2018/10/03-06 中国山地復興割
このところ、望遠鏡を担いで出かけられていません。計画を立ててどこかに出かけたいものです。今まで出かけた旅行の記録作成ができていない分がだいぶたまっています。これがなくならないうちは、計画を立てる余裕はありません。思い出せるうちに何とかしたいのと、文章を書くのに追われて、他のことを考えている時間が作り出せません。本家の方の更新もおろそかになっています。こちらも何とかしたいものです。
それでも、星を見るだけはいっておきたいのもあります。いろいろと時間だけが過ぎていきました。あるとき、先の水害によって被害を受けた府県への宿泊費の補助が出るという記事を見ました。これに乗って、旅行するのもいいのではと思い始めました。あまり細かくは調べている余裕はありません。できるだけ簡単にできる範囲ですませることにします。
復興割りをもらえる条件は、災害のあった11府県の内2府県で予約の上宿泊することです。広島・岡山・愛媛の3県は1泊6000円、その他の府県は1泊4000円です。広島・岡山各県で1泊ずつする事にします。補助が出るので宿泊費はいつもより少しくらい高くてもいいでしょう。
星を見るのが目的なので高い山のある所にします。休暇村の蒜山が岡山県にあります。ここを候補にします。広島県の山側でもう1泊できるところを探します。同じく休暇村の吾妻山・帝釈峡があります。使った直後ということで他を探します。休暇村吾妻山の近くに道後山高原荘と広島県民の森、安芸太田町にいこいの村ひろしまというのを見つけました。道後山高原荘はスポーツ施設の中にあります。照明が心配なのと蒜山から近いということで、県民の森は宿泊者数の制限にかかります。残ったいこいの村ひろしまを2泊目とします。
次は日程です。9月は甑島を申し込んでしまいました。従って行くのは10月になります。2日が下弦で9日が新月です。日程は3から11日くらいの間に絞られます。曜日で考えてみます。高速道路は土日祝日に割引がありますからこれを利用したいものです。6日が土曜日ですから、6日に帰ってくるか7日に出発するかのどちらかです。
これにあうように、宿の空いている日を探します。ネットで見る限りは、休暇村蒜山は4日しかないようです。いこいの村は大丈夫です。これで日程が確定できそうです。宿の予約は甑島から帰ってきてからにします。
予約は9月の中旬になりました。一応ネットで確認してから申し込みます。いこいの村は大丈夫だったのですが、蒜山は無理だといわれました。休暇村奥大山は蒜山とさほど離れてはいません。こちらの方はだいぶ宿泊人数に余裕があるようです。鳥取県にありますから補助額が4000円と少なくなります。もらえるだけましということで奥大山にしました。予約はしっかりと取れました。
予約が終わったものの、宿2軒の間の距離を見ると結構あります。1日で移動するのには無理がありそうです。間にもう一泊入れる必要がありそうです。よく考えてみると、4日出発にしたのは蒜山がその日以外は空いていなかったからです。奥大山にしたのなら、3日出発にしても大丈夫です。
何かないかと岡山県を中心に探したのですが見つかりません。一度探していますから当然でしょう。ここで浮上してきたのが道後山高原荘です。照明がどの程度なのかが心配です。それが大丈夫ならここにする事にします。電話で確認したところ、あまりないということです。こちらを間に挟んで、奥大山を一日早くすることに変更しました。奥大山は下弦の翌日になります。月明かりが出る前に星見は終わっているので大丈夫でしょう。
決まったところで、次は復興割りの申請書類を作る準備をします。インターネットからダウンロードすることができます。一括で申請できるかなと思っていたのですが、提出先は宿泊する各県ごと別々です。そのわりには、同じ建物の中(同じ部屋?)が申請先になっています。おまけに様式が微妙に違っています。こちらで作らないといけないのは、申請書(請求書)と行程表、旅行者一覧表です。他に宿泊施設で書いてもらう宿泊証明書があります。これは、旅行に忘れず持っていって、記入してもらわないといけません。県ごとに違いますから、間違えずに書いてもらえるよう渡さないといけません。
車を走らせる道と、途中にある観光場所もチェックしておきます。大山までは普通は米子自動車道で江布まで行きますが、早く着きすぎます。鳥取道で西粟倉まで行き、そこからは地道でいくことにします。作用JCTからは無料なので、高速道路料金は半分ほどになります。西粟倉からは志度坂峠道路で智頭にぬけ、国道53号を北上し、用瀬から国道482号を西進、上斎原で国道179号に入り北上、途中人形峠を通ります。三朝町で国道482号に入り南西に進み県道325号か国道313号で蒜山にぬけます。ここからはいくつかコースがあります。その時で考えることにします。
2日目です。大山から庄原にぬけます。大山の東側はまだ行ったことがないので、環状道路を西廻りに回ることにします。大山滝とか船上山とか見所がありそうです。大山寺まで来たら北側に大山を下りて行きます。その先に、伯耆古代の丘公園や白鳳の里があります。ここからいったん西に走ることになります。米子市内の渋滞は避けたいので、山陰道を西に走り米子西ICまで行きます。ここからは時間の都合によるのですが、北上して境港や、玄武岩溶岩でできた大根島などは見学地としては魅力です。再び米子西ICまで戻ってきて国道180号を南下、国道183号に入って進んで行くと道後山に着きます。
3日目です。道後山から安芸太田町深入山のいこいの村ひろしまに向かいます。基本的なコースは、国道183号で庄原市街にぬけ、国道54号を西進し広島市安佐北にぬけ。そこから国道191号を西に進むと深入山に到着します。庄原の南側に上下という宿場町があります。そこから三次市に戻ったところにみよし風土記の丘があります。安佐北は昨年水害の被害に遭ったところです。深入山に入るすぐ手前に三段峡があります。このあたりは見ておきたい所の候補になります。三段峡は時間がなければ翌日回しということもできます。
4日目です。深入山周辺をまわって帰ることにします。前日に三段峡に行けなければ、一番にいきます。その後は、国道191号を西に向かいます。途中分かれて匹見峡へ行くこともできます。そこから先の道は狭そうです。191号に戻って益田市にぬけてもいいでしょう。調べた限りでは、益田市には見るものはあまりなさそうです。益田からは国道9号線を南下します。匹見峡からまっすぐ9号線にぬけることもできます。そのまま行けば山口の方までいてしまいます。行き過ぎなので津和野から南下する国道187号に入り、中国自動車道に出合った所から、自動車道沿いの地道を走り適当なところから自動車道に入って帰ってくるのがよさそうです。
一つ問題なのは、7月の大雨で道路が通行止めになっていないかということです。これもインターネットでチェックできます。国土交通省のサイトから見る限りでは、何カ所か通行止めのヵ所がありますが、チェックしたルート上では、特に問題になるところはないようです。各宿の近辺でも、交互行き違い通行になっている所はあるものの、通行止というところはないそうです。
だいたいの計画が決まったところで、残っているのは必要な荷物をまとめるだけです。望遠鏡関連のものが入ってきますので、荷物は多めになります。
出発の直に猛烈な台風24号がやってきました。30日には和歌山県の田辺市に上陸しました。ふつうならこの後しばらくはないだろうということになります。天気図を見るとその後を追うような位置に25号がいます。なんかすぐにやってきそうな予感がします。
進路予想をチェックします。6日頃に日本列島の西の海上を進んだ後、日本海を通りぬけそうです。大型で強い勢力を持っています。ゆっくり進んでくれればこのまま決行できそうです。早くやってくれば、途中で切り上げることも考えないといけないでしょう。
旅行出発日の朝です。7時前に出発する事ができました。近くのガソリンスタンドで満タンにしてから行きます。この時間帯ならまだ駅前の道路は空いています。すんなりと、中国道に入ることができました。急ぐこともないのでゆっくりと走らせていきます。
作用JCTから鳥取自動車道に入って15分ほどで西粟倉ICに到着です。だいたい2時間くらいでした。いったん休憩を入れることにします。IC出口の近くに道の駅「あわくらんど」があります。ここに立ち寄りることにします。
見えてきた駐車場に車を入れて、建物の方に歩いて行きます。建物に上がる階段の横に木の回廊というのが作られています。木で組んだ枠の中一つ一つに風車が入っています。
反対側からみた回廊です。木というだけで和みます。風車が異空間の雰囲気を作り出しています。
横には川が流れています。川底に茶色い石が見られます。花こう岩のようです。
少し上流側では、黒と茶色の縞模様になっています。黒色は泥岩の変質したホルンフェルスでしょうか。花こう岩がいくつもの筋になって入りこんできたようです。
道の駅では、これといって買うものはなかったようです。お土産はまだ早いようです。トイレをすませて次にいくことにします。
駐車場から車を出して道路に出てから、道の駅の反対側を見ると影石発電所と書かれた建物のようなものが見えます。気になるので見ていくことにします。道の駅の反対側にも車を駐める所がありましたので、そこに車を入れます。
ここの発電所の規模は小さなものです。能力は5kW/hだそうです。一般家庭5−7軒分だそうです。多いときでは1軒でもたりなさそうです。
屋上部まで引いてきた小川の水を使っているようです。水の量もたくさん使っているという感じではありません。
西粟倉村付近を調べていた時に、ダルガ峰の近くにストーンサークルというのがあるのをみつけました。どんなものか気になるので、次の目的地はここにします。林道ダルガ峰線からすぐの所にあります。林道へは、いったん戻って村の中心付近から上がっていくか、北に延びる谷を遡って峠に着く手前から入っていく2通りがあります。村側の道は入り組んでいるので、谷の奥から行く道を取ることにします。
少し進んで行くと智頭急行の西粟倉温泉駅の前を通過します。その直後に、後ろから来た列車に追い越されました。大阪駅でも見る形の列車です。スーパーはくとでしょう。駅に着く直前にもすれ違いましたから、駅で行き違い待ちをしていたようです。
そのまままっすぐ住んでいると、永昌山鉄山たたら跡と書かれた案内がありました。道脇に車を止めて見に行きます。
小さな小川に架かった木橋をこえると少し開けたところに出ます。このあたりに関連の施設があったようです。
広場を通りぬけると川に出ます。川岸には石垣が組まれています。この上側は整地されていたようです。
石垣の上にあがってみたようすです。このあたりに何らかの建物があったのでしょう。
たたら場を後にします。そのまま進んで、ダルガ峰林道の入口についたのですが、通行止めになっています。先の大雨で路面が破損したようです。
ここから行けないとなると、ストーンサークルを見るのには、あと2つの経路があります。少し戻ったところの大茅スキー場からハイキング路を登っていく方法と、村中心部近くにある反対側の入口からいけるところまでいくという方法です。
最初の方法は、一気に500mほどの高さを登っていくことになります。2時間では戻ってこれないでしょう。他に何もできなくなるので却下します。2番目の方法も、通行止めがかかっている可能性がありどこまで行けるかわかりません。1番目が無理となると、こちらを使うしかありません。
車を引き返し、ICを行き過ぎて走られせていると、ダルガ峰線入口への案内標識がありました。これに従って進ませていきます。分岐が何度かありましたが、適当に走らせていると林道に入口に到着しました。残念なことに、ここでも通行止めになっています。ストーンサークルはまたの機会ということにとっておきます。
車を先に進めます。ICから高速に入ります。といっても、すぐ先の脇道との合流点からの峠越えは、志度坂峠道路という一般道路になっています。高速道路と違って横に歩道もあります。
峠は長いトンネルで越えます。これで岡山県から鳥取県に入ったことになります。その少し先で、道は再び高速道路になります。高速道路に入らずに一般道に下ります。そのまま進んで川を渡った対岸に滝が見えてきました。副ヶ滝といいます。いわれも書かれていたのですが、苔むしていて解読はできませんでした。
川原にも下りられるようになっています。下からでは木々にさえぎられて滝はあまりきれいに見えませんでした。本流側の水は澄んでいてきれいです。
副ヶ滝から川沿いに下って智頭の町を目指していきます。10分ほど走ったところで芦津渓谷への案内標識が見えてきました。こちらへもいってみることにします。
標識に従って右折し少しいったところで、学校のような建物が見えてきました。恋山形地区振興議会と書かれています。山形小学校だった建物を利用しています。中を見学できるようですが、ここはパスすることにしました。
隣には、森林鉄道のトロッコと牽引車が置かれています。帰りに気づいて写したものです。
道が広いなと思っていたら発電所にいきあたりました。この先は、横の狭い道ですり抜けていくようです。
そのまま進んで行くと、芦津渓谷セラピーロード駐車場につきました。ここに車を駐めて渓谷の方にいくことにします。
案内図を見るとコースは3つあります。この上に三滝ダムというのがあってそこまで行くコース、三滝ダムの先にある駐車場から三滝ダムを一周するコース、同じ駐車場から三滝ダムの奥まで行くコースです。距離はだいたい2km前後あります。
ダム周辺は渓谷らしくなさそうなのでここを歩くのは却下します。残ったコースは往復しないといけないので、倍は歩かないといけません。ちょっと長いようです。全行程を歩くのではなく、途中で引き返したいものです。
3番目のコースは先の方に見所がたくさんあるようです。行き当たりで道路に合流しますので、ここに車を駐めるという方法があります。駐車できる場所があるかということと地図からは道がどうつながっているのかわかりません。ということでこのコースも却下しました。
1番目のコースです。半分ちょっと行ったところにあずまやがあります。その先は滝まで何もなさそうなので、ここで折り返すことにしました。トイレに行きたいのですが、使用禁止になっていました。災害の影響でしょうか。
最初は、道路を歩いて行きます。所どころで、路面に水があふれています。
遊歩道に入りました。でこぼこのないなだらかな道です。しっかり作られているのが気になります。
途中にあった烏帽子岩です。自然の岩というより、山側を削ったためにこのような形になったように見えます。
烏帽子岩を通りぬけると、崖にせり出した橋のような所を通っていきます。
渓谷が見られるのかと期待していたのですが、川ははるか下の方で、木々の間から時折かすかに見えるだけです。
山側は崖が続きます。断層のようなものも見えてきました。溝のようになっている所です。
ここに「小豆転がし」というのがあるようです。下の方に1升枡を置いて、同じ量の小豆を高いところから落としたら、全てその枡に収まったというのが由来だそうです。それらしい場所は見当たりません。この川底に向かってまっすぐ落ち込む谷では、一気に下までいってしまいそうです。
今歩いているコースの最大の見所は三滝のようです。そこを目指します。渓谷というわりには、それらしいものは、木々に覆われて全く見えません。後でわかったのですが、森林浴をしっかり楽しんでねというのが趣旨のようです。セラピーロードというのもここから名付けられたのでしょう。
歩いて行くと滝が見えてきました。三滝のようです。ここも木の間からのぞくようにしかみえません。
正面にまわったところで見えた滝です。3本あるというのが名前の由来だそうです。どうみても2本しか見えません。
よく見えるところがないか探しながら歩いたのですが、とうとう行き過ぎても木の間で全景が見えませんでした。
滝の横は、小さな谷を橋でまたいでいきます。
滝の上流部に出ました。落ち込み口が見えますがこれ以上近づけません。
滝をすぎて河床が高くなってきた分、川原に下りられるところが出てきました。渓流といった流れです。
その先は広場のようになっています。先に東屋も見えています。目的の場所に着いたようです。
東屋の横の岩です。かなり苔むしています。自然に転がってきたというより、人工的に作られたものが壊れたようにも見えます。案内図には石垣があると書かれていました。
これも戻ってから気がついたことです。ここまでの遊歩道は幅も一定で、傾斜もそれほどきつくなく、しっかり作られていると思っていました。森林関係の資材運搬用トロッコの線路跡だったようです。
芦津渓谷の駐車場に戻り、車で智頭の町を目指します。山形まで戻り国道を下っていくと到着です。川沿いの道を進んでいくと智頭宿駐車場の案内板がありました。これに従って車を入れて駐めます。学校のグラウンドのような場所というのが少し気になります。
反対側の入口に観光案内所があったのですが閉まっています。パンフレットとかも外にも置いていないようなので、駅前まで自転車でいくことにしました。その後はついでに町を自転車で回ることにします。
自転車を車から降ろして出発です。と思ったら、前輪ブレーキがかかったまま解除できません。ブレーキケーブルが引っ張られているような感じです。いろいろいじっている内に、ハンドルが完全に一周しているのがわかりました。元に戻すとブレーキを緩めることがました。これでやっと駅まで行けます。
橋を2つ渡ります。2つ目の橋の上から見た土師川です。右側の建物は町役場です。
智頭の駅です。ここで智頭急行は因美線に合流します。
駅前にも、宿場町らしい建物が見られます。
駅前に飾られていた張りぼてです。犬だそうです。大雨で壊れたものを復活と書かれています。この前の大雨のことでしょうか。雨に弱そうな感じも見受けられます。
この後ろ側が観光案内所になります。パンフレットをもらって簡単に見所を聞いて出発します。駐車場の案内所は水曜日が定休日だそうです。
町中を歩いていると、フクロウの飾り物を見かけます。酒蔵で見る杉玉に耳や足を着けたように見えます。
諏訪酒造の建物横を通ります。ここは、黒塗りの板壁になっています。
ここから、西の方に進んで行くと番所跡があると書かれた案内がありました。2分でつくようなのでいってみました。
途中、後ろから車が来たので先に行ってもらいました。霊柩車でした。すぐ目の前にある斎場に入っていきます。その後から次々と車がやってきます。これも先に行ってもらおうとしたのですが、中に入るのに順番待ちをしています。何台目かの後はすぐに追いつくだけなので無視して歩いて行きました。当然並んでいる車は再び追い越します。
その先まで行ったのですが、それらしいものを見つけることはできませんでした。距離的にはだいぶいき過ぎているようです。あきらめて引き返します。この道を進んでいくと板井原という古い町のみの保存された所に出るようです。車でないと行けません。ここまでも急坂でした。
道を引き返し、諏訪酒造の前まで戻ってきました。中に入ってみました。試飲させてくれるのです。残念ながら車です。遠慮します。最も車でなくても飲めません。1号カップと、2−3お土産を買いました。ここのお酒の色は変わった色をしています。どんな色かは現地で確認してください..。
酒蔵を見学することなく出てきました。店の斜め前にあるのが下町公民館です。これも由緒ある建物のようにみえます。昔の役場のようです。
道を東に進んでいきます。右(南)からの道との合流点に古い道標があります。手前側の面には、左鳥取、右ひがし(?)大坂、側面にはひだりつやまと書かれています。新しい標識とカーブミラーが手前にあってうまく写せません。
進んで行くと左側に立派な屋敷が見えてきました。石谷家住宅です。
住宅の前に、上に物見櫓のようなもののある建物があります。昭和初期にあった消防屯所を復元したものそうです。
火の見櫓にはこのはしごで上がっていくようです。
消防屯所前から見た石谷家住宅です。入口は冠木門になっています。
屯所に入って2階から見てもよいと書かれていました。遠慮なく上がらせてもらいました。階上からの石谷家住宅です。
屯所の中には、古い智頭宿の地図などが展示されていました。
石谷家は屋号を塩谷といいます。屋号があるところを見ると商人だったのでしょうか。江戸期中頃には大庄屋を命じられるような、智頭宿の中心的な家柄だったようです。江戸末期には、地主経営や宿場問屋として繁盛したようです。建物は大正時代に大改修されています。当時やそれ以前の面影が残されているようです。見に行くことにします。
門をくぐってぐるっと回った正面が入口になります。ここから入っていきます。
入ってすぐの場所は、大きな土間があります。2階部分まで吹き抜けで、天井も高く広々としています。
土間を上がって中に入っていきます。二階に上がるらせん階段があります。その上には橋になっている渡り廊下もありす。家の中に橋があるのはあまり見かけません。
上にあがってみた橋です。手すりとか、飾りとかに使われている木肌がきれいです。
山番部屋というようです。三つの部屋が続いています。土間といい、この部屋とか廊下に布がたくさん飾られています。ろうけつ染めの展示をしているようです。
上から見た玄関前の広場です。奥の建物は門番小屋です。人力車の車庫と車夫の待機所だったようです。
浴室(だったと思うトイレだったかも)の天井です。板の張り方に工夫が凝らされています。
建物を入ってすぐの部分の1階は食堂とか展示室とかになっています。食堂は休憩時間になっていては入れません。1階部分は後にして、さらに奥に続く部屋の方にいきます。廊下を進んでいくと突き当たりが正式な玄関になります。2つ入口があります。奥にある入口を使って入ってくるのは、かなり偉い人だったのでしょう。家人や商売関係の人は、土間の前の入口からになります。
玄関の方に進まずに左に曲がると中庭の横を通ります。
さらに奥にあるのが新建座敷です。比較的新しく作られた座敷という意味でしょうか。昭和10年代の半ば頃のものだそうです。
部屋の縁側からは庭園が見られます。池や滝などを配置した日本式庭園になっています。
江戸座敷と書かれた矢印に従って進んでいきます。江戸座敷に入ります。部屋全体が黒光しています。安政年間に改造された部屋のようです。
再び土間に戻ってきました。天井を見上げてみました。ちょっと目がくらみます。太い梁がたくさん使われています。この付近は木材の集積場でもあったようです。
外に出ます。通路を挟んで蔵が並んでいます。
3号蔵です。各蔵では、いろいろな展示がされています。
1号蔵の入口前です。ここには人力車が置かれています。車庫として使われていたようです。
石谷家住宅から少し引き返し、道標のあったところから駅の方に向かいます。この道は備前街道になります。ちなみに、石谷家住宅前の南北方向の道は因幡街道です。こちらに来た理由は、備前街道を少し行ったところに塩屋出店というのと西河克己映画記念館というのがあるからです。二つは隣り合っています。
塩屋というのは石谷家の屋号でした。西河克己というのは知らなかったのですが、昭和期の智頭町出身の映画監督で、舟木一夫や山口百恵の映画をたくさん撮った監督だそうです。
映画記念館は塩谷出店の奥にあるようです。塩谷出店の方に先に行きました。残念ながら定休日でしまっています。
映画館の方は開いていました。前で入ろうか考えていると、中から鍵を持った人が出てきました。話を聞いてみると、今日は定休日だけれども大阪からツアー客が来たので特別に開けていたとのことです。先ほど帰ったところなので、今から閉めようとしていたところです。見てもよいといわれたのですが、中の建物も鍵をかけたところのようなので遠慮させてもらいました。小さかった頃の映画や芸能人にはそれほど興味がありません。
話の中で、舟木一夫は石谷家と関係があるということが出ていました。それを聞けば、石谷家の受付にいたお姉さんの顔がデビュー時の舟木一夫に似ているような気もしてきました。後で調べた限りではこのような関係は見つけられませんでした。
塩屋出店から戻りかけようとして前の家の格子戸脇をみると動物の骨が並べられていました。見た感じではシカの頭骨のようです。角と下顎骨もあります。
道を引き返し、因幡街道を南に進みます。石谷家を過ぎた所で、諏訪神社の鳥居が見えてきました。
諏訪神社は、駅前の案内所で時間があれば見ていくとよいといわれた場所です。信州の諏訪大社の分社で、ここでも何年かごとに御柱まつりをしているそうです。
神社は鳥居から少し入ったところから階段になります。鳥居の横に自転車を置いて階段を上っていきます。いったん開けたところに出ます。手水舎とか分社がいくつかあります。そこからさらに階段を上がるとやっと社殿が見えてきました。
上にあがって反対側から見た社殿です。破風の張り出しが大きい感じがします。
神社を下りていきます。途中の建物の前にあった石柱です。普門篭と書かれているのでしょうか。目的がよくわかりません。石巌當のようなものでしょうか。
町中に戻り、路地を通って駐車場に戻ります。このあたりは高台になっています。横の川は深い谷になって流れています。
智頭町の駐車場に戻ったのは3時前です。ここまで意外と時間がかかっています。宿のあるところまではまだまだありますから、先を急ぐことにします。国道を北上します。トンネルをぬけたところで、鳥取市に入ります。用瀬町から国道482号に入り西進です。途中で佐治アストロパークの案内がありますがパスします。こんな所にあったのですね。
峠を越えて岡山県に入ります。家に帰ってだいぶ経ってから気がついたのですが、この峠は辰巳峠です。植物化石が採れるところで有名です。カエルや鳥の化石も見つかっています。だいぶ前に採りに来たことがあります。道が新しくなってだいぶ雰囲気が変わっていたようです。
まっすぐ進んで国道179号に突き当たったところで北上します。再び峠を越えます。ここは人形峠です。ウラン鉱石を採掘していたところです。峠に資料館がありますが、今はその下をトンネルでぬけるようになっています。ここも前に来たことがあるのでパスです。峠を越えると再び鳥取県です。
谷に沿って下って行くと、国道482号線が分岐します。こちらの方に入ります。進んで行くと福山不動滝と書かれた案内標識がありました。こちらの方に行ってみます。道が分岐するところに展望駐車場があります。ここに車を駐めて滝を見に行くことにします。
駐車場の向かい側に採石工場があります。奥の方で土砂を採っているようです。削られてできたた窪地があります。
砂が積み上げられていました。真砂土をとっているのでしょうか。土の白い色と円錐形の形がきれいでした。
駐車場の隅に2等三角点があります。標高は465.9mです。
滝へどうやっていくのか書かれた案内図のようなものはありません。階段を下る道しかありませんから、とりあえずここを下りていきます。
滝が見えてきました。これが福本不動滝なのでしょう。
少し広くなった所がありますが、ここから滝は上から見下ろすような感じになります。それも、木々のすき間からわずかに見えるだけです。
よく見えそうな場所を探したのですが、これ以上の場所はありませんでした。
車で走ってきた道が上に見えています。そこから見えないかといってみました。橋の上からわずかに見えるのですが、ここからも滝の落ち込み口しか見えません。
滝はあきらめて引き返すことにします。国道に戻ったところで別の説明板がありました。福本のツバキと書かれています。歩行者の休憩場所や道標になっていたようです。この付近にある大きなヤブツバキの木はこれしかありません。書かれているように樹勢は旺盛というのにほど遠いようです。
この近くには、何本かの若いツバキの木が育っています。世代交代といったところなのでしょうか。
国道482号を西に向かって進んでいます。峠を越えて、下って行ったところで岡山県に入ります。県境をいったり来たりしているようです。
そのまま進んで行くと蒜山と書かれた案内標識があったので右折して進みます。次に出てきた案内に従って進んで行きます。林の中を進んで行くと開けたところに出ました。考えていた近道の方を通ることができたようです。
国道313号に出ましたので。北上します。ここからは蒜山の山々が見えます。山頂部はちょっとだけ雲がかかっています。
宿に行くにはまだちょっと早いようなので、蒜山の郷土博物館に寄っていくことにしました。案内に従って進んで行くとそれらしい建物と駐車場がありました。ここに車を入れます。
車から降りて見た蒜山です。畑に植わっているのはキャベツです。この付近は多いようです、畝の松並木の松の木も見えています。
この場所は博物館の裏に当たる場所だったようで、入口に行く道が見つかりません。もたもたしていて、やっと入口についたときには入館時間がわずかにオーバーしていました。
この博物館の横には、古代の森というのがあります。ここは時間に関係なく見ることができます。ちょっと見ていきます。
まず古墳が二つ並んでいるのが見えます。水別古墳の1号墳と2号墳です。
説明によると、県道工事にともなって発掘調査されたものです、状態のよかったものをここに移築復元したものです。石室がよく残っています。装飾品もたくさん見つかっているようです。
その奥にあるのが竪穴式住居です。2棟復元されています。
こちら側のものは入口がスロープのように掘り下げられています。
内部です。真ん中に焚火穴が置かれています。
後は宿に向かって進んで行くだけです。といってもコースはいくつかあります。分岐点を、見逃すと大変なので、カーナビの案内に従って行くことにします。出発前に、セットします。
カーナビの指示はいったん国道482号に出ることでした。山麓の道には入らないようです。
国道を西に向かいます。だいぶ西日も傾いてきています。太陽を直接見ることになって、まぶしくて道路の状態がよく見えません。慎重に進んで行きます。
道を進んでいくと、蒜山の横に尖った山が見えてきました。雲に覆われています。大山なのでしょうか。
途中でカーナビは右折するように指示を出しました。その通り進んで行きます。この道は、蒜山の休暇村の横を通る道です。早めに曲がったおかげで、西日を見なくてよくなりほっとしました。
このまま進んで行くと鬼女台を通ります。夕陽もゆっくり見たいので、鬼女台にいったん入ることにしました。ここは岡山県と鳥取県の県境になります。
鬼女台の駐車場から見た夕陽です。沈むにはまだしばらくかかりそうです。
東側を見ます。南には蒜山の盆地が広がっています。もう日は陰っているのか、薄暗くなっています。
蒜山です。相変わらず雲におおわれています。向こうの方から雲が消え始めているようです。
北側にみえる小高い山です。といっても標高は1000mは越えています。ここでも870mあります。見えているのは擬宝珠山と象山です。今日の宿はこのふもとにあります。
上の高台の、ススキ原が写真スポットと書かれていましたのでいってみました。雲に入ったのか光が当たらなくなり、ススキの穂のキラキラは見えませんでした。
振り返って見ると大山が見えます。雲はかかっていません。手前に雲のかかった尖った山が見えます。先ほど大山かなと思った山でしょう。烏が山になります。
そのまま進んで行って宿に到着です。駐車場に車を入れる前に、星を見られそうな場所がないかぐるっと回っていくことにします。道路脇に芝地が広がっているので、道脇に駐めても何とかなりそうです。先のレストハウス前の駐車場は、明かりがないようなので、開いていなければここで見ることもできるでしょう。
宿に入って、食事ととるなど一通りのことを終えたら、星見に出かけることにします。出る前に門限を確認すると10時とのことです。早めに切り上げるときはこれくらいの時もあります。フロントに出かけ先と帰る予定時間を伝え部屋の鍵を預けて出かけます。
レストハウスの明かりは消えています。ここで星を見ることにします。最初に赤道儀とカメラをセットし、適当に空を写し始めます。まずは天の川です。いて座の南斗六星と土星あたりからわし座アルタイルあたりまでが写っています。カメラのモニターを見る限りでは、写りが良さそうでしたので、このまま撮り続けました。後で見直してみるとそうとうなピンぼけです。しばらくはピンぼけ写真でご容赦を。
北東側です。烏が山とその横にかんむり座が写っています。飛行機の光跡がいっぱい入りこんでいます。右側の明かりは宿からのものです。
日周運動の光跡がわかるように、モーターを止め、露出を伸ばしてみました。右からの明かりがあるのでこれ以上は無理でしょう。
北東側です。真ん中の星の多いところがペルセウス座です。カシオペア座からの天の川がかすかに写っています。
頭上近くです。夏の大三角と天の川が入っています。
星座写真を撮りながら、望遠鏡もセットしました。準備ができて最初に写したのは火星です。周囲に雲のような模様が見えます。
いて座の天の川をねらいます。三裂星雲が入ってきました。
露出を伸ばすと星が流れます。極軸が合っていないようです。もう一度あわせなおします。
あわせなおした後、同じ方向に望遠鏡を向けると先ほどと違うものが入ってきました。干潟星雲です。このあたりは星雲・星団の多いところです。
三裂星雲が見つけられないので、違う方向に向けます。さんかく座のM33です。銀河系のお隣の銀河です。これも、露出を伸ばすと星が流れます。また、極軸がずれたようです。
極軸をあわせ直していると、門限に間に合わなくなりそうです。早々に切り上げて戻ることにします。途中の道路上で、後からやってきた星見グループがいます。スモールライトで通過します。声をかけようか迷ったのですが、そのまま戻ってきました。
宿に戻って鍵を受け取るときにどうだったか聞かれました。簡単に写真を見てもらったところ、ブログに欲しいといいます。コピーしてもいいといったのですが、今日の所は無理なようです。鳥取県も星取県を名乗っていて、このような写真を募集しているから応募してはとも進められました。帰って写真を確認すると、ぶれまたはピンぼけがひどくできないとの結論に達しました。
朝になりました。いつものように早く目覚めたので、朝食までの間に周辺を歩いてみることにします。外に出てみると、いつの間にか厚い雲が出てきています。このようすだとやめた直後あたりから雲が出てきたのではないかと思われます。
宿の前の景色です。芝生の広場があります。広々として気持ちが良いものです。手前側で、土の掘り起こされているのは、イノシシの仕業でしょう。
レストハウスの前まで言ってみました。宿の建物の背後に山が見えます。象山です。
レストハウスの前のナナカマドの木には赤い実がついています。葉っぱも色づき始めているようです。
ここのあった地図を見ながら、これからの行き先を考えます。象山か擬宝珠山のどちらかを往復すると、朝食にいい時間に戻ってこれそうです。両方は無理でしょう。ここからだと擬宝珠山が近いのでこちらにいくことにします。
登り始めた、草地にはマツムシソウの花がいっぱい咲いています。鏡ヶ成で見かけるほとんどはこの花です。
小高いところまで上がってみた鏡ヶ成です。ちなみに「かがみがなる」と読みます。「なり」だと思っていました。昔の日本語は名詞も活用したという話を聞いたことがあります。それなら終止形で終わるのが普通でしょう。
「なる」というのは、平らな場所をいうようです。昨日行き損ねた「ダルガ峰」も「だるがなる」とよみ、非常に平らな山だということからつけられた名前のようです。
ここからは、林の中に入っていきます。いろいろな種類の木が混ざっているようです。
林床に紫色の花が咲いていました。サンインヒキオコシのようです。
高くまで登ってくると空が開けてきました。東の空には太陽がだいぶ高くまで上がってきているようです。
まわりが開けてきたところからは、道がゆるやかになります。そのまま少し進むと擬宝珠山の山頂に到着です。ここからは、下の方は見えませんが、遠くの景色はほぼ360度に渡って見わたすことができます。
擬宝珠山の山頂の標柱と、東側の景色です。江府町南部は、周囲の市町村との境界は高い山に取り囲まれていて盆地になっています。
その右側の谷に盆地霧がたまって雲海のようになっているのが見えます。伯耆町南部の野上川の谷あたりだと思われます。
江府町の左側にも小さいながら盆地霧が見えます。場所ははっきりしませんが、湯原湖の近くだと思われます。
上がってきた道を引き返し、途中から尾根の上を歩いて行きます。そのまま進んで行くと、正面に象山が見えてきました。こちら側からまっすぐ登っていく道も見えています。
象山との分岐点まで来ました。このあたりにもたくさんの花が咲いています。帰ってから調べてもわからなかった花です。
サンインヒキオコシもここでは群落のようになってたくさんの花をつけています。
象山に登っている時間はないので、そのまま下って行きます。ほぼ下りきった所には湿原が広がっています。
湿原といっても、水のたまっているところはそれほどなさそうです。どちらかというとススキの原が広い範囲を占めています。
そのまま宿に戻ると、朝食の時間になっていました。いったん荷物を置いてから食事に行きます。
朝食を済ませた後、しばらく休憩してから出発します。今日の最初の予定です。大山の環状道路を左回りにまわり大山寺まで行こうと思っています。事前にチェックした見所としては、大山滝や船上山があります。出発前に宿で、道路を確認したところ特に問題はないとのことでした。大山滝については、遊歩道の整備工事が半年前から入っているようです。工事で通れるかどうか不安なところもあります。
宿を出てすぐに、大山環状道路に出ます。右に進んで行きます。最初は登りだったものの、すぐに長い下り坂になります。大きな谷を橋で越えた後もほとんどが下り坂です。この先は、地蔵峠があります。そのわりには登り坂になる気配がありません。カーナビの位置と見比べながら、もうそろそろかなというところで、道脇に駐車帯のような広くなった場所が所どころに出てきます。その一つに入って景色を眺めてみました。ずっと続く谷の向こうに日本海が見えます。
そこから少し下った、ヘアピンカーブの先に展望所が見えてきました。地蔵峠展望駐車場と書かれています。
展望所は高い木に覆われていて周囲の景色は見えません。わずかに駐車場側が開けていて、山が見えます。方角的には大山の山頂部ですが、雲におおわれていてどれなのかがよくわかりません。
ここから少し下ったところで、道は2つに分かれます。地蔵峠というのは、この2つの道を一方から他方に抜けるときに通る鞍部のようです。ここは左の方に進みます。
ここを下って行く途中に、一向平キャンプ場への分岐があります。大山滝はキャンプ場から歩いて行きますから、こちらの方に入っていきます。
5分ほどでキャンプ場の駐車場に到着です。ここから先、車は通行止めです。ちなみにここの地名の読み方は「いっこうがなる」です。
2時間ほど歩くことになるので、軽いハイキング用の準備をします。キャンプ場の事務所に何か情報がないか見に行きましたが、工事の情報を含めとくに新しいものはありません。登山名簿の提出と書かれていました。大山滝までは、名簿に名前の記入と帰ってきたときにチェックするだけでいいようです。名前を書いておきました。
大山滝に向かって歩いて行きます。上り下りのない平坦な道が続きます。1kmもいかないうちに、急な斜面を下るようになります。下の方に吊り橋が見えています。大山滝吊り橋です。坂を下りきって橋の横から見たものです。
橋の上から見た、川の上流側です。川は加勢蛇(かせいち)川といいます。遠くに斜面が大きく崩れている所があります。その右側に大山滝があります。
橋の下側の川のようすです。砂防ダムが埋まってしまっています。かなり大量の土砂が流れてくるようです。
橋を渡りきったところから右側に行くと鮎返りの滝に出ます。段差はそれほどありません。奥に見えているのは吊り橋の真下にある砂防ダムです。
引き返した時に上から見た鮎返りの滝です。
工事があるのは、吊り橋から大山滝までの間です。気をつけてお通りくださいと書かれていましたから、通り抜けられる可能性は高いようです。吊り橋を渡る手前の所には、別の道を通ってきた工事関係車両が何台かとまっていました。工事は入っているようです。状態によったら通れないこともありそうです。とにかく行けるところまでいきます
少し広くなった所に、旦那小屋跡と書かれてた標識がありました。たたら師の住んでいたところ書かれています。へぇそうなんだと何も考えませんでいた。後で考えてみるとここは大山です。砂鉄を含むような花こう岩はありません。となるとこれは一体何だったのでしょうか。
先に進みます。脇の沢から流れ込む水が滝になって本流に流れ落ちていくのを所どころで見かけます。
これも別の沢です。急斜面を下っています。
木地屋敷跡につきました。先ほどと比べて平らな所は広くなっています。大きな屋敷もできそうです。それにしても、木地屋とは何なのでしょうか。説明はありませんでした。
屋敷と思われる区画の中に石垣が組まれたところがあります。小さいので、屋敷とは関係がないような気もします。
広場前にあった案内標識です。字が書かれていません。つい最近立てられてこれから書き込むようです。ふつうは字を彫っていたような気もするのですが..。
その先には地仏さんが置かれているところもありました。
少し進んだ所で、大きく崩れた崖が見えてきました。大山滝はもうすぐのようです。
工事があったのは、大山滝上の広場に上がる手前でした。道に横棒を渡して、段差をつけていました。その場所は横に迂回路が設けられています。足元がぬかるんでいて滑りやすかったのですが、何とか通過することができました。工事はほとんど終わっていて、帰るときには、新しい道を通れるようになっているとのことでした。
広場に到着といっても林の中です。周りの景色はほとんど見えません。横の崖崩れようすも何とかこの程度のものを見ることができました。滝のように水が流れ落ちているようです。
大山滝と書かれている矢印の先の谷を見ると展望台があります。ここから、滝が見られるようです。下りていってみます。
下りていった先から見えた大山滝です。遠くの木のすき間からなんとか見えています。これが、限界です。3段あったのが一番下が崩れて2段になったとか書かれています。そこまで詳しい様子はみていてもわかりません。
普通はここで引き返すところです。ここでもうちょっと時間を使っても良さそうです。もう片道15分ほど先にいってみることにします。地図には不動滝があるとか書かれています。
大山滝上の広場から上は、登り坂になります。すぐになだらかな尾根道に変わります。
進んで行くと、木の間から滝のように水が流れ落ちているところが見えます。これもあるのがわかる程度にしか見えません。これが不動滝のようです。
ここから先は、登山になってしまいます。届けも出していません。引き返すことにします。行きと帰りで、わずかに違った景色が見られます。だいぶ下って吊り橋近くまで戻った所の沢です。滑らかな急斜面を流れ下っています。これだと滝といっていいのでしょうか。
キャンプ場近くまで戻ってきました。道横の斜面に唐辛子のような形をした大きな赤い実がついていました。これはツチアケビでした。
キャンプ場管理等棟まで戻ってきました。名簿に帰って来たという印(時間だったかな)を記入します。どういうわけか、キャンプ場関連施設の写真を撮るのを忘れていました。
一向平から加瀬蛇川に沿って下って行きます。大山環状道路は途中から分岐して尾根を越えるようにつけられています。その尾根越えの道に入ったところで、通行止めの標識がありました。この先は通れないようです。大山周回はできません。その先にある船上山にも行けないようです。
この先のルートを考えます。目的となるのは、大山の北北西方向の海岸です。道は2つ考えられます。一つは加瀬蛇川に沿って北東方向に下って行き、日本海に出たところで海岸に沿って西に進むルートです。もう一つは大山環状道路を逆回りにまわってi、通る予定だった予定の大山寺についたところで山を真っ直ぐ下って行くルートです。単純に考えて、円の中心近くをまわる方が距離が短くなります。こちらを採用することにします。実際には、山を半分以上下りていたのと、海岸近くの山陰道を利用できたことで、海沿いルートの方が早かったようです。
道を引き返して、鏡ヶ成まで戻ったのは正午を過ぎていました。今日の午前中はあまりまわれていないようです。そのまま、環状道路を走らせていきます。
その先の集落のある所まで出たところで、再び通行止めと書かれた標識がありました。この先の鍵掛峠へは抜けられないようです。山を下りないといかないのかと思ったのですが、どうも中腹をまわる広域林道が利用できるようです。下まで降りるよりはましです。ここを通っていくことにします。桝水高原から先の牧場の牛も見たかったのですが、無理なようです。
この場所からは、大山が見えました。雲は全くかかっていません。尖った尾根上の峰々が見えています。
桝水高原への分岐につきます。牛をみたいのですが、再び登っていくとなると遠回りになります。そのまままっすぐ進むことにします。ここからだと、大山はきれいな円錐形の山に見えます。
道の正面に日本海側の景色が見えてきます。奥に島根半島そこに向かって弓ヶ浜がのびています。その左側が中海、右側が美保湾になります。
その先には地蔵滝の泉と書かれた案内標識があります。のぞいていくことにします。車を止まっていた車の横に入れて見に行きます。先に来ていた人が、しきりにここの水はおいしいとか、持って帰るように勧めます。あいにくと、容器とかは持っていません。というと、汲んだばかりの水をペットボトル容器ごとくれました。一口飲めればよかっただけでした。家に帰るまではまだしばらくかかりますから水質も悪くなります。でも、そのことはいわずに、頂戴しておきます。
泉の水汲場です。汲みやすいように。横のせせらぎからパイプで水を流しています。
横のせせらぎです。ツリフネソウがいっぱい咲いています。水の湧いているところでよく見かける花です。
湧き口の方です。イラクサが茂っていて、どこかよくわかりません。入っていくのもためらわれます。元々は滝になっていたようです。それが、伊勢湾台風で壊れたと書かれています。
先に進みます。農道を走っていくと、どこかで大山寺から降りてくる道と交差します。それがどの道なのかわかっていません。適当に走らせていると、狭い道に入ってしまいました。場所を確認したところ、少し行きすぎたようです。手前にある道を下っていきます。
だいぶ下ってきました。日本海もすぐそこに見えるようになってきました。
だいぶ海に近づいたところで、「むきばんだ史跡公園」と書かれた案内標識が見えてきました。「むきパンダ」と読めてしまいます。このあたりに何かの史跡があり、そこを見る場所の候補に挙げていました。代わりになりそうなので行ってみることにします。
案内のあった場所からはだいぶ離れていたのですが、史跡公園に到着しました。展示施設がありますので、そちらからのぞいていくことにします。ボランティアガイドがあると書かれています。その時間は少し過ぎています。ガイドなしになるでしょう。まずは、展示を先にみることにします。
展示室に入ってパンフレットなどを物色していると、お姉さんが近づいてきました。ボランティアガイドのようです。案内してくれるといいます。ちょっと悩みましたが、お願いすることにしました。その分ここの写真は少なめになります。お姉さんの今日のガイドはなく帰ろうとしていたようです。
どれくらい時間とれるかと聞かれました。もう2時近くになっています。ここから宿に直接行っても1時間はかかるでしょう。他に見るところとかを考えると、それほど取れないでしょう。とりあえず1時間ていどということにしておきました。
準備をしてくるからしばらく待っているようにといわれました。その間に近くにあった展示を見ておきます。弥生時代の遺跡の見取り図が置かれていました。吉野ヶ里遺跡などいくつかいったところが入っています。地元の池上曽根遺跡もあります。地方でいろいろな遺跡を見ているわりには、ここへは行っていません。見ておかないといけないなと思いました。
準備ができたお姉さんが説明をしてくれました。これで大きさを見比べて欲しいとのことです。ここの遺跡の総面積は、吉野ヶ里遺跡より広いそうです。一部しか復元できていないのは残念なことです。他に、弥生時代の食べ物の展示などの説明もしてくれました。
外に出ての案内になります。洞の原地区をガイドしてくれるようです。ここの史跡では聖域にあたるところです。しばらく散策道を歩きます。横にある樹木の説明もしてくれます。シロダモが多いようです。ここのものは違った色の実がつくそうです(白か黄色か忘れました)。
ここから見える山です。きれいな山型になっているとのことです。いわれは何だったかな?一番高いのは孝霊山です。
広場に出ます。この付近は竪穴式住居と堀立柱建物が密集して出てきた地区です。広場の真ん中より少し斜めになったところに並んでいたようです。
これは骨組みだけが復元された建物です。
ここの竪穴式住居は中心に穴がありそこに向かって3方向からの溝が掘られていることです。真ん中の穴に、中に入って水を導いたのではという説明でした。
ここは、周りのようすだけ復元されています。住居の周囲は土が盛られています。全体の形が円形ではなく、少し四角くなっているのも特徴だそうです。
復元した竪穴式住居です。茅葺き屋根に土が盛られていたようです。茅の葺き方も内側は横向けに、外側は下向けにという2層構造になっています。
復元した住居で火事があったそうです。ここのものはあっという間に燃え切ったそうです。二戸の御所野遺跡では2日間くすぶり続けたと書かれていました。違いは何だったのでしょう。
住居内部です。一段低くなっていて、周囲に土の段があります。
天井側です。上に棚がつけられています。ものを乾燥させるのに使ったようです。囲炉裏の上だと、火事になりやすそうだといっていました。
ここを見ているときに入ってきた2人組がいました。お姉さんが一緒に話を聞いてはどうかと勧めていたのですが、断りづらそうにしていました。訳を話してくれてわかったのは、ここの発掘に関わった人ということでした。
洞の原地区が聖域とされるのは、この地区からたくさんの墳墓が見つかっていることからです。墳墓の形も四隅突出型墳丘墓と呼ばれるものです。山陰地方独特の墳墓で、方墳のように四角く盛られた土塁の四隅が角のように張り出しているのが特徴です。出雲市の西谷墳墓群にあるものがその代表です。
洞の原1号墓です。一つの隅にだけ、石が敷き詰められています。ここを通って墳墓に上がっていったようです。
横にある堀立柱建物です。手前の3本の柱穴はまっすぐ並んでいません。棟木を挟むように立てられていたようです。ここのものは墳墓に近いために、祭祀関係のものが保管されていたのと考えられています。たて穴住居も、神官のような人が住んでいたとされています。
ここの墳墓群は、小さなものがたくさんあります。
大きなものは2個ほどだったようです。
墳墓群の端まで来て、振り返って見たようすです。大きなものが並んでいて、そのまわりに小さなものがたくさんあります。
反対側を見ると、弓ヶ浜がカーブしながら伸びているのが見えます。
丘陵の続きです。この先にも遺跡が続いています。
尾根に続く道の向こうに復元された、堀立柱建物が見えます。ここの集落の周囲には弥生時代によくみられる環濠の跡があるそうです。不思議なことに、それも後の時代には埋め立てられてしまったようです。史跡全体にも環濠がないというのは、山陰地方の弥生時代の遺跡の大きな特徴だそうです。
ボランティアガイドのお姉さんの説明はだいたい終わりました。1時間ちょっとかかりました。つぎの観光場所に行きたいところですが、遺跡の広さのわりには、見た場所の広さが物足りません。妻木山地区の方ものぞいていくことにします。
ちなみに「妻木」と書いて「むき」と読みます。もともとは「むき」と呼ばれていたのですが、この地区から皇室に嫁がれていったことから、妻がきた→妻木という文字を授かったとのことです。
妻木山地区は、展示館から見て洞の原地区と反対方向の高台にあります。坂を少し登ったところで、開けた場所に出ます。そこにはいくつかの建物が復元されていました。この地区は、たくさんの建物跡が発掘された地区になります。弥生のムラと名前がつけられています。
堀立柱建物です。洞の原のものと比べて屋根の傾斜が急なようです。
こちらは竪穴式住居です。入口部はあまり出っぱっていません。ちょっと小さい感じがします。
内部です。柱の数も少なくなっています。
こちらは、骨組みだけを復元したものです。床面の真ん中にしっかりとした穴がありますが、そこにつながる周囲からの溝がありません。
横で弥生式土器を焼く実験をした跡が残されています。
さらに上の高台に続く道があります。ここを登っていきます。上がっていく途中でみた弥生のムラの全景です。
斜面を登った上も平らになっています。ここからもたくさんの建物跡が発掘されたようです。ここのものは、建物を復元するのではなく、発掘中のようすがわかるように残されています。発掘に使われるスコップや測量器具なども置かれています。史跡を見るのではなく、体感するための場所として整備されたようです。「発掘体感広場」と名付けられています。
発掘途中のようすを残した竪穴式住居です。十字型に壁のようにあるものは、地層の断面を見るために残された場所です。
こちら側の住居跡には、砂のようなものが入っています。砂をどけて何が出てくるか見てみよう、という趣旨のようです。
体育館のような建物が見えます。遺構展示館といいます。
展示館の前に残されている竪穴式住居の跡です。ここのものは床面まで掘り下げられた状態を残しています。柱穴が茶色っぽい色の地面になって示されています。
展示館の内部です。発掘された直後の状態で残されています。竪穴式住居跡が3つあります。立てられた順番がわかります。それぞれの建物で柱穴がいくつかだぶっています。何回か使い回しをされていたようです。
外に出た溝の所にいたカマキリです。あまり動かず、元気がなさそうでした。
むきばんだ史跡公園でだいぶ時間を使ってしまいました。もうどこかによる時間は歩どんど残っていません。寄れても途中にある1ヵ所くらいでしょう。
ここから、宿のある道後山までのコースを確認します。史跡公園入口の道を西に行くと山陰道淀江ICに出ます。ここから山陰道に入るしかないようです。ICの手前に伯耆古代の丘公園というのがあります。出発前にチェックしていた場所です。時間が微妙ですが、寄っていくことにします。
西に進んで高校ある角を左折し進んで行きます。小さな川を渡る手前で右側に曲がれと出ています。その後、2つ目の橋を渡って進んで行くと古代の丘公園に着きました。
受付で内容を確認すると、今の見ものは花が中心のようです。遺跡とかを見たいのであれば、丘の向こう側にある白鳳の里に行くようにいわれました。
引き返し元の道から小さな川を渡って真っ直ぐ行きます。道の駅のような所に着きました。温泉とか物産館とかが並んでいます。物見櫓のようなものも作られています。高台の上から見たようです。土色の壁の建物は上淀白鳳の丘展示館です。
入館終了時間が迫っています。展示館の方に行ってみます。といっても、下から見るとどの建物かわかりません。古代の丘公園でもわかりにくいとはいっていました。散々探し回ったあげく、遠くに展示館の看板があるのを見つけました。やっとのことで入館できました。
内部では、上淀廃寺で見つかった遺物や、この近くの岩屋古墳の出土物などが展示されています。
ここの展示のメインは、上淀廃寺の金堂をそのまま復元していることでしょう。大仏や如来像、壁画などがその建物ごと見ることができます。
白鳳の里に戻って、古代の丘公園との間にある丘陵に上がっていくことにします。ここは、古墳がいくつか見つかっていて向山古墳群と呼ばれています。
階段を上がって左前にあるのが向山古墳4号墳です。ここの古墳群は、全体的に林の中で、古墳全景はわかりづらくなっています。
丘陵を横切ったところからは、美保湾と島根半島が見えます。手前に見える物見櫓風の建物は、古代の丘公園に復元されたものです。
8号墳です。このあたりは一番木が少なかった場所です。
一番奥にあるのが岩屋古墳です。アヒルの頭のような形をした水鳥型埴輪などが出土したと展示館に展示がありました。横側に屋根がつけられているところがあります。
屋根の下には石室があります。この中からいろいろな装身具が出土したようです。
あまりゆっくりもしていられません。宿に向かうことにします。一応コースをカーナビで確認します。大きく2つあるようです。山陰道から米子道に抜けて江布から伯備線沿いに進んで行くコース、山陰道の米子西ICから南下して行くコースです。時間的にはどちらもあまり変わらないようです。なら、追加料金の発生しない米子西を経由するコースで行くことにします。案内はカーナビに任せます。
米子ICから国道180号を南下していきます。宿に着くのが6時をまわりそうなので連絡を入れた方が良さそうです。わかりやすい場所でと考えていたら五輪峠というところを通過しました。ここで連絡を入れます。電話口では、今どこにいるか見当がつかなかったようです。カーナビでは後1時間弱とでていると話せば納得してもらえました。わかりやすい場所というのも意味がなかったようです。
大きな川に出たところで、川に沿って登っていきます。国道183号です。トンネルを越え、その先の集落をすぎたところで、川向こうに鉱山跡のようなものが見えました。興味があるのですが、写真だけ撮って通りぬけていきます。
そのまま進み、峠を越えて広島県に入って、少し下ったところでクロカンパークの入口につきます。ここからパークの方に進んで行き、左側に見えた建物が今日の宿です。6時20分の到着です
道後山の宿は、どちらかというと陸上長距離関係の合宿所のようです。自転車競技関係の人達もいるようです。3組ほど泊まっていました。廊下のボードには明日の練習時程などが書かれています。綿密なものからいい加減なものまで様々です。廊下には靴の乾燥機が並んでいて乾燥中のようでした。ちょっと泊まるところを間違えたかなというような気もしました。
朝のようすです。ちょっと雲が厚めなようです。雨はまだ大丈夫でしょう。周辺のようすを見て歩くことにします。
坂を降りたところにクロカンパークがあります。陸上トラックと芝生上の周回コースとがあります。何人か走っている人がいるようです。宿で見かけた人達です。自転車でも回っていました。
コースに出るのは練習の邪魔になりそうです。横の林の中に遊歩道のようなものがあります。ここを歩いて行くことにします。
林です。コナラのように見えます。幹もそれほど太くありませんから、最近になってできたものでしょう。
林床にあったキノコの群落です。相変わらずキノコの種類はよくわかりません。
親水広場があるというので行ってみましたが見つけられませんでした。そのあたりを流れている川です。山の中というよりどこかの雑木林の中の小川という感じです。
いったん広い道路に出ました。どこに出るのかわかりませんから、引き返すことにします。宿の前を通り過ぎてパークの入口近くに来ると池が見えてきました。この池のまわりにも周回コースがあります。
池にいた鳥です。カモの仲間です。地味な色をしているのでカルガモなのでしょう。
宿の方に引き返します。前の広場の紅葉も色づいてきています。奥の木は赤い実がついています。コブシのようです。
宿に戻って食事をすませます。一番気がかりなのは、台風の進路です。予想とあまり変わっていないようです。西に向かうのは危険なのですが、広島県内くらいなら何とかなりそうです。明日は早めに切り上げないといけないかも知れません。
予定は、庄原市街に抜けた後、南に行って上下宿に立ち寄り、三次まで戻って中国道沿いに西に進んでいくことを考えています。
出発します。山を下りて行くと備後落合の駅に出ました。このあたりは、7月豪雨の影響で鉄道の不通区間がたくさんある所です。ようすを注意しながら進んで行くことにします。
進んで行くと立派な楼門のあるお寺が見えてきました。2階部分には鐘がつり下げられていますから鐘楼門になるのでしょう。西願寺という名前が書かれています。
鉄道のようすが見えないまま庄原の市街が近づいてきました。この先に駅があるということなので、ここだけでもようすを見ておくことにしました。高駅です、駅舎を外から見たようすです。
ホームに出てみました。線路敷きはきれいです。やはり、レールにはさびが浮いています。
駅のホームにはシバザクラが咲いていました。季節ではありません。狂い咲きなのでしょうか。
元の道路に戻り進んで行きます。庄原の駅に到着です。
駅のようすを見に行くと列車が入ってきました。ここから右側、備後落合方面はまだ不通のままです。
駅を出ようとすると、バスが1台入ってきました。代行バスと書かれています。高駅にあった時刻表から確認すると、備後落合からきたバスで、先ほどの列車に接続しているようです。人が乗っていなかったような感じだったので、これから出発かなと思っていました。
庄原からは上下を目指して行きます。駅正面の道をまっすぐ進むことになります。一昨日出発してからだいぶ走っています。まだ今日の分のガソリンはじゅうぶん持ちます。その先が不安なのと、山の中を走ることが多いので早めに補充しておくことにします。この庄原か次の三次あたりがいいでしょう。車を走らせていると庄原の町外れに近づいたところに1軒ありました。ここで半分ほど足しておきます。
ガソリンを入れ終わって道を進んで行くとトンネルの横に滝のようなものが見えます。道路の反対側に車を止めるスペースがありますからちょっとだけ見ておきます。滝には名前がつけられているのかはわかりません。横のトンネルは粟石トンネルです。
トンネルを過ぎてしばらく行くと、再びお寺のような建物が見えてきました、仁王門のようなものも見えます。領家八幡神社となっています。神社のようです。確かに前に狛犬がいて、随神門−拝殿−本殿という並びで、神社のようです。拝殿には神社の格式を示す屋根飾りがありません。
さらに進んで行くと、岩屋堂岩陰遺跡の案内標識がありました。道からちょっと離れていますが、見ていくことにします。
道を曲がったところに、元小学校風の建物があります。工場のようにもみます。何なのか書かれていないのでそのままスルーしてしまいました。
何かわからないまま次に行きます。だいぶ進んだ所で遺跡は右方向と書かれた案内があります。そこを入っていくと、休憩小屋のようなものがあります。川向こうに大きな岩が見えますからここが遺跡なのでしょう。少し先にある橋を越えたところの路肩が広くなっています。ここに車を止めて見に行きます、
大きな岩が庇のようにせり出しています。岩陰という名前からするとこの下が遺跡のようです。看板もありますが、はっきりとはここと確定できませんでした。縄文後期−晩期の土器が発掘されているようです。
お地蔵様のようなものがあります。岩谷堂というのと何か関係があるのでしょうか。説明にはこの前に、元藩主の菩提寺があったと書かれています。
この岩の上に洞窟があるとも書かれています。上がっていく階段が見えます。登っていくと洞穴が見えてきました。
洞穴の内部です。鍾乳洞のようです。溶食によってきたノッチが見えます。
中に入りかけたのですが、足元がぬかるんでいます。懐中電灯の明かりだけでは物足りないので、深入りはしないことにします。
引き返して、遠くから見た岩陰遺跡です。上の洞窟に上がる階段も見えています。
岩谷堂遺跡の前の休憩所の前には周辺の案内図がありました。それには、この近くに平谷洞窟というのがあると書かれていました。行ってみることにします。他にも、八幡神社や毘沙門堂なども書かれていましたが、洞窟に目がとられて気がついていませんでした。
岩谷堂遺跡の上にも洞窟がありました。鍾乳洞です。岩陰遺跡の岩も石灰岩です。どうしてこんなところにと思いました。でもよく考えると、ここに来る道を曲がらずにまっすぐに行くと上石です。帝釈台の中心地です。大きな石灰岩台地が広がっています。その縁がこの近くまで広がっていると考えれば、別段不思議なことではなさそうです。
道をまっすぐ進み、民家が見えてくる三叉路のあるところの近くにあります。車は、少し先のところに止めました。
枝分かれした川の左岸を通っていくと書かれています。建物があってその横の崖との間は草むらのようになっています。反対側に抜けたところに橋があるとも書かれています。この橋も見つけられません。仕方なしに草むらの中を分け進んで行くと、崖の方に上がっていく階段が見えました。ここを登ると洞穴が見えてきました。平谷洞窟に到着です。
入口横の壁です。岩石は石灰岩です。横方向に削られてできた溝があります。溶食ノッチです。この高さで水が流れていたことを示しています。
入口に少し入って奥を見たところです。深くて奥まで光が届いていないようです。
入口の横にスイッチがありましたので入れると、中で蛍光灯が光りました。中の見学ができるように取り付けられたようです。岩陰遺跡の上の洞窟にもスイッチがありました。こちらは何も起こりませんでした。蛍光灯が切れていたようです。
かなり狭くなっているところもあります。蛍光灯の明かりのおかげで難なく進む事ができます。
奥まで進んで行くと天井にコウモリが止まっているのが見えました。写してみたのですが、後ピンです。もう一度やり直そうとしていると、どこかに飛び去っていきました。
さらに奥では、何匹かのコウモリがいったり来たりしています。適当なところにピントを合わせておいて、向こうから近づいてきた音を聞いてタイミングを計り、シャッターを押すと、飛んでくるところを写すことができました。ストロボを炊いています。
この奥は蛍光灯が切れていたのか真っ暗です。カボチャ型の鍾乳石と書かれていたのですが、見るのはあきらめて引き返します。
次の目的地は上下にしています。引き返さないといけないのですが、本道からだいぶ入ってきています。神石に向かう道から分岐したときに、先は上下と書かれていました。先が細くなる不安がありますが、そのまま進んで行くことにします。
三叉路に出ました。どちらに進むのか書かれていません。元の道は右側にありますから右に進みました。そのまま進んで行くといきなり上下の町に出てしまいました。どちらの方角からやってきているのか全くわかっていません。適当に入っていったのですが、どこに何があるのかわからない状態です。駐車場も見つけられそうにありません。闇雲に走らせまわるよりはいったん駅に向かった方が良さそうです。元の道に戻ってしまったので、そのまま進み、先のコンビニ前で場所を確認し直して駅に向かいます。
到着した上下駅です。駅前に止まっていたタクシーの運転手さんは暇そうにしていました。
駅舎の横から見たホームです。ここの区間もまだ不通になっています。
この近くで車の駐められるところは、商工会議所の駐車場のようです。そこに向かいます。会議所の駐車場は斜め止めになっています。通路の幅が狭くバックでないと出せないようです。できるだけ入口に近いところに駐めます。
ここは有料です。料金の支払いは、入口前の小さな建物のボックスに、備え付けの封筒に車の番号を書いて料金を入れた上で投入することになっています。
ここから前の通りを東側に進んだ所に、古い建物が残っているようです。進んで行きます。商工会議所の建物も役所に使われていたもののようでした。料金の支払いと、役所跡という言葉につられてしっかり見ておくのを忘れていました。
商店というか民家の軒先です。通りに面したガラス戸の中に人形などを並べている家がたくさんあります。
通りです。白壁の建物がたくさんあります。棟のようなもののなる建物は教会でず。この付近の豪商だった角倉家の土蔵を改造して使っています。
通りにあった、道標です。石州街道と書かれています。
ここから脇道に入ったところにあるのが、角倉家の建物の外門です。門だけでもかなり立派です。ここから見ると門のようには見えません。普通の家くらいあります。
この付近は私有地のようなので、裏から見たりとかはできません。正面側は通路なので何とか見ることはできます。門の前が狭いので全体をというわけにはいきません。何とか写せた門の2階部分です。ここにも部屋があるようです。これだけみると普通の建物のようです。
旧街道に戻り先に進んでいきます。通りに面して上下歴史文化資料館がありました。民話資料館とも書かれています。岡田美知代の生家をそのまま資料館にしています。岡田美知代は小説家田山花袋の弟子でした。その後に田山が書いた小説のヒロインのモデルではないかといわれています。建物の中は、岡田美知代の一生と、小説関連の解説が中心となっていました。田山花袋も文学史で名前と代表作名だけ覚えただけです。内容とかをしっていたわけでもないので、あまりピンとは来ませんでした。民話の内容が書かれている一画もあります。
真ん中のちょっと奥まったところが資料館入口でその向こうの建物が資料館です。大きな卯建が目立っています。
歴史文化資料館の斜め前にねずみ色のしっくい壁の建物があります。重森本店と書かれています。造り酒屋を営んでいた豪商の建物です。江戸時代に立てられたものです。
こちらは黒漆喰の建物です。瀬川百貨店と書かれていました。間口の広い妻入りになっています。その分屋根の傾斜が緩くなっています。
白漆喰の建物を挟んでお隣です。ネズミ漆喰の建物があります。2棟続きになっています。吉田本店といいます。
前で飾られていた人形です。上下人形と書かれています。土人形と書かれていますから素材は粘土でしょうか。このような人形はこの付近一帯で作られているようです。
斜め向かいにあるのが旧警察署の建物です。明治初期のもので物見櫓のようなものが屋根上につけられています。
この先は交差点になります。右手前側にある建物です。KATANAと書かれています。大正か昭和初期のような感じのする建物です。
左に進むと橋があります。翁橋です。親柱に灯明台のようなものがあります。昭和初期のものだそうです。
そのまま進んだ正面角にあるのが翁座です。芝居小屋として使われていたようです。看板には映画実演と書かれています。大正時代に建てられたものです。
ここから引き返します。店先で飾られていた鋤です。黒木式豊年三号と書かれています。ここで作られているもののようです。
そのまま進んで2つ目の交差点の右向こう側が天領代官所跡になります。古い石垣が残っていると書かれているのですが、それも新しそうです。どれのことなのでしょうか。
上下からは三次を目指して走っていきます。そのまま進んで行くと庄原に戻ってしまいます。甲奴別れから吉舎に抜けて北上すると三次です。このルートで進んで行きます。
甲奴を過ぎ、川を渡って広い谷沿いに進んで尾道自動車道が見えるようになったところで、品の滝と書かれた案内標識ありました。寄っていくことにします。
標識に従って左折していきます。もうそろそろかなというところで、看板のようなものが見えてきました。近づいてみると、品の滝へのアクセスルートが書かれていました。3つあるようです。一番下流側の品の滝駐車場、一番上流側の甲奴口、真ん中に抜けられる品口です。品の滝駐車場がメインのアクセス路のような気がしたので、こちらから行くことにしました。ここから狭い道を進んでいかないといけないようです。対向車が来ても行き違いできそうなところは所どころにあります。何となく不安ですが、進んで行きます。
峠を越え谷底の田んぼのある所にでたところで、道が広くなったので一安心です。民家が何軒かかたまってあるところまででたところに駐車場がありました。
品の滝は3つあって、ここから一番近い一の滝まで400m、次の二の滝までは千m、最上流部の三の滝までは1450mあります。駐車場からは川に沿って登っていきます。そこそこの水量のある川です。
歩道はしっかりしていて、歩きやすい道です。
すぐに一の滝に到着です。10mほどの高さの滝です。中段くらいで少し傾斜が変わっています。
川原に降りる道がありました。そこから見た一の滝です。滝を真正面から見る位置になっています。
二の滝に向かいます。道は、一の滝を迂回するような形でつけられています。木々の間から見た滝です。
滝の上に出たところで川に沿って歩くようになります。このあたりからは、道はしっかりと整備されていません。所どころで、岩の上を伝って川を渡らないといけないころがあります。滑りそうな岩もあるので、どこで渡るか慎重に見極めながら、足をかける岩を選んでわたります。
進んで行くと、橋が架けられているところがあります。ここだけは気にせずに川を渡ることができます。
橋のあったところは、真ん中の品口からきた道が合流するところです。この付近は、谷が広く道も歩きやすくなっています。ルートがあわさった効果もあるのでしょう。案内図によると、ここから二の滝まではすぐのようです。
ちょっと進むと滝のようなものが見えてきました。段差は2−3mくらいで滝にすると傾斜も緩いので、これは二の滝ではないでしょう。もう少し先にも、滝のようなものが見えています。
その先の滝です。二の滝のようです。谷底に下りられるところがないので、木々の間から見る感じになっています。木は少なめなので、場所を選べば何とか全景を見ることができます。
道は滝の上にまわっていきます。滝壺を上からのぞき込む形になっています。結構深そうです。
滝壺から水が流れ出すところです。このあたりの両岸はかなり切り立っています。
三の滝に向かいます。所どころに流れの急なところがあります。小さな滝が連続するように水が流れています。
さらに進んで行くと、落差が10mほどの滝が見えてきました。三の滝です。道の川側に木が生い茂っています。滝はしっかりとは見えません。この付近から川に下りて行く道も見当たりません。道の下は高い崖になっています。
滝がしっかり見えたところのものです。上から見下ろすような形になっています。
三の滝から先は甲奴口へ抜けます。案内図には鬼が橋というのがあると書かれていました。何となくこの先の道が不安なのと、先に進めばその分戻ってこないといけなくなるので、これ以上先に進むのはやめにします。
三の滝から少し戻って川と道との段差が小さくなったところに、川の方に下りて行く道がありました。ここから川に下りると、対岸に道が続いています。そこを歩いて行くと三の滝に手前側にでることができました。
そこから見た三の滝です。いくつかの段があわさって1つの滝となっています。
そのまま駐車場まで花などを見ながら引き返して行きます。
生えていたキノコです。かなり特徴があります。これでも名前が特定できません。傘の開きかたで微妙に変わって見えます。ちかいとおもったものはコシロオニタケです。地面近くの膨らみがなんとなく違うようです。
よく見かけた紫色の花です。アキチョウジです。
細い枝に、赤い小さな花が並んでいます。ミズヒキです。
赤紫の5枚花びらの花はゲンノショウコです。細長い実がついています。
一番よく見かけたのが
シオンノコンギクです。日当たりのいいところでは、たくさん咲いていました。
川には魚もたくさんいます。たくさん泳いでいるのはカワムツで、下側の岩に乗っているのはカジカのようにみえます。
駐車場に戻ったら、再び三次を目指して走っていくことにします。来るときの道は狭かったのですが、こちらの谷に入ってからは広くなりました。このまま進んで行けば、どこかにでられそうです。戻らずに真っ直ぐ行くことにします。
と出発したもののすぐに通行止めになっていました。並行する道がありますので、そちら側から行くことにします。先ほどの道沿いの山の斜面が大きく崩れているのが見えてきました。この前の雨で崩れたものでしょうか。斜面を登っていくジグザグの道も見えています。無理に作った道路の影響も考えられます。
そのまま下って行くと、通行止めだった道と合流します。これで抜けられ事ができそうになりました。最終的には国道まで広い道のままででることができました。国道を北上していきます。
大きな集落を2つほどいったところで、大きな鳥居が見えてきました。出雲大社と書かれています。駐車場はこの道沿いにはないようです。どこから入ればいいのかわからないのでスルーする事にしました。
国道を北上していると、みよし風土記の丘を示す案内標識が出てきました。ここも事前チェックした場所に入っています。国道沿いにあると思っていたのですが、今走っている国道ではなかったようです。指示に従って左折します。
進んで行くともう一度左折の案内があります。曲がった道は狭い道です。指示がありましたのでその通り進んで行きます。丘を登ったところで、国道に出ました。道はここで行き止まりです。どちらかに曲がらないといけません。狭い道を選んだ以上、右側にはなさそうです。左折します。
曲がったのはいいものの、工場の前を過ぎると、道の両脇には林以外何もありません。だんだん不安になってきます。我慢して進んで行くと入口の標識が見えてきました。これで一安心です。
入口から入ってすぐに左側に駐車場が見えてきました。ここに車を入れます。車から降りて、横に円墳が見えます。宮ノ本24号墳だそうです。ここに移設復元されています。
もう一つ目立つのが、埴輪がたくさん並べられている広場です。埴輪の展示場のようです。
円墳の横には、石室が置かれています。
こちらは、石棺の蓋です。宮ノ本24号墳と書かれています。円墳と同じの古墳のものです。先ほどの石室もこれで蓋されていたものでしょう。
どうもここはレストランの駐車場のようで、風土記の丘の駐車場はまだ先にあるようです。車を移動させます。
奥の駐車場に到着です。ここには、昔の屋形船が置かれています。つい最近まで使われていた、鵜飼い屋形船だそうです。
ここからあがっていったところに、県立歴史民俗資料館があります。中に入っても頭がパンクするだけになってしまいそうです。入口で周辺の案内書がないか聞いたら、1枚もらうことができました。これを見ながらみて歩くことにします。
博物館の横の道を進んでいくと、道の脇に石棺がいくつか並べられています。そのうちの1つです。酒屋高塚古墳の竪穴式石室と書かれていました。
古い民家もあります。旧真野家住宅です。江戸時代に建てられたと書かれています。
この付近は、博物館の野外展示場のようになっています。
古民家の復元されていた場所より奥は、古墳の密集している区域です。大きく2地域に分布していて、手前側が七つ塚古墳群、奥の方が浄楽寺古墳群といいます。七つ塚古墳群は、東側に少し離れたところにもあってここを七つ塚古墳群東群といいます。
東群へは、ぐるっと回っている道から別れたまっすぐ進んだ道の先にあります。本群の中心部は帰りにも通ることになりますので、東群から見ていくことにします。
東群に抜ける林の間の道を下っていきます。林の切れ目の先に、見慣れないものが見えてきました。埴輪か何かが置かれているのかと思いながらよく見ると、野生のシカでした。動かずにこちらを見ていたのでは何かの像のように見えていました。
シカはすぐにどこかに行ってしまいました。シカのいた向こう側に小さな丘が見えてきました。七つ塚古墳40号墳です。円墳で、二段になっているとと説明には書かれています。
奥の方に進んで行くと、頂部に石が載っている古墳がありました。土が流れて石室がむき出しになっているようです。石室も崩れているようです。
東群はほとんどが円墳でした。2m位の高さのものが多いようです。これは、41号墳です。
東群を後にして道に沿って丘の上へと上がっていきます。後に40号墳が見えています。東群は、丘の高いところではなく、一段低くなっているところにあるのがよくわかります。
丘の上にはたくさんの古墳がかたまってあります。手前右側のものは37号墳と書かれています。奥にも2つほど見えています。
丘に上がりきったところです。本群を周回する道路に出ました。1mから2m位の高さの古墳がたくさん見えています。
七つ塚古墳群の本群は丘の上にかなり密集してたくさん作られています。その中で一番高いところにあるのが、15号墳です。直径が30m、高さが3mほどの円墳です。七つ塚古墳群の中では一番いい場所を占めているので、かなり早い時期に作られてものと考えられているようです。
周辺にもたくさんの古墳があります。14号、31号、23号と書かれています。番号の降り方の規則性がわかりません。
15号古墳をぐるっと回って見えてきたのが11号古墳です。ホタテ貝型古墳です。円墳に方形の張り出し部があります。方墳部の小さいものという解釈もます。手前側が張り出し部です。長さは全部で30mほどです。
15号古墳を反時計回りに遠巻きにするような感じで、道に沿って進んでいきます。11号古墳の隣に見えてきたのが10号古墳です。これもホタテ貝型古墳です。
その隣が9号古墳です。前方後円墳になっています。手前側は方墳部でホタテ貝型に比べてだいぶ大きいのがわかります。これも全長が30mほどあります。
ここから道は七つ塚古墳群から離れて尾根を下って行きます。道沿いのモミジが色づき始めていました。このあたりのものだけ少し早いようです。
道は鞍部を過ぎて、少し登りにかかります。そこから左側に伸びる尾根の上100mほどの間にも古墳がいくつか並んでいます。浄楽寺古墳西群になります。小さなものが多いようです。
道路から見て浄楽寺西群のある尾根と反対側の少し先にも、古墳がたくさんあります。ここからが浄楽寺古墳群の本群になるようです。続けて写真をたくさん撮ったので、どこまでが西群で、どこからがそうでないのかがわからなくなっています。
記憶では、西群は小さなものが多かったので、ほとんど深入りをしていないことになっています。写真の撮影時刻、GPSロガーの記録からしても、記憶が正しいようです。
浄楽寺古墳69号70号71号(右端の木の向こう)75号?と書かれています。このあたりは、1m程度の高さの古墳が多いようです。本群といってもメインの場所より、西群に近い位置にあります。
道路沿い右側にある浄楽寺61号墳です。形は方墳です。石棺とその中から人骨鉄製品などが見つかっているようです。5世紀のものだそうです。
道沿いには小さな古墳が並んでいます。浄楽寺53号墳です。
道路が交差する斜め前にあるのが、浄楽寺1号墳です。ホタテ貝型古墳です。方形の突出部は、手前側にあるようです。
浄楽寺37号墳です。高さ4mの円墳です。頂部からは石棺が見つかっているそうです。
浄楽寺12号墳です。ここの古墳群では一番大きく直径45m高さ6mの円墳です。埴輪とか遺物とかがたくさん見つかっているようです。
ここが一番奥になります。引き返していきます。七つ塚古墳群を過ぎて、資料館に近づいてくると、復元古代建物が見えてきました。古墳時代のものを、埴輪や遺跡などを参考に復元したものです。3棟あります。
たて穴住居です。縄文時代のものからあまり変わっていないようです。
高床倉庫と右奥が平地住居です。平地住居は有力者のものでしたが、古墳時代の終わり頃には、一般の人も使うようになってきたそうです。
駐車場に戻りました。だいぶ遅くなりました。このまま、地道で行くと夕食時間には間に合わないでしょう。といって高速道路で行くと早く着きそうです。高速道路(中国道)沿いの道を何かないかと探しながら走って、適当な時間になったら高速道路に入ることにします。
みよし風土記の丘入口前の国道を、北に向かって走っていきます。三次ICの前では市街の方に向かわずに中国道沿いに真っ直ぐ行きます。
江の川に出たところで、国道54号線に出ました。広島の方に向かって走っていったのですが、安芸高田に近づいた時に、中国道から離れているのに気がつきました。IC方向と書かれていた案内のあったところまで戻り、その案内に従って進み、中国道沿いの道にに出ます。その後は、一度交差点を早く曲がってしまった以外は順調に進んでいきます。
途中何も寄れそうなところはなく、時間切れで千代田ICから中国道に入りました。ちょっと遅くなりそうだったので、安佐SAで宿に到着予定時刻というより現在地を連絡しておきます。一応カーナビにも行き先を登録して、案内をしてもらうことにします。といっても、カーナビの地図に宿の位置を見つけることはできません。だいたいの位置にチェックをいれておきます。
戸河内ICで下りて道をまっすぐ進み、宿のある深入山の方に向かいます。このあたりからだんだん暗くなってきます。宿近くについた頃には真っ暗です。雲が厚くなっている分暗くなるのも早いようです。カーナビは目的周辺を知らせてくれました。宿入り口の案内は見つけていません。まっすぐ進むと、三段峡入口の案内が見えてきました。ここまで来ると来すぎです。引き返します。カーナビが案内したあたりまで戻ってくると、宿の入口を示す大きな看板がありました。こんなはっきりとした目印を見落とすのはどうかしています。何かに気をとられていたからでしょうか。
とにかく無事に宿に到着しました。
台風がだいぶ接近してきています。状況が気になります。わかっている範囲では、出発前の予想通りのコースと速度で進んでいるということです。宿に到着した時点での位置は屋久島の西方約400kmの海上を北に30km/hほどで進んでいるということです。このまま北上を続け、夜半過ぎから向きを北東に変え、6日朝に朝鮮半島南部から日本海に抜けて進みそうです。強風圏内に入るのは晩遅くから、最接近は昼過ぎになりそうです。
夜が明けたときの空です。厚い雲が垂れ込めています。雨もパラパラと降っています。風も強めです。状況がよければ深入山に登ってみようかとも思っていたのですが、無理なようです。やめにしました。
食事までは、温泉に入って時間をつぶします。セラミック温泉といって特殊なセラミックで殺菌除菌ができているそうです。そのしくみについては、全く理解できません。
食事をすませます。温泉に入っているときなどもそうでしたが、他の宿泊客の姿を見ません。みなさんは台風の影響でキャンセルしたのでしょうか。
宿のロビーには珪化木が置かれていました。北海道名寄市出土のものだそうです。
会計をすませて出発します。当然、宿泊証明も書いてもらいます。
これからどうするかです。台風は西側を通過しています。西に行くのは危険です。最接近が昼過ぎになりそうなので、午前中ならぎりぎりどこかに寄れるかも知れません。ようすを見ながら行くことにします。とりあえず三段峡を目指します。昨晩見た入口からではなく、山を下ったところから入っていきます。
宿前から広い道路に出て山を下り始めたところで、道脇に小さな祠のようなものがあり、横に石碑もあります。見ると深命水と書かれています。名泉のようです。
山を下って行きます。時々強い風が吹きつけている音が聞こえてきます。これだと歩くのは無理かなと思ったりもします。三段峡の入口にいってみました。閑散としています。駐車場は有料なのですが、誰もいません。風のこともあったので、ここは次回ということにしようと考えました。さらに、山を下りて行きます。
戸河内ICの前に道の駅と産直広場があります。野菜などを買って帰ろうとよっていきます。ここでは、風はほとんど吹いていません。これなら三段峡は歩けそうな気がしてきました。駐車場でも、風はそれほどという状態ではありませんでした。三段峡に引き返して、昼前には戻ってくるように歩くことに方針変更です。駐車場は係員がきたら支払うことにします。
三段峡駐車場に戻って歩き始めます。雨はわずかに降っていますが、傘がなくてもという程度です。念のために持っていくのと、強くなったときのために合羽も用意しておきます。
遊歩道を歩いて行きます。最初に橋を渡ります。そこから見た三段峡入口です。このあたりは長淵という流れの緩やかなところが続いているそうです。
遊歩道の横に大きな岩がせり出しています。渓谷っぽくなってきました。何とか返しの岩とか名前がありそうですが、書かれているものを見つけることはできませんでした。
遊歩道は林の中を通ります。長淵の、木々の間からやっと見えています。
流れが速くなって、白い泡が目立つようになっています。寺が瀬という場所ですが、かろうじて瀬というのがわかる程度です。
このまま林の中を歩いて行くのでしょうか。頭の中には、芦津渓谷のことがよみがえってきました。
遊歩道が林の中を通っていたのは、寺が瀬を過ぎるまでの間だけでした。次第に川との間にある木が少なくなってきて、渓流が見えるようになってきます。深そうな淵が見えています。その先には、滝が見えてきました。姉妹滝です。対岸にあります。2本の流れが並んでいる事から名前がつけられたようです。支流が本流に流れ込むところにできています。
正面から見た姉妹滝です。
遊歩道の山側の斜面は、斜めに真っ平らになっています。花こう岩に入った節理の面が斜めになっていて、その面から上の岩が崩れ落ちて、このようなったと考えられます。
姉妹滝のすぐ上流の側です。岩の間の狭いすきまを流れています。龍ノ口というそうです。遊歩道からは、すぐ下なのでこの程度にしか見えません。左側に姉妹滝の一部が見えています。
龍ノ口をたどっていくと、小さな滝があります。このような滝が岩を深く削り込んでいったのでしょう。
上流側から見た龍ノ口です。流路の深さがよくわかります。
さらにその上流です。深い溝に滝が落ち込んでいます。その先の水路の曲がりくねり具合が龍に見えることから、その先の水の吐き出し口が龍ノ口と名付けられたそうです。
龍ノ口の上流側にも、淵があります。水の色は緑青で、昨晩の雨のわりにはきれいに澄んでいます。花こう岩地帯の水の色です。このあたりも滝の侵食によって深くえぐられてできたものなのでしょう。川底の岩盤は固そうです。
欧米から来たと思われる人達に追いつきました。しゃべっていた言葉はドイツ語のようにも聞こえました。一番最後にいる人は、道に落ちた枯れ枝を見つけると、拾っては川の方に捨てるという事をしています。お国ではこれがマナーなのでしょうか。台風の影響でこれからたくさん落ちてきそうだし、川に捨てたところで、たまって川を汚す元になります。と考えたりしますが、捨てた方がいいのでしょうか。
このあたりの遊歩道です。1mちょっとの幅の歩きやすい道です。落ち葉はだいぶたまっています。落ちている枯れ枝を見るのは、まだほんのわずかです。
このあたりは、川にはったくさんの岩が見られるようになっています。底も浅くなって、瀬が続いています。
正面の山の斜面に、大きな岩が見えます。五立というようです。岩は全部で五つあるそうです。木とか山の斜面に隠されてそこまでは確認できませんでした。
遊歩道側の斜面を水が滝のようになって落ちています。赤滝といいます。流れ落ちる岩の色が赤い事から名付けられています。岩が赤いのは、表面に珪藻がたくさんこびり付いているからだそうです。これだけ赤くなる珪藻は始めて見ました。
川の真ん中に三角形の岩が見えます。兜石といいます。姿は一目でそれとわかるそうです。
五立に近づいてきました。五立そのものは枝谷の奥にあるので見えないのですが。一番本流沿いにある岩が道の行く手を阻んでいます。道はこの先で岩を掘り抜いたトンネルでぬけていきます。トンネル入口が木の葉の向こうに見えています。この岩は庄兵衛岩といいます。このあたりの本流は瀬になっています。
トンネル入口から上を見上げたものです。庄兵衛岩は大きくて全体が入り切りません。
通りぬけた反対側から見たトンネルです。素掘りで、岩肌がむき出しになっています。
三段峡は、柴木川にそって全長12kmあります。全部見るのは1日がかかりになりそうです。車を駐めた一番下流の正面口からは、いくつかのおすすめコースが設定されています。一番標準的なのは、渓谷美堪能Cコースのようです。このあたりでも、まだその半分もきていません。景色を見ながらだと時間がかかります。といっても、台風が接近しているため少し急ぎ足になっています。
庄兵衛岩を過ぎて次に見えてきたのが、女夫淵です。遊歩道が淵の上にせり出してつけられています。
女夫淵のうち上流側の淵です。風で吹き飛ばされ川に落ちてきた葉っぱなどが、一列に並んで流れています。
川の淵が二つあわさって瓢箪型になっています。二つ寄り添っているのことから女夫なのだそうです。恋愛成就のデートBコースはこのあたりまでです。祠のようなものも横に設けられています。
女夫淵の上流側も、川が狭いすき間の間を、すごい勢いで流れ下っています。このあたりはその形から石樋といいます。
対岸に垂直に掘られたような溝があり、その奥に滝のようなものが見られます。この溝は断層破砕帯が削られたできたもののようです。
上流側です。岩場の間を、曲がりくねりながら川が流れています。このあたりはパンフレットにはぐるの瀬と書かれている場所です。
瀬の上流部は、露岩よりも運ばれてきた岩がたくさん積み重なっています。
大きな岩が見えてきました。蓬莱岩というのがると書かれています。川底に横たわる大きな黒い岩だそうです。該当しそうなのものはこの岩です。運ばれてきたものではないと書かれていますが、そのようには見えません。違うものをいっているのでしょうか。
道はいったん高いところへ迂回します。その先の対岸に大きな岩壁が見えてきました。親子岩があると書かれている場所です。大小2つの岩があるそうですが、そこまではよく見えません。
三段峡渓谷美堪能Cコースも終わりに近づいてきたようです。このあたりから渡船にのって行くことになっています。看板があって、今日は台風のために欠航すると書かれてありました。道は二股に分かれています。渡船口に行くのは川の方に向かっている方の道です。欠航時は立ち入り禁止と書かれています。この先に両岸が切り立った崖になっている黒淵というのがあります。川にでてどんなものなのか見たいのですが、指示に従って近づくのはやめにします。渡船口にいったとしても見られるとは限りません
分岐点から見た渡船口方向です。上流側(右側)が何となく淵になっているように見えます。
ここにつく直前に親子連れのような二人組に出合いました。この先どうするのかと聞かれました。ちょっとだけ行ってみるとは答えました。その通りの山側の道を進んでいくことにします。
道は急な登りです。上についたら岩の間の狭いところを通りぬけていきます。
岩を回り込んだところで、大きな淵の一部が見えてきました。黒淵のようです。岩壁までは見えないようです
上流側の川岸に建物が見えます。ブルーシートがあり工事をしているようです。先の大雨の影響でしょうか。渡船の行き先はここになっています。今日はお休みなのでしょう。
川沿いの斜面には黄色く色づき始めた木があります。他ではあまり見かけません。この一帯は多いようです。
坂を降りきって、再び川の近くまでやってきました。川の景色です。
遊歩道沿いに滝が見えてきました。この滝の両側の岩も赤い色をしています。赤滝と同じように珪藻が繁殖しているようです。
三段峡の一般的な散策コースは黒淵までのようです。普通ならそれに従ってそこで引き返すところです。パンフレットを見ていると、その先の大政・小政というところは断層が作ったと書かれています。地学をやっている以上は、どうしても気になってしまいます。頭の中では、ここまで行って引き返すということになっています。
行くといっても台風のようすによって無理な場合もあります。黒淵の峠越えでは、風の音が聞こえていました。実際に吹いているのはちょっと強いかなというくらいなので、まだしばらくは大丈夫でしょう。正午までには三段峡の駐車場には戻っておくという回避策についても、この先15分くらいは歩けそうな感じでした。この時間内でいけるところまでということで、先に進んでいます。
黒淵の先にあるのは雌滝と書かれています。滝がないか注意しながら歩いていました。先ほどのものは名前がつけられるにはだいぶ小さいようです。もう少し歩いて行くと、山側から急斜面を下ってくる一筋の流れが見えてきます。これが雌滝のようです。落差は結構あります。ずっと先は見えていません。滝といえるのかは微妙な角度です。ここの岩肌にも赤い珪藻がこびり付いています。
雌滝前の本流です。このあたりで大きくカーブしています。川底は流されてきた岩がたくさん転がっています。
雌滝から少し離れて隣に雄滝があります。こちらは垂直な岩肌の上からまっすぐ落ちています。
対岸に大きな岩壁が見えます。ここに仏岩があると書かれています。仏様に似ている点では、微妙なところもありますが、これが仏岩なのでしょう。
川の曲がりに沿って道が曲がっていきます。仏岩を横から見る形になります。背後の山からは独立しているようです。木々が邪魔ではっきりとは見えません。
対岸の崖に大きく削られた窪みが見えています。穴も開いています。これは間違いなく断層です。断層のある所では、岩がこすれあわさって粉々に壊れています。断層破砕帯といいます。壊れている分、川などに削られやすく、大きくえぐられてようになることがあります。
断層をまっすぐ伸ばしてきたこちら側の岸の斜面上にもえぐられてできた谷があり、水が流れています。
黒淵から先の川の流路、2kmほどの区間は、2回直角に左へ曲がります。その間はまっすぐなので、上から見ると「コ」の字のように見えます。文字の左下からなぞっていくよう進みます。「コ」の字の右下の角にあったのが、雌滝や雄滝、仏岩です。大政小政は右上の角にあります。
「コ」の字の縦の辺を下から上の方へと歩いて行きます。対岸の岩を見ると、川と直角方向に縦の割れ目がたくさん入っています。割れ目の方向は「コ」の字の底辺の方向と一致します。
遊歩道沿いの岩の上にも所どころで水が浸みだしてきて、表面を流れ落ちています、ここの岩肌も珪藻で赤くなっています。
向こう側の川岸にある岩の割れ目は、ずっと続いていきます。大きくえぐれているところは、岩盤がずれ動いた小さな断層かも知れません。
遊歩道側には、水が流れているところがあります。この部分は、まわりより深くえぐられたようになっています。川岸に見えていた窪みと同じものでしょう。
さらに進んで行くと、縦に掘ったような溝があり、そこから水が湧き出して流れ落ちていました。岩盤の大きな割れ目は地下水の水路となり、水が湧き出してくることもあります。
この2つが、大政とか小政とか呼ばれているもののようです。2つ目のものは道の曲がり角にありました。
時間的にも戻り始めていないといけない頃合いになっています。目的の場所と思われる所に着いたようなので、ここから引き返すことにしました。
最後に見たものが、大政と小政のセットなのかは後から見ると疑問なところもあります。大政からすぐ先には橋があるのですが、それは見えていませんでした。このあたりは川が見えなかったためではなさそうです。GPSロガーの記録は角のところまできたようになっています。問題は、電波の入りが悪くて正確に場所が読み取れていないことです。150mほど川から離れている印がたくさんあります。
時間切れだったということにしておきます。急いで戻ります。途中はゆっくり景色を見る余裕はありませんでした。そのわりには足元にいたガマガエルはしっかり見ています。
制限をした時刻までには駐車場に戻ることができました。横の建物の裏には、線路が残されていました。ここまで鉄道が敷かれていた名残です。
三段峡正面口駐車場前の交流広場へパンフレット類がないか見に行ったら、黒淵の手前ですれ違った親子連れが、手持ちぶさたそうにして座っていました。バスを待っているとのことです。出発まで1時間近くあります。欧米人グループも同じバスで来たとのことです。彼らの方はバス時刻にあわせて歩いているのでしょう。まだ到着していません。
この付近の店はどこも開いていません。どこか便利なところまで送っていくことにしました。といっても、交通の便が良さそうなところは可部までありません。戸河内ICの近くは道の駅があり、ここからでるバスも停まるということで、ここまでということににします。昼食時間なのでここで何かを食べることもできるでしょう。後で調べてみると、可部の手前の安佐まで行けばバスの本数は格段に増えたようです。近くの広島北ICから山陽道に入ることができたので、ここでもよかったことになります。やってきたバスの運転手さんはコースの情報は教えてくれませんでした。
道の駅まで送った後は、目の前のICから高速道路に入り、大阪を目指します。西に走っているとだんだん台風の影響が薄れてきたように感じます。宝塚の渋滞は避けたいのでどこかで時間をつぶしたくなってきました。走っている内にだんだんクジラが見たくなってきました。あまりよる機会もないので、行ってみることにしました。庄原ICで高速道路を降ります。
クジラはここから北に入った山の中にいます。比和というところです。場所を見落としてはということで、カーナビをセットしておきます。何とか到着です。思った以上に距離がありました。
クジラのいる場所です。比和自然科学博物館といいます。閉まっているように見えます。入口前に道路ができたので出入りが不便になったためでしょうか、入口は別のところに移転しています。
こちら側が入口になります。自治振興センターとの併設になっています。入口の受付で入館券を求めます。台風接近で風が強くなっているようなので思わずやっていますかと聞いてしまいました。
展示室です。この部屋では、中国山地の動物や地質、民具が展示されています。
この博物館は、モグラ博物館といわれるほど、モグラの展示は豊富です。近い仲間であるネズミ類の標本もたくさんありました。ここでは、毛の感触を確かめてくださいということで、触っていいようになっています。すべすべふわふわで最高です。一度触ってみるといいですよ。
今まわったところは本館で、地学分館というのが別の建物にあります。こちらがその建物です。市役所比和支所に併設されています。今日は土曜日で支所はお休みです。入口と分館に通じる階段が開いていました。
こちらの展示室です。両脇の戸棚には化石や岩石の標本がびっしりと詰まっています。引き出しを引っ張り出して真ん中のテーブルでじっくり見てくださいというシステムのようです。これを見るだけでも1日はかかりそうです。
これが本命のクジラです。この近辺からはクジラの化石がたくさん発掘されています。といってもどちらかというと、発見されたのは庄原の市街地近くのほうが多いようです。全身骨格が見つかったものがいくつか並べられています。恐竜なみにその大きさに圧倒されます。中国山地でクジラウォッチングと書かれた看板の一部が写っています。
博物館のパンフレットの裏面に比和ぶらりまちあるきMAPが書かれているものがあります。参考にしながら、ぶらっと歩いてみることにします。
町の中心部は博物館前のバイパスをまわった向こう側にあります。館の古い入口前に新しいバイパスの下をくぐるトンネルがあります。ここをくぐって町の方に行きます。ぬけた先は、川の縁になります。前に橋が見えています。そこまで行ってみた比和川です。一面に水が流れています。水量は増えているのでしょうか。
川岸の石垣で目立つのは、避難判断水位標と階段です。水位標はここまで水位が上がったら消防団は待機しなさいとか書かれています。階段は、川岸の各家のまえに1つずつあるようです。家庭用の水汲場といったところなのでしょうか。
川の向こう側の岸を上流側に歩いて行きます。次の橋のある角に大きな建物があります。用途は見当もつきません。
ここの路地を抜けて、旧道に出ます。さらに上流側に行きます。支流の比和谷川を渡った先のお社です。恵比寿神社だそうです。
その斜め向かいの円光寺です。門は薬医門で新しそうです。門扉がありません。
広い道を越えるとその先は二股に分かれています。左側の道はさらに斜面に沿って登っていく狭い道が分かれています。その道脇にある石垣が忍者返しのようになっています。お城でもあるような雰囲気があります。
この道の先に八幡神社があります。うっそうとした森の中にあります。社叢は天然記念物だそうです。ちょっとしめ縄が...。
ここまで来ると、町外れになります。旧道に沿って引き返します。反対側の町外れまで来ると、道脇に鳥居の付いた家がありました。前に狐が一対鎮座していますからお稲荷さんなのでしょう。右の建物もお寺のようです。
道を真っ直ぐ進んで行くとバイパスに出ます。再び比和川の上にでます。ここから見た比和の町全景です。
風が強くなってきているような気もします。台風の接近も気になります。適当に時間もつぶせたということで大阪まで帰ることにします。パンフレットには間歩と書かれている場所があるのを忘れていました。前回庄原に来たときにこのパンフレットを入手しそれがあるのを見つけていました。間歩とは昔の鉱道のことです。見損ねたのは残念です。
比和は中国道からはだいぶ離れたところにあります。中国道に戻った頃には薄暗くなり始めています。ここまで来るとだいぶ風は弱くなっているようです。そのまま、高速道路を東に向けて進みます。
車を走らせていると、だんだん気になることができてきました。金属を引きずるような音が聞こえてくることです。防音壁のある所では、そちらの方から聞こえる音が大きくなっているような気がします。駆動部が変形とか何かの理由でこすれて音が出ていて、それが防音壁で反射して聞こえてきているのではないかと心配になってきました。今のところ加熱による焦げ付いたようなにおいは発生していないようです。いきなり起こるということは考えられません。音もこすれあわさっているにしては少し変です。においがでてくるまでようすを見ることにします。
ガソリンの残量も、何とか家までは持ちそうですが、念のために入れておいた方がいいでしょう。トイレ休憩もとりたいところです。次の大佐SAに入ることにしました。
SAに近づいたところで、音の発生源についてもう一つの可能性に思い当たりました。コオロギの鳴き声です。今のところ区別する方法がありません。おまけに余裕もありません。SAに入れば車は減速します。車からでているのなら音は小さくなりますし低くなります。コオロギの鳴き声だと音に変化はありません。原因を調べるためにもSAに入るのは確定です。
SAエリアの導入路で減速しても、音は聞こえてきます。むしろはっきりしてきたようです。これで、原因がコオロギだと判明しました。一安心です。気が抜けるとおなかがすいてきました。食べ過ぎると眠たくなってきます。SAでパンを買って食べることにしました。ガソリンもここから家まで走るのに必要な量だけ入れておきます。
SAエリアをでると後は順調に走ることができました。心配していた宝塚での渋滞もありませんでした。第二名神ができた影響も大きいようです。無事家まで到着です。ガソリンは、補給しなくてもじゅうぶんに帰れた量は残っていました。
今回の旅行では帰ってきてからもする事がいつもの片付け以外に残っています。復興割りの申請手続きです。鳥取県と広島県の事務所に郵送で提出します。必要な書類は申請書・行程表・宿泊証明書・旅行者名簿等です。県によって口座振込依頼書が必要であったり、申請書に付いていたりとまちまちです。宿泊証明書は、その県の分はもちろん、他府県の分もコピーで必要です。
全部でA4用紙六枚以上になります。最低料金では送れません。記録の残る方法でと書かれていますから最低でも特定記録郵便になります。郵送料は全部で504円になりました。余っている切手がありますからこれで支払います。複雑な組み合わせで500円にしたのですが、考えてみると50円切手も使い道がないので、これを処分した方が計算が簡単でした。
すぐに振り込みがあるだろうと思っていたのですが、1ヶ月経っても入金がありません。届いているかどうか確認しようと特定記録郵便の控えを探したのですが見つかりません。確認手段がなくなったので、届いていると信じて気長に入金されるのを待つしかありません。結局振り込まれたのは、広島県が11月のおわりころ、鳥取県が12月の半ばになってからです。この頃だと、予算がなくなっているところが出始めていたのではないでしょうか。
復興割りについては制度ができたときから、練られたものではなかったようです。初めからあった批判は、2府県以上をまたいで旅行するという内容についてでした。今までの復興補助制度ではこのようなしくみはありませんでした。制度を知ったときにはすでに、2府県以上をまたいで旅行するというのが煩雑であるとの批判が出ていました。
2府県以上にするのはありとしても、各府県ごとに予算を丸投げにして、各自審査して分配してくださいというのは手抜きというしかありません。旅行者にしても、同じ旅行に対して、別々に手続きをとらないといけないというのは不便がきわまっています。各府県ごとに予算額が異なるというのはあるかも知れませんが、まとめて処理した方がはるかに事務量は少なくなります。旅行者もほとんど同じ中身の書類を府県ごとに作って送らないといけないという手間も少なくなります。
提出先についても、県は違っても同じビルの同じ部屋(たぶん)です。処理するのは何人かでまとめてしていそうです。それなら初めから国が一括処理をしてくれたらという思いはあります。受ける府県にしても、復興事業で人手がとられている上に、さらに人手のいる作業を押しつけることになっています。
各府県に丸投げしたおかげで、書類の書式以外でも手続きとかでも違いが出ています。提出した鳥取県と広島県についてみていきます。
宿泊証明書の宛先は、鳥取県では予算の執行権限を持っている県知事であるのに対して、広島県では旅行者でした。細かい違いのように見えます。手続きでは違いがありました。たとえば、鳥取県では宿が施設名と印を押した書類を渡してくれて、必要事項は書いてくださいとなりました。税抜きの宿泊費をを計算したりとかでたいへんでした。広島県では記入済の書類をもらうことができました。
旅行から帰ってきてから、復興割りのサイトを見ると、支援金を受け取る条件が変わっていました。府県の数が11から13に増えていたのと、同一県内でも2泊以上すればよいとなっていました。
2府県以上というのは初めから無理がありました。岐阜県について考えれば、もう1泊する県が対象の府県にはなさそうです。隣接している県は対象外です。美濃地域からだと京都市近辺はあるかも知れませんが、ここも除外されています。他県へ旅行すると、2つの旅行をつなぎ合わせたものか、長い日本列島縦断旅行の一部しかなさそうです。
執行の途中で方針が変わるというのは、初めの計画がずさんだったというしかないでしょう。範囲が広いので思いつきで周遊としたものの、どう処理するかとか一切考えていなかったように思えます。結局破綻したのかまわりからの声に押されたのかいつものような形に戻したように受け取れます。最近の政策ではそれがだんだんひどくなってきているように見えます。つい愚痴がでてしまいました。
<台風と星>
今回の旅行は7月の西日本豪雨災害の被災地の旅行者に復興支援金がもらえるということで、急遽計画して出かけたものです。まだ完全に復旧できたという状態にはなっていませんでした。特に鉄道の寸断が長引いています。
車でまわるという事にしました。事前に調べた限りでは国道レベルでは、まだ通行止めの区間はあるものの、旅行経路の中では大きな支障はありませんでした。それに対して、県道や民間レベルの道路では通行止めが相次いでいました。特に1日目2日目には通行止めにさえぎられて無駄に走り回ることになりました。いけるところがいけなかったりとか時間がかかったりとかの損失を支援金で払ってもらったようにも思えてきます。
災害復興支援金を当てにするのなら、このあたりのリスクも考えておかないといけないようです。普通、旅行する場合は順調に回れるかどうかを考えますから、安全なところを中心にとなってしまいそうです。今回の場合は、岡山県広島県に星を見に行くというのが主目的に近い位置にありましたから、どうしての山間部の災害の起こりやすいところをまわることになってしまったこともリスクが大きくなった要因でしょう。
今年の旅行は、台風とかで散々でした。今回も台風の影響を受けています。元々発生数が多い上に、日本列島への接近も異常に多かったので、計画を立てて出かける旅行では避けようはありませんでした。
最近の台風予想の精度は非常に高く感心しています。ほとんど予報通りに台風は進みました。出発直前にはいくつか台風対策をたてていました。基本的には予報通り進んだ場合にどうするか考えていた通りになりました。それでも、現地の人にはずさんというのか驚かれることがあります。種子島でもそうでしたし、今回も最終日の昼まで現地にいるということが心配させていたようです。強風警戒域のとらえ方が違っているせいでしょう。
台風のせいといっていいのか、星を見に行くつもりだったのが、またもや散々でした。あまりきちんとみられた試しがありません。天気でいえば晴れか曇りか雨のどれかですから、3日に1回晴れればいいのでしょう。それからいえば、標準通りということになります。
せっかくのチャンスだったのに1日目の晩の写真撮影は散々でした。時間が少なめになったというのもあります。星座用のカメラはピンぼけでした。ピントをうまく合わせる方法を工夫しないといけないようです。望遠鏡の方は、ガイドが甘く、1分以上の露出では星が流れてしまっています。2度極軸合わせをしたのにぶれています。原因はわかっていませんが、望遠鏡を固定するねじの閉め忘れだったのかも知れません。
宿では星の写真が欲しいといっていました。鳥取県でも募集していたようです。初めはそのつもりでいました。帰ってからみるとこれではだめだと応募は断念しました。なかなか上達しません。うまく写らないのは何が悪いのでしょう?
<三段峡>
三段峡で出合った親子連れのことです。日本語が流暢なので日本人と思っていました。話をしている内に、そうではないことがわかりました。真剣に聞こうとしなかったこともありますが、最後まで国は教えてくれませんでした。これから広島空港に行き飛行機のに乗って帰るといっていました。ちょくちょく日本に来ているようです。
三段峡は外国では有名なのだけれども、日本では知られていないのかと聞かれました。閑散としていたからそういう質問になったのでしょうか。そういえば、あまり観光案内とかの宣伝で上がってくるのを見たことがありません。旅行会社のツアーの中にも組み込まれているというのをみた記憶がありません。たまたま道路地図を見ていたら大きく書かれていたのできてみたというのが実態です。
出合ったのは、欧米人風のグループと日本人アベック、そして観察会をしているのかなというグループです。親子連れによると、欧米人は2組だったようです。ふつうなら、台風の影響があって、今日はやめにしておこうかとなるところでしょう。そのために、観光客が少なかったのは間違いないでしょう。近くに住んでいてその日に行く予定だったとしても、おそらくまたの機会としていたでしょう。わざわざ近くまで行ったし、というのが外国人達の考えだったのでしょう。自分も、まだわずかに余裕がありそうだったということもありました。
観光客が少ないのは、季節的な問題なのかも知れません。紅葉のシーズンとか、夏の避暑がてらとかだったら、まだ行楽客はあるのかも知れません。駐車場が有料なのは、まだ人がやってきている事の証なのかなとも見ることができます。人が来ないところで、お金を取ればますます来なくなります。
鉄道が廃止されたダメージは大きいでしょう。その前から衰退していたのかも知れません。実際の所はどうなのでしょう。
<経費など>
経費等の内訳です。交通費(高速道路・ガソリン・駐車場)は23500円、宿泊費飲食代が33500円、入館料・土産・その他が3500円の合計60500円です。復興支援金は組み込んでいません。額は16000円ですから、経費の1/4が戻ってきた計算になります。その他にもわずかですが、ポイントを使ったところもあります。宿泊費については、復興支援金が出るということで、宿泊費がいくらかというのは気にせず予約を入れました。そのため1泊あたりの経費はいつもより高めになっています。
車の走行距離は、1150kmでした。歩数です。1日目から順番に13500歩、25000歩、27500歩、21000歩です。1日だいたい2万5千歩程度です。よく歩いています。1日目が少なめなのは、自転車を使った影響でしょう。