ヨッシンと地学の散歩 > 旅行記
各回のタイトルをクリックすると、各回の内容を開閉します

2015/08/02-03 三陸 津波跡を追う


1 出発まで

いきさつ
 昨年の5月に大阪の地学教員が集まる機会がありました。解散した地学教員のグループが、近況報告をしようということで久々に集まった会合です。その2次会の席上で、「地学に携わるものが三陸に行っていないというのは話にならない、来年はみんなでいこう」ということになりました。理路がつながっていないところがあるのですが、一応銘々が自分なりにつなげて賛成した結果です。たぶん理路をつなげた方法は、ん十メートルの津波といってもそれを目で見て自分なりに確認あるいは体感していなければ、それを語っても受け売りにしかならないというのが大方の考えでしょう。単純にどんなのだったか見てみようとか、知識を生かして調べてみようとか考え方は人それぞれだったと思います。

2 出発まで2

 参加者が確定したとの連絡の後、さらに4日後に新たな連絡が来ます。レンタカー3台に誰が乗るかと、運転手2名が決められていました。それと、災害の状況を各自分担して調べて人数分レジメを作ってくるようにとのことです。このグループは、くっついていったらという安易な気持ちでは行かせてくれません。分担は、気仙沼市の状況でした。一応ネットで調べ始めることにします。

3 8/2出発

 朝は、目覚ましをセットした時刻より5分早く目覚めました。外はまだ薄暗いです。月がでていますが、周りが虹色に光っています。何とか写真に撮ろうとしたのですが、三脚固定とか色々している内に、空が明るくなり見えなくなりました。

4 8/2仙台から田老へ

 レンタカー会社仙台空港店から宮古の方に向けて出発します。経路としては、花巻から釜石に出て海岸沿いを北上するか、高速道路を北上して盛岡まで行きそこから宮古に抜けるかです。どちらが早いか微妙なところがあるのですが、盛岡経由で行くことになりました。

5 8/2 田老から釜石

 田老漁港では、旧防潮堤の方へもいきましたが、その頃には雨が本格的に降り出していました。しばらく、車の中にいましたが、小やみになったときに外に出ました。防潮堤そのものには何も影響がないようです。それでも手前の川につけられたガードレールの杭の倒れ方を見て、どのような流れがあったのかと議論を始めていました。

6 8/3 釜石

 釜石の見学は各自となっていました。時間を節約したいようです。早くに目覚めたのでぶらっとまわることにします。ホテルから見た釜石市街です。コンクリート造りの建物は残っていますが、それ以外は、流されたのか更地になっています。

7 8/3 陸前高田

 ホテルに戻って軽く朝食を取ったら、出発時刻に近づいていました。荷物を整理しロビーに降りていきます。みんながそろったところで出発になります。最初の運転ですが、気仙沼市内は案内があるかも知れないので、地図を見る必要があります。この区間は運転してもらいたいというと、それなら、先に運転するといわれました。よくわかりませんが、そうすることにします。

8 8/3 陸前高田から気仙沼

 一本松見学を終え茶屋に戻って次に向かいますが、その前に、車のガソリンが半分に減っているので補給することになりました。津波高の標識のあったガソリンスタンドです。車のガソリン補給口の位置がわかりませんが、A号車と同車種のなので、前を走っている車を見て確認します。入ろうとしているブースは補給口が逆側にあるようなので、車をバックで入れないといけないことがわかりました。C号車は、気づかずに入れ、ノズルを反対側まで引っ張ろうとしていましたが届きません。結局車の向きを変えたようです。

9 8/3 気仙沼から松島

 本吉に到着し、シーサイドパレスの工事現場に入るところで、展望台の位置を警備員さんに確認したのですが、ダンプの向こう側から入るように言われます。ダンプが待ってくれているようなので、急いで車を動かさないとと焦ったら、入口を見落としてしまいました。結局川縁からの観察になります。シーサイドパレスは囲いで覆われているものの、まだ取り壊されていないようです。作業がしやすいように、周囲は埋め立てられています。

10 8/3 松島から大阪

 松島でみんながそろったついでに、見学していくことになりました。
 車を有料駐車場に移動させます。通路との間が狭く止めるのに苦労しました。みんなが待っているところには、津波到達高を示す碑がありました。地面から1.5mほどであまり高くないようです。なぜ高くならなかったのかで議論をしていました。



目次へ戻る