2015/08/09-11 日本海ど真中 隠岐
三陸の津波跡見学が決まって、仙台で前後の日の計画を立てようとしたけれども、うまくできませんでした。代わりに何かないかと、ツアーカタログを開いてみると、8月9日から2泊3日で隠岐諸島巡りというのがありました。お盆料金になっていてちょっと高めですが、予約もまだ可能なようなので申し込むことにします。隠岐のうち島後は35年ほど前にいったことがあります。目的は、どちらかというと石です。ツアーでは、そのようなところによりません。ちょっと趣が違っているでしょう。
ツアーにしたのは、もう一つ理由があります。9月の旅行先の計画をじっくり検討しようと思ったからです。その割にはツアーから帰ってきたときでも計画はできていませんでした。
ツアーにしたので準備は気楽でした。夜、星を見ることも考えていますから、宿の近くのようすは調べておきます。1日目の宿は、広場はたくさんありそうです。期待できます。2日目の宿は、町の中心部が近そうです。おまけに開けたところはなさそうです。一応ポータブル赤道儀を持って行くことにします。もっともだめそうでも、持って行きますが。三陸には持って行っていません。あのメンバーは、夜でも議論に夢中で星どころではありませんから。それと、荷物が重量オーバーで追加料金が必要になってくることもあります。
8月9日の集合は、大阪空港11時50分です。ゆっくり出発早めの帰宅というのがうたい文句でしたから、たしかに遅い集合時刻です。もっとも、飛行機は1往復しかありませんから、どうしてもこの時間になります。逆に、日差しのきつい中を歩かないといけないことになります。11時前に家を出て、20分歩いてモノレールの駅に着き、20分ほどの乗車で大阪空港に到着です。集合時間前に着くことができました。その時恐ろしい光景を見ました。荷物預けのためにものすごく長い列ができています。待ち合わせ場所で受付を済ませ飛行機の搭乗券をもらいます。座席は35Kです。ここで、2日目のオプション昼食も申し込みました。
次にしないといけないのは、荷物を預けることです。荷物の重量は機内に持ち込める重さを超えているはずです。列の最後尾に並ばないといけません。おまけに、列はさらに長くなっています。40分ほど並んであと10人ほどとなったところで、隠岐行きの優先受付が始まります。これなら、昼食を先に済ませるなどしておいた方がよかったです。荷物検査です。一応ニッケル水素電池が入っていることを申告します。念のため見せろと言ってきます。確認しなくてもわかるはずです。出しましたが、袋を開けるのにもたもたしています。やっとカウンターに到着し、荷物を預けることができました。重量は9.8kgで預けなくてもよかった重さでした。列が長かったのは、使っていないカウンターがいっぱいあったからです。おまけに優先受付の場所も確保しないといけないので、実質上の受付場所はすくなくなります。航空会社は列が伸びる前に対応すべきです。
弁当が売られていないか探しますが、柿の葉寿司しかありません。搭乗待合室前にコンビニがあるらしいので、それを期待してセキュリティチェックを通ります。コンビニがあったので、弁当とお茶を買って、飛行機を見ながら食べました。普段はプロペラ機なのですが8月だけジェット機になるそうです。
すぐに搭乗開始です。窓側だったのですが、1列間違えて座ってしまいました。お詫びを言いながら、席を移動しました。隣は、隠岐に帰る4人組の女性のようです。何もないところにようこそと言っていましたが、色々あるところです。
飛行機は、乗り継ぎ便が遅れたことから、20分遅れで出発です。北西方向に離陸し、すぐに左旋回、西宮上空から海岸沿いを飛び加古川付近から北西方向に米子方面に向かいます。途中雲に覆われていますが蒜山や大山が見えました。大山です(たぶん)。
すぐに、日本海上空に出ます。海面には赤潮が所々に見えます。隠岐島後も見えてきました。
島が見えたら、すぐに空港に降りたちます。隠岐空港です。
空港には牛が迎えに来ていましたが、すぐに帰って行きました。
隠岐空港到着は20分遅れでした。荷物を受け取って、到着ゲートをでたところで、始めてツアーのメンバーが勢揃いします。人数は30人ほどです。家族連れや子供連れがいます。若い人もたくさん混ざっています。ちょっと離れた場所に、別会社のツアーグループも集合しています。人数はわれわれより少なめです。同じ飛行機でやってきたようです。
添乗員さんから、トイレを済ませておくことと、飲料のペットボトルを2本以上用意しておくようにと指示が出ます。持参しているペットボトルは昼食時に買った1本だけです。それも中身が少し減っています。買いたそうとしますが、緑茶類は売り切れています。どうしようか悩んでいるメンバーがいましたが、紅茶飲料が何本か残っていましたので、うちの1本を買いました。これは、自宅まで持って帰ることになるのですが。
バスに乗って最初に向かうのは、かぶら杉です。別ツアーは、途中にある神社の方によったみたいです。一緒にならないでしょう。カブラ杉は、隠岐にある3大杉の木の一つだそうです。根元付近が膨らみ、そこから何本かの幹が伸びているのが特徴だそうです。
バスを止めた駐車場の脇に、有名妖怪漫画家がデザインした妖怪のブロンズ像が置かれていました。この漫画家の本名と同じ名前の村が隠岐島後内にあるので、自分のルーツは隠岐と考え、隠岐に作品を掲示することを認めているという経緯があります。類似のものが何カ所かにあるようです。著作者から許可を得ていないので、写真の該当部分にぼかしをかけています。見難くてごめんなさい。
かぶら杉の次は、島の北端にある白島海岸に向かいます。白島海岸は、付近にある島の数を数えたら99こだったことから名付けられそうです。よくあるとんちですね。岬に入ったところの駐車場にバスを止め、そこから展望台まで遊歩道を歩いて行きます。途中に竹島の方向を示す標識があります。この距離だと見えないですね。わざわざ作るというのは、何か思い入れがあるのでしょうか。
あと100mほど歩くと、展望台に着きます。白島半島方面の海岸です。左側から半島の最初のピークに重なるように松島、3つ目のピークの向こうに沖の島、その右半島のように写っているのが田島、その右手前にある両側が切り立った島が小白島です。このあたりは、オオミズナギドリの繁殖地になっているそうです。
半島の斜面の木が枯れているのが気になります。後で乗った船の船長さんの解説によると、松食い虫による被害だそうです。松食い虫というのは冤罪で中国大陸からの公害だという説があります。
小白島は島の端に海食洞門があり、そこを横から見ると象の鼻に似ていることから象の鼻島とも呼ばれます。
海岸線反対側、中村から布施方面です。いちばん左の島が琴島、その手前赤灯台があるのが釜島、すぐ横岬に隠れるようにあるのが烏帽子島、琴島・釜島の間の入り江の奥が中村の町です。いちばん遠くに見えるのが大鼻島、横に並んであるのが三峰島です。このあたりから向こうが布施海岸になります。
直下に見えるのが雀島。2種類の岩石の2段構造になっています。
展望台で、ナガサキアゲハをアゲハが追いかけていました。
展望台に、別のツアーグループがやってきます。人が多くなってきました。戻る時間でもありますので、遊歩道を戻ります。途中見えるのが白島崎灯台です。沖の島にも灯台がありました。
遊歩道には、アジサイがたくさんありました。花期は終わっているのですが、まだきれいな色をしています。対馬暖流の影響という説があるそうです。
白島海岸の次に向かうのは、水若酢神社です。この神社は隠岐国一宮になります。明神大社なのですがその意味が理解できていません。まずは鳥居です。
参道を進んで行くと、最初に右側にあったのがトイレです。屋根が銅板葺きの立派な建物です。窓にカーテンがあるなど豪華です。男女識別のピクトグラムは平安貴族の装束でした。
参道を挟んでその反対側にあったのが、土俵です。隠岐は相撲が盛んなところで至る所にあります。土俵の右側にある丸太は、相撲の優勝者に、送られる柱の見本だそうです。
拝殿です。何も知らない人が見たら、神社の建物はたいしたことがないように見えるかも知れませんが、本殿はこの後ろに隠れて屋根の一部がみえています。
本殿の千木です。鬼板(鬼瓦にあたる部分)が立派です。菊の紋章の飾りが見えます。
神社の横には古墳があり石室が見えていました。古墳の名前は記録を取らなかったので定かではありません。
神社を抜けたところにあるのが隠岐郷土館です。昔の郡役場を使っています。考古学、民俗学関係の資料が展示されています。近くにある五箇創世館とか土産物販売所とかを約1時間自由見学だそうです。
郷土館の横に置かれている、農機具の展示です。千歯扱きとか古い農機具がいっぱい展示されています。
周囲を見て回ることにします。横にあったのが水上神社です。狛犬が鎮座しています。そういえば、水若酢神社には狛犬がいませんでした。
古い民家が移築されていました。元々は都万目にあったものだそうです。玄関が三つあるのですが、2つは木の陰で見えません。開いている戸口が上戸口で特別な行事の時に使われるようです。
その近くにあったのが、姿沢闘牛場です。牛突きに使われています。隠岐空港に迎えに来ていた牛は、ここかどうかわかりませんが牛突きの横綱になる牛だそうです(飼い主弁)。
いったん水若酢神社に戻ったら、白島展望台にあとから来たグループが、やってきていました。我々は、まもなく出発です。
次の目的地はローソク島観光です。水若酢神社周辺で時間を使っていたのは、ここの観光船の出発が午後6時だったからです。波が荒いと出発しないようで、欠航率が3割だそうです。青ヶ島は出航率が3割でした。たいしたことはありません。出航時刻が遅いのも、その時刻を聞いて納得です。日没が7時5分ですから、太陽をバックにローソク島を見ようということだったのです。昔来たときは、近くで見ることさえできなかった事を考えると、大きな違いです。
船のでる赤崎岸壁に向けてバスは進みます。途中気になる崖があったのですが、今回は無視します。岸壁に着いたのは出航の30分ほど前です。乗船できるまでバスの中で待ちます。しばらくするともう一台バスがやってきました。今日、3回ほど顔を合わせたグループです。出航10分ほど前に、船に乗り込みます。
船の中は自由席です。デッキで見ることはできないようです。どこに座るかが重要になります。ここで一つ勘違いをしてしまいました。ローソク島は、ここから北東側にあるのに、南西側にあると思い込み左側に座ってしまいました。ついでにいうなら、後部座席より、前部の方が見やすかったかも知れません。
もう一つ、船の窓ガラスはものすごく汚れていて、外の景色がぼやけて見えます。やむなく、タオルを出して窓を拭いたのですが、汚れていたのは外側でなく内側でした。
出航してすぐ見えてきたのが、福浦トンネルです。左に新しいトンネルがあり、岬先端近くに手彫りで作られたような古いトンネルがあります。
ローソク島です。雲がかかっていますが、なければ、ローソクの芯の所に夕日が合わさって、ローソクが灯っているように見えるはずでした。何となく雰囲気はわかります。
左に座っていると見えないのですが、ここでは船は旋回してくれません。代わりに、右側と左側の座席を入れ替わるというシステムで対応しています。
ローソク島のとなりにある鉄砲島です。遠くにあるようにローソク島が写っています。
すぐとなりに、馬の背島があります。鉄砲島との間にローソク島が入るようすや、馬の背島の海食洞門などを見せてくれました。海食洞門で中央に柱のようなものがあります。名前を教えてくれたのですが、忘れてしまいました。
馬の背島を後にして岸壁を戻ろうとしたときもまだ、たくさんの船が順番待ちで並んでいました。この一瞬太陽が顔を見せたのですが、順番にあたっていた船はラッキーでした。
船が岸壁に戻り、バスで宿に向かいます。宿は2つに分かれています。岸壁近くの福浦のホテルと都万に泊まるグループです。福浦のホテルは停電で泊まれなくなったので、違うホテルになったようです。
ホテルに着きましたが、入口前の電灯が非常に明るいです。これだとかなり離れないと星が見えないようです。ついてほぼすぐに、夕食です。全体的に味が濃く、鯛飯もお茶が欲しくなるような辛さでした。
食事が終わって星を見に行くことにします。道具を用意し出かけます。フロントは12時まで大丈夫なようです。前の明かりはこのままだそうです。宿の前は空き地が広がっていますが、草が刈られていないので、蚊の攻撃を受けそうです。宿の光も届きます。ここから一段下がったところに駐車場があります。そちらの方に行ってみます。
駐車場から海側には、さらに一段低い所があって、駐車場の光は届いていません。ちょっと離れたところにある船着き場の明かりが見えますが、それほど強くないので、ここで星を見ることにします。写真撮影用の機材もセットします。
頭上の星はよく見えます。天の川も見えます。南の水平線側は、明るくなっています。もやがかかっているのと、強い明かりがあります。松江・米子あたりの明かりと思ったのですが、イカつり漁船の明かりかも知れません。女の人が一人やってきて声をかけてきたのですがすぐに行ってしまいました。近くのロッジにでも泊まっているのでしょうか。
写真は、うまくピントが合ってくれません。広角側にすると、ファインダーから星がいきなり消えます。撮った写真はこんな感じです。後で、確認した限りではかなりの前ピンになっています。左下側にさそり座、右の明るい星がアークツルスです。
天の川はピントは関係ないので何とか写ります。右下がアルタイル、左にデネブが写っています。
ピントが合い始めた頃には、雲が出始めました。右上がアルタイル、左下にデネブが写っています。天の川は左上半分にあるはずです。
雲が厚くなったので、北の空に向きを変えます。カシオペア座(右側)とこぐま座です。
ここも曇ってきたので、北斗七星付近です。どこに写っているかわかりませんね。
全天雲に覆われるようになってきたので、機材を片付けて宿に戻ることにします。
星を見た後は、シャワーを浴びてから、寝ることにしました。時刻は11時です。
翌朝早く目覚めたので、散歩に出かけます。今日の出発は7時40分なので6時半過ぎには戻ってきて食事をする必要があります。
まず昨晩星を見たところに、忘れ物をしていないか確認がてら行きます。なにも忘れていないようです。先に進んでも何かありそうではなかったので、反対側に向かいます。道路の分岐に、奥津戸海岸遊歩道と書かれています。こちらの方に進むことにします。入口近くのノグルミの木にいたシジュウカラです。ちょっとぶれています。
湾の水面上を、アオサギが飛んでいました。
水は透明で、たくさんの小魚が泳いでいるのが見えます。
ふぐも泳いでいました。
山の端を見ると太陽が顔を出し始めていました。
再び、水中です。ヒトデがいました。
水面に、枯れ草のゴミのようなものがいっぱい浮いていると思ったら、アマモでした。枯れているようです。
防潮堰堤のようなところに向かって砂浜が延びています。自然にできたものなのでしょうか。
湾はカーブしていて、進んで行くと湾口が見えるようになってきました。湾を塞ぐように島があります。四敷島のようです。向こう側に灯台が見えます。松枯れがひどいです。
遊歩道沿いの草むらに鳥がいます。コジュケイのようです。あまり記憶がないのですが、茂みに隠れるのを見て急いで撮ったのでしょう。
遊歩道は、途中から岩場にコンクリートを被せただけに道になってきました。
岩場を作っているのは、550万年前のアルカリ流紋岩です。きれいな流理構造が見られます。真っ直ぐのものや、曲がりくねったものがあります。流理といっても流れたのではなく、引き伸ばされてできた模様です。かき混ぜた水飴にできる模様と同じです。
道は途中から、波に浸かっていました。進めないのでここから引き返します。
宿に戻ると、ちょうど食事時間です。そのまま食事を済ませ、荷物をまとめてで玄関に出てくると、出発時刻少し前でした。
バスの出発は7時40分です。20分ほど走って、西郷港に行き、8時30分のフェリーで、島前中ノ島菱浦港まで行かないといけません。早いわけです。今日乗る予定のフェリーです。ローソク島を見たときの船もしらしまでした。
西郷港には、例の漫画家の有名キャラクターの石像がありました。掲載許可を得ていないのでぼやかしています。
フェリーは時刻通りに出航しました。1時間ほどの乗船です。我々のツアー用の席が用意されていたのですが、いつも通り、デッキに出て景色を眺めることにします。出発した西郷港です。
すぐ後から高速艇が追いかけてきてあっという間に抜いていきました。
西郷港を出て、南端の白崎近くの岩壁です。奇妙な茶色い筋が見えます。最初見たときは何なのかよくわかりませんでした。右下がりで入っている地層と無関係な方向に入っているように見えます。
もうちょっと進むと、筋は逆向きに入っている所があります。写っている大きさは違っていますが、写真は先ほどのものの左側に重なります。
筋は「V」字型になっています。後でわかったことですが、茶色の筋は立体的に見るとさかさまの円錐形になっています。「V」字はその断面が見えていたいうわけです。この窪地は55万年前の噴火で吹き飛ばされてできたもので、地形学的には爆裂火口といいます。茶色い筋は、火口跡の地表面にたまった、火山灰などのローム層です。
少し進むと、四敷島が見えてきました。灯台の位置からすると、早朝は、この島を右手奥の方向から見ていたことになります。
島前に近づいてきたときに、前方をオオミズナギドリが飛んでいるのが見えました。白島で繁殖している個体でしょうか。前方の星神島にも繁殖地があるようです。
時々、トビウオが飛びます。山陰地方や五島列島ではアゴと呼んでいます。地元名物というだけあってたくさんいるのでしょうか。飛ぶ数から見て、それほどでもないような気がします。季節的なものなのでしょうか。
菱浦港に近づいてくると、三つ並んだ岩が見えてきました。三郎岩です。
このころには、島後はかすんで見えにくくなっています。手前の島は二股島です。
中ノ島菱浦港から、バスで後鳥羽上皇行在所跡に行きます。車窓から村上家の屋敷が見えます。村上家は、流されてきた天皇のお世話役兼監視係を仰せつかった家柄だそうです。そういえば、水若酢神社の近くに村上家シャクナゲ園というのがありました。花は咲いていないようなので見ませんでしたが、同じ名字なのは何か関係あるのでしょうか。
後鳥羽上皇行在所跡入口です。右側には、綱掛の松というのがあったそうですが、枯れて根元だけになっています。昔は、ここが海岸近くで、船をつなぐために綱を架けていたというのが名前の由来だそうです。
後鳥羽上皇火葬塚です。塀の立派な神社のように見えます。
行在所跡です。源福寺が仮御所になったそうですが、今は井戸しか残っていません。
行在所のすぐ前にある勝田の池です。後鳥羽上皇が、ここのカエルと松の葉擦れの音が騒々しいと歌にしたところ、静かになったそうです。もちろんその松の木は残っていません。
行在所の横に立てられた隠岐神社です。
拝殿です。できた時代が新しいと立派になってきます。
脇にある倉庫のような建物です。校倉作りのような木組みがしてあります。左にある木はユーカリです。これだけ大きなものは珍しいものです。コアラのエサとして有名です。サロメチールのようなにおいがします。
中には神輿がおいてあります。右のものの方が古いそうです。光っているため、新しそうに見えます。
山門の屋根にある隠岐神社の紋です。後鳥羽上皇を祀っているものの、正式なものではないので、菊の紋章が使えず、4つに割って並べ替えています。今だと、パクっただろ、盗作だと訴えられそうです。
狛犬です。右側阿形の脇にこどものようなものがついています。おしりを高く上げているものも珍しいそうです。
隠岐神社入り口脇に古そうな立派な建物がありました。塾として使われているらしくこどもが出てきました。昔の藩校のようです。脇には土俵があります。
中ノ島の観光は、行在所跡を見た後、後鳥羽院資料館も見学しました。その後、バスで菱浦港に戻ります。ここからはチャーター船で次の目的地に向かう予定です。チャーター船です。
時刻は昼ご飯時です。先に昼食場所に寄ります。食事のできるところが西ノ島の浦郷港にしかないようです。昼食は昨日集合場所で申し込んだ弁当です。おいしくいただきました。食事の終わった頃に、もう一つ別のグループが来ました。昨日のグループだったのかどうかはよく見ていないのでわかりません。
食後、港で海を見ていたら、魚がたくさん泳いでいるのが見えました。細長くくちばしが長いのでサヨリと思われます。
コウイカと思われるイカのこどもも泳いでいます。どちらかというと浮かんでいる感じです。時々色が変わります。
この食堂は、どちらかというと、島の観光を総合的に担っている会社の経営で、他にチャーター船や観光バスなど手広く活動しているようです。今晩の宿泊も系列のホテルになります。観光に使わない荷物は持って行く必要がないので、食堂においていくことになります。
食後は、再び同じチャーター船で、知夫里島来居港に向かいます。来居港です。
ここからバスに乗り換え、島内観光に向かいます。まずは、赤ハゲ山です。途中の山道は牛の放牧場になっていて、たくさんの牛がいます。道路の近くにまで来る牛もいます。
山頂から振り返ると、狭い道を登ってきたことがよくわかります。
山頂からは、遮るものがないため、島前の島々の様子がよくわかります。島前は丸く3つの島が並んでいて、中央部にも高まりがあります。形は、カルデラの外輪山と中央火口丘のようにも見えます。
北西方向、西ノ島の西半分です。右端の山が焼火山454mで島前の最高峰です。海中に見える2つの島が大桂島・小桂島です。
少し右に振って、北東方向。左端に焼火山があります。右の島は中ノ島です。
南東方向、知夫里島の中心部方向です。
赤ハゲ山を後にします。バスの乗車口が並んでいたので、遠回りしていったらその間にドアを閉められてしまいました。ちゃんと並ばないといけませんね。
次は赤壁です。駐車場の横にあった猫ヶ岩屋古墳です。石室の石組みだけが残っています。
ここから歩いて、赤壁の展望所に行きます。放牧場の中なので、牛が入らないように、遊歩道に柵が作られています。何回かゲートを通らないといけないのですが、幅が狭くウエストバッグが引っかかって通るのに苦労します。またいで通ってしまいました。遊歩道に牛の糞が落ちていないようにするためのものかも知れませんが、必要だったのでしょうか。
途中に狸のこどもがいました。何匹かいたので、家族連れと思われます。
赤壁です。足元は柵のない断崖でこれ以上よって撮るのは無理です。赤く見えるのはスコリアで、堆積時の熱で鉄分が酸化されてできた色です。白い筋は、その後に上がってきたマグマが固まってできた模様で、右側の1本は足元に続いてきます。
バスは河井地蔵の湧水に寄ってくれました。この付近は雨が多いため、島の地下に貯水池のようなものができているとの解説がありましたが、「?」です。塩分が上がってこない理由としては納得がいきます。
知夫里島の観光はここまでです。あと少しで来居港に戻ります。
来居港まで戻ってきました。再びチャーター船に乗り国賀海岸に向かいます。一応自由席なのですが、みんな最初に座った席に着いています。この船は、デッキに出ることが可能なので、すぐに外で見ることにしました。西ノ島の西岸に海食崖が続きます。外海にあたるので波が強くあたるようです。マグマが割り込んだ跡などがきれいに見えます。これは岩脈といいます。枝分かれしているようにも見えます。
たくさんの海食洞が並んでいます。矢走二十六穴という場所なのでしょうか。写真に写っているだけで15個あります。
大神立岩です。海面からの高さは52mあります。
明暗(あけくれ)の岩屋です。ガイドマップに書かれている位置と違うので、写真の順番とあわず、確定するのに苦労しました。向こう側まで抜けているようです。中に入って行く船があるそうですが、乗った船は入口止まりでした。海の色がきれいです。
国賀浦の湾奥の岩場です。白い岩脈のところが浸食され海食洞になっています。ここから先が、国賀海岸のようです。
国賀海岸天上界の観音岩です。向こう側に遊歩道が見えています。陸側からも見られるようです。
通天橋です。海食洞の幅が薄くなって橋のようになっています。これ以上薄くなると、天井が落ちてなくなりそうです。
摩天崖です。高さは257mあります。海岸から真っ直ぐ切り立っているのかなと思っていたのですが、下の方に段があります。
鬼ヶ城付近まで来ました。金棒岩とか鬼ヶ島とか色々あるみたいですが、どれがどれかよくわかっていません。
白い岩と黒い岩のコントラストがはっきりしています。白い岩のあたりが亀島です。
海岸の山はだんだん低くなり、湾も深くなっていきます。その一つから船は、船引運河に入ります。狭いので、向こうから船が来るとどうなるのか心配です。
運河を抜けると、浦郷港までもうすぐです。5時前には到着しました。
浦郷港に戻ったら今日の観光は終了です。雲が出てきていますので、星が見られるかどうかわかりませんが、場所探しを兼ねて周辺を歩いてみることにします。宿の奥にバスの駐車場があってちょっと開けているのですが、真ん中に街灯があります。点灯していれば影響でます。入口の前に機材のおけそうなところがありますが、周りが背の高い草で囲まれています。蚊が多そうなので却下です。結局、駐車場がだめなら、入口横の船着き場ぐらいしかなさそうです。
食堂前の岸壁には相変わらず、魚がいっぱい泳いでいるのが見えます。イカもいます。昼間のとは同じ種類でしょうか。足をすぼめているだけで見かけは大きく変わります。
ちょっと大きめ、といっても10cmくらいですが、魚もいました。魚はあまり詳しくないのですが、知っている限りではベラの仲間に似ているものがいるような気がします。
これ以上遠出するほどの時間はありませんので、風呂に入ることにします。出てきたらちょうど夕食の時間です。鯛の頭のアラ煮がありましたが、先の太い割り箸では食べづらいものがあります。これをやっつけるのに時間が取られて、火をつけて暖めた料理が冷めてしまっていました。全神経を集中させたために何がでていたのかよく覚えていません。
食事が終わって、星が見られるか確認にでたのですが、一つも見えませんでした。今日の観測は中止です。風呂に入り直して、寝ることにしました。
翌朝も、朝が早かったのでぶらりと散歩にでます。といっても今日の出発は昨日より早い7時10分です。6時半までには朝食を始めていないといけません。あまり遠くには行けません。近くには観光船の船着き場以外に、漁船の集まっているところがあり、その方向に集落も見えます。そちらの方に行くことにします。舟揚場には神輿のような奇妙なものがありました。完全にブルーシートに覆われているので、何が入っているかよくわかりません。これは一体何なのでしょうか。
近くには、祠がありました。漁の安全を祈願するものでしょうか。
集落にあったお寺です。成仏寺と名前がついています。老人会の集会所になっているようです。
イソヒヨドリが止まっていました。最近やっと鳴き声がわかるようになってきました。
市部荒神宮です。祭神はスサノオノミコトだそうです。
ここで朝食時間になっていますので、宿に戻って食事をします。終わって、荷物をまとめたら、出発です。宿のバスで別府港に向かい、そこから高速艇で島後に戻る予定です。
別府港近くにあった島(見付島?)の端に祠のようなものがあります。
高速艇は、一度菱浦港に寄った後、西郷港に向かいます。それでも、1時間足らずで西郷港に到着です。西郷大橋が見えてきました。もうまもなくです。
島後に戻って、再びバスで島内観光です。まずは、屋那の松原・船小屋群に行きます。途中初日の宿の近くを通りました。バスから見えてきた船小屋群です。船着き場に小屋を作って屋根で覆っています。船だけが入れる構造です。
元々は、河川沿いにあったのですが、河川改修工事のために移転したそうです。礎石の並びから、何となくあったということが想像できます。
橋の上から眺めていると、別の観光バスがやってきました。初日に何回もであったグループです。我々のバスは大きくてここまで入ってこれなかったのですが、こちらのグループは奥まで行きます。代わりにこの古い船着き場跡は見ていないでしょう。
船小屋群を先ほどの写真と反対側から眺めます。その後ろ側にあるのが、屋那の松原です。八百比丘尼が植えたとされています。松枯れの被害で松の木が減り今はこれだけしか残っていないそうです。
町中の民家に柱がぶら下げられていました。古典相撲大会の優勝者に贈られる柱です。隠岐では、このようにぶら下げて飾っておくのが風習だそうです。
バスを止めたところの天満宮です。ついでにお参りをしていきました。
バスに戻って、次の玉若酢命神社に向かいます。隠岐国の総社になっているそうです。総社とは、国司が最初に赴任したとき、国内全ての神社のお参りをしないといけないのですが、大変なので代表してお参りするようにした神社です。ここに参ると国内全ての神社をまわった事になるそうです。
随神門です。1852年造営です。
境内にある、八百杉です。県下一の大木だそうです。横に見えるのは随神門です。
拝殿です。しめ縄が立派です。
拝殿の軒飾り(懸魚?)です。鳳凰のような飾りが彫られています。
拝殿の奥にある本殿です。隠岐作りという技法でつくられています。春日造りとか出雲作りとか、いろいろな造営法が合体してできているそうです。
旧拝殿です。重要文化財に指定されています。
玉若酢命神社の宮司である億岐家住宅です。玄関が3つあります。
億岐家に伝わる駅鈴です。資料館には他にもいくつか重要文化財が展示されています。
玉若酢命神社の後は、西郷港周辺で昼食です。出発まで2時間近くあります。食事買い物以外に何かできそうです。
ターミナルのようなところでバスを降りますが、路線バスの前に立ちふさがったような形になり、気分的にいやだったので、路線バスの直前を横断したら、ガイドさんに「あぶない」といわれてしまいました。一応、降車客がいるのを確認して、合図をしてわたったのですが。
路線バスがでたあとに、観光バスが一台やってきました。屋那の松原で会ったバスのようです。どこに寄っていたのでしょう。玉若酢命神社には一昨日行っているはずです。
食事時間には早いので、土産物を見ましたが、後に回すことにしました。隠岐世界ジオパークセンターに寄りましたが、薄暗くやっているのかどうかわからない状態でした。自然館とも誰もいないので、入らずに出てきました。
結局食事にしますが、昼にたくさん食べる気はしません。ガイドさんお勧めのちゃんぽんになりました。店はだんだん混んできて、料理ができあがる頃には、順番待ちの列ができていました。食べ終わったら早々にでることになりました。時間つぶしはできませんでした。
町のメインストリートといわれるところを奥の方に進んで行きます。宇屋川に木造の橋が架かっています。上橋と書かれています。付近には古い家屋が建ち並んでいます。
これより奥は寂れているように見えます。橋を渡って川の対岸を引き返します。西郷港まで戻ったところで、お土産物を2−3買い込みました。まだ時間があるので、八尾川の方に行くことにします。水路には、たくさんの船が並んでいます。ランプがたくさんついています。イカつり船でしょうか。
水祖(みおや)神社です。水の神様が祀られています。後に菅原道真も祀られるようになったのでじもとでは天神さんと呼ばれているそうです。裏山は古墳になっているそうですが、登ってみても険しい丘としかわかりませんでした。
愛の橋です。昭和4年に地元の豪商が、私財で作ったそうです。名前は豪商がつけました。昭和31年に付け替えられています。
橋のたもとにあったゴミ集積箱です。奇妙な形をしています。何かの転用なのでしょうか。
八尾川橋です。地図を見ると八尾川は、この少し先で分岐して直接海に流れ込んでいます。その部分は開削されたもので、昔はこちら側に流れていたのでしょうか。水祖神社のまえから、この付近まで、至る所で船がつながれています。ぎっしり並べばすごい数になりそうです。
橋につながる道路沿いの、公民館のような建物の横にも土俵がありました。町内会でも相撲大会があるのでしょうか。
後で地図を確認するとまだあったようですが、だいたい回れそうな所は、回ったような感じでした。まだ少し早いですが、集合場所に行くことにします。歩いていると、迎えのバスに追い越されました。
集合場所に到着し、バスに乗り込んでしばらくすると、出発です。これで観光は終わりです。空港に向かいます。
空港で、帰りのチケットをもらい、荷物を預けてから、飛行機の到着を待ちます。その前に、アンケートに答えるとサザエの当たるくじが引けるという企画があります。前に並んだ人はかなりの率であたっています。7割を越えているようですが、残念ながら外れでした。神社でお賽銭をはずまなかったのがいけないのか、アンケートにもっと真剣に答えるべきだったのか、どうなんでしょう。
お土産もあらかた買っているし、中で待っていても狭いですし、外に出ます。そういえば例のグループも来ていました。迎えの牛もやってきていましたが、柵に入るのをいやがっていました。入った直後に大きな落とし物を。いやがったのは、これをしたかったためですかね。
飛行機の到着は10分遅れだそうです。出発が遅れたせいでしょうかです。また、接続待ちだったのでしょうか。屋上に展望デッキがあります。ここで飛行機の到着を待ちます。皆さん西側を向いていますが、風はそちらから吹いてきています。飛行機は反対側から降りてくるはずです。整備員さん達も東を向いています。予定通り10分遅れで到着しました。
ロビーにおりて行くと、保安検査が始まっていました。検査を済ませ、搭乗待合室に入ります。この間に添乗員さんから、アンケートの記入を頼まれます。記入事項が整理できないまま提出してしまいました。書き終わったら、搭乗が始まりました。後部座席の中央列です。窓側は、こどもを抱いたお母さんです。通路側が開いています。搭乗が終わってもこのままだったので、CAさんに頼んで席を移動させてもらいました。景色も見えませんので、本でも読んで時間をつぶします。すぐに大阪空港に到着です。そのまま解散だそうです。荷物を受け取り、モノレールに乗り換えます。ツアーの他の2組と一緒になりました。1組は蛍池で降りました。もう1組は門真市まで乗るそうです。挨拶をして途中で降りました。後は歩いて帰るだけです。でも、大阪は暑かった。
今回の旅行は、それなりに内容は充実していたようです。乗り物の出発時刻の関係があるのかも知れませんが、時間配分にむらが多すぎたようです。朝の出発は早くばたばたするのに、やたらと長い待ち時間があったりしました。何もないところでも、何かと理由をつければ楽しむことができます。ちょっと間に入れてくれればという気はしました。
専門的な話になります。隠岐は世界ジオパークに認定されています。でき始めたころの日本列島の石があること、日本海形成に関係した石があることがポイントになっています。日本海形成については本家(ヨッシンと地学の散歩)で解説していますが、隠岐の岩石が示す時代とのずれがあります。隠岐の火山はなぜ遅れて噴火したのか、鬱陵島(ウルルン島)の火山も含めて、日本列島に見られないようなマグマがなぜ存在するのか、考え直しておく必要があるようです。
最近、めっきり涼しくなって心配する必要がなくなってきたのですが、隠岐では、添乗員さんに飲料水を持っておくようことあるごとにいわれました。昔からあまりのどが渇いた感じがしないほうなので、水を持ち歩くことはあまりありませんでした。逆に、ジュースなどを飲むとかえってのどが渇くことが多く、ここから水分を補給しようという考えはありません。
食事などの時は、のどが渇いた感じがするので、この時だけは水気は必要です。今回の旅行中も、1日1リットルの水を持ち歩きましたが、使ったのは500ccだけです。結局初日に買ったペットボトルをそのまま持ち帰ることになりました。
宿に着いてからは、お茶とかをたくさん飲む方だと思います。ここのと食事のとをあわせて、水分が補給され、それが蓄えられているのかなと思ったりもします。逆に、脱水症状になっているのに気づかない体質かも知れません。それだと怖いです。脱水症状になりやすい体質、なりにくい体質があるそうです。
スポーツドリンクが、水分補給に適しているといわれています。その理由として、そこに含まれる溶解物の濃度が、血液のと同じということがあげられています。この話は、売るための作り話感じて思います。なぜなら、浸透圧の原理からすると、補給する水分の濃度が小さいほど体内に浸透しやすいからです。もう少し納得のいく科学的根拠やデータをあげて欲しいものです。水分がどれだけ吸収されたかをどのようにして測ったのでしょうか。
水分の補給と同時に塩分も取るように言われています。汗で体外に排出された分を補うためです。体液の濃度を一定に保とうという働きがあるそうです。そのため、汗によって塩分が排出されたあと、水分を汗をかく前の量まで補給すると、体液が薄まってしまいます。そこで、汗や尿の形で水分を排出し、結局体内の水分量は汗をかいた後と同じになるというのです。
ここで、ちょっと気になることがあります。日本人は、塩分の摂取量が多いという話です。WHOが推奨している1日の塩分摂取量は5gであるのに対して、日本人の平均摂取量は11gちょっとといわれています。そのため、日本人には、高血圧やそれに起因する病状が多いといわれています。ところで、この余分に取り過ぎた塩分はどこに行ったのでしょうか。つじつまの合う答えとしては、塩分はすぐに吸収され、尿となって排出されるになることです。高血圧になるのは、一時的に塩分濃度が高まったためということも付け加えないといけません。
ここで別の疑問です。食後の尿の塩分濃度を考えてみます。1回の食事で摂取した、塩分量は、均等に割って4g。直後にする尿1回分の量が200ccとして、2%になります。海水(3%)に近い濃度になっています。これくらいだと、なめる(普通はしないが)と辛いし、尿のかかったところが乾燥すると塩の結晶が浮いてきます。そこまで濃くなっているようには思えません。何かの機構で塩分が排出されているのでしょう。大腸では塩分が吸収されないとか。
少なくともはっきりしていることは、汗が作られにくくなるために体温調節機能が低下し熱中症を発症しやすくなること、水分がなくなることで血液の流動性が悪くなって血管閉塞などの障害が発生することがあるということ、塩分がなくなることによって筋肉などの運動や神経伝達に影響がでることです。
考えられる対策とてしいちばんいいと考えられるのは、汗と同じ塩分濃度の水を、流した汗の量だけ補充するということでしょう。汗の塩分濃度は平均0.3%程度だそうです。この値は人や汗のかき方によって大きく違うそうです。
だらだらと流れるような汗がよくないそうです。汗腺での塩分の再吸収が間に合わず、塩分濃度が高く、量も多いので塩分が失われやすいようです。
手元に、スポーツ飲料1リットル用の粉末があります。これには、1.3g相当の塩分(NaCl分のみ)が含まれると書かれています。濃度にすると0.13%、汗よりちょっと薄めのようですが、他の塩類も含まれているので適切なのでしょう。濃いめの汗をかく人にとっては薄いかも知れません。ここで、問題なのは、糖質が60g近く含まれていることです。運動で消費したエネルギーを補う目的があります。体をあまり動かさないのに、汗を大量にかいた時の補給用には適さないようです。でないと今度は糖尿病の心配が出てきます。運動時用のものなのでしょう。1リットル弱飲んだら塩分は1gで、WHOがいう1日量の20%になるというのもとりすぎのような気がします。
スポーツ飲料を持ち歩くときは、3−4倍程度に薄めています。甘ったるいのがすきではありませんから。外に出て歩いてみる程度では塩分補給はこれでじゅうぶんだと思っています。体に何らかの調節機構があることを期待しています。もっとも、気温が40℃を越えるようなことがあれば、これでは足りないでしょう。塩分を直接摂るとかが必要になってくるでしょう。