2017/10/19-21 鉄砲とロケットの島
種子島は行ってみたかったところの一つです。パッケージツアーがないか探していたのですが、最近は単独でというのは見かけなくなりました。あっても屋久島の付録のような感じでついています。自分で計画を立てるしかないと思い始め、次回の旅行先候補として情報を集めることにしました。
作業に取りかかったところで、他に行って見たかったところの案内が旅行業者のパンフに載りました。一応こちらを申し込むことにしました。ここに行ければ、種子島はその次の旅行先とします。行けないようであれば、種子島の話を進めることにします。どちらにしても、種子島旅行は確定です。日付を抜きにして概要だけは考えておくことにします。
種子島までの行き方は二通りあります。一つは新幹線で鹿児島まで行ってそこから高速船で行く方法と、飛行機で鹿児島まで行きそこから再び飛行機で種子島まで飛ぶという方法です。新幹線−飛行機や飛行機−高速船の組み合わせは、駅(港)と空港がかなり離れているのでないでしょう。飛行機は高くつきそうなので新幹線と高速船の組み合わせて考えます。
高速船の鹿児島港出発は、13時15時16時にあります。所要時間は約1時間半です。13時以前にもありますが、間に合うようには到着できないでしょう。とりあえず13時を候補としてみます。鹿児島中央駅から高速船ターミナルまで15分くらいかかります。バスの待ち時間と早めについていないといけないことを考えると出発の1時間前くらいまでには鹿児島中央駅についておきたいものです。13時の船に乗るとして、12時には到着していないといけません。新幹線を調べてみると、新大阪7時53分発鹿児島中央11時37分着のみずほと、7時15分発11時32分着のさくらがあります。意外とゆっくり出て間に合うことがわかりました。
帰りです。最終が鹿児島中央19時51分発のみずほです。これの1時間ほど前につく高速船は種子島16時45分発鹿児島港18時20分着があります。これで帰ってくるとして、その前の新幹線は、18時30分発のさくらです。乗れそうにありません。夕食の事もありますから、みずほとの組み合わせがいいでしょう。
日数については、大きな島ですから、最低2泊は見た方がいいでしょう。対馬は北部と南部に2ヵ所探しました。基本的には星も見たいので、町外れが理想です。探して見つけたのは南種子町のわたり温泉館だけでした。ここでの2泊を候補とします。
島内を回る方法です。レンタカーを借りるのがいいでしょう。対馬で使った会社が全国展開していて種子島でも借りることができます。ここはネットから申し込みができます。他にも何社かあるようなので状況を見て申し込めばいいでしょう。
だいたいの計画は決まりました。もう一つのパッケージツアーの状況です。問合せ多数でまだ催行されるかどうかは決まっていません。それならということでネットから申し込もうとしました。ところが受け付けてくれません。よくみるとキャンセル待ち受付になっています。参加者人数が関係しているようです。しかたがないので、キャンセル待ちで申し込むことにしました。参加できるためのハードルは高そうです。このあたりの事情もあったので、種子島の計画を進めていました。
何日かしてから、ツアーの受付状況を見ると、いつの間にか受付停止になっています。これだと人が集まらずに催行中止になる可能性が非常に高くなります。どういう状況なのか電話で確認すると、泊まる予定にしていた宿の設備が壊れ、様子を見ているとのことでした。でも、他の旅行社のツアーなどを見ると同じ宿を利用するところは行っています。何となく計画そのものに問題が発生したため、理由をつけて実施できないようにしている感じがします。
東北の旅行から帰ってきて、ネットで調べてみると、ツアーの中止が決定していました。これで種子島の方に確定です。旅行計画を進めることにします。新月が10月20日なので、この前後ということでわたり温泉館に2泊取れる日がないか確認の電話をしました。とりあえず19日からの2泊にしておきます。結果はOKでした。日程はこの通りになります。この宿は食事も同時に申し込まないといけません。2食付きで申し込みました。
新幹線と高速船、レンタカーの予約を入れます。新幹線については、一番安い切符が、往き帰りともみずほでは売り切れていました。往き1台前のさくらでは購入できます。往きはさくらにします。帰りはみずほしかないので、2番目に安い切符を購入することになりました。高速船、レンタカーとも難なく申し込むことができました。
種子島では、できればロケットの打ち上げが見たいものです。直前の10日にH2ロケット(みちびき4号)の打ち上げが予定されています。打ち上げが延期されて後ろにずれ込めばと淡い期待をしましたが、10日もあるのでこれはまずないでしょう。ちょっと大きなトラブルがあったときだけです。
種子島の観光情報もある程度入手しておきたいものです。その前に地理を理解しておく必要があります。地図を作ることにしました。手持ちの道路地図は20万分の1の縮尺なので、あまり細かいところまで書かれていません。とりあえずコピーしておきます。も一つグーグルマップで観光地等が表示され始めるサイズの図ををつなぎ合わせて作りました。3000×7000ピクセルサイズになります。これを3分割して印刷させました。1枚が7万分の1程度の縮尺になります。この段階でわかったことです。道路があまりはっきり出ていません。これだけで疲れてしまい、新たに地図を作る気力はなくってしまいました。おかげで、観光情報入手はこれきりになってしまいました。現地でのパンフレットに期待する事にします。
荷物の準備はいつも通り直前です。そろそろ初めないとという時期になって、台風が接近しそうだという情報が入ってきました。進路予想とかを見ていると、帰ってきた翌々日あたりで近畿接近になりそうな感じです。種子島から帰る日の真夜中あたりで、大東島付近に接近するようです。そこから種子島近くを台風が通過するまでは1日はかかりそうです。帰りの日の午後の船は欠航になる可能性がでてきました。とりあえず現地で様子を見て、場合によっては早めの船に切り替えて九州に帰ってきてもいいでしょう。とりあえず予定通り出発することにします。
折りたたむ
新大阪から新幹線に乗るためには、発車時刻の1時間前に出ても十分に間に合います。ちょっと余裕を見て、6時頃に家を出ました。台風の影響があるのが、雨がちょっとぱらついています。荷物があるので傘を差したらちょっと歩きにくくなります。差すほどの降り方でもないので、持って行くだけにします。
新幹線の乗車時間が長いので、途中でトイレに行かなくてもいいように新大阪の駅でトイレによってから電車に乗ることにしました。席は窓側にとっています。九州新幹線は4列シートのなのでそれほど気にしなくていいのですが一応行っておきます。このときにかさを置き忘れてしまいました。かさの置き忘れの第1回目です。
電車は順調に走っていきます。博多について乗務員が交代し、ここからは韓国語と中国語の車内放送が加わってきます。放送がだいぶ長くなってきました。車内は相変わらず満席に近いままです。このあたりからトイレに行きたくなってきました。そのうちすくだろうと我慢していると、熊本で半分近くが降りました。隣の席も空いたのでここでトイレに行きました。
熊本を過ぎてからGPSロガーもセットしたのですが、こちらはトンネルが多くほとんど動作しませんでした。カメラも出して景色の写真も撮り始めました。新八代付近では不知火海が見られるかが気になりました。海から遠いようではっきりとはしませんが、島原半島は見えていたようです。写真中央右には雲仙山が雲をかぶっていますが写っています。
防音壁が、景色の半分近くを隠していてよく見えません。宇土半島とか、天草下島とかは見えています。こちらは、出水付近から見えた、長島から天草下島です。春に行った場所です。フェリーから見えていた富士山のような形の産島も写っています。
GPSロガーは薩摩川内を過ぎてトンネルに入ったところでOFFにしました。トンネルを抜けたらすぐに鹿児島中央駅で、しばらくはビルの中を歩き回るでしょう。電波を受信しそうにありません。
鹿児島中央駅に到着して、駅ビルで簡単に食べられるものが売られていないか探します。ざっと見て見つけられそうもなかったし、ネットで調べていたバスの発車時刻がせまっていたこともあり、いったん停留所に行くことにしました。停留所にいったものの、目の前でバスに出て行かれました。調べていた時間と違っていました。再度駅ビルを物色し、結局パンを何個か買ってバス乗り場に行きました。今度は予定のバスに乗ることができました。
高速線ターミナルでバスをおりて、乗船券をもらって船の到着を待ちます。待合室からは対岸に桜島が見えています。山頂部は雲の中です。
待っていると、港の入り口から高速船が入ってきました。これかなと思ったのですが、続けてもう一隻入ってきました。船名からすると乗るのは後からやってきた方の船のようです。前の船は屋久島に向かうようです。
船の席は2階席の窓側に取りました。右側ですから、薩摩半島側がよく見えることになります。港を出てすぐに見えてきたのは、大型客船です。中国からのものなのでしょう。鹿児島にも寄港しているようです。
指宿に近づいてきて見えたのが知林が島です。この島につながる陸繋砂嘴で有名です。
この先、薩摩半島の先端付近の開聞岳は、もやの中ではっきりとは見えませんでした。反対側には大隅半島が見えてきます。先端に近づいて見えてきたのは佐多岬です。昨年に訪れた時に作り始めていた展望台はだいぶできてきているようです。
佐多岬の灯台です。意外と低いところにあるように見えます
佐多岬を過ぎると、しばらくは海ばかりで景色ははっきりと見えません。硫黄島とか屋久島とかは右側の窓からははっきりとは見えてきません。しばらく、本を読んでいたりしていたのですが、船の揺れが大きくちょっと気分が悪くなってきました。本はあきらめて窓の外を眺めることにします。何となく見えてきたのが、平らな島です。馬毛島です。真ん中を縦断する滑走路のような窪地があります。
程なくすると、正面にうっすらと島影が見えてきました。まもなく種子島に到着するようです。
種子島に到着して最初にレンタカーを借りに行きます。予約した会社は高速船ターミナル内で受付しています。カウンターはすぐに見つかりました。手続きの時に、台風の影響で返却が早くなるかもしれないことは告げておきました。次に並んでいた人は、3泊するみたいで、帰りの船が大丈夫か心配していました。この日程ではまず無理でしょう。
レンタカーは、港入り口の土産物センターの周囲に置いてありました。ここは島内のレンタカー会社の共同の置き場になっているようです。最初に、レンタカー受付に行ったので島内のパンフをもらっておくのをわすれていました。レンタカー置き場までの途中にあった観光案内所によったのですが、韓国語のものしかおいてありません。レンタカー会社の人がどこからか日本語版を見つけてきてくれました。
レンタカーを借りてからの予定です。途中見所のあるところによりながら、最南部の門倉岬まで行ってから宿に向かうといい時間になると考えています。南に向かう国道を進んでいくことにします。海岸沿いを走っていると山側に漣痕と書かれた看板がありました。見ないわけにはいかないでしょう。行き過ぎていたのですが、引き返して見ていきます。駐車場はないので車は道路の脇に寄せて駐めます。
道路から見えた漣痕です。規則性が少なく、疑問符をつけたくなってきました。
漣痕を横から見たものです。地層の断面を見ていることになります。地層は直立しています。左側が海側、漣痕を見ていた側になります。茶色の砂岩層から青っぽい泥岩層に移り変わる所に漣痕はできます。砂岩層の左側にはあまりはっきりした漣痕はありません。写真をよく見ていると、右側が波打っているようです。漣痕は茶色い層に見られていたので左側ばかりを見ていました。
海岸に見られた地層です。砂岩泥岩の互層です。古第三紀の熊毛層群と書かれています。四万十層のようにみえます。間に、スランプ構造も見られます。海底で起こった地滑りでできた地層です。
車を道路脇に駐めているので、次に進むことにします。種子島中央部の西海岸を南下していきます。少し進んだ所で龍星館と書かれた道の駅のような建物があります。しっかりとした駐車場があるので、ここでゆっくりと海岸の様子を見ることにします。
北側の海岸線です。漣痕のあったところから地層のはっきりしない岩場が続いています。このあたりから再び地層がはっきりとしてきています。
海岸の地層です、砂岩泥岩の互層です。この付近のものは砂岩層が厚くしっかりとしてきています。蓮根などの地層表面にできる模様がないか探したのですが見つけることはできませんでした。
龍星館の南側に雄龍・雌龍の岩というのがあります。砂岩層の特にぶ厚いところが浸食で削り残されてできたようです。鳥居がつけられしめ縄が渡されています。
道路添いの岩も気になります。地層の様子もそうなのですが、トベラのような植物が岩の隙間に根を張り巡らせようとしている力強さに驚きです。
道路沿いの段差のすき間に生えていた植物です。長命草のように見えます。
再び南下を続けます。すぐに海岸から、島中央部を縦断する形になります、大ソテツとか、案内標識は見たのですが見つけることはできませんでした。
道路沿いに遺跡があったことを示す大きな説明板があります。発掘跡は再び畑地に戻されています。だいたいこのあたりという見当しかつけられないでしょう。ここに載せられている地図を見ると大ソテツは行きすぎているようです。
立切遺跡の看板を見ている間にトラックに追い越されました。速度は控えめに走っています。すぐに追いついてしまいました。しばらくはトラックの後をついて走る事になります。この先、南種子町の役場付近で、道は3つに分かれます。東側の海岸線沿いの道、西側の海岸線沿いの道、このまま中央部を突っ切る道です。東側に行けば宿の方にいきますから、今日行く必要はありません。まっすぐいくか右に曲がるかのどちらかです。トラックが前にいると、前方が見えにくくなるので、トラックの進むのと違う方向に行くことにします。役場前でトラックは右折していきましたので、そのまままっすぐ進むことになります。
しばらく走っていると前方にレーダー施設のようなものが見えてきました。非常に気になります。広い公園があって、大きな駐車場もありますので車を駐めて見に行くことにします。
気になっていた施設です。何の施設か書かれた看板さえなかったので、何かわからずじまいでした。
ここから、東側の丘に電波の受信施設などが見えています。ロケット関連の施設が、この付近にはたくさんあるようです。
この公園は宇宙ヶ丘公園といいます。ロケットの打ち上げ時に、打ち上げを見る場所の一つに指定されているところです。発射場まではだいぶあるようです。かなりよく見ないとどこかわかりません。写真中央の白い建物のあるところの右上にそれらしいものが見えています。
公園には、天皇陛下が来られて歌を詠んだようで、碑になって残されています。
公園は運動ひろばなどが中心のようです。わざわざ見ていくほどのこともなさそうなので、次に進みます。
山道を進んで、下り坂にかかったところで、化石と書かれている看板がありました。ここにいったん行きすぎていましたが引き返してみることにしました。車を駐められそうな所がなかったので、道路脇に駐めます。
田代化石と書かれています。地層の中に化石があるのではなく、大きな岩の中に化石が入っています。この大きな岩がどこから来たのかは謎です。
この付近は庭園風に整備されています。ここに置かれた石のいくつかにも化石の入っているものが見られます。
化石の入っている石はそれほどたくさんはないようです。一通り見終わったので次に進みます。
そのまま道を進んでいくとT字路につきあたります。海岸近くに出たようです。どちらに進んでいいのかわからなかったので、初めは東に行き始めたのですが、途中で思い直して西に向きを変えました。
まっすぐ進んで、山を登り切ったあたりに七色展望所というのがあります。種子島の南側に広がる前之浜がよく見えます。海岸近くには砂丘が発達しているようです。
砂丘の陸地側です。低地が広がり田んぼになっています。海が砂丘でせき止められ潟になっている場所です。それも埋め立てられてしまったようです。
ロケット発射場のある方角です。ここからは発射場は見えないようです。
このまま道を進んで門倉崎に向かいます。
道を進んでいくと左側門倉崎の標識がでてきました。直接門倉崎を経由するのではないようです。脇道を進んで鳥居のある右側が駐車場になります。
鳥居の横に火縄銃を持った人の像が設置されています。ここが日本に鉄砲が伝来した場所である事を示しているようです。
鳥居をくぐって真っ直ぐ進んで行きます。道の左側に鉄砲伝来紀功碑があります。地元の石でつくられているのでしょう。かなり古そうです。男爵種子島守時謹書と書かれています。
石碑の横から見る海岸線です。前之浜から竹崎方面になります。
展望台です。ポルトガル船をもして作ったのでしょうか。前後に圧縮されていて、中の階段は登るのには急すぎるようです。
展望台から見た種子島中心方向です。特に目立って高い山はなく比較的平坦な高所が広がっています。
展望台横から門倉崎先端の広場に降りる道から見た広場です。左側にあるのは幸せの鐘というそうです。鳴らすと幸せになれるとか。遠くに水平線が見えます。
展望台と広場の間に神社があります。御崎神社といいます。
御崎神社をぐるっと回ると紀功碑のあった所に戻ります。そのまま駐車場に戻り来た道を引き返します。
途中にポルトガル人上陸の地と書かれた案内板があります。南蛮船が漂着したのはここを下りていったところのようです。失念していて鉄砲が始めてついた場所を見に行き損ねました。
道脇にサツマイモが積み上げられていました。このいもは、食用でしょうかそれとも焼酎用? デンプン用というのもあるようです。
南蛮人漂着の場所を失念していたのには訳があります。先ほどから見えていた前之浜にドラメルタン号漂着の碑があります。これがてっきり、鉄砲を運んできた船だと勘違いしていたためです。次に向かうのは当然、ドラメルタン号漂着の碑がある前之浜になります。
門倉崎からは来た道を引き返すことになります。田代化石のあったところから降りてきた道と合流するところの少し先に、前之浜海浜公園に行く道が分岐しています。その道の正面にあるのがドラメルタン号漂着の碑です。碑にはドラムエルタン号と書かれていますが、ドラメルタン号というのが正しいようです。
駐車場はこの横にあります。ここに車を駐めて浜を見に行きます。すんなりと海岸に行けると思ったのですが、前方の砂丘を横切る道がありません。かなり迂回しないといけないようです。迂回しているときに写した砂丘です。
砂丘を越える道を見つけて、越えるときに写した門倉崎です。肝心の鉄砲鵜伝来の場所は先端の少し右側になります。
手前に見えていた鹿鳴川の河口付近です。沖合からかなりの量の砂が打ち寄せてくるためか、海に着く前に砂の中に川の水がしみこんで川幅が狭くなっています。
海岸に打ち寄せる波です。台風の影響か波は大きいようです。
浜から戻る途中に、展望台があります。ここから見た前之浜と門倉崎です。
前之浜の東半分から竹崎方面です。海岸に沿って砂丘ができているのがよくわかります。石碑は道路の左側に先にあります。
展望台から駐車場に戻る途中の草むらにいたベンケイガニです。逃げ場がないのでさかんに威嚇しようとしています。
駐車場から元の道に戻り東へ車を走らせます。広い道に沿っていきます。宝満の池と書かれた標識があったのでそちらに進んで行きます。展望所があって、少し広くなっています。ここの正面に崖があり地層が出ているので気になります。このあたりは厚い砂岩層のようです。葉理のような模様も見えます。
宝満の池です。展望所の割りには、樹木があって池はほとんど見えません。ここから飛び立つカモを網を投げて捕まえるという猟法をしていたようです。
さらに宿に向けて進みます。そのまま北上する道に入れば宿に行くような気がしたので赤米館の所を曲がったのですが、道は狭く違ったようです。道沿いにあった西南戦争出征戦没者招魂の杜と書かれている石碑がありました。時間も遅く写真だけ撮りました。後でよく見ると西南戦争です。太平洋戦争と勘違いしていました。この地から、どちらの軍に参加するためにでていったのでしょうか。
ここでいったん赤米館の駐車場入り口に車を駐めて宿の位置を確認します。もうすぐの所まできています。
河内のわたり温泉館に到着するなり、連絡がないから来ないものと思っていたといわれました。台風はまだ先のことだと思っています。こちらは行けなくなったときは連絡しないといけないものだと思っています。どちらにしても何とか泊まることができました。泊まる部屋は別棟にあって、どちらかというと長期にわたって自炊しながらというのにむいていそうです。
食事を作ってもらっている間に星が見えそうなのか、見えたとしたらどこで見るのが良いのかを確認に行きます。天気はもう一つです。宿の前の通りはほとんど人車とも通らないので、道ばたの広いところでじゅうぶんでしょう。宿の前に一つ大きな照明がありますが、これはまだ点灯していません。
食事をすませてから再度確認をしたのですが、天気には変化がないようです。宿の前の照明はついています。これを避けるにはだいぶ遠くに行かないといけないようです。星は見えませんから宿に戻ります。
ここの宿は温泉なのですが、大浴場はなく各部屋に温泉が引かれています。ゆっくりと使って休むことにしました。
翌朝です。天気は相変わらずパッとしません。雨が降っているわけではないので、そのあたりを歩いて回ることにしました。
わたり温泉館の横に神社の鳥居のようなものがあります。ここから見ていくことにします。鳥居の下の道は苔むしている上、途中で藤棚のような所をくぐっていきます。
鳥居前の解説には、ここには喜道(日悦上人)の墓と関連品があると書かれています。島主の弟だったが、ここに極楽寺を建てて隠居して、この付近の開墾に尽力した人だとも書かれています。墓としては立派なものではないのでこれなのかどうか見ただけではわかりませんでした。後で入り口にあった解説と比べてみるとこれのようでした。
極楽寺は明治期の廃仏毀釈により取り壊され、代わりに上中神社が作られています。鳥居はその時のものでしょう。これが神社の社殿のようです。
わたり温泉館の横で白い花が咲いているのが気になっていました。畑の向こう側にあって近づくことができませんでした。神社の横の道を通っていくと近くにでられるのではないかと思い進んで行くと、畑の裏側にでることができました。ちょっとだけ近い距離から花を見ることができました。葉っぱはショウガに似ています。調べてみるとハナショウガのようです花縮砂ともいいます。
神社の鳥居前まで戻り、南側の前之浜に向かう道に入ります。民家の庭にバナナがあったのですが実はつけていませんでした。その向かいの畑にあったドラゴンフルーツには実がついていました。この付近でも路地で育つようです。
南に進んでいくと温泉センターがあります。この付近は、種子島では数少ない温泉が湧いているところです。
温泉センターの南側です。谷間の広いところに田んぼが広がっています。このあたりが日悦上人が開墾したところになるのでしょうか。
そろそろ戻らないと、朝食時間に間に合いません。引き返すことにしました。宿まで戻ったところで、周辺に咲いている花を見ていくことにします。
コバノランタナです。このあたりでは、実をつけるようです。自家受粉をしても大阪では実をつけませんでした。ここのもので実をつけているのは黄色い花だけのようです。
一緒に咲いていた黄色いヒガンバナです。リコリスといった方がいいのでしょうか。
宿に戻ってから食事をします。何人か泊まっているはずなのですが、ほとんどの人は自炊しているようです。終わってから、宿の人に今日も泊まるのかと聞かれました。どうも台風で帰れなくなることを心配してくれていたようです。明日の午前中までは大丈夫と思っていました。帰れなかったらしばらく缶詰になるとか、ここは飛行機の方が霧が発生するので欠航率が大きいとかいろいろいわれるとだんだん心配になってきました。部屋に戻ってから検討することにします。
テレビの台風予報を見ても予想通りの進路と速度で進んでいます。状況はあまり変わっていないようです。
日程変更で一番大きなネックになっているのは、帰りの新幹線です。払い戻しが利かないことにあります。別の列車で帰るとなるとかなり大きな出費になります。新幹線が止まってくれれば払い戻しがあるので問題はないのですが、これはまずないでしょう。となるとなにがなんでも明日の夜に鹿児島中央から列車に乗って帰らないといけないことになります。種子島で台風によって足止めされることは避けないといけません。
次の問題は、船便を換えることができるかどうかです。まだ船会社が開いている時間ではないので、開くまでしばらく待つことにします。ようやくつながった受付に話を聞いてみると、明日の午後は欠航率が高いだろうということ午前中はどうなるかわからないとのことです。このあたりはこちらの予想と同じです。船便を換えることについては、早割分との差額600円で変更が可能だということです。今日の便もまだ予約できるということなので、まるまる1日早めの便で帰ることに決めました。
行程変更が決まったので、宿の方にはそのように告げて、支払いを済ませます。あっさりと早く帰った方がいいといわれました。
この後、船に乗るまでは東海岸を北上していけるところまで行くことにします。この行程は初めから考えていたものと同じです。
宿から南下して南海岸に出たところで、東に向かって海岸沿いを進んで行きます。この先は種子島宇宙センターがある地域です。まずは竹崎付近から見ていくことにします。宇宙センターの駐車場から南側です。奇妙な形の建物があります。何かの施設かと思っていたのですが、単なる展望台だったようです。
ここには宇宙科学技術館があってロケットのどの技術に関する資料が見られるようです。中に入ろうとしたのですが、開館まではまだ1時間近くもあります。行程変更で、のんびりもしていられなくなったので、ここはパスすることにしました。
もう少し周辺のようすを見てから次に行くことにします。駐車場の上の丘には、H2ロケットの実物大模型がおかれています。宇宙科学館の前にあったのはNLVと書かれていますから、この一世代前のもののようです。
東に向かう道があります。進んで行くと途中でロケット発射施設のようなものが遠くに見えてきました。このあたりで大型ロケットが打ち上げられるのでしょう。
道の突き当たりは、竹崎射場といいます。小型のロケットの打ち上げ施設があります。ロケットのランチャーがおかれています。
この先はすぐに海岸になっています。北側を見ると大型ロケットの発射場のようなものがよく見えます。
これは大型ロケットの組み立て場のようです。内之浦で見たものとよく似ています。
発射場との間の海岸です。切り立った崖の上に灯台があります。となりにはレーダーの施設のようなものがみえます。
竹崎近辺の宇宙センターは広いのですが、そのわりには施設らしいものあまりありません。このあたりは、何かに使ってというのではなさそうです。初期の頃は使っていたかも知れませんが、手狭になって場所を変えた後そのまま残されているように見えます。
現在の発射施設があるのはここから北側にある大崎の方なので、そちらに向かうことにします。途中に見えていた灯台も近くで見ておきたいので寄ってみることにしましたが、道は衛星電波受信施設のようなものの前までで途切れています。もちろんここは立ち入り禁止です。
入り口からわずかに見えた灯台です。レーダー施設のようなものは見えませんでした。
灯台のすぐ先に、ロケットの丘展望所があります。ここから大型ロケットの発射場が見えます。発射施設まではまだまだ距離があるようです。説明によると、四角いロケット組立棟の右側にある赤白の鉄塔の間がロケット発射場だそうです。
ロケット発射場付近を拡大して見ました。左側と中央の2ヵ所に発射台があります。
先に進んで、中型ロケット発射場跡に行ってみました。ここもそれといって何か目立ったものがあるというわけでありません。2台のタンクローリーが停まっていて、後部の配管からは蒸気のようなものがさかんに出ていました。液体燃料か何かが詰まっていたのでしょうか。奥に見える鉄塔は気象観測塔だそうです。
ここから海岸に歩いて降りる道があったので行って見ました。大型ロケット発射場はすぐ目の前に見えます。
反対側です。灯台とレーダー施設、パラボラアンテナが見えます。左端付近が竹崎の小型ロケット発射場になります。
この先、大型ロケットの発射場に近づけるところはなく、だんだん宇宙センターの建物群から離れていきます。センターの区域から出るあたりで、前方から大型トラックが来るので待避して待っているようにいわれます。向こうからやってきたトラックです。こんなような感じのトラックで、ロケット本体を島間港から運んできているようです。
宇宙センターを通りぬけて見えてきたのは広田漁港です。入江の奥にある場所なのですが、周辺に民家は見当たりません。漁師さんは遠くから通っているようです。
やっぱり、港よりも対岸に見える地層の方が気になります。ここに下りてくるまでの間でも、所々できれいな地層が見えていました。ここのものは緩く海側に傾いているようにみえます。実際には向こう側への傾きの方が大きいようです。山の尾根もだいたいこれと同じように斜めになっています。
漁港から先に浜に降りる道があります。浜も見たいので車を道ばたの広いところ駐めて見に行くことにします。駐めたところから道路を隔てた山側を見ると大きな看板があります。そこに書かれていたのは、ここで岩穴(いわな)というサウナ風呂みたいなものがあるということです。岩穴の中で火をたいて暖めたあと、葉っぱなどを敷き詰めて中に入ってあたたまるというものです。最近はあまりおこなわれていないようです。
浜に下りてみた海岸の北側方向です。
南側方向です。消波ブロックの向こう側に漁船の通り道があり右奥の漁港から左奥の方から海に出入りします。浜には、小石が散らばっています。
いったん車に戻り移動します。少し進んだ所に広田遺跡駐車場というのがありました。車を止めて付近の様子を見ました。ここには神社のようなものがありますが遺跡らしいものはありません。海岸に下りていくようにという案内がありますのでそれに沿っていって見ました。
森の横をぬけたところから、ちょっと高くなっているところに上がると広田遺跡がありました。弥生時代から古墳時代の墓地遺跡だそうです。このあたりは南側墓群といって、100基以上の墓が見つかっているそうです。墓のあったところに標柱が立てられています。
この北側にも墓群が見つかっています。その途中にあった人骨が見つかった場所です。この付近はたくさん見つかるようです。
北側墓群に到着しました。ここは発掘時のようすが復元されているようです。
先ほどから小学生の集団と一緒になっています。いまは、墓群の説明を受けているところです。邪魔をしないように先に周囲のようすを見ることにします。
墓群の北側を流れている川です。河口側になります。ここも浜に寄せる砂で川幅が狭くなっています。
内陸側です。湿地のような地形がみられます。自然環境についての解説板もあって、それには潟湖が広がっていたと書かれています。
北側墓群の前が空いたので見に行きました。下側から見ると地層の断面が復元されています。一部に人骨が埋まっていたようすも復元されています。
人骨が埋まっていても、長年の間に風化してなくなってしまっているのがふつうです。このあたりで、たくさん見つかるのは骨が保存される何かがあったのでしょうか。アルカリ性土壌では保存されやすいとも聞いています。このあたりはそのようなものだったのでしょうか。
ふたたび、海岸に沿って駐車場に戻ります。正面に見える岩の間からロケット発射場が見えていました。
広田遺跡から次に目指すのは浜田海岸です。千座(ちくら)の岩屋があります。海岸沿いには道はなくいったん内陸部に入ります。後で見直した時にどの道を通ったのかはっきりしません。この区間はGPSの記録が途絶えています。たぶん千座の岩屋への標識があってそれに沿って進んだようです。
浜田海岸の車を駐められる広いところがたくさんあって迷います。最終的には海水浴場海の家近くに駐めました。ここは猫の多いところです。車を止めて降りると、何かもらえると思って近づいてきます。
海岸に出てどちらに進もうか迷います。大きな浜です。南側に岩山のようなものが見えますからそちらに行ってみることにします。浜には強い風が吹いていて、非常に歩きにくくなっています。
岩山にだいぶ近づいてきました。三角形(三角錐の形)をしています。波に削られて垂直の崖ができています。海面近くに海食洞のようなものが見えます。
足元の砂です。よくしまっています。風で削られたのか、葉理が板目のような模様を作っています。
浜に残された岩に作られた穴です。甌穴のように見えます。
この岩の上から見ると海岸の海食洞がよく見えます。これが千座の岩屋なのでしょうか。
三角形の岩山の海側は波が強く近寄ることができません。山側に回ってみました。こちら側にも、トンネルのような穴が空いています。海側に見えた海食洞とつながっているのでしょう。穴を通って、波がぬけてきています。
波の引いている間にできるだけ中に入って洞窟内を写したものです。すぐに次の波が来るので、これ以上奥にはいけません。
山側の別の入り口から入ったところです。ここもこれ以上は入れませんが、奥はかなり広くなっているように見えます。
潮が引いていれば、もっと奥まで行けたでしょう。ちょっと残念です。
三角形の岩山とさらにその山側との間にはなだらかな谷があります。海側が切り立っているのは対照的です。
浜田海岸から北側は熊野浦という入江になっています。その内陸側も低くなっているところが多く、潟湖や低湿地が広がっていてマングローブ林ができているようです。浜田海岸の北西端から内陸部に広がる潟湖にできたマングローブ林はマングローブパークとして整備されています。次はそこに向かいます。
パークは潟湖の奥にあります。そこからマングローブ林内に遊歩道が設置されています。
ここのマングローブはメヒルギが中心のようです。花は終わって実になりかけています。
遊歩道沿いのマングローブです。あまり大きな木はなさそうです。
林床にいたカニです。片方のはさみが大きいので、シオマネキでしょう。
こちらは、目立たないカニです。アシハラガニでしょう。
川沿いのマングローブです。芽を出した直後というものが目立ちます。
遊歩道から海側です。このあたりが一番マングローブが広がっているところになります。
あまり大きなマングローブはここにはないと思っていました。次に行こうとする前に入ったトイレの窓からちょっと大きめのマングローブの木が見えてきました。これでもあまり大きいとはいえません。
道に沿って進んでいきます。川に架かる橋の近くから見た潟湖です。左奥にマングローブ林が広がっています。
ここから、海岸まではすぐです。途中の川沿いの崖です。このあたりもきれいな地層の縞模様が見えています。
水面近くには大きなたくさん洞穴ができています。何か地層に穴を作りやすい仕組みがありそうです。特に大きく削られる地層が決まっています。
河口付近です。ここも海から打ち寄せる砂によって河口が狭くなっています。このあたりが、浜田海岸の北端になります。
熊野浦の浜は入江の中でずっとつながっていて良さそうなのですが、岩場によって南側の浜田海岸と北側の熊野海岸に分かれます。道もいったん小さな峠を越えます。いつの間にか、南種子町から中種子町に入っていました。
峠を越えた側にも阿嶽川に沿ってマングローブ林があります。道脇に駐車場があってそこから見るようになっているみたいです。阿嶽川マングローブ林といいます。
駐車場から見たマングローブ林です。真ん中を阿嶽川が流れています。
中に道みたいなものがあるので入ってみました。人が入って乾燥して木が枯れただけなのでしょうか。このあたりは水面よりだいぶ高いところにあります。
川岸に生えているメヒルギのようすがよくわかります。ここのものもそれほど大きいという感じではありません。
道はすぐに先に進めなくなったので引き返します。次の場所に行くことにします。道を北上すると再び浜に出ます。熊野海岸です。浜から北側のようすになります。遠くに漁港が見えています。
南側です。変わった形の岩があります。
熊野海岸中程にある崖です。四角い形を穴がたくさんあいています。室戸岬でタフォニといっていたものでしょう。
熊野海岸の駐車場にあった説明板には、阿嶽川左岸のマングローブ林にシマジンチョウがあると書かれています。春に九州で見られなかったものです。パンフに書かれているのですが、案内がなく場所がわかりませんでした。場所もだいぶはっきりしたので引き返して探してみることにします。
戻って見ると阿嶽川を渡る橋の手前にマングローブ林の標識があります。説明板に書かれていた場所はこの奥になります。入っていくことにしました。先ほど歩いていたのは川向こうです。
中に道といっていいのかブロックが並べてあります。
進んで行ったのですが、すぐに道は細くなります。ハマジンチョウはこの先にあるみたいなのですが結局近寄れませんでした。説明板にあった場所付近を写してみました。ここに写っているのものはそれではなさそうです。
先ほどもそうでしたが、道は蜘蛛の巣だらけです。棒をもって蜘蛛の巣を振り払いながら歩きます。途中の蜘蛛の巣にはセミがかかっていました。
むやみに歩き回っても見つけることはできないでしょう。あきらめて次に行くことにします。あとでこの付近の地図を見ていて思ったのは、熊野海岸の看板のあった場所から海岸沿いに歩いて行くと近くまでいけたのではないかということです。
熊野海岸から北上するにはいったん島中軸部を通らないといけないようです。どうせならという事で、ここから中軸部にある日本一の大ソテツを見に行くことにします。適当なところで中軸部側に入ったのですが、どこにぬけたのかがよくわかりません。車を止めてカーナビを操作して、だいぶ行きすぎていたことに気がつきました。熊野海岸からだと北上せずにそのまま曲がらないといけなかったようです。
ここからの道は昨日も通っているのに大ソテツを見損ねています。カーナビを頼りに進んで行きます。大ソテツは坂井神社にあります。神社を見つけ、その前で車を駐める場所を探していたら少し先に坂井公園駐車場というのがありました。ここにいったん車を入れます。近くにあった案内図を見るとこの付近には、神社以外にもいろいろいわくのあるものがあるようです。
まずは坂井神社です。入り口の鳥居です。
入り口横で咲いていた花です。ブーゲンビレアと思っていたのですが、そうではないようです。
大ソテツを見に来たのですが、その前に入り口にあるアコウの木にも圧倒されます。
階段も木でできています。地面から離れているところですがここのものは普通の石段と同じように作られています。木が腐らないのか心配です。
階段を上がって正面に見えてきたのが、坂井神社の社殿です。
大ソテツです。本殿側から見ています。枝が横に長く伸びていて、折れないように支柱がいっぱい立てられています。
裏側から見たところです。今までみたソテツの中では枝分かれの数が一番多いようです。
坂井神社から駐車場に戻るところにあるのが矢止石です。日良法印に向けて放たれた矢が全てこの石にあたったそうです。それはいいのですが、矢止石というのがどれのことかわかりません。字の書いた石が初めからあったと思えないからです。この石は矢止石を記念した石碑のようにも見えます。
日良法印を称える石碑です。
石碑があるのは、この近くに墓があったからのようです。墓所跡の石碑がありました。
朝、宿の近くで、喜道(日悦上人)関連の施設をみました(第7話)。その喜道が河内に隠居したのは、ここででてきた日良法印が島主を改宗させた事に関係しているようです。
坂井公園には、古市家住宅があります。種子島で現存する中では最古の部類に入る建物だそうです。古市家は島主に招かれて河内国古市郡から移り住んだそうです。古市郡は近鉄南大阪線の駅があるあたりなのでしょう。
行こうか迷ったのですが、外観だけでもと思い行くことにしました。公園駐車場から細い谷を下りていったところにあるようです。途中にある管理事務所のような所から管理員のような人が出てきて、住宅の方に行って扉を開けているのが見えました。どうも説明してくれそうな雰囲気です。
見えてきた、住宅です。
周辺をみてから建物の方に行くと建物の中で待っていて、解説してくれました。まずは使われている釘の説明です。頭が四角くなってています。和釘の特徴です。建物を修復するときに、この釘1本まで忠実に復元したということです。
梁に使われている材木です。表面がでこぼこしているのはチョウナで削った跡です。
座敷から床の間です。飾られている写真は当主の古市氏のものです。鎧甲は関係は特にはないそうです。
台所(たぶん)です。ここは天井板がなく屋根裏がむき出しです。
屋根です。瓦っぽくないのですがしっかりとした瓦です。
ちょっと離れたところからみた屋敷です。突き出し部が見えています。
帰る途中でみた建物です。木々の間にあるという感じになっています。
坂井公園の北に中種子町の中心部があります。南から北上してきた道はいったんそこに集まりますが、さらにその北側では3本に分かれます。予定では時間まで東海岸を北上することになっています。まだ北上は続けられますので、東海岸に近い道を進むことにします。位置関係はよくわかっていないのですが、分岐した先に増田の宇宙通信所と男淵女淵の滝があります。滝の方が中軸部に近そうなのでこちらを目指していくことにします。
滝までの道は、網の目のようになっていてどれを通っていけばいいのかわかりません。カーナビに頼ることにしました。滝というので、山の方に登っていくのかと思っていたのですが、中軸部からだんだん下っていきます。よく考えてみたら種子島は島の中ほどは平で、海に近い周辺部が坂になっています。この坂になっているところに滝があるのだろうと考え直しました。
カーナビの指示に従って滝の駐車場に到着できました。ここからは歩きになります。少し進んで行くと滝が見えてきました。滝は2段になっていて、下を女淵の滝、上を男淵の滝といいます。これは、下の女淵の滝です。
すぐ正面には男淵の滝が見えています。
淵ということばがついているように、2つの滝の滝壺はかなり広くなっています。これは男淵の滝のものです。
川の方に降りていく道があります。女淵の滝の上に出ます。先ほどのものより女淵の滝を正面ではっきり見える場所はないようです。
女淵の滝の滝壺です。大きな淵ができています。こちらの方が狭いようです。
振り返って見た男淵の滝です。
道に戻ります。さらに上流側に続いているので行ってみました。川には小さな段差があって水が落ちているところがいくつもあります。これくらいの落差では滝とはいえないでしょう。
段差は地層の岩質の違いによってできているようにも見えます。上流に行くにつれだんだん小さくなっていきます。これくらいになると普通の川の流れと変わりありません。
この先は何もなさそうなので引き返すことにしました。
駐車場に戻り、島の東側を北上する道に下りていくことにします。途中で掩体群跡があると書かれた標識をみたので、何のことなのかと思いいってみました。道は車1台がやっと通れる幅しかありません。それらしいところに車が駐められて向きが変えられる場所がありました。
掩体とは戦争中に飛行機を隠すために作られた穴のことです。それらしい場所は、草が生い茂っていてはっきりとはわかりませんでした。もっとも、場所がわかるようでは飛行機を隠すのには使えません。
引き返して、山を下りる道に戻り目的の道路に出ることができました。
島東側を北上する道に出てから、左折して進みます。予定では北上することになっていました。道は山の中へと入っていきます。増田の宇宙通信所は行きすぎていたみたいです。このまま北上を続けます。
次に見えてきたのは犬城海岸への標識です。馬立の岩屋とも書かれています。こちらに入ります。狭く薄暗い道です。一応舗装はされているのですが、落ち葉などが積もっていて山道のようです。
鳥なども時々見かけます。正面に大きな鳥がいたので写してみたのですが、普通のキジバトだったようです。
海岸近くまで下りると、広くなっているところがあります。そこに車を駐めて海岸を歩いてみることにします。
海岸の降り口に咲いていた花です。このタイプの花は名前を調べるのが大変です。結局の所何かは不明です。
海岸にはレキで埋まった浜があります。それほど広くなく、すぐに岩場へと続きます。南側の岩場です。
浜の礫です。小石に混ざってサンゴのかけらもみられます。
この付近の岩場を作る地層にはレキ層が挟まれています。今まで見てきた地層にはこれだけはっきりしたレキはありませんでした。
山側の崖です。大きくえぐられるように崩れています。礫岩層が削られたように見えますが、さらにその下から崩れているのでしょう。
沖合の岩場です。葉理に沿った削られ方の違いから、段々の帽子のようになっています。
海岸にできた洞門です。レキ岩層の下の砂岩層が削られてできたようです。
さらに南側の断崖です。ものすごく切り立っています。
この付近の海面近くにみられた礫岩層です。泥岩のレキがあります。このレキは地層より柔らかそうに見えます。このようなレキはマッドボールといいます。いったん作られた泥岩層がすぐに削られ、そのまま礫となったものです。
礫浜の南側はこれくらいにして、北側に行ってみます。
大きな洞穴があります。向こう側の海までつながっているようです。馬立(またて)の岩屋といいます。行方不明になった主人を待っていた馬にちなんでつけられたといわれているそうです。
ここもレキ岩層の下の砂岩層が浸食されてできています。砂岩層にはきれいな斜交葉理がみられます。
南北に走る道路は高台の上を走っています。ここから犬城海岸まではだいぶ離れていました。再び狭い薄暗い道を通って戻っていきます。高台に上がって北上を始めたものの、道は少しずつ下っていきます。その分道は曲がりくねり始めます。道路の拡幅が終わった直後なのか、道脇にきれいな地層が見えています。海岸で見た礫層はなく、青い色をした泥岩層が見えます。
道は海岸近くまで下ります。小さな川を越えたあたりから西之表市に入ります。せっかく下ったのですが、再び海岸に沿って斜面を登り始めます。このあたりからは海がよく見えます。浜は少し沖合まで浅くなっていそうです。波が広い範囲で白くなっています。風が強いせいか波も高めです。
坂を登ったり下ったりを繰り返しながら道は続いています。車を走らせているとカシミア号遭難救助の地と書かれた標識があります。舞床海岸・立山港にあるようです。行ってみました。港に着いて探したのですがそれらしいものは見当たりません。鳥居があるので行ってみると、立山のエビス様というものでした。
道路側を振り返って見ると石碑が見えました。降りてくる道からは木の影で見えなかったようです。米国人漂着地址と書かれています。ここが遭難したカシミア号の乗員が漂着した場所のようです。7名が流れ着いたと書かれています。
石碑の後ろにある道の入り口に遭難者救助の道と書かれています。この付近の集落は高台の上にありますから、斜面を担いで上がったことになります。
再び高台に上がって北上を続けます。立て続けに遺跡の説明板が設置されていました。これは芦野遺跡のものです。いずれも縄文時代前期のもので石器や土器が見つかったようです。
安城の町にはアコウのアーチと書かれた標識があります。行ってみました。ここの狭い道を下りていきます。大木が道路に被さるように倒れています。これがアコウのアーチのようです。
道は狭いので、車を駐められる場所がないか探しに先まで行ってみました。結局海岸に出るまでは道が広くなっているところはありませんでした。ここまできたついでに写した海岸のようすです。しっかりとした護岸が作られています。
かなり下ったところなので、位置を引き返しアーチの近くに車を寄せて駐めることにしました。車はほとんど通らないようです。横に普通の車が通れるだけの幅は開ける事ができます。
下側から見たアーチです。普通に大木が倒れているように見えます。
ちょっと違うのは、大木に沿って木の根のようなものがたくさんついていることと、両端にまっすぐ上に伸びる木があることです。
どうなっているのかはさっぱりわかりません。謎のままにしておきます。それよりももう少し上にあった、道の上に垂れ下がってくる木の根が密集し場所もトンネルっぽくなっていました。このようになるのはアコウかガジュマルのどちらかです。区別のしかたはよくわかっていません。
アコウのアーチから引き返し、北上する道に入りました。予定の道ではなく別の道だったようです。しばらく行くと今度は鉄浜(かねはま)海岸の標識がありました。名前は砂鉄があることに関連しているようです。鉄砲を作るための原料に使われたといわれています。
再び高台から、海岸のほうに下りていきます。海岸に下りて見えた浜の南側です。浜の広いところはそう遠くまではないようです。すぐに岩場に行き当たります。
浜にいた鳥です。イソヒヨドリのメスです。
沖合です。岩礁があります。風も強くなってきています。波も高めです。この浜はサーフィンで有名な場所のようです。
浜には握り拳からその倍くらいの大きさの丸い石がいっぱい転がっています。山側の方がたくさんあります。
波がいったり来たりする事で海水の流れに沿って砂鉄が密集して模様を作っています。
浜から戻るときに見つけた貝の化石です。厚いからを持っています。カキでしょうか。
風が強いので早いのですが、退散することにしました。
元の道に戻って北上します。すぐに予定していた道と合流します。この道沿いでは再び遺跡の説明板が連続して設置してありました。縄文時代後期のものと弥生時代から古墳時代にかけてものです。これは浅川牧(あざこうまき)遺跡で縄文時代のものです。
種子島もだいぶ北の方に来ました。その分時間も押し迫ってきています。安納に着いたときには、もう1ヵ所寄れるかどうか位の時間しか残っていません。ここからは船の出る西之表港のある方向に行く道があります。その道に沿って西之表に向かい途中何かあればみていくこととし、なければ港の近くで博物館か何かをみることにします。
山に登りかけたところで、天女ヶ倉(あまめがくら)への標識がありました。距離も2kmほどなのでこちらに行くことにしました。
山を登っていくと広場のような所があり看板が設置されています。西之表市のパワースポットの1つだそうです。
広場のような所の隅にある神社の拝殿のような建物です。看板には天女ヶ倉神社があると書かれていました。
その裏側の崖です。穴がいくつか掘られています。神社との関係は不明です。
拝殿のすぐ裏側はものすごく急なのですが道があるようです。登っていくことにしました。
登り切ったところにあった岩です。伝説では天狗が残していった岩です。一時この下に天女がすんでいたとか。
裏側に回ってみた岩です。いくつかの岩があわさっています。固い地層の一部が残されたものでしょうか。この岩がある理由はわかりません。
入り口の標識のわりにはここの看板は貧弱です。中身はそれなりに興味深いものでしたが、まだ何かありそうな感じがします。車まで戻りさらに進んでみます。道の先に展望所がありました。
そこからみた、南方向の景色です。天気がよくないので海もはっきりしません。それほど遠くまでは見えていないようです。
もう一つ展望所があります。
上から見た景色です。方角ははっきりしません。島の北部方向のような感じです。海のようなものが写っています。
南方向です。先ほどのものより島中心方向を写しています。うっすらとですが、平らな山が延々と続いています。天気がよければこのあたりもよく見えたのでしょう。
天女ヶ倉からはまっすぐ西之表港に向かうことにします。町中で地図を探すのは大変ですからカーナビに頼ることにします。目的地を西之表港にセットして出発です。カーナビの指示は、来た道を引き返すのではなくそのまままっすぐ進むようにとのことです。遠回りのような気がしますが指示に従います。セットしたときの車の向きも関係しているのでしょう。
心配してたほどもなく、主要道路に出てからはほぼ1本道で西之表港に到着しました。正面には鹿児島に向かうフェリーが見えます。
問題なのは、港に着いたものの高速船の乗り場がわかりません。周辺の雰囲気が到着したときと全く違っています。カーナビの地図にも高速船乗り場らしいものが入ってきません。適当に車を走らせて探したのですが、港から離れる一方です。反対側に戻り川を渡って進むとそれらしいものがやっと見えてきました。
港にはいる前に、ガソリンを入れ、レンタカー会社に連絡を入れてから指示された駐車場に車を入れて、やってきた係員に車を返却したら手続きは終了です。
高速船待合に行き、乗船券を購入します。座席は来る時と全く同じ番号でした。あとは近くの土産物屋さんとかでお土産を買って乗船までの時間をつぶします。その後待合で船を待っていると、千座の岩屋ですれ違った人から挨拶されました。とっさには思い出せませんでした。風が強くて行かなかったそうです。
船が到着し、乗船できるようになってから船に乗り込みます。座席の窓からは、港についたときに見えていたフェリーが見えます。
船はすぐに出港です。港の入り口が見えてきました。
船は種子島から離れていきます。先端の岬は大崎のようです。
海上のうねりは来た時とあまり変わらないかちょっと大きいかなというくらいにように感じます。うねりの写真を撮ろうとしたのですが、窓ガラスが汚れているのとかべたっとしているとかでうまくピントが合いません。そうこうしているうちに遠くに陸地が見えてきました。
来るときには何も見えないだろうと思い真剣に外を見ていなかったのですが、ちらっと見た一瞬にアジサシをみました。帰りは窓の外のようすを見ることにしました。鳥はみえなかったのですが、別の高速船とすれ違うのが見えました。どちらも90km/h近い速度が出ていますからあっという間に見えなくなります。見えるのは右側通行なので反対側の窓だと思っていました。
いつの間にか大隅半島はすぐ近くになっていました。調べてみたら種子島から大隅半島は30kmほどしか離れていません。
佐多岬も通過しました。だいぶ薄暗くなっていて、灯台に明かりが灯っています。
やがて反対側の窓に開聞岳が見えてきました。
暗くなって景色もわかりづらくなってきました。山のようなものが見えています。窓ガラスの反射が強くてはっきりとは見えません。夜間航行になって前方座席の窓のカーテンを閉めるように指示が出たので、カーテンを閉め、その向こう側から写してみました。これでもカーテンを通りぬけた光がだいぶ写り込んでいます。見えているのは桜島で雲がかぶっているのではと思っていたのですが、実際はその南東にある高隈山でした。
その後は景色も見えないうちに鹿児島港につきました。
港に着いて真っ先にしないといけないことがあります。今晩泊まる宿が決まっていません。今日は雲が厚いので星は見えません。星が見えない以上、星の見えるところに止まろうとこだわる必要はありません。町中で探しても大丈夫です。選択肢が広くなりました。まずは情報収集です。待合所内を探したのですが、案内所のようなものは見当たりません。あったとしても閉まっていたようです。観光パンフも見つかりません。
ここではどうしようもありませんから、どこか探せそうな所に移動する事にします。といっても、候補は3つだけです。
1つ目はフェリーで桜島まで渡るという方法です。ここには国民宿舎があります。他にも宿はあるかも知れません。もしだめな場合は次の手がなくなりしますので、この手はなかったことにします。国民宿舎の電話番号でもわかればよかったのですが...。
2番目はここからすぐの所にある天文館付近で探すこと、3番目は鹿児島中央駅まで行きその近辺を探すことです。天文館付近にはいくつかありそうですが、荷物を持って歩き回るのは大変そうです。駅にすれば、どこかに書かれているところがありそうです。駅まで行くことにしました。
駅まではバスです。たくさんの人が並んでいます。後に続いて並びました。船はバスが出たすぐ後についたのか、だいぶ待ちました。それでも、駅までは座っていくことができました。窓の外を見ながら泊まれそうなところがないか探します。天文館付近には2件ほどホテルが見えました。ちょっと高そうです。駅近辺では見つけることができませんでした。
駅について観光案内所を探します。改札の正面にありました。ここも閉まっています。宿の情報が書かれた場所はありませんが、観光パンフが置かれていました。宿の連絡先とか書かれたものがないか探したのですが、これも見当たりません。せめて駅近辺の地図でもと思い、該当のページを見ると、この近辺には宿を表すHマークがいっぱいあります。駅表だけではなく駅裏(西側)にもいくつかありそうです。駅表は車の通行が多いので、信号待ちとか階段とかが多そうです。荷物を持って歩き回るのは大変です。駅裏を探すことにします。観光案内所によったついでに、明日回れそうな所のパフレットももらっていくことにしました。
駅裏に出て、Hマークのある方に歩き始めると、全国展開のビジネスホテルが見えてきました。まずは、ここで泊まれるのか聞いてみます。結果はOKでした。今晩の宿が確定です。
部屋に荷物を置いてから、食事に行きます。普通の店でじゅうぶんです。できればこの近辺で名物になっているものがあれば食べようと思います。通りには居酒屋とかがあるのですが、これは却下です。結局駅ビルの中を探すことになりました。何件か食事のできるところがあります。薩摩黒豚丼と書いている店がありました。ここに決定です。
店に入って注文します。お茶かお冷やか黒酢のシークヮーサー割りのどれがいいか聞かれました。最後のものは、何かわからなかったので聞いたら、単に黒酢とシークヮーサーを水で薄めたものです。焼酎か何かでわっていると勘違いします。
食事の量は、ちょっと少ないかなという量です。駅表に大型スーパーがあります。ここで、小腹に入れるものと明日の昼食代わりになりそうなもの、お土産などを探します。終わって戻る途中に、種子島で使ったのと同じ系列のレンタカー屋さんがまだ開いていました。明日借りる車はあるかどうかだけを確認しました。軽があるということでした。これで、明日は、車でこの近辺を回るという選択肢ができました。
ホテルに戻って明日の計画を立てることにします。20時前の新幹線に乗る予定です。夕方まで観光できます。台風の影響は、雨が降るかも知れませんが、それほどないでしょう。
明日の観光先を検討します。鹿児島市内を回るというのと近辺をまわるというのの2通りがあります。市内巡りは、バス一日乗り放題切符で回るという方法と、レンタサイクルを利用する方法があります。レンタサイクルは、システムが完全には理解できていないのですが、利用条件に適合しないような感じがします。バスも停留所の待ち時間が長くなりそうで歩いた方が早そうな区間がいくつかあります。最大の問題は、前回鹿児島に来たときに仙巌園に行っています。ここを省いたらどちらも半日ほどで終了してしまいそうなことです。
近辺を車で回るとしても、北側は行くところがそれほどなさそうです。南側は知覧と開聞岳周辺以外は初めてになります。川辺には滝とか磨崖仏とかがあり、これををみてから枕崎にぬけ、そこから海岸沿いにを引き返し頴娃町から指宿にぬければ見所はたくさんありそうです。坊津の方の海岸もきれいそうです。こちらの方が良さそうです。明日はレンタカーを借りて薩摩半島の南側を回ることにします。一つ悔やまれるのは、高速道路は走ることがないだろうということでETCカードは置いてきています。土日割引を利用することはできません。
明日の予定が決まったら、シャワーを浴びて早めに寝ることにします。あちらこちらを歩き回ったのと、パンフ類を調べたりしたため、これでも遅目の時間にはなっています。
翌朝です。ちょっと遅くまで寝てしまいました。外が明るかったのでカーテンを閉めて寝たのも影響しています。カーテンを開けると下に駅のホームが見えました。電車が停まっています。駅近くだというのをすっかり忘れていました。
朝食時間になるのを待って朝食に行きます。このホテルの朝食は無料です。というより朝食代込みの宿泊料金とみた方がいいでしょう。おにぎりやパンと簡単なおかずがついているだけですから、朝食として料金を取るというのも言いづらいのでしょう。これだけ食べられればじゅうぶんです。
食事が終わってから、昨日のレンタカー屋さんの開くのを待って電話を入れます。軽があるといっていたのですが、コンパクトカーしかないようです。これでも良しとします。今から行くと告げて、出発です。
レンタカー屋さんのカウンターで、手続きをすませます。昨晩乗った船の中で特別料金になると書かれていたと言ったら、割り引いてくれました。これで普通に軽をかりたよりは安くなったようです。返却時には満タン返しになります。前回は、鹿児島市内でガソリンを入れようとして走ったら、市内では見つけることができず通りぬけてしまいました。一応どこでいれても良いといってくれていますがスタンドがあるのかどうか心配です。
車に乗ってから、どちらの方に行くと聞かれて南と言って南と思っている方向を指したら、反対と言われてしまいました。いろいろなことを総合的に判断したら、確かに反対です。店の前からは、南側にはでることができませんから、迂回のしかたを教えてくれました。その通りに行ったつもりだったのですが、曲がらないといけないところを曲がり損ねてしまいました。昨晩歩いたところなので道はわかっています。なんとか南下する道に入ることができました。こんな調子で大丈夫なのでしょうか。
しばらく、道路は市電に沿って走ります。ここの線路には芝生が植えられていてきれいです。
薩摩半島を南下するには、指宿スカイラインに入ると早く行けそうです。前回は、ガソリンを入れるという制約があったために、延々と鹿児島市内を南下しました。その分だいぶ時間をロスしました。今回はできるだけ早くスカイラインに入ることにします。
駅前の通りを南下していると、すぐにスカイラインや高速道路入り口の方向を示す標識が出てきました。標識に従って道を曲がり進んで行くとトンネルを越えた先に、スカイラインの入り口が見えてきました。標識に従って進んで行きます。
スカイラインは、他に走っている車もなくスムーズに進みます。対向車もほとんどありません。入っていくつかトンネルをぬけると料金所があります。ETCは使えません。持ってきていなくても一緒だったようです。意外と安いので、これで料金所はおしまいかと聞くともうないという返事でした。
料金所を過ぎると、次にやってきたのは谷山ICです。前回はスカイラインに入り損ねた場所です。緑色のラインに従って進めば難なくクリアできました。そのまま進んで行きます。すぐに料金所があります。先ほどもうないといったのは何だったのでしょう。谷山ICは出口があるところというより、いったん道路が途切れて、再び別の道に入ったような感じでした。
料金所を過ぎて、段々高いところに上がってきたのか景色のいいところが続きます。車を停められる場所がありますから、みていくことにします。錫山展望台です。鹿児島市街と桜島がよく見えます。あいにくと桜島は雲の中です。
須々原展望台です。こちらも桜島がよく見えます。市街はほとんど見えなくなっています。桜島南側の錦江湾がよく見えています。
川辺ICでスカイラインを降ります。出口は複雑なカーブになっています。その間に料金所を通過します。取り付け道路のような道に合流し、そのまま真っ直ぐ進んで行くと国道に出ます。ここを枕崎の方向に進みます。
ここからの最初の目的地は八瀬尾の滝とします。地図には道が書かれていませんので、カーナビに案内してもらうことにします。道幅の広いところで道路脇に寄せてセットします。脇道に入るときに案内はしてくれたのですが、狭い道だったので真横に来るまで気がつきませんでした。いきすぎてしまい、先の広いところでUターンして入り直します。最後の分岐もカーナビの案内とはずれていました。指示通りに進むと民家の方に入っていくようでした。山の中では接近して並行する道があると、GPSの誤差が大きくなって正確に位置をつかめないようです。
やっとの事でたどり着いた八瀬尾の滝です。道路のすぐ横に見えています。
八瀬尾という名前はたくさんあるという意味だそうです。第8の滝までは山道を歩いていけるようです。ここからは、第1の滝のすぐ上にある第2の滝も見えます。
この時点では第8の滝までの道は確認できませんでした。目的の滝がみえたのでよしとします。つぎに向かうことにします。次はパンフに磨崖仏と書かれている場所です。こちらもカーナビをセットして向かいます。今度は道を間違えることなく駐車場に到着できました。
駐車場は岩屋公園のものです。公園に向かう方向とは違う方向に磨崖仏への案内が出ています。そちらの方に行こうとしたら、道を聞かれてしまいました。養豚場を探しているようです。役場の指示で、決められた時間に回らないといけないそうです。周辺案内図にもそのようなものは書かれていません。完全にお手上げです。その人はどうしたのかわかりせんが、車で出ていったようです。後で調べたら、枕崎近辺は薩摩黒豚の産地だったようです。
案内板に従って進むと川に出ました。橋が架かっています。石造りのめがね橋です。偲ぶ橋といいます。路面の反りも大きな橋です。
道路の反対側の崖には、穴が掘られて地蔵さんが祀られていました。崖を削って作られていないので、これは磨崖仏ではないでしょう。標識はまだまだ先だと示しています。
道の正面に大きな崖が見えます。案内図に磨崖仏があると書かれていた場所はこのあたりになります。
清水磨崖仏は、高さ20mほどのシラスの崖に掘られています。橋を渡った側にあるのですが、そちら側は崩落の危険があるためか通行禁止になっています。川の対岸に何カ所かの観察場所が作られていてそこから見るようになっています。
磨崖仏は、平安時代の終わり頃から作られ始めたようで、一番新しいのは明治時代のものになります。ここのものは、磨崖仏といっても仏像が彫られているのではなく、ほとんどが、仏塔になります。鎌倉期以前のものは線刻だけで書かれた非常に単純なものになっています。
室町期以後になってくると、立体的に浮かび上がるように彫られたものが出てくるようです。
ここで一番大きな五輪塔です。最も古いものでもあるそうです。右側の岩に彫られています。
三大宝篋印塔です。宝篋印塔というのは、もともとは宝篋印というお経を収めるために作られたものだったのが、次第になくなった人の供養のために立てられるようになっていったそうです。ここの塔は、間にある銘文から女性の四十九日供養に彫られたものとわかっています。
月輪大梵字です。一つの文字の大きさは人の背丈ほどあります。3文字見えますが、その右側にさらに2文字あったと推定されています。
崖は続いているのですが、川が崖から離れます。ここでおしまいかと思ったのですが、川に飛び石が敷いています。ここを渡って対岸に行きます。渡る途中に見えた岩の上で休んでいるアオサギです。
渡った先から見た磨崖仏群の全景です。対岸の解説板の並んでいるところから観察するようになっています。
対岸の土手から崖に近づくと仏像が彫られているのが見えます。明治時代に彫られた十一面観音です。今だったら、文化財破損といわれるかも知れません。
これ以上は通行止めで崖に近づくことはできません。磨崖仏群の観察はここまでです。
川を渡った先は、岩屋公園の主要な場所になっています。気になる建物がありますが、その前に、崖に沿って少し歩いてみることにしました。まだ見落とした磨崖仏が残っていないかみるためです。こちら側は、ほとんど藪になっていて、それらしいものはありませんでした。
崖の途切れたところに水路が見えます。その先がトンネルになっています。説明によると、この水路は江戸時代に作られた篠井手用水といい、下流の水田に水を引くためのものです。用水はこの部分だけがトンネルなっています。トンネルにした理由は不明だそうです。少なくとも、そのまま用水路を延ばしていたら、磨崖仏群に突き当たります。
この先はキャンプ場になっています。みても興味を引きそうなものはなさそうなので、引き返して気になっている建物の方に行きます。池の真ん中に作られた桜の屋形というものです。銀閣寺に似ています。初めはてっきりお寺があると思っていました。
公園は谷の中にあります。磨崖仏群のあるのと反対側も切り立った崖になっています。ここも磨崖仏があっても良さそうですが、磨崖仏のある場所は限られています。彫られている場所には何かあるのでしょうか。
公園の橋を渡ると駐車場に戻ります。この付近でもう一つ気になっているものがあります。清水の湧水です。川沿いに下っていったところにあります。
川沿いの道を進んでいくと、水の湧き出しているところがあります。精魂水と書かれています。この地域の人の生活水や薬水として使われていたようです。
ここは、磨崖仏群の端になります。目的の湧水とは違うようです。さらに川沿いに下っていきます。道沿いに石像のようなものが見えてきました。宝光院跡の仁王像と書かれています。明治時代に取り壊された(廃仏毀釈?)ようです。そのお寺にあった仁王像だそうです。
何となく行きすぎたような感じもします。川の反対側を走ってみることにしました。見えてきた、清水の湧水です。かなり大きな涌水地です。工事をしていて、前がその作業場のようになっています。そこに了解を得て車を止めて見学します。
遊水施設の崖側です。完全にふさがれているので中がどのようになっているのかはわかりません。
工事は、背後の崖の補強をしているようです。横の神社の広場のような所は立ち入り禁止になっています。そこと湧水の間に奇妙な形をした塔があります。正面に回れませんから横からの写真になります。水元神社の薩摩塔というそうです。中国大陸の石材が使われていて、大陸の商人か権力者によって作られたと考えられているそうです。
清水から川沿いに下っていくと、枕崎にぬける国道に戻ります。ここから枕崎に向けて車を走らせます。市街について、まずは観光情報の入手です。駅を目指します。駅の方向を示す標識を見つけ左折したのですが、もう一つあるはずの右折の標識を見落としてしまいだいぶ行きすぎてしまいました。ほとんど駅を中心に一周して、駅に到着です。駅前には、駐車場がありません。近くのスーパーに駐車場があります。他にないかと探してみてなければ借りることにします。周辺の道を回っていたら観光案内所があり、そこに駐車スペースがありました。車を入れて、案内所に行きます。
案内所では観光名所としては、火之神岬と酒蔵を教えてくれました。お酒は飲めないので酒蔵はパスします。もう一つ横に枕崎にある唯一の灯台も教えてくれました。
あと坊津方面の情報も知りたいので聞いてみたところそこは南さつま市であるといわれてしまいました。一応あったパンフだけはいただけました。ちなみに枕崎市のパンフは食べ物屋さんマップみたいなものでした。
案内所を出て、駅が気になります。すぐに戻ってくるつもりで行ってみます。道沿いからみた駅です。日本最南端の終着駅です。
駅舎の入り口です。駅は無人駅です。手前にあるのは鰹節行商の像です。
終着駅らしいところです。線路はこのホームの手前で終わっています。
駅舎の窓からみた駅前広場です。鹿児島の地図が浮き上がって見えるトリックアートだそうです。
観光案内所に戻り車に乗って火之神公園に向かいます。駅前を南下し坊津方面に向かう国道に入ります。花渡川を越えたところで、左折し南下すれば火之神公園に到着です。ちょっと雨が降りだしていますがたいしたことはないのでそのまま行きます。まずは海岸に出て景色を見ます。遠くに開聞岳が見えています。山頂は雲の中です。
枕崎市街方面です。
海岸沿いに遊歩道が作られています。行き先は立神岩の見えるところです。写真を撮りながら歩き始めたのですが、カメラが作動しなくなりました。電池切れのようです。予備の電池などの小物の入った袋は車に置いてきました。写真を撮れないのは意味がないですから、取りに戻ります。
再び歩き始めて、見えてきた立神岩です。高さは42mあるそうです。
前方に見える岬です。海岸は切り立った断崖になっています。山立神というようです。
海岸の岩場に生えていた植物です。長命草に似ています。岩石は赤く小石のようなものが混じっています。溶結凝灰岩でしょう。
海岸近くにハートストーンというのがあります。波をかぶって全容が見えません。これでも波がない一瞬をねらっています。見えると幸せになれるとか。
山幸彦像です。なくした釣り針を探しに、無目籠の船に乗って最初にたどり着いた場所がここだそうです。ここの地名は山幸彦の別名「火通理命(ホオリノミコト)」からきているそうです。
振り返って見た風景です。枕崎市街が見えています。海岸には表面が波うった岩石が露出しています。
遊歩道の突き当たりにあるのが、魚魂碑です。魚の形なんでしょう。この先は断崖絶壁になっていて、近寄ることはできません。立神岩まではあと少しです。
遊歩道は、魚魂碑のある場所までです。山立神を回ったところに平和祈念展望台があります。ここからは少し離れているようなので、駐車場に戻り車で近くまで行くことにします。
駐車場からさらに奥にプールがあって、その広い駐車場の一番奥に車を駐めます。ここからプールと反対側の階段を上っていったところに展望台があります。
展望台にはたくさんの石碑が並んでいます。一番奥のものは、碇の形をしています。
ここから見える、東シナ海です。
戦時中、戦艦大和など第2艦隊の沈没地点から一番近い陸地だそうです。沈没点は200kmほど離れていますから、近いという実感が湧きません。大和の殉難鎮魂之碑が作られています。
あまり大和を美化するのは理解できません。軍部の思考が支離滅裂になったあげくの沈没のような気がするからです。大和についての解説とかはいっぱいありますが、読まずに次に行くことにしました。ここからは、海岸沿いに西に走り、戻らないといけない時間になったら引き返すことにします。
車を走らせていても、停めてゆっくり海を見るというところはみわたりません。だいぶ走ってから見えてきたのは歴史資料館輝津館です。この付近でようすを見ることにします。駐車場から見えた海です。左側が坊津の町で寺ヶ崎から硯石鼻が見えています。
資料館の方に行ってみます。駐車場からの間にも何かいわくのありそうなものがいっぱい並んでします。手前のものは民家の庭にあった金魚鉢です。
周囲に置いてあるものだけで、頭がパンクしそうです。中を見てもこれ以上頭に入らないでしょう。中の見学はやめにしました。野外展示物と一緒にあった看板類をみていると、この付近が古くから風光明媚なところとされ、坊津八景として親しまれてきたようです。その中で、双剣石は、名称坊津として国の文化財に指定されているそうです。二つ並んだ尖った岩がそれになります。
もう一つ、その横にある鵜の島も後に文化財として追加指定されたそうです。
歴史資料館を過ぎると、道は北に向かって進むようになります。周辺の地形はリアス式海岸がずっと続いています。道はまっすぐ突っ切るように作られています。浜に出たかと思うと、山越えの道になるというのを繰り返します。長いトンネルをぬけたところから、丸木崎展望所への道があります。こちらに行ってみました。この道は、トンネルができるまでの旧道でしょう。海岸に沿って曲がりくねりながらもずっと続いています。
展望所に到着です。南さつま市では市南部の海岸沿いを走る国道に沿って、観光ルートとして、南さつま海道八景を設定しているようです。ここはその6番目の場所になっていて、ここから見える泊浦付近の景色が見所だそうです。ちなみに先ほどの歴史資料館付近は、7番目で双剣岩が見所となっています。
展望所からは北側にある湾の奥もよく見えます。丸木浜といいます。砂浜が広がっています。深い湾なので波が穏やかなのでしょう。
元の道に戻り、さらに進みます。峠を越えて、久志という集落まで来た時に、引き返そうと設定した時間になってしまいました。正面に見える尖った山が気になりますが。この先は機会があればということにします。山は今岳になります。
ここから枕崎まで戻る途中で、1ヵ所通り過ぎてしまったところがあります。耳取峠です。ここも南さつま海道八景の八番目の場所に入っています。枕崎市街と開聞岳を眺められるということです。道路の途中にあります。停まってみていきました。
ここからは、立神岩と山立神も見えています。
枕崎を過ぎてからもしばらくは見所がなく走りすぎます。南九州市頴娃町に釜蓋神社というパワースポットがあるそうです。途中から道路を離れてここを目指します。わりと有名どころらしく、案内板もたくさんあります。広い駐車場もあります。
車を降りて歩き出そうとしたら、大型観光バスがきて、乗客が釜蓋神社の方を目指して歩き始めました。その後をついて歩く事になります。
このまま進んでも大勢の人と一緒に参拝することになります。人混みは避けたいので脇道の方に行ってみました。釜蓋投げ写真展と書いてあります。
広場の脇に釜蓋の形の絵馬がたくさん下げられています。
その奥にあったものです。釜のようなものがあります。釜蓋を投げて上にのればどうのとかいうのがあるのでしょうか。神社のものというより手作りっぽい感じがします。
釜蓋神社の駐車場では団体客と一緒になってしまいました。人混みを避けようと脇道によって時間をつぶしたものの、神社近くについたときにもまだたくさんの人がいます。もう少し周辺をぶらっとみてから、釜蓋神社に行くことにします。
脇道から参道をはさんで反対側は細長い入江になっています。波は穏やかです。奥は砂浜になってます。砂鉄が流れてきているようで、表面に黒い模様が作られています。神社はこの左側にあります。
入り江の入り口方向です。細長い湾です。海岸には岩場が広がっています。
さらに進んで行くと、本殿正面の山側に柱のようなものが置かれています。本殿の前にあった鳥居の石柱です。昭和24年の台風で波にさらわれたものを、道路工事の時に引き上げて保存しています。
神社は細長い岬の真ん中に建っています。本殿の前を越えて進むとすぐに反対側の入り江に出ます。遠くに開聞岳が見えます。
本殿にはまだ人がいっぱいいますので、こちら側の海岸を岬の先に向かって進んで行きます。ここは希望の岬というようです。先端には休憩所があります。ここのベンチは釜蓋の形をしています。
神社の拝殿からここまで、道がついています。この道を戻っていきます。横に見えた釜蓋神社の神殿です。
拝殿の前に出ました。釜蓋が置いてあります。鳥居から拝殿まで、落とさないようにかぶって歩ていって参拝すると厄除け・開運に恵まれるそうです。
寿石です。拝殿の裏にあります。なでると、良縁・安産・子宝にご利益があるそうです。
拝殿には釜蓋型のかわらけが置いてありました。願い事をして釜の中に投げ入れると叶うそうです。釜は探し回って、右横手の岩場にあるのをやっと見つけました。
次は、番所鼻自然公園を目指します。
釜蓋神社から番所鼻自然公園までは、いったん国道に戻り指宿側に少し走ったところから再び海を目指して走ります。標識を頼りに進むと到着します。
番所鼻という名前は海上警備のための番所が置かれていたことに由来しています。伊能忠敬が絶賛した景勝地だそうです。
車を駐めて海岸に出てみると、海の一角を区切るように細長い岩礁が取り囲んでいるのが見えます。囲まれた部分は海の池といいます。伝説では、山幸彦が豊玉姫と一緒に竜宮城に行くのに通った場所とされています。
岩礁の突き出した先の武庫川に開聞岳が見えます。天気がよかったら、絶景だったでしょう。
岩礁の表面です。わりと滑らかで、海の方に向かって傾斜しているように見えます。表面には、柱状節理の作る六角形の模様が見えます。
この岩礁は、竜宮の道といって歩いて一周できるそうです。でも今日は波が荒く、かぶる危険があるので、上を歩くのはやめておきます。
海の池から西側をみたところです。ここにも不思議な形をした入り江のようなものがあります。
海岸沿いの道を歩いていくとその先にタツノオトシゴハウスというのがあります。ここで始めてタツノオトシゴの養殖に成功し、現在はその観光養殖場として公開しています。
中にはたくさんのタツノオトシゴがいます。あまり動かないので、写真に撮るのは楽です。
クマノミも飼われていました。オレンジ色がきれいです。
番所鼻自然公園から、タツノオトシゴハウスを通って釜蓋神社までのトレッキングコースがあります。シーホーウォークといいます。7つの浜をとおり、片道2.5km歩きます。全部歩くのはという人は、途中の竜のかまどまでで折り返す約30分のミニシーホーウォークというコースがあります。竜のかまどというのが気になりますので、これを見にミニコースを歩くことにします。
タツノオトシゴハウス前の道を進んで行きます。いったん岩場に出ます。タツノオトシゴハウスの向こうに開聞岳が見えます。岩場の表面は滑らかに波うっているように見えます。
次に海に突き出した所の先です。ここも岩礁がぐるっと輪になっています。残念なことに、海側は崩れていて一周することはできません。
突き出している岩場はすぐになくなり、入り江となってその奥には砂浜が広がります。ここは1番目の浜で垣瀬浜といいます。
浜をすると再び岩礁になってというのを繰り返します。先に見えてきたのは2番目の浜イノコ浜です。
イノコ浜を過ぎて、次の岩礁の一番高くなったところの岩が陥没して大きな穴が開いています。竜のかまどです。岩の下側も削り去られて今にも崩れ落ちそうです。
陥没したところは丸い形をしています。全体的に真ん中が盛り上がっていますから、かまどの上部をみているような形になっています。これが名前の由来なのでしょう。
ここの海岸近くにも似たような穴がありました。これくらいだと潮だまり(タイドプール)になるのでしょう。
さらに西側の海岸です。大きな岬があります。この向こう側が釜蓋神社になります。といっても、シーホーウォークコースの半分も歩いていません。
ミニシーホーウォークは、竜のかまどで折り返しです。ここから来た道を引き返します。イノコ浜からは、海のコースと森のコースがあります。来るときは海のコースを通ったので、帰りは森のコースを通って戻ります。林の中で時に見所は少ないのですが、道はきれいです。
垣瀬浜のところで木が少なくなり、視界が開けてきました。浜がよく見えます。
番所鼻自然公園入り口にあるアコウの広場に戻ってきました。正面に、何本かある木の間から開聞岳が見えるようになっています。舗装された道は途中からずっと続いていました。
車に乗ってもとの国道に戻り、東の指宿を目指します。開聞岳に段々近づいてきます。最も近づいた頃の開聞岳です。だいぶ雲が厚くなってきたように見えます。山腹の木の色が変わっているのは、紅葉しているからでしょうか。
時間があるかどうか微妙ですが、指宿の知林が島は干潮時だけ現れる砂嘴でつながっています。みておきたいので、そちらに向かうことにします。
国道は、指宿市街から山側を走ります。途中から市街をぬけて海側に出る必要があります。適当にいけそうな道を探しながら何とか海岸沿いの道に到着です。そのまま、北上をします。ついたところが田良浜の駐車場です。
海岸に出て、知林が島を探します。かなり遠くに見えます。
海岸の背後は、崖になっていて高い山があります。魚見岳といいます。
海岸に打ち寄せられた小石です。大きなもののほとんどが軽石です。
浜にできた波の模様です。黒いのは桜島のスコリアでしょうか。
知林が島に一番近いところに行くには、ここから海岸沿いを歩いて行くしかないようです。この先には車でいける道路はありません。雨が降りだしています。それに風も強くなってきて傘が飛ばされそうです。急いで行ってすぐに戻ってくる事にしました。砂浜は足を取られて歩きにくいのでかなり大変です。
半分くらいしかきていないので、相当こたえています。一息入れます。振り返って見た海岸です。
なんとか岬になっている先端部に到着です。ここを回ると指宿市街が見えてきました。
対岸の大隅半島です。見えている山は高隈山でしょう。
知林が島方向です。砂浜が島の方につきだしているのがわかります。
さらに近づいてみたところです。陸地になっているのは目の前の所までです、それもすぐに波がかぶります。波の立っているところをおっていくと島まで続いているのがわかります。ここが干潮時に陸地になる所なのでしょう。
浜に落ちている貝殻です。モクハチアオイガイというのがあって二つあわさったものを横から見るとハート型になります。ぴったり重なるものを見つけると、恋が叶うんだそうです。
浜でのんびりしている時間はありません。鹿児島市内に戻ることにします。あと一ヵ所市内の石橋公園に行きたいと思っています。このまま海岸沿いを走ると、渋滞にかかりそうです。スカイラインを通った方が早くなるかも知れません。カーナビに石橋公園をセットしたのですが、道は海岸沿いを示しています。指示に従うことにします。
海岸沿いを走ったものの、最初から車が多く信号の度ごとに長い列ができています。なかなか進んで行きません。鹿児島市内に近づいたところで、産業道路入り口先頭で渋滞と表示が出ます。避けていこうにも、迂回路がわかりません。下手に動くとかえって時間がかかる可能性もあります。このままカーナビの指示に従います。
鹿児島市中心部に近づいたときには、辺りは暗くなり始めました。このまま石橋に行っても、暗くてよくわからないでしょう。行ったとしてもそのままUターンして車の返却時間に間に合うかどうか微妙になってきています。石橋公園に行くのはあきらめて車を返却することにします。
車の動きは遅く、信号で止まるのでその間にカーナビをセットし直します。あと10分ほどで到着できるとの案内が出ます。だいぶ近いようなので、ガソリンを入れても大丈夫でしょう。ちょっとくらい離れた場所でもよいとはいわれています。見つからないと思っていた割りには簡単にガソリンスタンドが見つかりました。ここで入れていきます。
スタンドの前の道を真っ直ぐ進んで行くと、鹿児島中央駅前に到着しました。正面にレンタカー屋さんがあるのですが、二股の道のどちら側に入り口があったのか迷いました。もたもたはできないのでカーナビに指示に従って進んだら裏口の方に行ってしまいました。こちらからは入れませんから、駅前の路地をまた一周することになります。何とか店に車を入れ返却完了です。初めに予定していた時刻になっていました。
新幹線の時刻までまだ1時間半ほどあります。まずは夕食です。駅ビルの2階に行きます。昨晩入った店の並びにザボンラーメンと書かれた店があります。今日はここにしました。柑橘類のザボンとは関係はなかったようです。食事をすませて、駅ビルの土産物屋さんを覗いて、お土産を買ったあと、スーパーに行きました。夜食で小腹に入れるものと、お土産になるものを物色します。
再び駅に戻ったときには、ホームに上がるのにいい時刻になっています。上がってみると、乗る予定の列車は到着していました。来た時と同じN700系です。
写真を撮りおわったあとで、傘がないことに気がつきました。スーパーの中では確かに持っていました。その後、駅構内でトイレに行ってからホームに上がっています。トイレを見直したのですがありませんでした。スーパーで忘れてきたのなら取りに戻ることはできません。雨に濡れるとしても、駅から自宅までの間だけです。大阪は大して降っていないでしょう。傘のことはあきらめます。
新幹線は、予定通りに出発です。景色も見えないので、本を読んだりして時間をつぶします。熊本駅で向かいのホームに止まっていた列車をみると、アイドルグループのラッピングがしてありました(肖像権の許可を得ていないので顔をぼかしています)。
その後は新大阪まで何ごともなく到着、在来線で最寄り駅まで帰ります。大阪ではまだ雨は降っていません。無事自宅までたどり着きました。
<台風>
旅行自体の行き先が途中から変わってしまいました。本来ならタイトルどおり、ずっと種子島を回っているはずでした。半日程度の短縮はあるかなとは思っていました。まるまる一日違う場所を回るのは想定外でした。
予定が変わったのなら、それに合わせてタイトルをつけるべきなのかも知れません。最初の意気込みが種子島だけだったということで、あえてそのままにしています。その分関係のないところの記録が載ってしまったということについては、ご容赦ください。
今回の予定変更の原因は台風接近にあります。なんとなく、台風の接近が多いような感じがします。前回の東北旅行も、台風の影響で船が欠航になったり、道路が通れなくなっていたりとかで影響を受けました。温暖化の影響なのでしょうか。
台風で見学地と宿泊地を変更したのは、2007年以来になります。この時は、足摺岬に宿泊予定が台風で近くまでいけず、観音寺に待避しました。この時の宿泊予約のキャンセル料は請求されませんでした。次の日も、宿泊予定地に向かう道路が通行止めになっていました。宿に電話を入れたところ、通ってきている人がいるとあっさりいわれ、予定通り宿泊しています。
最近の旅行で、台風の影響で行程を変更したものとしては、2015年の青ヶ島があります。夜行バスで東京に向かう予定が台風接近で運休または大幅遅れが見込まれるということで、前日の新幹線で行き蒲田泊まりに変更しています。2016年の鳥海月山は、珍しく東北に接近した台風で行程の変更はないものの早め早めの移動で最悪の事態に備えました。
旅行中に台風が接近したというのは、5回目ということになります。これが多いのか、少ないのかどちらなのでしょう。2017年5月の旅行の時に、添乗員さんに言われた「めっちゃ雨男」というのが一般的な感覚なのでしょうか。これだけ台風に近寄られたら、他人をすぐ雨男にしたがる人が、台風男とでもいいだしそうな気がします。
もちろん台風接近などないというのが一番いいのでしょう。少なくとも、台風で旅行そのものが中止になったというのはありません。行けているというのは微妙に台風の位置や時間がずれているからでしょう。微妙に避けてくれていると思っています。
今回の台風にしても、1日まるまるというのではなく、半日早めの切り上げにしていても行けたと思っています。報道される台風情報と予想していた進路はそれほど変わっていません。そういうこともあり、切り上げることにした日の朝までは、種子島を回ることだけを考えていました。宿の人が声をかけてくれていなかったら、ぎりぎりの綱渡りをしていたでしょう。実際の所、船の運航状況はどうだったのかは旅行中だったので確認できていません。少なくとも帰ってきた次の日は欠航していました。
<傘>
今回の旅行にずっと持ち歩いていた傘を最後の鹿児島中央駅でなくしてしまいました。どこでなくしたのかははっきりしません。気がついたのは、駅ホームでこれから乗る列車を撮影した直後です。その時に考えたのは、駅のトイレか最後によったスーパーのどちらかです。
少なくともスーパーでの買い物時には持っていた事ははっきりしています。買った物を袋に詰めるときに傘をいったん置いたのも覚えています。その後どうしたかははっきりしません。駅前を歩いているときに持っていたような気がしますが、本当に持っていたかといわれれば断定できるところまではいきません。その後駅のトイレに入ったときに傘の扱いについて何かしたかということもはっきりしません。ホームで写真を撮ろうとしたときに持っていた何かが邪魔になって置き場所を探した記憶もあります。それが一体何なのかははっきりしません。
今回の旅行の出発時に持っていく傘をどれにしようか考えました。普通の傘なら大きいので濡れにくくなる分、必要でないときには邪魔になります。なくす心配もでてきます。これに対して折りたたみの傘ならバッグに入りますので、なくす心配はありません。逆に小さいので、雨がひどくなると濡れやすくなります。出発時に雨が降っていたこともあって普通の傘を持っていく事にしました。
案の定、最初の新大阪駅のトイレで1回目の置き忘れをしてしまいました。その後、鹿児島中央駅構内トイレ、鹿児島港高速船待合のトイレ、西之表港レンタカー受付カウンター、・・・・、と数え切れないほど置き忘れをしています。その都度、すぐにないことに気がつき、取りに戻って回収しています。いつかはなくすのではと思っていたら、最後の最後で回収ができなくなってしまったということになります。
この傘は2015年に造幣局通り抜けに行った時に降りだした雨に対応するために、途中にあった店で買った物です。その後、旅行の時を初めとしていろいろな時にだいぶお世話になっています。最初に旅行で持っていったのは、高遠の桜見学です。この時に、舞ってきた桜の花びらがいっぱいくっつきました。落とそうとしても雨で濡れて落ちないのでそのままにしていたら、いくつかはへばりついて取れなくなりました。その後は、花びらがこの傘の目印となってしまいました。
次に持っていったのが、房総半島です。この時も旅行中は扱いに苦慮しましたが、千倉でもらった花を折れないようにするための支えとして使った(花と一緒に縛っただけですが)ことによって、邪魔という感じにはなりませんでした。
その後も何かの折に持ち歩いていました。骨が折れたので一度は廃棄になりかけていたのですが、アルミパイプで修理できるのではとやってみたら使えるようになって復活といういきさつもあります。いろいろと愛着も出てきていたのですが、なくなってしまったのは残念です。
<縄文遺跡>
前回の旅行記のまとめに、東北は縄文遺跡が多いと書きました。種子島でも、縄文遺跡がたくさんありました。それからすると気候とはあまり関係がないようです。九州に渡ってからはみませんでした。というよりはそちらの方には近寄っていません。霧島市の上野原遺跡には縄文時代の大集落がありました。関東でも縄文遺跡の分布から、過去の海水面の高さが推定されています。このようなことからすると全国的に縄文遺跡はあるのでしょう。
種子島の縄文遺跡からは、落とし穴が見つかっていて狩猟をしていた様子がうかがえます。墓もいくつか見つかっているのが特徴です。石を抱いて埋葬されているのが種子島式だそうです。東北の遺跡でも、石を上に載せていたとされるところもありますから、似たような文化が有ったような感じもします。
日本人のルーツは、全国にいた先住民と、あとから大陸から渡ってきて渡来人の2系統があるそうです。先住民系は九州と東北・北海道に多く、渡来人系は北九州・近畿に多いそうです。縄文遺跡の分布もこのような日本人のルーツと関係しているようにも思えてきます。
<小物入れ>
旅行中、カメラの電池切れで車まで電池を取りに戻るということがありました。いつもなら、撮影に使う小道具や交換用のSDカードとともに小袋に入れて持ち歩いています。小袋は交換レンズや双眼鏡、予備のデジタルカメラと一緒に小物入れに入っています。小物入れは、持ち歩きがしやすいようにウェストバッグを使っています。
普通のツアー旅行の時は、バスに座るとおなか側に回すことで、つけたまま座ることができます。飛行機の中では身につけているということで、そのまま持っていることができます(非常口の席では不可です)。どちらの場合も外さなくても旅行ができるという点で、比較的重宝しています。
これが車となると、ハンドルにあたって運転に支障が出ます。そのため乗り降りの度に外したりつけたりを繰り返すことになります。外すのは簡単なのですが、つけるのはちょっと面倒です。ジャケットの上から縛るわけにはいきませんから、ジャケットをめくりあげて取り付けないといけません。カメラのレンズとかが入っていますからかなりの重量があります。だいたいは足で支えて縛っています。おまけに今使っているバックは、バックルをちょっとでも斜めに入れようとしたものなら、留まってくれません。最初からやり直しになります。
こんな訳で、車で旅行しているときは時々置いたまま出歩くことになってしまいます。前回の東北旅行でも、撮影小道具や予備のSDカードが欲しいんだけどということがたびたび起こっています。このあたりは改善の余地がありそうです。最近考えているのは、車で回るときはショルダーバッグでいけるのではないかということです。次回の課題とします。
今のウエストバッグは2代目になります。中に小物を縛るバンドのようなものがついています。便利そうで、全く役に立ちません。入れて縛ろうとするものの大きさに合ったバンドがないし、あってもしばらくすると下の方からずり落ちて、バンドの意味がなくなっています。米軍仕様?(そういうものを扱っている店で買った)のものです。使い勝手が悪かったり、バックルの留まりが悪かったりするのもそのあたりに原因があるのかも知れません。
1代目は破れ始めているものの使用には耐えますが、最近は使っていません。復活を考えてもいいかもしれません。
<経費>
今回の旅行でかかった経費です(千円単位に四捨五入しています)。
交通費総計 60000円
乗車船券 41000
レンタカー 15000
ガソリン通行料 4000
宿泊費 10000円
飲食・土産 9000円
−−−−−−−−−−−−
総 計 78000円
今回は、宿泊費が素泊まりの料金になっていてその分安く、飲食費が逆に多めになっています。また経費の内、6万円がクレジットカード払いになりました。現金での支払いが少なかった旅行です。
車での走行距離は、種子島176km、鹿児島203kmです。