2019/03/30-31 春の妖精を探して
冬の間は寒くて外に出ようという元気がありませんでした。それなりにみるものがあれば、思い切っていくところです。雪道の運転は遠慮したいので、いくとなればツアーでしょう。みてみたいものはありますが、ツアー内容はもう一つパッとしませんでした。来年以後ということになるでしょう。
春が近づいてくると、どこかに行きたくなってきました。行き先を組もうと考え始めたのですが、うまくまとまりません。平行してパッケージツアーも探してみます。観光地もいいけれども、花も良いものです。春の花を見に行くというものも何度か参加しています。
パンフレットを見ていると、雪割草という言葉が目に入ってきました。一度は見たかった花の1つです。雪割草の咲いているところを何カ所かまわるようです。ガイドもついているようなので何か話を聞けるかも知れません。検討してみることにします。
花以外に何が見られるかというと、何もありません。雪割草の咲いているところを3ヵ所まわって帰ってくるだけです。同じ花ばかりで見飽きるかも知れません。逆に、花が少ないとか、時期がずれているといった場合は、1ヵ所ではだめとしても、どこかで咲いているものがみられるかも知れません。みられないリスク軽減のためにはこれがいいのでしょう。他の場所によらないのは気になりますが、1泊ではこれが限界とも思えます。
いつものように星が見られるかどうかです。宿は、長岡IC近くの商業施設の密集した場所にあるビジネスホテルです。近辺は広告などの照明や駐車場の明かりなどで相当明るいことが予想されます。ここから少し離れると、田んぼが広がっています。そこまで行けば星を見るのは可能でしょう。その中に災害ヘリポートというのもあります。場所の候補はいくつか出てきました。星見は何とかなりそうです。
ビジネスホテルのバス(部屋付の風呂)は使いづらいので困ります。ここの系列のビジネスホテルはどことも大浴場がついています。この点も問題ないでしょう。宿に着いてもOKとしておきます。
日程です。3月の末に設定されています。下弦が28日なのでそれ以後となると30日があります。この日にする事にます。2月末頃に申し込もうとすると、催行決定となっています。これでいけるのが確定しました。申し込みます。ツアーのタイトルは<ハイク入門>『春の訪れを告げる雪割草を求めて 地元ガイド同行!越後雪割草街道 2日間』です。ハイク入門というのには気がついていませんでした。
一応ネットで、どのような場所なのかを確認しておきます。まわる場所は、大崎雪割草の里、国営越後丘陵公園、雪国植物園です。この3ヵ所を結んで越後雪割草街道と称しているようです。それぞれに、10から50万株の雪割草があり、3月から4月にかけては、開花にあわせていろいろなイベントが催されているようです。雪国植物園のサイトには今見られる花が載せられています。このページはダウンロードしておきました。
花の一覧を見ていると、カタクリの花が咲いていると書かれています。越後丘陵公園では満開だそうです。大阪近辺ではそれほど標高の高くないところでも4月はじめに見頃になります。見に行った所では18℃にならないと花が開かないといっていました。時期的には早いような気がします。実際の所はどうなのでしょう。
りょこうではリュックのことがいつも問題になります。行く前から満杯です。新しいのを買うとして、どんなものがあるか近くのスポーツ用品店に見に行きました。何種類かありました。今使っているものと比べてどれだけ大きくなったのかわからず、結局買い換えませんでした。少なくとも、いろいろ種類があることはわかりました。
花にきれいなところにいきます。こういうところでは、花苗を売っていることが普通です。育てやすそうな、きれいな花の苗があれば買って帰ることもできます、気にいったものがあるでしょうか。
出発日が近づいてきて一番気になるのは天気です。気象庁が発表する週間天気予報をチェックしますが、あまり芳しくありません。雨時々曇りとか、風雨が強くなるとかの予想が出ています。雪が降るかもということも書かれています。気温も気になってきました。朝の最低気温が一桁の前半です。大阪で一番寒いときの気温と同じです。防寒対策もしっかりしておく必要があります。天気図を見ても暴風雨(雪)になる理由がわかりません。防寒対策としてセーターを1枚余分に入れておくことにします。
荷物に二つ折りの折りたたみ傘を入れておきます。出発前日の寝る前になって、合羽も入れておいた方がいいと思いまたちました。防寒対策にもなります。寝る準備態勢が整っているので、寝るのを優先にします。朝になるとそのことはすっかり忘れていました。持っていき損ねました。
直前まで、天気の状況を確認していました。回復するような予報は全くありません。いつも持っていく赤道儀は置いて、三脚だけにしました。それ以外はいつものように詰め込んでいると、リュックがぱんぱんになっています。何が余分に入っているのでしょう。持って行くものを吟味し直した方がいいのでしょうか。三脚は外側ではなく中に入れています。ここにはすぐに出せるように傘を差しておきます。
今回はカメラ等の小物を入れるバッグは、飛行機に乗りませんから、ショルダーバッグにします。前回は牛乳パックの下半分を切り取って並べておいたらかなり有効だったので、今回もこの方法を使うことにします。カメラの場所も確保できるように、ボール紙で枠だけつくって一緒に並べておきます。
雨が強く降るかも知れないということで、前に考えたカメラの雨よけも作っておくことにします。といっても、どうやったのか完全に忘れています。何となくこんな感じだったというものをつくって、小物入れに入れておきました。ついでに薄手のビニールシートも入れておきました。
カメラのゴミでいつも悩まされています。今回は念入りに除去しておくことにします。前回、写りこんでいたのと同じ形のゴミも出てきました。今回はこれで悩まされることはないでしょう。
旅行日の1週間ほど前に旅行会社から詳細の書かれた案内が届きました。これを見ると、行きの電車は大阪発8時10分発のサンダーバード7号です。この特急は高槻に停まります。新大阪から乗車すると申し込んでいました。旅行会社に電話して、高槻から乗車していいか聞いたところ、大丈夫とのことでした。後日、添乗員さんから座席の連絡があるとのことでした。高槻にしたことで10分ほどゆっくりできます。前回はこれで失敗していました。
電車については別段問題ないと思っていました。高槻到着の時刻をみると、昔通勤に使っていたのより少し後の時間帯です。1週間に1度は遅れていました。このころは遅れを避けるために早めの電車でいっていました。今回も遅れるのではと一瞬思いました。よく考えると土曜日です。それに遅れの原因は新快速にあって、高槻駅のホームが別になったことで影響を受けることはなくなっています。あまり考えずにいくことにします。
帰りの特急も高槻に停まります。ここで下ろさせてもらうことにします。最寄り駅での出場証がもらえると助かります。
1日目の昼食は、各自バスの車内でということになっています。当日の朝にコンビニで買うこともできます。慌ただしいような気がするので、前日の内にスーパーでおにぎりを買っておき冷蔵庫に入れて保存しておくことにします。予備のパンとペットコーヒーも買っておくことにします。
朝の用事を済ませ、戸締まりをしていざ出ようと、履いていこうとしたトレッキングシューズをみると、ぼろぼろになっています。沖永良部島で傷だらけになった物が、関越の旅行で寿命がきていたようです。帰ってから確認をするのを忘れていました。しかたがないので、新しいスニーカーでいくことにします。水たまりの中でなければこれで何とかなるでしょう。
電車は、1台余裕をみています。高槻には特急が新大阪を出る頃に着きました。だいぶゆっくり家をでることができました。電車を降りてから、指定された号車の着くところまで移動します。だいぶ後の方です。そこで到着を待ちます。
列車が到着して乗り込みます。添乗員さんがドアの内側で出迎えてくれています。あいさつをしてしてされた席に座ります。隣は京都から乗ってくる人の分で、まだしばらくは空いています。
発車してから、添乗員さんからバッジの配布と、富山でバスに乗り換えるまでの注意事項の説明があります。金沢乗り換えの新幹線の座席の指示されています。
金沢までは、窓側の席だったので景色を見ながらいきます。雲がかかっていてあまりはっきりとは見えません。
金沢からは通路側の席です。30分ほどなので、シートのポケットにあった冊子などを見て時間をつぶします。富山平野に入ったところで、トイレに行きがてら立山の山なみが見えないかみたのですが、雲の中のようです。
富山駅についてからは、観光バスの待ち合わせ場所まで移動します。乗り込む前に、大きな荷物をトランクに預けます。この時に何かを出そうと考えていたのですが、何だったのか思い出せませんでした。運転手さんが待っています。ゆっくりもしていられません。けっきょくそのまま預けました。
バスの席は、参加者が少ないため一人2席あります。ガイド付きのツアーだったので少なめに設定されていたようです。席を広く取った分、後ろまで伸びています。窓枠のある席になってしまいました。
席に着いてから、何を取り忘れたのかに気がつきました。傘です。当面は何とかなるでしょう。
富山駅を出てから、すぐ右側に富山城が見えてきます。桜の花が咲き始めたところのようです。家の近くでは3−5部咲きくらいになっています。手前側と奥で石垣の組み方が違うのも気になります。
高速道路に入ってからは、立山の山なみが見えるはずのところを走ります。高いところは雲の中です。何枚か写していますが、露出オーバーです。撮像素子のゴミ取りのために露出設定を長めにしたそのままになっています。ここに来るまでの写真がないのもそのためです。
露出オーバーに気がついてからの写真です。
親不知付近では、横の線路上を電車が走るのが見えました。バスとそんなに変わらない速度で走っています。かなりの速度が出ています。あいの風とやま鉄道とかえちごトキめき鉄道といった長い名前がついています。新幹線ができたので、第3セクターの運営になっています。
名立谷浜SAで休憩が入ります。出発時に添乗員さんから雨具の確認をするようにいわれました。この機会に、トランクまで取りにいかせてもらいます。
上越を過ぎて、高速道路の法面に白い花が密集して咲いているのが見えます。ふきのとうのようです。距離が近いうえに速度が速いので、気がついたときには行き過ぎています。撮影するのはこれが限界です。
高速道路は西山ICで降りました。あまり聞き慣れない地名です。近くの民家の庭先で咲いていたさくらの木です。
バスの運転手さんが、新潟までの高速道路を作らせた首相の生家の前を通ってくれるといいます。反対側の窓の方向だったのでどれなのかよくわかりませんでした。たぶんこれがそうなのでしょう。
バスは丘を越えて、海岸沿いに出ました。この付近の民家の前には、大きな板塀が作られています。冬に吹きつける雪交じりの強風対策なのでしょう。
大崎の海岸から少し入ったところに、大崎雪割草の里があります。バスはここの駐車場には入れないので、道路上での乗り降りとなります。道路脇がバスの待機場所となっているようです。
道路から入ったところにある公民館のような建物でトイレをすませておくように指示が出ます。雪割草の里にはトイレがありません。トイレをすませてから雪割草の里入口まで移動します。見えてきた雪割草の里入口です。ここからみると、ビニールハウスの植物園のように見えます。
入場券やガイドさんの手配ができるまで、この場所で待機します。その間に近くにある花を観察します。花の咲いているさくらの木が何本かありました。品種まではよくわかりません。知っている中では、河津桜に近いようです。。小さな木です。植えた直後のようです。
溝の土手にたくさん咲いていた花です。ヒメオドリコソウです。
ツクシもいっぱい出ていました。もう胞子を飛ばし終わっています。
ガイドさんが到着して最初に、温室の中を説明してくれます。ここが雪割草が咲いているところの入口になります。
雪割草を育てているようすです。種をまいてから3年目で、やっとこの大きさだそうです。まだ種をまいたときのまま、密集しています。これくらいになって、一つ一つをわけて、植え替えるそうです。
雪割草の咲いている山の斜面に向かいます。この斜面の一部は入口前からも、花が咲いているのが見えていました。
雪割草は日が差してこないと花が開かないそうです。たしかに開ききっていないものがたくさんあります。
曇っているときに開いている花は、もう終わりかけて、閉じる元気がなくなった花だそうです。
雨粒に濡れた雪割草の花です。これなどはまだ元気なように見えます。
雪割草の里では、雪割草以外にもいろいろな種類の花が咲いています。花の名前とか、数の少ない物は、咲いている場所も教えてもらえます。
雪割草の次に多かったのが、キクザキイチゲです。イチリンソウともいいます。花が大きな分、雪割草よりもたくさん咲いているように見えました。
シュンランです。後に雪割草が咲いています。
コシノカンアオイです。全く目立たない花です。葉はギフチョウの食草となります。
ヤブコウジの実です。ジュウリョウ(十両)ともいいます。
再び雪割草です。
ショウジョウバカマです。
キクザキイチゲの群落です。雪割草の里は、適度に刈り取られた雑木林の中にあります。
エンレイソウです。これもあまり目立たない花です。
イカリソウです。花を見ると何となくその由来がわかります。
雪割草です。正式な名前はミスミソウといいます。葉が3枚ずつつくことが名前の由来です。春の雪解けを待って一番に咲くことから雪割草とよばれるようになったようです。サクラソウの仲間にもユキワリソウという種類があるのでこれと区別する意味で、漢字で書かれています。
いろいろな色の花があります。形態的にいくつかの種類があるようです。違いは見ていてもよくわかりません。基本的には、品種の違いのようです。
キクザキイチゲの群落でです。
再びユキワリソウです。
スミレの花です。はっきりしませんがスミレサイシンかな。スミレの仲間は違いがよくわかっていません。
雪割草です。何種類かの色の花が集まって咲いています。秋に小学生に雪割草を植えてもらうそうです。途中で面倒くさくなるのか、最後の方はかためて植えられていることが多いそうです。
オウレンです。キクバオウレンとセリバオウレンがあるようです。この付近の物はキクバオウレンだそうです。
雪割草です。ミスミソウの名前の由来となった葉っぱの形がよくわかります。周囲の細長い葉っぱは、キツネノカミソリです。日本海側地域に多いそうです。
ショウジョウバカマです。
ショウジョウバカマは、葉っぱの先から根が伸びてきて、そこから新しい株ができるそうです。奥の葉の先に根が伸び始めています。
昭和の中頃に山野草がブームとなり、各地の野草がだいぶ持って行かれたようです。日本各地の雪割草もほとんど採集され、野外ではほとんど見かけることがなくなっていたそうです。雪割草の里では、種から育てた物を野外に戻すことで、やっとここまでたくさん見られるようになったそうです。
雪割草の花です。
ゼンマイのようなシダ植物の若芽です。
ふきのとうです。これくらい咲いていても食べられるそうです。ふつうのふきのようです。
これで園内を一周し終わりました。ビニールハウスに戻ります。いくつかあるビニールハウスのうちの1つをのぞいてみます。雪割草がいっぱい咲いています。
まだ時間がありますので、もう一度見に行こうとしました。坂道を登っていきます。斜面の雪割草の群落です。
再び雪割草の花です。
ちょっと進んだ所で雨が降りだしてきました。だんだんひどくなってきます。ビニールハウスに戻ることにします。ハウスに着く頃には本降りになってきました。寒冷前線が通過しているような感じです。30分ほどでやむでしょう。バスの出発時間にはやんでいそうです。
ビニールハウスの販売用の花を見て時間をつぶします。八重咲きのものがありました。おしべが花びらに変化したという説明でした。花びらもおしべめしべも元々は葉が変形してできたものです。うまく花びらやおしべになることができなかったのでしょう。
雨はやむと思っているものの、出発時間が迫ってくるとだんだん心配になってきます。ビニールハウスを叩く大きな音が聞こえますが、誰もいなくなってきたので、バスの方に移動することにします。外に出るとそれほど雨がひどいと感じませんでした。小降りになってきたのか、それともビニールなので音が大きかっただけなのかよくわかりません。
バスは長岡の宿に向かって走っていきます。道路の斜面に黄色い花が咲いているのが見えました。信号で止まっている間に写したものです。スイセンでした。
宿に到着です。ビジネスホテルなので、夕食はついていません。代わりにツアーで弁当が用意されています。周囲にレストランが何軒かありますから、そこで食べる事にして、弁当は明日の昼食にします。部屋に入るとすぐに冷蔵庫に入れました。朝出すのを忘れそうなので、冷蔵庫の前に荷物を置くようにします。
商業施設集中地域なので、何か買い物ができそうな施設がありそうですが、何もありません。大型家電、靴、紳士服、スポーツ用品、車用品といったいまはいらないものばかりです。フロントで、何かないか聞こうとしたら、土産物屋さんのことを聞いている人がいました。遠いのですが一緒に行くことにしました。
いったのは百貨店の出店のようなところでした。駐車場とか生垣とかはまだ工事中で、建物でもできたばかりのようです。土産物はそれほどなかったのですぐに買い終わりましたが、一緒に来た人はと探して見ると、カウンター前に座っています。荷物を発送するようです。終わるのを待つことにしました。ところがなかなか終わりません。結局30分もかかっていました。店員が全然手慣れていないようです。そういえばレジ打ちもだいぶもたもたしていました。
そこから前にあったスーパーをのぞいてから宿に戻りました。片道20分近くかかっていました。
宿に着いてからはわかれてレストランに行きます。1件目はカニ料理の店です。パスします。2件目は、釜飯専門店で、できるまで20分以上はかかるそうです。ここもパスです。結局3件目のラーメン専門店にしました。探すのも面倒になっています。
食事が終わって、部屋に戻ります。冷蔵庫の中を見るとそれほど冷えていません。よく見ると、電源スイッチを入れてくださいと書かれています。スイッチをオンにします。中に弁当を入れていた意味がなかったようです。
星は出ていません。星見は中止です。大浴場がありますから、そこに入ってから寝ることにします。
夜間の天気予報は、夜半過ぎに晴れ間が出るかもということでした。一度目が覚めたついでに、窓からのぞいて見たのですが、星は出ていないようでした。商業施設がたくさんあるわりには、ほとんどの明かりが消えて暗くなっていました。
外が明るくなり始めると目が覚めました。起きることにします。天気のようすが気になります。みると厚い雲が立ちこめています。路面も濡れています。夜中に雨が降ったようです。これでは、星見どころではなかったようです。
付近を歩いてみることにします。近くの一番大きな通りに沿って歩いて行きます。途中で脇道に入り進んでいったところにあるのが、古正寺の大ケヤキです。
ムクドリが多数やってきていて、けたたましい声で鳴いていました。飛び交っているところです。
集まっているところです。
すぐにどこかに行っていなくなってしまいました。
大ケヤキの幹です。空洞ができて修復した跡があります。長岡市の天然記念物に指定されています。
ケヤキの木があるのは、諏訪神社の境内です。古正寺というのはこの付近の地名です。
諏訪神社の横から見た大ケヤキと神社です。真ん中の幹の折れているのが大ケヤキになります。他にも大きなケヤキの木があります。
このまま曲がった先の道を進んでいくと全国展開の大型スーパーがありました。開店10分前で入ることはできませんでした。
途中で雪をかぶった山が見えていたので見えそうなところまでいってから宿に戻ってきました。
宿に着いたのは、朝食時間が始まった直後です。まだ込んでいそうなので、新聞を読んだり、コーヒーを飲んだりして時間をつぶします。出入りしている人が、すごい雨といっていました。窓の外を見ると、土砂降りです。これが降り出すまでに帰れたのはラッキーです。スーパーが開くのを待っていたら雨に打たれていました。
食堂のようすもときどき見ます。でてくる人より入っていく人の方が多いようです。あきらめて中に入りました。席は何とかありました。食事を取るのにもそれほど時間はかかりませんでした。
食べながら窓の外を見ているとジョウビタキがやってきていました。どこかに行く寸前に写せたのですが、みてもよくわかりません。真ん中に写っています。羽根にある白い模様が目印です。
今日の出発は、越後丘陵公園の開園時刻にあわせて、9時10分になっています。食事をすませてもまだまだ時間があります。先ほどの大雨のことがありますから外に出るのはためらわれます。風呂に入ろうかとも考えました。昨晩、時計のバンドを救急絆創膏ではずれないように縛ってしまいました。昼間に3回ほど外れたからです。外すと新しいのがないので、縛り直すことができません。はずれて落としてしまう可能性があります。時計のおかげであきらめることになりました。
外の景色を眺めてみます。昨日から、この付近の方位が全く理解できていません。太陽が見えるときに、北の方向を確認しても、ぐるっと回るともうどちらかがわからなくなっています。南と思っていた方角です。実際には南西方向になります。越後三山が見えるか探していました。雲の中でみえないようです。
反対側です。目では見えませんでしたが、写真を見ると丸い山がかすかに写っています。方角的には、弥彦山でしょうか。
昨日バスを降りるときに宿題が出ていました。越後丘陵公園は広いので、どこをどうまわるか考えておくようにということでした。園内マップももらっています。1階のロビーにあるパソコンを使ってネットで調べることもできます。
公園はエントランスから入ると、真っ直ぐ伸びる通路がありその先は円形の広場になっています。広場入口の左側に緑と花の館、右側に暖の館があります。ここでお土産が買えそうです。
雪割草は、円形広場の奥の方角を12時としたとき、広場の中心から5時の方向にまっすぐすすんでいったところにあります。広場を時計盤に見立てて、短針の指している方角で説明しています。30分もあれば見終わりそうです。
ネットには、カタクリが満開と書かれていました。その場所は、マップで下半分にあります。3月いっぱいまではこの区画は閉鎖されています。さらに調べてみると、今日は日曜日というのと、カタクリが満開ということなので特別に入れるようになっています。
問題は、そこまでの所用時間です。バスで片道20分かかりそこからさらに歩いて10分です。往復だけで1時間かかります。見学時間の設定は1時間半なので、雪割草をみてからいくと、行って帰ってくるだけで時間オーバーになりそうです。この中にはバスの待ち時間は入っていません。ネットからは運行間隔はわかりません。バスでは無理なようです。歩いて行くとなるとさらに時間がかかるでしょう。カタクリ群生地までは無理なようです。
終わりかけなのですが、クリスマスローズが咲いていると書かれています。ここに行くしかないでしょう。11時の方角です。他にあるものは遊具施設などです。興味がありません。
ネットが使えるので、雨のようすも確認しておきます。雨雲レーダーをみると、所どころに強い雨を降らせる雲のかたまりがあって東に移動しています。丘陵公園に入ってしばらくしたら、大きなかたまりが真上を通過しそうです。それ以後については、雲の成長が予測できないので、どうなるかはわかりません。
何とか時間をつぶせて、出発になります。公園入口には開園のちょっと前に到着しました。時間にならないと入れてもらえないのでバスの中で待ちます。バスから見えていた丘陵公園のエントランスです。
空をみると大きな入道雲があります。こちらにやってきたら大雨になりそうです。
やっと入場できました。エントランスから延びる通路を進んでいって、振り返って見たところです。
3時の方角の丘の斜面です。芝生広場になっていて、ポプラの木がかたまって植わっています。
花と緑の館です。停まっているバスは、カタクリの群生地の方に向かうバスです。
添乗員さんが、雪割草の群生地まで案内してくれます。花などを見ながらいきます。いつも最後尾になります。歩くだけなら速い方なので、ひたすら歩くときは、いつの間にか前の方に出ています。斜面をあがって群生地につくまではあまり花は咲いていなかったようです。途中で見かけた桜の花です。この付近にはオクチョウジザクラというのが普通に見られるようです。
道脇に咲いていた雪割草です。あまり花が開いていません。このあたりからちらほらと雪割草が見えてきました。
切り株の上の雪割草です。
ショウジョウバカマです。
赤紫の雪割草です。光が差してきています。これで開き始めるのでしょうか。
ヤブコウジです。
苔むした切り株の中で咲いていた雪割草です。
天気のせいなのか開ききっているものは少ないようです。雪割草の里に比べると、整備し始めたばかりのようで花はまばらです。
花びらの縁が白い雪割草です。これはよく開いています。
遠くにある花の写真を撮ることが多く望遠レンズにつけ替えています。2m以上離れないとピントが合いません。手元近くの花を写すときはわざわざ遠くに離れていって写真を写しています。これでもレンズを交換するよりも早く写し終わります。白い花です。
横を見るとキブシの花が咲いていました。
雪割草群生地は一通り見終わったので、次に向かうことにします。クリスマスローズ花壇です。登ってきた道をまた下っていきます。
アジサイの植わっている広場に出ました。ちょうど新芽が出だしたところです。花壇の表札をみるとアマチャと書かれていました。疑問を口に出したところ、近くにいた人が、アマチャはアジサイの仲間だと教えてくれました。アマチャとアマチャヅルとを混同していました。
円形の広場に出ました。相変わらず大きな入道雲が見えます。マップの上が北なら、この雲は右に移動してこちらにはやってこないでしょう。違っていれば大雨になることもあります。
広場の芝生は雨で濡れています。クリスマスローズはこの向こう側にあります。靴のことを考えると、中を通りたくありません。円周を回っていくと遠回りになりますので、突っ切ることにしました。真ん中に大きな水たまりがありました。何とかよけていきます。
適当に進んだので、クリスマスローズ花壇との位置関係がはっきりしません。たくさんの人のいる方向に行ってみます。原種のシクラメンと書かれた看板がありました。中に入って地面をみると、所どころにシクラメンの花がかたまって咲いているのが見えました。
近くにクリスマスローズも咲いていました。この付近は黒っぽい色のものが多いようです。
別のシクラメンです。園芸種ほど花びらが反り返っていません。
ピンク色のシクラメンです。
スノードロップの花もありました。
道路を隔てて反対側に、クリスマスローズがまとまって植わっているところが何カ所かありました。ここが花壇なのでしょう。そういう看板はありませんでした。
シクラメン・クリスマスローズをみていると雨が降りだしてきました。だんだん強くなってくるので、建物の方に避難することにしました。といっても、ここからだと円形広場の反対側にある緑と花の館しかありません。円形広場を突っ切っていきます。
歩いている内に風も強くなってきました。傘を差しているのも苦しくなってきました。前をいく人のポンチョも、風に流されて全然役に立っていません。
やっとのことで、緑と花の館に到着です。入口前にはクロッカスが植えられていました。紫と白の花が咲いています。雨風のためでしょうか、倒れているのもあります。サフランかクロッカスかで議論になりましたが、赤いめしべが見えないのでクロッカスで決着しました。
館ではシャクナゲ展が開かれていました。といっても説明とかは少なく、鉢が並べられているだけでした。講演会もあるようですが、バスの出発時間に始まります。
別のシャクナゲです。
雪割草の鉢植えも展示されています。
室内に作られた築山に咲いていた雪割草です。
売店ものぞいてみたのですが、お土産になりそうなものはありませんでした。バスの出る時間までぶらぶらと歩いていみます。
一画で、カラタネオガタマが咲いているというので、盛り上がっていたグループがありました。トウオガタマといっていたような気がします。
時間になったのでバスに戻ります。エントランスからの通路で咲いていたチューリップです。間の紫色の花は何かよくわかりません。ヒヤシンスの小さなもののようにも見えます。この頃には天気は回復して、晴れ間が出ています。
バスの停まっていたところの横の斜面です。この上の方が雪割草の群生地になります。落葉した木々の間に差し込む光で、雪割草などが生育しています。木々の葉が生い茂るまでしか育ちません。
越後丘陵公園の次の目的地は雪国植物園です。10分ほどで到着しました。すぐ近くだったようです。途中で、雪国植物園への案内看板があったのに、そちらの方に行かなかったときは少し不安になりました。大型車は通れないか何かでいかなかったのでしょう。しばらく走っているととまた案内看板を見るようになってきました。
駐車場からみた植物園入り口です。細長い建物があります。ガイドさんによる説明が終わった後は、園内で各自昼食という設定になっています。できるだけ長時間みていたいので、昼食弁当は帰りのバスの中ということにします。
近くの民家で咲いていた椿の花です。いっぱい花をつけています。
園内に入ってすぐにトイレに行くよう指示があります。丘陵公園ですませてきていますが、念のためにいっておきます。
ガイドさんが来るまでの間少し時間があります。近くを見ておくことにします。大きな看板に、今咲いている花の写真が並べてありました、たくさんの種類があります。帰ってから花の名前を確認するためにも写しておきました。インターネットにあった写真集もダウンロードしています。
入口のすぐ内側にも、たくさんの種類の花を見ることができます。まずは、カタクリです。曇り空のせいなのかまだ開ききっていません。
灌木の枝先に白い花が付いています。アラゲヒョウタンボクです。
黄色いスミレの花があります。オオバキスミレです。雪割草の花もあります。
これも黄色い花です。ナニワズです。夏になると葉を落とすので夏坊主といいそれがなまったものといわれています。春になって一番に花が咲くようすと「難波津に咲くや此の花冬ごもり今は春べと咲くや此の花」という歌とを重ね合わせて、ナニワズとつけたという説もあります。でもこれだと、ナニワヅになります。
園内には、男女が並んで石像が置かれています。これの小さなものは園内の他のところでもいくつか見かけました。ガイドの最後に説明がありました、道祖神だそうです。信州からこの地方にかけてはたくさんあるそうです。道中の安全を祈願するためのものだそうす。ほかにもいろいろ説明がありましたが、忘れてしまっています。長野市の聖山で道祖神の大きなものを見ています。だいぶ形が違います。
ガイドさんの準備もできたようです。2班に分かれます。もたもたしていたら、後のグループになってしまいました。この頃から雨が降り始めています。だんだん強くなってきます。そのうち白いかたまりが落ちてきました。あられです。激しく落ちてきて、地面で跳ね返っています。木の幹などの風上側では、積もってきたところもあります。
あられは5分ほどでやみました。気を取り直して歩いて行きます。最初にみたのは、イワナシです。終わりかけているようで、枯れた花が目立ちます。
斜面にショウジョウバカマがたくさん生えているところがありました。場所によって白やピンクといった色の違いがあります。ここのものは薄紫色です。
カタクリもあります。気温が高くないのか、まだ元気がないようです。
ふきのとうが密集して咲いているところがあります。
地面から草の芽が伸びてきています。ガイドさんはウバユリの芽があるといっていました。これのことでしょうか。
カタクリの群生地に着きました。確かにたくさん咲いています。大阪近辺ではまだ咲いていないような気がします。
少しだけアップになります。
カタクリらしく花びらの開いたものです。
オクチョウジザクラの根元に密集して咲いているカタクリです。咲いているさくらと一緒に写してみました。
雪国植物園は、植物園と銘打っているだけあって、たくさんの種類の花が咲いています。続けて紹介していきます。
フクジュソウです。もう終わりのようで、やっと残っていた花が一つだけありました。これも咲いているのか、しぼんでしまったのかわかりません。
コシノカンアオイです。筒状の花が二つ並んでいます。
イワウチワです。たくさん咲いているところがありました。みんな下を向いています。やっと見つけた横を向いた花です。
上向きのものも見つけました。逆にこれだと花の形がよくわかりません。
ナニワズです。入口近くにあったものより小さな木です。
キクバオウレンです。花火のように外に向かって開いているように見えます。
トキワイカリソウです。
シラネアオイです。まだ時期的には早いようです。咲いていたのはこれだけです。
雪国植物園内はけっこう起伏があります。丘のようなところを越えて坂を下っていくと、谷地田のようなところにつきました。山間の田んぼの風景そのままです。今まで通ってきたところは、田んぼの周囲に広がる山に相当します。いわゆる里山になります。このあたりはこのような田園風景が広がっていたのでしょう。この丘陵一帯は高度成長期に、工業団地を作る計画ができたものの、バブルの崩壊とともに中止となりました。その余った土地を市に買い取ってもらって、植物園として整備しているそうです。
ここでは稲を作っているのかはわかりませんが、いくつかは水を張って池のようになっています。
谷の奥の方にある木々の枝先が赤くなっています。カツラの木が花をつけているためだそうです。
田んぼ脇の水路にはミズバショウがあり、花をつけていました。
別のミズバショウです。
ちょっと斜面を上がった所にはザゼンソウも咲いていました。仏縁包だけが見えています。
池の中です。オタマジャクシがいっぱい泳いでいました。
大きな卵のうがあります。クロサンショウウオのものだそうです。まわりにはカエルのオタマジャクシがたくさん泳いでいます。
谷地田の奥の方から再び里山の中に入っていきます。沢筋では白い花が咲いています。雪割草の里でみたキクザキイチゲと雰囲気が似ていたのでそれと勘違いしていました。ピンク色の花びらが混ざっているものがあることから、おかしいことに気がつきました。ニリンソウでした。キクザキイチゲもおなじイチリンソウの仲間です。
このあたりでは大きな群落となっています。
斜め横から見た花のようすです。
ニリンソウは山菜として食べられることがあります。よく似た、トリカブトは猛毒があります。間違えて食べてしまい食中毒になる事件が時々起こっています。ここでは、二つが並んで生えているところがあります。こうやって見比べてみるとかなり違うことがわかります。奥の白い花をつけているのがニリンソウ、手前の葉っぱだけのものがトリカブトです。一番の違いは葉っぱの切れ込みの深さです。
直立した茎の先にある葉が黄色くなった草があります。ホクリクネコノメソウです。黄色くなっている中にいくつかの小さな花が付いています。
花が終わりかけでおしべが黒っぽくなっています。これだと花がついているようすがわかりやすくなっています。
キクザキイチゲです。白い花がふつうです。ここには青い色の花も咲いています。
春の草花といえば色々ありますが、スミレ類もその中にあげないといけないでしょう。この植物園でも何種類か咲いていました。比較的明るく乾燥したところに多いようです。スミレ類は分類しようとしてもわかりにくく、種類を調べるのは一筋縄ではいきません。植物園の入口にあった写真と、ネットに掲載された花の名前を用いることにします。
青紫色の花です。スミレサイシンです。左右に広がった花びらの形が蝶のように見えます。
淡い色のスミレです。花の後方に、細長い筒状のものが伸びています。ナガハシスミレです。
黄色い花です。オオバキスミレです。入口のところにも咲いていました。
ここでは集まって咲いているところがあります。いろいろな花の写真を撮る度にしゃがんだり、立ち上がったりを繰り返しています。ももにかなりの負担がかかっています。
草葉の陰で偶然見つけた青い花です。エチゴルリソウです。
地面から伸びた芽の先に丸いつぼみがたくさんついています。花が咲いていないので名前まではわかりません。サンカヨウのようですが、つぼみの数が多いような気もします。
ミヤマカタバミです。薄暗いところだったので、葉っぱも花も閉じています。
コシノチャルメルソウです。チャルメラににているのでこの名前がつけられているそうです。
たくさんの木々にも花が付いています。順番にみていくことにします。
椿の花です。日本海側地域にはユキツバキという種類があるようです。ヤブツバキだけだと思っていました。違いはよくわかりません。ヤブツバキとの間で雑種を作ることがありユキバタツバキといいます。こうなるとますますわからなくなってきます。
ユキツバキです。花の中心部が黄色っぽい色をしているように見えます。ユキツバキの特徴なのかたまたまだったのかはわかりません。
ケキブシです。黄色く丸いかたまりがたくさんついた房がぶら下がっているように見えます。
ヤリのように尖った新芽のつけ根に、黄色い花が房のように付いています。オオバクロモジです。
木に咲いた花は以上です。ほとんど足元の花ばかりを見ていて、上の方の木を見ることは少なかったようです。他にもたくさんあったのかも知れません。
再び草の花に戻ります。
アズマシロカネソウです。下を向いて咲いています。花か丸いかたまりのように見えます。花びらは黄色っぽい露をしていますが、濃い赤紫色の花びらが1枚混ざっているように見えるのが特徴です。
コシノコバイモです。横に広がる何枚かの細長い葉っぱの下に隠れるように下を向いて咲いていました。といってもまだ開ききってはいないようです。
再びカタクリです。コシノコバイモもカタクリも種子をアリに運んでもらって分布を広げます。種にはアリの好む物質(エライオソーム)がくっついているそうです。
細長い葉っぱをしたスゲの仲間にも花が付いていました。スゲ類も名前を決めるのは大変です。ガイドさんも種類まではわからないとのことです。雪国植物園のサイトではヒメカンスゲが咲いているとでていました。
シュンランです。他の草にかくれるように咲いています。
オウレンです。キクバオウレンでしょう。雌雄異株ということで話になっていました。この花にはどう見てもおしべとめしべがあります。雄花はおしべだけですが、雌花にもおしべがあるそうです。この場合雌花とはいわずに両生花というようです。
雪国植物園はこれで一回りが終わりました。だいたい予定していた1時間半を経過しています。ところでここまでの解説で、肝心なものがぬけています。今回の旅行の最大の目的である雪割草です。最後にまとめて紹介します。
雪割草はいろいろなところでみられました。一番多かったのは、谷地田の奥にある斜面から里山に登った先です。登り始めたところからたくさん雪割草がみられました。みんなが写真を撮り始めたので、列の動きが遅くなりました。ガイドさんから帰りに写してというのでせかされましたが、そのわりには帰りも急ぎ足だったようです。
最初にみられた雪割草です。下の青い花の横、クローバー型の黄緑色の真ん中に実が大きくなり始めています。
ここからは一番たくさん咲いていた場所のものです。雪割草が群落になっています。
いろいろな色の花が混ざっています。
カタクリと一緒に咲いていたものです。
青色で花びらの多いものです。どういうわけか、この前後の写真は全て暗く写っています。
色違いでかたまりになっています。
密集度が最高です。完全に開いているものは少ないようです。
白色の花の多い一画です。
雪国植物園を一周した後は、旅行会社の設定では昼食タイムとなっています。バスの中で食べるつもりで置いてきています。近くを歩き始めたのですが、だいたいのところは案内してくれているようです。入口から離れたところでは、行っていないところがありそうですが、そこまで行く時間はなさそうです。結局、途中から戻ってきました。
みんなは、売店で食事をしています。箱入りの饅頭をばら売りしていたので、一つだけ買って食べました。
ここでしたいことはもう一つあります。旅行中に花の苗を買って帰ろうと思っていました。どことも雪割草は置いていましたが、栽培のハードルは高そうで、手を出していませんでした。一番は、夏を越させることができるかということです。といっても他のものは、もっとハードルが高そうなものばかりです。
雪国植物園にあった雪割草を買って帰ることにしました。どれもがピンク色の花のようです。種からはどんな色の花が咲くかわからないというのにつられて適当に買いましたが、ついていた花柄は持って帰る途中に折れてしまいました。
バスの出発時刻になりました。後はひたすら大阪に向けて帰ります。峠越えをして、西山IC(たぶん)から高速道路に入り富山に向かいます。この間に弁当を食べます。
時間つぶしも兼ねて、添乗員さんが雪国植物園で買った紹介ビデオの上映されました。著作権法上問題がありそうなところもありましたが、そんなことを気にしそうなビデオではなさそうなので、考えないでおくことにします。上演後は希望者にあげるということです。希望者は多数いたようでじゃんけん大会となりました。
バスはその間にも進んで行きます。柏崎を過ぎたところで、山が見えてきました。米山です。バスのフロントガラスからの光が写り込むので、手で隠したら、手が入ってしまいました。
米山をまわると日本海が見えてきます。波が高くなっているようです。
上越に近づくと妙高山が気になります。今までのところ見えたことがありません。今回も見えないようです。おまけに、見えるのは反対側の窓です。雪をかぶったときどき山が見えます。だいぶ低そうです。地図で調べると、青田難波山のようです。だいぶ方向が違います。フロントガラス越しに見えたときのものです。
一度名立谷浜SAで休憩がありました。再び西に向けて進みます。富山平野に入ると富山湾が見えてきます。ちょうどこの方向は、蜃気楼がよくみられる方向になります。一応確認はしましたが、見える季節でも、天気でもありません。おまけにこちら側の標高は高すぎるようです。
高速道路沿いに黄色い花が見られます。これも写そうとねらっているのですがなかなかチャンスがありません。遠めですが写せた1枚です。レンギョウでしょう。
すぐに高速道路を降り、富山駅に到着します。ここからは、金沢で新幹線から特急に乗り継いで大阪に帰ります。富山出発まで時間はありますが、金沢乗り継ぎの時間は少ないようです。お土産を買う最後のチャンスです。探したのですが、気にいったものがなかったのでパスしました。立ち食いそばというのも考えました。時間が早いのと、混んでたというのでこれもパスです。夕食用駅弁を買っている人もいましたが、非常用に持っていたパンを食べることにします。
早めに集合場所に戻りました。添乗員さんに、途中駅での降車切符をもらって欲しいと頼んでいる人がいました。自分も同じなので、一緒にお願いしました。そういう切符がでることが理解できないといいます。話の流れから車掌さんに話をすることになってしまいました。
全員がそろったところで、ホームに移動します。ホームで待っていると、「はくたか」「かがやき」と通り過ぎていきます。乗るのはその後にでる富山始発の「つるぎ」です。これだと、乗る人がいるとはかんがえられません。案の定がらがらでした。列車が動き出すと空いている席に移動して座ります。
金沢到着です。乗り換え時間はわずかなので、そのまま特急のホームへと移動します。乗車でききるようになってから乗り込みます。いつもなら大きな荷物は足元に置いているのですが、一番重たい固いかたまりは入っていません。荷棚にあげてしまいました。中に入っていた、本や暇つぶしの材料を出すのを忘れていました。この後、下ろすこともできず、延々とぼやっとするしかすることはありませんでした。
車掌さんがきたら声をかけようと待っていました。さきに添乗員さんから聞いてもらえたようです。すんなり切符がもらえたことを不思議がっていました。
高槻に近づいてきました。高槻下車の一人は、バスの待ち合わせ時間がわずかなので、出口に近いところまでいっておくといって先に別れました。もう一人高槻で降りる人がいました。乗っている先頭車両に一番近い西口から出るつもりでいたようです。新しいホームにある西口は無人改札だったような気がしたので、無引改札なのではと聞いたのですが、狐につままれたような顔をしています。添乗員さんから有人改札しか通れないといわれてやっと理解できたようです。それなら早く移動したいのでというので先に車両を移動していきました。
高槻に到着しました。もう一人高槻で降りる人がいました。同じ駅までのようです。列車を降りて、ホームを歩いていると先に行ったはずの二人が目の前にいます。二つ前と三つ前の車両の間は通りぬけられなくて、二つ前の車両の前側の出口から出たようです。先頭車両は後部にしか出口がありません。1両分ちょっとしか改札に近づけていませんでした。
高槻で別のホームに移動して列車を乗り換えます。最寄り駅で降りた後は、別々の方角です。そのまま別れて家まで帰ります。
補足:買って帰った雪割草のその後です。説明のあった通り、シクラメンといっしょに、すだれの覆いを掛けて日が当たらないところにおいていました。7月くらいまでは葉の数が少なくなりながらも何とか持っていたのですが、8月にはとうとう枯れてしまいました。
持って帰った苗の根元にコケがついていたので、湿っている方がいいのかなと思い、水を切らさないようにやっていたのが問題だったようです。水やりのこつは、土が乾いたらたっぷりやるということだったようです。
苗の、水やりの量についてはいつも悩まされます。だいたいはやり過ぎで枯らしてしまうようです。
スプリング・エフェメラルというものがあります。英語表記だとSpring Ephemeralです。直訳すれば、春のはかないものという意味になるそうです。春先の雪解けを待って、一斉に花を咲かせ、実を実らせます。夏になる頃には枯れてなにもなくなってしまいます。このような植物をそのように呼んでいます。
代表的なものとしては、カタクリやニリンソウがそれにあたります。今回の旅行の目的だった雪割草は、夏でも葉を残しているので、仲間に入れてもらえないようです。
実際に、インターネットなどで用例などをみていると、元の言葉が示しているものとは違って、かなり日本的に解釈が広がっているような気がします。ギフチョウのような蝶類や雪割草が入っていたりすることがあります。
日本語訳としては「春植物」というのが正しいようです。「春の妖精」といういいかたもありこちらの方が一般的に使われています。場合によって、雪割草が入ってくるのは、この「春の妖精」という言葉が持っている雰囲気によるものなのかも知れません。
ここでは、日本的に解釈された(つつある)ものを「春の妖精」と呼ぶことにします。雪割草は「春植物」には該当しませんが、「春の妖精」には入れることができます。どこまで含めるかは、雰囲気があっていると思えばとよいうことにしておきます。ギフチョウについては「春の女神」という言葉が使われるようなので除いておきます。元の英語は厳密な意味で使うことにした方がいいでしょう。
今回、3ヵ所の雪割草の群生地をまわりました。それぞれに、特徴があってなかなか興味深いものでした。
まず、大崎雪割草の里です。ここでは、雪割草の復活に力を入れているようすがよくわかりました。地域の活動の中心として雪割草と取り組んでいるようすが印象的でした。
2番目は越後丘陵公園です。ここはフラワーパークとして整備中といった感じです。どこの国営公園でもいろいろな花を集めているという点で似たり寄ったりかなとも思いました。地域の独自色を作るということで、一画に雪割草を増やして、群生地を作っている途中という印象を受けました。雪割草は花が咲き始めるまで長い年月を要します。まだ始まったばかりのようでした。
最後の雪国植物園です。どちらかというと里山の風景がみられたのが印象的でした。里山とその自然というのがコンセプトにあるように思えました。どちらかというと雪割草はその一部です。場所によってどんな花が咲くのかというのが何となく理解できたようです。
元の自然を復元ということで、外来の植物を持ち込まないなどの方策は徹底しているようです。このあたりの考え方は、越後丘陵公園と正反対のようです。
スプリング・エフェメラルは、春先に葉を落とした木々の間に差し込む光を利用して成長します。木々が葉を広げた夏になると光が届かなくなるので、活動を停止します。これを繰り返すことで年々大きくなり、やっと花を咲かせるのに至ります。落葉樹林帯に咲く花たちといっていいでしょう。
人間の手が入ることで二次的に落葉樹林帯のようになった場所があります。それが里山です。落葉樹が増えるだけでは、花たちにとっては困った問題があります。強い夏の日差しは落葉樹の葉の間を通りぬけて差し込んできます。これでは下草が繁茂する原因になります。これらも刈り取られて、初めて春の花たちが咲き誇れるようになるでしょう。こうなると、このような花はスプリング・エフェメラルではなく春の妖精といった方がいいようです。
さて、今回の旅行記のタイトルです。雪割草を見に行くということで、雪割草を入れようかな。そのままでは足りないので街道とつけて雪割草街道としたらどうだろうか。これでは地元がつけている名前そのままです。これは避けたいものです。
次に候補にあがった言葉が、スプリング・エフェメラルです。文字数が多すぎます。英語でも長いし意味がわからなくなります。春の妖精としたらまだすっきりします。雪割草が入ってこないという問題も回避できます。最悪字の通りといってごまかすこともできます。後をどう続けるかになってきます。後ろに何か続けたいところです。単純に「春の妖精を探して」となってしまいました。
雪割草以外にも春の妖精達を始めいろいろな花を見ることができました。何となく、落ち着いたタイトルの気がします、どこにいったのかわかりづらいのはあります。これくらいは許容範囲でしょう。
ここで問題です。越後丘陵公園には原種のシクラメンがありました。春になると花を咲かせて、夏になると葉を落とします。これは、スプリング・エフェメラルでしょうか。チューリップやスイセンといった花はどうでしょう。
シクラメンは、冬に雨が多く夏にはほとんど降らないところで育っているようです。夏場は、暑いのでそれだけで水分を使うのに、雨も少ないとなると休眠した方が有利になってきます。このような気候のところでは、冬から春にかけて花を咲かせて夏は休眠するという植物が多いようです。シクラメンはこのような植物です。
夏場は涼しいところに置いて、適度に水を与えていると、枯れることなく夏をすごし、冬の初めには花をつけるようになります。真冬には花はつかないようです。春になって暖かくなり始めたらまた花を咲かせます。普通は夏の管理が大変なので、水を与えずに枯らせてしまいます。この方が夏を越しやすいそうです。この場合は、花の時期が遅くなり、春に咲くだけとなってしまうことが多いようです。
原産地は地中海沿岸地域のようです。この付近を原産地とする植物は同じような特徴を持つようです。フリージアやスイセン等がその例です。冬に雪をかぶるような寒いところでは育ちにくいものが多く、スプリング・エフェメラルというには難があります。
<天気について>
出発前は、天気か崩れるという予報でした。帰る日の夜には、新潟県北部では雪が降るとの予報も出ていました。天気図を見る限りでは、どうしてそのような予報になるのかは理解できませんでした。
日本列島南岸に前線が停滞していて、日本海に高気圧があります。普通なら、移動性高気圧に覆われて、それほど崩れないと考える天気図でした。
大崎雪割草の里の出発直前に降りだした雨に対しては、寒冷前線による雨だと感じました。そのため、雨は30分ほどでやむと思っていました。確かにその通りになりました。
寒冷前線の通過から次に起こると予想されるのは、気圧配置が冬型へと変わっていくことです。だいぶ暖かくなっているとはいえ、冷たい空気が流れ込んでくると、日本海の海水で暖められ、大雪をもたらすときと同じパターンになります。
宿ではロビーでパソコンが使えるので、インターネットをつかって確認するました。たしかに寒冷前線が通過していました。日本海の海岸線付近に小さな低気圧があるので、里雪型になります。平野部で降水があります。気温の関係で雪ではなく雨になるでしょう。
変わっているのは、日本海の真ん中に前線をともなわない低気圧があることです。寒冷低気圧のようです。寒気をともなっています。新潟県では、低気圧をまわる風が西風になって吹きます。局所的に冬型が強まったのと同じ効果があります。雨が強くなるのは新潟県に限定されそうです。
天気図を読み誤ったのは、低気圧高気圧の成長のようすを考えなかったからです、3月末頃では、東に向かう高気圧は衰退していき、低気圧は発達していきます。
日本海にいた高気圧は弱くなります。高気圧は、南北に長く衰退する兆候を示していました。一般に移動性高気圧と呼ばれるものは東西方向に長いという特徴があります。
高気圧の後方に低気圧は書かれていませんでしたが、広い範囲で気圧の低くなっているところがあります。ここから低気圧が発生して大きくなっていくことは予測できることでした。等圧線が引かれていないので気がつかなかったようです。
最近は気象庁の天気予報の精度が上がってきました。天気図を見て判断するほどのこともなくなりました。そのせいで、あまり天気図を見なくなりました。みていないと、見落としが出てくるようです。これからもちょくちょくとチェックはしたいものです。
<団体旅客中一部途中下車通知書>
名前を何というのかしっかり覚えていませんが、特急列車で大阪に向けて帰ってくるときに、団体乗車の場合は大阪までの途中駅で個別に下車できる切符があります。団体旅客中一部途中下車通知書と書かれています。今回の添乗員さんはこのような切符があることを理解できないようでした。
JRの切符の構造は、普通運賃と特別列車の料金(この場合は特急料金)の2段構造になっています。普通運賃で有効期間が2日以上のものをのぞいて、それぞれの切符は途中下車をするとそれより先の区間は無効となってしまいます。
たとえば、米原から大阪までの切符で新幹線に乗るとします。新大阪で新幹線から在来線への改札を通ります。ここで特急券は回収されます。特急券は新大阪までですから当然です。普通券はまだ手元に残っています。大阪まで買っていますから、新大阪−大阪間は乗る権利があります。間違って外への改札を通ると、途中下車したことになり普通切符も回収されてしまいます。(米原大阪間は特例で有効期間が1日になっています。)
それでは京都で新幹線を降りるとどうなるでしょう。同じように在来線への改札を通るとします。この時点で、新幹線特急料金の京都大阪間は無効になります(特急券は回収されます)。普通運賃はまだ有効です。そのまま京都線で大阪まで普通・快速・新快速に乗ることができます。これで、西大路から新大阪までの駅で降りると途中下車扱いとなり改札を出た時点で普通切符は回収されてしまいます。
特殊な切符には制限があるものがあります。団体切符についてはどうなのかはわかりません。普通に考えれば、団体で一斉に行動するという条件で発行されている切符なので、途中で一部の人が別行動を取ることは認められないと考えることもできます(と思っていた)。そうだとすると、今回の場合、京都駅ではでられない事になります。
ところが、旅行会社のパンフレットには途中の京都で降車可と書いていました。これができるのは、京都駅が帰りの経路の途中にあり、そこ出場できる切符が発行されるためです。ということは、団体切符で一部の人が離れて途中駅で降りることを認めていることになります。あるいはそういう切符を使っているということになります。
切符の性質からすると、京都駅もその先大阪までのどの駅も条件は同じです。従って、途中のどの駅でも降りられるはず、になります。
添乗員さんからよくいわれるのは、特急停車駅のみという言葉です。JRの規則という感じに受け取れるのですが、それでは理由にならないことになります。少なくとも、旅行会社から途中の特急停車駅で降りる人に出場証を発行してもらってねという指示が出ているのでしょう。
話がややこしくなっているのはもう一つ原因がありそうです。特急乗車駅までの普通乗車券は各自購入しておかないといけないことです。これは当然で、その区間の乗車券を持っていないからです。この場合でも、特急停車駅では入場券を購入しないといけないので条件は同じになります。
もう一つ考えられるのは、車掌さんに通知書を発行してもらわないといけないということです。多忙なことがあり、もらえなかったということもあり得ます。降りる駅は様々です。トラブルの元となりますから、絶対できるという保証は避けておきたいのでしょう。もらう方も、その点はわきまえておきましょう。
パッケージツアーに参加し始めた頃は、このような切符があるのを知りませんでした。知らない人と、知っている人との間で不公平感がでるのもなくしておきたいのかも知れません。
乗っていた特急が新大阪に停車することを知っていたので、新大阪での出場証を発行してもらった事があります(この頃は途中駅でもできるということを知らなかった)。新大阪に近づいた時に、添乗員さんにこっそりでてねといわれました。他のツアー客に新大阪到着直前に降りたいといわれても遅すぎたために対応できなかったことによります。あの人は降りたのにとなって欲しくはありません。
新大阪までの出場証で、途中駅で降りたこともあります。この時は、特急が遅れたことによって、京都からの最終電車に間に合わなくなり、新大阪からの臨時電車(新幹線も遅れていた)で引き返しています。ふつうなら、引き返した区間の普通料金は支払わないといけません。特例だったのでしょう。
この例ではっきりしたのは、新大阪(大阪市内)への出場証でも途中駅で下車できるということです。添乗員さんに何か言われたら、この手を使おうかなとも思っています。
今回の旅行でわかったのは、乗車前に駅の窓口でも出場証を発行してもらえるということです。これだとあらかじめ降りるとわかっていれば、入手しておくことができます。降車可と案内に書かれていた駅では確実に降りてもらうことができます。この切符にも、下車前途無効と書かれていますから、途中駅でも降りることはできます。
今回使った旅行会社との契約をみていると、途中で離団した場合それ以降の権利を放棄したものと見なすという一文があります。
これに厳密に従うと、特急列車を降りた時点で離団したことになります。乗車券的にはまだその先の列車に乗る権利がありますが、旅行会社的にはこれ以降の運賃については権利を放棄しているので面倒をみる必要はないということになります。特急の停車駅までについてまだ離団していなかったので、その駅までの運賃を支払わずに出場できる権利を保障する必要があります。出場証を発行してもらうのは当然でしょう。といっても、途中駅でホームに出て列車に乗り損なった場合は、全区間の運賃を支払わないといけなくなります。
最終的に、案内に指定された以外の駅での出場証を発行してもらうのは、添乗員さんの好意によるものです。あまり無理強いはできないでしょう。
最近よく見るようになったのは、大阪市内の駅での出場証です。大阪駅までの距離数が200kmを越えると、普通乗車券は大阪市内行きとなり、大阪市内の駅ならどの駅でも降りることができます。富山からの団体券も行き先は大阪市内となっているので、どの駅で降りてもよいということになります。途中駅での出場証が発行されるのなら、大阪市内の駅での出場証があって当然だということになります。
パッケージツアーに参加し始めた頃、前はもらえたのにという声を聞きました。だいぶ昔は発行されていたようです。最近といってもここ2−3回だけです。その間はあまりみませんでした。発行されなくなっていたのでしょうか。
あまり見ていないといっても、使っていたのはほとんどが新幹線でした。この場合は、新大阪駅に着いたらいったん外側に出てから解散となります。ツアーは新大阪までという感覚になります。東から帰ってくるときは京都で新幹線を降りるので、配っているのを見なかっただけなのかも知れません。構内で解散するとした場合は、個々に出場証を配布しないといけないでしょう。その後、新幹線利用の新大阪までのツアーで大阪市内下車の切符が配布されることが何度かありました。
<機械のトラブル>
今回はいろいろな機器にトラブルがありました。列挙します。
カメラ
入念にゴミを取ったはずだったのですが、最初から最後まで、糸くずのようなゴミがついていました。最後にゴミを取り終わって、ついていないことを確認しています。その後レンズとの交換をしないまま使っていますから、ゴミが入ってくる事は考えられません。どうやって入り込んだのでしょうか。不思議です。
時計
時計のバンドが何回かはずれました。何かの衝撃が加わったとかではなく、いつの間にか、そっと外れているような感じです。いつ外れるのかわからないので、外れないように救急絆創膏で縛ってしまいました。
1年ほど前に使っていた時計のバンドがすぐに外れるようになりました。この時は、引っかける爪を受ける軸が曲がっていました。これが原因で外れるのだと思っていました。そのうちに、この軸も完全に折れてしまい、バンドを止めることができなくなってしまいました。
その代わりとして買ったのが今使っている時計です。同じものを買っています。買った直後に、動かなくなってしまいました。電池が切れたと思い、交換しようと裏蓋を開け、電池を触ると急に動き出しました。電池を外して見ると、接点の電極が曲がっています。そのために接触不良になっていたようです。
接点の電極は折れそうでした。また止まるとこまるので、バンドだけをつけ替えて、古い時計を使おうとしました。ところがこんどは古い時計が止まりました。電池を交換しても動き出しません。完全に壊れたようです。結局電池とバンドを新しい時計に戻して使うようになりました。接点は入念に元に戻しています。
その後も、何度か使っているときに外れるようになってきました。引っかける爪の角度と位置とかを調節してもうまくいかないようです。構造的には二つの爪で引っかけてとめるようになっています。よくみると、爪が同じ方向を向いています。これだと、引っかけるのと反対側にずらすだけで外れるのは目に見えています。接合部の根元を押すと簡単に外れたはずです。
どう考えても構造的な欠陥です。たまたま止まっているように見えていただけのようです。安物を買うのは考えものですね。ちなみに中国製です。
GPSロガー
GPSロガーも記録を取っていませんでした。立山の時と同じで、越後丘陵公園に入ってから途切れています。帰りのバス車内で、記録停止状態になっているのを発見しました。いったん記録を開始させたのですが、この後は記録を取ってもあまり意味がありませんから、すぐに電源をオフにしました。
この日は起動しようとしたときに、電源が入りませんでした。新しい電池(充電池です)に入れ替えましたが、それでも入りません。これ用の予備の電池は他に手元にはありません。カメラの電池が使えますが、外してしまうとカメラの予備の電池がなくなります。カメラが動かなくなると困ります。この方法は使わないことにします。
買ったときからそうですが、接点の金具がすぐに曲がり、電源が入らなくなります。いろいろいじっている内に電源が入りました。問題なのは、この時に入っている電池は昨日使ったものか新しいものかがわからなくなっていることです。帰ってきてから、充電し直したようすからすると、古い電池を使っていたようにも見えます。
原因として考えられるのは、電池の電圧低下による可能性があります。もう一つは、起動し記録を取り始めてからボタンのロックをしていません。何かの拍子にボタンを触り、記録停止状態にしたことも考えられます。
海水につけてから、電源投入直後の動作が変わっています。それまでは、記録待機状態だったのに対して、今は位置が計測できるようになるとすぐに記録を開始し始めます。事故で、動作がおかしくなっているのか、動作の設定をいじったのかそのあたりのところはよくわかっていません。
前回、前々回ともこの点以外は今まで通りに動いています。安心しているとこのようになります。時々動作しているかチェックしないといけないようです。
<その他>
経費です。ツアー代金以外に使ったのは、6千円ほどです。お土産代と食費がほとんどです。
歩数です。30日は13286歩、31日は21320歩です。1日の歩数として多いのか、少ないのかわかりません。これで、ハイク入門レベルだそうです。