ヨッシンと地学の散歩 > 旅行記
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2018/03/12-16 大陸接点・北部九州


01   計画立案

 春先の旅行について検討することにします。やっぱり暖かいところということで、四国か九州にしたいものです。四国はざっと回ったようですが、九州はまだ北側には行っていないところがたくさんあります。有名なところでは吉野ヶ里遺跡や名護屋城、世界遺産になった宗像大社などがあげられます。全体的に一昨年・昨年とかけて南九州は回っていますので、九州北部にまだ見ていないところが多いようです。

02 3/11 大阪から宮崎へ

 出発日になりました。神戸港出港は18時です。午前中に買い物を済ませ、車に積み込んでいなかった荷物をいくつか積み込みます。これで出発の準備は完了です。出港2時間ほど前に家を出ることにします。しばらく家を空けるので、植物にたっぷりと水をあげておきます。鉢物は深めの受け皿に水を満たして、その中に浸かるようにしておきます。いくつかのものはペットボトルの給水器を利用します。これだけで何とか持つでしょう。真夏だとちょっとたりないかも知れません。これが終わったら戸締まりをしっかりして出発準備完了です。

03 3/12 宮崎港到着

 九州1日目の朝は6時前に目が覚めました。外のようすを見に、静かに部屋を出て、デッキに行きます。もうすでに朝日を見ようと、たくさんの人が出てきていました。風が当たるのでちょっと寒く感じます。だいぶ寒そうにしている人もいます。上着を1枚余分に着ていて正解でした。
 船の右舷前方には、海上にいくつかの明かりが見えます。漁船が明かりをつけて操業しているのでしょうか。それにしては明かりが暗いような気もします。写真の露出時間が思ったより長くなったので、明かりは横に流れています。

04 3/12 木城町高城城趾

 今日の宿は、五ヶ瀬町にとっています。延岡から高千穂を通っていくルートをとることにします。まずは、宮崎港から北上します。海岸沿いの有料道路を通るか、内陸側の国道を進んで行くかのどちらかです。有料道路をとると時間は節約できますが、何か見所になりそうなものがあっても、道から外れることは難しそうです。国道を進みます。

05 3/12 川南町川南古墳群

 木城町役場に戻って、次は川南古墳群を目指します。カーナビで確認すると、距離は1500mほどですが、道は表示されません。歩いて行くのはちょっと遠いので、自転車で行くことにします。
 自転車を車から降ろしていざ乗ろうとすると、後輪タイヤに空気が入っていません。家を出るときには入れてきました。空気入れも持ってきていますので、入れておきます。空気が入り終わって空気入れを外すと、バルブからものすごい勢いで空気が吹き出してきて、あっという間にタイヤの空気はなくなってしまいました。

06 3/12 都農町尾鈴山キャンプ場

 川南古墳群を出るときには12時になろうとしています。あまり何かを見たというわけではないのに、時間だけはたっています。無駄に行ったりきたりが多かったせいでしょうか。気を取り直して、矢研の滝に向かうことにします。
 標識のあったところまで戻り、そこから山の中に入っていく道を進んでいきます。15分ほど走ったところで、広い駐車場と案内看板があります。車を止めて看板を見ると、ここが滝の入り口のようです。

07 3/12 都農町尾鈴山矢研の滝

 道を進んでいくと、大きな滝に出ました。近くにある看板を見ると、矢研の滝と書かれたものと若葉の滝と書かれたものの2つがあります。矢研の滝と書かれた看板の前には、道があるのですが、通行止めになっています。かといって滝の方はこの先どこかに行けるような雰囲気ではありません。
 滝自体は支流にできているので、大きいといってもこのあたりでは、それほどではないでしょう。いろいろ探していると、滝の前を横切るように石が積まれているように見えます。その延長方向を見ると道が続いているようです。これで、この滝が何者なのか判明しました。

08 3/12 日向市美々津海岸

 矢研の滝から元来た道を引き返します。トイレに行きたくなっていたのですが、キャンプ場のトイレは閉まっていました。駐車場まで戻らないといけません。駐車場でトイレをすませます。途中ですれ違った人がここで弁当を食べていました。残っていたパンをおなかの中に入れることにします。
 軽く食べ終わったら出発です。日向・延岡方面に向かうことにします。いったん木城町からの道に戻り、そこを北上していくと、国道と合流するようです。

09 3/12 日向市美々津 海岸から町並み保存地区へ

 美々津駅で観光情報をチェックしました。海岸や町並み保存地区は、駅の北側、川を渡った先にあるようです。いったん国道に戻り、橋を渡ってすぐに右折して進むといいようです。
 書かれていたとおりに車を走らせると、人家の間をぬけて海岸に沿って走る道に出ました。この道路の海側は広くなっていて車が止められそうです。Uターン気味に進むと前方に駐車場らしきものがみえてきました。そこに車を入れます。

10 3/12 日向市美々津町並み保存地区

 美々津の町は、横を流れる耳川の河口付近にできていて、川の上流で生産される木材などを上方に運搬するための集積港として江戸時代の初め頃に発展したそうです。藩の番所なども設けられ、千石船を持つ廻船問屋が何軒も並んでいたようです。大正時代に鉄道ができてからは、船運が振るわなくなり、衰退していったそうです。

11 3/12 日向市サンパーク遊歩道とフクトが浦

 美々津から北上を続けます。事前に調べた観光地メモには、道の駅日向裏とだけ書かれています。何があるのかはよく覚えていません。途中に何かあったら寄るつもりでいましたが距離が2kmもなかったので、すぐについてしまいました。
 道の駅の案内板で、この奥にあるものについて調べてみました。サンパークという公園があって、温泉施設のほか、オートキャンプ場や運動施設があるようです。あまり興味のあるものではありません。海岸には下りられるだろうと考え、温泉施設の方に行ってみました。

12 3/12 日向市サンパーク 潮吹き岩

 サンパーク沿いの遊歩道の正式名称はわかりません。美々津海岸遊歩道と書かれている資料も見受けます。しばらくは単に遊歩道ということにしておきます。
 遊歩道は全長で3km以上もあります。端までいけば戻ってこないといけません。全部見るとなると、相当時間がかかります。アクセスポイントがいくつかあるみたいなので、主要ポイントのみ行くことにします。後で考えてみたら、行きか帰りに自転車を使うという方法もありました。入り口でのこともありました。現地ではそこまで考える余裕はありませんでした。

13 3/12 日向市サンパーク 柱状節理の入り江

 潮吹き岩から遊歩道を進んでいっても、フクトが浦に行くだけです。少しだけ行って見るというのもあるのですが、いったん遊具広場の入り口までもどってそこから北側のようすをちらっと見ることにします。
 遊具広場入り口から北側の遊歩道へは、二股に分かれた道を左に進んでいきます。道は谷にまっすぐ降りていくようについています。林の切れ目から進行方向を見ると、崖に挟まれた凹地に進んで行くように見えます。正面に見える岩場には時々大きな波がかぶっていきます。

14 3/12 五ヶ瀬町へ

 サンパークを出る頃には、もう遅い時間になっています。ここからだと宿のある五ヶ瀬町まではまだだいぶあります。このあとどこかでゆっくりと見ている時間はないでしょう。道脇にあるものならわずかな寄り道は可能でしょう。とりあえずカーナビをセットして、指示通りに進む事にします。
 日向ICから東九州道に入って延岡方面に進みます。延岡南ICで「この先一般道」の指示が出たので、高速を下りたら、こんどは違うといわれてしまいました。一般道でリルートをしてくれましたが、出口を出てからぐるっと回って高速に入り、延岡方面に進みなおしました。

15 3/13 五ヶ瀬町中村

 五ヶ瀬町の朝です。ちょっと早めに目が覚めたので、周辺を歩いてみることにします。といっても宿のまわりは、スポーツ施設と学校幼稚園があるだけです。フロントにおいてあった五ヶ瀬町内の散策マップを見ると、ちょっと足を伸ばしたところにめがね橋があると書かれています。これを見に行くことにします。図は持ち出し禁止なので、簡単にメモをしておきます。

16 3/13 五ヶ瀬町うの子の滝

 朝食を済ませたら、宿(木地屋)を出ることにします。今晩の宿は久住高原にとってあります。予定では山都町の蘇陽峡と通潤橋をみたあと阿蘇のカルデラを通り北側外輪山を通って行くつもりです。
 出発の準備が終わって車を動かそうとしたときに、1つ見落としているものがあるのに気がつきました。宿の玄関前におかれている石です。車をその近くまで移動させて、見ていきます。

17 3/13 山都町長崎鼻展望台

 五ヶ瀬町特産センターから西に車を走らせるとすぐに熊本県山都町に入ります。入って程なく、蘇陽峡への案内標識が見えてきます。指示に従って右折します。まっすぐ進むと蘇陽峡というのと、長崎鼻展望所という案内が出てきます。できれば両方行くことにします。
 この時点で勘違いしていたことがあります。1つは、××鼻という名前は阿蘇の外輪山がカルデラ側に大きく張り出したところにつけられた名前だと思っていることと、2つめはのこの2つのものは別々のものであると思っていることです。

18 3/13 蘇陽峡遊歩道1/2

 長崎鼻展望所から下に降りてきたのには訳があります。展望所にあった説明によると、ここから、川底の方に行くに従って阿蘇山からの噴出物が新しいものから古いものまで順番に見られるというのです。阿蘇山から大規模火砕流は4回噴出していて、一番最初のものからそろっているようです。さらに下には、恐竜時代の地層も見られるとか。谷底までかなり深そうなこともあって、ためらわれますが、思い切って行ってみることにしました。

19 3/13 山都町蘇陽峡遊歩道2/2

 長崎鼻展望所にあった説明によると、蘇陽峡とは阿蘇の火砕流台地を五ヶ瀬川が削って作った深い渓谷で、高さが150〜200mの崖で挟まれ、幅が200〜300m、長さが14kmに及ぶそうです。さらに下流は高千穂峡まで続きます。
 蘇陽峡は日本のグランドキャニオンと呼んでいるようです。深い谷が延々と続いていることに関係しているのでしょう。もう一つ似ているのは、高いところの方が交通のアクセスがよく、見るには谷を下って行って、登って帰らないといけないということです。登山と全く逆になります。

20 3/13 山都町聖滝・聖橋

 蘇陽峡の次は、通潤橋に向かいます。出発したのはいいのですが、どこにあるのか正しくわかっていません。国道を西に向かって進んでいると、T字路に行き当たりました。何となく熊本の方ではないだろうと思い込み、そうでない方向に右折してしまいました。
 進んで行くとだんだん山の中に入っていきます。地図を確認した方が良さそうなので、車を駐めやすそうな場所を探してそこでチェックします。この道は阿蘇の方に向かう道で、通潤橋はT字路を左方向に進んだ方向にあります。T字路まで引き返すことにします。片道10分ほどロスしてしまいました。

21 3/13 山都町通潤橋

 通潤橋は、この南側にある台地上まで用水路を通すために、五郎ヶ滝川にかけられた橋です。水抜きのために橋の真ん中から放水するようすが有名です。
 道の駅でこの付近の案内パンフを探したのですが、中国語で書かれたものしかありませんでした。横に並んで展示施設もありますが、ここでも見つけることはできませんでした。パンフ類はなしで回ることにします。通潤橋は目の前に見えています。

22 3/13 山都町五老ヶ滝から岩尾城趾

 通潤橋は見えたものの、この近くにある五老ヶ滝が見えていません。そのためには通潤橋よりも下流側に行かないといけないのですが、通れそうな所は何処も通潤橋の手前で通行止めになっています。もう少しその付近を探してみることにします。
 岩尾城趾二の丸跡の周囲を探していると、道の駅と反対側に降りる道を見つけました。下りていくと通潤橋につながる用水路を橋で越えたあと、用水沿いに進む道に出ました。このまま用水沿いに下って行くと、通潤橋で通行止めになります。その標識はここからでも見えています。五老ヶ滝は下流側にありますから、上流側にいくのは方向違いです。遠くを見わたしてみると低くなったところにある田んぼの向こう側斜面を横切るように道が続いているようです。ここをすすめば何とかいけそうです。

23 3/13 山都町から阿蘇カルデラへ

 岩尾城本丸跡は行き止まりになっています。再び案内板のあった広場に戻ります。ここから駐車場に戻るまでの間に見ておきたいものがもう一つあります。岩尾城趾大手門跡近くにある赤禿滝です。五郎ヶ滝川に架かる橋の上から見ることができるようです。
 広場から二の丸跡に入る手前に城を下りていく狭い道があります。そこを下って行きます。川沿いの民家の間を通りぬけると橋があります。この橋の上から上流側を見ると、堰のように見える段差の小さな滝があります。

24 3/13 高森町湧水公園

 阿蘇のカルデラ内は、南郷谷を中心に見て回る予定です。最初は、高森駅周辺で情報を収集したあと、涌水公園にいくつもりでいます。
 高森峠から国道を下っていくと、高森方面への分岐があります。涌水公園も曲がるように書かれています。この案内に従って進んで行きます。曲がりくねった道です。峠を越える旧道だったようです。

25 3/13 南阿蘇村白川水源

 阿蘇南郷谷を下って行きます。次に行く予定の場所は、白川水源です。ここもわかりやすいところにありました。駐車場がいくつもあります。一番最初に見つけたところのものに入れたので、ちょっとだけ歩く距離が長くなりました。
 入り口までいって、環境協力金を支払おうとしたのですが、財布の中に小銭が入っていません。入り口には箱が置いてあるだけなのでこのままでは支払うことができません。横にあった店で、崩してもらえないかと聞いたところ、両替してくれました。

26 3/13 阿蘇カルデラから外輪山ミルクロード

 ここまででだいぶ遅くなっています。距離的に考えると、ぐるっと回っていくだけでも宿への到着は遅い時間になるでしょう。この先に、涌水地や城跡などチェックしたところはたくさんあります。よっている時間はほとんどありません。鮎返の滝だけはみておきたいので、ここに向かうことにします。
 鮎返の滝は南阿蘇村の栃の木にあります。白川水源の前の道を西に進んでいき、国道を少し進んだところから栃の木温泉の方に曲がっていったところにあります。

27 3/13 阿蘇大観峰から久住高原

 かぶと岩展望所に着いた時点で5時半をまわっています。今晩の宿の久住高原荘までは30km以上あります。1時間くらいはかかるでしょう。到着時間の予想を宿に入れておきます。
 道はわかっているのですが、念のためにカーナビをセットしておきます。用意ができたら出発です。ミルクロードを東に向かって進みます。南小国方面への国道を越えると大観峰への分岐があります。ちょうど太陽が沈もうとしているところです。前回来ているのと宿へ急がないといけない時刻になっているのとで通過するつもりでしたが、夕陽が見たくなったので寄っていくことにしました。

28 3/14 久住高原から南小国町七滝へ

 昨晩は門限近くまで星を見ていました。戻ってからは、風呂にも入れませんからそのまま寝ました。起きて最初にすることは風呂に入ることです。朝は早めから開いています。いつもならその付近を散歩するのですが、今日はこちらが優先です。
 前回までは夜に入っていたので、普通のお湯だと思っていました。朝に見ると白濁しています。温泉だったようです。説明を見ると、入れたては白く濁っているけれども、だんだん透明になってくると書かれていました。

29 3/14 南小国町七滝遊歩道・夫婦滝

 見えていた滝はそれほど大きなものはなかったようです。全部あわせてもそれほどの落差にはならないでしょう。比較的大きそうなのは、下流側の谷底との間にありそうです。  駐車場まで戻ってきましたが、滝のことは気になっています。遊歩道はしばらく道路沿いに下流側方向へ進んだ後、道路から離れます。ここからも、しばらくはなだらかなところを進んで行きます。その後、急に斜面を下りだします。そこからは滝が見えます。といっても手前にある木々の間にやっと見える状態です。これ以上はっきりと見える場所はありませんでした。比較的大きな滝のようです。

30 3/14 小国町下城公園

 車を小国町の方に向けて走らせていきます。次にチェックしている場所は、小国町の下城公園です。大きなイチョウの木と二つの滝があります。うろ覚えですが、今走っている国道から北に走る国道に入り、少しいったところにあります。
 途中何処もよるところもなく、何となくそれらしい国道に出合います。ここだと思い右折していきますが、今回も何か様子が変です。ちょっと広いところがありましたので、ここで確認して見ることにしました。

31 3/14 小国町 鍋ヶ滝

 下城から、前の国道をまっすぐ進むとうきは市の方に行きます。かなり北側に行ってしまいます。いったん道の駅まで戻ります。その後の行程ですが、そのまままっすぐ進むと阿蘇山に出ます。こんどは南によりすぎです。道の駅前の交差点を右折すると、中津江村から大牟田や八女の方にぬけられます。目的地に近づけますのでこちら側に進んで行きます。その先でチェックしている場所は鯛生金山です。

32 3/14 日田市中津江村鯛生金山

 鍋ヶ滝から国道に戻って鯛生金山を目指します。だいぶ走って中津江村のダム湖に到着、さらに延々と走って、やっと鯛生金山の入り口に到着です。
 入り口の道脇に、金鉱石がおかれていました。車を駐車場に入れるのを先にします。すぐにあると思っていたのですが、200m以上も離れていました。さらに目的の建物近くまでは100mほどあり、ここまでくると引き返す気にはなれませんでした。

33 3/14 日田市中津江村鯛生金山坑道

 鯛生金山の見学場所は3つのゾーンに分かれています。竪坑ゾーンと採鉱場ゾーン、初期採鉱ゾーンです。この順番にまわっていくように見学コースが作られています。
 採鉱場へは、坑道を通っていかないとたどり着けません。しばらくは坑道を歩いて行くことになります。出入り口からでもだいぶ距離があります。その間にも、入坑の風景を復元した人形があったり、いろいろな解説が書かれているところがあります。

34 3/14 肥後古代の森鹿央地区 装飾古墳館へ

 鯛生金山から、まっすぐ進むと八女にぬけます。山鹿を通って大牟田にぬけるにはダム湖まで引き返して、そこから別の国道を進みます。事前のチェックではこちらがわに見所がたくさんあります。八女側は1ヵ所だけです。だいぶ距離があったようなので、ダム湖までひき返すのは気が引けます。
 周囲を見ていると、県道がここから山鹿にぬけられると書かれています。道が狭くなっているかも知れませんが、こちらからいくことにしました。

35 3/14 肥後古代の森鹿央地区 岩原古墳

 古墳群に着いて最初に装飾古墳館を見学します。ここの見学でわかったのは、横穴墓群というのは、古墳時代に作られたものであるということです。当時の首長の墓は古墳として祀られますが、その家族などは横穴を掘ってそこに埋葬されていたようです。宮崎県の生目古墳群でも古墳の周囲に横穴墓がたくさん掘られていて、その古墳の関係者が埋葬されていました。

36 3/14 肥後古代の森菊水地区 歴史民俗資料館へ

 肥後古代の森は、いくつかの地区に分かれてあるようです。これから行こうとしていた菊水の古墳群も、肥後古代の森の一つです。近くに行けば、鹿央地区と同じようにしっかりとした案内標識があるでしょう。とりあえず目的地の近くにある道の駅を目指します。
 道の駅についたら古代の森の位置を確認しようとしたのですが、道路の先の方に肥後古代の森の案内標識が見えます。道の駅に入らずに、標識に従って進んで行きます。すぐに古代の森に到着です。駐車場がいくつかあるようです。できるだけ先の方に駐めようと進んでいったのですが、民家村の入り口までいったら行き止まりで駐車場はありませんでした。最初のところまで戻ってそこに駐めます。

37 3/14 肥後古代の森菊水地区 肥後民家村

 和水町歴史民俗資料館の展示の中心は、江田船山古墳から出土した遺物でした。展示を見ていて、昔日本史の授業で江田船山古墳から銘入りの太刀が出土しているのを習ったのを思い出しました。古墳の名前を見たときに感じた居心地の悪さはこのことに関係していたようです。わかっていればそのままスルーできる名前ではありません。

38 3/14 肥後古代の森菊水地区 清原古墳群

 民家村に入ったときは、布施家の前には門がありました。境家の門を出た後もまだ民家村の中だと思っていました。当然、民家村から出るには入り口に戻らないとでられないと思っています。民家村の営業時間終了も迫っています。門をでた後は、緒方家や山野家のあったところの裏側に向かう左側へ歩いていきます。
 緒方家の裏側あたりまで来ると、緒方家との間には生垣があって中に入ることはできません。右側には古墳が見えてきます。民家村の外側に出てしまったような感じです。

39 3/14 肥後古代の森菊水地区 縄文のむら

 肥後古代の森菊水地区には、古墳群や民家村の他に縄文時代の遺跡があります。石人の丘の裏手から江田川を渡り、その向こう側、菊池川との間の丘陵にあります。もうだいぶ遅くなっていますが、行ってみることにしました。
 石人の丘から縄文のむらに行くのに橋があります。案内図にはつり橋となっています。見た感じでは普通の橋のように見えます。渡るときにちょっとゆらゆらしていたような感じがします。

40 3/15 柳川市街

 朝は早くに目覚めたので、付近をぶらぶらっとしてみることにします。前回もまわっていますので、それより遠くの駅付近までいってみたいと考えています。駅までは歩くには遠いので、自転車を出すことにします。
 宿から東にちょっと行ったところに、足湯ができていました。そこから水路が見られます。直線的なので、柳川城の掘の一部だったのでしょう。

41 3/15 佐賀市早津江 三重津海軍所跡

 朝食を食べ終わって、荷物をまとめ終わったら出発です。今日の宿は佐賀県北西部名護屋城近くの国民宿舎波戸岬です。吉野ヶ里遺跡には行きたいと思っています。そのあと見学場所を探しながら武雄の方までいってから北上して名護屋城通って波戸岬までの行程を予定しています。
 もう一ヵ所、佐賀市の早津江川河口付近に、三重津海軍所跡というのがあります。明治日本の産業革命遺産として世界遺産に登録されています。ここもよろうと思います。ここも海軍発祥の地とかいっています。この旅行では2ヵ所目です。

42 3/15 吉野ヶ里町歴史公園01 エントランス

 次の目的地は吉野ヶ里遺跡です。道順、特に国道34号線にでるまでの道がよくわかりませんから、カーナビをセットして進みます。目的の国道までは、案内通り進んで無事に到着です。国道に入ってすぐに吉野ヶ里公園左方向の案内標識が出てきます。カーナビの指示は直進です。道路標識の指示に従うことにしました。
 一応公園前には出ました。T字路で右が西口、左が東口になっています。カーナビは左に行けと行っていますから、左に曲がります。この場所は、西口のすぐ前でしたから、右の方が入り口に近かったようです。車とか人とかが全くいませんでしたから、入り口とは思えませんでした。でも、こちら側にある施設は遊び場が中心で、遺跡が復元されている場所まではだいぶ離れています。

43 3/15 吉野ヶ里町歴史公園02 南のムラ 中と南の一家

 吉野ヶ里遺跡を、どのようにまわっていくかを検討します。もらった案内図には、4つのコースが書かれています。このうちの、「やよいのみち」と「ひみかのみち」は、それぞれ遺跡の西側と東側を巡るようになっています。二つコースをたどれば、復元されている地域のほとんどを通ります。ほぼこのコースに沿って進むことにします。

44 3/15 吉野ヶ里町歴史公園03 南のムラ ムラ長と北の一家

 「南のムラ」でみられるのは、農作業に従事していた人たちの建物です。説明では、編み物をしたりとか、鉄器や土器を作ったりしたようすも復元されています。実際にあっ建物はこれだけではなく、もう少し周辺地域までひろがっていたでしょう。その中には鉄器を作っているところもあったし、土器を作っているところもあったでしょう。農作業関係以外の仕事もここに集約されているようです。

45 3/15 吉野ヶ里町歴史公園04 倉と市

 「南のムラ」の「北の一家」の建物群をすぎると、柵の外側に出ます。といってもまだ西側遠くには別の柵が見えていますから、遺跡の内部になります。段差があって少し低くなります。
 向こう側正面には、たくさんの建物群のある一画と右側の高くなったところに物見櫓がたくさんある一画が見えます。低いところの建物は倉庫が多いようです。

46 3/15 吉野ヶ里町歴史公園05 南内郭へ

 吉野ヶ里遺跡の案内図を見るとこの隣が、南内郭になっています。2つの見学ルートでは、中には入らないで素通りする事になっていますが、見ていくべきでしょう。
 倉と市からは、物見櫓は見えるものの、何があるのかは見当もつきません。間に柵があってまっすぐはいけないようです。

47 3/15 吉野ヶ里町歴史公園06 南内郭展望

 物見櫓からは、南内郭の方向もよく見えます。こちら側の柵に切れ目があります。そこから環濠を渡る橋が架けられています。橋を渡ったところでゲートのようなものがあり、その先の道は坂を登っていくようにつけられています。南内郭の周囲には柵が巡らされていて、ここからは切れ目が見えませんが、この道を進んで行けば南内郭にいけそうです。

48 3/15 吉野ヶ里町歴史公園07 南内郭 王の館

 物見櫓から降り、重要そうな建物群から見ていくことにします。柵に沿って進み向こう側から見たようです。入り口には門があります。横に渡した木の上には鳥の形をした木彫りが置かれています。ここまでに、いくつか見た同じ形をした門にもありました。鳥形というそうです。後でネットで読んでいるとこの門の形は鳥居の原型になったというようなことが書かれていました。

49 3/15 吉野ヶ里町歴史公園08 南内郭から中のムラへ

 南内郭は王の一家の居住区があり、吉野ヶ里遺跡で政治的な中核区域と考えられます。この区画内には、王の他に今でいえば官僚にあたる大人(たいじん)やその妻の家があります。役職ごとに妻の家が別にあります。この時代は、妻は家族ごと引っ越してきたということでしょうか。
 祭祀・儀礼を取り仕切る大人の家です。中では祭りの相談をしているようです。

50 3/15 吉野ヶ里町歴史公園09

 中のムラに着くまで1時間以上かかっていて、だいぶ疲れてきています。これでやっと公園の半分ほどを見たことになります。残り半分の区域で、遺跡が復元されているのはあとわずかのようです。気合いを入れて続きを見ていくことにします。
 「やよいのみち」はこのまままっすぐ行くようになっているのですが、東側に見えている建物群の方が気になりますので、そちらの方をみてからいくことにします。こちらのコースは「ひみかのみち」になります。

51 3/15 吉野ヶ里町歴史公園10 北墳丘墓

 吉野ヶ里歴史公園の主要部は残りわずかとなってきました。最後までがんばっていくことにします。
 北内郭はまっすぐ通りぬけられるようにコースが作られています。コースを進んでいって、北内郭をぬけた正面に大きな丘のようなものが見えてきます。北墳丘墓です。その手前に立柱(精霊の宿る大きな柱)と祠堂(お供え物を捧げたりお祈りをする場所)がまっすぐ並んでいます。

52 3/15 佐賀城

 吉野ヶ里からは、佐賀県南西部を目指す予定です。ここまでに時間をだいぶ使ってしまいました。後どれだけまわれるでしょうか。とりあえず、西を目指します。佐賀市の町中に入ってきたので、佐賀城を目指して進む事にしました。
 佐賀城の駐車場へは案内通り進んですんなりと到着です。城跡が見えていますから、そちらの方に向かって歩いて行きます。間にあった鍋島直正公の像です。城の方を向いていますから、振り返って写しています。

53 3/15 小城市 芦刈海遊ふれあいパーク

 佐賀城の後はとりあえず、佐賀城前の国道を西に走っていくことにします。目的は佐賀県西部です。何があるかわかっていません。正面に見える山が近くなってきて、佐賀平野もそろそろ西の端かなというところで、ムツゴロウ王国と書かれた案内板がありました。ムツゴロウも一度は見ておきたかったものです。距離は6kmほど、ちょっと遠いですが何とかいけそうです。みられるかどうかはわかりませんがいってみることにしました。

54 3/16 唐津市波戸岬

 夜になってから、雨が降りだしていました。夜中には、かなり激しく降っていたようです。風もかなり強かったようです。朝になって窓の外を見ると、雨はだいぶやんでいるようにみえます。風の音は相変わらず聞こえてきます。
 外に出てようすを見ることにしました。雨が降っているようなら出歩くのはやめにしようと思います。玄関まで行くと、ドアが開きません。ちょうど、宿の人が来たので聞いてみると、昨晩風雨が強く雨が吹き込んできたので、手動になっているということでした。床にも吹き込んだ雨を吸い込ませるためにぞうきんが引かれていました。このあたりは、風あたりが強いところだそうです。

55 3/16 唐津市 波戸岬から名護屋城へ

 宿に戻ってきたときには、だいぶ人が出入りするようになったためか、ドアには「手で開けてください」と書かれた紙が貼られていました。だいぶぬれています。開け閉めの度に風雨が吹き込んだのでしょう。
 部屋に戻って、カメラのゴミチェックをしてみました。あまり使っていない方のカメラは大丈夫でしたが、よく使っている方のカメラはゴミだらけでした。早速除去します。

56 3/16 唐津市名護屋城本丸跡

 三の丸から本丸大手門を通って本丸に上がってきました。それまでも風は吹いていたのですが、ここは吹きさらしです。雨も少し混じっています。周囲には風をさえぎるものはほとんどありません。おまけに高台というのもあって、強い風が吹き付けています。体感温度も下がって、ちょっと寒いくらいです。
 本丸跡の真ん中にあるのは石碑です。名護屋城趾と書かれているそうです。強い風の中歩いて近くまで行く気力がありません。

57 3/16 唐津市名護屋城 天守台から二の丸

 まだ本丸は、一辺を歩いただけです。寒さがだいぶひびいています。この時の気温は、10℃を下回っていたようです。雨交じりの強風が吹きさらしになっています。後残り3辺気合いを入れていきます。といっても、名護屋城趾で見るところは、この本丸以外にもたくさんあります。
 南西隅櫓から北に延びる石垣の上にあるのが、多門櫓跡です。薄茶色のところが、城を壊したときに、大量の瓦を捨てた場所で、もとは玉砂利が敷かれていたようです。一部分だけそのようすが復元されています。そこと、向こう側の崖のようなところとの間に多門櫓がありました。その礎石が残されています。実物だそうです。

58 3/16 唐津市名護屋城二の丸

 名護屋城について、わかっていたのは秀吉が朝鮮出兵にでたときの拠点だったことくらいです。廃墟になっているのは、その後使われなくなったからだとくらいにしか思っていませんでした。
 ここに来てわかったのは意図的に城を壊したということです。破却と呼んでいるようです。何のためかというところまでは、解説には一切触れられていませんでした。帰ってから調べてわかったことです。大坂夏の陣の跡、江戸幕府は一国一城令をだします。唐津藩は唐津城があるので、名護屋城を持つことができません。名護屋城を残すには、大きすぎることもあったでしょう。この時に徹底的に壊したようです。

59 3/16 唐津市名護屋城博物館木下信俊陣跡

 名護屋城馬場下の道を進んでいくと、大手口に戻りました。城の北側地区を回れていませんが、ほぼ一通り見たことになります。この一画には名護屋城博物館があります。そちらの方ものぞいて見ることにします。
 入り口を入ってロビーのようなところを通りぬけると、裏口のようなドアがあります。そこには木下信俊陣跡と書かれています。木下信俊は、秀吉の正室おねの甥になります。陣跡らしいものはまだ見ていませんので、こちら側を先に行くことにしました。後で見たパンフには展示を見てからいってくださいと書かれていました。

60 3/16 唐津市土器崎 七ツ釜

 名護屋城からは、東松浦半島を海岸線に沿って時計回りに進んで行きます。最初に呼子の町を通ります。ここからの遊覧船に乗ることも考えていたのですが、強風のために欠航となっています。朝市にも寄らずにそのまま通過しました。
 そのまま走り続けていると、七ツ釜への案内標識が出てきました。七ツ釜は、呼子からでる遊覧船の寄港地です。この付近では名の知られた観光地の一つみたいです。見に行くことにします。

61 3/16 唐津市土器崎 象の鼻・めがね岩

 七ツ釜のあるこの一画は、七ツ釜園地といいます。いくつかの入り江のある岬になっていて、土器(かわらけ)崎と呼ばれています。この中に神功皇后が、朝鮮半島へ出兵する時に土器に酒を持って海神に供えたとされる場所があるようです。そこには土器崎神社がたてられているそうです。
 七ツ釜からいったん広場の方に戻ります。行き先の書かれた案内標識が所々にあります。その中で、「象の鼻」と書かれたものがあります。そちらの方にも行ってみました。七ツ釜展望所の隣に見えていた岬の先端部です。展望所からも遊歩道が見えていました。断崖が近くに迫っているためか柵で囲まれています。ここでも、六角形の柱状節理がよくわかります。

62 3/16 唐津市 立神園地・菜畑遺跡

 土器崎から元の道に戻り、東松浦半島の東側を南下していきます。海岸に出たところで先に見える岬先端部に大きな岩が2本立っているのが見えます。どこかゆっくり見られるところがないか、探しながら車を走らせます。  立神岩とかかれた案内標識が見えてきました。案内に従って進んで行くと、駐車場が見えてきました。ここに車を入れます。

63 3/16 唐津市伊岐佐 見帰りの滝

 この時点でお昼をまわってしまいました。この後、それほどたくさんはまわれないでしょう。いくつか候補があるのですが、見帰りの滝を目指すことにします。1月前に、あまりしっかりと見られなかった河津桜が咲いていることもあります。滝の少し下流のホタル橋近くになります。
 昨日こちらに向かって走ってきた道を戻ることになります。教習車とわかれた少し先から、川を渡り、山道の方に曲がっていった先にあります。思ったよりも遠く、意外と時間がかかってしまいました。

64 3/16 門司港へ

 見帰りの滝と河津桜を見終わった時点で2時前です。フェリーが5時出港でその1時間前までに手続きをすませるようにいわれていますから。門司までの移動時間も含めてあと2時間ちょっとあります。もう1ヵ所くらいは立ち寄れそうです。宗像大社は無理そうなので、伊都国博物館を目指すことにします。魏志倭人伝で末盧国の次に出てくるクニです。

65 3/16-17 帰阪

 フェリーの中では、時間をつぶす方法があまりありません。夕食をとるといっても車に積んでいた非常用食料を食べるつもりだし、あとは風呂に入るくらいです。3大橋の通過時間が書かれています。来島海峡大橋で12時過ぎ、瀬戸大橋は真夜中、明石海峡大橋は夜明け前になります。出発時に、明石海峡大橋では点灯していなかったようなので、航空標識灯以外は見えないでしょう。わざわざ夜中に起きて見に行くこともないでしょう。

66   感想・余談など 1/2

 今回の旅行も、いつも通り、見知らぬところに行って、そこにどんなものがあるのかみたいというのが主目的です。今まではふらっと行って、たまたま目にしたものを見に行くという形態でした。何もなく通り過ぎてしまうだけ、という場所もたくさんありました。
 今回は何もなかったらということで、事前に何があるか下調べはしておきました。ほとんどがその調べた場所に行っていたことになります。立ち寄り地については、特にこれといってきめているものはありません。地学関連のものがあればまず優先です。それ以外については、自然景観や歴史的遺物などが中心になります。これと野生生物の観察が入ってきます。逆にグルメとか芸術芸能といったものはパスになります。

67   感想・余談など 2/2

<吉野ヶ里遺跡と邪馬台国>
 吉野ヶ里遺跡を見た感想です。遺跡からは、あまりたくさんの人の気配が感じられませんでした。復元された建物が、その一部だけというのもあるのかも知れませんが、建物群の分布範囲を広げて考えてみてもだいぶ足りないような気がします。逆に、住居用建物よりも、倉庫の大きさ、数が目立って多いような気がしました。一家が収穫したもので、倉庫がいっぱいになるとは思えませんし、中のものを1年で使い切るには多すぎるような気がします。一家といわれる人たち以外にも、倉庫に入れるものを作ったり、蓄えた食料を消費する人がいたように思えます。



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