2019/09/29-10/01 西九州遊覧船
東北から帰ってきたものの、星が見られなかったのが心残りです。次の旅行は紅葉かなとは思っていますが、時期的には10月半ば以後になります。しばらく間が空きそうなので、どこか、行けるような所がないかと、紅葉の行き先もあわせて探していました。
パンフレットを送ってくるA社には、良いものが見つかりませんでした。ウェブでB社のものをみていたら、イルカ遭遇率99%というタイトルが眼に入ってきました。まさかとは思うのですが、興味が湧いてきました。行き先は西九州で2泊3日です。
詳細をチェックします。1日目は七ツ釜の遊覧をした後、平戸に渡りそこを散策してから近くの宿に入ります。宿の前は浜が広がっています。広々としたところはあります。明かりが心配ですが、星を見ることはできそうです。最悪裏山の中にも空き地のような所があります。七ツ釜は前回行っていますが、時化で上から見ただけです。船からみるのは様相が変わるのでいいでしょう。
2日目です。平戸島の奧にある生月島に渡って観光をした後、南下し佐世保の九十九島を遊覧し、更に南下、雲仙温泉まで行って宿泊です。生月島、九十九島も初めての所です。雲仙温泉は以前に行っているような。
3日目は、仁田峠まで行って雲仙山をみた後、口之津港から天草鬼池港に渡る途中で、イルカウォッチングをして、天草五橋を通って九州に戻り博多から新幹線で帰ってくるというコースです。遊覧船を3回乗ります。ふだん遊覧船はあまり乗りませんから、それなりに見どころとなるでしょう。
今回は紅葉までの中継ぎということで、今月9月末頃にしたいものです。9月は29日が新月です。問題は、28日に下水管清掃にために業者がくることになっています。出発日は29か30日くらいしかありません。空いているかどうかをチェックすると29日は空いています。この日で申し込むことにしました。タイトルは「天草諸島・九十九島・平戸・生月島4島巡りと3つの遊覧船」です。島の数が合いませんが気にしません。
カメラの撮像素子にノイズが出ています。撮像素子だけを交換しようとすると、交換費がかなりします。ちょっと足せば新しいカメラが買えます。どうしようか悩んでいたのですが、消費税が上がる前に買い換えることにしました。キャッシュレス決済をすればポイント還元をすれば安くなるかも知れなかったのですが店が限られそうなので、いまにしました。大阪市内まで出かけて。新機種を購入しました。カメラの下取りをしてくれるというので、一番古い一眼デジカメを持っていったのです、下取り金額はたったの500円でした。
その他の付属品はそのまま使えると思って、安心していました。出発直前になってカメラテストをすると、ケーブルレリーズの径があいません。リモコンが使えるかとチェックしてみたら、リモコンでは動作しないようです。ケーブルを取り寄せても、出発までに間に合うかどうかわかりません。径を交換するアダプターがないかと市内の家電量販店に探しに行きました。逆方向のアダプターしか見つけることはできませんでした。一応これを買って帰りました。
家捜しをしてみると、カメラの径にはまる工作用端子がありました。今あるケーブルスイッチの線をカットしこれにつけ替えました。カメラに差し込んで使ってみると、一応動作はします。これでいくことにします。逆方向のアダプターを買いましたから、今までのカメラにも使うことができます。
出発10日ほど前に、電子メールで最終案内ができたと送られてきました。案内を確認し印刷します。この旅行社は、郵送での案内送付はなくなっています。ついでに、旅行案内のページも印刷しておきました。
集合時間は新大阪7時50分動輪前です。いつもとほぼ同じ場所になります。余裕をみて7時過ぎの自宅出発とします。宿は1泊目平戸市ホテル蘭風、2泊目は雲仙温泉雲仙いわき旅館です。事前のカタログに載っていたのと同じ場所です。
出発前に荷物の準備をします。いつも持っていくもの以外に用意するものとしては、帽子クリップがいるでしょう。遊覧船に何回か乗ります。風で飛ばされることがあります。小笠原では海まで飛ばしてしまいました。飛んでもいいように、帽子と服の襟をクリップでつなげられる様になっているものが売られています。これを買って行くことにします。
いつもの折りたたみ傘は、持ち運びしすぎたためか、軸が少し曲がって、引き伸ば酢の固くなっています。消費税が増税になる前に、新しいものを買ってそれを持っていくことにしました。
昼食は、3回ともついています。前もって準備する必要がありませんが、最終日の夕食はありません。非常用の食料としてパンを買っていくことにしました。
カメラテストも兼ねていますから、いつものカメラとは別に新しいカメラも持っていくことにします。アストロトレーサーが使えますから、今回は重たい赤道儀はおいていくことになります。差し引きしても、だいぶ荷物が減ったはずですが、それでもリュックはいっぱいになっています。
直前になって、台風が発生し接近しそうになっていきました。東寄りのコースをとれば接近し、暴風圏に巻き込まれそうな位置です。西寄りだと、遠くを通過するのと、遠回りをする分通過が遅くなるのとあわせてあまり影響はないでしょう。出発直前までのようすを見る限りでは、はじめの予報にある西寄りのコースをとっているようです。次第に予報円は西にずれていっています。大丈夫な気はしますが、チェックはしておいた方がいいでしょう。
集合時間は、7時50分です。7時過ぎに家を出ることにしています。鉢類の水もそれほどしっかりやらなくても、3日くらいなら何とか持つようになってきています。対策を考えなくていい分だいぶ楽になって、その分朝はゆったりとしています。台風だけは気になります。チェックしてみました。だいぶ西寄りのコースをとっています。このままだと直接の影響はないでしょう。天気と海上のうねりは少し心配です。
駅に向かって少し歩いたところで帽子忘れに気がつきました。取りに帰る時間はありそうなので、取りに戻ることにしました。そのおかげで、新大阪到着はぎりぎりでした。
新大阪駅の集合場所は、1階にあります。階段を降りたところで、旅行社の旗を探しますがすぐに見つけられません。目の前に、A社が受付をしていました。中の一人は、八方で引率してもらった添乗員さんそっくりです。名前がすぐに思い出せなかったので、声をかけずに終わってしまいました。
受付場所は、案内に書かれていた通り蒸気機関車の動輪が展示されている場所の前でした。受付をすませます。再集合の場所とツアーの目印をもらいます。ここのものは、シールになっていました。ショルダーバッグに貼りつけたのですが、うまくくっつきません。はがれそうですが、そのまま行くしかありません。シールの裏紙を捨てる場所がなく、そのまま持ち歩きになります。
再集合で、新幹線の号車と座席を教えてもらってから、改札を通って新幹線のホームまであがります。同じ旅行社の別グループも一緒です。こちらは軍艦島に行くようです。そのツアーの添乗員さんが今日は上陸できないといっていました。降りる駅もしっかりと小倉と何回も念を押していました。我々は博多です。
のぞみに乗って出発です。新神戸から合流する人もいます。ここからの人は軍艦島ツアーの人と一緒に車両の離れたところに座ったようです。その後も、軍艦島ツアーの添乗員さんはゴミを集めたりとかこまめに動いていました。
小倉で軍艦島ツアーの人達が降りて、我々は博多まで行って降ります。バスの待っている場所まで移動です。移動途中にみた博多駅です。前回は反対側にぬけています。だいぶ建物の雰囲気が違います。
バス到着すると大きな荷物をトランクに預けて、座席を確認してから乗ります。座席は左側です。
席について、出発を待っていたら添乗員さんから報告がありました。間違えて小倉で降りた人がいるとのことです。置いてはいけませんから、次の新幹線で到着するのを待つのでしょう。出発が少し遅れます。しばらく待っていると添乗員さんに連れられて、降り間違えた人が、やってきました。これから出発になります。
バスは近くの入口から高速道路に入ります。新幹線を横切ってまっすぐ進んでいます。この方角だと博多港の方に行くことになります。みていると右側の窓に壱岐対馬に行ったときに使った博多港の建物が見えてきました。左側にも港が見えています。
海面に浮かんでいたカモメです。
糸島市付近を通過します。魏志倭人伝に出てくる伊都国があったと推定されているところです。道脇に、ヒガンバナが咲いているのがみられます。
しばらく山の中を走った後、海の見えるところにでます。坂を降りきって、川を渡ります。玉島川です。ここから唐津平野になります。
唐津平野にはいって、少し進んだところで昼食休憩が入ります。食事のおかずは、お刺身とイカ焼売です。取り立てておいしいというのはわかりませんから、評価は遠慮します。突き合わせが辛かったのはマイナスポイントです。自分だけかと思っていたのですが、他にも辛いといっていた人がいました。
食事が終わってから、お土産などの買い物時間があります。まだついたばかりなので、選ぶ気はしません。特に魚製品は帰宅するまで持たないでしょう。どんな店があるのかぶらぶらします。みかんが安かったので買いました。旅行中バス内で食べることにします。
何とか時間はつぶれて、バスの出発時間になります。降りたときは店前についたのですが、乗るのは奧の駐車場からです。指示された場所に行くとバスが待っているのが見えました。
バスは、再び橋を渡ります。唐津大橋です。下の川は松浦川になります。水門のようなものが見えています。
バスは、唐津市街をぬけた後、山の中を走ります。谷に沿って降りていき、少し開けたところで、町に出ます。呼子の町です。漁港横のおおきな駐車場から横に入る道脇にバスは止まります。ここが駐車場になっているようです。
ここから遊覧船乗り場まで歩いて行きます。添乗員さんは横断歩道を渡ってと指示を脱していますが、バスを降りた目の前をいきなり車が走り抜けていきます。道路脇がバスの駐車場になっていただけです。全体が駐車場と思っていました。真ん中は車道です。ここには横断歩道がありませんでした。
添乗員さんについていって、遊覧船乗り場に到着します。
停まっているのはジーラ号で、鷹島の方に行きます。我々の乗る船とは違います。一つ前のがでた直後なので、次の出発便の時間まで1時間近くあります。周辺のようすを見て時間をつぶします。
桟橋の対岸です。建物群の向こう側が。朝市の会場になります。
桟橋のいけすにいた魚です。エサをあげられるようになっていますが、ものすごい勢いで食いついてきます。怖いくらいです。
だいぶ待ち飽きて退屈してきました。まだまだ時間があるというのに、並んでといわれます。待っていると、船が入ってきました。これから乗る船だそうです。我々のツアー専用に臨時便を出してくれたようです。
船に乗り込むと当然船室内の席には座らずに、デッキに出ます。船室の上で見学できるようになっています。難点は船内放送が聞きづらいことです。
出発して、港をぬけたところで左手に見えるのが呼子大橋です。沖合の加部島との間にかかっています。橋の向こうに見えているのが波戸岬につながる半島です。秀吉朝鮮出兵の拠点となったところです。
波止の向こうに島が見えてきました。臼島です。名前の通りの形をしています。
更に進行前方の島です。鷹島です。鯨の形に見えるそうです。ジーラ号はこの近くまで行って、海中の魚をみる様になっています。
陸地の北側に沿って、東に進んでいます。左側には島が見えなくなってきたので、右側の陸地の方をみることにします。
岬の先が大きく削られて、岩石が露出しています。柱状節理のある岩石が崖の大半を占めています。玄武岩でしょう。よく見ると、手前側海岸近くに黄色っぽい色をしている地層が見えます。地層は手前側に傾いているのに対して、玄武岩との境界面は、向こうに傾いているようです。不整合といっていいのでしょう。
次に見えた入り江の奥です。柱状節理から落ちてきた岩がたくさん打ち上げられて、積み重なっています。
次の岬のつけ根のあたりにある小さな湾を塞ぐように、岩があります。その岩に穴が開いています。めがね岩です。前回は上からでしたが確認できませんでした。船内放送で見えると説明があったのですが、やっとどこなのか場所がわかったときは、行き過ぎかけていました。
右側の岩です。柱状節理がきれいに見えています。岩の割れ目が何かの動物が口を開けているようにも見えます。
岬の崖の柱状節理です。海面付近の物とその上では、節理の並びが違うように見えます。2回流れたのでしょうか
岬の先端近くです。いくつか入り江が見えます。崖には、ずっと柱状節理が続いています。
入り江の一つです。右側の尾根のようになっているところに遊歩道が見えます。前回、象の鼻という場所があるというので降りていったところです。船内放送は聞こえませんでした。象の鼻の説明があったのかどうか。
次の鼻の向こうに七ツ釜が見えてきました。入り江自体が薄暗いのか、海食洞は思ったより、はっきりとは見えません。
船は、七ツ釜のある入り江に入って行きます。近くで見られるようになっていいのですが、船首の上には、背の高い何かの機器のような物がたくさんあってこれが視界をさえぎっています。機器を入れずに写すのは難しくなっています。
だいぶ奥に入ってから横側の海食洞が何とか写せるようになってきました。逆に近すぎて、写すのに苦労します。
どんどん奥に入っていきます。この調子だと海食洞の一つに入って行きそうです。と思っていたら、船内放送で入ってくと告げられました。入口の天井はすぐそこに迫っています。
洞窟に入って、天井を見上げたところです。六角形の模様がよく見えます。白くなっているところは地下水のしみ出しによるものでしょうか。
洞窟側面の海面近くです。下の色が変わっているところは海の生物がこびり付いています。
ある程度はいったところで、船はバックして出て行きます。船室にいる人達は洞窟に入っていたというのがわかったのでしょうか。洞窟からでてから再び入口の上側を見上げてみたところです。
さらに奥に続く入り江です。船はこちら側には入って行きましたがすぐにバックで戻りました。2つほど海食洞が並んでいました。
スマホで写している人は手を高く上げていますから、どうしても写ってきます。
先ほど入った洞窟と左側に並んでいる洞窟です。入り江からでてきてから写したものです。
船は、バックから向きを変え更に東に進んでいきます。船内放送で、向こう側が見えるといっていました。どこのことか、どの洞窟の奧にあるのかわからないので、すぐにはみつけられませんでした。一番左側の洞窟でした。向こう側か見えたのもそれほど長い時間ではありませんでした。
船は七ツ釜から更に先へと進んでいきます。洞窟がつきぬた反対側までまわるのかなとみていたのですが、そこまで行かないうちに向きを変え戻っていくようになりました。ここから引き返していくようです。この先に立神岩があったのですが、見えていたのか確認するのを忘れていました。
ターンの時に見えた海沿いの岩場です。右側の小高いところの裏側が七ツ釜になります。七ツ釜の上にあった広場も見えています。
少し戻ってから後方の景色です。見えている島は神集島です。
七ツ釜のある入り江の、七ツ釜とは反対側の崖です。柱状節理の先端部がきれいに並んでいるのが見えます。
再び七ツ釜が見えてきました。
象の鼻といわれていた場所です。展望所は真ん中の岩の上にあります。船上から見る限りでは、どこにあるのかは確認できていません。
来るときに、柱状節理が2層かなとみていたところです。こちら側から見る限りでは、2層というのはあまりはっきりしません。
更にその先にも、2層あるのかなという場所がありました。柱の向きが下は縦、上は横になっています。
だいぶ港に近づいてきました。丘の上に呼子大仏が見えます。来るときに説明があったのかどうか。
桟橋が見えてきました。これで、七ツ釜遊覧は終了です。
終わった後は、トイレをすませてから、寄り道せずに戻ってくるようにとの指示がありました。
トイレの前の小川に小魚がたくさん集まっていました。ボラのようです。女性用トイレが並んでいるのをいいことに写真を撮っていたらいつの間にか最後になっていました。
次に行くところは平戸です。今は東松浦半島の北東端にいます。半島のつけ根の西側を抜けたいと行くことができません。どちらまわりにまわっていくか気になるところです。呼子をでてから、山の中に入ってしまうと、どちらに進んでいるのか全くわからなくなってしまいます。次に場所がわかったのは唐津市街に入ってからです。いったん引き返したようです。
途中の道脇に咲いていた花です。ヤマブキでしょうか。バスの動きが速くぶれてしまった細かいところまでは写せていません。
唐津市街でみたヒガンバナです。白い花が混じっています。白いのは九州ではよく見かけます。
唐津からは高速道路も使って松浦半島を横断し、伊万里市にぬけたようです。このあたりでもヒガンバナがたくさん咲いているところが見られます。
伊万里市街に入る手前で、大きな崖が見えました。ここも柱状節理のようにも見えます。柱が太く形もすっきりしていません。単なる地層なのか。
横を流れる川に架かる橋の下に鵜がいました。カワウなのかウミウなのか。遠いのとくらいので区別ができません。
大きな橋を渡ります。伊万里湾大橋です。伊万里港から伊万里市街地が見えています。
少し進むと川のようなものが見えてきました。だいぶ潮は引いてきているようです。サギがやってきています。
地図では、埋め立て地から陸地を見ているようになっています。
再び高速道路に入ります。途中の今福IC付近では段々畑が広がっているのが見えます。
高速道路の終点は松浦市になります。
松浦市街地に近づいたところで、一般道に入ってすぐに川を渡ります。川底を見る限りでは、だいぶ潮が引いてきているようです。干潟のようすも気になります。
橋を渡ったところで、休憩という説明がありました。すぐ先の海のふるさと館という場所に入ります。バスから降りてみたふるさと館です。
入口には人形のようなものがありました。フクロウなのでしょうか。
公園も併設されています。植わっていた木です。シロダモのようです。こんなに丸いつほみがついてるのを見たことはありません。
建物の右側がトイレになっていて、その裏に松並木が続いています。トイレをすませてから見に行くことにしました。松並木です。
松並木のすき間から、干潟が見えます。
道を進んでいった先からは、干潟が見えるようです。時間がぎりぎりですが、見に行くことにしました。見えた干潟のようすです。だいぶ海底が露出しています。
少し陸側です。白い大きな建物の前に橋があります。ここを通ってきました。この向こう側が松浦市街地になります。
ゆっくり見ている時間はありません。すぐにバスに戻ります。
バスはふるさと館から西に走っていきます。左側しかみえていなかったので、どうなっていたのかわかりませんが、ずっと山の中を走っていたように見えます。ほとんどの区間で、並行して走る線路が見えました。JRと思っていたのですが、松浦鉄道と書かれていました。三セク化されたようです。
線路沿いにヒガンバナが咲いているところでの1枚です。
いつの間にか、平戸大橋を渡るところまで来ていました。前に来たときは有料でした。無料になった直後のようです。橋の上から見た平戸瀬戸(南側)です。
平戸島側の海岸です。だいぶ潮が引いているのがわかります。上は公園になっているようです。
平戸の町に入っていきます。ここにめがね橋があったのを思い出しました。隣の橋を渡るときには車窓側に見えていました。幸橋です。
右折して川沿いに海の方に向かいます。交流広場の駐車場にバスが入っていきます。ここからは、丘の上に教会があるのが見えます。
交流広場でバスを降りて、ここから町中を歩いて行くことになります。海を隔てた対岸の丘の上に平戸城が見えていました。こちらの方に行きたいといっている人がいました。
天守の拡大です。人がいるのが写っています。
平戸市街散策は、お城のある方ではなくこちら側の丘に登っていくようです。教会とお寺が一緒に見えるところがあるとか。SNSで話題になったところだそうです。添乗員さんの案内についていきます。
最初は平戸市の商店街のような所を通っていきます。ちょっと古そうな建物が並んでいます。
建物の車庫のような所に帆船の描かれた陶板が飾られていました。説明も書かれていますから、観光客向けと勝手に判断して写させてもらいました。
提灯屋があります。最近はほとんど見かけなくなりました。すんでいる隣町の商店街を抜けたところに1軒ありましたが、いつの間にかなくなっていました。何となく雰囲気が似ています。
路地に入ってその奥の坂道をあがっていったところに、教会とお寺の見える場所がありました。確かにお寺の屋根と教会の塔が同時に見えています。写真に写そうとしたのですが、真っ黒になって何が何だかわかりません。
露出を調整して何とかそれらしく写すことができました。空をよく見ると曇ってはいるのですが、どうも太陽がこの雲の向こうにあるような雰囲気です。完全な逆光です。晴れていたらしっかり写せたのかどうか。
別の場所からの物です。お寺らしくなりましたが、教会の塔が先っぽだけになっています。
お墓とセットにしてみました。教会がちょっと露出オーバーかな。
お寺と教会が同時に見える場所は坂になっていて階段が続いています。ここまでもだいぶ登ってきています。だいぶ疲れていて、登れなくなっている人がでてきています。添乗員さんからは、無理をせずバスで待機しても良いと指示が出ています。港町の坂道ならこれくらいの所はたくさんありそうです。
ここからも、まだ坂は続いています。何人かはあきらめて引き返していきました。
見えていたお寺の門です。金文字で瑞雲禅寺と書かれています。
少し坂を登ったところにある光明寺の山門です。両脇にソテツが植わっています。教会と一緒に写っていた建物は、ここの経堂と山門です。
坂を登り切ったところに平戸ザビエル記念教会があります。塀で囲まれた向こう側に見えます。マリア像が見えるのでそれを写しました
しばらくここでとどまっていた後、玄関側に移動します。遅い人を待っていたようです。添乗員さんを見られる範囲で先にいきます。玄関を入ったところにルルドの泉があります。本場の霊水で難病が治癒する奇跡があったことにより、それに模して作られたところが多いようです。
みんながこちらにやってきたので中に入ります。聖堂が見えます。黄緑色の大きな塔が特徴です。
横から見たところです。夕陽が当たっています。
聖堂前の階段を降りた正面に殉教者顕彰慰霊碑があります。日が陰り始めています。
教会からは前の道をゆっくり下っていきます。生垣の切れたところからは、入り江の向こうにある高台が見えています。今いるところとだいたい同じくらいの高さです。その上には平戸城が見えます。天守以外にもたくさんの櫓が見えます。
その右側です。赤い色をしたものが見えます。平戸大橋の橋柱のようです。向こうの山は九州本土なのでしょう。
そのまままっ過ぎ降りていく階段道があるのですが、そちらには入らずに車道の道を進みます。左カーブになっていて、右側遠くに立派な建物が見えます。松浦史料資料館になっている建物です。藩主をしていた松浦家が、明治時代に建てたものだそうです。
道は右カーブになりながら下っていきます。先ほどの階段道の下に出ます。ここからは少し下ったところからは民家が増えてきます。
下りきった道脇の左側に大きなソテツの木が見えてきました。
ソテツの木は大きいので道脇からは全景を写すことはできません。前にあった路地に少し入ったところから写したものです。
ソテツのある所から奧に続く石段です。石段の真ん中にどういうわけか、ヒガンバナの花が咲いていました。
更に進んだ所にある観音地蔵堂です。ここに来るまでの間にも延命地蔵堂というのがありました。
六角井戸です。六角形をしているのが名前の由来です。中国の影響を受けているとか。大きな井戸では、水神様が祀られていることがあります。左奥に見えている石組みがそれなのでしょうか。
ずっと進んで行くと、大きな階段の下に出ました。ここをあがっていくと松浦歴史料館と書かれていました。石段の上に像が見えます。
石段の下からまっすぐ進み道は歴史の道と名付けられています。平戸に関係ある人の像が並んで立っています。これはリチャードコックスでイギリス商館長だったそうです。
歴史の道から道路を渡ったところに、平戸交流広場があります。バスはここに駐まっています。これで、平戸散策のコースを一周したことになります。バスがでるまでまだ少しあります。広場の一角にブロンズではなく茶色い色をした像があります。見に行きました。鄭成功の像と書かれていました。鄭成功はこの付近が生まれのようです。奥に見える道が歴史の道です。
バスが次に行くところは、宿になります。来た道を引き返すと思っていたのですが、市街地をそのまま抜けていきます。幸橋の正面を通っていきます。
海沿いに出て、南に進んでいきます。後方には平戸大橋が見えています。雲は赤くなった夕陽に染まっています。
すぐに、宿に到着します。指示された部屋に入ります。オーシャンビューになっています。ベランダに出て海を眺めます。下に見えるのは千里が浜です。
西の空です。雲がたくさん出ています。夕陽は雲の中です。
湯色まで時間があるので、外に出てみました。星が見られそうだとチェックしていた、裏山の方からいってみます。道上は動物の糞がたくさん落ちています。懐中電灯で何とかよけることはできるでしょう。
チェックした場所から空をみると、不思議な色に染まっています。異世界に来たような雰囲気が漂っています。
西側です。このようすでは日は完全に沈んだようです。
山の間に、奇妙な形で雲が湧き上がっていました。
浜の方にもでてみました。浜には明かりはないのですが、ホテルの灯りが3つほど強いのがあります。星を見るのには邪魔になりそうです。防波堤が伸びているので、その先も行きました。途中に水たまりがたくさんあります。よけるのはしんどそうです。先端にでても、ホテルの灯りはしっかり届いています。
そのままホテルに戻ると、夕食と指定された時間の少し前です。添乗員さんがもう入ってもいいと教えてくれました。一度部屋に戻って荷物を整理してから、夕食会場に行きました。
夕食はバイキング形式になっています。空いている席が見つかりません。だいぶ奧の方でやっと見つけることができました。入口付近の目立つところは少ないようです。席を確保してから、食べるものを集めに行きます。探してみたのですが肝心なご飯とかお茶、味噌汁などを見つけることができませんでした。ご飯はさんざん探してやっと見つけました。
つぎにおかずになるものを探します。これもあまり種類がありません。そのわりには、お寿司とか焼きめし、おそばにうどんといったものはたくさんあります。焼き肉ができるというのが売りのようですが、肉もそれほど種類はありません。欲求不満のまま食材を選んで、食事をすませました。
食材を見つけられにくかったのは、食材を置いてある場所の中心部の大部分をお酒コーナーが占拠していたためのようです。肝心の食べ物やお茶類が隅に追いやられています。それとこのような食材だと、焼き肉をしながらお酒を飲むという食事方法が標準設定のようです。お酒を飲めないと最悪です。焼き肉をしながら、お寿司や麺類を食べるというパターンしかなかったようです。あまり好きな食事形式ではありません。満足がいかないまま食事を終了します。
食後、星が出ていないか外に見にいったのですが、でていないようです。早めに寝ることにします。
朝は少し明るくなった頃に目が覚めました。ベランダに出て外を眺めてみます。日はまだ昇っていないようです。だいぶ雲は少なくなっています。それでも空が見えている部分は一部です。日の出は雲のすき間からになりそうです。
朝食までの間に、海岸を歩いてみることにしました。建物のある所から坂を降り、道路を渡ったところから浜までの間が鄭成功記念公園です。芝生の広場です。
そのまままっすぐ浜まで出てみました。きれいな砂浜です。
沖合に延びる防波堤に沿って、先までいってみることにします。カニやフナムシが走り回るのが見えます。岩場のすき間に入り損ねていたカニです。
防波堤の先端まで来ました。ここは、広くなって展望所のようになっています。ここから、浜側をみてみます。大きな建物が泊まっている宿です。
先端部の先の海底です。四角い石がきれいに並べて敷き詰められています。小魚が、群れをなして泳いでいくのが見えます。
東の空です。だいぶ明るくなってきていて、雲もあかね色に染まっています。日は昇ったか、山陰に隠れているといったところでしょうか。
そのまま日が昇ってくるのをみようか迷ったのですが、浜まで戻ることにしました。どこでも見えると思っています。
防波堤のつけ根の所まで戻って見ると、木などがあって東の空が見えません。時間的には山の上から太陽が顔をだしていても良さそうです。浜に沿って進んで行けば木がだんだん低くみえるようになっていくので、そのうちどこかで見ることができるでしょう。
浜の波があたっているところです。カニが巣穴を作るのに掘り出した砂がまき散らされているのが見えます。
波打ち際近くです。潮が引いていて、砂から水が浸みだして溝を作っています。いくつかの溝が集まって大きな溝となり海の方に流れていっています。
波打ち際です。浸みだしてきた溝で、砂浜が波うっているように見えます。
少し進んだ所です。浜の高いところに黒い筋が波打ち際と平行にたくさんできています。黒いのは砂鉄のようです。
さらに進んで行くと、前方に動き回る小さな動物が見えました。シロチドリのようです。驚かさないよう慎重に進んで行きます。
波打ち際の方に走っていったかと思うと、どこからともなく他のシロチドリがやってきて、最終的には3羽になりました。
驚かさないよう、遠回りをして先に進みます。このあたりの砂浜には、貝殻がたくさん集まっているところがあります。
先に小さな川が流れ込んでいます。更にその先は砂浜がなくなって入り江のようになっています。この先進めるか心配になります。いけなければ、ここで引き返すということになります。
川の流れで砂が低くなっているところには、漣痕ができていました。
ここからみた対岸、九州側です。水平に雲がたなびいています。山の上に見える風車群は、長崎鹿町ウィンドファームです。
浜を横切って海に流れ込む川を渡れるかどうか心配していました。さがしてみると、何とか飛び越せそうな所があります。そこで飛び越えて、川を渡ることができました。
更に進んで行くと浜はだんだん狭くなっていきます。砂浜がほとんどなくなりかけたところに半円形に大きな石を並べて積み上げている所があります。真ん中にも岩があります。砂が流れていかないように組まれているようにも見えます。
近寄ってみると鄭成功児誕石と書かれていました。どれかはっきりしないのですが、真ん中のこの岩のようです。しめ縄までつけられています。まわりの岩は、この岩に大きな波があたらないようにしているのでしょう。
防波堤にあがる階段がありましたので、上から見ることができました。
ここに書かれていた説明によると、お母さんがこの岩にもたれかかって鄭成功を産んだというのがいわれがあるそうです。
浜はここまでです。浜に降りて引き返していきます。川を越えたところからは、上にある鄭成功記念公園の中を通っていきます。道ばたの草に朝露がついて光っています。
ずっと前方です。海岸から上ってきた朝霧が森の上を流れるように駆け上がって行くのが見えます。
公園と道路の間は、ハイネズが植えられていると書かれていました。この付近の海岸にはよく見られる植物だそうです。
鄭成功の像があります。背景の建物は泊まっていた宿です。
鄭成功顕彰の記念碑です。1852年に立てられたそうです。何が書かれているか読むことはできませんでした。
ここから宿まで、沢沿いの道をあがっていきます。道脇にはたくさんのツユクサが咲いていました。
宿に戻って、食事に行きます。朝もバイキングでした。やはり料理かどこにあるのか探さないと見つけられません。お酒コーナーがなくなっている分だけ探しやすくなっています。
焼き魚があったのですが生です。普通なら近くに七輪のような物があるのですが、見当たりません。探している内に眼に入ったのが、テーブルにある焼き肉用コンロです。これで暖めていただきました。ちょっと火力がもったいないような。
食後は、部屋に戻って雑用をすませます。台風情報も確認しました。はじめの予想よりだいぶ進度が遅くなってきているようです。旅行中は影響なさそうです。
出発時間が近づいたので、ロビーに行きバスを待ちます。バスは海岸近くの駐車場に入っています多。運転手さんはそこまで下りて行って、バスを回してきます。ご苦労様です。すぐに来たので乗ります。今日は右側の席になります。
バスは南に進み、港のような所をとおります。ここからは田んぼの奥にきれい形をした山が見えています。島最高峰の安満岳と鯛の鼻です。
ここから島を横断する道路に入ります。近づいてきた山肌には、岩が露出しているのが見えます。きれいな柱状節理が見えます。
島を横断した頃にきれいな棚田ができているのが見えました。
海岸に沿って西に進んでいく内に、対岸に生月島が見えるようになってきました。
町並みがはっきり見えるようになると、前方に橋が見えるようになってきました。生月大橋です。これを渡って生月島に行きます。
橋に入った所から見えた景色です。辰ノ瀬戸といいます。右側が平戸島左側で霞んでいるのが的島大島です。
辰ノ瀬戸の流れです。かなり速く流れているのかわかります。もうちょっとで渦を巻きそうです。
橋を渡ったふもとに町と港が見えます。浦漁港と書かれています
。
生月島に入ってからバスは海岸に沿って北上していきます。目的地は島の北端にある大バエ灯台です。添乗員さんは、「おおばえ」というところにある灯台と説明していました。ハエ(碆)とは、岬上に海に突き出した平らな岩場をいいます。それの大きなものがあってそこを指しているのでしょう。
町中を走っているところで左側に大きな観音様が見えます。反対側で見づらいので帰りにみることにします。
町をぬけると海を隔てた向こう側にいくつかの島が見えます。左側から的山大島、渡島、平戸島になります。
道は途中から高台にあがります。そこから見えた平戸島です。左側の高い山が白岳真ん中やや右に少し高い山が小富士山です。
島の北端に近づいてきたようです。眼下の海上には二つの岩が並んで見えます。大きな方が鯨島になります。
駐車場に到着です。バスを降りて走ってきた方をみると低い岬の上に風車が並んでいるのが見えます。それよりも海際の崖の方が気になります。きれいな柱状節理が見えています。岬は鞍馬鼻というようです。
ここから灯台のある所まで歩いて行きます。駐車場の端から左前方に切り立った崖が見えています。溶岩層のような模様が見えます。地理院地図には二番高りと書かれています。
階段を上がったところから道を歩いて行きます。道脇のボックスの中でサツマイモが売られていました。安いので買いたいといっていた人がいました。荷物になりそうなので少し迷いました。戻ってくるときに考えます。
進んでいった先から斜め後方を見たところです。平戸島が見えています。垣の岳から続く尾根のようです。
正面に灯台が見えてきました。目的地はすぐそこです。
灯台に着いたものの、灯台上は人がいっぱいです。下にはまだこれから登っていこうとする人もいます。このままあがっても、身動きが取れなくなるだけです。灯台は、空くのを待ってからあがることにします。その前に、灯台のまわりをぐるっと左回りに一周します。
北側の広場のような所から西海岸に沿ってみたところです。先ほど溶岩層の見えていた崖があります。
少し進むと、道脇に土手のようなものができていました。自然にできたものなのかコンクリートを吹きかけてかためたものなのか、微妙です。
すき間があったのでそこから下をのぞいてみました。海側にせり出してみるのはこれが限界です。海底の浅くなっているところの底は見えるのですが、波打ち際までは見えませんでした。
塀のような所に密集して生えている木です。調べたのですが、よくわかりません。該当しそうなものとしては、タチバナモドキ、トキワサンザシ、カザンデマリ等があります。
道にイチジクのような実が落ちていました。どこにあるのか見上げて探したところ、たくさん実がついているのを見つけました。オオイタビのようです。
灯台の下にあった計測器です。手前につけられている説明板には、波浪計と書かれていました。
空を見上げるとヒヨドリが群れになって飛んで行くのが見えました。
灯台を一周した後では、灯台にあがっていたたくさんの人達はみんな降りて灯台からいなくなっています。これでゆっくりと景色を見ることができます。それはいいのですが、灯台近辺からもいなくなっています。まっすぐバスの方に戻っているようです。この周辺は閑散としています。バスの時間まではまだありますので、まだゆっくりと見ることはできるのですが、何となく不安になってきます。
灯台からみた、バスが走ってきた方角です。中央の高い山が番岳で生月島の最高峰になりす。左側に霞んでいるのが平戸島で一番高いところが安満岳です。平戸島で見たときとだいぶ形が違います。
二番高りです。崖下の海食台もきれいに見えています。
島の先端方向です。左下平たい地面のような所が大碆鼻で、その先の小さな島が鯨島、沖合に霞んで見える島が的島大島です。
その右側です。左端の島が渡島、その右側に連なっているのが平戸島です。左端の一番高い山は白岳です。
誰もいなくなっていますので、バスに戻ります。途中にあったサツマイモ販売ボックスのことは忘れていました。
バスに戻っても出発までほんの少しだけあります。大碆鼻が気になっていたので探しました。この時点ではこれが大碆鼻とはわかっていませんでした。
大碆鼻をでてから次に向かったのが塩俵園地です。すぐに到着します。塩俵というのは、海岸の岩が塩俵を積み上げたように見えることに由来した名前です。海岸の崖にきれいな柱状節理が見えています。
波打ち際近くです。柱状節理の作る六角形の模様が見えています。これが塩俵のいわれとなったのでしょうか。
ここの玄武岩は説明によると松浦玄武岩と呼ばれるものだそうです。松浦半島一帯にこの玄武岩があるのなら、七ツ釜の玄武岩との関係はどうなっているのか気になるところです。ここからだいぶ離れています。
生月島から引き返していく道をたどっています。浦の町を再び通ります。来ると二期に見えていた観音さまを探しますが、どこかわからないまま通り過ぎてしまいました。町をぬけ生月大橋に入る手前にある道の駅生月大橋でトイレ休憩が入ります。
生月大橋が見上げるような位置に見えています。橋の見やすい海側の方に行ってみることにしました。
海に近づいて、海岸に沿って橋の方に行きます。橋の手前側に潮見神社と書かれた建物がありました。
できるだけ近づいたところでみた橋です。道はこの先は工事中で通れなくなっていました。
橋の下から、平戸島の方角です。
南側、平戸島の西海岸に沿った方向です。沖合に見える島は上阿値賀島、下阿知賀島です。
道の駅に戻り、店内を物色していたら、橋上を向こうからパトカーが何台もやってきました。島始まって以来の大事件が起こっているように見えます。もう少し到着が遅かったら、道が封鎖されてここまで戻ってこれなかったかも。
バスに戻って、行程を進めます。まずは橋を渡っていきます。辰ノ瀬戸を通過します。今回は橋の南側がよく見えます。潮の流れは速そうということだけわかります。
平戸島側の海岸の崖に白い岩が挟まっているのが見えます。一瞬だったので何がどうなっているのかは確認できませんでした。
この次は九十九島の遊覧船に乗ることになっています。どこにあるのかはわかっていません。少なくとも九州本土に戻らないといけませんから、平戸大橋には向かうはずです。そこまでは平戸島の北側を通るのか南側なのか、走っていてもどうなっているのかわかりません。
山の中をくねくねと走っている内に、港のようなものが見えてきました。この後ずっと右側に海が見えていますから、来た道を引き返していたようです。
このまま進んで、泊まっていた宿の前を通過します。更に進んでいった正面に平戸大橋が見えてきました。
平戸大橋にだいぶ近づきました。これから右カーブして橋を渡っていきます。
平戸大橋の上から見た平戸瀬戸です。速い流れがあるようには見えません。雨が降りだしてきているようです。
九州本土に入って、しばらく走った後の田園風景です。遠くの畔にヒガンバナがかたまって咲いているのが見えます。
海が見えてきました。大きな入り江になっています。江迎湾というようです。
ぐるっと回って、見えていた町を通ります。その先も入り江が続いています。潮が満ちているので入り江のように見えているだけなのかも。江迎川と書かれています。先には松浦鉄道の橋が見えています。
この先からは、山の中に入りどこをどう走っているのかわかっていません。時々高速道路も走ります。
道脇に富士山のような形をした山が見えてきました。写真を撮ろうとねらっていたのですがなかなかチャンスがありません。相浦中里IC付近で見えていたものです。頂上部だけになっています。愛宕山という名前はこの後乗った遊覧船の中で知りました。
相変わらずどこを走っているかわからないままバスは駐車場に入りました。ついたところは九十九島パールシーリゾートというようです。ここは芝生広場が広がっています。
九十九島パールシーリゾートで最初にする事は、昼食を食べることです。降りて昼食会場まで移動します。雨が本格的に降りだしそうです。傘を持って行くことにします。
歩道を歩いて行って、水族館の前まで来たところで、いったん止まって全員がそろうのを待ちます。この間に雨がひどくなってきています。傘をさすことにしました。待っている間に写した水族館です。ガラス窓の向こうには帆掛け船のようなものが展示されているのが見えます。
ここで止まっていたのは、遊覧船の乗り場と集合時間の案内をするためでした。説明が終わって、ビジターセンターの前の道を更に進んで行きます。振り返って写しています。
通りぬけたところにある広場です。桟橋のモニュメントのようなものが見えています。
広場の奧にある昼食会場のレストランに入ります。食事のメニューは、佐世保名物のレモンステーキです。実際に出ていたものは、厚めのスライス肉が数きれと、レモンのスライスが1枚乗っているだけです。ステーキというほどの肉ではないし、レモンも飾り程度です。名前負けしているような気がしました。レモンの香りや酸味がわかる程度の量は欲しかったと思いました。もう一度食べたいとはなりませんでした。
食後、少し時間があります。広場の奥には木道でできた遊歩道があって散策できるようです。行ってみることにしました。最初についたところは磯の上展望所という場所です。ここからは海がよく見えます。向こう側は元の島という島です。
陸地に沿って南側です。島なのか陸続きなのかよくわからないものが続いています。
海岸に降りられるところがありましたので降りてみました。といっても傘が木にひっかかって、うまく通りぬけられません。雨にかからないように、大きなものを買ったのが間違いだったのでしょうか。
海岸の岩石です。砂岩層のようです。
奇妙な形の丸い穴があります。直立樹幹のようにも見えますが、傘が邪魔でうまくかがめず、何か確認できていません。
ここから見える入り江の奥です。雨が降ってしずくがはねるのは見えますが、風がないので波はありません。
木道に戻り進んで行くとうみかぜ広場というところにでました。芝生広場があります。芝生の上に、キノコが丸く並んで生えているのが見えます。フェアリーリングです。緑の濃いところの縁にできているようにも見えます。
この奧に波の上展望所というのがあります。そこからも海がよく見えます。入り江に沿って南側です。こんもりしたところに恵比寿神社というのがあるようです。社のようなものも木の間に見えています。
そろそろ時間なので引き返していくことにします。
遊歩道から遊覧船乗り場に戻ります。まだ少し時間があります。ビジターセンターものぞいてみましたが有為な情報は入手できませんでした。
添乗員さんの指示した遊覧船乗り場への経路は、ビジターセンターの前の道を更に戻っていった先からはいることになっていました。ビジターセンターの中を突き抜けても乗り場に行けると案内が出ていました。それに従って行くと、遊覧船乗り場の待合室につきました。
まだ時間があるので、外に停泊している船を見に行きます。「みらい」という船が見えます。これから乗るのはこれではありません。という説明を添乗員さんがしていました。
待合室に入って、添乗員さんから乗船券を受け取ります。土産物屋さんなどをのぞいている内に、乗船のために並ぶよう指示が出ました。乗船になって外に出るとこれから乗るパールクィーンが停まっていました。
船内で見学できそうな場所を探します。もちろん船室の座席はパスです。外に出ると雨がかかる恐れがあります。これも避けたいものです。後部デッキに庇がありますのでここで見ることにしました。ベンチもあります。エンジンの排気ガスが流れてきますが、船が動き出すと気にならなくなるでしょう。
時間になり出航します。出発直後は湾内を進んで行きます。
左側に先ほどいた磯の上展望所が見えてきました。
岩場の上に鳥居が見えます。さきほど恵比寿神社が見えていました。これのものでしょう。海側にあるのも珍しいものです。
後方に富士山型の山が見えてきました。バスからはきれいに撮ることのできなかった愛宕山です。
右側は半島から元の島に代わっています。もうその南端部までやってきました。海岸にきれいな地層が見えています。
元の島もだんだん離れてきます。その向こうに見える山は九州の将冠岳や但馬岳、弓張岳です。
小さな島というか磯が見えるようになってきました。磯の向こうは七崎島かな。鳥の巣島といっていたような。遠くに九州の大崎鼻から高岳が見えています。
沖合にカニのような形に見える島があります。オジカ瀬です。パンフには潜水艦のような形の島と書かれています。端っこにある2本の松の木が目立っています。
ここにつくまで、九十九島(くじゅうくしま)をつくもじまと読んでいました。普通に読めば良かっただけです。同じ長崎県の雲仙市市街地から海側に小さな小島がたくさんあって、この場所は九十九島と書いてつくもじまと呼ぶのを知っていたからです。字で書いたら区別がつきませんね。九十九島遊覧はてっきりこちらのことだと思っていました。今晩の泊は雲仙温泉なのでどちらに行くにしてもここを通ります。
つくもじまは眉山崩壊でできた流山です。くじゅうくしまは沈降によってできた多島海になります。でき方が全く違っています。
右側に横島が見えてきました。ライオンが伏せているような格好をしているのが特徴です。
左側に見えているのが牧の島です。潮が引いているようで、海食台が広く露出しています。
牧の島の海面近くに見える地層です。コンボリュートラミナができています。地層ができたときに中の水分が表面に抜けていくときに、土を引きずってできたと考えられています。
桂島の磯です。海食台ができています。上に50cmくらいの岩が転がっています。石垣が崩れて残されたものでしょうか。左奥には横島が見えます。ライオンの正面に近くなっています。
船は桂島と牧の島の間にある海峡を通っていきます。ここは昔は谷だったからできるのですね。
桂島の反対側です。磯のように見えているのがチリクイ、その向こうにかすかに平戸島屏風岳が見えています。その左側の島は黒島、チリクイと桂島の間のあるのが高島です。
深白島のコブカかな。前に養魚場があります。
奧の島はネタギ島で手前は深白島の南にある島かな。
深白島かな。このあたりどれがどの島なのかわからなくなっています。地図と見比べてもどこが写っているのかよくわかりません。この島は岩がたくさん露出しています。
ネタギ島と深白島周辺の島です。反対側に割島といって、真っ二つに割れたような島があると説明があったのですがどれのことかわかりませんでした。
松浦島が見えてきました。向こうの高い山は赤崎岳です。
ここまで島の名前を書いていますが、船に乗っているときには全然わかっていませんでした。帰ってきてから、GPSロガーの記録と地図とを見比べてなんとかわかったものです。船で説明もありましたが、たくさんありすぎてどれがどれだったのかわからなくなっています。
船の放送によると、これから松浦島の湾の一つに入って行くそうです。湾の入口に向かって船は大きくカーブを切ります。後方には丈ヶ島や諸島などが見えています。
湾に入ったことで、両岸までだいぶ近くなっています。岸にある地層がきれいにたまっているのがよく見えます。
ところどころに深い入り江があるものの、岬の先端がすぐそこまで迫ってきます。
この湾はまっすぐではなく、少し曲がっているようです。船は蛇行するように進んで行きます。
横に見える入り江も、奧がだいぶ近くなってきています。そろそろ湾の一番奥に来ているようです。
船はここで減速せずにターンします。迫力のあるターンと船内放送がありましたが、じゅうぶん回れるだけの広さはあったようです。
ターンした後は、湾の奧からだんだん離れていきます。
途中にあったカーブも通り過ぎて、まもなく湾から出て行くようです。
松浦島から抜け出した直後は、来た方向に戻り始めました。遊覧は終了で、このまま引き返して、港に戻るのかなと思えました。すぐに違う方角に向かい始めたようです。新たな解説が始まっています。
左側に見えていたグヮタグヮン(この右側画面外のものかな)と黒小島です。グヮタグヮンは潟干(かたかん)が変化してできたものだそうです。背景の山は九州七郎鼻の山です。
右側に斧落としが見えてきました。写真に写っているのは先端部にある磯です。向こうの島はネタギ島になります。
斧落としの崖です。四角く彫られたようになっている所は磨崖仏があったように見えます。船内放送でもそのような事を言っていたような。
船は斧落としと丈ヶ島の間の狭い海峡を抜けていきました。
船は左にカーブして行きます。長南風(ながはえ)島と丈ヶ島の間を抜けるようです。右側に見えているのは長南風島です。
左側に諸島が見えています。ここの磯には変わった形の岩があります。パンフには狛犬のような形をしていると書かれています。そのように見えるでしょうか。
長南風島をぐるっと回るように進んで行きます。右側の台のようなものが乗っている磯があるのは長南風島で、左側の島が枕島です。これから長南風島と枕島の間を通っていきます、
左側に見えるのは枕島です。
枕島の横にオジカ瀬も見えています。松の木が離れて並んで見えないのでカニのような形ではなくなっています。これだと潜水艦かな。
九十九島の九十九という名前はたくさんという意味合いで使われています。実際にいくつあるか調べたそうです。一般的な島は満潮時に海面上にあるものを指していいます。ここでは、満潮時に海面上にあって、陸の植物が生えているものを島として数えたところ208あったそうです。どの範囲を調べたのかは定かではありません。
船は港に戻りつつあるようです。ネタギ島と左は桂島と牧の島が見えています。
左側には高島が見えています。船内放送では三角形と台形のあわさった島という説明がありました。
鮫のひれのような形の岩がある磯です。帆瀬かな。
チリクイからネタギ島、テンモク島、丈ヶ島等が見えています。
牧の島と桂島の間の海峡が見えています。出航直後はこの間を通りぬけていきました。
鳥の巣島から鼠島が見えています。このあたりも出航直後に通ったところです。
元の島の先端部を通過します。ここをまわればまもなく港に帰ります。
桟橋が見えてきました。これで船での遊覧は終了です。
降り際に、写した甲板上部です。
船を降りたらトイレをすませたらすぐにバスに戻るように指示が出ています。土産屋さんも見ておきたかったのですが、指示に従います。呼子では余分なことをしたために少し遅れました。
バスは宿のある雲仙温泉に向けて、すぐに出発します。佐世保市街に入ると、造船所のドッグが見えた後、物々しく周囲をフェンスで囲んだ一角が見えてきます。フェンスを含めて中は英語が氾濫していますから、米軍基地なのでしょう。
東彼杵町里郷付近です。棚田がきれいだったので写しました。
大村市武留路町付近での景色です。西臼杵半島が大村湾の向こうに見えています。
諫早市松里付近まで来ました。ここのイチョウの木は紅葉しています。
この近くにカステラ製造工場に立ち寄ります。車内販売で事前注文をしていたカステラを受け取るためです。わざわざ立ち寄るのなら、車内で注文を取る必要はなかったのでは。じゅうぶん買い物をする時間はありました。
どちらかというと、カステラより海の方が興味があります。駐車場から見える橘湾です。天草下島がかすかに見えています。
少し進んだ所で圃場整備をしていました。削った表層の土は真っ赤です。整備の終わったところでは、作物が植えられていて、芽が伸び始めたところです。赤と緑のコントラストの強いところをねらったつもりです。
雲仙市千々石町付近です。ヒガンバナの花がたくさん咲いていました。
雲仙市小浜町に近づいてきました。橘湾が見えています。太陽はだいぶ西に傾いてきています。
雲仙市小浜港です。橘湾マリンセンターの建物は古そうです。
マリンパーク入り口です。排水口から湯気がでています。温泉が湧きだしているようです。
ここからバスは山の中に入っていきます。雲仙温泉入口近くに来たときに山の上にごつごつした岩が見えてきました。平成新山でしょう。
バスは雲仙温泉に到着します。ランクアップの宿と普通の宿の2つに分かれていて、先にランクアップの宿に行きます。普通クラスの宿を申し込んでいますからそのまま乗っています。次に運んでくれるのですが、いったん宿の前を行き過ぎます。降りてそのまま、宿に入りやすいようにターンしてくれました。入口が混雑しているので、雲仙地獄を見に行ってはという指示もでています。誰も行きませんでした。
部屋に入って、荷物を整理してから散歩に出かけることにしました。フロントで地図がないかと聞いたところ、10円だそうです。別に案内がしっかりしているからなくても歩けるということですが、一応買いました。
宿の斜め前に見えていたお寺から行ってみることにしました。満明寺といいます。坂をあがって門の前までいったのですが、今日最後のおつとめをしているようで、中に入るのは控えました。
広い道を歩いて清七地獄につきました。ここは盛んに湯気を上げています。
目的地は、道路と反対側に入っていったところにある旧八万地獄です。星を見るところの候補にしている場所です。
丘の間の道を進んでいくと、開けたところにでました。噴気のせいで岩肌が露出しています。
真ん中に、広場のようなものが作られています。いってみます。
広場のあたりでじゅうぶん星は見えそうです。夜星ができているようならここに来ることにします。
ここから見える正面の斜面です。岩石が噴気によってだいぶ変質しているように見えます。
噴気は、ほんのわずかに残っています。温泉水の湧き出しも少しはあるようです。
横に大きな岩があって、その上にしめ縄のようなもので飾られた標柱が立っています。この付近に湯神少彦名大神が祀られていると書かれています。これのことでしょうか。「湯神少」という文字は読めます。
ここを、ぐるっと回って正面の展望所に行くことにします。途中に鬼石というのがありました。鬼が岩になったというような説明が書かれていました。
展望所に着きました。そこから見た旧八万地獄です。入口から広場までです。遠方で湯気が上がっているところは清七地獄です。
右側です。白岩が露出しています。草もあまり生えないようです。遠方は、ランクアップの宿のある一画になります。
湯神少彦名大神と書かれていた場所の拡大です。白い四角のものが説明の書かれていた看板で、右隣の岩の上に石柱のようなものが見えます。
雲仙温泉にあった説明板によると、雲仙地獄の噴気活動の中心地は、西側からだんだん東へ移動しているそうです。旧八万地獄は昔は活動していたけれども今はほとんど停まっているところになります。その西側には、噴気活動の跡が原生沼として残されているようです。次はそちらの方に向かうことにします。
旧八万地獄から林の中を通りぬけて、開けたところにあるのがカキツバタ公園です。ここのモミジの木が紅葉を始めていました。
このあたりも星を見るのには良さそうです。でも宿からちょっと離れているのが難点です。
公園の横の藤棚です。壁のようなものが作られています。
ここから道路を隔てて先にあるのが原生沼です。草原のように見えます。
沼を一周する道を歩いて行くことにします。沼の中心部は周囲の草などでよく見えません。道脇に咲いていた花です。サワヒヨドリでしょう。
何かが祀られているようなものがあります。これは、何なのでしょうか。
池の縁にある木に白い花がついています。シロマイコに似ていますが、このように穂状に飛び出さないことが違っているようです。
椿のような花です。お茶の花かも。形が崩れてきているので、はっきりしません。
沼に流れ込む沢がありました。チョロチョロっと流れています。
草の間から、ミズゴケのたくさんある場所がところどころに見えています。
原生沼はほぼ一周し終わっったようです。最初に通った道路に近づいています。結局、湿地性の植物がしっかりと見られるような場所はありませんでした。
いまは屋根付きの休憩所のある広場にでてきています。広場の脇には鳥居があって、そこから山の中に入っていく道が続いています。鳥居には、木花開耶姫神社と書かれています。漢字は違いますがよく聞く名前です。八海山の上でも名前を見ました。
神社にあがっていく道です。コンクリートで固められています。手作りという感じがします。
道の正面に、花こう岩でできたシンボルのようなものが見えてきました。自主規制をしています。
横の洞穴のような所にも対になっている感じのものがあります。これも自主規制中です。
神社本体の祠です。元禄の頃からあるそうです。家内安全、安産、子宝、子孫繁栄の御利益があるそうです。
神社を後にします。先ほどの広場に戻ってから、広い道まではすぐでした。沼の方をみると、アヤメのような植物が実をつけているのが見えました。沼沿いにあった解説文ではカキツバタがあると書かれていました。それでしょうか。
ここから道沿いに宿の方に戻っていくことにします。途中、曲がり角にある会館前で咲いていた黄色いヒガンバナです、
こちらは普通のヒガンバナです。並んで咲いていました。
道脇にお墓が見えます。入口に一乗院先住墓所と書かれています。私有地のようなので道から見るだけにしておきます。
宿の近くまで戻ってきました。正面には温泉神社の鳥居が見えています。
宿の前に温泉水をためたところがあります。手が入る大きさです。指湯と書かれています。
宿に戻ったのは、夕食時間の少し前です。売店などをのぞいたりして時間を調整します。向かいにある商店でおいしそうなみかんがあるということだったので、いって買いました。
夕食は和食のコース料理です。ま、こんなものかな。ということはおいしかったのでしょう。
食後に、外に出てみると星が見えているようです。旧八万地獄の方に行くことにしました。清七地獄に近づくと正面が非常に明るく光っています。噴気をナトリウム灯でライトアップしています。これだと星を見るのに影響が出るかも。
三脚がありますから。カメラを固定して何枚か写しました。
旧八万地獄に到着です。空を見る限りでは、ライトアップの影響はわずかにあるようです。カメラをセットします。上の方に向けて1枚写します。ベガが写っています。少しくらいようです。
露出を伸ばしてみました。これが限界のようです。こと座がはっきり写っています。雲の影響があるようです。
立っているのもしんどいので、座って星を見ようとしました。地面から熱が伝わってきて、熱いくらいです。結局我慢ができなく、立ってみることになりました。
写真撮影の向きを変えます。はくちょうが入りました。このあたりなら天の川が入ってきていいのですが、写らないようです。
露出を伸ばそうと、シャッターを開放にして、写します。適当なところで閉じようとするのですが、カメラが反応しません。強制的に電源オフにしてやり直します。オフにした時点での映像は記録してくれているみたいです。
カメラの向きを変えて映像チェックをして、再びセットすることを繰り返します。写真もどこを撮っているのかわからなくなってきています。これはまだはくちょう座が入っているようです。
変な色に空が染まっています。灯りの影響も受けているようです。どこを写しているのかもわかりません。
カメラの調子は悪いし、雲もあるようなので、このあたりで切り上げることにします。宿に戻ります。
今朝も空が明るくなり始めた頃に目が覚めました。そのまま散歩にでることにしました。昨日は、宿の隣にある雲仙地獄には行っていません。というより旧八万地獄、原生沼を優先して、今朝こちらの方に行くつもりで残していました。
雲仙地獄には、温泉神社から入って行きます。鳥居をくぐって真っ直ぐ行くと拝殿が見えてきます。空を木々が覆っているので、この時間だとまだ薄暗くて、写真にははっきりと写りません。
左奥に奥の院というのがあります。こちらの方だと高い木がないので、明るくはっきりと写ります。
奥の院から本殿側です。ここには、夫婦柿というのがあります。縁結び祈願のパワースポットだそうです。
本殿の前を通って反対側の雲仙温泉の方に向かいます。本殿前には狛犬が鎮座しています。ちょっと古そう。
温泉神社の横から、雲仙地獄に抜けます。ここにも鳥居と狛犬がいます。こちら側のものはだいぶ新しそうです。
最初に見えてきたのが、雲仙地獄の内の八万地獄です。人間の持っている八万四千の煩悩によっておちいった地獄という意味だそうです。
ここの地獄は、パイプがいっぱい張り巡らされていたり、温泉水を集めるために溝を掘っていりでるので興ざめです。近くの温泉旅館に温泉水を引き込むためのものでしょう。ちなみに泊まった宿は、敷地内で自噴しているそうで、この付近の宿の中では希少な部類なのだそうです。
高台から八万地獄を見下ろすところがあります。そこからの八万地獄です。
八万地獄を通り抜け、先に進んでいきます。ところどころに、草木が生えていなくて、白い岩がむき出しになったところがあります。昔噴出していた噴気の影響で岩が変質し、草木も生えにくくなったようです。白くなったところは温泉余土と呼ばれています。
林の間を抜けると再び噴気地帯に出てきました。お糸地獄と名付けられています。昔、島原城下にいたお糸という人が密通したあげく夫を殺してしまったために処刑されたそうです。その頃に噴出し始めたことに由来して名付けられているようです。家庭を乱すと地獄に落ちるという戒めが込められているそうです。
温泉水が噴き出しているところです。
正面には建物があって、温泉卵などが売られているようです。まだ朝早いので開いていません。横にかまどのようなものがあります。青ヶ島で見たひんぎゃのようなものでしょう。ここに卵を入れて蒸すのかと。
腰掛けるための石と、足を置く台があります。蒸気で足を暖めるようです。残念なことに高温のため使用禁止と書かれています。入れないようロープで囲われています。使用方法を見ると石板の上に足を乗せると書かれていますから、板の下に石板があるのでしょう。
建物の、さらに奥にも噴気地帯は広がっています。
道はまっすぐ続いています。その脇にも噴気で草木の生えていないところが続いています。
お糸地獄まで来た時に、八万地獄の展望所に行こうとしていたのを思い出しました。いったん引き返して見に行きました。戻ってきてお糸地獄近くまできたところで、手前から山の方に迂回する道を通っていくことにしました。こちらにはキリシタン殉教碑があると書かれています。ここにあった石碑です。何と書かれているのか読めません。聖で始まっているのでキリスト教関係のものだということはわかります。
ここからはお糸地獄がよく見えます。
十字架が立てられています。右側の碑文にキリシタン殉教記念碑と書かれています。とすると先ほどのは何だったのでしょうか。
そのまま道を進んでいくと再び噴気のでているところにつきました。
噴気地帯の中を通りぬける道に行き当たります。右側を見ると。お糸地獄が見えています。
この付近は暖かいのか猫がたくさんいます。道の真ん中で、完全に寝転がって気持ちよさそうです。道のレンガは噴気で少し変質しています。
降りて来た道から正面の方向です。噴出した温泉水が流れているのか、噴気がでている(あまり見えないが)のかどうかわかりませんが、川の流れのような所に沿って、草木が生えていない場所があります。
キリシタン殉教碑から降りてきて出合った道を、お糸地獄とは反対側の方角に進んでいきます。温泉神社から遠ざかる方向になります。
林の中の道を通りぬけると、再び噴気地帯に出てきました。大叫喚地獄といいます。噴気孔から聞こえてくる音が、地獄の叫び声に似ているということから名付けられたようです。
道の右側下にある広場です。たくさんの石が積み上げられています。
左側には展望所があります。ここから大叫喚地獄の噴気孔が見られるようになっています。前には石が積み上げられていて、その向こうは湯気で何も見えません。音だけが聞こえてきます。
先ほど石が積み上げられているのが見えていた広場です。賽の河原で石を積み上げると供養になるという風習から来ているのでしょうか。
道を更に進んでいきます。いったん噴気は少なくなるものの、再び多くなってきます。このあたりは邪見地獄と名付けられています。ここの水を飲むと、不和の解消になるという言い伝えがあるそうですが、強酸性で飲むことはできないようです。
ここから振り返って見た、大叫喚地獄です。
邪見地獄は細長く続いています。中程まで来たところのようすです。
通りぬけるのにだいぶかかりました。そこから振り返って見た邪見地獄です。
邪見地獄から真っ直ぐ下りて行きます。道は林の中を通っていきます。50mほど歩いたところに、標柱が立っていて、上玻璃の鏡石と書かれています。横にあった説明文によると、地獄の入口で閻魔大王が亡者罪の重さを見るのに使う上玻璃の鏡で、亡者の行いが映し出されるそうです。
もう一つ説明に書かれているのが、葬頭川の婆石で、閻魔大王が座っている場所と書かれています。後で調べたところによると、葬頭川は三途の川のことで、ここを渡ってきた亡者の衣服をはぎ取る鬼が脱衣婆で別名が葬頭河婆と書かれていました。
標柱の先には、表面が平らな岩が転がっています。これが上玻璃の鏡石でしょう。
葬頭川の婆石はこの後方にあると書かれています。この向こうを探したのですが、それらしきものは見当たりません。あきらめて、振り返って見ると斜面のちょっと上に葬頭川の婆石と書かれた標柱があるのに気がつきました。後方というのは、岩の後方ではなく、見ている人の後ろ側のことでした。標柱の向こう側の大きな岩が葬頭川の婆石なのでしょう。
この先の水の色です。緑がかった色をしています。主成分は硫黄のようですが何か混じっているのでしょうか。
少し降りたところの木です。サクラかな。葉の色が変わり始めています。
道は広いところにでました。このまま真っ直ぐ行けば、ランクアップの人達が泊まっている宿の前に出ます。そのまま道沿いに行けば宿に戻れますが、通ってきた道との間を抜ける道がありますので、そちらから戻っていくことにします。
途中から脇に入ったところに泥火山があります。泥が吹き出して周囲に流れているようすがわかります。高さは2−30cmといったところでしょうか。
水たまりの中でも時々何かが吹き出しているのが見えます。
道に戻って進んで行きます。再び噴気地帯に出ています。横切る小さな川の流れが濃い緑色をしています。絵の具を巻いたように見えます。
道の正面には。お糸地獄にあった地獄茶屋が見えています。
お糸地獄地獄茶屋の手前にある緑色をした小さな川に沿って道が分岐しています。この川沿いの道を進んでいきます。
このあたりは雀地獄と書かれています。あまり噴気のようなものは目立っていません。お糸地獄から流れてくる水のために草木があまり生えていないように見えます。川の真ん中あたりが硫黄の色で、時々水がかかるところが緑色になっています。
説明文を読んでみると、水の中に小さな泡が立ってそれがはじける音が、雀のさえずりに聞こえると書かれていました。水のたまっているところをよく見ると小さな泡がたくさんできているのが見えました。水底からも泡が浮き上がってくるのが見えます。
解説板に、このあたりにはツクシテンツキという植物がたくさんあると書かれています。カヤツリグサ科の植物で、酸性の強いところでも育つそうです。写真と比べてみるとこれのようです。
小さな川に沿って下っていくと再び噴気地帯に出ました。清七地獄です。
清七地獄を通りぬけた所から、振り返って見たようすです。向こうの建物の左側にも噴気のでているところが見えます。このあたりがお糸地獄になります。
前を通る道路の向こう側です。噴気で草木の少ない一画があります。手前にお地蔵さんがいます。お地蔵さんは閻魔大王の仮の姿ともいわれています。
横に駐車場があります。一つの区画だけ柵で囲まれています。のぞいてみると真ん中に穴が開いていて、そこから噴気が吹き出しています。この付近ではいつどこから吹き出してくるのかわからないようです。
雲仙地獄を一回りすると、朝食に丁度いい時間になっていました。いったん、荷物を整理してから朝食に行きます。終わって、出発の準備をしてロビーに降りていきました。だいぶ人が集まっています。荷物を置く場所があったので、そこに置いて出発を待つのですが、まだ30分以上あります。ぶらっと出かけることにしました。行き先はこの横の稲荷神社かおしどりの池にします。
稲荷神社は、道路から脇に入っていくとあります。その道は見つけられずに通り過ぎてしまいました。あきらめておしどりの池を目指します。案内もあったのでその通りいったのですが、見つけることはできませんでした。戻らないといけない時間になっています。引き返します。通った道からは、池沿いに建物が並んでいて見えなかったようです。
戻りは、違う脇道を通っていきます。途中に湯の里公園というのがありました。句碑があります。後の木が紅葉を始めています。
公園は斜面にあります。横の水路はどちらかというと滝に近い傾斜で流れています。
ここを上がった所から少し行くと宿に戻ることができました。出発の少し前でした。待っているとバスがきたので乗り込みます。今日は左側の席です。
これから行くのは仁田峠です。前回来た時は、霧が濃かったために行っていません。まずランクアップの宿に泊まっている人を迎えに行き、引き返して温泉街の入口から山に入っていきます。前回きたときは仁田峠に行く道路は有料だったのですが、今は無料になっています。有料だった頃からあるゲートを通過します。そのまま道を進んで第一展望所の駐車場に入ります。
駐車場からは、少し坂を登って妙見岳に行くロープウェイ前の広場に行きます。坂の途中で、モグラが死んでいました。地中に戻れなくなったのでしょうか。
ロープウェイ前の広場から見える雲仙岳の中心部です。3つ並んだピークの内左端が普賢岳、右端が平成新山です。平成新山には溶岩層の断面が見えています。こちら側にも崩れ落ちています。平成新山噴火の最後のころに何回か、こちら側にも火砕流が流れたことがあります。主体となったのは、この向こう側の斜面になります。
遠くの景色です。三角半島から大矢野島が見えています。
真ん中付近の拡大です。左端が三角半島の三角岳、真ん中が大矢野島の紫尾山と飛岳です。その向こうにはうっすらと不知火海が見えています。
広場の脇にある、普賢神社です。そちらに行って写真を撮っている人がいます。
麓側深江町の方角になります。水無川の流域です。手前側は火山灰や土石流で埋まってしまっているように見えます。真ん中あたりから左上の方にかけて昔の川の跡が見られます。ほとんどの火砕流は真ん中左側にある山の向こうの谷から真ん中付近にかけて流れています。
手前に見える土石流跡の拡大です。かなり新しそうです。
広場の横に見える山は妙見岳です。ここから山頂までロープウェイであがっていくことができます。
斜面にある木が紅葉していました。
仁田峠からは写真はたくさん撮っていませんでした。見られる範囲が限られていたからです。そのわりには大野木場の火砕流の流れたところとか、水無川沿いの土石流の跡とかの写真がありません。あまり気がついていなかったようです。
仁田峠の展望所から駐車場に戻っていきます。青い花と黄色花が咲いていました。青はシオンと思っていました。聞かれたときにそう答えてしまいました。ノコンギクとかヨメナとか似た花はたくさんあったようです。黄色は、アキノキリンソウだと思っています。
ノアザミの花です。アザミ類も鑑定が簡単ではありません。種類までは詳しくわかっていません。スズメガがやってきてホバリングしながら蜜を吸っています。
バスに戻りました。ここからは山を下りて行くことになります。来た道を引き返すと表いたら、違う方向に行きます。これでどちらに向かっているのかわからなくなりました。何となく引き返しているのではとみていたら、再び宿の前まで戻ってきていました。清七地獄です。
雲仙温泉街を通りぬけて島原半島を南側に抜けていきます。山の上にごつごつした岩場が見えます。妙見岳とその右側にくっつくように平成新山が見えています。右側は矢岳です。
山道を走っているときに時々、平成新山が見えます。中央の高い山です。岩がむき出しです。ここからだと溶岩が流れていった方向がわかります。
そのまま国道を下りて行って口の津にでると思っていましたが、違う方向に入っていったようです。港にでて右折して進んで行きます。口之津よりだいぶ北寄りのところにでたようです。遠くに天草上島が見えています。
いったんトイレ休憩が入ります。普通の駐車場に併設されているトイレを利用することになります。ここは何もないところと思っていました。道の向こうには原城趾と書かれています。天草四郎が立てこもった城です。そこへの見学用の、駐車場のようです。原城趾そのものはどれかわかりません。
ここからも平成新山が見えています。だいぶ霞んできています。横に並んでいるピークが普賢岳です。噴火前は、普賢岳より低かったものが、溶岩でだいぶ高くなっているのがわかります。
バスが出発して、原城趾の横を走ります。一番城跡っぽく見えたところです。ここから先は建物に隠れて見えなくなりました。
町中をしばらく走ると、海岸に出ました。沖合をフェリーがやってくるのが見えました。まもなく口之津港につくようです。
口之津港からは、船に乗ってイルカ見学です。そのまま対岸の天草下島の鬼池港に渡る予定です。イルカを見ている間にバスは先ほど見えていたフェリーで鬼池港まで渡ります。バスが向こうに到着できているか心配だったのですが、これだと、それほどの待ち時間もなくバスは向こう側にいけそうです。
フェリーが見えてから、口之津港まですぐにつくと思っていました。そのわりにはなかなか着きません。口之津港が見えてもそこを素通りしました。バスは、その先の民間駐車場のような所に入ります。バスの運転手さんはここに止めるように指示があったといっています。
目の前には船はいませんから、船のある所まで添乗員さん先導で歩いて行くことになります。口之津港とは反対側に進んで行きます。途中観音像が見えてきました。こちら側からだと背中が見えています。
正面に赤い橋が見えます。港をまたぐだけの橋のようです。
道脇に黄色いヒガンバナが咲いていました。名前を聞かれて、思い浮かんだ名前をいってしまいました。正しくはリコリスでした。
漁港のような所の桟橋の先に船に乗るようです。桟橋は水浸しです。その先に4艘ならんだ青みがかった船に分乗するようです。
乗る船は先頭のものになりました。救命胴衣をつけて船首側に座りました。定員だけ乗ったらすぐに出発です。
イルカウォッチングの間に電池が切れるのは困ります。チェックするとだいぶ減っています。今のうちに交換しておくことにしました。レンズは18−135mmのズームにします。望遠ズームだと近すぎると入りきらないことがあります。偏光フィルターをつけようか考えました。どの方向から出てくるかわからないということでつけないことにしました。後で考えると曇っているのでどの方角でもそれなりに効果があったようです。
そうこうしている間に、船は土平崎を過ぎて港のある湾から外海に出ます。岬の崖には地層のようなものが見えています。何でしょうか。天草諸島からは恐竜化石が見つかっています。
土平崎の西側です。南に緩く傾斜した所に畑が作られています。
その西側です。全体的に南傾斜の高台になっているようです。上にある段々畑の作る模様がきれいです。
更に西側が見えてきます。鬼池港へはもっと左寄りのコースになるはずです。目印になる亀島から離れていっているように見えます。イルカのいる場所がこちらなのでしょう。
ここから見えているのは小早崎から瀬詰崎のあたりになります。このあたりだとだいぶ地面は低くなっています。手前側に後から出た船が追い越して作った波が白い筋となって残っています。
その先にある瀬詰崎灯台が見えてきました。遠くに霞んでいるのは権田鼻付近になります。
正面に船がたくさん集まっているところが見えてきました。このあたりでイルカが見られるのでしょう。
天草のこの地域でイルカが住み着いているというのは不思議です。遭遇率が99%というのは驚異的です。この海域だけエサになるものが豊富というのは考えにくいようです。たまたま見かけたイルカをエサでおびき寄せたよう感じもします。本当のところはどうなんでしょう。天草ジオサイトの説明では、ミナミハンドウイルカの生息海域となっています。
さっそく現れたイルカです。
水中を進んでいます。
イルカは、どこに顔を出すかわかりません。でたと思ったらすぐに潜ってしまい見えなくなります。添乗員さんの声がしたのでその方向を見ると、見えたイルカです。
ひれが3つ見えています。少なくとも3頭はいるようです。
並んで泳いでいます。手前側のイルカのひれの後ろ側がぎざぎざになっています。この特徴のあるひれは、写した写真の何枚かに見られます。同じものなのでしょうか。
こちらに向かってやってきているようすです。
顔が写っているものを写すのがなかなか大変です。鼻の穴が見えるものは、何枚かあります。後のイルカのひれはぎざぎざになっています。
ひれが3つと、その向こうに水中にいる影が見えます。合計4頭なのでしょうか。
一番向こうのひれの手前に頭を出しているイルカがいます。拡大して見ると潮を吹いているように見えます。一番向こう見えるひれはぎざぎざです。手前のひれの見えるイルカの手前にもイルカの影が見えます。
ひれ3つと頭が1つ見えているので合計4頭です。一番手前に見えるひれがぎざぎざになっています。
イルカは2−3回水面に顔を出したらしばらく見えなくなります。その間は、次はどこに現れるか、周辺の海面を探して出てくるのを待ちます。だいたい船頭さんが見つける方が速いようです。ちょっと遠いと船は速力を上げてその場所に近づいていきます。遠くからだと、着いた時にはもう出てこなくなっていたりすることがあります。船縁に近すぎても、見づらいものがあります。適度な距離だけ離れているのがいいようです。時々、間に割り込んでくる船がいるのはいただけません。
イルカの写真を続けて掲載します。3頭います。ひれ横に口先だけが写っているのがいます。
意外と尾びれを写したものがありません。貴重な1枚です。
別のグループと一緒なのか、たくさん写っています。真ん中が4頭かな、前方でひれが2つ見えます。後方にもひれが1つ。真ん中のグループにぎざぎざのひれがあります。別のグループは他の写真にはそんなに写っていません。
ぎざぎざひれのイルカです。鼻の穴がよく見えています。
我々とは違うグループがイルカを見ているようすです。舳先に立ってみています。
船頭さんからもう引き上げると連絡がありました。一応皆に伝えておきます。もう終了のようです。見ていたのは30分なかったくらいかな。
どのあたりでイルカを見ていたのかが気になります。天草下島側を見てもどこかよく思い出せません。おっぱい岩とかがあったような気がしていました。
船は鬼池港とは反対の方角に進んでいきます。パンフに書かれていたこととは違っています。引き上げる途中、後方に見えていたイルカ観察場所です。2艘の船の間にイルカが出ているのが見えます。更にその向こうにぼんやりとフェリーが写っています。バスを乗せて天草下島に運んでいる途中です。鬼池港に向かっていないのは明白です。
島原半島側です。雲仙山が見えています。霞んでいますが一番高いところが平成新山、その左側平らになったように見える山頂部に普賢岳や妙見岳があります。普賢岳の手前の高い山が矢岳で雲仙温泉の背後にある山です。
船が進んでいく正面です。通詞島が見えています。
船は鬼池港ではなく、通詞島に渡る橋のつけ根にある二江港に入って行きました。
二江港はこの海域のイルカウォッチングの拠点になっているようです。口之津にもイルカウォッチングの看板がありましたが、個人で営業しているような感じでした。こちらには大きな施設があります。
ここで、バスの到着を待ちます。添乗員さんは外で待つようにと指示を出しています。係の人はバスがきたら放送するので中で待つようにといっています。言葉に甘えて中で待つことにします。お店とか魚の水槽とかがあります。お魚は買っても持って帰るにはちょっととなります。売られている魚以外にはそれほど見るものもなくすぐに見終わってしまいました。
なかなかバスはきません。船が見学を終えた時にフェリーが見えていたことには気がついていませんでした。その時のフェリーの位置からすると天草に渡ったのはこちらの方が早いでしょう。その後下船してここまでやってくる時間を考えるとこれくらいはかかるでしょう。
バスがやっときました。乗って次に行くところは昼ご飯の場所です。場所が書かれていないので、どこに行くのかがわかりません。鬼池港の方に向かって進み、そこまでの半分くらいの所まで来た時に添乗員さんから到着しましたと報告がありました。
バスを降りて、海岸沿いの道路を鬼池側に歩いて昼食会場に向かいます。食事はてんこ盛り海鮮丼です。ご飯に魚介類の刺身が載っています。そうすると、どうしても冷やご飯にのせることなります。ご飯の善し悪しがポイントとなります。
すぐに食べ終わりました。出発まで少し時間があります。ここで思い出したのは、前回この近くに来たときに石灰藻球打ち上げ浜というのがこのあたりにあったことです。ここではないか確認したいところです。昼食会場前の海岸沿いには高い防波堤が続いています。これでは海岸に降りることはできません。バスが停まっているのと100mほど反対側で防波堤が切れています。そこから降りられそうです。いってみました。
ここから何とか海岸に降りられました。砂浜の上を見るとすぐに白くて丸いかたまりが見えました。石灰藻球です。意外と簡単に見つけることができました。
そのまま、海岸沿いをバスの駐まっている側に歩いて行きます。防波堤を上がれなければ、ここまで引き返してこないといけないことになります。時間があるので行くことにします。
思ったよりたくさん石灰藻球はあるようです。このあたりならどこでも良かったようです。車を止める場所がないのが難点です。
先の方で、人が海岸に下りているのが見えます。ツアーの仲間のようです。そこまでいけば引き返さなくてもすみそうです。人が下りていた付近の海岸です。レキがたくさんありますが、この中にも石灰藻球が混じっています。白い色をしているものがそれです。砕けて小さくなっています。
対岸の島原半島です。雲仙山が見えています。眉山も見えているようです。
沖合に船が2艘並んでとまっています。イルカウォッチングをしていたあたりです。まだ出ているのでしょうか。別の場所に、あれはイルカではといっていた人がいました。双眼鏡で確認すると単なる波頭でした。
足元の砂です。大きな白い粒は石灰藻の砕けたものです。このあたりにかき集められています。
出発時間になったのでバスに戻ります。すぐに出発です。これで終わったという声が聞こえてきましたが、今日のバスでの行程はまだ半分も来ていません。まだ残っている方が長いですよと教えて上げました。
鬼池港の前を通ります。ここは沖合に亀島があります。亀島に続く砂嘴は潮位が高いせいかよく見えませんでした。
道脇にヒガンバナが見えてきました。白い花がたくさんあります。
本渡に到着です。天草瀬戸大橋が見えてきました。これを渡れば天草上島です。
旅行会社の行程表には、天草四郎像を車窓で見てから、天草五橋を絶景ドライブとなっています。添乗員さんは、次にいくところは日本最大の天草四郎像といっています。今は天草下島から天草上島に渡ろうとしています。天草五橋は九州三角半島から天草上島までの間にかかる5つの橋を指していいます。ということは、天草四郎像は天草上島にある事になります。でも、そのようなものはなかったような気がします。
まずは天草瀬戸大橋を渡って天草上島に行きます。橋の上からの本渡瀬戸です。
橋を渡り終わって、地上に降りるまでのループから可動橋が見えてきました。人が渡るためのものみたいです。
天草上島の北側か南側のどちらを通るのか見ていたら、左側に海が見えてきました。島の北側を通っているようです。すぐにエビの養殖場が見えてきました。
漁港の近くを通ります。上津浦港です。防波堤の灯台の向こうに雲仙山が見えています。眉山の形はよくわかります。かなりぼんやりとしてきています。だいぶ離れてきたようです。
すぐ先から有料道路に入りました。こうなると、天草五橋の内、一番こちら側にある松島橋の手前までの間には天草四郎像はないことになります。一体どこにあるのでしょう。
田んぼの広がった谷の向こう、島原湾を隔てて島原半島と雲仙岳が見えています。もうほとんど識別できなくなっています。
トンネルをぬけると、大きな崖が見えてきました。採石をした跡のようです。天草石か陶石ののようです。
沖合にたくさんの小島が見えます。天草松島と呼ばれています。
3つほどトンネルをぬけた先にも削ってできたような崖が見えます。採石場跡はたくさんあるようです。
有料道路は終わり、松島橋を渡ります。沖合に天草松島が見えています。結局天草上島には天草四郎像はなかったようです。
松島橋を渡ったところからは前島橋が見えています。その先に大矢野橋もアーチだけが見えています。
前に座っているお姉さんが、よく独り言を言います。熊本県の標識を見て、いつの間にとつぶやいていました。イルカを見ている間に熊本県に入ったよと教えてあげました。ここに来るまでの間にも、地図を見て今どこにいるのかとかよく聞いていました。この後でも、「さんかく」(三角:みすみ)とか「うど」(宇土:うと)「うじょう」(宇城:うき)とかよくつぶやいていました。読みにくい地名が多いですね。いちおう訂正はいれています。
松島橋を渡るとすぐに前島橋です。その後続けざまに中の橋、大矢野橋と天草五橋の内の4つの橋を渡ります。五橋の絶景ドライブは大半が終わったことになります。天草四郎像はどこにあるのでしょう。この時点で考えられた場所としては、大矢野橋の手前にあるビジターセンターくらいです。
前島橋を渡ります。海岸に地層が見えています。この付近に多く見られる中生代のものでしょう。
残った3つの橋も渡ってしまいました。大矢野島に入っています。海岸を走っているときにエビの養殖場が見えてきました。車エビでしょう。この付近にはたくさんあるようです。
ここから山の中に入ったところで、添乗員さんからもうまもなく到着という知らせが入りました。大矢野島の中にあったようです。ついたところは藍のあまくさ村というところです。ここでトイレ休憩になります。
先にバスの正面に見えている、天草四郎像を見ていきます。大きな像です。このような像が作られるのはこのあたりか島原半島くらいしかないでしょう。これくらいの大きさで日本一というのは妥当な大きさでしょう。
建物の入口にも、天草四郎像があります。前にいるのはシーサーでしょうか。狛犬なのか?
時間になってバスは出発します。すぐに三角大矢野道路の方に曲がっていきました。これでは天草五橋の最後の橋である天門橋はドライブできません。天草五橋ドライブと天草四郎像の順番が逆になってしまいました。
天城橋を渡ります。三角ノ瀬戸が見えています。天門橋は反対側なので見えません。2つも橋は必要だったのですかね。
ここをわたると九州になります。ここから宇土半島の北側か南側のどちらを通るのかが気になります。橋を渡り終えてから一般道に入ったあたりからどこを走っているのかわかっていません。三角駅の前を通りました。奥に見えている黄色い建物が駅舎です。カメラのピント合わせが遅れてだいぶ行きすぎてしまっています。
地図をしっかり見ていれば、ここを通った時点で北側なのか南側なのかはわかったはずです。鉄道は半島の北側を通っていることもあり混乱していました。鉄道の名前も聞かれました。JR三角線と答えています。
どちら側を通っているのかはっきりわかったのは山の中に入って再び海沿いに出たときです。海が右側に見えましたから南側を走っています。
海の名前も聞かれました。有明海といってしまいましたが、すぐに不知火海と訂正しました。その後もたびたび不知火と書かれているところがありました。前のお姉さんは「不知火」と「しらぬい」が結びつかなかったようです。
道路は湾を横切って作られているところがあります。そのようなところでは、左側の窓からでも海が見えます。潮はだいぶ引いているようです。鬼池港を通過したときは満ちていました。引くのが速いようです。
ここの湾はだいぶ干潟が広がっています。鬼池港を通過してからまだ2時間しか経っていません。この後の行程を考えると2時間もかかっってしまったというところでしょうか。まだまだ先は長いようです。
どこから高速道路に入るかが気になります。道に松橋ICへの案内が出ていました。ここに向かうと考えられます。ちなみに、まつばせと読みます。これも読みにくい。
松橋ICから高速道路に入りました。すぐに熊本市に入りますがすぐに隣の町です。熊本市の縁を走っています。しばらくは熊本地震の断層の近くを走ります。高速道路からだとどこなのか全然わかりません。
益城町を抜けて熊本市に入りしばらく走ってから、熊本北SAでいったんトイレ休憩です。小腹に入れるものを買い食いしました。
休憩が終わり再び北上していきます。八女市あたりでは茶畑が見えます。このあたりもお茶の産地として有名なところです。
筑紫平野を抜け、鳥栖から筑紫野、太宰府と抜けてきます。この先に水城があります。太宰府防衛のために作られた土塁と堀です。こちら側の窓からは建物が多くよくわかりません。反対側の窓を通しての写真です。
太宰府ICから福岡都市高速道路に入ります。この時のカーブで一瞬こちら側の窓から水城が見えました。カメラを用意していなかったので写し損ねました。
5kmほど走ったところで高速道路を降ります。ここの明太子屋さんによるそうです。お土産購入タイムだそうです。初日に購入予約を取っています。別に買い物をする必要はなさそうです。明太子は口に合いませんから買いません。ここに来たのは、予約品受取が目的のようです。後、駅到着の時間調整かな。駅で時間を作ってくれてもよかったかも。
20分ほどで博多駅に到着です。出発まで1時間ほどあります。駅構内で再集合の時間と場所を確認したらいったん解散です。
お土産は気にいったものがなかったので買っていません。夕食時間になっていますので軽くうどんを食べることにしました。今日から消費税が10%になっています。しばらくの間は、キャッシュレス決済で5%還元とかになっていますが、入った店では電子マネーしか対応していませんでした。
博多から新幹線で大阪に帰ります。初日に弁当を予約しています。受け取ってここで食べます。それ以外の荷物は全部棚に上げてしまいました。いつもなら重たい赤道儀が入っているので足元に置いているところです。暇つぶしに持ってきた本とか全部あげてしまったのですることがありません。通路側の席なので下ろすのも面倒です。ぼんやりと過ごしたまま新大阪に戻ってきました。
新大阪に到着です。車内で大阪市内行きの下車票をもらっています。そのまま在来線ホームに行き、最寄り駅で差額を払って下車します。後は。自宅まで徒歩です。
今回の旅行の目玉はイルカでしょう。何といっても遭遇率99%といううたい文句に誘われています。でも99%はオーバーかな。船が出せないときもあるので、もっと少なそうです。船が出たとして、外れたとき「まぁたまには」といえるように99%といっている感じもします。行って見た感じでは、かなり高確率で出会えそうです。
たくさんというほどではないにしても、ちゃんとイルカが見られたという点で満足しています。
記事には、イルカがいるのは餌付けしてとか書いていますが、天草のイルカセンターの説明では餌付けはしていないと書かれています。昔、していたけれども、やめてもその後そのまま居着いているということもありそうです。でもこれ以上は詮索しないで説明を信用することにします。
ガイドには200頭ぐらい居着いていると書かれています。ずっと見えていたのは同じ4頭のグループだったように思えます。ひれにぎざぎざがついたイルカがずっと写っています。同時に最大で見えたのは7頭かな。2桁いくかいかないかくらいの数が見えていたようです。200はオーバーのような。季節によって集まってきてそれくらいになるのかなとも考えたりします。200頭ものイルカを維持しようとなるとエサとなる魚の量だけでも大変な量です。
イルカの写真は60枚以上写しています。二江港でバスを待っている間に、撮れましたかと聞かれたので、見せたところたくさんあるのに感心していました。その人が写せたのはせいぜい10枚ほどだったそうです。
バックモニタ式のカメラだと、イルカのいる方に向けるだけでも時間がかかりその間に潜ってしまっていなくなっていたのでしょう。1眼レフだと、イルカの方を向いたまま、カメラを目に当てると、大概の場合ファインダーに入っています。300mm(35mm換算で450mm)くらいの望遠で大丈夫です。鳥などの写真を撮るときにこの方法でだいぶ写し慣れていることもあるのでしょうか。それでも口先を水面に出しているのを撮るのは至難の業です。見つけたときにはもう潜り始めています。
他の観光地も初めての所がほとんどでした。七ツ釜は2回目ですが、前回は海からは見ていません。平戸も2回目ですが、1回目はお城を中心にまわっています。幸橋は2回目ですが、今回はは車窓からの見学になっています。雲仙仁田峠も近くまで行きましたが、霧で何も見えないということで有料道路料金所で引き返しています。
完全に2度目というのは雲仙地獄だけでした。記憶が定かではなかったのですが、行ってみて2回目だと確認できました。
天草五橋は2回目ですが、これも走り抜けるだけです。こういうのも含めて初めてのところばかり行こうとするなら、山陽新幹線(他の鉄道や高速道路)がネックになってしまいます。許容範囲としておきましょう。
旅行では、それなりにいろいろなものが見られて満足です。星がほとんど見えなかったのは残念です。
観光地として行った場所は、長崎県が中心で佐賀県(七ツ釜)と熊本県(天草)が入っています。正確な定義がないようですが、一般的には佐賀県長崎県あたりは西九州と呼ばれるようです。長崎県が有明海で隔てられているように、天草も八代海(不知火海)で隔てられて西側にありますから、ここも西九州に含めていいような気がします。ということで行った場所は、強引に西九州とします。
観光地で時間を割いたのは、船で海上からの見学をしたところです。七ツ釜、九十九島は遊覧船だったのですが、天草(イルカ)は漁船のような船です。ぐるっと回ったというより一ヵ所に行っただけです。そういえば、七ツ釜遊覧船も七ツ釜に行っただけですから、それほど大差はないでしょう。救命胴衣を着ないといけないのはちょっと違いますが。ということで、今回の旅行記のタイトルは、「西九州遊覧船」と決まりました。
ツアーの案内で書かれていたコースで気になっていたところがあります。最終日のイルカ見学の部分です。口之津港から「感動のイルカウォッチングの体験」をしてから鬼池港に渡ると書かれています。その後天草五橋を絶景ドライブとなっていますから、島原半島から、天草諸島まで渡ることになります。
口之津港から鬼池港までフェリーがありますが、フェリーからイルカウォッチングをして鬼池港まで行くとは考えられません。この間は別の船なのでしょう。とすると、鬼池港に到着したときに、フェリーの時刻の関係もありますから、バスもやってきている保証はありません。というか、それほど都合良くフェリーがでるとは思われません。
この後、昼食になっています。鬼池港で食べるとするとこの時間調整ができます。案内書では、鬼池港からバスで昼食会場まで移動する事になっています。バスがフェリーで渡ってきて、我々のいるところに来られるかがどうしても気がかりになります。1日目のの晩に添乗員さんに確認したところ、不思議とぎりぎりセーフになっているとのことでした。
イルカウォッチングをした後、到着したのは鬼池港ではなく二江港(漁港)でした。ここは天草側のイルカウォッチングの拠点になっています。ということから、時間的な問題点が一気に理解できました。どうしてぎりぎり間に合うのかということです。
基本的にはこういうことでしょう。バスはフェリーの出航前に港に到着します。手続きとかの時間もあるので、少し早めの到着でしょう。折り返しのフェリーが入ってくる頃につけばじゅうぶんでしょう。口の津に近づいた時にやってきたフェリーが見えていたのはそういう時間にあわせたためでしょう。
イルカウォッチングの船は、正規に船に乗せる場所でないような所から出発しています。口之津でバスを降りた場所もそうです。イルカウォッチングの正規の出発場所は、発券センターとかがありますから二江港と思われます。ここで観光船会社とツアー会社と話し合って、二江港から迎えに来ていたのでしょう。陸上の車でこれをすれば白タクになりますが、宿の送迎と同じ扱いということなのかな。そのため、鬼池港まではいけなかったのかも知れません。
出航時間を合わせていますから、イルカを見ている間にフェリーは口之津港を出発し鬼池港に到着できます。実際はイルカの見学場所を離れたときには、フェリーはまだ海を渡っていました。バスが鬼池港に着くよりは、我々が二江港につく方が早かったでしょう。そのため、二江港での待ち時間が少し長くなったようです。
時間がうまく符合するのは、このようなからくりがあったからだと思われます。案内書に書かれている到着港が二江港ではなく鬼池港と違っていたのも、このからくりが関係して、きちんと書けなかったためなのかも知れません。
案内書に書かれていたことと違っていたのはもう2つあります。天草五橋の第一橋は渡っていませんから、天草五橋を全てを「絶景ドライブ」できていません。天草四橋になっています。ドライブといっても普通に景色が見えるだけですから、あまり期待はしていませんでした。説明がなかったので、いったのかな?となっていた人もいたのではないでしょうか。あまり案内書を見ている人はいませんでしたので気がついていたのかどうか。
これと天草四郎像の順番は、天草四郎像の方が後でした。添乗員さんはどちらかというと絶景ドライブよりはこちらを強調していました。こちらは案内書では車窓観光でした。車窓観光というのもよく見えないことが多いので、はじめから期待はしていません。反対側の窓側だと最悪です。
出発前に台風が接近してきました。この頃、よく台風に当たります。上陸・接近する数が増えているような気もします。秋にどこかに行こうとしたら、こうなるのは致し方のなところでしょう。直撃で旅行を中止せざるを得なかったというのは今のところありません。大昔に、旅行中に台風がやってきて旅行の行程を変えたということがありました。この時は、宿が直撃でキャンセルになったのですが、キャンセル料は請求されませんでした。
今回は、はじめの台風進路予想では、かなりきわどいところでした。次第に、西側にそれ、接近する時間も遅くなってきて、最終的にはほとんど影響のない状態でした。直撃されていたら船に乗るので、どうなっていたのでしょう。
一番の問題となるところは、島原から天草に渡るところだったでしょう。海を渡れなかった可能性があります。といっても、イルカを見て昼ご飯を食べて、その後は帰ってくるだけです。船がでなければイルカが見られないのはあきらめるしかないでしょう。
イルカを見る船がでなくても、フェリーは運航されたかも知れません。それで残りの行程を完結になりそうです。フェリーが止まると大変です。大阪に戻るとしたら、島原半島を引き返し、諫早あたりから高速道路で博多まで戻ることになるのでしょう。昼食会場にはたどり着けませんから、昼ご飯は抜きになるのか、どこか別の場所で設定されるのでしょうか。四郎像を見るとか絶景ドライブというのがなくなりますが、どちらもたいしたことがなかったので、そのまま帰っても問題はなかったでしょう。
今回の記事では食事の評価をだいぶ書いてしまいました。基本的にずば抜けておいしいという状況はわかりません。料理人やグルメリポーターのいう一家言にいたっては何を言っているのか理解できません。一定レベルより細かい差は全くわかりません。それなりに味わって食べられたらそれでいいのではと思っています。
逆に、これはよくないのではというのはあります。そういう意味で、不満の残る食事が多かったようです。帰りの新幹線で隣になった人もアンケート記入となったときに、開口一番に食事に対して不満を言っていました。こういうことは、個人的な好みの影響が大きく出そうで書くのは避けていました。「いいね」の評価はできませんから。でもダメならだめでその一言くらいは言ってもいいような気がしてきています。
1日目の、昼食は普通、ということはよかったのか。辛くて口に合わない付け出しがあったのは減点です。夕食が、種類の少ない焼き肉がメインで、目立ったおかずといえばこれだけ。ご飯で食べるには不満が残っています。お酒を飲むならこれでよかったのかも。でも飲めません。これと、お寿司といった味付のご飯と麺類とあわせて食べるパターンならまだましだったかも。うどん定食にするというのもどうかなという気はします。そういう想定ははじめからありませんから、何を食べたらいいのかでそうとう悩みました。食材の配置もバラバラで探すだけでも苦労しました。何をどう組み合わせるかも考えても結局はわかりませんでした。
朝食も、バイキングとしては食材の並びが悪く何をどう食べていいのかが全くつかめませんでした。バイキングというのは普通でも食材を選ぶのに苦労します。
昼食は、佐世保名物のレモンステーキでした。どう見てもステーキというボリュームの肉ではなかったし、レモンも申し訳程度にしか使われていませんでした。佐世保ではこま切れ肉を鉄板で焼いても焼き肉というのかな。少なくとも生姜焼き用豚肉よりは薄く小さかったようです。それに固かったというのもあります。名前に偽りがあるという気がします。
2泊目の宿の食事は晩・朝とも普通です。ずば抜けてというのはわかりませんから、よかったのかも知れません。
3日目です。昼食は、海鮮丼でした。海鮮はたくさん乗っていたのですが多すぎて、ご飯と一緒に食べるのは難しかったようです。ご飯は温かい内に食べるとおいしくても冷めるととたんに味がなくなるものがあります。暖かいままだと乗っているものが熱で蒸されたようになるので海鮮とはならないでしょう。ご飯はもう一つでした。
海鮮丼はしょうゆにわさびを溶かしたものを上からかけて食べるのが普通です。こうすればちょっとましだったかも知れません。しょうゆはあまり使わないようにしています。海鮮も味の濃いものはなかったようです。
夕食の弁当は500円のわりによかったようです。大きくもなく、新幹線の座席で食べるのにはじゅうぶんでした。博多駅でうどんを食べています。弁当があったので、こちらはなくても良かったくらいです。
一言が十言くらいになってしまったようです。
最終日の仁田峠展望所から駐車場に戻るときに、3種類の花が咲いていました。ブログではいろいろと花の名前を書いたりしています。基本的に、帰ってから調べた名前です。現地で写真を撮っていたら聞かれたので知っている名前を答えました。青紫色の花は、シオンと教えてもらったことがあるのでそう答えました。シオンにしては小さいと返答されました。横の白い花はヒメジョオンだったようです。シオンとジョオンは読みがそっくりです。帰ってから調べ直したところ、青い花はヨメナかノコンギクだったようです。写真を撮らなかったので、見直すことができず確定できていません。
旅行記「中国山地復興割り」の「34三次市甲奴町品の滝から三次へ 」に載せた花もシオンとしていましたが、ノコンギクだったようです。
雲仙温泉で星の写真を撮りにでかけました。カメラをセットして、撮影しようとスイッチを押してシャッターを開いた後、シャッターを閉じさせるためにスイッチを押しても反応しなくなってしまいました。てっきりカメラが壊れたと思いました。何回か試みたのですが、想定しているようにきちんと動作しません。途中で電源を切ると一応記録はしてくれていますから、何枚かは写すことができています。天気ももう一つだったこともあり、この時点で撮影を中止しています。
帰ってから、改造したケーブルスイッチを確認してみると、配線のハンダ付けが雑で、まとめられていなかった枝線がショートしていました。これが原因かなと考えたのですが、アダプターを使って別のカメラでチェックしてみるとちゃんと動作します。
買った直後なので、保証期間の範囲内です。購入したカメラ屋に確認したところ、修理に出してくれるみたいですが、持っていくのととりに行く交通費がだいいぶかかります。直接メーカーに発送した方が安くつくようなので、メーカーに発送することにしました。もちろんケーブルスイッチのことは内緒です。
入っていた箱にいれて送ろうとしたのですが、複雑に折りたたまれていた段ボールを開いてしまっていたのを、元通りの形にする事ができません。だいたいの形で箱に入るようにして発送しました。こんな複雑な折り方をよく考えるものです。
この間に、ケーブルスイッチもネットで購入しました。届いたものを見たところ、ジャックはマイクロジャックの3芯型でした。2芯型のものをつないでいました。ネットで調べてみるとこれでもじゅうぶん動作するとは書かれています。2芯3芯は故障の原因とは関係なさそうです。つけ替えたケーブルスイッチのプラグは元の大きさのものにもどしておきました。
1週間もしないうちにメーカーから電話があました。それによると、90分後に自動的にシャッターが閉じる設定になっていたとのことでした。90分経たないとどのような操作も受け付けないようになっていたみたいです。
調べてみると、タイマー露光という設定がありました。でもよく考えてみると、マニュアル露光の露出時間の設定と何が違うのでしょう。アストロトレーサーはバルブでしか動作しませんからそのためのものでしょうか。マニュアル露出の露出時間の最大は30秒ですが、吉らを伸ばしてもいいような気がします。それにアストロトレーサでは90分もトレースできないような。急に雲が流れてきてシャッターを閉じたいときもあります。意味があるのかな。少なくとも途中で中止する機能は欲しいような。
旅行中の歩数です。9月29日14231歩、30日19523歩、10月1日14999でした。よく歩きました。そのわりには多い日でも2万歩にわずかに足りません。船に乗っている時間で、わずかに少なくなったのかな。
使ったお金は、全部で62000円です。大半が旅行会社に支払った分です。それ以外は2500円ほど、お土産も含めほとんど何も買っていません。