2018/09/02-05 トシドントンボロ
今までの旅行の行き先として。離島というものがたくさんあります。目的の一つとして星を見ることがありますから、その条件に合うところが選ばれることになります。そのためには、できるだけ街明かりから離れていることが大事です。その点、離島は大きな海で隔てられているということで、候補地として必要な条件の一つは満たされています。
できるだけいったことのない所に行くというのも別にあります。離島は、大きなものからだいたい行き尽くしてきました。有名なところの多くは行ってしまいました。
離島に行くときの難点は、アクセスがよくないことです。行くだけで、手間と費用がかさみます。パッケージツアーがあれば、飛びつきたくなります。ツアーが組まれるのは島にそれなりの観光地がある場所になります。
旅行会社のパンフレットをみていると「甑島(こしきしま)」というのがよくでています。鹿児島県の西方沖合にあります。優先順位の関係で今までは申し込めていませんでした。9月に行く旅行計画がうまく立てられず、甑島ツアーにのることにしました。
どの日に行くかを決めます。星を見る事を考えると、新月が10日ですから、3日から14日くらいの間となります。ここでもう一つネックがあります。医者が「8月は暑いね9月に入ってからにしよう」の一言で、9月5日に検診の予約が入ってしまいました。日程を見ると2日出発4日帰阪のものしかありません。ちょっと早いのですがこれに申し込むことにしました。何とか医者にも行くことができます。ツアーのタイトルは「東シナ海に浮かぶ秘島 甑島(こしきしま)列島3島めぐり3日間」です。
インターネットから申し込もうとすると、相部屋と一人部屋とがあります。一人部屋は割高になります。どちらにしようか悩みました。とりあえず人数入力のページに進んでみると、一人部屋は満室で相部屋しか申し込むことができません。悩むことはなかったようです。
星を見たいというのに条件が合うかも調べておきます。島内の宿泊施設は限られています。どこのツアーを利用するにしても、だいたい同じ宿になるでしょう。旅行会社による差はなさそうです。
1泊目は上甑島の甑島館です。フェリーの到着する里港にあります。どこのフェリー埠頭でも強力な照明がたくさんあります。条件としては最悪でしょう。どこか回避できそうな場所がないか航空写真を検索して探しました。周辺にはグランドとか広場があります。港の明かりの影響を受けそうです。ちょっと離れますが、小学校の近くに小高い丘があって、その上が広場になっているようです。周辺の明かりは木立がカットしてくれそうです。その分低い所が見えないでしょう。ここを観測場所の候補とします。
甑島館のウェブページを見ると、星空観察ができると書かれています。どこか、いい場所があるような印象を受けます。到着後宿で確認することにします。条件の良さそうな方に行くことにします。
2泊目は下甑島のこしきしま親和館です。長浜の町の港と反対側にあります。明かりは心配なさそうです。逆に開けたところがなさそうです。山の斜面に建っています。親和館の上に別の建物がありその前が少し開けていますが、建物と関連がありそうです。他には海岸まで下りていった先に空き地があります。ここくらいでしょう。
親和館のウェブページには、展望デッキを作ったと書いてありました。条件がよければここが使えそうです。
持ち物の事を考えます。いつも持っていくリュックサックは、行く前から満杯になっています。一回り大きなものを買い換えるかで悩んでいます。その大半は、星座撮影用の赤道儀とその付属品、三脚です。三脚はそのまま縦に入らないので、雲台を外して、リュックの中に斜めに入れています。それだけでも大きい上に、まっすぐ入らないため無駄なスペースができます。外に出せるだけでもだいぶ中身が減ります。
もう一つ登山用のリュックサックがあります。これで旅行に行くこともあります。ちょっとだけ容量が小さいようです。このリュックのサイドに傘やストックをさすための受け口が付いています。ここに三脚を差し込んで、上の方でバンドで止めれば取り付けることができます。この方法で山に登ったこともあります。このバンドはリュック全体を縛るようになっているので、中身を取り出すにはいったん三脚を外さないとできません。ちょっと不便です。
リュックの上部側面にひもを通す穴が開いています。ここにカチット式のバンドを通すと三脚を簡単に着脱できるようにして固定できます。100均ショップのもので試したこともありますが、幅が広くて入りませんでした。梅田に出たついでに、登山用品店で購入しました。さっそく試したところうまく三脚をサイドにうまく取り付けることができました。今回の旅行は、これで行くことにします。
着替えを入れようと、各地の旅館でもらったアメニティの入っていた袋を見ると数が足りません。いつもは1日分を小分けにして入れています。どこを探しても見つかりません。何とか工夫して入れることにします。
初日の昼食はついていません。昼食時間帯は電車の移動中になります。各自車内で食べてくださいとなるでしょう。集合場所の前にコンビニがあるのでそこで買うこともできます。たまに混んでいることがあるので、前日に近くの店でパンとジュースを買っておくことにします。
後はだいたいふだんと同じです。前に種子島に旅行したときに、冊子になった甑島のパンフレットを鹿児島中央駅で入手しています。これも持っていくことにします。カメラ関係の小物を入れるバッグはウエストバッグにしました。
旅行日が近づいてくると、大問題が発生しました。台風の接近です。旅行にかなり影響しそうです。とにかくことあるごとに、コースと速度をチェックします。
台風が発生してからしばらくの間は進路がどうなるかだけを心配していました。九州は何とか避けられそうな感じです。逆に大阪方面に進みそうです。接近が4日の15時前後になりそうです。大阪に帰るころには通過し終わっています。電車はほとんど止まることはありません。止まっても大阪に帰り着く頃には動き出しているでしょう。通過が遅くなれば影響を受けるかも知れません。
九州のようすも台風の進路の左側になるので、よほど進路が西側にそれない限りはたいした影響がなさそうです。九州に渡る船もフェリーなので欠航の可能性は低そうです。
初めのうちはこのように楽観的に見ていました。いろいろな報道を見ていると、台風は猛烈な勢力を保ったまま近畿地方に接近しそうなので警戒が必要だと警告していました。だんだん心配になってきます。初めのうちは、倒れそうな鉢だけ室内に取り込もうとしていました。結局は、全ての鉢を室内に入れました。近いうちに、家の外壁修理が入るので、鉢を全部取り込まないといけません。うまくしまい込めるかを確認する意味合いもあります。
旅行の前日に、添乗員さんからの電話がありました。出発日には普通に移動できる状態なので、ツアーは予定通り決行するとのことです。帰りがどうなるか予想がつかないので、予定通り帰れないこともありうるとのことです。その場合の追加の宿泊費は、参加者の負担になるそうです。
心配しないといけない種はあるのですが、出発時点(旅行中も)ではまだまだ気軽に考えていました。
甑島に行くというのに、どうやって行くのかを調べていませんでした。九州からアクセスは、薩摩川内港からの高速船と串木野港からのフェリーがあります。ツアーでは、高速船で甑島に渡って、フェリーで帰ってくるようになっています。実際にはそれほどしっかりと考えていませんでした。
まずは薩摩川内港に向かいます。薩摩川内までは新幹線で、そこから港まではタクシーでの移動になります。新幹線は新大阪9時17分のさくらです。ツアーの集合は新大阪で発車30分前の8時50分になります。30分もあれば着くのでかなり余裕で家をでることができます。
新大阪までは順調にいくと思っていました。最寄り駅に着いたときに、鼻血が出始めました。普通ならすぐに治まるのですが、なかなか止まりません。荷物を背負っているので血管が圧迫されているのもあるのでしょう。ティッシュで鼻を押さえますが、すぐに赤くなってきます。たまたま駅で配ってくれていたものもあったのでそれも使ってなんとかなりました。新大阪に着いたときは、完全とはいかないものの何とか気にせず動けるレベルには治っていました。
新大阪到着後はいつもの通りです。集合場所で点呼を受けた後、座席表をもらいます。今回は通路側の席になっています。全員の点呼の確認ができるまで、少しだけ自由時間があります。全員並んで改札を通ります。
いつもならホームまで引率されるのですが、今回はいったん解散になります。その間に構内の売店で小腹に入れるものを買っておきました。ホームに上がってからは端っこの方で列車を待つことにしました。急がなくても席は確保できています。ゆっくり乗っても同じです。邪魔にならないところにいたら添乗員さんが来て。列に並ぶように促されます。仕方なしに並ぶことにしました。
列車が入ってきて乗車になります。通路側の席に座っていたら、添乗員さんから席はそこかと聞かれました。座席票をみせたら窓側の席に座るように指示されます。隣の席は新神戸から乗ってきた人が何も言わずに座りました。神戸からの人の乗車前に席の指示を間違えてしていたのではと思われます。それとも、もらった座席票の間違い?
新幹線は予定通り発車して、順調に九州に向かいます。岡山に近づいてからは、7月豪雨の被害状況が気になります。特に、倉敷市真備町付近はどうなっているのでしょう。岡山を出て新倉敷を通過するまでの間に近くを通ります。残念ながら車窓は反対側です。高梁川は考えている間に通過してしまい見ることはできませんでした。これは次の谷のものです。柳井原貯水池があります。氾濫した真備川の水はここを通す予定だったそうです。
他の所も洪水の影響はわからないようです。気がつかないだけかも知れません。
列車は走り続けます。熊本付近まで来た時には阿蘇山が見えるか気になります。そのあたりと思われる方向には厚い雲がかかっています。
4時間かかって川内駅に到着しました。改札口をでてからタクシー手配の間、待機の指示があります。あまり遠くに行かないようにいわれています。
改札をでた正面からは新幹線の線路が見えます。
その横の観光案内ブースでパンフレットを探しましたがいいものはありませんでした。売店をぶらぶらっと眺めたりして時間をつぶします。
手配ができたようで、タクシーに乗り込みます。大型が2台と小型1台に分乗します。車はどんどんひと気のない方に走っていきます。どの方向に向かっているのかもわかりません。20分ほど走って、船着き場に到着したようです。高速船の待合所が見えます。
ここから見える建物は、隣のとれとれ市場だけです。魚を今買ってもどうしようもありません。ここでの買い物はパスです。
待合所前の庭のような所の真ん中に、アコウの木が植えられています。葉っぱがあまりありついていません。
実がついていました。幹から直接できるのが特徴です。イチジクを小さくしたような形をしています。
待合所に到着したものの、船がでるまでまだ1時間以上時間があります。乗船券がもらえるのもその20分前です。それまでの間、待合所内をぶらぶらしていたのですが、暇をもてあましています。
建物のまわりを歩いていると、近くに京泊天守台跡と書かれた案内標識が見えました。500mほど離れたところにあるようです。あまりキリスト教施設とかは興味がない上に跡地となると、行ってもそうなんだくらいで終わりそうです。でもとにかく暇です。時間つぶしに行くことにしました。15分くらいなら大丈夫です。ちょっと急ぎ足になります
海沿いの道を少し行くと、小さな集落に出ました。案内は、集落の中に入っていくように出ています。入っていきます。時間を気にしながら進んで行くと、やっと二つ目の案内を見つけました。ここから、さらに路地に入っていくようです。
路地脇のに並べられあった石です。普通は、塀があってその上に乗っています。単に塀が低かっただけなのでしょうか。
路地に入ってからも、山道のような所を進んで行きます。これであっているのかと思い始めた頃に天主堂跡に到着です。
ここはマニラからやってきた5人の宣教師が甑島で布教した後、薩摩藩の許可を得てここに天主堂を建てたものも、禁教令で3年ほどの内に解体されたそうです。
真ん中にあった大きな木に、大きな十字架が掛けられていました。
あまりゆっくり見ている時間はありません。ここに来るのにも結構時間がかかっています。すぐに待合所に戻らないといけません。
待合所には意外と早く戻ってきました。ついてからは、甑島のパンフレットがもらったり、ソフトクリームを食べたりして時間をつぶします。
壁に掛かっていた「川内あらし」の写真を見ていたら、観光ボランティアのような人が、説明をしてくれました。山間部にたまった霧が川内川に沿って流れ下ってくる現象です。愛媛県の「肱川あらし」が有名です。肱川は7月の豪雨で氾濫した川です。
あらしとは少し違いますが、大阪でも似たような現象があります。琵琶湖(近江盆地)から伊賀盆地にかけてたまった霧が木津川にそって流れてきて淀川沿いを覆い尽くすことがあります。あらしというほどの勢いはありません。この話は伝えておきました。
乗船時間になったので、船に乗ります。これから乗る高速船です。
乗船したら、席に荷物を置きます。当然デッキに上がっていきます。同じ考えの仲間が何人かいました。
デッキから北側です。火力発電所の煙突が見えています。
原子力発電所がどこにあるか気になります。地図からすると反対側の山陰のようです。出港すると、斜面の上に顔を出してきました。
船の左舷後方です。長い堤防があります。それに隔てられた向こう側は川内川です。この上を川内あらしが流れてくるようです。
堤防は延々と続いています。先端には港の入り口を示す灯台があります。よく見るとその近くに何人かの釣り人がいます。車はないようなので、この長い堤防上を釣り道具を担いでいったようです。釣り人の努力には感心します。
もうまもなく川内港をはなれます。
川内港を出てからは、後方にどのような山が見えるかが気になります。熊本からそんなに走っていないと思っていたので、相変わらず阿蘇山を探しています。ここからだと、霧島山とか桜島の方が近いようです。鹿児島中央は川内の次の駅です。駅の数から行っても圧倒的にこちらの方が近いといえます。この付近の地理が、全然頭の中に入っていませんね。
注意して見ていた方向です。阿蘇山の方角としてはだいたい合っていますが、距離は相当離れています。遠くの山並の右側半分雲の中に入っている山が、出水市南方の紫尾山(1067m)です。阿蘇山はこのさらに5倍向こうです。これでは見えていないのも当然です。
さらに港から離れてからのようすです。紫尾山より向こうは見えないようです。
高速船というのでどれくらいの速度が出ているのか調べてみました。GPSロガーには45km/h前後の値が表示されます。公称では20ノット台の後半ですからだいたい一致します。もっと速いのかと思っていました。でもこれ以上速くなるとデッキには出ていられません。
見えてきた甑島です。手前側に小さな島がたくさん並んでいます。
九州方面です。北側に見えている陸地の端っこ付近です。阿久根市近辺の山のようです。北側にあるやまがかすかに写っています。天気がよければ、この左側に、長島から天草下島が見えていたようです。
南側の端です。一番端はいちき串木野市の羽島埼です。高い山は弁財天山で、ふもとに発電用風車群が見えます。上には大きな入道雲がかかっています。
岬の先です。島が見えます。いちき串木野市沖の島のようです。
いろいろ見ている間に甑島が近づいてきました。北側に連なる小島の一つ一つがはっきりと見ます。
上甑島です。真ん中の高い山が遠見山です。左側の山との間に平地が続いているのが見えます。2つの陸地は、砂州でつながっています。
高速船に乗ったときに、途中で別の港に寄るからそこでは下りないようにといわれました。下りるのは2つ目の里港です。里港は見えている山の間の低地にあります。まっすぐ向かえば目的地ですが、船は違う方向を目指しています。着くまで気がつかなかったのですが、行き先は下甑島でした。
船は上甑島を横目に見ながら進んで行きます。当然今日の宿のある里港からは離れていっています。上甑島には細長い雲がかかっています。こちらに向かって伸びているのか、そのまままっすぐ上に伸びているのか見ただけでは判断できません。斜め上のような感じもします。
ついに上甑島から離れます。2つ目の島は中甑島です。間にかかるかのこ大橋が見えています。
中甑島の先には下甑島も見えています。右3分の1が上甑島、左4分1が下甑島、間が中甑島です。このあたりでも、まだだいぶ島から離れています。
中甑島と下甑島との間は、今、橋が作られているところです。藺牟田大橋です。ヤジロベエのようなものが見えています。
藺牟田大橋の先が下甑島になります。このあたりでも海岸は切り立った崖の多いところです。船はまだまだ先を目指しているようです。
下甑島の中心部には厚い雲がかかっています。
雲の影を落とす光線が筋のようになってみえます。空気にもだいぶもやがかかっているようです。
船はやっと島に近づいてきました。海岸の崖にできた地層がきれいに見えるようになってきました。
やっと、町らしいものが見えてきました。ここに港があるようです。川内港を出てから上甑島に近づくまでよりも、上甑島からの方が長かったような気がします。
着いたのは長浜港です。上甑島に長目の浜というところがあります。同じ文字を使っているので勘違いしていました。ここに近づいてから思いだしたことがあります。明日泊まる予定の宿は、フェリーの着く港の近くにあります。町に近づいた時には確かにその宿は見えていました。
明日の宿のあるところまで先回りしてきたことになります。よく考えれば当然で、船の入る港は限られています。どこかによっていくとなれば、こうなる可能性は非常に高くなります。
船は長浜港に着岸しました。デッキから見えたターミナルです。
荷物を船室に置いているので、いったん戻ります。操舵室の入り口の前を通った時に、ドアが開いていて中が見えました。モニタには甑島近辺の地図と現在地が表示されています。カーナビの船版といったもののようです。
乗客の入れ替えが終わると、船は長浜港を出港しました。再び海上から見る長浜の町です。右端斜面の中にある建物が明日泊まる予定の宿です。
来るときに比べて島に近いところを戻っていきます。海岸の崖の地層もはっきりと見えます。これからは岩場の観察が続くでしょう。
空にかかっていた雲から、太陽からの光芒がサーチライトのように照らしていました。
再び架橋中の藺牟田大橋です。かなり細部まで見えています。
甑大明神橋です。中甑島と上甑島との間にあります。といっても橋の右側は中島で、さらにかのこ大橋を渡った先が上甑島です。甑島の名前の由来になったものも写っていますが、そんなことはわかっていませんでした。
上甑島が近づいてきました。崖に見える地層です。下甑島とあまり変わりがないようです。
川内港を出たのが15時10分で下甑島長浜港についたのが16時20分です。5分停泊して上甑島里港到着予定時刻は17時5分です。かかる時間は全部で1時間55分です。その後は、5分停泊してから川内港に向かい18時ちょうどに到着します。まっすぐだと半分以下の50分で済んだようです。だいぶ遠回りをしたというのが実感です。
朝の9時過ぎに新大阪をでてから7時間が過ぎようとしています。今日一日移動にかかりっきりでした。もうまもなく里港に到着です。里港のある入り江が見えてきました。
手前左側に斜面に上に灯台が見えます。里埼灯台です。薄暗くなっているように写っていますが、まだ灯台に明かりが灯る暗さではありません。
この灯台をまわると、港のある低地が見えてきました。
里港の沖合に見える島の一つです。これは近島になります。地層の縞模様がきれいに見えます。
里港も見えてきました。その向こうに見える大きな建物が、泊まる予定の甑島館です。
港に到着し船から下りたら、そのまま歩いて宿まで向かいます。宿の説明を聞いて、部屋の鍵を受け取って、部屋に入ります。窓から外を見るとちょうど乗ってきた船が港を出て行くところでした。
夕食は6時からです。まだ少し時間があります。まわりを歩き回るほどでもなかったので、先に風呂に入っておくことにしました。
でてきてから、再び窓の外を見るとこんどはフェリーがやっていていました。
夕食は、外のレストランに食べに行きます。食事が終わりかけた頃、近くに住む、石垣島(宮古島だったかな?)の島唄の先生が来ました。三線を弾きながら島唄を何曲か披露してくれました。みんな聞き入っていました。先島の方の島唄は初めてです。
食事(三線)から戻ってきてからは星を見に行くことにしました。フロントで、星の見える場所を確認しました。歩いて行ける範囲内にはないとのことです。何とか教えてくれたのは、西浜です。かなりの距離があります。事前にチェックしていた、小学校の横はどうかと聞いたらそこも距離がかなりあるといわれました。西浜とあまり変わらないので、小学校の方に行くことにしました。
到着してわかったのは、開けているところがそれほど広くない上に周辺の樹木の背丈も高めです。低空の星座は見られないでしょう。場所によっては明かりの影響も受けそうです。
その中でもましなところに機材をセットします。ケーブルスイッチをカメラにつなごうとしたら、中に入っていません。似た形のケーブルが間違って入っていました。リモコンスイッチを使って撮影を開始します。撮影中は意外とたくさんの蚊がやってきます。最近このようなことがなかったので、虫除けスプレーや蚊取線香を入れてくるのを忘れていました。次回は怠りがないようにしましょう。
最初に写したのは土星近辺の星です。天の川の中にたくさんの星雲や星団が写っています。
カメラを上の方に向けてみました。はくちょうの胴体から首に掛けての部分が写っています。このあたりも赤く写る星雲がたくさんあります。
はくちょう座のデネブです。右側の赤いところがペリカン星雲、その下に北アメリカ星雲が写っています。反対側を縦に人工衛星が通りぬけています。暗くてこのサイズではわからないかも。
カシオペアからケフェウスにかけての天の川です。あまりはっきりと写っていません。
火星とその右側です。このあたりの星座はいて座になります。
火星とその左側です。星座がやぎ座です。薄雲が広がってきたようです。火星のまわりが薄明るく写っています。
みずがめ座の付近です。左側にうお座の一部が写っています。この方角は、明かりの影響をたくさんうけています。
再びデネブ近辺です。だいぶピントが甘くなってきています。デネブの左側に流星のようなものが写っています。
こぐま座です。木の上端に沿ってこぐまの腰から尾の部分があります。右端の木の枝先にあるのが北極星です。周囲はだいたいこの高さまで木があるので見えていません。
時々雲がやってくるようになったので今日はここまでにしました。
朝は、いつものように空がうっすらと明るくなってきた頃に目覚めました。起きて外のようすを確認します。台風接近のようすも気になります。東の空がだいぶ赤くなってきています。雲はほとんどみえせまん。九州方面の地平線近くに、少し高い雲が並んでいるだけです。これだと、太陽は山の上からではなく雲の間から上がってきそうです。風も穏やかなようです。
いつも通り朝ご飯前に散歩に出ることにします。着替えたり、準備をしたりとかいろいろしている間に、太陽はだいぶ高くなってきているようです。雲を通るぬける光の筋から見るともうまもなく顔を見せそうです。
太陽が見え始めた瞬間です。薄い雲の間を通りぬけているので、光は弱めです。切れ込んだようなすき間の所に太陽があります。
外に出て、公園の横を通りぬけます。彫刻に朝日が当たって、赤く染まっています。
大きな通りに出て、南に進んでいきます。鳥居が見えてきました。八幡神社です。
神社の拝殿です。拝所を覆う庇が大きく出ている以外は普通の家のような形をしています。内侍舞というのが奉納されると書かれています。それはこの中なのでしょうか。
神殿です。屋根に飾りがありません。取り払われたのでしょうか。
ここは、見学予定の武家屋敷の入口にあたっています。この後じっくり見られそうなので、ここまでにして次にいくことにします。鳥居から外に出たのですが、その横の石垣の上に塔のようなものがでていたのが気にありました。境内にあった説明にあった六地蔵塔のようですが、元からこのような位置にあったものなのでしょうか。
10 09/03 上甑島 亀城公園
昨晩、星を見た場所は八幡神社から少し戻った脇道を入っていった所にあります。一の段公園といいます。もともとはここに亀城がありました。一番高いところが一の段、少し低い所の平坦面が二の段です。お城でいえば本丸と二の丸のあたるもののようです。
城は鎌倉時代以前からあるようです。江戸時代は、薩摩藩が家来にこの地域を管轄させた制度(外城制度)の一環として使われたようです。八幡神社前の武家屋敷もこれと関連しているのでしょう。
その城跡が公園になっています。見にいくことにします。昨晩の忘れ物がないかも確認しておきます。写真は、八幡神社に向かう途中に見えた亀城跡です。
城跡に上がる道脇の電線にツバメがやってきています。こどもなのでしょう。だいぶ大きくなっています。
少し上がると町の様子がよく見えます。太陽はだいぶ高く上がっています。
一番高いところに上がった正面に見えるのが戦没者慰霊塔です。
木に絡まったつるに咲いていた花です。センニンソウです。
高台(一の段)の中心部になります。このあたりで星を見ていました。
一番奥にあるのが展望あずま屋です。
あずま屋の一階部分には釣り鐘が下げられています。昔時報の代わりに使われていたものです。
鐘の横から見た里の町です。展望台があったのにそこから見るのを忘れていました。
一の段公園の展望台の横に登ってきたところと反対側に下りる木の階段がついています。展望台から見る限りでは、亀城の山麓から里の町の方に向かう道が何本か見えていました。この階段を下りていって里の町に戻られそうです。下りていくことにします。町の中を通りぬけられるかどうかはわかりません。
城山を下りて町の近くまでやってきました。振り返って見た一の段公園(亀城跡)です。この近くに鶴城跡というのがあり、セットで亀鶴城と呼ばれているようです。方角と距離が示されていたのですが、肝心の方角がまだよくわかっていません。結局、鶴城跡はどれなのか最後までわかりませんでした。
里の町を通りぬけて西浜の方に向かうことにします。道はわかっていませんが、こちらだと思われる方向に歩いて行きます。町中のストアーの前で、古い郵便ポストのような物をみました。何となく形が記憶と違うような気がします。
適当に進んでいる内に、海岸に出ることができました。低い防波堤を越えた向こうが浜になっているようです。堤防の壁面に句碑の書かれた石板がつけられています。トンボロ芸術村コンテスト歌碑というそうです。
堤防の上から見た浜です。向こうの山のふもとまで浜が続いています。浸食が激しいのか、沖合に消波ブロックが岸と並行に積まれています。
浜に出てみました。上甑島側の山のふもとまで、砂浜が延々と続いています。
浜の高いところは、レキが積み重なっています。その境目の所では、レキから浸みだした水が、砂を削ってたくさんの溝を作っています。
このまま北西(島)側に歩いて行きます。すぐに砂浜はなくなり、握り拳の半分くらいの大きさのレキが浜を埋め尽くしています。砂浜の所よりは少し高くなっています。
レキ浜の一番高いところから沖合を見ました。消波ブロックの向こう側に、上甑島の北側の海岸が続いています。このあたりは長目の浜と呼ばれる砂州が続いています。
里の町のあるところは、元々は2つの島があって、その間を海流で運ばれてきた砂やレキがたまって陸続きなった場所です。このような場所を陸繋砂州とかトンボロといいます。沖合にある小さな島は陸繋島と呼ばれます。西浜はこのトンボロの西側の海岸線にできた浜になります。
西浜のレキの所を北に歩いていると、再びレキがなくなり砂浜となりました。一段低くなっています。というより、レキのある場所が、2mほど高くなっています。レキが台風の波で浜の真ん中付近に集められ、高く積み上げていったようです。
砂浜に下りてからみたレキ浜のようすです。レキ浜の波打ち際近くの表面の傾斜は、砂浜よりきつくなっています。レキは砂よりも波で動かされにくいためにこのようになります。
砂浜波打ち際近くの海底です。砂の表面に波紋ができています。浜とほとんど並行にできています。穏やかに波がいった来たりしているようです。ここが深い入り江ということもありますし、消波ブロックの影響もあるのでしょう。
砂浜の表面です。横に続く濃淡の模様は打ち寄せる波が届いた先端にできる模様です。波は横一線で打つつけているようです。縦にある細かい筋は、波が引いていくときに一緒に動かされた砂粒子が削って作った模様です。
所どころにカニの巣穴があります。出口の所から、いくつかの方向に行ったり来たりした跡がついています。
海岸の端まで来たので、浜から上がります。防波堤沿いの道路の向こうに民家が並んでいます。道路沿いは高く玉石が組まれた石垣になっています。背丈くらいの高さがあります。家屋は屋根の傾斜の緩い寄棟造り1階建ての建物がほとんどです。ここからだと石垣にかくれて屋根も見えていません。どちらも風対策のようです。冬の季節風はこちらの海側から吹きつけてきます。かなり強そうな感じがします。
トンボロを横断して反対側の浜に出てみました。こちら側は延々と港が続いています。山陰(トンボロ陰?)なので幾分か風が弱いのでしょう。向こう側の大きな建物は、泊まっている宿です。
海岸沿いの道を南西(宿の方角)に歩いて行きます。途中に小さな神社がありました。恵比寿神社です。境内といっても鳥居と神殿の間の狭いスペースに何人かの人が集まって談義をしていました。あいさつだけして通りぬけていきました。
そのまま進んで行くと、こんどは水門が見えてきます。中に川が流れているのでしたらトンボロとしては失格です。単なる水路なのでしょうか。
水路がどこから来ているのか気になります。荒切川というようです。これに沿って遡っていくことにしました。このガジュマルの木のあるところから道は水路から離れてしまいました。
その後は水路の続きを見つけることができませんでした。暗渠になったのでしょうか。東側の近くの通りを水路探しながら歩いて行きます。この付近の石垣は西浜近くに比べるとだいぶ低くなっています。1mくらいの高さです。
この後、小学校の前を通って宿に戻ることになりました。途中の道路ではたくさんの人が交通整理にでていました。おまわりさんもいます。ここでわかったのは、今日から小学校の2学期が始まることです。ちょうど小学生の登校が始まる時間です。先ほどの恵比寿神社の人達もこのために出てきていたようです。
宿に戻って、朝ご飯を食べて、荷物の整理をしてもまだまだ時間があります。今日の出発は10時とものすごくゆっくりしています。やることがないので、荷物を持ってロビーに降りていったら、もう何人かのツアー仲間が来ていました。みんな手持ちぶさたにしていました。
チェックアウトを先にすませておきます。今日の夕方、前の港から船に乗るので、大きな荷物はここに預けておくことになっています。実際には指示された場所に大きな荷物を置くだけです。置いた後は、それ以外のものを持って、港のまわりをぐるっと回ってみることにしました。
宿のすぐ前には、フェリーへの車での乗船ゲートがあります。その前の防波堤には、魚の絵が描かれています。近くの小学生が書いたものでしょうか。
沖合を見ると、フェリーが入ってくるのが見えました。
そのまま岸壁にそって南側に移動していきます。魚がいないかと探しながら行きます。客船乗り場の近くでは見かけなかったのですが、離れて行くに従ってだんだん増えてきました。最初に見たのは、白黒横縞模様の小魚です。シマダイです。イシダイの稚魚です。
ちょっと大きめの黒っぽい魚もいます。メジナです。グレともいいます。
小さなイカもいました。2匹ともロープにまとわりついています。
岸壁はなくなりこの先は、レキ浜が続きます。
岩壁から浜に下りるところにイタチがいました。こちらに気がついて、石組みのすき間に潜り込み目だけを出して様子をうかがっています。
出てこないかとしばらくの間ようすを見ていたのですが、なかなか出てきません。出てくるのは、小さなカニくらいのものです。
どうもこちらを警戒しているようです。浜を通り越して防波堤の上にあがってそこからようすを見ることにしました。ぐるっと回ってきたときには、予想通り岩の隙間から出てきていました。
岩の間を歩き回っていました。こちらには気がついていないようです。
しばらくして、岩の間に入りました。それ以後は出てきませんでした。ここをねぐらとしているようです。そろそろ宿に戻ることにします。
宿に戻ると、ほとんどの人がロビーに出てきていました。すぐにバスがきて乗車となります。今日の座席は、右側後方になります。全員そろったところで出発です。地元の観光案内者(ガイドさんと呼ぶことにします)が同乗します。最初の目的地は長目の浜です。眺めがよい所から長目とついたとか。
バスは西浜の南側から山の裾に沿って走ります。最初に見えてきたのが須口池です。何となく濁っているようにみえます。
須口池をぐるっと変わったところから、池と海が対比できるように見えます。水の色がだいぶ違っています。遠くに里のトンボロ、さらに向こうに九州の山なみが見えています。方角的には霧島山がある方向になります。
岬の様になっているところを過ぎてしばらく行くと長目の浜展望所があります。ここが最初の見学地となります。駐車場には先客がいました。中国からの団体のようです。研修に来ているそうです。人の多い中を観光したくないので、この後も一緒になるのは御免こうむりたいものです。
中国人観光客のいないところから見ていきます。駐車場脇にあったアコウの木です。ここに持ってきて植えたものだそうです。
長目の浜です。海岸に沿って砂州が伸びています。この頃には中国人観光客はバスに戻り始めています。
遠方側の拡大です。砂州に囲まれた内側が、海鼠池です。
手前側です。奥の深い池があります。鍬崎池といいます。ガイドさんはここで大ウナギを釣ったことがあるそうです。どうやって砂州を乗り越えたのかを問題にしていました。これくらいは越えられるでしょう。
鍬崎池の砂州には。池の水が外に流れだしてできたような切れ込みがあります。
展望所から沖合方向です。山影が見えます。方角が全くわかっていなかったのですが、長島から天草の方が見えているようです。
長目の浜展望所を出発する前に、バスの運転手さんとガイドさんが長目の浜のある場所を見て、「入った」かどうかを確認していました。中国人団体が、次に行く予定の場所の駐車場を見ていたようです。一緒にならないようにというより、途中の道路では行き違いができないために、それを避けるためのようにも見えました。
「入った」ために、田之尻展望所へ先に行くことになりました。山の斜面に沿って進んで行きます。最初に見えてきた池は鍬崎池です。
次に見えてきたのが貝池です。対岸の木のないところにバスが止まっているのが写っています。
貝池も奥が深くなっています。一番奥から見たところです。
次に見えてきたのが海鼠池です。海岸線に沿って細長い池です。奥に里のトンボロが見えています。後ろに体をひねって写したので、カメラが傾いています。
田之尻展望所に到着です。長目の浜を南西方向から見られる位置にあります。まずは、東屋風の屋根のある展望所に向かいます。
展望所から見た長目の浜です。陸側の池が海鼠池です。海峡のようになって見得るところが里トンボロです。
砂州の部分の拡大です。海鼠池の岸は藻がいっぱい生えています。富栄養化しているように見えます。
沖合です。長島天草方面になります。天気がよければ長島の花フェスタ(「火の山ぐるっと」に書かれています)の場所の風車も見えるそうです。
里トンボロの拡大です。その向こうは九州の日置あたりになります。
霧島方面です。高千穂峰が見えているようです。写真からはほとんどわかりませんね。
田之尻展望所では、長目の浜の成因についてガイドさんが自説を披露してくれました。海退期の地図とその後の海水準変動図が示されていました。これだけで説明が完璧とはいえないのですが、砂州を作った堆積物がどこから来たかの説明はできそうな感じがしました。縄文海進を強調していました。特にそれは関係なさそうだと思ったので指摘しようとしたらどういうわけか、縄文海進とは何かという話になってしまいました。どうもお騒がせしました。ヨッシンの自説については、本家の方で説明することにします。
田之尻展望所をでて、次は、貝池・海鼠池駐車場に向かいます。別の団体は、もうそこを出発した頃です。駐車場に着いたときには、バスは止まっていませんでした。ここは、貝池と海鼠池の間にある堤のような場所にあります。北東側が貝池、南西側が海鼠池になります。
貝池です。海水が入りこんでいます。底の方には原始的な微生物がいるそうです。海水のあるところに真水が流れ込むと、海水は淡水と混ざらずに淡水の下にたまります。こうなると空気が届かなくなります。酸素は娼婦漁れて酸欠状態になります。そうなると、嫌気的な微生物しか繁殖できなくなります。このような生物は基本的には原始的な微生物です。
貝池の岸近くです。藻のようなものがいっぱい生えています。アオミドロのように見えます。
藻の表面には赤紫色のぬるっとした感じのものがくっついています。何でしょうか。貝池の説明には、無酸素層の上面付近に赤紫色の光合成細菌(藍藻のことか?)が繁殖していると書かれています。それのようにも思えます。
海鼠池側です。貝池から水が流れ込んでいます。流れに沿って藻の多い場所少ない場所があります。
水底にいたカニです。海に普通にいるカニのように見えます。
堤の先は砂州の高まりになっています。その間から海側にぬける道があります。ここに生えているのは、トベラが多いようです。
かのこゆりもあるようです。実をつけていました。
砂州を越えてでた海岸です。レキ浜になっています。
北東側です。砂州は2m位の高まりになっています。この向こう側が貝池になります。ずっと先突き当たり付近が鍬崎池付近の砂州になります。
ここにビーチロックがあると文献に書かれていました。海岸の砂やレキが地下水などの作用でかためられたものです。どこにあるのか聞いたところすぐそこに見えているとのことです。50mほど向こうに確かにそれらしいものがあります。見に行いってよいとの許可が出たのですが、ツアー仲間はみんな引き上げてガイドさんと二人だけになっています。みんなを待たせるわけにもいかないので、ここは写真だけにしておきました。この日のその後の動きからすると、見に行く時間はじゅうぶんあったようです。
長目の浜からいったん里に戻ります。時間的には少し早いのですが、ここで昼食になります。西浜漁港近くの海鮮料理店に行きます。内容は海鮮丼です。タカエビとかキビナゴがこのあたりの名物になります。その他の魚と一緒にどんぶりに盛られています。どこででも出てくるマグロは載っていませんでした。昨晩にでた刺身も同じような魚種でした。
どんぶりは早く食べ終わってしまいます。その後、出発予定時間までだいぶあります。集合場所から見える漁港のあたりをぶらぶらすることにします。
西浜漁港です。天気もよく波が穏やかです。海上保安庁の図面によるとこの沖合まで里港になるようです。
あまり遠くへは行けないので、できる事といったら波止場の上からの魚探しくらいです。台船と岸壁との間に魚がいるのが見えました。グレです。朝見たものに比べて尾が白いようですが、光の当たり方によるものでしょう。
シマダイもたくさんいます。
ハコフグもいました。ゆっくりと泳いでいます。
波が穏やかなので、漁船が海に浮かんでいるようすをとろうとしました。そういう画像がはやっています。透明度が少ないために浮いていると感じにはなりませんでした。
ここで声がかかります。そろそろ出発のようです。添乗員さんから何かいたかと聞かれました。魚がいたと答えると、海の中をちょっと覗いて、「グレとシマダイ」とあっさりいわれてしまいました。調べる手間は省けたのですが、珍しくも何ともないみたいで拍子抜けです。
空をみると積雲の上にベールのようなものがついていました。雲が急激に成長しているのでしょう。
昼食後一番目の見学地は里の武家屋敷です。朝に来た八幡神社の前にバスは止まります。おりて境内に入ります。神社の説明があるかと期待したのですが、ありません。入ってすぐに横にある公園のベンチのある所に行きます。そこで簡単な説明をするとのことです。
全員がそろったところで、いろいろな資料が出てきます。甑島にやってきた武家の名前が延々と語られます。全然、頭の中には残っていません。ガイドさんは、そういう方面の専門家だったように見えます。話が半ばくらいで、添乗員さんから出発時間ですの声がかかりました。御武家さんの話は中断です。
出発といわれているので、急いで目につくものを手当たり次第に写しておきます。ベンチの前にあった石碑です。日笠山家屋敷跡公園と書かれています。ここも武家屋敷の一つだったようです。
表に出たところ所にある武家屋敷跡の案内標識です。この場所ではなく、ここにみえている通りの両脇に武家屋敷が並んでいたようです。
通りです。中町馬場といいます。屋敷は玉石垣で囲まれています。場所によって組み方が違います。作られた年代が違うのでしょう。
一番古そうにみえる石垣です。苔むしているからそう思ったのもあります。一番乱雑な組み方をしています。
反対側にあるのが津口番所跡です。ここで港に出入りする船を監視していたようです。下甑島にも同じ名前の場所があるようです。
バスが待っているので急いで戻ります。全員乗ったら次に向けて出発です。だんだん山の中へと入っていきます。途中で見上げたところに風力発電用風車がみえます。日本でいちばん古い現役風力発電風車だそうです。
今日の予定について悪い知らせがあります。本来なら、里の武家屋敷を散策した後は、中甑から観光船に乗って断崖クルーズの予定でした。この観光船が台風の影響で欠航となりました。ここまで海のようすを見た限りでは、欠航になるような要素は全くありませんでした。今日の午後の観光のメインがなくなってしまいました。どこか別の場所を観光する事で、空いた時間を埋めてくれるようです。まずは予定を変更してトンボロビュースポットに向かいます。
トンボロビュースポットは牟礼山北西斜面にあります。バスはしばらく北西斜面にある道路を走っていました。周囲の木々で景色は見えませんが、一画だけ里の町を見下ろせる場所がありました。それほど広くない場所ですが、ここが目的の場所です。
里のトンボロは、日本三大トンボロの一つと出発前に送られてきた案内に書かれていました。あまりはっきり書かれた文献は見かけません。有名なところで考えてみると、後の2つは函館と潮岬のように思えます。国土地理院は男鹿半島をトンボロとしています。はるかにこの方が大きいでしょう。出雲半島も見ようによったらトンボロにみえてきます。
ビュースポットからは里のトンボロと陸続きになった島(陸繋島)がみえています。
里の町です。トンボロの上にあります。右(南東)側は港が作られているので形がはっきりしません。
この右側(東側)にも集落が続いています。里の武家屋敷跡は画面左端の山陰にあります。
トンボロの向こう側の山です。遠見山の説明があったのでそれと思っていました。遠見山はこの左側の高い山でした。先島諸島にあった遠見番所と同じように海上交通の監視をしていたようです。ここでは遺跡のようなものは残っていないようです。
九州方面です。薩摩川内の原電と火力発電所がみえます。火力発電所の少し右側に、霧島山高千穂峰がかすかに写っていました。
その左側に韓国岳のような山も見えています。山頂に雲がかかっています。
上甑島を南下していきます。中甑に着く手前の脇道に入ったところで止まります。ツアーメンバーの中に四條畷の楠木正成の子孫という人が参加していて、楠木正行の墓を見たいといっています。希望により、よっていくことになっています。ガイドさんはここの墓守もしているそうです。実際に墓までいったのは数人でした。
楠木正行(くすのきまさつら)は、楠木正成の長男で、楠木正成同様南朝方についたものの四條畷の戦いで敗れ自害したとされています。一説では難を逃れることができて、一族とも甑島にやってきたとされています。その子孫といわれているのが和田家で、その墓がここにあります。
墓に刻まれている和田家の紋です。楠木正成とおなじ菊水の紋です。
楠木正行の墓です。拝んでいきます。
バスはここから南に向かい、軽く山越えをした先にある港に向かいます。江石漁港です。
この漁港の先端から海を眺めます。上甑島から下甑島にかけての海岸の断崖がよく見えます。海岸の波は船が欠航というほどには荒れていないようです。
遠く中甑島のよこに見える小島です。見るはずだったナポレオン岩に似ていますが、弁慶島です。
東にみえる上甑島です。茅牟田崎が見えています。
海岸に赤茶けた地層がみえます。このあたりは天草からの地層が続いています。天草で恐竜化石がでていますので、ここで見つかっても不思議ではありません。と思っていたら最近発見されたようです。場所は極秘になっていてガイドさんも知らないし誰も教えてくれないといいます。
ここでみえている地層は土壌が固結したもので、篠山の丹波竜発掘地近くにはたくさんあります。長期間陸地になってこの上を恐竜が歩き回っていた可能性はあります。この手の地層は、天草ではあまり見ていません。
江石漁港から楠木正行の墓のあった集落に戻ります。中甑といいます。ややこしいのですが、中甑島ではなく、まだ上甑島にいます。いったんここにある港に入ります。中甑港です。トイレ休憩も兼ねています。当初の予定では、ここから観光船に乗って、下甑島の断崖を見学することになっていました。
昔はここにも旅客船が入っていたのですが、廃止となりました。使われなくなった待合室を改造してコシキテラスとして使っています。観光拠点プラス地域住民交流場といった感じの場所です。
コシキテラス前から見る中甑湾です。波は非常に穏やかです。
中甑島に向けて出発します。海岸に沿って走った後、1つ目の橋を渡ります。甑大明神橋です。横に崖が続いているのが見えます。
本来なら、橋の長さは最短になるように、この崖の上に道を作ります。ここではそうしないで、わざわざその横の海中に橋を架けています。このようになっているのは、この崖の先端部に甑大明神があるからです。円柱形をした岩があり、これが御神体になっています。この岩の形が「甑」に似ていることから甑大明神といい、そこからこの付近にある島を甑島といわれる様になったと伝えられています。
崖は、席とは反対側にあります。甑岩は確認できませんでした。鳥居は何とか写真に納めることができました。帰りにもう一度ここを通ります。その時にじっくり見ることにします。
甑大明神橋を渡った先にあるのが中島です。中島の北岸です。ここも切り立った断崖がみえます。
すぐに2つ目の橋を渡ります。かのこ大橋です。振り返って見た中島です。きれいな地層がみえています。
かのこ大橋を渡りきったところでバスは止まり、そこからの見学になります。バスを降りたところから見た、かのこ大橋、中島から上甑島中甑湾です。
バスを降りたところから遊歩道が続いています。ここを登ると広場に着きます。この付近のかのこゆりについての説明がありました。
かのこゆりは甑島の名物となっています。島の至る所で見られますが、この背後にある山は特にたくさんあるということです。実際には木々や下草に覆われて咲いていても気づかないことが多いようです。たくさん見えるところは、定期的に下草の伐採がおこなわれているところだそうです。この山も手入れがされています。ここから見ただけでは、咲いているのがわかりません。
枯れた木が見られます。台風の塩害でダメージを受けたそうです。
ここからは海側の景色もよく見えます。かのこ大橋です。背後にみえる地層もきれいで、興味があります。ほとんど水平で、こちら側に向かってわずかに傾いています。
上甑島の南東海岸です。ここにも地層が見られます。左側に大きく傾いています。船からではそれほど傾いた地層は見られませんでした。見る向きが違っていたためです。
ここに来る遊歩道の脇にも崖があり地層がみえています。海岸に見られるものとは雰囲気が違っています。風化して黄色っぽくなり、軟らかくなっているだけで、全く同じものです。
真下を見下ろしてます。小さな浜がみえます。打ちつける波は、大きいというほどではありません。
横に丸い実をつけた木があります。イヌビワです。小さなイチジクのような実をつけます。
かのこ大橋からの道を進んでいくと、漁港にでます。平良漁港です。バスは集落と港の間の道を進み反対側の波止まで行きます。ここで何かを見学するのかなと思いきや、波止の中ほどの広くなった所で向きを変えそのまま戻っていきます。特段あてがあったようにもみえません。
今までは、窓の外は集落と山側の斜面ばかりで、港はみえませんでした。向きを変えたおかげで、港がみえるようになりました。船揚場がみえています。港の入口は画面真ん中あたりにあります。右側に続く岸壁は波止のものです。
港の真ん中に船が停泊しています。一番手前のものが、今日乗る予定だった観光船です。この港は、暴風時の船舶の避難港になっています。多くの船がやってくるので、いい場所の取り合いになるそうです。入れなくなる前に場所を確保したのかなということが考えられます。
漁港のようすです。周囲が完全に陸地に囲まれています。これなら、少々の高波も中には入ってこれそうもありません。
バスは、集落を過ぎた所から山の中に入っていきます。ここの分岐が急角度で曲がりきれないために集落に入ったのか、単に観光船のようすを見ただけなのか、そのあたりの理由ははっきりしません。
山道をぬけて島の反対側にある見晴らしのいいところに到着します。木の口展望所といいます。作っている途中の藺牟田大橋がみえることから、藺牟田大橋展望所とも呼ばれます。作っているところのようすを上から見たものです。
橋の向こう側は下甑島になります。中甑島に近いところは細長い半島状になって、曲がりくねりながら続いています。
ガイドさんから「藺牟田」の読み方について質問がありました。同じ薩摩川内市内に藺牟田池というのがあります。だいぶ前に行ったことがあります。火山湖のような形をしています。読み方は覚えていましたが、意味については忘れていました。「い草」の事だそうです。藺牟田池にも同じような説明が書かれていたような...。名前の元になっている藺牟田は橋の延長上にみえている集落です。
橋のつけ根の少し上には灯台と展望所が見えます。鳥ノ巣山灯台と鳥の巣山展望所です。明日行く予定になっています。
遠くに見える山です。甑島で一番高い尾岳(604m)です。向こう側に航空自衛隊の駐屯地があります。最新鋭のレーダー装置などが写っています。
藺牟田大橋の取り付け口です。トンネルをでるとすぐに橋の上を走ることになりそうです。
横に大きな双眼鏡があったので、そこを通してトンネル出口を写してみました。自衛隊のレーダー装置も写そうとしました。出発の合図がかかったので、これはあきらめます。
バスは、そのまままっすぐ進み、島の高所を一周するような感じで進んでいきます。ほぼ一周し終わったところで、無線局のような施設が見えてきました。バスは、ここで止まります。この施設は、かのこ大橋展望所から見上げた写真に写っています。そこから、山の斜面を登ってきた場所にいることになります。ここの地名がわかりませんので、浮墨山の東側山麓の展望所としておきます。
ここから、景色の見学になります。目印となる無線局です。
平良漁港がみえます。「冂」の字型の向こうにある港に観光船は避難しているのが写っています。外洋の波から厳重に隔離されているのがよくわかります。
ここから一番よく見えるのがかのこ大橋と中島です。橋のこちら側にある薄茶色の所がかのこ大橋展望所になります。橋の右手前にみえる尾根が黄緑色をしています。木々が刈り取られています。季節になるとこのあたりでかのこゆりが咲き乱れるのでしょう。
中島西側の断崖と、その向こうは上甑島の浦内湾より西側部分です。
中甑湾の方角です。一番奥が中甑港になります。雲が出始めているようですが、いい天気です。
甑大明神橋です。甑岩と鳥居も写っています。甑に似ているかどうかはもう少し拡大して見ないとよくわかりません。
展望所を下りると、かのこ大橋に戻ってきました。これで中甑島の観光は終わりです。橋を渡って上甑島に戻ります。甑大明神橋で、甑岩を見ようとがんばったのですが、バスは減速してくれなかったので、みえたのは一瞬でした。
よく考えてみると、甑そのものは見たことがありません。似ていたのかどうかは判断できません。
いったんコシキテラスによって、トイレ休憩する事になりました。その後は里港まで直行です。
里港に戻ってきたのは4時半です。これから下甑島に向かいますが、船の出航は6時10分です。2時間近くあります。再集合は1時間後です。これだけあれば見損ねた武家屋敷へもいけたようです。
みんなは宿のロビーで時間をつぶしています。温泉に入って良いということなので、何人かと一緒にいきましたが、それほど時間は使いません。
今のところ一番気になるのは台風情報です。調べた限りでは、旅行出発時と予報は変わっていないようです。少なくともこちらへの直撃は避けられそうです。
何とか時間になって、船に乗ります。よく考えてみると昨晩夕食前に見た船と同じ便です。出航してからの里港のようすです。だいぶ日が傾いてきています。
海岸に打ちつける波です。それほど高く上がっていません。まだ、台風の影響はないようです。
沖合遠くに島のようなものが見えます。薩摩半島最西端の野間岳(野間崎)です。昨日はみえていませんでした。
いちき串木野市弁財天山の発電用風車群もよく見えています。
天草方面上空に薄雲が広がってきています。入道雲から流れてきたものでしょう。左端に上甑島の一部が写っています。
下甑島が見える頃になると、太陽はかなり低いところまで沈んできていました。まもなく日没です。
見ている内に、山の端にかかってしまいました。これは日没ではありません。これから船の進行につれて山の鞍部から再び顔を出しそうです。
一瞬だけ顔を見せた今日最後の太陽です。
下甑島長浜港に着く頃には金星もみえるようになってきていました。
港から宿までは車が迎えに来てくれます。困ったことに、メンバーは乗車定員より1人たくさんいます。添乗員さんが歩いてくると主張しています。決められた車に乗ってしまったので、どうなったかは見ていません。宿に到着し、部屋に入って荷物を置いたら、すぐに食事という手順になっています。
食後は星を見に行くことにします。宿の人に聞いたら、道路の反対側にデッキがありそこでできるといいます。食堂の前が強力なライトで照らされているので、かなり影響を受けそうです。他の場所がないか探してみることにしました。
一段上の屋敷の横はいい感じだったのですが、使っていい場所かどうかは不明です。ここでしない方がいいでしょう。ここから山側の道は開けたところがありません。海側に下りた所では、いろいろなところから光をもらいます。結局、宿前のデッキでする事にしました。いったん部屋に戻り、機材を持って出かけます。
デッキは、宿からの明かりを受けています。そのわりには地面は薄暗く、どこに足が置けるのかもみえません。なんとか、光の影響のなさそうなところに機材をセットして撮影を開始します。
最初にねらったのは、さそり座です。山の稜線に横たわるようにみえます。天の川もきれいに写ります。
ちょっとだけ上です。いて座と火星が写っています。火星の横のもやっとしたものは雲です。
さらに上を向けると雲がかかってきました。わし座のアルタイルがにじんだように写っています。
雲のない一画にカメラを向けます。へびつかい座です。
雲が入らないように違う方向に向けたのですが、どうしても雲が追いかけてきます。真ん中付近はペガスス座、右下がみずがめ座です。
雲はだいぶ広がってきました。最後まで晴れ間の見えていた南東側にもかかってきました。沈むさそり座アンタレスです。
レンズを望遠にしても、雲のすき間をねらって写すことが難しくなってきました。中央右の明るい星は土星です。
ほとんど全天雲におおわれてきたので、観測は終了とします。機材を片付けて宿の方をみると明るかった照明がほとんど全部消えていました。
下甑島の朝は、いつもと同じで、空が明るくなった頃に目が覚めました。台風のようすは気になります。テレビからの情報ではたいしたことはわかりません。外のようすを見ることにします。今朝もよく晴れています。風もなく、波も穏やかです。ここにいる限りでは、台風が接近しているとは思えません。
窓から外を見たようすです。
外に出て、まわりを歩いてみることにします。昨晩星を見ていたテラスです。駐車場の向こう側に一段低く作られています。
テラスから見た長浜港です。
ここからでは、日の出のようすが見えそうにありません。山の方から回って町から見ることにします。町の真ん中あたりに来た時に、雲の上から太陽が顔を見せ始めました。
ここからだと、建物の間から見ることになります。そのまままっすぐ進んで、海岸の方にむっかってみることにしました。海岸に着いたときには、太陽はだいぶ高くまで上がっていました。
朝日の当たる海岸です。海岸に下りられる段が続いています。一部に打ち寄せられた岩や砂がたまっています。
海岸に打ち寄せられた漂着物です。枯れ木枯れ枝に混じって軽石もたくさん見られます。
長浜港はずれの砂浜まで来ました。アオサギが1羽来ていました。
海岸からは町の真ん中をみると、朱色の建物が目立ってよく見えます。お寺のようです。そちらに行ってみることにします。どの道を通ればいいのかわからないので、見当をつけて適当に進んで行きます。狭い路地が続きます。
路地を歩いていると、小さな自動車が止まっていました。小型の電気自動車でコムスと書かれていました。国内の何カ所かで試験的に導入されているみたいです。この島では観光用に貸し出しもあるようです。
お寺の場所へは、一度行き過ぎてしまい、遠くから確認し直してからたどり着くことができました。長光寺と書かれていました。立派なお寺さんです。
ここから川に沿って、海岸に戻っていきます。海岸の防波堤の向こうにこんもりとした木が見えます。アコウです。枝に直接実がたくさんついています。
長浜港に宣教師上陸地の碑があると書かれていたので探しました。参考にした地図とはだいぶ場所が違っていたので、周辺をだいぶ歩き回ることになりました。
ここに記されている宣教師たちは、その後川内港にあった京泊天主堂を作ることになります。
すぐ近くの長浜港ターミナルです。入口は開いて入ることはできました。朝早いためカウンターや売店のシャッターは閉まっていました。
港には、フェリーがとまっています。昨晩乗ってきた船です。一晩ここに係留されていたようです。
海岸に沿って、宿に戻ることにします。海岸の護岸に鳥がいました。イソシギのようです。
朝の散歩から戻ると朝食の時間です。すませて荷物をまとめたら、後はすることがありません。テレビの台風情報もじっくり見るというほどの内容ではありません。すくなくとも予想通り近畿に近づいているようです。ここからは台風は遠ざかっていく一方です。これ以上の影響はないでしょう。
荷物を持ってロビーに行きます。まわりをもう一度見直しておきます。玄関前にヤブツバキの盆栽が置かれています。太めのヤブツバキの枝が切り落とされ、幹の一部にペットボトルに挿した枝をくくりつけています。見栄えのいい場所に、枝をつけようとしているようです。
すぐにバスはやってきました。バスに乗り込みます。小さめのバスなので、トランクには荷物を入れられません。座席の横に置くつもりでいたら、確保している荷物置き場にほとんど荷物は置かれていません。ここに置かせてもらいました。
今日の座席は、左側前の方になります。全員がそろったら、出発になります。今日も、現地の案内人がつきます。昨日とは違う人です。ガイドさんとしておきます。
バスは最初に北側に向かって進みます。1つ山を越えたところで、馬の背のような両側の切り立った狭くて長い尾根にでます。ガイドさんは何か地名をいっていましたが、覚えていません。地理院地図には西側の海岸を鷹落浜と書かれています。ここはこの名前でいくことにします。
バスの窓から見えた、島北部です。細長い半島が曲がりくねりながら続いています。
軽く見ていくことになりました。ここには駐車場がありません。バスは道脇に止まった状態で見学します。
バスの進行方向に向かって左側後方の海岸です。切り立った断崖が続いています。地層の作る縞模様もきれいに見えています。
左側前方足元近くの海岸です。切り立った崖下に、いくつかの岩礁があります。鷹落浜はこの手前側になります。
右側前方の海岸です。手前側の浜が吹切浦になります。海岸近くに旧道がみえます。新しい道は、ここから同じ高さの所を通っています。
ここに来る途中で、甑島の漁の話になっていました。定置網が設置されているとのことでした。左後方の岬の沖合を見ると、網を吊すブイが並んでいるのがみえていました。この枠の中に魚が入ってきます。
軽く見た後、すぐにバスに戻り、次に向かいます。馬の背のような場所はしばらく続きます。両側の切り立った崖の下に海岸線が続いています。
バスは下甑島の北端に向かって走ります。藺牟田の町を過ぎたところで、東側に突き出している平瀬崎の方に向かいます。道はいったん広くなったところで行き止まりです。バスはそこに停まり、後は遊歩道に沿って歩いて行きます。
遊歩道の両側の樹木は刈り取られ、草地になっています。その中をよく見ると、果実をつけたユリがたくさんあります。かのこゆりです。ほとんどのものは葉っぱが枯れ落ちています。実はまだ青い色をしています。パンフレットにはこのあたりはニシノハマカンゾウが群生していると書かれています。これは、茎の先から大きく枝分かれした先に実がついているのでカンゾウの仲間ではいでしょう。
進んで行った先に灯台が見えてきました。鳥の巣山灯台です。
ここから平瀬崎の方にかけては草地になっています。所どころにかのこゆりの実が見えています。
平瀬崎の先端方向です。ここの地層は斜めになっています。それに合わせて、左側の斜面の傾斜が緩く、右側がきつくなっています。ケスタ地形といいます。
灯台の下からは、架橋中の橋が見えます。藺牟田大橋です。岩礁があって浅くなっているところにかけられているのがわかります。ヘタの瀬と向こう側は沖の瀬といいます。
橋の向こう側は中甑島です。その左側(西側)海岸線です。突き出した所は馬乗り崎、向こう側は黒瀬です。地層は向こう側に傾いています。平瀬崎の地層とほぼ同じです。黒瀬の向こうに見えているのは上甑島です。
バスの停まっているところに戻ります。駐車場に入る手前の道沿いで、この付近の鹿の子百合について2種類あるという説明がありました。里港のポスターに書かれていた外来種との雑種とも違うようです。どれも同じにみえます。
次は、下甑島の北端近くから北西に延びている岬の方に向かいます。ここにくるまでの間にみた鹿の子百合は、ほとんどかがれかかっていました。そうでないものも、花は終わって大きな実をつけています。ガイドさんの話によると、これから向かうところでは、数日前にはまだ咲いているものがあったようです。運がよければ見られるかも、ということでした。
バスが小さな峠を越えたところで、道脇に1つだけ咲いているのがありました。通り選るときに、バスの窓から写したものです。
道幅が狭いのですが、バスを止めて見ることになりました。近くから写した写真です。
バスに戻って、しばらく走ったところに駐車場がありました。ここにバスが入りとまります。丘の上まで歩いて行くようです。夜萩円山公園と書かれています。
それよりも道を下ったところにみえている大きな崖が気になります。中甑島で見たものと同じようです。なんとなく地層がずれているようにみえます。どうつながっていたのか考えてみたのですがよくわかりません。みんなは上がってしまいみえなくなっています。急がないと追いつきません。結論を出すのはあきらめます。
急いで丘の上にあがります。中腹で何かの説明を受けていたようで、何とか追いつくことができました。ここからは海岸に沿って切り立った断崖がみえます。鹿島断崖というようです。ここにも同じ地層がみえています。縞模様はこちらの方がはっきりとみえます。
右側の断崖です。傾斜が緩い分、草が生えていて地層ははっきりみえません。
登り切ったところに展望台があります。ここからは鹿島断崖にさえぎられてみえなかった岩礁や下甑島南部がみえます。遠方の一番高い山が下甑島最高峰の尾岳です。
尾根を隔てて反対側です。こちら側にも海がみえます。架橋中の藺牟田大橋がみえています。鳥の巣山展望所は岬の裏側になります。
丘の頂部を一周するように遊歩道が作られています。歩いて行くと、ここでも鹿の子百合が咲いているのがみえました。花はもうおしまいに近いようです。
きれいなのが咲いていると教えてもらった花です。かのこ模様がくっきりと見えています。
予定では夜萩円山公園の次は釣掛崎になっています。島の最南端にありますから、これから島を北の端から南の端まで縦断することになります。細長い島ですから縦断するのに1時間以上かかります。出発してからここに来るまでも1時間以上経過していますので、トイレ休憩が入ります。
よった場所は鹿島港旅客船ターミナルです。フェリーが立ち寄っています。ここにあったパンフレットを見ていると、この近くの支所で、6月に見つかった恐竜化石が一昨日まで展示されていたようです。
ターミナルの前から北側を見たところです。みえているトンネルをぬけた先は藺牟田大橋につながります。橋はまだ完成していませんから通ることはできません。資材運搬には使っているのでしょう。
その右側です。岩礁が並んでいます。平瀬崎になります。鳥の巣山展望所ではここを上から見下ろしています。背景は中甑島です。手前側から右側の海面は、海上保安庁の資料では鹿島漁港ではなく、藺牟田漁港となっています。鹿島は旅客船の発着が中心で、藺牟田の方は漁船が多いためでしょうか。
休憩も終わって、島の縦断に入ります。島が狭くなった吹切浦・鷹落浜の間を通ります。ここで写した、吹切浦北東の海岸の写真を見ていると海面が茶色く変色しているところがあります。流れ込む川がみえませんから、海岸の崖が大きく崩れたようです。向こう側にみえている崖が、その場所のようです。
鹿島から長浜にぬける間に、ガイドさんは「トシドン」の説明をしてくれていたようです。肝心の所を聞き逃していたのか、何を説明していたのか理解できませんでした。
長浜に近づいたところで漁港がみえてきました。芦浜漁港です。手前に見える集落から離れたところにあります。
長浜の町を過ぎ、小さな峠を越えると小さな集落に出ます。青瀬といます。海岸には比較的長い浜が続いています。
山が迫ってきて浜はいったん狭くなりますが、すぐに広くなってきます。その先には青瀬漁港がみえてきます。
青瀬から、長めの2つのトンネルをぬけると手打地区に出ます。平野が広がっています。下甑島では一番広いようです。向こう側に三角形の山が見えます。この山と下甑島もトンボロでつながっているようです。
道はいったん海岸に出ます。奥の深い湾で、海岸は砂浜になっています。
手打の町を通り過ぎて山の中に入っていきます。小さな峠を越えたところで、脇道の駐車場に入ります。そこから斜面を下った方に釣掛崎灯台が見えます。
灯台の横から見た海岸です。赤っぽい色をした岩があります。岩石の質が違うようです。ここからでは何なのか判別できません白っぽい筋のようなものも見えています。
沖合の、水平線です。天気がよければ宇治群島がみえるそうです。天草から甑島へ続く地層に沿って島が点々とあるようです。
あまり広くないので、みれるところは限られています。すぐに駐車場に引き返します。途中の斜面で見られた鹿の子百合の群落です。花は終わって実をつけています。
写真では入り交じってどのようになっているのかわかりにくくなっています。海を背景に、数本だけが入るように写してみました。
駐車場の縁にあった木です。イチジクのような形をした実がついています。イヌビワのようですが、実はかなり大きめです。
釣掛崎の灯台から手打の町に戻ります。予定ではここでおふくろさんの碑と武家屋敷を見た後。昼食をとることになっています。
ガイドさんの話では、手打の町は竜宮伝説にちなんだ町作りをしているそうです。伝説とどういう関係があるのかは聞き損ねました。海岸にある公園のトイレは亀の形をしています。奥にみえる東屋は竜宮城だそうです。
再び手打の浜がみえてきました。広々としていて海水浴で賑わいそうです。
町を通り越した反対側に「おふくろさんの碑」があります。森進一がここの出身ということで作られたようです。灯籠の向こう側にみえています。
碑のすぐ横に水準点があります。標高は8.2mです。
碑のある所から南東に延びる通りが武家屋敷です。玉石垣の上にイヌマキの生垣があるのが甑島での特徴です。
屋敷の入口です。まっすぐ進入できないよう石垣でブロックされています。門がないのは、破損したからでしょう。
ここから昼食会場に移動します。たいした距離ではないのですが、バスを利用します。待っている間に見た手打の町と海岸です。この後ろ側がトンボロと思われる地形になります。
昼食はちらし寿司です。ついていたキビナゴの燻製がおいしかったのでお土産に買って帰りました。
食事が終わって、バスの来るところまで移動します。道が狭いので到着まで待ちます。待っているところにあった民家の巨木です。よく見るとみかんの実がついています。普通はこれほど大きくしません。もう一つ不思議なのは、電柱が民家の敷地内にあることです。木を見ている間にバスは着いたようです。ミラーに写っています。
もうすでに島の最南端まで着いています。これからは長浜に向かって来た道を引き返していくことになります。トンネルをぬけた先、青瀬の集落の手前にある瀬尾の滝というのがあります。次はここに寄る予定です。近くにある祠には観音様が祀られています。3段に分かれて落ちていることから、瀬尾の観音三滝ともいいます。
道路から瀬尾川に沿って分かれ、少し入ったところにバスがとまります。このあたりはキャンプ場になっています。ここから滝までは200mほど歩いて行きます。
正面高いところに滝が見えます。一番上の「一の滝」です。
遊歩道を進んで行くと滝が見えてきます。幅広く流れ落ちています。これが「三の滝」になります。岩肌はつるっとした岩石です。何なのか調べるのを忘れていました。釣掛崎でみたものと同じもののようにみえます。
ここから「一の滝」「二の滝」を見るために、横についた山の斜面を登る道を上がっていきます。途中木々の間を通してみた「三の滝」です。
登り切ったところから、2段になった滝が見えます。上が「一の滝」下が「二の滝」です。
道は少し下りになって、その先で広くなっています。ここまで来るとまわりの木々でかえって滝が見えにくくなっています。木の間を通してみた「一の滝」です。
「二の滝」はみえづらいので、獣道のようなところを進んだ先からみました。もう前に少し進めるようですが、足元が滑りそうなのでこれ以上進むのはあきらめました。
この付近の藪の中に、月桃のような草が生えています。何なのかを聞いたところ「アオノクマタケラン」と教えてくれました。違いは今ひとつよくわかりません。赤い実がついています。
瀬尾の滝から長浜に向かって戻っていきます。長浜港に着く少し手前に、漁港があります。運がよければ海産物を水揚げしているかもということでした。のぞいて見るとちょうど水揚げ後の仕分けをしているところのようです。よっていくことになりました。
仕分けされていたのは、タカエビです。鹿児島近辺では薩摩甘エビと呼ばれます。ヒゲナガエビというのが正式名称のようです。今までの食事にもでていました。普通の甘エビと食感が違うというのですが、同じように感じます。というより、違いがわかりません。
山のように盛られたタカエビから頭や足。殻を取り除いているようです。
水洗いした後のタカエビです。まわりには取り除かれた頭やひげが散らばっています。試食として、何匹か分けてもらえました。甘みの強いエビです。
掃除の終わったタカエビです。箱にきれいに並べて詰めていっています。
いつの間にかみんなは港の方に行っています。何があるのかと見ると、クラゲが泳いでいるのがみえました。タコクラゲの一種のようです。
魚もいるようですがなかなか姿を見せません。エビを掃除したかけらを撒いてみると集まってくるのではと、添乗員さんがやってみました。大きな魚が一瞬姿をみせました。その後はいくら撒いても、姿を見せませんでした。底に沈んだエビのからを食べているようです。
漁港を後にして、旅客船ターミナルに行きます。ここで、バスとはお別れです。荷物を持っております。その後、チケットをもらって乗船できるのを待ちます。外を見ているとフェリーが到着しました。車の出入りをどこからするのか気になっていたのですが、先頭部の波よけ部分が持ち上がるようになっていました。開いたところから車が出入りします。こども向けアニメにある変身ロボのようです。
長浜港での待ち合わせ時間は1時間ほどありました。この時間を利用して何かお土産を買おうとしたのですが、めぼしいものはだいたい買い終わったあとのようです。買っていないのはお酒類です。ビンに入っているので、その分重たくなります。買うのがためらわれます。港への侵入道路入口脇に酒屋さんがあって、そこで紙パックのお酒があると聞きました。いって買いました。長島産ののものですが、別にかまわないでしょう。
台風情報も気になります。神戸市付近に上陸したようです。これで過ぎ去って雨風は治まっていくだけです。一安心します。ただ車が飛ばされまくっているという情報もあります。その辺りはすこし気になります。
出航時間になって、船は長浜港を出て行きます。甑島ともお別れです。近畿地方に台風がいるとは思えないくらいいい天気です。
船は串木野港に向かいます。来た時とは違って島からまっすぐ離れていくように進みます。すぐに上甑島などもみえてきます。
30分ほどたちました。甑島全体がみえます。この時点でも甑島全体はカメラに入り切りません。下甑島の南端から藺牟田港付近までしか写っていません。島はこちら側から見ると横に長く伸びています。
九州方面南側です。尖った山がある島のようなものがみえています。野間岳になります。薩摩半島南部から東に突き出した半島です。だいぶ近づいていることもあって今までよりはっきりとみえます。
九州方面北側です。川内原電、火力発電所がみえます。阿久根市付近の山までのようです。
時々トビウオが飛ぶのがみえます。今までよりも簡単に写ってくれません。どうしてなのでしょうか。
上甑島・中甑島が同時にカメラに納まるようになってきました。逆に離れてきたこともあってだんだんかすみ始めています。
この海域は鳥も多いようです。時々見かけます。おなか側が白い鳥はオオミズナギドリです。
帰りの電車についてよくない情報があります。新幹線が広島止まりになっているということです。一日このような状態だそうです。となると、今日中に大阪まで帰ることができません。このことがどの時点でわかったのかははっきり覚えていません。
添乗員さんが対策を考えてくれています。このまま広島まで帰ることもできるけれども、先に進めなくなった人が広島に集中しそうです。広島での宿は取りにくいでしょう。むしろ川内の方が宿の数は少ないけれども、帰れなくなる人も少ないので宿を取れる可能性は高そうです。といわれると今晩の宿泊は川内になりそうと思うくらいです。明日もゆっくりとといっている人もいるようです。余分な1泊分の宿泊費は別払いです。交通費についてはツアー代金内で収まりそうです。どうなるにしても、自分であれこれ考え、対策をとらなくてよい分、気は楽です。このあたりは添乗員さんに任せて。船のデッキで景色を眺め続けます。
甑島からだいぶ離れてきました。ほぼ全景が1枚に収まるようになってきました。写っている大半が下甑島です。
九州側の陸地もはっきりみえてきます。いちき串木野市薩摩川内市市境付近の発電用風車群もよく見えています。
串木野方面です。右側に山頂部がえぐられてなくなったような形をした山が見えます。左のピークが冠岳、右が火立が丘です。位置的には火立が丘の方がだいぶ手前にあります。そのため名前を確認するのにだいぶ苦労しました。
串木野港にだいぶ近づいているというのに、まだオオミズナギドリが飛んでいるのがみえます。どちらかというと、こちらの方が多いような気もします。
船は九州本土にだいぶ近づいています。いちき串木野市の羽島崎とその沖合にある沖の島の横を通過しています。弁財天山の風車群もはっきりと確認できます。
正面にはいちき串木野市の市街がはっきりと見えるようになってきました。
羽島崎と串木野市街の真ん中あたりに大きな崖がみえます。シラスの崖もこのように大きくなりますが、それとは少し違うようです。調べていると、このあたりに金山がたくさんあったようです。その名残なのでしょうか。
まもなく串木野港に到着します。そろそろ下りる準備にかからないといけません。このあたりに来てもまだ、トビウオがたくさん飛ぶのがみえます。なかなかうまく写らなかった理由がここに来てようやくわかりました。トビウオの飛距離が短いことです。5mほどしか飛んでいないようです。長くて10mといったところでしょうか。そのため、着水するまでの時間も短く、カメラを向けたときには着水態勢に入っています。トビウオも小さいようです。そのために飛距離が短いのでしょう。
串木野港の湾内に入ってきました。積み上げられた消波ブロックの横を通過します。
港内を通過していきます。岸壁に木材や砂が積み上がられているところがあります。ここから積み出しているのでしょうか。それともあつまってきているところ?。これは砂が積み上がっている場所です。
船室では下りるために並んでいます。もう少し見ておきたいのですが、一緒に並ぶことにしました。
串木野港を下りてからは、川内港までと同様タクシーでの移動になります。メンバー割りも1日目と同じです。どこを走っているかわからないまま川内駅に到着です。
川内駅では、添乗員さんがチケットの手配をしてくれています。今日の宿の手配もしてくれるようです。手続きかが終わるまでコンコースで待つことになります。
駅の案内は、台風の影響で広島止まりと書かれています。行き先表示も乗る予定の列車は広島行きとなっています。
手続きには結構時間がかかっています。添乗員さんは駅係員とか、ツアー会社本社とかいろいろなところと連絡を取って調整しているようです。なかなか大変そうです。その間に、乗る予定だった列車は出ていきました。その後につばめ号がやってきます。
待ち時間を利用して、明日の朝の観光場所を調べてみます。駅の観光案内所もまだ開いていたのできいてみました。どうも歩いて行ける範囲内にはこれといったものはないとのことでした。一応市内の案内図はもらっておきました。
コンコースの窓からは、近くのビジネスホテルが何軒かみえます。駅表の2軒は温泉つきです。駅裏の1軒は全国展開の有名ホテルです。種子島からの帰りに使ったのと同じ系列のホテルです。個人的にはホテルの部屋つきのバスは使い勝手がよくありません。できれば大浴場のある駅表のホテルが希望です。どこに決まるのでしょうか。
決まったのは6時をまわっていました。駅で1時間半ほど待っていたことになります。
まず宿です。駅表のホテル2軒に分かれて泊まることになります。大きな電光板表示が出ていた方に割り当てられました。駅裏のホテルにならなかった理由を聞いてみたところ駅裏のホテルは満室だったそうです。普通のビジネス客は割引とかの関係で使いやすいためだそうです。
つぎに明日の予定です。9時過ぎの列車(さくら)で帰ります。駅のコンコースに9時集合になりました。
決まったところでホテルまで案内してくれます。簡単な交渉をしてくれた後、手続きは各自となります。普通にチェックインして、支払いをキャッシュカードですませます。
部屋に荷物を置いた後、すぐに夕食に行きます。1階のレストランですませることにします。下りていったら、ツアー仲間がいました。誘い合っているとのことです。一緒に行くことにしました。もう一人がくるのを待ちます。別の棟にいるのでなかなか合流できません。なんとかそろってレストランに入ります。各自好みの定食を注文します。料理がくるまでの間にもう一人やってきました。4人での食事になります。
食事がおわって駅周辺を歩くことにしました。といっても行き先は、駅の売店です。土産物を物色します。付け揚げとかは部屋の冷蔵庫で保管できますが忘れそうです。明日の朝買うことににします。他のものも一緒にする事にします。だいたい買う物を決めて、外に出ました。閉店時間になっていたようです。
宿に戻って、洗濯しようと思い立ちました。着替えは日数分しか持っていません。コインランドリーがないかフロントで聞いてその場所に行ってみました。道脇に洗濯機が置かれているところはありました。何となく使う気がしないので洗濯はあきらめました。明日は電車での移動だけです。なんとかなるでしょう。
部屋に戻ってニュースを見ます。台風の被害状況とかが報道されていました。風で車が倒れて動き回っているとか、屋根がめくれて飛んで行っているとかの映像ばかりです。大阪はめちゃくちゃ壊れまくっているという印象を受けます。
5分もしたら同じ映像の繰り返しです。すぐに飽きてきたので電源を切りました。その後は、温泉に浸かってから寝ることにします。町中なので星を見るのは考えていませんでした。
薩摩川内の朝です。今日も天気がいいようです。近畿地方で台風が猛威を奮っていたとは思えません。早めに目覚めたので、周辺を歩いてみることにしました。国分寺跡とか一宮とかが見所のようです。ここからだと確かに遠いようです。北側を流れる川内川を渡るのに大きく迂回しないといけないのもたいへんです。時間的には川内川までが限界でしょう。この範囲内にある公園などを見て回ることにします。
ホテルの近くに鳥追いの杜と書かれている場所があります。何なのか興味があります。まずはそこに行ってみることにしました。もちろん何のことかわかっていません。
ここには石碑や人型のような物がいっぱい並んでいます。説明によると、この地で継母に虐待された姉弟が、最後は耐えかねて川に身を投げたとか。その時にさせられていたのが、船に乗って太鼓を叩き、水田にいる鳥を追い払うことだったようです。姉弟を弔うために村人が塚を作ったのがこの場所のようです。
この話を元に謡曲「鳥追」が作られています。もう一つの看板にはこの内容が書かれています。だいぶ美談風、はっぴエンドにアレンジされているようです。
鳥追いの杜の北側には、春田川公園があります。ここに向かいます。普通の公園のようですが、南側に大きなセンダンの木があります。巨木といっていいでしょう。
公園の北側に小さな川が流れています。春田川です。川内市街を曲がりながら流れているようです。
川縁に水神様が祀られていました。家事に関わる水を汲んだりしていた名残でしょうか。
川の中に、ボラのこどもの群れがいます。といっても、これがボラだと決める特徴はよくわかっていません。ボラだと海水が混じっているのかも。
春田川公園から西側に向田公園があります。こちらの方に行ってみました。普通の運動公園ですが、南側に彫像と記念碑があります。彫像は市民憲章を表しているようです。よくわかりません。記念碑は昭和44年の大水害で全国から支援を受けたことに対する感謝の意味で作られたようです。最高水位が背丈より高いところに示されていました。
横に鹿児島県環境放射線監視センターがあります。大気測定局があると書かれていました。その横に放射線量を示す表示が出ていました。44nGy/hはどこで測った値なのでしょうか。それより気になるのが、この表示にいたずらをする人がいるのでしょうか。
だいぶ歩いてきました。朝食時間までに宿に戻る事を考えないといけません。ここまでの所要時間を考えると、もう少しだけ先に行けるようです。立ち寄れそうな場所はあまりありません。北西側に向田神社があります。ここによってから、市街地南側にある川沿いにそって宿に戻ることにします。
向田神社です。境内敷地が広々としています。伝記が書かれていたので読もうとしたのですが、漢文なので全く理解できませんでした。
神社から川の方に行きます。土手の上は駐車場と公園になっています。川は隅の城川というようです。向田神社の伝記にも隅の城郷の地名が書かれています。
対岸の山の斜面に崖がみえます。ここのものもシラスではないようです。このあたりには姶良火山の火砕流は流れてきていないのでしょうか。
この後は宿に戻りました。朝食にちょうどいいじかんです。食後はテレビで台風の状況を見るのと、荷物の整理で時間がたちます。8時過ぎにチェックアウトします。
駅に行く前に気になっているものがあります。駅前道路の横に置かれている橋のような物です。見ていくことにします。
説明によると、川内駅の駅前を流れていた平佐川にかかっていた川内橋のようです。実際には、当時の物は親柱しか残っていないようです。橋の前後両脇にある円柱形の柱がそれです。
平佐川は川内町付近では蛇行しながら北上し、鳥追いの杜を通ってその先で、春田川に合流していたようです。戦災復興土地区画整理事業をしやすいように、町の中を通すのはやめにして、西に流れしてその先にある隅の城川に合流するようにつけ替えられたようです。この時に川内橋は、下を川が流れなくなったことから、お役御免となり撤去されたようです。
橋そのものは簡易的な物の感じがします。元々はもっと大きなめがね橋だったようです。今はカッパの像がいくつが置かれています。
川内駅前にはもう一つみておきたいところがあります。大伴家持の像です。薩摩の守として近く(といっても歩いて行けなかったが)の国分寺に赴任していたようです。
駅前で橋などをゆっくり見ていたのは、駅の土産物屋さんが開くのを待っていたこともあります。一緒に宿を出たツアー仲間は先に店の前で待っています。開店と同時に中に入り、昨晩見定めておいた物を買います。中でつけ揚げを作って販売されているのですが、こちらは9時半過ぎになるようです。パックの物を買いました。川内のつけ揚げは豆腐を使っているのが特徴です。甑島の物は、純粋に魚のすり身です。
買い物を済ませ、コンコースに上がるとちょうどいい時間になっていました。行き先表示板にも乗る予定の列車が大阪まで帰れるように示されています。
全員集まったところで、添乗員さんと一緒にホームに下ります。ホームから横に、在来線のホームがみえます。ここから左の鹿児島側はJR鹿児島本線です。熊本側は肥薩おれんじ鉄道になります。ホーム上に改札口があります。
入線してきた肥薩おれんじ鉄道の列車です。コンビニの絵柄の描かれたものとの2両編成です。
待っている間にみずほが通過するようです。通過のようすをとろうとしたのですが、カメラのピント合わせが列車の速度に全く追いつきません。シャッターが下りないかと思ったのですが、窓ガラスに映った駅ホームにピントを合わせたようです。これでも先頭の1両目の真ん中くらいのところから後が写っています。
「はやっ」といってしまい周囲から笑われてしまいました。来るときに調べたのでは一番速いところで260km/hでした。これでも山陽新幹線や東海道新幹線に比べたら遅いようです。
その後すぐに、さくらがやってきました。列車に乗り込みます。通路側の席だったのですが隣はいません。乗ってくるまで窓側の席に座ります。
左側の席だったので雲仙方面がよく見えます。高い壁が続きますので写真を写すチャンスが限られています。
列車の運行について情報が入ってきます。JR京都線神戸線は神戸市内の架線事故の影響で止まっているとのことです。新大阪から阪急で帰るしかないようです。だいぶ遠回りになります。
席は空いたままなので、窓側に座り続けます。高梁川の水害被災場所は、東行きだと場所の見当がつけられず行き過ぎてしまいました。
新大阪に近づいて町の様子を見たのですが、壊れた建物とか道を塞ぐ自動車とかそういったものは見当たりません。川は幾分か増水しているようです。テレビで報道されていたこと全く様子が違います。
新大阪で下りて後は流れ解散になります。崇禅寺駅から阪急に乗るつもりだったので、みんなと別行動になります。添乗員さんはこれから本社で事後対応にかり出されるようです。出社できる人が少ないようです。ご苦労様です。
在来線の改札前を通ると、改札口が開いていて中を人が歩いています。動いているのかを駅員さんに確認すると、もうすぐ電車が来るといわれました。急いで中に入ります。他のメンバーに連絡しようか考えましたが、電車がすぐに来たのでできませんでした。
最寄り駅に到着したときの行き先案内板です。遅れが120分以上になっています。朝の7時前後にここを出る予定だった電車がやってくることになります。横の時計と見比べると6時間近く遅れていることになります。
駅から自宅まで歩いて帰ります。途中台風で折れた木の枝が積み上げられてあったり、家の壁がはがされて飛ばされていたり、塀や標柱が倒れたりしているのはいくつかみかけました。
帰ってきた次の日は荷物や部屋を整理していました。なにげなく、メモの貼っているボードを見ると、医者の予約票が目に入ってきました。昨日に予約していたのを完全に忘れていました。連絡を入れようとしたのですが、その日は定休日です。翌日は、開いている時間帯にうまくあわず連絡できず、電話を入れられたのは翌々日、すっぽかした日の3日後になりました。
連絡をすると、先生から電話があるとのことなので待っていました。返事がなかなかかかってきません。再度電話すると、診察中の先生につながれてしまいました。受付レベルで話が済むと思っていたこともあり、謝るタイミングは逸してしまいました。そのこともあわさってなのか、ひどくしかられてしまいました。小言を言おうとしていたようにも思えたし、患者の目の前で怒っていることもあり、少し不快な気持ちになりました。
新大阪に着いた時点で診察時間は過ぎていました。覚えていたとしてもいくのも不可能でした。連絡手段も簡単には思いつかなったようです。台風の影響で予定通り帰れなくなったうえに、帰った日も電車が止まっているとかで完全にそこから意識が離れていました。どちらかというと、旅行の準備段階から意識がなかったのかも知れません。暑いから9月にするといっていた時に、8月末を主張していればこのようなことにはなかったでしょう。
今回の旅行記のタイトルはなかなか決まりませんでした。甑島を代表する物があればそれをヒントに考えようともしました。何も思い浮かばず行き詰まります。文章を書きながらタイトルを修正していったこともあります。そのうち何か思いつくだろうということで、とりあえず「甑島旅行記」で始めました。
書いている間に、国内各地に点在する来訪神の行事がユネスコ無形文化遺産に登録されたという報道がありました。甑島の「トシドン」がすでに登録されていましたが、それに追加する形で何カ所か登録されたものです。
「トシドン」については下甑島のバスの中で説明があったみたいですが、その時は理解できずにいました。来訪神とは、季節の変わり目に神が各家を訪問し、悪さをしているこどもをたしなめていくというものです。秋田の「なまはげ」が有名です。
音のひびきがいいので、何かとあわせてタイトルにできないかと考えました。初めは頭の中で「トシドンどんどん」という音節が巡っていました。そのうち、後にもう一つの名物であるトンボロをつないだ音節も、勢いよく入ってふわーとぬけている語感が気にいっています。他になにも思い当たりそうもないので今回のタイトルは「トシドントンボロ」に決めました。
タイトルを決めるために、甑島について調べている内に、椋鳩十の書いた「孤島の野犬」という物語に行き当たりました。上甑島には甑犬という種類の犬がいたそうです。西郷隆盛の連れている犬もこの系列といわれています。戦時中は軍用犬として使われていたこともありました。敗戦機運が高くなってくると放置され、一時は野犬として出没していたものの、その後姿を見せなくなりました。そのあたりのいきさつが物語にされているようです。
物語を読んだことはありませんし、読んでいたとしても国語の成績はいつも及第点でしたので、書評を書くことは控えさせていただきます。作者のいいたかったことは何なのかという意見を見ていると、命の大切さを訴えているという評価が多い中、身近過ぎて何とも思わないものの中にも大切にしないといけないものがあるというものを見ました(別のものだったかな?)。
当時甑犬は野犬として跋扈していました。邪魔な存在だったのでしょう。そのために薬殺されいなくなってしまいました。その地域独特の犬がいるということは、その犬が文化や風習などを継承していることを意味しています。評価はこのあたりの事も加味してだされたものなのでしょう。
作者の飼っていた犬が、戦時中の大変な時期に飼うなどというのは非常識ということで、作者の留守中に村人に処分されたといういきさつもあります。心に余裕がなくなったときには、大事なものを見損ねてしまうことがあるようです。
地方はじり貧だといわれます。都会の便利さに比べるとどうしようもありません。でもそれなりの価値はあると思います。要はそれに気づいているかどうかということです。うまくいっているところは、それを世間にアピールできたところのようです。
甑島についてはどうでしょうか。海産物については良いものがたくさんあります。気にいっているのがタカエビです。甘エビと同じといっていいでしょう。プロにわかるわずかな違いがあるようです。出され方によっては逆転することもあるでしょう。というより一般人には違いはわかりません。こちらの方が身が大きい分食べ応えがあります。
キビナゴも燻製が気に入りました。宿毛など他の地域でも名物としているところがあります。他との違いをどう出すかが課題です。他の魚なども、新鮮なものが多くおいしいようです。このあたりは覚え切れていません。
問題なのは、産地として甑島を出せないことです。海産物の産地は、それを水揚げした港のある場所になります。甑島で採れても川内港や串木野港でおろせば、川内産とか串木野産になります。甑島で水揚げして全国に配送するシステムを考えないといけないでしょう。もう一つ、いかにアピールするかという課題もあります。
観光地としてよかった場所は、何といっても長目の浜でしょう。これだけの沿岸砂州が続いているところは他にありません。全景が確認できるのも利点です。どこともそうなのですが、トンボロについては市街地化しており、海岸も護岸で覆われるなど元の状態がわかりにくくなっているのは難点です。
甑岩とその周辺の地層は独特のものです。それによって周辺の地形も他に見られないものになっています。これも見応えがありました。遠くからでしかみえなかったというのは残念でした。正確な場所は公表されていませんが、この付近の地層から恐竜化石が発見されたようです。観光客を呼び込む目玉にはなるでしょう。来てもらった人の対応はどうなるのでしょうか。篠山方式(採集禁止)にするのか天草(御所の浦)方式(採集可ただし重要物は持出し禁止)にするのかは考えどころです。
鹿島断崖も立派でした。地層の縞模様の入り方など独特なものがあります。このあたりのことも知ってもらえるようにしたらとは思います。陸地側からなので、全景が眺められないのは残念でした。船からも見られるようになってはいますが、あの程度の天候で欠航するようではどうかなと思います。
下甑島北部の地峡の場所も見事です。記事には馬の背と書いています。馬の背と呼ばれるはたくさんありますが、両側に海になっていて、しかも長く続いているのはここだけのようです。
中甑島と下甑島との間に橋が架けられています。どちら側からも、その橋をみるのを観光コースにしているようです。甑島の人から見ると橋は珍しいものなのかも知れません。でも、見た感じではどこにでもある橋といっしょです。人を呼び込むにはどうかなとも思います。橋の上から海をみるとか、魚釣りができるとか、何かプラスアルファになるものが必要でしょう。
橋ができた後、甑島はどうなるのでしょう。今は上甑島と下甑島とで別々にまわっています。それぞれに拠点が必要でした。島がつながってしまえば、同時にまわることができます。拠点はどちらか一方で足りるでしょう。集約されていく可能性があります。
<ツアーの行程>
今回のツアーについて振り返って見ます。
1日目は、朝ゆっくり目の出発でした。到着したのが夕方の5時過ぎで、移動にまるまる1日かかったことになります。どうしてこんなにかかったのか不思議です。時間的にそんなに変わらないと思われる種子島でも、少しだけ観光している余裕がありました。
無駄な待ち時間が長かったのと、高速船がいったん長浜に行ったことによるでしょう。長浜里間の往復は、海岸観光とみることもできますが、ちょっと岸から離れすぎていました。中途半端な感じです。
夕食時に出かけるときに入ってきたフェリーに乗ってきても、時間的にはそれほど変わらなかったようです。これで来たとしても、途中での時間をどう使うのかは課題になるでしょう。2時間やそこらのためにバスを借りてとかいうことは普通はしないでしょう(タクシー移動の代わりというのはあるかな?)。となると出発が遅くなるだけでしょう。
2日目です。この日は断崖クルーズが欠航でなくなってしまいました。その分、余分に観光地をまわるということでした。というわりには、まわった場所は少なかったようです。あまり見てまわれる場所がなかったということでしょうか。結果的には、里に戻るのが早くなってしまい、船が出るまでの間長時間にわたって何もすることがなかったのは残念です。武家屋敷で、途中で切り上げた分をやり直すとか何か考えられなかったのでしょうか。個人的にはビーチロックをゆっくり見ておきたかったというのはあります。
3日目です。この日も、見学が終わりターミナルに戻ってからの待ち時間はけっこうありました。船の待ち合わせとしては、普通かちょっと長いといったくらいでしょうか。普通のターミナルだと、土産物をみたりとかで時間をつぶす事ができます。ここではそれほど持たなかったようです。
普通なら、ツアーには土産物屋によるという時間が組み込まれていることもあります。甑島では立ち寄る土産物屋、というより土産物自体が少ないようです。といっても、どこにでもあるようなクッキーや饅頭ではこまります。
<甑島移動手段>
今回の旅行は、全てツアー任せだったので、何も考える必要がありませんでした。ツアーに任せたのも、島内での移動手段をどうするのかという問題があったからです。主要な道路はそれなりに道幅がありましたが、脇道になると狭くなります。交通量が少ないので何とかなるものの、ちょっと心配です。自転車だと坂が多くまわるのは無理でしょう(電動だとどうかな?)。
島では、一人乗りの電動自動車が借りられるようです。島の道幅からすると、大きさ的には良さそうです。一人旅だとこれでじゅうぶんでしょう。多人数だとやっぱり普通のレンタカーになりそうです。調べてみても台数が少なそうで、借りられるかどうか不安になります。
<アメニティ袋>
出発準備で、着替えとかを用意して、いざリュックに詰めようとすると、いつも使っている袋が見当たりません。旅行に行ったときに宿でもらえるアメニティの入ったビニールの巾着袋を利用しています。これに入れておくと、空港の手荷物検査でカバンを開けてといわれても気にすることはありません。
だいぶたまってきたので、色別に用途を分けて使っていました。着替用のものと着替済のもので色を変えておくと着替えをすぐ出す事ができます。着替済みのものを入れる袋を別に持っていく必要があります。たいしてかさが増えるわけではないし、何かの時、空いた袋を利用することもできます。
見当たらなくなったのは、前々回の旅行(徳之島・沖永良部島)で着替用衣類を入れていた袋です。その回の分がまるまる見当たらなくなっています。帰ってきてから、整理したときにどこか違ったところにしまったのか、宿で荷物を詰め込んだときに入れ忘れたのかははっきりしません。
今回は2泊だったので、何とか工面できました。もう少し長ければどうなっていたのでしょう。
最近では、宿に泊まってもこの袋はもらえなくなってきました。またそろうのでしょうか。昔は、浴衣に着替えて袋を持って浴場に行けばちょうどよかったのですが、最近はバスタオルを使う人が増えてきたのか、用をなさなくなってきたようです。いつもは、浴場で着替えるので、一式が入るように大きな手提げ袋を用意しています。持ち歩きの篭を置いている宿もあります。「タオルをお持ち帰りください」という宿も少なくなってきています。
<三脚と星>
今回は三脚がリュックからむき出しになっていました。おかげで、写真のことでだいぶ声をかけられました。そのわりには、昼間は三脚を出していなかったので、不思議に思われたようです。聞かれたら星の写真を撮るためのものと答えました。
これで星つながりでも、話題ができたようです。星がきれいだったところはどこかとも聞かれました。印象に残っているのは、何といっても立山室堂です。他にも、南大東島や小笠原などがあげられます。
よく考えてみると、ほとんどの場所では、天気がもう一つで星が見られなかったという結果に終わっています。これらの場所でも、星がきれいだったところはたくさんあったでしょう。先に挙げた場所は運がよかっただけかも知れません。
もう一つあるのは、宿泊場所から移動できる範囲内で、星を見るのに適した場所があったかどうかです。駐車場が広くていいのですが、どことも明かりがつけられています。離れればこんどは空が見えないということはよくあります。
南大東島では、周囲に全く明かりのないところに案内してもらいました。ここでは星はきれいでした。その後宿の近くで見たときは、街灯の明かりから避けることはできませんでした。ここは大丈夫だろうと行った場所も返って明るく、写真もすぐに光をかぶってしまうという状態でした。
最悪なのはスポーツ施設の照明のあるところです。薩摩半島では弓道場の照明が避けられなかったこともあります。基本的には不可といっていいでしょう。えびの高原のように車で影響のないところまで移動したということもありました。
公平を期すために星がきれいなところという基準があった方がいいでしょう。すごいと思ったのは、天の川がどこまで見られるかということです。いて座からはくちょう座にかけてはみられるのが最低条件です。そこからカシオペア座にかけて見えればまあ暗い方といえるでしょう。ペルセウス座ぎょしゃ座あたりからふたご座の足元いっかくじゅう座あたりまで見えると完璧というのが今のところに基準です。
ネットで星のきれいなところをいう場所を見ていると、甑島もその一つに挙げられているようです。甑島館のサイトには星を見るということが書かれていたのですが、近くではなかったというのは残念です。親和館のデッキはよかったのですが、本館や浴場の照明が明るすぎるのは困りました。
甑島で星を写した感じでは、かなり暗いものまで写っていたようです。じゅうぶんに暗いといっていいでしょう。場所を探さないといけないというのは、ハードルが高くなります。星を観光の目玉にと、取り入れているところが増えてきました。星がきれいといわれているので、目玉にしたいのならそれなりの環境を整備する必要があるでしょう。
<台風>
今回の旅行は、台風で帰れなくなってしまいました。鹿児島県の離島の旅行では、これで3回(種子島・沖永良部島・甑島)連続して帰りの行程を変更したことになります。といっても、最初の3回(屋久島・トカラ列島諏訪之瀬島・与論島)では予定通り帰ってきています。トカラ列島は旅行前の計画通り、途中の奄美大島でツアーを離団(とういうらしい)して島を周遊して帰りました。これは予定を変更していないかどうかは微妙なところです。
運が悪いというよりも、最近は悪天候にあうことが多いような気がします。特に台風が近くにやってきてということがよくあります。最近だけのことかというとそうではありません。過去には台風通過で予定変更して、影響の少なそうな所に一時避難したこともあります。この時は予定コースを直撃でした。最近の旅行は、台風の進路は行程を微妙に避けている分、ましなのかも知れません。
今回の旅行でいえば、自宅付近を猛烈な台風が襲っている間、避難していたと見ることもできます。自宅にいたら強烈な雨風の音で、落ち着いていることはできなかったでしょう。帰れなくなったのも自宅近辺の状況がよくならなかったため、というように考えると、どちらかというとラッキーというような気もします。ものは考えようです。
向こうで、大阪近辺のようすを聞く限りでは、風で車が動き回ったり、建物が壊れまくったりとかで大変なことになっている印象を受けました。家の状態がどうなっているのか心配になりました。実際にはそれほどひどくはなかったようです。報道はちょっとオーバーだったような気がします。これくらいでないと避難しないといけない人達が動き出さないかも知れないので、よかったのかもという気もします。どう報道するかはかなりの難問のようです。
一つ気になったのは、東京でも風でものが倒れたりしているという報道があったことです。何回も繰り返されました。東京に住む人に注意を促すためのようですが、全国放送でそこまでする必要があるのか疑問です。関東一円でそのような事が起こっていたのでしょう。ここの場所ではなく、全体を代表させるような場所を選んで報道するというようなことはできなかったのでしょうか。
<経費その他>
今回の旅行にかかった経費は総額で約12万円です。ツアー代金が11万円と大半を占めています。残りの大半が追加の宿泊費になります。
種子島への旅行経費に比べると、ツアーにした割りには高めかなという気がします。徳之島・沖永良部島の経費は、飛行機を使った分、高めなので簡単に比較できません。飛行機のかわりに船でいったとして計算し直すと、今回の旅行と同じくらいか少し安いくらいの額になりそうです。ガイドをつけたりとかの経費がついているということにしておきましょう。
前回から測定している歩数です。1日目から順番に、11千歩、19千歩、18千歩、11千歩で、合計6万歩近く歩いたことになります。バス移動の割りにたくさん歩いています。