2018/08/12-13 流星群@立山
旅行先を決める大きなポイントが、星が見られるかどうかです。そのため宿泊地が大きな町だ不適格となってしまいます。逆に、離島や高原となると条件がよくなるので、候補に挙がってくるようになります。旅行先を見ていると島が多いのはこのためです。
旅行業者のパンフレットを見ていると、ペルセウス座流星群を見ようというものがいくつか出てきました。今年は、ふたご座流星群とあわせて観測の条件が「良」です。B社の中には立山で見るというものがありました。標高が2000mを越えていると、星はかなりきれいに見えそうです。1泊2日で11日出発と12日出発の2つです。
ネットで確認すると、11日の分は早々と催行が決定されていました。かなり申し込みが多いようです。土曜日出発のせいでしょう。土日となると立山も混んでいます。出発まではまだまだ日数があります。これから埋まってくるでしょう。それと、流星群のピークは、13日10時頃になっています。
催行決定されるかどうかの不安はありますが、12日の方に申し込みました。ツアーのタイトルは「立山らいちょう荘たっぷり20時間滞在2日間」です。ん、流星群はどこにいったのだ?立山らいちょう荘に泊まれるということであまり気にしていません。
ツアーは、大阪梅田から京都竹田を経由してバスで向かいます。集合場所はこのどちらかです。当然、梅田を選択します。JRからだと、集合場所まではだいぶあります。梅田といっても、ほとんど中津に近い場所です。
申し込んでから、翌月の旅行社のパンフを見ていると、A社のものにも、ほとんど同じ内容。価格で、流星群観測ツアーがありました。同日出発で登山コースとそうでないのとがありました。登山コースはガイドがつきますから価格は高めです。登山でない方は登山目的の参加はお控えくださいと書かれています。催行中止になればこちら側に乗り換えることもできます。と思っていたら、申し込んだツアーの催行が決定されていました。登山ができるかが心配になります。
弥陀ヶ原周辺に何があるか調べてみると、いろいろ出てきました。氷河地形の一種で羊背岩というのがあります。弥陀ヶ原ではこれが見られるとかかれているものです。問題は、場所がはっきりしないということです。弥陀ヶ原全体にあるというものや、室堂山に行く途中に見られると書かれているものもあります。行ってからじっくり探してみることにします。
日本で最初に報告された山崎カールもあります。地図で確認しておきます。ついでに弥陀ヶ原から雄山までの地図も作りました。
立山で発見されたという氷河も気になります。何カ所かあるみたいですが、一番近いのは、雄山山頂の東側の沢にあるようです。雄山神社からはよく見えるそうです。これもできれば見ておきたいものです。雄山に登れるかどうかが心配です。体力的にというのと、ツアーで許可してもらえるのかどうかというのの2つの理由です。流星群を遅くまで見ていたら、それだけでも、登山は難しいでしょう。
前回弥陀ヶ原に来たときは、息が切れています。今回はそのうえに重たい荷物を担がないといけません。ちょっと鍛えておかないとということで、早朝ウオーキングを始めました。GPSロガーも、潮だまりに落としていますから、記録が取れるかチェックする必要があります。これも一緒にやってみます。ウォーキングは焼け石に水といった感じもしますが、やらないよりはましでしょう。ロガーで記録を取れるのは確認できました。ちょっと電池の消耗が激しいようです。電池は多めに持っていくことにします。
出発1週間ほど前に、詳しい案内が来ました。集合は梅田7時です。逆算すると、6時には家を出ていないといけません。朝は5時前に起きる必要があります。ちょっと早い時間です。
帰りの出発は13時頃の予定になっています。雄山に登るとして、ターミナルから往復4時間はかかります。宿からターミナルまで往復で1時間かかります。出発の時刻が宿に設定されていたら、8時には宿を出ないといけないことになります。時間的にはぎりぎりの感じです。昼食の時間も取れません。室堂山の方にも行くとしたら、到着した日に余裕があればいっておいた方がいいかもしれません。
それよりも、雄山に登れるかどうかの確認もできていません。どれに相当するのかはわかりませんが、ウォーキング・ハイキング・登山ツアー扱いにはなっているようです。ガイドのないのはウォーキングのみです。ウォーキング扱いなのでしょうか。特別に必要な持ち物や注意事項の書かれた案内も同封されていました。
出発前に、天気をチェックしていたら台風が接近しているのがわかりました。出発日あたりに上陸しそうな雰囲気です。当日の天気予報で、一時的に雨が強く降るかも知れないとなっています。合羽が必要です。前回は、古いのを使っていて、だいぶ中に雨がしみこんできました。昔のものなのでかさばる上に重たいのもあります。前から買い換えようと思っていたので、これを機会に買い換えることにしました。スポーツ用品店に行き、ぴったりのものを買いました。
持ち物の準備をします。いつもと違うのは、流星群の観測が目的の中に入っています。カメラは2台持っていくことにします。あまり荷物は重たくはしたくないのですが、これは必要でしょう。カメラにつく露よけために懐炉も入れておきます。与論島では苦労しました。そのわりにはその後の天体写真撮影では使っていませんでした。気温がだいぶ下がりそうです。セーターなどを余分に入れておくことにします。いざというときは合羽も防寒に使えます。
カメラなどの小物を入れるバッグを考えます。ウェストバッグよりはショルダーバッグのの方が歩きやすいので、こちら側にしたいところです。ショルダーバッグは、内ポエットが付いていませんから、中で小物が入り乱れて入ってしまいます。どちらもほとんど同じ大きさだったので、ショルダーバッグの中にウェストバッグを入れることにしました。これで懐中電灯や双眼鏡などの小物は縛り付けておけます。
登山関係の持ち物では、非常用の食料と水が必要です。一応入れておきます。といっても用意した水は標準的な量です。雄山に登るとして、その間重たい荷物はコインロッカーに預けることにします。室堂ターミナルにあるのを見ました。空いてなければ持って登らないといけなくなります。登山中に背負うリュックサックが必要です。バスや飛行機にのるときに使っているリュックを代用することにします。その他の荷物はだいたいいつもと同じです。
3ヶ月ほど前に、腕時計のバンドが切れました。同じものを新しく買いました。2ヶ月ほどは動いていましたが、いきなり止まりました。電池切れと思って、裏蓋を開けて電池の品番を確認して元に戻すと再び動き始めていました。どうも電池の接触が悪かったようです。このままつかいつづけることにします。
台風の動きが気になります。出発直前までチェックしていました。14号は何とか先島諸島から西にそれてきましたが、15号が南から北上してきています。北側の停滞前線と台風に挟まれて、西日本全域は湿度の高い状態になっています。高い山では雨になる可能性が高いようです。全体に南風になりそうなので、山の南斜面では雨が降りやすくなりそうです。星はあまり期待できないかも知れません。天気予報も芳しくありません。
もう一つうっかり忘れていたものがありました。ちょうどお盆の期間です。帰省ラッシュが始まっていそうです。高速道路は混んでいそうです。バスは予定通り走ってくれるのでしょうか。旅行会社はそのあたりのことも見込んで計画を立てていることにしておきます。
今日の梅田の集合時刻は、午前7時です。朝は5時起きで、6時過ぎに出発します。腕時計をするのを忘れていていったん取りに戻ったので、集合場所到着予想時間はぎりぎりになります。電車がすんなり来たとかで、ちょっとはやめに到着しました。
集合場所から、バスの駐車場まで移動して、バスに乗ります。座席は右側になります。大きな荷物を預けて席に着きます。すぐに出発です。次にいくところは、京都竹田駅で京都から乗る人を拾って行きます。竹田駅は名神高速の京都南ICのすぐ近くにあります。大阪市内からの道筋は詳しくないのですが、阪神高速で豊中まで行ってそこから名神に入るコースが思い浮かびます。
バスは扇町の方に向かって走り、そこから阪神高速に入ります。ここからは予想と反対の守口の方に向かいます。この時点で予想されるコースは、大日から近畿道を北上して吹田から名神高速に入る方法です。大日までは予定通り到着し、近畿道に入ってから景色を見ていると反対の南に向かっているようです。こうなると全くコースが読めません。
門真に向かい、そこから新しくできた第2京阪を使って巨椋ICまで行き、高速道路に沿って北上し竹田に到着します。京都からの人はすぐに乗ってくるかなと待っていたのですが、だいぶ待たされました。到着が早かったのか人数がたりなかったのかそのあたりこことはわかりません。
竹田を出てからも、名神高速に入らずに南下します。普通なら巨椋ICから京滋バイパスに入るところですが、途中で左折し違う方向に向かいます。どこを走っているのか見当がつかなくなりました。次にわかったは観月橋駅が見えたときです。観月橋を渡りましたから宇治の方に向かっているのは確実です。そのまま真っ直ぐ行って宇治西ICの近くを通りますが、ここでも京滋バイパスには入りません。
しばらく、京滋バイパスと並行して走ります。渋滞している高速道路の車を追い抜いていきます。宇治川を渡ったところで、バイパスから離れますが、ここでバスが動かなくなります。先の信号で4−5回止められたようです。
バスは京滋バイパスを避けているのかと思ったのですが、この先の、宇治東ICから入りました。道路は渋滞しています。渋滞情報が出ていたので見ると、次の笠取ICまでです。すぐにトンネルに入ります。バスの速度は、トンネルを走っている内に少しずつ速くなっていきます。トンネル先頭の渋滞だったようです。そういえばここはいつも渋滞の先頭になっています。
1回目の休憩は菩提寺SAで入ります。広場の真ん中に松の木が1本植わっています。美し松の木です。根元から多数の幹が出ているのが特徴です。野洲川の対岸に自生していて、天然記念物になっています。
再び立山に向けて進んでいきます。米原JCTからは北陸道に入ります。このあたりから右側を見ると伊吹山が見えるはずなのですが、雲の中のようです。高い山は天気が悪いようです。
次の休憩は、南条SAです。ここにはSAの外側に親水公園があります。人気は全くありませんでした。
南条SAを出てから、隣の席の人がいないと大騒ぎになります。添乗員さんからの応答はありません。向こうから連絡があったのか、対応中だったようです(ということにしておこう)。どうするのかが気になります。
バスは次の武生ICで高速道路本線から離れます。いったん外に出るかなと思ったのですが、高速バスの停留所を利用してUターンしました。こういう手があったのですね。ここで戻ったところで、積み残し客は反対車線にいます。どちらにしてももう一度向きを変えないといけません。
次のICは今庄です。そこまで行くかと思ったのですが、南条SAのスマート出口を利用していったん外に出ました。ぐるっと回って反対側の入り口に行き、入ったところで、添乗員さんが降りて迎えに行きます。これで何とか全員そろうことができました。
次の休憩は小矢部川SAです。添乗員さんはしきりに「こやべがわ」といっていました。正しくは「おやべがわ」です。ここには芭蕉の句碑がありました。何と書かれているのはわかりません。
富山平野に入ると、立山が見えるはずなのですが、どれかわかりません。高い山は全部雲の中です。それらしい方向を写してみました。
立山ICで高速道路を降り、立山方向に向かいます。だいぶ山の中に入ってきました。立山駅付近をすぎてからも、釈名川に沿って登っていきます。だいぶ砂防堰堤が増えてきました。
向い側の山の中腹を見ると斜面を縫うように道が作られています。これからあそこへ登っていくようです。
釈名川に沿って走っていたバスは釈名の滝につく手前で分岐し、立山有料道路に入ります。分岐直後に料金ゲートがあります。道路はバスとトラック専用なので、この2種類の料金しか書かれていません。室堂までバス料金は5万円を超えています。これは片道なのでしょうか。バスには30人ほどしか乗っていませんから、一人あたり1700円ほどになります。高いのでしょうかそれとも安いのでしょうか。毎年の雪かきのことを考えれば妥当な値段かなという気もします。
バスはヘアピンカーブを何回か通過して登っていきます。木が生い茂っていうので、景色は時々一瞬の間だけ開けてきます。写真には写せていません。
だいぶ登ったところで、広く平らになったところに到着します。四角い建物ものも見えてきます。立山ケーブルの美女平駅です。普通はここまでケーブルで上がってき、この先はバスで室堂に向かいます。何人かバスに乗るために並んでいます。
駅の手前に猿がいましたが、写し損ねています。バスは駅には止まらずにそのまま山に登っていきます。前半は林の中を走ります。ブナ平です。途中、釈名の滝の見えるところがあるのですが、今回は霧の中のようでした。そのまま素通りします。
ブナの生育できない高さになると、木の数がぐっと少なくなり遠くがよく見えるようになります。このあたりから弥陀ヶ原になります。
登っている間に添乗員さんが、明日の朝食について一人一人に聞いてきまわりした。弁当にするか、宿で食べるかかです。登山届けの用紙ももらえるようです。ということは、雄山に登ってよいということになります。当然登ることになるでしょう。弁当にした方が朝早くに出発することができます。弁当にして雄山に登ると答えました。
その間にも、周りの景色が変わってきます。ダケカンバにまじってオオシラビソ(アオモリトドマツ)が見られるようになってきました。
ふもとの方からわき上がってくる雲が、真横から見るようになってきました。かなり高いところに上がってきたことが実感できます。
車窓から見える雪もかなり多くなってきています。このあたりは春先には雪の大谷になる場所です。
室堂ターミナルに到着です。周囲には雪渓を抱いた山がたくさん見えます。
添乗員さんからは、階段を上がった横の出口を出たところで待っているように指示が出ます。この間添乗員さんは何の用事があったのか、思い出せません。階段はたくさん続きます。どこに出口があるかわからないまま、適当なところから外に出ます。みんなそこでいいのか不安になっています。
ここから立山が見えますが、山頂は雲の中です。
待っていると添乗員さんがやってきました。ここで合っていたようです。でもわからなった人が何人かいたようで、探しに行っている間もう少し待つことになります。
全員がそろったところで、明日の出発時刻の指示が出ます。ここに12時40分集合のようです。立山の滞在時間をきっかり20時間とったようです。立山滞在が20時間とはなかったような気もします。
連絡も終わって、雷鳥荘に向かいます。屋根の上に鳥が止まっているのを見たので写そうとし始めたときです。なんとか写したものの、ほとんどの人がここからいなくなっています。急いで後を追います。鳥の種類までは確認できていません。イワヒバリだったような感じです。
室堂のターミナルから雷鳥荘までは歩いて行きます。これが普通のツアーだったら玄関前にバスが横付けされているところです。遊歩道しかありませんからこれは無理です。30分ほど歩いて行くことになります。
添乗員さんはさっさと歩いて行きます。周りの景色や草花などもゆっくり見ていきたものです。今目立っているのはチングルマの果実です。たくさん出ています。チングルマは花より、果実の方がよく見かけますし、わかりやすい特徴があります。
ミクリが池が見えてきました。爆裂火口です。周辺にはまだだいぶ雪が残っています。
少し進むと、地獄谷への分岐があります。噴気活動が活発なので、ここから先へは進めません。前回来た時に、一番最初にライチョウが出ていると教えてもらった場所です。
反対側にはミクリが池が見えます。先ほどの場所から半周ほどしています。後方の立山連山は雲の中です。
道はミクリが池温泉からエンマ台に続いていきます。前回ライチョウを見た場所が途中にあるのですがどこなのかよくわかりません。雪があるのとないのでだいぶ様子が違います。先を急がされているので、ゆっくり探していることもできません。
エンマ台に到着です。ここで一同がそろうのを待っていました。ここからは地獄谷がよく見えます。
さらに進んで行くともう一つ水のたまった爆裂火口が見えてきました。ミドリが池と思っていたのですが、正式にはリンドウ池のようです。向こう側に見えている建物が、今晩の宿です。リンドウ池をぐるっと回っていかないとたどり着けません。
リンドウ池とミクリが池との間にも窪地があり、湿地のように水がたまっていました。水は赤い色をしています。血の池というそうです。草の緑、雪の白との対象がきれいでした。
この頃になると、雲が薄くなってきて立山連山が見えるようになってきました。
山崎カールも見えています。この時はわからなかったので闇雲に写しています。写真を見ると、モレーン堤とかもしっかり写っていました。
道ばたに咲いていた花です。イワイチョウです。最初見たときは、ミツガシワと思っていました。このような場所にはないはずです。
この写真を写した後立ち上がろうとしたときに、カメラのストラップを踏んでいるのに気がついていませんでした。カメラが引っ張られるようになり、手から滑って地面に落としてしまいました。大きな音がしたのでまわりにいたみんなををびっくりさせてしまいました。
リンドウ池を大きく迂回したところから、道は階段の下り坂になります。降りきって再び少し登った丘の上に雷鳥荘はあります。何とか無事(カメラは?)到着することができました。荷物を担いでここまでこれることはわかったのですが、帰るときは階段を上っていかないといけません。大丈夫なのか心配になります。
雷鳥荘に到着して、添乗員さんが手続きに行きます。その間は、宿の前で待っているように指示が出ます。近くで景色を見ることにします。先にある野営場方向です。後方の山は山頂部だけ雲がかかっています。別山(左)と真砂岳があるようです。
高台の端で剱岳が見えると聞いたので、ちょっと離れていますがいってみました。手前側の山の斜面の横に少しだけ顔を出しています。
添乗員さんが戻ってきたようなので、集合場所に集まり説明を聞きます。部屋は、男性が1部屋、女性が3部屋に分かれての大部屋になります。夫婦でも別室になります。アメニティとか寝間着とかは自前になっています。
部屋に入って、布団の場所の割り振りをしようといいだしてくれた人がいます。みんなが好き勝手に場所をとると敷く場所がなくなります。11人と思っていたので、入口側5人奥6人で足を向かい合わせにして寝るようにします。その間と入り口を通り道にします。敷き終わって人数を数えなおしたら、12人居ました。入り口前にも1人分用意して完成です。
食事までの間に、機材を組み立てておきます。ついでに登山届けを書き始めた人がいましたので一緒に書き始めました。いろいろ話をしていると、地質関係の人もいました。沖永良部島の調査をしたことがあるとか。最近いったばかりなので、沖永良部島の話題で二人で盛り上がっていました。
そうこうしている間に、食事の時間になりました。いこうとすると、カメラが1台見当たりません。散々探し回ってやっと見つけたのは、帽子の下でした。
食事が終わってもまだ外は明るいので、ぶらっと出歩くことにしました。
宿前の地面が気になります。草がまだらに集まっています。土中表面の水が凍ったり溶けたりを繰り返すことでできる周氷河地形の一種でアースハンモックといいます。寒いけれども、氷河ができるほどでもない場所に見られます。
これも周氷河地形の一種で、ソリフラクション(階状土)といいます。草の生えているところが畝のようになり、全体的に棚田のようになっています。
雷鳥荘の下側です。地獄谷が見えます。時々建物の中に噴気が流れ込んで来て、硫黄臭がします。
西側の空です。雲のすき間が赤くなっています。もう夕陽が沈んだ頃でしょう。これだけ雲が厚いと、星は見えないでしょう。
暗くなってきているとはいえまだじゅうぶんな明るさはあります。前回ライチョウを見た場所にもう一度いってみることにしました。途中で鳥のさえずりが聞こえました。枝の先に止まっていた鳥です。薄暗くて細かいところまではわからないので断定はできませんが、メボソムシクイのようです。
エンマ台につくころにはだいぶ暗くなっていました。ライチョウの場所はわからないまま引き返します。
夕方に見た限りでは厚い雲におおわれています。せっかく立山まで来たのに、星は見られないような感じです。明日の朝食弁当は、今晩のうちに取りにいくようにいわれています。もらいに行きます。おにぎりと簡単なおかずが入っていました。
する事もないので、とりあえず風呂に入ることにします。温泉です。といっても横の地獄谷からの噴気が流れ込んで来ているのか温泉のにおいなのかよくわかりません。
出てきてくつろいでいると、晴れてきたという情報が入ってきます。必要な物を持って外に出ます。まだ少し雲はあるものの晴れ間が広がってきています。すき間からは星がくっきりと見えます。
観察のしやすそうな広場の方に向かって歩いていると、星座を教えて欲しいと聞かれたので夏の大三角と火星を教えてあげました。
狙いは流星ですが、それ以外にも見たいものがあります。1つは大気夜光でもう一つは対日照です。大気夜光とは、上空数百kmにある酸素原子が昼間の太陽光を受けてイオン化し、夜間に電子を吸収して普通の原子に戻るときに光を放つという現象です。緑色に光る薄い雲のように見えるといわれています。エアグロウともいいます。
探してみたのですがよくわかりません。星が明るくて背景の色までは確認できません。ただ、星を眺めていると、暗い星が団子状にかたまっているようにも見えます。背景が大気夜光で明るいとその部分に星がたくさんあるように見えているせいなのかも知れません。上の方、天の川のない方にカメラを向けて何枚か写真を撮ってみました。何となく、緑色とその補色の紫色の斑があるように写っているようにも見えます。
少しピンぼけです。たまたま流星の写ったものです。どこの星座なのかは不明です。
雲が出てきたのでここまでにして、南側の晴れている方向にカメラを向けます。火星が明るいので、火星を使うとカメラはピントを合わせてくれました。わずかな露出時間でくっきりと天の川が写ります。これほど見事なのは小笠原以来です。
雲も写っています。だんだん広がってきて次第に星が見えなくなってきました。機材はそのままにして、しばらく休憩することにします。だいぶ寒くなっています。防寒がたりないようなので、合羽を上に重ね着することにしました。この間に取りにいきます。ついでにトイレにも行っておきます。しばらく建物の中で待避です。ほとんどの人は、星見をこの時点で終了していました。
30分ほどしてもう一度空を見直してみると、再び星が出始めています。星の写真を撮り始めます。頭上方向の天の川です。イルカ座が見えます。
アンドロメダ座とペガスス座です。銀河もしっかりと写っています。
真夜中に近くなってきています。そろそろ、流星の写真を写し始めることにします。対日照のことはしっかり忘れていました。
1台目のカメラです。このサイズだとわかりにくいのですが、ペガスス座が中心に入っています。上が頭と前脚で右が背中側になります。右下にわずかに山が入っています。
2台目のカメラです。だいたい背中合わせの範囲が写るようにしました。天の川が中央右側を斜めに横切っています。天の川上で下側の明るい星がデネブ、上側にカシオペア座のWが半分だけ写っています。左側の明るい点は、アンドロメダ銀河です。
30秒ごとに25秒露出で撮影をします。カメラが自動的にシャッターを切ってくれます。後は放置してりゅうせいを見るのに集中します。ベンチの上で寝転がって上空を眺めます。途中何度か睡魔が襲ってきますが、振り払って眺め続けます。
夜半頃にカメラを見るとレンズに露がついているのがわかりました。冷え込みがかなりきつかったからのようです。いつ頃からつき始めたのか気になりますが、これは帰ってからチェックすることにします。復帰が優先です。
拭き取ってはみたものの、なかなかきれい取れません。そうこうしているうちに、再び雲が広がってきました。今度の雲は厚そうです。これ以上の観測は無理でしょう。カメラの露も取り切れませんので、ここで終わることにします。流星がいくつ見えたか数えていませんのではっきりいえませんが、30個は流れていたでしょう。
流星がいくつ写っているかも気になりますが、これも帰ってからにします。今のところは寒いので、機材片付けを優先にします。
部屋に戻ってからは、温泉で体を温めてから就寝しました。機材は邪魔にならないところに置きます。片付けるのは他の人のお休みの邪魔になります。薄暗い中では作業ははかどりません。
翌朝聞いた話では、夜半をすぎてからはずっと曇っていたそうです。切り上げて正解でした。
写した写真を調べてみると、流星の撮影に入ってから20枚目あたりからだんだん星の写りが悪くなっています。時間にすると10分くらいです。こんなに早くつき始めたというのは完全に想定外でした。。
露がつき始めてしばらくしてからの写真です。全体的に星の写りが悪くなっています。一台目のカメラの写真です。暗い星がなくなったためにペガススの大四辺形がはっきりとわかります。下の方の星はまだたくさん写っています。この後時々雲が流れてきたようにも見えます。
2台目のカメラの写真です。天の川は全く写っていません。カシオペアとデネブがわかります。デネブが少しにじんでいるようです。
露に気がついた頃の写真です。かなり星がにじんで、全体にぼやけたように写っています。右下の方にまだ星がたくさん写っています。カメラのレンズには、使い捨てカイロを着けていました。全体が覆えなかったので、片側だけになっていました。レンズには露がついていない所がありました。カイロのあった側です。この部分を通った区域だけは普通に写っていたようです。
2台目のカメラです。明るい星だけになっていて、全体にぼやけたように写っています。このカメラのレンズには、露が全体についていました。
一応拭いては見たのですが、どうしても水分が残ります。くっきりと写る星は増えたのですが、全体がきれいにというところまでは回復していません。この後急速に雲が出てきたので、カメラのこともありますから観測はここまでということにしました。
どちらのカメラにも、使い捨てカイロを取り付けていました。露がついたのは効果が弱かったというところでしょう。少なくとも片側にだけでなく両側からサンドイッチにするように取り付ける必要があったようです。それだけ冷え込みが強かったというところでしょうか。日中は雲が上がってきていました。その分だけ湿度も高かったようです。このことも露の発生に影響したのかも知れません。
2台目のカメラにカイロの効果が全くみられなかった原因はよくわかりません。どういうタイミングで取り付けたのか、よく覚えていないのもその理由にあります。少なくともこのカメラの方が、先に使い始めています。その分だけカメラが冷えていたのかも知れません。温度が低いと、カイロからの熱の発生も抑えられます。
流星は、最初に入った一枚だけでした。撮影中視野内に入ってこなかったのか、露のために写らなかったのかははっきりしません。100個以上見えた与論島でもそんなにたくさん写っていませんでした。
翌朝です。早い時間に御来光を見るといって出発したグループがありました。それから、一眠りして明るくなってきたときに起きました。睡眠時間は何とか足りたようです。何人かは目覚めて動き出しています。まずは、昨日片付けられなかった機材の収納です。山に担いでいく荷物は別にして、まとめます。寝ていた布団は、一応たたみ、起きている人の分をまとめて積み上げておきます。押し入れ前でまだ寝ている人がいます。中に入れることはできません。
いろいろとしていると6時前になってしまいました。6時から朝食が取れます。出発が少し遅くなりますが、たべてから出発してもいけたかも知れません。予定通り、フロントに登山届けを提出して出かけます。
リンドウ池を回って、エンマ台を通り過ぎたところで、ライチョウが道脇を歩いてました。どこかにいかないうちに、ついているレンズで写しました。
のんびりと毛繕いなどをしています。その間に望遠レンズに取り替えて写しなおしました。
さらに何枚か写した内の一枚です。みていて気がつかなかったのですが、個体識別の足環をしています。右が青、左が緑です。雌雄の判別方法はわからないのですが、目の上に赤い肉球のようなものが写っています。オスなのでしょうか。
道脇の茂みの形をみると、前に来た時に見た2匹目のライチョウが居た場所にそっくりです。同じ場所のようです。となるとこれは同じ子(大阪弁です)の可能性もあります。前の時は足元がしっかり写っている写真はないのですが、足環はなかったようです。目の前に黒いラインが写っていましたからオスでした。同じである可能性は高いようです。
みている内に、何人かが通りかかります。手で居ることを合図して近寄りすぎないように注意を促します。みんなしゃがみ込んでみています。だんだん人だかりができてきました。
結構くつろいでいるようで、なかなか茂みに入っていきません。登山のこともありますから、遠くをまわるようにして反対側にぬけ、ターミナルの方に急ぎます。
ターミナルでは、コインロッカーに荷物を預ける予定です。館内図を見ながら、ロッカーの場所を探したのですが見当たりません。何度も図と見比べて間違いがないか確認しましたがみあたりません。ロッカーがなければ重たい荷物を持って山に登らないといけません。これは避けたいものです。館内にはひと気も全くないので、聞くこともできません。
そのあたりを何度かうろうろしていると、管理室から人が出てきました。聞いたところ、場所を変えたそうです。隣の建物との間の通路に移動していました。教えてくれたついでに廊下の明かりまでつけてくれました。そういえば前回来た時もロッカーの場所でもめていたような気がします。
ここでもう一つしておくことがあります。建物を出たところに玉殿の湧水があります。この水を水筒とペットボトルに詰めておきます。宿では大部屋で寝ている人がいましたのでお茶を入れることはできませんでした。
水を入れて、遊歩道への階段を上がろうとすると、その足元の石に、平行な細かい筋が入っているのがありました。氷河で動かされた石が、まわりとこすれあわさって動いた方向に傷がつきます。氷河擦痕といいます。このあたりの石を持ってきて使っているそうなので、あっても不思議ではありません。
写真を撮りおわって次にいこうとすると、向こうからやってきた人がミクリが池温泉のところでライチョウが出ていると教えてくれました。たぶんそれはみてきたと答えたついでに、氷河擦痕のことを教えてあげました。
これから、室堂の方に向かいます。道脇は、チングルマの草原になっています。白いのはヤマハハコです。
違ったものがないかと探していると、赤い花がありました。ヨツバシオガマです。
花と岩に注意しながら歩いて行きます。室堂の近くにあった岩が気になります。山と書かれている岩です。上面は左側の方向きが緩く右側がきつくなっています。羊背岩の特徴としてこのようなことが書かれていました。四角い岩が斜めに置かれているようにも見えます。右上の方にもそのような岩がいくつか見られます。氷河擦痕があれば決定できそうです。基本的には草原内は立入禁止なので近くに見に行くわけにはいきません。決めてに欠いたまま他を探すことにします。
室堂をすぎると、一般観光客通行禁止の看板があります。ここからは登山道になります。装備といえるほどではないのですが、一応それなりの物は持ってきています。届けも出していますから、入っていきます。
道脇に雪渓が迫ってきます。それよりも、このあたりに転がっている石ころも気になります。氷河が流れてきたとすると、一緒に運んできた石が積み残されているはずです。モレーン(氷堆石)といいます。それなのでしょうか。単に崩落してきてできた物のようにも見えますが、それだとすると数が多すぎます。
雪渓を越えたときに、氷から滴り落ちるしずくを写してみました。ちょっと小さすぎましたね。
黄色い花が咲いていました。ウサギギクです。ウサギのいわれは何なのか聞いていたはずなのですが忘れています。葉っぱが関係していたような。
チングルマの花もありました。
道脇の斜面に、底の丸い溝状の地形ができていました。U字谷に似ています。積み重なった雪が動くことで、地面が削られてできたものでしょうか。
道脇に、積み上げた石で覆われた建物が見えてきました。祓い堂と書かれています。何をする建物だったのかなぁ。
その先の雪渓です。横断しないといけません。滑らないように注意して歩きます。
ここからは坂を登るようになります。階段が続きます。道脇の石組みの下に咲いていたイワギキョウです。
階段を登り切ったところは広くなっています。右側に建物があり、一の越山荘と書かれています。一の越とよばれる場所に着いたようです。ここまでは、最後がちょっときつめでしたがそれほど歩きにくいという道ではありませんでした。
ここで一休憩します。ついでに朝食を食べることにします。ちょっと雨が降りだしています。建物の中に入るほどの強さではありません。近くで食べるのに適当な場所を探します。向こう側にベンチがありますので、そこで食べることにしました。
建物の前に鳥がやってきていました。イワヒバリのようです。近くで人の動きがあり、すぐに逃げていきました。
弁当を広げる前に、周辺のようすを見ておきます。前方の谷です。霧がかなり深くなってきています。左側の建物はトイレです。東一の越へいく道があります。
登ってきた方角です。左側の建物が一の越山荘、右側道標のあるところが登ってきた道です。
その右側です。山の斜面にこれから登っていく道がついています、何人かの人が登っています。かなりきつそうです。ちょっとめげてきました。右側の建物がトイレです。
ベンチで弁当を広げて食べ始めます。しばらくすると隣のベンチにイワヒバリがやってきました。先ほどのとりでしょうか。台の上にあった、食べ物のかけらをついばんでいます。
食べ終わって一休憩したら登り始めます。踏み固めた跡が入り交じってついています。途中でなくなったりもします。一応、コースは赤の矢印で示されています。前を歩く人が真上にいるように見えます。
振り返って見たところです。斜面はほとんど真下に見えます。先ほどすれ違った団体がへばりつくように降りています。右側通行になるように、道の範囲が決められているようです。
登山を再開します。霧雨のような雨が左側から風に流されて、絶え間なく吹き付けてきます。めがねの左側のレンズは、拭き取ってもすぐに水滴で曇って見えなくなります。きりがないので拭き取るのはあきらめそのまま登っていきます。視界の左側は全く見えていません。
濡れないように合羽の上着を着ることにします。リュックに入れた荷物も濡れないように背負った上から着ようとしたのですが、きちきちです。余裕を持って大きめの物にしておくべきでした。
めがねのせいで左側の道は見つけにくいので、選ぶ道はどうしても右側へとだんだん偏っていきます。どう見ても山の斜面の方向に道がついているような所に出ました。後ろから来た人に相談したところ、別の道を見つけてくれました。右側の道を進んだ先には切り立った崖がありました。上の方には石垣が組まれています。何かあるのでしょうか。
ひたすらに、道と思われるところを進んで行きます。相変わらずなにも見えていません。右目のレンズも左側半分ほど曇ってくるようになりました。
先に、石積み上がられたところが見えてきました。祠があるようです。一の越から雄山山頂までは、二の越、三の越と呼ばれるところがあります。そこには祠があると書かれていたような気がします。ここまででそのような物は見かけなかったので、これは二の越なのでしょうか。とすると、一の越からは三分の一しか来ていないことになります。だいぶへばってきています。山頂まで登れるのか心配になってきます。
文章を書く段階でわかったことを補足しておきます。二の越は崖にへばりつくように置かれているようです。天気がよくなかったこともあって見落としたのでしょう。従ってこの時点では半分以上来ていたことになります。ちなみに四の越もだいぶ神社に近いところにあるようです。
話を戻します。登り続けて、もう限界かなというところで、上の方から太鼓の音が聞こえてきました。見上げると祠のような建物のような物が見えます。これでやっと三の越と思いました。まだまだ先が思いやられます。実際に上がってみると、三の越ではなく社務所のような建物でした。無事に雄山山頂にたどり着けたみたいです。
道脇に組まれていた石垣の間に咲いていたリンドウです。タテヤマリンドウと思っていたのですが、トウヤクリンドウのようです。しゃがみ込んで写真を撮った後、普通に立ち上がると頭がくらくらっときます。空気が薄いせいでしょうか。これからはゆっくり立ち上がることにします。
山頂に置かれていた、見える山の書かれた案内板です。あいにくと景色は霧しか見えません。
御前谷の方角です。この下の雪渓が氷河と認定されているのですが、全く見えていません。社務所で聞いても、そこで間違いがないが霧で見えないといわれてしまいました。
鳥居が見えます。その向こうに少し高いところがあります。ここが本来の山頂になるのでしょうか。
雄山の一番高いところは、雄山神社の境内になっています。ここに入るには拝観料が必要です。せっかくですから、拝んでいくことにしました。
境内に入るにはお祓いを受けてからになります。次のお祓いが始まるまで、しばらく時間があります。登るときに聞こえていた太鼓の音は、この1回前のお祓いの時のものだったようです。社務所前のベンチは人でいっぱいです。中の食堂のような所にあったいすを借りてしばらく休ませてもらいます。
お祓いを受けた後、御神酒がいただけます。飲めないので、聞いたみたところ振りだけで足元に流してもてよいとのことです。そのようにしました。穂高で缶ビールを二三口飲んだだけで急性アル中になり、半日動けなかったことがあります。高山では何が起こるかわかりません。もしもの時は一大事です。
終わって神社に向かいます。神社を下から見上げたところです。右側の階段から上がっていきます。
神社神殿です。ふだんはこの前でお祓いを受けるそうです。今日は天気の都合で社務所内になっていました。
一応御前沢も覗いていきます。霧が深く、全く見えていません。斜面にはトウヤクリンドウがたくさん咲いています。
大汝山の方ものぞいて見ましたが、霧が深いのでここまでとします。ここから先の登山届けも出していません。雄山を下りることにします。お祓いの時に、雄山に登るときは登拝、降りるときは下拝と教わりました。これからは下拝になります。
降り始めて、5分ほどしたときに、一の越に着く手前で追い越したツアー団体とすれ違います。早いですねといわれてしまいました。励ます事も兼ねてちょっと多めに、あと10分くらいですといったところ、添乗員さんに後20分いや30分と思ってくださいと訂正されました。一同大笑いです。これで疲れが出なければいいのですが。
下りはひたすら降りていきます。景色も見えませんから、歩くことしかすることがありません。かなりハイペースになっています。降りて行くにつれ、登ってくる人達が増えてきます。一緒に泊まっていた人も何人かすれ違いました。
一の越の手前あたりからは、登ってくる人の列が通り過ぎるまでやり過ごさないといけないという場所が、何カ所かありました。
一の越をすぎると、ほとんど途切れずに人が登ってきます。中に、合羽ではなくポンチョを着ている人がたくさんいます。にわかに買い込んだように見えます。
雪渓の所は、道幅が狭く、やり過ごせるところがないので、通りぬけられるか不安だったのですが、たまたま、2ヵ所とも向こうからの人並みが途切れたのでスムーズに通りぬけられました。
この後は、周りの景色に気を配るだけの余裕が出てきました。といっても遠くのものは見えていません。羊背岩探しになります。相変わらずそれらしき物は見当たりません。
室堂に到着です。がむしゃらに降りすぎました。降り始めてからちょうど1時間です。何かにとりつかれていたのでしょうか。
ここには現存する日本最古の山小屋があります。軒下で雨宿りをしながら休憩と思ったのですが、人がいっぱいで、休む場所がありません。
集合時間までまだ2時間以上あります。ここからの見所としては、玉殿の岩屋と室堂山展望所があります。雨の中はあまり歩きたくはないのですが、ターミナルでは時間をつぶしきれません。羊背岩のこともありますから、室堂山に行ってみることにします。ここから往復で1時間半ほどかかります。
岩をみながら歩いているのですが、はっきりそれといえる物は見つかりません。一番それっぽかった物です。これだとすると、氷河の流れは道を横切るように左から右になります。そのあたりもひっかっかっています。
見つからないまま、山の斜面を登っていきます。途中にはヤマハハコがたくさん咲いていました。
はっきり言って室堂山の道をなめていました。地形図を見ると等高線の間隔が広いので勾配はそれほどきつくないだろうと思っていました。思ったよりも応えました。平均的な値でみると、一の越登山道よりも少しきついくらいでしょう。としてみると、どちらかというと、雄山まで往復して、しかも帰りはハイスピードだったことから、スタミナが切れていたようです。時間もあることですし、ゆっくりいくことにします。
だんだん雨が強くなってきます。途中で合羽のズボンも着ることにしました。ここまでは上着しか着ていませんでした。ズボンを入れたリュックは合羽の下になっています。いったん脱がないと取り出ません。だいぶ手間がかかります。
着替え終わって登山を続けます。所どころで、石段が組まれています。その中に、縦にまっすぐ黒い物が挟まったような石がありました。岩脈でこのような物ができる事がありますが、間に挟まっている物が何か奇妙です、何となく柔らかそうに見えます。何かわからないまま先に進みます。
そこから少し登ったところに、このあたりに光ケーブルが埋設されていると書かれていました。先ほどの黒いところは、岩を削ってケーブルを埋めアスファルトのようなものでかためた跡のようです。
どんどん登っていきます。時々花が咲いているのがみられます。赤いのはヨツバシオガマです。
花壇になったような所に、チングルマが群生していました。
だいぶ登ったところで、右側が平坦になってきました。中に池のような物が見えます。湿地になっているようです。
所どころで、チングルマの花を見かけるようになってきました。もう時期的は遅いと思っていました。
地面の石が板のように薄く割れているところに来ました。板状節理といいます。割れ目は、溶岩の表面と並行にできます。急斜面を流れ落ちたのか、地殻変動でかたむいたのかのどちらかを示しています。
石畳みの石です。ここにも平行な筋が入っているものがありました。地層性の物か氷河擦痕なのかはっきりしません。
左側にはずっと雪渓が見えていました。上端の近くまで来たところさらに上に別の雪渓が続いていました。
上の雪渓から下側を見たところです。崩れてきた石でせき止められているように見えます。このあたりは、横から落ちてくる石が多く、雪渓の力では運び去ることはできないようです。
少し登ったところに、浄土山への分岐がありました。浄土山を越えてそのまま進んで行くと、一の越に着きます。逆にたどれば、一の越から直接ここまでやってくることができたようです。でも、立山にいるときはわかっていませんでした。地図が濡れて、触っただけで破れてしまいそうでした。
このあたりは少し平坦になっています。室堂山まで行くのをあきらめてここで休憩している人もいました。元気な連れが室堂山に行っていて、帰ってくるのを待っているそうです。
さらに進んで行きます。岩の間をぬけたところで、ライチョウが3羽いるのを教えてくれました。ちょうど、向こうからこちらに向かって歩いてくるところです。無理に近づかずに、向こうがやってくるのを待ちます。
近くまでやってきたライチョウです。霧で霞んだ状態で写っていましたから、コントラストを強調する処理をしています。
2羽並んで、地面をついばんでいるところです。
3羽そろったところです。並んで同じ方向に歩いて行きます。
横を通り過ぎた先で、道を渡って反対側の草原に入っていきました。ここの3羽は足環をしていません。今年生まれた幼鳥でしょうか。
先に行こうとすると、岩場の上にもいると教えてくれました。こちらはほとんどシルエットしかわかりません。カメラもぼやけすぎなので、ピントを合わせてくれませんでした。手動であわせています。
1羽だけと思っていたのですが、帰ってから写真を見るともう1羽写っていることがわかりました。どこにいるか上の写真と見比べてみてください。
ここから少し進んだ所が広場のようになっています。岩場の上にベンチのようなものも見えています。室堂山展望台に到着したようです。晴れていれば岩場の上からは、景色がきれいなのでしょう。立山カルデラが見えると書かれていました。今は霞んで何も見えません。それどころかそこに行く道もはっきりしません。
このちかくでもう一つ気になっているものがあります。深い溝のような地形が続いています。いくつか成因は考えられます。できている向きによって変わってきます。霧のためどの方向にできているかわかりません。磁石は持ってきていません。道と平行な気がします。
室堂山展望台からは何も見えないので、すぐに切り上げます。
歩くのは速い方なので、ついハイペースになってしまいそうです。登ってきたときのことがありますから、無理をせずゆっくり降りることにします。まだまだ時間はあります。前を歩いているグループに追いつきそうになったら、間を開けて歩きます。
途中で見かけたアオノツガザクラです。
ある程度降りたら、再び羊背岩探しをします。それっぽい岩を見かけるのですが、決定打にかけます。結局見つけられないまま室堂に到着しました。
室堂からはターミナルに戻ります。まだまだ時間は残っています。いけるところはたくさんあります。雨が降っているのでこれ以上外を歩き回るのはおしまいにしました。ミドリが池や玉殿の岩屋の事はすっかり忘れていました。玉殿の湧水で水を汲んでから、建物の中に入りました。
残りの時間をどうやって過ごすかが問題です。足が疲れてきていますので、できるだけ座りたいのですが、座れるところは満員です。食堂に入るという方法もあったのですが、それほどでもないので入りませんでした。土産物屋さんとか、展示施設をながら、歩いていると、ツアー仲間がビデオを上映しているところで座れると教えてくれました。見に行きました。立山の自然とか、花とかが上映されていました。一通りみると、いい時間になったので、集合場所に移動することにしました。
バス乗り場に降りる階段の前で、ツアー仲間の何人かが集まっていました。前回来た時は雪の大谷の入り口になっていた場所です。ここで集合にしてくれたら上まで行かなくて良いのにといっていました。集合場所は雨がかかります。何とか掛け合ってくれて、集合場所はここに変更です。そうと決まったら、小腹に入れるものを買って、ロッカーに入れた荷物を取りにいきます。
戻ってくると、誰も居ませんでした。出発時間も迫っています。もうバスの方に移動したようです。本当にいったのか不安だったのですが、バスの前まで行くとみんな乗車していました。バスの前で簡単に荷物の整理をします。大きな荷物からバスに持ち込む物を取り出し、逆に合羽は必要ないので大きな荷物の方に入れます。大きな荷物をトランクに預けます。
バスの席は来た時と同じ右側です。普通は2日目は反対側の席になることが多いのですが、同じ道を引き返しますので同じ景色を見ないように配慮してくれたのでしょう。
山を降りるにつれだんだん雨は小降りになってきます。最初の休憩地の立山アルペン村に着いたときにはほとんどやんでいました。ここで簡単な食事や土産物を買う時間があります。あまり選べないまま、リンゴだけを買いました。2つほどバスの中で食べました。
立山ICから高速道路に入り、2回目の休憩は鯖江北SAでとります。このあたりまで来ると、晴れ間が見えるようになってきました。滋賀県に入った頃には、虹が見られるようになっていました。
お盆の期間ということもあってこの先に渋滞が気になるところです。だんだん、長くなってきているようです。ということもあり、次の休憩は黒丸PAになります。渋滞の最後尾はほとんど目の前に迫っています。
北の空をみると大きな入道雲のかたまりがあります。下の雨は強そうです。日はだいぶ西に傾いています。
黒丸PAを出てからこの先の渋滞をどう切り抜けるかが気になります。しばらく走ったかと思うと、次の蒲生スマートICで高速道路を降りました。一般道に入ったところで、渋滞を避けた車が通りますから、横の国道8号は混んでいるはずです。元々車の多い道です。バスはそちらの方には向かっていないようです。
琵琶湖の方に行かないとしたら、南西の湖南の方しかないでしょう。ここで、車内では道の予測合戦が始まります。信楽説と南郷説が上がります。信楽にぬけたところでその先をどうするかが問題です。南郷は川筋が違うようです。この先野洲川に出た後、山を越える道がありません。
走っている内に周囲は暗くなってきました。全く景色が見えませんから、どこを走っているのか全くわかりません。次にはっきりした場所は、湖南工業団地の中です。このまま突き抜ければ、野洲川に出ます。頭の中の地図にはその先のルートが全くつながりません。普通なら、川に沿って下って草津にぬける道が考えられます。その場合は、川は左側に見えるはずです。三雲(野洲川)についてからその後は、右側の遠くに明かりが見えます。川が右側にあるような感じです。この時点でどこを走っているのかが全くわからなくなりました。
次にわかった場所は甲南SAです。入り口の方向を示す標識が見えました。滋賀県南部の第二名神にあります。進みたい方向に対して、ほとんど左側の方向にあります。かなり意外な場所です。その後は、速度も上がったようなので、高速道路に入ったようです。この時点では、第二名神が名神高速とどこで接続しているか思い出せていませんでした。信楽は通るので、信楽説は正解でした。
10分ほど走ったところで、草津JCTへの標識が見えてきました。竜王から大回りした割りには、あまり進んでいません。ここから名神に入ったところで、再び渋滞にかかります。また、この先のことが再び心配になってきました。
その次にバスがしたのは、草津田上ICで高速道路を降りることでした。これも意外です。このあたりに大学などができてから、新しい道が作られていました。名神沿いに走ります。車も少なく、横の名神の渋滞を尻目に快適に走れます。
そのまま瀬田東ICに到着します。ここでも京滋バイパスには入りません。渋滞しているのは予想できます。そのまま真っ直ぐ行くと瀬田川に出ます。高速を使わないとしたら瀬田川沿いに下るという道がありますが、宇治にぬけたところで渋滞にかかりそうです。これもいい方法とはいえません。
どうするのかとみていたら、次の石山ICから京滋バイパスに入りました。南郷ICからは、京都大阪方面への進入はできません。入るとしたら一つ先の笠取ICか一つ手前の石山ICになります。昨日、笠取ICは工事で使用できなくなっていました。入るのは石山ICからしかありません。大まかにみると南郷説も間違いとは言い切れないでしょう。
京滋バイパスは予想通り渋滞の真っ只中です。それでもトンネルをぬけるとだんだん速度が上がってきます。笠取ICを通過するころには、普通の速度になっていました。石山ICの先の坂とトンネルがネックになっているようです。
この後は、久御山JCTから竹田駅にいき、京都で何人か降ろしてから、ほとんど来た時の逆経路で大阪駅に向かいます。阪神高速は梅田ICで降りて、すぐに大阪駅に到着です。いつも通り西口のガードの下です。
トランクに入れた荷物を受け取って、改札口の方向に向かおうとしますが、どちらに行っていいのかわかりません。みんなはさっさと行ってしまっていました。警備員さんがいたのでに聞いたら、そのままはいっていけばいいとのことです。よく考えたら、貨物駅跡の方から入ってきたので、バスは南向きに止まっていることになります。むいている方向がわかればどちらに行けばいいかもわかります。
何とかホームにたどり着くことができて、無事に帰ることができました。帰宅は11時近くになっていました。時刻については、はっきりとしません。というのもバスが滋賀県内を走り回っているころから腕時計が止まっていました。
今回の旅行の一番の目的は、星を見ることでした。旅行前に台風が様子をうかがっていました。そのまま北西の方向に遠ざかっていったので影響はなかったようです。そのせいなのかどうかはわかりませんが、12日は天気が持ちこたえ、3時間ほど星を見ることができました。ほとんど満天の星空だったのはラッキーです。
一晩晴れていてくれたらというような贅沢なことはいいません。翌日の登山のこともありますから、ちょうどよかったようです。それなりの、流星もみられたので満足です。大気夜光らしきものもありました。対日照は失念していました。1号機の流星撮影用の範囲がもう少し右上にずれていたら、その中に入っていたようです。いつもうまくいくとは限りません。
まだカメラの扱いは完璧ではないようです。うまくピントが合わせられないし、予想外のトラブルに見舞われます。今回は結露が問題となりました。もう少しこまめにチェックする必要があったようです。ツアー仲間のもう一人も撮影をしていましたが、しきりにカメラをのぞき込んでいました。聞かなかったのですが、結露が気になっていたように思えます。
翌日の山の天気はもう一つで、二番目の目標であった氷河は見ることができませんでした。またの機会ということになります。といっても次はいつになるのでしょうか。ツアーで探すのか、予約を取って出かけるのかとか、なにも考えられていません。
旅行前に少しは遠出をして体を鍛えたつもりでも、まだまだたりていませんでした。たった数日では効果があるとは思えませんね。だんだん運動不足が積み重なってきていますから、次回まで体力が保たれているかが心配です。それほどの距離ではなかったようなので、しっかりとトレーニングをしていれば大丈夫なような気もしています。
雄山に登っている最中は、景色が見えない上に、細かい雨粒がかかるので、がむしゃらに歩いていたようです。道がわかりにくかったせいもありますが、ほとんど先のルートだけしかみていませんでした。このあたりはもっと余裕をもって歩かないといけません。時間はじゅうぶんにありました。何もないとがむしゃらに歩いてしまうのは、どうも癖のようです。この間写真もほとんど撮っていませんでした。濡れるのでカメラを触りにくいというのもありました。
三番目の目標になるのでしょうか。羊背岩です。これも、それと断定できるものは、現地では確認できませんでした。氷河に削られて比較的平らになっているものと思い、そのようなものばかりを探していました。後日調べなおしたところ、それほど平らでなくてもいいような感じでした。表面に氷河擦痕ができているようです。
現地でみられた、平らな石の表面に平行な筋がたくさん入ったものは、氷河擦痕で間違いないようです。羊背岩でなくても、氷河に運ばれているモレーンにも付くことがあります。
氷河擦痕の付いた2つ目の敷石をみた近くで、岩の表面に平行な筋がたくさん入った岩を見ています。このような筋は地層中に葉理があってもできる事がありますから、軽く見ただけでは判定ができません。
よく考えてみると、このあたりの岩石は安山岩です。平行な割れ目(板状節理)ができる事はあっても固さの違う構造ができる事はありません。普通に浸食されて平行な筋はできません。
筋が作る面はほとんど垂直になっていました。葉理が垂直にできる事はほとんどありません。それからしても、氷河擦痕と見て良いでしょう。この点に関しては、近くで垂直な板状節理を見ているので、あまり説得力はありません。
このように考えてみると、この岩が羊背岩であった可能性は非常に大きくなります。あまり平らには見えませんでした。筋の伸びる方向から見ていましたから、平らではなくても問題ありません。
そうと思って写真をよく見ると、霧の中にかすかに見えるいくつかの岩も、表面の傾斜が向こう側とこちら側で違っているように見えます。これは、羊背岩の特徴と一致します。
意外だったのが、アースハンモックやソリフラクションといった周氷河地形がみられたことです。立山に氷河があったとして考えれば当然なことです。山の反対側で現在も氷河があることからすると現在もできている途中なのかも知れません。
氷河があるとしてモレーンも気になります。室堂平一帯にはたくさんの岩が転がっています。これがモレーンなのかどうかは、知識がないので判定ができません。斜面から落ちてきたにしては、一部の地域を除いて、斜面が大きくもないしなだらかすぎます。
ターミナルの近くに氷河擦痕のある石が使われています。付近に転がっていた石を、敷石や石段に使ったそうです。モレーンが混ざっているのは間違いないようです。問題はこの石がどこから持ってこられた物かわからないことです。
これも後日わかったことです。山崎圏谷の中にはいくつかのモレーン丘があります。立山の写真を確認すると、それらしきものも写っていました。
山崎圏谷の写っているものがあまりありません。山崎圏谷がどこなのか断定できなかったこともありますが、ふだんならわからなくてもたくさん写しています。よく見えていたのは宿へせかされている時間帯ということもありました。それにしてもあまり写していないというのはどうしたことなのでしょうか。今回の旅行は、肝心なところでの写真が少なめです。
立山の写真をもう一度見直してみます。細長く連なっている尾根が立山連山です。右端の高いところが雄山、真ん中の一番高いところが大汝山、左端のピークが富士の折立です。
雄山と大汝山の間から下りてくる谷が山崎圏谷になります。その底の部分にある斜面の3ヵ所に雪渓が残っているところがあります。それぞれのすぐ下側に谷を横切っている堤のようなものが見えます。氷河によって運ばれてきた岩石が、その先端部分で集められ、積み重なってできたものです。エンドモレーンとか末端堆石丘と呼ばれるものです。
今回の旅行のまとめに取りかかるのが遅く、いつ何をしていたのかはっきりしないところもあります。たとえば雄山登山で、いつ合羽を着込んだのかということです。どうしたのか正確には思い出せません。
雄山に合羽を着ずに登っていたら、めがね同様、ずぶ濡れになっています。どこかで着込んだと考えられます。実際に岩陰に入って着込んでいたような気がします。この間の間接的な記録は全く残っていません。
室堂山に登る途中で、長時間留まっていた場所があります。写真を撮ったりとか特にしていません。ここで合羽を着たことはじゅうぶん考えられます。前をいく人達を見ながら着ていたような気もしています。
どちらが正しいのか、それとも両方とも正しいのか、記憶は曖昧です。どちらも正しいとして、着ていた合羽を再び着込むという合理的な説明は、本文中に書いたとおりです。この部分については、推測したことを書いたことになります。
旅行の記録文が遅れているというのは、文章を書くのが遅いというのが原因といえます。1時間かかっても20行書けないことは普通です。それ以外にも、いろいろなことを調べなおしたりとかするのにも結構時間がとられています。鳥や花、星座の名前を調べたりとか、ここから見える山は何でどの方角に見えるかとか、かなり手間取ります。調べている内につい関係ないことまで調べ始めて、気がついたらだいぶ時間がたっていることもあります。
星座の名前を調べるのもかなり苦労します。どの星座がどれくらいの大きさで写っているかはっきりしないからです。流星の写真を見るとわかりますが、1台目のカメラがどの範囲を写しているかというのは、露がつき始めて暗い星が写らなくなってからの方がわかりやすくなっています。ペガススの四辺形もはっきりしてきています。短めの露出で、一枚写しておいた方が良さそうです。
記録文を書く前に、写真の整理をしています。失敗作もそれなりの意味があります。極端なもの以外は消去せずに残しています。それだけでは意味がないので、いつどこで何を写したものかがはっきりするように一覧を作っています。
いつというのは、タイムスタンプを見ればはっきりします。どこでというのはGPSロガーの記録とくらべればわかります。車窓風景はストリートビューで最終確定することがあります。何をというのは、記憶をたどったり、調べたりして決定します。
GPSロガーは、前回の旅行で海の中に落として使えるかどうかが不安でした。何とか使えそうという所まで確認できていました。旅行中は、いちおう動作していたようです。どうしたわけか、2日目の室堂から雄山に登り始めた後、室堂に帰ってくるまでの記録が全く取れていませんでした。この間に何があったのか全く不明です。
帰りの室堂からの記録もありません。ターミナル内での時間が長いので電源を切っていました。その後バスに乗ったときに電源を入れ忘れたのか、電池切れで電源を入れなかったのか、このあたりについては記憶がはっきりしていません。
ロガーの記録と写真の撮影時刻との間にタイムラグがあります。写した時間をそのまま使うと場所がずれます。今まではこの時間差を調べるのが結構手間でした。ロガーの写真を撮っておけばいいという記事を見たのでその通りにしてみました。下の写真はカメラの記録では11時20分54秒になっています。30秒遅れていることがわかります。これで補正する時間はばっちりです。
この時間差は1日目の宿に着くまでは使えません。というのは、カメラを落としたときに、内蔵のタイマーがリセットされていたからです。最近電池交換時に、このようなことがよく起こっています。
カメラの落下後の状態についても補足しておきます。何回か使っている内に、シャッターが戻らなくなりました。何かが引っかかっているような感じでした。レンズを取り外して見ると、レンズの内キャップが外れてミラーに引っかかっていました。取り除いて再度、動作させると普通に動きました。
内キャップは、前々から簡単に外れていました。元通りはめ直しておきました。内キャップの一部が欠けているようでした。この後の写真を見ると真ん中に黒いかたまりが写っていました。キャップの破片かも知れませんが、その前のものからも映っているような感じもします。
今回の旅行で一番感心したのは、バスのルート選びです。一回目は、南条SAでの積み残し騒ぎ、二回目は帰りの渋滞回避ルートです。京都まで名神を使わなかったのも同じなのかも知れません。
車で旅行するときは、いつもルート選びで失敗しています。後でこうすればよかったというようなことがしょっちゅうあります。広い範囲が見えていないのが原因のようです。
ルートを選ぶのは、道路がどこにあるかという情報だけでは決まりません。文中でこと細かにどうしたのかを書いたのは、ルート選びはそれほど単純に決められないと思ったからです。個々の事例については、詳しく検討してみるのもいいのかなと思います。
カーナビが道案内をしてくれるようになって、あまり考えずに車を走らせる事ができます。いくら便利になったとはいえ、何かあったときの対応まではカーナビでは無理でしょう。運転中はカーナビを操作できません。全て運転手さんの判断だったのでしょうか。
だいぶ前のことです。貸し切りバスのコース上で事故があり、周辺道路が大渋滞したことがあります。この時は、本社から迂回ルートの指示がありました。途中大型車通行止めの区間があり、そこも避けていくというかなり複雑なルートでした。このような感じで指示が出ていたのでしょうか。
この時もそうでしたが、指示されたとおりのルートに沿ってバスを走らせる運転手さんの力量にも感心します。当方はカーナビで指示されているのに、行き過ぎることがよくあります。全然違いますね。
今回から歩数計を持ち歩いています。12日は15977歩、13日は27139歩でした。2日目は雄山に登ったにしては少ないような気もします。1秒1歩として8時間分です。歩いたのはほとんど午前中だったのでこんなものなのでしょうか。
−− 完 −−