2017/09/18-25 東北リベンジ
5月にドラゴンアイを見にいってから旅行には行けていません。6−7月は梅雨で九州から本州にかけては雨に当たりそうです。沖縄・北海道のツアーは8月にかけてこれはというものはありません。8月も東北までフェリーで往復してというのは、日程的にうまく合いませんでした。9月こそ、どこかに出かけたいものです。8月に組もうとした東北旅行を9月に置き換えるとうまくはまルカやってみることにします。うまくいけば、さらに細部を詰めていくことにします。
まず、大前提になるのは、望遠鏡を持っていきたいことです。これから必然的に車での移動ということになります。ところが東北までの運転となると、一気に行くというのはしんどいでしょう。フェリーで運んでもらって、その先をぐるっと回るということにします。フェリーも朝出発して夕方着くというのはあまりいただけません。出発地か到着地で1泊余分に必要になります。夜出発、朝到着というのがベストです。
とりあえず、フェリーを調べてみます。経路は2通りあります。敦賀から日本海を経由経由して新潟・秋田に到着するものと、名古屋から太平洋を経由して仙台に到着するものです。
日本海経由のものは、日曜日の8時35分に秋田、16時35分に新潟をでて、敦賀に月曜日の5時30分到着です。これがその日の10時に出発し23時5分新潟、5時30分秋田到着です。何とか条件に合いそうなのが、新潟から敦賀までと、敦賀から秋田までというのの2通りです。新潟の出発が日曜日で前日の宿泊地をみつけにくそうなのと、新潟までだと半分近く帰ってきているということで、これはいったん枠外に置いておくことにします。
太平洋経由のものをチェックしてみます。こちらは隔日出発になります。行きが19時名古屋発16時40分仙台着、帰りが12時50分仙台発翌日10時30分名古屋着です。出発時刻がちょっと早めですが、帰りに使うのが良さそうです。行きは日本海経由のものが使えそうだったので、これとの組み合わせてうまくいけそうです。
出発日をチェックします。新月が20日です。11日(月曜)出発だと半分より大きな月が出ています。問題外です。18日出発でちょうど新月をまたぎます。25日出発では後半は月明かりの影響を受けそうです。18日出発とします。次は帰りです。仙台出発は偶数日になります。土曜日の宿は取りにくそうなので、それを避けたいものです。となると22日(金曜)のフェリーで帰ってくることになります。
次に考えるとは、途中の経由地、宿泊先です。昨年の8月以後、何回か東北に来ています。行程の中では山に登ったりしています。どの回も天気が悪く山そのものも見られていません。鳥海山など後で見られたものもありますが、見られなかった山は見ておきたいものです。月山は南に寄りすぎているので無理として、蔵王山・栗駒山・秋田駒ヶ岳・岩手山・八幡平・八甲田山・十和田を見損ねています。
宿の方から検討します。19−21日までの3泊分を考える必要があります。いつも通り公共の宿を中心に探していくことにします。国立公園系の宿が、秋田駒ヶ岳山麓の乳頭温泉と岩手山山麓の網張温泉にあります。どちらも予約可能です。場所が近いのが難点ですが、この2ヵ所を候補とします。はしご旅プランとかで、順番に泊まると割引になります。旧官庁系は経路と考えているところにはありません。自治体関係も岩木山のものは離れすぎだし、気仙沼のものはネットがつながらなくどうなっているのかよくわかりません。とりあえず除外します。
帰りのフェリーのことも考えに入れないといけません。仙台に昼前に到着できる場所となると、宮城県北部が限界です。年金関連の宿が鳴子温泉にあります。ここも空いているようです。一応候補にしておきます。
これで20日の行程を検討してみると、網張温泉から鳴子温泉までは南下する距離が相当あります。八幡平まで行って戻ってくるのは難しそうです。当初の目的を達成できそうもありません。帰りのフェリーをもう1便遅らせて、24日出発のではどうなるかを検討します。2泊追加しないといけません。鳴子温泉の宿はずらしても大丈夫です。国立公園系の宿を調べたときに、宮古にあるものがずっと空いているのを確認しています。ここから鳴子温泉までは南下するだけなのでじゅうぶんいけるでしょう。ここを候補にします。網張温泉〜宮古間が広いので、この間で1泊探すことにします。手詰まりなので、ネットの地図から宿のマークがないか探してみます。できれば、星のことを考えると標高の高いところがのぞみです。前回の、ドラゴンアイでは、スキー場の近くに宿がありました。スキー場の方が見つけやすいので、そこから探っていくと、一戸町の奥中山高原というところに一つ見つけました。近くに天文台もあるようです。部屋も空いているようです。ここに決まりです。
決まったところで宿に予約を入れることになります。ここでいったん各宿の情報を整理していると、鳴子温泉は宿泊者人数の関係で泊まれないことが判明しました。別の所を探さなければなりません。一関に前に使用した旧官庁系の宿があります。星を見るのは何とかなりそうですが、完璧ではありません。他を当たることにします。ネットの地図系のサイトを再び見ていると、一関市の南東部の館が森高原に宿があるのを見つけました。ここを調べてみると、予約可能なようです。高原ということばに引かれて、こちら側に変更することにします。
これで行程中の宿が確定したので、予約の電話を入れることにします。ネットから申し込んだところもあります。全て、予約を取ることができました。フェリーもネットから予約しカード決済をすませます。ここまですんなりいったと思っていましたが、乳頭温泉の宿から送られてきた確認書を見ると、普通のプランでの宿泊になっています。はしご旅プランであることの確認の電話を入れておきました。
宿が決まったところで、途中の立ち寄り場所をチェックしておきます。
東北に入って1日目(出発から2日目になりますが、1日目とカウントすることにします)は、秋田港到着です。ここから田沢湖を通って乳頭温泉にいきます。まず見ておきたいと思っているのは、秋田城です。朝が早いのですが、遺跡公園をまわることはできるでしょう。秋田市内にはもう一つ久保田城(千秋公園)があります。田沢湖にぬける途中に、角館を通ります。ここの武家屋敷通りも興味があります。後は田沢湖ぐらいでしょうか。時間があれば、北側の玉川温泉の北投石も興味があります。ここは八幡平からまわった方が近いのですが、その日はそれほど余裕がなさそうです。先に見ておいた方がいいでしょう。
2日目です。乳頭温泉から網張温泉に向かいます。盛岡市内を通りますが、盛岡城趾以外目立って何かがありそうとは思えません。いってみて探すことにします。網張温泉の近く、岩手山麓に有名な牧場と葛根田渓谷というのがあります。このあたりが立ち寄り所でしょうか。
3日目です。網張温泉から奥中山高原に向かいます。十和田まで足を伸ばすとするとこの日しかありません。八幡平から十和田にぬけたとしてその先は、五戸・三戸・一戸とぬけるコースがあるようです。走行距離はかなりなものになります。途中で引き返さないといけない場合は、東北道を安代インターまで戻ってそこから山越えの道があります。
4日目です。奥中山高原から宮古に向かいます。一戸町にある大珪化木というのが気にかかります。ここから二戸にぬけたあとです。そこから久慈まで真っ直ぐ行く道と八戸を通って行く道があります。八戸の根城というのに興味が引かれています。八戸経由ということにします。久慈は国内での琥珀の一大産地です。琥珀博物館ものぞいて見たいと思っています。ここから宮古までは、三陸海岸の名所に何カ所かよっていけそうです。
5日目です。宮古から一関に向かいます。北上山地をどこかで横断することになります。早池峰山は登ってみたいのですが、調べてみると、車で行ったときの登山道は峠からではなく、標高で200mほど下ったところからになります。この差と最後の急斜面を考えてみると1日かけた方が良さそうです。今回はパスです。といって次があるのでしょうか。この道は通行規制がかかるようで、通りぬけられるのかどうかもわかりません。後は釜石から遠野を通って北上市にぬける道、大船渡から奥州市にぬける道、気仙沼から一関にぬける道が残ります。釜石の橋野鉱山には寄ってみたいので、ここから直接遠野にぬけるのが良さそうです。
6日目です。一関から仙台までです。フェリーが出航1時間半前までには手続きをすませて欲しいとなっています。となると正午前にはついていないといけません。あまり寄っている余裕はないでしょう。館が森から下りた所に、伊豆沼というのがあります。ここくらいでしょうか。あとは三陸道に入る登米のあたりで何かあればという感じですか。
今回は望遠鏡を持っていくので荷物は多めです。少しずつまとめられた荷物から車に積み込んでおきます。準備をしながら、出発日を待っていると、台風が接近してきました。旅行開始前に通過しそうな雰囲気だったので旅行には問題がないと考えていました。ところが、行きに使う予定だったフェリー会社から電話がかかってきました。内容は、欠航が決まったということです。よく考えてみると、新潟から船がやってこないと、敦賀から船を出す事ができません。欠航は当然でしょう。一週間後の便にするかと聞かれますが、予定が立てられません。ここは当然キャンセルです。それよりも。秋田まで行けないとなると予約した宿に泊まれないことになります。いくつかの宿ではキャンセル料も発生するでしょう。とりあえず、秋田まで行く方法を考えることにします。といっても、日本海沿いの高速道路を走り抜けるしか方法はありません。前に鶴岡から帰ってきたときは、10時間ほどかかりました。朝早く出て、鶴岡の先で1泊加えれば何とかなりそうです。
酒田に旧官庁系の宿がありますが、そう少し先まで行っておきたいです。また、ネットの地図をさがします。町中より海沿いを探していると、酒田の一つ先にある遊佐町の吹浦に宿があるのを見つけました。空いているか調べてみると大丈夫なようです。早速予約を入れました。これで、その後の日程は何とかいけそうな雰囲気になりました。
高速道路を使うとしてもう一つ心配事があります。前回鶴岡から帰ってきたときは、満タンにしたガソリンがぎりぎりでした。高速を下りた村上から鶴岡までの間はガソリンスタンドがあまりなかったように思います。途中によって補給できる場所を探しておいた方が良さそうです。高速道路SAのガソリンスタンドよりは、一般道沿いで入れることにします。再び、ネットの地図を調べます。探してみると、高速道路が無料になった先の村上瀬波温泉IC近くにショッピングモールのような場所があり、そこにガソリンスタンドがあります。ここで入れるのが良さそうです。
東北地方で見たいと思っていたいくつかの山が、昨年8月から3回来ているにもかかわらず、はっきりと見ていません。今回の旅行の目的の一つは、それの再挑戦というのもあります。という意味で今回の旅行のタイトルは「東北リベンジ」です。この結果はどうなることでしょうか。
接近していた台風は、気象庁の予報通り、出発前日の夜半前には通過していて行きました。それほど雨風とも強くなっていません。朝は、雲が多めですがいい天気です。予定通り早めに出発します。途中高速道路でガソリンを入れなくていいように、ICに入る前にガソリンスタンドによって満タンにしてから行きます。といっても、前回満タンにしてからそれほど使っていなかったようです。草津までは、今回も朝日の関係でいつも通る京滋バイパスは使わず、名神高速をそのまま走り抜けます。米原JCTから北陸道に入ります。よく似たナンバーの車と抜いたり抜かれたりになりました。追い越された後、前に入られてゆっくり走られるのが気持ち悪かったので、途中から速度を落として離れるようにしました。賤ヶ岳からの峠越えの道を気持ちよく運転していたらいつの間にか敦賀ICを通り越していました。フェリーで行くのだったら、高速道路を降り損ねているところです。このまま通りぬけていいので助かりました。何故気がつかなかったのか気にはなります。その先ですぐにトイレに行きたくなってきたので、ちょっと早めですが、南条SAで一回目の休憩を入れます。
南条SAからそのまま北陸道を走り続けます。朝日ICに近づいてくると海岸でヒスイを探したくなってきます。台風通過後は石がかき混ぜられて見つけやすくなっていると聞いています。前回行ったときの地元の人の話では、波が荒れているのでしばらく待ってからということだったのと、先を急いでいるのとで、今回はがまんしてパスします。地元の人の話は先に見つけておきたいのでそういっていただけかも知れません。
北陸道では、米山SAで2回目の休憩を入れます。そのあとは、日本海東北道の村上瀬波ICまでは休憩なしです。予定の場所でガソリンを入れました。あと200kmほど走れるだけは残っていたようです。といってもここから遊佐までは150km近くあります。たどり着くことはできますが、その近辺でガソリンが入れられなければ動けなくなっていたところです。すぐ目の前にスーパーがありますので、ちょっと小腹に入れるものがないか探しますが、適当なものがなかったのでそのままスルーします。飲食店とかがありますが時間節約のためここもパスです。いちおうトイレはすませておきます。横にあった奇妙な名前の店が気になって覗いたみたところ、100均ショップでした。今欲しいものはないのでここもスルーです。
再び高速道路に戻って走り続けます。といってもすぐに終点の朝日まほろばICです。ここから高速道路が再び始まるぬくみ温泉ICまで国道7号線を北上します。この間思ったよりもたくさんガソリンスタンドを見かけました。わざわざ調べておく必要がなかったのかも知れません。でも、ちょっと価格は高めです。念珠ヶ関跡の碑も見ることができました。寄らなかったので写真はありません。
ぬくみ温泉ICは道路を2km以上行きすぎたところから引き返すような感じの場所にあります。近道もあるのですが、まわってくださいという指示が出ています。実際には多くの車がこちらの方に入っていったようです。指示通りに車を走らせます。こちらの方に来た車は少ないようです。
高速道路を走らせて酒田ICに近づきます。ここから遊佐の宿まではそれほど遠くありません。2〜30分といったところでしょう。宿まで直接行くには早いようなので酒田の町に寄っていくことにします。とりあえず目指すところは、みなと市場前の駐車場です。ICを下りてから、国道を進み、最上川を渡ったところで市内は左折という標識を見ました。急いで左折したのですが、閑散とした道で何か変です。一つ早く曲がったようです。気がついたら後にパトカーがいます。そのままゆっくり走らせるといつの間にかいなくなりました。そのまま走らせていくと、市内に入る別の道につきあたります。ここは、左折しかできません。再び最上川を渡って酒田の市街から遠ざかっていきます。どこかでUターンさせようとようすを見ながら走らせていくと、交差点にコンビニがありました。ここを利用して、Uターンさせてもらいました。目的地は川沿いみたいなので。再び最上川を渡ってから左折します。
やっぱり変な所に向かっています。倉庫街のような所に出ました。この先は道がなくなりそうなので引き返します。最上川沿いだと思っていたのは、実際には別の入り江だったようです。こんどは地図から正しい位置を確認しなおして進みます。やっとの事で目的地に到着できたようです。
到着して、1番目にすることはトイレです。続いて、近辺の情報収集に入ります。海鮮市場という建物の横に、事務所のような建物があります。まずはこちらの方に行ってみました。飛島にむかう船の発着場のようで、乗船券売り場とかがありましたが、しまっているようです。飛島とか鳥海ジオサイトのパンフがあったのでいただいていきます。人気がないので別の場所を探します。土産物街のような建物が2軒とその間に海洋センターと書かれ建物があります。こちらの入り口は歩道橋を渡った先の2階にあるようです。
2階は、事務所と小さな展示室があります。展示室にはいろいろな船舶の模型が飾られていました。海洋センターはさらに上の階にあるようです。
鯨の骨から、日本付近の海図、酒田港の模型とか海に関する情報がいっぱいあります。的が絞りきれないほど雑多でした。
窓からは、酒田港のようすが見えます。着岸している双胴船です。「とびしま」と書かれています。飛島に行く船なのでしょう。
もう一隻あったのは見たことのある船です。「観音崎らいな」というキャラクターの絵と「さんらいなぁ2」という船名は、焼尻島にいくときに乗った船と全く一緒です。船体に書かれた写真を載せるのは大丈夫なようなので、そのまま載せることにします。
どうしてここにあるのか気になります。その後いろいろなことを調べている間にわかったことです。焼尻天売航路は冬期の閑散期はフェリーだけの運航になります。その間、高速船「さんらいなぁ2」は別の航路に貸し出されるようです。ちょうど今頃は、「とびしま」が定期点検の時期にあたっていて、その代役とした活躍していたようです。「とびしま」と並んでいたのは、「とびしま」の点検が終わって帰ってきたところなのでしょう。それともこれからいくところかな?
酒田市内の観光案内は、海洋センターの2階に置いてありました。前回の旅行で入手したものと同じものです。それ以外は、特に目新しいものはありませんでした。
酒田市内を歩いて回るとすると、ちょっと広いようです。自転車を使うことにします。観光用に貸し出してくれる自転車があるようですが、時間内に返却できるか微妙な時間になっています。車に積んである自転車を使うことにします。貸し出し用の自転車はみんな倒れていました。台風で倒されたままのようです。
みなと市場のすぐ近くにある六角灯台というのが気になっています。日和山公園の中にあります。まずはこちらから向かうことにします。GPSロガーの記録を開始させてから出発します。
灯台だけあって、公園に着く前から見えてきました。灯台のある丘の下に駐車場があります。陸に上がる階段があります。自転車では無理なので、階段の下に自転車を置いてあがっていきます。
丘の上に見えてきた灯台です。明治時代に最上川左岸に作られたもので、使われなくなったあとここに持て来て保存しています。平面断面が六角形をしている変わった形の灯台です。
日和山公園は、酒田市内でもちょっと高くなったところにあります。展望広場があって遠くを眺めることができます。昔、酒田港から船を出すのにいい天気かどうかをここから見て判断したということです。方角石というのも作られていたようですが、見つける事はできませんでした。案内図から広場の隅にあると勘違いしていただけで、真ん中に目立つように置かれていたようです。
広場から見た酒田港の方向です。左側の港の手前、段になっている建物が海洋センターです。
北側です。風力発電風車が見えます。間に飛島が見えるそうです。肉眼で何となく島があるようにも見えます。
公園を道路が横断しています。その向こうに、奇妙な形の鳥居が見えます。普通の鳥居の上に、三角形の飾りのようなものがついています。山王鳥居というようですが、形の由来についての説明は見つけられませんでした。
下日枝神社の鳥居のようです。この鳥居をくぐった先に、立派な随神門があります。
この随神門も奇妙な所があります。神様はまっすぐ通りぬけるので、くぐった先に本殿があるのが普通です。この門の先に見えているのは山の斜面です。
裏に回ってみたところです。道が直角に曲がってこちら側に向かってきています。
さらにもう一度曲がった先に本殿があります。実際には本殿からは随神門・山王鳥居をくぐらなくても、神域からでることができます。
俗界と聖域の区別をして、参拝者の精神統一を測るためという説明があります。どちらかというとお城の枡形を想像します。
神社の方に進むと、自転車を置いた場所から離れてしまいます。広場の方に戻ることにします。
広場には池があって、その上に船が浮かべられています。池は、修景池といって、日本海の形をしているようです。地面から見る限りでは、全然わかりませんでした。船は日和丸といい、実際の千石船の半分の大きさだそうです。大きな船を見慣れすぎているせいか意外と小さく感じます。向こうに見えているのは六角灯台です。
他にも河村瑞賢像とかを見て、自転車を置いた場所に戻りました。
日和山公園から、酒田市中心部に向かうことにします。案内図を見て興味が引かれたのが、旧鐙屋と本間家旧本邸です。日和山公園を横断している道をまっすぐ進めばいいようですが、そこまで、自転車を担いであがらないといけないようです。地図があるのでそれを見ながら、旧鐙屋の方に向かいます。途中の広い道に出てからは、案内標識が出ているので、それに従って進んでいきます。
旧鐙屋です。廻船問屋の建物だったそうです。残念ながらしまっていて中を見ることができません。大きな建物です。中にいっぱいものを入れておくことができそうです。
もう少し進んだ所にあるのが、本間家です。道路を挟んで南側に別館お店というのがあります。ちょうど、店じまいの最中で、前の駐車場にロープを張っているところでした。
反対側の旧本邸です。こちらも門が閉ざされています。門構えは立派です。敷地もかなり広いようです。どちらかというと偉い人の屋敷という感じです。
ここから山居倉庫にいこうといったん市役所に戻ってみると、この北側に三重の塔がある事がわかりました。そちらの方に向かいます。
三重の塔が見えているお寺の山門です。海晏時といいます。入り口の石碑の一番上の文字は「十」です。何かの詩のようですが意味が理解できません。
入って右手に見えた三重の塔です。水煙の上にある玉のようなものは光り輝いていました。
鐘楼では、住職さんが鐘撞きの最中でした。軽く会釈だけして出てきました。
途中で仁王門という案内もありました。こちらは龍厳寺の山門です。仁王さんがにらみをきかせています。普通仁王門といえば、楼門になっていることが多いのですが、こちらは八脚門です。柱が八本あります。
さらに唐門という案内が出ています。浄福寺の山門です。唐破風が正面にあります。唐破風とは、屋根の軒をアーチ型に曲げた構造のことです。
ここまで来たら、相馬楼はすぐ近くなので外観だけでもといくことにしました。昔の料亭だそうです。お隣さんも、格式のある料亭のように見えました。こちらは、竹久夢二が通ったということで有名なのだそうです。美術館が併設されています。時間が遅くしまっています。
この前の道の正面に山王鳥居が見えています。日和山公園の近くまで戻ってきたようです。このあと、山居倉庫も見ておきたいのでいくことにします。市役所から南の方角と思っていたのですが、本間家の前を通ることになってしまいました。これだと初めから、コースを考えて進んできた方が時間の節約になったようです。
酒田の町は、最上川の舟運を利用して、庄内平野の米が集まってくるところで、河村瑞賢が確立させた西廻り航路を使って江戸まで米を送り届けるための中継地として発展した町です。
明治期になっても状況があまりかわらなかったようで、ここに集まってくる米を入れる倉庫として作られたのが山居倉庫です。12棟の米倉があり一部は現在も使われているそうです。
本間家の前から港の方に向かうと水路(新井田川)向こうに山居倉庫か見えてきます。もうだいぶ日は陰ってきています。
反対の最上川側です。倉庫の裏手にケヤキの並木が続いています。
倉庫の表側は水路(港)側をむいています。入り口には雨がかからないようになのか庇が大きく突き出ているところがあります。
水路側に斜面が作られていて、船が置かれています。小鵜飼船というそうです。最上川の支流や船着き場間の輸送に使われていたそうです。帆をかけて進みます。
さらに進んで真ん中ぐらいのところから振り返って見たようすです。
一番奥付近のものです。こちら側の端が1号棟で荘内米歴史資料館になっています。
入口側に戻ります。12号棟です。11号棟とあわせて物産館「夢の倶楽」となっています。11号棟では展示コーナーもあります。
再び水路を渡って、みなと市場の方に戻ります。水路側から見た山居倉庫です。蔦の絡まった建物は、東宮殿下行啓記念館と書かれていました。
水路海側にかかっている山居橋です。奥に見えるのが1〜4号棟になります。
そのまままっすぐ進んで、車を止めたところに戻ります。自転車を積み込んでいると地元のような人に声をかけられました。話の内容は覚えていませんが、天気のことだったような気がします。
ちょっと遅くなりました。宿への到着は6時をまわりそうなのでいったん連絡を入れておくことにします。到着したときは6時を少しまわっていました。駐車場は建物の裏側にあったのですが、表側に車が何台か止まっていたのでその横につけました。
昨晩は、夕食を済ませたあと、星が見られるか確認したのですが、小雨がぱらついていました。奥の駐車場は観察に良さそうに思えていたのですが、横の体育館に明かりがついてもう一つという状態になっていました。少し奥まで行ってようすを見たのですが、林の中で空の開けているところはありませんでした。星が見られる状態ではないので、隣の温泉施設で温泉につかってから、戻って寝ることにしました。
朝も早めに目が覚めます。窓からは松原越しに日本海が見えています。沖合に平らな島も見えています。飛島でしょう。横に小島も確認できます。
山側です。晴れ間も見えているのですが、雲は多めです。鳥海山は完全に雲におおわれています。
外に出てみます。松林の中を通りぬける道があったので入っていくと、浜に出てきました。西浜海水浴場です。海岸に沿って小高くなっているところがあります。砂丘が発達しているようです。
海水浴場の駐車場は広く、まわりに明かりはなさそうです。星を見るのにはいい場所かも知れません。泊まった宿からは、車だと遠回りしてこないといけませんが、問題にはならないでしょう。
海岸に出てそこから見た南側です。まだちょっと波は荒れているようです。風力発電の風車がいっぱい立ち並んでいます。右端の風車の形がちょっと違っていますが、いくつかの風車が重なって見えているだけです。中央やや左に火力発電所の煙突も見えています。
波打ち際から陸側です。ちょうど干潮にあたっているのか、砂浜はかなり広いように感じます。
いったん松林を通って、宿に戻ります。ちょっと離れたところに、十六羅漢岩とか大物忌神社とか見所がいっぱいあります。それぞれも離れているので、自転車で回ることにしました。
宿の前から、道は3つあります。一つは国道に出る道、あとの二つはキャンプ場から漁港の方に行く道です。普通の道と松林の中を進み道とがあります。松林の中野道が気持ちよさそうなので、こちらを進むことにしました。
真っ直ぐ進んで行くと橋が見えてきます。この橋を渡らないことにはどこにも行けないのですが、その道路に出る道がありません。草丈も低いので、自転車をかついであがりました。橋のたもとから見た月光川です。
橋を渡ってから、海岸に沿って国道を走ります。すぐに登り坂になり、南側の景色が遠くまで見渡せるようになってきました。西浜漁港から先の海岸です。
道が一番高くなる手前に海岸側に通じる道があります。こちらに進んで行くと十六羅漢岩に出るようです。道の最初は階段ですので、自転車はその入り口に置いていくことにします。
道は海岸から少し上がった所につけられています。波打ち際まで下りられるところがあったので、下りてみたところです。この付近の海岸は所々で、海に向かって溶岩がせり出しているところがあります。
十六羅漢岩というのは、地元の和尚さんが荒波で命を失ったことの供養と交通安全祈願を願って明治元年に作られたものだそうです。海にせり出した溶岩を削って彫られています。十六体ではなく全部で22体彫られたそうです。
正面から見た十六羅漢岩です。溶岩を深くまで削りこんで作られています。足元の岩の表面にものみの跡が見られます。写真の範囲内ではっきりしているのは正面の岩に5体、右側の岩に3体です。これもそうかなというものや、胴体だけなのではというのもあります。
1体だけ離れたところにあります。これだけが海を向いています。他のと比べて新しいようにも見えます。波があたりにくいところにあるせいでしょうか。
自転車を置いた場所に戻り、元来た道を引き返します。芭蕉の句碑があります。合っているかどうかはわかりませんが、「あつき山や吹浦かけて夕すゞみ」と読めます。この場所からも海岸のようすがよく見えます。海にせり出した溶岩です。左に流れていったような筋が見えます。
しめ縄で結ばれた二つの三角形の岩が見えます。伊勢二見浦の夫婦岩に似た配置になっています。出羽二見といいます。海につかるのが岩の足元だけであったり、鳥居があったり、夕陽とセットで見るとか違っている点もいくつかあります。
急斜面で滑りそうな道だったのですが、海岸まで下りていきました。下から見上げた大きい方の岩です。
海岸に出る手前で、岩の間に岩が挟まっている所があります。挟まった岩にもしめ縄のようなものが巻かれています。
裏側から見たようすです。右側にも同じような岩があります。説明とかはありませんが、くぐり抜けるといいことがあるとかいうようないわくがありそうです。岩の下が少しえぐれています。
斜面の砂地からキノコがたくさん顔を出していました。不思議な取り合わせです。キノコが生えたところに、台風の風で飛ばされてきた砂をかぶったのでしょうか。
斜面にあったハマナスです。実が熟しています。すぐ横には、花も付いていました。
次に目指すのは、大物忌神社です。祭神は大物忌神でこれは鳥海山そのものです。鳥海山山頂に本宮があり、山麓の吹浦と蕨岡の2ヵ所に口の宮があります。これから行くのは吹浦口の宮です。昨年の鳥海山旅行で看板だけを見ていた神社です。
出羽二見から、坂を下っていきます。正面の港の向こうに見える羽越本線に列車が走っていくのが見えます。遠くて気がつかなかったのですが、写真からは通勤用電車型車両を機関車が牽引しているのがわかります。
国道を下りていきます。羽越本線と並ぶところでガードをくぐる狭い道があったので入っていきました。狭い道を通りぬけちょっと広い道に出ました。ここからどちらに進んでいいのかわかりません。右側が駅で、そこから神社まで広い道があるのだろうと勝手に判断し、左に進むことにしました。みちは、だんだんと坂を登るようになります。人家も少なくなってきます。正面に神社が見えてきましたが、目的の神社にしては小さすぎます。たまたま通りがかった人に聞いてみました。正面にあるのは諏訪神社で、大物忌神社は反対側だといわれました。この時「神社を探している」といって聞いたのは失敗でした。目の前にありましたね。
道路を戻って見つけた大物忌神社の鳥居です。これでも何となく小さな感じがします。
二つの鳥居をくぐって、右斜め前に見えるのが下拝殿です。本殿は石段を登ったところにありますが、こちらから参拝してもいいようです。
下拝殿前の狛犬です。風化が激しく、口元がかけています。台座には明治30年寄進の銘が入っています。
約100段の石段を上がった所にある拝殿です。
本殿は、さらに一段高いところにあり、同じ形をした、大物忌神社(奥側)と月山(つきやま)神社の二つが並んでいます。どちらも赤く塗られています。
本殿の横にある、白山姫神社と末社雷電神社があります。説明にはそう書かれていますが、お社は3つあります。真ん中のは新しそうなので、奥のが白山姫神社、右端が雷電神社でしょうか。
参拝は終わったので、大物忌神社を後にして神社前の道を進んでいくことにします。その先にあったのが、吹浦(ふくら)駅です。ちょうど酒田方面への電車が発車待ちをしているところでした。
ここから駅向こうに行かないと宿に帰れないのですが、線路を横断する道は先に行っても、戻っても大きく迂回しないと行くことはできません。先のほうから、行って戻ってくると、また別の電車が発車待ちをしていました。今は酒田方面の、通期時間帯にあたっているようです。
吹浦駅から宿へは月光川を渡らないと戻れません。橋は二つあって、こちら側に来るときに渡ってきた橋と、国道の橋です。国道は遠回りになりそうなのと、車が多そうなので、通らないことにします。通ってきた橋の先では、松林に並行している道と出合いそうです。
宿には予定していた時刻よりも遅くなりましたが、無事に戻ることができました。朝食を済ませ、一休憩した後出発します。秋田市の方に向かいます。国道7号には戻らず、そのまま海岸沿いの国道を走っていきます。岬を回って海岸沿いの町をいくつか通り過ぎたら7号に合流します。
しばらく走っていると、海が見たくなってきました。にかほの市街地をぬけたところに道の駅「象潟ねむの丘」が見えてきました。駐車場の向こう側に海が見えていますから寄ってみることにしました。
駐車場から建物の横を通って海側にいきます。広場があってその向こうに海が見えます。
北側の海です。まだかなり波は荒れている感じがします。
建物の中に入って、何があるのか見ていると、展望室がある事がわかりました。あがってみました。そこからは四方の景色がよく見えます。鳥海山です。まだまだ厚い雲におおわれています。
展望室の解説には、正面に見えている場所は九十九島といい、25000年ほど前に鳥海山が大きく崩れ、その土砂が山の斜面を雪崩のように駆け下ってきて、この付近にたまったと書かれています。岩なだれという現象です。この時に丘くらいの大きさのいくつも運ばれてきて、周辺に取り残され、小山がいくつもできます。流れ山といいます。松尾芭蕉がこの地を訪れていますが、この頃はこの付近はたくさんの小島の浮かぶ浅い入り江でした。入り江が象潟で、そこにある島々を九十九島と呼んでいました。象潟は、1804年の象潟地震の時に地面が隆起して干上がってしまいました。
そのようすは、ここから鳥海山のふもとにかけて見ることができます。田んぼの間にたくさんある小山が昔島だったところです。
海側です。先ほど海を眺めていた広場が見えます。左側の丘は、流山の一つのようです。
道の駅に寄ったついでに、この先の道も確認しておきます。少し引き返したところから高速道路の無料区間に入れるようです。岩城ICで高速道路を下りて、海岸に沿って進むと秋田城に行けそうです。予定通り走らせたのですが、秋田市に入ったとたん工事渋滞に巻き込まれ、通りぬけるのに15分ほどかかってしまいました。道の駅に工事情報も書かれていたのですが、どこのことかわからず無視していました。ここのことだったようです。
道路を真っ直ぐ進んで行くと、秋田城趾への案内標識がしっかり出ています。それに従って進みます。最後の直線でなかなか城趾に出ないので、駐車場のようなところで、確認したところ、まだ半分しか来ていませんでした。まだまだまっすぐに進んでいきます。その後も指示がちゃんと出ていますからそれに従って進んで行きます。
駐車場に車を入れ、トイレをすませてから、案内板を見ていると、横の建物から女性が出てきて、パンフを持ってきてくれた上に、案内してくれると言います。お言葉通り案内してもらうことにしました。
まずは。、車場の前道を奥に進み、秋田城の政庁域にいきます。政庁域の手前に、秋田城の復元模型が置かれていました。秋田城も何度か建て直されています。一番古い時期のものです。
ここから見える政庁東門です。周囲の塀は土を突き固めて作った築地塀になっています。
東門を入って見えてきた政庁正殿跡です。敷地域が区切られ、柱跡に、短い柱が置かれています。
東脇殿跡から東門方向です。奥に北東建物の跡も見えています。
東門から東側、城内東大路です。道幅はかなり広くとってあります。この先に駐車場があります。
さらにその先にあるのが外郭東門です。城域の外側から見ています。外に伸びる東大路は、土を突き固めていたようです。そのとおりに復元したら、雪のためにすぐに痛んでしまうそうです。表面はがたがたです。
秋田城は、東側地域を中心に詳しいことがわかっています。それに対して、政庁の正面となる南側はほとんどわかっていません。政庁域の南西角を削って南北に旧国道が作られたのが大きな痛手となっています。
秋田城を案内してもらって詳しく話を聞けるのはいいのですが、今度は写真記録を取ることができません。写真を撮ろうとするとと説明が止まるので、カメラを構える事ができません。まわりを歩いていろいろな方向からというのも控えています。ここまでの写真はかなり少なめです。
秋田城は城外の施設も調べられているのが、他の地域の城柵官衙と違っているところです。その中でも水洗便所が作られていたというのが一番の特徴でしょう。復元された便所建物です。
中に個室が3室あり、順番に枠組みから最終形態に至るまでのようすが残されています。発掘時の状態に一番近い物です。トイレにしてはかなり大きく深い穴が開けられています。外側に向けて排水用の傾斜があります。
使用方法です。板の上にしゃがんで用を足し、終わったら瓶の水をかけて便を流す仕組みになっています。
流れた外側です。個室から延びる排水路が、同じように順番の復元されています。左端が発掘状況、右端が完成形です。流れた先に、大きなくぼみがあり、ここに便がたまるようになっています。
窪地の土を分析したところ、大陸人の食事に関係する寄生虫の卵が見つかったそうです。そのことから、この便所を使用していたのは、大陸からの貴人だったのではと考えられています。泊まっていた建物は周囲に建物跡のどれかということになります。この付近には、お寺などの建物があったと考えられています。建物跡の一つです。
ここから見た、外郭東門です。
建物の他にも井戸の跡も見つかっています。その一つです。底の方にかわらけのようなものが敷き詰められていたようで、底の部分をかさ上げして復元しています。
こちらは、現在も水の湧き出している井戸です。水がきれいなので、アメリカザリガニがいるのまで見えます。
横にある古代池です。説明の内容はど忘れしています。池の底から何かが見つかったとか、舟を浮かべていたとか、そんな話があったようななかったような。
ここから外郭東門に戻る間にあった唯一の植物の名札です。ウマノスズクサと書かれていました。ジャコウアゲハの食草だそうです。葉っぱの形の似ているものの写真です。名札がおかれているわりには探さないとわかりません。
案内されたのは以上ですが、この後歴史資料館の方にも行くように勧められます。いくことにしました。秋田城趾からの出土品や、当時の城の役割や生活のようすなど多岐にわたって展示されていました。でもいつも通り消化不良を起こしています。
秋田城の次は久保田城に行くことにしました。紛らわしいのですが、秋田市でいわゆるお城といえば久保田城になります。秋田駅近くにあり、お城のあった一画は千秋公園として整備されています。秋田城から車で行くには、秋田駅前の駐車場に車を駐めて歩いて行くか、公園内のコインパーキングに駐める事もできます。公園内に入るには、一方通行とかがあって単純ではないのですが、走らせた道のログを見ると、闇雲に走っていたような記憶があるわりにはまっすぐ行っています。
コインパーキングから少し上がった所に広場があります。いきなり二の丸跡になります。ここだけでも、かなりの広さがあります。
公園内の案内看板はありますが、見ながら歩けるようなものがありません。近くの建物とかを覗いたのですが、入手できませんでした。
すぐ横に、上の方に上がっていく階段があります。本丸に続いています。
階段を一気に上がったら、枡形になっていて、長坂門跡と書かれた標識がたっています。とすると、いまの坂が長坂ということになります。この形からすると門は枡形の手前にあったようです。
長坂門を曲がった先は再び階段になっていて、その正面に建物が見えます。茶屋のように見えていたのですが、御物頭番所といって、公園内で唯一現存する江戸時代の建物だそうです。長坂門の開閉と城内の警備を担当していた物頭が詰めていた場所です。
御物頭番所から左に曲がってすぐの所にあるのが表門です。一の門ともいいます。絵図などの資料から復元した櫓門です。冠木の上に屋根のようなものがあるので二重門に見えます。
表門をくぐった先が本丸になります。かなり広くどこにどのような建物があったのか想像もつきません。
二の丸を見下ろしたところです。池が見えます。胡月池といいます。公園を整備したときに作られたものです。
埋門跡です。西側から本丸への出入り口です。埋門は石垣の中に作られた形式の門をいいます。ここに石垣があったのでしょうか。石らしいものは見当たりません。
久保田城の特徴は2つあります。一つは石垣がないこと、二つ目は天守(閣)がないことです。石垣のないものは、初期の城郭に見られることがあります。天守がないのは江戸時代に立てられたもので、幕府から天守閣の建造を規制されたものにみられます。御隅櫓と称して天守閣のようなものを作ったというような例があるようです。久保田城が作られたのは1602年ですからその規制がかかる前です。天守を作る意味がなくなっていたのでしょうか。
埋門跡から尾根のような所を登っていく道があります。このあたりは本丸よりも高くなっています。多門長屋跡と書かれています。塀の代わりに、家臣の家が連なっていたようです。埋門はその間にかくれるように作られていたそうです。
坂を登っていった先に見えてきたのが御隅櫓です。久保田城には全部で8つの御隅櫓があったようですが、この北西の角の御隅櫓だけがコンクリートで復元されています。本来は2層構造だったのですが、天守風の3層目が展望台として付け加えられています。
御隅櫓展望台から秋田市街がよく見渡せます。展望台から市内のようすです。
本丸の一番外側を時計回りにまわり続けます。本丸の高さの所まで下りてきたところにあったのが、帯曲輪門跡です。本丸への北側の入り口です。この先の曲がりくねった道を降りていくと二の丸北端の土門に出ます。
本丸の外側を一周した跡、表門から二の丸跡に戻ります。今度は二の丸にあがる道を見ていくことにします。長坂を下りた正面の方向にあるのが、黒門(跡)です。道路の手前がに掘があって橋が架かっていたようです。
コインパーキングの下です。松下門跡と書かれています。
松下門を下ったところから、掘のようなものが見えます。掘という説明がどこにもないので「ようなもの」にしておきます。この先に、穴門・穴門橋跡があります。
車に戻り、次に向けて出発します。入ってきたときとは違い、広い道を通って公園域から出ます。直前に再び掘のようなものが見えてきました。道路の西側に見えているこの掘は穴門の掘というようです。ちなみに今いるところが、中土橋門跡で、道路の左側には大手門の掘があります。信号待ちを幸いに写真を撮りました。
次の目的地は、角館武家屋敷にします。秋田市街のぬけ方がわからないのと、途中山越え道に入るところを見落としそうなので、カーナビに案内してもらうことにしました。道は思ったよりわかりやすく、単純だったようです。むしろ角館に入ってからどのあたりを走っているのかがわからず、こちらの方でお世話になったようです。
橋を渡ったところから、駐車場と書かれている案内に従って車を走らせ駐車場に到着します。川沿いにある広い駐車場です。川の土手にはサクラの並木があって、有名な花見所になっているようです。
ここでもらった地図を頼りに町中を回ることにします。自転車を出す事も考えたのですが、それほどでもなさそうですから歩いていきます。
武家屋敷通りに入って、最初に見えたのが樺細工伝承館です。立派な棟門です。建物についての説明はありません。武家屋敷のものなのでしょうか。
武家屋敷通りに出ます。昔の道に比べて、道幅が広くなっています。これだけの幅の道はそうないでしょう。
このあたりはゾーン30といって、最高速度を30km/hに制限した上で車が走ることができます。歩いていて、すぐそばを車が通りぬけていくので怖い思いをします。30kmは歩行者にとって安全な速度だと思っているのでしょうか。
歩いていると、学生がやってきてアンケートに協力して欲しいといいます。観光地のことでとっているみたいですが、田沢湖についてどう思うかというあまり切迫感のないものでした。
武家屋敷通りを北に向かっています。青柳家の建物と入り口です。敷地内も広々としています。
いったん通りの北端まで急ぎました。角館公民館があります。ここは、小野崎家の建物を復元したものです。内部は公開されていません。玄関に説明書きがありますからそこまではOKでしょう。
玄関です。破風の形が独特です。玄関屋根の形は唐破風になるのでしょうか。
通りに面した塀です。色もそうですが、出窓のようなものが設けられているのが特徴的です。
塀の前には水路があります。石垣には細長いほぼ同じ大きさの石が使われています。
通りで見られる樹木として特徴的なのは、しだれ桜だそうです。江戸時代に植えられたものが残っているようです。
ここから武家屋敷を南側に向かって歩いて行くことにします。
武家屋敷街に来ているのにうっかりしていたことがひとつあります。肝心のお殿様はどこにいたのかということです。案内図を見直すと、屋敷通りの北の先に古城山公園(城跡)と書かれています。ここが居城だったのでしょうか。意識をしていなかったので写真はないと思っていたのですが、しだれ桜の背景に写っている山が古城山のようです。
武家屋敷通りで公開されている北端の屋敷は、石黒家です。入り口の門から玄関までです。門は奥に転倒防止のために控え柱があります。この形の門は薬医門といいます。
この地域の武家屋敷で気になっていることがあります。門から玄関まで見通すことができます。青柳家も小野崎家もそうでした。これに対して他の場所で見てきたものはほとんど枡形になっていました。
旧松本家住宅です。茅葺きの質素な建物です。部屋数は少なく、一家が住むだけの広さしかありません。
岩橋家住宅の玄関です。松本家に比べると一回り大きな建物です。
このそば屋さんの建物は、元寺小屋を移築して使っているそうです。
川原田家です。だいぶ大きな建物です。
中庭です。木が多く、薄暗くなっています。
中庭を通りぬけると、お隣の小野田家にぬけます。玄関です。玄関の屋根は普通の切妻型です。入ってすぐのところに板塀があり、中が見通せないようになっています。
ここを過ぎると武家屋敷通りはおしまいになります。通り過ぎて振り返って見たところです。正面の建物のあたりは案内図には火除と書かれています。いわれの書かれているものを探したのですが、見つけることはできませんでした。後でわかったことは、この向こうの武家屋敷通りとの間に、建物のないところが横切っていて、火事が延焼しないようになっていたということです。
火除の向こう側は武家屋敷のある内町というのに対して、こちら側は外町といいます。商家が密集していたようです。古い建物のたくさん残されているようですが、範囲が広く時間が遅くなってきているようなので、引き返すことにしました。
ここにあったコンビニです。景観に配慮して作られています。
角館から次は田沢湖に向かいます。角館に来るまでの間は、田沢湖への標識がずっと出ていました。それに従って行けば着くことができるでしょう。迷うことなく30分ほどで到着です。悩んだのは、田沢湖を周回する道路をどちらに入ろうかということくらいでした。
左に進んで、すぐにレストハウスの前に到着です。正面の山から厚い雲が湧いています。ここの分だと山、とくに秋田駒ヶ岳は見えないようです。それどころか、時々雨がぱらついてきます。
いったん湖岸に出てみました。そこからの田沢湖です。この方向の高い山も雲の中です。
湖畔の松並木です。この先に蓬莱の松というのもあります。松の木の多いところのようです。
レストハウスから、田沢湖を回ることを考えます。前回来た時は、どういうわけか湖岸を走って一周することになりました。だいたい1時間かかりました。自転車だと同じくらいで回れるでしょう。どこかに寄ったりしていると、もっと遅くなりそうなので車で回ることにしまた。
まわる方向は反時計回りにします。最初に蓬莱の松の前を通ったのですが、車を駐める所を見つけられず、探している間にだいぶ行きすぎてしまいましたので見るのをあきらめました。
次に通ったところが、御座石です。最後に石がついていると気になります。駐車場があるので、車を入れました。下りようとすると雨がひどくなってきました。雨宿りがてら売店に入ってお土産などを探しました。アンドーナッツが小腹に入れるのにちょうど良さそうだったので買いました。店の食堂はキノコのちぎれたようなものでいっぱいでした。石突きを取っていたそうです。それにしてもたくさんのキノコをどこから採ってきたのでしょうか。
雨は、ちょっと小降りになったので外に出ます。まずは一番気になる御座石の方に向かいます。それらしいあたりで一番目立つのは立派な鳥居です。鳥居は湖の方からあがってくるように作られています。額には御座石と描かれています。御座石そのものはどれなのか見当がつきません。
ここから見た田沢湖です。この方向は晴れ間が見えます。
横に柵がしてあって、曰くありげな木が生えています。七種木(なないろぎ)といって、一ヵ所から7種類の木が生えているそうです。7種とは、松杉桜槐(エンジュ)エゴ榛梨です。
その根元にあるのが雨乞い石です。動かすと湖が荒れ、暴風雨になると言い伝えられています。
御座石を探しに鳥居の奥の方に行ってみることにしました。神社があります。御座石神社です。名前からしてこのあたりかなと探したのですが、ここにも見つかりません。
ここにあったのは、たつ子姫像です。たつ子姫は龍に姿を変えます。ここのものは下半身が龍になっています。
ここまできて、まだ御座石を見つけていません。他を探すことにします。
いまだに御座石を見つけていません。駐車場から見て御座石神社と反対側に鏡石というのがあるようです。ちょっと離れているのですが、こちらの方かも知れないということで行ってみることにします。
鏡石は、道路添いから沢を登っていった方向にあります。しばらく歩くと橋が見えてきます。願橋といいます。通るときに心の中で願い事を唱えると願い事が叶うそうです。
橋の下を流れる沢です。鏡石沢といいます。
橋を渡ってもう少しだけ登ると展望台のような所につきます。手すりの木の割れ目に硬貨がたくさん刺さっています。ものすごい数になっています。
鏡石です。この岩全体がツルツルなので、これのことかと思っていましたが、岩に挟まっている丸い形の岩がそうです。たつ子姫はこれを化粧の時に使っていたそうです。背が届かないような感じがします。
道はここで行き止まりです。ここにも御座石はなかったようです。引き返すときに願橋の向こう側にかなえる岩と書かれた岩がありました。鏡石を見た帰りに立ち寄って願い事をすればかなえられるそうです。
この写真を撮るときに、カメラの感度が6400になっていたのに気がつきました。秋田城資料館でこの設定にしています。それからずっとこの感度で写していたことになります。帰ってから確認するとこの間の写真は拡大してみると全て荒れていました。
道路まで戻り、もう一度駐車場の方に戻ります。駐車場の手前に祠のようなものがあります。そこの説明に書かれていたのは、ここが潟頭の冷泉で、たつ子姫が満願の日にここの水を飲んだら龍神になったということです。写真は祠が書かれていましたが、泉らしいのはこの場所です。
駐車場に戻り、もう一度案内板を見直してみると、御座石というのは、秋田藩主佐竹義隆公が床机を並べて田沢湖を眺めたのが由来だとわかりました。結局は、鳥居の前の、平らな岩場が御座石ということでした。もう一度見直しにいったのですが、親子連れが、御座石の上で御座石を探し回っていました。ここだけで時間を使いすぎたので、移動してくれるのを待たずに、次にいくことにしました。
次についたところが、たつこ像です。駐車場を探したのですが、土産物屋の前の駐車場は、ロープが張ってあって入れません。離れたところのホテルの駐車場は空いています。どこも駐めにくくなっています。すぐに出るつもりで、道路の広いところに端に寄せて駐めることにしました。
目の前にあった祠です。漢槎宮です。潟尻用心とか浮木神社とかいっぱい名前があるようです。
横の湖の縁にたっているたつ子像です。現代風な感じがします。
駐車場の関係で、すぐにここを出ます。途中、田沢湖が見えそうで車を駐められるところといえば、たつこ茶屋しか見つけられませんでした。そこからの田沢湖です。だいぶ雲はなくなってきてはいますが、山の方はまだまだ厚い雲におおわれています。
もうだいぶ遅くなっています。ここから山の方に登っていけば、宿のある乳頭温泉郷です。宿にいったん到着予定時刻の連絡を入れてから向かうことにします。
乳頭温泉に着いて星を見る場所を確認します。まだ空は曇っています。駐車場があちらこちらにあります。どれか電灯から離れたところがあるでしょう。夕食を済ませ、再び星が出ていないかどうかを見たのですが、雲がかかっているのかあいかわらず見えませんでした。高い山に近い分だけ雲が多いようです。今晩も星見はお預けのようです。
翌朝です。起きてまず気になるのは天気です。外を見て確認すると、曇っています。高い山にはガスが流れています。地面は濡れていないので、雨は降らなかったようです。
散歩に出かけることにします。乳頭温泉郷の温泉をぐるっとめぐるコースがあるようなので、そちらに行ってみることにします。最初に目指すのは黒湯温泉です。道はすぐに林の中に入ります。この付近はブナ林のようです。
空吹湿原を通って行く遊歩道があるようです。道沿いの何カ所かに熊に合図するための鐘が設置されています。これは金属のパイプを中に入っている棒で叩いて音を出すようになっています。
途中のブナの木が目の高さくらいのところで折れていました。折れ口も新しいように見えます。先日の台風の影響でしょうか。
湿原ぽいものの近くを通りました。ここのものはあまり広くありません。どうも、湿原の中を通る道ではなく、縁を通る道に入ったようです。
湿原横の道路に落ちていたブナの枝です。大きくなった実がついています。今年は去年に比べてたくさんの実がついているようです。
温泉水をくみ上げている場所がありました。ここと後2ヵ所で集めた温泉を山麓の田沢湖高原温泉に給湯しているそうです。
道は、すぐに車道に合流します。そのまま進んで行くと駐車場があり、そこから少し下りていったところが黒湯温泉です。
温泉より遠くに見えている湯気のようなものが気になります。道がないかどうか探してみます。道はいったん川沿いまで下りていき、そこから山の方に向かって行く道と下っていく道があります。山の方への道を進んでいくことにします。
道沿いに温泉水の出ている所があります。ここのは量が少ないので、温泉には使われていないようです。
500mほど上がった所の川の対岸に蒸気の噴き出しているところが見えます。川を渡って対岸に行く方法はないようです。残念ですがここまでとします。
この道をさらに登っていけば、乳頭山の方に行くようです。あいにくと山は雲の中のようです。
道沿いの足元には所々に、蒸気の吹き出し口が見られます。このあたりは噴気地帯になっているようです。
乳頭温泉郷は、川の上流側から黒湯温泉、孫六温泉、大釜温泉、妙の湯が並んでいて、大釜温泉から別の谷を遡っていったところにある蟹場温泉とあわせて5つの温泉からできています。温泉郷巡りといっても、朝の短い間でやっていますので、お湯にゆっくりと浸かることは考えていません。
黒湯温泉から孫六温泉はすぐ隣といった感じの所にあります。孫六温泉とすぐ横を流れる川です。橋の上から見ています。
孫六温泉から橋を振り返って見たところです。川には堰堤があります。水量が多いのは台風の影響でしょうか。水はほとんど濁っていないようです。
孫六温泉を通りぬけて、道を歩いていくと前方の橋が傾いているのが見えてきました。危険なので、立ち入り禁止のテープも貼られています。
孫六温泉まで戻って方法はないか聞こうとしたのですが人の気配がありません。道はここと、宿から歩いてきた道だけです。同じ道を戻っていくのはおもしろくありません。何か方策はないかと探してみると、沢に下りたら何とか向こう側に行けそうなのがわかりました。何とかこの方法でこの橋はクリアです。
大釜温泉まで道は川に沿って下っていきます。所々に砂防堰堤があります。堰堤の上から、下にたまった川の水を見ると青い色をしています。コロイド粒子によるチンダル現象の結果このように見えます。
上流側です。本来なら水がたまっているところです。ほとんど土砂で埋め立てられてしまっています。
大釜温泉です。ここの建物は小学校として使われていた、建物の再利用だそうです。
ここから蟹場温泉は脇道になり再び同じ道をここまで帰ってくることになります。時間も予定より遅れているのなので見に行くのはパスします。見るのは建物だけでしょう。
大釜温泉から少し下ったところにある妙の湯温泉です。温泉宿の名前も妙の湯です。乳頭温泉郷の温泉は各場所に1つずつしかありませんでした。宿の名前が温泉の名前になっているようです。
温泉前の川です。最近になって土砂で埋められたようにも見えます。手前の赤いのはナナカマドの実です。
乳頭温泉郷巡りからは、朝食開始時刻の少し前に戻ってくる事ができました。この宿では朝の散歩会というのが開かれています。道を歩きながら、周辺の自然などを教えてくれます。ちょうど出発前の集合をしてた所です。参加することにしました。
近くの別の道から林の中に入っていきます。林床にはマイヅルソウがいっぱい生えています。葉っぱが黄色くなってきています。
こちらは実がついています。マイヅルソウは繁殖力が強くすぐに増えてくるそうです。ちなみに名前の由来は、葉の葉脈が、鶴が羽根を上げて舞っている形に見えたからだそうです。
林から車道に出たところのブナ林です。
ここのブナには2つ特徴があるそうです。一つ目は、若い木が多く大きな木が少ないことです。近年になって、大量に伐採されたからだそうです。うろ覚えですが、明治期に製鉄用の炭の増産のためといっていたような気がします。
もう一つは幹の片側が白くのっぺらとしていることです。ふつうブナの樹皮の特徴は、その表面にに地衣類がついてできます。ここでは道路が温泉の有毒ガスの通り道になっていて、ガスの当たる所では地衣類が育たないそうです。温泉に近いところでは、木の幹全体が真っ白になっているそうです。
ここでも何本か倒れた木があります。台風で倒れたそうです。上を見ると倒れた木の枝が茂っていた場所がぽっかりと穴が空いたようになっています。
他にも凍って裂けた木などを見てから宿に戻りました。
朝食をすませ、しばらく休んでから出発する事になります。その前に近くの池にイワナがいるというのを見てからにします。
ここがイワナがいるという池です。普通の池とそれほど変わりがありません。水の透明度は高いようです。
よく見ると確かにイワナが泳いでいるのが見えます。もっと大きく写したかったのですが、近くのものは動きが速くうまく写せませんでした。
やどから山を降りきる前に、いったんアルパこまくさに寄ります。ここからは田沢湖がきれいに見えます。
秋田駒ヶ岳側です。相変わらず山は雲の中のようです。
秋田駒ヶ岳に登るのはやめておきます。
今日の予定は特に何もありません。少なくとも今回の旅行で北投石は見ておきたいと思っています。八幡平から十和田にぬける道からの方が近いのですが、そこを通る日はいろいろと回っている余裕がなさそうです。田沢湖側からも行けたのですが、昨日は田沢湖到着が遅かったので行きそびれました。今日一番にいっておいた方がいいでしょう。
山を降りて、田沢湖に向かう道との交差点を鹿角の方に向かいます。40kmほど北上して、新玉川温泉に着きます。ここにビジターセンターがあって情報収集をします。どうも現地では北投石は見られないようです。センターにある本物っぽい石はこれくらいです。
もう一つ確認したのは、ここから発見場所に行けるかどうかです。道はあるそうです。車をここに駐めて歩いて行くことにします。
途中で渡った川の底です。硫黄のようなものがいっぱい付着しています。川の水は玉川の毒水といって非常に酸性が強いそうです。
道は玉川温泉の建物の間を通りぬけていきます。
通りぬけた先では、盛んに蒸気が上がっています。新玉川温泉からもそうだったのですが、みんなマットをもって歩いています。何なのか気になります。
木樋のようなものが通してあります。温泉水から湯の華を採っている施設です。
北投石発見場所です。碑がたっています。
北投石は台湾の北投とここだけで見つかった石で、ラジウムが結晶の間に含まれているのが特徴です。岩石の表面に層状にこびり付くようにでき、温泉水の沈殿からできると考えられています。
碑のある近くの岩の表面を注意して見ます。目立つのは、温泉水で岩石がタマネギ状に変質してできた層ばかりです。顕微鏡レベルでは入っているかも知れませんが、北投石というのにはほど遠いようです。
近くの川です。盛んに温泉水が噴き出しています。大釜と呼ばれています。蒸気でほとんど何も見えません。よく写真に写ったものです。
さらにその奥です。小屋のようなものが見えます。この中で、熱気のようなものを体に浴びるための施設のようです。周囲の岩陰とかでも、多くの人がマットを敷いて座ったり寝転んだりしています。岩盤浴の一種のようなものでしょうか。
斜面の噴気孔です。硫黄の噴泉塔ができています。
玉川温泉はこれで一番奥まで来たようです。と思っていたら、帰ってから案内図を見ると、この先に泥火山というのがあったようです。
玉川温泉から元来た道を通って、新玉川温泉の駐車場に戻ります。次の行き先は盛岡市の方向です。その前に、新玉川温泉で確認しておきたいことが2つあります。
一つ目は、玉川の水を中和する施設です。二つ目は焼山(秋田焼山)が見えるかということです。どちらも、駐車場から国道に戻るまでの間の橋の上から見えるはずです。
橋の上から、上流側の谷底を見下ろしたものです。何かの施設があるのはわかります。これが何をしているのかというところまでははっきりしません。肝心なところは木の陰になってよくわかりません。
焼山側です。来るときも見ていたのですが、この時は完全に雲におおわれていました。帰りの時には、雲の間にうっすらと稜線のように見えるものがあります。こちらだと思ってしまいました。
帰ってから写真を確認してみると、右端の木の枝の間に大きな岩が飛び出しているのがわかります。かなり特徴のある岩なので焼山周辺の写真と比べてみました。焼山火口からこちら側に来る途中、火口壁を登りきったところに名残峠があります。峠のすぐ横にある岩にそっくりです。だとすると、焼山山頂はこのすぐ右側のピークとなります。橋を渡りきったところからだと山頂まで見えていたことになります。
次の場所に行くことにします。玉川温泉から盛岡にぬけるコースは2つあります。北上して八幡平を通りぬけるコースと、南下して田沢湖から秋田街道を通るコースです。八幡平側は明日通る予定なので、南下する方のコースをとることにします。
同じ道を戻っていきます。来るときはまっすぐ来たので、帰りは寄り道しながらにします。途中に大きなダムがあって、ダム湖ができています。どこか見えるところがないか探していると展望台のような所がありました。
展望台に上がったら、そこに違う方向を見ている人たちがいました。視線の先を追ってみると、ドローンが飛んでいるのが見えます。何かの調査をしているような感じです。
ダム湖は宝仙湖といいます。ダム側です。かなり大きなダム湖です。
上流側です。橋が架かっています。男神橋です。さらに向こうは八幡平の方角になります。焼山は左隅方向です。
展望台を後にして、さらに道を下っていきます。田沢湖の近くに茶立ての清水というのがありました。秋田の殿様に出すお茶の水をここから汲んだというのでこの名前がつけられています。もう一つ大きな水汲場があるのですが、一歩違いで到着した先客が大量の水を汲んでいるので写せていません。
もう少し下ると、まわりの山も遠くなってきました。秋田駒ヶ岳が見えるかと車を駐めて見たのですが、雲がなくなるまであと一息という感じでした。
さらに南下し、秋田街道に出ます。ここから、盛岡方向に車を走らせます。仙北市の中心市街地をぬけたところで、施設の駐車場からパトカーが出てこようとしています。先に行って欲しかったのですが、後ろにつかれてしまいました。違反を取り締まられる速度ではないとわかっていても、やはり気になります。仙岩トンネルは県境になっています。そこまでの辛抱です。
トンネルを過ぎてから、道の駅「雫石あねっこ」の前を通ります。5月に秋田駒ヶ岳を探した場所です。確認をしてみましたが、どうもここからは見えていないようです。写っているのは丸森・三角山で秋田駒ヶ岳と岩手山の真ん中にある山です。
さらに進んで、盛岡が近づいてきました。開けたところで見えていたのは、丸森・三角山とその左側の筏森山です。秋田駒ヶ岳より乳頭山の近くの山です。
ここをもうしばらく走ると、盛岡市になります。村上市で入れてからガソリンを入れてからかなり走っています。もうからになりかけています。このあたりで入れておくことにします。
盛岡についたものの、この先の予定ははっきりしていません。とりあえず道路地図を眺めていると、紫波町という名前が気になりました。秋田城のような古代城柵官衙遺跡として「しわじょう」というのがあります。北上川で最北端の官衙遺跡です。とりあえずいって探してみることにします。目的地は道の駅「紫波」です。
盛岡市街から1時間以上かかって道の駅に到着です。この間同じ古代城柵官衙遺跡である「徳丹城」の中を通りぬけていました。あとで思い返してみると、標識はあったようです。どういう城なのか、どれくらい離れたところにあるのか等わからないことだらけだったので通りすぎました。行こうとしていたら、その中にいるとは思わないので、見つけられた可能性はかなり低かったでしょう。
道の駅に到着して情報を入手します。わかったのは、近世の城跡が城山として整備されているということと、中世〜近世の館の跡があるということぐらいでした。どちらもパスします。
道の駅は産直センターのようでした。いろいろな果物が結構安く売られています。洋梨とかリンゴとか何種類か買いました。時間が押し迫っていますので、ここからは盛岡の方に引き返すことにします。いったん紫波の駅に寄ってみて情報を探したのですが、似たようなものばかりでした。
これから岩手山の方に向かいます。雨が降りだしているのが気になります。ここまで来るのに北上平野の東側を下ってきました。岩手山は盛岡市街の北西側にあります。西側を通れば盛岡市内を通らなくて済みます、こちら側を北上していきます。盛岡市街に近づいたところで、西側に迂回する道に入らないといけません。探していると、左折で志波城という標識を見つけました。「しわ」は「紫波」ではなく「志波」でした。標識に従って走らせていると、古代公園とその前の案内施設につくことができました。
紫波町からこちらに来る頃から降りだした雨はここについたときには本格的になってきています。外に出るのがためらわれる降り方ですが、まずは案内施設の方から行くことにします。
志波城の解説と出土物が展示されています。ここに入ったのはどちらかというと、雨がやまむまでの時間稼ぎのつもりだったのですが、いっこうにやむ気配はありません。ここと他の城柵官衙遺跡のパンフをもらって、志波城の古代遺跡公園の方に行くことにしました。案内施設横から見た、志波城外郭の南側です。門や砦、塀などが見えます。
外郭南門です。横の塀は築地塀になっています。
外郭に沿っていくつか櫓が組まれています。柱が外に張り出しています。真下まで来られたら侵入されそうな気がします。
外郭南門をくぐって内側です。南大路の西側に古代米が植えられていました。色の違いで文字を書いているようです。「志波」とか「いにしえ」という文字を読み取ることができます。
南大路の東側です。竪穴住居が復元されています。弥生時代に戻ったような感じです。兵舎や工房として使われていたようです。
南大路です。道幅は広いのですが、雨の影響で水浸しです。歩くのに足の置き場所を考えます。
靴はトッレキングシューズなので、ちょっとくらいの水たまりは大丈夫ですが、これだけ多いと、かなりしみてきそうな予感がします。
足元の水たまりに気をつけながら、南大路を政庁に向かって歩いて行きます。外郭南門の近くでは竪穴住居がたくさんあったようですが、政庁域の近くでは、掘立柱建物が何棟かあったようです。官衙として使われていたそうです。今でいう役所のような所でしょうか。その一つが復元されています。中を見学はできますが、見学時間を過ぎています。
政庁南門です。政庁も築地塀で囲まれています。
政庁南門前から外郭南門を見たところです。外郭南門までかなりの距離があります。
政庁南門を入った所から、政庁西門を見たところです。南門を入ったところに板塀があって、南門から政庁域を見わたすことができないようになっています。板塀の一部が写っています。
政庁正殿のあった場所です。柱跡とかは示されていません。内側の四角形のエリアがその場所なのでしょうか。
政庁西門から外郭域に出てみました。木を並べて植えてあるところが政庁域を取り囲む塀のあった場所です。そこと並ぶようにして溝のようなもの見られます。
政庁西門から政庁南門方向です。柱跡の示されている場所は、西脇殿横の付属建物のあった場所です。そこと塀の間にも溝のようなものがあります。
足元が限界に近づいてきたので、戻ることにします。最後は外郭南門を出たところの掘です。他の所の溝と違ってしっかり掘られています。掘り上げた土?で土塁もできています。
車に戻った頃には、雨脚はだいぶ弱くなっていました。一番ひどい時に歩いていたようです。だいぶ遅くなってきています。宿の方に向かうことにします。ここから、宿までの間に全国的に有名な牧場があります。そこの牛舎のような建物です。
何かお土産になるものを買おうとしたのですが、テーマパークのような所に入らないと置いていないようです。おまけに閉園ぎりぎりの時間です。ここで買うのはあきらめます。その前の駐車場から見た、牧場?風景です。雨はやみかけています。
ここから山を登っていくと、宿に到着です。この頃には雨はやんで晴れ間が広がり始めています。
網張温泉に着いたときは、晴れ間が広がり始めていたのですが、完全に晴れ上がるまでにはならなかったようです。宿の前は明るいので、星を見るのにはあまりいい条件とはいえません。宿では天気が良ければ星を見る会をやっているのですが、見る場所は建物の近くだそうです。ちょっとは離れたいところです。下にあるスキー関係の施設の裏側まで場所確認を兼ねて星を見に行ったのですが、適当に暗いものの、星は見えませんでした。今晩は星見はなしとします。
翌朝です。窓からは、青空が結構広がっているように見えます。南方向の景色です。三角形の尖った山は男助山で、その向こうが焼石岳があります。雲でよくわかりません。
外に出てみます。山側の景色です。ゲレンデには日が当たっていますが、厚い雲も見えています。
南東側になります。左側の尖った山が赤林山とか東根山で、右側のなだらかな山が須賀倉山です。
この付近には5つの温泉があって、網張五湯と呼んでいます。そのうちの2つは宿の中にあります。三つ目の足湯です。鹿追足湯です。
木道を歩いて行くと、吊り橋があります。
吊り橋から見た沢です。沢の水は硫黄分が多く強い酸性になっているそうです。
この付近で一番きれいに紅葉していた木です。
ずっと進んで行った奥に網張薬師社があります。明治期にここに作られた温泉の名残だそうです。
横にある薬師の泉です。飲用には適さないそうです。
網張薬師社から山側の地域は網張の森と呼ばれ、ぐるっと一周する散策ルートが作られています。起点は網張薬師社の前にあるビジターセンターです。所要時間は1時間ほどです。時間的にもちょうどいいくらいなので回ってみることにしました。設定に従って反時計回りにまわります
網張の森入り口の樹木です。この付近は、ミズナラが中心のようです。標高が低いためでしょうか、この場所ではブナは見当たりません。
森の中に入って坂を登り切った場所では、ぱらぱらとブナの木を見かけます。あまりたくさんははえていないようです。
山の斜面に沿って道は続きます。橋が見えてきました湯ノ沢橋と書かれています。下で吊り橋の架かっていた沢です。この形の橋も吊り橋といっていいのでしょうか。
沢に生えているトチノキに実がついていました。実が割れて種が見えています。
少し進むと、スキーのゲレンデに出ます。コースの縁に生えているのはシラカバです。植えられたものでしょうか。紅葉し始めている木はナナカマドです。
アジサイは枯れた花をつけているものがほとんどでした。これはまだ咲いている最中のもののようです。かなり季節遅れです。
ゲレンデからふもとの平野部、向こう側の山々(赤林山東根山)がよく見えています。下にある建物は、スキーセンターです。泊まっている宿は左端に見えています。
ここから、ゲレンデのリフトに沿って階段を下りていきます。リンドウの花が目立ちます。エゾオヤマリンドウでしょうか。
ちょっと小さめの花です。図鑑で比べるとセンブリに似ています。
階段を下りきったところからの岩手山です。だいぶ雲が少なくなってきましたが、山頂部だけは雲が流れています。
散策路は宿の前を通過します。ここで、朝の散歩を終わることにします。朝食開始ちょっと前の時間になっています。
宿に戻って朝食を済ませた後、今日の行動について検討します。昨晩宿に到着したときにここから山に登る展望リフトの割引券をもらっています。半額となるのはかなりお得です。3本のリフトを乗り継いで一番高いところまで40分で行けます。あまり時間は取れないので、10時にはそれより遠くには行かないことで行ってみることにします。ハイキング用の荷物を用意しておきます。
リフト乗り場の方に行って、リフト券を購入します。どこまで行くのか聞かれました。地理が全く頭の中に入っていません。結局向こうがいった山の名前をそれそれと答えていました。合っていたのでしょうか。
1本目のリフトを降りたところからの景色です。南方焼石岳方面になります。
2本目のリフトまではゲレンデを下りながら横切ります。スキーで滑っていく仕様になっているのでしょう。ゲレンデのススキの合間に見えた東根山です。
2本目のリフト乗り場からみた1本目リフトの降り場方向です。向こうに見える山は?です。
3本目のリフトです。リフトの支柱を見ると、リフトのロープは中段くらいの所にかかっています。上の方にもロープをかけるところがあります。雪が深くなってくると、ロープを上の段に付け替えるのでしょうか。
ロープに下側に見えた花です。ヤマハハコです。今頃が見頃の花です。
これくらいの高さになると、林の中にオオシラビソの木が混じってきています。
下に見えている、エゾオヤマリンドウです。下で見たものより色が鮮やかな感じがします。
最後のリフトを降りたところから見た秋田駒ヶ岳方面です。中央の尖った山が乳頭山(烏帽子岳)です。左端が筏森山でその先に秋田駒ヶ岳が見えるはずです。残念ながら、筏森山から先は雲の中です。
山道に沿って歩いて行くとすぐに展望台に到着します。すぐ足元は深い谷になっています。谷底からは盛んに蒸気が上がっているのが見えます。網張元湯といいます。宿のお湯はここから引いているのでしょうか。ここから流れ出した沢が湯ノ沢になります。
この付近の山のことについては詳しいことは何もわかっていません。このまま真っ直ぐ行けば岩手山に登れるということくらいです。時間的には行けるところまでいって引き返すことにしています。2つめの山(姥倉山)あたりまでいけば岩手山はすぐそこに見えるでしょう。いきたいのですが、時間的にはどうなのでしょうか。
展望台からは、一つ目の山(犬倉山)が見えています。山の斜面はだいぶ紅葉が進んでいます。
このまま山道を進んで行きます。途中で夫婦連れに追いつきました。そこで、足元にシラタマノキの実がなっていることを教えてもらいました。白い玉のような実がついています。
夫婦連れはこの先の分岐点から先は三石山の方に行くというので、そこでお別れになります。こちら側は、ちょっときついところがありましたが、程なく犬倉山に到着です。
展望所から見た、秋田駒ヶ岳方向です。手前の山の平らになっているところの左肩あたりが、先ほどこちら側を見ていた展望台の場所になります。
雫石盆地の方角です。上から見下ろすようになって、川の流れとかもはっきりわかるようになっています。
犬倉山は山頂に上がれるのではなく、山頂の周囲を周回する道があります。その道に沿って岩手山側に行くとちょうど雲の間から山頂が見え始めたところでした。
さらに進んで行くと、岩手山の斜面に大きな岩があるのが見えてきました。鬼ヶ城と思っていたのですが、岩手山北側の避難小屋付近の岩場のようです。鬼ヶ城は岩手山の右横にあるピークになります。そこから、岩場の左側に見えている黒倉山まで尾根が続いています。
黒倉山の先にあるピークが姥倉山です。こちらはなだらかな山です。
姥倉山の横、遠くに見えるのは八幡平山の方角になります。雲の中で、どれがどこなのかはっきりしません。
ワシのような鳥が飛んでいくのが見えました。すぐに遠ざかっていったので、撮るのはこれが限界でした。望遠レンズに交換している余裕などありませんでした。当然何だったのかは、全くわかっていません。
犬倉山から姥倉山へ向かって山を下っていきます。鞍部を越えてしばらくは、緩い登り坂です。登山道は雨でえぐれて溝のようになっています。ぬかるんでいて、滑りやすくなっています。転ばないように要注意です。
それよりも、溝の斜面の模様も気になります。火山灰層や軽石層が積み重なったローム層になっています。岩手山やその近辺の火山から飛ばされてきたものなのでしょう。
時計を見ると引き返す予定の10時になっています。予定通り引き返すことにします。これから姥倉山へのきつい登りが始まるところです。場所を確認しようとGPSロガーを見ると、記録残り容量が0になっています。メモリーを使い切ったようです。なくなるまで早すぎるような気がします。確認しようとボタンを押したら、バックライトが点灯したために、電圧が低下し電池切れとなって動かなくなりました。GPSロガーは以後使えないことになります。
岩手山に登るのは姥倉山の登りの所までで、そこから先は断念して引き返します。帰りは犬倉山山頂付近を通らず斜面を横切る道を通っていきます。登り坂がほとんどなくなり比較的楽な道でした。
三石山分岐近くまで来たときに、正面に三角形をした山が見えました。明らかに砕屑丘です。この山が秋田駒ヶ岳なのでしょう。帰ってから地図で確認したところ、秋田駒ヶ岳の最高峰男女岳とわかりました。横のなだらかに見えるところが、横岳・男岳になります。山は見ている内に雲におおわれてきました。
この後山を降りるまで雲がなくならないか見ていたのですが、ずっとかかったままでした。一番最後に山が見えていたときのものです。
真ん中のリフトから最後のリフトにいくには、斜面を登っていくことになります。同じだけ歩いたら、最後のリフトの真ん中くらいの所まで歩いて行けます。そこからは階段がついていますから、こちらの方が早く下りきることができるでしょう。リフト券を買うときにチェックしていたかも知れませんので、真ん中のリフトを降りたところで係員に歩いて下りると告げてから歩いていきました。
駐車場まで戻って、次に進むことにします。その前に、網張ビジターセンターに寄っていくことにします。網張付近の自然についての解説があります。駒ヶ岳や焼岳、動植物についてのパンフをいただいて帰りました。
ビジターセンターともう一つ気になっているところがありました。葛根田の大岩屋という場所です。玄武洞とも書かれています。ここも見ておきたいと思っています。岩手山系と秋田駒ヶ岳山系の間の谷にあります。ここからは山の斜面を下っていったところです。一度道を間違えましたが、何とかつくことができました。
大岩屋です。兵庫県の玄武洞と同じように、柱状節理がくりぬかれてできた洞窟です。
手前のネットと支柱が邪魔です。20年ほど前にこの崖が崩落したようです。飛び散った岩があたらないように作ったでしょうか。大げさなような気がします。
道路より高いところから見ていましたが、少しはよく見えるかと思い道路におりてみました。あまり状況は変わらないようです。こちらの方が編み目が強く写ります。
ネットのすき間から見た、洞窟部分です。道路まで下りた分、下草に隠されて見難くなっています。
上流側に行ってみました。ネットの切れたところには洞窟はなくなっています。柱状節理の部分が、川の流れに直接あたっています。
ここから、川に沿って下っていき、岩手山の東側を北上していくことにします。葛根田川は延々と南下していきます。そのまままっすぐ東に横切った方が近いような気がしてましたが、道がわかりません。あきらめてこのままいくことにします。南へ長距離下った分岩手山がはっきり見えてきました。
すぐに秋田街道に出ました。この道を西に走り、高速道路にあたる前に左折し北上します。このあたりから、前回の旅行で聞いた姫神山が気になります。それらしい山は見えるのですが。木とか家とかのすき間から一瞬です。前後に車がたくさんいるので、停めて見るわけにもいきません。信号待ちの間に見えた姫神山です。急いで写したので、カメラが傾いています。
岩手山の東の麓を北上しています。岩手山と対になっているという姫神山をゆっくり見たいのですが、道路は交通量が多く駐める余裕がありませんし、道路沿いに車を駐める施設もありません。どこか脇道でいいところがないか探していると、湯舟沢環状列石という標識がありました。そちらの方に行って見えないかを確認してみます。
環状列石までは、住宅地の中などで山は見えませんでした。列石のある場所も車を駐められる場所がありません。手前にある施設に駐車場があり、何となく駐めて良さそうな感じがします。ここに駐めることにしました。
駐車場から見た岩手山です。だいぶ青空が広がって、山容がよく見えるようになってきています。反対側は林があって山が見えていません。
ここから環状列石の場所へは、施設のすき間の路地のような所を通っていくようです。通りぬけて見えてきた環状列石です。
ここのものは、環状列石といっても丸く並んではいません。向こう側から3本に分かれた曲線上に石が並べられています。石の配列は「の」の字型にも見えます。
見に行こうとしたのですが、ここへスリッパできてしまっています。昨日の雨で、草はまだ濡れています。車まで戻るのも面倒なので、このまま足元に注意しながらいくことにします。
左側(西側)の2列です。所々に石の密集しているところがあって、それをつなぐように石の列が見られます。遠方の山は岩手山です。
石の密集しているところです。直径は1mくらいです。ここの土壌を分析したところ、含まれる成分から人が埋葬されていたことがわかったそうです。
列石の頂点部分です。ここには立てて置かれた石が密集しています。
東側の1列です。まっすぐ並んでいるというより。半円形に石が敷き詰められているという感じです。
この列の向こう側ちょっと離れたところに、石が丸く敷き詰められた所があります。他のお墓のような石組みに比べて大きめです。これも墓穴だったのでしょうか。
スリッパできたため、あまり歩き回ることはできません。車の方に引き返します。車に戻ったところでトイレに行きたくなりました。どこかにないか探してみました。前の建物は「縄文ふれあい館」といって展示施設のようです。埋蔵文化財センターも兼ねています。見学がてら、トイレも借りることにします。
展示内容は、環状列石についてだけではなく、滝沢市内の縄文・弥生時代の出土品などがたくさん展示されていました。忘れていた、縄文式土器と弥生式土器の違いについて思い出すことができました。
元の道路に戻り北上していきます。しばらく走ると国道に合流します。ここに来るまでの間に「滝沢分れ」という標識をいっぱい見ました。国道との交差点が「分れ南」になっています。その後「分れ」と書かれた標識を見なくなりました。一体何だったんでしょうか。気になります。(後で調べたところ分岐点という意味の「分れ」だったようです。島本町の「桜井の別れ」とは全くいわれが違っています。)
このまま、岩手山に近い方の国道を北上していきます。この間も姫神山はゆっくり見ることができませんでした。岩手山もだいぶ通り過ぎてきたようです。このあたりで見たいと思っているのが焼走り溶岩流です。もう時間的には遅いので、十和田湖までは無理でしょう。次回に回すことにして、こちらに寄っていくことにします。持っている地図では、分岐点がよくわかりません。手前に道の駅があります。そこで情報を入手する事にします。
道の駅の駐車場からは岩手山がよく見えます。おしいことに。手前に電線がかかってきます。反対側の姫神山はよく見えません。
道の駅で得た情報では、次の信号交差点を左折するといいみたいです。曲がって高速道路をくぐると、前方に岩手山が見えてきます。後方にも姫神山が見えます。交通量が少なくなったことを幸いに車を止めて写真を撮ることにしました。
前回の旅行でバスガイドさんが言っていたのは、姫神山と岩手山とはどちらかに雲がかかっていて同時に見られることがないと言う伝説です。伝説に反していますが、たまにはあるのでしょう。ここまではどちらか片一方しか見えていませんでした。
坂を登り切ってしばらく走っていくと駐車場が見えてきました。広い方の駐車場に車を入れます。管理員詰め所のような小屋がありますので、そこに行ってパンフレットをもらいました。溶岩流へは、ここから道路を渡った所からあがっていくようです。溶岩流への最初の階段です。溶岩流の末端部の段を上らないと上にあがることはできません。
小動物もいるということです。望遠レンズを持ってこなかったのでいったん取りに戻ります。
階段を上がったところです。上は平らです。角張った溶岩がごろごろしています。アア溶岩という種類になります。
岩手山です。ちょうど太陽がこの方向にあり、レンズに光が入りこんできます。
溶岩の表面です。白い糸状のものがいっぱいついているところが各所にあります。上についているのは地衣類です。
溶岩と岩手山をいっしょに撮ろうとしたのですが、逆光でうまく写せません。
岩手山の斜面には所々木が生えていなくて黒い岩がむき出しになっているところがあります。このあたりから、溶岩が流れ出してきているようです。
溶岩の表面です。噴火から300年近くたつわりには、草木が少ないように感じます。
大きく育っていた樹木です。カラマツとアカマツです。溶岩の窪地のような所に生えていました。
北西側に見える山です。八幡平になります。一番高いところは左端の方になります。
案内板には正面に姫神山が見えると書かれているのですが、正面の山の形はそれらしくありません。早池峰山のようです。
現地では見つけられなかったのですが、姫神山の写っている写真がありました。左端に見えている山になります。
溶岩流の上は草木が生えていないので、見通しがよく、遠くの山などがはっきりと見えます。天気もかなりよくなってきています。
溶岩流の散策路は半ばを過ぎたようです。岩手山から離れる向きになってきました。岩手山は、相変わらず逆光で太陽がまぶしく見づらい状態が続いています。溶岩流の吹き出し口からの流れは正面から見えるようになったせいか、入り口付近から見たときよりははっきりしてきています。こちらに向かういくつがの筋状の流れがあります。
一部分の拡大です。このあたりに草木が多いのは、山の方から種が運ばれてきやすかったためでしょうか。表面にでこぼこもかなりあるようです。その影響があるのかも知れません。
途中で女子大のゼミのようなグループに追いつきました。その場所に置かれていた案内板に、「空を見てみよう。飛んでいる鳥が見えるかも」と書かれていたので、見上げたら笑われてしまいました。
このあたりから北東方向に違った形の山が見えます。北上山地かなと思っていたのですが、帰ってからわかったのは七時雨山と西岳です。当然、今日の宿が右側の山の中腹にあることなど気がついていません。
ここでは、溶岩が柱のように高く盛り上がっています。ここまで極端に高くなっているのは、見なかったような気がします。
パンフには、このあたりでは溶岩球というものがたくさんあると書かれています。それらしいものを探して歩いたのですが見つけられませんでした。パンフに載せられている写真に一番近いと思われるものです。普通の小石のようにも見えます。
溶岩流の端に近づいてきたようです。表面がかなり波うってきました。最後に、歩いてきたところを振り返って見た写真です。
溶岩流末端部です。右側が溶岩が来なかった分だけ低くなっています。木が流れを食い止めたのではなく、後から生えてきたものでしょう。
最後に展望台がありました。そこからの景色です。
ここからは道路に下りて、溶岩流の末端に沿って駐車場に帰っていくことになります。途中で生えていたヤマボウシです。実がついていました。
道路のすぐ横には溶岩の先端部の作る崖が続いています。ここは、草木がよく茂っているので、状態がわかるところを見つけるのは大変でした。
十和田まで足を伸ばすことは無理な時間になっています。それでも行けるところまでは行って見ようと思います。次の目的地は八幡平山になります。山にあがる前にふもとにいくつか施設が等があります。松尾鉱山資料館、八幡平ビジターセンター、釜石環状列石です。前の2つは頭に入りきらないと思うので釜石環状列石は見ていくことにします。
このまま道をまっすぐ進むと、また国道の方に戻ってしまいます。パノラマラインというのを通れば、八幡平アスピーテラインの入り口に行けそうです。この道を探します。道はわかりやすかったのですが、終点からの道が少し複雑でした。
釜石環状列石も、場所の記憶が間違っていたため道を行ったり来たりしましたが、何とかつくことができました。さくら公園の中にあります。駐車場から歩いて行って見え始めてきた環状列石です。ここのものは石がきれいな円形に並んでいます。
近くで見たものです。直径が10mちょっとあります。石は一列に並んでいます。内側にも円形に並んでいるところがあります。ここの直径は1.5mほどです。中で火をたいたような跡が残っていたそうです。
北側にある二つの配石です。円形に石を立てて並べていて、その中を石が敷いてあります。こちらを小環状列石、大きなものを大環状列石と呼んでいるようです。
他にも、大環状列石には正方形に石を敷き詰めた張り出しのようなものが北側にあります。日本庭園風に並べた石も近くにあって、遺跡の石なのかどうか非常に紛らわしたようです。
駐車場に戻って見えた岩手山です。雲はわずかに残るくらい晴れ渡っています。犬倉山から見えていた大きな岩も写っています。
八幡平の方に向けてアスピーテラインを上っていきます。前回は霧がかかっていたのと素通りしたためよく見えなかった源太岩です。向こうに岩手山も見えています。
峠が近くになるにつれて、紅葉が始まってきました。まだこのあたりではきれいに色づいているものもありますが、まばらです。
正面には奇妙な形の山が見えてきました。畚(もっこ)岳です。溶岩ドームでしょうか。
岩手山です。山頂の横にカルデラのような地形が見えます。右端のピークが黒倉岳です。朝はもう一つ向こうの山の近くまで来ていました。
まもなく見返り峠に到着です。正面に見えてきました。ここでも紅葉はまばらなようです。
駐車場についたのですが、前回と駐車場の様子が違います。ここであっているのか不安になってきます。集金所で確認したら、ここだといいます。いろいろ話をしていると、バスの駐車場は、峠を越えたところにありました。駐車場から見た八幡平山方面です。
気がついていなかったのですが、ここから何気なく写した山の写真に、焼山が写っていました。遠くの平らな三角形の山が森吉山で、その手前の山の一番高くなっているところが焼山です。新玉川温泉から見えていた岩も写っていますが、このサイズでは小さくなりすぎています。
前回八幡平に来たときは、霧で何も見えませんでした。今日は天気がいいので、前回見損ねたところを見直していくことにします。といってもだいぶ遅くなっているので時間が余り取れません。ガマ沼までは行けそうですが、そこから先山頂まではかなり厳しいようです。とにかく行けるところまでいくことにします。
ガマ沼の近くまで来ました。ここから見える山が書かれています。畚岳の横に秋田駒ヶ岳があります。砕屑丘のような男女岳がはっきりわかります。朝に比べて雲がなくなっています。
月山とか鳥海山とかが見えると書かれているのですが、確認できませんでした。霞んで見えなかっただけでしょうか。山の間からなので、見る位置が変わると見える山が違ってきます。
八幡沼分岐からの八幡沼です。この感じだと前回は八幡沼は見ていなかったことになります。
ガマ沼です。岸の紅葉が沼に写っているようすを写してみました。ここにカメラは2台とも持ってきたのですが、付属品を持ってくるのを忘れています。ちょっとした効果をつけることができませんでした。
この時点で時間は微妙に残っています。山頂展望台までいくことにしました。展望台には、ツアーグループが先着していました。人の間をかいくぐって、まずは八甲田山方面です。十和田とも山容ははっきりしません。
岩手山も見えています。ツアーのガイドさんがその横に早池峰山が見えるといっていました。かすかに写っています。
北西方向には、三角形の山も見えています。岩木山です。ここから見えるとは思っていませんでした。
いそいで戻らないといけないのですが、カメラに前回写したドラゴンアイが残っていることを思い出しました。ツアーグループに見せてからここを引き上げました。
駐車場に戻ってアスピーテラインを引き返します。山を降りきる前に、日がだいぶ傾いて、影が長くなってきています。日が沈むのはもうすぐでしょう。
アスピーテラインを下りてから宿までのルートが、よくわかっていません。事前に調べたのは、鹿角からのルートだけです。安代ICから峠越え道があります。カーナビで確認したところそのルートを示しているようです。カーナビの指示に従って松尾八幡平ICに向かいます。IC到着後、高速道路に入り北上しようとしたのですが、カーナビはまたもや盛岡の方に行けと指示を出してきます。地図を確認して、青森側に車を進めました。
安代ICからは再びカーナビの指示に従います。その前にいったん宿に到着時間の連絡を入れることにします。話がうまく通じませんでした。
最初の峠を越えたところで、北上川最北の涌水地と書かれた標識に出合いました。その場所の沢です。これが北上川の源流になるのでしょうか。それならそういうふうに書いてあるはずです。現流はどこなのか不思議です。
もう一つ、七時雨山登山口と書かれた標識もありました。その方向に見えた山です。この山がそれなのでしょうか。
ここを過ぎると、道は狭くなってゆっくりとしか走れなくなってきました。辺りも暗くなってきて、どこをどう走っているのか全くわからなくなってきました。こうなるとカーナビ様々です。
カーナビに設定した宿の場所が正しいのかどうかわからないままに走っています。時々建物が見えるのですが、目的のものではないようです。カーナビの設定した場所に到着します。スキー場の建物が見えるのですが、管理施設のようにも見えます。入り口の所に温泉施設があったので聞いてみることにしました。確認できたのは間違いなくその建物だということです。
食事の準備ができるまでしばらくかかります。その間に見えそうな場所を探すことにしました。宿の前はちょっと明るいです。道路に出てもあまり変わりはありません。先ほどの温泉施設から下に降りていく道があってそれ沿いに草地があります。上の方を光が通りぬけていますが、何とか見られそうです。場所はここに決定します。
食事をすませて星を見に行きます。フロントで、門限を確認したところ10時だそうです。いつもと比べてちょっと早めに戻らないといけません。
予定の場所に着いたら、星野用のカメラからセットします。まずはよく見えている天の川をねらってみました。たて座からわし座の一画になります。電線があるのには気がつきませんでした。ピントはちょっと甘めです。星が大きく写っています。18秒露出
星野写真を撮りながら望遠鏡をセットします。すぐに露出終了時間になるので、落ち着いて組み立てられません。
その間にも天の川の写真を撮り続けています。地面近くの天の川です。建物は浄水施設です。そこに被さるように南斗六星が写っています。40秒露出
向きを横に振ってやぎ座です。130秒露出
天の川に戻ります。上の方斜めに3つ並んだ星の真ん中にあるのがアルタイルです。90秒露出
さらに上方です。左側に星が平行に並んでいるところがいるか座です。150秒露出
右側の明るい星がベガです。こと座の星の並びもわかります。200秒露出
天の川から離れます。アンドロメダ座です。真ん中右寄りの明るい星がメラクです。その左側ぼんやりと写っているのがアンドロメダ銀河(M31)、そのメラクと反対側のものがM33です。
その下側うお座のあたりです。
望遠鏡の方です。まずは二重星団をねらってみました。思ったよりピントが甘いです。それよりもすぐに星が流れていきます。これ以上の露出がかけられません。30秒露出
極軸を合わせ直したりとかいろいろしていると、時間がかかってしまいあまり写せていません。他の場所も写そうとしたのですが、星が多く狙いをつけるのが大変です。再び二重星団をねらったときには、ピントのずれも大きくなっています。60秒露出
門限も近づいてきました。片付けて引きあげないといけない時間になっています。望遠鏡は今回もうまく使えませんでした。
この旅行4回目の朝です。今朝はいつもと違って空が明るいです。朝になったことがわかるように、窓のカーテンは開けて寝ます。いつもと違うのはよく晴れているからです。窓の外を見てみます。ゲレンデに朝の光がまぶしいくらいに当たっています。
宿の前から見た東側です。地形的に低くなっているところに雲が集まっています。雲海とまではいかないようですが、所々に濃く密集しているところがあります。
車で走ってきた方向を振り返って見ました。きれいな山が見えています。この時は山の名前はわからなかったのですが、よく見ると岩手山だとわかります。犬倉山から見えていた岩場が山頂から右側に伸びる尾根の上に見ています。
まだ朝は早いので、このあたりを散策することにします。山を降りる方向にいろいろな施設があるようです。そちらに向かいます。その前に昨晩星を見ていた所に行って行ってみます。忘れ物をしていないか確認するのもその理由にあります。暗くて見落としているかも知れません。
観測場所から見えていた丸い建物は配水施設で上は展望台になっていて上がることができます。そこからの西岳です。山頂からここまでゲレンデが続いています。手前の建物は温泉施設です。
少し下ったところに、遊具ひろばがあります。やりかけたのですがこども向けなので頭などをすぐぶつけてしまいます。すぐにやめました。
そこからさらに下ったところです。畑やひろばの中、所々に木が生えています。青空とのコントラストがきれいです。
この木も絵になっている感じです。山椒の木です。ここに一本だけぽつんとあるのも不思議です。
下にコスモス園があるみたいですが、なかなか見えてきません。遠そうです。引き返します。そこまで行かなくても途中の広場で咲いているところがありました。
1ヵ所機械の入った畑がありました。ここの幾何学的模様も気に入っています。
紅葉の始まったカエデの木です。横のサクラも色づき始めています。
朝食を済ませ、一休みしてから出発します。今晩の宿は宮古市にとってあります。途中で見ておきたい場所です。奥中山高原の近くに根反の大珪化木というのがあります。二戸市の馬仙峡というのも興味があります。八戸市にある根城、久慈の琥珀博物館と後は三陸海岸でしょうか。三陸海岸にはジオパークが設定されていますが、しっかりと確認できていません。
まずは根反の大珪化木です。標識に注意しながら車を走らせていると無事到着できました。一部狭い道があったので少し不安になりました。
駐車場から東屋の方にむかってあるいていくと見えてきました。珪化木というより、大きな木の切り株のように見えます。高さは6mを越えているそうです。地層に直立したまま埋まって、その後まわりの石が流されたようです。
東屋から沢向かいにあります。根元が洗われないよう保護されています。こちら側の川岸から観察します。
足元の、河原の石に珪化木がないか探してみました。見つけたのですが、東屋の所を見ると、いくつか置いてありました。一緒に置いて帰ります。
どんな地層に入っているのか興味があります。ちょっと離れたところの川岸の崖です。ほとんど水平の、泥岩層と礫岩層からなっています。ここには珪化木は含まれていないようです。
大珪化木のあるところから、引き返す途中、カーナビには珪化木地帯と表示される場所を通過します。道幅が広くなっているところがあるので、そこに車を駐めて見にいくことにしました。
すぐ近くの河原です。ざっと見た感じではそれらしいものがありそうもありません。河原の石に珪化木が混じっているかも知れませんがそこまではしていません。この付近を歩いてまわったのですが、見つけることはできませんでした。
近くに小さな神社がありました。そこの狛犬です。吽形の方はこどもを連れています。
ここから国道に戻る手前で、御所野縄文公園と書かれた標識がありました。行きかけたのですが、途中でどちらに進んでいいのかわからなくなりました。引き返して国道に戻り再び標識が出てきます。こちらの標識からは案内が続いて目的地に到着することができました。
駐車場からは、トンネルのような建物を通っていきます。きききのつり橋といいます。これだけだと橋には見えません。
橋をぬけたあと、博物館の横を通りぬけると、縄文公園が見えてきます。
元々この地に遺跡があるのが知られていましたが、農工団地を作る計画にともなって遺跡調査をしたところ、大規模な住居跡が見つかりました。その結果、急遽復元保存することになり作られたのが御所野縄文公園です。
ここで見つかっている主なもののは、竪穴式住居と堀立柱建物、配石遺構です。ここの配石遺構は、石がまとめて置いてあるのが特徴です。湯舟沢環状列石の墓地部分だけを取り出したような感じにも見えます。
すぐ近くにあるのが、堀立柱建物です。柱列のようなものもあります。
竪穴住居は、3ヵ所にかたまってあるみたいです。これは一番奥(西ムラ)のものです。
復元した建物の一つです。ここのものは屋根はむき出しではなく、土で覆っているのが特徴です。建物の中から煙が上がっています。火をくべにまわっているようです。普通なら火災が心配なので、火気厳禁にするところです。虫をいぶし出しているのでしょうか。
建物の中です。煙でよく見えません。
近くに竪穴住居を燃やすという実験をした後がそのまま残されています。そういう形のものが実際に発掘されたからです。燃やしてみて、思ったより簡単にはいかなかったそうです。
公園入り口近くの住居群です。小さいものから大きなものまでいろいろな大きさのもがあります。ここのものも煙が上がっています。
標準的な大きさの竪穴住居です。入り口が張り出した玄関のようになっています。
一番簡単な作りの竪穴住居です。
近くで見た堀立柱建物です。アイヌの標準的な建築様式を参考にして作られているそうです。
博物館です。目立たないように作られています。こちらはパスさせてもらいました。
一戸町から八戸市に向かいます。二戸市に入ったところにある馬仙峡に行きたいのですが、行き方がわかりません。車を走らせているとだんだんそれらしいところに近づいてきます。正面に大きな岩が二つ見えてきました。ちょうどいい具合に、工事用信号で止められました。その間に、よく見ておきます。左側の岩です。
こちらが右側の岩になります。
このまま国道を走っていくと、川から離れていきます。川沿いに走る道に入って進んで行きます。こんどは右側に大きな崖が見えてきました。後続車がいないので、道路脇に車を寄せてから写真を撮りました。
このまま進んで行くと二戸駅の前に出ます。駅に寄って、観光案内所を探して、行き方を確認します。馬仙峡は特に遊歩道とかが整備されているのではないようです。いくつかの場所から、二つの岩を見るだけだそうです。それならも一度戻る必要もないでしょう。ちなみに、その二つの岩とは、工事用信号で止められていたところで見えていた岩です。左側が男神岩、右側が女神岩といいます。駅に来る途中の道沿いから見えていたのがその名もずばり大崩崖です。10年ほど前に大崩れを起こしたそうです。
観光案内所以外にも駅には立派なパンフレットがありましたので、いただきました。
先を急ぐことにします。八戸市に向かいます。根城は、青森市に向かう国道から分岐した、八戸市に向かう国道が八戸市市街に入ったところにあります。今回も早く曲がりすぎて、関係者駐車場に入れたりしましたが、なんとか駐車場に到着することができました。
根城のあった場所は公園になっています。東の端には八戸市博物館があり、西端が本丸があったところになります。駐車場は博物館前にあります。まずは、本丸に向かいます。公園の入り口です。八戸城東門が移設されていますが、もともとは根城にあったものとされています。
門をくぐった先、道を横切るように掘が作られています。
掘の内側です。籠城に備えていろいろな実のなる木や観賞用の木が植わっていたと書かれています。これは観賞用の木でしだれ桜です。
道路跡です。説明では堀を埋め立てて作られた後、使われなくなって建物が建てられたりしていると書かれています。
再び掘を横切ります。ここからは別の守備隊の防御区域ということでしょうか。
掘を超えた先が、中館跡です。家来の屋敷があったところだそうです。
ここを過ぎると最後の堀が見えてきます。
掘の向こうが本丸になります。この中では、いくつかの建物が復元されています。根城が、他の城と違うのは中世に作られた城である点です。城の原型となるようなものはいくつか見られるのですが、外から見る限りは、あまり城らしくはありません。あとから気づいたことですが、今まで通ってきた場所は、八戸市の高台にあります。低い所からみたらようすは違っていたかも知れません。
堀にかかる橋を渡ったところからは有料になります。博物館とのセット券がありましたので、そちらを購入しました。
本丸への本来の入り口である東門です。内側から見ています。
東門を入って正面に見える納屋です。竪穴住居を立派にしたような作りです。
納屋の内部です。樽のようなものが置かれています。
主殿です。当主来客と接見したり儀式をおこなった場所とされています。
主殿に入るには馬屋の間を通っていきます。馬屋はいくつかあります。これは上馬屋と呼ばれる物です。主殿に近いので、殿様の馬がつながれれていたのでしょう。
主殿の内部はぐるっと見て回ることができます。中では、屋敷復元のようすや各部屋の使われ方などがわかりやすく展示されています。これは正月の儀式ようすを復元しているそうです。
主殿の南側には奥御殿などの建物があったようです。こちらは柱跡のみが示されています。
さらに奥に板倉と鍛冶工房が見えています。こちらは近くで見た鍛冶工房です。
鍛冶工房の内部です。鎧の部品や刀などを作っていたところを再現しています。
本丸に入ってから順路が示されているのですが、主殿から出た後どちらに進んでいいのかわからなくなり適当にまわっていました。そのままだと入り口に戻ってしまいます。どうも進む方向を間違えたようです。全体を大きく反時計回りにまわるようになっていました。正規の順路に戻ります。
主殿の北側にまわります。中馬屋が見えてきます。来客用の馬屋だそうです。主殿のまわりには柵のようなものがめぐらされています。
中馬屋から西側です。番所が見えます。西門からの出入りを監視するための建物です。
これが西門になります。
西門から外側です。意外と高い崖に囲まれています。中にいると気がつかないのですが、建物は高台の上にあります。
工房です。細長い建物です。武器や鎧その他の道具を作ったり修理していたりしたそうです。
野鍛冶場です。鉄鍋などの修理や銅銭などを作り直していたそうです。
ここからさきは、鍛冶工房・板倉になります。これで、本丸内は一周完了です。本丸入り口から外に出ます。橋の上から見た北側です。深い堀があります。向こうに見える木橋が正規の入城ルートになります。
外に出たところに置かれていた根城の復元模型です。向こう側にパイプいすが並べられています。何か大きな催しがあるみたいでさかんに並べていました。
博物館まで戻ります。入り口にある南部師行の像です。根城を作った人です。
博物館をのぞいて見ました。縄文時代からのいろいろな展示がありましたが、やっぱり消化不良を起こしています。
八戸市博物館を出るまでいろいろなところで時間を取っています。宮古市はまだまだ先です。急がないといけません。それでもこの先1ヵ所くらいはどこかによっていけそうです。久慈市の琥珀博物館の場所がわかればいくことにします。カーナビでは場所を見つけていません。
国道を走っていると、案内標識が出てきます。指示に従って進んで行きます。どこをどう走っているかわからないまま琥珀博物館の駐車場に到着しました。駐車場から見た博物館です。
中に入って入館券を買うと、博物館の説明があります。今はいってきたのは新館で、本館は奥の橋を渡ったところにあるそうです。他にもいろいろな施設があるようです。
新館の中は、太古(白亜紀)の久慈のジオラマや出土した琥珀などが展示されています。
新館を出て本館に向かいます。橋の向こうに見えてきました。
展示されているのは、学術的に貴重なコハクや、琥珀の工芸品等です。工芸品よりも学術的価値のあるものの方が興味があります。これは久慈で発見されたモササウルスの歯の化石です。
他にも虫や葉っぱの入った琥珀などが展示されていました。
展示スペースをぬけると販売エリアになります。琥珀の缶詰というのに興味があったので買って帰りました。缶詰内の石を割って琥珀を見つけてみるというものです。全部集めると親指くらいの大きさになる量の琥珀が入っているということです。ゆっくり見ていると急がなくていいのかと聞かれました。ここに入ったときにいた集団の一員だと思われたようです。集団の出発時間が迫っていたようです。
本館から出て、橋に戻ります。そこから見えた崖です。泥岩層のようです。
この沢沿いに、昔の坑道跡が残されています。中に入ってみることができます。
坑道のようすや、琥珀の埋まっている状態などがわかります。
坑道入り口横にある琥珀神社です。山の安全と集落の繁栄を願って作られたものだそうです。
久慈琥珀博物館はここまでにして先を急ぐことにします。久慈の町までの復帰方法がわかりません。カーナビに適当な場所を入力し教えてもらうことにします。
久慈市街に戻って宮古市の方に向かいます。このまま最短コースで行けば、ちょっと早めにつくでしょう。三陸海岸の方を迂回していけば、走っていくだけで時間がいっぱいかも知れません。ようすを見るために海岸沿いのルートをとることにします。
北山崎への標識があったので行ってみました。ちょっと見るだけというつもりで車を降ります。正面に見える太平洋です。
ビジターセンターがまだ見学可能だったのでのぞいて見ました。この付近の自然などの解説があります。変わったところで採集された化石も展示されています。イノセラムスです。
園地を進んで行って見えてきた海岸です。岩場とそこにできた海食洞門が見えます。
先端近くまで進んで行きます。海岸の崖を上からのぞき込むようになってきています。
直下にみえる岩と海食洞門です。洞門はたくさんあるようです。
さらに進んで行きます。崖にへばりつくように遊歩道が作られています。
遊歩道から見えた海食崖です。切り立った大きな垂直の崖になっています。
もう少しで先端の展望台というところで、カメラのメモリーがなくなってしまいました。すぐに戻るつもりだったので、予備の用品を入れている小物入れを持ってきていません。古い不要な写真を消去して、しばらくの間の分だけの容量を確保します。
先端の展望台からの海岸線です。
ここから引き返し、宿に向かうことにします。まだ1時間はかかりそうです。到着時間の予想を宿に連絡しておきます。ここからの走行はカーナビの指示に従います。
宿に向かう途中に見えた林です。木の枯れている高さがそろっています。あのあたりまで、津波がやってきたのでしょう。いまだに残っているというのも津波の威力を物語っているようです。
昨晩は到着が遅かったので、夕食が終わるのも遅くなりました。終わってから星が出ていないか、星を見るのに適当な場所がないか探しに出てみました。最初に見たときには星はなさそうでした。30分ほどして見直してみると、何となく星が出ているように見えます。はっきりとはわかりとはません。建物や駐車場の明かりせいです。
暗いところがないか探してみました。周辺は林の中で空が開けているところはありません。いろいろ探した結果、道路を少し下ったところの運動施設の駐車場のような所まで来ると星がクリアに見えることがわかりました。天の川もしっかり見えています。
車を移動させてきて、望遠鏡を出して見る事もできます。ここを見つけるのにも時間がかかったこともあり、組み立てたり解体をしたりしている時間も含めるとほとんど見る時間が残らないようです。しばらくここで星を見るだけにします。30分ほど見ていましたが、その間に流れ星が3つながれました。
朝になって、日の出前に目が覚めます。雲は多いのですが、展望台のほうにいけば日の出が見られるかも知れません。散歩がてらいってみることにしました。
林をぬけて見えてきた海です。
足元の海岸です。崖の下に礫浜ができています。
展望台から見る海です。えりがあります。水平線の上には雲があります。太陽の出てくる方向はもっと右側になりそうです。
ここにいるとと林の中にから昇ってくることになりそうなので、移動することにしました。何人かの人が見に来ていたようです。ほとんどの人がそこで待っていたようです。
移動の途中、林の間から見えた東の海です。だいぶ明るくなっているので、日は登ってしまったかも知れません。
そのまま、遊歩道に沿って南側に移動していきます。南の方に岬が見えてきます。閉伊崎です。左側の山は月山でしょう。
月山のふもとに見える岬が浄土ヶ浜の方角になります。白い岩で有名な場所です。
これから進もうとする方向には大きな崖が見えます。海岸沿いは歩けないので、この上を迂回することになるのでしょう。
展望台のあった方向です。こちらも切り立ったところにあります。
展望所からの遊歩道はこの先二手に分かれます。右は宿の方に戻る道で、もう一つは、潮吹き穴から浄土ヶ浜の通じる道です。時間はあるので潮吹き穴まで行ってみることにします。といってもコースタイムからすると朝食開始時間に戻るにはぎりぎりです。ちょっと急ぎ足で行くことにします。
道を歩いていると、所々で、白い花を見かけます。ハマギクです。断崖にへばりつくように咲いているところもあります。
正面海岸沿いの崖です。ここでは、地層がほとんど垂直に立っています。
海の中の消波ブロックに上にいた鳥です。左端のブロックにいるのがウミネコ、その手前と一番前に出ているブロックにいるのがウミウです。
道は、2回沢を横切ります。山の尾根上に道がありますから、そのたびに大きく下って再び登っていくのを繰り返すことになります。二つ目の沢です。
沢を下りるといっても海岸近くまでというわけではありません。沢は海に向かって滝のように落ちていきます。海側に回れないので滝口しか写すことができません。
潮吹き穴が近づいてきました。ここから海岸の地層を見ると、だいぶ緩くなってきているのがわかります。
潮吹き穴の展望所に到着します。肝心の穴がどこなのかわかりません。探していると、何となく湯気のようなものがあがっているところが見えます。
そこを見ていると、時々海水が噴き上げられるのが見えます。向こう側の波の白い色と混ざって、どこまであがっているのかよくわかりません。
別の展望所からのものです。こちらもあまり状況に変わりはありません。
きれいなものを見たいのなら海の方から舟か何かを使って見るしかないでしょう。海岸に寄りすぎると、打ち寄せる波が強く危険です。
宿にはちょうどいい時間に戻ることができました。いつも通り朝食を済ませ、しばらく休憩してから出発します。今日の宿は、一関ですからどこかから北上山地を越えないといけません。釜石の橋野鉱山から峠を越えて遠野にぬけられないかと考えています。道がしっかりしているか不安です。
釜石までは海岸に沿って南下することになります。最初は浄土ヶ浜に寄っていきます。姉ヶ崎の宿からはすぐに到着します。駐車場からビジターセンターによってガイドマップなどをもらってから付近を一周します。
ビジタセンターをぬけたところから見えた海です。浄土ヶ浜は左の岬の裏側にあります。ここから下に下りて、見えている遊歩道を通っていきます。
下まで降りた所です。このあたりは小石浜というようです。湾の南側の岬の方角を見ています。
浄土ヶ浜は流紋岩でできていて、白い浜はこの岩石の影響でできたといわれています。小石が浜に下りた所でもうすでに流紋岩が露出しています。
このあたりの浜でも、ハマギクが密集して咲いているのが見られます。この付近には多いようです。
小石が浜のある湾は遊覧船の発着場があります。そこの堤防まで行ってみました。流紋岩の崖になっています。この裏側あたりに青の洞門というのがあるみたいですが、ここからは見えません。この崖を登れば見えるかも知れませんが無理はしないでおきます。
小石が浜からトンネルをぬけると、浄土ヶ浜のある入り江になります。向こう側に写真でよく見る白い大きな岩の並んだ半島が見えます。半島の先端側です。大きな島のような岩に続いて、尖った岩が並んでいます。
半島の付け根側です。島のような大きな白い岩がたくさんあります。
半島の付け根近くまで来ると、白い石でできた浜があります。付け根の所まで波打ち際近くを歩いて行くことにします。
この付近にたくさんいるウミネコは、近づいてもあまり逃げません、だいぶ人慣れしているようです。
浄土ヶ浜というのは、今いる足元の浜のことだそうです。周囲の景観とかとあわさって浄土のように見えたのでしょう。浄土ヶ浜として写真などに取り上げられている白い岩が並んだ半島は「田代崎半島」というそうです。ちなみにここからみて田代崎半島の向こう側は地獄だそうです。
浄土ヶ浜からの田代崎半島です。この方向から見ると、岩が密に並んでいるように見えます。
岩の一つです。近くで見ると大きいので圧倒されます。
浜からあがって、浄土ヶ浜と田代崎半島とを一緒に入れてみました。このようすが極楽浄土のように見えたのでしょうか。
ここからは来た道を引き返すのではなく、山の中の道を通っていくことにします。バス道を登っていると後からバスがやってきました。先に行ってもらうために、脇に寄っていたら停まろうとします。乗ろうとしている思われたようです。乗らないの合図をして先にいってもらいました。
道脇の斜面で草を刈っていました。かられた地面を見ると、にゅるにゅるとしたキノコが大量に発生していました。
峠になっているところから、北側に行くとハマユリ展望台があります。そこから見た北側の海岸、姉ヶ崎方面です。手前側の港は日出島漁港です。その向こう側、岩の斜面のあるところに潮吹き穴があります。
ここにきたのはろうそく岩が見えないかと思ったからです。漁港の北に隣接していますが日出島漁港ではないようです。ここから写した写真を見ていると、ローソク岩の写っているものがありました。手前の三角形の島と松の葉っぱとの間、葉っぱの近く海岸から白い線のように見えるところです。
ハマユリ展望所からの日出島です。
ここから山の中の遊歩道を通って駐車場に戻ってきました。ここを出発する前に、南側の景色も見るために舘ヶ崎展望所に行ってみました。塔のようなものの上から見るようになっています。
宮古湾と対岸の重茂半島です。
北側の日出島漁港も見えます。足元の浄土ヶ浜は木に隠されて見えていません。
浄土ヶ浜の次の目的地は、釜石市の橋野鉱山にします。世界遺産に登録されています。宮古から釜石まで南下します。釜石に近づいたところで、ガソリンが残り少なくなってきていることに気がつきました。まだしばらくは走れますが、峠を越えて北上にぬけるまで持つかどうかぎりぎりの量になっています。釜石市街は通りません。途中でガソリンスタンドがなかった場合のことを考え、このあたりで少しだけ補充しておくことにします。見つけたガソリンスタンドでは単価は高めでした。
橋野鉱山へは標識もしっかりしていて無事に到着です。インフォメーションセンターの前に車を止め情報を入手することにします。足元の沢の写真です。この付近の石の中には鉄鉱石のかたまりも混じっているそうです。
インフォメーションセンターではガイドラジオのようなものも貸し出してくれるようですが、使わないでいくことにしました。コースはここに戻ってくるようになっているのですが、大半が安全のために立ち入り禁止となっています。もう少し先の駐車場に車を駐めるようにいわれましたのでその通りにします。
駐車場から橋を渡って、山の方に歩いて行くと最初に見えてきた標識が長屋跡です。この段々になっていた場所に、住居が並んでいたようです。
道路の反対側です。水車場跡と書かれています。ここのものは、鉱石を粉砕するのに使われていたようです。
長屋の奥に見える沢です。この沢から水車を動かす水を引き入れていたのでしょう。
ずっと奥まで行って見えてきたのが、一番高炉跡です。大きな石組みが見えます。
道は続いています。この先には鉱山があってここまで鉄鉱石を運んできたようです。ここから先は立ち入り禁止です。そのわりにはたくさんの車があがっていきました。
ここからは、山よりを通って引き返していくことにします。
一番高炉跡に戻ります。花崗岩を切り出した石がきれいに組まれています。高炉の土台になっていたようです。
このあたりの地面は所々が、鉄さびで固くなっています。溶けた鉄が飛び散ったものでしょうか。
橋野鉄鉱山が世界遺産に登録されているのは、ここで鉄鉱石が産出しているからではなく、ここで産出した鉄鉱石を西洋式の方法で製錬し始めたからのようです。明治維新の産業遺産というのがそのテーマです。それまでの製鉄といえばたたら製法で、いったん作った炉は製鉄の度に作り替えないといけないという問題がありました。ここに作られた高炉では、いったん作り始めると連続して30日は製鉄を続けられるという画期的のものでした。
一番高炉から、少し下がったところに二番高炉跡があります。ここの高炉も真四角の石組みが残されています。
石組みの真ん中の石に、炉から出てきた鉄がこびり付いています。湯出しといって、溶けた鉄を炉から砂場に流します。その時についたこびり付いたものとされています。
炉の土台の石組みはしっかりしているだけではなく、ずれないように溝を咬ませていたり、空気穴を作っていたりと、細かいところまで手が入っています。
二番高炉跡の山側に、炉の土台に使う石を切り出した跡が残っています。ノミの跡もしっかり残っています。
二番高炉の下側です。このあたりは炭置き場になっていたそうです。製鉄には欠かせないものです。乳頭温泉の森林が伐採された事があるのは、それを炭としてここで利用するためだったのでしょうか。
森をまわっていくと次に見えてきたのは、三番高炉跡です。土台石の周りの様子が一番よくわかります。
湯洗い場というのは、高炉から流れ出してきた、溶けた鉄をためる場所です。
南側には、石をまとめて置いていました崩れたものをここにまとめたのでしょうか。上に鉄さびのこびりついた石も乗せられてています。鉄鉱石のようにも見えます。
パンフレットにはこの先、炭窯跡などを見学してインフォメーションセンターにぬけるコースが書かれています。これに対して現地の案内図は安全のため立ち入り禁止になっています。通行ができなくなるのに何があったのかは不明です。どちらにしても、駐車場の所まで戻らないといけません。水路側から引き返すことにします。
水路側、三番高炉から上流側をみたところです。三番高炉は他の2つと離れていますから、ここから一番・二番高炉は見えません。水路のところで石が散らばっているのは、ここに水車があったからで、その回転を利用してふいごで高炉に空気を送り込んでいたようです。
奥に見えていた平らな場所です。御日払い所跡と書かれています。製鉄の事務的な処理をしていた場所のようです。関連施設群への入り口正面に位置しています。
駐車場に戻って次にいくことにします。橋野鉱山から遠野まで笛吹峠を越えていくつもりでした。峠への道は橋野鉱山入り口の分岐の所で通行止めとなっています。遠野まではすぐそこなのですが、釜石まで戻らないといけないようです。来た道を延々と引き返すことになります。
戻る途中に物産直売所というのがあります。寄ってみました。地元の人たちがすぐ横の広場でバーベキューの後片付けをしているみたいでした。広場には水車小屋のようなものもあります。何に使っているのかまでは不明です。
ここから川の対岸を見ると、護岸が大きく崩れたところがあります。ここまで鵜住居川を下ってくるときも重機が川に入って補修のようなことをしていました。大雨で川がかなり荒れたようです。台風の影響でしょうか。
川に沿って釜石の方に車を走らせます。すぐに、ゆっくり走るダンプに前に入られました。ずっと追い越せません。おかげで海岸沿いの国道に出るまで予定以上に時間がかかりました。ダンプはここで左折しました。あまり後ろについていたくはないので、右折することにします。ダンプが右折していたら、こちらは左折し少し引き返したところから三陸道に入るつもりでした。
国道に入ってすぐに海岸に出る標識がありました。海も見たくなってきたこともあります。そちらの方に曲がってみました。道は更地のようなところを曲がりくねって通っています。途中で線路を横切りますが、ここもまだ復旧工事中のようです。
この先で道は分岐していてどちらに進んでいいのかわからなくなりました。あきらめてもとの国道に戻ります。
国道に戻ったところで、またもや遅い大型車の直後になってしまいました。釜石市街から山の方に曲がります。市街をぬけるあたりから正面の山が気になりますが、あまり有名な山ではなかったようです。
遅い大型車は相変わらず前を走っています。結局、遠野市内で車線が増えるところまでは後ろについたまま走ることになりました。だいぶ時間がかかっています。とりあえず、北上市街の方にぬけることにします。だいぶ走らせたところで途中でトイレに行きたくなりました。橋野鉱山下の物産直売所を出てから2時間半以上がたっています。何かないかと探しながら走らせてていると産直センター「あぐり夢くちない」というのがみえてきました。ここで休憩を入れることにします。建物に入ろうとすると、アーモンドを販売していた人が大阪のことに詳しく、いろいろ話しかけてきます。しばらく話をしていたのですが、トイレが我慢できなくなってきたので振り切って駆け込みました。
ここで、2−3のものを買いました。駐車場に看板があるのでみると、浮牛城というのが書かれていました。説明によると本丸がこの高台にあったようです。
ここからはカーナビに頼ることにします。宿周辺の道はよくわかっていました。最初に山を下り、北上平野が開けてきたところで、正面の山にかかったかすみに光が当たって、神秘的な光景になっています。気がついたところで車を止めて撮れば良かったのですが、後続車が居るのでどうしようか考えている内にいきすぎてしまいました。結局市街の車の多いところで止めて写したものです。遅くなった分、だいぶぼやけてきています。
この後、カーナビの指示に従って東北道に入り一関ICから館が森高原に到着します。この間どこをどう走ったのかはわかっていません。
カーナビの指示は最後の最後で違う方向に導かれました。路地のような所に入っていくので、変だと気がついたのでなんとか到着できました。車を降りるとと牛のにおいがします。牧場が近くにあるようです。周囲は暗くなっています。どこにあるのかは朝に確認することにします。
夕食をゆっくり食べていると、友達がテレビにでると言っていたのを思い出しました。その時間が迫っています。急いで食べ終え部屋に戻ってテレビをつけたら出終わった後のようでした。最後までその番組につきあってしまいました。
その後、星を見に出かけます。宿の前の明かりはそれほど強力ではありません。駐車場の一番遠いところに車を移動させて見ることにします。今回も星野用と望遠鏡の2台をセットします。まずは星野用のカメラです。ペガススからアンドロメダ座です。秋の大柄杓といいます。今日はわりとピントはしっかりしているようです。
ちょっと下側にずらしてうお座です。写している間に下の方から雲が流れてきました。
雲のない方に移動させます。おひつじ座からペルセウス座になります。薄雲があるようです。
カシオペア座です。天の川もしっかり写っています。
おうし座・おひつじ座・くじら座のある一画です。下方やや左にプレアデスが写っています。くじら座ミラとかおひつじ座ハマルとかが確認できます。雲は多めです。
再びカシオペア座です。天の川は右上のペルセウス座の方に流れています。左上にアンドロメダ銀河も写っています。
真上近くです。はくちょう座付近の天の川になります。右上隅に北アメリカ星雲が写っています。
望遠鏡の写真です。プレアデスです。まだちょっとピントが甘いようです。雲のせいで星の周りがぼんやりと光っているように写ります。
前回もねらった二重星団です。
アンドロメダ銀河です。段々とピントが甘くなってきています。
星野写真も撮りながらだと、すぐにシャッターを操作しないといけなくなるので、望遠鏡を落ち着いてセットすることができません。大事なときは、どちらかだけにした方がいいようです。
だいぶ遅くなってきたので、このあたりで星見は終了ということにします。開始が遅かった分だけ、終了が後ろに伸びました。
東北最終日の朝です。今日も天気がいいのか、外は早い時間から明るくなってきます。明るくなってきたことですっきり目覚められます。いつも通り散歩に出かけることにします。昨晩は牧場のにおいがしていたので、牧場を探しに行くことにします。気になるのはこの付近を走る車の速度です。みんな飛ばしすぎのように感じます。早い時間なのであまり来ないだろうということにしておきます。できるだけ道路は避るようにします。
宿の前からの朝焼けです。まだ日は昇っていないようです。
谷の方です。高台にかかるくらいにまで雲海ができています。
尾根に登れば東側が開けると思ったのですが、それほどでもなかったようです。そのうちに日は昇ってきたようです。
西側です。こちらは牧場というより、畑のようです。植え付けの準備中のような感じになっています。
ハム工場を通り過ぎて、その先にあったのがアーク牧場です。観光用の牧場でまだ開いていません。このあたりはレストランなどが並んでいます。
牧場を上から見下ろしたようすです。谷の向こう側にも、別の牧場があるようです。
この付近に植わっている樹木で一番多いのはギンドロです。葉のの裏側が銀色に光っています。外国産の樹木です。銀色のドロノキという意味でしょう。ウラジロハコヤナギともいいます。ドロノキやハコヤナギはポプラの仲間の名前に使われることがあります。昨晩車で走っているときに、林の中に白いものがちらちらと見えていました。この葉っぱだったようです。何かの花と思っていたのですが違っていました。
ギンドロの並木で見かけたのがシジュウカラです。ネクタイ模様がはっきり見えます。
ここでもヤマボウシが実っていました。食べられます。
牧場でやっと見つけた動物はウマでした。牛はここではいないようです。
館が森高原を歩いていると鳥の鳴き声がよく聞こえてきます。牧場や耕作地が多く、それほど林が広がっているわけではありません。鳥のエサになるものが多いのでしょうか。何枚か写真を撮りました。まずは、スズメです。どこにでもいるものですが、気になったので、写してみました。ほほの所に黒いマークがありますので、普通のスズメになります。
シジュウカラもよくさえずっています。枝先で、羽を広げながらさえずっていたものです。木はヤマボウシです。
不思議とたくさんいたのがエナガです。ころっころとした感じがかわいく見えます。
見ていたらたくさん集まってきました。
次々とやってきては、どこかに行ってということが繰り返されます。この時は一度に3羽も集まっています。
次の所に行こうとしたのですが、別の所にもまたいました。
朝食時間が近づいています。宿に戻ることにします。再び、宿前から見た北上平野です。相変わらず、雲海が広がっているようです。
朝食を食べてしばらく休憩してから出発します。今日は仙台からフェリーで名古屋まで戻ります。昼までに仙台港につかないといけません。それほどたくさんの所は見ていけないでしょう。途中何があるかよくわかっていません。とりあえず、ラムサール条約に指定された沼が山を降りたところにあるので、行ってみることにします。
山を降りる道も複雑そうなので、カーナビに頼ることにします。駐車場はいくつかありますが、設定場所がわかりません。東北本線新田駅近くなので、目的地を新田駅にします。
車を走らせて、目的地にだいぶ近づいてきたときに、栗駒山が見えてきました。だいぶ霞がかかっています。平野を覆っていた雲海は食事をしている間に消えたようです。
新田駅について、その付近の情報を調べてみると、少し引き返したところから線路を渡った先にサンクチュアリーセンターというのがあります。そこに向かいます。線路を渡るときに、踏切で止められました。前を電車が通過していきます。
ラムサール条約に指定された沼は伊豆沼・内沼といいます。サンクチュアリーセンターがあるのは、そのうちの伊豆沼の周辺です。どういうわけか、沼の周囲に3ヵ所もあります。今いる新田駅近辺は、登米市の市域で、対岸は栗原市になります。それぞれの市が独自に作ったのと、宮城県が作ったものとあわせて3つということのようです。建物によって、魚、昆虫、鳥と棲み分けているようです。登米市のものは淡水魚の展示施設になります。
淡水魚館とあって、水槽がたくさん並べられ、いろいろな魚が展示されていました。みんな動きが速いので、写真にはうまく写りません。これはヤリタナゴと書かれていた水槽の魚です。
まだガンは見たことがないので、館の人に聞いてみたところ来月といわれました。去年も、ほぼ同じ時期に東北に来ていますが、この時も見れていません。(帰ってから調べてみたら14日にやってきていたそうです)
とりあえず、沼の方に行ってみます。こちらには野鳥観察舎というのがあります。しまっていて中に入ることはできませんでしたが。この周辺からは見ることができます。
伊豆沼です。きれいな沼という感じは全くしませんでした。水面を水草が覆っています。赤い色をしているものがいっぱいあります。一番やっかいな浮き草のようです。遠くの方には、ハスが広がっているのが見えます。
沼にいた鳥です。サギの仲間です。大きさ的にはコサギでしょうか。
他に見たのは、あとはアオサギだけです。
見ている間にも、線路の方は貨物列車などが走り抜けています。
この付近で多いのが、ヒシのようです。
水中で見つけたのが、オタマジャクシです。後ろ足が生えています。大きいので、ウシガエルかも知れません
この後、宮城県のサンクチュアリーセンターに行こうとしたのですが、そちらの方に曲がる道が工事で通行止めになっています。結局、そこに到達する前にあきらめてしまいました。
初めの計画では、伊豆沼から登米市の方にぬけ、三陸道から仙台港へいくつもりでした。時間があれば、登米市あたりで何か見所はないか探すつもりでした。
伊豆沼から見て登米市市街は東南東の方向になります。とりあえず東に向かう道を選んで走っていったのですが、道はだんだんと北に曲がっていき登米から離れるようになります。引き返しては、別の道を選んでは同じ事の繰り返しで、伊豆沼から抜け出すのに結構時間がかかってしまいました。
何とか登米に向かう国道に入ることができ、やっとの事で到着します。三陸道への標識を見つけそれに従って曲がったのは良いものの、次の案内がなかなか出てきません。T字路にさしかかりどちらに曲がっていいのかわからないので、近くの商業施設の駐車場に入り、ここでカーナビに仙台港までの案内をセットします。いざ出ようとしたら、元来た道を引き返せといってきます。よく見たら、伊豆沼を通り越して東北道から行くコースになっていました。
とりあえずT字路に向かっていったら、左折するように案内があったので、左折します。カーナビの方はそのうちに、三陸道経由の案内に変わっていました。登米市内も、道がわからなくなったおかげで、ぬけるのに時間がかかってしまいました。結局、どこもよらずに登米ICについたのは11時近くになっていました。
登米ICを入ってわかったのは、ここから仙台まで70kmあるということです。制限速度で走っても1時間かかります。搭乗手続き終了時間である仙台出航12時50分の90分前どころか、1時間前でさえつくことはできない可能性が出てきました。とりあえずいけるところまでいくことにします。実際には15kmほどさきから、車線が広がり最高速度が100km/hになったために、70分ほど前につくことができ、何とか搭乗手続きをしてもらうことができました。乗り込み開始まで少し時間がありそうです。待合室前の飲食コーナーでおいしそうにカレーを食べている人がいました。ついつられて買って食べてしました。
車の待合所に戻り、これから乗り込もうとする前に写したフェリーです。
駐車場に戻ったらすぐに、フェリーへの乗船が始まりました。仙台からは30台くらいのようでした。船内に持ち込む荷物の整理ができていません。荷物をより分けて、車両甲板から船室にあがります。前回は、甲板のある階を間違えました。今回はエレベーターの乗り口に階の書かれた紙が置いてあります。それをもらっていきます。横にいた人は、階の描いてある場所の写メを撮ることにしているそうです。
船室に入ります。どういうわけか同室の人はみんなで払っていて誰もいません。ずっとこんな状態が続きました。といっても自分も同じです。デッキに行って景色を見ることにします。仙台港奥の方です。
山が見えます。ここからは蔵王山が見えるはずです。これかなと思っていたのですが、形が違うようです。帰ってから調べたところでは、泉が岳(船形山)のようです。
フェリーの周囲にはウミネコがたくさん飛んでいます。デッキでエサとなるものを与えて、呼び寄せている人がいます。目の前まで飛んできます。これは若鳥です。
出航時間になったので、船は岸から離れていきます。見学とか見送りとかは少ないようです。
船が動き出すと、ウミネコは海面近くを飛び交うようになります。写真を撮っていたら、高速連写にしないと写らないのではと聞かれたので、普通に撮った写真を見せてあげました。
岸壁からだいぶ離れてきました。蔵王山と勘違いしていた山(泉ヶ岳)も鉄塔の向こうにしっかり見えています。
港内にできた、フェリーの波です。波の伝わり始めたところが波うっています。いそう速度がどうたらという問題が関係しているらしいです。
南側の海岸が見えてきました。砂浜が広がっています。このあたりは津波と沈降で砂浜が少なくなったところです。気がついていませんでしたが、右端に蔵王山の裾野が写っています。
仙台港を出てから、北側には松島湾が見えてきます。ヨットもたくさん出ています。
沖合に出ると、フェリーの進路は南に変わり、松島湾からだんだん遠ざかっていきます。
仙台にきたのは、ここからフェリーで帰れるということが一番の理由です。ここ1−2年の東北旅行で見られなかった蔵王山は仙台付近から見ることができます。あわよくばという期待もありました。結局、勘違いして違う山を見ていたのと、松島の方に気を取られていたということもあり見損ねてしまいました。もし見ていたとしても、写真からするとかなり臼ぼんやりとしたものだったでしょう。
フェリーに乗っているといまどのあたりにいるのかが気になります。船内に今どこにいるかという表示はありますが、福島県沖といった大雑把なものしかありません。船内のパンフレットを見ていると、何時頃どのあたりにいるかと書かれたものがありました。見ていると、相馬市沖で行きと帰りの通過時刻が同じになっています。すれ違うのではと思って早めにデッキに上がっていきました。
海面を眺めていると、流木が浮かんでいるのが見えました。ここにも何羽かのウミネコが羽を休めています。
すれ違う時刻が近づいてくると船内放送で案内がありました。たくさんの人がデッキに上がってきました。だいたい予定通りの時刻に向こうからフェリーがやってくるのが見えました。あちらの船もデッキにたくさんの人が上がってきています。
陸地側です。景色は薄ぼんやりとしています。このあたりはあの原子力発電所のある近辺になります。気になるのでどれなのか探したのですが。発電所に限らずほとんど特徴のあるものは見えてきません。たまにみえた煙突らしきものです。帰ってから調べたところ、南相馬市の原町火力発電所のようでした。
沖合を見ると、並走しているフェリーが見えます。あちらの方が少し速いようです。少しずつ前に出てきます。このフェリーと同じ苫小牧を出た船です。茨城県大洗に向かっています。
しばらくの間、フェリーとか鳥とかを見ていました。たまたま見えたアナドリの群れです。白い点のように写っています。全部で7羽います。
このあと、船内でピアノのコンサートがありました。それを聴いてから再びデッキに上がって景色を見ます。陸地に特徴のある形をした山が見えています。磐梯山かなと思ったのですが、該当しないようです。蔵王山のようすからしても、もっと霞んでいたはずです。山の名前はわからずじまいです。
海側を見ていると、風車が見えてきます。全部で3台あります。福島洋上風力コンソーシアムというようです。海上で風力発電ができるかどうかの実験をしているところのようです。一番近づいたときの写真です。
原子力発電所はいつの間にか通り過ぎたようです。
船内では、映画も上映されています。見にいったのですが、あまり興味がわかないものでしたので早々に引き上げてきました。時々船室に戻って中を見るのですが、相変わらず人がいません。みんなどこにいっているのでしょうか。
映画を見ないなら、船内をうろうろしたり、デッキから海を眺めたりするだけです。海を見ていても、時々海鳥が飛んでいくのがわかります。ほとんどが、ミズナギドリの仲間です。これもそうかなとおもっていたのですが、羽根が細長いのと、頭と尾が白いのが違っています。帰ってから調べなおしたら、コアホウドリとわかりました。
太陽は低くなってきました。海面が真っ白に見え、空と区別のつかないところがあります。ほとんど波が立っていないようです。こういうのをべた凪というのでしょうか。
この頃になるとデッキに人が集まってきました。みんな日没を見ようとしているようです。太陽が雲の間に入ろうとしています。もうまもなく日没です。
空もだいぶ暗くなり、月がはっきりと見えるようになってきました。
今日、最後にみる太陽です。この後、雲の間にかくれてしまいました。
夕焼けに照らされた雲が、波のない海面に写っています。なんか海ではないようです。船が浮かんでいるところを見るとやっぱり海なのかな。
日が沈んで暗くなってきたので、船室にいったん戻ります。非常用に買い込んでいた食料を、夕食代わりに食べることにします。船室内は飲食禁止なので、ロビーで食べます。お茶くらいは船室で飲ませてくれてもと思います。
暗くなってきたので、星が見えるかデッキに行ってみます。沖合に明かりをつけた船が見えます。イカつりでしょうか。それにしてはライトが少ないようです。
星は何とか見えています。星の写真が撮れるかやってみました。かなり動いて写っています。これだと写真は無理なようです。
フェリーの夜のイベントは、ピアノ伴奏によるテノール歌手のショーです。演者の名前覚えていません。外国の歌が中心でした。中には聞いたことのあるようなものも入っていました。ショー以外は風呂に入ったり本を読んだりしている内にすぐに消灯時間になりました。船室はそこそこの人がいたようです。
朝は夜明け前の時間に目が覚めました。朝日を見にデッキに行ってみました。もうたくさんの人が集まっていました。東の空はだいぶ明るくなってきています。
空の高いところには金星が出ています。空がこれくらい明るくなると他の星は見えないでしょう。
陸地側です。台地状の地形の端の方で灯台の光が点滅するのが見えます。御前埼灯台のようです。
かかっている雲がだんだん南側に移動してきて、三角形の山が見え始めてきました。富士山です。昨晩のショーの時に、見えるかもと言っていました。
雲にわずかなすき間があります。そこからちらっと見えた太陽です。
すき間から太陽が見えたのは一瞬です。すぐにまた上の雲の中に入っていきました。
日が昇ってくるとかすみの影響が大きくなってだんだんと富士山が見えなくなってきています。
再び雲の上部から顔を見せ始めた太陽です。凹んだところから出てきています。空は完全に明るくなっています。
陸地側です。大きな町が見えています。ビルの側面に太陽の光が当たって明るく輝いています。浜松の町です。
波しぶきに太陽が当たってきらきら光ってきれいです。一瞬虹のようなものが見えるのですが、どこでできるかが確定しないのでうまく写せませんでした。
船内での催し物は今日はありません。デッキに行ったり、船内をまわってみたりとして時間をつぶします。もちろん朝食は、非常食の残り物ですませました。
デッキからみると、陸地はもやがかかってぼんやりとしています。見るのは、時々見かける海鳥と、トビウオです。どちらもたまにしか見かけません。トビウオは昨日は全く見ませんでした。今朝はたまに見ます。飛びやすいところが船からみてどのあたりになるかだいたい決まっているようです。このフェリーでは、ちょっと遠めの所から飛ぶことが多いようです。ねらいやすそうな所を探してそこから写したものです。
オオミズナギドリの集団がいました。鳥柱というほどでもないし、海面で休んでいる鳥もたくさんいました。近くに漁船も一隻でていました。
船のデッキには大きなカメラをセットし続けている人がいました。ミズナギドリがでたことで話しかけてみたのですが、興味はなさそうでした。狙いは、鯨とかそういったものだったのでしょうか。ずっと後で話をした人は、この航路で鯨を見たことがあるといっていました。
船は進んで行って、渥美半島沖にさしかかります。このあたりの海岸には、たくさんの崖が続いてい見えます。地層のようすを海岸から見に来たことがあるので、それが見えないかと探したのですが、霞が強くぼんやりとしか見えませんでした。
渥美半島といっても長さはかなりあります。いまどのあたりなのかははっきりしませんから、目印になるものを探します。見つけたのは山の頂にある白い建築物です。後日確認したところ、蔵王山展望台と横の風車と判明しました。まだ渥美半島の付け根あたりにさしかかったところです。
遠くの方に島のようなものが見えてきました。あそこまでずっと半島がつながっています。その裏側が伊良湖崎になります。
島のように見えていた山に近づいてきました。山の上にあるのはホテルで、海岸の見える一番右側の岩が日出の石門になります。このあたりは島崎藤村が椰子の実の歌を詠んだところとされています。
しばらくすると、船内で「伊良湖崎の沖を通過する」という放送がありました。対岸の神島との間は航路が狭くなっているので、航行には熟練の技が必要と説明していました。
神島です。三島由紀夫の潮騒で有名になったそうです。
伊良湖崎の灯台です。灯台より向こうにある海上交通センターの方が目立っています。海流の強さとかを示す標識です。
伊良湖崎をまわった先には、いくつかの島が見えます。この間には、篠島とかいった島がたくさんあります。
船もたくさん航行しています。この船は丸いタンクを乗せています。液化天然ガスの運搬でしょうか。前方を二隻の船が先行しています。水先案内をしているように見えます。
フェリーが伊勢湾に入り知多半島が見えてくると、陸地が近づき、はっきりと見えるようになってきました。それでも、見ていて特徴のあるところが少なく、同じ景色が続きます。そうこうしている内にみえてきたもののなかで、なになのかはっきりとわかるのが中部国際空港です。たくさんの飛行機が駐まっています。格納庫のようなものや管制塔も見えます。
大きな空港だけあって、頻繁に飛行機が離発着をしているようです。見ている間にも何機か飛び立ちました。
空港を過ぎると、名古屋港まではすぐです。いったん荷物を整理しに船室に戻ります。再びあがってきたときには、鳥の動きが活発になっていました。黒っぽい鳥がいると思って写したのですが、ウミネコの若鳥のようです。
浮標には、たくさんのウミウが留まっていました。日常的に利用されているためか、フンで白くなっています。
こちらは、海面ぎりぎりを飛んでいるウミウです。
横にいた人が北海道の人で、このフェリーをよく利用するといっていました。船のサービスのこととかいろいろ聞かせてくれました。
そのうちに、名古屋港が近づいてきます。入り口に架かる橋の話は、昨夜のショーの時に在りました。3つあるので名港トリトンといって、それぞれが違う色で塗り分けられているそうです。東側から、青と白の橋です。
フェリーは、西の赤に塗られた名港西大橋をくぐります。
船の高さが、ぎりぎりといっていたと思ったのですが、見た感じでは、余裕はありそうです。
再び並走して飛ぶウミネコが増えてきました。
橋をくぐってから、フェリーはUターンして岸壁に接近します。
あまり見ていると、車に乗るのが遅れます。このあたりで切り上げて、船室に戻ります。もう車両甲板に降りていいようになっていました。荷物を持って車の方に行きます。このフェリーは、同乗者は車両甲板に入れないようです。待ち合わせ場所を決めるよう放送が入っていました。
車についてから、意外と早くスタートできます。車の中の整理は終わりませんでした。残りは家に着いてからです。フェリーを下りて、伊勢湾岸道の名港中央ICに向かいます。みんなが曲がっていく交差点がありましたが、まっすぐ進んでいきました。遠回りをしたようです。
ここからは東名阪道を経由して、亀山に向かいます。ここからは名阪国道・西名阪道経由で帰るコースと、新名神から草津にぬけそこから名神高速で帰るコースです。高速料金の安さを取るなら前者、時間を取るなら後者になります。料金差はそれほどなさそうですから、後者のルートで帰ることにします。草津までは順調でした。この先はいつも通り京滋バイパス経由で帰りました。帰り着いたのは、予定より遅く正午をまわっていました。
<リベンジ結果>
タイトルにもあげているくらいですから、結果がどうだったのかは真っ先に書かないといけないでしょう。何日目とかいうのは出発した日を1日目としてカウントしていくことにします。ここ1〜2年の旅行で見られたはずの山とその結果をあげていきます。
北から並べて一覧表にしてみました。
2016年 2017年
8 9 5 9月
岩木山 − − ×(×)
八甲田山 − − × ×
十和田 − − × ×
八幡平 − − × ○
岩手山 × − × ○
秋田駒ヶ岳 − ? × ○
鳥海山 × ○ − ×
栗駒山 × △ − △
月山 × ○ − −
蔵王山 − × −(×)
−−−−−−−−−−−−−−
姫神山 − − × ○
秋田焼山 − −(×)○
早池峰山 − − − ○
記号の意味です。○は山頂まで見えた、×は見えなかった、−は見える場所に行っていない場合です。表にしてみると、2回目で何とかなっているようにも見えます。もう少し詳しく見ていくことにします。
岩木山です。今年の5月は2日間ずっと山頂は雲がかかっていました。今回は、4日目八幡平山頂から山容が見えました。これは意外でした。初めから見る計画には入っていませんでした。その意味で()で囲んでいます。残念ながら山頂は雲の中でした。よって()の中は×です。2014年8月に遠くから見ています。
八甲田・十和田です。今年の5月は山頂部に雲がかかっていました。今回は4日目に近くに行く予定でした。時間が足りなくなり予定の場所までは行けていません。見える可能性のあるところまでは行ったものの、十和田は識別できず、八甲田の山頂は雲の中でした。
岩手山です。昨年は花巻空港から山は確認できました。今年5月とも山頂部は雲の中でした。今回は4日目から5日目の朝にかけてはっきりと見ることができました。姫神山は今年5月にはバス内で説明があったもののはっきりとは見ていません。どんな状態だったのかも不明です。
秋田駒ヶ岳です。昨年は、それらしきものを見ています。間違いなく秋田駒ヶ岳かというと何ともいえないので?マークです。今年5月は、見えると思って探した場所では見えないことが判明しました。それ以外の場所でも見えた場所はありましたし、近くにある山も雲がかかっていたため×にしています。
鳥海山は昨年9月にはずっと見えていました。今回の初めの計画では見る予定には入っていませんでした。コースが変更になったため、近くを通ることになりました。結果は雲の中でした。月山はコースから離れています。
栗駒山は、昨年8月は近くまで行ったものの雲の中でした。9月の時も雲の中、最後の最後に山頂部のみ写真にとらえています。はっきりとそれだという形で見ていないので△です。今回は見えたもののかなりぼんやりとしていたため△です。一応全容は見えていました。
蔵王山は、昨年はずっと雲の中でした。今年は仙台からのフェリーで見る予定でした。あやまった山を識別していたので(×)にしています。わかっていたとしてもかなりぼんやりしていたと思われます。栗駒山と同じく△だったでしょう。
秋田焼山は今回の計画で始めて入った山です。5月に行った場所からも見えていましたので、その時天気が良ければ見えていたかも知れません。見る予定をしていなかったので(×)と書いています。
今回は、早池峰山の近くを通るのを断念しました。そのためあまり期待はしていませんでした。実際には予定外の場所で見えました。もう1ヵ所見えるはずの所を通っているのですが、そこでは確認していません。
予定の半分しかクリアできていませんが、まあ何とかリベンジにはなったのではないでしょうか。まだ半分が残っています。
<行程を振り返って>
今回の旅行を一言で表すとすれば、「無駄に車を走らせていた」になりそうです。原因の一つは、宿の位置の取り方にあるでしょう。星のことがありますから、できるだけ高原でという制約が入ったこともあります。標高の高いところといえば、どうしても陸地の中央部に偏ってしまいます。2日目〜3日目〜4日目の宿間の直線距離はそれぞれ12km、36kmと非常に近い所にあります。その分、目的地までの距離が長くなってきますし、他の宿までの距離が遠めになってきます。日を追ってみていくことにします。
1日目の走行距離が大きいはフェリー欠航の影響であり、やむを得ないでしょう。
2日目は、まわるところを欲張りすぎたかなというきらいがあります。フェリーを使用した場合の行程の上に、遊佐〜秋田間の移動が入っています。逆にフェリーが運行していたら物足りなかったかも知れません。
3日目は、玉川温泉への往復に時間がかかっています。初めの予定に入っていたのでしかたがなかったのかも知れません。宿が北の方に設定できていれば、後日に回すこともできました。その後も、盛岡市内を抜けて紫波町に行ったものの何も見ずに引き返し盛岡まで戻ったときには遅い時間になっていました。これで志波城を見つけられていなければ、全くの無駄足だったことになります。
4日目は八幡平まではいいでしょう。問題はここから宿に向かう道です。初めの予定では十和田まで行ったもののそこから引き返さないといけない場合は想定していて、安代ICから山越えの道を考えていました。そのため、八幡平側から奥中山高原のルートは安代IC経由しか考えつきませんでした。このルートは山越えになるので距離のわりには時間がかかります。できれば山越えは避けたいものです。帰ってから地図を見直してみると、八幡平を下りた後、そのまま直進すればそれほどの山越えもなく奥州街道に出て、そこから北上すれば奥中山高原の入り口に着きます。入り口からは広い道をまっすぐあがっていくことで難はなくいけたようです。所要時間も高速料金も大幅に短縮できました。このコースはカーナビでは、高速道路を使わないという設定では示されていたようです。
5日目は宿間の距離は近めでした。そのためちょっと寄り道をということで八戸まで足を伸ばした結果、走行距離は長くなり、延々と走らせていることになりました。二戸あたりから直接海岸にぬけた方が良かったのかも知れません。でも、根城は今度いついけるかは分かりません。
6日目の誤算は、橋野鉱山から遠野にぬける笛吹峠が通れなかった事にあります。迂回路を通ったものの、遅い車の後をずっと走り続けていた事もあって、30分ほどでいけた区間が2時間半もかかってしまいました。高速道路を使わないといけなくなったことを考えると、先行車がいなくても、迂回したことで時間的にはぎりぎりだったようです。
7日目です。伊豆沼を出てから登米ICに入るまで1時間近くかかかっています。かりすぎました。普通にいけていたとしても、登米付近でどこかによるという余裕はなかったようです(産直センターくらいは行けたかも)。仙台港初のフェリーに乗るためには、一関泊まりでは遠いのかも知れません。
基本的には、道路網がどうなっていて区間の距離はいくらくらいなのかつかめていなかったのが一番の問題だったのでしょう。カーナビの設定は縮小率の小さなものにしています。あまり小さなものだと、表示されない道が出てくるからです。全体を見るということを考えるともう1段か2段小さくしてもいいのかも知れません。
行程の前半をみると、2日目秋田到着予定が早朝だったものが、昼になっています。その分田沢湖到着が遅くなりました。もう一ヵ所よろうとしていたところに行けず、翌朝回しになりました。これの状態がずっと繰り返されたようです。最終的には、4日目の八幡平からさきの行程を取りやめることで、この繰り返しは解消されました。行程と予定のずれはあったものの、1日の動く量はそれほど変わっていないので、結局は初めの計画段階からの問題だったのでしょう。
<宿の名前+α>
いままでのブログでは、宿の名前を書いていませんでした。宣伝的なものは控えようと考えていたからです。よく見てみると企業名の出ている所はたくさんあります。だいたいどこの宿のことかわかるように書いてあります。気にする必要もないのではと考え直しました。途中から書くというのも変なので、このまとめからは公表していくことにします。
いままで書かなかった宿の系列です。国立公園系というのは「休暇村」です。旧官庁系は「かんぽの宿」、地方自治体系は「国民宿舎」になります。今回の1泊目は「鳥海温泉遊楽里」、4泊目は「奥中山高原センターハウス」、6泊目は「館が森高原ホテル」です。
休暇村、かんぽの宿、国民宿舎は過去に政府が奨励していた時期があって、その頃に作られたものです。比較的安く泊まれるというのが売りでした。今はその制度は廃止されています。国民宿舎に関しては、老朽化が進み立て替えをどうするかが問題となって、廃止する自治体も増えてきています。今回も検討の対象にあった気仙沼市の「からくわ荘」もその一つです。今はどういう状況なのかがわからないので、市のサイトなどを調べていたところ、議論の中で、唐桑半島での宿泊者数だけを比較して民間を圧迫しているのではという内容のものがありました。民間でできるものは民間でやれという原理です。
国民宿舎としての役割として、人を集めてくるというのもあります。地方自治体で国民宿舎に属さない宿泊施設を持つ所は、そのような気概を感じるものがあります。春に行った星野村や相良村、今回の遊佐町や一戸町はその例です。国からの融資を受けていない分設立の趣旨がしっかりしているのでしょう。唐桑半島の将来はどうなるのでしょう。
<縄文遺跡>
今回、東北を回っていて感じたのは、縄文時代の遺跡が多いということです。東北地方中部以北の事なのかも知れません。昨年の東北南部旅行では、それほど見かけませんでした。前回の大湯環状列石も、縄文時代の遺跡のようです。今回でいえば、湯舟沢環状列石、釜石環状列石、御所野遺跡がそれにあたります。他にもたくさんの場所のパンフレットをもらいました。
縄文時代で習ったのは、横穴住居といって洞窟などに住んでいて、狩猟生活をしていたということです。昨年見た山形県高畠町の一の沢洞窟遺跡はまさにこのタイプでした。今回の御所野遺跡では、竪穴住居ばかりではなく堀立柱建物まで作られていました。平安時代の志波城や室町時代の根城の竪穴住居とぱっと見ではそれほど違いは感じられません。一の沢洞窟遺跡は縄文時代草創期のもので、御所野遺跡は中期のものになります。この間に生活様式が大幅に変わったようにみえます。と同時に縄文時代の見方を変えないといけないようです。縄文時代・弥生時代のようすは昔習った内容から大幅に変わっているようです。転機になった三内丸山遺跡は一度は見ておきたいと考えています。
関西にいると、縄文時代の遺跡を見る機会はほとんどありません。そのものが少ないのか。その後の遺跡で上書きされているのか、そのあたりはどうなのでしょうか。地学的にいえるは、縄文時代は今よりも暖かかったということです。とすると、当時は今よりも快適に過ごせたのかも知れません。といっても御所野遺跡では栗林があったようです。これからすると、今の関西よりは、涼しかったようです。夏の暑さはしのげたでしょう。逆に関西は暑すぎたかも知れません。
<GPSロガー>
毎回GPSロガーで問題が発生しています。スムーズにいっているところは便利なのですが、トラブルの多いのは困ります。
今回の1つ目のトラブルは、メモリー残量がなくなったと表示されたことです。姥倉山の上でそうなっていましたが、実際にはその後八幡平山頂までは記録できていました。それ以後は使うのをやめたために実際の所はどうだったのかはわかりません。容量的には十分あったはずです。
2つ目は、ふだん使っているソフト(MtkDlut)では読み出しができなかったことです。メーカー製のソフトでは何とか読み取れました。このソフトは使い勝手が悪い(あちこちに存在の跡を残してくれる)ので、あまり使いたくはありません。ソフトを触っている内に、GPSの標準出力形式で書き出すことができるのがわかり、これからグーグルマップ(これも今回から名前を出すことにしました)で表示できる形式(kml)に変換して何とかいつも通り使えるようになりました。少し違うのは、各場所での速度データがでていないということです。これはあまり使い道がありません。
次回はちゃんと書き込みをしてくれるのでしょうか。うまくできてもMtkDlutでデータを読み出してくれるか心配です。
<望遠ズームレンズ>
旅行に持ち歩いている望遠ズームレンズの写りがぼやけるようになってきていました。始めてわかったのは、2月の石垣島ででした。ちゃんと写ったりぼやけたりを繰り返しています。4月の熊本や5月の東北でも状況は同じでした。その後、星の写真を写したときに、明らかに光軸がずれていることがわかりました。星は点にならず、全て同じ方向に「V」字型に写っていました。
鳥などの写真はこれで写していました。ないとできなくなります。ここで買い換えるか修理に出すかで悩みました。買い換えるとなると、今よりも少しだけ焦点距離の長いレンズにするという欲も出てきます。このあたりは、安いのでもあるという情報も見かけたのですが、見つからなくなっています。何かの間違いだったのでしょうか。
この旅行の1月ほど前に、いつも修理に出している専門店に問い合わせてみました。部品があればすぐにできるという返事でした。いつもならだいたい1週間程度です。なければ、しばらく預かりになるそうです。この場合はいつまでかかるのかよくわからないようです。新しいのを買うのよりは安くあがるということで、修理に出すことにしました。大丈夫とは思いますが、旅行に間に合ってくれるかどうかが次の問題です。
カメラは1週間ほどで帰ってきました。試し撮りをしたところ、きちんと写っているようです。今回の旅行でも何とか写せていたようです。
<車検>
今回の旅行で一番問題となったのは車にありました。結果的には、無事に納まりました。今後のために、一部始終を記録しておきます。
車の車検は9月始めになっています。だいたいは、4−5日もあれば普通に使えるようになっています。この点では問題がなかったはずでした。例年通り車検を見てもらっているディーラーと日程を相談しました。車検切れになる直前で良いということなのでその通りの日程を組みました。これはいつもよりちょっと遅めになります。決まったとおりに車をディラーに持ち込みました。
ディラーが車の内部を確認したところ、交換しないといけない部品がいくつか出てきました。古い車なのでこれはありうる事でしょう。そのなかで一つ取り寄せないといけないものがあるということです。そのため、車が返ってくるまで一週間ほどかかるということです。これでも、旅行には間に合います。
完成したということで、車を受け取りに行きました。ここで問題が発覚しました。車検が終わってから車検証ができるまでしばらくかかります。車に貼る車検合格証もいっしょです。その間は、仮合格証を車につけて走ることになります。これの有効期限が旅行最終日になっています。つまり、車検証が届かず、何かのトラブルがあって日程が延びれば、日付をまたいだ時点で車を使えなくなるということです。ぎりぎりまでの綱渡りというのは少し不安です。仮車検合格証の期限をある程度余裕を見て決めているとは思いますが、余裕がどの程度なのか不安です。旅行期間が長いのと、直前が土日です。場合によっては間に合わないこともあります。
まず車検証受け取りの時間短縮のため、ディラーには車検証が届いても自宅に郵送するのではなく、取りに行くので預かって電話を入れて欲しいと頼みました。これでディーラー自宅間で届く時間の短縮が図れます。ディラーは自宅からすぐの所にあります。
これでも、間に合わない場合の処置を考えます。車検証を受け取れるのは宿しかありません。宿に郵送してもらうしかないでしょう。大丈夫だとは思いますが、宿が受け取ってくれるかはわかりません。一応電話で確認して無理ならその一つ前でというように繰り延べて送り先をきめるしかないでしょう。受け取る必要もないのに電話するのはどうかと思います。ディラーに車検証を送るのが、前々日の16日というのは土曜日だからないでしょう。次に発送がある日は19日(火)になります(18日は敬老の日)。つまり前日の17日(日)に届いていなければ、車検証は間に合わないということです。車検証を郵送してもらう場合の手配は出発前日の17日でじゅうぶんでしょう。
ディラーから車検証が届いたという連絡があったのは、16日(土)でした。早速受け取りに行きました。これで何とか車検証は間に合いました。前と後に1日以上長ければ大変なことになっていました。
この間もう一つ気になっていたことがあります。フェリーに乗る場合車検証の提示を求められます。古い車検証は、車検に出す時に提出していて手元にありません。新しいものが届いていなければどうすればいいのでしょうか。車の長さを確認するものと思うのですが、仮車検証にはそのようなものは記載されていません。提出を求められたら仮車検証を見せるつもりでしたが、間に合ったので事なきを得ました。
<経費>
今回の旅行の経費です。大まかな分類と100円単位で書きます。
交通費 57800
宿泊費 62000
その他 11600
−−−−−−−−−−−
合計 131400
交通費内訳です
フェリー 17600
高速道路 16100
ガソリン 21700
駐車料金 1200
乗り物 1200 (リフト)
その他には飲食代土産代が含まれています。
車の走行距離は2230kmでした
−−フェリーと高速道路の比較−−
計画段階ではフェリーで東北まで行く予定でした。実際には、欠航したため高速道路を使っていきました。今後の参考のために比較をしておきます。
経費で見ていきます。ガソリン代は今回の平均的な価格1km10円として算出します。フェリーの場合、フェリーの航送量が25000円、敦賀までの高速道路が3200円(土日割引使用)この間のガソリン代が1500円で合計が29500円になります。高速道路を使った場合は、高速道路9600円、ガソリン代が8000円これに宿泊費が1100円で合計が28600円でした。
費用的にはほとんど変わりません。休日割引がなければ高速道路利用の方が高くなっていたでしょう。敦賀までの高速料金が距離のわりには高めのような感じがします。帰りも同じで、仙台−名古屋間の航送量17600円(早割使用)に対して高速道路が4140円ととなっています。
所要時間でみると、出発時刻は同じのようですが、秋田到着がフェリーの方が6時間ほど早くなっています。夜寝ている間も動いている強みが出ています。帰りに関しては、翌日以後のことを考えなくてい良い事からすると、もう少し時間差が縮まっていたかも知れません。昨年の旅行では鶴岡から一般道と高速道路を乗り継いで帰ってきました。24時までには大阪に戻っています。フェリーの時刻を見ると新潟16時半で敦賀29時半になっています。敦賀から自宅までは2時間ほどかかります。16時半頃といえば燕三条付近を走っていましたから、わずかに車の時間の方が早かったことになります。帰り着く時間で比較すると車の方がかなり早かったことになります。
宿代も合わせた場合費用はほとんど同じで、時間で見ると高速道路の方が早いという結果になります。楽さでいえばフェリーでしょう。ゆっくり景色を見ることもできます(宿に泊まっているときもできますが)。無理をしないでのんびりととなればフェリーでしょうか。
−−ガソリン単価−−
出発時と帰ってきてからと自宅近くの同じガソリンスタンドで給油したところ単価が5円ほど上がっていました。一週間の間の大きな変化です。ガソリンは高くなる傾向にあるのでしょうか。その後もだんだんと高くなっているように見えます。
−完−