ヨッシンと地学の散歩 > 旅行記
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2019/10/24-27 会津紅葉準備中


01    出発まで

 また紅葉の季節になってきました。行き先を自分で組むだけの余裕がありません。どこかいいところがないか旅行会社のパンフレットを探すことにしました。東北北部なら10月半ば、南部から信州なら10月末でしょう。いつも通り、星を見ることも考えに入れます。10月の新月は28日ですから、旅行期間は10月末となります。ということで、候補は、東北南部から信州あたりでということになります。

02 10/24 富山へ

 朝の出発はぎりぎりになりました。家を出て歩きながら携帯電話の電源を入れると、いきなり着信音が鳴りました。何かと思ってみると、SMSが届いています。メールは開いたことほとんどがないので、開くのに手間取り時間を使ってしまいました。添乗員さんからの連絡でした。座席番号が書かれています。歩いてはできませから立ち止まったままです。

03 10/24 糸魚川へ

 金沢駅には3分遅れで到着です。途中まで順調だったのですが、どこで遅れが出たのかはわかりません。ここからは新幹線に乗り換えです。つるぎの乗り換え時間がきわどくなっています。待ってはくれているようです。いつもなら富山まででつるぎなので急がないといけないことになりますが、今回ははくたかなので余裕があります。

04 10/24 新潟へ

 糸魚川から先はバス移動です。最初の予定では上越妙高からバス移動でした。そこから最初の目的地は喜多方です。コース的には、北陸道に入り新潟まで行ってそこから磐越道を通って会津若松に向かいそうです。新幹線が不通になっている影響で、乗る予定の列車が糸魚川止まりになってしまいました。バスが上越妙高から糸魚川まで迎えに来てくれています。

05 10/24 喜多方へ

 新潟から会津盆地へは阿賀野川を遡っていくことになります。常磐道や磐越線もほぼこの川に沿ってつけられています。バスガイドさんの説明では、阿賀野川は福島県を流れているときは阿賀川という呼び方になるとのことでした。信濃川と千曲川の関係ににています。阿賀川は更に上流では大川だそうです。地理院地図では阿賀川(大川)となっています。こちらの方が正式なようです。wikiでは上流は荒海川となっています。

06 10/24 喜多方市新宮熊野神社宝物庫

 今日の見学地は、喜多方市の南西の外れにある新宮の熊野神社だけです。ここには、大きなイチョウの木があります。その木の黄葉を見るのが今日のメインのようです。
 バスは狭い道を通りぬけて神社前の鳥居の横にある駐車場に入ります。ここも狭く、バスが2台並んでおいたらいっぱいという広さです。
 バスを降りて、添乗員さんが参拝の手続きをする間駐車場近辺で待ちます。正面の鳥居などの写真を撮って手続きが終わるのを待ちます。

07 10/24 喜多方市新宮熊野神社 長床と大イチョウ

 新宮熊野神社の由来は、源頼家が前九年の役の出兵に際して東北の和平を熊野三社に祈願したのが由来とか。その子の義家が後三年の役出兵にともない、この場所に熊野三社を立てたのが始まりです。
 この神社で特徴的なのは、本殿の前にある長床と呼ばれる建物です。拝殿という扱いになっています。10尺置きに並んだ5×9列の柱44本で支えられた建物です。吹きさらしになっています。

08 10/24 喜多方市新宮熊野神社 本殿

 新宮熊野神社の本殿は、長床の裏側石段を上がった所に3つ並んであります。真ん中が本社新宮証誠殿、左側が末社那智山飛龍権現、右が末社本宮十二社権現です。本社・末社となっていますが、同じ大きさの建物が等間隔に並んでいます。
 長床の裏側から、本殿を見上げたところです。石段の高さは10mほどで、正面に本社が見えています。右側の末社は木の葉の間からわずかに見えています。

09 10/24 喜多方から箕輪山へ

 新宮熊野神社を後にして宿のある箕輪高原に向かうことになります。その前に、神社前の狭い道をバスが通り抜けていくことになります。入ってきたときはバスは曲がれず駐車場に斜めには止まっていました。神社を見学している間にバスは向きを変えてまっす止まっています。この位置からでは、神社正面の通りには、1回では入ることができません。何回か切り返してやっと道に入ったときには、一斉に拍手が起こりました。

10 10/25 猪苗代町箕輪スキー場

 2日目の朝です。夜中もだいぶ雨が降っていたようです。今はやんでいるようです。空もだいぶどんよりしています。霧のようなものも流れています。山の紅葉は、だいぶ進んでいるようですが、天気のせいかあまりパッとしません。

11 10/25 安達太良山薬師岳

 朝食をすませて、しばらくくつろいだ後、今日の見学に出発します。最初の見学地は安達太良山です。そこに向かう前に一つ気になっていたことがあります。裏磐梯からこの付近にかけて、無料化された昔の有料道路がいくつかあります。そのうちの一つが通行止めになっています。影響はないのでしょうか。
 ガイドさんに確認すると運転手さんが大丈夫だと答えてくれました。通行止めが先日の大雨のせいだと思っていましたがそうではなかったようです。ここから、吾妻山の方に登る道が通行止めでした。吾妻山の噴火によるものだったようです。前回きたときは、条件付で通りぬけることができましたが、噴火が激しくなって今日はダメなようです。安達太良山はこれとは違う方角にあります。

12 10/25 安達太良山薬師岳遊歩道

 薬師岳の標識があったところは、五葉松平というようです。安達太良山登山マップには薬師岳パノラマパークと書かれています。道につけられている標識を見ると、安達太良山への登山道と書かれています。ここへ来る途中にも、安達太良山登山道への分岐がありましたから、その道につながっている可能性があります。登山道の方から回ってみることにします。

13 10/25 猪苗代町中津川渓谷

 安達太良山で時間が足りなかったのには訳があります。天気が悪く、上にあがっても何見見えないだろうということで、添乗員さんの判断で、早めに切り上げて、別の所を見学するということになっています。いけるところは、次の目的地である鶴ヶ城までの間にある場所でに絞られています。3つ候補がありました。その中から多数決で、中津川渓谷に寄ることが決まっています。飯森山もいってみたかったのですが、坂のためなのかはじめから却下されていました。

14 10/25 会津若松へ

 中津川橋をでたのは最後の方でした。ほとんど誰もいなくなって心細くなってきていました。急いで戻ると、レストハウスに着く時には前を歩いていた人達にも追いついたうえに、出発まで少しだけ余裕ができました。パンフレット類をあさってから、土産物を見たのですが気にいったものはなくここはパスです。トイレをすませて、バスに戻ります。

15 10/25 会津若松市鶴ヶ城三の丸

 鶴ヶ城では昼食も食べる事になっています。会場は鶴ヶ城会館になります。事前に、予約した人は弁当が準備されています。それ以外の人は、会館内の食堂で自由に注文して食べてくださいとなっているようです。実のところをいうと、朝から胃のあたりがむかむかしていて食欲がありません。動いているときはそれほどでもないのですが、バスに乗ると症状がぶり返してきます。高峰山でもそうだったのですが、何回かこのようなことがありました。乗り物酔いの症状に似ています。

16 10/25 会津若松市鶴ヶ城二の丸

 博物館のある一画は三の丸跡となっています。博物館から道路を隔てて反対側に堀があります。その前に案内図があり、それによると堀から向こう側が二の丸になっています。
 堀を渡る橋の上から見えた掘です。右側が二の丸側になります。堀の土手は石垣が組まれていないように見えます。

17 10/25 会津若松市鶴ヶ城 二の丸から本丸へ

 二の丸の南門から廊下橋のあったところに戻ってきました。考えてみると二の丸は完全に堀で囲まれています。鶴ヶ城には、北出丸・西出丸といった本丸から飛び出した形の出丸が作られています。二の丸もそれと同じ形態になっています。他の2つに比べて大きいだけです。二の丸入口の防御態勢もそれほど強固ではないようです。
 廊下橋です。橋を渡ったところに廊下橋門がありました。

18 10/25 会津若松市鶴ヶ城西出丸から北出丸へ

 鶴ヶ城に着いた時に、バスガイドさん・添乗員さんから何度も注意されたことがあります。駐車場から天守までいく道筋の説明はあってあたりまえのことです。これではなく、帰りのことです。必ず来た道を引き返してくるようにということです。天守について、そのまま引き返すとなると、ここまで回り道をしてきていますから、かえるのも遠回りになります。ちょっと避けたいものです。

19 10/25 三島町 道の駅へ

 鶴ヶ城会館を出る頃には、雨はほとんどやんだようです。このまま天気が持ち直してくれるといいのですが。バスに戻って次の目的地に向かいます。順番としては、道の駅おぜ街道みしま宿で只見川と鉄橋の絶景というのを見た後、会津宮下駅から会津柳津駅まで只見線に乗ります。
 バスはいったん会津若松市街を北上していきます。途中、会津若松駅の前を通りました。バスガイドさんは小さな駅といっていましたが、そこそこの大きさはあるようです。

20 10/25 三島町会津宮下周辺の橋

 只見川のビュースポットは、C地点とD地点の2ヵ所が残っています。このまま上にあがっていけば、C地点でまたたくさんの人達に追いついて一緒になります。C地点は後回しにしてD地点に先にいくことにしました。
 C地点の横を通った時は、見学が一段落着いた頃で、添乗員さんが上のD地点に行ってもいいといっていました。ちょうど声がかかったところなので、行きますといってD地点に向かいました。ここからは、少し急になっていて見ただけで行くのを断念した人が多かったようです。

21 10/25 只見線会津柳津

 会津宮下駅から会津柳津駅まで、只見線の列車に乗ります。出発前に地図などで調べたようすでは進行左側の方が景色が良さそうでした。当然、席には座らずにドアのちかくにたっていることにするつもりです。
 会津宮下駅は三島町にあります。先ほどの道の駅の名前もこの町名からとったようです。町の名前の由来は、三島神社からとられたとか。会津宮下駅の近くにあります。先ほど、アーチ3橋弟を見にいったので、ここまで行く時間は残っていません。列車が来るということで、ホームにあがってみると、線路の横に鳥居が見えました。この奧が三島神社なのでしょう。パンフには、神社の前を只見線が通っていると書かれています。

22 10/26 猪苗代町安達太良山横向登山道

 夕食後、星が見えないかと外に出てみると暴風雨になっていました。横殴りの雨が降りつけています。立っているのも大変なくらいの風です。落ち葉が吹き飛ばされて、吹きだまりに集まって積み上がっています。気温もぐっと下がってきているようです。これでは星を見るどころではありません。今回の旅行も星見はできませんでした。

23 10/26 猪苗代町箕輪スキー場

 登山道の入口まで降りてきました。まだ朝食まで時間はありますので、旧道を少しだけ歩いてみることにしました。進んでいっても景色はあまり代わり映えがしないようです。次の沢を横切るところまで5分ほど歩いていったところで、戻ることにしました。

24 10/26 猪苗代町毘沙門沼1/2

 朝食をすませた後、荷物をまとめてロビーに降りていきます。荷物は、バス車内に持ち込むものをわけておきます。今日は、五色沼と大内宿をまわったら大阪まで帰ります。
 大きな荷物をトランクに預けて、バスに乗り込みます。すぐに出発です。最初の五色沼へは、昨日通ったレークラインが近道になります。昨日は席が左側でしたが、今日は入れ替わって右側になっています。小野川湖などの景色が見られそうです。昨日は、このこともあって右側の景色はあまり見ていませんでした。

25 10/26 猪苗代町毘沙門沼2/2

 毘沙門沼は思ったよりも。大きな沼でした。なかなか抜けきらないうちに、引き返さないといけない時間になってきています。できるだけいけるところまでいくことにしてします。
 このあたりの、沼の水の色は、レストランがあった付近よりも色が濃いように見えます。水質の違いなのか、水深の関係なのか、それとも光の当たり具合なのか、どうなんでしょう。難点は、木が多く沼がよく見えないことです。

26 10/26 下郷町大内宿へ

 毘沙門沼の次は、大内宿に向かいます。沼から会津若松までは、昨日の午前中に中津川渓谷から鶴ヶ城にいく間に通った道です。毘沙門沼の前では、明日はここに来るとガイドさんが言っていました。
 磐梯山の東側を南下して、猪苗代磐梯高原ICに向かいます。磐梯山方面が開けてきたところからの磐梯山です。だいぶ雲が切れてきています。見えているのは赤埴山でしょうか。雲の向こうに高い山がありそうです。

27 10/26 下郷町 大内宿町並み展示館

 大内宿という名前からすると宿場町のようです。ここに来るまでの間に阿賀川沿いの道から山越えをしてへんぴな盆地に入ってきたような感じがします。こんなところには大きな街道があるようには見えません。宿場があるなら街道が通っていて良さそうです。ちょっとイメージが合いません。
 江戸時代までは、江戸から会津若松に抜けるには、日光からここを通るのが正規のルートだったようで、奥州街道の脇街道として整備されていたようです。明治時代になって、阿賀川に沿って走る会津鉄道沿いに北上するルートが整備されるようになって、そちらのルートが主として使われるようになりました。途中バスで走ってきた道です。ルートが変わったことによって、この宿場は廃れたものの、逆に古いままに残されたようです。

28 10/26 下郷町大内宿展望所

 大内宿の建物の並びに決まりが見えます。瓦葺きの寄棟屋根で、妻面が通りに面しています。建物は平入りなので、通りから建物の間を入って行ったところに入口があります。
 簡単に書けばこのようになりますが、わかりにくいので簡単に解説します。通りからは、建物の五角形の面が見えています。こちら側の屋根も通り側に向かって斜めに削られるようになっています。入口は、四角形の面にありますから、入って行くには、建物の間を通らないといけないことになります。その分建物と建物の間が広くなっています。といったところでしょうか。

29 10/26 下郷町大内宿昼食

 大内宿に着く前に、バスガイドさんからここの名物料理について説明がありました。ネギそばといって、丸まるの長ネギが1本入っていて、箸を使わずそのネギを使って食べるのだそうです。
 そろそろ昼食時間なので、食べることを考えることにします。普通なら通りに沿ってのれんが下がっていて、そこから店に入っていくのですが、そのようなものは見当たりません。通りに面した土産物屋さんは、窓とか縁側のようなところに商品を並べて売っています。建物の造りからするとどうしてもそうなるのでしょう。

30 10/26 下郷町大内宿高倉神社

 大内宿の外れに高倉神社というのがあります。高倉宮(以仁王)を祀っているそうです。高倉天皇と勘違いをしていました。平清盛が政権を握ったときに平家打倒の計画を立てるのですが、平家に発覚し逆に追い詰められて討ち取られたということになっています。これを契機にして源氏が各地で挙兵し最終的には平氏は追い詰められます。


31 10/26 大内宿から会津盆地

 バスは大内宿を出発します。シーズンにはこの付近は大渋滞になるそうです。バスが駐車場に入るのにも時間がかかるので、いったんツアー客を降ろして見学中に駐車場にいえるそうです。シーズンは5月の大型連休、8月のお盆休み秋の紅葉シーズンの土日です。今日は土曜日ですが、まだ紅葉に早かったようでいうほどの渋滞ではなかったようです。

32 10/26 会津盆地から新潟へ

 バスは新鶴スマートICから磐越道に入り、新潟方面に向かって走っています。すぐに会津坂下ICを通過します。ここは、来るときにガイドさんが何回も利用すると行っていた場所です。使ったのは、初日にここで降りて喜多方の新宮熊野神社に向かったときと、昨日只見線乗車のために往復利用した時の合計3回で、今日は通過だけですが4回目になります。

33 2019/10/26 新潟から柏崎

 バスは新潟県内を走っています。新潟県は細長いので、まだまだ先は長いようです。来た時に比べて、帰りは上越妙高駅で新幹線に乗り換えることになっていますから、糸魚川−上越妙高駅までの分は短くなっていてその分乗車時間は短くて済みます。そういってもここからの距離からすると距離的には大きな差はなさそうです。
 まだしばらくは、阿賀野川に沿って走ります。渡るところから見た阿賀野川です。木々が水に浸かっているようです。中州のような所だったかも知れません。かなり水位が上昇しているのがわかります。

34 2019/10/26 上越妙高駅へ

 バスは高田平野に入ってきました。もうすぐ、上越妙高駅です。太陽は、だいぶ低くなってきています。窓から少し見上げたところに、雲の間から顔を見せるようになってきました。太陽から少し離れたところにある雲が、色づいているように見えます。彩雲になっているようです。光環とはとは違うようです。太陽を中心に丸くなっていません。

35 2019/10/26 帰阪

 北陸新幹線は、台風による浸水のために、一部区間が不通となり折り返し運転をしていました。昨日全線開通し直通したところます。ダイヤが決まったのは出発した前日です。ここからは指定席なのか自由席なのかが気になるところですが、指定席になっていました。前日に用意されていた切符で座席の変更になったのか、そのまま使えたのか、どうなのでしょう。

36     感想・余談など

 今回の旅行の主な目的は、紅葉を見に行こうというものでした。例年なら紅葉の見頃は北から南下してきて、10月の下旬ごろだと東北南部まで下りてきています。そこで、パッケージツアーを探してみたら、会津方面ということで見つけたのが今回の旅行です。
 ツアーを選ぶのは、2ヶ月から1ヶ月半前くらいにします。この頃では、先の天気の予想ができませんから、例年の状態を基準にして判断しています。今回は申し込むのが遅く、いくつかのツアーは満席になっていました。

旅行の写真撮影枚数

 旅行時に写真の撮影枚数が増えていると書きました。実際にどうなっているのか調べてみました。単純には日数が多くなればその分だけ撮影枚数は増えてきます。影響をなくすために、旅行日数で割って、一日あたりの撮影枚数に換算してみることにします。
 ここでも問題があって、同じ2泊3日でも夕方出発して、朝に帰ってきた場合はまるまる1日分しか観光していないことになります。3日で割るというにはいかないでしょう。基本的には朝帰り(昼まで)とか、夕方出発とかは日数に含めないことにします。これにあわせて泊数と日数を計算します。車を日中走らせ続けて目的地に着いた場合とかのような、細かいことを言い出せば切りがないのでこのあたりで手を打つことにします。

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