2017/12/15-17 橋が結ぶ5つの島
種子島の旅行計画ができて、次はどうしようかと旅行会社のパンフを見ているとレンターカーで巡る宮古島2泊3日というツアーが目に入ってきました。何といっても、費用が安いのが魅力です。6万円を切っています。距離的には近いはずの種子島への新幹線・高速船・レンタカーの料金合計だけで同じ額になっています。これに宿泊費がかかりますから、値段的にはかなりお得といえるでしょう。
宮古島は行ってみたいところの一つでした。ツアーへの参加条件も適合しています。日程としては、どうなるかわかりませんが星を見ることを考えて月半ばのものにします。参加可能な日を探してみると12月15日出発というのが空いています。難点といえばこの時期の先島諸島は天気があまりよくないということです。この点は運任せにするしかないでしょう。欲をいえば4月以降にしたいところです。
もう一つ気になることがあります。宮古島のツアーを見るとたいてい5つの島を巡りますと書かれています。隠岐や八重山諸島のように、船で巡らないといけないのならパッケージツアーの方がいいということになります。このあたりを調べてみると、5つの島は橋でつながっていて、車でまわる事ができることがわかりました。それならレンタカーで回るという選択肢が入ってきます。どちらかというと、自由に回れる分、好きな時間に好きな所へ行けるというのがメリットです。
宮古島へ行くとして、自分で飛行機のチケットを取って、宿の予約を入れて、レンタカーを申し込んでとなるとちょっと大変です。天気のことよりは、この手間が省けるだけでもということで、申し込みました。
宮古島を自分で回るとなると、ある程度見所を押さえてから行く必要があります。ネットで観光スポットを調べておきます。パンフもダウンロードできるものがありました。店の情報がほとんどだったので、必要そうなページだけを印刷しておきました。
地図も必要です。種子島はグーグルマップから作りましたが、印刷したものは道路が読み取りにくものでした。今回は地理院地図から作りました。だいぶ見やすい地図ができました。B4用紙に4分割して印刷しました。これに調べた観光場所を記入しておきます。
出発の1週間ほど前に旅行会社から旅行日程表等の書類が送られてきました。日程表によると、行きは14時伊丹空港発の全日空の飛行機で、帰りは20時伊丹空港着の日本航空の飛行機です。行きと帰りで違う飛行機会社になっています。どちらも那覇空港乗り継ぎです。14時伊丹なら、昼を早めに食べて出発すればじゅうぶん間に合います。帰りの乗り継ぎ時間が25分しかないのがちょっと心配です。
宿は、ビジネスホテルのような感じのものです。道路向かい側がショッピングタウンのようになっています。夜は明るいでしょう。この近くでは星を見るのは無理そうなので、場所を考えます。車がありますのでどこかに移動してみることにします。ちょっと離れてはいますが港があってそこの広場なら何とかなりそうです。夜はここまで移動です。朝散歩するにしても手軽なところには目的とできそうなものはなさそうです。
レンタカー会社も書かれています。店の位置は空港東側の交差点付近にあります。空港の到着口で会社の人が待っています。店まで送ってもらって、そこからレンタカーが使用できます。帰りは店で返して、空港まで送ってもらうことになります。
夕食の、食事券が同封されています。2回で場所が違っています。1日目は居酒屋で、2日目は普通のレストランのようです。どちらも平良の町の中心部にあって宿から2kmほど離れています。歩いて行くにはちょっと遠い距離です。1日目は、宮古到着が18時過ぎで、食事が20時からになっています。レンタカーを借りたりとかいろいろしていると歩いてでは夕食時間に間に合うか微妙です。さらにホテルに戻るのが21時を過ぎます。そのあとで星を見に行ってもほとんど見ている時間はほとんど取れないでしょう。車で行くしかないようです。それでも星を見る時間は少なめです。
お酒は飲めないので問題はないのですが、夕食と一緒に飲みたい人はどうしたらいいのでしょう。1日目は居酒屋です。どこにしても、夕食場所へ車で行くために駐車場の場所も確認しておきます。1日目は店裏側の通りに、2日目は店横の路地を入ったところにあるようです。
天気予報も確認しておきます。心配した通り、旅行期間中の天気はよくない感じです。晴れ間はあるかないか微妙な予報です。
日の出日の入り時間も確認しておきます。日の入りは17時52分頃、日の出は7時16分頃になります。初日は日没後に到着、最終日は日没前に出発になります。どこで日が沈むかも気になります。那覇の時刻も調べてみました。それぞれ、17時40分頃、7時10分頃です。初日は那覇発17時10分宮古到着18時5分ですから単純計算で3/4ほど進んだ所、49分頃の日没になります。最終日は那覇着17時40分ですから日没とほぼ同時になります。
持ち物はふだん通りです。特にいつもと違ったものがいるわけではありません。準備はほとんど手間なく完了です。
出発日になりました。午前中はいつも通り買い物をします。特に旅行に関係するものは買っていません。昼は早めに食べ、戸締まりをいつもより念入りにして出発です。途中何事もなく空港に到着です。全日空のある南ターミナルの方に向かいます。前回見つけたコンビニは工事の影響か、見当たりませんでした。ターミナルに着いて旅行の手続きをします。といっても案内書とチケットをもらって簡単な説明を受けるだけです。帰りの飛行機は必ずカウンターに行って手続きをするようにいわれました。日本航空はシステムを変えたそうです。
荷物を預けてもまだ出発まで1時間以上あります。いつも通りラウンジに行きます。この近くも工事で、北ターミナルへは通りぬけられなくなっていました。レ雲時で30分ほど本を読んだ後、保安検査を受けて搭乗待合室に行きます。その間も、工事の仮囲いの間を通っていきます。搭乗待合室からは、六甲山がきれいに見えています。今日はいい天気です。宮古島はどうなのでしょうか。
これから乗る予定の飛行機です。あとは搭乗開始を待つだけです。
那覇便の座席は36K、後方の右窓側になります。このところ窓側の席が続いています。後方の席なので優先搭乗に続いて飛行機に乗り込むことができます。席についてからほぼ予定時刻に飛行機は動き出しました。その後は、動いたり止まったりを繰り返します。滑走路の先端で、後方を見ると離陸予定の飛行機が並んでいます。この時間は、離陸機がたくさんあったようです。
離陸して高度を上げ、左旋回してそのまま南西方向に飛んで行きます。淡路島が真下に見えます。阪神大震災を起こした野島断層が気になります。写真右側の海岸沿いにあります。下の方過ぎてのぞき込まないと見えません。窓ガラスに変な虹模様も見えます。
阿讃山地です。南側の中央構造線がはっきり見えているのですが、これも下の方過ぎて写真ではうまく写せません。
剣山近辺です。雪をかぶった山がたくさんあります。どれが剣山なのかよくわかりません。
この後四国を横切り太平洋に出た頃には雲が厚くなってきました。しばらく景色を見るのは休憩です。沖縄近辺に近づくと再び雲の切れ間が出てきました。伊平屋島が見えてきました。このあたりは、前に那覇に近づいたときと同じような風景が見えています。
その後再び雲の中を通過し、ぬけたときはいつもと違う景色が見えました。すぐにはわかりませんでしたが、その後に見えた景色から、奥の入り江は中城湾とわかります。那覇空港へは右旋回で南から降りるようです。
予定時刻に空港へ到着しました。ターミナルビルが見えています。
飛行機を降りて、乗り継ぎ便の待合室に行きます。窓から外を見ると乗り継ぎ予定の飛行機は到着していました。
宮古行きの飛行機は到着したゲートのすぐ隣から出発です。付近に出発ゲートがいくつかあり、そこから帰る予定でしょうか、何校かの修学旅行生が並んでいます。乗ってきた飛行機を使って帰る学校もあるようです。
出発までしばらくあります。その間にトイレに行っておきます。途中に売店が並んでいます。戻る時にのぞいて見ました。まだここでは買う予定はありません。しばらく時間をつぶしたあと、待合にいると搭乗が始まりました。座席は25Aで左後部の窓側席です。窓側席が続きます。
席に座ってしばらくしてから出発です。ちょっと遅れているような気もします。ここでも、離陸まで時間がかかっているようです。離陸態勢に入たのは10分以上ももたってからです。
窓の外には、西に傾いた太陽が見えます。光芒が慶良間諸島にかかっています。
左旋回をしながら、慶良間諸島上空を通過する頃には雲の中に入ってしまいました。その後は、雲がぎっしりで海面は見えませんでした。飛行機はいったん高く上がったものの徐々に高度が落ちていきます。5000m位までしか上がらなかったようです。雲がすぐ下に見えてきました。まだ太陽の光は斜めに差し込んでいるようです。
ほぼ日没の時刻となっています。反対側なので窓からは太陽が見えません。後方の高い雲だけに夕陽が当たっています。飛行機の高さも雲と変わらない高さになっています。
その後すぐに雲の中に入りました。雲をぬけたときは、まだ海の上でした。
すぐに前方に、珊瑚礁が見えてきます。宮古島に到着したようです。
すぐに島を横断します。左中央に見えているのが大浦の集落で、前方の浜が真謝海岸、右下方の海が大浦湾です。この時には、宮古島のどのあたりかわかってはいません。
位置がわかったのは大きな町が見えてからです。平良の市街地になります。下側が平良港です。
市街地の向こうに空港が見えています。
飛行場が真横に見えているということはいったん通りぬけて反対の南東側から着陸するようです。そのためにはこれから大きく旋回しないといけません。南西方向に進み、伊良部大橋の上空から、与那覇湾の入り口付近を中心に左に回っていきます。回り始めて前方の海の上に島が見えてきました。来間島です。島の左側にあるのが来間大橋です。
来間島上空にさしかかった頃に見えてきたのは、伊良部島です。島のある向きは北西方向になります。空の感じからすると太陽は沈みきっているようです。
この後すぐに着陸しターミナルに移動します。見えてきた、宮古空港ターミナルです。
飛行機を降りて、荷物受取場に行きます。水槽が置いてあって、熱帯魚が泳いでいました。荷物がくるまでの間、魚を眺めて待ちます。
荷物を受け取って、到着ロビーに出ます。レンタカー屋さんがきているというので探します。一番遠くにいました。行って名前をいうと、すぐに車まで移動になります。他にお客はいなかったようです。車への移動中に再度空港を見ておきます。南国風の建物です。
車に乗って、レンタカー会社に移動します。空港で観光パンフをもらうのを忘れていました。会社の人に言うと、営業所にもあるのをもらえることになりました。
営業所について車を借りる手続きをします。傷をつけたりとか、タイヤのホイールカバーをなくしたりとか、車内に砂をあげたりとかするとどうのとか何かにつけて細かい事がいっぱい書かれています。傷がついたときの保証制度があればいいのですが、それはないようです。
車を借りる前に、まわりのチェックをするように言われます。はっきり言って暗くて全く見えません。一応懐中電灯はあるので照らしてみたのですが、上半分だけの確認になってしまいました。使い方についてわからないところがないか聞かれました。カーナビはメニューが表示されていて地図が出せません。きいてみたところ、目的地を入力してとのことでした。どこにいて、道はどこにあるかわかればいいだけです。特に道案内は必要ありません。とりあえず、これだけは聞きました。横にあった現在値のボタンを押すだけでした。
車を借り終わったら、ホテルに移動です。裏口の方に着いてしまいました。フロントでいつも通りの説明を受けてから、部屋のカードと朝食券をもらいます。部屋に入って、荷物を整理してから時計を見ると、夕食までまだ少しだけ時間があるようです。星を見るところをチェックしてから行くことにしました。
港に向かって車を走らせていると、道路の真ん中に猫が座っていました。気がつくのが遅く急ブレーキを踏んでしまい、座席に置いた荷物が飛んでしまいました。ライトが下過ぎで前方が見えづらいようです。返却直前にわかったのですが、ライトの高さは調節できるようになっていたようです。
港に入ってからも、道は行き止まりになっていたりとか、広場の中のような所を突っ切ったりとかだいぶうろうろしました。港の真ん中にある1本の街灯が周辺をくまなく照らしていて、避けるところがありません。何かの倉庫のような建物の影で光が当たらないところを見つけました。ここで星を見ることにします。ここには、何台かの車が駐車しています。星見には影響がないでしょう。何となく、星のような明かりも見えています。
港から戻るときも、こちらからはどうだろうと行ったところは、町中の狭い道になってしまいました。カーナビの地図に表示される広そうな道を選んで進んで行くと猫のいた場所の近くに出ました。そのまままっすぐ進んで夕食場所へ向かいます、予定時刻のちょっと前に到着しました。食事の内容はゴーヤチャンプルとか沖縄そばの入ったセットです。量はかなり少なめです。あとで、ホテルの前のスーパーで夜食になるものを買うことにします。
夕食が終わって車に乗ろうとすると、フロントガラスに雨がついていました。食事中にちょっと降ったようです。車に乗ってそのまま港に向かいます。目的の場所に着いて、空を見ると雲が一面に広がっているようです。しばらくそのあたりを歩き回って時間をつぶしたのですが、晴れ間ができるようすはありません。星見はあきらめます。この付近に停まっている車は増えています。堤防の向こう側に釣り竿が並んでいます。太公望の車だったようです。
そのままホテルに戻ります。向かいのショッピングタウンに何があるのかも気になりますから。ホテルに車を駐めて歩いて行きます。100円ショップとスーパー、ファーストフード店などがあります。スーパーで買い物をします。夜食になるものと、昼食代わりにもなるもの、お土産などを買っておきます。
ホテルに戻って、いったん車に行きます。中に置いていた荷物をとるためです。そこで右前のタイヤのホイールカバーがなくなっているのに気がつきました。途中でカバーが外れるような衝撃はありませんでした。猫がいたので急ブレーキを踏んだくらいです。いつ脱落したのか見当もつきません。初めからなかったのか、誰かに盗られたのかそんな可能性も考えられます。これはどうしようもないので、乗り続けるしかないでしょう。
部屋に戻ってから、明日以後の行動を考えます。ホテルのフロントにも違う観光ガイドブックがあったので、もらって検討する事にます。どの冊子も、店の情報が満載で、必要なところはほとんどありません。要らないところを破り捨ててとやっているとほとんどページは残りませんでした。
新しい情報はほとんどありません。初めに調べた場所を回ることにします。島の形はほぼ三角形をしていて、今は左辺の真ん中ちょっと下あたりにいます。ここからは、伊良部島に渡る橋があります。観光地は、島の内部にはほとんどないようです。基本的には島の外周に沿って走ることになります。明日は、伊良部島に行ってから右回りに行けるところまで行って島を横断して戻ってきて、明後日は左回りに明日行けた場所まで回ることにします。
そうと決まったら、あとはシャワーを浴びて寝るだけです。これでもだいぶ遅くなっています。
ここのホテルの窓からは、一晩中明るい光が差し込んでくるので、ほとんど寝られませんでした。前のショッピングセンターからと思っていたのですが、ベランダに照明があってそこから光が入ってきているようです。今晩はこれの対策を考える必要があります。
窓の外が明るいせいなのか、寝られなかったせいなのか、気がついたらだいぶ遅い時間になっています。朝食前に周辺を散歩するどころか朝食時間も始まっています。急いで着替えて朝食会場に行きます。種類は少なめですが、バイキング形式です。朝食としてはこれでじゅうぶんです。
朝食が終わって部屋に戻り。窓の外を見ると海が見えます。今日の天気予報は曇りのち雨です。予報と違っていい天気です。
必要な荷物だけを持って出発します。伊良部島へは、昨晩行った港への道を進み、途中ふたまたになっている所を右に進めば行くことができます。
橋にかかる手前に広場のような所があります。そこに車を停めて、橋を見ておくことにします。
両側に海がなければ普通の高架道路とほとんど変わりがありません。時間のせいか車はほとんど走っていません。船を通すためか真ん中に高くなっているところがあります。そこからの前方の景色です。
橋を渡りきって道は2つに分かれます。右回りに回るつもりなので、左折します。分岐点に、警官人形がたっています。宮古島内には何体かあるようです。名前がついていて、みやこじまわたる君といいます。
長山の浜とかの横を通りますが、車を駐められる場所がないので素通りです。港があったので寄ってみました。長山港です。橋ができるまではここにフェリーが着岸していたようです。今は海上保安庁の巡視艇だけがあります。
再び道路に戻り、西に進んでいきます。渡口の浜と書かれた標識があったのでそちらの方に行ってみました。浜の入り口です。入り江になった海がきれいです。
駐車場からダイビング案内所のような所の前を通り、浜に出ます。ここの砂浜もきれいです。ずっと遠くまでのびています。
泳いだりとかはしません。じゅうぶん見たら引き返すことにします。入り江の堤防上にイソヒヨドリがいました。青とオレンジの色が見だっています。オスです。
地図で伊良部島を見ると大きな島のように見えます。よく見ると西側3分の1位の所に南北に細長い海が縦断していて、島を2つに分けています。渡口の浜の入り江はその南の入り口になります。ここを境にして東側が伊良部島、西側が下地島になります。間にある海は海峡ということになるのでしょう。これがどのようにしてできたのか興味があります。渡口の浜の入り江は人工的なようにも見えます。そうなら、これは海峡とはいえないでしょう。何といっていいのかわからないので、とりあえず海峡ということにしておきます。
海峡をじっくり見られるところを探して、東側に沿って北上ししてみました。海岸近くまで木が生い茂っていて、海さえも見ることができません。だいぶ進んだ所で、道路から海峡の方に行く道を見つけたので、そこに入って眺めてみました。
南側になります。見た感じでは普通の湾です。見えている橋は国仲橋です。
北側です。岸近くに浅いところが広がっているのかマングローブが何本かあります。ヤエヤマヒルギです。
北上を続けます。海峡を見られるところがないまま、島をほとんど縦断してしまいました。ここから先は下地島からの帰りに見ることにして、橋を渡ることにします。車が来ないので道脇に寄せて止め、橋の上から海峡を見ることにします。北側のようすです。
橋は太鼓橋といいます。橋柱の所にはサシバの彫刻があります。
橋を渡って下地島に入り、今度は海峡に沿って南下します。海が見えないのは変わりがありません。その代わりというのか、電柱の上にサシバが止まっているのが見えました。望遠レンズに取り替えたときにはどこかに行ってしまっていました。この付近はサシバと名前のつく施設が多い場所です。
何も見えないまま、下地島の南端まできました。そのまま南海岸に近い道を選んで西に進んでいきます。海岸に近づけるところもなく、島の西側に回りました。
島の西側には、入り江と岬が入り組んでいます。一番大きな入り江の奥には、砂浜が広がっています。中の島ビーチといいます。ダイビングスポットの1つのようです。入り口にダイバーの車が駐まっていました。そこから浜に降りるところには、石で囲って道が作られています。
入り江の真ん中に島があります。入り口はふさがれているような感じにみえます。浜に打ち寄せる波を和らげているのでしょう。
海岸の岩場は、海面近くが大きくえぐられています。石灰岩が海水によって溶かされてできたようです。このようはへこみはノッチといいます。
何かいないか探していたら、岩の隙間にカニがいるのを見つけました。
下地島西側、ちょうど真ん中くらいの所に帯岩というのがあります。岩と名前がついているものは、見ておかないといけないでしょう。標識もありますので迷わず到着することができました。岩の前に鳥居があります。大きな看板も作られています。そこには本岩根岩と書かれています。それ以外は意味不明な看板です。
岩は直径が20mほどで高さは10mちょっとあります。かなり大きな岩です。
別の説明板によるとこの岩は明和8年(1771年)3月の大津波で打ち上げられたものだそうです。確かにこの岩の下の方をみると、岩盤につながっているのではなく、単にのっかっているように見えます。
この付近には、このような岩がたくさんあったようです。この岩以外は全て空港建設のために使われたようです。
帯岩(通称:オコスコビジー)という名前は真ん中よりちょっと上くらいの所が、まるまる一周くびれているのが、帯をきつく締めたときのようすに似ているところからつけられたそうです。反対側から見るとそのようすがはっきりします。このへこみはノッチのように見えます。海面の高さにできるものです。地震の前の海面はここにあったのでしょう。
ここから岩の反対側を見ると海が見えます。海岸は20mほどの断崖が続いています。これを降りるのは無理でしょう。津波は岩をこの下から持ち上げています。かなり大きな津波だったことがわかります。
入り江になったところに、今にも折れそうなキノコ型の岩があります。そろばん玉とその軸といった方が正確でしょうか。
帯岩を一周して、もとの鳥居の所に戻ります。足元を見ると、緑色の針金のような植物がいっぱいありました。白い丸いつぼみがありましたので、被子植物の一種でしょう。後日調べてみた結果、スナヅルと鑑定しました。
帯岩から再び北上を続けます。今度は通り池と書かれた案内がありました。寄れそうな所は寄っていきます。
先に駐車場があり、そこから遊歩道が続いています。最初はアダンの林の中を通りぬけます。
遊歩道を進んで行くと、正面に東屋風の建物が見えてきて正面に大きな池が見えます。
池は建物の横にもう一つあります。2つの池は地下で海とつながっているそうです。鍾乳洞のドリーネ付近が陥没してできたものでしょう。
遊歩道は木道となって続いています。グーグルマップにはこの先鍋底池というのがあると書かれていますので、行ってみました。残念なことに道は行き止まりとなっています。岩の上が白くなっているところが続いていますから、昔はいけたのでしょう。行くなといってるみたいですから無理はしないでおきます。
ここから入り江を挟んで反対側が帯岩のあったところになります。探してみると、見つけることができました。断崖の上に打ち上げられた様子がわかります。
下地島の西海岸に沿って北上しています。通り池への分岐からはすぐに北端に到着します。下地島には空港があって、その滑走路の北側は海にせり出しています。ここからは、滑走路に沿ってぐるっと回っていく道になります。この部分に入ると道は狭くなります。正面から大型バスがきたので手前で待っていたのに、変な進み方をしてきたおかげでバックさせられてしまいました。そのまま通過していて、すれ違う直前に待避できる場所はあったようです。
下地島北側をとりまく珊瑚礁は岸からずっと離れています。滑走路沿いの道路から見ると、広い礁湖があってそのはるか先に波の立っているリーフのある場所が見えます。リーフ付近の濃い青色と、礁湖の薄い青色とのコントラストが鮮やかです。
滑走路の北側に回ると道はわずかに広くなります。端に寄せて車を止めるても、横に何とか車が通れる幅が確保できます。止まっている車もたくさんあります。通る車がないか注意しながら、付近を見ることにします。
このあたりでは、ツバメが飛び交っているのが見られます。本州に比べてだいぶ暖かいのですね。
滑走路の先から伸びる誘導灯です。沖合に向かって一直線です。
反対側の滑走路です。飛行場は訓練用のもので、飛行機の離発着は少ないようです。
道が狭いので長居はできません。滑走路北側から東側に曲がる向こう側で大型観光バスが止まっています。添乗員さんが降りてきて、車をどけてくれと叫んでいます。カーブではこの道幅いっぱい必要なようです。
曲がった先の海です。対岸が佐和田の浜になります。この付近の入り江がカタバルイナウというようです。今いるところも、滑走路のために埋め立てたところですから、イナウの上なのでしょう。不思議なのは、ここの入り江には、大小様々な岩が無数に点在していることです。
道路沿いに、魚垣(ながき・カツ)とかかれた案内板があります。潮の流れに乗ってきた魚を、石を並べて誘導しその先で集めて捕まえる漁法のようです。魚簗(やな)の海版といったところでしょうか。海を見てもそれらしいものははっきりしませんが、一部に石を並べたように見えるところがあります。
この先で道は、滑走路沿いから下地島北海岸に沿って東に進むようになります。このあたりは、かなり遠浅になっているようで、干潟は大きく広がっています。
さらに進んだ所に佐和田の浜展望所があります。そこから見たカタバルイナウです。ここの説明には、ここの散在する岩は、明和8年の津波で運ばれてきたものと書かれています。それより古い時代のものも混じっているそうです。
展望所の反対側に橋が見えます。そこから見えた海峡です。だいぶ砂で埋められているようです。ここの橋を渡ると伊良部島になります。
さらに進んで佐和田の浜です。ずっと遠くまで砂浜が続いているのがみえます。
佐和田の浜を過ぎると、伊良部島の北端まで一気でした。着いたのは白鳥崎です。カタバルイナウ北側の珊瑚礁は、ここからまっすぐ西に延びていきます。
白鳥崎の展望所から海を見ると、この付近では珊瑚礁が海岸近くにあるのに、それが沖合に向かってどんどん伸びていくように見えます。もちろん礁湖の青と外洋の青、間にある波の白の色具合が絶妙です。
展望所からは遊歩道が作られています。歩いてみることにしました。まずは海岸近くに行きます。大きな入り江があります。この付近の地面はほとんど海面と変わらない高さにあります。
遊歩道です。道はいいのですが、この先に見えている橋のところで通行止めになっていました。引き返して、この先からも見てみることにします。
戻る途中に海岸に生えていた植物です。長命草とはちょっと違うようです。
車で白鳥崎の向こう側に回ります。付近は白鳥崎西海岸公園というようです。白鳥崎の東側にあります。こちらにも展望所があります。そこから見た南東側です。断崖の上に展望台のようなものが見えています。フナウサギバナタです。白鳥崎からこちら側にかけて、海岸沿いの崖は少しずつ高くなっていっているようです。
沖合の方角です。水平線上右端が宮古島西平安名崎、左側に池間島が見えています。
フナウサギバナタに移動してきました。地名は、昔島を旅立つ人をここから見送ったことに由来しているそうです。
眼下の海です。珊瑚礁と礁湖が見えます。このあたりの礁湖は白鳥崎付近に比べてちょっと広めになっています。
西海岸公園の展望台方面です。こちらに向かって崖が高くなっている様子がわかります。珊瑚礁がほとんど崖下にあるのがわかります。
フナウサギバナタの展望台です。サシバを模して作られているそうです。
伊良部島の北端から東端の海岸線は膨らむように緩くカーブしていて、その真ん中付近の一番出っぱったところに佐良浜の集落があります。この集落の北側の海岸にサバウツガー(サバ沖井戸)という井戸があります。順番として次の目的地はここになります。
佐良浜集落の中では道路が入り組んで、どの道が通りぬけられるのかわかりにくいのですが、車を走らせていた道沿いに、サバウツガーへの標識が何カ所かありそれに従っていけば到着することができました。
車の駐車スペースの近くに、この付近にイラブナスビという宮古島近辺にしか見られない植物があると書かれた説明板がありました。付近の植物を探したのですが、それらしいものは見当たりません。看板近くにあった草の写真を撮ったのですが、これではなかったようです。
南側の海岸です。断崖の上に展望台が見えます。後で行って見ることにします。伊良部島の北東側にはこのような展望台がたくさんありました。
直下の海面です。上面の高さが海面の高さとほとんど同じところがたくさんあります。波が岩の上をなめるように通っています。
北側の海岸線です。断崖が続いています。その下に同じ幅で浅い平らな海底が続いています。海食台というより、珊瑚礁によって作られるサーフベンチのようです。
階段があります。海岸近くまで下りていくことができそうです。下りてみます。下には丸く開けられた穴のようなものが作られてます。これがサバウツガーです。ガーは泉を表すことばだそうです。ここの水は簡易水道ができるまでは、地元の人たちの貴重な水源として使われていたそうです。
井戸の中です。底の方に水がたまっているのが見えます。
横の崖です。茶色い地層のようなものが見えます。そこだけ、岩石が溶かされたような穴がたくさん見られます。このような穴を通って水がしみ出しているようです。
来た道の方を振り返ってみました。急な階段があります。そのまま真上の平らなところまで一気につながっています。汲んだ水をもってこの階段を毎日上がるのは大変です。荷物がなくても息が切れます。
階段を上がって広場に着いたところで、見学に来ていた観光客に何があるのかと聞かれました。井戸があると教えると、どうしようかしばらく悩んでいたのですが結局下りていきました。普通でも下りていくのに勇気が要ります。
車に乗って先ほど見えていた展望台に向かいます。こちらはさばおき園地というようです。駐車場のまわりにはお墓が並んでいます。ここは園地というより霊園のようなところなのでしょうか。
展望台に来たのですからそちらの方に行きます。ここからも海がよく見えます。北側の海岸です。先ほどこちらを見ていたのは、左端、崖の中段くらいの所にある平らになった場所です。集落はここより高いところにあります。水を運び上げる苦労は先ほど登った階段では済まないことになります。大変な苦労を強いられていたことになります。
さばおき園地からさらに南を目指します。佐良浜の町中は、カーナビで位置を確認しながら、通りぬけられそうな道にを選んで通りぬけました。広い道に出ればあとは一直線です。伊良部大橋の手前にヤマトブー大岩というのがあります。まずはそこを目指します。
ヤマトブー大岩は、非常にわかりやすいものでした。その前後には車を止められそうな所がありません。だいぶ行きすぎたところに浜への入り口が広くなっていて、車が何台か駐まっています。その横に入れさせてもらいました。
浜は親泊浜といいます。伊良部大橋はすぐ目の前に見えます。これでほとんど、伊良部島下地島を一周したことになります。
浜から、歩いてもときた方に引き返します。道路の山側に海が入りこんでできた運河のようなものが見えます。実際には、海岸の崖から海にはみ出すように道路が作られています。本土復帰記念事業の一環として作られたもので、海中道路と名付けられています。その石碑も道路脇にあります。
道路が海にはみ出している分、海がよく見えます。海岸の亀型の岩と伊良部大橋を一緒に写してみました。
ヤマトブー大岩です。伊良部島への目印として使われていたそうです。大きくて目立っていて、形も特徴的なので、確かに目印としては最適です。
あまりに大きいのでこれ以上近づくと写真に入り切りません。これが限界です。
伊良部島で行き損ねた観光スポットがもう一ヵ所あります。牧山展望台です。伊良部島での最高地点にあります。そちらに向かいます。案内板が整備されているのでそれに従っていきます。駐車場から展望台まで300mほど歩いて行きます。道脇にいたコサギは近づいても、飛び去ろうとはしませんでした。ここがかなり気に入っているようです。
展望台です。ここの形もサシバを模しているそうです。
展望台に上がってみました。ちょっと風が出始めているようです。帽子が飛ばされないように注意します。眼下をのぞき込むと先ほどのヤマトブー大岩が見えます。
その海側です。宮古島との間には珊瑚礁のある浅い海が広がっています。
伊良部大橋です。その向こう側は宮古島与那覇湾−西浜崎、その右の水平線上に来間大橋が見えています。
展望台から駐車場に戻ります。途中の花壇に蝶がやってきています。わたりで有名なアサギマダラです。ランタナの花に止まっています。金のさなぎで有名なオオゴマダラもいましたが、止まっているものはなくうまく写せませんでした。
伊良部島下地島は、島内に観光名所の記された看板があってそれに従うと回りやすい島でした。まだみていない3島もこんな感じなのでしょうか。
伊良部大橋を渡ってそのまま真っ直ぐ進んで行くと平良の市街を横切ります。道はいったん狭くなって、再び広くなったところの交差点は大和井と書かれています。国指定の遺跡のようです。信号待ちで止まった横を見ると大川(ウブカー)と書かれた解説板もあります。気になるので車を駐めて見ていきたいのですが、ざっと見て車を止められそうな所がありません。交通量も多いので探している余裕もありません。結局流れに押されて通り過ぎてしまいました。
この後は、海岸沿いに北上する予定です。砂山ビーチを示す標識が出ていますからこれに従っていけば海岸に出られるでしょう。ここを見てから北上することにします。
砂山ビーチの駐車場に無事到着です。駐車場の入り口に大きな木があります。枝からたくさんの気根が下がっています。ガジュマルなのでしょう。いまだにアコウとの違いがよくわかりません。
ここから、海岸にぬける道があります。そのまま下りていくのかと思っていたら、いったん砂山のようなところを登らないといけません。砂丘なのでしょうか。砂に足がめり込んで、歩くのが大変疲れます。
登り切ったらそれ以上の距離の砂の斜面を下りていくことになります。両側が崖に囲まれた砂浜にでました。左側の崖にはトンネルのような穴が空いていて、向こう側にぬけられます。
トンネルをぬけた先から見た海です。沖合の色、礁湖の色、影になっているところの色違いがはっきりしていてきれいです。
砂浜の方に戻って、そこから先を見たところです。西平安名崎につながる海岸線が見えています。
振り返って崖側です。トンネルになっている所以外にも、たくさんの穴が見られます。日陰に入って休むのにはちょうどいい感じになっています。
再び砂の斜面を登って引き返すことにします。来た時よりも高く登らないといけないので、疲れます。途中で息が切れている人がたくさんいました。
砂山ビーチから海岸沿いに進む事を考えていたのですが、大きく戻らないと先に行けないようです。道に従っていきます。大浦湾のところでいったん海岸に出たものの、その先は、細長い半島の真ん中を通る道に入ってしまいました。西海岸に出る道を探しながら走ったのですが、どれも狭くて入るのをあきらめました。そのまま進んで行くと海中公園への標識がありました。狭い道ですが入っていって海中公園に到着です。
海中公園の建物前から見た海です。このあたりは下地島の西海岸のように、入り江と岬が入り組んでいるようです。
北側の入り江です。向こう側に遊歩道が見えますので行ってみたかったのですがたどり着くことができませんでした。
海中公園は、海中に通路が作られていてそこから海の中を見る施設のようです。今回はパスさせてもらいました。
駐車場から車を出し、海中公園建物入り口の前を通ると海軍特攻艇格納秘匿壕と書かれた案内がありました。その向こう側の木の根元あたりが大きく凹んでいます。ここに特攻艇を隠していたようです。
海中公園から、一番海岸に近い道を進んでいきました。特に何もなく、真ん中を通る道路に合流し、その先で2手に分かれます。一方は池間島に通じる道、もう一方は西平安名崎に向かいます。まずは西平安名崎を目指します。
分岐からすぐに、馬が飼われているの見えてきました。ちょっと小さめです。向こう側には牛もいます。後で調べてわかったことですが、この付近で宮古島特産の宮古馬の牧場があるとか。これのことだったのでしょうか。
西平安名崎に通じる道を進んでいきます。右側に風力発電用風車、左側に海が見えています。風車がなくなったところに駐車場があります。上に展望台が見えています。道は続いています。まだ先へいけるようですが、ここに車を駐めることにします。
最初に展望台に上がってみました。西平安名崎展望台といいます。展望台から東側の海です。橋があってその左に島が見えます。池間大橋と池間島です。
岬の付け根方向です。湾の奥に砂浜が見えます。
岬の先端方向です。先まではまだまだあります。道は途中までしかないようです。
展望台を下りて道路に出ると向こう側に遊歩道が見えます。西側の海も見たいのでいってみました。海岸に出てぐるっと回ってくるように作られています。途中で見えた海です。キノコ型の岩が見えます。その向こうに橋が見えています。伊良部大橋です。
道路に戻って岬の先端に行くことにします。車でこの先行けるところまで行く事もできますが、それほどないだろうといことで歩いて行くことにしました。実際には思った以上の場所まで車で行けました。
舗装された道は真ん中くらいまで、その先は山道のような道になり、さらに先では踏み跡をたどりながら行ってやっと先端に到着です。ここから振り返って見た岬です。
直下の海です。見えている岩場が先端の先端になります。
この先は進めないので引き返します。舗装路に出たところで、高いところに通る遊歩道から戻りました。展望台がありました。池間大橋展望台というようです。
駐車場に戻り車で次の池間島を目指します。分岐まで戻ったところで製塩所への標識がありました。減塩生活に入っていますので、こちらはパスです。こちら側から西平安名崎展望台から見えていた浜へはいけたようです。
池間島への道に入り、進んで行くと橋のようなものが見えてきました。ここから池間大橋と思い、脇にあった駐車場に入りました。よく見ると橋は短くその先には島があるようです。道はその上を通っています。
西側です。先ほどまでいた西平安名崎が見えています。
宮古島の北端は世渡崎といいます。西平安名崎よりはほんのわずかに北にあります。世渡崎から池間島へは世渡橋をわたり細長い島を縦断してから、池間大橋を通って行くことになります。島があるというより、世渡崎が先端部で分断されているような感じになっています。
池間大橋を渡る前に見ておきたいので、車を駐められるところがないか探します。島の北半分は駐車場になっていました。渚まで下りる階段があります。横にあった岩です。波で溶かされて大きく窪んでいます。
ここから見た池間大橋です。真ん中にある船がくぐっていく部分もそれほど高く作られていません。
振り返って見ると島が見えます。大神島です。ここへは船でないと行けません。島の左側にキノコ型の岩がたくさん見えています。
道路を渡って反対側です。えりが設けられています。その向こうに見えるのが西平安名崎、さらに向こうに伊良部島が見えます。
池間大橋を渡ります。渡った先に土産物屋さんが何件か並んでいます。駐車場には車がいっぱいでしたが、何とか駐められる場所を見つけそこに入れました。
上が展望台になっている土産物屋さんが一軒あります。そこからは八重ビシが見えるというので行ってみました。何となく水平線近くに波のたっているところが見えます。船も何艘かいるみたいです。ここなのでしょうか。沖合のリーフのようにも見えます。
西平安名崎方面です。岬の先端の向こうにあるのは来間島のようです。
展望台に上がった入場料代わりに何かあれば買おうかなと思ったのですが、特にこれといったものはありませんでした。それどころかマグロの角煮を試食させてくれました。前回の種子島の帰りに鰹の角煮を買っています。似たものが続くので、買えませんでした。
店の横から海岸に下りる道があります。下りてみた池間大橋です。高く作られていないのがわかります。
下りた所の浜です。それほど広くありません。八重ビシは水平線の向こうになって、見えなくなっています。
これから島を一周することにします。向きは左回りです。こちら向きにした理由は特にありません。強いていうなら、湿原が見たくて先に行けるようにしたいというくらいです。
島の北東の角くらいの所にフナクスという場所があります。キャンプ場があってその名前にフナクスと書かれています。駐車場があるので車を入れました。海岸に近い場所なので、海を見に行くことにします。ウエットスーツを着た人がたくさんいます。天気がよくて暖かく、ダイビング日和なのでしょうか。
海に出る道を探していたら、看板には少し戻ったところから出られると書いてあります。そこにいた人たちは、そのまま藪を突っ切って出てきていました。そちらからもいけそうです。
海岸に出たのですが、岩場の上です。そこから見た砂浜です。
浜に下りるには、1m位の高さの壁を下りないと行くことができません。岩場と壁を利用して下りてみました。島入り口の浜とそれほど変わったところはありません。さっと見て引き上げます。帰りは、ダイバーが通ったと思われる道から戻りました。
次は、島中央にある湿原を目指します。フナクスの前で道は2つに分かれていて、島の中心側に行く方の道を進みます。サトウキビ畑の間を通っていきます。途中で、道路を横切るネズミを見ました。大浦から池間島にくる間の道でも、ネズミが車に轢かれているのを何回か見ました。このふきんはネズミの多いところのようです。
道を進んでいると、湿原の方向を示す標識があります。狭く舗装されていない道になりますが入っていきます。突き当たりに展望台があります。そこから見た湿原です。池間湿原とかユニムイとかいいます。
池間湿原は南に開けていて、昔は海とつながっていたようです。今は切り離されて淡水となっています。鳥がたくさんいると書かれています。展望台に上がったときにはシラサギが何羽か遠ざかっていくのが見えました。次に見つけたのがアオサギです。
カイツブリもいます。目のまわりの白い縁取りが特徴です。
頭の所に、白いとさかのようなもののある鳥がいました。オオバンです。初めは草むらの中にいたのですが、しばらくすると開けた水面に出てきました。
バンやカイツブリのいた方向ばかりを見ていたら反対側にシラサギがやってきたようです。そちらの方をみると逃げていきました。
湿原の次は、灯台を目指します。いったんフナクスまで戻り海岸沿い方の道を進んでいきます。戻らなくても行くことはできたのですが、海岸沿いを通っていきたかったこともあります。地図には池間ローブというのが書かれています。これは見つけることができませんでした。
灯台です。よく目立っています。近くに駐車場がありません。道路の広くなっているところに車を止めて見に行きました。
海から離れたところにあります。この付近で一番高いところなのでしょう。海も見たくなっています。道のようなものがありますので行ってみました。アダン林の中の獣道のような感じです。アダンの枝が引っかかるので、ときどき屈みながら進んで行きます。道は海岸に平行にあるようでなかなかたどり着きません。何とかたどり着いたところから見た海岸と海です。このあたりのリーフは池間島では陸地に近いところにあります。
引き返します。途中のアダンの枝に、胸のポケットに入れていたコンパクトカメラがぶら下がっていました。うまくよけ切れていなかったようです。
車に戻りそこからそのまま西海岸にまわり、南下していきます。西側に一番出っぱったあたりにハート岩というのがあります。地図とカーナビの位置情報とかを頼りにいったのですが行きすぎてしまいました。引き返してみると、こちら側からははっきりとわかる案内がありました。民家の庭のような所がありそこが駐車場になっているようです。そこに車を入れます。
車を降りて少し上がった所に、ハート岩観察場所と書かれた看板があります。そこから見ると岩にハート型の空洞が見えます。
手前側の岩と向こう側の岩の形でハート型になって見える場所が限られるようです。海岸に下りて同じ場所を見たものです。かなりいびつになっています。この程度の形でもハート岩と呼んでいるところがありそうです。
ハート岩から池間島の西海岸を南下していくと、池間島の集落のあるところに出ます。観光案内を見ても特に何かあるようではないのでパスします。道は町を迂回するように通っています。そのまま進んで行くと池間大橋へ、その後すぐに池間大橋に到着しました。
橋を渡って宮古島に戻ります。この後は西海岸に沿って南下して行く予定です。世渡崎の細い岬をぬけて、広い半島に出たところで海岸に出られる道を探します。狩俣の集落をぬけたところで、海の方に向かう道がありました。分岐点にある標識には入っていくと島尻マングローブへ行けると書かれています。この道を進む事にします。
しばらく走っていると川を渡ります。川岸にはマングローブが生えているのが見えます。もうすぐと思って車を走らせていてもなかなかそれらしいところにはつきません。次第に川から離れていくように見えます。500mほどいったところでやっと、マングローブ遊歩道の入口につきました。そこからさらに200mほど入った所が駐車場になっています。
駐車場の正面に川が流れています。川岸を見るとマングローブがあるのが見えます。川岸で目立っているのはヤエヤマヒルギのようです。タコのような支根がいっぱいでています。
遊歩道入り口は、川から離れたところにあります。行こうと振り返って見ると、観光バスがその入り口に横付けしています。このままいっても団体客のあとをついて歩くことになります。何か他にないかと案内板を見ていると、入ってきた道を少し戻ったところにヒルギダマシの群落があると書かれています。これを見てから遊歩道を進む事にします。団体客からは離れるでしょう。
群落があるとされたところです。手前に草が生い茂っていてちょっと見づらくなっています。
そこの地面です。タケノコのような木の根がいっぱい出ています。筍根といいます。見たときはマヤプシキ(ハマザクロ)と思っていたのですが、かなり細いようです。ヒルギダマシもしなやかな筍根を出すそうです。これと、その向こうの灌木ような植物がヒルギダマシのようです。
遊歩道の入り口に戻ると団体客は見えなくなっています。川沿いの遊歩道を見ても、人影はまばらになっています。後でこの写真を見直すと、川岸の生えている背の高い木はヤエヤマヒルギで水面を覆うような低い木はヒルギダマシである事に気がつきました。
遊歩道の途中に橋が架かっています。その上から見た島尻川です。ヤエヤマヒルギが多いようです。飛び抜けて背の高い木はモクマオウです。この付近にもだいぶ進出してきているようです。
橋です。島尻入江橋といいます。石組みのめがね橋です。石は琉球石灰岩を使っているようです。この石も加工しやすそうな石です。これほどしっかり整形しているのはあまり見かけません。
メヒルギとかオヒルギがあるようですが、あまりはっきりとはわかりません。どちらかというと、地面からの立ち上がり方で区別しています。これがはっきり見えるのは水際近くのものなので、どうしてもヤエヤマヒルギが目立ってしまいます。中くらいの背丈の木がヤエヤマヒルギで、それより一段高い木の感じが少し違っています。メヒルギかオヒルギのようです。これらは水際から離れたところに多いようです。
地面です。巣のような穴がいっぱい空いています。入り口が円柱形に盛り上がっているものもあります。先ほど団体客が通った影響なのか動物は出てきていません。
マングローブ林から南に進んでいくと、島尻の集落に出ます。地理院の地図にはここに先島諸島火番盛(ヒバンムイ)というのがあると書かれています。ここのものは島尻遠見といいます。池間島からここに来る途中にも、狩俣の集落にもあると書かれていました。池間島にもあったようです。火番盛というのは何なのか気になるので探してみることにしました。
場所は、集落から漁港にぬける途中の峠になったところにあるようです。カーナビには場所が示されません。地理院地図の示す場所に向かいますが、道が細くなりすぎてそれ以上進むのを断念しました。
今度は漁港側から行って見ます。やはり道が狭くなり車では無理なようです。後で何となくわかったのは、町中から行ったときは残り20mの所まで近づいていたようです.その先には車を止める場所がありません。漁港側からは、広いところがあったのでそこに車をおいて歩けばたどり着けたようです。
火番盛はあきらめて、町を通り過ぎようとしたところに「あぎいす」と書かれた石板が立てられています。内容は、左側にある石が昔若者達が力試しに使ったあぎいすとのことです。
宮古島の東海岸沿いの南下を続けます。持っている地図よりカーナビの地図を頼りにしています。あまり観光地の情報は入っていないようです。真謝海岸は行きすぎてしまいました。道はいったん内陸側に大きく曲がります。再び海岸に近づいたところで、内陸側に熱帯植物園があるという案内が出てきます。たどり着いた熱帯植物園の入り口です。
このゲートをくぐったところにいくつかの建物があります。宮古島体験工芸村になっていて、いろいろな工房で工芸品を作る事ができるようです。植物についての解説はあまり見かけません。入ってみた感じでは植物園というより、こちらの方がメインのように見えます。工芸村奥の庭園風の場所です。
展望台があるというので、上がってみました。上につくなり猛烈な風と雨が降りだしてきました。景色を見るどころではありません。宮古島特有のスコールなのでしょうか。
展望台の裏側にあった見張の神と書かれた祠のような場所があります。御嶽の一種なのでしょうか。
雨宿りのつもりで入ったのですが、雨はここにも降り込んできます。退散することにします。花の写真を撮っていなかったので、見かけたものを写しました。ブーゲンビレアです。
大きな木に、ピンク色の花が咲いていました。あとで園内にある花の一覧と比べてみたところ、似てたのはトックリキワタです。
雨が激しいので回避する手段として、近くの総合博物館を見学するということを考えてみました。開館しているのですが、時計を見ると入場締め切り時間をわずかに回ったところです。残念ながらこの方法は使えないということになりました。
島の南下を続けることにします。ここにくるあいだに、この先に比嘉ロードパークがあるという標識が出ていました。ここなら何かありそうな感じがするのでここを目指していくことにしました。
もとの海岸沿いの道の戻り車を走らせていると、看板があって公園のようなところがあります。車を止める場所もありますので入ってみました。宮原第2水辺公園と書かれています。この付近一帯は排水が悪く、灌漑用の施設を作った記念の公園のようです。横に沈砂池があります。
海岸も見えます。階段があり下りていけるようですが、風が強く雨もぱらついていますから行くのはあきらめました。
比嘉ロードパークを目指します。何とかたどり着きました。名前からして道の駅のような所と思っていたのですが、広い駐車場があって他にトイレと展望台があるだけの場所でした。
ここも、強い雨と風が吹き付けています。車の外に出るのはちょっとためらわれます。思い切って展望台までは行きました。そこからの海岸です。午前中に見た海と比べて、鮮やかさがなくなっています。
もうちょっとだけ進んでみることにしました。いったのは浦底漁港です。このあたりは道路から海岸に出るには、高い崖のような斜面を下りていかないとたどり着けないようです。下りきった所からみた北側です。このあたりだけ海岸近くに低い所があります。道路は正面に見える山の高いところを通っています。風雨の影響で、ちょっと先なのですが霞んで見えます。
海岸沿いに南側に進んだところから見た海岸です。ゴミだらけの浜です。この先で、沖合の方に伸びているように見えるものは漁港の防波堤です。
このままではどうしようもないので、いったん平良市街まで行き、町中を見てから夕食に行くことにします。車は港付近で駐められそうな所を探すことにします。その前に、夕食券を持ってきたか気になります。なければいったんホテルに戻らないといけません。調べてみると持ってきているのがわかったので港に向かうことにします。
市街地に入って、海の方に向かったところに駐車場がありました。ここに車を止めることにします。前は公園のようになっています。木のまわりとか、ドームのような形に作られたものとかが、LEDのイルミネーションで飾られています。だいぶましになったというものの、まだ雨風は強く吹き付けています。
何かのイベントが終わったあとのようでした。通路を歩いていたら、段ボールを抱えた女性がお菓子のセットの入った袋をくれました。配って余ったもののような感じでした。
ここから町中の方に行けば、なにか見所になるものがあると思っていたのですが場所が違っていたようです。後でわかったことですが、ここはバイナガマ海空公園という場所で横にはビーチがあったようです。翌朝の新聞には、ここにつくちょっと前に予定されていたイルミネーションの点灯式が雨風のために中止になったと書かれていました。
夕食いってもいい時間になってきました。店に向かいます。今晩は普通の洋定食です。おなかがいっぱいになりました。食事の内容としてはこれでじゅうぶんです。
まだ雨が降っています。星を見るのは無理でしょう。明日の見所を確認して、向かいのスーパーでお土産などを再度見てから、寝ることにしました。今晩はカーテンを閉め、目覚まし時計をセットして寝ます。
朝は目覚ましの音で起きました。カーテンを開けて見ると外はまだ薄暗いようです。まだ日の出まで1時間近くある上に、空は雲で覆われています。食事時間までそれほどないことですし、近くに見所になる所はありません。散歩には出かけないことにします。今朝の食事は、団体客が泊まっているため混雑が予想されるそうです。早めに行くことにしました。まだ少し時間がありますので、荷物を整理したりとかで時間をつぶします。
食事会場で一緒だったのは同じ旅行会社のツアーでした。添乗員さんがいたので団体保険のことを聞いてみたのですが、わからないとのことでした。食事をすませて、荷物を持ったら出発します。
今日の予定は、ここから港に出て海岸沿いを左回りに昨日行ったところまで回る予定です。星を見る予定にしていた場所から始めます。
ここの漁港の高台には、久松五勇士顕彰碑というのがあります。日露戦争の時に、宮古島沖を通るロシア艦隊を見つけその連絡のために石垣島までサバニ船を漕いで行きそこから無線で本土に伝えたという5人を称えたものだそうです。
顕彰碑の裏側、高台の下には、機関銃壕跡があるとかかれています。こちらは第2次世界大戦の時に設けられたものだそうです。自然にできた穴を利用しているそうです。草木が生い茂っていてよくわかりませんが、穴のようなものが見えます。これのことでしょうか。
ここから海岸沿いに南下していきます。途中何も見るものがなくホテル前から来る国道に合流します。その先にマングローブ林があるはずですが、それらしいものが見えたものの何も案内もなく、車を止められそうな場所も見当たらないまま行きすぎてしまいます。
次に右側に見えてきたのが赤い鳥居の神社です。鳥居前に赤名宮と書かれています。行きすぎていたのでUターンして鳥居前に車を止めます。鳥居前から見た赤名宮です。社殿も独特の石造りです。他の御嶽と違ってしっかりとした祭神(御栄加主;うえかぬす)がいらっしゃるようです。
道路の反対側には製糖工場があります。ここの社長さんが神社を建て替えたそうです。
横に海があります。このあたりは与那覇湾の一番奥になります。湾入り口の方をみたところです。
湾の奥を回ってその反対側に行きます。浜があって公園になっています。サニツ浜といいます。公園の入り口には大きなウマのモニュメントがあります。宮古馬だそうです。
浜から見る与那覇湾です。昨日からの雨風のせいか、海の水はだいぶかき乱されて濁っているようです。
公園の木々の間には、ツバメが飛び交っていました。
与那覇湾の西側には半島状のものがあります。特に名前はついていないようです。その先端から、湾を半分ふさぐような形で細長い岬がのびています。砂州のようですが、特に砂が運ばれてきたというような形跡はありません。砂州ではないのかも知れません。この岬の先端は西浜崎といいます。変わった地形なのでここを目指すことにします。
半島の与那覇湾側を北上します。海岸林があってそれを横断するような道はないようです。
半島の先端まで来ました。狭い道が、岬の方にのびています。車を走らせるには勇気が要ります。この先で、海岸に出られる場所はないか探してみることにします。結局半島の先端部では海岸に出られる場所を見つけられませんでした。そのまま、半島の反対側を南下していきます。途中サシバのような鳥が2羽飛んで行くのが見えました。トビかどうか確認している内に遠ざかってしまいました。先に写真を撮っておくべきでした。
半島を1kmほど南下したところで海岸に出られる道を見つけました。長い砂浜が続いています。ずっと南側に来間大橋と来間島が見えます。浜の先は与那覇前浜ビーチになります。このあたりは与那覇前浜の北部になるのでしょう。
北側です。砂浜は続いています。海岸沿いに遊歩道があり、西浜崎からサニツ浜まで行くことができるようです。全部歩くと5km近くになります。ここに戻ってくるまでさらに1kmありますから距離的には長すぎるようです。ちょっと遠慮させてもらいます。この遊歩道は長崎遊歩道といいます。西浜崎にいたる岬を長崎というのでしょうか。
道路に戻って、半島西側の南下を続けます。途中リゾート施設の並んでいるところがあり、道路は海岸から離れます。しばらく車を走らせていると、与那覇前浜方向を示す標識が出てきます。案内に従って右折します。道は海近くまで続いていますが、駐車場はその手前にあります。いったん先までいったものの、引き返しそこに車を入れます。
ついた場所は来間前浜港です。舟揚場ごしに来間大橋が見えます。
正面には来間島が見えています。これからここに渡っていく予定です。
北側です。砂浜の先端あたりが前浜ビーチになります。
足元の砂です。はっきり言って、これまであまり砂を見ていませんでした。ここのものは、細かい砂粒の集まりのようです。
元の道に戻り、再び南下します。すぐに、来間島方向を示す標識が出てきます。曲がって進んで行くと来間大橋が正面に見えてきました。
来間島を調べていて1つ気になったものがあります。島の東海岸のタコ公園という場所に、まっすぐな崖に挟まれた細長い入り江があります。幅が20m奥行きが100mほどです。この延長は、凹地となって島を縦断しているようです。あまり他ではみられない地形です。これが何なのかは非常に興味があります。
来間大橋を渡ってすぐの所に、広い空き地があります。ここからタコ公園に行く遊歩道があります。この空き地に止めなくても道路をほんの少しいったところに東公園がありここにも駐車場があるようです。
遊歩道は、しっかりとした石畳の道です。歩きやすいように作られています。両側は木が生い茂っていてジャングルの中を歩いているようです。
所々に、葉っぱの大きな植物があり熱帯地方という感じがしてきます。
5分ほど歩くと広場に出てきます。この正面が目的の場所になります。右側には垂直な高い崖がまっすぐ連なっています。この先、海岸に下りて行けるところはなさそうです。
この文章を書いているときに気がついたのですが、ストリートビューでは海岸に下りています。正面の草木の低いところを越えようとしていました。そこではなく写真の左端近くに青い看板があります。その横に狭いですが道が続いていたようです。もう少し入念に調べるかよく探してみるべきでした。
広場の左側も小高くなっていてその上にタコのような形をしている展望台があります。タコ公園というのはこれからきているのでしょう。
展望台から見た北側の凹地です。向こう側の崖は来間島の東海岸に沿って真っ直ぐに延びていきます。断層崖なのでしょう。手前側のものははっきり見えません。
凹地の海側です。肝心の入り江は見えません。
ここから見える宮古島方向です。リーフがあるのでしょう大きな波がたっています。
展望台からは見えないようなので、下の広場に引き返します。すぐ横の崖の岩石です。水に溶けて穴だらけになった石灰岩で、これといってなにかあるようでもありません。
できるだけ海に近いところまで行ってみました。かえって手前の草木が邪魔で何も見えません。
凹地がどのようなものなのか、これ以上の探索はあきらめます。
来間島でもう一つ気になるものが、来間ガーです。来間島を周回する道路から離れたところにあります。その間は崖があります。タコ公園から続いている崖です。この崖を横切るのは無理ですから、来間ガーにいくには来間漁港に下りてからいくしかないでしょう。
来間大橋を渡った道を進んで、来間漁港の方に右折しようとすると工事中通行止めと書かれています。道は狭くなりますが、来間の集落から下りていく道もあります。こちらも進んで行くと工事中になります。通行止めではないようなので、そのまま進んで行くと、先ほどの道と合流し、来間漁港につくことができました。漁港の桟橋から見た来間大橋です。ちょっと雨がぱらついています。
海の左側を見ると伊良部大橋も見えます。こちらは中央部は海面からかなり高くなっています。
島の北側海岸線付近です。切り立った崖が続いています。大きな建物は給水塔のようです。
この港には、犬が1匹歩き回っていました。年賀状のネタに使えないかとねらってみたのですが、あまり様にはなりませんでした。
来間ガーに行く道が山際にあるのを見つけました。入り口は、通行止めの看板で完全に閉鎖されています。来間ガーには行けないようです。残念ですがあきらめるしかないようです。ちなみに来間ガーとは来間島にある井戸のことで、来間の人たちはここから水をくんで使っていたそうです。ガーは井戸や泉を表すことばのようです。
次は来間島を周回することにします。通行止めはここから先ということがわかったのでまっすぐ戻っていきます。そのまままっすぐ進めば右回りに周回する道に入ります。道なりに右回りに回ることにします。
この島も海岸に近づける道は少ないようです。西海岸を走らせているときにちょっと広い道がまっすぐ海の方に続いているのが見えました。進んでいってついたのが長崎浜です。あまり広くない浜です。北側です。すぐに岩場となっています。
元の道に戻り周回を続けます。北端近くまで来たときに、長間浜方向を示す看板がありました。ついたところから南側です。浜の南端近くについたようです。岩が点在しています。
北側です。遠くまで砂浜が続いているのが見えます。左側にうっすらと見えているのは伊良部島です。
車に戻りさらに進んで行きます。島の北端までは行けず、島の反対側を南下して行くことになります。小学校の近くで、道は狭くなります。このあたりに竜宮城展望台というのがあるので行ってみたいのですが、今いる位置との関係がわかりません。とにかく町中の広そうな道を進んでいると、来間漁港に下りていった場所に着いてしまいました。
何か行けそうな道を考えてみると、ダンプカーが出てきて入るのをあきらめた道がありました。そこを進んで行きました。広くなっていいる場所があります。ここに車を止めます。先ほどの小学校にだいぶ近づいているようです。
ここから林の中をつっきって海の方に行く道があります。途中の高くなったところに祭壇のようなものがあります。車を止めたところにヤーヌスの祭りの起源が書かれていました。村人が祭りをやめたので神様が怒ってよくないことが起こったので、祭りを復活させたというものです。これと何か関連があるのでしょうか。車を止めている場所は祭りをおこなっている場所のようです。
祭壇の正面に給水塔があります。その横を通り、林をぬけると海が見えてきました。これは来間大橋の方向です。
タコ公園に行くために車を止めた場所に案内図がありました。タコ公園からずっと遊歩道が続いています。北側は案内図のあったところを通って、竜宮展望台まで続いていると書かれていました。ヤーヌスの祭りの広場から林をぬけると遊歩道に出ました。案内図に書かれていた遊歩道かどうかははっきりしません。
今行こうとしているのは、竜宮展望台です。車を運転しながら探すのは大変です。この付近は狭い道が入り組んでいます。歩いて探す方が見つけ易ずそうです。といってもいまいる位置からも展望台は見えませんし、どれくらい離れたところにあるかもわかっていません。当てずっぽうで行くしかないようです。
遊歩道は、タコ公園への道と同じように石畳の道です。案内図に書かれていたように終点が竜宮展望台になっている遊歩道だとすると、左側に進めば竜宮展望台に着くことになるはずです。左へ進んで行くことにします。少し進んだ所から振り返って見た遊歩道です。左側が断崖になって海面まで落ち込んでいます。
歩いていると、道の真ん中にヤシガニが出てきていました。ほとんど動かないので死んでいるかと思いましたが、ゆっくりと動いているようです。
本当にあるのかどうか不安になりながらも進んで行くと、左側に展望台が見えてきました。5分ほどかかりました。
展望台は高いところにあります。そこに上がる道が見えません。仕方なくそのまま進んで行くと、やっと道は反転し展望台に向かいました。正面から見た展望台です。
この前に駐車場があります。集落に入って道が狭くなったときに右折したのですが、そこを左折したらここについたようです。
展望台から見た北側の海です。伊良部島と伊良部大橋が見えています。
南側です。来間大橋が見えています。断崖絶壁が続いています。
島の西端に沿って南側です。右側の赤い屋根の建物は小学校です。円柱形の給水塔の横に車を止めています。
同じく海岸に沿って北側です。島は全体に平らになっています。隆起珊瑚礁といっていいのでしょうか。おそらく琉球石灰岩の台地です。
眼下の海です。このあたりは崖下に一段低い平地があるので、海岸線が何とか見えています。浜はなく、岩礁が続いています。
竜宮展望台から、遊歩道を通って車まで戻ります。ヤシガニはどこかにいったのかいなくなっていました。
ヤーヌスの祭りの広場に車で向かっている途中で気になったものがありました。鳥居があってよこに説明が書かれた看板がありました。これを見に行くことにします。歩いて行くとちょっと遠いかなということで車で戻っていくことにしました。といっても、距離的には竜宮展望台よりわずかに長いだけです。道はまっすぐなので道のりで考えるとこちらの方が近かったようです。
鳥居の前で、先ほどのダンプカーがきても通れるだけの幅のあるところに車を止めて見に行きます。
見えていた鳥居です。横にある説明によると、ここにはアガイヌウタキとイルヌウタキの2つがあるようです。
参道のような道の先に門のようなものがあります。その先に祠が見えています。神聖な場所のようなので、これ以上お邪魔するのは遠慮しておきます。
鳥居の横から海にむかって道があり、その先に、休憩所のようなものが見えています。ガジュマル展望台です。松の木だと思っていました。
展望台から石畳の道と崖に下に降りていく階段があります。どこに続いているのかを示す標識はありません。下りていくのはタコ公園の方にいくものだと思っていたのですが、途中経由する東公園はこちら側ではありません。もちろんこんなに下ったところにはありません。来間ガーに続いている可能性があります。
展望台からの景色です。眼下に来間港、その向こうに来間大橋とそれに続く宮古島が見えています。
ダンプがきてはいけないので、車に戻って次に進む事にします。再び広い道に出るときに、正面から観光バスがやってきました。先に行かせるつもりでしたが、こちらが動くのを待っているみたいです。先に行くことにしました。
車を走らせていると、左側に展望所のようなものがあります。このあたりに来間火番盛があると書かれていたような気がしてきました。後からバスがきているので、止まって考えるということはできません。とりあえず素通りしました。後続のバスは、そこの路上に横付けして、ツアー客を降ろしています。なにかありそうなので戻って見ることにしました。
ここにあったのは来間大橋開通10周年の記念碑と展望台です。展望台から見る来間大橋です。
こちらは来間漁港になります。背後に崖が迫っています。
火番盛のようなものは見当たりません。ここではないようです。この場所は、来間大橋展望台となっています。さらに調べてわかったのは、ここが東公園にあたることです。
来間島から来間大橋を渡って宮古島に戻ります。そのまま海岸沿いに回っていきたいのですが、しばらくはゴルフ場が続き、海岸には近づけません。海岸に一番近い道を走っていきます。
ゴルフ場を過ぎて少し走ると、橋が見えてきます。橋を渡った先に展望台のようなものがあり、駐車場が併設されています。ここに車を入れて、橋から川の様子を見ることにします。
ここに架かっている橋は入江橋です。下流側は運河のようにみえます。上流側には浅い入り江が広がっています。
川岸にはマングローブが芽を出していました。
島の周回を続けます。先で広い道と交差します。右に曲がると上野ドイツ村と書かれています。こちらの方が海岸近くを通ることになります。できるだけ海岸近くを走りたいので右折します。
海岸に近づき、海岸と平行に走るようになります。海との間には海岸林があり、海は見えません。再び橋が見えてきます。手前側で道が広くなっていますので、ここに車を入れます。
橋は深江橋といいます。細長い入り江にかかっています。その奥側です。突き当たりに浜のようなものが見えます。波は静かで海底に珊瑚礁のようなものも見えています。
橋の高さは10mくらいで、その上面と同じくらいの平地が海岸近くまで広がっています。海岸は、これくらいの高さの崖になっているようです。海に近づけないのはそのせいでしょう。
さらに進んで行きます。今度は展望台が見えてきました。前に駐車場がありますから車を入れます。
ここの展望台です。宮国南展望台といいます。近くの施設を意識したような形の建物になっています。
展望台から西側の景色です。海岸線は入り組みながらもまっすぐ続いています。5mほどの高さの断崖になっています。
東側です。ピンク色の大きな建物が見えます。うえのドイツ文化村です。ずっと遠くに東平安名崎も見えています。
先に進みます。文化村の前の道を進み少し行くと博愛漁港への案内があります。寄っていきます。博愛という名前は、明治時代にこの近くの村の人たちが、台風で難破したドイツ船を救助したこと精神に由来するとか。ドイツ文化村がこの近くにあるのもそれと関連しているようです。
漁港です。向こうに見えているのはうえのドイツ文化村です。
漁港の奥の浜です。表面は湿っていて、泥沼のように見えます。怖くて入っていません。というより、段差があってこれ以上近づけません。
漁港の防波堤を隔てて反対側にあるのがわいわいビーチです。小さな浜です。入り口が防波堤で囲まれています。
博愛漁港から、宮古島の南河岸に沿って東に進んで行きます。すぐに大きなリゾート施設群のある地域に到着します。特に興味を引く施設はないようなのでパスすることにします。施設の海側を通る道路と山側を通る道路の2手に分かれます。海が見られたらということもあるので、海側の道を通ることにしました。
この区間ずっとゆっくり走る車の後についています。景色もゆっくり見られるので別段気にはなりません。そのわりには海はほとんど見られませんでした。もう一つ気になったのは、歩いている人が多いということです。どこかを目指しているというのでもないようです。リゾート施設に泊まって、健康増進のために歩いているようにも見えます。
施設群をぬけて、二手に分かれた道が合流したその先にインギャーアリンガーデンというのがあります。観光スポットの上位にランクされている場所なので、立ち寄るつもりでいました。道路沿いの駐車場に車を入れ、ぐるっと回ってみることにします。
駐車場から見たインギャーマリンガーデンです。海岸に沿って遊歩道が見えます。正面の丘の上には展望台もあります。この右側は、ぐるっと回るには手頃な大きさの入り江になっています。
ガーデンを回る前に、案内地図がないか探したのですが、看板になったようなものさえ見当たりません。適当に目星をつけて歩くしかないようです。
まずは見えていた道を目指します。右側に見えていた入り江です。波が静かです。
入り江の入り口に橋が架かっています。いくつかの岩場をつないでその上に作られた道を通っていきます。橋の上から見た入り江内側の岩場です。
後方です。駐車場よりさらに海側になります。漁港の防波堤の向こうにムイガー断崖から東平安名崎の方向が見えています。
橋を渡ると、道は3つに分かれます。右側の入り江を周回する道、まっすぐ斜面を登っていく道、左側の海岸に沿って続く道です。まずは左側の海岸に沿う道を行きます。
所々に展望場所のような開けたところがあります。その一つ、東屋のあった場所から見た海です。波のたっている所にリーフがあり、その手前側に礁湖があります。礁湖の海底にはたくさんの群体サンゴがモザイク状にあるのが見えます。
海岸の岩です。これもサンゴの石灰岩です。雨でとかされ尖った角がたくさんできています。
橋から海岸に沿って200m以上歩いたのですが、道はまだまだ続いていいます。このまま進んで行くとマリンガーデンからどんどん離れていってしまいます。戻ってくるのも大変なので、このあたりで引き返すことにします。
その先に見えていた景色です。リゾート施設群のあったあたりの海岸になります。
次は、車を止めたところから見えていた展望台を目指すことにします。橋の所まで戻らなくても、そこまでの真ん中くらいの所から登っていく道がありました。丘が海にせり出した一番先端あたりからです。
道を登っていくにつれ、海を上から眺めるようになり、海の中のようすがよくわかるようになってきました。
展望台までの途中で見えた、入り江の入り口です。駐車場から漁港付近までが見えています。
眼下の海です。群体サンゴの並び具合がよくわかります。
展望台です。何の形なのかよくわかりません。屋根が吹き飛ばされ軒板だけになっているようにも見えます。横に牛のモニュメントもあります。
展望台から西側の景色です。海岸はほとんどが岩場で、奥に入りこんだところに小さな砂浜が見えます。ずっと遠くはドイツ文化村の建物がかすかに見えています。
眼下の入り江です非常に濃い色になっています。
展望台からはさらに奥の陸地側に行く道、横に降りていく道があります。橋のあったのは横の道の方なので、この道を行くことにします。下りていく途中に見えた橋までの遊歩道です。橋はまだ山かげです。
橋の所まで戻ってから、少しだけ入り江の奥の方に行ってみました。このあたりはだいぶ浅くなっているようです。岩が点在していて、浜というより湿地のように見えます。
橋を渡って駐車場に戻ります。途中、横にあった木についていた花です。モンパノキです。
地面近くの草の花にメジロがやってきていました。
このまま進んで行くとメジロを驚かせます。どこかに行くのを待ってから駐車場に戻りました。
インギャーマインガーデンの駐車場に、「綾道(あやんつ)宮古島neo歴史文化ロード砂川(うるか)・友利コース」と書かれた案内板がありました。周辺の遺跡などを巡るコースを示した地図です。他にもいろいろなコースがありそうですが、これに書かれている、友利のあま井(ガー)は行ってみたかったところですし、砂川(うるか)遠見は今まで何度か見損ねている火番盛のひとつです。回ってみたいのですが、距離が5kmで所要時間が3〜4時間と書かれています。車で行けるところを回ることにします。
起点はここになっています。途中に案内がなかったときのために、この看板の写真をコンパクトカメラで写しておきます。そうすれば、写真を表示させたときにすぐに地図を見ることができます。
地図に従って、友利のあま井を目指します。広い道から左の脇道に入るように書かれています。ダイビング案内所に入っていくような道しかありません。前で準備体操のようなものをしていますが、気にせず入っていくことにしました。道は地図に書かれている通り元の道の下をくぐっていきます。後は真っ直ぐ進んで行くとあま井に到着します。前に車を止める場所があるかどうかわからなかったので、少し手前の広くなった所に入れましたが心配することはなかったようです。
友利のあま井は、自然洞窟からわき出る水を利用した井戸です。かなり古くから使われていたようです。その入り口です。
丸い深い穴です。壁に沿って階段が続いています。うえから底の方をのぞいて見たようすです。底に達する階段が見えます。
だいぶ下りてから上を見たようすです。入り口の穴が小さく見えます。
一番底につきました。真っ暗で何も見えません。一番深いところに水が湧きだしているかと思ったのですが、ここには水はないようです。
真っ暗で何もわからないので引き返します。途中に見えた鍾乳石です。この洞窟は、鍾乳洞ということになります。
洞窟の入り口横に生えていたオオタニワタリです。洞窟からの湿気が伝わってきているようです。
車で来た道を引き返し、半ばで左折して進みます。道路沿いに、金志川泉(きんすぅぎゃーがー)と書かれた看板がありました。深い窪地があってその奥にまだ洞穴が続いています。ここのことでしょう。
道は狭く車を止めておくことはできませんから道路から見るだけにします。海水が混じるのであまり使われなかったようです。使えればこちらの方が便利なように感じます。
綾道に書かれている道順に従って進んで行きます。この先で県道に出ます。その手前に金志川豊見親(とゅみゃ)屋敷跡遺跡があると書かれています。これを探しながら進んだのですが、見つけることはできずに県道に出てしまいました。ここはあきらめて次を目指します。実際には、県道沿いからちょっと奥まったところにあったようです。
県道を少し進んで、渡るような感じで脇道に入って進んでいくと嶺間御嶽(ンニマムトゥ)があります。この近辺の村が航海の安全のために崇拝していたようです。祭神は津波でただ一人生き残った女性と東平安名崎に難破してたどり着いた船に乗っていた男性だそうです。二人は結婚して子孫に恵まれたそうです。
県道に戻り進んで行きます。番所跡とか神社とかがあるようですが、見つけられずに通り過ぎてしまいました。指示通りに信号で左折ししばらく行くと上比屋山遺跡方向を示す標識が出てきました。それに従って進みます。途中大きな泡盛工場の前を通ります。観光で見学する場所の一つになっているようです。お酒は飲めませんからパスします。
山道のようになってきたところで、上比屋山遺跡とウイピャームトウの祭場と書かれた説明板の前に出ます。車は少し坂になっていますが、その前に道路を避けて止めます。
案内図は、ここから石積の間を通っていくように書かれています。車は通れませんから歩いて行きます。ちょっとした坂を登ると、道の両側に石の積まれたところがありました。図にはここを通れと書いてあります。
さらに坂を登っていくと、石を積み上げて囲いにして、その上に藁葺きの屋根を乗せた建物が見えてきました。前にウイウスムトゥと書かれた柱が立っています。ウイピャームトウの祭場についたようです。
説明では今も使われている神聖な場所のようなので、これ以上の立ち入りは遠慮することにします。
さらに進んで行きます。案内図には同じような建物があと2つ書かれています。なかなかそれらしきものが見えてきません。広いところに出てさらに進んで行くと墓地の向こうに町が見えてきました。泡盛工場も見えています。
このまま進んでも元に戻るだけです。引き返すことにしました。ウイウスムトゥの前まで戻った時に三叉路に行き当たります。来た時はこのようなものはありませんでした。どちらに進んでいいかわからなくなりました。
ここで迷子になってしまうと大変です。冷静に考え直します。ウイウスムトゥについたときに、道を歩かずに建物のまわりを歩いています。それから道に戻り、そのまま真っ直ぐ進んで行って開けたところに出ました。とすると三叉路は、建物の前を歩いていたその外側にあると考えられます。それなら、ここを左にとれば建物に入ったところから車のある方向、右に取れば残りの2つの建物がある方向になります。右に進んで確認してみます。予想通り二つ目の建物が見えてきました。クスウイピャームトゥです。
次に見えてきたのがマイウイピャームトゥです。
3つの建物は、年に何度かここにこもって神事を執り行うのに使われているようです。建物や祭神のちがいとかはよくわかりません。
現在位置がはっきりしました。この先に進んで行けば、砂川遠見に行けるはずです。行ってみます。
たどり着いた砂川遠見番所跡です。四角く石垣が組まれています。
遠見番所は、1644年に薩摩藩支配下にあった琉球王府が東シナ海の監視のために先島諸島に設けた施設です。先島諸島火番盛(ひばんむい)といいます。与那国島までの何カ所かに設置されています。宮古島近辺では5ヵ所あります。これまで3ヵ所で見ようとしたのですが果たせていませんえした。来間島のもの(来間遠見)は、竜宮展望台からの写真に写っているのがあとでわかりました。
ここから真っ直ぐ行けば山を下りることができ、マリンガーデンの近くに出ます。車を取りに行かないといけないので、元来た道を引き返さないといけません。
ウイピャームトゥの祭場から車に戻ったものの、上比屋山遺跡を見つけていません。ここにあったというだけなのかも知れません。気にはなるのですが、これ以上探しても見つからないでしょう。先に進むことにします。
もとの海岸沿いの道に戻り、さらに東を目指します。道路は長い坂を登っていくようになります。登り切ったところに駐車場があります。ムイガー断崖の上についたようです。展望所のようになっていて景色を見ることができます。
西側の景色です。湾の向こう側にマリンガーデンの横にあった漁港が見えています。マリンガーデンはその向こうの池のように見えるところです。
東側です。 東平安名崎まで入り組んだ海岸が続いています。
どちらかというと、崖の上からの景色より、崖そのものに興味があります。道沿いに東の方に歩いて行くと、崖の方に行きそうな遊歩道があります。残念なことにここの工事通行止めになっています。通行止め場所から見たムイガー断崖です。90度以上の急角度の崖になっています。
眼下の海岸です。海食台の上に群体サンゴがたくさん見られます。波のかかり方からすると非常に浅い海が崖下に広がっています。サーフベンチのようですが、ちょっとサンゴがまばらです。
さらに東に進みます。この先、国道と交わるところ付近に展望台があったようなので探してみました。展望台入り口の看板を見つけました。近くに駐車場がないか探したのですが、見つけられません。道路脇に寄せて止めて見に行くことにしました。展望台への道は狭いのですが、車が上がっていっていいような感じです。タイヤの跡がついています。車で出直します。狭い道を通って、展望台に到着です。竹中山展望台といいます。
展望台の下は広く空いていますが、車を止めるには傾きが大きいようです。ここしかないので駐めることにします。
展望台に上がって景色を見ます。西側です。盛り土のような丘の向こうに見えているのがムイガー断崖です。
宮古島中心方向です。地面はわずかに起伏がありますが、ほとんど平らなように見えます。
東側です。東平安名崎が見えています。ここを目指しています。だいぶ近づいてきたものの、まだまだ先です。
宮古島もだいぶ東の端近くまでやってきています。それでも東平安名崎までまだだいぶあります。国道との交差点の所に、海宝館という建物があります。シュノーケリングツアーをしたり貝の博物館を見ることができるようです。泳げませんし、メガネを取ると何も見えません。これでは海に入るわけにはいきません。貝もちょっと見ただけで頭がパンクしてしまいます。ここはパスさせてもらいます。
ほとんど隣接するような感じで、保良川ビーチと書かれた標識があります。見ると海宝館横の家の門のような所から下りていくといけるようです。こちらの案内には保良泉ビーチと書かれています。
道は急な斜面を横切るように降りていきます。中段くらいの高さの所に駐車場があります。ここに車を入れました。海岸まではまだだいぶあります。
車を降りたところから見た海です。ムイガー断崖からのサーフベンチが続いています。このあたりは、岸からだいぶ離れたところまであります。
遠くを臨んでみました。東平安名崎にある灯台に明かりが灯っています。今日は、ずっと厚い雲におおわれていて、薄暗い天気でした。そのせいなのでしょう。
下りてきた方向です。切り立った崖になっています。高いところに見える建物は海宝館です。途中に水路のようなものが見えます。この斜面から地下水が湧きだしていて、そこからの流れです。この水を利用してウォータースライダーが作られています。
ここの地名は水が湧き出していることから、保良泉なのでしょう。泉はガーなので、ボラガーと読みます。それを当て字で保良川にしたのでしょう。この近くに川のようなものは見当たりません。
西側の海岸線方向です。大きな石灰岩が散在して、いくつもの岩礁を作っています。
足元の砂です。偏平な丸い粒がたくさん見えます。有孔虫の殻です。棘のない星砂みたいなものです。
東側の海岸になります。こちらも大きな岩が点在しています。この先に鍾乳洞がありますが、歩いては行けないようです。
車に戻り、東へ進んでいきます。横のフェンスにロラン局と書かれた文字が目に入りました。今でたとえるなら、船舶用GPS信号発信所ということになります。現在は運用されていないはずです。
その後、見所としてチェックしていた場所はいくつかあったものの、何も見つけないまま東平安名崎公園の駐車場に到着しました。
駐車場から出て見えた東側の海です。防波堤が沖に向かってのびています。その向こうには礁湖が広がっています。沖には環礁のようなものも見えます。パナリ干瀬(びし)です。
ちょっと進んだ所から海岸近くに降りていく道があります。その先にあるのが、保良漁港です。
降りていく道からは海がよく見えます。礁湖のようすです。大小の岩がいっぱいあります。これらの岩はどうしてここにあるのでしょうか。気になりますがよくわかりません。
ここからまだ岬の先端までは500mほどあるいて行かないとたどり着けないようです。灯台はかなり先に見えています。たくさんの観光客がいます。今まで回った観光地の中で、一番人が多かった場所になります。観光バスだけでも3台駐まっていました。少なくともここは先端まで往復するだけで時間がかかりそうです。その分観光時間が長くなりバスが重なるのでしょう。
横の岩についての説明が書かれています。マムヤの霊を弔う墓とされているそうです。マムヤは絶世の美女だったのですが、恋人にフラれてここから身を投げたそうです。
先に見えている休憩所から岬先端方向の崖です。垂直以上に切り立っています。
灯台です。柱は八角柱の形になっています。
灯台の先へ道は続いています。灯台をぐるっと回ることができるようです。道に従って進みます。灯台の反対側に大きな穴が開いていました。穴を通して海が見えます。鍾乳洞の天井が陥没してできたようです。
道を歩いていて気になったものがあります。マムヤの墓もそうだったのですが、ここの平坦な丘の上に、たくさんの大きな岩が転がっています。この岩などは、転がって横向きになっているように見えます。どこかから運ばれてきているようです。
丘のように見えるものも、岩と同じように運ばれてきたものでしょう。
不思議な岩を見ながら歩いていると駐車場に戻りました。さらに宮古島の周回を続けることにします。東平安名崎から岬の付け根あたりに来た時に右に入る広い道があります。できるだけ海岸沿いを走りたいので、この道を進むことにしました。坂を上がった所で、観光バスが道脇に2台止まっています。この場所は、東平安名崎から戻ってくるときに、ストロボ光の点滅が見られたところです。邪魔にならないよう道脇に車を止めて見に行きます。高台の上が広場のようになっていて、東平安名崎全体がよく見えます。この場所は東平安名崎見晴台というようです。
眼下の海です。サーフベンチがあって、その上に無数の岩が点在しています。
見晴台では向こうからバスがやってきているようです。どこかにぬけられるのだろうと思い、そのままいこうとしたら、道はすぐに行き止まりになりました。ここでバスがターンしているようです。広いので自家用車の方向転換は楽でした。
道を引き返し、島の外周を回る道路に入ります。海岸側にゴルフ場が続きます。その入り口を過ぎた所に吉野海岸の方向を示す標識がありました。見に行きます。道を左折してすぐの所に広い駐車場があります。これは無視します。そのまま進んで行くと断崖を斜めに下って行くように道があります。
下りきった所に数台の車が駐められる場所があります。車は1台も駐まっていません。ここに車を止めて海岸まで少しだけ歩いて行きます。浜に出て南側のようすでず。浜はすぐそこまでで、その先は高い断崖になっています。岬の先端から浜の沖合に向かってリーフが続いていて、そこから浜までの間は礁湖のようになっています。
北側です。浜はずっと続いているようです。といっても先の方では、岩が多くなっています。リーフは岸から離れたところにあります。
背後の島中心側です。高い断崖が続いています。その手前側は海面に向かって緩やかに傾斜した土地があるようです。
再び周回路に戻って北上します。2kmほどいくと今度は新城海岸を示す石の標識があります。こちらにもいってみました。
吉野海岸と同じように、崖を斜めに下って行きます。こちらの方が急なようです。下りきった所に、新城海岸の入り口を示す門柱があります。左側の方に駐車場があります。ここに車を止めます。
入り口から下りてみた浜の北側です。浜は岬の手前まで続いています。このあたりのリーフは海岸からだいぶ離れています。
浜の南側です。山のふもとまでで終わっています。その先は岩場が続きます。北側もそうですが、海の色がエメラルドグリーンです。海岸近くの海底は広い範囲で砂がたまっているようです。
海岸に椰子の実が落ちていました。このあたりではふつうにある事なのでしょうか。本州なら歌になったりもします。
もとの周回路に戻ります。このあたりは昨日もきています。宮古島の周回は完了です。車の返却時間まで、あと1時間半ほどあります。もう少しだけ島の中心部を見ていくことにします。このあたりになるもので思いついたのは地下ダム公園です。昨日も近くを通りました。そのときは到着直前で道を反対側に曲がったようで、たどり着くことはできませんでした。
今日は、カーナビをセットしていくことにします。確かに曲がる方向を間違えたと思った交差点を反対側に曲がるとすぐに到着しました。ここは普通の広場のようです。特にこれといって興味を引きそうなものは見当たりません。ここはあきらめて別の場所に行くことにします。
ちょっと離れたところに地下ダム資料館があります。そこを目指します。すぐに到着します。横の広場から見た資料館です。
ここには資料館の他に、管理所、水位水質監視施設、公園があるようです。水位水質監視施設を見ればだいたいの事はわかるでしょう。資料館はパスして、そちらの方に行きます。監視施設の全景です。
円形の窪地の中に、堤のようなものがあり山側に水がたまっています。この堤はずっとこのあたりの地下を通って山からの地下水を遮断しているのでしょう。ここの真ん中にあるゲートのようなものを使って水位を調節しているようです。
この水の中に日本最大のテナガエビが生息すると書かれていたので探してみました。見つけたのはカエルだけでした。
地下ダム監視施設の見学が終わっても、まだ車の返却まで1時間あります。あと1ヵ所くらいは見て行けそうです。この近くに鍾乳洞があったようです。カーナビでもその場所を見つけることができました。次はそこに向かいます。
カーナビの指示に従って進み、あと一息で到着というところで肝心の道路が工事でなくなっています。進めないので、あるはずの道路の反対側から入っていくことにしました。迂回してやっと到着というところでやっぱり工事で道がなくなっています。鍾乳洞へは行けないようです。道の途切れたところから見た、鍾乳洞方向です。現地では見つけられなかったのですが、重機の向こう側に、オレンジ色の屋根に鍾乳洞と書かれた建物が写っています。
横のビニールハウスで作業している人がいたので聞いてみたところ休館中とのことでした。道ができたら開館するのかなぁというとでした。鍾乳洞のツアーがあったみたいですがここではなく保良泉ビーチのことのようです。
代替地を考えます。この近くに展望台が2ヵ所ほどあったような気がします。地図に印を入れてきたところをカーナビでセットしようとしたのですが、場所が特定できません。もちろんカーナビには表示されません。これは無理ということであきらめます。実際には今いる道をまっすぐ進んだらそのうちの1つに到着したようです。
あと見損ねているとしたら、平良市街地の観光地でしょう。港に車を駐めて見に行けそうです。港を目指すことにします。到着予定時刻からすると10分くらいしか取れそうにないのですが何とかなるでしょう。
空港近くまで来てから、ほとんどの信号で止められなかなか前に進みません。結局港に着いた時には、帰りに同じくらい信号にかかることも考えると、引き返さないといけない時間になっていました。途中ガソリンも入れないといけません。引き返すことにします。ガソリンを入れるスタンドの場所が指定されていました。どこか不明だったので、電話を入れて確認します。カーナビへのセットのしかたがわからなかったのでついでに聞きました。スタンドはここから返却場所までのちょうど真ん中くらいの所にあることがわかりました。ここでガソリンを満タンにします。
レンタカー会社に到着したのは返却予定時刻ちょうどでした。ホイールカバーのことを申告するとしっかり弁償させられました。その分ちょっと手続きに時間がかかりました。そのあと、ほとんど同時に返却にきたグループのメンバーと一緒に空港まで送ってもらいました。到着して、外から見た昼間の空港です。
空港に着いて最初にしないといけないことがあります。カウンターで乗り継ぎの手続きをすることです。搭乗手続きのカウンターは人が並んでいます。荷物預かりはそれほどでもありません。荷物を預けるときに手続きをしてくれるかも知れません。どちらに並んでいいのかわからないのでとりあえず無難な搭乗手続きの方に並ぶことにします。もう少しで、受付というときに、案内かかりの人が来たので聞いてみたら、そのまま荷物を預けてよいとのことでした。並び直します。
荷物のチェックをして窓口に行きます。乗り継ぎ時間が少ないので、席を前の方にしてくれるそうです。ついでに窓側の席にできるかと聞いたら空いていたようです。乗り継ぎ後の便も窓側にしてくれました。
出発までちょっと時間があります。送迎デッキがあるので行ってみました。デッキのようすです。管制塔の方をみています。
駐機場です。飛行機が牽引されています。この飛行機はすぐに離陸していきました。
お土産を買ってもまだ時間があります。ちょっと外に出てみました。建物のまわりは庭園になっていて南国らしい植物が植わっています。
空港の中に戻って保安検査を受けます。搭乗待合室の中に中庭があります。ここにも南国の植物が植わっていて植物園のようになっています。
これから乗る予定の飛行機は到着していました。荷物の積み込みを始めようとするところです。
脇に止まっていた牽引車です。水玉のような模様は、ジンベイザメのようです。としたらどちらが頭になるのでしょうか。
搭乗待合室に入って搭乗開始になるのを待ちます。それまで、まだしばらくかかりそうです。売店の方をみると、宮古そばと書かれた看板があります。3時間後の8時までは飛行機の中です。夕食の時間である事を考えると、食べておこうという気になってきました。ソーキそばを注文しました。できあがって箸をつけようとしたら、搭乗が始まりました。熱いのですが急いで食べます。搭乗の列がなくなるころまでには何とか食べ終わることができました。
席についてしばらくしたらドアが閉まりました。これから離陸します。直前に見えた滑走路です。04と書かれているのは、滑走路が北東(40度)をむいていることを示しています。
離陸直後に見えた宮古島です。向こうに見える海岸線は長北海岸から城辺公園・東平安名崎方面です。細長くくねりながらのびる緑地帯が通っています。
宮古島から離れようとしています。宮原第2水辺公園から南西側の海岸線が見えています。東平安名崎は霞んでいてほとんどわかりません。
宮古島から離れると飛行機は雲の中を突っ切って、雲の上に出ます。景色は見えなくなりました。といってもこの区間は見えても海しかないはずです。
飛行機はいったん高度が上がったものの、段々下がってきて雲に近づいてきます。その頃には、太陽の光も横から当たるようになり、雲の影が横の雲にできています。日没はもまもなくです。
この後すぐに、飛行機は雲の中に入ってしまいました。雲をぬけたときには、沖縄本島の海岸が見えていました。ゆっくりと高度を下げていき、那覇空港に到着しました。まだ日は沈んでいないような感じです。
飛行機からブリッジを通り搭乗待合室に出ると、すぐ横が伊丹方面の搭乗カウンターでした。窓越しに、これから乗る飛行機が見えています。
ちょうど搭乗が始まったところです。これからの飛行時間を考えるとトイレに行っておいた方が良さそうなので、改札係に言ってから行きました。せっかく横のゲートで歩かなくて済むはずだったのに、意味がなかったようです。
戻って座席について横を見ると今ままで乗ってきた飛行機が見えます。
席についてすぐに離陸となります。空に上がった頃には、薄暗くなっています。那覇の市街には明かりが灯っています。空から日の入りを見ることはできませんでした。
景色も見えないので、パズルを解いて時間をつぶします。どういうわけか、間違いばっかりして解けなくなっています。気圧の減少で頭の回転が鈍っていたのでしょうか。あきらめて半分寝ながら時間を過ごしました。
予定通りの時間に伊丹に到着します。その後は荷物を受け取ってから、モノレールで帰りました。家に着いたのは9時過ぎです。
冬から春先にかけての沖縄はあまり天気がよくないのが普通です。天気予報もあまり良いものではありませんでした。それに対して2日目の昼過ぎまでは、非常に晴れ渡り、車の中は暑いかなというくらいまで温度が上昇しました。
天気がよかったこともあって、海がきれいな色で見えていました。3日目のインギャーマリンガーデンなども、海の色はきれいでした。晴れていたらもっときれいだったかも知れません。ちょっと残念ですが、この色でもじゅうぶんでした。
これに対して、2日目の午後は大荒れでした。強風にあおられて、雨がたたきつけてきます。それまで晴れていたことから南国特有のスコールかとも思いましたが、そうでもなかったようです。翌朝まで続いていました。現地での予報でも、強雨風注意報が発令され、3日目まで続くとのことでした。一番荒れていたときは海もどんよりとしていました。
後日、天気図で確認しても、低気圧の接近とかいった現象はなかったようです。与那国島でも似たような天気でした。やっぱりこの時期の沖縄、特に先島諸島は気をつけた方がいいようです。
いろいろなビーチを回りました。あまりそこでは長居せず、ビーチ巡りに終わってしまったみたいな感じがします。もうちょっとゆっくりした方がよかったかも知れません。マリンレジャーとかは全く興味がありませんからこちらの方は無理としても、ぼんやりと海を眺めているとかは可能だったようです。
その他、旅行に関係したことなどを書いていくことにします。
<ホイールカバー>
レンタカーを借りて2時間ほどしてから、タイヤホイールのカバーがないのに気がつきました。この間、車とかホイールに衝撃が加わるようなことは起こっていません。途中でものが転がるような音が聞こえたような気がしますが、それ自体があったかどうかも含めてはっきりとはしません。しっかりと取り付けられていれば、簡単に脱落するものではありません。暗くて確認はできていなかったのですが、初めからなかったのかも知れません。
盗られたということはないとは思いますが、レンタカー会社の受付にホイールカバー紛失の賠償料が書かれていたことをみると多いのかなとも思ってみたりします。初めから点検の甘い人をねらってやったのではと疑ってみたりもします。
どうしてそうなったのかははっきりしません。少なくとも、ホイールに変形した跡がありました。その近くのタイヤに傷はありませんから、タイヤ交換の時などについたものでしょう。その変形のために、ホイールの取り付けが甘くなってしまっていたのかもしれません。
<観光パンフと案内標識>
観光地に着いてどこを回ろうかと考えるときに、案内パンフレットが役に立ちます。宮古島でも入手できました。3種類手に入りましたが、どのパンフも冊子になっていて大変なボリュームになります。大半は、店の情報です。こんなたくさんの店は回りきれませんから、不必要なというか店の宣伝というようなところは破り捨てました。ほとんど何も残らず、たいした参考にはなりませんでした。
広告料でまかなっているにしては、量が多すぎるような感じです。これでは観光案内というより、広告雑誌といった方がいいような感じです。広告を載せないと発行はできないし、一部の店だけというわけにもいけないし、ということでこのようになったのでしょう。石垣島でも同じでした。広告を減らすために広告主を限定しようとしても、その選び方は難しいようです。
最近見たもう一つのパターンは、有名な旅行誌の特別編集版として、自治体区域内の部分だけを抜き出したようなものです。前回の薩摩半島での南九州市や南さつま市はこの形の案内書でした。旅行誌に比べて店の案内はちょっと多いかなという程度です。それでも旅行誌に比べて、行かない地域の情報がない分だけ薄くなっています。こちらの方はわりと参考になったのですが、自治体が発行するには負担が大きいかなということと、自治体区域しかなく周辺地域のことがわからないというのが難点でしょう。
そんなことよりも、下調べもせずにいって、そこが出している情報に頼るというのがいけないのかも知れません。
宮古諸島では文化財や天然記念物として指定されているものは、その前に決まった形の説明板(?)が設置されていました。至る所でそれを見ることがありました。かなりな数、設置されていそうです。その一例を載せます。
これは、友利のあま井のものです。真ん中の石碑と左側に半分だけ写っている説明板はここだけのものです。右側の高さが1.5mくらいのコンクリート製の石柱がそれになります。一番上に文化財等の名称、その下に説明が日本語と中国語、英語、ドイツ語で書かれたそれぞれの銘板がはめられています。下には、文化財を大切にしようの文字が見えます。
これを何といっていいのかわからないので、とりあえず説明碑と呼ぶことにします。説明碑を見ると、何らかの文化財があるのがわかり重宝しました。説明もわかりやすく書かれています。形が決まっているので、何かあるというのはすぐにわかります。それでも、見つけれらばいいのですが、だいぶ見落としているようです。見落としやすい上に奥まったところにあったりして、見つけるのは宝探しのようでした。見つけ易くする工夫があってもよかったのではとおもいます。
道路沿いとかに案内標識が設置されていて見つけやすいのは、東平安名崎といった一部の有名な観光地だけです。小さなものでも道路沿いに位置が示されていればみつけ易かったような気がします。伊良部島では、周辺に観光地がどこにあるか書かれていました。そのため、観光地を巡るのには便利でした。それからすると、この近くに何があるかという情報もあってもよかったのではとおもいます。
砂川・友利地区は綾道マップが便利でした。他の地区でもありそうですが、見かけませんでした。簡単に入手できないのは、観光客に向けてはいないような感じがします。看板は持ち歩けないので、図のないところにいるとどちらに行って良いのかわからなくなることがあります。コンパクトデジカメに写しておいたもので何とかしました。
観光地についても、中がどうなっているのかわからず、どうしていいのか考えてしまう場所がいくつかありました。インギャーマリンガーデンがその典型です。せっかく整備したのだから、一緒に案内図を作るとかはできなかったのでしょうか。
入手できる案内書は情報量が少なく、しっかりとしたパンフレットとかが欲しいとは思いました。地元に負担をかけることになるので、作れとはいいにくいところがあります。経費のかかるものは有償で配布されてもかまわないような気がします。
<先島諸島火番盛>
こういうものがあるのを始めて知ったのは与那国島です。島に行く前に地理院地図を見ていると、先島諸島火番盛(ダティグチディ)と書かれた場所が見つかりました。興味はありました。このときの旅行はパッケージツアーで、そこを見る場所として設定されていませんでした。あらかじめしっかりと調べていて、バスの席が反対側だったら確認はできていたようです。ストリートビューにはしっかりと写っています。
宮古諸島でも地理院地図の何カ所かに先島諸島火番盛と書かれているのを見つけました。それぞれの場所によって、狩俣遠見、島尻遠見、来間遠見と名前がつけられています。この順番に探してみました。すぐ近くまでいけたものはあるのですが、見つけることはできませんでした。
綾道友利砂川コースの案内図に砂川遠見が書かれているので、地図に従っていけば、たどり着けると思っていました。普通なら容易に見つけられるものが、途中で道を間違えたために時間がかかりもう少し遠ければあきらめて引き返さないとという場所にありました。
ここのものは崩れて元の形がわかりにくくなっています。残っているものから推定すると、縦横5m前後の大きさで四角く、1〜2mの高さに石垣を組んでいます。内部は周辺よりわずかに高くなっています。屋根があったのかどうかは不明です。
1664年に琉球王府によって作られた先島諸島を航行する船の監視と通報のために作られた番所のようなものです。遠見番所といいます。通報のために狼煙をあげる事があるため火番盛(ひばんむい)と呼ばれるようです。
宮古5島では先に挙げた場所のほか池間島にもあり、全部で5ヵ所になります。宮古諸島では大神島、水納島、多良間島(2ヵ所)にもあり全部で9ヵ所、八重山諸島では10ヵ所にあり、全部で19ヵ所になります。
狼煙をあげる場所が、石組みの中にあったのかどうか不明です。火をたいたために焦げているというな場所は見えませんでした。中に入ると石組みがさらに崩れる恐れがあるために入らなかったために見つけられなかったのだけなのかも知れません。もう一つの問題は、ここであげた狼煙は、となりの遠見番所で確認できたかということです。特に与那国島からとなりの鳩間島まで80km以上あります。よっぽど天気がよくないと見えないだろうし、煙が識別できる大きさなのかということも気になります。竹富町内にある火番盛で実験をしたことがあったようです。その時は波照間島からのものは天気不良のためにわからなかったそうです。
もう一つ不思議に思っているのは、先島諸島と琉球王府との連絡はどうしていたのかということです。琉球王府から中国へ向かう船はあったはずです。あるいは帰って行く船があります。このような連絡をどのようにとったのかということです。宮古島から一番近い久米島まででも200km以上ありますから、狼煙で連絡が取れる距離ではありません。先島諸島間だけの連絡用だったのでしょうか。
<上比屋山遺跡>
上比屋山遺跡があると書かれている場所に行きました。最終的には見つけられなかったとして帰ってきました。上比山遺跡は14から15世紀にかけての集落跡だそうです。少なくともここを発掘したらこのようなものが出てきたというような説明があると思っていました。最低でもこのあたりとかここが中心とかいうものを期待していました。
帰ってきてから、上比屋山遺跡(の入り口と思われる場所)に書かれていた説明を見直してみると「遺跡内に10ヵ所の御嶽があり、うち3ヵ所は昔のまま石垣の上に茅の屋根が葺かれている。」と書かれています。この残ってる3ヵ所は、間違いなくウィピャームトゥの祭場の3つの建物に相当します。とするとウィピャームトゥの祭場は上比屋山遺跡の中心と考えていいことになります。
よく考えてみると比屋は「ひや」→「ぴゃー」に転化しそうです。そう思って、上比屋山の文字に振られているふりがなを見ると「うぃぴゃーやま」となっています。それに御嶽はムトゥです。従ってウィピャームトゥを漢字にすると上比屋御嶽となります。つまり、上比屋山遺跡とウィピャームトゥの祭場とはつながっていたことになります。ウィピャームトゥの祭場の脇にあった説明は苔むしていて読みにくかったので写真にだけ撮っていたのですが、見直してみるとこれにも「ウィピャームトゥの祭場は県指定遺跡上比屋山遺跡に含まれ」と書かれています。
上比屋山遺跡の入り口には2つの説明碑がありました。1つは上比屋山遺跡のもので、もうひとつはウィピャームトゥの祭場のものです。説明碑を見直してみると、上比屋山遺跡のものは県指定史跡とかかれており、ウィピャームトゥのものは県指定有形民俗文化財となっています。指定のされ方が違うので、別々にあったのだと理解できました。
ところで、上比屋山にあった集落はなくなってしまい、その後の調査でわかったというのなら史跡というのは理解できます。その一部が継続して現在でも使われているとなるとそれは史跡と呼べるのでしょうか。ちょっと微妙なところがあります。
上比屋山遺跡の南端に砂川(うるか)遠見(トゥーンカイフツイス)があります。設置が1644年なので、上比屋山遺跡の14〜15世紀よりずっとあとのことになります。これも史跡といえるのですが、上比屋山遺跡とは別物のようです。
<津波石>
下地島にあった帯岩は、津波によって打ち上げられたものだという説明が書かれていました。このようなものは津波石といいます。東日本大震災のときにも、東北各地の海岸沿いで大きな岩が動いたということが記録されています。
帯岩はかなり大きなもので、それが高さ15mの台地の上に打ち上げられています。この岩が、元々は海岸近くにあったことはその名前の由来になった帯状のくぼみから推定できます。このことから、津波の高さは相当高く(20mはあった?)、その威力はものすごいものだったと想像できます。
佐和田の浜に点在していたたくさんの岩塊も、津波によって運ばれてきたものと書かれていました。帯岩のあった台地上にも、このような岩がたくさんあったそうです。これらのものは、同時にできたもののように思えます。
この時の津波がどの方向からやってきたのかが気になります。これだけの岩が運ばれていますから、それがもとあった場所では、大きく岩場が壊されているはずです。その大半は沖合のリーフだったでしょう。現在の宮古島近辺のリーフを空中写真などから見ると、下地島北方(カタバルイナウ)のものはしっかりしています。それに対して、下地島の西海岸から来間島にかけての海域では礁湖のような地形はみられるもののリーフはあまり発達していません。津波によってリーフが破壊された可能性がおおいにあります。となると津波の来襲は南西方向からということになります。
東平安名崎の上にもたくさんの岩がありました。さらにその東側の礁湖にもたくさんの岩塊が点在していました。これらも津波石と考えられます。岬の西側の海岸は珊瑚礁があまりしっかりしていないうえに、海岸に沿って、大きな力で崖が壊されて岩がくずれおちているように見えます。そうだとすると、この付近でも津波は南西方向からおそってきたということになります。
宮古島や来間島の南西海岸では、打ち上げられたような岩はあまり見かけません。元々なかったのか、人為的に排除されたのかそのあたりは不明です。
帯岩については解説によると明和の大津波(1771年)によるものと書かれています。石垣島にも津波石と呼ばれているものがあり、その一部は明和の大津波によるものとされています。石垣島では津波石は東海岸にあるそうです。とすると津波の発生源は宮古島と石垣島の間となりますが、100km程度の区間でこれだけの津波を起こす断層運動があったのかは疑問です。
砂川・友利地区の綾道では、嶺間御嶽のいわれに津波で村が破壊されたという話が出てきます。ウィピャームトゥの祭神の話でも津波のことが関連してでてきます。いずれも明和の大津波以前のものと考えられます。伝説からすると宮古島では大津波が何度か襲来していたようです。
佐和田の浜(カタバルイナウ)の津波石は、解説によると過去2000年間に起こった3回の津波によって運ばれてきたそうです。石垣島の旧空港近くのものは明和以前のものだそうです。
<奇妙な地形1>
宮古島の空中写真を見ていて気になった事がいくつかあります。その一つが、島の中を北西から南東方向に曲がりくねりながらのびる細長い緑の筋です。この部分だけが、田畑に転用できず取り残されたものです。斜面になっている場所はそのようになることがよくあります。その典型が段丘崖です。
宮古島の場合は、段丘崖にしては真っ直ぐ伸びすぎています。さらに地理院地図で確認すると、平坦な周辺に比べて小高い丘が細長く連なっているようにみえます。丘の東斜面は西側に比べて急なようです。
このようすは、道路を走っていてわかるかなと思ったのですが無理でした。どこに相当するのかがよくわかりませんでした。いったところでは、竹中山の展望台は規模が小さかったようです。亜熱帯植物園の展望台はその例だったかも知れませんが、悪天候のため何もわかりませんでした。
この丘がのびてきて海岸に達して岬になっている所があります。西平安名崎や世渡崎がその例です。海岸が非常に細長く突き出した岬となっています。東平安名崎も細長い岬ですが、両側が崖になっていて上面が平らなことから、該当の地形がどうかは微妙なところです。その延長上内陸側には細長い丘が見られます。
西平安名崎でみると、先端部や展望台のあたりは東側がほとんど垂直な5m以上の高い崖です。上面は西側に傾いていて西海岸では1〜2mの高さの崖になっています。たまたまこのように削られてそうなったのか、地面が隆起する時に東側ほど大きく持ち上がったのかははっきりしません。同じような地形がいっぱいあれば、隆起の関係でこのようになったといえます。世渡崎については道路が引かれているのではっきりしませんが、何となく西側の方が低いように見えます。これに対して東平安名崎はほとんど水平です。
大阪市内から奈良盆地にかけての地域には、南北方向に伸びる丘陵や山地があり、それらは、西側に断層があって急斜面で、東側の斜面は緩やかになっています。これと東西は逆ですが同じパターンのようにも思えます。大阪付近では、東西方向の圧縮力に寄ってこのような地形ができたと説明されています。宮古島でもこのような力が働いていたのでしょうか。かなり曲がりくねっているのと、他の島に見られないのも不思議なところです。
宮古島を飛行機から見た写真を多く載せました。どのようなもののことをいっているのか確認してみてください。
<奇妙な地形2>
伊良部島と下地島との間の海も奇妙です。細長い上に曲がりくねっています。島を隔てているので海峡といっていいのでしょうが、現地ではそのような呼び方をしていません。南側にある渡口の浜付近には砂浜が続いていますが、この海峡のようなもので途切れています。河口付近では川の流れによって途切れることがありますが、ここでは水が流れ出しているとは思えません。人工的に運河のようなものを作ったように見えます。そうだとすると、これは海峡とはいえなくなります。逆に、伊良部島と下地島をわかる必要はなくなります。ここの海は海峡だったのでしょうか、それとも運河だったのでしょうか。
これがどのようにしてできたのかが気になるところです。現地で見た限りでは、川が水没したように見えます。実際には、近づけるところが少なかったので、一部からの観察だけになっています。
空中写真で見ると、水路の形は枝分かれしていて川のように見えます。北側に向かって集まっていくように見えます。南の渡口の浜が上流側、北の佐和田の浜が下流側にあたります。元々は川だったとしたら問題があります。この付近は石灰岩なので、降った雨の水は地下にしみこんでいって地表に川の流れを作りません。
普通の川と違うのは、支流は上流に向かって段々細くなるのがふつうですが、ここのものは太いまま急に途切れています。鍾乳洞の天井が連続して陥没して溝のような地形ができたとするとこのようになります。それだと、海の底は深いはずです。浅くなっているのは、沈降して海に水没してから、運ばれてきた砂によって埋め立てられたからでしょう。岸近くまで砂がたまっています。中心部の深さは見た範囲ではよくわかりませんでした。
鍾乳洞の天井陥没としても、他に同じようなものがないのが気になります。下地島の西側には通り池のような鍾乳洞の天井が陥没してできたような地形がいくつか見られます。それらは丸い穴が単独で開いているだけで、ここまできれいに連続してはいません。
一ついえるのは、この海があるところはどちらかというと伊良部島・下地島では低くなっている場所です。そのため地下水が集まったのかも知れません。この低くなっている場所をずっと伸ばしてみると、宮古島・来間島との間の海峡につながっていきます。
<奇妙な地形3>
来間島にも奇妙な地形がありました。東側のタコ公園から南北に延びる幅20mほどの溝状の地形です。 溝の西側と東側では地面の高さがだいぶ違っています。西側の方が10〜20mほど高くなっています。東側でも溝の底から10mほど盛り上がっています。
これも見にいったのですが、最終目的地にはたどり着けず大雑把にようすを見るだけでした。草木が茂っていて、肝心の岩石の様子は見られませんでした。海岸まで下りていたら岩石が露出しているので、どうなっていたのかわかったでしょう。
少なくとも西側の崖に沿って断層があるでしょう。東側についてはどうなのかよくわかりません。断層があるようにも見えます。2つの断層があるとしてもこのようなものができるメカニズムが見当たりません。東西方向に引っ張られると溝状のものができますが、両脇の崖はもっと緩やかな傾斜になります。宮古島本島で推測した東西圧縮とも話が合いません。
もっと奇妙なのは、宮古島近辺で見られる構造と一致していないことです。考えれば考えるほど訳がわからなくなります。
<GPSロガー>
GPSロガーも、そろそろ使い慣れていい頃です。それでも毎回トラブルがあります。前回は書かなかったのですが、記録が途切れるということが起こっていました。
今回あったのは、途中で記録が1秒ごとになるということです。ずっと1秒というわけではなく、時々間隔が開いたりします。
記録を取ってくれているのだから、それでいいかも知れません。でも、それによる問題があります。グーグルマップに表示すると、隣との間隔が狭く地図上が印だらけになってしまいます。もう一つは、グーグルマップに表示できるポイントの数が2000個までということです。今回はこれをはるかに超えてしまいました。結局、マップにのせるデータを手作業で消していき、2000こより少なくなるようにして何とか表示させることができました。
どうしてこのようになるのかははっきりしていません。こんかいのデータを見いてわかったことは、1秒おきの記録になっているのは、車から外して持ち歩いているときである事です。これと記録方式が変わったこととどういうか関連があるのかは不明のままです。
<カメラのトラブル>
今回撮影した写真をみると、かなり大きなゴミがついているのがわかりました。出発前には掃除をしていますから初めはなかったはずです。いつからつき始めたのかと調べてみると、行きのモノレールの写真ですでについています。これだとほとんどの写真に写っていたということになります。写した画像によりますが、べたっとした画像で、絞りを絞り込んだ(明るいところを撮った)写真に目立ちます。
時々撮影された画像をチェックしているのですが、これだけ大きなゴミでもはっきりと見えません。モニタで拡大表示すれば見えますが、ふだんはそこまで確認しません。なかなか見つけるのは容易ではないようです。
どうして、ゴミが入りこんだのかも不明です。だいぶ注意を払っているつもりですが、いつ入ってくるのか油断はできないようです。こまめにチェックしないといけないようです。
もう一つ気がついたことがあります。写した写真が傾いていることです。右側が下がっています。角度で1度から2度程度ですが、それでも結構気になります。ほとんどの写真でそうなっています。今までのものを見直してみると、多少は傾きがあるもののこれほど頻繁には発生していません。
カメラを持ったときの姿勢が傾いているのか、カメラを支えきれずカメラが傾いているのかそのあたりは不明です。使用するときにそのあたりを注意して使う必要があります。
ブログへの投稿写真は、ごみ・傾きとも、ようすはわからないように修正しています。
<経費>
今回使った経費です。1000円単位に四捨五入しています
ツアー代金 57000円
車関係 13000円
食費・土産 4000円
交通費 1000円
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合 計 75000円
ツアー代金以外の出費がかなり大きくなっています。その大半が保険や車関係によるものです。車を使うということで保険に入りました。団体保険は車に関しては保証外ということになっていました。普通の自家用車の保険は、48時間以内なのに3日分取られています。その分高めです。
ふだんレンターカー借りる時は、傷をつけたときの保証とかを込みでおこなうのですが、今回の会社では仕組みがわからず加入しないでいました。タイヤのホイルカバーがなくなったということで、その分弁償させられています。この分も入っていたとしても、あまり支払額は変わらなかったようです。保険もよく調べてみると、自家用車にはつけている任意保険は、他人の車を運転しているときも支払われる特約になっています。結局保険に入るほどの意味がなかったようです。