2019/08/26-09/01 東北北回り
望遠鏡を車に積み込んで旅行にでるという計画はなかなか思い通りにいっていません。一番のネックになっているのは、泊まる場所の問題です。星を見たいので、できるだけ暗くて開けているところがよいとなってきます。だいたいそういうところはへんぴなところになるので、宿泊施設がないということになってきます。やっと見つけたところで、リゾートホテルで高かったり、人数制限にひっかかったりします。
とりあえず、東北地方の北半分はまだまわっていないところがたくさんありますので、いろいろ調べていました。何とかまわれるように計画を詰めていくことにしました。
まわりたいところを、整理してみます。車ということを考えると、秋田までフェリーで行って、仙台からフェリーで帰ってくるコースとなるでしょう。前回、東北地方の旅行に使おうとしたのと同じ方法です。
日程的には8月か9月の終わりくらいになります。9月の前半は車検のことでばたばたしました。ここは避ける必要があります。星を見るとすると、下弦から3日月くらいの間ということになります。今年は新月が月末なので、車検の問題はクリアできそうです。まずは8月で考えてみることにしました。
新月が30日です。秋田行きのフェリーは月曜日に出航します。仙台発のフェリーは隔日出航で8月は奇数日になります。出発は26日(月)しかないでしょう。19日だと月明かりが入ってきます。9月2日にすると、後半ほど月明かりが大きくなるのと車検の問題が絡んできます。
仙台をでるのは29日、31日と9月2日が候補になります。29日だと実質2日しか東北にいない事になります。2日にすると日程が長くなりすぎ鉢類の水の補給が問題となります。その上、土日を挟んでくるので宿が取れるのかが心配になってきます。仙台出航31日で詰めていくことにします。
いってみたいところです。秋田から仙台にぬけるとして、2点を結ぶ線より南側は一度いっていますから、いっていない北側を優先とします。この中で見たいところとしては、十二湖、十三湖、津軽半島、下北半島、三内丸山遺跡、八甲田山等があります。三内丸山遺跡を見るのなら、遮光器土偶のでた亀ヶ岡遺跡も候補になります。ここは、ここからでたというだけしかわからないかも知れません。男鹿半島に褶曲のきれいなところがあります。ここも行きたいところの一つです。
宿を考えます。31日は、フェリーの出航時間の関係で仙台に昼前にはついていないといけません。前回この経路で帰ったときは一関市の館が森高原ホテルにしましたが、時間的にはぎりぎりになってしまいました。できればここより仙台港に近いところがいいようです。距離的には変わらないのですが、休暇村気仙沼大島がその近くにあります。橋ができて便利になっています。予約可能なようなので、30日の宿はここにします。少し遠いのが気になります。
次は、27日の宿です。どこに行くにしても日本海に沿って北上していくことになります。男鹿半島をまわって、白神十二湖までが限界でしょう。この間では、昨年3ヵ所ほど見つけています。一つは大潟にあります。白神までの半分の距離です。近すぎるということで保留にします。十二湖の入口のところは予約でいっぱいでした。その南側に、見つけていたところは営業をやめたようです。
白神から先を調べていたら、3kmほどいったところにウェスパ椿山というのを見つけました。値段も手頃で、空き室もあるようです。敷地も広く空の開けているところはたくさんありそうです。ここを予約することにします。
28日の宿です。距離的には、北上を続けて津軽半島をまわったあたりになります。残念ながら津軽半島龍飛崎と青森市街以外は見つけることはできませんでした。龍飛崎にとると、その後の行程の距離が足りなくなりそうです。少なくとも三内丸山遺跡は見て、先に進んでおきたいところです。今回は津軽半島へいくのは断念します。当然下北半島も断念です。
青森市の東側で探します。前に、八甲田山の北側で見つけていました。調べ直してみるとどこだったのか分からなくなっています。八甲田山ロープウェイの登り口のところで別の宿を見つけました。高原ということで、横にスキーのゲレンデがありますから、空は開けていますし、標高もそこそこ高そうです。星を見るのにはいいでしょう。基本料金はそこそこなのですが、夏休み料金やその他の加算料金がかかって少し高めになっています。他に適当なところは見つかりません。他を探すのをあきらめてここにしました。
29日の宿です。必然的に八甲田山と気仙沼との間ということになります。位置的には三陸海岸の北部になります。国民宿舎が2件あります。そのうちの1件は予約がいっぱいなので残ったくろさき荘に決定です。前に広い駐車場がありますから星を見ることは可能でしょう。
だいたいのコースがこれで確定しました。インターネット経由で宿とフェリーの予約を入れます。フェリーとウェスパ椿山は、インターネットから支払っておきます。
見学場所も整理しておきます。27日は、秋田から北上して白神12湖まで行きます。男鹿半島と白神十二湖を見て回ったら1日はつぶれるでしょう。ひょっとすると足りないかも知れません。男鹿半島の褶曲のきれいなところは海食台にでていて干潮の時しか見ることはできません。この日の干潮は夕刻です。フェリーとの組み合わせにする限りは、ここに干潮時に見に来るのは難しいようです。
28日は、十二湖から日本海沿いに北上して亀ヶ岡遺跡まで行きます。時間があれば十三湖をまわって、三内丸山遺跡を見に行きます。これでだいたい1日使うでしょう。十三湖は調べた限りでは展望台しかないようです。
29日は、八甲田山を一周することにします。ロープウェイで山に登ることもあるでしょう。その後ですが、八戸へぬけるコースは、前回通っています。別の道にしたいところです。といっても山越えになるので候補はあまりありません。行き損ねているところのパンフレットを見なおしていると尾去沢鉱山というのがでてきました。十和田湖をとおってこちら側へ回っていくことにします。かなり遠回りになります。八甲田山に登っていれば時間は足りなくなるかも知れません。
30日は三陸海岸を南下していきます。2回ほど通っていますが、じっくりは見ていません。ジオサイトを中心に見ていくのがいいでしょう
31日です。あまりゆっくりもしていられません。大島を回ったら、ほとんど時間は残らないでしょう。岩井崎とか旧向洋高校震災遺構伝承館など見たいところはたくさんあります。
カメラ用に有効な電池が少なくなっています。今回は車で行くので、充電器は気にせずに持っていくことができます。カメラを2台持っていくと、予備の電池がないことになります。一応、新しいものを買っておくことにしました。
カメラを買い換えるつもりでいますから、それにあわせた電池が必要です。新しいカメラは専用の充電池しか使えません。調べてみるとかなり高めです。今までの、単3型充電池とホルダーのセットにしても、充電池は安くなるもののホルダーが高く、セットでは専用充電池と同じくらいの値段になってきます。
どうしようかと考えながら調べていたら、互換型の充電池というものを見つけました。純正の値段で5本買えます。期待通りに使えない可能性もありますが、これをネット通販で3本買うことにしました。届いたものを見ると、純正品より自己放電が多いような気がします。充電してから1週間程度の間ならそれほど問題なく使えそうです。
その後、旅行に必要な電池の充電をしようと、充電器を入れているケースを見ると、中になくしたはずの専用充電池が入っていました。単に入れる場所を間違えたために見つけられなかったようです。予備の電池が増えましたが、多いに越したことはありません。
カメラもどうしようか、商品一覧を見て考えています。カメラの付属品を見ていると、アストロトレーサーというものが目にとまりました。天体の動きに合わせて撮像素子を動かしてくれるというものです。そのためには専用の付属品が必要です。
前々からこのようなものがあるというのは知っていました。それほどの長時間は無理だろうと勝手に思い込んでいました。調べてみると5分程度は追いかけてくれるようです。少し暗いところでも、この程度の時間露光すると光をかぶってきます。じゅうぶんに使えそうです。付属品を買うことにしました。
準備は、望遠鏡関係のものが加わってきます。充電器だけでもたくさんあります。カメラ電池用が専用充電池用と単3型電池用の2種類、コンパクトデジカメ用、携帯電話用、カーナビ用、望遠鏡バッテリー用の6種類です。何とか減らす方法はないものなのでしょうか。用意のできたものから、少しずつ車に運んでおきます。自転車の空気も抜けているので入れておきます。今回は出番がないかも知れません。
初日の船内での食事やその後の非常用の食料、眠気覚ましのするめなどは前日の夕方に買いだしておくことにします。
直前に天気予報を調べてみると、秋雨前線が本州南岸に停滞しそうな雰囲気です。今年は早めのようです。その影響で、東北地方でもぐずついた天気になりそうです。今回は、星見はできるのでしょうか。大阪は雨がちの予報なので、鉢類の水はそれほど気にしなくてよさそうです。
今日は、敦賀港を10時にでるフェリーに乗ります。ネットで調べてみると、敦賀港まで1時間半かかるようです。もっと早くつけるものとのんびりしていました。湖西経由でもほぼ同じ時間です。こちらは地道を通るので正確な時間が読み切れません。名神米原経由で行くことにします。敦賀には、1時間前までには到着するようにと指示されていますから、7時半までには家をでていないといけません。7時に出ることにします。
家を出て最初のガソリンスタンドでガソリンを入れておきます。そこから高速道路の入口まで行きます。どういうわけか、ETCカードの読み取りエラーでます。3回目に何とか読み取ることができました。そのまま高速道路に入ります。旅行中はカードはずっといれ放しにしておきます。
高速道路ではこの時間でもうすでに渋滞が始まっているようです。ところどころで車の流れが悪くなっています。表示やハイウェイラジオは断続的な渋滞があるとなっています。いつも通る京滋バイパスは、笠取トンネルを先頭に大きく渋滞しているようです。大山崎JCTでも列ができています。そのまままっすぐ京都経由で行くことにします。
いつもなら大津を過ぎたあたりから流れがよくなるのですが、いっこうによくなりません。草津PAを過ぎた所で、対向車線でトラックの事故があったようで、レッカー車がきていました。左車線を走っていたので詳しくは分かりませんでしたが、ここをすぎると急に流れがよくなりました。事故見の渋滞だったようです。
その後は順調です。といってもこの渋滞でだいぶ時間をロスしてしまいました。指示された時間に到着できるかが危うくなってきました。
敦賀ICを見落とすことなく、無事に降りることができました。この時点で9時が迫っています。指示された時間には完全に間に合わないでしょう。後はどれくらいの遅れで到着できるかになってきます。
ここからの道は2回目なのでだいたい分かっています。フェリーターミナルには10分以内の遅刻で到着できました。インターネットで申し込んだ関係で、乗船手続きなしに乗ることがきます。車の待機場所に行きますが、どこに並んでいいのかわかりません。新潟行きと秋田行き苫小牧行きの3列があるはずです。どこにも指示はないし、聞けるような係員もいません。
車の並んでいる反対側に誘導している人がいましたからそちらの方に行ってみました。聞いたところそこで待っているようにと指示が出ましたが、それっきりです。トイレにも行きたいのですが、返事がないので我慢して待ちます。この間にも他に車が2台ほどやってきました。待っている間にフェリーの写真を撮ります。
これから乗船が始まるところのようで、返事がないのもそのためでしょう。バイクから誘導しています。待機していた車が全て乗り終わった後で、やっと誘導係の人がやってきました。そのまま、フェリーに乗り込みます。
船室に持ち込む荷物は出発前にわけています。それを持って船室に向かう階段に向かいます。階段を上がる前に、車両甲板の階を書いた紙をもらっていきます。
船内受付に行き、インターネットからダウンロードした乗船券を見せて部屋を確認します。受付と同じ階でした。乗り込んできた乗客が少なくなってから写した受付前ロビーのようです。
荷物を置いたら真っ先に行くのは当然トイレです。その後はデッキに上がります。デッキから見た敦賀市街の方向です。大きな船が何艘か停泊しています。敦賀市街は小高い山の向こう側になります。
桟橋側です。車の待機場は左側の広場で真ん中にある道を通って船に乗ってきました。向こうは敦賀湾の入口の方向になります。
船に乗ってからデッキに行きましたが、船内は広く後部にあるデッキへの出口を見つけるまでに、だいぶ歩き回りました。出入り口は数えるほどしか見つけることができませんでした。何とかでることができたのは、出航の直前でした。そのまま出航のようすを見ることにしました。といってもいつの間にか船は岸壁を離れていました。
船の進んでいく敦賀湾は細長い岬に挟まれていて、両岸はいきなり山になっています。西山はところどころで海に張り出しているところがあって岬になっています。左舷側に最初に見えてきた岬です。小崎といいます。
左舷側の陸地の先端部方向です。入り江があります。原子力発電所がこの方向にあるはずですが見えていません。送電線が見えています。入り江の奥からきているようです。ここに発電所があるのでしょう。
少し引いて右側も一緒に写してみました。敦賀湾の入口になります。湾をぬけるのにまだまだかかりそうです。
いったん船内に戻り、この間に持ってきた荷物を整理しておきます。デッキに行こうとすると、徒歩客乗船口のあったところから通行ができるようになっています。ここから後部デッキに行くことができます。その頃には、立石崎の近くまで来ていました。
左舷側です。敦賀半島先端の立石岬とさらにその向こうには常神半島が見え始めています。敦賀湾から若狭湾に入ったようです。
敦賀湾奥方向です。一番奥からやってきました。だいぶ進んできたことが分かります。
右舷前方方向です。干飯岬からその向こうに越前岬が見え始めています。手前の海岸線はまっすぐで、そこから切り立った斜面が見えます。甲楽城断層の断層崖です。
干飯岬に近づいてきました。左舷側干飯岬と前方に見える越前岬です。
左舷側です。左側の山が栄螺が岳と西方が岳、その手前に立石崎があります。その右側は若狭地域を越えて丹後半島まで見えているようです。
船の上から写真をとっていると、似たような景色がたくさん出てくるので、どこからとったものか分からなくなってきます。GPSロガーに頼ることにしています。船内では衛星からの電波が入ってきません。電池を無駄に消費するだけです。デッキに出たときだけ電源を入れて測位できたらすぐに切ることにしています。そんなに急に景色が変わることもないので、様子を見に行くのも30分おきくらいでじゅうぶんでしょう。
船は越前岬にだいぶ近づいてきました。大きな断崖が海に迫っています。
後方です。甲楽城断層によるまっすぐな海岸線が見えています。
沖合から見た越前岬です。灯台が見えます。その左側の白い建物の下あたりが越前岬で、その向こうに鳥糞岩、さらに向こうの岬と順番に見えてはじめています。
船は北東方向に向きを変え福井沖を進みます。昼が近づいていますので、この間に食事をすませておきます。戻った時には福井市と坂井市との境にあるガスタンク群が見えてきていました。
さらに前方です。陸から離れて島が見えてきます。雄島です。この陸側に東尋坊があります。
雄島を超えると石川県に入ってきます。白山が見えるかも知れません。探したのですが、雲が並んでいて、その中のようです。
進行前方方向です。能登半島西海岸の先端の方向です。海士岬猿山岬という岬がありますが、遠くで霞んでいます。
次に大きな町が見えてきました。金沢市です。
船内には、何時にどこを通過するかと書かれた掲示物があります。今どこにいるのかを知るのに役に立ちそうなのですが、越前岬の通過は少し早かったようです。次の安島岬はどこにあるのかわからなので比べようがありません。次は猿山岬の15時59分です。
船の位置をモニタ画面の地図上に表示しているものが役に立ちます。地図のわりに船が大きいのが難点です。カーナビを船に持ち込んでいますからそれを見てもわかります。電池切れが心配なので、使わないときは電源は入れていません。
金沢を過ぎると、能登半島に沿って北上していくことになります。次にデッキに上がっていったときには、前方に大きな建物とその向こうに風車群が見えていました。建物は山の中腹にあるように見えます。見ていても建物の形はよく分かりません。写真で見ると、建物と海面との間が引き伸ばされたように見えます。現地では分からなかったのですが、蜃気楼が出ていたようです。建物は志賀原子力発電所でした。
後方です。こちら側もみていても海岸線の形がよく分かりませんでした。写真では海岸線付近がなんとなく縦に引き伸ばされているように見えます。
次にあがっていったときには、猿山岬が見えていました。猿山岬の向こうに西出山から大長崎も見えています。
猿山岬の南の海岸です。地層の縞模様がきれいに見えています。
猿山岬を通過します。まだ3時過ぎです。1時間ほど早いようです。岬の位置は灯台の下あたりと思っていました。灯台より少し高いところから右に降りる尾根が下って行った先になります。そのあたりで一番西に付きだしています。岬近辺の地層の縞模様もきれいです。
猿山岬の隣にある西出山です。先端は小崎です。岩質はだいぶ違っているように見えます。
南側です。能登半島の西海岸が続いています。推理小説で有名になったやせの断崖等があります。
船と並ぶように飛んでいる鳥がいました。オオミズナギドリです。
大長崎から南の海岸です。右の方では、地層に沿って土砂か崩れ落ちて平らな面ができています。ケスタ地形といいます。
船内には、船旅のすすめと書かれたプリントがおいてあります。寄港地のイベントや船内施設について書かれています。これ以外にも景色の見どころが書かれていて、敦賀−秋田間では、七ツ島を紹介しています。3時半頃に見られると書かれています。
若狭湾に出てから、本州のある右舷側を見てきました。左舷の方に行っていました。全島にたくさんの島があるのが見えました。名前から想像すると島は七つのようですが、無数に見えます。島というより岩礁というものもたくさん見えます。実際には、水平線の向こうに沈んで、島の高いところだけが見えているのでしょう。
双眼鏡で見ても、島がつながっているのかそうかよく分からないものがあります。写真では空中に浮いているようなものもありますから、蜃気楼が起こっていたのでしょう。
前方から船がやってくるのが見えます。形からするとフェリーのようです。双眼鏡で見ると新日本海と書かれています。同じ会社のフェリーのようです。
新潟・秋田の方から来る船は、次は6日後の日曜日です。船旅のすすめにも、姉妹船とすれ違うのは秋田を出てすぐの時間と書かれています。このあたりですれ違うことはなさそうです。
フェリーはどこにもよらずに、苫小牧や小樽に行くものもあります。こちら側から来たものでしょう。前に乗った時は、舳倉島の近くを通っていたようです。まっすぐ北海道を目指すと佐渡島の北側を通るので、北寄りのこのコースになります。七ツ島の南側を通りそうもありません。一体何なんでしょうか。
七ツ島に戻ります。船に乗っているときは島の名前は分かりませんでした。帰ってから比べた名前で書きます。烏帽子島と荒三子島です。烏帽子島はその名前の通りの形をしています。
陸地側です。島を見ている間にも船は進んでいます。ゾウゾウ鼻とか恵比須が崎、三つ岩岬といろいろ名前の付いた岬が並んでいるあたりです。
再び七ツ島です。御厨島、赤島、烏帽子島です。島の間にも岩礁はたくさんあります。
御厨島です。
しばらくしてから見た御厨島です。少し形が変わっています。2枚並べて立体視をしてみたのですが、コブの数が増えているためかうまくできませんでした。
フェリーに乗ってから船室に行くときに、サンダルを履いてきました。脱いだり履いたりというのが楽だからです。このあたりに来るまでの間で、船室とデッキの間を何回も往復しています。サンダルが親指のつけ根にあたっていたくなってきました。そのうちマメができそうです。
右舷側に町が見えてきました。輪島市街です。中心部はまだ山かげのようです。
次に見えてきたのが白崎です。白い岩石が露出しています。この付近に多い珪藻土かなという気がしますが、この距離では判定できません。
後方です。輪島市街から西側の能登半島北岸になります。
このあたりからでも七ツ島が見えています。大島です。
前方です禄剛崎が見えてきたようです。
もう少し接近してからの禄剛崎です。ここをすぎると、能登半島から離れていきます。
禄剛崎に近づいたのと、船内イベントでコンサートがあるのが重なってしまいました。少し遅刻気味になっていますが、コンサートを聞きに行くことにしました。
コンサートは、エレクトーンの伴奏付で、ギターの弾き語りでした。曲目はアメリカンフォークやビートルズが中心でした。あまり音楽に興味がなかった頃にはやった曲が多かったようです。
終わってから、デッキに行ってどこまで進んだのか確認しました。能登半島からだいぶ離れたようです。南側遠くに山並が見えています。方角的には黒部糸魚川方面になりそうです。ぼやっとしているので、山の名前までは分かりません。
前方には、佐渡島が見えています。こちら側から見ると2つの島のように見えます。
再び南側です。雲の間に高い山が見えています。背の高い雲の下にあるのが焼山、その左に火打山、妙高山と並んでいるようです。
日没までまだ少しありそうだったので、船室に戻りました。ちょっとのんびりしすぎました。時計を見るとだいぶ時間が経っています。急いでデッキの方に行ったのですが、戻ってくる人がたくさんいました。日は沈みきっているようです。デッキに着いたときには、たしかに太陽は沈みきっていました。
ここまでずっと蜃気楼が見えていました。これと重なると太陽の形が変形してきます。そのような太陽がが見られていたかも知れません。ちょっと残念です。
左舷側に見える佐渡島です。北側と南側の山地が重なって見えています。
右舷側です。山が見えています。米山です。
新潟到着が1時間早くなるとの船内放送が入っていました。猿山岬や禄剛崎の通過時間が早かったわけです。
外はだいぶ薄暗くなっています。佐渡島にある灯台に明かりが灯っています。南西端の沢崎鼻灯台です。ここの通過予定時刻は19時46分でした。まだ7時にはなっていません。新潟港の到着が早くなったのに合わせて、ここの通過も早くなっています。
佐渡島の全景です。大きくて入りきっていません。
右舷側では、山が二つ並んで見えます。角田山と弥彦山です。だいぶ新潟に近づいているのがわかります。
景色が見えなくなってきたので、船室に戻って持ち込んだ弁当を食べます。終わってから、星が見えないかデッキに行ってみました。横側の出入り口は閉鎖されています。後部のデッキは、照明がまぶしくて星がよく見えません。星を見るのはあきらめます。
その後は、風呂に入ったりとかするとだいぶ時間が経ってしまいました。いつのまにか新潟港内に入っていました。
暗くてよく見えないのですが、船の乗降デッキのようなものが見えてきました。そこに着岸しそうです。
岸壁にはたくさんのトレーラーが待機しているのが見えます。
岸壁と反対側です。大きな塔のような建物が見えます。新潟の中心街のようですが、すこし建物が少ないような気もします。
トレーラの待機場所が一番明るいようです。ここ以外は、暗くてはっきりとは写りません。
新潟港出港は夜中です。秋田港の到着が6時前です。その後の車の運転がある事を考えると、あまり夜更かしはできません。新潟港を出る前に、船室に戻って寝ることにしました。
朝目覚めたら最初にデッキに出て、空のようすとどこまで進んできているかを確認します。東の空は、だいぶ明るくなってきています。上の方に月も見えています。天気はいいようです。
日の出までまだ時間はかかりそうです。朝の細々とした雑用をすませ、再びデッキにでて空を見ます。
空はだいぶ明るくなっています。それでも、日の出まではまだまだのようです。
鳥海山が見えています。独立峰なのでよく目立っています。
日が上ってくると思われる方角です。山並があります。その上は雲がかかっているようです。手前側を船が横切っています。フェリーの進行方向からすると山は秋田市の向こう側にあります。山は秋田駒ヶ岳と思っていましたが、手前側にある大平山の方が高く見えるようです。一つ前の朝焼け写真にはわずかに写っているようです。
左舷前方にも山が見えます。男鹿半島の山です。右端にも山が見えています。寒風山になります。
南東方向の山です。山麓に雲の筋が見えます。雲海から流れ出してきているのでしょうか。
だんだん秋田港に近づいてきました。防波堤が見えてきています。
秋田港に入ると船は向きを大きく変えます。ほとんど前方に見えていた男鹿半島が、後方に見えるようになってきました。男鹿半島の本山と寒風山が並んで見えます。八郎潟はこの右側になります。
太陽は、山と雲の上から昇ってきそうです。この状態でも水平線よりもあがっているようです。朝焼けという色からは変わってきています。
男鹿半島付け根の町です。建物が明るく見えますから、このあたりでは日が差しているのでしょう。秋田港ではまだです。写真では建物が引き伸ばされたように写っています。ここでも蜃気楼が出ていたようです。
鳥海山です。日は当たっていないようにも見えます。
太陽は、雲の上端までやってきたようです。船は港に着いています。まもなく下船が始まるでしょう。船室に戻り荷物を持ってロビーに行くことにします。
車両甲板に降りられるようになって、車に戻り発進の準備をします。すぐに隣の列から下船が始まりました。
秋田に着いたものの、付近の観光案内を入手しようと思います。港の南側に道の駅あきた港というのがあります。資料が手に入りそうな気がします。行ってみることにしました。
道の駅に着いたところで、港の方をみます。乗ってきたフェリーが見えます。
道の駅には、高い塔があります。ポートタワーです。朝早いのでここには上がれません。
ポートタワーだけでなく、トイレ以外の全ての施設が閉まっていました。資料の入手はできませんでした。道の駅の南側にある船着き場には、巡視艇が停泊していました。
秋田港では観光情報が入手できませんでした。しかたがないので、日本海に沿って北上しながら、道の駅などで探してみることにします。
しばらく海岸に沿って走った後、内陸の方に入っていってすぐのところに道の駅てんのうというのがありました。ここに寄ってみます。
ここにも高い塔があります。スカイタワーです。日本海沿いには、このような塔がたくさんありそうです。
ここでも、施設は閉まっています。情報は入手できません。まだ6時半です。開くのはまだまだのようです。横に「夢と神話の里」天王グリーンランドという公園になっています。のぞいていくことにします。
建物をまわって進んで行くと、池があってその向こうに古代集落が復元されています。スサノオの村というようです。どんなものか見に行くことにします。
池を越える橋を渡ります。その手前右側に、牛乗りの像というのがあります。何を表しているのかよくわかりません。この周辺にあったものからすると、スサノオノミコトか日本武尊のような気もします。
橋の上から見た池です。鞍掛沼というようです。アオコのようなものが浮いています。
橋を渡った先には、石碑がところどころにあります。石碑には神話の場面と解説が書かれています。これは、海幸彦山幸彦のものです。
神話の世界を再現しているものもあります。これは八岐大蛇です。スサノオノミコトに切り刻まれた大蛇が横たわっています。スサノオノミコトが手に入れた剣をかざしています。
八坂の滝というのがあります。神話との関係は不明です。それらしいものは、この壁だけです。水はとめられているようです。
神話関連のものを並べて、神話の里と呼んでいるようです。この地との関連はわかりません。
これをぬけたところの松の木のてっぺんで、ホオジロがさえずっていました。
天王グリーンランドにある、スサノオの村はスサノオノミコトがいた頃の住居を復元して作られているそうです。一帯のコンセプトが神話の里ということなので、スサノオノミコトを考えたのでしょう。時代的な背景としては、弥生時代を想定しているようです。実際には古墳時代なのか弥生時代なのか微妙なところでしょう。この場所でこのような村が復元されているのは、近くで遺跡が見つかったからとかではなさそうです。
入口近くにあったのは高床式倉庫です。背景に集落を取り巻く柵が見えています。
スサノオの館だそうです。吉野ヶ里では、このような床下のある住居はなかったような。
作業場だそうです。
物見櫓です。他にも竪穴式住居などが作られていました。
柵とムラ入口です。環濠は復元されていたっけ?
スサノオの村を出たところから鞍掛沼を一周する道があります。花風のみちといいます。古代から江戸時代までのイメージして整備したところをところどころに作ってあるそうです。
古代としてあったのが、ストーンサークルです。環状列石の復元としてはこの形のものはよく見られます。ストーンサークルは縄文時代のものです。
ここから、池とタワーがよく見えます。
この先は花と関わりのある文学がモチーフのようです。文学はわからないのでこちらの方に行くのはパスします。ここから海の方に向かっていくと、いこいの森というのがあります。いってみました。
そこは普通の森でした。ところどころに休憩所があります。海に出られるかと期待したのですが、無理でした。このあたりは、砂丘の上で一段高くなっています。
道の駅てんのうでも、観光情報を入手できませんでした。トイレをすませて、北上を続けることにします。
潟上市から男鹿市まではすぐでした。このままでは、観光案内がないまま男鹿半島に入ってしまいます。何とか入手したいものです。最初に見つけたのは、道の駅男鹿オガーレです。ここもまだ開店前です。開いているのはトイレだけです。近くに男鹿駅がありますから、こちらに行ってみることにします。
男鹿駅らしきところに到着です。男鹿ステーションギャラリーというのがあります。ステーションと書かれているので駅かなとも思うのですが、はっきりと男鹿駅とは書かれていません。駅ではなさそうです。入口も閉まっていました。
建物の入口横にあったなまはげ像です。男鹿といえばなまはげですね。甑島はトシドンでした。
駅は、この建物から見ると入ってきた道の反対側にあるようです。進んで行くと線路の途切れた先が広場になっていて、その手前に建物があります。ここが男鹿駅のようです。新しい建物です。
ここで何種類かのパンフを入手することができました。なまはげの像もあります。
2階は展望デッキになっています。ホームや線路が見えます。向こうの方に陸橋が見えます。こちらのほうが駅っぽい感じもします。ステーションギャラリーにあったあたりになります。古い駅舎を改装してギャラリーにしたようです。
パンフを見ていると、寒風山というところにあがれば、干拓された八郎潟や男鹿半島が見られるようです。来た道を引き返すことになりますが、そちらの方に向かうことにします。いくつか道はありますがどれも複雑そうなのでカーナビに従うことにします。
道を戻っていると正面に山が見えてきました。これが寒風山なのでしょう。
男鹿駅から寒風山にあがる経路は2つあります。東側から登るのと西側から登るのの違いです。男鹿駅は西側にありますから、東側から登るとすると少し遠回りになるような感じがします。西側からでも道は大きく迂回しているので、どれくらいの差になるかは見当がつきません。カーナビの指示に従って進んで行くことにします。
カーナビが選んだのは東側から登るコースでした。山を登っていくと開けたところに出ました。駐車場があったので入ってみましたが、広場があっていくつかの石碑が立っています。山頂はまだまだのようです。ここはスルーしました。
そのまま進んで行くと峠に出ます。妻恋峠です。ここから、寒風山山頂に行く道が分岐しています。急坂ですが入っていきます。途中に駐車場があります。車でいけるところまで行くことにします。
上に建物があって、その前はロータリーになっています。駐車禁止と書かれています。禁止なのは建物前だけのようで、反対側には駐車区画のような枠線が書かれています。車も1台止まっています。この後に駐めます。
ここから見える景色です。南側には、鳥海山が見えます。朝に比べてだいぶ雲が出てきているようです。
東側です。八郎潟干拓地の調整池が見えています。遠くに見える高い山は森吉山です。
北側です。日本海が見えています。遠くに見える山並は白神山地のようです。
西側です。男鹿の市街地が見えています。駐車場のある峠が嬬恋峠、左側の建物のある所が、いったん車を入れたところになります。
その右側です。手前側に火山っぽい形をした山が見えます。その手前側には噴火口のようなすり鉢型の窪みが見えます。第二火口です。遠くに見える山は、男鹿半島の本山と真山です。
建物の横をまわって建物の上に行く道があります。あがっていくと男鹿半島側の景色がよく見えるようになってきました。先ほどの火口の右側に底が平らで一回り大きな火口が見えてきました。第一火口です。
建物の上には回転展望台というのがあります。周囲にロープが張られているので、近づくことができません。下の建物に回転展望台と書かれていましたから、こちら側から入るのでしょうか。まだ時間が早いためなのか営業はしていませんでした。
見える範囲で景色を楽しみます。岩木山が見えると書かれていました。かすかに見えていました。三角形に飛び出した山です。
大潟村の説明もありました。干拓地にできています。水路がそれを取り囲むように張り巡らされています。
寒風山を下りていきます。嬬恋峠からは、登ってきたときと反対側へ降りることにします。ヘアピンカーブがありますが、その下の火口原に、石を積み上げたピラミッドのようなものが見えます。向きが変わるのでどの方角だったかよくわかりませんでした。気になりますが、調べようがないのでパスすることにしました。
道を下って、第一火口底の横に来たところで、案内板がありました。前に車に踏まれたような空き地があったので、そこに車を入れて何が書かれているか見ることにしました。
案内板には、鬼の隠れ里と書かれています。突き上げてきた溶岩が壊れて崩れ落ちて、積み上がっているとのことです。ここからはそれらしいものは見当たりません。崩れ落ちた岩なら、寒風山の斜面にたくさん見られます。これのことなのでしょうか。
車の轍のような道はあります。戻ってこられるか不安なので、歩いて行くことにします。自転車を出すほどの距離ではないような気がします。
道は緩い登り坂になっているので、先は見えません。200mほど進んだ所から下りになり、遠くが見えるようになりました。正面に、岩が積み上がっているのが見えました。ヘアピンカーブのところで見えていたピラミッドです。まだ半分もきていません。サンダルのままきています。昨晩からこすれて歩きにくくなっています。戻ることも考えましたが、だいぶ時間をロスします。このまま進んで行きます。
この火口原には、ツリガネニンジンの花がたくさん咲いているのが見られます。
ピラミッドに到着です。ここが鬼の隠れ里のようです。地下から塔のように突き上げてきた溶岩が崩れ落ちてこのような形になったそうです。
近づいてみました。周囲は草むらに囲まれていて、サンダルでは足を踏み入れるところがありません。
何とか岩にたどり着きました。岩の一つには念仏が彫られていました。
上にあがってみましたが、突き上げてきた溶岩そのものはどれでどのように落ちたのかまではわかりません。見下ろしてみえた、岩のかたまりです。草の先の岩に水がたまっているのが見えます。弘法大師の硯石というのがあるようです。これのことでしょうか。
ここから見える寒風山山頂です。回転展望台と電波塔があります。
車を駐めたところまで戻ります。その近くには1m位の高まりがいくつかあって岩が積み上がっているのが見えます。これなんかも鬼の隠れ里と同じようにしてできたものなのでしょうか。
寒風山に行く前に、少し悩んだことがあります。鵜ノ崎に褶曲構造があります。これは海食台上にできています。満潮だと海水の下になるので見えることはできません。満潮の時間帯での到着は避けたいものです。満潮は昼前になります。これからすると早い時間の方がいいようです。寒風山に寄らないほうが、早く着けるので条件がいいことになります。鵜ノ崎を先にすると時間のロスが大きくなります。午前中の潮位の変化は、それほどなかったようなので、寒風山を先にしました。この判断はよかったのでしょうか。
寒風山から男鹿駅前を通り過ぎて、鵜ノ崎海岸に到着です。駐車場に車を入れて肝がんに降りて見ます。前年ながら、海面のところどころに岩が出ている状態です。海の向こうには鳥海山が見えています。だいぶ霞んできています。
海岸線に沿って東側です。山並が見えます。大平山から伸びる山々です。この時点でも秋田駒ヶ岳が見えると思っていました。
褶曲構造を確認してみます。東西に延びる海岸線の東側に行ってます。釣り人のいる岩場には地層の模様が見えます。縞模様は右に傾いています。また、地層の面に沿って岩が削られ平らな面が作られているのがわかります。
西に進んでいきます。駐車場の端付近です。地層の模様は見えません。平らな面が見えているようですから、地層はこちら側(北)に傾いているのでしょう。
海岸施設の整備されている端まで来たところです。平らな上面は左側やや手前に向いて傾いています。岩が海に浸かっている境目は30度くらい斜めのようなので、走向はN30Wになります。傾斜は北西に20度といったところでしょうか。
小さな川を越えてさらに先です。左に傾いているのがわかります。岩の並びは沖合に行くにつれて左に曲がっています。
海岸の東側と西側では地層が向き合うように傾いているのがわかります。このような構造を向斜構造といいます。真ん中付近で地層がこちら側をむいていたのは、向斜構造自体がこちらに傾いていたからです。
海岸の堆積物です。小さな石がたくさんあります。平らなものが多いようです。
鵜ノ崎から先に進みます。男鹿駅にあった観光案内板には、少し先で、海岸に丸い石が転がっているとたくさん書かれていました。小豆岩という名前だったかな
それらしいものがないか探しながら走っていると、左カーブを曲がりきったあたりの海岸に丸くなった岩がたくさん転がっているのが見えてきました。近くに駐車場がありません。短時間なので車を道脇に止めて見に行こうとしました。道路の反対側で草刈りをしていた人が何か言っています。聞いてみたら、もっと寄せて駐めるようにということでした。広い路側帯に少しだけ入った状態で駐めていました。少しだけ堤防に近づけておきます。
海面に丸い石が付きだしています。根元は下の岩盤とつながっているのがわかります。紀伊半島では、似たような現象にさらし首構造という名前がつけられていました。
固いところだけが削り残されてできたものです。ここの場合はノジュールだそうです。中に入っている化石などの成分が浸みだして、地層を固くしてできたものです。
ここから見える鵜ノ崎海岸です。
中山海岸から少し進んだ所で、説明板があるのを見つけました。ここも車を駐める所がありません。車を道脇にぴったり寄せて駐めます。見学は、短時間で済ませるようにします。ここもそれほど時間がかからないでしょう。
道路から海側です。防波堤にもたれかかるように岩が取り残されています。食い込ませずにこれだけぎりぎりに防波堤があるのは見事です。
進行前方です。向こうは港になっています。椿漁港です。
沖合方向です。岩礁が伸びています。かすかに鳥海山が見えています。
陸側です。垂直な崖があります。説明板には、火山礫凝灰岩でできている崖で、波の浸食によってできた海食崖と書かれています。この付近は金崎というようです。
進行後方です。崖が続いています。
正面から見た崖です。断層があると書かれていましたが、見つけることはできませんでした。
さらに進んで行きます。こんどは町中の交差点の横に説明板があるのを見つけました。ここも駐車場がありません。三叉路で路側帯の広くなっているところに、車をおいて見に行きました。説明では、椿が育っていて、ここのものは分布域の北限なのだそうです。
見えるところからは、木の葉のある所までは少し離れているのでどれが椿なのかわかりません。
一番椿っぽい木です。写真を拡大して見ると確かに椿でした。案内板にはヤブツバキと書かれています。
次の目的地は、金崎から見えていた椿漁港の向こう側の岬です。山崎といいます。ここの岩石は、火山から噴出した火山灰や石がたまってできたものですが、緑色をしているので、グリーンタフと呼ばれています。緑色の凝灰岩という意味です。似たような岩石は、日本海沿いやフォッサマグナ地域でも見られます。ここの岩石にこの名前がつけられ、各地のものでもこう呼ばれるようになりました。
道路からでも、岬の岩石が緑色をしているのがはっきりとわかります。
公園の向こう側にあります。公園の駐車場が見えるのでそこに車を入れたいのですが、入口がわかりません。一度、通り過ぎてトンネルで岬を行き過ぎてしまいました。引き返して、手前にあった道から入っていきます。岬の手前で車を駐められそうだったので、そこに駐車しました。
防波堤を越えて海岸に降りていきます。岩石の緑色をしている部分です。ここのものは濡れると緑色が濃くなるそうです。
柱のような岩があります。この海岸にはろうそく岩と呼ばれる岩があるそうです。これのことでしょうか。
潮が満ちていて、足元は海の中です。これ以上近づくことはできません。
他にも鬼の足跡とかいろいろと名前のついた岩があるようです。満潮のために、海岸に沿ってこれ以上奧には進む事ができません。残念ながらあきらめるしかありません。
海岸で咲いていた、ナデシコの花です。
これも柱のような形をしています。崖にへばりついています。ずれたようにもなっています。ろうそく岩はこちらではないでしょう。
防波堤に戻り、その上から見た海岸の岩石です。左端の岩が一番青くなっています。グリーンではなく緑青色です。
海岸沿いを走る道路に戻ります。戻り口のところに説明板があります。何かとみると椿の白岩と書かれています。海岸の岩石と同じものだそうです。白いのは、乾燥しているからでしょう。
再びトンネルを越え、振り返って見た、山崎です。ここの岩石は、椿の白岩と同じ様に真っ白です。
漁港で山崎の写真を撮った後は、男鹿半島の周回をさらに続けます。1分も走らないうちに、上に祠の乗っている岩というか島がみえてきました。弁天島です。何の祠はわかりません。祠があるというだけだし渡って行けないということもあり、車を路肩に寄せて写真を写すだけにしました。
次の岬に到着です。道路から岬側に降りたところに車がたくさん駐まっている広場があります。行ってみることにしました。降りる途中に案内板があります。ここは潮瀬崎といい、変わった形の岩がたくさんあると書かれています。正面に見える、二つ並んだ直角三角形の岩は双子岩です。双子岩までは海食台が広がっています。
道路下の堤防の向こうに見えるのは帆掛け島です。
広場に車を駐めます。駐車場として整備されていないようで、大きな石がつきだしていたり、水たまりがあったりします。どこに駐めようか迷っている車もありました。
岬の方に進んで行きます。双子岩の間を通っていきます。案内板には、ここに岩床や岩脈があると書かれています。岩脈はすぐにわかりました。茶色くなっている筋がそれです。火成岩ぽくないような気がします。
岩床は水平にあると書かれています。案内板の図では、岩の下にあるようです。見つけられませんでした。岩脈の下にある岩石は上のものと何となく違っているようです。これなのかも知れません。
山側のようすです。道路沿いに崖があります。それ以外にも斜面の真ん中にも崖のような岩が出ています。このあたりが海岸だった名残でしょうか。
ここの名物は、ゴジラ岩です。これを目的にたくさんの人が来ていたようです。それっぽく見えるところを探していました。これなのかなという感じの岩があります。
裏側にまわってみると、全然ゴジラっぽくありません。
足元の水たまりには、かめ穴ができています。
もう一つ亀岩というのもあります。写真は灯台が乗っている岩が示されていました。これのようですが、どう見立てれば亀になるのでしょうか。
潮瀬崎にはたくさんの観光客がきていました。そのほとんどの人の目当ては、ゴジラ岩でした。それ以外の岩には全く興味を示していませんでした。ゴジラらしいものを見ると帰って行きます。他に釣をしている人達もいます。
ここには、今までにあげた以外にもう一つ、ゴジラのしっぽ岩というのがあります。地層ができたときに地震が起こり、液状化現象にともなって地層中の泥の層が地層の割れ目を伝わって上がったものが、浸食で取り残されてできたもののようです。足元をよく見ると、それと同じようなものがところどころに見られます。
はっきりとしっぽ岩とわかるものは見当たりません。案内図も大雑把に書かれているので、正確にどこなのかはっきりしません。灯台のあった亀岩にあがってみると見渡せるのではないかと考え、行ってみることにしました。
亀岩の灯台への上がり口から見た灯台です。
亀岩の上にあがってみました。そこから満た潮瀬崎の入口方向です。真ん中と右端に双子岩が並んでいます。
さすがに上からだとよくわかります。すぐに見つけることができました。そこに行くまでの間に、大きな溝があります。これを越えるのは大変そうです。通れそうなところも確認してからいきます。
ゴジラのしっぽ岩です。しっぽについているひれのようなものでしょうか。ディメトロドン型です。ゴジラはぎざぎざのあるステゴザウルス型のような...。
しっぽ岩から見た亀岩です。どこが亀なんだろう。
ここから引き返す途中に見たゴジラ岩です。正面から見ると全然ゴジラに見えません。
下を通りぬけたときに見ると、だいぶゴジラの顔らしくなっています。
ちょっと離れてみます。これならゴジラといっても許せるかな。
少し離れたところに、ガメラ岩というのがあるそうです。コケで緑色をしているのが特徴だそうです。車で道路に戻って、少し進んだ所から眼下の岩場を見ると緑色の岩が見えます。ガメラ岩ってこれのことでしょうか。
潮瀬崎を過ぎると、男鹿半島の西海岸にまわり、道は北に向かって進むようになります。案内図に次にあると書かれているのは、赤神神社五社堂です。ここを目指していくことにします。
それらしいあたりに集落があって、大きな駐車場があります。ここかなと思って車を入れて駐めました。大きななまはげ像があります。
バス停があってみると門前と書かれています。門前というのは、この付近にたくさんの寺院があった名残だとか。
案内図もあります。それによるとここから五社堂へあがっていく道が書かれています。かなりの坂のようです。このまま道を進んで1kmほどいったところに駐車場がありそこからだと登る高さは半分以下で済むようです。そこまで車を移動させます。
ヘアピンカーブを登った先に駐車場はありました。そこに車を入れます。奧に遊歩道の入口があって、進んで行くと鳥居の前に出ます。
鳥居の横には塔があります。宝篋印塔だそうです。奥の看板には徐福塚があると書かれています。最初はどれかわかりませんでした。手前に見える石碑のようです。
ここからさき、道らしきものがないので少し迷いました。鳥居の先の階段を上がっていけばいいと気づき登っていきました。道脇ではノカンゾウの花が咲いていました。ひょっとしてニッコウキスゲかも。
ここから乱雑に積まれた石段が続きます。999段あるそうです。といってもどれを数えたらいいのか迷います。段数は何回数えても違ってきそうです。
伝説では、鬼に一晩で石段を千段積み上げたら○○ということで、はじめさせたものの夜明け前にできてしまいそうになったので、ニワトリの声をまねたところ慌てて逃げ帰ったということです。似たような話は他のところでも聞いたことがあります。
石段を登りきったところにあった池というか水たまりです。御手洗の池といいます。
こちらは姿見の井戸です。水面に姿が写らないと先は長くないという伝説があるそうです。
思ったより生ぬるい水でした。
ここから一段上がったところが広場になっています。長床があったそうです。その上に5つの社があります。
左端の社です。赤神権現堂というようです。
手前にある石碑です。月山湯殿山鳥海山と書かれています。鳥海山の代わりに羽黒山が入れば出羽三山になります。
左から順番にお参りし、右側から降りてきたところにある杉の木です。このあたりに逆さ杉というのがあったそうです。鬼が逃げるときに、近くにあった杉の木を引っこ抜いて逆さまに突き刺したといういわれがあります。
石段を降り駐車場に戻ります。道路を渡ったところから見える潮瀬崎です。亀岩と灯台ははっきりと見えます。
五社堂の駐車場からは、男鹿半島の西海岸に沿って北上していくことになります。切り立った断崖が続いているようです。いったん登った高さから緩い登り坂で道が続いています。
しばらく走っていると、左側に駐車場が見えてきました。何かの説明板があります。中に入って何なのかを見ることにしました。
書かれていたのは、舞台島があるということです。探してみました。沖合に島が見えます。舞台というには小さいようです。
ここから北側の岩場にいくつか島が見えています。上面が平らな島もあります。これなのかなということにしておきます。
実際には、写真の右側にある崖の上面が平らになっていて、そこを舞台島といういうようです。ここで巫女が舞を舞ったという言い伝えがあります。島という名前に惑わされていました。
説明板の横には、菅江真澄の道と書かれた標柱があります。ここまででも何カ所かで見かけました。ここのものは蝙蝠の窟と書かれています。これについての説明は見つけられませんでした。
その足元で咲いていた花です。シシウドのようですが、丈が小さいようです。
次に進みます。大桟橋と書かれているところから下に降りる道があってその先が駐車場になっています。芦の倉駐車場と書かれています。
ここからは南側に鳥海山が見えました。だいぶ雲が多くなってきているようです。
眼下には大桟橋があります。岩が橋のように削り残されています。
北側の海岸線方向です。蓬莱島とか剣崎があります。蓬莱島はその色から桜島ともいいます。大きな建物がみえています。ホテルでしょう。
芦の倉駐車場の次は白糸の滝駐車場でした。白糸の滝は海からでしか見えないそうです。近くにある小川の所まで行ってみました。藪の中で水の流れが見えるところはほんのわずかです。この先は断崖になっているので、そのまま滝となって落下しているのでしょう。
白糸の滝駐車場あたりから、緩やかな下り坂が中心の道になっています。2kmほど進んだ所に、説明板のある駐車場があります。入っていきました。
カンカネ洞駐車場と書かれています。北側に見えるのは青砂集落です。カンカネ洞はこの湾の手前入口側の海岸沿いにあります。見た感じでは駐車場はなさそうです。カンカネ洞は興味があるのですが、パスすることにします。
北上を続けます。青砂集落の上を通り過ぎ少し進んだ所から広場に降りる道がありました。入っていったのですが、ホテルの敷地内のようです。芦の倉駐車場から見えていた建物です。ホテルには用がないので止めていいのかどうかわかりません。退散することにします。でる前に正面に見えていた崖だけ写真に撮りました。不思議な構造をしています。
北上する道路に戻って進んで行きます。しばらくの間は海岸の斜面の道です。ヘアピンカーブを2回まわって海岸の高さまで降りていきます。広い駐車場があるので車を入れてようすを見ることにしました。
駐車場から海側です。赤紫色の不思議な岩でできています。流紋岩の一種でしょう。ゲド鼻というようです。沖合に戸賀灯台のある宮島も見えています。ここからだと陸続きのようにも見えます。
北側は大きな入り江になってるようです。向こう側の陸地まではだいぶ離れています。
駐車場の南側です。男鹿水族館があります。今日はだいぶ遅くなっていますので、見学はパスします。
駐車場の真ん中くらいのところの海側にあった岩石です。今までのものとは何となく様子が違います。
水族館横の岩場です。丸い物の載った柱が見えます。GPS測位器に似ています。検潮所がありますからそれに付属のものでしょう。
駐車場の真ん中に大きな岩が残されています。固そうな岩ですが、落石注意と書かれています。見かけより壊れやすいのでしょうか。柵があって近寄ることはできません。
男鹿水族館に着いた時点で正午をまわっています。この後、白神十二湖にも行きたいので、男鹿半島で時間を使う余裕はほとんどありません。北端の入道崎をまわっていくつもりでいましたが、時間的には無理なようです。この先の戸賀集落から山越えをして反対側にぬけることにします。
といっても、この近くにある目潟は見ておきたいので、それが見えるという八望台に行くことにします。山越えの途中にあります。道が複雑そうですから、カーナビに頼ることにします。時々、感覚とは反対の方向に指示が出ます。それでも八望台に到着しました。元有料道路沿いにあるので、その入口をまわっていたようです。
駐車場から奧の方に一の目潟があります。探したのですがそれらしいものは見つけられません。
展望台があります。上がってみます。二の目潟と奧に大きな湾が見えます。戸賀湾です。どちらも、マグマが上昇してきた時に地表の岩石を吹き飛ばしてできた火口跡です。爆裂火口といいます。英語ではマールです。
再び一の目潟を探します。標識のある所からでも、見つけることができません。
展望台からは、他に見えるものも書かれています。これは真山と本山です。本山は男鹿半島の最高峰で、標高は715mです。
寒風山も見えています。
もう一度、一の目潟を探してみたところわずかに水面を見つけることができました。
視線を上に上げると、白神山地が見えます。一の目潟の位置は土が露出しているところでわかります。
やや右側です。能代の海岸線沿いにたくさんの風車が並んでいるのが見えます。これからこちらの方に行くことになります。
八望台から山を降りて、海岸と平行に走る道に入ります。この道は、入道崎寒風山線と言うようです。寒風山の方に向かっているようです。前方に寒風山が見えることもあります。元に引き返しているようですが、途中で道が分かれて目的地方向に向かうことはわかっていますからこのまま進みます。
能代の方に進む国道に入りそのまま進んでいきます。小高い丘が見えます。そこの松の木が陸側に傾いているように見えます。車を止めて証拠写真を撮ったのですが、傾いている木にあわせてしまいました。実際は地面の方が水平です。
このあたりの丘は、古い砂丘のようです。ところどころで砂を取っているようです。大きく削られたところがあります。
能代の手前で、青森の方から来る国道と合流します。さらに進みます。能代を過ぎて八峰町に入ったところで、道の駅がありましたので休憩することにしました。道の駅みねはまです。ここでも観光資料は入手できませんでした。ここで梨とブドウ、トマトを買いました。ちょっとした間に食べる事ができます。
ここの横は公園になっています。ポンポコ山という名前がつけられています。
公園は砂丘の上に作られています。砂丘らしいところが見られるかと思いはいっていきましたが、あるのは公園施設だけでした。次に進む事にします。
次に見えてきたのは鹿の浦展望所です。入ってみました。ここから見える南側の海岸線です。
海岸から離れたところに男鹿半島も見えています。もうかなり遠くまでやってきたようです。
北側です。白神山地が見えています。こちらはだいぶ近くなったようです。
一番手前の入り江にある砂浜です。黒い砂がたまっています。砂鉄でしょうか。
その先の岬です。柱状節理のある岩が見えています。
山側です。斜面の木々が茶色く変色しています。まだ紅葉には早いようです。枯れているのでしょうか。
鹿の浦を出て、八峰町を北上していきます。しばらくいくと、岩館漁港への分岐がありました。こちらの方に進んで行くことにします。町の中を通りぬけ、ヘアピンカーブで高台から海岸に下りたところでT字路になっています。左に進むと方角的には引き返すことになります。右に進む事にしました。だんだん町から離れていきます。漁港はこちらではなかったようです。
道の真ん中に岩が取り残されているところがあり、その先に車止めがあります。ここでいったん車を止めることにします。ついでに海岸を見ておきます。物見岩がある所です。大きな岩があります。
ここからどうするか考えます。脇道に入ってからだいぶきています。引き返すとなると大きく戻らないといけません。カーナビの地図を確認すると道はこの先ずっと続いています。少しいったところで、斜面を登り、灯台の横を通れば元の国道に出ることができそうです。道が狭くなっているのでいけるかどうか不安になります。けっきょくまっすぐいくことにしました。
少し進んだ所に説明板がありました。その前に車を止めて読みに行きます。色あせているので読みにくいのですが、ベースサージと書かれています。見に行くことにします。
海岸に降りてそれらしいものを探します。何となく普通の岩に見えます。
南側は、遠くの方を見わたしても、これとあまり変わりがないようです。
反対側に降りて、足元の石を見るとそれらしいものが見えます。平行に細かく筋が入っているのが特徴です。
その先の岩を見ると、同じ縞模様が見えました。これが、ベースサージです。海岸や浅い海底で火山のマグマが上昇してくると、小爆発(といってもかなり激しいものです)を何回も繰り返します。その時に砕かれた岩片が、横殴りの突風に乗って飛ばされてきます。この突風をベースサージといいます。
先に進みます。すぐに斜面を登る道がありました。登っていくとその先に灯台が見えてきます。ちごき崎灯台です。
灯台のまわりの草原は、ツリガネニンジンでいっぱいです。
灯台の海側から北側を眺めてみました。岩場が続いています。先に見えるの須郷岬です。
車を進めます。すぐに国道に出ました。左折し北上を続けます。道の駅八森が見えてきました。ここに車を入れます。
御殿水があるとも書かれていました。道の駅の北側にある建物の裏にあります。名前は、津軽藩のお殿様が参勤交代の途中にここの水を飲んで褒め称えたことに由来しているそうです。
先ほど見えていた須郷岬を過ぎると、八峰町から深浦町に入ります。白神十二湖や今日泊まる予定の宿がある町です。時刻は3時をまわっています。ちょっと遅いかなというぐらいです、まわる場所が制約されますが、何とか遅れずに宿に着けそうです。
道路横に駐車帯があって、海が見られそうだったので、止めて見てみました。岩場が見えます。まだだいぶ高いところにいます。海岸には降りられないようです。
上を五能線の列車が速度を落として走っていきます。窓の中では、スマホがこちら側に向かって一斉に並んでいるのがみえます。
北側です。海岸の岩場はまだまだ続いています。上には五能線の橋梁も見えます。
さらに進んで行きます。十二湖への分岐の標識がありました。入っていきます。日本キャニオン駐車場の前を通ります。ここも見ていると時間が足りないかも知れません。一度きていますから、後回しにする事にします。時間が足りなければ、明日の朝にくるというのもあります。
通り過ぎた先は分岐路になっています。工事をしていて、どちらに進むのかを聞かれました。どちらなのかよくわかっていません。とりあえずはビジターセンターで資料を入手しようと考えています。右だと教えてくれたので、その通り進んで行きます。
十二湖ビジターセンターに到着しました。
十二湖の自然についての紹介とかが展示されています。簡単に見た後、散策マップをいただきました。
ビジターセンターの前に越口の池があります。間に木が生い茂っていて、よく見えません。
横にイトウを養殖しているところがあります。たくさんのイトウが泳いでいます。北海道にいる魚です。
同じくイトウです。
ここからは越口の池がよく見えます。
ビジターセンターから、道路に沿って池がたくさん並んでいます。車を駐めたまま散策するか、この先の駐車場まで車で行ってそこから散策するか、二つの方法があります。標準コースとして、この先の駐車場から散策するコースが書かれていますから、これに従うことにします。
ここの駐車場は有料です。支払いは、物産館のレジです。前に車を止めて、支払いにいきます。先に駐車場に入れてからでもよかったようです。それにしても、ビジターセンターからここまでの間で有料になるのはどういう違いなのでしょうか。
駐車場から少し引き返したところにあるのが、鶏頭場の池です。道路からでは林の向こうなのでよく見えません。
道路から池の方に行く遊歩道があります。入っていくと道の両側に池が見えてきます。その先には東屋があります。ここから見た左側の池です。水面は鏡のように真平らです。
右側です。池に崩山が写っています。斜面に大きな崖があります。ここか崩れ落ちたというのが名前の由来でしょうか。
両側の池の名前が知りたいのですが、どこにも書いていません。左側は位置関係からすると、鶏頭場の池でしょう、右側はよくわかりません。
元の道に戻って、進んで行くと再び池が見えてきました。鶏頭場の池と書かれています。東屋の先で池はつながっていたようです。
池の周りにある樹木です。ブナの木が多いようです。白神山地はブナ林で知られています。
鶏頭場の池は大きな池です。なかなか端までたどり着きません。
やっと端までたどり着きました。見ているとカイツブリがいました。写真を撮ろうとねらったのですが、あがってきません。あきらめてしまいました。
道はここで池から離れて坂になっています。登っていった先にあるのが青池です。
うわさ通り池の水は青い色をしています。展望所があってそこから池が見られるようになっています。
展望所の上に遊歩道があります。そこから見た青池です。
案内図にはお勧めモデルコースとして、駐車場を大回りして一周するコースが書かれています。コースタイムは約1時間です。このコースを行くことにします。展望所の上の遊歩道をさらに登っていきます。こちら側に来ると今までたくさんいた人が急にいなくなりました。ほとんどの人は青池を見たら引き返しているようです。
道脇の木にキノコがついていました。マイタケのようにも見えます。
登っていった先で、広い尾根道に出ます。森林セラピーロードというのを進んで行きます。ブナ林の中にある気持ちのいい道です。
200mほど進んだ所で、再び山道に入って下って行きます。この先には沸壺の池があります。
この池の水も青い色をしています。周囲に木が多くて全体を見渡せないのが残念です。
山道を更に下っていくと広い道路に出ます。ビジターセンターから有料駐車場に向かう道です。この正面に落口の池が見えます。
モデルコースは十二湖庵までビジターセンターの方に向かうことになっています。ここから見た落口の池です。右から池に水が流れ込んでいます。
落口の池中心部方向です。ここの水面も鏡のようになって、山を写しています。
正面方向です。山がはっきり写りすぎてどこが池なのかわかりづらくなっています。
落口の池の端まで来ました。ここから池の水が川となって流れだしています。
モデルコースでは、十二湖庵からは引き返すことになっています。このまま真っ直ぐ進んで行くと、その先に中の池があります。まだ見ていませんからここまでは行って見ることにします。
中の池にはすぐに到着しました。この池の周囲も木がたくさんあって、池は見えないようです。何とか木の間から見えた池です。
カルガモが泳いでいるのが見えます。
この池の周囲で目立っていたのが、アオモリヒバです。
中の池から進んで行くと500mほどでビジターセンターに着きます。ここは見ていますから行かずに、引き返すことにします。
落口の池近くまで戻ったところの道路脇にはオオバギボウシが咲いていました。
十二湖庵まで戻ってきました。この前にあるのが、沸壺池の流水です。平成の名水百選と書かれています。
位置関係をよく考えたら、この上は沸壺の池があります。そこからあの青い色をした水が流れてきているようです。
来るまで走った道を駐車場まで戻ります。途中に、がま池と書かれた標識があります。ここに入っていくと、その先に小さな池が見えてきました。だいぶ薄暗くなってきています。何かに固定して写さないとぶれてしまいます。
駐車場まで戻り来た道を引き返していきます。ビジターセンターを過ぎて少し行くと三叉路に出ます。ここの右側に池が見えます。バス停があって王池前と書かれています。この道路沿いで道脇が広くなっている所があるので、そこに車を止めて簡単に見ていくことにします。
見えた王池です。正面に太陽が入ってきます。だいぶ低くなってきていて、まぶしいくらいです。
少し進んだ所にも池が見えてきました。これも王池のようです。王池は真ん中で狭くなっているところがあって、西側と東側にわけられるようです。こちらは西側になります。
右側の道を取り更に進んで行くと別の三叉路に出ます。交通整理員がいたところです。ここは左に曲がらずに、右の道を取ります。
山を下っていきます。大きな施設のあるところを過ぎます。ここは、はじめに泊まれないか調べた場所です。通り過ぎるとその先に橋があります。親柱の代わりに人形が札を持っています。ふれあい橋と書かれています。
30分ほどで宿のある椿山に到着です。駅があって、ちょうど列車が入ってきたところです。日の光の色が変わってきて、横からあたるようになっています。
フロントのある建物を探しますが、どれかわかりません。土産物屋さんのある建物で場所を聞きました。ちょうどここから展望台にあがるモノレールが発車するところでした。
フロントに行きチェックインをすませます。宿泊費は前払いしていましたが、入湯税だけはまだだったようです。これだけを支払います。
夕陽の見えるところがないか聞いたところ、展望台から見えるが、そこに行く乗り物の最終便が出た後だとのこと、先ほどのがそうだったようです。別の場所を教えてもらいました。
宿泊棟は別の所にあります。フロントのある建物の前から道を探しながらゆっくり走っていると、マイクロバスが後ろからやってきました。トロトロ走るのは邪魔になります。先の脇道で車を寄せ、先に行ってもらいます。きすぎていたようなので引き返して宿泊棟のある道に入っていきました。
棟の駐車場の前でバーベキューを始めた人がいます。車の向きを変えるのに都合のいい場所に車が駐まっています。結局何回も切り返して車を駐車場に入れました。
荷物を置いて夕陽を見に行きます。車を出すときもバーベキューの場所にひっかかります。このあたりのことはあまり考えていないようです。といっても、近くではここ以外には場所はありません。バーベキューは、宿の宿泊プランの中にあるようです。
夕陽の場所に行きます。いわれた場所に車が1台駐まっています。行き過ぎて車をターンさせて、先の開いているところに寄せて止めます。
見晴らしのいいところに行って夕陽を見ます。ここから見える椿山です。
夕陽です。だいぶ低くなっています。もうすぐ日没です。
道の奧にある宿泊棟にいる合宿生のような人達が走って通り過ぎていきます。何回か行き来している間に、夕陽のことに気がついて、見入り始めました。スマホで写真を撮ろうとしています。
背後の林です。木々の幹が赤く染まっています。
見ている内に、太陽が半分ほど水平線にはいってきました。
太陽が小さいので、望遠レンズに換えようとカバンを見て、次に頭を上げたときには日は沈んでしまっていました。太陽は全く見えません。
こういうものは早くからどのようにするか考えておかないといけないようです。
夕陽を見終わった後は、星を見る場所をチェックしに行きます。あらかじめ調べてわかっていたのは、主要施設のある付近は空が開けています。照明がどの程度あるのか心配です。温泉施設の下に、駐車場のような広場があります。ここも使えそうです。
実際に見たところ、主要施設のあるところは照明がたくさんあります。明るそうです。温泉施設の下の広場は、温泉施設の明かりしかありません。問題は、ここに行く道が狭く車がすれ違えそうもないことです。ほとんど車は通らないでしょう。観測場所はここになりそうです。
決まったところで、夕食を食べに車で行きます。別の建物にあります。終わってから、いったん宿泊棟に戻り、必要な荷物を持って車で駐車場に向かいます。
空を見ると、雲がたくさん出ていて流れています。星の見えるところが、逐一変わります。望遠鏡を出しても、何かあるところが見えているとは限りません。向きを変えるのも時間がかかります。北極星も見えたり隠れたりしています。セッティングができそうもないので望遠鏡は出さないことにします。カメラ用の赤道儀も同じです。
アストロトレーサーというものを試してみることにします。使用できるように事前準備をします。機器についているLEDの明かりがまぶしいくらいです。暗くする何かをつければ何とかなるでしょう。
撮影を始めて見ました。上の方にカメラを向けて写します。ベガが写っています。70秒ほど露出したのですが、全然流れていません。じゅうぶん使えそうです。暗いのが気になります。雲が出ているからでしょうか。
100秒ほど露出してみました。上半分はほとんど星は写っていません。雲がかかっているのでしょう。下半分に細かい星がいっぱい写っています。これでは、星座の場所はわかりません。
北斗七星です。柄杓が水をこぼさないよう上を向いています。緯度が高いとこのような形になります。70秒露出です。
北斗星柄の先の延長です。アークツルスは写っていません。露出は200秒です。
上の方の星座です。はくちょう座おしりとりゅう座ケフェウス座が写っています。雲も写り込み始めています。210秒露出です。
カシオペア座です。明るいところは雲です。流れているのがわかります。90秒露出です。
雲が広がってきて、撮影できそうなところはなくなってきました。ここで打ち止めとします。
アストロトレーサーはじゅうぶんに使えることがわかりました。今後の撮影に使うことにします。これからは、重たい赤道儀を持ち歩かなくて済みそうです。
朝はいつも通り、周辺の散策にでます。行き先としては、昨晩星を見ていた先に椿山というところがあります。名前からして椿が生育しているようですが、昨日ずっと南の男鹿半島で自生北限地というのがありました。これが正しいのなら、この付近では椿は自生していないはずです。このあたりもひっかかっています。
泊まっていた建物からいったん外の道路に出ます。正面にはいくつかの建物が見えます。コテージ風の宿泊棟です。ちなみに泊まっていたのはゲストハウスという建物です。
道路脇ではマツヨイグサが咲いていました。別名月見草です。
狭いと思っていた道に入ります。実際には、道路幅は十分あるのですが、両脇から草がせり出してきて、車がやっと通れる幅しか、開いていなかっただけです。
道脇に骨が散らばっていました。シカの脊椎骨かなと思われます。イノシシとどこが違うかといわれても困りますが...。
駐車場の先から、海に突き出しているところが椿山です。
駐車場のところに、椿の自生地保護のために立入禁止と書かれていました。まだ椿山には入っていませんから、この先で立入禁止と解釈して進んで行くことにしました。道は下り坂で、鞍部のようなところにでます。そこから見た左(南)側の海岸です。浅瀬の岩石に地層のような縞模様が見えています。
こちら側の海岸に降りて見ることにしました。そこから見た南側の海岸です。上に見える建物は、温泉施設です。
海岸から降りてきた尾根方向を見たところです。茶色く変色しているところが2ヵ所あります。温泉が湧き出しているようです。上の温泉施設は海岸で湧き出した温泉を利用していると書かれていました。温泉水を汲み上げるためのような施設もあり、パイプも伸びています。
海岸に降りると、陸側に続く崖にはきれいな地層が見えてきます。地層の作る筋を見ると、ところどころでつながっていないように見えます。こういう所には断層があるのがふつうですが、見ていてもどのようにずれているのかがよくわかりません。この写真でも、中央左の三角形の部分とその右上にある部分と間で地層のどことどこが同じなのか判断に迷います。
地層中の白いところは凝灰岩層です。これを見ることにします。右に傾斜していますから、右の方に行けば低い所で見ることができます。右の方に行きます。
途中から海岸に木片の散乱がひどくなっています。岩をまわろうとした、その先で船の甲板のようなものが横たわっていて、通りぬけることができません。難破した船の残骸がこの付近一帯に散らばっているようです。
何とか迂回して、進んで行くと、海岸近くまでに凝灰岩が降りて生きているところにたどり着きました。一番下の白いところがそれなのですが、崖の真ん中あたりも別の凝灰岩層が見えています。ここには凝灰岩層が2枚あったようです。
振り返って見るとここにつながる凝灰岩層の上に、もう1枚白い筋がつながってきていることがわかります。
凝灰岩層に近づいてみました。粒度の細かい凝灰岩です。
ずっと先にも、もう1枚の凝灰岩が手に届くところに見えています。上の礫層に削られてなくなっているところがあります。岬のような所では、海面近くで再び露出しています。
海岸近くで見た凝灰岩層の上部です。丸い粒が集まっているところがあります。この粒は火山豆石といいます。あられと同じようなしくみで、空中で火山灰が団子状になったものです。
ここから先には進む事ができません。引き返すことにします。途中でわら人形が落ちているのを見つけました。何かの行事に使ったものでしょう。決して呪いの道具ではないでしょう。
椿山の斜面を見ると、断層のような窪みも見えます。地層は水平に近いので、地層の浸食の差によってできたものではなさそうです。
海岸から椿山への鞍部に戻ります。海岸から見ると鞍部というより峠に見えます。ここから椿山に行く道脇には2つ目の立入禁止の看板がありました。この先は、椿山になるので、指示に従うことにします。といっても、椿の木が気になります。先に鳥居が見えていてその向こうが林になっています。ここにありそうですが、この位置からだと遠すぎて他の木と区別がつきません。
鞍部から、北側にも海が見えます。草が生い茂っていて降りにくそうだったのですが、よく見るとこちら側にも道がついています。降りて見ました。
海岸に降りて左の椿山側の崖です。礫岩層が見えています。泥流堆積物のようにも見えます。
右側の海岸です。ちょっと大きめの石が積み上がっています。南側に比べて、漂着物は少ないようです。どちらかというと、南側の方が難破船の影響で多かっただけなのかも知れません。先には崖が続いています。
陸地側のようすです。なだらかな丘のように見えます。上に温泉施設が見えています。
右側の端までいってみました。大きな岩が転がっていて歩きにくくなっています。上から崩れ落ちたものが積み重なっているようにも見えます。
岩の中にはきれいな流理構造のあるものもあります。岩石種は流紋岩です。崖の岩石は礫岩のようです。高いところから落ちてきたものなのか運ばれてきた物なのかどちらなのでしょう。
泊まっていた建物のある所に引き返すことにします。再び草むらの中の道を通っていきます。道脇に咲いていた花です。ミソハギかな?
ゲンノショウコもありました。
クサフジです。穂は垂れ下がらず、上向きです。
ずっと山側です。展望塔と風車が見えています。昨晩は到着が遅く、夕陽を見るためにあがることはできませんでした。手前の草むらは、クズが生い茂っています。ススキも穂を出しています。他にセリの仲間に花もたくさん咲いていました。種類までわからないので、省略です。
朝食の時間が近づいています。施設のある所まで戻ります。途中の道路脇にリスがでているのを見たのですが、カメラのレンズを換えようとしている間にいなくなってしまいました。とりあえずの1枚を執っておくのを忘れていました。以前は、望遠レンズをつけて歩くことにしていましたが、中望遠までのズームレンズにしてからはそれもしていませんでした。
宿泊棟に戻って、少し休んでからレストランのある建物に歩いて行くことにします。まず、受付のある建物の前を通ります。ここは昆虫館を併設しています。その建物です。
ここから駅が見えます。その向こうにSLがおかれています。車体番号は78653と書かれています。
レストランのある建物です。その向こうのドームのある建物が温泉施設です。オレンジ色の服を着ている人がいます。温泉施設からの帰りのようです。この服がこの宿泊施設の部屋着(寝間着?)になります。これで外を歩く気にはなれませんが、たくさんの人がこれを着て歩いています。
食事をすませて戻っていく途中で、キノコを見つけました。相変わらず種類までわかりませんが、きれいなフェアリーリングになっています。妖精のダンスともいいます。
宿泊棟に戻り出発の準備をすませて、受付にチェックアウトをすませにいきます。宿泊棟から、道路をでたところに灯台があると書かれていました。距離がだいぶありそうだったので、朝の散歩には行っていません。車ならすぐだろうと思いチェックアウトの前に行ってみることにしました。
すぐにつくと思っていたのですが、だいぶ走りました。施設のある敷地内を公道が通りぬけていたようです。昨晩、後からマイクロバスがきたのもそのためだったのでしょう。この先には有名な温泉地がありました。
何とか灯台に到着です。車を駐める所がありません。強引に入口横に駐めて見に行きました。舮作崎灯台です。
宿と灯台の間の真ん中くらいの所に、駐車場のある広場があります。海が見られそうなので寄ってみました。
そこからの海岸線です。切り立った岩場になっています。
直下には岩床がたくさんあります。鳥の糞で白いシミになっている所が見えます。ウミウかウミネコの休憩場所なのでしょうか。
鳥の鳴き声がします。探してみると眼下の岩場の上に2羽の鳥がいました。ミサゴのようです。飛び立とうとする雰囲気はありません。岩の上の木の枝の散らばり具合からすると巣のようにも見えます。幼鳥なのでしょか。
望遠レンズは車の中です。取りに戻りましたが、ここでもとりあえずの1枚を撮り忘れています。どこかへ行かないだろうという判断したのもあります。撮っておいた方が良かったでしょう。
宿の受付に戻ります。部屋からここまで長い寄り道でした。鍵を返しチェックアウトをすませます。すぐに出発です。まずは、昨日見損ねた、日本キャニオンに行きます。その後は、戻ってきて日本海に沿って北上していきます。亀ヶ岡遺跡まで行ったら、三内丸山遺跡に向かって、宿を予約している八甲田山に向かって、ちょうどいいくらいの時間になると見ています。
昨日来た道を引き返していきます。正面には時々白神山地のような山が見えます。高台から海岸の高さに降りる手前に駐車帯があったので、ここに車を入れてゆっくり眺めていきます。といってもここからでも木がさえぎっていて、よく見えるところは少ないようです。
南下を続けます。昨日十二湖に入った道からあがっていくことにします。進んで行くと十二湖駅の前を通過します。昨日はここは通っていません。
十二湖への道に入ってすぐに、日本キャニオンの駐車場に着きます。ここから、山道を歩いて10分ちょっとで展望所に到着です。展望所からの日本キャニオンです。展望所の前には柵がなく、その先は深い崖になっています。転落防止のためにロープが張ってあります。何重にも貼られているので、写り込まないようにするのに苦労します。
キャニオンの岩石です。凝灰岩です。もろくて崩れやすそうな岩質のようです。
右側にも続いていますが、こちらは何とか崩れずに持ちこたえているようです。
この先に日暮の池があると書かれていました。ここまできたついでに寄ってみることにしました。途中、急な斜面を横切るような形で道がつけられているところがありました。崩れやすい岩石のようで、崖には土留めの処理がしています。日本キャニオンの凝灰岩と同じものがここに露出しているようです。白っぽい色をした土も見えています。
峠を越え、山道を下って開けてきたところで、ガイドに導かれた中学生のような団体に追いつきました。すぐ先で停まって、説明が始まりました。ブナの木の根元にマイタケが生えているということです。この木は、キノコがついたことで急速に衰えて枯れてしまったそうです。
説明をしている間に、先に行かせてもらうことにしました。日暮の池に到着です。林の中なので、池はよく見えません。ここから池を回る道がついています。一周しているようです。右の道を取って左回りに回ることにしました。
すぐに、別の中学生のようなグループに追いつきました。しばらく後について歩きます。なかなか追い越せるチャンスがやってきません。分岐点にきて、これから行く道と歩き方についての説明が始まります。終わって、そちらの方に進んで行きました。先には小夜の池と影坂の池があるようです。こちらに行けば中学生の後をつけていくとになります。池を見たいのもありますが、どれくらいかかるかわかりませんから。パスすることにして、真っ直ぐ進んで行きます。
更に進んで行くと広い道に出ました。この道を池に沿って周回を続けます。相変わらず日暮の池がはっきり見えるところはありません。
少し進んだ所で、右側に八光の池と書かれた看板があります。そこから木の間をのぞくと確かに池があります。これが八光の池なのでしょう。
道を進んでいきます。池の端まで来たようです。結局、日暮の池がはっきり見えるところはありませんでした。このまま真っ直ぐ進んで行くと王池にでると書かれています。昨日見ています。左に、山道がついていますからこちらに入っていくことにします。
すぐに、池に降りられる所にでました。ここからの日暮の池です。正面は大崩と崩山です。この山の上から見える池の数が12こということで「十二湖」という名前がつけられたそうです。池に映る山を撮りたかったのですが、角度があわずできませんでした。
池の縁です。ふだんより水位が下がっているようです。
そのまま進んで行くと、池の周回路に入った所にでました。そこから来た道を引き返していきます。マイタケのついたブナの木の横を通ります。これで駐車場に戻れる道であることが確定しました。
日本キャニオン展望所近くまで戻ったところで、向こうから来た人に日暮の池は遠いのかと聞かれました。駐車場からの倍はあると答えると引き返すことにしたようです。キャニオンの駐車場まで、タクシーで来てバスの時間までこの付近を見学するつもりでいたようです。そのまますすんで、青池まで行くという方法もありました。バスの待ち合わせの時間までかなりの所までいけそうです。
戻りながら話をしている間にわかった事です。車でまわっているそうです。きょうは、五能線の観光列車に乗るつもりなので、別の所に車をおいて列車でここまで来て時間にあわせて観光しているそうです。よく考えてみたら、今乗っている車もそれができるようにと買ったものです。まだそれに使ったことがありません。今は荷台が自転車や望遠鏡が入っていっぱいなので、寝る場所をどう確保するかが問題です。
日本キャニオン駐車場から来た道を引き返していきます。十二湖駅前では、たくさんの人がバス待ちをしていました。向こうからバスがやってくるのが見えます。駅舎の方にいる人は道路を渡らないとバスに乗れません。間に合うように先に渡ってもらいました。
そのまま進んで、宿のあったところも通り過ぎます。そのまま何か観光地がないかとみていると行合崎の看板がありました。そちらの方に入っていきます。線路を越える手前に駐車場があります。岬はまだ先です。できるだけ近くでということで進んで行くと、漁港の方に下りて行きます。返って遠くなるので、元の駐車場まで引き返します。
駐車場に車を入れ歩いて行きます。五能線の線路を越えます。上から見た線路です。左側の広いところが駐車場です。
線路を越えると丘の上にあがっていく小径があります。ここに入って登り切ると広場のような所にでます。ここから見た北東側に伸びる海岸線です。
行合崎の先端方向です。先に行くほど岩が多くなっています。
行合崎は上面が平らになっていて、一帯に草地が広がっているのが特徴です。海岸に自然にこのような草地がある所は少ないようです。様々な草が見られると書かれています。そのわりに目立っているのはススキのようです。
南側に続く海岸です。大岩とか名前のついた岩がいくつかあるようです。
岬の先端部に近づいてきました。白っぽい色をした岩が露出しています。柱状節理のようなものも見られます。
岩石の表面を拡大して見ると、流理構造が見られます。流紋岩のようです。
この付近の草むらで見かけた花は、ツリガネニンジンだけです。
行合崎のつけ根の所にあるキャンプ場です。ここには浜ができています。
北上を続けます。道の駅ふかうらにやってきました。まだ深浦町から抜けだしていないようです。建物の裏手に海が見えます。海のようすも見たいので中に車を入れました。といっても通り過ぎてから海を見つけて、そこにあった道から入れようとしました。でも、そこは出口だったようです。
車を降りたら、まっすぐ海の方に向かいます。説明板によると、この付近は鳥居崎というようです。鳥が休んでいる形の島があることに由来するようです。また、南からと北からの風がぶつかる場所であるということから、風合瀬という名前もあるようです。
灯台が見えます。鳥居崎灯台です。これがあるのが弁天島で、弁天様が祀られているそうです。といっても、これは後からわかった事です。
海岸です。砂浜があります。岩礁の上にわずかに乗っているだけのようです。
海岸の岩です。平行な細か割れ方をしています。板状節理です。安山岩などの溶岩が流れたときにできます。
少し高くなったところで咲いていた花です。ハマニガナのようです。
何かわからない草の実です。唐辛子を連想しました。
道の駅では、イカ焼きとかの幟が並んでいます。何かを食べたいということもなかったのとやっている雰囲気ではなかったで、そのまま次に行くことにします。
次に見えてきたのは千畳敷です。道路に沿って駐車場がありますので、軽く見て行くつもりで車を入れました。ここには一度来たことがあります。
観光バスが2台ほど到着した直後のなのでたくさんの人がいます。案内板など見るのにもなかなか近寄ることができません。
何とか見えた、海岸です。海食台が広がっています。寛政の地震(西津軽地震)で陸化したそうです。1792年と書かれていますが、新暦では93年になります。大きな岩はよろい岩です。
東側です。海食台がよく見えます。バスの人達は海岸には降りていないようです。いるのはたくさんのウミネコです。
沖合方向です。海と陸が櫛の歯状に入り組んでいます。潮吹き岩があると書かれていますが、どの歯の上にあるのかが図面と照らし合わしてもわかりません。これだけ入り組んでいると、筋を間違えていると引き返してくるだけでも大変です。波も穏やかです。潮を吹いているような場所も見当たりません。探すのは断念します。
後を列車が通る音がしました。五能線の列車が駅を出発したようです。いつの間にか、バスもなくなって、あれだけいた人だかりがなくなってしまいました。
千畳敷を過ぎるとまもなく、深浦町から抜け出ます。
今のところ、次に目指しているのは、亀ヶ岡遺跡です。だいたいのコースはわかっていますが、念のためにカーナビに案内してもらうことにします。
鰺ヶ沢町をぬけてつがる市に入ります。このあたりからは、津軽平野の中になります。岩木山を回るようにして流れてきた岩木川が作った平野です。上流部は1昨年に白神山地のブナ林を見学した場所になります。
津軽平野は西海岸に砂丘が発達しています。その内側はたくさんの沼のある低湿地になっています。岩木川は海に流れ込むことができず、延々と北上を続け、北端の十三湖で海に流れ込むことになります。
右側には、八甲田山が見えています。よく見えるところで、車を止められそうな所まで来た時には、山に雲がかかっていました。
亀ヶ岡遺跡に到着です。しゃこちゃん広場と書かれています。ここから出土した遮光器土偶の最初の三文字を取った愛称のようです。奧にある建物は、簡易展示場になっています。2−3資料をいただきました。
遮光器土偶の形をした石像が作られています。この形の土偶は、教科書に載っていたのは覚えています。名前が違っていたような気もします。遮光器というのは、雪面での反射など、まぶしい光を弱めるために、目の前につけるスリット状のめがねのことです。
遮光器土偶のでた場所です。このあたりの谷は、いらなくなったものの捨て場所となっていたようで、いろいろな土器などがたくさん出てきたようです。残念なことに、遮光器土偶のでた場所は正確にはわからないとのことです。
この付近の全景です。高くなったところの上に、縄文時代の住居跡や墓などの遺跡があります。
亀ヶ岡遺跡は石器時代のものです。遮光器土偶は縄文時代の終わり頃のものです。なんとなく時代が一致しないような気がしています。もらった資料の中に、近くに展示施設があってそこへの行き方も書かれていたのでいってみることにしました。何かわかるかも知れません。
曲がりくねった狭い道を進んだ行き止まりにあったのが、亀ヶ岡縄文館です。大溜池の縁にあったようです。
展示室のようすです。出土した石器や土器などが並べられています。ほとんどが個人寄託品と書かれています。発掘が始まる前に、農作業の時などに見つかったものが多いのでしょう。
結局疑問は解消しませんでした。聞いてみても、何か通じないようです。
その後わかった事です。日本では、旧石器時代から、すぐに土器を使った縄文時代に変わっていきます。世界的には、旧石器時代(打製石器)から石器時代(磨製石器)へと変遷していきます。昔の学者の中には、ここの遺跡は磨製石器が見つかったことから石器時代としていた人もあったようです。展示品の中には確かに磨製石器もありました。時代の呼び方が確定しなかった頃につけられた名前なのでしょう。
亀ヶ岡を出る頃には、2時近くになっています。少なくとも三内丸山遺跡は見ておきたいと思っています。行くのに1時間とすると見学時間は2時間ほどしかないことになります。吉野ヶ里遺跡のことを考えると足りないかも知れません。どこも寄らずに、三内丸山遺跡に行くことにします。亀ヶ岡縄文館で、三内丸山遺跡にはしゃこちゃんもきているという情報も入りました。次の行き先は確定です。
行き先が決まったものの、どの道を通ったらいいのかわかりません。カーナビに頼ることにしました。木造駅の近くを通ります。ここにはしゃこちゃんがいます。見ておいた方が良かったかも知れませんがパスです。その先で、津軽自動車道の入口の表示がありました。入らずにまっすぐとの指示が出ています。従います。高速は使わないかと思っていたら、五所川原南ICから入りました。
次の浪岡ICで高速道路を降りろと指示が出ます。急いでいることもありそのまま高速道路を走り続けることにします。ここからは有料になっていました。間違えて一般ゲートに入ってしまいました。チケットを受け取って青森側へ走ります。山の中を走っていきます。一般道とは違う方向かと思っていたのですが、地図を見るとほとんど平行でした。
青森ICのゲートでは、カードと書かれている挿入口に、ETCカードを入れてみました。これで支払いを済ませることができたようです。領収書も発行できるので、いくら使ったかという記録も残って便利です。
すぐに三内丸山遺跡への案内が出ます。この指示とカーナビの指示とにしたがって無事到着です。1時間かかりました。
駐車場は入口建物とは道路を隔てて反対側です。ここに車を駐めて、ゲートに向かいます。道路を渡るところから見た、入口ゲートです。このあたりでは雨が降っていたようです。
入口でチケットを買います。しゃこちゃんのきているのは特別展の方です。別に料金が必要です。見るつもりではいます。迷っていると6時まで見られるということと、特別展の入口で差額だけ払えば特別展も見られるということなので、とりあえず一般入場券を買いました。宿に行かないといけないことを考えると、そんなに遅くまではいられないでしょう。
入ったところで、ボランティアガイド受付と書かれています。待ち時間がありそうです。頼らないことにします。
トンネルのような所をぬけた先が遺跡のある場所になります。ここでタイムスリップというイメージなのでしょう。昔、タイムトンネルという番組がありました。
外に出ようとすると、雨が降っています。出口に貸し傘がおいてあります。借りることにしました。
しばらく林の間の道を通った先に遺跡復元地区が見えてきました。
復元された竪穴式住居です。何種類かの復元案があるようです。これは屋根が丸いタイプです。
内部です。御所野遺跡同様、煙でいぶしているためけむっています。虫がつくのを防ぐのが目的でしょう。
他の形で復元された竪穴式住居が並んでいますから、見比べることができます。
堀立柱建物群です。3棟復元されています。
別の角度から見たものです。
三内丸山遺跡の中には、復元された建物の他に、金属の屋根でおおわれた施設がいくつかあります。遺跡と似つかわしくないような感じがします。たとえば、これは細長いシェルターのようなものです。地下に降りていった先にドアがあります。降りてドアを開けてみると、中に入ってもいいような感じになっています。
中にはいってみました。盛り土の断面が残されていて、説明とかが書かれています。土器のかけらなどが埋まっているのが見えます。穴を掘って出てきた土とかとかといっしょに積み上げられたものだそうです。
太陽熱温水器のようなものが埋まっています。土壙墓を発掘した時の状態で見られるように、ガラスの窓をつけたものです。雨で急に冷え込んできたせいか、曇って全く何かわかりませんでした。
こちらの建物も盛り土のある所を発掘時のまま残している施設です。
内部です。こちらの方が、土器片がたくさん散らばっているように見えます。
別の建物の内部です。入口にはこどもの墓と書かれています。土器に入れて埋葬されていたそうです。土器の埋まっている状態が残されています。
建物はないのですが、北の谷というものの説明板がありました。この谷に、生活で出たゴミを捨てていたそうです。この谷からは、食べた後にでた骨とか種とか、使わなくなった生活用具などが見つかったそうです。
三内丸山遺跡のある場所は、野球場を作る予定だったようです。元々、出土物の多いところだったために、事前調査が行われました。その結果、この付近には大きな縄文時代の集落があり、他では例を見ない大型の建物跡があった事がわかりました。その結果、遺跡を保存することとなり、今の施設が作られました。
三内丸山遺跡を代表する、大型建物は、六本の堀立柱建物です。この復元されたものは遠くからでも見つけることができます。
大型建物としては、大型竪穴建物もあります。長さが30mを越えるものもあったようです。写真は復元された建物です。
内部に入って見ることもできます。何に使われたかについては、共同作業場とか集会場といったいろいろな説があるようです。
内部で写真を撮ろうとしたところ、カメラの感度が最高値に設定されていました。家に帰ってからここまでの写真を見ると、画像が粗くなっています。宿を出た直後のものからなっています。どうしてこうなったのかは不明です。
大型竪穴建物の発掘跡も残されています。柱を立てた穴があいています。短いペグの刺さっている穴の外側に、長いペグの刺さっている穴が並んでいます。内側の柱穴を使った建物の外側に柱穴を掘って新築したのだそうです。
復元した堀立柱建物を近くから見たところです。6本の柱があったことはわかっていますが。それ以外のことは全て推測なのだそうです。たとえば、屋根があったのか、何層になっていたのかといったことです。
横の建物の中に、発掘時の状態で残されています。ということは、実際にはここに建物があったということになります。
柱穴の中を見ると、柱の一部が残っています(レプリカです)。腐りにくくなるような処理もしっかり施されていたそうです。
だいたい一通り見終わりました。環状列石というのはわかりませんでした。入口施設にある展示場に戻ることにします。途中から坂をあがっていったところからも戻れるようになっています。こちらから戻ることにします。途中で振り返って見た遺跡復元地区です。環状列石は右側の木の手前付近にあると書かれていました。
違う道から戻ると借りた傘を元のところに戻せません。最初の出口まで持っていかないとと思ったのですが、建物に入ったところに貸し傘の置き場所がありました。ここに返しました。
三内丸山遺跡の入口にある建物は縄文時遊館といいます。三内丸山遺跡に関係した展示をしています。今日は特別展もしています。まずは、常設展から見学していくことにします。
入って最初にあったのが、大きなケースに入った、黒ずんだ木です。六個あります。大型堀立柱建物の柱穴に残されていた木のようです。樹種は栗だそうです。間隔を空けて置いてあるということは、実際の配置にあわせたのでしょう。
縄文時代の生活のようすが人形などで復元されています。ほかに、土器とかも時代順に並べられていました。
展示室から出た奧にあるのが、整理作業室です。ガラスには作業の工程が書かれた説明が貼られています。
ここから階段を下りた所にあるのが一般収蔵庫です。見えているだけでもものすごい数の土器です。遺跡をまわってみてもこんなに出土したとは感じられませんでした。
その向かい側にあるのが、縄文ビッグウォールです。縄文土器の破片が壁一面に貼りつけられています。5000個以上あるそうです。
特別展の会場にいきます。展示の内容は、青森の土偶展です。見学時間はじゅうぶんにあります。券を買っていないので、差額を払って購入しようとしたら、係の人が近づいてきてどうしたのかと聞いてきます。まだ買っていないといったら納得してもらえました。二重購入の予防だったと思っています。
展示室は、一般展示に比べると狭いようです。女の子がしゃこちゃんといってかなり興奮していました。この付近の学校では人気なのでしょうか。
せっかくのなので、しゃこちゃんの写真だけ載せます。見慣れているものと違って、横顔です。うすべったいなというのが印象です。どちらが正面なのかわかりますか。
三内丸山遺跡は、吉野ヶ里遺跡に比べて復元区域が狭いので、思ったより時間はかかりませんでした。閉館前には余裕ででることができました。
建物の外に出たときには、雨が本格的に降っています。傘は車の中です。遺跡見学時のように借りる傘もありません。濡れていこうかと思案していると、バッグにカメラの雨対策にとビニールの風呂敷(?)が入れているのに気がつきました。これを被れば車までは濡れないでいけるでしょう。この方法で何とか濡れずに戻ることができました。
ここから八甲田山の宿までの道順もわかっていません。カーナビに誘導してもらうことにしました。その前に、ガソリンがだいぶ少なくなっています。明日以降しばらく山の中を走ることが続きそうです。満タンにしておきます。
八甲田までの所要時間は1時間くらいかなと思っていましたが、30分ほどでつきました。ふだんより早めの到着です。雨が降っているので、他に見る所もありません。今日はこれくらいしておきます。
夜の星見もできません。星を見るのに良さそうな場所かだけを確認ておきました。じゅうぶんに暗く、懐中電灯がないと歩くのに苦労するくらいです。来る機会があるのならここを使うことも検討することにします。
後は翌日のことを確認したら寝るだけです。
夜中にはだいぶ雨が降っていたようです。雨音がずっと聞こえていました。朝、明るくなってきたので目が覚めました。
雨はやんでいます。外を見ると、霧がかかっています。地形がどうなっているかわかりにくいのですが、ゲレンデが見えています。斜面を登るこの方角に山があるのでしょう。山は全く見えていません。
周辺を歩いてみることにします。雨上がりなので、草の上は濡れています。靴の中に浸みてきそうです。周辺の道路沿いをまわってみることにします。
道路の横にある林は、ブナの木は少ないようです。
沢があります。勢いよく流れ下っています。
狭い脇道がありました。熊に注意しながら入っていきます。ここだと何本かブナらしい木が見られます。全体的に細い木が多いようです。
広場のような所にでました。ゲレンデの一部のようにも見えます。この一画には、黄色い花がたくさん咲いています。名前はわかりませんが、その付近で植えられていても良さそうな花です。
こちらの黄色い花は、コオトギリです。
元の道に戻ります。道脇のホオノキの実が赤くなり始めているのが見えました。
葉っぱが黄色くなった木がありました。紅葉しているのはこれだけです。ヤマナラシのようです。
鳥の鳴き声がします。探してみると、見つけることができました。コガラのようです。
ヤマガラもいます。細い木の幹の先をさかんにつついています。先はだいぶぼさぼさになっています。中の虫を探していたのでしょうか。
今日は最初に、ロープウェイで八甲田山に登るつもりでいました。その後は、八甲田山周辺をまわってから、三陸の方にぬけます。コースとしては十和田湖から鹿角の尾去沢鉱山に寄ってから一戸から久慈方面を考えています。
八甲田山周辺の地図がないかと宿で確認しましたが、ないとのことでした。夕食時にテーブルに敷かれた紙に書かれていました。もらうことができたかも知れませんが、この紙を持って帰っています。
まずはケーブルです。運航はしているようです。確認をしたところ、山の上は霧で視界が0ということです。これでは上っても意味がありません。ロープウェイはパスします。
昨日こちらに来るときに八甲田山が見えていた場所がありました。菅野茶屋というところです。そこで山が見えるか確認してみました。ロープウェイでいわれた通り山頂部は雲の中です。昨晩も山頂部は雲の中でした。
八甲田山の北側を東に進んでいきます。雪中行軍像があるという場所に着きました。本とか映画とかで有名になりました。そこの駐車場に車を入れ、その像がるという場所まで歩いて行きます。舗装された、緩やかな登り坂の道です。
正面に像が見えてきました。ここで遭難した後藤伍長の像です。
像の前から見る八甲田山は、やっぱり雲の中です。
山麓です。行軍した軍隊はこの先で野営しそこでたくさん亡くなっています。無事に帰り着いた弘前隊はこちらの方からやってきました。
像のところで行き止まりになっています。引き返していきます。途中の道脇に咲いていた花です。キンミズヒキとしました。
この赤い花はよく見かけます。ネジバナです。花の並びがねじれているのがその名前の由来です。
大きな木のない一画に看板があります。遭難の地と書かれています。この付近一帯でたくさん亡くなったようです。場所的には雪原の中というイメージがありました。木々は雪に埋もれて、雪原になっていそうです。
八甲田山の北側を東に進んでいきます。次に見つけたのは田代平湿原という案内です。湿原があるのは出発前に確認しています。ここから、北側に延びる道を八甲田温泉の方に入っていきます。温泉の向かい側に駐車場がありました。ここに車を駐めて見学に行きます。
このあたりからも八甲田山が見えます。ほとんどが雲の中ですが、左側にある東の端の山は雲がかかっていません。雛岳になります。
ここから、田代平湿原への道を進んでいきます。途中第四中隊の碑というのがありました。雪中行軍と関係したもののようです。先ほどのは第二大隊のものでした。関連とかが今ひとつぴんときません。
横を沢の水が流れています。田代平湿原から流れてきているようです。
道から少し外れたところに池があります。入口の案内図には竜神沼と書かれています。水の色はきれいなのですが、アオミドロのようなものでいっぱいです。
近づいてみた沼です。浮いた藻のような所から垂れ下がっている枯れた藻もあります。沼底は藻で緑色をしています。
道に戻って進んで行きます。田代平湿原まであと少しです。162mと書かれています。
少し進んだ所に木の板がしかれています。両脇はミズゴケが生えていて、水に浸かっています。すでに湿原の一部に到着したようです。
すぐに開けたところに出てきました。入口にあった案内図によるとここから反対側まで行くコースは3つあります。湿原の反対側で合流しています。全てのコースを一筆書きでいって戻ってくる事はできません。パスする1本を決めないといけません。
真ん中のコースは、途中に何カ所か休憩所が設けられています。メインのルートのようです。外せないでしょう。ここを進んで行くことにします。
帰りは、北側か南側のどちらかのコースを通って帰ってくることになります。天気が回復すれば、八甲田山も見えるようになるかも知れません。北側のコースをとると山との間が湿原になります。障害物がなさそうなのでよく見えそうです。こちらのコースを戻ってってくることにします。
湿原の中は木道がつけられていて、ここを歩くことになります。すぐに、道の両脇に池が見えてきます。
池の縁にある黄色いのがキンコウカです。花の色に勢いがありません。もう咲き終わっているのでしょうか。
最初に見つけた花らしい花です。ウメバチソウです。
池の底に黄色みがかった白いものが沈んでいます。硫黄です。ここでは温泉水が浸みだしてきているようです。入口の所にも温泉がありました。
池がたくさん見えてきました。初期の段階の低層湿原のようです。
この付近でよく見かけた灌木です。歯の形はヤマモモに似ています。表面のつやが少なめです。もしやと思って調べてみたら、ヤチヤナギでした。関西で化石が見つかれば、寒い気候を示す指標となります。
穂のようなものもあります。ワレモコウなのかトラノオなのか、そういう種類のものでしょう。
池の向こうに八甲田山が見えます。左から雛岳、高田大岳、赤倉岳です。この頃が一番よく見えていたようです。
池の表面にヒツジグサが咲いていました。スイレンに似ています。
再び八甲田山です。赤倉岳の雲が多くなっているようです。全体的に右前の方から流れてきていて、右端に登る気になっていた田茂萢岳付近も雲の中に入っているのがみえます。
湿原の反対側につきました。ここから北側のコースを通って戻っていきます。まだ雲は多く、山がきれいに見えるのは期待できないようです。ここにくるまでの間で、花はそれほど咲いていませんでした。これから先もあまり期待できないような気になっています。
草の実がなっています。案内板にはニッコウキスゲがあると書かれていたので、それだと思っていました。ユリ科よりアヤメ科の実に近いような気もします。花の図鑑には実の写真が少ないので、判定には苦労します。ニッコウキスゲとかヒオウギアヤメではなさそうです。
赤とんぼもたくさん飛んでいます。枝先に止まって休んでいるのもいます。
サワギキョウの花が咲いていました。こちら側ではたくさん見かけます。
チョウもやってきています。ノアザミに止まりました。ツマグロヒョウモンです。
ウメバチソウも群落になってたくさん咲いていました。
ミズゴケに混じって、モウセンゴケもたくさんあります。赤っぽい色をしているのがそれです。穂のようなものが上に伸びていて、種をつけています。
コオトギリも咲いていました。花びらの中に黒い筋が入っています。
林の中を通って、駐車場に戻ります。横の木はダケカンバです。
林床にはゲンノショウコが咲いていました。
八甲田山の東側にぬけた後の行程です。山に上らなかった分だけ早く動いています。とりあえず鹿角の方にぬけることにします。コースとしては、前に通ったのと逆の蔦温泉から奥入瀬渓流に入るコースと、北西側の滝ノ沢峠から入るコースがあります。遠回りになりますが、初めての滝ノ沢峠の方に向かうことにします。
八甲田山の南側にまわります。ここも前回通っています。途中に睡蓮沼と書かれているところがありました。道の広くなったところに止まっているタクシーの後に車を置きます。
少し上っていったところに睡蓮沼が見えました。後に見える山は高田大岳です。
沼の縁です。紫色をしたサワギキョウがいっぱい咲いています。
池の上では、スイレンが咲いていました。ヒツジグサによく似ています。どこが違うのかよくわかっていません。なんのことはなく、ヒツジグサを栽培してスイレンになったようです。
黄色い花です。アキノキリンソウでしょう。
沼の東側です。奧の方には水がたまっていなくて、草地が広がっています。木が生えていないところを見ると、湿原なのでしょう。
西側です。草原から林へと変化しています。向こうの見える山は案内図に寄れば石倉岳です。西側から雲があがってきているようすがよくわかります。林の木はオオシラビソが主体のようです。あまり大きな木は見かけません。
睡蓮沼から西に進み、地獄沼の前を通ります。ここは前回きています。背後に見える山が見えませんでした。今回も無理そうですが一応確認してみました。路肩の広くなっているところに車を止めて見に行きます。
今回も、山は見えていません。沼の水は前回よりも濁っているようです。昨日の雨の影響でしょうか。
沼の別方向をみたようすです。
八甲田山地獄沼から更に西に進んでいきます。八甲田山の南斜面を下って行くことになります。城が倉大橋を通ります。前回は、バスで素通りでしたので見ていくことにします。橋の手前の右側に駐車場があります。ここに車を駐めました。駐車場からは見晴らしが良く、遠くの景色や城が倉大橋もよく見えます。
橋の真ん中くらいまで歩道を歩いて行きます。下流側の谷底の方をみてみました。のぞき込むのが怖いくらいの高さです。ところどころに川の水が流れているの見えます。
上流側です。こちらは、川が岩を削って流れているようすがわかります。
川の流れに沿って上流側をみると、両岸がまっすぐ切り込まれた、典型的なV字谷になっているのが見えます。
視線を上にずらして山側です。山の高いところは雲の中です。前回のバスガイドさんの説明では、ここから右側が古い八甲田山になるとのことでした。
反対側の遠くのようすです。平野が見えています。陸奥湾から津軽山地が見えているようです。
車に戻り山を下って行くことにします。このまま道なりに行けば黒石に出ます。途中で十和田湖滝ノ沢峠からの道に合流します。ここで、黒石の方に行かずにこの道に入っていくことになります。合流点はすぐだと思っていたのですが、もう少しで黒石という所でした。思ったより遠回りだったようです。
ここで曲がってすぐにダムの横を通ります。浅瀬石川ダムです。ダム堤を過ぎて少し走ると道の駅虹の湖が見えてきました。ダム湖が見れるのではと入っていくことにしました。
道の駅はダム湖に接していなく、ちょっと遠くからの見学になりました。公園が併設されていてそこからはよく見えたようですが、建物の裏手だったの素通りしています。
ここで、お土産を少しと、桃がおいしそうだったので買いました。これは、車の中で食べる分です。
十和田に向けて進んでいきます。道はだんだん山の中に入っていきます。横を浅瀬石川が流れています。どんなようすなのかみたいのですが、林の中なので見ることができません。温川温泉に近づいたところで、車を止められそうな所があったので、そこに止めて見に行きました。この付近も藪の向こうに川があってよく見えません。やっと見ることのできた川です。
なんとなく、奥入瀬渓流に似ているような感じもします。
温川温泉を過ぎると完全な山道になります。道幅はありますから、それほど神経を使わずに上っていくことができます。滝ノ沢峠についたところで道は2手に分かれます。右がカルデラ壁を下りて行く道、左が外輪山を右回りに少しまわった後、山をくっだり奥入瀬川にでる道です。左側の道の左手に駐車場が、右側の道を少し降りた右手に展望台が見えます。左側の駐車場に車を入れて、展望台に行くことにします。
展望台は十和田湖の方をむいています。湖が見えるかと期待したのですが、柵が設けられていて、立入禁止になっていました。
何とか十和田湖が見られる場所がないか探してやっと見つけた場所から見た十和田湖です。御倉半島と御倉山が見えています。
展望台入り口横にある大きな木です。ブナの木のようです。
先の道の分岐点横にある木です。カツラの木のように見えます。
十和田湖がよく見えないので、ここはあきらめて湖の方に下りて行くことにします。途中の道脇では、水が滝のようになって落ちているところがいくつかありました。
カルデラ壁を降りきって、十和田湖と同じ高さの所まできました。湖に沿って右回りに周回しますが、林の中を走り続けています。ちらちらっと湖のようなものが見えるのはわかるのですがはっきりと見えるところはありません。
建物のある所を過ぎて少し行ったところで、左側に遊歩道が見えてきました。路肩が広くなっているので、ここに車を入れて少し歩いてみることにしました。
この道沿いも、林の中のようです。開けた場所はなさそうです。
湖も木の間からのぞき見するようにしか見ることができません。
湖岸が何とか見えた場所です。岩が露出しているようです。遠くなので何なのかは不明です。
この道を進んでも湖は見えそうにないので、いくのはあきらめます。
遊歩道にあったコース案内図では、2kmほど先にある大川岱には園地があって、湖岸には桟橋があると書かれています。園地があるのなら駐車場もあるでしょう。次はここに行くことにします。
大川岱に到着です。大きな駐車場があります。車はほとんど駐まっていません。湖に近そうな一番奥に入れます。
駐車場から湖側を見たようすです。大きな広場が見えています。湖まではだいぶありそうです。
道を歩いていると、路面にいた鳥がけたたましい声で鳴いて木のある方に飛んで行きました。何かなとよく見るとヤマゲラでした。枝分かれしたまたの所にいます。
木の幹をあがっています。
そのまま進んで行って湖岸に到着です。向こう側に見えているのは中山半島と御倉半島です。
湖岸南側です。向こうに見える頭の丸い山は鉛山です。
大川岱から湖岸を南下していきます。和井内というところから山を登る道に入っていきます。ここからも湖岸にでて十和田湖が見られたようです。前回来ているものと思い込んでいてパスしていました。
山を登り切ったところにあるのが、発荷峠です。十和田湖を見る一番のポイントです。今まで2回ほど通っていますが、湖は霧の中で見ることはできませんでした。今日はよく見えています。
カルデラ壁にある崖です。溶岩の層が見えています。
中山半島の休屋から乙女の像付近までです。何人かの人が像の前で記念写真を撮っているのも見えます。
十和田湖からは尾去沢鉱山に行くつもりでいます。場所と道順がつかめていないので、カーナビに頼ることにします。鹿角までは発荷峠から降りていく道を進んでいくとたどり着くことができます。
ちょっと開けてきたところが大湯温泉です。前に泊まったことのある宿の前に道の駅ができていました。時間も押していますし、今のところようはないのでパスです。
ここから1kmほど下ったところで、丘の上に上る道に入るように指示が出ます。この道は環状列石のある所を通ります。環状列石も一度見ていますので、今日の所はパスします。
そのまま道なりに進んで鹿角花輪の市街地にでます。市街地を通り過ぎかけたところで、反対側の山の方に入っていきます。町外れで、尾去沢鉱山左折の看板があり、それにしたがって入っていきます。すぐに右手の広場に看板と石碑があるのが見えてきました。尾去沢小学校跡と書かれています。鉱山が栄えていた頃にあったのでしょうか。見えるものはこれだけだったのでパスしました。
更に進んで行くと、斜面に木が生えていない山が見えてきました。鉱山に近づいたようです。精錬所からの煤煙で枯れていることがよくあります。
鉱山の駐車場に到着です。一番建物に近いところに車を駐めます。正面斜面の上にも鉱山で使っていたような施設が見えます。鉱石を運んでいたコンベアでしょうか。
駐車場広場には、ローダーと鉱石運搬車が置かれています。
駐車場脇には鉱山歴史館があります。
内部です。鉱山で使われていた道具とか、鉱石などが展示されています。
駐車場の奥に、坑道入り口と付属の建物が見えています。
ここで入場券を買い坑道に入っていきます。坑道入り口です。
鉱山の中に入っていきます。線路が引かれた所を通っていきます。壁面がコンクリートで固められたところから木で支えられているところに変わります。このあたりはどこの鉱山とも似たようなものです。掘り出した鉱石を運び出したり、作業する人が出入りするための通路です。
壁面です。ところどころに鉄さびの付いたところがあります。浸みだしてきた地下水に含まれている鉄分が酸化してこびり付いたのでしょう。
壁に見られる岩石です。きめが細かく、緑っぽい色をしています。何となく透けているかなという感じで表面には光沢があります。暗くてはっきりしないのですが、チャートのように見えます。説明板には珪質泥岩と書かれています。
青緑色の染みがついたところもあります。銅とか金属成分が多いのでしょうか。
地層の説明です。いうほど互層という感じがわかりません。このような岩石には鉱石が含まれていません。
掘り出した鉱石を、トロッコに落として入れる装置のようなものがあります。説明がないのでこれは想像です。
天井が非常に高い一画にでました。鉱石を掘り出した跡にできた空間です。
同じようなものが、ずっと続いています。少し狭くなったところのものです。
再び普通のトンネルのような坑道に戻ります。天井を見ると緑色の筋が見えます。緑青の色ににています。銅成分を含む地下水の影響でしょう。石英脈っぽいものがあるようにも見えます。
お酒を保存しているところもあります。地下は、何年か置いて熟成させるのに最適の空間になっています。よく見かけるようになってきました。
坑道を進んで行くと神社が見えてきました。山神宮と書かれてます。パンフでは山神社です。坑内作業は危険を伴うので、安全祈願の必要があったのでしょう。他にも何かあるかな。神殿は、狭い坑道の中に押しこむ様に作られています。拝殿も兼ねているようです。鳥居の下に賽銭箱が置かれています。
先の坑道の壁です。珪質緑色頁岩と珪質黒色頁岩のつみ重なり方がよくわかります。黒色というより暗褐色です。
道が分岐しています。右側が特別コースで、ぐるっと回ってまたここに戻ってきます。右側に進んで行きます。
坑道の幅が広くなっているところに出ます。休憩所や鉱山の事務所などが並んでいます。写真は、休憩所なかで弁当を食べている作業員の人形があります。
この一画では、火薬の受け渡しをしていたようです。そのようすを再現しています。
横に伸びる小さな坑道があります。まわりの岩石は珪質頁岩なので、ここで鉱石を掘っていたのではなさそうです。物置か何かでしょうか。鉄分の多い地下水が浸みだしています。このあたりから、暗いところでは、ストロボを使うようになっています。
鉱石を運搬するようすが復元されています。黄色い車はトロリー運搬車と書かれています。横にある電線に要注意です。
竪坑入口です。ここからエレベーターで下にある坑道に降りていくことができます。これから下りて行くところを再現しているのでしょう。
再び天井が高くなったところにきました。上の方の鉱石を掘り出したのでしょう。ちょっと斜めになっています。鉱脈が傾いているためです。どれくらいの高さがあるのかは奧の方は暗くてよく見えません。
先で、鉱石を掘り出しているようすが復元されています。ドリルのようなもので天井に穴を開けています。ここに鉱脈があるという想定です。鉱石があるのかどうかはこの位置からではわかりません。
掘り出した鉱石はすぐに運び出さずに足元に積み上げていきます。足場が高くなっていくので、更に高い天井にある鉱石を掘り出すことができるようになります。最後に足元に積み上がっている鉱石を取り出していきます。この掘り出し方をシュリンケージ採掘法といいます。
鉱石を掻き出しているようすです。
実際に掘り出した跡です。光が届いていません。かなり高いところまで、掘りあげていったことがわかります。
この付近の石英脈に鉱石が含まれているとかかれていました。暗くて見えないので、懐中電灯で探してみました。脈は見えるようになったのですが、鉱石が含まれているかどうかまではわかりません。周囲の岩石は石英安山岩です。
これも脈なのかな。吹き出してきたもので覆われていて何なのかわかりません。
白っぽいところが石英です。ケーブルに沿ってあるものがよくわかります。ところどころで中に黒い点が見えます。鉱石が含まれているようです。キラキラしているものは鉱石ではなさそうです。
特別コースが終わりました。一般のコースに戻って進んで行きます。天井から、イルミネーションがつり下げられているところを通過します。なかなかきれいには写ってくれません。
ホールのような空間ができているところがありました。昔の鉱山のようすなどが展示されています。
横は火薬庫となっています。先ほどの受け渡し所とは離れているのが気になります。それほど離れた場所で受け渡すとは思えません。
坑内を進んで行くと、こんどは建物の入口のようなものが見えてきました。南部藩西道金山奉行所と書かれています。ここから、江戸時代の採掘のようすを復元した場所になるようです。奉行所がここにあったとは思われません。外にあったのでしょう。外に作ると大きく回らないといけません。話の流れを作りたいのでこの場所で再現しているのでしょう。
見えてきた奉行所のようすです。
通り過ぎたところで、通洞坑金屏風と書かれた標札があります。この区画には江戸時代の坑道があったようです。展示できるようにトンネルを掘ったところ、大きな鉱脈が見つかったそうです。これを金屏風と名付けています。
鉱脈といっても表面はさびで覆われて茶色くなっています。どこまで鉱脈があるのかはっきりしません。
よく見える岩石を見ると、丸い石ころのようなものが詰まっているように見えます。ふしぎなものを見たという気分になります。
少し通り過ぎてから振り返って見ると、鉱脈のようすが何となくわかります。坑道をわずかに横切る角度で入っています。
昔の坑道です。タヌキ堀りと呼ばれています。人が屈んでやっと通れるくらいの大きさです。
説明によるとこの奧に十字架が彫られているそうです。立入禁止です。
坑道内の探検はこれで終わりです。出口をでるとすぐに、売店になっています。横に金色の張りぼての牛が置かれていました。造財家内安全に御利益があるそうです。
鉱山を後にします。次は三陸まで行かないといけません。カーナビに宿の位置をセットすると3時間かかると出てきます。どこにも寄らずに行っても、かなり遅めの時間です。真っ直ぐ行かないと間に合わないでしょう。尾去沢はだいぶ秋田に戻ってしまっていたのが失敗の元でした。
駐車場の坂を降りたところで、鉱山跡を振り返って見ます。古い建物などが廃墟になって残っています。
もう少し進んだ所から見えるもう一つ奥の谷のようすです。
更に降りたところの横は、小石を積み上げたようになっています。鉱山ででた拝石を積み上げてできたズリ山なのでしょうか。
宿があるのは普代村南部の海岸沿いです。鹿角八幡平ICから高速道路に入り盛岡八戸方面に進んで行きます。九戸に来たところでも、カーナビからは高速道路を降りるように指示は出ません。久慈にぬけるにはここで降りた方が近かったような気がしました。地図を確認することはできませんから、このまま指示に従っていきます。
高速道路を降りるように指示が出たのは、次の軽米ICです。そこで高速道路をでて、久慈に向かいます。久慈からは国道を南下、普代村に入る手前で三陸道に入ります。途中の案内では普代村の中は車は通れないと書かれていました。案内に従って、普代ICでは降りずに先まで行くことにしました。
でもこれだとだいぶ行きすぎたようです。三陸道の終点から引き返します。結局普代ICの前を通過することになります。この頃にはだいぶ暗くなっていました。
そのまま進んで、宿へ行く道の案内が出ていました。その道に入ったところで目の前にあった建物と勘違いしそちらへ行ってしまいました。真っ暗なのでここではなかったようです。そのまま進んで行くと、道は狭くなった上にまわりは真っ暗、この先一方通行ときています。ここではないと一方通行手前のT字路で引き返そうとしますが、路面が見えないので苦労します。
何とか引き返して、先にあった広い道路に入っていきます。すぐに宿の案内を見つけて一安心です。そのまま進んでやっと到着することができました。
入口案内のすぐ先に別の案内があり、宿の案内は横をむいていたのと、建物に気を取られていたので気がつかなかったようです。
普代村の夕食は、今回の旅行中では一番豪勢だったようです。食後に星が見られるか確かめるために外に出てみたのですが、雲におおわれているようでした。星見もなしです。外の明かりもなく、星を見るのには良さそうでした。荷物を整理して、風呂に入ってから寝ることにしました。
朝です。まだ雲は広がっていますが。ところどころで切れ目が見えます。空が赤くなっているのがわかります。
外に出てみます。鳥のさえずりが聞こえるので、松の木にヤマガラが止まっていました。2羽います。真ん中付近と、左側の枝分かれしたところです。
駐車場横に植わっていたハマナスに赤い実がついていました。
宿の前の道を奥に進んでいくと、灯台にでます。黒埼灯台です。
灯台の手前は、いろいろなモニュメントが置かれています。北緯40度線を記念したものです。地球儀は近くのソーラーパネルの電気で回転するようになっていたようです。直下の台の上に北緯40度と描かれた線が引かれています。その上にGPSロガーをおいてみたのですが、示した緯度は40度0分23.78秒でした。
北緯40度ちょうどがどこになるのか見ようと引き返していったのですが、なかなか数字は小さくなりません。道も右にカーブしてきたのであきらめました。計算しなおしてみるとここから740m先となります。
宿の前の電線に鳥が止まっています。ハクセキレイのようです。地面を歩いているのはよく見かけます。
元のモニュメントの所に戻ってきました。大砲が置かれています。南部藩が設けた砲台場がここにあったそうです。
カリヨンの鐘というのも置かれています。
灯台の方に行って、海を見ることにします。歩いて行くと道脇に傘がオレンジ色のきれいなキノコがでているのが見えました。タマゴタケのようです。
灯台の近くから見た海岸です。切り立った崖が続いているようです。
引き返してきて、林の隅を見ると何かが書かれた石碑があります。読んでみると、伊能忠敬測量記念碑でした。ここで緯度を求めたそうです。日本全国の海岸に沿って測量していますから、ここを通っていて当然です。緯度を求めたことは、ここが重要な場所と思ったのでしょう。
宿の建物の横から裏側にまわると、海岸を見渡せる展望所に出ることができます。そちら方に行ってみることにします。
建物の裏側にまわったところ、建物の下の斜面で、マツヨイグサがたくさん咲いているのが見えました。
階段を降りていくと展望所に着きます。ここからは海岸の岩場がみ下ろすことができます。霧がかかっているように見えます。けあらしのようにも見えます。灯台から北側の海岸線を見たときにたくさんできていました。
滝が見ます。アンモ浦の滝というそうです。ちなみに、今いる場所はアンモ浦展望所です。木や草が大きくなって、だいぶ見づらくなってきています。海に直接落ちる滝なのだそうです。
岩の間から三角形をした島が見えます。横に漁船もいます。
沖合をフェリーが通るのが見えます。船の模様から、大洗から苫小牧に行く船とみられます。名古屋からやってきたフェリーではなさそうです。
崖の岩石です。地層はほとんど垂直に立っているようです。
宿でもらったパンフには、このアンモ浦の展望所の緯度は北緯40度ちょうどと書かれています。GPSロガーの記録では、40度0分19.03秒でした。まだだいぶずれているようです。
階段を上がって宿の方に戻ります。階段はコンクリートでできています。表面にびっしりとコケが生えています、栗のいがもいくつか落ちています。
あがったところで空を見ると、たくさんの鳥が飛んでいるのが見えます。ものすごい数です。
拡大して見ました。アマツバメでしょう。八丈島でも密集して飛んでいました。こういう習性なのでしょうか。
朝食時間にはまだ早いようです。もう少し周辺を歩くことにします。三陸海岸を縦断する形でみちのく潮風トレイルがつけられています。この道がこの宿の前を通っています。結構歩いている人が多いようで宿を予約するときに歩いてくるのかと聞かれました。トレイルを進んだ先にも展望台があります。黒崎展望台です。行ってみることにします。
宿の前を通って、駐車場の隅から入っていきます。その上の電線に鳥が止まっているのが見えます。ホオジロみたいですが、頭がぼさぼさです。鳴き声も違っていたようです。
この道脇にもキノコがたくさん生えています。白い色をしたものです。
展望所について、北側の海岸を見ると、霧でほとんど何も見えなくなっています。けあらしがだいふひどくなってきているようです。けあらしの範囲もだいぶこの近くまで広がってきています。
そらを見ると、ここでもアマツバメの集団が見えます。あちらに行ったかと思うとしばらくすると戻ってきます。
道脇のキノコです。ここでは2種類並んで出てきています。相変わらず種類まではわかりません。
林の中を戻っていくのですが、けあらしは激しくなって、林の中まで入ってくるようになったようです。
宿の前まで戻ってきました。空には相変わらずアマツバメの集団が見えています。時々鳴き声も聞こえてきます。
朝の散歩から帰って、食事にします。終われば出発です。今晩の宿は気仙沼大島です。三陸海岸を南下していくことになります。その前に見ておきたいところが出てきました。マリンローズパーク野田玉川です。バラ輝石が見られるようです。石ちゃんにとっては行かないわけにはいきません。そのまま真っ直ぐ行っても、早く着きすぎてしまいます。まだ開いてはいないでしょう。どこかによって時間調整が必要です。普代村のパンフには近くに鵜鳥神社があると書かれています。先にここに行くことにします。
黒崎から、来た道を引き返し普代村中心部を通ることになります。宿で、昨日見た通行止めについての情報を確認したところ。お祭りがあって、その時間帯が通れなくなるとのことでした。
黒崎から普代村中心部に入る手前に大きな水門が見えてきました。昨日も見たのですが、暗くてパスしていました。普代水門といいます。村長をしていた人が、三陸津波地震の記憶があり、大きな水門が必要ということで作ったそうです。東北日本大震災では、津波はこれを越えて流れ込んだものの、市街地に達する手前で止まったそうです。
普代村の中心部近くにあるICから三陸道に入って北上します。すぐに国道に戻り、白井海岸駅あたりから山の中に入る道があって、そこを進んで行くと鵜鳥神社につきます。駅を探しながら道路を走っていたので、曲がらないといけない所の案内を見落としました。行き過ぎたところから戻って入り直します。該当する道は1本しかありません。
だいぶ走って、鵜鳥神社に到着です。1本奥の路地沿いにあります。車を駐める所を探します。神社の前は少し広くなっていますが、車が駐められるというほどの余裕はありません。神社の前の道を引き返すように戻っていきます。元の道に出るところで、元の道沿いに駐車場のようなものがあります。ここに入れるしかないでしょう。駐めます。
鵜鳥神社まで歩いて行きます。雨が降りそうなのですが、急に悪くならないでしょう。傘は邪魔になるのでおいていきます。
神社の前まで来ました。鳥居と狛犬があります。
中に入ってまずあるのが手水舎です。ここの水は亀の口から出ていました。
ここから階段を上がった所にあるのが遥拝殿です。上にある神殿(拝殿)の出張所といった場所です。
横にある末社です。それにしては立派です。子鹿神神殿と書かれています。
更に横は広場があって、その奥に朱塗りの建物があります。神楽殿と書かれています。鵜鳥神楽というものをここで舞うのでしょう。1月をかわぎりにして、ここから各地をまわっていくようです。
遥拝殿の横の門から中に入っていきます。正面に階段が見えてきます。その先には大きな杉の並木があります。本殿はここからずっとあがっていったところにあります。
鵜鳥神社の神殿は卯子酉(うねとり)山の山頂に作られています。よく見たら十二支方位の東北西を表しています。何か関係があるのでしょうか。卯子酉神社と呼ばれていたのが後に鵜鳥神社と呼ばれるようなったそうです。神様は、地元ではうねどり様として親しまれています。ここから山頂まで登っていかないとたどり着けません。
他にもこの地には、義経北行伝説があり、義経が神言を授かった場所とされています。
進んで行くことにします。石段を上った先に橋が見えてきました。神道橋といいます。
杉の木の根元から水が湧き出しています。神社入り口にあった案内図によると、うがい場になります。
次にあったのが四角い枠の中に水がためられている場所です。お縒り場と書かれています。普代村の案内には紙でこよりをつくって投げ沈めば願い事が叶う池と書かれていますが、水がたまっているのはここしかありません。これがお縒り場なのでしょう。
杉の木の根元に祠があります。お薬師さまと書かれています。このような祠は、この参道沿いにはたくさんあります。
祠の手前の杉の木の根元からも水が湧き出しています。硯のような形をした石で水を受けています。この水で目を洗うと眼病が治ると言われています。
だんだん道は険しくなっていきます。がんばって登っていきます。
道脇に、幹が二股に分かれた杉の木が見えてきました。夫婦杉です。
石段が見えてきました。嘉永3年に作られたものだそうです。
階段を登った先に鳥居があります。だいぶ近づいてきたようです。この先の道はなだらかになっています。
鳥居の前に、卯子酉山展望台と書かれた標柱が立っています。展望台があるようなので寄ってみることにします。道脇には白い花がいっぱい咲いています。ホツツジです。
展望台というか少し広くなっている所に到着です。道は続いていますが、下り坂です。展望台があるのはこの先ではなさそうです。周りの木が大きいので、ここからの景色はそれほどよくありません。三陸海岸側の風景です。
展望台からの道は続いています。このまま進んでいっても奥宮にたどり着けそうな気もします。違っている場合もありますから鳥居の所に戻り、登ってきた道を進んでいくことにします。
道は少し下った後、尾根のような所を通ります。その先にお社が見えてきました。これが鵜鳥神社の本殿(拝殿)になります。奥宮とも呼ばれています。普通奥宮といえば、本殿に対して山の中にあるのをいいますが、ここではそうでないようです。
到着した安心感からか、屋根にあるハートマークをみるのを忘れていました。写真でも松の木の葉にうまいこと隠されています。
拝殿の竜の飾りです。建物は昭和8年に再建されています。その時に彫られたものでしょうか。
ここの裏手を100mほど行くとお岬様があり、そこから三陸海岸が見えると書かれています。いってみました。これがお岬様です。
お岬様の裏手から見える三陸海岸です。雲のようなものが湧き上がっています。朝見た気嵐が大きくなっているのでしょうか。
奥宮の近くには、石塔のようなものがたくさんあります。字が彫られています。獣でしょうか。
奥宮を後にして、山を下りて行くことにします。再び遥拝殿に到着です。山にいるときの雨はパラパラしていました。ここに来て、傘がないとという降り方に変わっています。雨宿りがてら、遥拝殿をみていきます。お面のようなものがかけられています。鵜鳥神楽と何か関係があるのでしょうか。
雨はやみそうもないので、多少濡れるけれどもこのまま車に戻ることにします。駐車場について、正面の建物をみると普代村郷土文化保存伝習館と書かれています。名前からすると、ここで鵜鳥神楽を練習(伝承)しているように思えます。
鵜鳥神社から駐車場に戻ったのは9時半です。野田マリンローズパークに行っても間違いなく開いているでしょう。ちょっと長い寄り道でした。
元の国道に戻り、北上します。まだ引き返している感じになります。野田村に入って、大きな集落まで来た時に、野田玉川鉱山への案内標識がありました。これに従って山側に入っていきます。そのまま進んで行くと左側に野田マリンローズパークが見えてきました。野田玉川鉱山地下博物館と書かれています。これが正式名称なのでしょう。
右手渡り廊下のような所の前が駐車場になっています。車を進めていきます。渡り廊下の先に坑道入り口が見えてきました。
先ほどの建物が受付になります。昨日の尾去沢鉱山の中は寒いくらいでした。上にセーターを着込んでから入場券を買いに行きます。券と同時に、4切位の大きさの毛布を持って行くようにいわれました。邪魔な感じもしますが、一応指示に従います。
受付から、坑道入口の方に行きます。坑口から湯気のようなものがでていて、ここからでは入口がよく見えません。坑内が冷え込んでいるのがよくわかります。
坑道入り口です。中で作業のようすを見せていたマネキンが並べられています。マンガンボーイズと書かれています。アイドルといっしょに記念撮影でもといった所でしょうか。この鉱山は、マンガン鉱石を採掘していました。ユニットの名前は、ここに由来するのでしょう。
坑道内部です。トロッコが通れる幅のトンネルが掘られています。いったん下ってきていますが、また平坦になっています。
坑道側面の岩石です。板状チャートでできています。右の方は黒っぽくなっています。マンガンが集まっているのかな。
進んで行った先に枝坑があり、採掘した鉱石を集めるところを再現していました。
このあたりの坑道の壁は、ところどころに黒いかたまりが見えます。マンガンが濃集しているところのようです。
掘り出しのようすを再現しているところです。このあたりの壁の色はまさにマンガンという色をしています。
この鉱山で採れる鉱石は何種類かありますが、一番代表的なものはバラ輝石です。英語ではロードナイトです。マリンローズはこれを加工した宝飾品に使われている名前です。ローズはわかりますが、マリンはどういう関係なのかぴんときません。マインローズならわかります。鉱山のバラになります。
坑道に仏像が置かれています。横の説明では女人菩薩像と書かれています。ある日、鉱夫の枕元に現れ、坑道の天井にバラ輝石がでているから、それに沿って掘り進めよというお告げをしたそうです。その通りにすると、大きな鉱脈に行き当たったそうです。その女人菩薩を敬って作られたものだそうです。
この先にあったのが、ワインの熟成庫です。ワインには良さそうな環境です。日本酒は置かれていないようです。
その先にあるのが中央ホールです、かなり広い地下空間になっています。鉱石や岩石、マンガン加工製品などの展示をしています。
左側にある通路の先は坑道になっています。左側の壁、赤色のラベルの貼ってある横にあるピンク色の筋は、バラ輝石の密集帯です。
バラ輝石の部分の大写しです。表面が磨かれたようになっています。マリンローズとしてはどれくらいの価値があるのでしょう。
これをみているときに、ホールの奧に行く2人組がいました。檻のような所を開け、中に入っている樽のようすを見ています。ここでもワインの熟成をしているようです。この感じだと醸造かな。
展示されている、ホールで展示されているバラ輝石です。ここで採れたものです。
ホールを出たところの天井に、ミサゴ断層と書かれています。どこが断層なのかよくわかりません。懐中電灯の光を当ててみてもどうなっているのか全く見当がつきません。
バラ輝石鉱と書かれたラベルの貼られているところがあります。その矢印の先に,濃い赤色をしたバラ輝石がまっすぐ筋になっているのが見えます。ラベルの周りにある黒っぽいところもマンガン鉱です。
褶曲と書かれているところがありました。板状チャート層が折りたたまれるように曲がっています。このような細かくぐにゃぐにゃに曲がった構造は普通スランプ構造といいます。地震の振動で、チャート層が滑り落ちることによって曲がったものです。
この先は宝石や鉱石の展示場になっていました。そのまま進んで行けば、出口に到着です。
地下博物館の宝石展示場を過ぎるとすぐに出口です。借りている毛布を返しに行きます。最後まで使いませんでした。むしろ写真を撮ったりするのに、落としたりひっかかったりで結構邪魔でした。返却は指定された篭に入れるだけです。入れた後に思ったのですが、ここに毛布が入っているのを見れば、坑道から出てきていることがわかります。中に人がいるかいないかチェックするには最良の方法です。他に見学者はみませんでした。あまり頻繁に帰ってきたかどうかをみていなくて良いでしょう。受付には誰もいませんでした。中へワインのチェックに行った人なのかも。
車の方に戻ろうとしたら、正面にお社が見えました。鉱山ではよく見かけます。雨がまだ降っているので、見に行くのはパスします。
横の広場には、黄色い花がたくさん咲いています。北海道で見たブタナ(ニセタンポポ)ににています。
宿から引き返した目的は達成したので、もどって先に進んでもいいのですが、ジオサイトの案内書にこの近くの海岸に何かがあると書かれていたような気がしました。十府ヶ浦海岸です。国道に戻って、少しだけ北上します。すぐに海岸に出ました。目的地に到着です。道の横が広くなっているところに車を入れます。山側には、三陸鉄道の列車が走っていくのが見えました。
海側です。湾の向こうに大きな崖が見えます。地層も気になるところです。
浜に行こうとしたのですが、防波堤の工事中です。浜に降りられるところはないか探したのですが、ここからずっと先まで工事のダンプが走っています。越えて浜に出るのは無理そうです。雨も降っていることなので、ここは断念します。
ここから、ターンし南下をしていきます。途中、海岸沿いに烏帽子岩というのがあります。道は海岸からちょっとだけ内側の高台の上を走っています。探したのですが海すら見えません。国道からは無理なようです。
国道はこの先の普代村から、しばらく山の中を走ります。海岸沿いを通りたかったので、三陸道に入ってすぐの普代ICで降りて泊まっていた宿の前を通ることにします。
普代村を通り過ぎて田野畑村に入ります。正面に海が見え、その方向に降りる道があっります。脇に看板があってみると、机浜番屋群と書かれ案内図もつけられています。見に行くことにしました。
降りた先に広場のようになっている所があります。ここに車を入れます。後で案内図をよく見ると干し場となっています。網を干すのに使う場所のようです。正面には海岸の岩が見えています。
横の番屋群です。プレハブ建物を、立派にしたような感じの建物が並んでいます。塩造りや海産物・漁具の保管、浜作業、寝泊まりする事に使われていたそうです。津波の時には全部壊れされたのですが、同じ形で作り直されたそうです。
その建物一つです。たばこやと書かれています。中を自由に御覧くださいと書かれていますが、中が暗く、閉まっているように見えたので入るのはやめました。
三陸海岸はジオパークにもなっています。出発前にネットを見ていると、各市町村ごとにその見所になる場所が書かれた地図がありました。出発前に田野畑村だけ印刷しています。これを見ながら車を進めていきます。
まずは、羅賀地区です。ここには、津波石があると書かれています。昔の津波の時に海岸から運ばれてきた石です。地図には、港に行く道への分岐の先にあると書かれています。分岐から先を往復して探したのですが見つけられませんでした。見るのはあきらめます。この先にもあります。見つけられなかったのは、津波石を迂回するように道が付け替えられていたのが原因だったようです。
次にあるのはコイコロペ・ハイペ海岸です。入り江になっているところにあります。走りながらだとどの入り江なのかはわかりません。案内がないか探しながら車を走らせます。いくつか入り江を過ぎた後、道は山の中に入っていきます。これでは行き過ぎです。ターンして戻ります。最初に見えた入り江の所に、車が3台くらい入る空き地があってその向こうに案内板が見えます。
車を入れて、案内板を見るとジオサイトについて書かれた説明板で、ハイペ海岸と書かれています。コイコロペは通り過ぎています。同じようなものが見えられますから、パスでもいいでしょう。
車を置いたところから見たハイペ海岸です。手前の大きな岩と海岸に見える崖の地層の向きが違っています。不整合があるようです。
海岸に出て左側です。こちら側にも不整合がありそうです。案内板にはこちら側に行くように書かれています。
案内板には不整合があると書かれていました。だいたいこのあたりです。左の青い岩でできた崖と右側の茶色っぽい岩石でできた地層との間にあります。境界はここからでははっきり見えません。
振り返ってみたところです。こちら側にも不整合があります。手前側の崖と向こう側に崖との間です。
この海岸には津波石があるとも書かれています。どれなのかは見ただけではわかりません。この茶色い岩のあるところの上の方に似た岩石はありません。落ちてきたとは考えられません。津波で運ばれてきたものでしょう。
横側に回ってみたところです。この地層のようなものが見られる岩は、ジュラ紀にできた宮古層群という地層からのものです。案内板の写真と見比べたら、津波石と書かれていたものは、まさにこれです。先の津波で15mほど動いたそうです。
近くにある、宮古層群からの岩を見ると所々に、貝などの化石が入っているのが見えます。
この岩のものは、一直線に並んでいます。丸い穴はタフォニといって浸食によってできたものです。
海岸の端近くまで来ました。
ここに転がっている岩です。岩の下の方に白いものがこびりついているところがあります。地層の筋と向きが違っています。海岸に転がっていた時に波打ち際で貝などがこびりついた痕です。下にあるのはひっくり返ったということになります。これも津波石になります。
不整合の所まで、引き返します。近くによって見ます。下の白い岩の所とつぶつぶのある地層との間に不整合があります。
戻る途中に湾の向こうを見ると海食洞が見えました。入り口近くまで波があたっています。近づくのは無理なようです。
海岸の石です。細かい石がいっぱいです。いろいろな種類の石が混じっています。
次のジオサイトは鵜の巣断崖になっています。道は海岸から離れたり近づいたりを繰り返した後、国道まで、内陸へかなり入っていきます。国道から三陸道に入り、少し進んだところに鵜の巣断崖ICがあります。ここで三陸道を降りて海岸に向かう道に入りその先にあります。まっすぐ行ければすぐの距離です。かなりの距離の迂回になります。
鵜の巣断崖の駐車場に車を駐めて、遊歩道を海岸の方に歩いて行きます。松林の中の道です。
道脇の草が刈られているところに、キノコが出ていました。タマゴタケです。いくつか並んでいます。
あまり玉子らしく見えません。奥の方を見ると土から顔を出したばかりのタマゴタケがありました。これなら玉子らしく見えます。でも、近くになかったら、同じものと思わなかったかも知れません。
海岸近くは広場になっています。その南端から見ていこうとしましたが、ロープが張られて立ち入り禁止になっています。何かの工事をしているみたいです。
展望台もありますが、ここもロープで入れなくなっています。見られる範囲で北側をのぞいてみました。垂直に近い崖が続いています。その先に弁天崎からの海岸が見えています。
断崖の拡大です。海にせり出している崖の足元には海食台が広がっているようです。
北側に見える弁天崎です。
海岸が見られるところは少ないようです。引き返していきます。道沿いに咲いていた花です。ノコンギクです。ヨメナ・シオンとの区別はまだよくわかっていません。
謎の植物です。つぼみなのか実なのかもよくわかりません。
枯れた草の間から、顔を見せていたキノコです。これも名前はわかりません。イグチの仲間という所までは何とかなっているのですが..。
道脇に、小さな植物片が散らばっています。よく見ると、松ぼっくりの鱗片です。リスのような小動物が、松かさの中に入っている種を食べる時に、鱗片をかじりとったかけらです。動物の種類によってかじり方が違うようなのですが、どう違うのかはわかっていません。
道脇の林の中にあったつるについていた花です。葉っぱの形とかを見るとオニドコロでしょう。
鵜の巣断崖から三陸道に戻り南下を続けます。三陸道が終わり、国道に戻った先で、山王岩へ行く道の案内がありました。三王岩も見ておきたかったところので、こちらに入っていきます。途中何回か出ていた案内に従って進みます。
T字路に出たところで右:三王岩になっていましたが、左に浜と海が見えました。海も見ておきたいので、よってみることにしました。
まっすぐ進んだ先が浜になっていて、その手前に広くあいているところがあるのでそこに車を入れて見に行きます。入口には段差がありますから入れてよかったのかどうか..。
ここは真崎海岸と言うようです。浜に出て右前方の景色です。道は続いていますがこの先までのようです。
浜から左前方、北側の海岸線のようすです。先端岬は明神崎です。
浜の砂です。茶色っぽい色をした細かい粒子のところがまだら状に見えます。カニが巣穴を掘って、地中の砂を掘り出して穴の周りに積み上げたようです。それにしても掘った穴が見えません。
浜から戻る途中にあった、白い綿毛で覆われた植物が群生しています。シロヨモギのようです。
真崎海岸を出て、引き返すようにしてまっすぐ進んでいきます。すぐにつくと思っていましたが、5分ほどかかりました。左側に大きな駐車場があります。案内は見当たらないのですが、とりあえずここに駐めて様子を見に行きます。
石碑がいくつかあります。駐車場の端っこの方に三王岩と書かれた案内板も見えます。三王岩についたようです。
海岸に近づいてみると、いくつかの岩礁が見えます。その中に背の高い岩があります。三王岩のようです。ここからだと、松の木の間から見えています。
三王岩の上の方に見える遠景です。佐賀部から重茂半島が見えています。本州最東端のある半島です。
三王岩のよく見えそうな所を探します。駐車場の下側に遊歩道があります。左に進んでいくと、海との間が広くなっているところがあります。そこに行ってみます。
広くなっているところから見た三王岩です。三王岩というのは、男岩、女岩、太鼓岩の三つからできているようです。大きな岩が男岩、右のおむすび型の岩が太鼓岩のようです。
広場で見つけたキノコです。弧を描くように並んでいます。フェアリーリングのようです。
広場の上にあがって、道路の方を見ると何かの案内板があります。見に行ってみると、ここから夕日が見られますと書かれていいるだけでした。
広場の奥に浪打崎への案内板があります。入っていくと遊歩道はすぐに左右に分かれます。どちらかわからないので、左に進んでいきました。少し行ったところから見た海岸です。
しばらく林の中を進んでいきます。道に覆い被さるように生えてきた木にとっくりのような実がついていました。ツノハシバミです。
林を抜けかけたところで、けたたましい声で鳥がないて、飛び上がっていきました。ヤマゲラでした。その先をとりあえず写したのですが、何も写っていないようです。
林を抜けた先に今走ってきた道路が見えます。反対の方に来たようです。ここからも海がみえます。海岸線のようすです。
ここから引き返していくことにします。
歩いてきた道は、道路から浪打崎に行く道のようです。潮風トレイルの一部なのかも知れません。潮風トレイルとしては、岬までではなく広場の方に抜けるのでしょう。広場から海の間には道がありませんから、浪打崎で行き止まりになっていそうです。
いまは浪打崎に行くことにします。広場からへの道と分かれた後は、松の木の間を縫うように道がつけられています。両側が垂直に落ち込んでいますから、手すりがしっかりつけられています。
岬の先端近くから見た三王岩です。遠くに田老の堤防が見えています。
このあたりには畳岩というのがあるようです。どれが畳岩なのか書かれたものは見あたりません。浪打崎と書かれたものも見ていません。何となく畳岩と名前がつけられていても良さそうな岩があります。
畳岩という名前の基準はいくつかあります。この畳を敷いたように平らなところがそうなのでしょうか。
畳を積み上げたようなと言うのもあります。
海岸近くまでこのような岩が続いています。
岬の先端から見える佐賀部から重茂半島です。本州最東端のとどが崎と月山がかすかに見えています。
浪打崎から広場に戻ってきます。ここで見つけたのがコマツナギの花です。
三王岩をもう一度見直しておきます。三王園地の広場から駐車場に戻って、その先に三王岩と書かれている方に行くことにします。
案内のあったところからは、まだ松の木が多くよく見えません。男岩の左横に見える三角形の岩が女岩です。どちらがそれなのかはよくわかりません。手前の方が大きいのでこれかなと思います。
下に降りていく道があります。下まで行くと木がないのでよく見えそうです。途中まででも木はだいぶ少なくなります。ここでもだいぶよく見えそうです。少しだけのつもりで降りていきました。下まで降りるとまた上ってくるのが大変です。
少し降り始めたところから見た浪打崎方向です。このあたりでも山王岩を見下ろすような高さです。宮古層群の地層が手前から向こうに行くに従って傾斜が緩くなるようにたまっているのが見えます。
もう少し降りたところからの浪打崎です。地層の傾斜がだいぶ緩くなっているのがわかります。この裏側が畳岩のあったところになります。
反対側です。深い田老湾が見えます。下のトンネルを抜けて右に回っていくと田老の街になります。対岸には、いくつか海食洞がいくつか見えています。
結局下まで降りてしまいました。正面の田老湾から対岸側の景色です。
ちょっとだけ三王岩に近づいてみました。3つの岩が並んで見えます。
男岩の真ん中くらいの拡大です。地層に沿って深く削り込まれた模様が見えています。
降りてきた階段を登って、元の駐車場に戻ります。津波石があったということを忘れていました。津波前と後で写真を比較したことで動いたというのがわかった石です。どのあたりだったのか覚えていなかったので、いってもわからなかったでしょう。
駐車場から、田老の街を通り抜けて、国道に出ることにします。
高台から降りたところで、防潮堤の工事が行われていました。このあたりは、津波で防潮堤が大きく破壊されたところです。
田老ホテル跡の前を通ります。この建物も津波で破壊されたことで知られています。
田老の街から国道にでて南下を続けます。とりあえず次の目的地として考えているのは碁石海岸です。途中で何か見所になりそうなところがあればよっていくことになります。ここへは一度来ているので、寄れそうな所はだいたいみています。結局宮古市街を過ぎても新しく見どころになりそうなものは何もありませんでした。
先の山田北ICからは三陸道に入ります。こうなってしまうと、途中の観光地の案内はないでしょう。そのまま碁石海岸ICに到着してしまいました。ここから碁石海岸に向かいます。
道にある案内に従って進んでいきます。意外と時間がかかります。碁石浜と書かれたところまで15分ほどかかってしまいました。この時点で、目的地の名前がうろ覚えになっています。ここの浜が小さく、有名な観光地になるような場所にしては変だと思ったのですが、碁石の名前につられてこことしてしまいました。
ここから宿まで所要時間到着予定時間考慮して考えると、見学時間は15分ほどしか残ってません。急いでみることにします。
波止場の隅っこのような所に車を駐めます。正面に岩が出ています。断層のようなものも見えています。
別の方向から見たものです。断層はそれほど大きくないようです。
ここから見た浜のようすです。
反対側に行ってみました。ここから先は磯になっています。
海面から岩が一列に並んでつきだしています。この並びと地層とかの関連はなさそうです。
浜のようすです。細かい石ころがたくさん積み上がっています。
浜の石です。丸い黒っぽい石が多いようです。碁石というほどではなさそうです。
ここは、海岸をぐると巡る漁船のような遊覧船の乗り場になっているようです。もちろんこの時間ですから、動いてはいません。
小さな浜だったので、それほど時間がかからずに見学が終わります。ちょっとだけ時間があるので、この先にある博物館の建物を見ていくことにしました。道を先に進んでいくと大きな駐車場があります。大きな建物も見えます。こちらの方が、観光の中心地だったようです。宿への到着予定時間には着きそうもありませんが、後で電話を入れて了解してもらうことにします。
駐車場に車を駐めて、インフォメーションセンターと書かれている建物の方に行きます。明かりはついていたのですが、営業は終わっています。中に入ることはできませんでした。当然パンフ類も入手できません。
どこをどう回るのかは、前にある案内板で考えます。とりあえず、ここからまっすぐ進んで海岸まで行き、右側の海岸線に沿って灯台まで行って戻ってくることにします。
突き当たりにあるのが壺浜です。といってもここから先、海岸までは松林が続き離れたところにある海が木の間からしか見ることができません。
右に曲がって海が見えないかみながら進んでいきます。何とか見えた北側の海岸です。
さらに進んでいくと海の上につきだした展望所が見えてきました。乱曝谷展望所と書かれています。
南側に大きな岩のある海岸が見えます。左手前の大きな岩が雷岩でその横で海になっているところが乱曝谷です。雷岩という名前は、岩にあたる波が大きな音を立てるということから来ているようです。ここにいる間は、そのような大きな音は聞こえてきませんでした。
北側、遠くに綾里崎が見えると書かれています。ここから10kmほど離れたところにあります。先端部は花崗岩でできているので、途中から先に見える海岸の岩石は白っぽい炉になっているそうです。
眼下に見える岩礁の名前も書かれていました。これは男島と女島です。
海馬島です。ここでトドが休んでいたことがあったのがその名前の由来だそうです。
乱曝谷を挟んだ岩です。右に傾いた地層が見えます。この付近の岩石は宮古層群だそうです。ハイペ海岸から所々で見てきています。少し堅そうです。
碁石海岸を陸上から回るコースの中心となるのは、この雷岩と乱瀑谷の2カ所のようです。見学予定時間はすでにオーバーしていますが、灯台までは行ってみることにします。
海岸に沿って西に進んでいきます。林の中の道なので、景色はよく見えませんが、時々大きな岩などが見えてくることがあります。途中で見えていた岩です。展望台からたくさんの岩が見えていました。手前側にも岩が写っていますから、この岩は雷岩でしょう。
雷岩をぐるっと回ったあたりに、2つめの展望所がありました。ここにも雷岩と乱瀑谷の解説があります。海がのぞき込めるほど崖際によれないので、雷岩もこの程度にしか見えません。
岬の先端近くまでやってきました。このあたりからは千代島が見えるというのですが、相変わらず林の中なので、この程度が限界です。潮吹き現象を見るのは無理なようです。
先端の碁石崎灯台が見えてきました。
東大前の広場にあった東屋です。建物は入母屋風屋根の反りなど一風変わっていて、ちょっと立派です。この付近に住む大工さんが伝統技法をこらして作ったものだそうです。
灯台の先からの景色です。飛磯岩から黒崎、大森山といったところが見えています。
右側です。門の浜湾と呼ばれています。この海岸線をずっと走ってきてここにやってきています。これからこの付け根の所まで戻らないといけません。
急いで引き返し、車に戻ります。駐車場に着いた頃には、西の空が夕焼け色に染まっていました。
宿に遅れるという電話を入れ、ついでに三陸道を降りるところも確認しておきます。カーナビもセットしたいところですが、新しくできた橋は登録されていないので、正しく案内されません。ここまでの経路は記録されていますから、その道をたどって三陸道まで戻ります。
三陸道を降りるところは終点でした。ここから、橋への案内に注意しながら進んでいきます。見つけたのは、市街地に入る直前でした。何度か見る道先案内に従って進んでいきます。どれもが道脇に置いてある小さな案内です。
なかなか橋にはたどり着きません。やっとたどり着いて、もう少しと思っていても、山の中を通り抜けるだけでなかなかそれらしいところも見つかりません。宿への道案内もありません。ゆっくり探したくても、後方に車が並んでいます。
フェリーの乗り場の案内を見つけたので、とりあえずそこに行くことにしました。ここに到着しても、ここでも宿への案内を見つけられません。ここからならカーナビでもわかるでしょう。といっても、宿はどういうわけか載っていません。キャンプ場で登録されていることが多いので、探してみると一つだけあり、そこに行き先をセットします。
いきなり狭い道を進めと指示されます。横にある広い道を進んで、何とか宿に到着です。予定時刻より1時間弱の遅れです。
夕食を食べて、外に出てみると星が見えています。ちょうど星の観測会の出発時刻です。到着した時には雲が多く申し込んでいませんでした。受付で聞いてみると、この下にある浜でも見られるとのことです。雲が多いので望遠鏡はセットできません。三脚・カメラその他小物類を持って行きました。
浜に着いて、観測に良さそうな場所を見つけ、カメラをセットしている間に雲が広がって、星が全く見えなくなってしまいました。しばらく待っても星がでてこなかったので、星見はあきらめて宿に戻りました。
気仙沼大島の正式名称は大島です。全国にたくさんある大島と区別するために、気仙沼大島と呼んでいます。ちなみに、海上保安庁は陸前大島と呼んでいるようです。
この島も三陸復興公園が整備され、自然の小径が設けられています。どこまで行くかによって若木浜コース、地獄崎コース、十八鳴浜眺望コースの3つがあります。
朝の散歩コースとして、十八鳴浜眺望コースにいってみることにします。しおさいの小径という散策路を歩いて行けばいいようです。周回になるように道を選んで、散歩に出ることにします。1時間ちょっとのコースです。
宿の建物の横から遊歩道に入っていきます。木々の間から小さな浜が見えてきます。若木浜です。
だんだん道は降りていって海岸の近くまでいきます。
正面には島がいくつか見えます。小前見島とその奥に大前見島があります。
浜に降りてみます。大きめの石がたくさんあります。流木がたくさん漂着していて、歩きにくい浜でした。
遊歩道に戻って進んでいきます。道脇に黄色い花が咲いていました。名前はわかりません。
地獄崎が見えてきました。岩石の色が違ってきているようです。
遊歩道沿いに、針のような葉っぱの背の低い木があります。海岸地域によく生えるハイネズです。
だいぶ地獄崎にちかづいて来ました。海岸の崖の白っぽい色が目立っています。
地獄崎を通り過ぎていきます。岬の土砂が流されて地肌が見えています。遠くには大島南海岸が見えています。
地獄岬を過ぎると道は再び下っていき浜に着きます。石取浜です。ここの浜も大きめの石でできています。漂着物はそれほどありません。
遊歩道は口笛の小径とこもれびの小径の二つに分かれます。人通りが少なくなってくるためなのか、だんだん道が荒れてきます。道脇には草が多くなっています。津波の後のためにれたのかなとも思ったのですが、復興公園の一部ということは、震災後に整備されています。結局理由は不明です。
不思議な植物も増えてきます。何かわからない植物の例です。ぱっと見た感じはブナの実に似ています。葉っぱとか実の付き方は全然違います。なんとなく見たような気がするのですが、どこをどのように調べたらいいのかも見当がついていません。
草がいっぱいになってだいぶ歩きにくくなってきました。これ以上になるとどうしようか考えてしまいます。
東屋が見えてきました。建物の周りは草ボウボウです。近づいていく道も草で埋もれています。
東屋の前には大きな木が少ないので、海から向こうの景色はよく見えます。唐桑半島が見えています。太陽はだいぶ高くまで上がっています。
東屋から少し上がったところに展望台があります。ここから西に続く海岸が見えます。
砂浜は十八鳴浜といいます。ここの砂は鳴き砂だそうです。その向こうの岬が恵比須鼻です。ここに生えている松の木は、枯れているものが多いようです。手前にも枯れた松の木があります。他にも枯れた木はたくさん見ました。津波の影響だったのでしょうか。3年ほど前の台風の影響だったのかも知れません。
ここからの遊歩道は山の中をすすんでいまきます。口笛の小径から小鳥の小径に入ります。道脇には赤い小さなキノコが生えています。この近くはたくさん見かけます。ベニヤマタケのようです。
道脇の木から、葉っぱのようなものがたくさんぶら下がっています。クマシデとかサワシデといったシデ類の実だということはわかります。
小鳥の小径という割には、小鳥のさえずりもきこえてきませんでした。そうこうしているうちに宿の前に戻ってしまいました。朝食まで少し時間がありますので、昨晩いった田中浜にいってみることにしました。
浜の陸側では、工事が行われています。新しい道を作っているようです。
浜に降りてみた波打ち際です。浜は細かい砂でできています。
沖合に見える島です。向こう側の島の木は枯れているようです。
浜の端から見た田中浜です。
宿に戻り朝食を済ませます。終わってしばらく休憩した後出発です。きょうは昼頃に仙台港について、フェリーで名古屋まで向かう予定です。1カ所ほどどこかによっていけるでしょう。せっかく大島まで来ているので、島の中を考えます。チェックアウトのついでに聞いてみたところ、亀山の眺望か南端の竜舞崎のどちらかということです。亀山も行きたいのですが、今日は土曜日で、山頂まで車は通行止めになります。早い時間はどうなのかわかりませんが、通行止めなら歩くにしてもシャトルバスにしても時間がかかります。竜舞崎に行くことにします。
竜舞崎までは、カーナビに案内してもらいます。島の中だからすぐに着くと思っていました。駐車場まで5分以上かかっています。車を駐めて、横にある遊歩道から見た海岸です。島があってこちら側との間は波で打ち上げられた石で埋まっています。幅は狭いのですが、こういうのも陸繋島というのでしょう。
鳥居とほこらがあります。竜舞岬道祖神だそうです。信州で見かけるものとはだいぶ違っています。
遊歩道を進んでいって沖合に見えた島です。頂部にあるほとんどの木は枯れています。この付近では松原再生プロジェクトというもので松の木を植えているようです。大きくなると風を防いでくれるのはいいのですが、景色が見えにくくなるのは困りものです。元々はこの付近には松の木は少なかったようです。
このほこらは龍神様だそうです。後ろの松の木は結構太いので、枯れずに残ったものなのでしょうか。
松の木の間から見えた西側の対岸です。気仙沼の南にある岩井崎が見えています。津波の被害が大きかったところです。高い防波堤が築かれています。
東側です。大島近くの島と、竜舞崎の東にある岬のようです。
陸前大島灯台です。
灯台の前から沖合に見えた岩礁です。赤っぽい色をしています
駐車場に戻る途中で見かけたノアザミにシジミチョウがやってきていました。
竜舞崎を出て仙台に向かいます。橋を経由して戻らないといけません。カーナビには橋の位置は入っていませんから、橋の架かっている手前の位置にセットして案内してもらうことにしました。島中心部で、こちら側の方が近いのではという場所がありましたが、そこも指示通りに進んでいきます。
そこから橋までもだいぶ走ります。何とか橋に到着です。橋の写真を撮っておこうと見ると橋の左手前側に駐車場があります。何かの工事をしていて誘導員がいます。橋に近づくには指示に従っていかないと無理なようです。指示通り道路を渡ったところから見た橋です。
橋の上から見た海です。大島瀬戸といいます。右側が大島になります。
車に戻り先に進みます。橋を渡ってからも気仙沼市街に着くまでもだいぶ走ります。工事をしているところもたくさんあります。橋へのとりつけ路を作る工事だったようです。新しい道ができるので大島への案内標識が簡易的なものだったと理解できました(旅行した時点では気仙沼市街を通る三陸道はできていなくて、その工事が中心だったようです)。それと、ここで気がついたことです。大島はかなり大きな島です。だから大島という名前がつけられています。大島につながる半島も同じくらいの大きさがあります。その大きさのことを全然考えていませんでした。島の中の移動や島への出入りに時間がかかったのもこのためのようです。気仙沼の町中というより、かなりの町外れと考えておいた方がいいでしょう。位置的には目と鼻の先なのですが。
気仙沼の市街を抜けます。まだ道は工事をしているところが多く、どこを進んでいいのかわからず適当に行きます。
町中で見かけた店です。津波直後の写真で見たことがあります。窓などが大きく壊されていました。復旧できたので安堵しています。両隣にあった店がなくなっているのは残念です。
市街から国道に出て南下していきます。岩井崎への案内があったのですぐだろうと思って入っていきました。見えてきたのは壊れた学校の建物です。元光陽高校で現在は東日本大震災遺構伝承館になっています。ゆっくり見学している時間はないので、パスします。
岩井崎に到着です。思ったより大きな寄り道になってしまいました。人でいっぱいです。市民の憩いの場所になっているようです。駐車場も満杯でしたが、着いた時に出て行く車があったので何とか入れることができました。
岬まで遊歩道が続いています。そこから見えた岩井崎灯台です。
龍の松です。津波後に流されずに残った松の木の形が龍に似ているということでそのまま保存されています。
岬の先端部に潮吹き岩があるそうです。どこかとみていると、波しぶきがよく上がる一角があります。これでは潮吹きとはいえないでしょう。
横の方で、霧のようなものが見えました。見損ねましたが潮を吹いたようです。
別の場所からも潮が吹いているのが見えました。ここでは2カ所から潮吹き現象が見られるようです。
引き返している途中に正面に見えた銅像です。雷五郎という人のものだそうです。相撲には詳しくありません。震災前からここにあるようです。
岩井崎をでたのは10時近くになっていました。宿のあった場所から気仙沼市街までも距離がだいぶありました。あまり寄り道をしている余裕はなかったようです。宿でも仙台までは2時間はみておいた方がいいといわれていました。ここまで来る分の時間を差し引いてもフェリーの手続き時間にぎりぎりに着きそうです。
三陸道が気仙沼までつながっているようです。国道まで戻ったところで、一番近い岩井崎ICの道を探しますが見つけられません。そのまま国道を走り続けて大谷海岸から入ることができました。後で調べてみると、岩井崎ICは気仙沼方向への入口しかなく、接続路が見つかっていたら、また引き返さないといけないところでした。時間に余裕がなかったので、見つけられなかった方が良かったようです。
高速道路にはいってからも登米ICまではなかなか着きません。正確な時間を記憶していないのですが、前回はここを出航2時間前に通過して遅刻したものの何とか手続きをさせてもらえました。やっと通過したときは、前回とほぼ同じかちょっとだけ早いくらいの時刻のようでした。また、ぎりぎりになりそうです。
そのままカーナビを頼りに走り続け、仙台港到着する事ができました。目の前にフェリーが見えています。
ターミナル到着は、前回よりも早かったものの、10分ほどの遅刻でした。手続きをすませ、待機場所に車を移動させます。3列目の先頭になりました。ここで、誘導が始まるまで、船内に持ち込む荷物を準備し、ついでに車の中に散らばっている荷物も片付けながら待ちます。
誘導が始まりました。1列目から誘導が始まります。4−5台入ったところで車が入っていかなくなります。運転手が戻っていないのでそこから後ろの車は動けなくなっています。次に誘導されたのは2列目になります。ここでも同じ事が起こります。結局、だいぶ遅くに着いたのに、船に乗り込んだのは前の方になりました。
船内にはいって誘導されたのは、2列目の先頭です。指示に従って車を駐めます。より分けていた荷物を持って船室に移動します。船室への入口がわからず探している人がいました。前に乗っているのでだいたいの位置はわかります。そちらの方に行くと入口が見つかりました。先ほどの人もついてきていました。
船室に入って荷物を置いてから、デッキに上がって景色を見に行きます。蔵王山が見えるかどうかが気になります。かすかに見えていますが、山頂部は濃いもやの中です、茶色の大きな建物の向こう側です。
ウミネコがやってきます。エサをあげている人がいます。手の先からでも、とって行くようです。これはくちばしにくわえていません。失敗したようです
そうこうしているうちに船は出航しました。仙台港を後にします。
港の南側に名取浜が見えています。この付近は地震後大きく沈下し、海が広がっていました。その影響がまだ残っているようです。
左側松島湾の方角です。半島の向こう側にあります。遠くの山には風力発電風車が見えています。石巻市の山です。
名取市沖まできました。蔵王山がかすかに見えています。
船の後方にぼんやりと島のようなものが見えます。方角的にみると金華山でしょう。
姉妹船とすれ違うという船内放送がありました。みんなデッキに上がって、船を見に来ています。
向こうからやってくる船のデッキにもたくさんの人があがってきてこちらを見ています。
船は東北地方の太平洋側を南下していきます。宮城県沖から福島県沖に入ってきます。時々デッキに上がってようすを確認しますが、陸地は霞んではっきりと見えません。帰ってからはGPSで場所を確認することができます。もちろんGPSロガーの電源は電池の消耗を防ぐためデッキにでたたときにだけ入れます。
福島第一原子力発電の沖合だと記録されていた時間のものです。ほとんど何が写っているわかりません。
何回かデッキと行き来している間に、だいぶ太陽が傾いてきました。海面もだいぶないできています。GPSロガーによる場所は楢葉町沖ということになっています。
船内でコンサートのイベントがありました。3人でジャズの演奏でした。リーダーの人が、ピアノに集中しすぎで、顔をこちらに向けなかったのは気になりました。
終わってから再びデッキに上がってみました。太陽はだいぶ低くなってきています。海面に尾を引くように反射しています。
しばらくみていました。雲の中に入っていきます。この頃には福島県沖から茨城県沖に入っていたようです。
空に浮かんだ筋雲が筆でなぞったようできれいでした。
太陽は雲の中に入ったようです。下には雲の切れ目がありますから、そこからふたたび太陽が出てくるでしょう。それを待ちます。更に下の雲に入道雲のようなものがあり、その上に、太陽の光が当たって、もこもこっとした線を引いています。
雲のすき間から太陽が出てきたようです。薄雲がかかっているのか、輪郭ははっきりしません。入道雲へ光があたったところは不思議な模様に変わっています。
すき間の光もだんだん暗くなってきています。太陽は雲の中に入ったようです。でも、丸く写っているのはどうしてか気になります。
暗くなってからは、景色も見えないのですることがありません。車の中で食べようとして残っていた食料や何かの時のために置いておいた食料の一部を夕食代わりに食べます。その後は、コンサートがありましたので行ってみました。昼間と同じ3人のジャズ演奏です。あまり好きなタイプの演奏スタイルではないので、時間つぶしにはなったかなという感じでした。他は風呂に入って寝るだけです。この頃には、昼間は誰もいなかった部屋に、そこそこの人が戻ってきていました。
朝は早めに目が覚めたので、静かに部屋から抜け出して、デッキへ空の様子を見に行きます。だいぶ空が明るくなってきています。空に光が当たっているところといないところで、2色に塗り分けられています。
場所を確認するために、陸地の方をみてみました。雲の中に富士山山麓の輪郭が見えています。もう御前崎沖は過ぎているようです。近くにいたお父さんが、こどもに今どこと聞かれて、伊豆沖と答えていました。スマホのアプリではそのように表示されているのかな。
東の空の色も変わって、そろそろ日の出のようです。水平線近くは雲がたくさんあるようです。
水平線近くの雲が明るくなってきて、横に細長く赤く光っています。その下に、同じ明るさの筋が見えてきました。太陽が昇ってきたようです。
太陽はどんどん昇ってきて、水平線から半分ほど顔を出しました。この頃になってやっと周りにいた人達が、カメラやスマホのシャッターを切り出しました。
左側から船が近づいてきています。太陽と重ならないで欲しいと思っていたのですが、太陽が水平線から上がりきるときに、前を通過していきました。
周囲のようす等もよく見ておきます。この頃には富士山は見えなくなっています。再び太陽をみるとだいぶ高くまであがってきていました。
船室に戻り、残っていた食料をロビーで朝食代わりに食べます。船室は飲食禁止です。その後は、朝のもろもろの用事を済ませます。終わってからデッキに上がると、伊良湖岬が見えていました。もうまもなく伊勢湾に入ります。
乗っていたフェリーは、名古屋港到着後、伊勢湾クルーズに出るということで、到着時間がいつもより早めになっています。伊良湖岬沖の通過時刻が、船内に書かれていた通過予定時刻よりも40分近く早かったようです。
伊良湖岬を過ぎ、知多半島に沿って進むようになると、陸地が近くに見えてきます。船も多くなってきます。漁船が横を通過していきました。網のようなものをひっぱているように見えます。
追い越したコンテナ船です。コンテナが落ちないか心配になるほど高く積み上げています。
いろいろな種類、色とりどりの船が行き交っています。レーンのようなものはないようです。
名港トリトンが見えてきました。名古屋港にだいぶ近づいてきました。桟橋は橋の下にあります。
すれ違った船です。普通は海面下に沈んでいるバルバスバウが見えて、ここで波を切っています。かなり浮き上がっています。積み荷を降ろした帰りでしょう。
名港トリトンの一つ、赤い色の橋脚がよくわかるようになってきました。まもなく入港です。
そろそろ車に移動する準備をする事にします。遅れると後ろの車に迷惑がかかります。船室に戻り荷物をまとめて案内放送があるのを待ちます。船室の人たちは、ロビーに移動していって誰もいなくなってしまいました。急ぐことはないのですが、ロビーに移動しました。
車のあるところに降りていいとの指示がありました。エレベーターは並んでいるので、階段で降りていき車の中で待機します。下船ができるようになって、車の誘導が始まりますが、置いてあるレーンからの出発になりました。下船は先頭です。前回ここから高速道路への入口までのコースがわからず苦労しました。カーナビも、今までと違う場所に移動しているので、GPSの位置決定に時間がかかります。誰かの後ろについていくつもりでしたが、当てが外れました。
港を出たところでいきなり右左を間違えました。中央分離帯があるのでなかなかターンできず、何とか交差点にたどり着いたのでUターン禁止でないことを確認してターンして来た道を引き返します。
前回は、高速道路の高架下から入ろうとしたところ進入禁止で曲がれなかったので、今回は一つ手前の交差点で左折します。高速道路入口につながる道路に出たところでこんどは右折禁止です。直進は行き止まりなので、左折して、入口から遠ざかる方向に進まざるを得ません。橋を渡った先の交差点がUターン禁止でなかったのでここでターンします。この交差点はフェリー乗り場をでて最初の交差点を左折したらやってくる道です。左折するところには案内標識はありません。これくらいは設置されて当然な気がします。不親切です。
やっとの事で高速道路に入れました。そのまま進んで行きます。すぐに、この先渋滞という表示が出ているのを見ました。進んで行くと、左車線の車が多くなって流れが悪くなって来ています。この先で東名阪に入るつもりでいます。JCTから左に入らないといけないので、どうしても左側を走らないといけないことになります。そのうち左車線はほとんど止まってしまいました。次のICで降りる車かなと考え、その横を車が飛び出してこない注意しながら走っていきます。
思った通りで、ICを過ぎると、一気に車がなくなりました。ここは長島ICで、その横にある遊園地に行く車だったようです。今日は日曜日です。
東名阪に入る道を探しますが、先に新名神への案内が出てきました。亀山JCTから新名神に入るつもりでいたので、この案内に従って進んで行きます。いつのまにか山の中に入り、そのまま進んで行く内に、鈴鹿トンネルに入ってしまいました。いつの間にか、この先で進もうとしていた道に入ったようです。その後はいつも通り、瀬田東JCTから京滋バイパスに入り、大山崎JCTから名神を経て自宅に到着です。後で調べてみたら、四日市から亀山西までの間は開通したばかりだったようです。
いつも旅行の行先を決めるときは、まだ行っていないところを選びます。そういう意味からすると今回のコースはだいぶ違ってきています。計画を立てはじめた段階では、三内丸山遺跡と八甲田山北部が初めてのところとなります。ここに行くとして他に何処を組み込んでくるかというコースの組み方になっています。
海岸沿いはだいたい一通り通っています。でもほとんどのところは、さっと通りぬけただけであまり詳しく見ていません。その後、男鹿のようにジオサイトが設定されていたり、見どころになりそうな場所が見つかっていたりで、もう一度いっても良いのではというところがたくさんありました。十二湖も日本キャニオンだけしか行っていないし、十和田はずっと天気が悪く湖を見ていません。三陸海岸も3回も行っているにかかわらず、ほとんど素通りに近い状態でした。
尾去沢鉱山は行ってみたいところのリストに入っていました。コース上に乗ってこないのですが、鉱山のある鹿角市と十和田湖がすぐ近くということで十和田によったついでに行ってもいいかなというつもりでいました。
逆にうまく組み込めなかったのは、津軽半島と下北半島でこれは次回回しと言うことかな。でも、ここまで来るコースの設定は難しそうです。
ところで旅行記のタイトルです。いったところはバラバラ、みた内容もバラバラとまとまりがつかないので、単純に名前をつけてしまいました。
望遠鏡を運んできて、星を見るのも旅行の目的に入っています。このために、交通手段は車、東北までの運転は大変なので、フェリーを利用するということになっています。肝心の星なのですが、きれいにみられたという日はありませんでした。行き帰りのフェリーでは、晴れていて星が出ていたようですが、まわりが明るくみていません。深浦では、星は出ていましたが雲の合間からという状態、気仙沼では雲の合間の上にみようとしたら雲が広がってきたという状態でした。望遠鏡は出番がありませんでした。ついでにいうと自転車も使っていません。
アストロトレーサーは有効なようです。次回以後車でないときは、赤道儀ではなくこちらを利用する方が良さそうです。荷物のかさは減るし、重さも半分以下になります。かなりメリットがあります。
最近の旅行で星を見る条件が良かったのは、昨年10月はじめの大山が最後のようです。だいたいは天気が悪く、良ければまわりがまわりが明るすぎるという状態が続いています。
男鹿半島、深浦町、三内丸山遺跡、八甲田山、尾去沢鉱山、三陸海岸もそれなりに見所があって良かったのではないでしょうか。
コース的には、尾去沢鉱山から久慈までが遠すぎたようです。八甲田北から八甲田山を右回りに回って、黒石から十和田滝ノ沢峠というのもかなりの遠回りです。十和田にぬけるのなら八甲田山南東から蔦温泉奥入瀬経由がかなり近道です。この日はかなり遠回りをしていました。
東北最終日の行程も考えないといけないようです。仙台港に昼前につくという条件が入ってきます。前回は岩手県一関市に宿を取りました。1ヵ所くらいは寄れるだろうといったところ、仙台港到着がぎりぎりになってしまいました。今回は同じ宮城県内ということで気仙沼にしました。実際には一関よりは遠かったようです。やはりぎりぎりになってしまいました。仙台港の時間制限はかなりこたえるようです。次回以降も仙台港を利用するのなら、もっと近くの宿を探す必要があります。周辺にはあまりなさそうですが、仙台の南側も候補に入れていいでしょう。
車を運転している時、ちょっとした合間に、トマトや果物といったものを食べることがあります。だいたいは途中の道の駅産直センターなどで仕入れています。たくさん食べると眠くなりますが、これぐらいの量だと丁度いいようです。取ったり仕舞ったりという動作で眠気が解消されることがあります。固いものを咬んだりするといいといわれています。そのためにするめなども手を伸ばしたら届くところに置いています。
昼をしっかり食べると眠たくなってきますので、食べるのは避けています。果物類を結構こまめに食べているので、昼抜きでも保っているのかと思います。
東北1日目の宿ではペットボトルのお茶を凍らせました。果物類は悪くならないように普通の冷蔵室です。凍らせるということを始めたのは前回の旅行からです。
ふだんのむお茶は、いつも二重ステンレスボトルに、朝湧かしたお湯と部屋付のティーバッグ茶とを使って入れています。
2日目の日中は凍ったおペットボトル茶を果物類と一緒に箱の中に入れておきました。ステンボトルのお茶は昼過ぎになくなったので、凍らしたお茶を溶けたところから少しずつ飲んでいました。凍らしたペット茶がいっしょにあったおかげで、果物類はずっと冷えたままでした。その分おいしかったし、保存期間も延長できたようです。
2日目の夜も同じようにしました。飲んだペット茶の空きボトルに水を入れて凍らせます。翌日は同じようにしてまわっていますが、凍ったペット茶はタオルにくるんで入れています。これで、氷は夕方近くまで保っていました。
3日目の晩も同じようにします。ここは部屋付の冷蔵庫がなく、宿泊者用の大型冷蔵庫が一台置いてあります。開けて果物類を入れようとすると、他の宿泊者がいれたビール缶でいっぱいです。入れて飲みきれなかった分がずっと残されたような感じです。見つけた隅っこのすき間に入れておきました。冷凍庫は空いていたので、余裕で入れることができました。
4日目の宿は、製氷室にペットボトルが入らなかったので凍らせることはできませんでした。果物類は冷やしていますが、翌日仙台に着く前には暖かくなり始めていました。
この方法は昼間の冷蔵庫代わりになりそうです。昔は電気式のクーラーボックスを使っていた事がありますが、これは壊れてしまいました。次回以降も利用する事にします。最近は車のバッテリーからとる電源もたくさん必要になっています。といってもカーナビとGPSロガーの2つです。望遠鏡用のバッテリーの充電までする事はなさそうです。
前回ここを訪れたときに比べて、高速道路がたくさんつながっていました。新名神ができていたのはさておいて、三陸側でもだいぶ利用させてもらいました。ここを走らせて思ったことがあります。
大槌とか陸前高田とか津波で大きな被害を受けたほとんどの所は、高速道路に入ってしまうと全て素通りです。宮古といった大きな都市にとっては便利になっているかも知れません。でも、途中にある小さな町は車が町中を通らなくなるため、寂れていきそうな気がします。きてもらおうとすると、有名どころでなければ、かなり力を入れて宣伝しないといってみようという気にはならないと思います。
高速道路は大きな町は別として、地域の発展にはつながらないのでは、というような気がしてきました。
かかった経費です。大まかに1000円単位で
宿泊費 45000円
土産他 5000円
交通費 72000円 内フェリー代45000円
入館料他 3000円
合計 125000円 内クレジット支払い100000円
今回からクレジットカードの使えるところはこちらを利用しています。そのためか、財布の減りは少なめでした。
走行距離です。 1400kmでした。
出発直後にメーターをリセットするのを忘れ、敦賀港でリセットしました。車のメーターと敦賀港までの概算距離の合計です。
歩数です
26日10665歩 27日20540歩 28日20623歩
29日16612歩 30日23919歩 31日14939歩
1日 8793歩 合計116091歩 1日平均16584歩でした。
26日の歩数が1万歩を越えています。船内の移動でほとんどだったのですが、大きな船だったのと何回もいったり来たりを繰り返して増えたようです。おかげで、スリッパですれて足の甲が赤くすりむけていました。翌日も後遺症が残っていました。29日は歩き回ったというより車で走っていた時間が長かったためで少なく、31日が少なめなのは午後からフェリーの中だったためでしょう。1日はフェリーの中と家にたどり着いてからの分も入っています。