ヨッシンと地学の散歩 > 旅行記
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2018/08/12-13 流星群@立山


01   計画から出発まで

 旅行先を決める大きなポイントが、星が見られるかどうかです。そのため宿泊地が大きな町だ不適格となってしまいます。逆に、離島や高原となると条件がよくなるので、候補に挙がってくるようになります。旅行先を見ていると島が多いのはこのためです。
 旅行業者のパンフレットを見ていると、ペルセウス座流星群を見ようというものがいくつか出てきました。今年は、ふたご座流星群とあわせて観測の条件が「良」です。B社の中には立山で見るというものがありました。標高が2000mを越えていると、星はかなりきれいに見えそうです。1泊2日で11日出発と12日出発の2つです。

02 8/12 立山へ

 今日の梅田の集合時刻は、午前7時です。朝は5時起きで、6時過ぎに出発します。腕時計をするのを忘れていていったん取りに戻ったので、集合場所到着予想時間はぎりぎりになります。電車がすんなり来たとかで、ちょっとはやめに到着しました。
 集合場所から、バスの駐車場まで移動して、バスに乗ります。座席は右側になります。大きな荷物を預けて席に着きます。すぐに出発です。次にいくところは、京都竹田駅で京都から乗る人を拾って行きます。竹田駅は名神高速の京都南ICのすぐ近くにあります。大阪市内からの道筋は詳しくないのですが、阪神高速で豊中まで行ってそこから名神に入るコースが思い浮かびます。

03 8/12 室堂到着

 釈名川に沿って走っていたバスは釈名の滝につく手前で分岐し、立山有料道路に入ります。分岐直後に料金ゲートがあります。道路はバスとトラック専用なので、この2種類の料金しか書かれていません。室堂までバス料金は5万円を超えています。これは片道なのでしょうか。バスには30人ほどしか乗っていませんから、一人あたり1700円ほどになります。高いのでしょうかそれとも安いのでしょうか。毎年の雪かきのことを考えれば妥当な値段かなという気もします。

04 8/12 立山雷鳥荘へ

 室堂のターミナルから雷鳥荘までは歩いて行きます。これが普通のツアーだったら玄関前にバスが横付けされているところです。遊歩道しかありませんからこれは無理です。30分ほど歩いて行くことになります。
 添乗員さんはさっさと歩いて行きます。周りの景色や草花などもゆっくり見ていきたものです。今目立っているのはチングルマの果実です。たくさん出ています。チングルマは花より、果実の方がよく見かけますし、わかりやすい特徴があります。

05 8/12 立山雷鳥荘

 リンドウ池を大きく迂回したところから、道は階段の下り坂になります。降りきって再び少し登った丘の上に雷鳥荘はあります。何とか無事(カメラは?)到着することができました。荷物を担いでここまでこれることはわかったのですが、帰るときは階段を上っていかないといけません。大丈夫なのか心配になります。
 雷鳥荘に到着して、添乗員さんが手続きに行きます。その間は、宿の前で待っているように指示が出ます。近くで景色を見ることにします。先にある野営場方向です。後方の山は山頂部だけ雲がかかっています。別山(左)と真砂岳があるようです。

06 8/12 雷鳥荘 星見

 夕方に見た限りでは厚い雲におおわれています。せっかく立山まで来たのに、星は見られないような感じです。明日の朝食弁当は、今晩のうちに取りにいくようにいわれています。もらいに行きます。おにぎりと簡単なおかずが入っていました。
 する事もないので、とりあえず風呂に入ることにします。温泉です。といっても横の地獄谷からの噴気が流れ込んで来ているのか温泉のにおいなのかよくわかりません。

07   流星撮影結果

 写した写真を調べてみると、流星の撮影に入ってから20枚目あたりからだんだん星の写りが悪くなっています。時間にすると10分くらいです。こんなに早くつき始めたというのは完全に想定外でした。。
 露がつき始めてしばらくしてからの写真です。全体的に星の写りが悪くなっています。一台目のカメラの写真です。暗い星がなくなったためにペガススの大四辺形がはっきりとわかります。下の方の星はまだたくさん写っています。この後時々雲が流れてきたようにも見えます。

08 8/13 朝の室堂平

 翌朝です。早い時間に御来光を見るといって出発したグループがありました。それから、一眠りして明るくなってきたときに起きました。睡眠時間は何とか足りたようです。何人かは目覚めて動き出しています。まずは、昨日片付けられなかった機材の収納です。山に担いでいく荷物は別にして、まとめます。寝ていた布団は、一応たたみ、起きている人の分をまとめて積み上げておきます。押し入れ前でまだ寝ている人がいます。中に入れることはできません。


09 8/13 一の越登山道

 室堂をすぎると、一般観光客通行禁止の看板があります。ここからは登山道になります。装備といえるほどではないのですが、一応それなりの物は持ってきています。届けも出していますから、入っていきます。
 道脇に雪渓が迫ってきます。それよりも、このあたりに転がっている石ころも気になります。氷河が流れてきたとすると、一緒に運んできた石が積み残されているはずです。モレーン(氷堆石)といいます。それなのでしょうか。単に崩落してきてできた物のようにも見えますが、それだとすると数が多すぎます。

10 8/13 雄山登山道

 階段を登り切ったところは広くなっています。右側に建物があり、一の越山荘と書かれています。一の越とよばれる場所に着いたようです。ここまでは、最後がちょっときつめでしたがそれほど歩きにくいという道ではありませんでした。
 ここで一休憩します。ついでに朝食を食べることにします。ちょっと雨が降りだしています。建物の中に入るほどの強さではありません。近くで食べるのに適当な場所を探します。向こう側にベンチがありますので、そこで食べることにしました。

11 8/13 雄山山頂

 登山を再開します。霧雨のような雨が左側から風に流されて、絶え間なく吹き付けてきます。めがねの左側のレンズは、拭き取ってもすぐに水滴で曇って見えなくなります。きりがないので拭き取るのはあきらめそのまま登っていきます。視界の左側は全く見えていません。
 濡れないように合羽の上着を着ることにします。リュックに入れた荷物も濡れないように背負った上から着ようとしたのですが、きちきちです。余裕を持って大きめの物にしておくべきでした。

12 8/13 雄山下拝

 雄山の一番高いところは、雄山神社の境内になっています。ここに入るには拝観料が必要です。せっかくですから、拝んでいくことにしました。
 境内に入るにはお祓いを受けてからになります。次のお祓いが始まるまで、しばらく時間があります。登るときに聞こえていた太鼓の音は、この1回前のお祓いの時のものだったようです。社務所前のベンチは人でいっぱいです。中の食堂のような所にあったいすを借りてしばらく休ませてもらいます。

13 8/13 室堂山へ

 はっきり言って室堂山の道をなめていました。地形図を見ると等高線の間隔が広いので勾配はそれほどきつくないだろうと思っていました。思ったよりも応えました。平均的な値でみると、一の越登山道よりも少しきついくらいでしょう。としてみると、どちらかというと、雄山まで往復して、しかも帰りはハイスピードだったことから、スタミナが切れていたようです。時間もあることですし、ゆっくりいくことにします。

14 8/13 室堂山

 少し登ったところに、浄土山への分岐がありました。浄土山を越えてそのまま進んで行くと、一の越に着きます。逆にたどれば、一の越から直接ここまでやってくることができたようです。でも、立山にいるときはわかっていませんでした。地図が濡れて、触っただけで破れてしまいそうでした。
 このあたりは少し平坦になっています。室堂山まで行くのをあきらめてここで休憩している人もいました。元気な連れが室堂山に行っていて、帰ってくるのを待っているそうです。

15 8/13 立山下山

 室堂山展望台からは何も見えないので、すぐに切り上げます。
 歩くのは速い方なので、ついハイペースになってしまいそうです。登ってきたときのことがありますから、無理をせずゆっくり降りることにします。まだまだ時間はあります。前を歩いているグループに追いつきそうになったら、間を開けて歩きます。

16   感想・余談など

 今回の旅行の一番の目的は、星を見ることでした。旅行前に台風が様子をうかがっていました。そのまま北西の方向に遠ざかっていったので影響はなかったようです。そのせいなのかどうかはわかりませんが、12日は天気が持ちこたえ、3時間ほど星を見ることができました。ほとんど満天の星空だったのはラッキーです。
 一晩晴れていてくれたらというような贅沢なことはいいません。翌日の登山のこともありますから、ちょうどよかったようです。それなりの、流星もみられたので満足です。大気夜光らしきものもありました。対日照は失念していました。1号機の流星撮影用の範囲がもう少し右上にずれていたら、その中に入っていたようです。いつもうまくいくとは限りません。

17     感想・余談など

 今回の旅行のまとめに取りかかるのが遅く、いつ何をしていたのかはっきりしないところもあります。たとえば雄山登山で、いつ合羽を着込んだのかということです。どうしたのか正確には思い出せません。
 雄山に合羽を着ずに登っていたら、めがね同様、ずぶ濡れになっています。どこかで着込んだと考えられます。実際に岩陰に入って着込んでいたような気がします。この間の間接的な記録は全く残っていません。



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