ヨッシンと地学の散歩 > 旅行記
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2019/11/27-28 紅葉の東海三山


01    出発まで

 会津へ紅葉を見に行きました。時期的にはぴったりだと思っていましたが、今年(2019年)は残暑が厳しかったためか、まだ色づくには至っていませんでした。紅葉は北から進んできますから中国地方や九州へいくのならもう一回くらいチャンスはありそうです。できたらリベンジしたいものです。
 会津に行く前に、パッケージツアーでもう一ヵ所目をつけていたところがあります。泊まるところが大きな地方都市の中心部でした。星を見るのには空が明るいのではという懸念があります。会津よりも優先順位が下になっていました。とりあえず、こちらコースは次にいくところの候補としてあげることができます。その前に、他によさそうなところがないかもチェックしてみました。結果は新しいコースはなしでした。チェックしていたコースも検討し直してみることにします。

02 11/27 大垣市円興寺へ

 朝はいつもの旅行の時と同じで、出発1時間ほど前に起きて、朝食を済ませ、お茶を沸かしてボトルに入れ、鉢類に水をやったら、だいたいいい時間になります。荷物を持って出発します。もちろん施錠はしっかりしておきます。
 駅に近づいたところで、おにぎりを入れてくるのを忘れているのに気がつきました。取りに戻っていては遅刻です。どこかで買うことにします。おにぎりは冷蔵庫に入っていますから、帰ってくるまで持ちそうです。ちょっとぱさぱさになっているかな。


03 11/27 大垣市篠尾山円興寺

 円興寺は美濃三山の中には入っていません。まずは小手調べといったところでしょうか。お手並み拝見です。バスの窓からもそうでしたが、バス駐車場からお寺のある方をみても紅葉しているよう木がたくさんあるようには見えません。隠れていて見えないだけなのでしょうか。自家用車はこの狭い道を進んでいった先に駐車場があります。大型バスは入っていけないので、ここをあるいていくことになります。

04 11/27 大垣市円興寺から揖斐川町横蔵寺まで

 円興寺の本尊は木造聖観音立像で国の重要文化財に指定されているそうです。それらしいものは拝めませんでした。中を覗いている人もいましたが、暗くてよくわからなかったようです。
 本堂のある一画はモミジの木は少なめです。社務所や自家用車駐車場のある一画にモミジがかたまってあります。鐘楼を通して見たモミジとイチョウです。

05 11/27 揖斐川町横蔵寺山門まで

 バスが向かっているところは両界山横蔵寺です。みのいび茶と書かれていたところから山を越えて北側の谷に入った奧にあります。気がついていなかったのですが、書かれていた看板の下にトンネルがあってそこをくぐり抜けたようです。北側の谷に沿って走る道は西美濃もみじ街道というようです。ちなみにトンネルの道は西美濃お茶街道だそうです。

06 11/27 揖斐川町横蔵寺 境内

 山門をくぐった先に本堂があります。そこまで行く道の真ん中に香堂があります。香堂越しの本堂です。本堂の周囲の紅葉は終わっているのかまだなのかはっきりしません。緑が濃くないので終わってしまっている可能性の方が大きそうです。もみじもそれほどたくさんはなさそうです。駐車場横といいちょっと残念です。

07 11/27 揖斐川町横蔵寺 帰り

 舎利堂のある一画には、瑠璃殿、聖天堂がありますが、あまり写真を写していません。建物が新しそうだったのと、紅葉の木が少なかったこともあるようです。きれいな木が1本あったのですが、建物の陰でした。
 本堂のある一画に引き返します。谷に降りて再び本堂の方にあがっていく途中に見えた三重の塔と香堂です。画角内にきれいに収まっています。もうすこし紅葉していてくれたらなあ。

08 11/27 揖斐川町華厳寺参道

 境内散策に時間をいっぱい使いました。このあたりでバスに戻ることにします。途中道脇で売られていた柿がおいしそうだったので買いました。かじりながら戻りました。まだ固くてかぶりつくのは大変でした。次郎柿といっていたような。
 次にいくのは谷汲山華厳寺です。そこにつくまでのあいだ写真は全く写していませんでした。それほどバスは走ってはいません。すぐに、華厳寺に着いたようです。立派な門があります。この様式は三棟門でしょう。切妻屋根に段差があるのはあまりお寺では見ない形です。中華門とはすこし違うようです。

09 11/27 揖斐川町華厳寺 本堂まで

 華厳寺の山門は、屋根が2層ある二重門という形式です。これだけ大きな門になると、控え柱が8本あります。この形式の門は八脚門になりますが、八脚門といった場合は平屋建て構造の時のみをさすようです。
 控え柱8本の内の両脇の4本で囲まれた場所を区切ってその中に金剛力士像が安置されていることがあります。いわゆる仁王さんです。仁王さんのいる門は仁王門とも呼ばれます。華厳寺の山門は仁王門でもあります。門の格子のすき間にカメラを差し込んで仁王さんを写してみました。これは外側から見て右側にある阿形です。

10 11/27 揖斐川町華厳寺 本堂

 焼香場の先は石段になっています。その手前も緩やかな坂になっていました。このあたりから、だいぶ登っていくようです。石段をあがった先に本堂が見えてきました。まだもう一段石段を登っていかないとたどり着けないようです。どういうわけか本堂の全体の写真はこれだけしか写していませんでした。鯉の彫り物があってなでると精進落としになるそうですが、そういうことに気がついていませんでした。

11 11/27 揖斐川町華厳寺 本堂裏側

 華厳寺にはお堂がたくさんあります。山門前にあった案内板と比べていますが、書かれているものとお堂の数が合わず、どれがどれなのか決めるのに苦労します。といっても、境内をまわっているときには、その図は見ていません。帰ってきてから写真を見比べて決定しています。建物の配置がどうなっていたのかはっきりしないこともあって、かなり大変です。この時間帯はGPSが電池切れで動作していませんでした。

12 11/27 揖斐川町華厳寺境内西側

 華厳寺に来てわかったことですですが、ここは西国三十三ヵ所巡りの最後の札所になっています。それで大きなお寺だったのですね。住んでいる所の隣町に札所になっているお寺があります。ここも立派なお寺です。こんなことをいっても、美濃三山は何かとか全くわかっていません。
 三十三ヵ所を巡り終わると満願成就ということになります。満願堂はそれに由来する名前だったのかなあ。

13 11/27 美濃市大矢田神社 参道

 次に向かっているところは大矢田神社です。横蔵寺・華厳寺は同じ揖斐川町内にありますが、大矢田神社はだいぶ離れたところの美濃市にあります。この3つをあわせて美濃三山と呼んでいます。横蔵寺には両界山、華厳寺には谷汲山という山号がありました。美濃三山の山は山号に由来しているように思えます。これに対して大矢田神社は神社なので山号はつきません。山は2つしかないので三山にはならないこと、一つだけ離れているのが気にかかりますが、あまり深入りはしないことにします。泥沼にはまると大変です。

14 11/27 美濃市大矢田神社 本殿へ

 楼門を越えてからもまだ道は続きます。社殿まではまだまだありそうです。数は少ないのですが、道脇には夜店もでています。紅葉のこの時期だけでしょうか。周辺のもみじも綺麗ですが、写真に店が写り込んでくるのは興ざめです。

15 11/27 美濃市大矢田神社 本殿もみじ谷

 本殿の脇には、神社の由来や、建物特徴について書かれた解説板が置かれていました。それによると、三間社流造、三間向拝、軒唐破風、千鳥破風つき檜皮葺、寛文12年(1672年)建立と書かれています。本殿の屋根に注目します。棟から切妻屋根の上にでている三角形の屋根が千鳥破風(ちどりはふ)で、お城では2つ以上並んでいるのを見かけます。その手前の円形の屋根が唐破風(からはふ)です。他にも軒飾りの説明とかもありました。

16 11/27 美濃市大矢田神社 門前

 大矢田神社の由来について整理しておきます。3世紀の中頃に、この付近に悪霊が出るというので神のご加護を祈ると同時に、スサノオノミコトを祀ったのが始まりだそうです。
 8世紀になって白山開山のためにこの地に天王山禅定寺が作られ、次第に大きなお寺になっていったようです。戦国時代の戦乱で全山焦土となりなった後、江戸時代初期に牛頭天王社として本殿と拝殿が作られて、禅定寺は次第に縮小していったようです。この頃は神仏習合の風習が広まっていったので、お寺が神社の祭事をおこなっていたようです。

17 11/27 犬山寂光院へ

 大矢田神社の次に向かうのは犬山寂光院です。添乗員さんの言い方を借りると、ここまで3勝1敗になります。最初の円興寺はそれほどもみじがなかったので1勝にしてよいものか。気分的には2勝1敗1分けくらいの感じです。
 寂光院は犬山市の木曽川沿いにあります。といってもここからどう進んで行くのかよくわかっていません。広い道路に出てから、すぐに大きな川を渡ります。長良川です。前に渡った揖斐川と寂光院の前の木曽川とあわせて濃尾三川といいます。木曽三川というのが正しいようですが、長良川揖斐川は木曽地域を流れていません。これはどういうことなのでしょうか。

18 11/27 犬山市寂光院 参道

 バス駐車場から階段を上がっていくと、参拝車が通る道路に出ます。時々通る車に注意しながら、歩いて行きます。
 道はわりと切り立った山の斜面につけられているので、ところどころに崖があり、岩石が露出しています。細かい溝状の筋が平行に入った岩石でできています。特徴から板状チャートでしょう。海嶺近くの海底でプランクトンがたまってできた地層です。

19 11/27 犬山市寂光院七福坂

 道を進んでいくと広場に到着しました。法輪殿(お茶所)をはじめとしていろいろな建物があります。路線バスもここまであがってくるようです。
 正面左手には大きな建物と門が見えます。建物はお寺の事務所のようです。案内図では山門となっています。今までの他のお寺に比べると小さいようです。形式的には薬医門になります。広場側が外側に向けていますから、お寺に入る門というより庫裏とか社務所に入る門のようです。

20 11/27 犬山市寂光院 本堂

 本堂までくるには、七福坂を登らないとたどり着けません。石段が登れない人はどうするのかというと、スロープカーというのであがってくる方法もあります。6人乗りの斜行エレベータです。七福坂下の広場に乗り場があって、本堂横随求堂の裏手まであがってくることができます。
 問題なのは輸送能力です。片道4分かかるそうです。乗り降りの時間も含めると最大で、10分で1往復といったところでしょうか。広場では20人以上の人が待っていました。4回目に乗れるとして、40分後に乗車、45分で到着ということになります。ツアーで寂光院の見学時間は1時間ちょっと、広場までの往復時間も考えると、本堂まであがることができるのかどうか。バスに乗ってきた人が全員利用すれば時間が全然足りません。

21 11/27 犬山市寂光院 復路

 寂光院の名前で気になっていたことがあります。寺号は何かということです。大原三千院のように「寺」でよばないものもありますから格式の違いかなということで気にしなくてもいいことかも知れません。でもどう違うのは気になります。
 山号は継鹿尾山(つがおさん)です。犬山寂光院ということがありますが、犬山が山号だと思っていました。寺号は「八葉蓮台寺」です。あまりこちらの名前はあまり聞かないようです。本堂正面の額には読めなかったのですが、「継尾山」と山号が書かれていたようです。寺号はありませんでした。

22 11/27 犬山市不老の滝公園

 寂光院の麓側の広場まで戻りました。この先はバス駐車場まで車道を戻っていくことになります。総門前から車道を降りていって、駐車場の裏側で階段を降りていくと到着できます。階段を降りずにまっすぐ進み、木曽川沿いの道に出たところに不老の滝というのがあります。時間的にはまだ少し余裕があります。こちらに行くとしても、ちょっと遠回りになるだけです。行ってみることにします。

23 11/27 犬山市寂光院バス駐車場

 寂光院に来るときに気になっていたことが一つあります。かなり昔の話になりますが、この近くで、二畳紀−三畳紀境界層というのを見たことがあります。普通は、PTバウンダリーと呼んでいます。Pは二畳紀の別名ペルム紀のP、Tは三畳紀の別名トリアス紀のTです。
 最近話題になったものとしてはチバニアンというのがあります。これもその境界層の一つです。PTバウンダリーがどういう意味があるかというと、ここで地球の歴史上で大きな絶滅事件があったからです。この境界で、古生代から中生代に変わっていきます。

24 11/27 豊川へ

 寂光院の後は宿に向かうだけと思っていました。どちらにしても、ここからのバス乗車時間はたくさんあります。雪虫観察で時間を使いました。トイレに行くのを忘れていたので、添乗員さんに許可をとって行かせてもらいます。不老の滝前の公園駐車場にあります。時間がないので走って往復します。出発時間までに何とか戻ることができました。

25 11/28 豊川市豊川稲荷本殿へ

 せっかく豊川まで来ていますから、朝の出発前までに豊川稲荷に行っておきたいものです。出発時刻は7時40分で、バスの駐車場まで歩いていかないといけません。朝食は7時からとなっていますが、その20分ほど前には食べ始めることができるようです。
 豊川稲荷見学が1時間として、そこまでの往復時間も考えると5時半には宿を出ないと間に合わない計算になります。5時には門が開いていますから、この時間でも中には入ることができます。

26 11/28 豊川市豊川稲荷 禅堂大黒堂

 豊川稲荷の中は、昨晩のうちに駅でいただいていた案内図に従って進んでいくことにしています。本堂でお参りしたら右に進んでいってお寺を周回するコースが書かれています。
 本堂を右に進んだ所にお堂があります。幟にはおみくじと書かれています。おみくじが買えるようです。ところでここは神社でしたっけ。稲荷となっているから神社なのかな。

27 11/28 豊川市豊川稲荷 霊孤塚・景雲門

 豊川稲荷の正式名称は(圓福山)豊川閣妙厳寺というようです。稲荷との関係はが気になるところです。いろいろ調べてやっとわかったのは、ご本尊の豐川ロモ枳尼眞天が狐にまたがっていることから、狐を祀るようになったのが起源だということです。どっかに妖狐が現れたと書かれていたような。気のせいかな。
 豊川稲荷の奧の方に、霊孤塚というのがあります。ただこの近辺にそれらしきものはありません。鳥居があって、そこから道が続いていますから、こちらなのでしょう。行ってみることにしました。灯りは少なくて薄暗いのですが、新しい懐中電灯のおかげで気にせずに歩くことができます。

28 11/28 豊川市豊川稲荷 三重の塔山門

 そのまま進んで行くと再び三重の塔が見えてきました。こちら側が正面になり、先ほどはこの裏側から見ていました。右奥には禅堂(万燈堂)が見えています。だいぶ空が明るくなってきて、灯りなしでも歩けるようになってきています。空が不思議な色に写っています。

29 11/28 豊川市豊川稲荷 山門

 随祥殿からの帰り方向の正面に山門がありました、この並びは何か変です。どういうことかというと、山門の位置は総門から入って本堂に行く途中になっていません。普通はお寺(本堂)に向かう途中で必ず大きな山門をくぐります。山門はくぐることで三界解脱の効用があります。それから本堂にお参りするというのがルールです。とするとこの山門の位置づけはどういうことになるのでしょうか。

30 11/28 袋井市法多山尊永寺へ

 宿に戻ったら朝食となります。ちょうど食堂が開いたところです。入口前には長い列ができています。続々と人が下りてきています。並んでいる時間が無駄になります。それほど時間に余裕がありません。列が短くなるまでの間に、できる分でも出発の準備をしようと部屋にいったん戻りました。
 食事から戻ったらすぐに出発できるように、荷物を持ち歩く荷物、バス車内で必要な荷物、帰るまでは特に必要のない荷物にまとめておきます。いつもは、持ち歩きようにステンレスボトルにお茶を朝に入れるのですが、ここは部屋には茶葉は置いていなくてロビーの粉末のお茶があるだけです。ふだんの宿で置いてあったお茶のあまりをいつも持ち歩いていますから、これで入れます。

31 11/28 袋井市法多山尊永寺 参道

 尊永寺の駐車場に到着しました。ここから歩いて行くようです。参道に出るまでが複雑でした。建物の裏側をまわっていくとたどり着くことができました。たぶん近道をしていたのでしょう。案内標識はありました。帰りがわかりにくくなりそうです。
 参道を進んで行くと門が見えてきました。冠木門という形式の門です。お寺よりは関所跡などでよく見かけます。

32 11/28 袋井市法多山尊永寺 蛸薬師堂から本堂

 ちょっと気になることができてきました。雨がぱらついています。傘はバスの中に置いてきました。駐車場からだいぶ来ていますから、とりに戻ると尊永寺を参拝する時間はなくなります。雨がひどくならないことに期待するしかないでしょう。このまま強行します。
 左手山側に、平行に道が続いています。こちらを通ってもいけそうです。今通っている道はツアー仲間でいっぱいです。山側の道は、人がいない分ゆっくり景色を見られそうです。こちら通っていくことにします。

33 11/28 袋井市法多山尊永寺本堂

 雨はだんだんひどくなってきていて、本降りになっています。傘なしでは歩けない状態です。大丈夫だろうと思ってバスに置いてきたのが悔やまれます。雨を避ける所もなく、だいぶずぶ濡れになっています。
 長く続いた石段を登り終わって正面に見えてきた本堂です。その前は大きな広場になっています。

34 11/28 袋井市法多山尊永寺裏参道

 ビニールの風呂敷は雨対策としては完璧ではありません。体全体を覆うほど大きくないし、動く度にひらひらして雨がかかります。両手で持っていないとずり落ちてきます。ないよりはましということでこのまま対応しておきます。帽子で押さえることで手を開放することにしました。
 鐘楼から石段を一段降りたところです。七重石塔の右側に仏様がいます。黙想しているのでしょうか。左側のも仏様?。黄色い色が雨にぬれてレインコートを着ているように見えます。

35 11/28 袋井市医王山油山寺 宝生殿

 尊永寺駐車場に入る狭い路地も無事見つけることができて、バスに戻ることができました。席に着こうとしたら、シートの上に飴を入れていた袋が座っていました。ここで何かを出し入れしたときに、落としていたようです。
 バスは次の目的地に向けて出発します。行き先は油山寺です。遠州三山の2番目です。ここに来る途中、新幹線の線路に沿って走っているときに、案内板がでているのを見ましたから、すぐ近くなのでしょう。

36 11/28 袋井市医王山油山寺薬師本堂へ

 油山寺に着く前に添乗員さんが、油山寺という名前は油が出たことからつけられたといっていました。この付近から御前崎にかけて分布している地層からは、石油が湧き出すことがあります。いまから40年くらい前までは実際に採掘していました。それを考えると、油が出るというのは別に不思議ではありません。地質が関係しているとは驚きです。
 本坊を出て薬師本堂に向かいます。しばらくは樹木がうっそうとした谷を歩いて行きます。天狗谷というようです。

37 11/28 袋井市医王山油山寺薬師本堂から帰り

 ここまできてやっと「め」の意味が理解できました。ここの本尊は薬師如来です。病気の神様(仏様?)といっていいでしょう。一応全ての病気に万能なのでしょうが、ここでは「目」の病気に効能を発揮しているようです。
 本堂内部にいらっしゃる薬師如来です。薬入れを持っているのが特徴と思っています。

38 11/28 袋井市萬松山可睡斎 山門まで

 次の見学地は萬松山可睡斎です。朝から遠州三山を立て続けに見てきました。その最後になります。ここも寺号がはっきりしません。住職が徳川家康と話をしているときに、居眠りをしてしまい、家康から「睡る可し(ねむるべし)」といわれたのが、次第にお寺の名前になったとか。それまではなんと呼ばれていたのか謎です。
 油山寺からはそれほど遠くないところにあります。すぐに駐車場に到着です。横にある建物は公的施設のようですが、何かよくわかりません。

39 11/28 袋井市萬松山可睡斎 本堂

 普通お寺では山門を入った内側が境内になります。その前にもお堂がありましたから、この山門は本堂のある区画への入口にあるということにしておきます。そういえば総門の外にも地蔵堂がありました。門の位置関係からすると不思議な配置になっています。
 本堂区域の建物を見ていきます。山門を入って右側にあるのが瑞龍閣です。入母屋風の屋根が建物の棟方向と直角になっています。いくつかの棟をつなぎ合わせているのでしょうか。

40 11/28 袋井市萬松山可睡斎秋葉総本殿

 本殿の裏側にある建物は、秋葉総本殿といいます。三尺坊御真殿ともいうようです。三尺坊は、修行の末火を自由自在に操ることができるようになったお坊さんです。元々は、秋葉山秋葉寺というお寺であったものが、明治期の廃仏毀釈で廃寺になり、御真体・仏具などを可睡斎が全て引き取って、ここに祀ったそうです。
 本殿の左横から、秋葉総本殿にいきます。石段にかかる手前右側、本堂の横手にある小さなお堂に、大きな下駄が置かれていました。仁王さんの関係かなとも思いましたが、仁王さんはわらじだったような。

41 11/28 袋井市萬松山可睡斎 出世六の字穴、本堂前

 可睡斎の名前の由来は徳川家康と関係しています。和尚さんが徳川家康とつながりがあったからです。このお寺の中には、他にも徳川家康に関係した史跡があります。出世六の字穴というものです。三方ヶ原の戦いで武田信玄軍に敗れた徳川家康がここの洞穴に逃れて、命拾いをしたというものです。秋葉総本殿の前から本堂の裏側を進んでいくとそこにたどり着きます。そこを見に行くことにします。
 本堂と秋葉総本殿を結ぶ回廊をくぐって、石段を登っていくと、脇にびわの木があって花が咲いていました。

42 11/28 森町小国神社 参道

 可睡斎の次に向かうところは、小国神社です。遠江の一宮だそうです。可睡斎のほぼ北側、第2東名高速を越えたあたりにあります。この区間もどういうわけかバスの車窓からの写真を写していませんでした。記録になりそうなものもなかったのかな。
 バスの駐車場は神社からだいぶ離れたところの脇にあります。戻ってくるときに間違えそうです。
 可睡斎をでるときは雨はやんでいましたが、また降り出しています。傘をさしていきます。広い道に沿って150m程進むと、左への脇道がありその先に鳥居が見えています。

43 11/28 森町小国神社 神殿

 小国神社の祭神は大国主命です。正式には大己貴命(おおなむちのみこと)というようです。因幡の白兎で有名ですが、最初に降りたったのがこの裏側にある山だったといわれています。添乗員さんが、この神社をどうして大国神社と呼ばないのかを説明してくれていましたが、忘れてしましました。何だっけ。調べてたのですがわかりませんでした。何かの「大国」と紛らわしいからといっていたような。
 二の鳥居の正面に拝殿が見えます。屋根が檜皮葺というのには気がついていませんでした。

44 11/28 森町小国神社 宮川

 神社の横にある川沿いを写真を撮りながら下っていきます。この先の川原の真ん中で、カメラクルーの3人組が居座っていて、なかなか退きそうにもありません。シャッターチャンスをねらっているのでもなさそうな感じです。ずっと何かが変わるのを待っているというようなようすはありません。この人たちや置いたままになっているカメラや差している傘が写り込むのは興ざめです。入らないように写真を撮るのに苦労します。

45 11/28 新城市鳳来寺山へ

 小国神社の次は鳳来寺です。ここは少し離れています。新城市にあります。豊川で駐車場から歩いて宿に着く前に、踏切待ちがありました。通過したのは飯田線新城行きの列車です。「しんじょう」と読んでしまいましたが、正しくは「しんしろ」です。
 小国神社近くの遠州森町スマートICから新東名高速に入って西に進んでいきます。途中天竜川を渡ります。上流が伊那谷です。飯田線は、新城市の鳳来峡をすぎたあたりから山越えをしてこの川沿いに抜けた後、更に上流にある伊那谷を走ります。

46 11/28 新城市鳳来寺 裏参道

 パークウェイを走っているときに添乗員さんは、小豆島寒霞渓の景色に似ているといっていました。地質的には、全く同じ時代の同じ種類の岩石でできています。山の浸食のされかたなど必然的に似てくるのでしょう。どちらもモミジの名所です。これは岩石とは関係なさそうです。このような地形の所に、お寺や神社が作られてモミジが植えられて、という関係はなきにしもあらずというところかな。
 ということで、この付近の岩石も気になるところです。表面にいろいろなものがこびり付いているので、たたき割らないと(といっても一部を欠くだけですが)わかりません。凝灰岩なのか流紋岩なのか。ピッチストーンが多いとはいわれていますが。

47 11/28 新城市鳳来寺 東照宮

 この先に鳳来山東照宮があります。この付近の山は鳳来寺山といいます。鳳来寺のある山だからでしょう。神社なのであえて寺をつけていないとしても、東照宮は鳳来寺山に詣でることによって授かったという故事にちなみ、徳川家光が造営したものです。神社だからといって寺を敬わないのはちがうような気がします。
 ここからしばらくは、崖の斜面が緩いのか道の両側に木々がふえてきます。たくさんのモミジもあります。道にも葉っぱがたくさん落ちています。見ながら進んで行きます。

48 11/28 新城市鳳来寺 本堂

 東照宮の前から鳳来寺山本堂へ行くには、東照宮の石垣のうえをぐるっと回ってから、石段を降りてというように少し複雑でした。石段を降りた先で別の方角から来た道に合流しそのまま進んで行くと到着することができました。
 本堂です。かなりシンプルな建物です。銅板(金属板)葺き寄棟屋根で、平入り5間幅、上から見ると綺麗な長方形です。かなり新しそうな感じがします。屋根の光具合からそう見えるのでしょうか。

49 11/28 新城市鳳来寺 旧本堂

 この先にあると書かれていた鐘楼にもいきたいのですが、距離が全くわかりません。更にその先には胎内くぐりとか、竜の爪痕とか色々あるみたいです。見学時間が限られていますから、この先はあきらめて引き返しました。
 再び、石段まで戻ります。この石段を本堂横から眺めてみたようすです。途中で幅が狭くなっています。狭くなった所から左に行くと岩陰遺跡です。更に先にも石段が続いていて先にお堂がみえます。こちらの方に行ってみることにします。

50 11/28 新城市鳳来寺 駐車場へ帰り

 旧本堂から引き返していきます。本堂前から来た道を戻ります。途中二手に分かれています。一つは宿坊、もう一つは東照宮に行きます。宿坊の先で合流します。どちらでも戻れます。迷っていたツアー仲間から、どちらか聞かれました。来たのは左の東照宮からの道で、まっすぐ行っても帰れますと答えました。東照宮の方にあがっていきました。宿坊の方は見ていませんから、右から戻ることにします。
 見えてきた宿坊です。この周りにはモミジの木がたくさんあります。

51 11/28 帰阪

 ここから後はひたすら大阪に向けて帰っていくだけです。パークウェイは下まで同じ所を戻っていくと思っていました。登るときは谷側が見えていたので、下りは山側になるはずです。ずっと谷側が見えています。別の出口から出たようです。谷側が見られると期待していたのが外れました。
 麓に降りて谷沿いを走っていると長篠駅の案内が見えてきました。このあたりは長篠合戦があったところです。武田軍が織田徳川の連合軍に大敗しています。長篠城は何となくわかったのですが、一瞬の間でした。その他の史跡は確認できないまま、新東名高速道路に入りました。設楽が原の古戦場がわからなかったのは、その手前で高速道路に入っていたからでした。


52    感想・余談など

 今回の旅行の目的は、紅葉を見ることでした。信州や東北の紅葉と違って、近畿以西での紅葉はモミジが中心となります。色づき始めるのはもっと寒くなってからになります。
 それと、モミジは近畿以西の自然林の中では少数派で、どうしても寺社や公園などの人工的に植えられたところに限られてきます。逆にその分色が鮮やかになります。大矢田神社のヤマモミジ林は人工的な気もします。自然林では主流になる木ではありませんから。

番外編1 持ち物について

 今回の旅行で、ふだん旅行カバンに詰め込んでいるもので必要かなというもののいくつかが、出番がありました。何を持って行っているのかの整理も兼ねて、ざっとあげてみることにします。
 入れ物ですが、大型のリュックサックに入れています。両手が空くので、切符をだしたりとか、何かをするのがやりやすいという利点があります。ツアーでもエスカレータはあまり使わずに階段を利用します。これだと上り下りが非常に楽になります。

番外編2 建物の様式(屋根の素材)

 旅行などでいろいろな建物や門を見た時に、建て方の特徴に注目することがあります。様式についての理解や各部の特徴などがわかってくると、建物の見方も変わってきます。今はまだ勉強中といったところですが、理解できている範囲で今回の旅行で見た建物を使ってまとめてみることにします。といっても、旅行中に詳しく見ていなかったところもあります。例としてあげたものには、造りをしっかり見て判断していないものもあり、間違ったものがあるかも知れません。だいたいこんな感じでというところで見てください。

番外編3 建物の様式(屋根の形)

<切妻造>
 屋根の形に注目します。屋根を平にしておくと、降った雨は屋根の上にたまって雨漏りの原因となります。そこで屋根板をななめにします。そうすると雨水は流れ落ちて屋根にたまらなくなります。建物の中心線で左右に振り分けるのが一般的です。建物の中心一段高いところに棟木を渡してここから左右に屋根板をはります。棟木は建物のどちらかの壁と平行に渡ります。このような建物の造りを切妻造といいます。住宅家屋では普通に見られる様式です。

番外編4 建物の様式(屋根の飾り)

 建物の飾りに注目することにします。

<千鳥破風>
 屋根の斜面上に、妻面上部に見られる「へ」の字形に屋根を載せていることがあります。妻面で一番高くなっているところを破風(はふ)といいます。妻面で風の影響を一番強く受ける場所です。この破風と同じものが屋根に乗っているという感じになります。お城では、2つ以上並んでいることもあります。これを千鳥破風とよんでいます。妻面上部の破風を千鳥破風というのはあまり聞いたことがありません。屋根側面のもに対しては使われているようです。明かり取りに使われていたのが起源という話も聞いたことがあります。

番外編5 門の種類 基本形

 門の構造や種類についてみていくことにします。
 門の造りを見たり調べたりしている内に、門の形がどう変化してきたのかが何となくわかるようなきがしてきました。どのように変化してきたのかを考えながら見ていくことにします。
 そもそも、門は建物敷地への出入り口として設けられています。敷地内に侵入されないように、周囲は塀でかこまれます。生垣といったものになることもあります。

番外編6 門の種類 少し大きな門

<三棟門>
 柱と柱の間を「間」といい、それがいくつあるかで建物の大きさを表すことがあります。古代建物で、三間×四間の堀立柱建物とか、大矢田神社の拝殿は三間向拝であるといった使い方をします。
 門を横に広げて大きくしたものがあります。そのまま広げていくのは無理ですから、柱を増やすことになります。左右対称に2本柱を増やすことで、三間の幅を持った門ができます。このような門は三間門といっていいのでしょうが、普通は三棟門といいます。両脇の間の屋根が一段低くなっていることから3つの建物が重なっているように見えることからつけられているのでしょう。

番外編7 門の種類 大きな門その他

    −−− 大きな門 −−−−
<楼門>
 八脚門で2階建てになったものを楼門といいます。2階部分の周囲には回廊が巡らされているのが普通です。写真は大矢田神社山門です。

番外編8 門の種類 門の呼び方

 門の中にはその構造以外の事柄に注目して様々な呼び方でよばれているものがあります。例を挙げながら見ていくことにします。

 −−− 付属しているものに注目した呼び方 −−
<唐門>
 門の上に乗る屋根の形が千鳥破風ではなく、唐破風になっている門を唐門といいます。これも日本独自のもので、唐とは関係ないようです。



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