最果ての島へ 2017/2/22-26
次の旅行の行き先を考えながら、旅行会社から送られてくるパンフレットを見ていると、波照間島と与那国島の両方をまわる3泊4日のツアーが載っていました。自分で組む旅行は行き詰まっていたところなので、これに乗れるのなら乗りたいと思いました。例によって、星を見ることも、目的の中にあります。与那国島では星も見られるようです。そのために、日程は限られてきます。条件に合いそうなのは、2月26日出発のものだけです。これでも26日が新月なので、もう少し早い方がよさそうです。これでも、最終日が三日月なので何とかなるでしょう。
別の用事が入っいて、すぐには申し込めませんでした。用事が終わって、いざ申し込もうとすると、キャンセル待ちになっていました。ダメ元で、キャンセル待ちに応募しました。キャンセルはなかなかでそうにありません。期待せずに待つことにします。
しばらく待っていたら、今度は別の旅行会社が、同じ波照間・与那国島へのツアーを新聞広告に載せていました。こちらの方が、選べる出発日が多い半面、追加料金の関係で費用が高めでした。お金の事は大事ですから、どちらにしようか相当悩みました。初めの旅行会社(A社と呼ぶことにします)では、今年中は無理で、来年も同じ事を繰り返す可能性が非常に大です。新聞に載った旅行社(B社とします)は、まだどの日程でも申込みできます。先のことを考えて、B社の方に申し込み、A社はキャンセルすることにします。まだ、キャンセル待ちなのと、キャンセル料発生の期間にもなっていせん。申し込む日程としては、22日に出発し25日に帰ってくるものにします。22日以後25日までの出発は土日にかかるのでありません。ということで、ネットを通じて手続きをしました。
申し込んでは見たものの、微妙な行程の差が気になります。後日、確認してみました。A社は初日は午後出発で石垣島に渡るだけなのに対して、B社は午後出発で、午前中も見学が入っています。半日分長くいられる事がわかりました。ついでに、申し込み状況を確認したところ、A社はキャンセル待ちが解消されて、3人受付となっていました。自分以外にもキャンセル待ちがいたはずなので、大量のキャンセルが出たようです。A社26日出発分は、それ以前の出発日に比べて基本料金が1万円高くなっています。B社の基本料金は高くなる前のA社のものと同じ値段です。基本料金でいける人たちが、新聞広告を見て、1万円安くいけるB社に乗り換えたためでしょうか。ちなみに、追加料金は、A社が1万円でB社が3万円なので、追加料金が必要な場合B社の方が1万円高くなります。初めに申し込んだ方でいけるとなると、ちょっと色気が出てきます。戻した方が料金は安くなるのですが、その差は半日分の料金と考えてこのままの日程で行くことにします。選択結果は吉と出るのでしょうか。
持って行くものは、ふだん通りなので特に用意するものはありません。カメラの撮像素子のゴミだけはとろうとしたのですが、ひとつだけどうしても取れないものが残ります。ゴミのあたりがべたっとした背景で、絞りを絞り込んだ状態でないと写りそうにありませんから、このままいくことにします。何回かの位置を比べてみると動いているようなのでそのうち取れるでしょう。このとき、予備の電池が放電していることがわかりました。前回の旅行からか帰った後に充電したはずです。再充電しますが、比較的すぐに充電完了となります。電池は寿命に近づいているのでしょうか。後、初日の昼食がついていません。飛行機の中で食べることになりそうです。モノレールに乗ってしまえば買うところがありませんから、駅までの間か、前日に買っておく必要があります。昼は、あまりたくさん食べないので、前日にパンでも買うことにします。
出発、1週間ほど前に決定された行程表が送られてきます。一緒に沖縄土産の案内も送られてきました。行く前に買っているのはどうかと思います。それに、それほどたくさんは買いません。この分は不要なので古紙の束へ直行しました。
関連事項の確認です。まず、宿の位置を確認します。資料には書かれていませんから、ネットで調べることになります。1・2泊目は石垣島の同じ所で、海岸近くのコテージ風の宿のようです。星を見るのは目の前の海岸に出れば、何とかなるでしょう。近くに灯台があるのが気になります。3泊目は、与那国島空港滑走路の近くです。夜間の発着があると、かなり明るい照明があるでしょう。離島なので、それはないことにしておきます。としたら、空き地はありそうで、星の観測は何とかなるでしょう。あと、ネットで日の出日の入り、満潮干潮時刻を調べておきます。その結果です。
日出 日没 満潮 干潮 満潮
22日 石垣島; 18:42 16時
23日 石垣島;7:11 18:43 6時 11時半 17時
24日 石垣島;7:10 6時半 12時
24日与那国島; 18:48 18時
25日与那国島;7:14 7時 13時 18時
(夜中の干潮は省略しています)
星については、南十字星がみられるかどうかが気になります。南中時刻は夜中の3時で前後1時間半ほどでているようです。高度は10度以内なので、南に海が見えるようなところでないと無理でしょう。与那国島では山の北側に宿があるので見ることはできないでしょう。石垣島も海が北西方向にあります。1kmほど移動しないといけないようです。今回は時期的には無理でしょう。
それから、与那国島・波照間島・石垣島(宿周辺のみ)の地図も出力しておきます。旅行から帰ってから気がついたことです。前回、といっても30年ほど前になります。石垣島に行ったときに、石垣島・西表島近辺の地図を買っていました。その中に波照間島とか石西礁湖にある島の地図も入っていました。与那国島はありませんでした。石垣島・西表島は買った記憶がありますが、それ以外の所も買っていたとは思いませんでした。
17日に東京管区気象台から春一番が吹いたと発表がありました。これを聞いて重大なミスに気づきました。春一番をもたらす低気圧は、日本海低気圧といいます。この頃の低気圧は、中国華北部で発生するものもありますが、大半は先島諸島付近で発生します。同じ頃(今頃)に、日本列島の南を通過して、大阪・東京に大雪を降らせる南岸低気圧も、先島諸島付近で発生します。この時期の先島諸島付近は、低気圧を次々と発生する場所となっています。また、低気圧の日本本土付近の通過時や、通過後をみても、低気圧から伸びる寒冷前線の先っぽが先島諸島付近にかかっているのがわかります。この寒冷前線は消えるかなとみていても、次第に停滞前線に変わっていき、再び北上し始めて、いつのまにか低気圧ができます。つまりこの時期の先島諸島付近は、梅雨ではないものの、ぐずついた天気が続くということです。これでは、星見はあまり期待できません。それどころか、旅行中の天気だって芳しくないことが予想できます。実際、気象庁の週間予報も那覇はずっと曇りないし時々雨です。
出発前日に、添乗員さんから確認の電話がありました。連絡事項で大事なのは2点ありました。与那国島海底遺跡の船はゆれるて船酔いするので酔い止めを用意すること、寒いかも知れないので上に着るものを用意しておくことでした。船に酔ったことはないので..といっても鳥海月山では気分が悪くなっています。それと、今は治まっていますが寝起きに目が回り起きられなかったことが続いていました。影響する可能性は考えられます。わざわざ買いに行くのも面倒なので、途中で買えるところがあれば入手という対応でいくことにします。寒さ対策は、大阪ほどではないでしょう。大阪で大丈夫なら寒さは大丈夫でしょう。むしろ暑いかも知れないので、1枚セーターを持っていくことにします。
ツアーの行程を確認しておきます。1日目は8時10分伊丹集合9時10分出発、11時25分那覇到着、11時55分乗り継ぎ出発、13時石垣空港到着です。空港から石垣港に行き、底から船で竹富島に渡り観光、赤瓦の集落を水牛車で周遊、石垣島に戻り、17時30分頃宿に到着の予定です。
2日目は、宿8時頃出発、石垣港から波照間港まで船で行き、波照間島をバスで周遊した後、波照間港から西表大原港へ船で渡り、そこから三原までバスで行き、水牛車で由布島に渡ります。由布島を観光した後は再び、大原港に戻り、船で石垣島に戻って昨日と同じ宿に連泊します。
3日目です。宿を9時30分に出発し、川平湾にいきグラスボートで湾内を周遊した後、石垣空港に行き、飛行機で与那国島に渡ります。到着後は、バスで与那国島を左回りに一周観光し、島内の宿に到着の予定です。一休憩の後、日本で最後に沈む夕日を見学することになっています。
最終日です。宿から久部良港に行き、半潜水艇で海中遺跡を見学した後、久部良バリとかを観光します。後は、与那国空港発13時40分の飛行機に乗り、石垣空港、那覇空港と乗り継いで伊丹まで帰ってくる予定です。到着は20時50分の予定です。石垣空港での乗り継ぎが2時間40分あるのに対して、那覇空港は25分しかありません。石垣空港での過ごし方は考えておかないといけません。
波照間島への船が欠航することがあるようです。その時は、代わりに西表島と石垣島鍾乳洞の観光が入るようです。
ツアーのタイトルは『[伊丹空港発着]日本最西端「与那国島」と日本最西端「波照間島」を一度で訪ねる国境島巡り4日間』です。
22日の朝は予定通りに出発し、駅に向かいます。何事もなく順調にいけたので、予定よりだいぶ早くつきました。それでも、受付が始まったくらいの時間です。ここで、添乗員さんからの説明があります。遠くの場合、最寄りの空港からの付き添いばかりでした。大阪からとは珍しいです。搭乗券をなくさないように、ここでは那覇までの分が渡されます。
説明を受けた後、搭乗券を持って荷物を預けにいきます。前回利用したので要領はわかっています。といっても、荷物を機械に通している間に搭乗券を機械の読みこみ口にかざした後荷物に貼るシールがなかなか出てきません。一瞬故障かなと思ったのですが、画面を見ると確認ボタンを押さないといけないようになっていました。前回もそうしたのか記憶にありません。搭乗券は那覇までですが、乗り継ぎ便も記載されているので、石垣空港まで運んでくれます。自分でということなのに案内係の人がやってくれていました。荷物にシールを貼ってから、渡すと宮古島空港まで預かりますといわれます。石垣空港というと、そのように訂正されました。間違えていたようですが、宮古島まで行ってしまうと大変です。今回はそれほど並ばずに荷物を預けることができました。
早めについたので時間はあります。といってもすることはないので、ラウンジで休憩してから搭乗待合室にいくことにします。いつもの場所と思って、保安検査をぬけてから、そちらの方に行くと、書かれている行き先がみんな違います。搭乗券で確認すると、反対側の端っこでした。この距離はだいぶあります。正しい搭乗口の案内です。
この前で、ツアーのメンバーがいったん集合します。参加者は14名、添乗員さんを入れても15人と少人数です。その後すぐに搭乗が始まります。搭乗券に書かれた座席はは51Dかなり大きな飛行機です。通路側の席になります。搭乗時間になって修学旅行生から乗り込みます。中学生のように見えます。あとは、いつも通りの順番で乗り込むことになります。席は後方なので早めの乗り込みになります。
乗り込んだ後は、本でも読んで過ごすことにします。景色も見えません。区切りのいいところまで読み終わって、本を片付けてぼやっとしていたらすぐに那覇に到着です。
飛行機を降りて、ゲートをぬけたところでいったん集合です。ここで、石垣島までの搭乗券を受け取り、搭乗口が指示されます。ここでもらった搭乗券には、表面にスタンプが押され、裏に小さな紙が貼ってあります。座席は非常口のあるところのようです。席番号は13C、通路側です。
ここでの待ち時間はそれほどありません。パンを食べたりしているとすぐに、搭乗時間が迫ってきます。搭乗口に急ぎます。搭乗待合所は1階にあります。降りていくと、搭乗が始まったところです。添乗員さんから入っていいと指示があったので入ります。ここから歩いて飛行機の乗り口まで移動します。途中で、ゆいモノレールが走っていくのが見えます。
じつは、撮影した画像を70枚ほど間違って消去してしまいました。どういうわけかサムネイル画像が生き残っています。しばらくは、写真は小さめの解像度のよくないものになります。
こちらはプロペラ機の駐機場です。
これから乗る飛行機です。タラップから乗り込みます。
席につきます。他の席より前後の間隔が広くゆったりしています。荷物は、全て上の戸棚にということです。いつもは、つけたままにしているウエストバッグまであげさせられました。カメラだけは、前のポケットに強引に押し込んで、手持ちを許してもらいました。非常口の席の説明もしっかりありました。非常口は内側に取り外せるようになっているのですね。でも重さは20kg近くあります。ずっしりときます。
出発時間が近づいてもなかなかドアが閉まりません。後方の座席がたくさん空いています。隣の席の人が、耳がおかしくなるので後ろに行きたいといいます。予定では、満席ということになっています。空いていたのは、別ツアーのグループの添乗員さんがツアー客に乗り継ぎ搭乗券を配っていなかったのが、原因と判明しました。このグループは、早い時間に着いていたように思います。おまけに、この添乗員は昼食をどうするかを説明してなく、ツアー客に問い詰められていました。
結局、飛行機は満席で出発しました。1時間ほどで石垣空港に到着です。滑走路が濡れています。雨が降っているか、みんな気にしていました。水たまりに、しずくの模様が見えないので、やんでいるように見えます。
飛行機から降りようとすると、前の席の人から、荷物を下ろして欲しいと頼まれます。ツアーで一緒になる女性です。確かに、棚は高くて、届きそうにありません。下ろしてあげました。その間に、前の方から順番に飛行機から降りていきます。降りてみると、確かに雨はやんでいました。地面は濡れたままです。振り返って見た飛行機です。後ろの山は、カーラ岳といいます。
正面の管制塔です。
荷物を受け取って、保安区域をでる前にいったん集合の声がかかります。それにもかかわらず、何人かが出て行こうとします。添乗員さんが大慌てで引き留めます。荷物は、宮古島へは行かず、ちゃんと届いてました。飛行機内に持ち込んだ荷物と、これから観光に持っていく荷物の積み替えは、集合した後でと指示が出ますが、本をしまってセーターと傘を出すだけです。荷物を受け取ってからみんながそろうまでの間に終わってしまいました。
全員がそろったところで、バスに移動します。ここから港まで行き、そこから船で移動です。
石垣空港から石垣港離島ターミナルまでバスで移動します。バス内は、一応指定席となっていますが、人数が少ないので、前5列で埋まってしまいます。空いている後方の席は自由に使ってよいというルールになりました。移動してもよいといっても今日のバス移動は、空港と港の間、港から宿までの短距離です。一応指定席に座ったものの、窓枠のある席だったので、後方に移動させてもらいました。
途中牧場がたくさんあります。前に来たときよりも増えているような感じです。石垣牛といったブランドとして売られているようですが、どちらかというと子牛を作って、日本各地に販売し、各地のブランド牛となっている方が多いようです。
思ったより時間はかかりました。すぐそこだと思っていました。港に到着です。
ここで、大きな荷物は一時預かりに預けます。その後は、船の就航時間を待ちます。30分以上あります。土産物をみたり、ターミナルの前をぶらぶらしてみたりしました。近辺の観光パンフを探しました。個々の店などが自分の所用に作っているものはあるのですが、全体をまとめたものが見当たりません。仕方なく店の宣伝が中心の分厚いパンフを2部いただきました。その後は、展望デッキもあるのを見つけたので行ってみました。床面はたくさんの水たまりができていました。かなりの雨が降っていたようです。それを避けながら景色の見やすい場所に移動します。そこから見えた出航を待つ船です。
港口の方向です。大型の客船が停まっています。外国からの観光客を乗せてきたのでしょうか。
奥の方にはこれに比べて小さめの船が停まっています。フェリーのようです。後日与那国島で写したフェリー与那国にそっくりです。こちらの方は、データをなくしたので細かいところまで識別できませんが、同じものでしょう。
集合時間に近くなったので、集合場所に移動します。添乗員さんの出発の合図を待って。船に移動し、乗り込みます。高速船なのでデッキはありません。全て窓付です。前方の室内か、後方の屋根付きの座席のどちらかになります。後方の席にしました。
窓側の席に座ったのですが、窓はきれいでなく、しぶきがかかりまくっています。景色はボンヤリとしていて何が見えているのかよくわかりません。反対側の窓は、放水車で水をかけられたようになって、滝を裏側から見ているようです。
ロガーでみると、船は55−60km/hの速さで移動しています。30分ほどで竹富島に到着します。ここから、マイクロバスで移動です。一般客も乗っているようです。水牛車観光の出迎え用の車のようです。
途中に見えた馬です。小さくて、与那国馬のようです。与那国馬とはっきりわかった馬はこれ以後見かけませんでした。
ここでの移動もけっこう時間がかかりました。水牛車の乗り場に到着です。あとで、行程のログ記録を見ると、集落に東側に着いたのに、集落の北側を半周して、西側から集落に入っています。だいぶ遠回りをしています。
竹富島は2回目です。前回は、港から町を素通りして反対側にある浜までレンタサイクルでまっすぐ突っ切りました。島の中心部に集落らしきものはあったのは記憶していますが、どんなのであったのかははっきりとはしていません。沖縄の地方の集落の持つ雰囲気と被さっています。
バスは、竹富島の中心街の外れについたようです。ここから水牛車観光が始まるようです。このあたりは赤瓦を葺いた屋根の建物ばかりです。乗り場の建物の屋根も赤瓦になっています。そこにはたくさんのシーサーが並べられています。シーサーは屋根以外の至る所にいます。
しばらく順番待ちをした後、水牛車に乗り込みます。ツアー仲間で貸しきりです。乗り込んで出発を待っていると、次の車が水牛に引かれてやってきました。
乗り場から、少し進んでから、振り返ったものです。この位置から、水牛車に乗ります。
水牛車で、町の中を一周します。道幅は狭く、水牛車が通ると、ほとんど道いっぱいになります。道の両脇は、珊瑚礁が積み上げられて石垣になっています。台風の風よけを兼ねているようです。
途中にあった、一番ブーゲンビレアがきれいだった場所です。
水牛車で説明がされたことを中心にみていきます。
石垣が何重にもあるように見えます。入口の正面についたてのように石垣が作られています。真っ直ぐにしか進めないといわれている魔物が、屋敷内に入らないようにするためです。奥の石垣は、隣との境に作られたものです。
屋根には、必ず魔除けのシーサーがおかれます。家によって、一つ一つ違うそうです。
竹富島で最も小さいシーサーだそうです。石垣の上にあります。ガイドさんの指の大きさと比べてみてください。
石垣のシーサーには、いろいろなバリエーションのものがあります。これは三線を弾いています。
水牛は、交差点での一旦停止などは、一応訓練されているようです。客が荷物を落としても、ガイドさんの命令で停まることができます。ただ、進む速さはその時の気分によります。立ち止まってしまうと、なかなか動き出さないことがあり、その時は、後がつかえてしまいます。
町を一回りすると、引いてくれた水牛と記念写真を撮ることができます。我々を引いてくれた、真栄くんです。
一回りした後は、再びバスで港まで送ってもらうことになります。出発までしばらく時間があります。買って帰りたい土産物も売店にはあまりありませんから、少しまわりを歩いてみることにします。
水牛車観光の開始場所からちょっと外に出たところの風景です。サンゴで作られた石垣が印象的です。台風の暴風よけに石垣を組むというのはいろいろなところで見ています。材料にする石が少なく簡単に手に入るサンゴを利用しているようです。
このあたりを、自転車でまわっている人たちがいます。この島だと、自転車でまわるのがちょうどいいくらいです。起伏も少なく走るのは苦になりません。前回来た時は、自転車を借りました。そのころは町並みは意識されていなくて、素通りして港と反対側の浜にいっています。
反対側です。赤い屋根の建物は、保育園です。青い看板がバス停です。すぐそこに道案内があったのには気がつきませんでした。白い看板です。
このあたりの民家の特長的なものです。石垣があって、赤瓦の屋根が漆喰で止めてあり、シ-サーが載せられています。
こちらもそんな感じです。入口入ったところの石垣がブロック塀になっています。
いろいろなシーサーがあると聞いたので、シーサーに注目して歩きました。こちらに家には2匹います。
正面の家には、鴟尾のような飾りがあります。
石巌當があります。竹富島ではあまり見かけていません。ほとんどが目立たないところにあるからなのでしょうか。
ずっと、頭を上に上げながらあちらこちらに曲がりながら歩いていると、だんだん歩いている方向がわからなくなってきました。出発点の方向と距離が頭の中で描けなくなっています。このまま無理に進んで行くと、元に戻れなくなってしまいます。とにかく記憶を頼りにいったん戻ることにします。出発点の近くまで行けば、水牛車の轍が目印になります。
記録を頼りに歩いて、なんとか場所のわかっているところまで戻ることができました。この間の位置ログは、距離モードになっていたのか、一切とられていませんでした。どこをどう歩いたのかは後になっては確認できません。この時点で、自由時間も残り少なくなっています。あまり遠くには行けません。この近くを歩くことにします。中学校があって、その前に看板があるので見に行くと、神社のようなものがありました。清明御嶽(シンミウタキ)だそうです。
ここをのぞいたみたものの、これ以上遠くには行けそうもありません。水牛車乗り場に戻り出発時間を待つことにします。
水牛車乗り場から、再び港までマイクロバスで送ってもらいます。我々ツアーメンバー専用だったみたいで、先に並んでいた人たちが乗り込もうとするのを係の人が制止していました。並んでいた人よりも先に送ってもらいました。といっても建物の中でずっと待っていましたし、出発時間はそんなに変わらなかったようです。
港に着いたら、記念写真の撮影があります。バスは撮影場所の近くに行きます。ツアー以外の人が乗せなかったのはこれがあるためのようです。記念写真を撮ってもらっても買いたいな思いません。自分が写っているという写真はあまり撮っていません。写真を見てここに行ったんだと思うだけでじゅうぶんです。
撮影準備の間にみた石垣島です。島の中心市街地の方向になります。
植え込みにあるアダン(タコノキ)に実がぶら下がっているのが見えます。硬くて食べられないそうです。
写真を撮りおわったら、港の待合所に向かいます。その建物です。
建物のスロープ脇にハマユウの花が咲いていました。
こちらはその実でしょうか。真ん中の方は、落ちたのか食べられたのかなくなっているみたいです。
道路を隔てた所にある、赤瓦の建物が気になります。待合所で待つように指示が出ていますので、行くことはできません。竹富島ビジターセンターゆがふ館という建物のようです。
船に乗れるようになって、船の方に移動します。変わった形の船が向きを変えていました。くじらのようです。乗るのはこの船ではありません。
船が走り出したときには、石垣島が見えていませんでした。雨が降り出して、視界が悪くなっていたからです。しばらく走っていると、雨もあがり石垣島が見えてきました。今日の宿は左側の岬の向こう側です。
ここまで来ると後しばらくで、石垣港に到着です。
石垣島に近づいたところで、左側から別の高速船がやってくるのが見えます。この方向にある島としては、小浜島か鳩間島があります。そちらの方からきたものでしょうか。だんだん近づいてきてぶつかりそうになってきます。ふつうは、どちらかが速度を落としたり進路を変えてもいいような距離になっています。どちらも譲る気配はありません。この先どうなるのか心配になってきます。
速度がだいたい同じくらいで、石垣港の入り口の方に向きを変えたせいか、しばらく併走するような感じになってきました。我々の船の方がわずかに前に出ていました。そのまま石垣港に入っていきます。港内に入ると、高速船でも速度を落とします。左側に最初に見えてきたのが、巡視艇です。
港から見えていた客船です。宝瓶星号(日本字標記です)と書かれています。Aqueriusと英語でも書かれていますので、みずがめ座(水瓶座)のことでしょうか。
さらに港奥には、同じ形色をした貨物船が並んでいます。台湾や中国とも交易をしているのでしょうか。この後行った与那国島のガイドさんは、砂は台湾から持ってきているといっていました。
港の桟橋に近づきました。先ほどの併走した高速船型の船がたくさん停泊してますが、中には変わった形の船もあります。
桟橋に到着しました。後方から乗り込み前方の席に座っています。後方から降りようとすると前の出口も開きます。すいているのでこちらから降りることにします。運転席が見えたので撮らせてもらおうとしたのですが。なかなかピントが合わず、シャッターがおりません。係の人が入ろうとしていたので、体だけ降りかけているとやっと写すことができました。係の人に入るのを待たせることになってしまいました。
船を下りてから、添乗員さんの旗を探します。後方降り口のあたりにそれらしきものは見えません。人混みで誰がいるかも見えません。ツアー仲間が先に行くので一緒にターミナルの方に移動したのですが、そちらにも見えません。探していると、桟橋の方からみんなと一緒にやってくるのが見えました。
ここで、預けていた荷物を受け取ってから、宿のお迎えのバスに乗ります。この後はこのまま宿に向かうだけです。宿に向かうバス内で、添乗員さんから明日の波照間行きの船の情報について連絡があります。何と、乗る予定の便は欠航が決まったそうです。これで、波照間島行きはなくなりました。代わりに西表島と石垣島鍾乳洞の観光が入ります。ちなみに今日の便は、全て欠航していたようです。午前中に雨が降り、それがやんでいたということは、前線の南下によって低気圧が発生して発達をし始め、冬型の気圧配置となり北風が強くなることは当然予想されることです。
バスは10分ほどで、宿に到着です。エントランス前から駐車場の方向です。沖縄という感じのする赤瓦屋根のコテージが並んでいます。
エントランスから入ってロビーで鍵を受け取ったら各自の建物に案内されます。
部屋に入って設備を点検します。扉類は解放されていてどこに何があるかわかるようになっています。全て閉めてしまった後で、冷蔵庫がどこにあったのかわからなくなっています。中に自由にお飲みくださいという飲料水が入っています。ここに入っているのかなという場所はあるのですが、その扉の開け方がわかりません。最悪、この後添乗員さんから部屋の状態の確認の電話がかかってくるので聞くことができます。色々やっている内に電話より早く扉の開け方がわかりました。
確認の電話が終わって、到着後にすることが一段落しても、まだ5時です。夕食は6時40分からです。だいぶ時間がありますので、周囲を散策することにします。今いるところから海は目の前です。真っ直ぐ行こうとしたのですが、道がありません。道沿いに進んでいくと、エントランスに戻ってしまいました。ここを通らないと外には出られないようです。
バスで、宿に来る途中に唐人墓というのがありました。気になるのでそちらの方に向かうことにします。宿の前の道を南に向かいます。道沿いには朝顔の花がたくさん咲いています。時間的には夕方なのでちょっと違う種類なのでしょうか。
もう一つよく見かけるのが、黄色い芙蓉のような花です。オオハマボウです。
ニワトリが放し飼いにされています。このあたりに野良犬や野良猫がいたら大変です。いないのでしょう。
道を歩いていたら、海側に唐人墓があるという標識にであいます。先ほど見たのは、山側だったような気がします。海側に進む道を探しながら歩いたのですが、結局それらしいものは見つからず。海べりについてしまいました。正面に竹富島が見えます。ちょっと風があって波が荒れているようです。
ここから北西側です。灯台と東屋のようなものが見えます。観音崎です。こちらの方に行ってみます。
観音崎から南側です。先に大きな船が見えています。石垣港にはいるときに見えていた大型客船です。
岩場の岩石が気になります。硬そうな石で縞模様が見えています。板状チャートのようです。
海側に回り込むと、一目で板状チャートとわかるところがありました。
岩場は這いつくばらないと進めないので、灯台の登り口まで引き返します。そこから枝分かれした道があったので、進んで行くと洞窟のようなものが見えてきました。
下はくぐり抜けることができて、先ほど進むことができなかった海側にでることができます。振り返って見た洞窟です。
洞窟の上の板状チャートは曲がりくねっています。スランプ構造といいます。地震が起こった後に海底の泥が滑りおちてできます。
道はないのですが、そのまま岩場を登っていくと灯台に続く道に出ました。ここを進むと灯台の入口に戻りました。
観音崎側は一周したみたいなので、ここにきた目的であった唐人墓に向かいます。道路の方に戻ります。宿から来るまでの間に入り口らしきものがありましたが、いけるかどうかははっきりしません。宿に戻るときにバスの窓からは、ここから市街側で山側に向かって唐人墓と書かれた標識がありました。この標識の所まで行って、そこから入っていくことにします。道路を市街の方に進み少し行ったところに標識はあります。ここから山側に入って、階段を上ったら、休憩舎が見えてきます。中国風といった感じに作られています。
唐人墓です。解説によると19世紀半ばに、中国福建省出身者がたくさん奴隷のような形でアメリカに送られようとしていたものの、石垣島沖で座礁し、石垣島にたどり着きました。その多くが、米英からの襲撃を受けたことなどで、この地でなくなりました。その人達の墓をここに1つにまとめて作ったのが、この唐人墓です。
前の狛犬です。どちらかというと獅子のようです。阿吽ではなく、どちらも口を開けています。
竜の飾りです。ほかにも、カラフルな飾りがいっぱいついています。
道ばたに咲いていた、サンダンカです。石垣島では、比較的よく見かけます。
唐人墓を降りたところにある売店の奥にあったサトウキビ絞り器です。与論島でみたものとそっくりです。
パパイヤの花も咲いています。雄花です。
こちらは、実がついています。横に雌花のつぼみも見えます。
いったん道路に出てしまいました。道を引き返し宿の方に向かいました。途中で、海の方にいけそうな道が見えたので、そちらへ行きました。灯台の少し北側の海岸にでました。振り返って見た観音崎と灯台です。
目の前に大きな岩があります。これも板状チャートでできています。
満潮を過ぎて潮が引き始めています。海岸の砂浜は、宿の前までつながっているようです。このまま浜沿いを歩いて戻ることにします。
いったん出た浜の先に宿があります。このまま浜沿いに帰っても宿に戻れる保証はありません。最悪ここまで戻らないといけにということが起こります。海岸を見たいので、このまま浜沿いに帰っていくことにします。
浜は、サンゴのかけらがたまっているところよりわずかに低い所に波が打ち寄せています。サンゴ片の多いところが満潮時の波打ち際なので、今は満潮より少し潮の引いた状態です。海の色は曇っているせいか、どんよりしています。海の色ももう一つです。
先を、シギのような鳥が歩いています。イソシギみたいですが、図鑑の絵と比べると頭が黒いようです。ほかのとくちょうはそっくりです。
ゆっくり歩いて近づこうとするのですが、少しずつ向こうに移動していきます。適当な間合いをとっているようです。始めみた場所からだいぶ歩いたところで、急に近づいたら飛び立って後の方に行ってしまいました。
だいぶ宿に近づいてきました。波のように見える模様があります。よく見ると、揺らいではいますが、位置が変わりません。海底にできた、砂が作る波の模様です。
ここの海岸でよく見かけた花です。ハマダイコンです。
背丈より少し高くなる木についていた花です。モンバノキといいます。この付近の海岸では、普通に見られる木だそうです。
フサキビーチまで来ました。宿に続く道が見えます。もどらなくてすんだようです。ここには桟橋があって離れたところに船が浮かんでいます。空中に浮いているような、写真を撮りたかったのですが、水面の反射が強く無理でした。晴れていて、水中までしっかり光が差し込まないと無理なようです。
今まで歩いてきた方向を振り返って見ました。島のような岩のあるところが、海岸に出て歩き始めた場所です。その奥に灯台も見えています。
夕食の時刻が迫ってきました。ここからは、宿に入る道があります。そこを通って部屋に戻ることにします。途中にあったアザミの花にカタツムリがでていました。このあたりのアザミは、イリオモテアザミが自生種らしいです。それでしょうか。
部屋に戻って、荷物を軽く片付けた後、レストランに行きます。バイキングです。いつものように取り過ぎたのか、すぐにおなかいっぱいになってしまいました。この状態では、取り立てておいしく感じるものはなかったようです。唯一の例外が、シークワーサー?のゼリーです。すっぱいものは、満腹でも食欲中枢を刺激するのでしょうか。それとも単なる好みなのでしょうか。
この宿は連泊になります。2日目にアメニティの交換が必要なければ、買い物券がもらえるようです。アメニティは余分についていたので、交換してもらう必要がありません。交換の必要がない旨申告して買い物券をもらい、それを使って売店で土産物を買いました。後はぶらぶらっと周辺を歩いた後、部屋に戻ります。星が見られるような空ではありませんから、他にすることはありません。風呂に入って寝ることにします。
夜中には大雨が降ったようで、激しく打ちつける雨音が聞こえていました。翌朝目を覚ます頃にはほとんどやんでいました。路面は濡れています。日の出前なのと厚い雲がかかっています。外は真っ暗です。散歩するには、まだ早いでしょう。朝食は6時半からです。この時間になっても、まだ明るくはなっていません。
食事を済ませて、持っていく荷物をまとめてとかいろいろしている内に、出発時刻が近づきます。フロントにいって鍵を預けたら、添乗員さんに鍵を持っていてもよいといわれました。なくすのが不安なので預けると答えました。ここの鍵は小さめです。
バスが来たら出発です。時々雨がぱらついています。宿の傘が1日借りられみたいなので、借りて行くことにします。降りたたみの小さな傘だと濡れやすくなります。傘を持ってバスに乗り込み、指定の席に座ろうとしたら、そこに座ろうとしている人がいました。気にせずに後方の空いている席に移動します。今日の予定は、波照間島から変更になって、西表島仲間川遊覧と由布島、石垣島鍾乳洞です。鍾乳洞からの帰りが早いので、市街までいくことも検討してみるとのことだったのですが、バスがいっぱい確保できなかったようです。路線バスもありますが、行って帰ってくるのに必要な本数はありません。昨日の夕刻に唐人墓を通った時に市街方面にいった路線バスがありましたが、出くわしたのは本当に偶然と言ってよいでしょう。
まずは、離島ターミナルに向かいます。途中で横切った川は、ものすごく濁っていて流れも速くなっています。河口から海に向かって泥水の帯ができています。昨晩の雨はかなり激しかったようです。
離島ターミナルから、西表島大原港に行く船に乗ります。席は前方左側窓側にとりました。何となくツアー仲間が集まっていたからです。初めは適当に間隔を取って座っていたいました。船は予約で満席らしく、席を詰めて座るように言われます。いろいろなツアー団体が次から次へと乗り込んできて、いっぱいになりました。
8時半に出港です。西表島まで40分ぐらいかかるそうです。港を出てから、右側の窓は、波がかかりまくっています。外の景色は全く見えなくなっています。左側は、波は時々被る程度です。それでも、船の作る波が高く舞い上がっているのが見えます。
遠くに島影が見えてきました。黒島です。
黒島を通り過ぎると日田旅別の島影が見えます。新城島になります。
先ほどから、時々緑色の柱のようなものが通り過ぎていきます。浮標と書かれています。航路を示しているようです。左側に見えるというのは、この範囲内を航行せよというものでしょうか。
ここからすぐに、西表島が見えてきました。高い山は雲の中です。
港にはいると波は少し穏やかになりました。船が停泊しているのが見えます。
船を下りて、いったん待合所に入ります。添乗員さんが、次の行動の手配をしている間しばらく時間があります。何かパンフレットがないか探してみます。1つ良さそうなものを見つけました。後でゆっくり読むことにします。
ここからは、仲間川の遊覧(マングローブクルーズ)になります。乗り場は、船を下りてからすぐの所でした。歩いて行きます。遊覧で乗った船です。戻ってきてから撮ったものです。
雨が降ったために、吹き込まないようにビニールで囲っています。水滴もだいぶついています。中に入ってみると、かなり景色はボンヤリとしています。写真写りも今ひとつです。
船がでるまでの間に先ほどのパンフレットを確認します。何か変です。「天体観測」と書かれるべき所を「観測天体」と書かれています。詳しくみると、見かけない漢字が使われています。中国語のパンフレットでした。ツアー仲間の一人が同じパンフをとってきていて、これを見てもわからないし、ちょうどおしりが冷たいので、座布団代わりにするといっていました。まねをさせてもらいました。
船からは、沖合に濁った水のあるところが見えます。昨晩の大雨の影響でしょうか。
港は仲間川の河口に隣接しています。出航してすぐに仲間川に入ります。大きな橋をくぐります。仲間川大橋です。船長さんの説明によると、川と海の境界は最初の橋だそうです。それなら、これをくぐって始めて仲間川に入ったことになります。でもそれだと、橋のない川は全部海になってしまいます。
この橋の欄干にイリオモテヤマネコの像が乗っています。
橋をくぐってすぐにマングローブ林がみてきました。これから、マングローブ林の周遊に入ります。
仲間川沿いにはマングローブ林が発達しています。町のあるところからすでにできていましたが、町を過ぎると林は本格的になってきます。マングローブは、川沿いや海岸沿いの浅いところに生えるのが特長です。あまり流れがなく泥質の土に生えるようです。川岸は林の中にあってどこなのかはっきりしません。川から見ると、ぎりぎりいっぱいまで、マングローブが生えているように見えます。
マングローブ林を作る木の種類について、説明があります。幹の真っ直ぐ伸びているのはオヒルギだそうです。この中で幹の見えているものは、ほとんどがオヒルギです。
こちらの木は、幹の途中からタコの足のような根を出しています。ヤエヤマヒルギの特徴です。
木の回りに、棒のようなものがいっぱいつきだしています。気根と行って、呼吸のために、水面上に出した根っこです。これをたくさんつけるのが、マヤプシキ(ハマザクロ)です。ヒルギとは違う種類です。これもマングローブの一種です。
説明にはなかったのですが、もう一つ、メヒルギというのがあります。左側の幹の曲がった木がそれのようです。根元の形が他の木と少し違います。
みていると、木がたくさん倒れているのがわかります。昨年の台風で倒れたのだそうです。ここでは、上流側に向かって倒れています。波のせいなのか風のせいなのか、どちらなのでしょうか。
川が曲がっているところでは、流れのようすがよくわかります。川幅が広く、ゆったりと流れています。
ちょっと変わった木が見えます。根元の所が板状になっています。板根と言います。先ほどの、メヒルギも板根みたいなものを作ることがあるそうです。奄美大島ではオキナワウラジロガシが板根を作っているのをみました。この木は、サキシマスオウノキというそうです。
川が曲がっている内側です。大きな州ができています。マングローブがないのは、洪水時には流れが激しくなるためでしょうか。
川縁に、マングローブの芽が出ていました。まだ小さいので、去年の台風の後に根付いてものでしょうか。
山の縁に近いところでは、ヤシのような植物も生えています。
後ろに座っていた、ツアー仲間が、鳥を見つけたら報告してくれます。ワシはわかりましたが、カワセミは2回もいたのに見つけることができませんでした。どちらも一瞬だったので、写真には撮れませんでした。船長さんもそういうのをみたら、船の速度を落としてくれてよさそうなものです。特にカンムリワシはこの付近でしかみられません。そういうものは見つけられなかったのでしょうか。
仲間川の遊覧はどこまで連れて行ってくれるのかわかっていません。どうもこの先に、西表島一のサキシマスオウノキがあるところがあって、そこを見たら引き返してくるようです。木の近くに船着き場があります。ここでいったん下船して、木のあるところまで歩いて行くようにいわれます。船を下りたところからみた、仲間川下流側です。川岸いっぱいに樹木が被さっているようすがわかります。
足元は木道があって歩きやすいのですが、その下の地面はぬかるみです。所々に大きな塚があります。どういう動物が穴を掘ったのでしょうか。形違いのものもたくさんあります。
100mか200mほど歩いたところにサキシマスオウノキがあります。正面に大きな板根が見えてきます。まわりを半周する木道があるのですが、その上は人でいっぱいです。
横に目をやると、小さな木ですが、やはり板根の発達した木があります。これもサキシマスオウノキでしょう。
大きなサキシマスオウノキの上にはオオタニワタリがついています。他に根元とかにも見られます。
周りとかを見ていると、いつの間にか人がいなくなりました。このすきに、全体を下から見上げて撮ってみました。
人がいなくなったのは。出発時間が迫っているからでしょう。船の方に戻ることにします。途中まで戻ったときに、船は、上流側に移動していると、添乗員さんから知らせられます。これによって近道ができたおかげ他の人たちより早く船に戻りました。乗る前に、仲間川上流側の写真も撮っておきます。
帰りは、川の反対側の岸が見られます。来るときとだいたい似たような植物がみられます。ここのヒルギは赤いものがついています。花が終わって残ったがくの部分の色です。実が垂れ下がっているかまでは見えませんでした。
来るときにみたワシが気になります。それらしい場所を探したのですが、反対側の窓からみることになります。結局どこだったのかさえわかりませんでした。
こちら側の岸には、岩石が露出しています。水面近くがえぐれたようになっています。琉球石灰岩でしょうか。
船はそのまま下って、船着き場まで戻ります。乗った場所より仲間川河口に近い場所です。下りるときに、船長さんから、ゴミも残しておかないように言われます。座布団代わりのパンフは、そのままおいておくことはできませんでした。
遊覧船を下りたら、バス乗り場の方に向かいます。添乗員さんはさっさと行きますので、ついていくのが大変です。このあたりから見える景色も気になります。船の中はずっとビニールの中だったのでぼやけたものしか見えていませんでした。くっきりとした眺めをゆっくり見たいものです。何とか海の方を見て撮ったものです。相変わらす、向こう岸近くの水は濁っています。そういえば、船に乗っているときに川の水が濁っているかまでは、よく見ていませんでした。どちらかというと、船に乗ったらそういうことは忘れていました。
この後は、バスに乗り由布島に向かいます。そのまままっすぐ行くと思っていたら、すぐ近くでトイレ休憩に入ります。船に乗っている間はトイレに行けませんでしたから当然でしたね。でもどちらかというと土産物屋さんに寄った感じです。でも売られているものの種類はあまりありませんでした。目玉は、黒砂糖のようです。手作りのものは、機械作りのものにおいしいといわれました。食べ比べて、後味にえぐみが出なかったようです。
バスは出発します。仲間川大橋を渡ります。先ほどこの下をくぐりました。橋の上から見た河口方向です。右側に大原港が見えています。
橋を渡ったところの海辺に、たくさんの気根が見えます。マヤプシキのものです。本体はどれか判別できません。
水田です。田植えの準備が始まっています。田植えが終わったところもあるそうです。このあたりは、二期作がおこなわれているそうです。
前良川・後良川を横切ったあたりです。このあたりも橋の上から海がよく見えます。浅瀬には、まばらですがマングローブがみられます。
バスは、由布島に渡るところまで行きます。この後、別のグループを運んだ後、我々を迎えに来てくれるそうです。車内にものは置いていけませんが、トランクには預かってくれるようです。といっても、持ち歩かないものは持ってきていません。
バスを降りたところに、気根がいっぱいでているところがあります。かなり陸地側に入り地面は乾燥していますが、奥に見えている木はマングローブのようです。
ここからは、水牛車で由布島に渡ります。前回来た時は、由布島そのものが観光名所ではなかったので、もちろんこのようなものはありませんでした。これに乗るのは、由布島の入島料を兼ねているのでしょう。
由布島に向かって、電線が引かれています。前回の江川海岸では海中電線だけを見に来る人がいたのですが、ここではいないようです。波もなく穏やかなので、江川海岸のようにウユニ塩湖そっくりといってもいいような感じです。
水牛車の順番が来たので、乗って島に渡ります。潮が引いているので、車はあまり海に浸からなくて進むことができます。わたるペースは水牛次第だそうです。何分かかるかは、時と場合によります。
水牛車には水牛に指示を出す人がいっしょにのります。馭者といっていいのでしょうか。途中で、いろいろな解説をしてくれるほか、三線の弾き語りも聴かせてもらえます。これは、竹富島でも同じでした。
私たちの乗った水牛車は、途中何事もなく順調に由布島まで運んでくれました。下りた後、振り返って見た西表島側の水牛車乗り場付近です。何台か動き出そうとしている水牛車はありますが、わたっているものは見当たりません。時間を決めて一斉にわたっているようにみえます。
西表島からの電線です。誰も気にしないのは不思議です。風が強いせいか、支えがある点が違います。
下りたところでしばらく待たされました。係員が案内してくれます。最初の建物の中にここの水牛の系譜が書かれています。運んでくれた水牛の名前がどこにあるか聞かれて探しましたが見当たりません。「勇太」を探そうとしていたのですが、「由布太」でした。見つからないわけです。
建物を出てあったのが、水牛の碑です。感謝のために作ったものです。お墓ではないので、手を合わせなくていいそうです。
その下にあるのは、シャコ貝の化石だそうです。海底にいるものと区別がつきません。
由布島で一番美人の水牛だそうです。並んで記念写真を撮ってもらえます。パスさせてもらいました。係の人の説明もここまでです。
写真を撮る人と撮らない人とでばらけてしまいました。添乗員さんからの食事の指示をもらっていません。ところが、肝心の添乗員さんが見当たりません。一応レストランの方に行ってみようということで、そちらに向かうことにしました。
途中にあった鳥のゲージです。カモのような鳥がいるのですが、何かよくわかりません。アヒルという説もありました。
レストランの前で咲いていた花です。2種類の名札がありました。今見えている方が正しいようです。
レストランに入ると、添乗員さんが待っていました。これから食事になるようです。
食事が終わると島内自由散策になります。次の集合場所の指示は、島に着いたときにもらっています。雨が時々降ってきます。このまま建物の中にいてもしかたがないので、傘をさしながらぶらぶらと歩いてみることにします。
ものすごく目立つ看板の所に来ました。由布島小中学校の門が残っています。昔はこの島には多くの島民が住んでいました。1969年の台風の影響で全島民が西表島にうつりすむようになり、そのために閉校になったようです。
井戸の跡も何カ所か残っています。真水が出てくるようです。このあたりは雨が多いせいでしょうか。
貝の館です。なかではたくさんの貝の標本が展示されています。
この奥にあるのが、マンタ浜です。入口に、エイのモニュメントがあります。
浜に出てみました。雨交じりの強い風が吹いています。傘が飛ばされそうになります。あまり長居はできそうにありません。浜の南側です。海底はサンゴのかけらのようなものがビッシリ敷き詰められたようになっています。
波打ち際近くで、巻き貝が密集しているところがありました。ここに集まったのは、どういう理由があったのでしょか。
浜からは小浜島が見えると書かれています。沖合に見えるこの島がそれのようです。
このあたりでもオオハマボウの花が見られます。雨にかかって濡れています。
浜沿いに歩くのはあきらめて、島の中を進んで行くことにします。ぐるっといけるところまでいったのですが、浜に出られるところはありませんでした。一番奥にあったブーゲンビレアの花です。ずっと花の名前はブーゲンビリアだと思っていました。ここでは地植えではなく鉢植えです。この温室で育てて、どこかで飾るために持ち出すのでしょうか。
ここからは島の反対側を戻っていきます。オオベニゴウカンと書かれた看板があります。そこで咲いていた花です。ゴウカンとは「ねむ(合歓)」を音読みしたものです。
このあたりで、民家があったところまで戻っています。壊れた建物跡のようなものがみられます。昔の民家跡でしょうか。
レストランのある場所の近くまで戻っています。
広い景色が見たいので、できれば浜の方に行ってみたいです。いままで水牛車降り場とマンタ浜以外は海に近寄れる道がありません。海の方にぬけそうな道を選びながら進んでも、ほとんどが立ち入り禁止です。ようやく1本だけ海に続く道を見つけました。この道を通って浜につきます。ここも入り口までで、浜全体へは立ち入り禁止の看板があります。
ここから対岸に西表島が見えます。間には州浜があり、この付近の海は全体的に浅いように見えます。
島の縁です。こちら側の海岸には、マングローブ林が広がっているようです。吹き付ける風も島影のせいかだいぶ穏やかです。
浜へは立ち入ることはできませんから、ここから引き返すことになります。戻り始めた道路の先をクイナのような鳥が横切っていきます。ここへ来るときも見かけたので、またでるかも知れません。待ってみることにしました。出てこないかと集合時間に間に合うようにぎりぎりまで粘ったのですが結局現れませんでした。
急いで戻ろうとしたら、マングローブの中を通りぬける遊歩道があります。時間切れなので、中を見ることはできませんでした。
他にも、蝶の館などみていないところがあります。オオゴマダラがいるみたいですが、以前勤めていたところでも飼われていました。金色のさなぎも無理をして見に行く必要もないでしょう。
集合場所は、帰りの水牛車乗り場です。ここで待っていると、西表島の方に戻っていくタンクローリーが見えます。このようなところを走って車がさび付かないか心配です。
乗れる順番が来るまで待ちます。風当たりが強いので、かぜよけがある場所に集まりますが、たばこの煙が流れてきて困ります。だいぶ待たされたような気がします。何とか水牛車に乗れました。これで西表島に帰ります。
西表島に戻ったら、バスで大原港に向かい石垣島に帰ります。席は山側になります。途中たくさんの牛が飼われているところがありました。
ヤギもいます。沖縄ではよく見かけます。
仲間川まで戻りました。上流側です。ここだけ見るとゆったりとした流れに見えます。
大原港です。石垣島に戻るのに乗った船は右端の車の向こうに停泊している船です。
帰りも満席で、詰めて座るようにいわれます。今回も、一同は左舷側に集まっています。帰りは、来た時よりも波が大きくなっているようです。船が巻き上げた波しぶきは打ちつけてくるだけではなく、風に流され屋根を通り越して反対側から流れ落ちています。大きな揺れがあると、体がいすにぶつかる衝撃で腰が痛くなるほどです。一同、波照間島に渡れなかった理由を理解したようです。これより揺れが激しいそうですから。
石垣島に戻ったら、石垣島鍾乳洞の観光が待っています。この鍾乳洞の近くにはいくつか観光鍾乳洞があるみたいです。石垣島鍾乳洞にいきます。ここも前回来た時はなかったようです。バスで移動です。バスがくるまでしばらく時間があるみたいなので、待合室で待機です。壁に掛かっていた八重山諸島の航空写真を眺めていたら、いつの間にかみんな集まっていました。呼ばれるまで気がつきませんでした。
バスに乗ってから、それほどかからずに鍾乳洞につきました。この先が入口のようです。少し雨が降っているので傘をさしていきます。
この通路の右側にパイナップル畑があります。花が咲いていると書かれているので見に行きました。花なのかつぼみなのか、咲き終わったものかよくわからないものがありました。我が家のパイナップルは、必死で寒さに耐えているところです。
正面の建物に向かい、入口で傘を傘立てに入れてから入ります。ゲージで飼われていたヤシガニです。
鍾乳洞に入ってすぐの壁面です。ざらざらした感じの所に地層のような筋がみられます。縦の筋は、生痕化石のようにも見えます。岩石は琉球石灰岩でしょうか。
最初に目立っていたのは、ヒダヒダ状の鍾乳石です。もう少し連なっていたらカーテンといえるのですが。鍾乳石なんでしょうか。
小さいですが、カーテン状になっているものもあります。
床面から天井までつながっているので、石柱になります。
鍾乳石一個一個をみながら写真を撮って歩いていると、ものすごくペースが遅くなります。後を歩いている観光客に先に行ってもらえるよう端に寄りながら歩きます。
キラキラ鍾乳石と書かれていたものです。でもこれは、地面から伸びてきていますから石筍というのが正しい言い方です。
天井からの鍾乳石と、地面からの石筍がセットになっています。うまくペアにならないものの方が多いようです。
この鍾乳石は、表面がでこぼこしています。もう少しとげとげしていたらケーブパールといえる現象になります。
ヒダヒダ状のフローストンです。壁面にできる事が普通です。鍾乳石の表面にもできています。
洞内は、開けたところもあります。そこの天井です。鍾乳石といっていいのかカーテンといっていいのかそれとも違うものなのか判断に迷うものがいっぱいあります。
鍾乳洞はまだまだ続いています。
ゆっくりと、写真を撮りながら進んできたので、他のツアーメンバーから置いて行かれた感じになっています。うまく写真が撮れないと悩んでいる1組だけが残っています。それもしばらくするとあきらめたのか先に行ってしまいました。後方からやってくる人もいません。洞内は占有状態見たいになっています。時間はじゅうぶんありますのでこのペースで進むことにします。
壁面に小さな段々畑のようなものができています。写真に撮ったら違う模様のように写ってしまいました。
電飾で飾られたところがあります。写真に撮ると、電球だけが写るか、電球の明かりがつぶされてわかりにくくなるかのどちらかでした。写真用ではありませんね。
水のたまっているところがあります。リムストーン(畔石)とプールです。奥のものはかなり深いようです。
石筍です。表面がでこぼこしていて、錫杖が突き刺さっているようです。
こちらの石筍は、てっぺんがへこんでいます。滴椀といいます。
折れた鍾乳石が途中で引っかかって止まっています。説明には「落ちてたまるか(受験石)」と書かれています。
ここの鍾乳石はグニャグニャしたものが、いっぱい垂れ下がっています。
有名映画アニメのキャラクターそっくりの鍾乳石と書かれていました。耳と鼻があります。あまり似ていないという評価も聞かれました。天井からぶら下がっていないので、鍾乳石ではなく石筍です。
壁面に埋まっているシャコ貝の化石です。
こちらはサンゴの化石です。
石筍ですが、たくさんくっついて山の様になっています。
こちらはかたまってあります。くっつく前に高く伸びていったようです。
だいぶ出口近くまで来ました。ここでは、壁面にフローストーンがついていますが、下の地層の様なものもうっすらと見えています。
ヒダヒダのカーテンなのかフローストンなのか区別に苦しむものと、石筍が多い鍾乳洞だったと思います。
一通り見終わって出口をでてもまだ時間があります。売店で土産物を物色していると、クイナがいたと教えてくれました。仲間川でワシやカワセミを見つけた人です。見たという場所に行ったのですが、もうどこかに移動した後でした。また出てこないかと待っていたら、バスが到着したと添乗員さんが知らせてくれました。出発時刻にはなっていませんが、みんな乗り込んで待っている様なので、こちらは切り上げることにしました。
売店のある建物をでたところで傘を探します。どこに置いたかわからなくなっています。入口と出口が違うとこういうことはよくあります。何とか見つけることができました。バスの方に急ぎます。バスは宿からの迎えのバスでした。このまま宿まで戻ります。
宿に着いたものの、夕食までまだ1時間以上あります。そのあたりを、歩いてみることにします。昨日は、宿の南側に行きましたから、今日は北側に行くことにします。名蔵アンパルというラムサール条約登録の湿地があります。行ってみたいのですが、ちょっと離れすぎです。行くには自転車か何か必要です。これはあきらめます。とりあえず浜に沿って北上することにします。
出かけようと建物を出たところの壁にカタツムリの赤ちゃんが2匹いました。雨が続いていいるせいかよく見かけます。
海岸にでたところです。今日は昨日よりも風が強く波も高めです。水も濁っている感じがします。
北側の浜です。昨日より潮が満ちているのか、浜の幅は狭めです。
ここでもシギがいました。2羽います。1羽は波のあたるところを歩いています。近づいたら飛び去ってしまいました。
岬の見えていたところで岩場になり行き止まりになります。潮が引いていればいけたかもしれません。ここで引き返します。振り返って見たビーチです。
浜で咲いていた花です。黄色い花をつけています。ハマアズキといいます。
ほ乳類の下あごの骨が落ちています。ヤギ・ウマ・うしといった動物のものでしょう。
戻る途中で再びシギにであいます。ここを縄張りにしているようです。
振り出しに戻ったので、今度は高台の方に行くことにしました。途中これといって珍しいものはありませんでした。高台から見た海です。沖合の白くなっているところは礁のあるところでしょう。
この先は何もなさそうだし、だんだん宿から離れそうです。いったん宿に戻ることにします。
宿の敷地内には、いろいろな花が植えられています。朝に花を解説してくれる見学会もあるようです。ただし、その時間帯は、ツアーでどこかをめぐっています。参加はできません。とりあえず、一通りまわって何があるかをみていくことにします。いくつかの木には名札がつけられていて、名前のわかるものもがたくさんあります。今咲いている花の名前を知りたいのですが、それには解説が付けられているものは少なかったようです。このあたりでは普通の花なのかも知れません、
これはアーチに下がっていた花です。
ガジュマルのような木です。ガジュマルは網の様な感じの根をぶら下げていた様な気がします。だとするとこれはアコウでしょうか。根本的な違いはわかっていません。
コバノランタナです。我が家にも鉢植えでありますが、ビニール袋を被って必死で寒さに耐えているところです。
由布島でみたオオベニゴウカンに似ています。帰ってから調べたらシロオオベニゴウカンのようです。白なのか紅なのかややこしい名前です。
ヨウテイボクです。漢字で羊蹄木です。葉の形がヒツジのひづめの形に似ていることに由来します。折りたたまれた様になっていて、写真では似ているのがよくわかりません。
彼岸桜です。もう咲いているのですね。写真を撮っていると、そばを通った添乗員さんからもうすぐ食事時間だと促されます。ぐるとまわってから行くと答えました。
これはテイキンザクラだそうです。といってもサクラの仲間ではありません。
朝顔の花もたくさん咲いています。何種類かある様な感じです。
夕食時間になりましたので、レストランに向かいます。今日のメニューは、創作コース料理です。上品な料理でした。残念なのは、石垣産黒毛和牛のあぶり寿司の肉の線維がいくら咬んでも硬くかみ切れなかったことです。
食事が終わると、あたりは薄暗くなっています。あとは、風呂に入って寝る以外することはありません。
3日目の朝です。今日の朝食は6時半からで、出発が9時15分です。朝はゆっくりできます。その間に何をするかが問題です。昨晩、ガジュマルかアコウの木かよくわからない木の近くで、クイナを見ました。しばらくそこでじっとしていたのですが、出てきませんでした。少なくとも、この近くにいることは間違いありません。出てこないかじっと粘ってみることにします。初めは、朝食を遅らせてその前に行こうかと考えました。よく考えてみると、6時半は日の出前でまだ真っ暗です。食事が終わる前くらいから明るくなり始めます。食事を早めに終わらせて、それからクイナを探すことにします。
食事が終わってからまずは、海岸に行ってみました。黒いサギが来ています。クロサギです。
写してはみたものの、ピントがあまりシャープではありません。手ぶれかなと思って、ISOをあげてシャッター速度を速くしても状況は変わりません。そのうちに、飛び立ってしまいました。
どこに行くのかとみていると、目の前を通り過ぎて、後側の浜に降りたちました。
かくれて接近しようとしました。気づかれていたのか、完全に間合いをとられていました。これ以上接近するのはあきらめます。
今日の海は、沖合に巡視艇が来ています。何かあったのでしょうか。
そろそろクイナをねらいたいと思います。ここから部屋に戻る途中に、クイナをみた場所があります。その近くで待っていたのですが、ずっと立っているのもつかれます。ここは部屋からも見える位置です。部屋に戻っていすに座ってみることにします。
部屋に戻ってから、カメラのレンズを拭いてみた所、ピントはちょっとはましになりました。といってもまだ完璧ではありません。みたかんじでは。特にレンズが曇っていたというわけでもなさそうです。
このあたりは、カラスがたくさんいます。しきりに、鳴き声が聞こえてきます。目の前にあるベランダの柵の上にまでやってきました。せっかくだから写してあげようとしました。思ったより、シャッター速度が遅くぶれてしまいました。
次に多いのが、ヒヨドリです。近くのモクマオウの木にとまったときのものです。
地面に下りて葉っぱをついばむ鳥もいます。帰ってから図鑑と比べると、シマアカモズに似ています。モズ類が、地面をつつくということはあまりしないようです。としたら何なのでしょうか。
40分ほどしたときに、地面を動くものが見えます。クイナです。窪地の向こうにいて全身が見えません。オートフォーカスの作動しにくい場所にいます。ピントがはっきりしていませんが、灰色の胴体と白い頭が写っています。このあたりにいるのはシロハラクイナです。それに比べると後頭部の黒い模様は見えません。単に写っていないだけでしょうか。
右から左に通り過ぎてしまいました。この先は物陰で見えません。戻ってくることを期待したのですが、だめでした。しばらくしたら、近くを散歩する人が通りました。これでは再び現れるまで時間がかかるでしょう。集合時間が迫ってきています。クイナはあきらめ、荷物を整理して集合場所に行くことにします。
宿からクイズラリーが出題されています。敷地内の指定されたポイントをまわって、そこに置かれているクイズ(なぞなぞ等)に答え、それから導き出される問題に答えるというものです。一応挑戦したのですが、1つだけわからないクイズがあります。これを除外して問題文をつくろうとしても、それらしくなりそうもありません。これも時間切れということにします。
今日の予定です。この後川平湾に行ってグラスボートに乗り、石垣空港から与那国島に渡ります。与那国島では、バスによる島内観光が待っています。
宿を出た後は、戻ってきませんから、荷物はバスに積んでいくことになります。トランクに入れたら、席に着きます。今日は左側です。バスが走り出してすぐに、名蔵アンパルの横を通過します。残年ながら肝心の場所は反対側です。川平湾から空港へ同じ道を戻ってくる事を期待します。いちおうこちら側からもマングローブ林の片鱗は見ることができます。ここはヤエヤマヒルギが多いようです。
ミジュン岬が近づいてきました。先にエリが見えます。琵琶湖のものが有名です。沖縄ではあまり見かけない様な気がします。
プールの様なものは、車エビの養殖場です。
ここから山の中に入っていきます。峠越えです。峠の手前で、彼岸桜が咲いている場所がありました。運転手さんは、解説はしてくれるのですが、バスの速度はそれほど落としてくれません。逆光だし、ガラスの色とあわさって何かわからない写真になってしまいました。
画像処理をしてみました。何とかサクラの様なものが写っているのがわかります。暖かいだけあったさすがに早いですね。もう終わりかけているそうです。
峠を越えて海に出たところが、川平湾です。湾入口近くの川平の町まで行き、そこからグラスボートに乗ります。
バスを降りてから、浜まで歩きます。岩と植物が配置され、途中庭園風になっているところがあります。岩は、琉球石灰岩が作るカルスト地形のカレンでしょうか。
グラスボートに乗る前に、この近くにある湾がよく見える展望台で記念写真を撮影します。そこからみた湾入り口の風景です。
湾奥の方向です。浜にグラスボートが並んでいます。
直下の湾です。漁船の様な船が停泊しています。就航中のグラスボートがあります。浜側のものは、乗船待ちのようです。
写真撮影が終わったら、ここから浜へ下りていきます。
グラスボートは、船底がガラス貼りになっていて、海底にあるものが見える様になっています。ここのグラスボートは、前回に来たときにも乗っています。30年ぶりです。
船長さんの説明によると、今は潮が引き始めていて、川の水が運ばれてくるので、湾内の透明度はよくないそうです。ちょっと残念です。
船が動き始めて最初は、砂底だったのですが、時々岩の様なサンゴが見える様になってきます。大きなものが見える場所まで来たら、船の速度を落としてくれます。これは、表面に幾何学的な模様のあるサンゴです。かなり大きな塊です。名前を教えてくれたのですが、完全に右から左です。
こちらは、枝サンゴです。枝先が青白く光っています。
ナマコがいました。このあたりにはハネジナマコというのがいるそうです。それのようです。ウミウシをみたという人がいましたが、たぶんこれのことでしょう。間違いなくナマコです。
最初にみた魚です。黒い色をしています。魚については名前を教えてくれませんでした。とはいうものの、教えてくれていたところで、右から左でした。
黄色い魚が群れを作って泳いでいます。帰ってから、沖縄にいる黄色い魚が何か調べたら、フタイロハナゴイというのありました。腹側の色が違うのでわかりやすいのですが、ここからでは、その色が何色なのかよくわかりません。
ぼつぼつのあるサンゴです。このあたりでは最大級(一番大きいといっていた様な)のサンゴです。これの名前も右から左です。
手前を大きな魚が横切っていきました。グラスボートでは、ファインダーをのぞかず、ピントも適当な距離にセットして闇雲に写真をとっています。海底のようすを見ながら、変わったものがカメラの視野の中に入った時にシャッターを押しています。みることを優先にしたためです。この魚も、予定外の距離に来たので、ちょっとピンぼけです。
ちょっと船の動きが速くなってきました。別の所に移動するようです。外を見たら、まだ湾の内側にいます。
これから、リーフの近くまでいってくれるのでしょうか。
再び、船の速度が遅くなりました。だいぶリーフに近づいたようです。波が打ちつけているようすがすぐ目の前で見えます。海底も見やすくなってきたことなので、再び海中の観察に入ります。
海底は一時深くなっていたのですが、再び浅くなっています。サンゴが密集しているのではなく、大きな滑らかな岩があって所々にサンゴが散らばってついているようです。シャコ貝もいました。大きく口を開けています。
青い小さな魚がたくさん出てきました。ルリスズメダイです。きれいな青色をしたものが2匹写っています。
なみなみの形をしたサンゴがあります。この時、添乗員さんがニモがいたといいだしました。何回もいたでしょうと聞いてきます。これほど真剣になるのは珍しいです。サンゴの中に白い筋として2匹写っています。カクレクマノミは、イソギンチャクの近くにいますし、白い筋は横縞です。体の色も鮮やかなオレンジ色です。違う点が多いのでどう返事していいのか困りました。この魚も帰ってから調べたら、セジロクマノミに該当するようです。カクレクマノミに近い仲間です。
きれいな模様のある魚です。アミメフエダイとみました。
ルリスズメダイと並んで熱帯魚の代表チョウチョウウオです。上から見るとわかりにくいものです。
船がまた速く動き出しました。次の場所かなと思ったのですが、もうおしまいです。時間が経つのが早く感じました。
船を下りてからみた湾の入口方向です。湾内は穏やかです。
さらに奥です。波の立っているところがリーフのあるところで、その少し手前までいったことになります。
砂浜の砂です。細かい砂でできています。波が強くないせいでしょうか。昔有孔虫がたくさん入った砂を拾った場所はここだとおもっていました。そうではなかったようです。
ここで、カメラのレンズを交換しているときにレンズを落としました。砂の上にふんわり落ちた様で、衝撃はなかったのですが、すき間に入った砂粒がなかなか取れませんでした。やっと取れたところで、バスの出発時間です。
川平湾の観光が終わって、次は与那国島に向かうために石垣空港にいきます。途中で弁当の受け取りに寄るところがあるようです。バスは来た道をひきかえすと思っていたのですが、島の北側を走る道を東に向かって進みます。これだと、島を一周する感じになります。通ると思っていた名蔵アンプルへは戻らないようです。残念ですが、違った景色を楽しむことにします。
南東側からみた川平湾です。右側の岬の様なものは小島です。
米原近くの川の河口です。リーフがすぐ近くに見えています。
このあたり右側に於茂登山が見えるはずです。生け花に使う万年青の名前の由来になっている山です。進行反対側の窓なので確認はできませんでした。それらしい山です。
山の斜面に、ヤシのような形の木がいっぱいあります。地図にはヤエヤマヤシ群落と書かれています。群落というほど密集していません。
道は山の方に曲がりトンネルをくぐります。前に来たときは、島を一周する道しかありませんでした。新しくできたようです。
トンネルをぬけると、左側に水のたまっているところが見えてきます。海にしては何か変です。島最大の池だそうです。帰ってから気がついたのですが、奥に見える山は、石垣空港滑走路の先に見えていたカーラ岳そっくりです。位置的にもその可能性があります。
しばらく走ると、ダム堤が見えてきます。底原ダムだそうです。島の貯水源なのでしょう。これも前回来たときにはありませんでした。
パイナップル畑が見えてきます。もう実は大きくなっています。
時々、サトウキビ畑も見えます。ここでは、両者が隣り合っています。パイナップルは酸性土壌、サトウキビはアルカリ性土壌に生育します。沖縄本島では植えられているところは全く違います。違う環境に育つ作物が隣同士というのは大丈夫なのでしょうか。
この後バスは、畑の中の道を通ってホテルの前に行きます。ここで、昼食弁当を受け取りです。弁当を積み込んだ後は、真っ直ぐ空港に向かいます。すぐに空港に到着です。
石垣空港に向かうバスの車内で、昼食弁当を受け取ります。空港に着いたら、トランクに預けた荷物を受け取って空港ロビーに行きます。ここで添乗員さんから搭乗券を受け取ったら、しばらく自由行動になります。搭乗券には、黄色い紙が貼られています。非常口座席の注意です。那覇から来るときに貼られていたのはこれのコピーだったようです。再び非常口の座席です。
大きな荷物を預けると、することがありません。それよりも、弁当箱が大きく邪魔になります。早く処分したいので、食べてしまうことにします。時間はじゅうぶんあります。搭乗待合室に行くために保安検査を受けます。ゲートを通りぬけたらブザーが鳴りました。ベルトのバックルが反応したようです。今まで鳴ったことがないので油断していました、ベルトを外して、検査OKとなります。
弁当を食べ終わったら、保安区域内を歩いてまわります。人が食べているのをみてアイスクリームを買い食いしてしまいました。
窓の外を眺めてみます。滑走路の方向です。カーラ岳が見えます。
これから乗る予定の飛行機です。プロペラ機になります。
搭乗案内があったので、飛行機の近くまで歩いて行き乗り込みます。今度は座席は窓側です。非常口の座席は広いのですが、窓はだいぶ前の方になります。前にかがまないと外の景色は見えません。見えたとしても、ほとんど雲の上です。無理にみないことにします。GPSロガーがあるので、飛行状況はわかります。滑走路の端までいって助走をつけたのですが、ターミナルの前に来るまでに離陸していたようです。その後一気に高度4500mくらいまで上がったかと思うともう着陸準備に入ります。時速700kmくらいで飛んでいたようです。雲の中を突っ切ったら海面が見えてきます。右側席から島が見えないと思っていたのですが、島を通り過ごしてUターンして着陸したので、着陸時はこちら側が島中心側になりました。ダンヌ浜付近の上空からの景色です。すでに車輪が下りています。
飛行機が与那国空港に着陸してから、降りてみた空港ターミナルです。
ターミナルに入る前に、ターンテーブルの外側が見えます。意外と簡単な作りです。
ターミナルに入って預けた荷物を受け取ることになります。ターンテーブルの中には、与那国島の模型が置かれています。飛行機も飛んでいます。
荷物がまだ到着しそうもないので、さきにトイレに行くことにしました。結構並んでいて時間がかかりました。用をすませて戻ってみると、預けた荷物はテーブルの向こう側を動いています。人が多く走って取りに行くことはできません。しかたなく、もう一回まわってくるのを待ちます。先ほどみたように、外の長さは短めです。それでもしばらく待ちました。その間に、周囲に誰もいなくなりました。荷物を持って急いで外に出ます。
保安区域をでたところで、バスの運転手兼ガイドさんが待っていました。パンフレットをもらって、ターミナルの外に出ます。外側からみたターミナルです。
ここから、バスの待機しているところまで歩いて移動です。
バスの座席は石垣島に引き続いて左側です。これからの観光コースは。島北部にある空港から島内を時計回りに一周するようです。再び海側の景色を見ることになります。
バスは空港を出たあとは、東に進んですぐに今日泊まる予定の宿の前を通過します。製糖工場とか発電所前を過ぎて、すぐに粗納(そない)の集落です。漁港にでて、いったん港内を止まらずに時計回りに一周します。
これが粗納港です。奥にある崖に興味が引かれますが、こちら側の席からは後方から反対側の窓側に見えていたので、あまりよく見ていえません。
漁港を過ぎて、次に見えてきたのがたくさんのお墓です。この付近一帯にあります。一個一個は沖縄本島のものと似ています。ここは、浦野墓地というそうです。
墓地の群の向こう側に海が見えます。波がかなり高く上がっています。
奇妙なものが見えてきました。凱旋門だそうです。奥にピラミッドと呼ばれているものも見えています。これもお墓なのだそうです。
長命草です。名前の通り健康にいいそうです。有名化粧品会社と提携してこれの健康飲料や関連商品が発売されているそうです。畑で栽培されていますが、この付近では雑草です。若葉を食べてみた感じでは、においの強いアシタバのようです。
昔からの民家といった建物があります。与那国島最長老の家だそうです。入口が開いているので気が引けましたが、写させてもらいました。
亀甲墓です。人の形に似ています。沖縄本島みられるもののように石室がドーム型になっていません。ここは浦野墓地からだいぶ離れています。それでも時々お墓を見かけます。
どんどん進んでいると、前方に風車が見えてきました。羽根がありません。昨年の台風で折れたそうです。
この風車のすぐ向こうが東崎になります。
沖縄では東を「あがり」といいます。太陽が上がってくる方向という意味です。大東島をうふあがりということがあるのもこのためです。この岬も「あがりざき」と読みます。ちなみに「あがり」の反対は「いり」になります。
東崎の駐車場に到着しました。ここからは、東崎の灯台はだいぶ向こうに見えています。歩いて行かないといけませんが、風が強く小雨も降っています。行くのがだいぶためらわれます。
バスに積んであった傘を借りて歩き始めます。道は、ウマのう○こだらけです。よけながら歩きます。風も強く、さしている傘も飛ばされそうになります。必死で支えていると骨が曲がってしまいました。
向こうから、2匹の馬がやってきました。脇を走り抜けていきます。おびえているように見えます。
すれ違ったとき、だいぶ大きく見えたのですが、この写真で見る限りではポニーぐらいの大きさでしょう。としたら、与那国馬だったのでしょうか。相手は土手の上を歩いていたから高く見えただけかも知れません。
気温も低く、ちょっと寒めです。雨と風も混じって体感温度はぐっと下がっています。岬まで来たもののみんなは、展望台の柱の陰に集まって、風をよけてそこから動こうとしません。
ここで気を取り直して、先端の方に行ってみます。眼下に見えた岩礁です。だいぶ波が荒れています。
灯台の下にも馬が集まっています。
黄色い花が咲いています。帰ってから調べて、コキンバイザサと判定しました。ここのものはわかりにくいのですが、花びらの先に毛が密集しているのが特徴です。
与那国島北側の海岸方向です。手前の崖にきれいな地層が見えます。八重山層群です。
南側の海岸線です。こちらも切り立った崖が続いています。
次に行くところは、この先に見えている岬です。サンニヌ台といいます。
サンニヌ台へは、東崎の駐車場からバスで移動です。距離はそれほどありません。
ここからは、軍艦のような形をした岩礁が見えます。軍艦岩といいます。上がってきた潜水艦のようにも見えました。岩肌には、地層が作る模様がきれいに見えています。地層に沿って岩石がはぎ取られているようすもよくわかります。ここの岩石は地層面に沿って割れやすい性質があるようです。
横に見えた谷です。両崖の岩石にもきれいな縞様が見えています。
ここからさらに前方に行く道が見えます。こちらには行けません。風と雨は先ほどと比べるとだいぶ弱いのですが、まだ動き回るのがためらわれます。
南西方向に続く海岸線です。まだまだ崖が続いています。次に行くところは、茶色い崖の手前、海岸が奥まったところの上です。バスで移動です。
目的地に到着です。東崎の方を振り返っています。奥の岬が東崎、左の方に風車が見えています。先ほどいたところは手前の道路が下っていく少し先で、山かげなっていて見えません。
ここから眼下に、先の尖った岩が見えます。立神岩といいます。先ほどの場所からの写真にも、先端部が写っていました。
今いる場所は、立神岩展望台といいます。その割にはちょっと遠いようです。もう少し先、白い車が停まっているところまでバスで移動です。
ここは、展望所といいます。下にくだっていく道があってその先が少し広くなっています。みんなそちらの方に移動していきます。向こうに見えている東屋風の建物が、立神岩展望所です。
広くなったところから見た海岸です。波が打ちつける先に海食台が広がっています。
ここの柵の近くにみかん箱くらいの大きさの岩がいくつか置いてあって、その上からみると、立神岩がよく見えます。
近づきすぎて、上から目線になっているのが残念です。先ほどの場所からの方がよかったみたいです。
バスを止めたところからも、おいてある岩に上れば、見えたようです。でももうちょっと、前でないと全体が見えません。
与那国島一周はここで4分の1くらいが終わったところです。
立神岩展望ポイントから先は、しばらくの間、山の中を通ります。島東部の山とかが見えていましたが、反対側の窓の景色なので写真には取れていません。山をぬけたところで町と浜が見えてきます。比川の町に到着です。島の南部にあたります。これで島を半周したことになります。このあたりも昨年の台風の被害が大きかったようで、壊れた家がまだそのまま残っています。
町を通り過ぎて、バスの窓から見えた海岸です。正面の浜は比川浜といいます。
バスが向かったところは、昔、テレビで放映された連続ドラマの撮影に使われた建物です。浜の東外れにあります。古びた建物のように見えますが、わざわざこのように作られたそうです。知らない人は間違えて診療に行きそうです。
雨風は今はほとんどありません。傘なしで歩くことができます。建物まで行って、中に入ります。説明をしてもらえるまでしばらく時間があります。ほとんどの人は、セットとして作られたとは知らずに、待合室のいすの上で休んでいます。受付とかに入って記念写真を撮る人もいます。
病室のセットです。壁の所々がすり切れたようになっています。これもそのように作られたそうです。撮影がしやすいように、わからないように工夫が施されています。たとえば、壁に埋まっている枠です。写真では、他の枠とちょっとだけ違っているところがあります。
他の部屋です。続編が撮影できるように、当時使われていたセットが残されています。
中の状態はどのようであったかについて説明しないといけないでしょう。でも、ドラマと似たようなものだったであろうということにしておきます。詳しいことは、省略します。
中を一通り見終わったら、外を見ます。はしごを上って屋上に上がれるようです。その前に聞き慣れない声で鳥がさえずっていたので、探したら木の枝先にいました。
シロガシラです。与那国島近辺にたくさんいる鳥のようです。後頭部が白いのが特徴です。
屋上に上がってみました。いかにもドラマという感じで旗が立てられています。
屋上からみた比川浜です。曇っているのでそれほどには見えないのですが、きれいな浜です。
バスは、集落の中にある共同売店にいったん立ち寄ります。立ち寄れるような土産物屋さんもあまりないようです。
どんなものが売られているのかみていると、ツアー仲間から陳列棚にあった長命草を使った健康飲料が手渡されます。どういう意図なのかわかりません。とりあえず、買って飲んでみました。長命草というのはほとんどわかりません。味がわかったのは、レモンとリンゴです。
店の前で長命草にたねがついています。バスの運転手さんが手の平にいっぱい持って帰るようにとくれますが、そんなにもらっても植える場所がありません。それに大阪では寒くて育たないでしょう。でもせっかくですから。ひとつまみほど持って帰ることにしました。葉っぱも1枚押し葉にして持って帰ります。
比川を後にして、与那国島南部を西に向かいます。次の目的地は西崎になります。比川の町をぬけたところに墓地があります。10〜20墓程度のこぢんまりした墓地です。バスの運転手さんはここに霊柩車があるといいます。普通に見かけるような形のものは見当たりません。棺を運ぶ事ができるもので目についたのはこれだけです。これのことをいっていたのでしょうか。探すのに必死で、他にあった説明は何だったのか耳に入りませんでした。
バスは海岸沿いの高台を走ります。平らな地面の先にごつごつとした岩が見えます。石灰岩のようです。琉球石灰岩でしょうか。
海岸の岩礁のようです。岩肌をみると、これも石灰岩でできているみたいです。
海岸近くは、わりとでこぼこしているようです。石灰岩が融かされるとこのようなものができます。
上の台地には、所々で馬を見かけます。与那国馬でしょうか。このあたりは南牧場と呼ばれる場所になります。馬以外はいないようです。
岬に近づいてくると、岩石の感じが変わってきました。表面がツルツルしています。石灰岩ではないようです。
T字路の手前で見えた塔です。GPS受信機です。位置の測定に使われています。島の動きとかがわかるようです。
T字路の手前の路面にあったものです。テキサスゲートといいます。馬などの家畜は、この溝に足がはまるのがいやなので、ここを通りぬけることができないそうです。テキサスの牧場で使われているので、このような名前がついています。
この交差点を左に曲がると、西崎のある岬になります。
西崎の駐車場に到着です。駐車場からは、灯台と東屋風展望所がみえます。どちらも日本最西端にあるものです。公共駐車場も日本最西端にあるものかな。駐車場から灯台までは歩いて行くことになります。雨は降っていませんから、傘は必要ないのですが、風は強く吹き飛ばされそうになります。東崎ほど遠くないし、雨風もましなので何とかいけそうです。
駐車場から展望台への遊歩道入口にあった看板です。与那国島はカジキマグロで有名なのだそうです。
石段で咲いていたスミレです。写真を撮ろうとしゃがんだら、風で帽子が飛ばされてしまいました。
コキンバイザサです。左上の花びらの先に毛のようなものが見えます。これが特徴です。
日本最西端の碑です。この向こうに台湾が見えるはずですが、天気が悪く見えていません。見えることは、年間数回だそうです。かなり高くに見えるようです。距離が100kmほどで、3〜4000mの山が連なっています。東京からみる富士山くらいの高さといっていいでしょう。
眼下に見える岩礁です。激しく波が打ちつけています。これが日本最西端の陸地になるのでしょう。
岬から北東側です。久部良の集落があり、港もあります。向こうに見える高い山は久部良岳で山頂に携帯電話会社や民放のアンテナがあります。公共放送局は、別の山の山頂に山の形が変わるまで削ってアンテナを作ったそうです。
バスに戻ります。乗り込んだところで、日本最西端の証というのをいただきました。これから、久部良の方に下りていきます。集落の手前にナーマ浜が見えてきます。
さらに進んで久部良の港の前を通ります。そこに停泊していたフェリーです。一昨日石垣港でみたものです。こちらにやってきていました。船名は「よなくに」で「よなぐに」と濁っていません。
久部良の町は素通りして、島の北側を東に進みます。すぐに空港です。これで一周は完了です。そのまま進んで、宿に到着しました。
宿に着いたものの、夕食まではまだまだ時間があります。時間つぶしに散歩に出ることにします。添乗員さんから、部屋に異常がないかということと、夕日を見に行くかということの確認の電話がかかってくるので、それまで部屋で待機です。電話で異常なしということ、夕日を見に行くと報告したら、ようやく解放です。
散歩の行き先はだいぶ離れていますが、粗納の集落の方に行くことにします。できたら海が見たいです。外は相変わらず強い風が吹いています。雨もぱらぱらとしてきました。傘を持っていこうか迷ったのですが、それほどひどくないのでそのまま行きます。
宿の前に交差点があって、粗納の町に行く道と海の方に向かっている道とがあります。海が見たいので、海の方に向かう道を行くことにします。
道沿いの木に、バケツのようなものがぶら下がっています。バスの窓から何カ所かで見えていたので何か気になっていました。中を見ようとしたのですが、蓋は開きませんでした。ここではあきらめます。もう一ヵ所で見たところには、ウリミバエ放虫の容器と書かれていました。卵を産めなくした虫を放って、周辺にいる虫が卵を産む機会を減らすためのものです。南西諸島のいくつかの島では根絶に成功しています。根絶まで、あと何年かかるのでしょうか。
進んで行くと左前方に大きな崖が見えてきます。削って何かを作ったというより、土砂を採った跡のように見えます。滑走路を作るためにここから土砂を採ったのでしょうか。
島の右(山)側をみると、大きな崖が続いています。ティンダハナタといいます。ティンダバナと書かれているパンフレットもあります。ハナとは「鼻」のことでしょう。岬といえるほど大きくはない海に突き出した陸地のことをいいます。この左側に崖は続いていません。海ではないけれども「鼻」のようにも見えます。このあたりでは、「鼻」のことを「ハナタ」というのでしょうか。
道の左側は、空港の敷地内で立ち入り禁止と書かれています。禁止区域の書かれている地図を見ると、滑走路をくぐって海の方に行く道が徒歩通行可となっています。海に行ってみたいので、この道を行くことにします。
道は行き止まりでした。一番奥に進んだところからみた滑走路の先端方向です。海が見えますが、ものすごく荒れているのがわかります。
滑走路をくぐって進めると書かれていたのですが、そういうものは見つかりません。かわりに滑走路を横切る道があって、滑走路を越えたところで柵がしてありました。横切る途中にみた滑走路です。
ここまでだいぶ歩いたので、ショックが大きいです。気を取り直して元の道に戻ることにします。元の道は滑走路の延長と平行に粗納の集落の方に向かっています。山側の崖に近づいてきます。ずっと下まで石灰岩で、中段付近が少しくぼんでいます。海食ノッチなのでしょうか。頂部も平らで、いったん浸食されて平らになったものが再び隆起したように見えます。何層か筋のようなものもあるようです。
粗納の集落の手前で急に坂になり下っていきます。高台になっていますので集落がよく見えます。集落中心部です。信号機の向こうに見える薄い鶯色の建物は与那国町役場です。ここも、例の連続テレビドラマの撮影に使われたそうです。ツアー仲間の一人がしきりにここに行きたいといっているのを後で聞きました。
坂を降りて、粗納に向かう道と合流し、さらに進んで集落の入口まで来たところにあった駐在所です。島内にはもう一ヵ所駐在所があるので、日本で西の端から2番目の駐在所になります。
この前に、駐車場があって、浜に行く道があります。そのさきにあったナンタ浜です。
浜に下りたのですが、風が強くぱらつく雨のせいでかなり寒く感じます。歩いてみたのですが、寒さに負けてしまいました。すぐに退散です。
浜と町の間に堤防があります。浜の反対側にも堤防を越えられるところがあって、そこから堤防の内側を通って町に出ます。道路に出たところで、すぐ右側に赤い建物があります。バスでの島内一周ではこの前を通っています。そのときにあった説明では、この建物の中でもドラマの撮影がおこなわれていたそうです。観光パンフにはこのあたりに民俗資料館があると書かれています。このたてもののことでしょうか。中には入れそうにありません。
粗納漁港の入口を過ぎて少し進んだ所で海側をみると、激しく波しぶきが上がっているのが見えます。このあたりは吹きさらしなので強風が通りぬけていきます。雨ととあわさって寒くなってきたので、引き返すことにします。
帰りは、ティンダハナタの崖下沿いの道を通って帰ります。崖下には、大きな岩がたくさん見られます。上から落ちてきたものでしょう。
発電所があります。意外と小さな建物です。これだけあればじゅうぶん発電できるのでしょう。
隣に並んで製糖工場があります。大東島では、年間2〜3ヶ月しか稼働していませんでした。こちらもそのようです。
ここからは宿まではすぐに到着です。与那国特産の花酒を、宿の前の売店で買って部屋に引き上げます。これはお土産用です。部屋に戻ると、蛍光灯が一ヵ所ついたり消えたりしています。添乗員さんの手を煩わせるほどのことはありません。フロントに連絡して、交換してもらいます。新しくなった蛍光灯では明るすぎます。換えなかった方がよかったようです。
夕食前に、日本最西端から夕日を見に行くことになっています。日没は6時48分で6時半に出発です。この時間でも相変わらず、雨が降っています。ダメ元でいくことにします。初めから行くのをあきらめた人も何人かいます。
夕日をみる予定だった、夕日が見える丘公園でも風は強く、雨は激しくなっているようです。
時々打ちつける雨に怖じ気づいたのか、誰もバスから降りようとしません。結局、日没予定時刻の前にここを離れることになりました。運転手さんの気遣いで、軽くドライブして帰ることになります。公園から下っていく途中に、中学校の横を通ります。日本最西端の中学校です。隣に小学校もあります。グラウンドは芝生が貼られています。
下りたところの交差点にある商店です。これも日本最西端の商店になります。
ドライブコースは、久部良岳北側の盆地を通ります。あまりツアーでは通らないところです。島内では、このあたりに田んぼが集中しているそうです。風景的には本州の田園地帯とあまり変わりません。
この後、自衛隊の駐屯地の前も通ってくれました。このあたりは自衛隊が撮影禁止にしているらしいです。そういう前に暗くて、写そうとしても写りません。前をぐるとまわってから、元の道に引き返します。時々人とすれ違いますが、みんな自衛隊員だそうです。町までだいぶありますが、飲みに行くのに車はつかえませんから歩いて行くようです。トレーニングで走っている人もいます。
盆地内の道を通って宿に帰ってきました。宿に戻ってからは夕食です。ここの名物はカジキマグロだそうです。刺身がでていました。あっさりめのマグロといった感じです。マグロはあまり好きではないので、もうひとつです。前の人が、いろいろな料理を注文しているのを見て食べたくなりました。何か頼もうとしたのですが、食べて良いといいます。カジキの唐揚げをいただきました。味付けがきつくカジキのあっさりした味がわからなくなっています。好みではありません。お酒の肴用といった感じです。そういえば、前の人は気持ちよさそうに酔っています。これだけ楽しそうに酔っている人を見るのは初めてです。
部屋に戻って、パンフレットを見直していると、粗納の集落に与那国馬のいる施設やティンダハナタに展望台があって集落を見下ろせるとか書かれています。このことがわかっていたら、浜に行かずにこちらの方に行っていたでしょう。役場のこともあります。悔しいですが、後の祭りです。これからは、闇雲に行動せずに、パンフとかをしっかりチェックすることにします。
ツアー最終日の朝になりました。まだまだ外は薄暗いようです。曇っている上に、日の出までまだまだあります。この後宿出発までの予定です。7時朝食、8時20分集合となっています。朝食が終わりかけた頃に日の出となります。朝食が終わった後、しばらくすることがありません。窓から景色を見ていると、昨日歩いて行った方に行く人がいます。どうしようか迷っていたのですが、これを見ていくことに決めました。行き先は、昨日いっていない空港の方にします。
少しいったところで、ウグイスの鳴き声がします。この感じだと1年中鳴いていそうです。どこにいるか探したのですが、茂みの中のようで見つけられません。探していてるときに見た、木の枝です。イチジクを小さくしたような実がいっぱいついています。ギランイヌビワです。
頭上で別の鳥がさえずっています。電線を見ると、鳥が止まっています。帰ってから確認したら、これもシロガシラでした。後頭部の白い模様が見えます。
ウグイスを探すのに手間取ったので、それほど遠くへ行く時間はなくなってしまいました。このさき、ちょっとだけ行って戻ることにしました。これといって変わったものはみられませんでした。
宿に戻り、荷物をまとめて、鍵を返して、ロビーで出発を待ちます。すぐにバスが来て乗車となります。その前に、トランクに大きな荷物を入れます。
今日この後の予定は、海底遺跡を見た後、昨日行かなかった観光スポットをめぐり、その後飛行機で大阪に帰ることになっています。海底遺跡を見学する船は久部良港からでます。まずはそこまで、バスで移動です。途中で、添乗員さんから昼食の相談があります。与那国そばの店か定食屋さんのどちらがよいかということです。どちらでも与那国そばが食べられます。多数決の結果、絶対多数で定食屋さんに決定です。今日の昼食はツアーに組み込まれていませんでした。
すぐに久部良港に到着です。桟橋から見た対岸の久部良漁港です。
西崎です。上に灯台と東屋風展望台が見えます。手前の岸壁にはコンテナがいっぱい置かれています。フェリーで運ばれてきたものでしょうか。
信号が見えます。日本で最も西側にある「信号のある交差点」です。最も西側の信号機は、黄色い建物と被って向こう側を向いて写っています。
これから乗る船です。高速半潜水艇と書かれています。船倉にガラスが貼られていて、座って海中の景色が見られるようになっています。
出航後、船は西崎を回ります。灯台が近づいてきました。
西崎の上から見えていた岩礁をまわります。このあたりが今回の旅行で行ったと確認できた一番西の端の場所になります。GPSの記録では東経122度55分54.02秒です。一番西端まで行ったのは、飛行機で与那国島に来るとき、西側から着陸するために、向きを変えのに行った場所です。この時はGPSの記録は停止していました。
ここから、与那国島の南側を通って海底遺跡のある新川鼻沖まで行きます。
新川鼻までは、デッキのようなところで景色を見ながらの海上遊覧になります。地層の説明をしてくれているようなのですが、聞き取れません。だいたいのことはわかるので、見た範囲、聞こえた範囲でわかることを書いていくことにします。
西崎近辺です。きれいな地層が見えています。案内では八重山層群とかいっていたようです。
1600万年ほど前の地層です。見た感じでは、砂岩ないし泥質砂岩が地層を作っているようです。層理面で段ができています。ここではがれやすい特徴がありそうです。地層は北北東に傾いていて、島の南側から見る限りでは、右に傾いているように見えます。船が東に行くに従って、だんだん上にある新しい地層が見えることになります。
進んで行くと、上に茶色っぽい土のようなものが見えてきます。そのすぐ下にある青白い色をした八重山層群は大きな割れ目ができていて、そのすき間に土のようなものが詰まっています。八重山層群が風化作用を受けて土に変わったようです。上の方の土の中に入っている小石の並びは不規則になっていて風化を受けた後何かの力で動かされています。この土はかなりしっかりしているので、最近のものではなくかなり古い時代のもののように見えます。
さらに進むともっと上の方が見えてきます。順番に見るため下の方から見ていくことにします。海岸付近の高さの所には直径が1〜2mくらいの丸い岩の塊がたくさん見えます。色も黒ずんだ茶色で八重山層群に比べて表面がざらついている感じがします。何なのかは、近くで見ないと判断できないのですが、珊瑚礁のかけらが、破壊され波で洗われてできたもののように見えます。
崖の上の方です。建物の下にしっかりとした岩石が見えます。その下に洞窟のようなものも見えます。古い時代の珊瑚礁で、洞窟は波で溶かされてできたもののようです。琉球石灰岩という説明がはいっていました。
ここは自衛隊駐屯地の近くですので、上の建物はそれに関連したもののようです。
下の青っぽい岩石が八重山層群で、上の黒ずんだ茶色の岩石が琉球石灰岩です。2つの岩石の間に時代的に大きな隔たりがありますから、2つの岩石の境界は不整合になります。
琉球石灰岩も中に層理面のような筋が見えます。真っ直ぐではなくかなり波うっているようです。八重山層群のようなはっきりとした右への傾きは見えません。ほとんど水平なように見えます。
崖の上面に注目します。平らな地面が広がっています。琉球石灰岩ができた後、いったん隆起し、浸食を受けた平らになったようです。それが再び隆起し、上の平坦面ができました。平坦面は東に進むにつれてだんだん低くなってきていて、このあたりでは上面が見えるようになってきています。西側の方が隆起量が大きいようです。こちら側に傾いているように見えます。
崖の高さは2〜3mくらいになってきました。琉球石灰岩が溶かされてできた丸い穴が、表面にたくさん見えます。
このあたりまでくると、浜が広がってきます。カタブル浜といいます。琉球石灰岩正面にできた平坦面は、海面と同じかそれよりやや低くなったところにあるようです。
隣の比川浜です。昨日行った、ドラマの撮影のために作られた建物が見えています。山の斜面にある建物は、一時期テレビによく出演していた評論家の別荘だそうです。
再び磯が見えるようになってきました。崖の岩石も、八重山層群になっています。比川浜の東の端に南北方向に伸びる断層があり、東側が隆起したようです。八重山層群は西崎のものと比べて、1枚の厚さが薄く層理面ではがれるように割れる特徴がはっきりと見えます。地層の傾きは南南東方向に変わっています。
ここから新川鼻まではすぐです。地層は八重山層群が続いています。
新川鼻沖に到着です。与那国島海底遺跡は、この近くにあるそうです。前知識では、海底に人工的っぽい台地上の地形があって、その上に、階段とか石垣といった人の手が加わってような形のものもあるようです。いちおう、地図というか遺跡の見取り図のようなものは目の前にあります。
ここから見える地層は八重山層群になります。層理のはっきりしているところとあまり目立たないところがあるようです。比川近くと比べて傾斜はちょっと緩くなっているようです。南に10度くらいでしょうか。
岩礁が見えてきます。新川鼻東小島です。上面が平で、周囲は真っ直ぐ縦に深くなっているようです。
ここで、船底への移動が指示されます。サイドがガラス張りの部屋があります。ガラスは水面下にあります。両側に向かって座席があるのですが、全員左舷側に座るように指示が出ています。
座って、ガラスの向こうの海底を見ます。初めは船の移動で、泡がばかりが見えていました。船が速度を落とすと、海底のようすが見えるようになってきました。段々の構造が見えています。
見ていても、海水の色に混ざってあまりよくわかりません。写真を撮ろうとしても、コントラストが少なく、オートフォーカスは作動しません。ここでも、適当な距離に焦点を設定し、適当なタイミングでシャッターを押すことにしました。写した写真も、青一色のべったりしたものばかりです。ここには、青色を消して、コントラストを強調したものを載せていくことにします。青色の消し方によって写真の色合いが違っている点はご容赦ください。
船内で説明があるのですが、どれのことをいっているのかわかりません。みたままのものを並べていきます。コメントがあれば、追加します。
海底の岩は上面が平らになっています。所々にまっすぐな線に沿って段ができています。
岩の側面です。ほとんど垂直に切り立っています。
上面に見られた模様です。似たような形のくぼみが3つ並んでいるようにも見えます。
岩の上面と側面の境界付近のものをいくつかアップします。
船長さんから、そのまま後ろに倒れてうつぶせになるように指示が出ます。その方が見やすいそうです。そのために右舷側を空けていたようです。
うつぶせになったとたん、気分が悪くなってきました。仰向けになって落ち着かせます。周囲を見ると同じようなことをしている人がたくさんいます。ほとんどの人が船酔いをしたみたいです。船を下りてから聞いた話は、おなかが圧迫されたため気分が悪くなったのだという声がありました。
それほど症状がひどくはないので、見続けることにします。再び海底の岩が見えています。三角形の岩は亀の頭といわれれば.....。
船は、うつぶせになる間にターンしたようです。最初に載せた写真と同じようなものが最後に写っていました。
写した写真のアップを続けます。
最後の写真は最初のものと同じ場所を写しているようです。
ここで、上にあがるように指示が出ます。再び目の前は泡だらけになります。海底遺跡見学は、これまでのようです。
見学が終わって、ほとんどの人がさっさと上のデッキにあがっていきます。気分が悪くなっていたのをだいぶ我慢していたようです。窓の外には泡以外のものは見えません。景色を見る方がいいので上がっていくことにしました。デッキに戻って後方を見ると、新川鼻がかなり遠くに離れて見えます。見学が終わったら久部良港に急いで戻っているようです。心なしか船足が速くなっているような気がします。景色を見たら気分の悪いのが飛んでしまいました。
比川の沖合もすぐに通過です。連続ドラマのロケセットも目の前に見えてきます。
南牧場の付近です。馬が草を食べているのが見えます。崖近くまでやってきている馬もいます。
ここで、新川鼻の方に向かう船とすれ違います。ダイビングスーツを着ている人たちがたくさんいます。海底遺跡をダイビングで見るツアーのようです。2隻やってきていました。
久部良港まで戻りました。港の入口でフェリーとすれ違います。これから石垣島まで戻るようです。
港について、船を下ります。この後は、バスで島内見学です。最初に向かうのは、夕日が見える丘公園です。昨晩きた場所です。その時誰もバスを降りなかったのは、今日来ることがわかっていたこともあります。
公園駐車場にバスが駐まり、少し歩いていきます。途中でテッポウユリの花が咲いているのを見ました。与那国町の花だそうです。年中咲いているみたいなのですが、この旅行中でみたのはここだけです。
場所を示す石碑です。日本最後と書かれています。西崎の方がここより500mほど西側にあります。そちらの方が最後になりそうです。山に沈むので、低い所に太陽がかかって見えると遅くなります。結局はどちらとも言い切れないでしょう。
西方沖合です。天気がよければ台湾が見えるはずです。今日も、無理なようです。
西崎です。この距離でこれだけ霞んでいますから、台湾はとうてい無理ですね。
ここからは北海岸を空港手前まで行きます。
夕日が見える丘より、200mほど東側に久部良バリというのがあります。大地の裂け目のといえるほど大きな溝がありす。断層でできたといわれています。そのあたりはどうなのか知りたいところです。
近くで見ると、幅2m長さ20m深さ5mほどの溝です。両端は土で埋まっていてとずっと奥まで続いているのかどうかかっきりしません。
一般的な見学場所から振り返って見たところです。溝の延長は向こうの建物跡と山の間方向に伸びるのですが、斜めに曲がっているのか、他の平行な溝につながっていくのか、微妙なところです。
溝の反対側に行って、両脇の地層を見ます。あまりずれているようには思えません。横ずれ断層ならずれはわかりませんから、断層説は否定しきれません。
削られた岩はどこに運び去られたのかとか、疑問はあります。あまり近づきすぎて、添乗員さんから落ちないように注意があります。これ以上の観察は無理なようです。原因究明はあきらめます。
海側にも奇妙なくぼみが見られます。久部良バリとは関係ないでしょう。
他の人たちはバスに戻っているので、引き上げることにします。バスはすぐに発車し、次に向かったのはダンヌ浜です。ここも、波が激しく打ちつけています。
この場所が有名なのは、ここにある公衆トイレのためです。ぱっと見たところ、何が有名にしているのか理解はできません。
真ん中に丸い通路が開いています。この通路を通して夕日が沈むのが見えるときがあり、その写真で有名になったそうです。バスの運転手さんが夕日の入った写真を見せてくれました。これはその通路を撮ったものです。
浜に出てみました。浜から見た公衆トイレです。
浜です。所々に岩がでています。砂は軽くかぶっているだけのようです。
浜からバスに戻ります。トイレの通路を通りぬけるときにこちらに向かって写真を撮ろうとしている人がいました。邪魔になっていると思い急いで通りぬけたのですが、人の通るところを撮りたかったのだそうです。
ダンヌ浜から再び久部良港の方に戻ります。久部良港の手前で見えた郵便局です。日本で一番西の端にある郵便局です。実はここの前は何回か通っています。小さな建物なのですぐに通りぬけてしまいなかなか見つけることはできませんでした。この直前に看板を見つけ、その後に信号待ちをしているときに写したものです。郵便局にあるオレンジ色看板が目印です。
次によったところは、久部良港の横にあるナーマ浜です。横に観音堂へ上る階段があります。正面の岩の間にも小さな祠のようなものがあります。
ナーマ浜から沖合側です。左が西崎、右が久部良港の防波堤になります。海が開けているところが久部良港の出口になります。湾が深いので、ここの波は沖合まで穏やかなようです。
海岸の波打ち際から少し高くなったところに、サンゴのかけらがたくさん集まっているところがあります。石垣島フサキでも同じように集まっていました。こちらの方が波がない分、気にせずに歩けます。
ここの目的は、サンゴのかけらの中から形の良いものを選んで、箸置きになりそうなものをひらうことです。枝サンゴの分かれているところがいいみたいですが、カラフルなこのサンゴにしました。箸を置いてみた状態です。
ナーマ浜をでてから、しばらくバスは走り続けます。どこを走っているのかわからないうちに、右側に池のようなものが見えてきました。久部良ミトウ湿地帯です。今は何となく久部良の方に向かっているような感じがします。
久部良の交番の前を一瞬で通り過ぎて、再び久部良港にやってきました。先ほどいたナーマ浜はこの先にあります。ぐるっと大きくまわってきたような感じです。帰ってからGPSの記録を見ると、比川まで行って久部良岳南側の盆地を通って戻ってくるコースが残されていました。
正午前ですが、ここで食事になります。入った食堂です。日本で一番西端にある食堂です。準備中になっていますが、お客さんも入っていました。
テーブルが小さいので、ツアーメンバーは2ヵ所に別れて座ります。添乗員さんが注文を取りに来ます。我々のテーブルは、どうしても定食をという一人を除いて全員が軽く、与那国そばです。これに対して、もう1つのグループは、全員が定食を頼みます。どうしてこのようにわかれたのか不思議です。沖縄そばには、カジキの刺身もついています。これでじゅうぶんでした。
すぐに次の団体が入ってくることになっているので、はやめに出ないといけません。バスを待つ間、久部良の町の写真を撮りたいという人いましたので、一緒に交差点まで行きます。そこにあった、久部良漁港のモニュメントです。何も考えずに波の模様の部分だけを撮りましたが、黒いものはカジキのようです。手の形をしているのでてっきり人だと思い、不格好にみえたのでカットしてしまいました。
全員がバスに乗った後、わざわざ迎えにきてくれています。ここから乗って、空港まで行きます。バスの中で添乗員さんが与那国の道は見たらどこを入っているかわかるようになったといいます。たしかに、GPSの記録を見ると同じ所を何回もぐるぐる回っています。後方の座席にいるとどちらかの片方の景色しか見えませんから、それほど、同じ所をまわっているという感じはありませんでした。
空港に着いたら、バスから荷物を下ろし、運転手さんとお別れをいってターミナルに入ります。中で添乗員さんから石垣空港までの搭乗券をもらって、荷物を預け出発を待ちます。搭乗券には、オレンジ色の紙が貼られています。またもや、非常口の席です。
これから気になるのが夕食をどうするかです。お土産物屋さんがあって、手作り風のクバもちが売られています。夕食になるものがなかったときのために、買っておくことにします。クバとはシュロのことで、これで包んであるのでクバもちというようです。
やることがないのでぶらぶらしていると運転手さんがまたやってきました。これから到着する飛行機のお迎えです。また別の団体を案内するようです。カウンターにあったパンフレットを引き抜いて受け入れの準備をしています。パンフは、どこのものを使っても一緒ですね。
しばらく時間があるので、展望ロビーで飛行機の到着を待ちます。風向きからすると今日も、西側からの着陸、東へ向けての離陸になりそうです。見ていると飛行機の音が一時聞こえ、それが静かになってしばらくしてから飛行機のライトが見えてきました。帰りの飛行機がやってきたようです。
飛行機は滑走路をターンして駐機場にやってきました。そろそろ、保安検査を通らないといけません。急いでロビーに行きます。
今やってきた飛行機に乗っていた旅客が搭乗出口からでてから、保安検査が始まり、搭乗できるようになります。飛行機は、石垣空港に向かいます。30分ほどで石垣島が見えてきます。宮良湾沖合の珊瑚礁です。まもなく島の上空に入ります。
空港について、ターミナルまで少し歩きます。ゲートの番号を示す標識に経緯度が書かれています。日本列島の南西の隅にきている証に撮りました。与那国島でもこういうのがあったのでしょうか。
石垣空港ではいったん保安区域から出ます。ここでの時間は2時間半以上あります。那覇までの搭乗券を受け取ったら、時間をつぶすことを考えないといけません。土産物を見ていてもそれほど時間はつぶれません。夕食になるものはおにぎりしか手に入りませんでした。アンケートも書いたし、いよいよすることがなくなってきました。
空港近辺を歩き回ってみます。まずは、展望デッキに行きます。滑走路の反対側は海です。珊瑚礁に打ちつける波が白く見えます。
駐機場ににとまっていた飛行機です。添乗員さんはいつもと違うといっていました。何かなと思ったら、エンジンに描かれている絵のようです。
滑走路の向こうに見られる平久保岬方面です。石垣から与那国に来るときは霞んで見えていませんでした。今日は遠くまで見えます。
見ていると、乗ってきた飛行機が与那国島に向けて飛んでいきます。その後続けて先ほどの飛行機も離陸していきました。
空港の外に出てみます。建物を出たところに、大シャコ貝の貝殻が置かれています。
この上に国内線と書かれています。国際線があるのか気になります。ここよりちょっと小さな建物が隣にあり、その入口に国際線と書かれています。中は真っ暗でしまっているようです。
外に出ようとしたのですが、空港管理区域からなかなか脱出できません。あきらめて空港に戻ります。
あきらめて空港ロビーで待っていると、那覇便の遅れの放送が入ってきます。他社の1つ前の便は、30分遅れで到着、20分遅れで出発の予定となります。那覇空港で、飛行機の発着が多くなりすぎたためです。我々の乗る予定の便も15分遅れになりそうだということです。
15分程度なら、那覇での乗り継ぎ便は待ってくれるだろうし、乗り継ぎ待ちで出発が遅れた経験は何回もあります。那覇が混んでいるのなら、その後の飛行機も遅れることだってあります。くるときに那覇空港で搭乗券を配り忘れていた団体のために出発が遅れました。乗るのが確実なら待ってくれるだろうと気楽に構えていました。
ところが、添乗員さんの動きが慌ただしくなります。もともと乗り継ぎの時間がほとんどなく、これ以上遅れると待ってくれるかどうかわからないことと、那覇からの便は最終でこれに乗れなかったら、1泊しないといけないとのことです。土曜日なので宿探しが大変そうです。こちらとしては、待っていてくれることを期待するのみです。那覇で泊まらないといけない場合、宿泊費はこちらもちだそうです。1日余分に観光できれば問題ないという声もありました。
搭乗ロビーで待っていると15分遅れで乗る予定の飛行機が到着しました。これで、那覇までは行けることが確定です。
搭乗受付が始まり、飛行機に乗り込んで出発を待ちます。遅れはそのままで出発となります。那覇空港での時間がきわどいことは変わっていません。滑走路で離陸態勢に入ったときに見えた石垣空港管制塔です。
飛行機はすぐに、石垣島珊瑚礁の上を通過します。これで、石垣島ともお別れです。
飛行機は、すぐに雲の上にでます。海面は見えません。雲に段があるように見えます。前線でもあるのか気になります。最後までこれが何だったのかはわかりませんでした。
雲の下に入ると、沖縄本島が見えてきました。平和祈念公園などが見えています。
飛行機の主翼の先を見ていると、白い筋のようなものが伸びているのが見えます。空気が減圧されることによってできる霧です。写真を撮ろうとしたのですが、ここでバッテリー切れとなります。急いで交換してなんとか撮ることができました。筋のできはじめの場所は、昇降舵の先に変わっています。
下りるときに湿地のようなものが見えてきました。豊見城市の三角池です。マングローブのようなものが見えます。
那覇空港に到着です。空港施設が見えてきました。15分遅れはそのままです。
乗り継ぎ時間は10分です。ほとんどありません。ゲートを越えたところで、大阪までの搭乗券を受け取ります。紛失したり間違って使うのを防止するためだそうです。間違えないように行き先にマークがしてあります。これも添乗員さんがどうしようか悩んでいたことです。
搭乗受付に着いて、トイレに行っていいかと聞くと、機内でといわれました。石垣空港を出る前に行き忘れていたのが失敗です。さらに20分ほど我慢しないといけません。
席に座ってすぐに飛行機は出発です。ほとんど満席です。席は中央列なので景色は見えません。雲の上にあがって、シートベルト着用のサインが消えてから外の景色を見たのですが、太陽は沈んでいます。日の沈むところは見られませんでした。
席から非常口の窓を通して写真を撮っていたらCAさんからいってもいいと許可が下りました。遠慮なくといいたいのですが、日が沈んではあまり撮るものもありません。
トイレは並んでいます。我々ツアーのメンバーが代わる代わる入っています。みんな我慢していたのですね。
辺りはすぐに暗くなります。上空から見える夕焼けはきれいです。
ここで、おにぎりとクバもちを食べることにします。クバもちは、葉っぱにもちがくっついてはがすのに苦労します。手が餅だらけになりました。持った帰ってものは、少しかたまりかけたときにはがすときれいに取れました。シリコン製の容器に入れて電子レンジで温めると食べやすくなりました。
大阪までの残った時間は本でも読んで過ごすことにしました。といっても時間をもてあましています。大阪空港到着後、前とその前に座ったツアー仲間の荷物を棚から下ろしてあげます。棚まで手が届かない人が多いようです。帰りの飛行機ではずっと、飛行機内の荷物の上げ下ろし係りになっていました。
飛行機から降りて荷物受け取り場所で待機です。飛行機と空港が大きい分出てくるまでに時間がかかります。ツアー仲間の分は一斉に出てきます。添乗員さんにお礼を言って帰り始めるタイミングはそろっていました。その割には、ターミナルを出た後は、みんなばらばらで、まわりには誰もいなくなりました。
<ツアーについて>
八重山諸島に来るのに、A社のツアーとB社のツアーのどちらに参加するかで1時迷いました。その結果がどうだったのでしょうか。
B社にして、日程が4日早くなりました。4日遅くしたことで、行けなかった波照間島に行けたかというとたぶんだめだったでしょう。八重山の天気予報は、26日にいったん回復するものの、その後は再び悪くなるというものでした。どちらかというとこの時期に選んだこと自体が失敗です。A社のツアーは3月に入るとほとんど、日程が組まれていません。日程が設定されている範囲内でいける日を選んでいました。B社はまだまだあったようです。このあたりについても落ち着いて探した方がよかったようです。B社にするなら1ヶ月遅らせた方がよかったのかも知れません。
八重山に限らず沖縄のツアーは、3月になって暖かくなってくると急になくなります。4月になったらほとんどないといっていいでしょう。今まで利用したことのあるC社でも似たようなものでした。本州が梅雨時で、雨を避けて旅行したいというときに、梅雨明け後の沖縄方面のツアーがほとんどなくなるのは残念です。暑いというイメージで、参加者がすくなるなるということだそうです。沖縄方面に関しては、遅い時期まで日程が組まれているB社が利用しやすそうです。
今回の旅行は、人数が少なくゆったりとできました。この点だけでもじゅうぶんです。添乗員さんも比較的細やかに対応してくれていました。この点は、その人に関わってくることでしょう。旅行会社の方針がどこまでなのかはよくわかりません。
全体的に見て、A社のキャンセルを待たずにB社に乗り換えたのは正解だったと思います。B社にするにしても、日程についてもう少し検討し直した方がよかったというのはこちらの反省です。遅らせたら、南十字星が見えたかも知れません。B社の唯一の難点は、インターネットで申し込み後、旅行開始直前の最終案内まで、何の連絡もないことです。いちおう確認メールが来ていますが、本当に受付されたのか、少し不安になっていました。
<服装>
旅行にでる前に添乗員さんから、寒いかも知れないので、対策をしてくるようにいわれました。大阪ほどではないだろうということであまり真剣には考えてみませんでした。とりあえず、上着を脱いだ後に寒ければ着られるようにとセーターを1枚余分に持っていくことにしました。この分荷物は多くなります。ジャケットは何も考えずに真冬用の厚手のもので出かけました。
現地では、この時期としては大変寒くなったようです。それでも寒くても、ジャケットを脱いでセーターを着ればちょうどいい気温でした。問題は、雨と強風を伴っていることです。ジャケットを着て動けば暑いし、脱いだらびしょ濡れで寒い状態でした。セーターを着ても状況は変わりません。
着ていく衣服の選択には失敗しました。中にセーターを着込んで、もう少し薄手で多少防水できるジャケットにして、現地では中に着込んだセーターを脱ぐ方がよかったようです。帰ってから、2−3日熱っぽい日が続きました。
<波照間島>
今回のツアーでもう一つの目玉であった波照間島には渡れませんでした。青ヶ島ほどではないだろうと思っていたのですが、状況は似たようなものです。前回渡れなかったリベンジということで参加したメンバーもいました。冬場は風が強い日が多く欠航が続くようです。3月になっても前線が停滞するので状況は変わらないでしょう。ツアーが組まれるのはこの時期が多いので、なかなか渡れる機会はないようです。
となれば、ツアーに頼らず自分で組む以外ないようです。といっても、行くと決めた日に船がでるとは限りません。石垣島で何泊かして、渡れる日に渡って帰ってくるという流動的な日程を組むしかないでしょう。もちろん渡れない場合は、小浜島、黒島といった他の島を巡りることができます。八重山諸島が始めてなら、石垣島や西表島を見学してもいいでしょう。
八重山諸島間の船は、全て高速船になっています。その分、欠航率が高くなっているような気がします。西表島の往復でも相当波を巻き上げてかぶっていました。これ以上波が高くなったら、速度を上げて運行するのは無理でしょう。逆に考えれば、速度を落とせば運行できたかも知れないということです。それほど速度は出ないけれども、波に強い船なら、これほどの欠航率はでないでしょう。速度一辺倒というのも考え物です。フェリーの運航がなくなったというのも残念です。速度競争に負けたのかも知れません。大きさがちがうので単純に比較はできませんが、与那国島へのフェリーは問題なく運航していました。欠航率は格段に少ないでしょう。古いブログなどでは確実に渡るにはフェリーでと書かれています。個人的には、高速船で船室内に閉じ込められてシートベルト着用より、デッキに出て景色を堪能できる方が好きです。
<鍾乳洞談義>
石垣島鍾乳洞を出たところで、日本の3大鍾乳洞はどこかということが話題になりました。1番目は秋芳洞で、2番目は龍河洞だそうです。3番目がわからないとのことです。秋芳洞は、ホールの大きさと知名度で間違いはないでしょう。2番目の龍河洞は他にも候補がありそうな気がします。早くから観光鍾乳洞として整備されたためでしょうか。
3番目の候補としていくつかあげてみます。洞の長さでは安家洞でしょう(最近どこかに抜かれたという話を聞きました)。観光鍾乳洞としては入洞できる場所は限定されます。特に目立って何があるというわけではありません。行った時は、探検気分が味わえる鍾乳洞でした。
好きなのは龍泉洞で地下水がきれいなことです。地底湖の透明度は最高です。後日見た旅行社のパンフには龍泉洞が三大鍾乳洞の1つとしてあげられていました。
変わったところで、帝釈峡(雄橋・羅生門)は鍾乳洞のなれの果てがみられる点で注目に値します。全体的な規模でいえば秋芳洞より大きいかも知れません。
南大東島の星野洞も鍾乳石がきれいでしたし鍾乳石(洞窟生成物)の種類もいっぱいありました。星野洞については、下りて上がってくるのが大変だったと評価は低かったようです。斜行エスカレーターは故障していたからの評価でしょう。鍾乳洞は地下にあるものです、登ったり下りたりはやむを得ないことです。あまり手をつけて変えてしまうのもどうかと思います。
三大砂丘とはどこかという問題がありました。一応日本最大といわれているのは青森県の猿が森砂丘です。大半は丘陵の斜面に吹き寄せられた砂の丘で砂丘といえるのか疑問です。でもどこでも似たようなものだと思います。三大砂丘は、6つほどある候補の砂丘の中から選べばいいのですが、その中に猿が森砂丘は入っていません。どれかを選べということ自体もいい加減です。三大鍾乳洞だって同じなのかも知れません。
<海底遺跡>
海底遺跡は、実際に人工物なのかそうでないのか議論があるようです。個人的な見解はネットで記載されている大方の意見と同じです。同じ意見は、ツアーのメンバーからも聞こえてきました。最終的には、見られなかった証拠もあわせて判断する必要があります。ここでは結論を出すことは保留にしておきます。ネットに書かれていなかったことで、思ったことを書くことにします。
似たような形のものは、与那国島の観光の中でたくさん見られたことがポイントです。記事の中にその場所を載せています。軍艦岩や立神岩は高くなっている部分だけに注目しがちです。そこをのぞけばそのまわりには、平らな四角い台地が残ります。この形と海底遺跡の形はそっくりです。同様に西崎沖の岩礁や新川鼻沖の小島も似たような形をしています。
これは、八重山層群に見られる性質と関係しています。1つは地層面に沿って割れやすいことと、地層がやや傾いているものの水平に近い傾きである事です。このため、岩石の上面は、平らになります。部分的に小さな段ができる事もあります。2つ目は、垂直な割れ目がたくさん見られることです。このため、岩のかたまりは、ここで割れた後持ち去られることで、垂直な崖が作られていきます。これらの結果、波の当たる所では四角く上面が平らな台地ができやすくなっています。
新川鼻沖合に、波に削られて、岩礁としてできたものでしょう。これが地殻変動で沈んだか、海水面が上昇していって海中に没し現在の姿になったと考えても話の筋は通ります。
<雨男・雨女>
今回は雨が多かったせいか、いつも通り誰が雨男(女)なのか探しが始まりました。だいたいこういうのの言い出しっぺは添乗員さんです。職場にいたころは、何故か知らないけれどもそうなっていました。ひとつだけ宣言していった旅行が大変な雨(傘なしでも大丈夫だったのですが)だったということになってそれ以来のことです。職場では自分がそうだと名乗る人もいました。いつも仲間扱いされていました。否定するのも面倒なのでそういうことにしていました。
今回はというと誰も名乗り出ません。添乗員さんはだいたい、晴れ男とか晴れ女だとかいいたがります。人のせいにするのも面倒なので、いつも旅行の時に持ち歩く星の撮影用の機材があると晴天率が悪くなると報告しておきました。実際に買って10年になるのですが、駆動用の単2電池は最近になって交換したところです。それだけ出番がすくないということになります。実際には、曇っていても使えないのですが。これでいつの間にか、雨男(女)の話題が消えてしまいました。
ところでこれが雪だったらどういうのでしょうか。ちょっと悩みます。
<水牛車観光>
竹富島で歩いた場所を、大手検索会社の道沿いの風景が見られるサイトを見ていたら、水牛車観光はやめて欲しいというような、看板がたくさん写っていました。過去に暴走事故があったような文言のものも写っています。今回の旅行ではほとんど見かけませんでした。話し合いがちゃんとできたのでしょうか。馭者さんは、一応訓練してあるといっていましたし、すぐに止まることはできました。危険性はあまり感じませんでした。でも、住民に迷惑のかかるようなものだったら乗りたくはありません。どのように決着がついたのか知りたいところです。少なくとも、道幅いっぱいのものが通るので、これが通るときは歩いたり自転車ですれ違ったり追い越したりするのは大変です。あまり外には出てきているのは見かけませんが、生活に影響があるのなら控えて欲しいとも思います。
観光地を回るのに歩けるのなら歩いて行きたいのが本音です。それを使わないといくことができないとかいうのなら話は別です。由布島の場合は、水に浸かりながら歩くというのを避けることができますのでそれなりに価値があります。竹富島の場合はどうなのでしょう。観光客を呼び込むのには成功しているようです。今回のツアーも、竹富島はこれだけでしたから。どこの会社の竹富島ツアーをみても行くところはほとんどこれになっています。
<長命草>
与那国島でもらった長命草の種は、撒いてみたところ一つだけ芽が出てきました。いまのところはっぱは5枚よりは増えません。新しい芽が大きくなってきたら一番古い葉っぱが枯れてというのを繰り返しています。大きさもまだ15cm程度です。葉っぱの色もそれほど良くありません。全体的に元気がないようです。今はゴーヤの影になって日当たりが良くないのが原因かも知れません。植え替えることも考えられますが、これがきっけで枯れることもあるので慎重になっています。
<撮影のデータ消去>
撮影したデータをどうして消去してしまったのか、同じ過ちを繰り返さないためにも記録しておきます。
撮影したデータは、最終的にはパソコンに保存しています。ふだん見かけたものを撮った場合は、そのまま、移動させています。旅行で撮影したものは、コピーをしてから、ある程度期間が立ってからカメラの画像を消去します。これは、ブログに使う写真を選びリサイズしたりしているからです。写真を抜き出すときにコピーではなく移動させてしまって原図がリサイズされたものしか残っていないことがたまに発生します。これを防ぐために、原図のバックアップとしてカメラに残しています。
今回帰ってから、パソコンにデータを移すときに、コピーではなく移動させてしまいました。すぐに気がついたのでここでとるべき方法を考えました。遅れれば、問題が大きくなっていきます。この時点では、「移動しています」のメッセージが出ていませんでした。この時はどういうわけか、移動を中断させるのではなく再びコピーするように操作してしまいました。半ば無意識です。移動を止められないということで焦っていたようです。冷静に考えればESCキー操作で簡単に止められたはずです。この時にパソコンも不思議なことをおこないました。本来なら、移動させてなくなったはずのファイルはコピーできないはずです。ところが、どういうわけかコピーも実行されました。このときのコピーをするものは、移動させたことによってデータがなくなっています。無理にコピーようとすると、実際にはファイル名のみで中身のないものをコピーすることになります。コピーができたこと自体がOSのバグと見て良いでしょう。この操作が間違いであると気づいてすぐに中断させようとしたのですが、「コピー中です」という画面がでるまでにしばらく時間がかかりました。
この画面には中止するためのボタンがありますからこれでやっとコンピューターが作業を停止しました。この間にコピーをしたファイルが50個ほどあったということになります。
まだこの時点では、カメラのメモリーではファイル名は表示されませんが、データは残っています。本でいえば、目次が消去された状態です。ファイル復活ソフトを使えば復元可能な状態です。ここでもう一つ致命的な操作をおこなってしまいました。今おこなった操作を元に戻せという命令です。簡単にシュートカットキーの操作でできます。パソコンは、一応元に戻してくれました。といっても、いちいちデータの中身を覚えているはずがありません。移動を元に戻すのは、再度移動させるだけです。これによってカメラのメモリーに残っていたデータが無意味なデータで上書きされてしまいました。この時のパソコンも、目次のみを元に戻してくれれば問題はなかったのですが、残しておきたいデータがある場所の上に、データを書き込んでくれました。これで、完全にデータがなくなってしまいました。
この後、パソコン側のファイルをチェックすると、コピーされた画像が、サムネイルで表示されました。ところがファイルを開いてみると表示されません。この時に始めてデータがおかしくなっていることがわかりました。消去されたファイルをファイル復活ソフトで調べても、パソコン・カメラとも消されたファイルは、1つ前のファイルで上書きされていて復元はできません。今までは「元に戻す」でうまくいっていたのに、今回ばかりはそうはいきませんでした。コピーされたファイルの中で、唯一生き残ったのが、一番最初の1枚です。
どうして、サムネイル画像が表示されるのかはわかりません。ファイルの先頭のいくらかの部分だけ生き残っていて、そこを読むだけでサムネイル画像が表示できるのかも知れません。JPG方式では、全てを読み込まない段階で、おおざっぱな画像が表示できるように作られています。
慌てていて、単純なミスをいっぱい犯してしまいました。移動させてそれが完了してから、画像データをカメラのメモリーに戻していれば、なんら問題がありませんでした。2番目はカメラに死んでいるデータをコピーするような操作をしてしまったことです。やはりこれもかなり慌てていたのが原因です。
間違ったということと、すぐにそれの取り消しができる方法がわからなかったことで、相当焦ってしまったようです。これがデータを消した最大の原因です。
急いでとった誤った操作と、OSの不思議な動作によってデータを消してしまいました。この時は、慌てず何もしないというのが一番よかった方法でした。
<画像処理方法>
バスによっては窓ガラスに色がついているのか、撮った写真が青っぽく写ります。今回の旅行では、石垣島のバスがそうでした。また、海の中をとった写真でも色がかなり青っぽくなっています。画像修正である程度除去できることがわかったので、その方法を記しておきます。
画像処理につかえるのは、2枚の写真を重ねて処理のできるソフトです。フリーのソフトではGIMPがあります。以下に処理法の概略だけを記します。GIMPでは、ホワイトバランスからある程度きれいになった画像ができます。ふだん使っているソフトでは、色温度が合わず、うまく動作してくれません。
画像を開きます。まず第一段階として重ねて消す色を調べます。方法は、開いた画像の中で色がないであろう所を探します。変色していなければ、白または灰色であろうと思われる場所です。その場所を覚えておいて、画像の色(階調)を反転させます。反転させた画像で、先ほど調べた場所の色を、スポイトツールで抽出します。抽出されたら、色見本をクリックして、色の情報を調べます。この中でH(色相)とS(彩度)の項目が必要です。記憶しておきます。スポイトを置いただけでHSVがわかればそこから読み取ってください。
重ね合わせる色の情報がわかったので、画像の色を元に戻します。「元に戻す(CTRL+Z)」でできます。もう一度反転させる必要はありません。戻ったところで、同じ画像をもう1枚上に重ね合わせます。単に、コピー(CTRL+C)とペースト(CTRL+V)するだけでできます。画像の一部が選択状態になっていると、そこだけコピーされますので、選択状態は解除しておいてください。
次は重ね合わせ画像を消去する色で単色化(単色効果または単色塗り)します。メニューバーの「色」の項目に該当する項目がありますので、それをクリックします。ダイアログが出てきます。HとSを覚えている数値にセットします。これで重ねる画像ができました。
このままだと、重ねる画像しか見えません。この画像の不透明度を50%にします。これで下の画像が見られるようになりました。重ね合わせ方は標準です。これで、不要な色の消えた画像が見えます。この段階ではまで見かけだけなので、実際に重ね合わせをします。レイヤーの結合(固定)です。
この時の画像は、軟調な(コントラストの弱い)画像になっていますから、明るさコントラストから好みのコントラスト明るさに設定して完成です。