2018/04/11-15 西郷どんは島流し
徳之島と沖永良部島は前からいってみたいと思っていた場所です。そろそろ計画を立てる順番になったようです。まずは手軽にツアーを探してみたのですが、与論島や奄美大島とセットになっているものがほとんどです。与論・奄美大島は行ってますから、ここを旅行のメインにしないのが希望です。3日とか4日とかではただでさえ素通りのようなものです。どちらかというとじっくり見たいものです。となると、自分で組むしかありません。
日程を決めます。日数は、どちらの島も広いので、まわりきるのに、それぞれで1日では足りないでしょう。1.5日ずつと移動に1日とすると、4日間ということになります。どうしてそうなったのかはわからないけれども、いつの間にか、旅行月は4月になっていました。4月の新月は16日(月)です。この前か後となると前の方がいいでしょう。9日から11日の間の出発で考えてみます。
2つの島に移動する方法です。島までは、船か飛行機があります。船は、鹿児島から半日以上かかります。夜中に移動してくれるのは利点ですが、鹿児島までの移動を考えると片道で1日近くかることになります。ここは飛行機ということにします。飛行機にした場合1つ心配事があります。霧島山の新燃岳が噴火しています。火山灰の影響で飛行機が飛べなくなるということもあります。4月に宮崎へ行ったときに見た感じでは、それほど激しくないようです。あまり変化がないことを期待します。
島と島の間は、飛行機ではいったん鹿児島まで戻らないといけません。船で2時間くらいなので、船での移動とします。島内の移動は、レンタカーになるでしょう。とすると別の問題が生じます。
空港と港の間は離れています。両島のレンタカー会社のサイトを確認すると乗り捨ては利かないように表示されます。この間の移動手段を考える必要があります。沖永良部島のホテルに空港まで送迎してくれるところがあります。このホテルのある知名へは徳之島の平戸野から船がでています。平戸野と徳之島空港はそれほど離れていません。タクシーでも大丈夫な距離です。この航路は、知名からは直接奄美大島名瀬港へもどるので、沖永良部→徳之島という順序はなくなります。出港日を調べてみると、12日から16日まではドッグ入りの影響で徳之島止まりになり沖永良部には渡ることができません。この方法は使えないようです。この経路が見つかったためか、いつの間にか、沖永良部→徳之島の順にまわるという案がなくなってしまっていました。
もう一つの船の航路は、徳之島亀徳港から沖永良部島和泊港というのがあります。亀徳港を船がでるのは、9時40分です。レンタカーを空港で借りてそこに返すとして、空港から亀徳港までのバスは8時に出ます。レンタカー会社にもよりますが、営業時間は8時からのところが多いようです。これでは船には乗れないようです。前日返しとなりそうです。
日程を確定することにします。まずは飛行機の空席状況を確認します。行きは始発便、帰りは最終便で調べてみます。いっぱい×マークがついています。だめなのかなと一瞬思いましたが、座席の違いによるものです。空いている席は残っていそうです。それでも、13日の便が、満席のようです。
いったん行程を整理してみます。飛行機は昼ちょっと前に着きます。その日と翌日いっぱい徳之島を回って、さらに1泊し朝一番に宿を出て亀徳港に移動します。その後昼前に沖永良部島について、翌日いっぱいまで島をまわってから最終便の飛行機で帰ってくることになります。徳之島に2泊、沖永良部島に1泊でどちらの島も1日半観光できます。
次は、宿を決めます。南の方に行くのですから南の空低い所の星が見られそうな場所を探します。沖永良部島はフローラルホテルでいいでしょう。知名港のすぐ近くというのが気になります。港の灯りが強そうです。一応、だめな場合の回避策も探しておきます。最悪車での移動という手段もあります。このホテルは、12日が満室です。
徳之島は難航します。南の開けているとことの宿は、犬田府岬と喜念浜にあると書かれているのですが、それらしき建物が見つかりません。いろいろ探して見つけたのが、天城町与名間のサンセットリゾートです。海岸まででれば、真南の海岸線がぎりぎり見えるかどうかというところです。ここを候補にします。
日にちの確定です。フローラルホテルが12日がだめなので、13日としてみます。これで、飛行機は14日になるので13日の満席は回避できます。とすると、徳之島は11日と12日になります。これでサンセットリゾートに確認するとOKがもらえました。
飛行機もネットで予約します。一度申し込んだものが、よく見ると1ヶ月ずれていました。やり直したらキャンセル料を取られてしまいました。料金割引もよくわかりません。往復割引は、往復ではないので使えないとしても、鹿児島−伊丹間は使えそうなのにありません。適用されたのは、乗り継ぎ割引だけだったようです。行きは伊丹9時15分発鹿児島10時25分着で、乗り換えて10時45分発徳之島11時55分着です。帰りは沖永良部17時ちょうど発鹿児島18時15分着、乗り換えて19時15分発大阪20時30分着です。
次はレンタカーです。徳之島はいつも借りているレンタカー会社に電話します。亀徳港にも営業所があるので、そこで乗り捨てはできるかどうかも聞いてみました。大丈夫だそうです。乗り捨て不可と書かれていたのは、島外の営業所のことだったようです。わざわざフェリーに乗せて移動する人はいないと思います。ここで13日まで借りて、亀徳港近くの営業所で返却というのが確定しました。沖永良部島は島内のレンタカー会社しかないようです。和泊港近くのものと知名港近くのものがあります。船が和泊港につくのと、こちらのものは乗り捨て料金の設定があることから、和泊港近くのものにします。こちらも電話で予約を入れることができました。
つぎは下調べです。与論島に行ったときに、鹿児島空港で、徳之島と沖永良部島のパンフレットを入手しています。地図がしっかりしているので、ここに追加の情報を記入して持っていくことにします。といっても、だいたい必要なことは網羅されているようです。内容が更新されているかも知れませんから、現地に着いたら新しいものを入手することにします。
徳之島を調べていたら、ここにもアマミノクロウサギが生息しているような事がわかりました。どんなものなのか興味があります。夜行性なので、星見と時間帯が重なります。一日は星見、もう一日はクロウサギに割り振ることにします。初日の天気が悪ければクロウサギ、よければ星で2日目はその逆になります。2日とも悪ければ、2日ともクロウサギを見に行きます。運良く見られるとは限りません。島内にクロウサギ観察小屋があります。そのふきんで見られそうですが、観光情報を調べていると、島を横断する県道の峠付近で見られるかもと書かれています。こちらの方が宿にだいぶ近いので、こちらで探すことにします。
後は、いつも通り日の出日の入りや干潮満潮の時刻なども調べておきます。基本的には朝夕が満潮で、昼間が高めの干潮、夜中に大きく潮が引きます。この時に、重大なミスに気がつきます。南の空の星が見られるということで、南十字星を期待していたのですが、この時期では南中は真夜中過ぎです。もう一月後の方がよかったみたいです。小笠原に行ったときは、日没直後だったので、ちょうどくらいかなと思っていたのですが、小笠原は6月末に行っていました。2ヶ月半早い時期なので、南中時刻は5時間遅くなります。経度の差とかもあわせると真夜中すぎになるのは計算できたはずです。
いつも通りの準備をしておきます。違うのは、車にカーナビがないと書かれていたので持っていくのと、GPSロガーは感度を上げるために首に提げるためのストラップをつけておきます。カメラの偏光フィルターは、普通のものだとオートフォーカスの誤作動の原因になることがあるようなので、円偏光タイプのものを買っておきました。
今日は伊丹空港9時15分発の飛行機に乗ります。8時過ぎに家を出てモノレールの駅まで歩いて行き、そこからモノレールで空港に向かいます。天気はそれほど悪くないのですが、低気圧の接近で、だんだん下り坂です。奄美までは影響がなさそうです。
空港に到着します。飛行機は前回、チケットの乗り継ぎ手続きで、カウンターにいくようにいわれた航空会社です。荷物を預ける分にはいつも通りとわかりましたから、そのまま手荷物預け所までいきます。どちらにしても。荷物の重量がオーバーしていますから、荷物は機内には持ち込めません。インターネットからダウンロードしたチケットには、そのまま保安検査を受けてくださいと書かれています。システムが変わったのでしょうか。
カバンの中から機内に持ち込む荷物を抜き出して、機械をとおしてからカウンターで預けます。今回、機内荷物はカーナビが余計に入っています。リチウムイオン電池を使っているからです。
いつもいくラウンジは、前回はこちら側のターミナルからは行けませんでした。いかないつもりでしたが、今日はこちら側からのみいけるようになっています。ちょっとだけいってみました。空港は来る度に様子が変わります。
それほどゆっくりしている時間はないので、すぐに保安検査場に行きます。ここも新しいシステムが導入されたようです。係員のチェックなしに入れるから早くなるということだったのですが、水筒に入れたお茶の事で引っかかってしまいました。検査は係員でないとできないみたいなので、結局は普通にやったのと同じでした。係員が来るまで待たされました。
検査が終わったら、搭乗待合室に行きます。ちょっとぶらぶらしていると、搭乗開始になります。座席についてから、窓から見た大阪空港です。まだ所々に工事用の覆いが残っています。
雲はおおめで、薄雲もかかっているようです。地上の景色は薄ぼんやりしています。飛行機の経路は、沖縄に行ったときとほとんど同じようです。淡路島上空から高知市の方向を目指して飛んで行きます。徳島上空付近で見えた中央構造線です。
高知市をすぎて見えてきた仁淀川です。いの町付近から上流部が見えています。
飛行機と並んで飛行機雲が見えます。直前を飛んでいた飛行機が作ったものでしょう。この飛行機は、雲を作っていないみたいです。こちらは高さがだいぶ低めです。
地上の景色を見続けていますが、興味のあるのは、ほとんど真下で、写真に撮ろうとすると、ファインダーのぞく頭がガラスにあたり、カメラがガラスに寄せられません。よく考えてみたら後で上下を反転させればいいのでカメラを逆さまにすればいいことに気がつきました。
そのようにして写した風景です。愛南町の中心部付近です。溺れ谷から埋積谷ができる様子がわかります。逆さまのままなので雲が下の方に写っています。
延岡市の南側を通って鹿児島空港に向かいます。このあたりから雲が増えてきました。景色が見えなくなりますが、着陸のためすぐに雲の下に入ります。空港北側の火砕流台地が見えてきます。
すぐに、鹿児島空港に到着です。定刻通りです。空はどんよりしています。霧島の状態が気になります。どうも雲の中で見えないようです。
鹿児島空港での乗り換えは20分しかありません。どこで聞いたか覚えていませんが、「電車並み」の乗り換え時間になっています。この時は25分あったような。今回は、それより短い時間です。この間で、荷物も移動できるのでしょうか。
飛行機は降りるだけでも時間がかかります。搭乗口は、降りたゲートのすぐ隣なので、空港内の移動は少しで済みました。それでも、徳之島行きの飛行機は搭乗が始まろうとしています。搭乗開始になり、飛行機に乗り込み座席に座ります。横を見ると、乗ってきた飛行機が見えています。今乗っている飛行機がどんなものか見ている余裕はありませんでした。座席数からするとかなり小さい飛行機のようです。
滑走路に移動する頃になると、雨が激しく降りだしたようです。この中を離陸していく飛行機が見えます。小型のジェット機です。
雨の中の離陸となりました。それでもすぐに雲の中に入っていきます。雲の中を突き抜けるのもそれほど時間はかかりません。雲の上では青空が見えます。前線性の雲が九州に接近していました。その雲でしょう。所々に、背の高い入道雲が見えます。
しばらくの間、下の方の景色は雲ばかりです。所々すき間から海が見えます。それでもだんだん雲のすき間が広がってきて、島が見えるようになってきました。小宝島・小島です。窓から見える景色は海ばかりの領域です。
海面もよく見えるようになってきました。所々に白いものが見えるのが気になっていましたが、単なる波頭だったようです。
だんだん海の色も変わってきて、間に群体サンゴが見えるようになってきました。高度も低くなっています。まもなく着陸でしょう。
徳之島空港に到着です。飛行機からはタラップで地面に降りそこから歩いてターミナルビルに向かいます。この空港は「徳之島子宝空港」というのが正式名称です。
乗ってきた飛行機です。小型のジェット機だったようです。
ターミナルに入ると荷物受取場所に向かいます。ここには藁葺きの小屋のようなものが作られていますです。徳之島では見ませんでしたが、高倉のようです。
到着ゲートをでたところで、レンタカー会社の人が待っていてくれました。あいさつをしてから、いったん近くの案内所でパンフレットを探します。前に鹿児島空港で入手したものと同じもので内容は変わっていないようです。
ここから、レンタカーの営業所まで車で送ってくれます。距離はそんなにないのですが、迂回しないといけないようです。
営業所に着いて手続きにはいります。手続きが一番簡単なコースにしたので、すぐに終了し出発できるようになります。車を見るとカーナビがついています。持ってくる必要はなかったようです。最近の車はカーナビがついているのがふつうです。ない方がおかしいですね。
これからの予定です。宿は、空港のすぐ北側にあります。半日走ってまたここまで戻ってくるという感じになります。島の中心部はこれといったものはなさそうですから、海岸に沿ってぐるっと回り、何かあったらそこから入っていくという形が良さそうです。
空港からすぐ北上しても良さそうですが、この近くに陸の中の海「ウンブギ」というのがあります。ここから観光を始めることにします。
レンタカー会社の前の道を南下していくと、すぐに到着しました。案内標識がしっかりしていてわかりやすいところにあります。駐車場から、地下に降りていくような感じで道がついています。
そこを降りていくと谷底のようなところにつきます。両側は高い崖になっています。鍾乳洞の天井が崩れ落ちて、底に岩がたまったような形です。崖には鍾乳洞の側面のような岩が見えています。
そのまま進んで行くと、大きな洞穴とが見えその下は水がたまっています。
振り返って見たところです。結構長い谷が続いています。底にはごろごろした岩が見えます。
近づいてみた水たまりです。といっても池ほどの大きさがあります。他ではあまり見ないような水の色です。洞窟の天井には鍾乳石がたくさんさがっています。鍾乳洞が続いているようです。
さらに限界まで近づいたのですが、鍾乳洞の奥までは見えませんでした。横に投光器のスイッチがありつけてみました。それでも先の方はよく見えません。
この鍾乳洞は海まで続いていて、潮の満ち引きによって水面が上下するようです。満潮時にはここまで海水が入ってくることから、陸の中の海という言い方をしているようです。このような場所は、アンキアラインというみたいです。独特の生物がいるようですが、何も見えませんでした。
ウンブギの駐車場に戻ってから空港で見ようと思っていて見忘れているものが一つあるのに気がつきました。寝姿山です。その形が、妊婦さんが寝ているところを横から見たようすにそっくりということでこの名前がついています。徳之島子宝空港という名前も、この山が関係しているようです。
駐車場から北側を見るとその形がよく見えます。いわれてみればなるほどと思います。今日は布団をかぶろとしうているようです。
再び空港の方に戻りますが、1本山側の道に入ります。まっすぐのびる直線路になっています。ここに浅間陸軍飛行場があった名残だそうです。
ここからずっと北上をしていきます。トリトリデッキと書かれた案内標識がありましたが、そのまましばらく進んでいました。今はちょうど干潮の時間になっています。干潟も見えるので、鳥もきているかも知れません。引き返して見に行くことにしました。
駐車場のようなところにつきましたが、ここからどちらにあるのかわかりません。付近にある案内図をいくつか見ている内に、奥に見える体育館の裏にあるようなことがわかりました。すぐ近くまで車でいくことができます。
到着して見えたトリトリデッキです。野鳥に気づかれずに観察しやすいよう、穴の開いた塀で囲まれています。
先客が一人いました。バードスコープを持ってきていますから、本格的に野鳥を見に来ているようです。徳之島は初めてだそうです。
デッキに上がって見えた干潟です。いい具合に潮が引いているようです。
小さな動くものが見えます。シロチドリと教えてくれました。
奥の方に、クロツラヘラサギがいることも教えてくれました。持っている望遠レンズでもちょっと遠いです。向こうに見える土手のようなものは空港の滑走路です。
見ていると、並んで泥の中にくちばしを入れて、エサを探しながら歩いて行きました。
岸近くには、マングローブの若木も見えます。
地面に穴のようなものが見えるので、何か小動物がいないか探していると、カニのハサミのようなものが見えました。片方だけ大きいのでシオマネキでしょう。左上の穴にももう一匹います。
トリトリデッキからはまだ空港の滑走路が見えています。ほとんど進んでいないことになります。先を急ぐことにします。これからの経路は、島を周回する県道に出るのが普通ですが、このまま海岸沿いの道を行くことにします。
進んで行くと漁港に到着しました。松原漁港です。防波堤に囲まれた海域に比べて、作業スペースのような、コンクリートの平地の方が広い漁港です。
内陸側です。船揚場の向こうに見えるのは寝姿山の顔の部分です。だいぶ頭側から見る位置になってきています。
海側です。礁湖が広がっています。左奥がトリトリデッキから観察される野鳥のいる場所になります。正面に滑走路への誘導路が見えます。礁湖の中には棒のようなものがいっぱいきれいに並ぶように刺さっています。これは何なのでしょう。
特に海岸に降りられる所がありません。近くに寄れないので詳しく観察することができません。降りられても海の中を歩いていかないと行けいないので、近づくのは無理でしょう。ここはあきらめて、北上していくことにします。途中、与那間海岸の前を通りますが、ここは宿の前なのでいつでもみられます。パスします。
次に出てきた案内は、ムシロ瀬です。そちらの方に向かっていくと駐車場に到着します。すぐ前にある展望台からムシロ瀬の様子と海が見えます。沖合をちょうど船が進んでいくところです。平土野港に向かう船でしょうか。
山側です。草原の間の所々に大きな岩があるのが見えます。海岸にあったのと同じ花崗岩でしょう。
岩の間にいろいろな植物が見られます。白い色のアザミの花が咲いています。リュウキュウシロバナアザミです。普通はシマアザミというようです。
展望台から、海に向かって遊歩道がついています。進んで行くと二手に分かれます。まずは、左側に進んで行くことにします。
道沿いに、大きな潮だまりができています。これだけ大きいと潮だまりといっていいのかなとも思います。
何か魚でもいないかと探してみました。近づくと遠くに逃げてしまい見ることができません。やっと1匹見つけることができました。
遊歩道はこの先でおしまいです。すぐ前には尖った岩が見えています。ローソク岩というようです。
ムシロ瀬を作っている岩石は花崗岩です。大陸の岩石というイメージがあります。南西諸島では珍しいのかなと思っていたのですが、調べてみると屋久島などいろいろなところにあるようです。
ここの花崗岩の特徴は、無数のひび割れが入っていることです。節理といいます。地下にあるときに岩石に加わった力によってできた割れ目です。
節理の面を見ると平なのが普通なのですが、ここのものは筋のようなものができています。溝みたいになっている場所と並行についています。向こう側が海なので、この岩を乗り越えてきた波が、溝を通りぬけるときに岩を削って作ったもののように見えます。花崗岩にこのような筋をつけるのはなかなか大変です。
節理は普通直角方向に交わる面の組み合わせでできている事が多いのですが、ここのものは、60度くらいで交わっています。
いくつか何かに似ていると書かれている岩があります。見つけたのはろうそく岩とこの女性の横顔だけです。
海岸近くです。珊瑚礁はほとんど発達していないようです。岩がむき出しで、いきなり深い海の色になっています。
北側です。本州の岩石海岸とあまり変わりません。向こうに見える島はトンバラ岩です。
ここの岩にみられる節理は様々な方向に入っています。ブロックごとに微妙に違っているように見えます。
上に見える岩の表面には、へばりついたように石がくっついています。よく落ちないものです。
このあたりはイソヒヨドリの多いところでした。ここでは高い岩の上に2羽が並んでいます。
ムシロ瀬から島を周回する県道に戻って、手々の集落に入る手前に鬼の足跡石を示す標識が出てきました。石とついていますから、当然見に行くことにします。県道から150mほど農道を入ったところに駐車場があります。そこに車を入れます。
駐車場前の農道の切り割りには、たくさんのテッポウユリが咲いていました。誰かが植えたというより野生化したというような感じです。
駐車場の奥に柵で囲まれた一画があり、そこに岩が一つ出ています。反対側にまわってみると確かに足跡の形のような窪みができています。
足跡に見える部分の拡大です。これが鬼の足跡なのでしょうか。近くにあった解説板には、天照大神が徳之島にアマミコ(女神)を使わしたときに、地上に降りた場所にできた足跡だそうです。これでは鬼ではなく女神の足跡石といわないといけないですね。
右上の方にも、いくつか窪みが並んでいます。窪みの中の石は黒っぽくてまわりとは違います。まわりの石のざらざら感は花崗岩そのものです。黒っぽい石は、花崗岩マグマが地下から上がってきたときに、周囲にあった岩石を取り込んでできたものです。捕獲岩といいます。
この岩の上に、3つの石が置かれています。何かのいわくがあるのでしょうか。気になりますが、これについては何も書かれていませんでした。
ここからは海が見えます。次は、ここを目指していくことにします。
みていると空を一羽の鳥が飛んでいきます。尾羽に特徴的な模様があります。調べたらわかると思ったのですが、わりませんでした。
次の目的地は、手々海浜公園です。手々の集落から海の方に向かう道に入っていきます。道はそれほど広くありません。海岸に出たところで広場のような所があります。ここに車を入れます。
車を駐めたところから、すぐに防波堤にでます。この上から見た西側海岸です。海食台のような地形が広がっています。大きな岩もあります。クサデン岩というようです。
東側です。こちらは入り江のような形に見えます。杭のようなものが並ぶように刺さっています。向こうの方に見える島は、ムシロ瀬からも見えていたトンバラ岩です。
杭のようなものの拡大です。鉄筋のようです。海面近くには藻のようなものが絡みついています。これ以上近づくには海の中に入らないといけないので、これ以上詳しいことはわかりませんでした。
波打ち際には、貝殻の密集しているところがたくさんあります。ウミニナのような巻き貝が多いようです。
海岸の平らなところです。海面よりちょっとだけ高いようです。ほとんどでこぼこがありません。岩石は石灰岩のようです。
波打ち際です。岩に直接波があたっています。珊瑚礁があるという感じではなさそうです。
平らなところを進んで、クサデン岩の近くまで来ました。このあたりには広い潮だまりがたくさんあります。靴を濡らさないようにと思うと大きく迂回しないと近づくことができません。
そのまままっすぐ防波堤の方に戻ります。ここには、バーベキュー用の施設みたいなものがあります。そこからの海を見た様子です。
手々の集落から海浜公園に降りてくる途中に、大和グスク・アジ墓と書かれた案内板がありました。すぐ近くなので寄ってみることにしました。
指示された道を進んでいきます。示された距離くらいのところに来ると、最近のお墓があります。目立って立派なものとかはなかったので、そのまま素通りします。その先には何も見えてきません。引き返します。墓の手前あたりで、意味がありそうな石垣があり、その前が少し広くなっています。ここに車を駐めて付近を探してみることにしました。
車を置いた場所の石垣です。平たい石が積み上げられています。このあたりにはこのような平らな石はなさそうです。
石垣の間を通りぬけると川にでました。両岸は海岸のような砂がたまっています。石垣は特に意味がなかったようです。
そのまま進むとすぐに海岸に出ます。向こうの方にクサデン岩が見えています。
反対側です。細長い島のようになっているところにたくさんの人がでて何かを採っているようです。
こちらは何もなさそうなので、車まで戻り墓のあった方に行ってみます。道ばたに咲いていた日々草です。このあたりでは年中咲いていてそうです。
墓の方をみると、その奥に解説板のようなものが見えます。その方に行ってみました。そこにはアジ墓の説明が書かれていました。大和グスクの位置も書かれています。その方向に見える丘です。これがそれでしょう。
グスク(城)と書かれていますが、手々の集落にある神川(カンギョウ)グスクは神様が降りてくる場所であると、鬼の足跡石の説明にありました。大和グスクについては説明がないのですが、そういう場所なのでしょうか。
反対側には、平らな石を積み上げた石垣があります。高さは1mちょっとぐらいです。切れ目がありその上に質の違う大きな平たい石が載っていて門のようになっています。ここにアジ墓がありそうです。
門のようなところに続く石垣です。熱帯風の植物が覆い被さっています。
石垣の内側です。大きめの石のまわりにいくつかの石が取り囲むように並べて立てられています。この付近の長だった掟大八の墓の周りに、6つの家来の墓があるという記述通りです。みんなまとめてアジ墓というそうです。
掟大八は首里城の石垣修理をした後、加計呂麻島で手柄をあげたもののその時の傷が元で帰りの船上でなくなったそうです。掟は役職名だそうです。
手々の集落を通る県道に戻り東に進んでいきます。金見の集落につくとソテツトンネルの案内板がありました。指示に従って左折し進んで行きます。途中どちらに行こうか迷うところがありました。右の方を選び進んで行くと、元の県道に出てしまいました。
再び戻って正しい方の道に入っていきます。駐車場のような場所が見えてきましたからそこに車を入れました。
ソテツトンネルと書かれた方に歩いて行きます。入り口から入っていくと小径の両側にソテツが大きく育っています。
ソテツは、道の方に倒れてきているので、トンネルのように見えます。
道に覆い被さるように伸びたソテツの枝もあります。
ソテツの生えているところはあまり奥行きを感じません。脇道のような所があったのでのぞいて見ると、畑のような空き地があって、その周囲を取り囲むようにソテツが植わっています。
トンネルに戻って先に進んでいきます。どころどころで足下にソテツの実がかたまって落ちています。
完全に道に倒れ込んできたソテツもあります。ここは屈まないと通りぬけられないところもあります。
このソテツの幹は曲がりくねっています。大きくなった木ではよく見かけますが、ここのものはそれほどでもないようです。
地面にヤドカリがいました。貝殻はぶ厚く、陸貝のものではなさそうです。
ソテツトンネルをぬけると階段があり、売店のような建物の横にでます。ここで、クラス会風の団体に追いつきました。結構陽気なので近寄りがたい雰囲気です。売店の正面には展望台風の建物があります。団体はそちらの方に行きましたから、先に、ここからどうやって駐車場に戻るかを考えます。
目の前の道は、展望台で行き止まりのようです。このまま元来た道を引き返そうかなと思ったのですが、一瞬どこから出てきたのかわからなくなっています。ちょっと探すと、登ってきた階段を見つけることができました。前の道は、反対側は岬の方までまっすぐ続いているのが見えます。町の方からきているはずなので、戻ることはできるでしょう。問題は、町に行く道とどこで合流するかです。岬の先まで行って合流した道で戻っていくという方法もあります。同じ道は通りたくないので、道路の方を帰っていくことに決めました。
先の団体は、展望台から降り始めてきていますので、展望台に向かうことにします。展望台です。金見崎ソテツトンネル展望所と書かれています。
これから進んで行く方向です。金見崎は島の北東端にありますから、南の方向になります。林に沿うように砂浜が続いているのが見えます。地図では金見海水浴場になります。
ソテツトンネルの方向です。意外とたくさんソテツが見えます。所々に窪地のように見えるところがあります。ここは途中で見た畑のような場所なのでしょう。
岬の先端方向です。灯台があります。光源は塔の上に直接のっています。大島の南にあるのでここから見えても良さそうなのですが、見えていないようです。距離は20kmほどです。
トンバラ岩です。徳之島ではこのあたりが一番近いところになります。島まで4kmほどです。
駐車場に戻ることにします。道を進んでいくと坂を降りきったところで、町からの道に合流しました。灯台へは行かずに町に戻ります。
駐車場に戻って、車で先を目指します。次は金見海水浴場です。来るときに道を間違えた交差点の手前に来たときにパトカーがやってくるのが見えました。家の入り口前の広いところに寄せてやり過ごそうとしたのですが、バックして道を空けてくれます。パトカーのいる方向に曲がりたかったのですが、向こうは道を譲るつもりなのかなかなか動いてくれません。しかたがないので、通れる方から県道に戻りました。
県道は、海岸から少し離れた高台を通っています。金見の集落を過ぎた所で、浜に降りられそうな道があり、その先に道路が広くなっているところがあります。ここに車を駐めて、浜におりていきました。下りたところからみた金見崎方向です。砂は陸近くにだけあります。
波の通り道は、砂がなくなっています。その横には、不思議な模様を描いて砂がたまっています。
海近くに寄ってみました。畦のような高まりに囲まれて、潮だまりが田んぼのようになっています。
海岸から戻るときに砂浜で見た花です。シロバナミヤコグサです。
金見崎は島の北東の端にあります。ここからは島の東海岸に沿って南下して行くことになります。集落を一つすぎてからは、しばらく海岸から離れたところを走ります。途中に、畦プリンスビーチとかかれた案内標識が出てきました。そちらの方に行くことにします。距離は1.5kmあります。海岸からだいぶ離れたようです。
幅の広い道が続いています。通行止め柵がありその左側に駐車スペースがあります。ここに車を入れます。
プリンスという名前はどう説明していいのかわかりませんが、とりあえず現天皇陛下(2018年現在)が皇太子時代にここを散策したからとか。そのため、道が広げたのでしょうか。
駐車場からビーチの方に行きます。途中にひろばがあって周囲には大きな木が生えています。これはガジュマルと思ったのですが、そのわりには、気根が下がっていません。
ビーチです。今までの浜の中では一番砂が多いようです。それでも所々で岩がむき出しです。
海岸の岩です。頁岩のようです。地層の模様は直立しています。地殻変動の影響です。
砂です。大きなものはサンゴのかけらで、小さな薄茶色のものは有孔虫の殻です。貝殻のかけらやウニのとげも見えます。
南側の海岸です。波がたっています。裾野の見えている山は井之川岳です。
南側に歩いて行くと道は小さな峠のようなところを通ります。その海側の高台からはビーチのようすがよく見えます。岩が多いと思ったのは、ビーチの端だったからのようです。
沖側です、離れたところにリーフがあり、その内側の礁湖という作りがよく見えます。
峠を越えてから、広場の方に戻ります。途中で見たつる性植物です。サルトリイバラに似ていますが、棘がありません。確か、八丈島のものも棘がなかったような気がします。
広場で咲いていた木です。センダンの木です。これも暖かいところの植物です。
畦プリンスビーチから県道に戻り、何か変わったものがないか探しながら南下していきます。しばらく走ったところで、鳥が止まっているのを見かけました。くちばしが細く、ちょっと見たことのないような鳥です。
とりあえず撮影したのですが、空を向っていますので、写真では黒く写っていて、何の特徴もわかりません。画像処理をしたのですが、これが限界です。おなかが茶色で、頭が青っぽい色をしています。
イソヒヨドリがそれに該当しますが、くちばしが細いのが気になります。同じ配色で、ルリビタイジョウビタキというのがたまに東南アジアの方から日本にやってくることがあるようです。これとも体型が違っています。
イソヒヨドリの写真を見ていたら、くちばしの細いものもありました。どうやら下から見ると細いようです。
花徳の集落近くで牛を見ました。徳之島も闘牛がさかんなようです。これは普通の乳牛のように見えます。
花徳の集落をすぎると海岸に出ました。里久浜海水浴場と書かれています。車を駐めて海岸に出てみます。ビーチから北側の風景です。しっかりとした砂浜が続いています。
浜の砂はふかふかです、歩くと足が砂に潜り込んでいきます。足跡も深くつきます。
砂の表面は、緩やかにでこぼこになっていて不思議な模様を作っています。
ビーチの北側にある宮城山です。花徳按司という人の居城だったそうです。
南東側です。大きな石碑が見えます。一つ向こうの浜の先に見えます。
浜には、海の方に向って岩が並んでいます。岩脈のようですが、岩石にはそれらしい特徴がありません。一番沖の岩に向かって橋のように枯れ木が倒れています。
里久浜海浜公園を後にして、南下していきます。ちょっとした坂を登り切ったところに花時名展望台と書かれた石柱があります。見に行こうと思うのですが、駐車場は見当たりません。入っていく道は車には狭めのようです。県道の路肩がちょっと広めなので車を端に寄せて止めて歩いて行くことにします。
石柱の前の道を15mほど上ったところで。展望台が見えてきました。こぢんまりとした展望台です。
展望台からは、先ほどいた里久浜ビーチがよく見えます。その向こうに見える山が宮城山、遠くの山が三方通岳、宮城山の右側に天城岳から延びる稜線が見えています。
路上駐車なのですぐに車に戻ります。さらに進んで、母間の町に入ったところで、小さな防波堤の向こうに海がみえてきます。車を駐めて、防波堤の上から見た海岸です。砂浜は狭くなり、礁湖のようになっています。
さらに進み、下久志の町外れまで来ると西郷どんくつろぎの岩と書かれた案内板が見えてきました。「せごどん」とふりがなが振ってあります。この山側に駐車スペースがありますから、ここに車を入れて見に行くことにします。
坂を下って海岸に出ます。再びビーチが広くなってきたように見えます。砂粒というより、小石やさんごの破片が多いようです。
浜辺に鳥がいます。シロチドリです。
50mほど南に行ったところに西郷どんくつろぎの岩の看板のある岩がありました。座って海を眺めるのにはちょうど良さそうな岩です。岩質は緑色岩のようです。
そこから見る浜です。西郷さんはこのような景色を見ていたのでしょうか。砂浜が海に突き出しているところはビーチカスプのようです。
道に戻って南下を続けます。道は緩やかな登り坂になっています。坂をほぼ登り切る手前に大きな看板があって「徳之島新名所くじら坂」と書かれています。看板の横には展望所のようなところがあって、望遠鏡が置かれています。
くじら坂という名前は、ここからくじらが見えるということなのでしょうか。くじらのように長い坂とも考えられます。
展望所からは、海が見えます。ここから海までは少し離れています。
海岸沿いに道路があって、遊歩道のようなものも見えます。こちらの方に行ってみることにしました。道を少し進んだ先に、徳之島小唄歌碑と書かれた場所があって、その入り口前から坂を降りていくように道があります。この道を進んでいくと海岸沿いの公園に到着しました。車を降りてそこから見た海岸です。この付近はあまりビーチは発達していないようです。沖合にリーフが見えます。
海岸の岩です。丸い模様が見えます。枕状溶岩に見られる模様です。くつろぎの岩の緑色岩と関連しているようです。
波打ち際近くを歩いていると、何羽かのオバシギが歩いているのが見えました。
一列に並んで何かをついばみながら波打ち際を進んで行きます。白い岩の上にも2羽合計5羽います。
北側の海岸近くです。潮が引き礁湖の底が見えているようです。遠くに天城岳からの尾根が連なっています。天城岳は雲の中のようです。
引き返しても県道に戻ることにします。坂を上っていくときに幸福の滝と書かれている場所があります。そこから見える滝です。
県道に戻りました。これからの行程を考えると島の周回はここまでにして引き返すことにします。幸福の滝の上流にある橋を越えたところに夢創滝という案内があります。橋の上からは滝が見えます。川の水は濁っています。
ここの説明板に、近くにあった鉱山のことが書かれていました。行き方の図があったので、その通りいってみました。枝道が多くどうすすんでいいかわからなくなったので、ここはあきらめることにしました。
夢創滝の滝口の岩肌を見ると鉄さびのようなものが浮いて、茶色っぽくなっています。これも鉱山と関係しているのでしょう。
島の周回を早めに切り上げたのには訳があります。明るいうちにアマミノクロウサギ観察小屋を見ておきたかったからです。県道を少し戻り、花徳の町から島を横断する道路を進んで行きます。天城の町につく少し手前から山麓に沿って南下する道に入ります。どの道か判断しかねたので、いきすぎてしまい町近くまでいきました。引き返して正しい道に入ります。
ゴルフ場近くで南側が開けてきたので、その景色を写しておきます。この方角は比較的平らな台地になっています。前方に見える山は犬田布岳です。
まっすぐ進み、南部ダムと書かれた方角に曲がって進みます。当部の集落に着いたところに駐車場があります。そこにいったん車を入れます。駐車場横のトイレです。クロウサギの絵が描かれています。
駐車場の奥に東又泉(あがりまたいじゅん)という泉があります。島一番の名水だそうです。
湧水口付近の拡大です。はっきりここから湧きだしているという場所はわかりませんでした。水は透明感があってきれいです。
駐車場から階段を上がったところに鳥居があります。近くにこの集落の守り神であるビンジルガナシが祀られています。
鳥居から続く道です。この付近はイタジイの林になっています。幹の太い木もたくさん見られます。
イタジイ林の中にあるビンジルガナシです。中にある石の重さで吉兆を占ったそうです。
さらに進んでいったところにあるのが、オキナワウラジロガシの大木です。板根が発達しているのが特徴です。
当部の集落を後にして、くるまで山の方に進んで行きます。広場のようなところがあり小屋が建っています。クロウサギ観察小屋と書かれています。このあたりでアマミノクロウサギがみられるようです。
観察小屋は南部ダムの堤防上にあります。草木の間からダム湖が見られます。
アマミノクロウサギは決まったところに糞をするそうです。ため糞と言います。そのようなものがないか周辺を歩いてみたのですが見つけることはできませんでした。
当部の集落からは、まっすぐ海岸沿いの県道まで下って行きます。県道を北上してすぐに犬の門蓋への案内標識が出てきます。事前のチェックで必ずいくところに◎をつけていました。犬の門蓋はその中に入っています。狭い道だったので、本当にいけるかどうか不安だったのですが、ここの標識がしっかりしていることで入っていくことにしました。
ちょっと進んだ所で、道が二股に分かれています。どちらに進んでいいのかわかりません。とりあえずちょっとだけ広いと思った方に進みます。これが何度か繰り返されます。海岸沿いに目的地はあるのですが、なかなか海岸には近寄らないようです。最後は、元の県道に戻ってしまいました。
とにかく犬の門蓋に向かうことにします。地図ではこの先の平土野の町の南側から海岸沿いに南に進んでいくといけことになっています。平土野の町を目指して進みます。平土野の町に入って、橋の手前で再び案内看板を見つけました。その通り進んでいくと何個か案内看板が見えてきます。その通り進んで行きます。
坂を上ったところで海から離れていきます。この道に入ったところから案内看板が途絶ています。そのまま進んだのですが、カーナビの示す場所を通り過ぎます。海岸の方に向かう道が何本かあったので入っていきました。
カーナビが示す場所のすぐ近くまで行くのですが、道は途切れそれ以上進めません。ぐるっと進んでいるうちに元の道に戻ってしまいました。近づける道はなさそうなので、案内板は正しいと信じるしかありません。そのまま進んで行きます。
だいぶ行きすぎたと思われるところまで来ると、やっと次の案内看板がありました。こんどは、その道の向こうから牛をつれた人がやってきます。入っていった車がバックで戻ってきます。いけないのかと心配になりました。牛をつれている人に聞くとこの先でいいそうです。
その道に入って、突き当たりの道を戻り気味に進んで行くとすぐに駐車場に到着しました。カーナビの示す場所とはだいぶ離れています。
ここで正しいのか不安になっています。とりあえず、駐車場からの景色を写しておきます。
周りにある案内板を総合するとここが犬の門蓋で間違いないようです。いろいろとまわってみるところがありそうです。まずは、海岸に降りる道があります。急斜面なのでいけるか心配になります。とにかく下りていくことにしました。下りたところからみた岬先端方向です。海岸の崖にいくつか洞窟があり、向こうまで突き抜けているのもあるようです。
反対側です。急な崖が続いています。落ちてきたような大きな岩も崖際に転がっています。
この方向に、奇岩があると書かれていました。正面にみえるキノコ岩がそれでしょうか。距離は273mと書かれていました。
このあたりの地面です。石灰岩が溶かされてできた海食台が広がっています。所々に細長く海が入りこんでいます。海食台の上を進んでキノコ岩に近づくことはできないようです。
波打ち際にそってずっと先です。琉球石灰岩の台地が削られ、垂直な崖になっているのがよくわかります。転がり落ちたような岩も見られます。
キノコ岩に近づきました。これ以外に変わった形の岩がないので、これが奇岩なのでしょう。いくつかかたまってあります。
犬の門蓋と書いて「いんのじょうぶた」と読みます。飢饉があったときに悪さをしていた野良犬をこの上から投げ捨てたのが名前の由来だそうです。といわれても何のことかわかりません。そのような事をこの地方の方言で言えばこのようになるのでしょうか。一文字変えれば「犬の成仏」です。漢字との関係も不明です。単なる当て字なのでしょうか。確定する手段がないのでこれ以上考えることはやめにします。
犬を投げ捨てるとしたら、前方に見えている断崖が適当なようです。そちらの方に行ってみることにします。崖下沿いに歩いて行きます。
だいぶ近づいたところから見た崖の先端部です。穴が見えていますが、ここまでは近づけませんでした。
その手前に洞窟が2つあります。手前側のものにはアベックが入っていったので、奥の方から見ていくことにします。海岸沿いの入り口です。石灰岩に空いた洞窟です。一応鍾乳洞でしょう。鍾乳石とかはできていないようです。
入り口の足下です。石灰岩が溶かされ針山のようになっています。
中に入っていきます。このあたりは光が入ってきていますが、奥は真っ暗です。
いけるところまでいってみました。真っ暗で何も見えなくなっています。おまけに足下がぬれていてこれ以上進むのは危険です。奥の方から光が漏れてきているので、向こう側に突き抜けているのでしょう。
手前側の洞窟です。天井に大きな穴が開いています。こちら側の奥行きはそれほど深くないようです。
いったん急な崖を降りて海岸までいったので、こんどはその崖を登ってこないといけません。きつそうだったので、降りるのがためらわれました。そのわりには、息が切れる前に上がってくることができました。
上がってくる前に6時を回っていました。宿に連絡を入れておいた方がいい時間になっていたのですが、電話番号を書いたメモを車の中に置いたままです。電話番号を登録しておくのを忘れていました。駐車場の前を通りましたから、番号を確認し電話を入れておきます。もう少し見ておく所が残っていると伝えておきました。すんなり了解してもらえました。
見ておく所の1つ目です。正面に展望台が見えています。崖を登った上にさらにあがっていくことになりますが、行ってみることにしました。
展望台には、その方向に見える景色の説明が書かれています。北側です。遠くに寝姿山が見えています。宿は頭の先をちょっとまわったところにあります。
先ほどすぐ近くまで行ったキノコ岩です。ここからだと見下ろす感じになっています。
沖合の方角です。岬の先端まで遊歩道がついています。この先には沖縄県の硫黄鳥島が見えるそうですが、今日は見えないようです。空がだいぶ赤くなり始めています。
展望台を降りて遊歩道を右回りに進んで行きます。洞窟のあったあたりまで来ると、地面に大きな穴が開いているのが見えました。手前側の洞窟の天井にあった穴の続きのようです。ここだと犬を放り投げるのには良さそうです。
沖合に見える岩です。きれいなテーブル型をしています。縁が盛り上がっています。ちょっと不思議な形です。
正面の沖合です。だんだん空の赤みが増えてきています。大きな入道雲も見えています。
このあたりには長命草(ボタンボウフウ)がたくさんあります。潮風に当たった方がいいようです。ということを与那国島では言っていました。
正面にみえる石灰岩の岩場です。今いる平らなところのちょっと上くらいに切り込んだようなへこみがあります。これが何なのかは不明です。岩に見える筋とは並行ではないようです。
切り込みの部分です。ここから水がしみ出してきて、下側の石灰岩の表面を流れて渓谷のような彫り込みを作っているように見えます。ここの岩質が特に変わっているというのではなさそうです。どうしたらこのようになるのか、皆目見当がつきません。
正面に見えていた岩は、左側が海面まで切り立っています。こちら側に進む事ができませんからぐるっと回っていくことにします。
岩をまわって陸側にでたところで、海の方に向かう切り通しのような道がついています。この道の奥の方は一部分だけ岩が被さっています。切り通しは天井の崩落した鍾乳洞で、先の方だけ天井が壊れず残されたようです。
そのまま進んで行くと、天井の残っている手前のところは広場のようになっています。見えていたトンネルの右側にももう一つ穴が見えてきました。めがね岩といわれるように、確かにめがねのような形に見えます。
後ろを振り返ってみたところです。両側がまっすぐに切り立っています。鍾乳洞だとすると、丸い穴が開いているのが普通です。
残された天井部分です。特に鍾乳石ができているという様子はありません。溶食が中心の鍾乳洞だったようです。
天井の残された部分を通り過ぎて、外側にでてみました。広いホールのようになっています。そこから見ためがね岩です。
海岸に沿ってさらに北側です。たくさん洞窟ができています。
ここは行き止まりなので、引き返します。めがね岩に続くきり通しをぬけたところで、岩の上にあがる道がありましたので上がってみました。岩の上から見えるめがね岩です。
横側に見える水平線です。雲が広がってきているようです。まだ日は沈んでいないようです。だいぶ空が赤くなってきています。
この先は狭くなっていて危険なので、ここから引き返すことにします。
だいぶ遅くなっています。車に戻り宿を目指すことにします。そのまま真っ直ぐ行こうとしかけたのですが、干潟の野鳥のことが気になります。夕方なのでやってきているかも知れません。いったんトリトリデッキに寄っていくことにしました。通り道なので5分から10分ほどおそくなるだけです。これくらいの遅れはゆるしてもらえるでしょう。
潮が満ちていて、干潟は見えなくなっています。寝姿山東部のあたりから沖合側の様子です。
鳥の姿は全く見えません。空港滑走路の方角です。夕焼け空とあわせて写しました。
宿に着いたのはちょうど7時です。コテージ風の建物になっています。これだと時間を気にせずに出入りができます。荷物を置いたら、食事にします。夕食は、レストランでメニューの中から選んで注文する形式です。
この後の計画です。完全に曇って星は見えません。予定通りアマミノクロウサギを探しに行くことにします。宿の人に場所を確認したところ、この近くでも出るという場所を教えてくれました。昨晩の10時頃に見た人がいるそうです。
この時間に見ようとすると、1つ問題があります。宿の大浴場は9時までです。部屋付のバスに入れば問題はありませんが、この手の風呂は苦手です。いったん、様子を見に行ってから、大浴場に入り、その後もう一度いくと10時頃にも見られることになります。この形でいくことにしました。
持ち物をそろえて出ようとした頃には、雨が降りだし始めていました。行くだけは行ってみます。予定の林道に入って10km/hほどの速度で前方をよく見ながら車を走らせていきます。道路上にはカエルがたくさん出てきていて、飛び跳ねています。踏みつけたらごめんねで進んで行きます。だいぶ進んだ所で、道ばたに黒いかたまりがあるのが見えました。クロウサギのようです。写真に撮ろうとしたのですが、シャッター速度がかなり長めです。車のライトでは光量が足りないようです。どうしてもぶれて写ってしまいます。
横むいているところです。この大きさだとわからないのですがかなりぶれています。
さらに進んだ所にもう1匹いました。こちらは背中を向けています。手ぶれも少なく写せたのですが、ちょっと残念です。カメラの調整をしている間にいなくなっていました。
林道を通りぬけて、再び戻ってきます。この時にも1匹見たのですが、草の向こうにいたためにカメラのピントがうまくあわず写せませんでした。
いったん宿に戻り、報告をしてから風呂に入ります。でてきて、もう一度いこうとした時には雨は本格的になってきていました。2回目の林道では往復ともウサギを見ることはできませんでした。
ウサギを見にいって宿に戻った頃には雨は本格的になっていました。もう遅い時間ですし、特にすることもないので、寝ることにしました。夜中には雨は激しく降っていたようです。
朝になると、ほとんどやんでいるようでした。まだ食事には時間があるようなので下の海岸をぶらっと見ていくことにします。今晩晴れたときの下見も兼ねています。
海岸に降りていく途中の崖に出ていた岩です。頁岩のようです。
海岸に到着です。沖合にリーフがあって、礁湖になっているようです。展望台のようなものも見えます。
展望台に見えていたものは、監視台のようです。上っていく階段がありません。その下から見た、北側海岸です。先にわずかにビーチが見えます。
山側です。ここにはいろいろな遊戯施設があります。後ろの山は寝姿山です。ここからだとどこが顔なのかわかりません。
南側です。石灰岩の段のようなものができています。削ったものなのか自然にできたものなのかは不明です。その上にうっすらと砂がかぶっているようです。
すぐに食事時間になったので、宿に戻ります。朝食はバイキングです。飲み物に徳之島特産のタンカンのジュースがありました。かなりすっぱめのみかんのようでした。
食事が終わって、持っていく荷物を分けて出発の準備をします。雨がまだ時々ぱらつきます。折りたたみの傘では心許ないので、宿の傘を借りられるか聞いたところOKをもらえました。これを持って回ることにします。
今日のコースです。ここから反時計回りにまわり、昨日行った下久志まで行けば、南部の山沿いに帰ってくる予定です。
まずはスタート地点に行きます。昨日見たウンブギのすぐ南に、湾仁屋湊(わにゃ・わいな)というところがあります。漁港があります。このあたりは薩摩藩時代には、裏玄関にあたる場所だったようで、大層賑わっていたそうです。
近くには湾屋川が流れています。川岸は、高さ10mほどの石灰岩の切り立った崖になっています。港は崖が入りこんだところにあります。
事前に調べた資料には、ここにイビナガシというものがあると書かれていました。どんなものかまでメモするのを忘れたので、見つけることはできませんでした。一抱えくらいの大きさの石だったようです。
説明の書かれた看板があったので、読んでみました。書かれていたのはここであった戦のことでした。江戸時代の初め頃に、薩摩藩がここに攻め込んできて、島民が包囲して上陸を阻んだものの、鉄砲の発射により総崩れになったというような説明です。
ここにもう一つあるのが、西郷南洲翁上陸地の碑です。二度目の島流しに遭った西郷隆盛がここから上陸したみたいです。横にある説明文からは島流しの理由がはっきりとは読み取れません。
湾仁屋湊からは、海岸沿いに南下していきます。平戸野の港を過ぎた所で、県道に出て南下を続けます。昨日、当部の集落から降りてきた道への分岐をすぎてしばらくいくと、犬の門蓋・千間海岸への案内標識が出てきました。カーナビの地図では、千間海岸はまっすぐ進めばいけるようです。千間海岸にいくことにします。
まっすぐだった道が、曲がりくねるようになった先で別方向からの道に出ます。その左側に案内標識があるので見ると、千間遺跡と書かれています。縄文時代の生活の場だったということ以外は詳しいことはわかりません。
この左側に舗装した道があり、こちら側が千間海岸への道と書かれています。降りていくとトイレのある展望台のような場所があり、その前に車を駐めるようなスペースがあります。ここに車を入れます。
ここから海岸との間には高さが1mくらいの防波堤があります。その上から見た海岸北側です。海までの間には原っぱのような所がかなり広い範囲にあります。
草の生えているところをすぎて岩場に出ました。オレンジ色をしたもがいっぱいかたまってあります。うち捨てられた網のようです。海藻なのでしょうか。アメリカネナシカズラのようにも見えます。
海岸の岩です。群体サンゴのかたまりのようなものが所々に見えます。
マキビシのような、とげとげがいっぱい散らばっています。ハリセンボンの皮から剥がれ落ちたもののようです。
海面から1m位の高さのところが平らなのですが、溝のような所があり海が入りこんできています。砂利のようなものもたまっています。
黒っぽいネットのようなものも、何か気になります。ぬるぬるした感じで気持ちが悪いのですが、よく見るとその横に見えている草の茎につながっています。ハママンネングサのようです。
千間海岸からそのまま南下できません。高台に上がり、県道まで戻る途中に広い道があったのでそちらを進んで行きます。道は先でT字路に突き当たります。ここで海側に向かう右の道を取ります。
すぐに海が見えてきました。このあたりでも100m近い高台の上になります。雨が時々降っているので、路面は濡れています。
道は、崖のヘリを縫うように降りていきます。下りきった所で橋を渡ります。橋の上から見た川の上流側です。下を流れているのは秋利神川です。
少し下ったところに公園があります。そこから見た上の赤い橋です。ウェブページでは秋利神大橋と書かれているものがあります。そのように思っていましたが、正しくは天城大橋です。
道は谷底から再び上っていきます。途中でまた違う橋が見えてきました。こちらが秋利神大橋になります。
橋を通る県道に入る前に分岐路に入り橋の下をくぐって進みます。戸森の線刻画と書かれた案内標識が見えます。それに従って進んで行くと、広場のようなところに到着します。ここに車を駐めます。
ここで見られるものは、岩の表面を削って彫られた絵です。いくつかあってこれは第1線刻画と呼ばれているものです。頂上付近に船や矢のような絵が彫られています。船の帆の形から江戸時代以後のもの考えられています。
こちらは第2線刻画です。同じ様な形をした船が彫られています。
このあたりの土の中から線刻のある岩が出てきたそうです。第3線刻画になります。今は埋め戻されています。
第2線刻画(柵の中の岩)と第3線刻画(向こうの説明板の下あたり)との位置関係です。それほど離れていません。
東海岸の母間にも線刻画があるようですが、こちらは事前に調べた限りでは場所を見つけることはできませんでした。パンフを参考に探したのですが、微妙に場所が違っていたようです。下久志から、1本山側の道を走って宿に戻っていたら案内が出ていたようです。
戸森の線刻画に来る途中に、別方向からくるための案内も出ていました。この方向にいっても県道に戻りそうです。こちらから戻ります。さらに南下していくと、犬田布岳山麓を通る県道の分岐に出ます。帰りはここから戻ってくる予定なので、真っ直ぐ進んで行きます。ここまでは何かがあるという案内は出ていませんでした。
もう少し進んだ所から、犬田布岬へ行けるのですが、途中の道は網の目のようになっていて複雑です。南側からまわった方が道がわかりやすいので、そのまま進んで行きます。犬田府の集落をぬけたところで、犬田布岬方面への案内標識がありました。指示に従って入っていきます。
道を進んでいくと広場のような三叉路に着きます。ここの角に、大きな説明板があります。犬田布騒動のいきさつが書かれています。記念碑もあるようなので、広くなっている所に車を置いて、その横にある階段を上がっていきました。正面に石碑のようなものが見えてきましたが、どう見てもこれはお墓です。
騒動は、江戸時代末期、薩摩藩に納める砂糖の量が足りなくなった老人の身代わりとして拷問を受けた人を助けるために、村人が決起して立ち上がり、役人を追い返したというものです。騒動というより人を助けるために立ち上がったということで「義戦」と呼ぼうという説明板もありました。そこには、この墓は拷問を受けた人のものであるとも書かれています。
こちら側が、その騒動の記念碑です。
三叉路を左側に進み、犬田布岬を目指します。途中に「みやどばる」と書かれた案内板がありました。店かなにかのような看板だったのでどうしようかと迷ったのですがとりあえず行ってみることにしました。
狭い道を真っ直ぐ進んで行くと、崖の横にみやどばると書かれた柱が立っています。前が広くなっているのでここに車を入れます。
この時点ではきれいに忘れていたのですが、事前に調べた情報ではここに塩田があるようなことになっていました。
車を駐めたところからは海が見えます。
横側です。このあたりは石灰岩の崖に挟まれた窪地のようになっています。
海岸です。パッと見ると平らなのですが、複雑な形の潮だまりのようなものが入り組んでいます。海面上に出ている石灰岩は壁のようになっています。
みやどばるが何かよくわかりません。先ほど見えていた崖の横に道があるようです。こちらの方に行ってみることにします。
車を駐めたところにはみやどばるについての説明はありませんでした。あったのは、犬田布海岸のメランジェ層と書かれた説明板です。鹿児島県の天然記念物に指定されているようです。先ほど見たところには、それらしきものがありませんでした。立派な説明板なので、どこかわかりやすいところにあるはずです。崖に沿って道がついていますから、こちらの方に行けばいけるのでしょう。ということで道に入っていきます。
切り通しのような両脇が切り立った崖に挟まれた狭い道を進んでいくと、広場というか窪地というか、ちょっと広いところに出ました。ここも周囲は崖で囲まれています。
まわりの石灰岩ですが、地層のような縞模様ができています。所々が深くえぐれていて、向こう側に突き抜けているところがあります。
何とか通りぬけられそうなところを進んで行くと海岸に出ました。一帯に、べたっと平らなところがあります。表面は海水が被ってぬれています。塩田があると書かれていました。ここなら塩を作れそうです。
平らなところの表面、ぬれていないところに丸いつぶつぶが見えます。タマキビのようです。たくさん密集しています。
正面に小山のようなおおきな岩が見えます。その岩のてっぺんにい小さな岩が突き刺さったようになっています。メランジェです。
岩に上って、突き刺さっている小岩を近くから見てみました。
メランジェは一見礫岩のようです。レキを取り巻く泥岩の部分を見ると、れきを迂回する流れにできるような模様が見られます。写真では小岩の刺さっている下側の部分しかわかりません。近くにあった、比較的わかりやすいものをいくつか載せます。
メランジェというのは、海溝付近で作られた地層です。海洋底にたまった泥がプレートの移動で運ばれてきます。大陸棚のへりまでくると、上から落ちてきた砂岩と混ざってごっちゃになります。これが、プレートの沈み込みの力よって大陸棚の底部に引きずり込まれてメランジェとなります。ここのものはだいたい1億年くらい前に作られたようです。
メランジェの見られる岩に上ったついでに遠くを見わたしてみます。足下の海岸は車を駐めたところで見た海岸と同じような形をした石灰岩です。所々に、黒っぽい小山のように見えるところが、メランジェの地層です。
沖合側です。手前の黒っぽいところは、今いる岩のてっぺんです。波打ち際近くにメランジェ層のある岩がみえます。間は海面より少し高い石灰岩の平地です。
岩から降りて、岩の足元を見ると、メランジェ層と石灰岩が接している場所がありました。海水の入っているところの向こう側、灰色の丸いところがメランジェ層です。角にある緑がかった薄茶色のところが石灰岩です。境界は不整合となります。
岩の縁をまわってみます。海水のあたるところにかめ穴ができていました。
岩の隙間に石灰岩が入りこんでいるところがありました。もともとあった岩の割れ目に石灰質の物質が入りこんでかたまったものです。周りにある石灰岩と同じものでしょう。
車のあるところに戻ることにします。戻りかけたのですが、崖に阻まれてどこから来たのかわかりません。進むところは、この岩の穴しかないようなので通りぬけることにしました。
ぬけた先で見たことのある風景のところに出ました。先には道も見えています。メランジェのあるところに行くのはこちらの穴をくぐり抜けるのが正解だったようです。行きは一番低かった岩のすきまを乗り越えています。
駐車場から元の道の戻り、先に進んでいきます。まっすぐ進んだ突き当たりが犬田布岬になります。広い駐車場があります。ついたときはパトカーが出ていこうとしていました。お仕事ご苦労様です。
ここにつく手前頃から雨が降りだしてきました。気にせず、奥の方に駐めてしまいました。トイレは入口側にあります。借りてきた傘がありますから、これを差して回ることにします。駐車場の所々に水たまりができています。
ずっと奥の方に展望台が見えます。こちらからいくことにします。
展望台の下の斜面には、カタツムリの殻がいっぱい落ちていました。この付近にはたくさんいるのでしょうか。
展望台から岬先端方向です。東シナ海が見えます。大きな記念碑のようなものも見えます。
北側の海岸です。高い崖が続いています。
記念碑の方に行ってみました。戦艦大和を旗艦とする艦隊慰霊塔と書かれています。碇も置かれています。
慰霊塔までは、原っぱの中を通らないと行くことができません。靴がぬれるのでどうしようか迷ったのですが、できるだけ無難なところを進んで行くことにしました。それでもぬれてしまいました。
慰霊塔下の敷石にはカタツムリが出てきていました。あれだけの殻をためるにはまだまだ少ないようです。
その海側には不思議な形をした彫像があります。何かの仏様のようにもみえます。
その先の、岬先端までいこうとしたのですが、ここが限界でした。石灰岩の台地が海の方に向かって緩く傾斜しています。
犬田布岬を後にする事にします。この北側には滝とか鍾乳洞とかがあるようなので回っていくことにしました。道を進んでいくと小原海岸と書かれた案内標識がありました。入っていくと、左側に展望台が見えてきました。小原海岸展望台です。
いこうとしたのですが、風が強くなっています。展望台の方からは、風で何かがあたっているような音が聞こえてきます。傘をして上がったのですが、強風でお猪口になり、骨が折れてしまいました。一応景色も見ておきます。南側です。遠くに犬田布岬が見ています。
景色の説明板には、海岸には滝とか温泉とかがあると書かれています。この周囲をぐるっと回ったのですが、降りられそうなところは見つけられませんでした。農作業をしている人がいたので聞こうとしたのですが、道から離れすぎていて無理でした。ここはあきらめて先に進みます。
パンフには、この先の小島集落にある道の先に滝があると書かれています。こちらの方にも行ってみたのですが、道が狭い上にたくさんの車がやってきています。通りぬけるのも困難な状態です。滝を見るのは無理なようです。断念して集落を通過し、県道まで戻りました。
帰ってからグーグルマップの航空写真を見ると、案内標識のところから南に600mほどの所の脇道を200m入った先に道のようなものが写っていました。
県道に戻ったところで犬田布の集落近辺をぐるっと一周したような感じになりました。再び県道を南下し、こんどは犬田布岬の方に曲がらずまっすぐに進んでいきます。このあたりはずっと台地の上を走っています。道は緩やかな上りになります。登り切った先に橋が見えてきました。
橋の手前、右側に大きな説明板があります。何か気になります。橋の手前の左側も広くなっていますので、そこに車を入れます。
正面に見える橋です。「しまごんおおはし」と書かれています。ほごんおおはしとも読めます。道路を渡ってから見ています。
説明板を読んでみます。天城(あまんぐすく)遺跡と書かれています。ここからは縄文後期以後の土器の他、チャート製石器が見つかっているようです。石器の特徴から、台湾から東南アジアに見られる遺物との関係が指摘される他、類似の石器が近辺でAT層の下から見つかっていて、旧石器時代(25000年ほど前)のものと考えられているようです。説明板のある上は広場になっています。この場所からいろいろな遺物がでてきたのでしょうか。
遺跡に気を取られて、橋からの川の様子を見るのを忘れていました。深い渓谷になっていたようです。
そのまま車を進ませたのですが、このあたりの山側に樹齢300年のガジュマルがある事を思い出しました。山側に進んで行かないといけないのですが、どこを目標にしてよいのかわかりません。次の橋を越えたところで、山側への道がありましたのでそこに入っていきました。
1kmほど入ったところで同じくらいの幅の道と交差します。ここでカーナビの地図を見ると左側にあると出ていました。先に訪問販売車がゆっくり走っていましたが、道を譲ってくれました。あまり急ぐと見落としてしまいます。ゆっくり走りながら探します。
ちょっと大きな集落を走っていると、右側正面にこんもりとした木が見えてきました。ガジュマルっぽいので、そちらの方に行ってみます。カーナビもそこを示しています。
こんもりとした木は確かにガジュマルでした。ここに来るには、県道から阿権小学校を目指してくればよかったようです。車を駐めるところがないので、もう少し進めると、道の脇がが広くなっている所がありました。そこに車を入れました。その場所から見たガジュマルの木です。
近くで見たガジュマルです。民家の中にありますが、その前の石垣も立派です。
このあたりは石垣の里と呼ばれているようです。平家石垣といい、珊瑚礁の石を使い緻密にくみ上げたものが特徴だそうです。平家と書かれていますが、源平の平家との関係はどうなのでしょう。この付近に平さんもたくさんいるようです。
真下から見上げたガジュマルです。枝が四方八方に張り巡らされています。
通り過ぎて振り返ったところです。半ばトンネルのようになっています。
この道に入る手前に、この付近の見所が書かれていました。何が書いていた覚えきれなかったので、行きそびれてしまいました。唯一わかっていたのが、ガジュマルの木の方に曲がるときに見た阿権渓谷への案内板です。そちらの方へは行ってみました。
渓谷は、橋の上から見るようです。橋から見た渓谷上流側の景色です。深そうな谷が続いています。
直下を流れる川です。川底まで50m近くありそうです。
阿権の集落からはガジュマルの木のあったところの前の道を下っていって、県道に戻ります。県道に出てからは、再び南の方に向かって車を走らせていきます。少しいったところで、道沿いに目立つ色の壁のようなものが見えてきます。道路沿いの台のような所がエメラルドグリーンで背後の壁が薄黄色です。
台の上には、石の像が並んでいます。像は動物で、よく見るとネズミからイノシシまで十二支が順番に並んでいます。イノシシの向こうの台の上にあるのがフクロウ、その向こうに猫がいます。
背後の建物は、特に何かの施設ではなく、普通の民家のようです。どうしてこのようなものを作ろうと思ったのか不思議です。
塀の内側には、変わった形をした鳥がいます。宮古島(伊良部島)フナウサギバナタにあったサシバ型の展望台そっくりです。
先に進みます。500mほどいったところで、瀬田海海浜公園への案内標識がありました。当然見に行きます。道は二股に分かれています。右側に進んで行きます。その先は広い駐車場で行き止まりになっています。ここに車を入れて様子を見ます。
いろいろな施設がありますが、展望台のようなものが見えます。まずはここから見ていくことにします。
展望台から見える海岸です。ビーチが見えますが、その沖合は磯になっています。間に細長い海があります。ここは、石灰岩を削って作ったもののようです。プールといっていいでしょう。
プールの中ほどに、向こう側に渡れるように削り残した道が作られています。その途中から見たプールです。
ここから海の中を覗くと、小さな魚がいっぱい泳いでいるのが見えます。すぐに遠くに行ってしまうので、これだけの数のものを写すのが精一杯です。
プールの奥の方です。こちら側は岩場になっています。裸足で歩くとけがをしそうです。
岩場の潮だまりの中には、細長い足を持ったヒトデがたくさんいました。
瀬田海海浜公園を後にします。少し戻ったところに製糖工場があります。その前には、かれた植物のようなものが山のように積み上がっています。サトウキビの絞りかすのようです。
製糖工場から二股の分岐に戻ります。ここからは、県道に戻らずにもう一本の道に入っていきます。こちらの方が海岸に近いところを通っています。それでもまだまだ離れています。
しばらく走ると、伊仙崎への案内標識がありました。ここが徳之島の最南端になります。向かっていくことにします。場所ははっきりしないのですが、とにかく海の方に向かいます。最終的には道は行き止まりになり、ちょっと広いスペースが空いています。ここに車を入れます。先客がいるようです。釣り人のようですが、海側には人影は見えません。
ここからも岬まではだいぶあるようです。しっかりとした道はありません。ごつごつとした岩場の上を歩いて海岸近くまで行くことにします。
岩の隙間に咲いていて花です。イワタイゲキのようです。
海岸近くまで来たときに、波打ち際を黒い鳥が飛んでいくのが見えました。クロサギです。
海岸線は緩くカーブしているので、どこが最南端なのかはっきりしません。とりあえず岩礁の突き出したここが岬先端としておきます。
足元の岩です。石灰岩ですが、レキの混じった層のようなものが見えます。先が尖っているので、普通の靴では歩きにくかったようです。
海岸近くで目立っていた花です。長命草です。ボタンボウフウが正式名称なのでしょうか。
車を駐めたところに戻ります。草原の間を飛び回っている鳥がいます。ツバメのように素早いので、写真に撮ろうとしてもなかなか写せません。これが限界です。結局何なのかはわからずじまいです。
徳之島の周回を続けます。最南端まで来たので、こんどは北上ということになりそうですが、海岸線はまだまだ東に向かって続いています。元来た道に戻り先に進んでいきます。
1.5kmほど走ったところで、県道に合流します。ここも東に進みます。小学校前の信号を過ぎ、川を越えてから、道は緩くカーブしながら緩い登り坂になります。ここに、丸い屋根を持った不思議な建造物がありました。何か興味があります。説明板もありますので見ていくことにします。といっても車を入れられそうな所がありません。通行量が少ないので、道脇に止めていってみました。
あったのは、古井戸でした。詳しいことは、説明板に書かれていたのですが、よく覚えていません。記録として写した写真は露出オーバーで判読できませんでした。
路上駐車のなので、それほどゆっくりは見ていられません。車に戻ります。そのまま走らせていくとこんどは喜念浜と書かれた案内標識がありました。入っていくと、広場のような所に出ました。正面にはロッジのようなものが見えます。ここに車を駐めて、近くを歩いてみます。林の間をぬけると海岸に出られるようです。
林をぬけたところです。この辺り一帯は、砂丘ができています。
反対側です。ここの砂丘の上には屋根と柱だけの休憩所が何カ所かあります。
海側です。リーフがありその手前は礁湖になっています。砂丘を作るだけあって、海岸の砂浜もしっかりしています。
海岸に近づくとここでも鳥が飛んでいくのが見えました。黒っぽいのですが、伊仙崎のクロサギと違って尾の所は白くなっています。
おなかの白いのもよく見えます。
その先で降りたったものです。ダイゼンとわかりました。
波打ち際近くまでやってきました。沖合のリーフの影響もあって、ほとんど波がたっていません。穏やかな浜です。瀬田海についた頃から雨はあがり、風も弱まっていました。今は全く吹いていません。
南西側のようすです。浜は林のあるところまでのようです。その手前に川が流れています。砂丘を川が横切るところで砂丘の断面が見られるかも知れません。こちら側に行ってみることにしました。
波打ち際に沿って沿って歩いて行きます。礁湖の底には所々に、珊瑚礁のような岩が出ています。ここまで来ると、砂はそんなに深くないようです。表面に砂鉄が作ったような黒っぽい筋も見られます。
波紋ができていました。高低差の大きな模様です。低い所にはサンゴのかけらなどの大きな粒が集まっています。
ここまで来ると、砂丘の様子がわかるかと振り返ってみました。砂丘に生えている木はほとんどがモクマオウです。生態系を乱す木として問題になっているところがありますが、ここではまだ観光資源のようです。
川の所まで来ました。川から運び込まれる砂の量が多いのか、幾筋かに分かれています。川底も黒っぽくなっています。砂鉄をたくさん含んでいるようです。
川の流れが作る砂紋(漣痕)です。砂鉄の密集しているところが黒っぽくなっているので砂紋の形がよくわかります。
こちらは、あふれた水の流れによってできた模様です。満潮で水位が高いときのものでしょうか。
ここから、川沿いに進んで行こうとしたのですが、藪と水たまりが多く奥に進む事ができません。あまりはっきりとした崖もないようなので、車に引き返して次の場所にいく事にします。
徳之島には3つの町があります。南側にあるのが伊仙町です。その北側は、東にあるのが徳之島町、西は天城町です。最南端を過ぎた所ですから今は伊仙町にいることになります。これから徳之島町に向かっていくことになります。
伊仙町と徳之島町の町境にあるのが本川です。徳之島町で一番長い川だそうです。河口付近にはフンゴウイノと呼ばれている礁湖があります。入り口が狭いので、干満を利用して、魚やイルカなどを閉じ込めて漁をしていたそうです。
本川の河口付近のようすです。
道路沿いの説明板に、貝塚があったと書かれています。弥生式の土器が出土しているようです。台地上に貝塚があったと書かれています。その説明に一緒にあった写真の場所です。東側一帯の急斜面に遺物包含層が確認されています。正面の斜面がそれのようです。
本川の河口の北東側に大きなプールのような海が見えます。これなら魚やイルカを追い込んで採ることができそうです。
先に車を進めます。しばらくの間、道沿いに切り立った崖が続きます。比較的軟らかい砂層のようです。葉理のような模様も見えます。
崖の地層が気になります。これは、葉理のはっきりしている部分です。クロスラミナが見えます。
だいぶ走りました。川向こうに見えていた崖です。このあたりまでくると上部は石灰岩のような石で覆われています。
河口付近です。海面付近の高さで平らな岩場になっています。所々に大きな岩があります。
大きな岩の一つです。その形からゴリラ岩と呼ばれています。
ゴリラ岩は、徳之島町で一番大きな町である亀津からちょっとだけ南に外れたところにあります。道を進めていくとすぐに亀津の町に入ります。亀津の北端にある亀徳新港の前を通り過ぎると道は二手に分かれます。
海岸に沿って進みたいので、右側亀徳本港への道に入ることにします。道が広い方へと進んで行くと、港にでます。フェリーが到着しているようです。乗船場所は新港です。別経路の船でしょうか。このまま進んでいっても道は、港から出られないようです。引き返します。ついでに、明日車を返却する場所も確認しておきました。
海岸沿いへ行く道は、車の往来の多かったところから入っていく狭い道でした。そこを進んで行きます。すぐになごみの岬への分岐につきました。名所の一つのようですので、こちら側に進んで行きます。すぐに道路が広くなったところに着きます。駐車スペースのようなのでここに車を駐めます。ここから見た岬の入り口です。石碑や灯籠尾ようなものがいっぱい立っています。
戦時中にこの沖合で沈んだ輸送船の霊を慰めるために作られた石碑やそれに関連した石碑がたくさんあります。たくさんの人がなくなった場所というと、気が重くなり和むような気分にはなれません。
海岸を見てみます。亀津の町方面です。比較的大きな町がみえています。
眼下の海岸です。沖合にリーフがあり、礁湖は浅いようで、部分的に石灰岩が海面上に顔を出しているところがあります。
北側です。リーフは沖合にあります。その内側の石灰岩が海面上に出ているところは遠くまで続かないようです。
海岸に降りられないか探してみることにしました。車を駐めたところからいけるようです。その道脇にあったガジュマルの木です。
木には赤い色をした実がついていました。イチジクを小さくしたような形をしています。
海岸に降りて見えた崖沿いの岩です。落ちてきた岩が上にのっているように見えます。
反対側から見たようです。のっているにしてはぴったりと重なっています。質の違う石灰岩が重なっているようです。上の石灰岩には斜めに葉理のような模様が見られます。
海岸の岩を見わたしてみると、どこでもだいたい同じくらいの高さのところで質が変わっているように見えます。
北側の海岸です。全体的に石灰岩が露出していて、波打ち際より少し高いところに砂が打ち上げられて浜になっているようです。遠くの崖をみると、中段くらいの高さの所に水平な筋が見られます。このあたりの高さで海面の高さが停滞していた時期があるようです。
なごみの岬公園から元の道に戻り、徳之島東海岸に沿って北上します。5分ほど走ったところで神嶺浜海水浴場への案内がありました。案内に従って進んで行くと、駐車場とオレンジ色のトイレがあります。トイレには目玉がかかれていて、顔のようになっています。入り口に、耳のような絵が描かれていますが、どちらかというと魚のひれのようにも見えます。フグなのでしょうか。
トイレにはここがシンデ浜であると書かれています。別の所に着いたようですが、「神嶺」と書いて「シンデ」と読むようです。
駐車場から島中央部方向です。高い山に雲がかかっています。井之川岳です。天気はだいぶ回復してきているようです。
道の先は狭くなっていますが。海岸の方へと続いています。ここから降りていきます。
道からには牛の足跡が付いています。これは浜に出てからのものです。闘牛の牛を散歩させることがよくあるようです。足跡以外にも、う○こもいっぱい落ちていて足の置き場に困りました。
南側の浜です。沖合にリーフがあり波は穏やかです。しっかりとした砂浜が続いています。
北側です。こちらもしっかりとした砂浜になっています。向こうの方に奇妙な形をした岩があります。
北側の海岸の内陸側です。ちょっとした石灰岩の崖があり、洞窟のような穴もたくさん見られます。
洞窟の底の砂地の表面です。ヤドカリの這った跡がたくさん見られます。
どこにいるのか探してみると、近くのアザミの花に何匹か上っていました。
ちょっとだけ南側歩いて行きました。奇妙な形をした岩です。石灰岩でキノコ岩になっています。
駐車場に戻って元の道から、さらに北上しようとしたところでくじら岬とかかれた案内がありました。いってみると、店の前に出ました。そこから広場越しに見た海です。先ほどの奇妙なないわの続きが見られます。
くじら岬というのは、ここからくじら見られることから名付けたのでしょうか。
シンデ浜のトイレの壁面には、観光スポットが停留所案内のように書かれていました。一つ手前がなごみの岬公園で、次が西郷さん腰掛け松になっています。5分で着くようです。途中になにも見るところがなければ、次の立ち寄り場所はここになりそうです。
元の道を北上していきます。5分ほど走ったのですが、腰掛け松の案内は出てきません。代わりに見つけたのがイノヌイビガナシ・アガレグスクと書かれた案内板です。指示に従って入っていくことにしました。進んでいくと説明の書かれた看板がありました。車を駐めたいのですが、道は車一台がやっと通れる幅しかありません。駐めるところを探しに少し進んだのですが、状況はあまり変わりません。三叉路を利用して向きを変え、看板の前の少し広くなっている所に車を寄せて駐めます。段差があるので車を入れるのに苦労しました。
先にある川に沿って行くと鳥居が見えてきました。蛭子神社といいます。
神社の社です。この中にイビガナシが祀られているそうです。海から神様がやってくるときに乗っていた石だそうです。
神社の奥には崖が続いています。これがアガレグスク(グシク)になります。ここも石灰岩の崖になっています。地面近くには洞窟ができています。
洞窟の中です。貝を御神体とするウキボウジガナシが祀られています。航海の安全に御利益があるようです。
説明板には西郷松の場所が記されていました。腰掛け松のことでしょう。今いるところにある川が前川(まえごう)で、次にあるナーダ川の左岸のカーブの内側にあるようです。その通りの所に行ってみたのですが、民家しか見えない上に、ここも道が狭く車をおける場所がありません。案内もないので、見つけられず、腰掛け松は断念しました。
ナーダ川に入る丘の上に、八幡神社があります。ここで何かわからないかと上がってみました。丘の上で目立っていたのは朝潮太郎の像です。
集会所のような建物がありましたが人気はありません。郵便配達のバイクがやってきましたがあっという間にいきすぎてしまい何も聞くことができませんでした。
八幡神社も見ていきます。さらに一段高いところにあるお社です。毒蛇被害消滅の祈願所として立てられたようです。
境内は、グシクと呼ばれる高台にあるので、井之川の町がよく見えます。
井之川はこれまでにして次にいくことにします。
少し進んだ所に駐車場があります入って見ました。恋慕岬と書かれています。あるのはこの電波塔だけです。海岸もあまり見えないようです。
だいぶ歩き回ってやっと見えた海岸です。後でわかったのですが、ここには枕状溶岩が露出しているようです。海岸にある緑色の岩はそれっぽい感じがします。
恋慕岬から坂を下っていくとくじら坂に出ます。ここまでは昨日来ています。予定通り引き返すことにします。亀津の徳之島町役場のあたりから山麓を通る道を進むことになります。その道に入ったあたりに郷土資料館があったようですが見つけることはできませんでした。あとで調べなおしてみると、生涯学習センターとなっていたようです。
山麓の道を進んでいきます。特に何もないままかなりすすんだところで、黒い牛が2頭角を突き合わせている像が見えてきました。この付近で盛んな闘牛をしているところです。八重笠ワイド広場という場所のようです。
ここをすぎると、すぐに島を周回する県道に出ます。そのまま北上していきます。橋を渡ったところで右側に公園が見えてきました。トイレ休憩を兼ねて寄っていくことにします。上にあるのは秋利神展望台というようです。
公園の先にある橋には天城大橋と書かれています。朝はこの下を通っていました。これは赤い橋脚が見えていた橋になります。
橋の上から見た海側の景色です。朝に通ったのは下の川に架かっている橋です。
さらに県道を進んで行きます。橋を通る部分から平戸野までのほとんどの部分は始めて通ることになります。何かないか注意しながら走ったのですが、何もないまま平戸野につきました。ここにある天城町役場の中に、ハブを飼っている施設があるようです。のぞいて見ることにしました。
役場前の交差点で右折し進んで行くと役場があるはずなのですが、道は高い崖の手前でT字路になり先に進めなくなっています。左に曲がると元の道に戻りそうなので、右折し進んで行きます。カーナビにはだんだん役場から遠ざかるように表示されています。だいぶ進んだ所で、広い道と交差したので、左折して進んで行きます。カーナビに役場と表示される場所に着いたのですが、そこにあったのはリゾート施設を思わせるような建物です。まずその門の形からして西洋建築風です。内側から写した写真です。
役場の建物です。門といい建物といい役場とは思いませんでした。役場と書かれていなかったら行きすぎていたかも知れません。
この役場の建物の右側に、ハブの飼育施設があります。ハブの館と書かれています。
シャッターが降りていますが、自由に開けてみてくださいというシステムになっています。見終われば当然閉めて帰ることになります。
中にたくさんのへびが飼われています。見たくないという人もいるかもということで、できるだけ当たり障りのない写真にします。といってどんな物がだめなのかがよくわかっていません。
天城町役場から宿までは車で10分くらいの距離です。まだ、戻るのにはちょっと早いようです。松原銅山跡に寄っていくことにします。宿までの途中、クロスカントリーパークの奥にある老人ホームの近くにあります。昨日、下久志で銅山跡がある事がわかったのに軽く探しただけで終わったのは、ここにもあるということがわかっていたからです。
役場から、県道に戻り北上していきます。途中に浅間湾屋洞穴と書かれた案内があったので進みかけたのですが、その道の先はウンブギの方を向いています。ウンブギも洞窟でした。周辺には他に洞窟はありません。どうもウンブギのことのようです。そちらには行かずに先に進むことにします。
クロスカントリーパークの入り口で、パークの方に入って道なりに進んでいきます。パークを越えたあたりで、老人ホームへの案内が出てきました。案内に沿って進みます。
曲がって少し走ったところで、道脇に変わった鳥がいたので、写真を撮ろうとしたのですが、カメラを準備している間に対向車がやってきました。車は来ないと思って道の真ん中で止まっています。脇に寄せないといけません。もたもたしていたのと対向車が来たのとで、鳥はどこかに行ってしまいました。対向車の運転手さんはあいさつをしてくれましたが、通れるように止まっていたのではないのですが..。
この登りを上がった所で老人ホームというところに、広場のような所があります。ここに車をいれることにします。広場の奥には説明板が置かれていました。正面にある階段を上っていけば鉱山跡にいけるようです。
登り切ったところが展望広場になっています。平戸野の町の方向がよく見えます。野鳥の観察場所にもなっているようです。そのわりには鳥は全く見ません。
広場の奥に、坑道の入り口がありました。大正時代の施設で、崩れかかっているので、当然立ち入り禁止になっています。
できるだけ近づいてみた坑道内部です。屈まないと入れないような高さです。
入り口横の岩石を見たのですが近づけないのでさわれないことと、風化が激しいこととで何なのかがわかりませんでした。
広場に落ちている石を見るといくつか鉱石があるのを見つけました。表面は錆色で、持って見るとずっしりと重たい感じがします。断面の見えたものは、磁硫鉄鉱が主体のようでした。広場の柵の上に置いて写しています。鉱石はこのまま置いて帰りました。
坑道はさらに上にもあったようですが、行くことができなくなっています。展望広場の反対側に道があったので、入って行くと、老人ホームのいこいの広場のような所にでました。奥の石碑には老人ホームの設立者の像がレリーフされていました。
松原銅山跡を見終わってもまだ少し時間があります。すぐ南の大城山の山麓を通る県道沿いに展望台があるみたいなので行ってみることにします。元の県道に戻り南に下って行きます。すぐに右前方に闘牛場と書かれた施設が見えてきました。闘牛をしているようすはなさそうなので、そのまま通過しました。徳之島は至る所に闘牛場があるようです。
平戸野の町に入る手前で轟方向に左折します。進んでいって峠のような所にあったのが前野展望台です。展望台の看板と一緒に、クロウサギ飛び出し注意の看板があります。ここに来たのは、事前情報でクロウサギ出没場所とチェックが入っていたからです。時間的にはまだ早かったようです。
展望台といっても、ゆっくり座ってみるという幅はありません。景色はきれいに見えます。寝姿山方向です。
飛行場方向です。滑走路が見えています。肉眼では見えなかったのですが、写真には飛行機も写っていました。
松原の集落方向です。滑走路の先端部が見えています。
引き返すことにします。当然クロウサギには要注意です。でも、いませんでした。もう宿に戻るにはいい時間です。戻りたいのですが、ここまできたついでにトリトリデッキも見ていくことにしました。
デッキからです。昨日同様、潮は満ちています。鳥は見かけないようです。マングローブが海水に浸かっています。
湾口の方向です。波は穏やかです。
宿に戻ってきました。空は曇っているので、今日の星見もなしです。かわりにクロウサギ探しに行くことにします。昨日と同様、夕食を食べて、一度林道を往復した後、風呂に入って、もう一度林道の往復になります。
1回目の林道です。カーブを曲がったところで、いきなり正面に鳥が見えました。ヤマシギと思っていたのですが、奄美地方にいるアマミヤマシギのようです。額の色が茶色っぽい色をしています。絶滅危惧種だそうです。
次に見えたのが、道路を横切る白っぽいへびです。ハブではないようです。
ネズミも何匹か見ました。道路をゆっくり横断しています。動きが細かいのと、暗くて露出時間が長いのとで、すぐぶれて写ってしまいます。徳之島にいる、日本最大のネズミかと期待したのですが、これは小さすぎます。オキナワハツカネズミのようです。
アマミノクロウサギもいました。写真に撮れたのはこの1枚だけです。残念ながらおしりです。
いったん宿に戻ってきました。玄関前の地面に蛾がやってきていました。シンジュサンのようです。全く動きません。
一応宿の人に報告します。へびには異常に興味を持っているようです。どんなものだったか聞いてきます。写真を見せたところ、アオダイショウと判定してくれました。
風呂に入ってから、2度目の林道に出かけます。少し雨がぱらつき始めたようです。あまり期待できないかも知れません。
湿ってきたせいか、林道にはカエルが増えていました。せっかくですので1枚写しておきました。アマミハナサキガエルのようです。
またもや、へびを見ました。こんどは赤黒のまだら模様です。あとで宿の人からアカマタと教えてもらいました。
アマミノクロウサギも何度か見ました。たいがいは、カメラがピント合わせに失敗し、もたもたしている間に、どこかに行ってしまうというパターンでした。一度は、車の前輪の真横にまで来ていたのですが、望遠レンズだったので近すぎてピントが合いません。車を離そうとしら、エンジンのかかる音でどこかに行ってしまいました。レンズをつけ替えて、ストロボを炊いた方がよかったようです。
徳之島3日目の朝です。今日の予定は、9時40分に亀徳港をでるフェリーで沖永良部島に行くことになっています。9時過ぎには亀徳港には着いておきたいので、宿の出発は8時過ぎになるでしょう。レンタカーの返却もあります。朝食を食べたらすぐに出発できるように、荷物をまとめておく必要があります。これは昨晩のうちに済ませています。
朝起きて、朝食までまだ少し時間があるので、ビーチまで散歩に出かけました。昨日に比べて空は明るめです。鳥もたくさんやってきています。木に止まっていたメジロです。
今日は空が赤く染まって見えます。所々に空も見えているようです。
背後の山です。寝姿山もきれいに見えます。こちらから見ると寝ているようには見えません。
ビーチの縁にあった石灰岩です。中に群体サンゴのかたまりがたくさん入っています。
あまりゆっくりもしていられません。食事をすませて、出発します。経路は二通りあります。平戸野の町の手前から島を横断するコースと、町に入ってから横断するコースです。前者は山越えになります。宿の人によると、後者の方がいいようです。前者のコースにしました。こちらは昨日行った前野展望台を通ります。当然ウサギを期待してのことです。残念ながら、明るくなって寝る時間になっていたようです。
車を走らせていると、シートベルト着用の警告がでます。ちゃんと留めています。初日も何回か点いたのですが、これほど頻繁ではありませんでした。ひょっとして助手席の荷物のせいかと思い、シートベルトで留めると警告は止まりました。荷物は10kgを越えていますから、小さなこどもくらいの重さはあります。それで鳴っていたようです。
亀徳までは40分足らずで到着です。旧港にあるレンターカー会社で車を返却します。ガソリンスタンドが併設になっていますから、ガソリンを満タンにします。ここの人が返却の手続きをするのかと思ったら、近くのホームセンターの人がやってきて、手続きになります。といっても特にすることはありません。乗ってきた車で。新港のフェリー乗り場まで送ってもらいました。
フェリーの待合所に行きます。中のようすです。乗船開始直前のものなので人は多めに写っています。奥側の窓口が開いて、手前側が閉まっています。明日は逆になります。
乗船名簿に名前を書いて、乗船券を購入します。価格表に書かれていた値段より、ちょっと安くなっています。どうしてこの値段になるのかわかりませんでした。後に調べたことによると、離島振興策か何かの関係で補助が出ていたようです。
船の到着までまだ時間があるようです。周辺を歩いてみることにしました。まずは展望デッキです。港がよく見えます。北側なごみの岬方面です。
ターミナルの前です。通路の間にある花壇をいろいろな団体が工夫を凝らして手入れをしているようです。様々な花が咲いています。
観葉植物のような葉っぱの間にたくさんのカタツムリがいます。真ん中の大きなものはアフリカマイマイのようです。この付近でも増えてきているようです。
ターミナルに戻り、お土産になるものはないかと探したりしているうちに、フェリーが到着しました。ちょっと早めの到着です。着岸のようすは展望デッキから見ることにします。
着岸してすぐに船備え付けのタラップが下ろされます。これから、乗船客がおり始めるところです。
船後部の車出入りのためのハッチも開けられます。開くとすぐに、フォークリフトが入っていきます。出入り口を塞ぐように、コンテナが置かれていました。これを最初に運び出します。
乗船がすぐに始まりそうなので、ゆっくりとは見ていられません。待合室に降りていきます。乗船開始まで少しだけ待たされました。船に乗り込んだら、荷物を船室においてデッキに行きます。デッキから見えた亀徳港フェリーターミナルです。
この頃になっても、まだ荷物の積み下ろしをしています。フォークリフトがコンテナを運んでいったりきたりしています。見てて感心するのは、コンテナが防波堤ぎりぎりの所に置かれているのと、似たようなコンテナ整理して置いていることです。見ていて基準が何なのかわかりません。それにしてもたくさんあります。
船は定刻通りに出航しました。すぐに亀徳港防波堤上の灯台の横を通過します。向こう側にはまだ礁湖が続いています。
リーフの先端部もすぐに通過します。だいぶ沖合まで珊瑚礁が続いています。
沖合に出ると、海岸線に沿って遠くまで見えるようになってきました。北側です。なごみの岬からシンデ浜のあたりまで見えているようです。
10分ほどで、砂浜の続く海岸が見えてきました。喜念浜です。このあたりは砂丘が発達していました。徳之島の南端近くまで来たようです。徳之島とはお別れです。
船に乗っているときは、だいたいはデッキの上から景色を見たり、変わった動物がいないか探したりしています。徳之島を離れてからは、新しい景色が見られることがないので、どちらかというと、動物探しが中心になります。この航路でよく見られたは、トビウオです。かなり頻繁に飛んで行くのが見えます。
この頃には徳之島はだいぶ小さくなってき、カメラに全景が入ってくるようになっています。高い山は雲の中です。
前方に沖永良部島が見えないかと探してみました。どの船もそうですが、前側は操舵室との関係で見づらくなっています。何となく、島影のようなものが見えています。
だんだん、徳之島は遠く霞んで見えるようになってきています。雲が右側(南東側)から上がっているよう見えます。こちら側から風が吹いているのでしょうか。ちょっと飛び出した高いところは犬田布岳のようです。
徳之島が霞んでくるのと対照的に沖永良部島がはっきりと見えるようになってきました。手前側に国頭崎に続く台地と奥に大山が見えています。山の高さは徳之島に比べて半分もありません。沖永良部島側には雲はあまりないようです。
海水は目の覚めるような濃い青色をしています。黒潮の影響なのでしょうか。
いろいろとみているうちに、和泊港のあたりも見えるようになってきました。一番高く見えているのは和泊町最高峰の越山です。
港が近づいているのに、トビウオのジャンプが増えてきました。一斉に飛び上がってくのが見えます。
こちらも編隊を組んでいます。着水は派手な腹打ちのようです。
国頭崎沖合をすぎてからは、沖永良部島の海岸線とほとんど並行に航行しているようです。陸地の景色がよく見えます。その分写真の枚数が増えています。GPSロガーを使っているので撮影場所はわかるのですが、どこを写したものなのかの判読が大変です。わかっても、それがどういう地名の所なのか、わかりやすく記録するのも苦労します。
和泊港にだいぶ近づきました。防波堤も見えるようになってきています。右側の山が越山、左側のなだらかな山が大山です。
島にだいぶ近づいたというのに、トビウオのジャンプは続いています。水面上で尾びれを使って助走をつけているところです。
沖永良部島の南側の海岸線です。遠くは知名の町付近まで見えているようです。
和泊港です。ここも、珊瑚礁を削り込んで港が作られています。
和泊港のフェリーターミナルです。まもなく着岸します。
着岸風景です。もやいの引き綱を持って引っ張っている人達が何組かあります。係船柱(もやいをかけるところ)で待機している人もいるようです。
着岸のようすは最後まで見届けずに、下船準備をします。タラップでは足の悪い方の後になり、ゆっくり下りるのにつきあうことになります。降りきるまで時間がかかってしまいました。下船後振り返って見た船です。もう乗船が始まっています。
港では、レンタカー屋さんが待っていました。船を降りるのに手間取った分だいぶ待たせたようです。最初に観光パンフを入手することにします。案内所で見つけたのは、前回入手したものと同じものでした。
レンタカー契約は手続きが一番簡単なタイプにしました。返却は、ガソリンを満タンにして空港駐車場に置いておくだけで良いようです。鍵はかけずに中に入れておくようにとのことです。帰る予定の飛行機がこちらにやってくる便で会社の社長さんがやってきて、乗って家まで戻る予定になっています。
カーナビは2台ついています。車に備え付けられていたものは、タッチパネルが壊れているようで操作ができなくなっています。触らないでといわれました。代わりに、外付けのものがつけられていました。持ってきたものとあわせると3台になります。元からあるものは広域図を、後付けのものは詳細図を表示させることにしました。これでだいぶわかりやすくなりました。広域図は車が向きを変える度に地図がまわるのが難点です。3台目は完全に出番がありません。
島を巡りたいのですが、順番を決めにくそうです。とりあえず手当たり次第という事になりそうです。いったん北側の海岸線を東側から見ていくことにします。東端には空港があるので最後に回します。まずは国頭を目指します。
県道を走らせていきます。島の車は、徳之島よりも速いような気がします。すぐに追いつかれます。先に行ってもらって、ゆっくり景色を見ながらいきます。笠石浜臨海公園という案内が見えてきました。案内に従って入っていったのですが、だんだん道は狭く悪くなっていきます。ジョギングコースのような所に入りこんでしまいました。先に駐車場が見えてきましたから、そのまま進んで駐車場に車を入れました。
海浜公園ということなので、まずは海を見ようと浜の方に行ってみました。見えてきた海です。珊瑚礁の内側のビーチのようです。沖合には乗ってきたフェリーが和泊港を出港するのが見えます。次の寄港地は与論島です。
海に近づいたのですが、海岸に降りられる場所がありません。何とか近づくことのできた海岸です。ここは崖に囲まれた平らな岩場になっています。
潮だまりのようになっている所には魚がたくさんいます。縦縞模様の小魚が悠々と泳いでいました。
海岸の岩場です。地層の作る模様が高さによって違います。3層ぐらいあるように見えます。上の方が傾いているのは、斜交葉理でしょうか。
公園の一番高いところに展望台があります。上がっていく途中の木の枝にいたメジロです。
展望台からの景色です。公園には大きな花壇があります。手前側にはいくつか花が見られるのですが、花壇の花はまだのようです。
海岸東側です。干潮のようで、浅くなった礁湖が見えます。
こちらまでいってみました。海面近くの平らになった岩の表面に丸い穴がいっぱい開いているように見えます。中には、化石化したような礁性サンゴが見られるものがあります。
駐車場に戻ることにしました。途中で咲いていたコバノランタナにナガサキアゲハがやってきていました。
沖永良部島の北海岸で今のところ目指しているのはフーチャです。県道を進んで行き国頭までやってきました。ここに日本一のガジュマルがあるそうです。場所は国頭小学校の校庭です。町に入ったところから学校を目指していきます。案内標識もしっかり整備されています。
学校に到着しました。いきすぎたところで道が広くなっています。ここに車を寄せて駐めます。今は小学生の授業時間か昼食時間のようです。学校は静かです。中に入るのは控えて、道路から見ることにします。横に大きく枝を広げたガジュマルの木が見えます。最初の卒業記念に植えられたそうです。
徳之島の300年ガジュマルに比べるとそれほどでもないような感じがします。遠くから見ているせいでしょうか。向こうは石垣の上にあって見上げるような位置だったのに対して、こちらは見下ろしているのもあるのかも知れません。
フーチャを目指します。ここへの道案内もしっかりしています。海岸に近づいてきたところで、畑の向こう側にサンゴ礁のかけらで石垣が組まれているところが何カ所か見えました。風よけのようです。
案内標識に従って進むと駐車場に到着です。少し歩いていくようです。
説明板には潮噴き洞窟とも書かれています。強風が吹くと隆起珊瑚礁にできた穴から数10mの高さに潮を噴き上げるそうです。今日は天気がいいので潮吹きは見られないでしょう。
遊歩道がついています。それに従って歩いて行くと正面に大きな穴が開いているのが見えてきました。
道は穴を回り込むように付いています。だんだん中のようすが見えてきました。かなり深い穴のようです。
ほとんど真横まで来ると、穴を通して向こう側の海が見えるようになってきました。
最後に穴の真下も見えるようになりました。垂直な壁に波があたっています。北寄りの風が強くなると、壁にあたった波が砕け飛沫となり、洞窟内を一気に吹向ける風によってさらに砕かれ高く舞いあげられるようです。
海岸です垂直な石灰岩の崖が続いています。このような穴は他にもあったのですが、塩害を引き起こすということで、一つだけ残して他は破壊したようです。どのあたりのものが破壊されたのかは書かれていませんでした。
フーチャからは、沖永良部島北海岸に沿って西に進んでいくことにします。道沿いには何もないまま、いったん県道に戻りました。県道を進んで、海岸に近寄れそうな道を探しながら車を走らせます。
県道はT字路に突き当たります。右に続いているようです。ここにある次の観光地を示す標識はワンジョビーチを示しています。海岸沿いに進めそうです。そのまま進んで行くとすぐに伊延港の入り口にきました。西郷隆盛上陸地であるとも書かれています。そのまま進んだ所に石碑があり、西郷隆盛上陸之地と書かれています。徳之島にも同じようなものがありました。西郷さんが島に来た理由は、今のところ大きな謎です。
県道を進んで行くと、ワンジョビーチへの案内標識がありました。このあたりにソテツジャングルというのもあるようです。パンフレットの示す位置は、道に挟まれた真ん中になっています。どういったらいいのかわからないので、ここは後回しにして、ビーチの方に行くことにしました。
車を走らせていると、山側にソテツジャングル入り口と書かれた門がありました。前の道は狭いので、車を駐められそうな所まで進んで行きます。ワンジョビーチの東端までいってしまいました。だいぶ車を走らせたようですが、ここに車を駐め歩いて戻ります。
途中の道沿いには大きな穴がいくつも開いています。人工的に掘られたものでしょう。きれいな形をしています。何かを入れるためのものでしょうか。周囲にはソテツの木もたくさん見られます。
入り口の門が見えてきました。
入り口と出口が違うと書かれています。近くに出口があればいいのですが、そうでないと同じ道を戻ってこないといけなくなります。とりあえずいくことにします。
中に入って進んで行きます。ソテツの木はたくさんあります。他の木もたくさん混じっているようです。
全体的にこんな感じです。空が見えています。
途中に展望所があります。そこから見えた伊延港です。
ここで行程の真ん中のようです。さらに進んで行きます。気がついたのは、ここのソテツは葉っぱが少ないということです。その分迫力に欠けているようです。
反対側の入り口に到着です。県道に面しています。
ソテツジャングルの道は、県道から海岸の道に行く近道のようにつけられています。パンフの位置は展望所のあったところを示していたようです。県道から海岸沿いの道に入るのは遠回りな上に車も通りますので、ジャングルの中の道を引き返すことにします。
こちら側の入り口のソテツには葉っぱがたくさんついています。
ワンジョビーチの車を駐めたところまで戻ります。車を駐めたところは、道脇が広くなっている場所です。ビーチの正式な駐車場はずっと先の方に見えています。そちらまでいってもまたこちらまで歩いてくることになるので、車はそのままにしてワンジョビーチを見て回ることにします。
ビーチとの間には防波堤があります。その上から見たビーチ全景です。しっかりとした砂浜があるように見えます。
浜に降りるには段差が大きいので、降りられなくなっています。何とか段差の小さいところから強引に降りていきます。そこから見た海岸の岩場です。下の方には穴があって通りぬけられそうです。窮屈なので海岸に沿ってまわった方が楽です。
ずっと東側です。こちら側は砂が少なめで、平らな岩場が広がっています。
ここから見る山の斜面には、ソテツがびっしりと生えているのが見えます。ソテツジャングルはずっと左側にあります。
浜に沿って西側に進んでいきます。ビーチの真ん中あたりの波打ち際近くから見たようすです。
山側です休憩施設が見えます背後は急な崖になっています。
この先は行っても一緒のようなので道路に戻れるところから上がって引き返すことにしました。車まで戻ったときに、近くの木にいたスズメが気になって、何枚か写真を撮っていました。
沖永良部島では、次の観光地が何でどの方向にあるのかを示した標識がたくさん立てられています。ワンジョビーチの次は、ウミガメビュースポットになっています。そちらに向かって進んで行きます。
町外れを通り過ぎたところで、道脇になにやら説明の書かれた看板がありました。それによると源為朝がこの近くで上陸し、居を構えていたという言い伝えがあるようです。他にも日穴(てだご)といっていつも水のたまっている30cmくらいの穴の開いた岩があると書かれています。探したのですが、藪しか見当たりません。
さらに進んで行くと道脇が広くなった所があり、双眼鏡も置かれている場所があります。ウミガメビューポイントに到着です。説明書きによると、2月から6月にかけて、満潮時の礁湖にアオウミガメがたくさんやってくるそうです。
海の見えるところから、探してみることにしました。海が浅くなっているところが礁湖なのでしょうか。今は干潮のようです。リーフの位置がはっきりしません。
ウミガメがいないか探してみたところ、海底の岩の上に亀のような模様が見えます。藻か何かが、岩にへばりついてできた模様のようです。全然動きません。
白いものも見えます。何となくゆっくり動いているようにも見えます。ウミガメではなさそうです。
ここでのウミガメ探しはあきらめて、次にいくことにします。順番では半崎です。前の道をまっすぐに進んでいくとすぐに到着しました。駐車場から見た半崎です。ここも琉球石灰岩の台地になっています。
東側の海岸線です。切り立った崖になっています。先ほどまでいたウミガメビュースポットは向こう岸の右端あたりになります。
沖合の方向です。島が見えます。軍艦岩といいます。戦時中には、船と間違えられて攻撃を受けたそうです。あまりそれっぽくありません。爆撃で形が変わったのでしょうか。
海面を見ているとウミガメが泳いでいるのが見えました。赤い色をしています。アカウミガメでしょうか。どこかに行ってしまわないうちに、今つけているレンズで、できるだけ大きく写します。
望遠レンズに交換しました。一呼吸したら、すぐに潜っていきました。
西側の海岸線です。こちら側も切り立った崖が続いています。
案内標識には次の場所が書かれていません。海岸沿いに周回するのは半崎までにして、残りの部分は明日に回します。ここからいったん島中部に向かいます。どちらにしても道はその方向にしかついていません。ここから真南、島の真ん中に付近にある越山を目指していきます。和泊町の最高峰になります。
道を適当に走らせています。すぐ近くの県道にでました。越山との位置関係がわかりません。まだ手前だろうということで、とりあえず右折して道が広くなっている所で車を寄せて止め、カーナビで位置を確認します。見ると、ちょうどの所に出ていたようです。そのまま曲がらずにまっすぐ進んだら着けていたようです。ターンして元の道にはいり、越山の方に進んで行きます。道は広くなったところで行き止まりです。ここに車を駐めてようすを見ます。
前方、頂上側です。奇妙な形をしたモニュメントが見えます。町制何周年かの記念碑のようです。形は巻き貝のように見えます。手前側にこどもとヤギがいて、殻の上をセミの幼虫が上っています。
右手前側に、三角点の標石があります。2等三角点で標高188.42mです。
展望台からの景色です。沖永良部島東側、国頭方面がよく見えます。
反対側です。なだらかな山が見えています。島の最高峰大山です。
越山公園に入る前に、案内標識が復活していました。世之主の墓と書かれています。そちらに進みます。
世之主の墓です。崖に穴が掘られていてそこに埋葬されているようです。手前側は石垣で区切られていて、間に門があります。那覇で見た玉陵(たまうどぅん)に何となくにています。
沖永良部島は琉球王朝期、北山の支配下にあり王の次男が統治し、世之主とよばれていました。玉陵は中山王の墓なので同じような造りになっていてもおかしくはありません。与論島も北山の支配下だったような気がしたので調べ直してみたらこちらは三男が統治していたようです。
一番外側の石垣に設けられていた門です。何かの工事中のようでしたが、横が通れるように開けてあるようなので、中に入らせてもらいました。
中はもう一つの石垣で区切られています。門が閉ざされていました。そのすき間から見た、奥のようすです。崖をくりぬいて石室が作られています。その入り口には門があります。このような形の墓をトゥール墓というようです。
この先にいっても島を横断してしまいます。いったん戻ることにします。道を進んでいると2匹の子ヤギが道の真ん中で通せんぼをしていました。
車で近づいていっても、なかなか退いてくれませんでした。しばらくゆっくり進んでいたら、何とか石垣の上に飛び乗ってくれました。
この後のコースとして考えているのは、島の北側から大山に登り、展望台と昇竜洞を通って、島の南側にある知名までいくコースです。いったん県道を西に走らせていきます。
別方向からやってきた県道と合流した少し先に後蘭孫八居城跡への案内標識がありました。見に行くことにしますが、その標識の横に大きな説明板があります。タシキ俣と書かれています。
書かれていたのは、後蘭孫八にだまされた西目国内兵衛佐かっとなった勢いで切り割った岩がタシキ岩ということです。岩と俣でどう違うのかよくわかりません。説明板の周囲にあるのがこの岩です。タシキ岩なのでしょう。
ここから後蘭孫八の居城跡まではすぐです。車を居城跡前の駐車場に入れ、居城跡までの道を歩いて行きます。
森の入り口にポストがあり、その中にラミネートされた案内図が1枚入っています。これを見ながら、散策して終わったら元のところに戻して置いてねというシステムになっています。
案内図に後蘭孫八の説明があります。壇ノ浦で破れた平家の一部が沖永良部島に流れ着いたようです。それが後蘭孫八で、優れた築城家でもあったようです。
案内図に従って進んで行きますが、今、図のどこにいるのかよくつかめていません。所々にある標識が頼りです。ここには平氏分家屋敷跡と書かれています。
何もわからないまま、まわっていました。平氏というのは、後蘭孫八の子孫で戦後までここに屋敷を構えて痛そうです。立派な石垣があると感心していましたが、よく見るとかなり新しいようです。説明には、城跡の石垣は野面積みと書かれています。
庭園風の施設も見えます。後で考えるとこれもいつのものかはっきりしません。
物見台跡と書かれています。岩の積み重なった山は崩れた石垣のようにも見えます。
後蘭孫八の墓です。組み上げた石垣の中にあります。当時としては大変珍しい墓の形だそうです。
次をまわろうとしたのですが、カメラの電池が切れてしまいました。予備の電池は車に置いたままです。ここはこれで切り上げることにします。戻ろうとすると、別方向から見物に来た2人連れがやってきました。案内図を持っていないようですので、ポストに入れておいてねということで預けて車に戻りました。
次の目的地は、大山展望台と昇竜洞です。まずは、大山展望台を目指します。山頂付近で、案内標識を見つけ、その方向に進んでいったのですが、いつの間にか山を降りていました。探し回っていると、鍾乳洞の入場時間が過ぎてしまいます。昇竜洞の方向を示す案内標識があったので、これに従って昇竜洞を先に行き、展望台を後回しにする事にしました。
標識とカーナビを頼りにして、昇竜洞に到着することができました。何とか間に合ったようです。それでも見学時間は1時間を切っています。急いでみないといけないかも知れません。
ゲートをすぎて進んで行くと、大きな窪地があって、その底の方に鍾乳洞の入り口が開いているのが見えます。
階段を窪地の底まで降りていきます。正面から見た鍾乳洞の入り口です。入り口には南国風の植物がたくさん生えています。クロツグでしょうか。
入口につきましたが、鍾乳洞へはまだ階段を降りていかないといけないようです。
目の高さには鍾乳洞の天井が見えています。細かな鍾乳石がびっしりとできています。
階段を降りて下から見上げたものです。
鍾乳石と石筍がくっついた直後のようで、接合部がくびれています。白鳥のキッスと名付けられています。
フローストンから鍾乳石に変化したようなものです。昇竜の鐘と名付けられています。
見学通路は狭いすき間を通っていきます。左側の壁際には細い石柱が並んでいます。下まで伸びきったところで大きく広がっています。バナナの花と名付けられています。
狭いすき間は続いていきます。狭く感じるのは高さが高いからでしょう。振り返って入口側を見たところです。
昇竜洞は日本の鍾乳洞九選の一つだそうです。三大鍾乳洞というのは聞いたことがあるのですが、九つというのは初めてです。7とか10とかであっても良さそうです。ここが9番目だといっているように聞こえてきます。各鍾乳洞のうたい文句も書かれていました。ここは太古の謎を秘めた幻想の世界だそうです。
洞内は上洞・主洞・中洞・下洞の4っつの部分に分かれているそうです。境目はよくわからなかったのですが、狭くなっているところがあります。ここが上洞と主洞の境目なのでしょうか。長寿の門と書かれています。
ここから先は、色のついた光で照らされています。見た目は豪華に感じます。あまり趣味ではありません。写真に撮ってみるとちょっと薄気味の悪い色に写っていました。
鳥居が設置されています。昇竜神社と書かれています。社殿のようなものはなかったのですが、解説によると7世紀頃の人骨が2体、多数の管玉とともに発見されたことによるそうです。太古の謎というのはこのことでしょうか。
色つき写真を続けていきます。ロケット岩と書かれていた上にあった鍾乳石です。ロケットの噴煙に模しているのでしょう。
奥では、ライトの色が増えてきました。ここでは、色を変えながら照明をしています。
クリスマスツリーと書かれていた上の岩です。いわれれば木に雪がのっているようにも見えます。
根性の岩と書かれているようです。はっきりとは判読できていません。石筍の頂部がへこんだ形をしている滴椀です。
山内地蔵です。石筍には、地蔵さんとか仏さんとかといった名前のものが多いようです。
昇竜洞の売りはフローストーンが立派なことです。鍾乳洞の壁面や底にへばりつくようにできた石灰岩のかたまりです。壁の表面を流れる水によって作られます。壁面にできるフローストーンが厚くなった結果、表面を流れる水が垂れて落ちるようになり鍾乳石へと変わったいったものもたくさんありました。
ここまで見た中で、変わったものをいくつか紹介していくことにします。最初は瓢箪型鍾乳石です。鍾乳石の根元の部分に丸いコブコブがつながっています。
水たまりが二つ並んでいます。段々畑のようになっています。リムストーンプールといいます。上側の水たまりから下に落ちるところでは薄い板のように石灰岩が沈着しています。
茶色いフローストーンの中に白いものが混じっています。茶色いものは泥と一緒に石灰化したものです。白くなったのは泥が流れ込まなくなったからでしょう。
ケープパールがあると書かれていました。それらしいものは見つけられませんでした。水の流れているところにある小石の表面は石灰化が始まっているようでした。
金銀の滝と書かれています。上部はフローストーンです。下側のオーバーハングしたところでは小さな鍾乳石に変わっています。
一部のフローストーンの表面はキラキラしています。きれいな地下水からゆっくり石灰化が進むと、石灰石の結晶が大きくなり、その表面で光を反射してキラキラしてきます。
ナイアガラの滝です。一様なフローストーンでできています。
カーテン状の鍾乳石です。根元や段になったところに粉状の石灰石が見られます。その一部は細長く伸び始めています。ヘリクタイトができ始めているようです。
小さな鍾乳石が上に向かって伸びているように見えます。こういうものはヘリグマイトといっていいのでしょうか。
その横にある謎の構造です。川底の石ころを見ているようですが、天井にあります。水底にたまった石ころが石灰石でかためられた後、下側に鍾乳洞が新しくできたように見えます。
鍾乳洞の中をだいぶ歩いてきたのでもうそろそろ終点かなと思っています。時間は大丈夫なようです。ゆっくり見ていると、出口側からほうきをたくさん抱えた人がやってきます。ここの関係者のようです。管理室から誰もいないといわれたといっていました。入ってから30分以上経っています。普通の見学者ならとっくの昔にでているはずなのでしょう。鍾乳洞では追い越されることがよくあります。
観音様を見たかと聞かれました、見ていないと答えると案内してくれました。確かに他の石筍に比べるとそれっぽく見えます。白いフローストンを背景に茶色味がかかった所です。見る角度によってそのように見えないこともあります。
後もうすこしで出口なので、そこまで行ったら置いてある電話で管理人室へでたと連絡するようにいわれました。電気を消すそうです。確認せずに消されていたら大変なところでした。といっても懐中電灯をつけたりしながらまわっています。この後は時間と相談しながら続きを見ていくことにします。
銀のすだれです。これもフローストーンです。
竜神の滝です。表面を水が流れているのでしょう。下に水がたまっています。正面から右側にかけてのところはリムストーン(畔石)になっているようです。
幸福の門と書かれた狭いところを通過します。
門をくぐり抜けると広いホールになっています。憩いの広場と書かれています。壁面はフローストンが、その上部には鍾乳石がたくさんあります。
鍾乳洞はここまでです。先に出口が見えてきました。ゲートがあってその横に電話機が置いてあります。通り抜けるときに、電話をして見学が終わったことを伝えます。何とか時間内にでることができました。
出口を出て振り返って見た鍾乳洞出口です。天井に鍾乳石がたくさん下がっています。
ここからも高い階段を上っていくことになります。上から見たようです。
上にあがりきったところに休憩所がありましたが、もう閉まっています。そのまわりには、紫色の花を咲かせた木がたくさんありました。センダンです。
入口とはだいぶ離れたところに出てきたようです。車の駐めた所まで戻らないといけません。ところが、前にある道路をどちら側に進んで行ったらいいのかわかりません。間違えるとだいぶ歩き回らないといけないことになります。鍾乳洞を下ってきたので、上側だろうという見当はあります。歩き始めたところで、道脇の草むらの中に入口側を示す看板があるのを見つけました。これで安心して戻ることができます。
周りの景色を見ながら戻っていきます。道路の手すりにルリタテハが止まっていました。
無事駐車場に戻ることができました。ちょうどその時鍾乳洞の入口側から車が出てきました。管理人さんが帰るところのようです。開洞時間は過ぎています。
昇竜洞を出て次は、見損ねた大山展望台に行きます。前の道を上がっていって進んでいくと、最後に大山展望台の案内を見た場所に着きました。再び展望台を目指します。このあたりは自衛隊の駐屯地になっています。先ほどは駐屯地の入り口と思って入らなかった道があります。その道を進んでいくことにします。再び大山展望台への案内標識がありました。こちらの方に進まないと行けなかったようです。残りの距離は、進んできたほどは減っていません。
指示に従って進んで行きます。車を駐められるところがないまま、道は狭く悪くなっていきます。それでも進んで行くと何とか展望台の下に到着しました。車は邪魔にならなさそうな所に駐めます。下から見た展望台です。
上がってみるとちょっとショックです。まわりが金網で囲われています。これでは落ち着いて景色を見られないし、写真も撮れません。おまけに乗り越えられないように有刺鉄線まで張ってあります。金網がなくても乗り越えるつもりはありません。
下に小さなすき間があるのでそこからのぞいて見ました。国頭崎方向です。ちょっと盛り上がっているところが越山でその右側にうっすらと国頭崎方向に島が伸びています。
真下です。遊歩道が続いています。植物園のようです。場所によって木のようすが少しずつ違っています。所々に花も見られます。いったっきりみたいなので、パスすることにしました。
車で山を降ります。降り始めたところで、側溝の土がむき出しになっている所がありました。真っ赤な色をしています。泥岩ぽい岩石も見えていますからラテライトなのでしょう。
山を降りる道がいくつかあるようです。一番わかりやすいのは昇竜洞から上がってきた道です。この道をまっすぐ降りていきます。住吉という所にでるようですが、そこには見所がたくさんあるようです。いったん住吉の町を通りぬけて浜まで行くことにします。
浜ついたところに、大きな説明板がありました。住吉貝塚について書かれています。このあたりの草地から縄文時代の住居跡とか貝塚が出てきたようです。
住居跡や土坑がたくさん見つかったと書かれていた場所です。
ここは海岸の近くです。でてみました。浜はそれほど広くないようです。といっても潮は満ちてきてせまく見えているのでしょう。
直下の浜です。高い防波堤があり、降りられそうもありません。下りて行くのはあきらめます。
住吉には暗川という場所があります。もうそろそろ切り上げないといけない時間なので、これだけ見たら宿に行くことにします。島を周回する県道に戻りいったん宿とは逆方向に進みます。住吉暗川と書かれた案内があります。Sumiyoshi Brookとも書かれていますが何のことかわかっていません。道路沿いにあるようです。見に行きたいのですが、車を駐める所を探さないといけません。近くにお店の買い物客の車で路上はいっぱいです。ちょうどそういう時間帯でもあります。わずかにすき間がありますので、そこに入れました。
不思議な形をした建造物がめだっています。これの説明はありません。詳しいことは後々わかってきました。ここでわかったのは茅葺き屋根のような所に部屋のようなものがあるということだけです。4
部屋への入り口です。階段のようなものがつけられています。これを上っていくのはバランス感覚に優れている人でしょう。
横に大きな窪地があります。暗川とよばれているので、川としたら低い所にあるのでしょう。降りていくことにします。
下は洞窟になっていて、さらにその中へと階段が続いていきます。
階段を降りきったところでは、水がたまっています。昔の人はこの水を生活用水として使っていたようです。
洞窟の奥から入口側です。階段に電灯がついています、なければ真っ暗だったでしょう。
暗川と書いて「くらごう」と読みます。沖永良部では川は「ごう」または「ご」です。鍾乳洞の底を水が流れていたので「川」、暗かったので暗川となったのでしょう。
洞窟の入り口まで戻り見上げてみました。細長いシダが垂れ下がっています。ホウビカンジュ(鳳尾貫衆)のようです。
ここから、県道を戻り知名に行きます。暗くなる前に宿に到着しました。前の駐車場はいっぱいで駐める所がありません。横の入浴施設にも行ってみましたがこちらもいっぱいでした。しかたがないので、玄関に横付けしフロントで確認すると、道路を隔てた空き地にも駐めてもよいとのことでした。大きな水たまりがたくさんあります。これをよけて駐めます。
チェックインを済まし、部屋に荷物を置いてから、夕食準備ができるまで外に出てみました。海岸沿いの防波堤の上から見た知名港方向です。空には厚い雲があるので今日の星見はなしにします。
夕食を済ませた後の時間つぶしに、付近を歩いてみることにします。知名生活館というのがあるようです。何か情報が入手できないかといこうとしたのですが、道を間違ってしまい、とんでもない場所にでてしまったことが判明しました。結局見つけられず時間切れでもどってきました。
朝は6時前に目が覚めました。天気が気になります。窓から外を見ると、赤みがかった空が見えます。昨日よりも雲が薄くなっているようです。
朝食まではまだしばらくありますから、散歩に出かけることにします。宿にあった知名字ひとめぐりMAPをみながらいくことにします。まずは、宿の前から狭い道を通りぬけます。MAPには赤道(あかみち)という種類の道だと書かれています。
この道をぬけた先にあるのがアダンゴーです。昔の水汲場のようです。水が湧き出しているようです。
上の道路に出て、右折し進んだ先の交差点の横にあるのがイナミズゴーです。ここも水汲場のようになっています。
湧水口の横に、水神様が祀られていました。
ここからいったん宿の前に戻り、西に進んでいきます。道路が突き当たりになる所にシャーゴがあります。軽く探したのですが見つかりません。ちょっと離れているようです。帰りに寄ることにします。
北側に迂回するとさらに西へ進む道に出ます。西に進んだ途中に火力発電所があり、そこを過ぎた所から海岸にでる道があります。その海岸から見た西側の風景です。岩場が続いています。ここは、宿の近辺が明るく星が見えないときに、代わりの場所の候補として考えていたところの一つです。
東側です。太陽は高く上がっています。この付近の防波堤は高く、海岸に降りるのは難しそうです。あきらめて引き返すことにします。
道に出たところに、収穫したサトウキビを入れた袋が並べて置いてありました。収穫されていないサトウキビはまだいっぱいありますから、これはほんの一部なのでしょう。
散歩の時間はそれほど取れないので、引き返すことにします。MAPには、ほら穴の中のしあわせの石があると書かれていましたが、見つけることはできませんでした。
シャーゴがあると書かれていた場所に戻ってきました。交差点から南に少し進むと横に広くなっている所があります。そこにシャーゴがありました。ここのものは洞窟の中の給水施設のようになっています。
洞窟の内部です。水がためられています。
ここにも水神様が祀られています。
たまっている水の中を見ていると、テナガエビがいるのに気がつきました。ゆっくりと歩いています。
シャーゴの前の広場から海に向かって緩やかな坂道が続いています。舟を陸に揚げるために使われていた施設です。
坂の途中から海岸に降りてみます。振り返って見ると砂岩とか泥岩の地層が見られます。濃い茶色の所は琉球石灰岩です。左側のものは地層になっています。
この付近は、かたい地層の上に琉球石灰岩がのっている構造になっています。石灰岩にしみこんだ雨水は、石灰岩を溶かしながらだんだん下の方に流れていきます。石灰岩の底に達すると、下の地層には雨水がしみこめないため、地層の境界に沿って石灰岩を溶かしながら流れていきます。その水が出てきたところがシャーゴのようです。アダンゴーとかイナミズゴーとか、知名に湧水口が多いのは、この構造が関係しているのかも知れません。
船揚げ坂の上から宿の方に向かって帰って行きます。隣はすぐに知名港になります。積み上げられているコンテナの間を通りぬけて、港の奥から見たようすです。
朝食を済ませてしばらく休憩したら、出発することにします。今日の予定で確定しているのは、夕方の飛行機で大阪に帰ってくることです。宿へは戻ってきませんから、荷物を持って出ることになります。荷物を車の助手席に置き、シートベルトを装着して出発です。
まずは、フェリーで到着した和泊に向かうことにします。県道沿いを進み海岸沿いの道で戻ってきます。
知名の町外れ近くで、ジッキョヌホーの案内標識があります。道路の脇にあるみたいです。駐車場はなさそうですが、道路脇に不思議なスペースがあります。そこに車を入れて見に行くことにします。
道路から降りていくところから見たようすです。湧き出した水をためた池のようなものが見えます。
降りてみたようすです。この場所で洗い物とかができそうです。左側に見えているのは流れ出した川に架かる橋のようにみえます。先には水路はありません。地下にしみこんでいっているのでしょうか。
橋の上にあがって見ました。水のたまっているところは二つに区切られています。奥の池にトンネルが見えます。ここから水が出てきているようです。奥にあるトンネルは、走ってきた道路の下にあります。
奥側の池です。ここから湧き出しているというより、導水路になっていてさらに奥から流れてきているようです。その先は道路の下のトンネルにつながっています。
トンネルとぬけたところです。井戸のようなものの下を水が流れています。奥には水神様が祀られています。このあたりから湧きだしているようです。
車に戻り先に進みます。道脇に、有孔虫化石含有層と書かれた標識と看板があります。車を道脇に寄せて駐め、見ていきます。化石含有層です。
草をかき分けて進まないと、含有層に近づくことができません。確かに煎餅形をした有孔虫の化石がたくさん含まれています。横から見ているものがたくさんあります。
地層からはげ落ちた有孔虫化石です。こちらの方が形がよくわかります。大きさの比較のために、硬貨を置いています。
県道沿いでは、何も案内がないまま和泊に着きました。この先の港が、沖永良部島観光のスタート地点です。少し手前に変わった形の石碑がある公園がありました。ちょっと興味を引いたので、のぞいて見ることにしました。
石碑の先にある道に右折して入ります。左側にも小さな公園があり、解説板が設置されています。この付近から石川という川が海に向かって流れ出していて、その水は生活用水として使われていたとのこと。水道設置にともなって使われなくなり、埋め立てた跡を公園として整備したようです。
石碑です。表面にいしご公園と書かれています。考えてみたら「川」を「ご」と読めば「いしご」となります。この形は矢じりなのでしょうか。碑はこの近くの会社が建てたもののようです。
公園から、和泊港の方向です。堤防があって、その向こう側に港があります。このあたりは漁港のようで、関連の施設が見えます。フェリーが到着したのは右奥の方です。堤防の手前側は、和泊の町中を流れてきた川が流れているようです。
反対側です。高い防潮堤と、その海側に消波ブロックが並んでいます。砂浜のように見えますが降りていくのは無理なようです。
和泊の町にはいくつか施設がありますが、まだ開いている時間ではありません。その先は昨日通っていますので、知名の方に引き返すことにします。途中、生協の店があって前に人が並んでいます。時計を見るともうすぐ開店のようなので、一緒に並ぶことにしました。昼におなかに入れるものを買います。
この先で海岸沿いの道路への分岐があります。入ってすぐの所に、展望台のようなものがありました。案内標識にはホウシ橋展望所と書かれています。展望所から山側です。
こちら側は単なる展望所で橋にはなっていません。来るまで走ってきた道路に橋が架かっていますが、この橋の名前は川尻橋です。これ以外に橋は見当たりません。ホウシ橋とはどれのことでしょうか。
気になるのはこれ以外にもあります。橋が架かっているのはいいのですが、その下を川が流れているようすはありません。深い穴が見られるだけです。
見た感じでは、ここに流れてきた川は、地面の下の鍾乳洞を通って反対側にぬけているようです。
展望所からは海岸が見えます。東側です。琉球石灰岩の崖が続いています。深く入りこんだところは小さな浜になっています。
沖合です。岸から少し離れたところにリーフが見えます。その内側は浅い礁湖になっています。
南に向かって車を走らせていると、帆船のようなものが置かれているところがありました。通り過ぎかけたのですが、気になったので戻って見ました。反対側から見ると、入り口の塔のような柱に「自然が奏でるウジジ浜の情景」と書かれていました。
アメリカに向かうカナダの帆船がこの沖合で台風に巻き込まれ難破するという事件がありました。その時には住民の救助活動によって約半数の乗組員が帰国できるようになりました。その110周年記念して公園として整備されたものです。難破した船を復元して設置されています。
公園の入り口の花壇に、ユリの花が植えられていました。つぼみも大きくなりもう少しで咲きそうです。沖永良部島は全国有数のユリの産地となっています。
公園から見る浜です。石灰岩の低い台地が深く切れ込んでいます。その奥方に砂がたまって浜になっています。
海岸近くまで下りてみました。全体的に岩場で、所々に砂の集まっているところがあります。
岩場にはたくさんの潮だまりがあります。その縁の岩場を見ていると、小さな穴から水が噴き出していました。貝か何かがいるのか、高いところの潮だまりとつながっていてそこから流れてきているのかは不明です。
潮だまりの奥の岩場です。盛んに魚が飛び上がっていくのが見えます。岩を上っていくものもいます。
潮だまりを見ると、ハゼのような魚がたくさんいました。潮だまりの水がだんだんなくなってきて行き場がなくなってしまったようです。
潮だまりから見た沖合側です。岩場の上面と海面がほとんど同じ高さです。入り江入り口の岩は根元がえぐられて奇妙な形をしています。
案内標識によるとウジジ浜の次の立ち寄りスポットは、フローラルホテルになっています。泊まっていた宿です。ここは、パスして、さらにその次の場所を目指します。順番ではフラワーパークになっています。
フラワーパークは、芝生の広場があったり、遊具が置いてあったりする普通の公園です、今日は、ゲートボールをする人達が集まってきてゲームをしていました。
「知名字ひとめぐりMAP」には、ここにも泉があると書かれていました。その場所に行ってみました。そこのあるのは豊知川(ホウチゴー)と呼ばれる泉です。フェンスで囲われてた所に窪地があってそこに水がたまっています。
石垣の上に、きれいな色をしたピンポン球のような実がついているツルがありました。オキナワスズメウリの実です。カラスウリに近い仲間です。
遊具とか芝生広場とかは興味がありません。海岸に出られないかと、海岸近くの遊歩道を歩いていると、一ヵ所海岸に降りられそうな道を見つけました。
降りていくと、幼稚園の園児のような集団がやってきていました。きれいな石を探しているようです。声をかけてきた子がいたので、落ちていた赤い色をしたサンゴのかけらをあげると、お返しに波で磨かれたガラスビンのかけらをくれました。
園児達とはわかれて海岸へ歩いて行きます。岩場の崖です。水がたまるように細工のしてあるところがありました。ここから水が湧き出しているようです。
海岸です。ここも海面より少し高いところが平らになっています。
奥の砂のたまっているところで赤い花が咲いていました。ミツバノコマツナギです。
一通り見終わって、元の所に帰ろうとしたら、どこから来たのかわからなくなってしまいました。ちょっと高いところに上がって確認します。岩の上にあがってしまうと、かえって場所がわからなくなりそうです。園児達には迷子にならないように、砂の所からでないようにとの指示が入っていたようです。
砂浜の縁をまわっていくうちに何とか来た道を見つけることができました。
フローラルパークの次は屋子母(やこも)海岸です。それほど距離は離れていないのですぐに到着します。
海岸沿いに、シャワー室や休憩施設などが並んでいます。本格的な海水浴ビーチのようです。島西側で一番大きな集落からもそれほど離れていません。ここに泳ぎに来るのは、地元の人よりも観光客かな?
海岸の砂浜です。海面より少し高い高さまで平らな岩場があって、その上に陸側に寄せられたように砂浜があります。
沖合側です。リーフの少し内側に低い岩場があり、その内側は深くなっています。岩場ではたくさんに人がでていて何かを探しているようです。
北側の波打ち際です。こちら側の砂浜のはわりとしっかりしています。
砂浜近くの浅瀬です。比較的大きな魚を見つけました。種類まではわかりません。
平らな岩場の上です。カニが出てきていました。
岩場の間の潮だまりです。ここにはたくさんのナマコがいました。ものすごい数です。沖合に出ていた人達はこれを取っていたのでしょうか。だとするとそんなに、遠くまで行かなくて良いような気がします。
沖永良部島の西海岸を北上しています。次のポイントは、ビーチロックのようです。いったん内陸側の道に戻り、進んでいって、案内標識に指示に従って海岸の方に入っていきます。
海岸近くの狭い道まで来たところで、解説板が置かれていました。この道の両側に神野(かみの)貝塚があったようです。九州で作られた土器も発見されているそうです。
ビーチロックにいくには、この道を少しだけ進んでいかないとたどり着けないようです。進んでいった先に広くなっていて、そこに車を駐めます。ビーチロックの説明の書かれた看板があり、ここから海岸に下りられるようになっています。ここの海岸も屋子母海岸と似たような形になっています。砂はこちらの方が多いようです。
ここの波打ち際で屈もうとしたときに、胸ポケットに入れていたGPSロガーを海の中に落としてしまいました。衝撃で裏蓋が開いて電池が飛び出しましています。中で変な電流が流れてショートというのは避けられているかも知れませんが、だめになった公算が大きいようです。塩分はさびの原因になり断線を起こします。早めに落としたいので、どこか水道のあるところで中を洗うことにします。
気を取り直して、ビーチロックを観察します。浜の表面はかたい一枚岩のようになっています。
表面です。砂粒がコンクリートのようにかためられています。サンゴのかけらなどが閉じ込められているのが見えます。
波打ち際近くです。下側が波でえぐられたようです。割れて落ち込んでいます。
側面です。2−30cmほどの層になっているようにも見えます。ビーチロックは、砂などが、間を流れる水に含まれている不純物が砂粒をくっつけてできます。層になっているには、砂粒がかためられた時期は何回もあることを示しています。
陸側から海側に向かってみています。できる高さは海面からどれくらいまでか決まっているようです。あまり離れたところでは、あまりかたくなっていなくて、崩れてなくなってしまっています。
ビーチロックのある場所から内側の県道に沿って車を走らせます。昨日の住吉暗川からの帰りに、水連洞と書かれた案内を見たような気がしたからです。往復してみたのですがそれを見つけることはできませんでした。あったのは昇竜洞の案内です。これを見間違えたのかも知れません。
カーナビに水連洞と書かれている場所の周囲を探してみたのですが洞窟を見つけることもできませんでした。あまり人が訪れないのでしょう。それでも、ケービングのツアーにはここに入るものもあるようです。
入口の近くのみかんの木にはたくさんの実がついていました。誰も採らないのか、たくさんの実が落ちていました。
県道に戻り北上していきます。住吉は昨日来たので、そのまま通りぬけます。次に案内のあったのは、田皆崎です。指示に従って進んで行きます。
駐車場に車を駐めます。水道があったので真っ先にGPSロガーを洗います。そのまま乾くまで持って歩くことにします。岬に向かって進むと、正面に灯台が見えます。ヤゴニャ埼灯台といいます。
岬先端方向です。何人かの地元の人が来ていて弁当を広げようとしています。
田皆崎は、島で北西方向に張り出した岬です。そこから見た東側の海岸線方向です。これからこちら側に向かって進んで行く予定です。
周囲は切り立った崖になっています。できるだけ海によって見た断崖です。
直下の海です。透き通っていてきれいです。でも、高いため怖くてこれ以上のぞけません。
別の岩の裂け目から見たところです。深さによって海の色が変わってみえます。
広場には刈り取られずに残ったユリに花が付いていました。
岬の上から海を眺めていると、ウミガメが泳いでいるのが見えました。近くにいる人にも教えてあげましたが、見に来たときにはいったん潜りかけていました。ここは沖永良部島でのウミガメ目撃多発地点の一つのようです。昨日のウミガメビュースポット比べてどうなのでしょうか。干潮だからよくなかっただけなのでしょうか。
いったん潜りかけましたがすぐに上がってきたときのものです。
このあと、再び深くまで潜っていきました。海底の岩場に着いた藻を食べているようです。黒っぽい色をしたのがウミガメです。
そのうち上がってくるだろうと粘っていたのですが、なかなか上がってきません。やっと上がってきたときのものです。
海面に顔を出してからは、しばらくの間のんびりと泳いでいます。
横向きの時のものです。息継ぎをしているみたいです。
このウミガメが沈んでしばらくしてから、沖合をみると2匹並んでいるのがみえました。
これも別の場所にあがってきたウミガメです。この付近には確かにたくさんいるようです。
赤い色をしているのでアカウミガメと思っていました。アオウミガメでも赤い色のものはいるようです。区別できる場所までははっきり写っていませんが、最後のものはアオウミガメのようです。
田皆崎からは、進行方向は東になります。海岸に沿う道路を進んで行きます。このあたりは、高台の上を走ります。島の南側に比べて、琉球石灰岩の台地は高いようです。
しばらく走っていると、下り坂になり前方が開けてきました。沖泊港と公園が見えてきました。道は右にカーブしていきます。
坂を降りきったところで正面に沖泊海岸の大型有孔虫化石密集層と書かれた看板が見えてきました。当然見に行くことにします。背後には大きな崖があります。密集層があるのがこの崖の上の方だと大変です。
横の方にも長く続いています。大変大きな崖です。上の方に琉球石灰岩が見られます。
一番見やすい目の高さくらいの所の表面を見ました。小さな円盤形の化石がたくさん入っています。朝一番に見たのと同じオパキュリナにそっくりなものがほとんどです。黒っぽいのは小石です。
足元を見ると、崖から削れ落ちた化石がたくさん積み重なっています。
貝殻のようなものもありました。
この細長いのは、ウニのとげのようです。
化石を見ていると、非常に大きなものもありました。これくらいの大きさになると、貨幣石と間違えそうです。どちらも同じ有孔虫の仲間ですが、少し時代が違います。
ものの本(沖縄の自然:平凡社)を見ていると、琉球石灰岩の最下層にはサイクロクリペウスという5cmくらいになる大型有孔虫化石が含まれるそうです。この地層は石灰岩ではありません。サイクロクリペウスなのでしょうか。
沖泊の化石含有層の海側は沖泊漁港になります。さらにその奥に沖泊海岸があります。漁港の入口近くに車を置いて地層を見ていました。車に戻って、車で漁港の奥までいくことにします。かなり大きな漁港なので、歩いて往復するのも大変です。
一番奥から見た漁港です。珊瑚礁の礁湖を掘り込んで作られているせいか、水の色はきれいです。
その反対側の沖泊海浜公園です。岩場のような海岸が続いています。潮は引いています。
陸際です。満潮時の波打ち際近くに砂がたまっています。
岩場上を歩いてみました。所々に潮だまりがあります。熱帯魚といわれるような魚ががたくさん泳いでいます。黒い色をしたものです。
目の上に蛍光青色の筋のある魚です。ネズスズメダイの幼魚がこのような特徴を持っています。サンゴも触手は出ていないものの生きているような感じがします。
これも違う種類のサンゴです。
波打ち際近くまでやってきました。岩場のすぐ外で波が打ちつけています。このあたりがリーフなんでしょう。
陸側です。これから砂のあるところまで行こうと思うのですが、間に大きな池のようなものがあります。ここが礁湖なのでしょう。
水のあるところまで来ました。結構深そうです。砂浜まではだいぶ迂回しないとたどり着けないようです。
まわりながら、魚とかを見て歩きます。ここにもたくさんの魚がいました。
何とか砂浜に到着です。砂粒のほとんどは丸い形をした有孔虫です。これの大きなものが奥の崖で化石になっていました。他に貝殻なども見られます。
沖泊海浜公園への道は行き止まりになっています。いったん島を周回する道まで引き返します。この道を、東に進んでいきます。何も見るところがなければ、島中心近くの越山の北側に道が集まってきます。昨日もここには来ていますが、民俗資料館はまだ見ていません。時間もありそうなので、とりあえず次の目的地にします。
東に向かって進んで行きます。このあたりの畑の脇にも高い石垣が組まれています。冬の季節風はかなり強いようです。
越山の北東側に民俗資料館があります。資料館の建物です。
車を駐めようとしたのですが、前の駐車スペースは狭くうまく駐められません。右後ろ側に公園があってそこの駐車場に入れることにしました。園児達が来ているので邪魔にならないように気をつけます。
展示は信仰や文化などがありますが、大きな場所を取っているのが、特産のユリの花についての解説でした。岩石もいくつか置かれていたのですが、詳しいことがわからないので、教えて欲しいと書かれていました。わかる範囲で説明しようともしでたのですが、書いた人が今いないのでと断られました。
外にも展示があります。明治の頃の民家です。島の住居は二棟式が普通なのだそうです。
表(母屋)内部です。
一緒に展示されていたのが、高倉です。
民族博物館を後にして東に進みます。根折というところで高倉があると書かれていました。見に行こうとしたのですが途中でどちらに進んだらいいのかわからなくなり、違うところにでてしまいました。適当に戻っていたら高倉が見えてきました。九本柱高倉と書かれています。
穀物などを保管する倉庫で、その大きさによって、4本柱のものから9本柱のものまであるそうです。ここのものは一番の大きな9本柱の高倉です。上に倉があって、下は作業ようスペースになっています。
高倉の倉庫入り口です。
住吉暗川にあった建物もこれと同じものでした。徳之島空港にあった模型も高倉のようです。徳之島では見かけなかったのですが、沖永良部島ではいくつかあるようです。
沖永良部島でまだまわっていないところは、空港周辺のみになってきています。飛行機の出発まで2時間以上あります。ちょっとどこかで時間をつぶすことにします。といっても気になるのはウミガメがいるかということくらいです。まだ潮が引いているかも知れませんが、ウミガメビュースポットに寄っていくことにします。
畦布から海岸沿いを進む道に入ります。前回はすんなり入れたのですが、今回は道を間違え元の県道に戻ってしまいました。その途中集落の中に石が台座の上に飾られていました。ぬるばんどうの力石と書かれています。大昔に力比べをするのに使った石だそうです。
ウミガメビュースポットに近づいたところで伊延港が見えます。ここにもフェリーが来ているのが見えました。定期航路でここにやってくるフェリーはありません。ちょっと気になります。
ウミガメビュースポットに到着です。やっぱり干潮のようです。眼下の礁湖の部分はほとんど陸化しています。
別方向です。波のたっているところがリーフなのでしょう。礁湖はあさくてウミガメがいそうにありません。水平線まで波は穏やかです。
ウミガメはあきらめて、島の先端国頭崎を目指します。伊延港の近くまで来たところでトイレに行きたくなってきました。先ほどのフェリーも気になるので、寄っていくことにしました。
伊延港にもしっかりとした旅客ターミナルがありました。ようこそ沖永良部島へと書かれています。そのわりには、屋根とベンチしかありません。
港です。漁船が何艘か停まっています。
フェリーからは貨物がたくさん降ろされたようです。運び出しの最中でした。巨大なコンテナを2台のフォークリフトが連携してトラックに乗せようとしています。なかなか難しそうです。
帰ってから調べたところによると、フェリーが和泊港に着岸できないときはこちら側のみなとに入ることがあるそうです。ちょうど、鹿児島方面へいく定期船が発着する時間でした。朝見た感じでは和泊港はそれほど荒れていなかったような気がします。
後残すところは国頭崎だけになってしまいました。といっても後で調べてみたらまだいくつかはあったようです。空港の方に向けて車を走らせます。国頭の集落を過ぎた所で、大きな溜池が見えてきました。
ちょっとのぞこうとしたのですが、まわりはフェンスで囲われています。近くの石碑には、耳付池と書かれていました。琉球石灰岩上には、水が漏れるので溜池は作ることができません。ここは違う地盤でできているのか気になりますが、周囲は平坦なので何もわかりません。
水鳥なども来ていないようです。次に向かうことにします。空港の手前で海側に進む道に入っていきます。海岸に沿っていくと国頭崎に到着しました。灯台が見えています。
一番先っぽぽい所から見た海です。カーナビではここが国頭崎と表示されています。沖合のリーフと礁湖がはっきりと見えます。
海岸におりようとしたのですが、道脇は高い崖になっています。こちら側からは無理なようです。
反対側です。海との間に石垣のような岩が見えます。石灰岩の堤防のようにも見えます。こちら側からも降りることは無理そうです。あきらめます。
礁湖の一番よく見えるところから見た海です。波の砕けているリーフの内側平らなところが見られます。
これ以上海に近づけないようなので、ここはあきらめて次に行くことにします。灯台を過ぎて真っ直ぐ進んで行くと鳥居のようなものが見えてきました。ちょっとのぞいてみました。
鳥居の中に入ったところで電話がかかってきました。レンターカー会社からでした。内容は、飛行機が欠航になっているのでどうするかというものでした。空港で確認してから返事することにしました。
ここに何があるのかと周囲を見わたしてみると、石碑があってそこに岬大明神と書かれています。
見た感じで、趣味に合いそうにないのでパスしました。
空港に戻ることにします。その途中にあったハマユウの群落は、戻りしなにみようと通り過ぎています。見ていくことにします。大きな看板がありました。
看板の前の道はそれほど広くありません。車はそれほど通りませんから、道脇に駐めて置いても大丈夫でしょう。看板の横から、踏み固められた道がついています。道沿いにハマユウの株がたくさん見えます。
海岸側です。砂地の上に細長い葉っぱを伸ばしてるのがハマユウです。
道横の草むらのような場所です。道縁にはハマユウがありますが、奥の方はクサトベラのようです。人が歩くところにハマユウは多いようです。
群落のあるところから見た海です。浅い海が沖合まで続いています。このあたりは削り残された岩がたくさんあります。
波打ち際沿いです。琉球石灰岩がなだらかに浸食されています。
反対側です。こちらも同じですが、海面近くの平坦面はかなりでこぼこしています。遠くに海面上に出ている岩がたくさん見えています。宮古島の津波石に似ていますが、海底にくっついているようです。
車に戻り、そこから車で空港に着きました。飛行機欠航の情報は正しかったようです。帰りの方法を考えないといけません。カウンターにいって、帰りのチケットの手配をする事にします。
明日の飛行機の予約状況ですが、鹿児島空港までは戻れるそうです。そこからの大阪便が午前中のものしか空いていないようです。関空にいくものもないようです。
帰るだけに1泊余分にするのももったいない気がします。どこか、ついでに見ていく事はできないか検討します。沖永良部島はだいたい見終わっているので、よるとしたら鹿児島市内でしょう。いくつか見ておきたい場所もあります。鹿児島市内によるとしたら、鹿児島空港からバスで市内に行き、新幹線で帰ることになります。新幹線は何とかなるでしょう。
となると、鹿児島から大阪までの飛行機はキャンセルになります。鹿児島に向かう飛行機は、朝早くと昼過ぎ、夕方の3便あります。夕方のものはその後の接続がないので無理です。朝早くのものは空港まで来られるかが問題です。ということで昼過ぎの便にします。
この形で、チケットの変更をしてもらおうとしたのですが、窓口の対応に時間がかかります。持っていたチケットは4枚続きのものだったので複雑になっていたようです。電話をしたりとか機械をいじったりとかはしてはいますがなかなかチケットの発行には至りません。
その間に、今日の宿の手配をします。大きな町は、和泊と知名にあります。最初に計画を立てたときに和泊には気に入った宿がなかったような気がしました。和泊から空港までの移動手段も心配です。昨晩泊まったフローラルホテルにします。ここなら空港まで送迎してくれます。電話をかけたところすんなりOKがとれました。
だいぶ待たされたあとやっとチケットの変更ができました。1時間近くかかりました。次はレンタカー会社に車の返却について連絡を入れます。空港に置いて帰ってもいいとのことです。知名にいくバスは、空港の前に停まっていてもうすぐ発車しそうです。ガソリンを入れていると、でてしまいそうなので和泊に先回りしてそこで返却した後、和泊からバスに乗ることにします。
急いで和泊に戻り、ガソリンスタンドを見つけガソリンを入れます。その間に、レンタカー会社の場所がわからなかったので、電話をして聞いたところすぐ後ろにありました。くるまを返却したら、その車でバス乗り場まで送ってくれました。途中、フェリーが大きいだろうとか、フローラルホテルは高いとかいわれました。本州に比べたら全く逆のようです。
バス乗り場です。1台バスが停まっていますが、別方向にいくバスです。
しばらくするとバスがきましたが、出発までまだまだ時間があるようです。時間調整のようです。待っている間にレンタカー会社の人が来ました。車の鍵を返すのを忘れていたようです。空港に車を置いて知名までバスで戻っていたら大変なところでした。飛行機にのる場合はセキュリティチェックで引っかかるので問題はなかったでしょう。
別の2方向からのバスが到着したところで出発になります。乗り継ぎ調整をしていたようです。知名にまっすぐ向かうバスには、他の乗客は2人だけでした。それも10分ほど走ったところで降りてしまい、他の乗客はいなくなってしまいました。大半は単独で乗せてもらっていました。
知名に到着して、宿に向かいます。昨晩も泊まっているので手続きは簡単でした。夕食は前日までに予約していなかったので、ありません。レストランでメニューから選んで食べます。その前に夕陽が見られそうなので港にでてみました。港から見た夕陽です。
港に魚が来ていないかのぞいて見ました。棘を持った魚がいます。ハリセンボンです。
ここの港にはたくさん来ているようです。
桟橋の橋までいくうちに、だいぶ太陽は低くなってきました。まもなく雲の中に入りそうです。
いったん雲の中にかくれたのですが、再び出てきました。横の煙突は火力発電所のものです。このあと太陽は、下の雲の中に入って見えなくなってしまいました。
星を見られる場所がないか探しに行くことにしました。港周辺は強い明かりがたくさんあって、どことも避けられそうもない感じです。防波堤の海側に明かりの見えない一画があります。ここで見られるかやってみることにします。
宿に戻って食事にします。グルクンの唐揚げ定食にしました。食事が終わると星を見にいきます。先ほど調べたところは、頭上の空気は周辺の光に照らされて、光っています。シリウスとかは見えているのですが、ここでの観測は断念します。
下調べでは、町外れの体育館の海岸側も候補にしていました。そこに向かいます。一応空は見えるのですが、だんだん雲が広がってきているようです。雲の少ないところをねらって写してみたのですが、大半が雲です。どこの星座なのかわかりません。肉眼でも確認できていません。
何枚か写したのですが、雲の切れ目がなくなってきました。最後の1枚はほとんどが雲です。
宿に戻って、風呂に入って寝ることにします。
知名での2回目の朝です。曇ってはいるものの、雨は大丈夫そうです。今日も早くに目覚めたので、周辺を歩いて回ることにします。行き先は、星を見に行った所の海岸にします。
初めに星を見ようとした場所をのぞいて見ると、昨日より潮が引いていて、波打ち際に砂が少しでています。中に入っているものを見ると、ここも有孔虫や貝殻、サンゴのかけらがたくさんあります。小さいですが星砂もちょっとだけ混じっています。
そのまま進んで行って、体育館に行きます。ここと海岸との間には防波堤があります。その手前側には黄色い花がいっぱいついた草が密集して咲いています。センダングサの仲間のようです。
この草は、種をつけているものもあります。服についたらなかなか取れないので、付かないように注意して乗り越え海岸に出ました。2m位の高さの平らな岩場になっています。所どころに深く切り込んだ入り江があり、その奥には砂のたまっているところがあります。沖合には高く消波ブロックが積み上げられているので、波は穏やかです。
ゆっくり入り江をまっわっていると朝食の時間が近づいてきました。いったん宿に戻って朝食にします。
朝食を済ませた後は、荷物をまとめてチェックアウトを済ませます。その後の予定ではっきりしているのは、宿の前から送迎バスで空港に送ってもらうことだけです。12時出発です。それまでは、このあたりをハイキング程度の荷物を持って、ぶらっと歩いてまわろうと思っています。といっても昨日と今日の早朝とでだいたい見終わっています。知名字ひとめぐりMAPで行っていないところをにでかけることにします。大きな荷物は預かってもらいます。
宿と横にある小学校との間の道を進んでいくと、はみやま神社に出ます。宿の窓からも高台にある鳥居がよく見えていました。高台の階段を上って見えてきた神社です。護国神社・金比羅宮・地元の氏神と3つの神社を合祀しています。氏神は知名に流れ着いた人が住民にいろいろなことを教え、そのお礼に死後はここに祀られたものだそうです。
ここは高台になっていますので、見晴は最高です。知名港沖合の方角の景色です。
この神社の境内の一角には地蔵様も安置されています。えんめい地蔵といいます。
神社から入った脇道はシークリブの道というそうです。シークリブが何なのかいけばわかるだろうと思ったのですが、そこにたくさんあったのは桑の木でした。
シークリブというのは島のみかんのことだったようです。シークはすっぱいという意味で、沖縄のシークヮーサーで使われているものと同じです。
MAPに従って進んで行きます。畑のある地域を通ります。所どころにビニールハウス風の建物があります。沖永良部島は切り花の生産が盛んです。中で育っているのはセイタカアワダチソウに似た見たこともない花です。調べたところソリダゴ(ゴールデンロッド)といって添え花として使われている事がわかりました。
知名字ひとめぐりMAPに従って、畑の間の道から、いったん山側に迂回し、となりの海側に向かう道に入ります。MAPには海へのいっぽんみちと書かれています。
海へ向かって道は真っ直ぐ伸びているのですが、途中に段差があり、その下で道が曲がっています。下の道が写らないようにして、海へ一直線という雰囲気をだしてみました。
この道に入った頃から雨がぱらつきだしました。傘は置いてきてしまいました。歩いていると、だんだん強くなってきます。道の半ばくらいで、雨宿りをした方が良さそうな量になってきました。真ん中くらいにある畑の横にちょうど良さそうな木があったのでその下で雨宿りをさせてもらいました。
10分ほどで小降りになってきたので出発することにします。雨宿りをさせてもらった畑では、ジャガイモの収穫が終わったところのようです。土の間には、収穫されなかったジャガイモがいっぱい転がっています。もうだいぶ青くなっているので、厚く皮をむかないと食べることはできません。他の畑でも、収穫されなかった作物を残した畑をたくさん見かけました。この付近での収穫のやりかたなのでしょうか。
いっぽんみちを降りていきます。道脇でアマリリスの花が一つだけ咲いていました。
その横にある竹です。幹が黄色っぽい色をしています。こういう品種もあるのですね。
ゲットウもたくさん見かけました。花が咲いているというかつぼみが大きくなっているものもありました。花の季節はこれからです。
だいぶ下りてきたところにある教会です。バプテスト教会です。横に車がたくさん停まっていると思ったら、今日は日曜日、礼拝のある日でした。
このまま真っ直ぐ下って行くと、フローラルパークに着きます。ここまでいってしまうと宿から離れすぎますので、一本宿側の道から海岸に向かってまっすぐ降りていきます。
海岸に着く手前でウグイスの鳴き声がします。近くの木を見ると枝先に留まっているのが見えました。
このあたりの足元の植物です。イバラのような花が咲いています。
再び雨が降ってきました。建物の庇の下で待避しました。すぐに弱くなってきたので、移動し始めたら、こんどは本格的に降り始めました。そばにあった木の下で雨宿りを始めたのですが、この木は雨漏りがひどく役に立ちません。といって他には雨をしのげるところはありません。おかげでびしょ濡れです。
20分ほどすると雨は小降りになってきました。このタイミングで宿に戻ります。到着したら、ぬれた体を拭いて上着を着替えることにします。宿のトイレを借りました。後で考えてみたら、隣が入浴施設なのでそこを利用してもよかったことになります。
頭を拭いているときに手がめがねに引っかかり、めがねがたたきつけられるように床に落ちました。この衝撃で左のレンズが割れました。もう一つめがねを持っていますが、遠くのものがよく見えません。しばらくこのめがねでいくことにします。
着替えも終わって、送迎バスの出発を待ちます。雨は弱いながらもやみません。これ以上濡れるとどうしようもないので、ロビーで時間を過ごします。
何人かがロビーにいます。何かなと思っていたらレストランが開くのを待っていたようです。昼食を食べに行くところが少ないのでしょうか。もうすぐバスが来るので、中に入っている時間はありません。残っていたパンを食べておきます。
送迎バスがきました。空港まで送ってもらいます。他に乗る人はいませんでした。途中、笠石浜のユリを見たかと聞かれました。笠石浜には行ったけれどもユリは見ていないと答えると、ユリのあるところまでよってくれました。駐車場に入るために迂回していた場所にありました。
ほとんどがつぼみです。進んで行くうちに咲き始めたものも見つかってきました。
空港までは、西郷隆盛の牢獄とか、4月になると葉が黄色くなるソテツの木とか何カ所か観光案内をしてくれました。窓ガラスが曇ってきているので、写真は写せていません。
空港に到着しました。所定の手続きをすませます。座席は、窓側がないかと聞くと、背もたれが倒せないところだけが残っているようです。いつも倒さないのでそれでじゅうぶんです。そこにしてもらいました。
荷物を預けたら空港内を見て回ることにします。昨日は搭乗券のことで精一杯でした。空港内はよく見ていません。これはロビーに置かれていた、貝の標本です。種類ごとにたくさんの小さなビンに整理して入れられています。
待っていると飛行機が到着しました。プロペラ機です。少し到着が遅れています。
歩いて飛行機に乗り込みます。雨は傘がなくても歩ける程度に降っています。
隣の席はアテンダントさんが座るようです。新人アテンダントさんの教育のために一人余分にのっています。ところで隣に座ったのはどちらのアテンダントさんなのでしょう。
窓の外を見ていると、だんだん雨が強くなってきていました。
景色を見ながら、飛行を続けます。どういうわけか全て露出オーバーで、ほとんど何も写っていませんでした。かろうじて写っていた桜島です。となりのアテンダントさんが桜島が見えると教えてくれました。
空港への進入方向が気になります。聞いてみたところこのまま真っ直ぐ進んで行くようです。空港の滑走路は340度に進入できるように作られていました。
飛行機を降りてからはターミナルへはバスで向かいます。
バス内から見えてきたターミナルです。青空が一部に見えています。
鹿児島空港で荷物を受け取った後は、鹿児島中央駅に向かいます。ターミナルを出て正面でリムジンバスが待っていました。乗り口にいる係員に直接料金を支払い、トランクに大きな荷物を入れたらバスに乗り込みます。
駅までは、高速道路を走ります。道はシラス台地の間を走り抜けています。所どころでシラスの崖が見えます。写真に撮ろうとするのですが、見えてから通り過ぎるまで一瞬です。道脇の木などの障害物もあるのでなかなか写せません。何とか撮れた1枚です。
40分ほどで、鹿児島中央駅に到着です。まず最初にしないといけないのは帰りの新幹線の切符を購入することです。窓口に並び、最終のさくらを購入することができました。6時30分発です。
次は観光案内所に行き観光情報を入手します。といっても前回の種子島の帰りにだいぶ検討しています。バスで巡るか自転車を借りるかのどちらかです。自転車の借り方が理解できなかったので、バスにしました。まち巡りバスの1日乗車券を購入することになりました。
もうすぐバスが来るということなので、急いでコインロッカーに大きな荷物を入れ、バス乗り場に移動します。しばらく待っているとバスがやってきました。せごどん号といいます。
バスは市内の観光地を何カ所か回ります。バスに乗ってから大変なことに気がつきました。観光に使える時間は2時間くらいしかありません。バスのパンフを見るとバスがルートを一周して鹿児島中央駅に戻ってくるのに1時間かかります。20分おきにやってきます。降りた停留所で、観光してすぐ次のバスに乗ったとして、3回降りるとこれだけで2時間になります。何回も降りてぶらぶらとというわけにはできそうもありません。
バスはザビエル公園の前を通ります。降りている余裕はありませんから、車窓見学になります。3人の像があります。奥にいる一人はフランシスコザビエルでしょう。手前側の2人は縁の深い人達のでしょう。
道路を曲がるとアーチのようなものも見えてきました。聖師滞鹿記念と書かれています。奥の銅像がザビエルのようです。
ザビエル公園を通過したあたりから、車の流れが悪くなって来ています。西郷隆盛像のあたりでは完全に動かなくなってしまいました。これだと、バスを降りなくてもゆっくり見ることができます。困ったのは、この時点では定刻より30分も遅れていることです。
次に見えてきたのは鶴丸城の石垣です。なかなかいい位置にはバスは停まってくれません。
城の裏手に回って西郷洞窟に到着です。ここでバスを降ります。バスは、城山に上った後ここまで戻ってきます。城山まで行っても景色を見るだけのようです。ここで降りても時間のロスはありません。
西郷洞窟です。西南戦争で西郷隆盛が最後の晩を過ごしたといわれています。
洞窟はシラスの崖をくりぬいたような形で作られています。横にはシラス独特の垂直の崖が見られます。上は城山につながっています。
西郷隆盛が洞窟に座っているところをイメージしたような像も設置されていました。