ヨッシンと地学の散歩 > 旅行記
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2019/09/29-10/01 西九州遊覧船


01    出発までいろいろ

 東北から帰ってきたものの、星が見られなかったのが心残りです。次の旅行は紅葉かなとは思っていますが、時期的には10月半ば以後になります。しばらく間が空きそうなので、どこか、行けるような所がないかと、紅葉の行き先もあわせて探していました。
 パンフレットを送ってくるA社には、良いものが見つかりませんでした。ウェブでB社のものをみていたら、イルカ遭遇率99%というタイトルが眼に入ってきました。まさかとは思うのですが、興味が湧いてきました。行き先は西九州で2泊3日です。

02 09/29 九州唐津まで

 集合時間は、7時50分です。7時過ぎに家を出ることにしています。鉢類の水もそれほどしっかりやらなくても、3日くらいなら何とか持つようになってきています。対策を考えなくていい分だいぶ楽になって、その分朝はゆったりとしています。台風だけは気になります。チェックしてみました。だいぶ西寄りのコースをとっています。このままだと直接の影響はないでしょう。天気と海上のうねりは少し心配です。


03 09/29 唐津市七ツ釜遊覧へ

 唐津平野にはいって、少し進んだところで昼食休憩が入ります。食事のおかずは、お刺身とイカ焼売です。取り立てておいしいというのはわかりませんから、評価は遠慮します。突き合わせが辛かったのはマイナスポイントです。自分だけかと思っていたのですが、他にも辛いといっていた人がいました。
 食事が終わってから、お土産などの買い物時間があります。まだついたばかりなので、選ぶ気はしません。特に魚製品は帰宅するまで持たないでしょう。どんな店があるのかぶらぶらします。みかんが安かったので買いました。旅行中バス内で食べることにします。

04 09/29 唐津市遊覧船土器崎

 陸地の北側に沿って、東に進んでいます。左側には島が見えなくなってきたので、右側の陸地の方をみることにします。
 岬の先が大きく削られて、岩石が露出しています。柱状節理のある岩石が崖の大半を占めています。玄武岩でしょう。よく見ると、手前側海岸近くに黄色っぽい色をしている地層が見えます。地層は手前側に傾いているのに対して、玄武岩との境界面は、向こうに傾いているようです。不整合といっていいのでしょう。

05 09/29 唐津市呼子遊覧船七ツ釜

 船は、七ツ釜のある入り江に入って行きます。近くで見られるようになっていいのですが、船首の上には、背の高い何かの機器のような物がたくさんあってこれが視界をさえぎっています。機器を入れずに写すのは難しくなっています。

06 09/29 唐津市呼子遊覧船帰港

 船は七ツ釜から更に先へと進んでいきます。洞窟がつきぬた反対側までまわるのかなとみていたのですが、そこまで行かないうちに向きを変え戻っていくようになりました。ここから引き返していくようです。この先に立神岩があったのですが、見えていたのか確認するのを忘れていました。
 ターンの時に見えた海沿いの岩場です。右側の小高いところの裏側が七ツ釜になります。七ツ釜の上にあった広場も見えています。

07 09/29 唐津市呼子から松浦市

 次に行くところは平戸です。今は東松浦半島の北東端にいます。半島のつけ根の西側を抜けたいと行くことができません。どちらまわりにまわっていくか気になるところです。呼子をでてから、山の中に入ってしまうと、どちらに進んでいるのか全くわからなくなってしまいます。次に場所がわかったのは唐津市街に入ってからです。いったん引き返したようです。

08 09/29 松浦市海のふるさと館

 松浦市街地に近づいたところで、一般道に入ってすぐに川を渡ります。川底を見る限りでは、だいぶ潮が引いてきているようです。干潟のようすも気になります。
 橋を渡ったところで、休憩という説明がありました。すぐ先の海のふるさと館という場所に入ります。バスから降りてみたふるさと館です。

09 09/29 平戸へ

 バスはふるさと館から西に走っていきます。左側しかみえていなかったので、どうなっていたのかわかりませんが、ずっと山の中を走っていたように見えます。ほとんどの区間で、並行して走る線路が見えました。JRと思っていたのですが、松浦鉄道と書かれていました。三セク化されたようです。
 線路沿いにヒガンバナが咲いているところでの1枚です。

10 09/29 平戸市 寺と教会の見える道

 平戸市街散策は、お城のある方ではなくこちら側の丘に登っていくようです。教会とお寺が一緒に見えるところがあるとか。SNSで話題になったところだそうです。添乗員さんの案内についていきます。
 最初は平戸市の商店街のような所を通っていきます。ちょっと古そうな建物が並んでいます。

11 09/29 平戸市 お寺と教会

 お寺と教会が同時に見える場所は坂になっていて階段が続いています。ここまでもだいぶ登ってきています。だいぶ疲れていて、登れなくなっている人がでてきています。添乗員さんからは、無理をせずバスで待機しても良いと指示が出ています。港町の坂道ならこれくらいの所はたくさんありそうです。
 ここからも、まだ坂は続いています。何人かはあきらめて引き返していきました。

12 09/29 平戸市教会坂

 教会からは前の道をゆっくり下っていきます。生垣の切れたところからは、入り江の向こうにある高台が見えています。今いるところとだいたい同じくらいの高さです。その上には平戸城が見えます。天守以外にもたくさんの櫓が見えます。

13 09/29 平戸市千里ヶ浜

 歴史の道から道路を渡ったところに、平戸交流広場があります。バスはここに駐まっています。これで、平戸散策のコースを一周したことになります。バスがでるまでまだ少しあります。広場の一角にブロンズではなく茶色い色をした像があります。見に行きました。鄭成功の像と書かれていました。鄭成功はこの付近が生まれのようです。奥に見える道が歴史の道です。

14 09/30 平戸市千里ヶ浜防波堤

 朝は少し明るくなった頃に目が覚めました。ベランダに出て外を眺めてみます。日はまだ昇っていないようです。だいぶ雲は少なくなっています。それでも空が見えている部分は一部です。日の出は雲のすき間からになりそうです。

15 09/30 平戸市千里ヶ浜海岸

 そのまま日が昇ってくるのをみようか迷ったのですが、浜まで戻ることにしました。どこでも見えると思っています。
 防波堤のつけ根の所まで戻って見ると、木などがあって東の空が見えません。時間的には山の上から太陽が顔をだしていても良さそうです。浜に沿って進んで行けば木がだんだん低くみえるようになっていくので、そのうちどこかで見ることができるでしょう。

16 09/30 平戸市鄭成功記念公園

 浜を横切って海に流れ込む川を渡れるかどうか心配していました。さがしてみると、何とか飛び越せそうな所があります。そこで飛び越えて、川を渡ることができました。
 更に進んで行くと浜はだんだん狭くなっていきます。砂浜がほとんどなくなりかけたところに半円形に大きな石を並べて積み上げている所があります。真ん中にも岩があります。砂が流れていかないように組まれているようにも見えます。

17 09/30 平戸市生月島へ

 宿に戻って、食事に行きます。朝もバイキングでした。やはり料理かどこにあるのか探さないと見つけられません。お酒コーナーがなくなっている分だけ探しやすくなっています。
 焼き魚があったのですが生です。普通なら近くに七輪のような物があるのですが、見当たりません。探している内に眼に入ったのが、テーブルにある焼き肉用コンロです。これで暖めていただきました。ちょっと火力がもったいないような。

18 09/30 平戸市生月島大碆鼻へ

 生月島に入ってからバスは海岸に沿って北上していきます。目的地は島の北端にある大バエ灯台です。添乗員さんは、「おおばえ」というところにある灯台と説明していました。ハエ(碆)とは、岬上に海に突き出した平らな岩場をいいます。それの大きなものがあってそこを指しているのでしょう。
 町中を走っているところで左側に大きな観音様が見えます。反対側で見づらいので帰りにみることにします。

19 09/30 平戸市生月島大碆鼻

 灯台に着いたものの、灯台上は人がいっぱいです。下にはまだこれから登っていこうとする人もいます。このままあがっても、身動きが取れなくなるだけです。灯台は、空くのを待ってからあがることにします。その前に、灯台のまわりをぐるっと左回りに一周します。
 北側の広場のような所から西海岸に沿ってみたところです。先ほど溶岩層の見えていた崖があります。

20 09/30 平戸市生月島大碆鼻灯台

 灯台を一周した後では、灯台にあがっていたたくさんの人達はみんな降りて灯台からいなくなっています。これでゆっくりと景色を見ることができます。それはいいのですが、灯台近辺からもいなくなっています。まっすぐバスの方に戻っているようです。この周辺は閑散としています。バスの時間まではまだありますので、まだゆっくりと見ることはできるのですが、何となく不安になってきます。

21 09/30 平戸市生月大橋

 生月島から引き返していく道をたどっています。浦の町を再び通ります。来ると二期に見えていた観音さまを探しますが、どこかわからないまま通り過ぎてしまいました。町をぬけ生月大橋に入る手前にある道の駅生月大橋でトイレ休憩が入ります。
 生月大橋が見上げるような位置に見えています。橋の見やすい海側の方に行ってみることにしました。

22 09/30 佐世保市 パールシーリゾートへ

 この次は九十九島の遊覧船に乗ることになっています。どこにあるのかはわかっていません。少なくとも九州本土に戻らないといけませんから、平戸大橋には向かうはずです。そこまでは平戸島の北側を通るのか南側なのか、走っていてもどうなっているのかわかりません。
 山の中をくねくねと走っている内に、港のようなものが見えてきました。この後ずっと右側に海が見えていますから、来た道を引き返していたようです。

23 09/30 佐世保市 パールシーリゾート散策

 九十九島パールシーリゾートで最初にする事は、昼食を食べることです。降りて昼食会場まで移動します。雨が本格的に降りだしそうです。傘を持って行くことにします。
 歩道を歩いて行って、水族館の前まで来たところで、いったん止まって全員がそろうのを待ちます。この間に雨がひどくなってきています。傘をさすことにしました。待っている間に写した水族館です。ガラス窓の向こうには帆掛け船のようなものが展示されているのが見えます。

24 09/30 佐世保市九十九島遊覧船 出航

 遊歩道から遊覧船乗り場に戻ります。まだ少し時間があります。ビジターセンターものぞいてみましたが有為な情報は入手できませんでした。
 添乗員さんの指示した遊覧船乗り場への経路は、ビジターセンターの前の道を更に戻っていった先からはいることになっていました。ビジターセンターの中を突き抜けても乗り場に行けると案内が出ていました。それに従って行くと、遊覧船乗り場の待合室につきました。

25 09/30 佐世保市九十九島遊覧船 横島

 ここにつくまで、九十九島(くじゅうくしま)をつくもじまと読んでいました。普通に読めば良かっただけです。同じ長崎県の雲仙市市街地から海側に小さな小島がたくさんあって、この場所は九十九島と書いてつくもじまと呼ぶのを知っていたからです。字で書いたら区別がつきませんね。九十九島遊覧はてっきりこちらのことだと思っていました。今晩の泊は雲仙温泉なのでどちらに行くにしてもここを通ります。

26 09/30 佐世保市九十九島遊覧船松浦島

 ここまで島の名前を書いていますが、船に乗っているときには全然わかっていませんでした。帰ってきてから、GPSロガーの記録と地図とを見比べてなんとかわかったものです。船で説明もありましたが、たくさんありすぎてどれがどれだったのかわからなくなっています。
 船の放送によると、これから松浦島の湾の一つに入って行くそうです。湾の入口に向かって船は大きくカーブを切ります。後方には丈ヶ島や諸島などが見えています。

27 09/30 佐世保市九十九島遊覧船 外海側航行

 松浦島から抜け出した直後は、来た方向に戻り始めました。遊覧は終了で、このまま引き返して、港に戻るのかなと思えました。すぐに違う方角に向かい始めたようです。新たな解説が始まっています。
 左側に見えていたグヮタグヮン(この右側画面外のものかな)と黒小島です。グヮタグヮンは潟干(かたかん)が変化してできたものだそうです。背景の山は九州七郎鼻の山です。

28 09/30 佐世保市九十九島遊覧船 帰港

 九十九島の九十九という名前はたくさんという意味合いで使われています。実際にいくつあるか調べたそうです。一般的な島は満潮時に海面上にあるものを指していいます。ここでは、満潮時に海面上にあって、陸の植物が生えているものを島として数えたところ208あったそうです。どの範囲を調べたのかは定かではありません。

29 09/30 佐世保から雲仙へ

 船を降りたらトイレをすませたらすぐにバスに戻るように指示が出ています。土産屋さんも見ておきたかったのですが、指示に従います。呼子では余分なことをしたために少し遅れました。
 バスは宿のある雲仙温泉に向けて、すぐに出発します。佐世保市街に入ると、造船所のドッグが見えた後、物々しく周囲をフェンスで囲んだ一角が見えてきます。フェンスを含めて中は英語が氾濫していますから、米軍基地なのでしょう。

30 09/30 雲仙市旧八万地獄

 バスは雲仙温泉に到着します。ランクアップの宿と普通の宿の2つに分かれていて、先にランクアップの宿に行きます。普通クラスの宿を申し込んでいますからそのまま乗っています。次に運んでくれるのですが、いったん宿の前を行き過ぎます。降りてそのまま、宿に入りやすいようにターンしてくれました。入口が混雑しているので、雲仙地獄を見に行ってはという指示もでています。誰も行きませんでした。

31 09/30 雲仙温泉原生沼

 雲仙温泉にあった説明板によると、雲仙地獄の噴気活動の中心地は、西側からだんだん東へ移動しているそうです。旧八万地獄は昔は活動していたけれども今はほとんど停まっているところになります。その西側には、噴気活動の跡が原生沼として残されているようです。次はそちらの方に向かうことにします。
 旧八万地獄から林の中を通りぬけて、開けたところにあるのがカキツバタ公園です。ここのモミジの木が紅葉を始めていました。

32 09/30 雲仙温泉木花開耶姫神社

 原生沼はほぼ一周し終わっったようです。最初に通った道路に近づいています。結局、湿地性の植物がしっかりと見られるような場所はありませんでした。
 いまは屋根付きの休憩所のある広場にでてきています。広場の脇には鳥居があって、そこから山の中に入っていく道が続いています。鳥居には、木花開耶姫神社と書かれています。漢字は違いますがよく聞く名前です。八海山の上でも名前を見ました。

33 09/30 雲仙温泉 夜の旧八万地獄

 宿に戻ったのは、夕食時間の少し前です。売店などをのぞいたりして時間を調整します。向かいにある商店でおいしそうなみかんがあるということだったので、いって買いました。
 夕食は和食のコース料理です。ま、こんなものかな。ということはおいしかったのでしょう。
 食後に、外に出てみると星が見えているようです。旧八万地獄の方に行くことにしました。清七地獄に近づくと正面が非常に明るく光っています。噴気をナトリウム灯でライトアップしています。これだと星を見るのに影響が出るかも。

34 10/01 雲仙地獄 温泉神社から八万地獄

 今朝も空が明るくなり始めた頃に目が覚めました。そのまま散歩にでることにしました。昨日は、宿の隣にある雲仙地獄には行っていません。というより旧八万地獄、原生沼を優先して、今朝こちらの方に行くつもりで残していました。
 雲仙地獄には、温泉神社から入って行きます。鳥居をくぐって真っ直ぐ行くと拝殿が見えてきます。空を木々が覆っているので、この時間だとまだ薄暗くて、写真にははっきりと写りません。

35 10/01 雲仙地獄 お糸地獄

 林の間を抜けると再び噴気地帯に出てきました。お糸地獄と名付けられています。昔、島原城下にいたお糸という人が密通したあげく夫を殺してしまったために処刑されたそうです。その頃に噴出し始めたことに由来して名付けられているようです。家庭を乱すと地獄に落ちるという戒めが込められているそうです。

36 10/01 雲仙地獄キリシタン殉教碑

 お糸地獄まで来た時に、八万地獄の展望所に行こうとしていたのを思い出しました。いったん引き返して見に行きました。戻ってきてお糸地獄近くまできたところで、手前から山の方に迂回する道を通っていくことにしました。こちらにはキリシタン殉教碑があると書かれています。ここにあった石碑です。何と書かれているのか読めません。聖で始まっているのでキリスト教関係のものだということはわかります。

37 10/01 雲仙温泉大叫喚地獄

 キリシタン殉教碑から降りてきて出合った道を、お糸地獄とは反対側の方角に進んでいきます。温泉神社から遠ざかる方向になります。
 林の中の道を通りぬけると、再び噴気地帯に出てきました。大叫喚地獄といいます。噴気孔から聞こえてくる音が、地獄の叫び声に似ているということから名付けられたようです。

38 10/01 雲仙地獄泥火山

 邪見地獄から真っ直ぐ下りて行きます。道は林の中を通っていきます。50mほど歩いたところに、標柱が立っていて、上玻璃の鏡石と書かれています。横にあった説明文によると、地獄の入口で閻魔大王が亡者罪の重さを見るのに使う上玻璃の鏡で、亡者の行いが映し出されるそうです。
 もう一つ説明に書かれているのが、葬頭川の婆石で、閻魔大王が座っている場所と書かれています。後で調べたところによると、葬頭川は三途の川のことで、ここを渡ってきた亡者の衣服をはぎ取る鬼が脱衣婆で別名が葬頭河婆と書かれていました。

39 10/01 雲仙地獄 清七地獄

 お糸地獄地獄茶屋の手前にある緑色をした小さな川に沿って道が分岐しています。この川沿いの道を進んでいきます。
 このあたりは雀地獄と書かれています。あまり噴気のようなものは目立っていません。お糸地獄から流れてくる水のために草木があまり生えていないように見えます。川の真ん中あたりが硫黄の色で、時々水がかかるところが緑色になっています。

40 10/01 雲仙山 仁田峠へ

 雲仙地獄を一回りすると、朝食に丁度いい時間になっていました。いったん、荷物を整理してから朝食に行きます。終わって、出発の準備をしてロビーに降りていきました。だいぶ人が集まっています。荷物を置く場所があったので、そこに置いて出発を待つのですが、まだ30分以上あります。ぶらっと出かけることにしました。行き先はこの横の稲荷神社かおしどりの池にします。

41 10/01 南島原市 口之津へ

 仁田峠からは写真はたくさん撮っていませんでした。見られる範囲が限られていたからです。そのわりには大野木場の火砕流の流れたところとか、水無川沿いの土石流の跡とかの写真がありません。あまり気がついていなかったようです。
 仁田峠の展望所から駐車場に戻っていきます。青い花と黄色花が咲いていました。青はシオンと思っていました。聞かれたときにそう答えてしまいました。ノコンギクとかヨメナとか似た花はたくさんあったようです。黄色は、アキノキリンソウだと思っています。

42 10/01 天草イルカウォッチングへ

 口之津港からは、船に乗ってイルカ見学です。そのまま対岸の天草下島の鬼池港に渡る予定です。イルカを見ている間にバスは先ほど見えていたフェリーで鬼池港まで渡ります。バスが向こうに到着できているか心配だったのですが、これだと、それほどの待ち時間もなくバスは向こう側にいけそうです。
 フェリーが見えてから、口之津港まですぐにつくと思っていました。そのわりにはなかなか着きません。口之津港が見えてもそこを素通りしました。バスは、その先の民間駐車場のような所に入ります。バスの運転手さんはここに止めるように指示があったといっています。

43 10/01 天草イルカウォッチング1/2

 天草のこの地域でイルカが住み着いているというのは不思議です。遭遇率が99%というのは驚異的です。この海域だけエサになるものが豊富というのは考えにくいようです。たまたま見かけたイルカをエサでおびき寄せたよう感じもします。本当のところはどうなんでしょう。天草ジオサイトの説明では、ミナミハンドウイルカの生息海域となっています。

44 10/01 天草イルカウォッチング2/2

 イルカは2−3回水面に顔を出したらしばらく見えなくなります。その間は、次はどこに現れるか、周辺の海面を探して出てくるのを待ちます。だいたい船頭さんが見つける方が速いようです。ちょっと遠いと船は速力を上げてその場所に近づいていきます。遠くからだと、着いた時にはもう出てこなくなっていたりすることがあります。船縁に近すぎても、見づらいものがあります。適度な距離だけ離れているのがいいようです。時々、間に割り込んでくる船がいるのはいただけません。

45 10/01 天草上島へ

 二江港はこの海域のイルカウォッチングの拠点になっているようです。口之津にもイルカウォッチングの看板がありましたが、個人で営業しているような感じでした。こちらには大きな施設があります。
 ここで、バスの到着を待ちます。添乗員さんは外で待つようにと指示を出しています。係の人はバスがきたら放送するので中で待つようにといっています。言葉に甘えて中で待つことにします。お店とか魚の水槽とかがあります。お魚は買っても持って帰るにはちょっととなります。売られている魚以外にはそれほど見るものもなくすぐに見終わってしまいました。

46 10/01 天草上島

 旅行会社の行程表には、天草四郎像を車窓で見てから、天草五橋を絶景ドライブとなっています。添乗員さんは、次にいくところは日本最大の天草四郎像といっています。今は天草下島から天草上島に渡ろうとしています。天草五橋は九州三角半島から天草上島までの間にかかる5つの橋を指していいます。ということは、天草四郎像は天草上島にある事になります。でも、そのようなものはなかったような気がします。

47 10/01 天草から帰阪

 前に座っているお姉さんが、よく独り言を言います。熊本県の標識を見て、いつの間にとつぶやいていました。イルカを見ている間に熊本県に入ったよと教えてあげました。ここに来るまでの間にも、地図を見て今どこにいるのかとかよく聞いていました。この後でも、「さんかく」(三角:みすみ)とか「うど」(宇土:うと)「うじょう」(宇城:うき)とかよくつぶやいていました。読みにくい地名が多いですね。いちおう訂正はいれています。

48    感想など

 今回の旅行の目玉はイルカでしょう。何といっても遭遇率99%といううたい文句に誘われています。でも99%はオーバーかな。船が出せないときもあるので、もっと少なそうです。船が出たとして、外れたとき「まぁたまには」といえるように99%といっている感じもします。行って見た感じでは、かなり高確率で出会えそうです。
 たくさんというほどではないにしても、ちゃんとイルカが見られたという点で満足しています。

49    感想その他

 出発前に台風が接近してきました。この頃、よく台風に当たります。上陸・接近する数が増えているような気もします。秋にどこかに行こうとしたら、こうなるのは致し方のなところでしょう。直撃で旅行を中止せざるを得なかったというのは今のところありません。大昔に、旅行中に台風がやってきて旅行の行程を変えたということがありました。この時は、宿が直撃でキャンセルになったのですが、キャンセル料は請求されませんでした。



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