽くそばでも食べようかと思ったのですが、所要時間が15分で食べ切れそうになかったので食べませんでした。
デッキに出ると後方には桜島が見えます。今は噴煙が少ないようです。
前方に見える鹿児島市街です。大きなビルがいっぱい見えます。
前方から、フェリーがやってきました。15分おきに出航しているので、距離の割にはたくさんすれ違います。
鹿児島港です。与論島で見た船が泊まっています。
鹿児島港桜島フェリー桟橋です。
そろそろ車両甲板に降りていかないといけないのですが、案内がないので降りていっていいのかどうかわかりません。階段には、航海中は降りないでと書かれています。思いきって降りていったら降車はもう始まっていました。後ろの車に待たせることになりました。
鹿児島市内の見学場所です。17世紀に作られた島津家の別邸があるようです。仙巌園といいます。港から北側に向かっていくことになります。
道路沿いに明治時代かなと思わせるような古そうな建物が見えてきました。磯工芸館・薩摩切り子工場です。
となりにも似た建物があると思ったら、仙巌園入口と書かれています。駐車場に車を駐めることにします。
仙巌園の入口です。
ここで入場券を購入します。御殿の案内とお茶がついている券もありますが、お茶を飲むほど時間に余裕がないので、普通の券にしました。
仙巌園に入って正面に大きな大砲が見えます。明治維新の頃の150ポンド砲を復元したものだそうです。
みかんがたわわに実っています。桜島小みかんという品種だそうです。
道は、売店やレストランの間を進んで行きます。昔の建物をつかっているのでしょうか。それとも違和感がないように建物を建てたのでしょうか。
進んで行くと、正門が見えてきます。いったん門の外に出てとりました。門の外と言っても、仙巌園の有料区域の中です。
ここを入った右正面に朱塗りの門が見えます。屋根を錫で葺いているので錫門というそうです。
錫門をくぐって正面に見えるのが御殿の玄関です。
こちらの中に入る入場券は買っていませんので前から見るだけです。
右側にある小門をくぐると大きな灯籠が見えます。獅子乗り大灯籠というそうです。灯籠の屋根が大きく、その上に獅子が乗っています。
仙巌園獅子乗り大灯籠の前からは、桜島がよく見えます。
桜島を庭園の築山に見立てていると解説に書かれていますが、桜島を借景としてみた方がいいような気がします。
すぐ下の斜面に梅が咲いていました。梅の花を見たのはここだけのようです。
仙巌園は広く、まだ入口をちょっと入っただけのような感じです。
桜島の見えたところから海側は、さらに一段低くなっていて、庭園風の、木や灯籠、石が配置されています。
一段高い御殿前には池を配置した庭園があります。
反対側から、御殿を背景に撮って見ました。
御殿裏側の通路です。こういう所も何となく趣があります。正面の幹が赤い木は、バクチノキです。春先に樹皮を落とす姿がばくち打ちが負け込んで丸裸にされているようすに似ているということで名前がつけられています。
この先に竹林があります。江南竹林といって、日本に最初に孟宗竹が持ち込まれたところだそうです。弓の原料としてよく植えられていたそうです。
さらに進んだところにある曲水の庭です。曲水の宴を催していたそうです。
ここから、御殿に戻る途中に、山の岩肌に文字が書かれいるのが見られます。千尋巌です。中国にはこのようなことをしているところはたくさんあるそうです。
こちらは、望嶽楼です。琉球国王から送られたものだそうです。
薩摩藩の外国との交流の広さがよくわかります。
仙巌園には、明治日本の産業革命遺産に関連した施設がいくつか見られます。世界遺産として登録されたばかりです。
御殿の上にある濾過池です、明治40年に作られたので、産業革命遺産とは結びつかないようです。
曲水の庭の横にある水力発電用ダム跡です。これで機械化に必要な電力を作っていたようです。
近くに高枡があります。産業遺産と関係があるかなと思ったのですが、単に園内に水を分配するためのもののようです。
仙巌園入口奥に、反射炉の跡が残されています。といっても建物や機械類はなく、空気の吹き込み口とかそれより下部の構造がはっきりとわかるだけです。
世界遺産関連の建物としては、入口正面にある尚古集成館があります。幕末に島津斉彬が作った集成館を、忠義が作り直したものです。こちらが本館で、機械(紡績?)工場だったようです。関連の機械類が展示されていました。
こちらが別館で、企画展を催しているようです。雛飾がメインでした。
別館の地下には旧集成館の鋳物場跡が残されています。建物の下にのぞいて見ることができるようになっています。
本館の壁です、大きな石が組まれています。この付近で取れる加工しやすい火砕流堆積物を利用しているのでしょうか。九州には石橋とか石を加工して作った建築物がたくさんあります。
世界遺産とは関係がないのですが、本館の裏には、鶴嶺神社があります。歴代島津家当主と家族が祀られています。ここまででかなりの時間を使ってしまいましたので、とにかく先を急ぐことにしました。
次に行きたいのは、知覧町です。武家屋敷やその庭園、通りなどが保存されています。他にも特攻関係の見学所があります。仙巌園からは鹿児島市内を通り抜ける形になります。市内の混雑具合がわからないので通るのは避けたいのですが、迂回路となる高速道路へは、反対側にかなり戻らないといけません。ガソリンも少なくなってきているので、どこかで補充したいこともあります。市内を通り抜けることにします。この感じでは、枕崎方面に足を延ばすのは無理でしょう。
鹿児島市内はガソリンスタンドを探して、片側2車線道路の左側を走るのですが、こちら側は混んでいます。おまけにスタンドはありません。見つけたのは、市内を抜けてからでした。ちょっとは安いのかなと思ったのですが、高めでした。
だいぶ遅くなっています。有料道路の方に抜ける道がありましたので、そちらの方に行き時間短縮を図ります。入口についたところで、枕崎方面と書かれている標識に沿って進んだら元の国道に戻ってしまいました。結局ここでも時間をロスしてしまいました。
結局通常通りの道順に沿って、知覧町につきました。もうかなり遅くなっているので武家屋敷通りか特攻関係の見学所のどちらか一方にしかよれないでしょう。特攻関係はどちらかというと興味はありません。武家屋敷通りにします。
武家屋敷入口バス停の近くの駐車場に車を入れます。見所を説明してくれます。7ヵ所の庭園を西側から順番にまわるのがコースのようです。庭園の共通入場券も売られています。入場券といってもパンフを見せるだけで良いようです。今いる場所は東側入口に近く、西側入口までは県道沿いを歩いて行くこといなります。自転車を出そうかと思ったのですが、10分くらいの距離なので歩くことにしました。
駐車場から県道沿いには鯉の泳ぐ清流溝があります。ちょっと大きめの側溝に鯉が泳いでいます。
早足で西側入口に向かいます。西側入口からの通りです。石垣と垣根が立派です。遅い時間帯のためか人通りはありません。
所々に立派な屋敷門があります。
門を入った正面には石垣があって、真っ直ぐ進めなくなっています。敵の進入を防ぐため武家屋敷にはよく見られる構造です。
見学可能な場所か確認してから、中に入っていきます。可能な場所には青い札があります。
庭園です。枯山水式の庭園です。山から海までの川の流れを景色として再現しているように見えます。
こちらも、別の庭園です。木や石の配置がちょっとずつ違います。
こちらの庭園は奥の生垣が立派です。外から見ても高い壁のようになっています。石組みの代わりに、生垣で山を表現しているようです。
道路脇に石巌當と説明のある石があります。ちょっと見ただけではそうとわかりません。志布志で、見つけられない石巌當があったのもこのようなものだったのでしょうか。
この先で道が鍵型に曲がっています。枡形です。先は見えません。
知覧町武家屋敷通りの枡形を曲がったところに、トラックが駐まっていて、わらのようなものを載せています。かやぶき屋根に使うカヤのようです。
横の建物から、カヤを下ろしていました。葺き替えをしているそうです。カヤだけでも大変な量です。
この建物はふだんは見学できるみたいですが、葺き替えのため今回は無理でした。
ここから先の通りです。何となく人気が多くなったような気がします。
通りに沿ってある建物は、見学できるところとできないところがあります。見学のできない屋敷の入口には入られないようにするための工夫がしてあるところがあります。他にも喫茶店として公開しているところとか色々です。ほとんどが閉まっています。
そのまま進んで行くと東側出口近くにつきました。ここに、旧高城家住宅があります。庭園の見学場所ではないのですが、公開されているみたいなので入っていきます。入れるとこととは入れないところの区別がわかりにくいので困ります。
建物は、この付近独特の二つ家という形式です。方形の建物を角でつなぎ合わせたような構造です。先ほどの葺き替えをしていた建物も同じ構造をしています。
建物の玄関です。入口が二つあります。
一通り見た後、通りに戻ります。通りの突き当たりにある建物が、見学できる最後の庭園になります。ここのみが池泉式の庭園になります。
ここから、道路に出るために橋を渡ります。後方に山が見えます。亀甲城跡です。知覧城跡はまた別にあります。
川です。奥に見える橋はやびつ橋といい、石組みのめがね橋です。
ここから駐車場までは遠くはありません。車に戻って宿に向かうことにします。もう遅い時間なので、一応宿に連絡を入れておきます。1時間半ほどかかると言われました。直線で20kmほどなので道を間違えなければそれほどかからないでしょう。
地図に書かれている、工事中の道も確認しましたが、どこのことかわからないままに終わりました。
ここから、日置市伊作というところまでは順調に進みました。そこからは、宿の案内に従って進んだのですが、どこをどう走っているのか全くわかりませんでした。T字路になっている1ヵ所だけ案内がない所があり適当に曲がったのですが、ちゃんと宿を到着することができました。反対に曲がっていたら道に迷っているところでした。所要時間は40分ちょっとでした。
宿に着いてから、チェックインをするときに明日の天気が書かれているのをみました。曇りのち晴れです。出発前の予報とは違っています。これだとえびの高原には雪の心配もなく上がれそうです。
最初に夕食を済ませます。お酒は飲めないので、飲み物類はいらないというと、お澄ましを持ってきました。ご飯が来ると思い待っていたのですがなかなか持ってきません。こちらのようすも気がつかないようです。しびれを切らしてご飯を頼んだのですが、いっしょに赤だしが来ました。どうなっていたのでしょうか。
雲が広がっているので夕食後星見はできません。雨もぱらついているようです。夜のようすを確認に外に出ます。外に出ると横からものすごく強力なライトが当たっています。近くにある弓道場から漏れてきてるというより、弓道場のライトが直接当たっているという感じです。これでは晴れていても宿の近くでは星を見ることはできません。ライトを避けて下の道路まで降りて空の開けたところを探したのですが、どこも街灯から逃れられる場所はありませんでした。道路とスポーツ施設以外は松林の中です。ここでは、星を見ることは不可能なようです。宿に戻って、風呂に入り早めに寝ることにします。
翌朝です。まだちょっと雲が残っています。日の出は無理なようです。
空には月が見えますが、雲でぼんやりしています。だいぶ細くなってきました。
海岸まで出かけることにします。といってもだいぶ距離があるので、自転車で行きます。丘というか砂丘を横切る道に入って、途中から海岸に出る道に入ります。海岸の手前です。黒松の林と草地が広がっています。ここでもまだ海面よりだいぶ高いところにあります。砂丘といっていいのでしょうか。
海岸に降りる道の途中に出ていた地層です。砂丘の地層に見られる細かいしわは入っていません。波で運ばれた地層のようにも見えます。
海岸です。このあたりは入来浜というようです。遠くまで続いています。平行にある砂丘は、日本三大砂丘の一つでだそうです。といっても、どれとどれがセットなのかという決まりはないようです。何を持って大きいというのかもはっきりしません。幅ならこのあたりのものが最大かも知れません。
風紋ができています。貝殻のあるところとかで模様が乱れています。
波打ち際です。それほど波は大きくないようです。
ここからいったん引き返すことにします。
海岸沿いの少し高くなったところにある松林まで道が続いています。ここから宿のあるところまで1kmほどが上り坂になっています。この部分が砂丘の本体のようです。
ここへの入口前にある道路に沿って自転車道が続いています。入来浜からは、自転車道には柵があってはいることはできません。道路の坂がきついところの自転車道にはループが作られています。1周しても5mもあがりませんので、ちょっと遠回りするだけでよかったのではないでしょうか。
宿を通り越して、砂丘の反対側におります。いくつか池があります。一番大きなさつま湖です。
カモがやってきていますが、写真を撮ろうとするとみんな一斉に遠ざかっていきます。
朝食時間になりましたので宿に戻って食事をすることにします。宿の前にはウミガメのふるさととかかれています。この浜でも産卵するようです。
宿を入ったところに亀の砂像がおかれています。砂の像作りでも有名な所らしいです。
食事をしながら、窓の外を見ていると鳥がやってきました。ヤマガラです。食事を済ませて見に行くとまだいました。
松の木に留まっていた鳥です。特徴がつかめる前に飛んで行ってしまいました。
話を聞いたところ、ここは鳥の多いところで、宿の窓ガラスによく鳥がぶつかっているとのことでした。
今日の宿泊地はえびの高原です。薩摩川内市から川内川に沿って遡っていくルートをとることにします。川内市までは海岸に沿って進んで行きます。途中、ここによりたいというところは今のところありません。標識を見ながら興味があれば寄っていくことにします。
宿の下の道路を北上し国道に出てからしばらく走っていると、黒川洞穴と書かれた標識があります。この先はかなり道が複雑でした。後で地図を確認すると、宿の近くから真っ直ぐ来る道があったようです。道路沿いの駐車場に車を駐めます。説明文によると縄文時代の遺跡で、平安時代まで住居として使われたあと、15世紀に中に神社が作られたそうです。
洞穴は、谷を挟んで対岸の斜面にあるようです。林の中の道に入っていきます。
谷底に作られた橋です。道の割には立派です。
ここから少し登ったところに、仁王像があります。神社のものでしょうか。にしても、神社に仁王様とはおかしい感じがします。明治の廃仏毀釈で神社に鞍替えしたためでしょうか。
洞窟です。2つあります。どちらががいとうするのかというより、2つあれば両方使われていた可能性があります。
洞窟の正面は、切り立った崖になっています。
崖を作っている岩石はシラスのようです。大きな軽石が点々と見えます。
河床が高かった時代に、水流で削られできた穴をつかっている内に拡張したものに見えます。
中の黒川神社です。能勢氏が関係していると書かれていますが、それについての情報がありません
天井は今にも崩落しそうです。危険なため入らないように柵があります。これ以上近寄れません。道も行き止まりです。見学はここまでにします。
黒川洞穴から次に向かうところを考えます。来た道を引き返しても良いのですが、それより北に進んで伊集院に抜ける方が良さそうです。伊集院に行きます。日置の国道から入ってきた県道をその方向に進んでいけば伊集院に行くことができます。
県道はいったんシラス台地の上にあがります。このあたりには、お茶畑が広がっています。そういえば、お隣の南九州市は、市町村単位ではお茶の生産量日本一です。このあたりも日置茶として売りだしています。
台地を越えた先に伊集院の町があります。観光情報を入手するところがないので、いったん駅前に行ってみることにします。
伊集院の駅です。島津義弘の銅像があります。信号待ちの間にとりました。
駅前に観光案内所があります。地元の特産品も売っています。観光情報を聞いてみます。
最初にいわれたのが駅前の島津義弘の像です。地元の名士なのですね。関ヶ原で徳川家康の前を突っ切って帰ってきた帰ってきたというのですが、遅れていったと勘違いしていました。
他に見所としては、城山公園があるようです。他に薩摩焼の窯元もあります。焼き物は見ても良さがわかりません。城山公園に行くことにします。パンフレットをたくさんもらいました。10分ほどで城山に着きます。駐車場から見た城山です。
この山には鎌倉時代から城が作られ、一宇治城と呼ばれていました。後に島津本家の居城となり、本家が鹿児島に移るまで使われていたようです。
階段の横にはフランシスコザビエルの像があります。ここで、島津貴久にザビエルが接見したというので作られたようです。
実際に接見した場所におかれている碑です。
ここにある説明板には、中之城で接見したと書かれています。城山にはいくつかの頂上があり、それぞれに何とか城と名前がついています。別々にたくさんの城があったのでしょうか。何とか丸というのをそう呼んでいるだけなのでしょうか。これがあるは神明城跡で、神明城だったと書かれている説明板もあります。どちらが正しいのでしょうか。
神明城があったあたりです。展望塔が作られています。
展望塔からは、周囲の景色がよく見渡せます。残念ながらかすんでいて遠くはよく見えません。かろうじて見えた桜島です。
城山には、神明城以外にもいくつかの施設跡があります。井戸の跡だそうです。堀のようにも見えます。一宇治城には、全部で3つの井戸跡があるそうです。
蔵跡です。敷地は広いので、ここを全てつかっていたのならかなり大きな蔵だったということになります。
城と名前がつけられている場所以外にも、曲輪のような場所がいくつかあります。
中平城のあったところです。平というのは山の斜面のことをいうのだそうです。
南の城です。野鳥の森となっています。鳥は見かけませんでした。
釣瓶城です。二番目に高いところにあります。
この縁に井戸跡があったと書かれています。調査をして井戸があったかどうかはわからなかったそうです。このへこみのことでしょうか。
他にも伊作城とかがあります。見学はこれくらいにして先を急ぐことにします。
伊集院からいったん海岸に出ることにします。そのまま国道を進んでも良いのですが、観光案内所で江口浜へ抜ける道を教えてもらっています。吹上砂丘の北端も見たいのもありこちらの道を進むことにします。
途中の道は詳しく教えてもらっています。ここの交差点は左ではなく右に曲がるようにとか細かい指示がありました。おかげで迷うことなく江口浜に到着です。
砂浜があります。すぐそばに山が迫っています。砂丘は発達していないようです。波打ち際よりかなり内側に水がたまったところが見えます。波によって運ばれる砂が多いと、これが堤防のようになって内側に水たまりができることがあります。近くに行ってみます。
右側に海があります。波のあたるところは表面の模様が削られ平らになっています。左側低くなったところはでこぼこしています。ここに水がたまりますが、堤防の低くなったところから流れ出しますので、一定方向の流れができます。これによって漣痕(水紋)ができます。
形がきれいな点で風紋とは異なります。右から左への流れが認められます。
海岸に沿って南に進みます。漁港の防波堤に続く道があってそれに沿って陸側に進んで行くと、道が砂で埋め立てられています。
昇って越えようとしたのですが、砂がめり込んだ上に滑って進めません。仕方なく迂回しました。上から見ると、押し寄せてきた砂が防波堤を乗り越えて、その先でたまっていることがわかります。砂が一番多いのは窪地の角になった部分です。
ものすごい量の砂が風で運ばれていることがわかります。このような風に流されて、高く盛り上がれば砂丘になることは容易に想像できます。この先に吹上砂丘が連なっています。
この先の海岸です。シラスの切り立った海岸になっています。中国の風景に似ているというので江口蓬莱というそうです。
道路があってよくわかりませんが海岸には砂が盛り上がっているようにも見えます。
崖の地層です。軽石がたくさん見えます。シラスと思われます。
伊集院で教えてくれたのは、ここに漁港の経営する大きな店があり寄って見ると良いということでした。特産物だけではなく生活食料品もたくさんそろっていて、比較的安価なようです。2−3こお土産を買いました。
江口浜から先の予定は、ほとんどありません。川内川沿いに曽木の滝というのがあります。できればよっていきたいと考えているくらいです。いちき串木野市で何かあればと思い高速道路に入らず一般道を走らせました。けっきょく何もなく通り過ぎていきました。川内市もなにもなくスルーで、川沿いにのぼっていきます。さつま町でホタル船と書かれている案内がありました。何なのか気になります。寄り道します。
距離と方向から、それらしき場所までたどり着いたのですが、それを示すものはありません。ホタルの説明のある大きな看板のあるがあります。看板は汚れていて何が書かれているのか判読に苦労します。ホタル船の説明ではないようです。
ここの駐車場に入っていきます。駐車場から下流側に滝のようなものが見えます。
気になりますので見にいったのですが、立ち入れないよう柵がありなかなか近寄れません。再び川が見えたのは、かなり下流側になってしまいました。
両岸の崖の柱状節理が見事です。岩石は火砕流による溶結凝灰岩のようです。滝の正体は、発電用に川内川をせき止めるために作ったダムのようです。このわずかな落差を利用して発電しているように見えます。
ホタル舟の方が気になるので、駐車場の横にある健康施設で聞いてみました。それによると、このあたりでは、初夏にホタルが乱舞し、それを見るために船を出すそうです。その船がホタル舟です。申し込みは役場で受け付けているようです。
舟がでると思われる川内川です。ダムの影響か川幅が広くなっています。何カ所か船着き場のような場所があります。
この川では、ホタルの繁殖は無理なような気がします。こんな広い川の真ん中ではホタルが羽を休めるところがないので飛び回っているとは思えません。川岸ならいるかも知れません。川の真ん中から川岸のホタルを見るという趣向でしょうか。たくさん見られるのは、ここに流れ込む小川の方がいいような気がします。こんな場所です。
センターの敷地内にはそれらしい水路も作られているようです。ホタルの季節や時間ではないので、ここはこれくらいにして、先に進みます。
元の道路に戻り、進むとすぐに曽木の滝に向かう分岐があります。こちらに入れば川沿いに、曲がりくねった道を進むことになります。このまま真っ直ぐ行って再び川に合流したところで戻った方が早そうです。真っ直ぐ進むことにします。後でわかったのですが、川内川沿いの道は工事のために通れなくなっていたようです。
川に合流する手前で、再び曽木の滝方向を示す標識がでます。工事のための迂回路とも書かれています。どこを走っているのか分かりませんが、このまま進みます。この先駐車場と書かれている先に、駐車場らしきものはありません。道路脇のスペースに車を駐めて、川の様子を見ることにします。
土手のような所から見た川らしきものです。ほとんど水は流れていません。別の所に書かれていた説明から考えると、洪水を防ぐための導水路だったようです。このあたりで川幅が狭くなっていて、上流側で氾濫を防ぐために、水を流すための施設ということなのでしょうか。
曽木の滝は、ずっと向こうに見えています。
もう少し車を走らせます。
導水路を見たところから橋を渡り、川の上流側に少し進んだところに曽木の滝駐車場があります。このあたりは、滝口からもかなり高いところにあって、少し歩いて行かないと滝の全貌を見ることはできません。やっと見えてきた滝です。向こう側に手前に落ち込む滝がありますが、こちらから向こうに向かって落ち込む川の流れもあるようです。
岩の割れ目に激しく落ち込む流れもあります。
滝下の谷底が何とか見えるようになってきました。かなり水量は多いようです。
滝展望所からの眺めです。川のいくつかの場所で滝となって落ちています。群馬県沼田市の吹き割りの滝よりナイヤガラの滝っぽいです。
右側遠く離れたところにも滝が見えます。導水路から落ちる水でしょうか。
一番流れの速いところです。ここから下流は観音淵というそうです。流れは速いので、淵というよりは、瀬です。
さらに下流は流れが弱くはっきりと淵のようになっていますが、下流のダムの影響があるのかも知れません。
このような滝がどのようにしてできたのかが気になるところです。
滝の上流側の岩場です。表面に六角形の割れ目ができています、柱状節理の上面にできる模様に似ています。
下流側の崖です。真っ直ぐな岩が多いようです。あまりはっきりしませんがこれも柱状節理の断面を見ているようにも見えます。
岩石です。黒いガラス状の筋が見られます。溶結凝灰岩に見られる軽石が押しつぶされてできる構造のようです。
溶結凝灰岩がたまっているところは、柱状節理ができて、切り立った崖になっていることがよくあります。その特徴によく似ています。岩石の感じでは、阿蘇の火砕流堆積物によく似ています。ちょっと遠いので、それに似た堆積物なのでしょう。近くでは加久藤カルデラに関係した溶結凝灰岩もあります(加久藤火砕流の岩石という解説書もありました)。
対岸に見られる「強兵衛の力石」です。力比べにつかった石とか、豊臣秀吉が座った石とかいわれています。溶結凝灰岩の柱状節理の一部が取り残されてで来たもののようです。
水流で削られてできたくぼみです。甕穴のようにも見えます。流れの作る渦が岩石を削ってできたのでしょう。
かなり深いものもできています。水位が下がるにつれて、だんだん下の方が削られてできたようです。
溶結凝灰岩は、このような削られ方をするものが多いようです。さつま町のホタル舟の所もこのような感じでした。
曽木の滝付近では、流れの落差を利用して、発電所が作られています。関連の施設を見ていくことにします。曽木の滝の駐車場側には、発電所への導水路があります。水量が多いせいか、水路から水があふれ出しています。
発電用水路にある、浮遊物除去装置です。ここにひっかかったゴミなどは定期的にすくい上げて取り除かれるようになっています。黒い横枠が下からあがってきて、引っかかったゴミを持ち上げ、柵のようなものの上にあるベルトコンベアで、向こうにあるゴミ箱まで運んでいます。歩いていていきなり作動し始めたのでびっくりしました。
公園内に使われなくなった、発電所施設の部品を所々において解説しています。排砂口開閉用の歯車だそうです。
駐車場、展望台からの景色です。手前左側に発電用水路が見え、手前真ん中付近のダムのような所に、同じ歯車が見えます。
今使われている発電所は地下にあるようです。古い発電所の遺構が下流側にあるようなので行って見ることにします。歩いてもいけるようにはなっているのですが、ちょっと離れているので、車で移動します。駐車場の口付近は道が入り組んでいて、どこから来たのか分からなくなってしまい、何度か行き来しました。
橋を渡り、下流側に行ったところにある多目的広場から見た曽木の滝方面です。滝のような白い流れは、発電所から放水された水です。
古い曽木発電所遺構です。下流にできた鶴田ダムのために水没しています。水位が下がると全体が見られるそうです。
曽木の滝付近の見学はこれで終了です。次に向かうことにします。元来た国道に戻るまでの道ばたには雪の塊が落ちていました。
近くに雪の積もっているところがあるのでしょうか。この先の山道の雪が気になります。
曽木からの国道は、大口の方に大きく迂回しています。川内川に沿って真っ直ぐ進む県道があります。これもちょっと遠回りです。現在いるのは地図に書かれている広域農道みたいです。このまま真っ直ぐ突っ切るという方法もあります。問題は、一度川内川を渡らないといけないのですが、地図には橋が書かれていないことです。何とかなるだろう、ということで真っ直ぐ突っ切りました。適当に走っている内に湧水町の中心部に着きました。
丸池涌水の方向を示す標識が出てきました。気になるので見に行くことにします。指示通り進んで行くと、栗野駅に着きました。周囲には水の流れているところはあります。レンガ作りのアーチ橋の中に水が吸い込まれていますが、線路の向こう側から流れてきています。
この橋はゆうあい橋というそうです。レンガは焼却灰から作ったもので、涌水ごんの子レンガと名付けられているようです。
丸池涌水というのが見当たりません。ここは駅前です。観光案内所があると思われるので探して聞いてみることにします。
これは駅の表札です。縦書きです。縦書きのものは、網走駅のものが有名です。実際には他にもいっぱいあるのかも知れません。
駅舎は観光案内所を兼ねていました。丸池の場所は駅の反対側だそうです。改札口のようなものがあるのですが、そのまま駅内の陸橋を渡って良いというので、通り抜けることにします。駅舎の上から見た線路です。
駅舎の反対側に降りてどちらに行けば良いのか探していると、列車が入ってきました。吉松行きと書かれています。次の駅までです。
駅前の道路を渡った正面に正面に奇妙なバッタの像があります。竹と稲わらでできています。雨に当たってすぐに痛んでしまいそうです。町制10周年記念彫刻造形展出展作品と書かれています。写真には写っていませんが、遠くの方に、たくさんの像が置かれているのが見えます。
この後ろ側にも水路があります。きれいな水がたくさん流れています。ここの橋も涌水ごんの子レンガで作られているようです。丸池さいらい橋という橋だそうです。
この流れが鉄道をくぐるところには、ここに鉄道が引かれた時に作られたレンガのアーチ橋があります。丸池涌水暗渠といいます。町内にはこのほかにも、鉄道が川をまたぐところに、同じような暗渠がたくさんあるそうです。
次は、流れの上流側を見ることにします。
さいらい橋から南側には、大きな池が見えます。水面にはさざ波が立っていて、どこかから水がわき上がってきているような感じはしません。真ん中付近のエメラルドグリーン色をした所は、水底がかき混ぜられているような感じがします。奥から流れ込んでくる川がありますが、流れ出す水量に比べたらはるかに小さな川です。
上から見た池です。水の透明度はかなり高いようです。明らかにここで水がわき出しているという所は分かりません。
池より少し高くなったところに貯水施設があります。この付近で湧き出した水を、水道用水として利用するためのものです。
池の周りから湧き出した水が流れ込んで来るところが何カ所かあるものの、全体的な水量はわずかです。湧き出す水はどこにあるのか分からずじまいです。池全体で少しずつでていたとしても、かなりな量になります。
もう日が傾き始めています。先を急ぐことにします。
丸池から10kmほどでえびの市に入ります。川内川はこのあたりでも、大きな流れです。高速道路の下あたりで、見えた川です。
じっくり見たいのですが、交通量が多いので駐めるわけにはいきません。信号待ちの間に見られたものです。高速道路の入口近くに道の駅があります。ここで確認することにします。ここまで来ると、霧島山が目の前に見えます。左側が夷守岳、右側が甑岳です。
川の方に行ってみました。川は思ったより細くなっています。川内川ではなく、えびの高原から流れてくる支流のようです。
道の駅で、この付近のパンフレットを入手します。ご自由にお取りくださいという所に立派なガイドブックがありました。一瞬気が引けたのですが、ご自由にという言葉に甘えてもらってきました。
ここから市街地を通り抜けて真っ直ぐ進むとえびの高原につきます。山の中に入っていくので、太陽を見るのはこれが最後かなというときに見られた。幻日です。
幻日は日暈といっしょに見られます。かすかにその線も見えています。天気ことわざでは、雨になるということになっています。明日の天気はどうなるのでしょうか。
えびの高原の宿には暗くなる前につきました。目の前にスケートリンクがあります。照明装置が何本か立っています。これがついていると星を見ることはできません。夜間は営業していないようですが、どうなるのでしょうか。
宿の大浴場は改修工事のため、男女別に入浴時間を区切って入れ替え制になっています。食事を先に済ませると、女性の入浴時間になります。次の入浴できる時間帯は星を見ている時間になります。それほど時間はないのですが、先に入浴してから食事にします。
食事が終わってから、外を見るとスケートリンクの方から強烈な光がやってきています。リンクの整備をしているようです。これでは星を見る事はできません。宿の話によると、それほど遅くまではやっていないとのことです。しばらく待っていました、なかなか消えそうにありません。近くの有料駐車場の方は明かりがないそうです。夜間は無人で柵もないそうです。こちらの方に移動して星を見ることにします。
駐車場は、道路の向こう側にある自動販売機の明かりと、足湯の看板の明かり、エコミュージアムの明かりがあるだけです。自動販売機の明かりが強いので、車を陰にして望遠鏡をセットします。極軸望遠鏡に北極星を入れることができたのですが、暗視野装置の明かりが明るすぎます。調整の方法がわからないので、暗くできません。結局目印の場所に北極星を持ってくることができず、だいたいの位置になってしまいました。
まずとったのが、おおいぬ座のM41散開星団です。
次がオリオン座の大星雲です。
中央上の方に静止衛星のようなものが写っています。これ以上露出をかけると被ってきます。薄雲があるのか、周囲の明かりのせいなのかよく分かりません。極軸もしっかり合わさっていないので、星が動き始めています。
馬頭星雲です。中央やや上、背景が赤い中にぼんやりと馬の頭が浮かび上がっています。左側のぼやっとしたものはNGC2022です。
ふたご座のM35散開星団です。白っぽい塊は、NGC2158です。球状星団かな
カテリナ彗星を入れようとしたのですが、双眼鏡で位置が確認できなかった上に、北極星に近いため望遠鏡を向けるのが困難なのであきらめました。
狙いを換えて、アンドロメダ銀河です。伴銀河も写っています。
すばる(プレアデス)です。メローペ星雲などの星雲もわかります。
向きを合わせようと、カメラを回転させている内にピントが甘くなっています。この後、調節したものの、今までほど星はシャープになりませんでした。
露出中にトイレに行っている間に、電池が切れるなどトラブルもありました。一番大きかったトラブルは、まだちょっとファインダーがぐらついていることです。もう少し削り治す必要があります。M33銀河とかカニ星雲(M1)とか狙ったのですが、うまく真ん中にとらえることはできませんでした。写っていないと思ったのですが、帰ってからパソコンで確認すると隅っこの方に写っていました。
始めるのが遅かったのと、露出の1回が長いのとか色々あって、あまり写真を撮れないうちに、遅い時間になってしまいました。宿に戻ります。宿の前は、駐車場の明かりが結構明るかったようです。移動して正解でした。
風呂については、家族風呂が空いていれば使えるということです。空いているようなので、そちらで入り直しました。
朝のえびの高原を歩いてみることにします。時間は1時間弱あります。不動池までのコースがちょうど良いようです。
昨晩星を見ていた駐車場の手前に温泉水を流しているところがあります。マップには足湯と書かれています。前来たときはなかったような気がします。
駐車場から見た韓国岳です。霧に覆われています。雪も少なく、落ちているのはこの前の寒波のものでしょう。
岩のごろごろした道を歩いて行きます。この岩は土石流によって流されてきたものだと聞いています。
ほぼ予定時間で不動池に到着です。
水面はほとんど凍っているものの。一部凍っていないところがあるようです。酸度のせいでしょうか。地熱があるためかも知れません。
ちょっと高いところにあがって見ます。シカが出てきていました。
戻らないといけない時間になっています。引き返すことにします。途中に見えたえびの高原方面です。霧に覆われた山はえびの岳でしょうか。
ここでもシカとであいました。こちらも3頭です。朝はよく出てきているようです。
宿には予定時刻に戻ることができました。
宿に戻って朝食時間の書かれた紙を見ると、聞いたのより30分早い時間が書かれていました。食堂では、聞いた時間で待っていたとのことです。書き間違いだったようです。時間を間違えたのかと一瞬焦りました。
食事を済ませてから、出発することにします。今日の予定は、霧島山の南側をざっと見たあと、都城に抜け観光場所を探し時間を見て、高速道路で宮崎に抜けて、そこからフェリーに乗るというものです。
霧島山の南側にまわる前に硫黄山を見ておくことにします。朝に近くまで行ったのですが、時間切れでよることはできませんでした。
車に乗ろうとしたら、ガラスに霜がついています。車の中を探したら大昔につかっていた霜取り道具があったので、それで霜をとることができました。
硫黄山登山口に移動しそこの路肩の広いところに車を駐めます。降りたところから見たえびの高原です。
だいぶ薄くなっているものの、まだ霧は多いようです。霧が動いたあとに韓国岳の斜面が見えます。白くなっています。木の枝に霜が降りているのでしょうか。雪ではないでしょう。
道を登っていくと、だんだん硫黄のにおいが強くなってきます。前来たときは噴気は火口の中だけだったので、噴気活動は活発になっているようです。岩肌むき出しの山が見えてきます。
火口周辺は立ち入り禁止になっています。ここから先へは行けないようです。
山の麓を迂回するルートを通ってみます。山の斜面から噴気がたくさんでてきています。地肌が硫黄で黄色くなっているところもあります。
山頂はこの方向だったような気がします。この尾根の向こう側に噴火口のような窪地があります。
この道も行き止まりになっていました。引き返すしかないようです。もともと近寄れないのはわかっていたので、予定の範囲内です。
硫黄山登山口から少し引き返し、霧島山の南側に向かう道に入ります。峠を越えたあたりで、大浪池登山口と書かれた場所に着きます。車を駐めるスペースがありますので、駐めて様子を見ることにします。
ここには、避難壕が設置されています。サイレンも近くにあります。
ここから大浪池まで30分ほどのようです。寄っていくことにします。
緩やかな上り坂が続きます。道はのぼりやすく整備されています。
道沿いの斜面には、所々に霜柱ができています。傾斜が強いと崩れ落ちて、糸状の氷が散らばっています。キラキラしてきれいです。
最後はちょっときつくなってきたものの、程なく到着です。直前の休憩所は作り直しているようです。機械が入っています。
大浪池です。火口湖のようです。まだ霧が濃く遠くの景色は見渡せません。
ここも全面凍結とまではいっていないようです。
池を一周するコースがあるのですが、1時間以上かかるようです。時間のこともありますから、パスして降りることにしますます。
足元の霜柱は、ふさふさとした動物の毛のようで柔らかそうに見えました。
大浪池登山口からは高千穂河原を目指します。途中地肌がむき出しになっていて、噴気が見られるところがあります。新燃岳の麓あたりになるのですが、山は見えません。
ここからは、うっすらと山らしきものが見えています。これ以上たくさん見えるところはありませんでした。
山が見えないうちに、高千穂河原駐車場に到着しました。有料です。周りを見渡してもトイレとビジターセンター以外は何もありません。自然探求路がありますので登っていくことにします。展望台のようなところから見えた山です。中岳になります。新燃岳はこの山の向こうで見えていません。
このあたりはミヤマキリシマの群生地だそうです。まだ寒いので枝しか見えません。
高千穂峰を見たいのですが見えません。それらしき方向にやっと見えた山です。高千穂峰とは形が違います。
気になるのでさらに進んで行きます。道は、ガレ場のようになっていて歩くのに苦労します。足を踏み上げてから体重をかけると、持ち上げた半分以上沈み込みます。左側に踏み固められた道があります。正規の道は赤く見える岩場を登るようですが、歩くのが楽なのでこちらに進んで行くことにしました。
歩きにくいのは、小さな軽石が積み重なっているからです。後でわかったのですが、この石は新燃岳の一番新しい噴火で吹き飛ばされてきて積もったものです。登山道に積もったものが、人が通る度に下に落とされてこのあたりに多く集まっているようです。
進んで行った道はいつまで経っても、向きを変えて正規の道に戻りそうもありません。枝道も増えてきています。この道は途中で消えてなくなるでしょう。道から外れると足が埋まってあるきにくそうです。岩が露出している場所に、人が歩いた形跡があったのでそこをのぼっていきました。上から見ても道はまだまだ真っ直ぐ続いています。
このあたりまでのぼってくると、中岳の向こうに新燃岳が見え始めてきました。韓国岳もうっすらと見えています。
そのまま登り続けているとロープがあります。向こうに行くなということではなく、その向こうが正規の道なのでこちら側は入ってはいけないところだったようです。間違って入った登り口の方も規制して欲しかったです。
この道を真っ直ぐ登っていくと右側に大きな窪地が見えてきました。御鉢火山の噴火口です。
道と噴火口の間には、切り立った崖があり噴出した溶岩が層になっています。
道幅は少し狭くなってきます。といってもかなりの幅があります。馬の背といわれているところに来たようです。
左側の斜面にも、崖崩れのようなものがあり地層がむき出しになっています。あのまま道を真っ直ぐに進んでいたらこの崖に行く手を阻まれていたでしょう。
高千穂峰もはっきりと見えてきました。急な斜面にジグザグに道がついています。見ただけでのぼるのがめげてきます。
馬の背は、高千穂峰への分岐で行き止まりになります。お鉢巡りはできなくなっているようです。
きつかったのと寒いのと風が強いのとで、高千穂峰にのぼる気力は半分なくなっています。頂上の天の逆鉾を見たいというのもあります。これが見えたら半分目的は達成できます。頂上を見て見えたら引き返すことにして、頂上を確認しました。
写真や双眼鏡で確認する限りはそれらしきものは分かりません。いけるところまで登るしかないようです。あとで写真を確認したら一番高いところに写っていました。中央やや右側、ちょっと盛り上がったところにある短めの棒状のものです。
御鉢周回路への分岐から、高千穂峰方面はいったん下り坂になりすぐに鞍部にでます。背門丘(せもと)と呼ばれる場所です。標識の周りにケルンが積まれています。他にも何カ所かあります。
背門丘は、一番初期の霧島神宮があった場所です。噴火の影響で麓に降りています。そのあとに作られた祠です。
とにかくいけるところまで行くことにします。山の傾斜より、風が冷たいのと、強いのが堪えます。耳や鼻頭がいたくなってきています。山に登る準備は初めからしてきていません。ちょっと無理なようでした。でも、思っていたより早く山頂に着きました。
山頂に着く直前に振り返ってみた御鉢火山です。
中岳・新燃岳・韓国岳になります。だいぶくっきりと見えるようになってきています。
山頂部は、思ったより風が緩やかです。一安心です。天の逆鉾がみえます。
大きな火口のある山のようなものが見えます。矢岳でしょうか。向こう側は丸岡山から夷守岳になります。
高千穂峰の東側です。ここに登ってくる道が見えます。正面の山の一番高いところに猫の耳のような形で2つの岩が並んでいます。二子石というそうです。
こちらに進んでいては、今日中には駐車場まで帰ってくることはできません。景色を見ながら、頂上付近を一周したら引き返すことにします。
高千穂峰からの遠景です。かすんでいてどこが見えているのかよく分かりません。来るときに宮崎港から高千穂峰が見えていましたので、宮崎港が見えても良いのですが、よくわかりません。
別方向です。
体が冷えてきているので、下山することにします。
御鉢を過ぎた所から、高千穂河原が見えてきました。このあたりは誤った道を進んでいたため通っていません。
ここから岩場を降りることになります。上り下りする人によって通ろうとする道が違うので定まった道がありません。比較的通りやすいところには黄色い目印がついています。
この岩場を降りきると、のぼりにくかった砂利場です。面倒なので足を突っ張って砂利に沈み込むのに任せる降り方で降りてきました。こんな事をするから道が乱れるのですね。そのせいか、靴が完全にぼろぼろになってしまいました。家に帰れば廃棄処分です。
登山路からは、探求路に戻らずに古宮址のほうを通って高千穂河原駐車場に出ることにします。
古宮址の鳥居と石段です。奥に見えるのは御鉢火山です。
古宮址です。ここに二番目の霧島神宮があったのですが、噴火による火災で焼失したそうです。
ここからビジターセンターまではすぐです。裏側にも探求路があります。枯れ川を渡りますが、ここも見所の1つと書かれていますが、何を観察すれば良いのかがよく分かりません。
この道は入らずに、駐車場に戻り来るまで次に向かうことにします。
霧島温泉の近くに、丸尾滝というのがあって、探勝路もあるそうです。次はそちらに行くことにします。来た道を引き返すことになります。どんどん進んで行くと、左側に行けば滝があると書かれた標識にであいます。その通り進んで行きます。目的の滝と思っていたのですが、別のもので千里ヶ滝というそうです。駐車場に車を駐め歩いて行きます。200mほど降りると滝に着くと書かれていましたが、道のりが200mでなく高さが200m降りたような感じがします。滝は見えるのですが、木の間からで、展望所のような所はないようです。
霧島山の中では落差が最大の滝だそうです。道はまだまだ続いています。展望所を求めて道に沿って進んで行きます。所々に落石防止のシェルターの中を通るところもあります。道の傾斜は急です。
展望所がないまま、道は続いていきます。しばらくすると別の滝が見えてきました。ちょっと小さめです。
この滝も、見られる場所は限られています。さらに道に従って降りていきます。発電所のような施設に出ます。それを回り込んだところから、さらにまた新しい滝が見えてきました。
周りの岩からは水がしみ出して、滝のように落ちています。
滝の一番下あたりでは、茶色く変色したところがあります。温泉でもでているのでしょうか。
道はここで行き止まりです。再び急な坂を登っていくことになります。
駐車場から、再び丸尾滝を目指します。山を少し下り、国道をえびの高原の方に戻ります。
国道から脇道に入ったところに、滝が見えてきました。丸尾滝です。駐車場に車を駐めたのは良いのですが、展望所に行く道は封鎖されています。落石の危険があるためでしょうか。道路から見るだけです。
滝の水量は多いようです。岩盤の柱状節理が斜めに入っているため、水が斜めに流れているように見えるところがあります。
探勝路があるみたいなのですが、近くには見当たりません。次に行くことにします。
次に見たいのは御池です。来た道を引き返すことになります。途中に霧島神宮がありました。こちらにによってから行くことにします。
車を走らせていると右手に桜島が見えます。駐めてゆっくり見るところがないか探していたら道の駅がありました。ここで、景色を眺めていきます。先ほど見えていた桜島です。少しかすんでいます。
鹿児島空港方面です。台地の上に白く細長く見えているのが滑走路でしょうか。
一通り見たあとは、霧島神宮に向かいます。神宮の入口から車を進めていくとロータリーに行き当たります。駐車場の案内が書かれていないので、どこに行っていいのかわかりません。駐車の空きスペースがあったので、そこに車を入れました。
さらに奥の階段を上ったところに鳥居があります。この先に社殿があるようです。
ここからあがっていく人はほとんどいません。気にはなるのですが、気合いを入れて登っていくことにします。上は、さらに参道が続き、その先に広場のような所があります。ここを曲がると鳥居が見えます。三の鳥居です。
ここまで来ると急に人通りが多くなります。この右側に、大きな駐車場がありました。車を駐めたところまで戻るのも大事なので、このまま参拝を続けます。
鳥居の横に、さざれ石と書かれているところがあります。そこには礫岩が置かれています。石灰質角礫岩のようです。
こういう間違いが、はびこっているのは気になります。さざれ石は「細石」であって、巌になったものではないからです。どう見ても巌(としても間違いがある)のかけらとしか見えません。周りに散らばっている玉石の方がさざれ石といえます。
参拝を続けます。三の鳥居をくぐると正面に拝殿が見えます。
拝殿に向かって右側にあるご神木です。大きな杉の木です。
次は拝殿の方に行きます。
霧島神宮の拝殿を横から見たところです。本殿を囲むように塀が作られています。
拝殿、参拝所上の破風の飾りです。彫り物に極彩色で着色されてています。梅とボタンでしょうか。
本殿外壁の絵です。こちらもカラフルです。鳳凰でしょうか。
こちらは、ちょっと離れたところにある神楽殿です。こちらまで行く人は少ないようです。
神楽殿の前は駐車場です。こちらの方には行かずに、車を駐めたところまで来た道を引き返します。迂回して戻る道もあったようです。
来るままで戻ったら、次の目的地御池を目指します。途中山が見えたので写真を撮ってみました。御鉢火山で、右側木の向こうに見えるが高千穂峰でしょうか。見た場所とかがあいまいなので、詳しいことがわかりません。
御池の手前に、小池というのがあります。興味があったのですが、車を留められる場所がありませんでした。御池から歩いて行くのが正式ルートのようです。
御池の道路沿いの展望所から見た御池です。森の向こうではっきりと見えません。御池は、霧島最大の火口湖だそうです。
湖畔に降りていく道がありますので、行ってみました。湖畔から見た御池です。
正面の山は、二子石と書かれています。右側の尖ったところに、二つの岩が並んでいます。それにほとんど被さるように高千穂峰があるようです。
右側です。矢岳・夷守岳方面になります。この池は半分遊園地化しているようです。
御池のあたりでも、かなり標高は低くなっています。もうほとんど霧島山を降り切ったような感じです。
だいたい霧島山で回れそうな所はまわったようです。いったん山を降りることにします。あと1ヵ所くらいは寄れそうです。都城に島津家の関係する建物があるようなのでそれを目指します。都城に抜けるためには、再び大きく戻らないといけないのかと思っていたのですが、小池の手前から行けるようです。この道を進んでいきます。だいぶ山を降りたところで、関之尾滝方向を示す標識があります。興味が出てきました。再び山を登るのなら時間がなくなりますがそうでもないようです。指示のある道に沿って進んで行きますが、どこをどう走っているのかよく分かりません。一度T字路に突き当たったのですが、そこには曲がる方向を示す標識がありません。関之尾と書かれていることだけを頼りに左折しました。相変わらず、場所が分からないまま車を走らせています。道脇にある、シラスの崖が気になります。
シラスの上部にたまったローム層も見えます。鬼海カルデラから飛ばされてきたアカホヤ火山灰が気になります。赤っぽい縞になって見えるはずです。
ここから車を5分ほど走らせると、関之尾滝の駐車場がありました。そこにあったスダジイの木です。
このあたりは公園になっていて、プールやテニスコートもあるみたいです。いったん川底まで降りてみます。関之尾滝は、吊り橋から見るようになっているみたいです。
横にも滝が見えます。女滝です。日光の当たり具合がよく虹ができています。
横の岩場です。柱状節理が見えます。この滝も溶結凝灰岩にできているようです。
遊歩道を歩いて、吊り橋の方に行きます。そこから見た大滝です。ここから見ると柱状節理の六角形の割れ目がよく見えます。
横にも、別の滝が見えます。男滝です。
遊歩道はまだまだ続いています。
遊歩道は滝の上流側に続いています。そに沿って水路があります。北前用水路というそうです。
男滝・女滝の水はここから落ちているように見えます。河原に降りたときに、不思議な構造物がありました。用水と何か関係があるのでしょうか。一列に並んで穴が空けられているように見えます。
取水口だそうです。川から普通に流れ込んでいます。
ここを過ぎると滝の上に出ます。このあたりは、甌穴が発達しているそうです。水量が多く、真上から見ることができないのでどれのことかよく分かりません。
岩が何となく六角形をしていることが分かります。
岩は、紙やすりで磨かれたような奇妙な削れ方をしてます。曽木の滝でも同じような削れ方をしていました。
これなどは、穴が空いてしまっています。
こんなのを甌穴といっているのでしょうか。
水量が多く、ほとんど水没しているので、たくさんあるというのに見つけられませんでした。
遊歩道の先端まで来たみたいなので、引き返すことにします
そろそろ、宮崎港に向かわないといけない時刻になっています。いったん都城市街地にでることにします。来た道を引き返すのではなく、関之尾公園を迂回するように進んでも町にいくこともできるみたいなのでそちらからいきます。この道は鹿児島県に入ったり宮崎県に入ったりを繰り返します。県境を走っているのですね。公園を回った後はずっと宮崎県です。相変わらずどこを走らせているかよく分からないまま進んで行きます。都城市街地は避けたかったのですが、駅前を通ってしまいました。意外と道路は空いています。
ここから北上し、都城インターを目指します。途中でスーパーがあったので、フェリーの中での夜食を購入していきます。ここからすんなりと高速道路まで行くことができました。
高速道路を進んだ先には、分岐があります。宮崎市街に抜ける道を進みたいのですがどこを目指して走らないといけないのか分からなくなってしまいました。持っている地図には、降りるインターの名前が書かれていません。2方向違う道を通ってしまい、そのたびに、インターをでて入り直すということをしてしまいました。無駄に高速料金を取られてしまいました。あとで地図をよく見たら、分岐の線もしっかり書かれています。真っ直ぐ進めば良いというのは、簡単に読み取れていました。
高速のジャンクションでもたもたしたおかげで、宮崎港到着は乗船手続き終了ぎりぎりになってしまいました。乗り込み待ちで撮ったフェリーです。
ほとんど何かをするという時間もなくフェリーに乗り込みます。予定時刻通りに出航しました。出航直後の宮崎港です。
乗客は、中華系の人たちが多いようです。ロビーというか休憩スペースがごった返しています。船室にこもって早く寝ます。
朝目が覚めると、どこまで帰ってきているのか気になります。外に出ると、橋が見えます。
三宮港到着までまだまだあります。位置的には淡路島南部の鳴門海峡大橋あたりかなと思ったのですが、大阪湾から見えるはずはありませんし、右側の町も大きすぎます。この後港に着く直前までずっと見えていましたので、明石海峡大橋だとわかりました。
後方には、紀淡海峡が見えます。友が島・加太付近の海岸は蜃気楼で浮き上がって見えます。
日の出の時刻は過ぎていますが、雲に隠れてなかなか太陽は見えません。神戸空港近くでの朝焼けです。
太陽が見えたのは、三宮港に入ってからでした。
太陽を拝んでいる方がいらっしゃいます。始めてフェリーに乗ってたそうです。全然ゆれなくてよかったとおっしゃっていました。この船は太平洋を航行します。それにしては、揺れは少なかったように思います。
岸壁が見えてきました。まもなく到着です。山には朝日が当たっています。
タラップがつながれ、車乗降ゲートが下ろされます。この時点でも、車両甲板には移動許可はだされていません。車が降りられるようになるまで、20分ほどかかりました。
埠頭からは、高速道路の入口まではすぐです。朝が早かったせいか、道路も空いていて早く帰り着くことができました。
見て考えたこと、次回に向けて改善した方がいいことなど色々思いつくままに。
<滝について>
今回の旅行中にいくつかの滝を見ました。神川の滝、曽木の滝、千里ヶ滝、丸尾の滝、関之尾の滝です。千里ヶ滝をのぞいて、だいたい似たような感じの滝でした。滝ではないのですがさつま町鶴田のホタル舟の場所も同じ感じでした。どのように似ているかということと、どうしてそのようになったのかということをまとめてみます。
まず特徴です。箇条書きにします。
1.落差の割に滝幅が広い。
2.下流側の両岸は切り立っている。(丸尾の滝をのぞく)
3.上流側に河床の広いところがある。千畳敷と名付けられているものもあります。
4.下流側の崖は、柱状節理の発達する新しい時代の溶結凝灰岩でできている。
5.岩石には滑らかな浸食あとが見られる。
次に滝ができた原因について考えます。キーワードは溶結凝灰岩です。この岩石は、阿蘇山のような大きなカルデラができるときに、火口から噴出した火山灰が起源です。大量に火山灰が放出されるので、火砕流となって火口から吹っ飛んできます。一瞬のうちに運ばれてきますのでそれがたまったときには、まだ熱を持っています。火山灰は噴出後いったん冷やされてかたまったものの、たまったあと粒子内部の熱によって(圧力が下がることも関係する)溶けていきます。マグマのような状態に戻るわけです。それが、再び冷えかたまったのが溶結凝灰岩です。
熱は、地面より深いほどこもっていきますので、火砕流で運ばれたまったもの(火砕流堆積物)の下の方が溶結凝灰岩となり上の方は火山灰(凝灰岩)となっています。溶結凝灰岩がない場合もあります。火砕流堆積物の内、溶結凝灰岩になっている部分を溶結部、普通の火山灰の部分を非溶結部といいます。その境界は、はっきりここで差があるというものではありません。非溶結部は柔らかく浸食されやすいのに対して、溶結部は固く浸食に対して抵抗力があります。火砕流堆積物はほとんど水平に堆積しているので、浸食されるときに、上の非溶結部のみを削り取り、溶結部を残して平らになっていきます。そうなると川の水は横に広がって流れます。
溶結部では、岩石が一度溶けたようになってから再びかたまっています。冷却固結するときに体積が収縮するので、柱状節理が作られます。この構造があるとき、浸食には強いのですが、唯一例外があります。崖になっていてその足元をえぐるように削られた場合、柱が倒れるようにして、壊れていきます。岩石のなくなった下流側は、柱状節理にそって崩れた、垂直な崖が取り残されます。
滝自体も、柱状節理の割れ目に沿って垂直に落ちるでしょう。川幅が広いので、滝幅も広くなります。溶結部の厚さは、数十mといったところでしょう。従って滝は、高さに比べて幅の広いものになります。
岩石が溶結することによってできたガラスは、水分を含むことによって柔らかくなり浸食を受けやすくなります。ゆっくりとですが削られていくでしょう。河原を見ても比較的小石とかが見当たりません。増水したときの泥水によって、紙やすりをかけたときのように削られていくのでしょう。渦巻いているような所では、流れが速くなり甌穴のような穴ができるでしょう。節理の割れ目も水分を含みやすいので、ちょっと削られやすいようです。滝口に頭のように残されている岩はこのようにしてで来たものでしょう。
後でわかったのですが、曽木の滝と関之尾の滝にある溶結凝灰岩は、加久藤火砕流によるものです。えびの市付近に広がる盆地は、この火砕流噴出後にできたカルデラとされています。因果関係が同じ滝を離れたところで見ていたことになります。
<新燃岳>
旅行から帰ってからしばらくすると、気象庁が硫黄山に火口周辺警報を発表しました。昨年の5月に警報が解除されましたが、噴気活動が強いということで、山頂(噴火口?)周辺は立ち入り禁止になっていました。実際に近くまでいった時でも、硫黄のにおいが強く感じられました。
警報発令で、周辺部の道路が通行止めとなりました。距離的には、泊まった宿も規制区域に入りそうだったのですが、今回は入らなかったようです。周辺道路も規制がかかりました。今回メインで通ったえびの市からえびの高原通って霧島温泉に抜ける道も、ぎりぎりだったのですが、規制区域から外れて(外して?)います。
もう少し後でもうちょっと規模が大きければというように、ほんのちょっとずれていれば規制にかかっていたようです。場合によっては、宿に泊まれなくなっていたかも知れません。その時はどうしたのでしょうか。
<工事>
今回は行く先々で工事中というのに出あいました。えびの高原の宿の工事は、初めから連絡を受けていたのでわかってはいたものの、それ以外でも、多かったようです。日南市油津の堀川橋、佐多岬のレストハウスと展望台、神川大滝公園、内之浦宇宙空間観測所の発射台、知覧の二つ家の屋根の葺き替え、伊集院駅の駅舎改築、さつま町鶴田ダム付近の道路工事、伊佐市曽木の滝公園での橋の付け替え?、霧島山大浪池のトイレ撤去といった具合です。道路工事で、対面通行行き違い待ちというのは数には入れていません。それでも1日に1回以上はであったような感じです。確率的に見て、遭遇する割合が多いような感じがします、このあたりでは、これほど頻繁に工事が行われているのでしょうか。それとも単なる偶然なのでしょうか。規模が大きなものが多く、年末の予算消化といったたぐいのものではないようです。
<天気>
一番心配だったのが、えびの高原に登る日の天気です。出発前は、山は吹雪いていそうな予報でした。車のタイヤを雪用に換えようかどうか散々悩んだあげく、いざ換えてみると空気が抜けていて使えないという状態です。
結局、天気はそれほどひどくならずにすみました。雨が降ったのは、4日の夜だけだったようです。えびの高原は、予想とは大違いで、星も見ることができました。
結果的にはよかったのですが、悪天に備えて一応の対策はとっておいた方がいいでしょう。タイヤの空気漏れがないかは要チェックです。
<スポーツ施設の照明>
星を見る上で一番困るのが、照明です。今回障害になったのは、スポーツ施設の照明です。危険防止のためには多少はしかたがないかなという点もあるとは思います。それにしても、ちょっと度を過ぎているような気がします。暗いために見落としがあって、けがの原因にならないようにと主張したいのかも知れませんが、ここまで明るくなくて良いのではと思います。照らされた場所を見ていてもまぶし過ぎます。じっさいのところは昔のテレビカメラに写り易くするというのを基準にしているのではないでしょうか。今では、カメラの感度が上がっていますので、それほど明るくしなくても十分なはずです。外部に漏れる光が多いのも問題です。
吹上砂丘では弓道場の照明が付近一帯を照らし、天気がよくても星の観測を断念していたでしょう。えびの高原でもスケート場の整備のために点けられた照明が広範囲に漏れていました。国立公園の中で環境省がよく許可したものだと思います。10年前にはすでにあったようなので、光害についてはあまり知られてなく照明が作られたのかも知れませんが、最近では問題となってきています。いずれ対応が必要となってくるでしょう。
<望遠鏡>
望遠鏡の使用については、いくつかのトラブルがありました。北極星が導入できなかったこと、極軸望遠鏡の暗視野装置が明るすぎたこと、ファインダーがしっかり固定されていない事などです。このあたりは、今回が試運転ということで、何かあるだろうという範囲内のものとして考えてもいいでしょう。
だいたいの操作方法のこつがつかめたので、次回からは使いこなせるようにしていきたいと思います。
<カメラ>
今回の旅行中に撮った写真は2000枚ちょっとです。1日あたりの枚数がだんだん増えていっています。
毎回悩まされるのが、撮像素子についたゴミです。今回は早い段階で、ゴミを確認しました。ブロアーブラシを持っていっていたので、吹き飛ばしたつもりでした。その後はあるように見えなかったので大丈夫だと思っていました。帰ってから確認すると、飛ばしたはずのゴミは最後まで残っていました。ちゃんとした方法でゴミを取り除き、本当になくなったのかを確認しておく必要があります。
何枚かの写真は、露出オーバーとなっていました。時々ダイヤルを触ってしまうのか、撮影モードが変わっていることがあります。撮影した映像は、電池の消耗を避けるために見直しはしないのですが、撮影直後のプレビューぐらいは見て確認した方がいいのでしょう。撮ったものを確認しないというのはフィルムカメラ時代の癖なのでしょうか。
<カーナビ>
今回もカーナビを持っていきました。その割には、要所要所で、道を間違えました。走っている間は、ナビの画面を確認できないのがその一因でしょう。取り付け場所がなく、助手席に置いたため、ちらっとというわけにはいかなくなっています。もう少し取り付け方法を工夫する必要があります。
道案内機能もついている(はず)のですが、確認していません。この機能を使っていれば少なくとも最終日の高速道路の出口間違いは防げたはずです。操作方法を研究しておく事が今後の課題です。
<経費など>
車の走行距離はほぼ1000kmです。古い車なので燃費が悪く、ガソリン代はほぼ1万円です。その他の経費です。
フェリー 35000円
高速道路等 4500円
駐車場 1000円
交通費合計 50000円
宿泊代 37000円
入場料等 2000円
その他 10000円
その他合計 49000円
このうちクレジットカード支払いは37500円(フェリーと高速道路)です。