2019/10/24-27 会津紅葉準備中
また紅葉の季節になってきました。行き先を自分で組むだけの余裕がありません。どこかいいところがないか旅行会社のパンフレットを探すことにしました。東北北部なら10月半ば、南部から信州なら10月末でしょう。いつも通り、星を見ることも考えに入れます。10月の新月は28日ですから、旅行期間は10月末となります。ということで、候補は、東北南部から信州あたりでということになります。
探していたら、2泊3日で安達太良山に登るのが入っているコースがありました。安達太良山にはまだいっていませんから、ちょうど良さそうです。紅葉もきれいそうです。
他にまわるところとしては、1日目は新宮熊野神社、2日目は安達太良山に登った後は鶴ヶ城にいってから只見川の橋梁を見て、只見線の列車のに乗って宿に戻ります。3日目は鶴ヶ城は2回目になります。3日目は五色沼湖沼群・毘沙門沼と大内宿に行ってから大阪に戻ってきます。
この会社のコースは、富山から貸し切りバスでまわることが多いのですが、このコースについては、上越妙高駅からのバス移動になります。だいぶ時間が省略できます。その分割高になっているのでしょう。
宿の場所も確認しておきます。19日以後は、ホテルプリミエール箕輪で連泊になります。箕輪スキー場の中にありますから、ゲレンデにでれば空は開けているでしょう。苗場や水上温泉のように照明が強いということもなさそうです。星を見るのは大丈夫でしょう。難点は、この宿のせいなのか、少人数の割増料金が高いところにあります。宿は寝るだけなので、そんなに立派な宿でなくてもいいのですが。
10月末の出発日は、20,21,22,24,26,30日があります。決めようとしていると日程にもう一つ制約がでてきました。29日に消防設備の点検があります。町内会一斉に行われますから、この日は留守にできません。申し込みをもたもたしていると、満席とか催行中止とかで申し込めるのが19日と24日だけになってしまいました。24日で申し込むことにしました。
ツアーのタイトルは「2つの朝一番・安達太良山と五色沼 ローカル鉄道只見線 会津紅葉絵巻3日間」です。
今回は特に改めて準備するものはありません。いつも通りのものでじゅうぶんです。星の写真はアストロトレーサーを使うことにします。安達太良山の上は寒そうです。1枚余分にセーターを入れておくことにします。
10日に、日程の書かれた案内が送られてきました。金沢までは、サンダーバード5号です。高槻に停車します。新大阪から乗ると申し込んでいましたが、高槻乗車に変えてもらうように連絡を入れました。
12日に台風19号が接近し関東に上陸しました。離れているから問題はないだろうと構えていたのですが、各地に大雨による被害をだしました。土砂崩れとかで道路が寸断されています。安達太良山近辺でもたくさん降ったようです。問題があるとしたらこちらだろうと心配していました。
長野市付近で信濃川が決壊し、周辺地域が浸水しました。北陸新幹線の車両基地が含まれています。この付近の線路が使えない、車両もだせないということで、北陸新幹線が止まってしまいました。
それでも、元々、台風の影響がなく普通に運行していた金沢富山間のつるぎはそのままで運行され、15日から上越妙高か糸魚川の折り返しではくたかが運転され始めました。乗る予定のはくたかは糸魚川折り返しです。バスをここまで回送してもらえれば、移動は可能です。途中の行程で問題なければ中止になることはなさそうです。気楽に構えても大丈夫そうです。はくたかは、指定席を使わずに自由席の利用だけになります。糸魚川までしか行かないのであればそれほど混むことはないでしょう。
18日に旅行会社から連絡が来ました。糸魚川からのバス乗換で決行するということです。特急料金の分だけ安くなるので3000円ほど返金があるようです。席は自由席になるけれども16日のツアーではじゅうぶん座れたとのことです。前に、接続ができなくてはくたかになったときもじゅうぶん座れました。発車直前にしらさぎからの乗換客が乗り込んでからはいっぱいになりました。席もたぶん大丈夫でしょう。
新幹線の運行状態は復旧のようすによって変わります。18日には、普通席の車両が増やされ、指定席もできました。旅行会社は指定席をとってくれているのでしょうか。同時に25日からは東京−金沢間の運転を再開するという発表もありました。ダイヤは追って発表とのことです。
23日に25日からのダイヤが発表になりました。それによると、今まで上越妙高、糸魚川で折り返していたはくたかは全て東京まで行くことになりました。反対向きも同じです。帰りが糸魚川になるのか上越妙高になるのかが微妙なところです。
この間にも別の問題が発生しています。借りている駐車場の薬剤散布を24日に行うという連絡が入りました。そのために車を移動させて欲しいということです。移動させて、旅行に出かけることはできますが、元に戻すことができません。ギアがニュートラルでハンドブレーキを引いてなければ手押しで動かすこともできます。相談に行ったところ、20cmほど前に出すだけで良いということでした。出発前にすませることにします。
もう一つの気がかりは、天気です。相変わらずよくない予報が出ています。かなり激しく降りそうですから、カッパも用意しておくことにします。荷物はまたもやぱんぱんになりそうです、三脚をリュックの外に出しました。ちょっとだけ余裕ができたようです。
初日の昼食もついていません。サンダーバード5号からの乗り継ぎですから、糸魚川着が昼前、そこからはバス移動ですから、昼食はバスの中でということになりそうです。予備食量も含め前日に何かかっておくことにします。
高槻までの電車の時刻も調べておきます。7時55分発ですからそれに間に合うようにということになります。高槻到着時刻で45、45、51、56分というのがあります。51分着では乗換に間に合うかどうかぎりぎりでしょう。となると、45分着という2台が最終となります。
よく考えてみたら、後の45分着は昔通勤で使っていた電車です。よく到着が遅れていました。その頃は48分着というのがあったのですが、新快速の遅れのため高槻駅の手前で長時間待たされたり、運休していました。今はなくなっています。ということは、この時間帯は、列車が遅れることも考えないといけないことになります。遅れたらそれなりにサンダーバードも遅れるでしょう。遅れは気にせずに後の45分着に合わせて出発することにします。
ふだんは、途中駅から乗る場合は、添乗員さんから座席の番号の連絡があります。列車がどうなるか確認したいと思っていたのですが、連絡がありません。今回は、パンフに書かれていた号車に乗ることで対応します。聞きたいことは、最初に聞くことにします。
朝の出発はぎりぎりになりました。家を出て歩きながら携帯電話の電源を入れると、いきなり着信音が鳴りました。何かと思ってみると、SMSが届いています。メールは開いたことほとんどがないので、開くのに手間取り時間を使ってしまいました。添乗員さんからの連絡でした。座席番号が書かれています。歩いてはできませから立ち止まったままです。
そのまま、駅に行きます。到着は予定より遅くなりました。ホームに降りて見ると列車も遅れています。後ろの45分着がわずかな待ち時間でやってきました。多少遅れても、この列車に乗れれば、続けて新快速・特急と走ってくるのでじゅうぶん間に合います。逆に考えてみると、もう少し遅れてこれに乗り損ねていたら間に合わなかった可能性もあります。
高槻に到着して、特急が到着するホームに移動します。人でいっぱいです。身動きが取れないくらいにいます。前に乗った時は、どこかに特急の乗車位置が書かれていたのを見て並びました。今回はどこを探しても見つかりません。
新快速が到着して乗客が乗り降りして、電車が出て行くとホームからはほとんど人がいなくなりました。床面を見ると乗車位置が書かれているのがわかりました。見えなかったはずです。人で足元は見えませんでした。指定された号車の位置で待ちます。
特急到着の案内があった直後に51分着予定の列車が到着しました。特急がホームに入ってきたときにはまだ階段を登る人が列を作っていました。乗った列車に乗り損ねていたら、間に合わなかった可能性大です。なんとか乗れたおかげでぎりぎりセーフでした。新快速も特急も時間通りに来ていました。
ドアの内側で添乗員さんが待っていました。あいさつの後、席の指示がありました。席に座って、しばらくすると添乗員さんが来ました。資料と旅行中に携帯するバッジを受け取ります。資料は旅行中の分がまとめてあります。バスの座席も中に入っています。今まではバス座席はバスの入口に貼りだされていました。
添乗員さんが言うには、昨日に電話したけれどもつながらなかったとのことです。携帯電話にかけていたようです。それなら届くはずはありません。半日以上外にでかける時でないと電源を入れていません。連絡は固定電話へとしていたはずなのですが。
この先のはくたかの座席と、帰りの乗車駅の事を聞いてみたのですが、新しい運行情報が伝わっていないようでした。はくたかは、自由席乗車が確定しています。
いろいろとしている内に梅小路機関庫が見えてきました。すぐに京都駅に到着です。
京都からは、空いていた隣の席にお父さんが座ることになりました。話を聞いていると九州に住んでいて、京都にいる息子さんにこのツアーを設定しもらったようです。行ったことのある九州の話で時間をつぶしました。
今日の比良山には雲がかかっています。今回の旅行も天気が悪そうな感じがしてきました。
もう一つ気になるのが紅葉の状態です。今庄付近では山の木々が少し茶色くなり始めているようです。ちょっとは期待できそうです。
線路の脇の柿の木に大きな実がついていました。どこまできたのかと考えていたら程なく加賀温泉駅に到着しました。
加賀温泉駅をでると、大きな観音様が見えてきました。加賀観音というようです。今まで何回かここを通っていますがこのようなものがあるのに気がついていませんでした。
金沢駅には3分遅れで到着です。途中まで順調だったのですが、どこで遅れが出たのかはわかりません。ここからは新幹線に乗り換えです。つるぎの乗り換え時間がきわどくなっています。待ってはくれているようです。いつもなら富山まででつるぎなので急がないといけないことになりますが、今回ははくたかなので余裕があります。
新幹線乗換改札口を通ります。ツアーでは団体改札口を通りますが、今回は自動改札機がストップしています。そのまま改札機を通りぬけていきます。ストップしているようすをこっそり撮ろうとしました。後で見るとストラップがかかっていて肝心なところが写っていませんでした。
ここからのはくたかは自由席です。到着して車内に入ってみると空いている席はいっぱいありました。階段から2両目の所に座ります。発車までしばらく時間があります。待っていると、車内放送で、接続しているしらさぎが3分遅れているので乗換ができるまで待つとありました。北陸線自体が遅れていたようです。乗換客が来てからは座席は埋まってしまいました。すぐに列車は出発です。
富山平野に入ってからは、剣立山の山々が見えるかが気になります。山は見えないようです。見えているのは手前側の山でしょう。斜面が白くなっています。雪がのっているように見えます。写真を拡大して見ると白いところはコブコブが筋になって並んでいるように見えます。斜面を登る雲なのでしょう。
黒部宇奈月温泉駅付近から見える山には、同じように白いものが見えますが、筋状になっていません。こちらは残雪なのでしょうか。
糸魚川駅に到着です。この列車はここから回送となります。次の上越妙高行きは1時間後です。
ホームの窓から下は鉄道のホームが見え電車が止まっています。新幹線ができたので越後ときめき鉄道となっています。
改札口をでて前の広場でしばらく待ち合わせの時間がありました。窓から外には建物の妻面の壁だけが残されているのが見えます。レンガ造りです。古い駅舎だったのでしょうか。
外に出てバスに移動です。先ほどの壁が見えます。
糸魚川から先はバス移動です。最初の予定では上越妙高からバス移動でした。そこから最初の目的地は喜多方です。コース的には、北陸道に入り新潟まで行ってそこから磐越道を通って会津若松に向かいそうです。新幹線が不通になっている影響で、乗る予定の列車が糸魚川止まりになってしまいました。バスが上越妙高から糸魚川まで迎えに来てくれています。
糸魚川から上越ICまでは45kmほどありますから、バスの乗車時間は30分ほど延びそうです。新幹線の所要時間と比べると15分ほど長くなりそうです。と考えていたのですが、帰りにわかったのは、上越妙高駅は上越JCTから上信越道で南に10kmほど行ったところにあります。実際の時間差は数分といったところでしょう。
今回のバスはバスガイドさんが同乗しています。久しぶりです。
まずは糸魚川駅から高速道路の入口に向かいます。町中を走っているときに、道脇にあった消火栓が目にとまりました。このタイプのものは函館で見て以来です。雪で埋もれてしまうことがあるからでしょうか。
上越JCTを過ぎると南方に妙高山が見えてくるはずです。今回も雲の中のようです。3つ並んだ火山は南ほど古いものになっています。
遠くから電車がやってくのが見えました。交差するあたりで同時に通過しそうだったので見ていると、すぐ先に高架を通過していくのが見えました。北越急行のようです。新幹線が不通になっている間は、越後湯沢までの臨時列車が増発されて、首都圏から富山へのバイパスの1つになっています。北陸新幹線ができるまでは、これを利用するのが最短ルートだったようです。
田んぼは稲刈りが終わっています。土嚢のようなものが並べられた一画がありました。帰りにバスガイドさんがした説明によると、土壌改良のためのぬかだということです。
長岡JCTあたりから越後三山が見えないか気になってきました。この方角かと思ったのですが、だいぶ行きすぎていたようです。越後山脈よりまだ手前の山でした。
新潟市の黒埼PAで一度休憩が入ります。反対側の窓を通して弥彦山と角田山が見えていたので、最初にそれを撮りに行きました。
トイレをすませてバスに戻った後、バスの後ろ側に行きます。PAに入る直前にガイドさんが、越後三山が見えると言っていたのが気になったからです。どれかはっきりしません。たまたま運転手さんがたばこを吸いに来ていたので、聞いてみました。ここからは見えるはずがないとの返事でした。
新潟中央JCTから磐越道に入ります。田んぼのところどころに白いものが見えます。ガイドさんの説明によると白鳥がやってきているそうです。鳥屋野潟からエサを探しに来ているようです。写真にはぶれてうまく写りません。
ガスタンクに書かれていた蒸気機関車です。一同は絵の方に興味があったようです。
再び白鳥が見えてきました。たくさんいるところは、エサとなる落ち穂がたくさんあるところだそうです。
新潟から会津盆地へは阿賀野川を遡っていくことになります。常磐道や磐越線もほぼこの川に沿ってつけられています。バスガイドさんの説明では、阿賀野川は福島県を流れているときは阿賀川という呼び方になるとのことでした。信濃川と千曲川の関係ににています。阿賀川は更に上流では大川だそうです。地理院地図では阿賀川(大川)となっています。こちらの方が正式なようです。wikiでは上流は荒海川となっています。
だいぶ山に近づいてきたところで、阿賀野川を渡りました。
再び、阿賀野川を渡ります。この向こうに咲花温泉という所があります。佐渡に行く前に寄って泊まったことがあります。この時は大洪水が発生し、濁流となっていました。
県境付近は、阿賀野川から離れて山の中を走ります。木々の色はちょっと黄色くなり始めたかなという感じです。
だいぶ高くまであがってきたような感じがします。木々の色が赤みを帯びてきました。斜面がアバランチシュートのように見えます。雪の多いところなのでしょう。この付近はトンネルが多くなっています。
山を降りきって盆地のようになったところに抜けたところで川を渡ります。只見川で、片門ダムが見えています。
バスはこの先の会津坂下ICで高速道路を降ります。坂下と書いて「ばんげ」と読みます。このICはこの後何回も利用することになりますとバスガイドさんはいっていました。
一般道に入ってトンネルに入る手前で見えた山です。紅葉しているのか枯れているの見ただけではわかりません。
トンネルを越えたら会津盆地です。向こう側に山が見えます。磐梯山が見えるはずなのですが雲の中のようです。
道脇にカキ畑が目立ってきました。実がいっぱいついています。
大きな川を渡りました。ここは福島県内ですので、阿賀川になります。
今日の見学地は、喜多方市の南西の外れにある新宮の熊野神社だけです。ここには、大きなイチョウの木があります。その木の黄葉を見るのが今日のメインのようです。
バスは狭い道を通りぬけて神社前の鳥居の横にある駐車場に入ります。ここも狭く、バスが2台並んでおいたらいっぱいという広さです。
バスを降りて、添乗員さんが参拝の手続きをする間駐車場近辺で待ちます。正面の鳥居などの写真を撮って手続きが終わるのを待ちます。
鳥居です。木造で、木肌がむき出しになっています。屋根は銅板のようなもので葺かれています。大きなしめ縄が下げられています。
鳥居の横にあるケヤキの木です。だいぶ色づいています。イチョウの黄葉も期待できそうです。後で、何の木か議論になりました。この時にすでに葉っぱの形は確認しています。
幹がうろのようになっています、主幹が折れたようにも見えます。
用意ができたようです。参道を通って境内に入っていきます。案内者に付き添われています。
参道脇にある、宝物殿です。中に入っていくようです。
中で、宝物の説明がありました。正面の文殊菩薩は獅子の上に乗っているのが特徴です。鎌倉時代初期に作られたものです。県の重要文化財になっています。
獅子の下をくぐると万病に効くとか(だったと思う)。全員がくぐることとなりました。重要文化財の下をくぐれるということはめったにありません。
不動明王と2人の童子です。江戸時代初期のものだそうです。
如来と十二神将です。神社なのに、仏像類がたくさん残されているのは何か奇妙な感じがします。神仏習合の表れなのでしょうか。
新宮熊野神社の由来は、源頼家が前九年の役の出兵に際して東北の和平を熊野三社に祈願したのが由来とか。その子の義家が後三年の役出兵にともない、この場所に熊野三社を立てたのが始まりです。
この神社で特徴的なのは、本殿の前にある長床と呼ばれる建物です。拝殿という扱いになっています。10尺置きに並んだ5×9列の柱44本で支えられた建物です。吹きさらしになっています。
宝物殿から参道に戻り本殿に向かいます。参道横には杉並木があります。太く大きな木が並んでいます。
正面に見えてきた長床です。遅れていったら記念写真の撮影会が始まっていました。終わるまでしばらく待ちます。
長床の脇に、目的の大イチョウの木があります。残念なことに黄葉はしていませんでした。例年に比べて遅いようです。寒くなり始めるのが遅くなっていることと関係しているのでしょう。
神社の狛犬です。ちょっと古めです。宝物殿には、平安時代後期の獅子が置かれていました。
長床全景です。柱は太く立派です。
長床の横にあった鐘楼です。神社に来ていると思っていたので、お寺のようなものには寄っていませんでした。考えてみたら宝物殿は仏像が中心でした。ここの銅鐘には貞和5年の銘があるそうです。
長床の天井です。梁も太い木が使われています。
床面です。上にあがればよかったのですが、誰もあがっていませんでした。軒下で遠慮していました。
新宮熊野神社の本殿は、長床の裏側石段を上がった所に3つ並んであります。真ん中が本社新宮証誠殿、左側が末社那智山飛龍権現、右が末社本宮十二社権現です。本社・末社となっていますが、同じ大きさの建物が等間隔に並んでいます。
長床の裏側から、本殿を見上げたところです。石段の高さは10mほどで、正面に本社が見えています。右側の末社は木の葉の間からわずかに見えています。
左側の那智山飛龍権現です。拝所は妻面にあり、その上の屋根は入母屋風になっています。この形の社殿は、東北では少ないそうです。
右側の本宮十二社権現です。那智山飛龍権現とほとんど同じ形です。
3社並んだ拝所を横から見たところです。
本社の新宮証誠殿です。額は熊野新宮となっています。他の2社と比べて、飾りなどが精密というのですが違いがわかりません。
本社前にあった石灯籠です。文化年間に作られたもののようです。
階段を降りていきます。正面に長床の屋根が見えます。
長床を時計回りにまわって横から見たところです。右側に本殿があります。
横から見た大イチョウです。一部黄色くなり始めているのかな。
再び正面から、大イチョウと長床です。
新宮熊野神社を後にして宿のある箕輪高原に向かうことになります。その前に、神社前の狭い道をバスが通り抜けていくことになります。入ってきたときはバスは曲がれず駐車場に斜めには止まっていました。神社を見学している間にバスは向きを変えてまっす止まっています。この位置からでは、神社正面の通りには、1回では入ることができません。何回か切り返してやっと道に入ったときには、一斉に拍手が起こりました。
神社前の道です。この道をバスが通りました。道脇にカキの実がなっています。気がついていませんでしたが、正面は磐梯山方向になります。本体は雲の中のようです。見えているのは手前の猫魔ヶ岳(古城が峰?)あたりの山のようです。
最初に渡った川です。阿賀川から北側に流れる支流の濁川のようです。
そのまままっすぐ進んで塩川ICから会津縦貫道に入って南下し、会津若松ICから磐越道に入ります。しばらく進むと猪苗代湖が見えてきます。バスガイドさんは見えたら教えるといっていたのですがそれきりでした。
再び猪苗代湖です。暗くなってきて写真がぶれ始めています。
猪苗代磐梯ICで高速道路を降ります。その時の磐梯山方面です。山頂は雲におおわれています。
山道を進んで、薄暗くなり始めた頃に宿に到着です。荷物を置いて、最初にすることは星が見られるところがないかチェックすることです。雲が出ているので今日は無理でしょう、明日のこともあります。
玄関側は明るいライトがありました。ここは、ちょっと考えた方がいいようです。裏側はゲレンデで部屋からの灯り以外はなさそうです。
夕食を済ませます。新米の給仕がいきなり食器を下げたり、新しい皿をドンとおいたりというのにはちょっと気分を害しました。
食後星が見えるかチェックしましたが、やはりダメなようです。する事がないので、建物の中を見ていると、壁に化石が入っているのを見つけました。アンモナイトです。前に裏磐梯で停まったときに見つけた石材と同じ石です。
ここはきれいなベレムナイトが多いようです。
これもベレムナイトです。
適当に時間をつぶしたら、早めの就寝です。ベッドの掛け布団ががちがちにかためられているのは苦手です。いつもは、全部外してから中に入るのですが、ここのクロゼットには掛け布団が入っていました。セットされたベッドの上で、これをかけて寝ることにします。ベッドの布団に比べて圧迫感がなく寝入りやすく快適でした。
2日目の朝です。夜中もだいぶ雨が降っていたようです。今はやんでいるようです。空もだいぶどんよりしています。霧のようなものも流れています。山の紅葉は、だいぶ進んでいるようですが、天気のせいかあまりパッとしません。
雨が降ってきそうな雰囲気ですが、朝食時間まではまだまだあるので、散歩に出かけることにしました。宿のゲレンデ側から、まわっていると、冬場にゲレンデの接続コースとなりそうな所がずっとしたまで伸びています。こちらに入って行きます。
下っていくと、スキーセンターのある所にでました。前に広い駐車場があります。季節ではありませんから、車は1台も駐まっていません。ここにつく直前から雨が降りだしてきて、今はかなりの勢いになっています。
ここから、細い舗装された道が宿の方に続いています。こちらから引き返すことにしました。道の横の木々も色づいてきています。どういうわけかこのあたりでの写真は全てピンぼけになっています。
大きな道の下をくぐる抜けた頃から雨はやんできました。道横の木々の紅葉がきれいに見ています。
宿から見て横方向の紅葉がきれいです。一雨降って霧も流れていったようです。だいぶ遠くまで見えるようになってきました。
宿のロビーから見たゲレンデです。奧に箕輪山があるのですが、霧で見えていません。
雨が降ったためにだいぶ早く戻ってきました。しばらくここで休憩します。
朝食をすませて、しばらくくつろいだ後、今日の見学に出発します。最初の見学地は安達太良山です。そこに向かう前に一つ気になっていたことがあります。裏磐梯からこの付近にかけて、無料化された昔の有料道路がいくつかあります。そのうちの一つが通行止めになっています。影響はないのでしょうか。
ガイドさんに確認すると運転手さんが大丈夫だと答えてくれました。通行止めが先日の大雨のせいだと思っていましたがそうではなかったようです。ここから、吾妻山の方に登る道が通行止めでした。吾妻山の噴火によるものだったようです。前回きたときは、条件付で通りぬけることができましたが、噴火が激しくなって今日はダメなようです。安達太良山はこれとは違う方角にあります。
今日一日は雨のようです。添乗員さんが宿と交渉して宿の傘を借りられるようにしてくれました。折りたたみ傘とカッパは持っていますが、最後からバスに乗り込むときに、2本残っていたので、借りて行くことにしました。
猪苗代町から箕輪山の下をトンネルで福島市側にぬけます。その後山沿いに南下して、少しいったところにロープウェイの乗り場があります。バスを降りて、山を少し登ったところに建物があります。添乗員さんからここは乗り場ではないと忠告を受けています。レストハウスです。
こちらがロープウェイの乗り場です。前を歩く人達の傘が赤い色が主体なのは、宿の傘だからです。
建物の中です。循環式のゴンドラリフトです。
山頂側の建物です。外から見るとものすごく簡素な造りになっています。
乗り場前のようすです。あまり大きな木は生えていません。地面がむき出しの所が多いようです。
ロープウェイであがったものの、案内図とかはなくこの先何があるのかもよくわかりません。標識では、遊歩道と登山道があるようなので、とりあえず遊歩道の標識に従って進んで行きます。ごつごつした岩と水たまりのある所にでました。
地肌がむき出しになっている奧に祠のようなものがあります。横に鐘もつり下げられています。天気がよければここからの景色は素晴らしいのでしょうね。
岩のごつごつしているところをまわっていると、薬師岳と書かれた標識がありました。この付近一帯はものすごく平で、山頂には見えません。祠のあったところの方が高かったような。地理院地図では、薬師岳の山頂はここから見てロープウェイの降り場の向こう側になります。
薬師岳の標識があったところは、五葉松平というようです。安達太良山登山マップには薬師岳パノラマパークと書かれています。道につけられている標識を見ると、安達太良山への登山道と書かれています。ここへ来る途中にも、安達太良山登山道への分岐がありましたから、その道につながっている可能性があります。登山道の方から回ってみることにします。
入って行くと、すぐに遊歩道と登山道の分岐にでました。遊歩道はロープウェイの駅の方に向かっています。少しだけ登山道に入ってから、引き返して遊歩道の方から戻ることにします。
こちらが、登山道になります。このあたりではまだ平坦な歩きやすそうな道です。
遊歩道側です。木道になっています。
道脇のダケカンバです。葉っぱは落ちてしまっています。
道ばたの赤く紅葉した葉っぱです。ヤマウルシかな。
登山道沿いのシャクナゲです。登山マップにはハクサンシャクナゲがあると書かれています。
遊歩道沿いの松の木です。一つの鞘から五枚の葉っぱがでていることから五葉松といいます。五葉松平の名前の由来はこの木からでしょう。結構いっぱいありました。
遊歩道を歩いているときにも、ガスが流れてきて見通しが悪くなって来ました。
そのままロープウェイの駅まで戻ります。我々のツアーのメンバーはほとんど降りてしまっているようです。パノラマパークを出るときに追いついてきたツアーグループと一緒になりました。このグループの方が後から来たわりには出発が早いようです。
ロープウェイが降りる途中で何回も止まります。ちょっと進んではすぐに止まるというのを繰り返しています。そのたびにゴンドラが大きく揺れます。動いているときでもかなり揺れています。ちょっと怖いくらいです。別グループの人は出発時刻に間に合うのか心配していました。
やっとの事で下に到着です。自然遊歩道を見ていこうかなと思っていたのですが、あまり時間が残っていません。ロープウェイでだいぶ時間がかかったようです。入口も見つけられません。あきらめるしかないようです。
安達太良山で時間が足りなかったのには訳があります。天気が悪く、上にあがっても何見見えないだろうということで、添乗員さんの判断で、早めに切り上げて、別の所を見学するということになっています。いけるところは、次の目的地である鶴ヶ城までの間にある場所でに絞られています。3つ候補がありました。その中から多数決で、中津川渓谷に寄ることが決まっています。飯森山もいってみたかったのですが、坂のためなのかはじめから却下されていました。
中津川渓谷は、前回(2016年)に通りぬけています。車を止められる場所がわからなかったので、路上に止めてちらっと見ただけでした。バスはレークラインから中津川渓谷のレストハウスの駐車場に入ります。入口は渓谷から500mほど離れています。見つけられなかったはずです。
ここから渓谷まで歩いて行きます。安達太良山に登っている時間を削ってできた時間ですから見学時間はそれほどありません。橋の上から見るか、渓谷に降りたらすぐに戻ってくるかのどちらかでしょう。バスから降りたら、とりあえず渓谷の方に歩いて行きます。
レストハウスの裏側の灌木です。ナナカマドが赤く紅葉しています。
遊歩道から、渓谷に降りる道と橋の上にでる道との分岐にでました。いったん下の方に向かってみます。横にあるブナの木が黄色く染まっています。
すぐに別のツアーグループに追いつきました。なかなか追い越せそうにありません。下に降りるまで時間がかかりそうなので、橋の方に行くことにします。
道はいったん道路に出ます。ガイドさんが、歩道にあがるように大声で指示を出していますが、みんなは普通に車道に降りています。歩道に人があふれています。
橋の上からみた、中津川渓谷上流側です。木々がだいぶ染まっています。
直下の渓谷です。水が流れているのが見えます。
道路を渡って、反対側の下流側です。こちらの方が木々の色づきはいいようです。秋元湖の向こう側の山も見えています。こちらは磐梯山の方角なのですが、見えていないようです。
直下の渓流です。黒っぽい岩石が見えています。柱状節理ぽくなっていますが、かなり形はいびつです。安山岩質なら形ははっきりしないことがあります。どちらにしても溶岩であることは間違いないでしょう。
帰り際に見た橋です。この頃にはだいぶ人がいなくなっています。
中津川橋をでたのは最後の方でした。ほとんど誰もいなくなって心細くなってきていました。急いで戻ると、レストハウスに着く時には前を歩いていた人達にも追いついたうえに、出発まで少しだけ余裕ができました。パンフレット類をあさってから、土産物を見たのですが気にいったものはなくここはパスです。トイレをすませて、バスに戻ります。
バスに戻るとすぐに発車です。次の目的地は鶴ヶ城です。会津若松市にあります。元のレークラインに戻って先に進みます。すぐに中津川橋を通過です。
バスの中から見た、中津川渓谷です。下流側になります。黄色くなった葉っぱが目立っています。
中津川橋を過ぎると、バスは尾根道にあがっていきます。レストハウスのあったあたりの山もだいぶ色づいています。
三湖パラダイス付近を通過します。座っている席側からは秋元湖が見えます。
しばらくは秋元湖が見え続けます。今回は、山の色と湖の色が違うので湖がはっきりとわかります。反対側は小野川湖と桧原湖がみえます。まだガスがかかっているので、桧原湖までは見えていたのかどうか。明日一番の見学地は、五色沼です。またここを通りそうです。座席は反対側になりますから、明日見ることにします。
レークラインをぬけ五色沼の前を通過します。磐梯山の西側から磐梯猪苗代高原ICに抜け、磐越道にはいります。磐梯河東ICから地道に入ります。大きな観音像が見えてきました。祈りの里会津村という場所のようです。
そのまま進んで、会津若松市の市街地を通ります。ガイドさんが大塚山古墳があると教えてくれました。三角縁神獣鏡が出土しているそうです。古墳を写したのですが、なにをとったのかわかりにくくなっています。本光寺大塚山別堂というのが写っています。
鶴ヶ城では昼食も食べる事になっています。会場は鶴ヶ城会館になります。事前に、予約した人は弁当が準備されています。それ以外の人は、会館内の食堂で自由に注文して食べてくださいとなっているようです。実のところをいうと、朝から胃のあたりがむかむかしていて食欲がありません。動いているときはそれほどでもないのですが、バスに乗ると症状がぶり返してきます。高峰山でもそうだったのですが、何回かこのようなことがありました。乗り物酔いの症状に似ています。
歩くのには問題がないので昼食は抜きにして、その付近を歩くことにします。他の人達が昼食を食べる時間の分だけ多くまわることができます。いったん会館の外に出ることにします。鶴ヶ城側の入口のところに、鶴ヶ城の瓦が置かれていました。鬼瓦の葵の紋の形が会津では少し違うという解説がありました。
鶴ヶ城側の出口から外に出ました。隣は、市営駐車場になっていて、前回きたときに車を止めた場所になります。これで位置がわかりましたから、どこの何があるかをつかむことができました。
前回行っていないところにいきたいので、町中の方にいってみることにします。会館を出て城と反対側に進みます。追手門前西濠の北東端から見た北出丸追手門方向です。
道路の案内標識を見ていると、会津風雅堂というのが気になります。御薬園というのも気になったのですがこちらは遠そうでした。とりあえずは風雅堂を目指します。
歩いていると県立博物館が見えてきました。ひとまずこちらの方に行って、周辺の案内図を入手することにします。
建物はあるのですが、入口がなかなか見えてきません。そのうちに三の丸掘跡という看板が見えてきました。掘のあったところを植栽で示しているようです。後の建物が博物館です。
やっと入口にたどり着きました。傘立てがあったのですが、すぐにでるつもりだったのでそのまま入って行くと注意されました。周辺の案内図がないかと聞くとないとのことです。ついでに、風雅堂のことを聞くと、市民会館のような施設ということでした。行く必要はなくなりました。
いったん外に出たのですが、思い直して展示を見ていくことにしました。こんどはちゃんと傘立てに傘を置きます。
博物館のホールです。提灯のたくさんついた山車が置かれています。秋田の竿灯とは少し違うようです。
博物館では常設展と特別展をやっていました。歴史の話で誰がどうしたとか言うのは覚えきれないのでパスすることにしました。後で調べてみるとフタバスズキリュウやパレオパラドキシアの化石もあったようです。
特別展は、動物の考古学とというタイトルで、主に土器類に飾りとしてつけられた動物にまつわるものが展示されていました。イノシシというか豚の鼻のようなものがついた縄文式土器です。
こちらが常設展の会場です。平泉の金色堂のような建物が置かれています。岩手県ではなかったっけ。
展示の写真はこれくらいにしておきます。会場を出てホールに戻ります。山車の下を見ると太鼓が置かれています。打ち鳴らしながら巡回しているのでしょう。
博物館を出てお城の方に行きます。道路に沿って土塁のようなものの断面がが見えています。
新島八重の銅像です。テレビドラマでいっぺんに有名になりました。
道路を渡ったところから見た博物館です。交差点に三の丸跡の標識があります。右側が新島八重の像があったところです。
博物館のある一画は三の丸跡となっています。博物館から道路を隔てて反対側に堀があります。その前に案内図があり、それによると堀から向こう側が二の丸になっています。
堀を渡る橋の上から見えた掘です。右側が二の丸側になります。堀の土手は石垣が組まれていないように見えます。
橋を渡った先が東門になります。道はまっすぐで両脇に高い石垣が組まれています。門の扉があった場所がはっきりしません。それらしいものが見えません。たぶん奧なのでしょう。門に向かって攻め込んできた敵を、石垣の上から攻めたのでは。
石垣にあがって上から見た、門の間の通りです。ここにたまった敵を上からやっつける作戦なのか。
真っ直ぐ進んで行くと、再び堀が見えてきました。この堀を越えると本丸になります。このあたりの堀にも石垣らしいものは見えません。
堀の脇にあった、色づいていた木です。さくらでしょうか。この付近は春にはさくらの名所になっています。
堀に沿って進んで行くと赤い橋が見えてきました。地図によると廊下橋になります。ここを渡ると本丸に入ることができます。
そのまままっすぐ進んで、二の丸を通りぬけます。堀を渡る手前に石垣が組まれているところがあります。二の丸南門になります。
廊下門のあったところまで引き返します。この付近の掘にはしっかりとした石垣が組まれています。へばりついている草木が色づき始めています。
二の丸の南門から廊下橋のあったところに戻ってきました。考えてみると二の丸は完全に堀で囲まれています。鶴ヶ城には、北出丸・西出丸といった本丸から飛び出した形の出丸が作られています。二の丸もそれと同じ形態になっています。他の2つに比べて大きいだけです。二の丸入口の防御態勢もそれほど強固ではないようです。
廊下橋です。橋を渡ったところに廊下橋門がありました。
正面から見た廊下橋です。真っ直ぐ進んで行くと石垣に突き当たります。攻め込んできた敵は、ここで向きを直角に曲げないといけなくなります。勢いがそがれますね。
廊下橋から見た堀です。黄葉した木が何本かありますが、昔はなかったでしょう。攻めてくる敵は陰になりますから。
橋を渡りきったところです。このあたりに一番目の門があったと推定できます。入りきって右に曲がったところで2つ目の門が現れるのが普通です。
曲がったところです。正面に2つ目の門があって、そこを攻めているところで両側の上と門の上から集中砲火を受けるしくみになっています。
内側から見たところです。石垣の上は広く上からは攻めやすい構造になっています。武者走りというものでしょう。
ここを進んで行くと、石垣の向こうに天守が見えてきました。このあたり来る和尚になっていますが、武者走りのある石垣に挟まれています。二の丸から入ってきたところで急に守りが強固になってきたように見えます。
鶴ヶ城に着いた時に、バスガイドさん・添乗員さんから何度も注意されたことがあります。駐車場から天守までいく道筋の説明はあってあたりまえのことです。これではなく、帰りのことです。必ず来た道を引き返してくるようにということです。天守について、そのまま引き返すとなると、ここまで回り道をしてきていますから、かえるのも遠回りになります。ちょっと避けたいものです。
そのまま戻ってこなければどうなるかというと、通常のコースでいった場合、天守を通りぬけた後、鉄門から西出丸に出てしまいます。こうなってしまうと道の迷う人が続出でしょう。前回はこれで道に迷いかけました。その予防線を張っているのだと解釈しました。頭の中に入っているコースで戻っていくことにします。
鉄門から西出丸追手門を通って堀を渡り、掘の北側から北出丸を横断して鶴ヶ城会館に戻る道です。前回は通らなかったコースです。これでも三の丸経由よりもだいぶ近道になります。
鉄門から西出丸に抜ける所です。西中門と鐘撞堂があります。
梅坂を下って左側にある五件丁濠です。本丸側の斜面には木がいっぱい生えています。
堀にいたカモです。これでも近づいていくと逃げるように遠ざかっていきます。
西出丸に降りたところから見た梅坂です。このあたりの堀はだいぶ浅くなっているようです。
西出丸は駐車場になっています。中を通らずに堀沿いに南側に進んでいきます。ここにあるのが讃岐門です。入口は狭くなっています。
讃岐門からみた千飯櫓方向です。石垣の向こうは鉄門になります。門の上にある走り長屋の屋根が見えています。
反対側に進んで、西出丸西追手門から城の外に出ます。堀を渡る上から見た椿坂方向です。
西門から北出丸に入って、北出丸を通りぬけます。追手門近くの内側にある木の紅葉がきれいでした。
ここからは大きな木があるためなのか、天守閣は見えません。
そのまままっすぐ進んで鶴ヶ城会館の入口まで戻ってきました。入口には冠木門が作られています。このあたりは桜ヶ馬場というのがあったと案内板に書かれています。
出発までまだ少し時間があるので、土産物などを見て回りました。どちらかというと人がいっぱいで、中を歩きまわるほうが大変でした。
鶴ヶ城会館を出る頃には、雨はほとんどやんだようです。このまま天気が持ち直してくれるといいのですが。バスに戻って次の目的地に向かいます。順番としては、道の駅おぜ街道みしま宿で只見川と鉄橋の絶景というのを見た後、会津宮下駅から会津柳津駅まで只見線に乗ります。
バスはいったん会津若松市街を北上していきます。途中、会津若松駅の前を通りました。バスガイドさんは小さな駅といっていましたが、そこそこの大きさはあるようです。
駅を過ぎた所で、転車場が見えてきました。すぐに建物の影に入り見えなくなりましたが、再び列車庫のようなところの前を通ります。右側の方に列車がこちらを向いて並んで入っている建物ろがあります。その前に転車場があります。
バスは町外れからいったん磐越道に入ります。すぐに阿賀川を渡ります。
会津坂下ICで高速道路を降りて、只見線沿いに遡っていきます。時々只見線の線路が見えます。
只見川も横を流れています。いったん渡ってすぐにもう一度わたり直します。だいぶ水かさが増えているような気もします。上の方に見えている大きなお寺は福満虚空蔵尊円蔵寺のようです。
道は会津桧原駅付近から川や線路から離れて山の中に入ります。トンネルをぬけた先に道の駅おぜ街道みしま宿がありました。いったんバスは駐車場に入りますが、そのまま建物の前を通りぬけて奧の方まで移動し直しました。少しだけ歩く距離が短くなりました。
ここから、只見川ビューポイントというところに移動します。道は狭く人がいっぱいになりそうです。いったんトイレに行って人が少なくなるのを待ってから、見に行くことにしました。
道は沢を橋で渡ります。牧堀沢という沢で国道側は川井橋というようです。ここがビューポイントのA地点になっています。そこそこ紅葉がきれいです。川は何とか見えています。
そのまま道をあがっていってB地点に行きます。時間稼ぎをしたため、先にB地点についていた人達は次のC地点に行こうとしています。入れ違いでB地点では景色をゆっくりと見ることができました。
ここからは、只見川と、そこにかかる只見線の第一只見川橋梁を見ることができます。紅葉のきれいなところのようですが、それにはまだ少し早いようです。
道脇の斜面に赤い実がついている草がありました。何という種類なのかわかりませんでした。ヤブコウジに似ているような。
只見川のビュースポットは、C地点とD地点の2ヵ所が残っています。このまま上にあがっていけば、C地点でまたたくさんの人達に追いついて一緒になります。C地点は後回しにしてD地点に先にいくことにしました。
C地点の横を通った時は、見学が一段落着いた頃で、添乗員さんが上のD地点に行ってもいいといっていました。ちょうど声がかかったところなので、行きますといってD地点に向かいました。ここからは、少し急になっていて見ただけで行くのを断念した人が多かったようです。
D地点から見た第一只見川橋梁です。ここを列車が走るところをみたいのですが、これから乗る予定です。ここを通過してから、その先で行き違いをした列車がやってきてそれに乗るというのはなさそうです。それができそうなのは、会津川口ぐらいです。今は終点になっています。
第一橋梁の上流側に第二只見川橋梁ががあります。薄緑色のトラス橋です。横に見えている集落は、会津西方駅周辺にあるものです。
C地点に降りていきます。ここからは第一只見川橋梁が一番よく見えるようです。第二橋梁はD地点からだけです。
下の方に見える道路の橋です。歳時記橋のようです。
ここを降りようとしたときに、別のツアーグループがやってきました。C地点で人混みを避けてゆっくり見るのはぎりぎりセーフだったようです。
道の駅に戻ってから只見川のようすを見てみます。先ほどの歳時記橋が見えています。向こう側の集落は会津西方駅付近のものでしょう。
道の駅で土産物を見ていきます。果物類で買おうか迷ったものがありました。食べきれないと思い断念です。金山町の天然炭酸水があったので、買って帰りました。前回この近くにきたときはガラス瓶に入っていたのが売られていたですが、ペットボトルになっていました。
ここでゆっくりしている間に先ほどのグループが降りてきて先に行ってしまいました。同じ列車に乗りそうは気配でいっぱいです。駅に先に行っていれば、大混雑になりそうです。ちょっと心配です。
バスで会津宮下駅駅舎にむかい。到着しました。会津宮下駅です。先ほどのグループはきていないようです。ちょっと混雑は避けられました。といっても、もっと向こうの駅から乗っているかも知れません。まだ安心はできません。
駅で添乗員さんの切符の手配が終わるまでしばらく待ちます。その間にこの付近で何か見られるものがないか確認しておきます。アーチ三兄弟(橋弟)というのがあります。時間的にぎりぎりなのですが、添乗員さんに許可を得て見に行くことにしました。駅から、これから列車で向かう方向にあります。
それらしいところに到着しました。が、肝心の橋が2つしか見えません。上が国道バイパスの橋、下が只見線の橋です。だいぶ紅葉はきれいです。
下を流れる沢です。
3つあるばずなのですが、3つ目が見当たりません。よく考えてみるともう一つ橋が足元にあります。ということは、今橋の見えているのと反対側に行くと、この橋も見えて合計3つになりそうです。後ろを振り返ってみると見るのに良さそうな広場のような所があります。そちらに向かってみます。
しっかりと3つのアーチ橋が見えました。ここには、3つの橋についての説明もあります。
会津宮下駅から会津柳津駅まで、只見線の列車に乗ります。出発前に地図などで調べたようすでは進行左側の方が景色が良さそうでした。当然、席には座らずにドアのちかくにたっていることにするつもりです。
会津宮下駅は三島町にあります。先ほどの道の駅の名前もこの町名からとったようです。町の名前の由来は、三島神社からとられたとか。会津宮下駅の近くにあります。先ほど、アーチ3橋弟を見にいったので、ここまで行く時間は残っていません。列車が来るということで、ホームにあがってみると、線路の横に鳥居が見えました。この奧が三島神社なのでしょう。パンフには、神社の前を只見線が通っていると書かれています。
駅に列車が入ってきました。天気が悪く薄暗いためなのかヘッドライトがついていました。
列車はだいぶ行きすぎて止まりました。というよりはホームの端っこで見てたためです。列車に乗り込む前にも一枚写しておきました。
乗り込んだ勢いで押されたのでそのまま奧に詰めました。左側に立つはずが右側になってしまいました。席のある所は人でいっぱいでした。ビューポイントで一緒になったツアーグループは先の駅から乗っていたようです。添乗員さんによると、もう一グループ更に別の所から乗っていたそうです。
乗り込んでしばらくすると窓ガラスが曇ってきました。雨と暖房のためです。カメラのレンズにも露がつき始めています。景色を見るのには最悪です。ハンカチでこまめにガラスを拭きながら景色を見ることにします。
会津宮下駅をでてすぐに、先ほどのアーチ3橋弟を通ります。窓ガラスが曇っているので、ピントがなかなかあいません。何とか写せた橋です。真ん中の橋を通っていますから、ここからは一番上の国道バイパスの橋しか見えません。
途中で、只見川を渡ります。第一只見川橋梁から見た只見川です。ここでもなんとかぎりぎりで写せています。この後のものはほとんど間に合っていません。それよりもシャッターが降りませんでした。
第二只見川橋梁を渡った後は、いくつかの横切る川を渡るとき以外は、見えていたのは藪ばかりです。曇っていて景色もよくわかりませんでした。
近くにいた、地元のお母さんがこの付近の事をいろいろ教えてくれました。でも、どんな話だったのかよく覚えていません。豪雨の時の話をしていたように思います。
何も見られないまま、会津柳津駅に到着です。ホームに降りてから見た、走ってきた方向のようすです。
列車です。3つのツアーグループともここで降りました。車内はがらがらになったでしょう。先ほどのお母さんは、この先の会津坂下まで行くようです。
駅からでて、振り返って見た駅舎です。最後の方にでたので、この頃には人が少なくなっています。
駅前には観光バスが3台止まっていました。一番奥が、我々のバスです。その向こうにSLが置かれていました。ここに来るのに後れをとっていますので、急いで写し、すぐにバスに乗り込みます。
この後は、宿に戻るだけです。会津坂下ICから高速道路に入ります。すぐに阿賀川を渡ります。
この後、会津若松ICからは昨日と同じコースで宿に戻りました。
到着後夕食までしばらく時間があります。ロビーでお茶を飲んだりして、時間をつぶして会場に行きます。今日は和食のコースになっています。相変わらず、見習いさんのマナーは不快なことがたくさんありました。
夕食後、星が見えないかと外に出てみると暴風雨になっていました。横殴りの雨が降りつけています。立っているのも大変なくらいの風です。落ち葉が吹き飛ばされて、吹きだまりに集まって積み上がっています。気温もぐっと下がってきているようです。これでは星を見るどころではありません。今回の旅行も星見はできませんでした。
ロビーでお茶を飲んでくつろいだ後は、風呂に入ってから、寝ることにします。今晩もクローゼットから掛け布団を取り出して、メイキングされたベッドの上で寝ました。
朝、目が覚めて掛け布団はクローゼットに戻します。ベッドは、ほとんど乱れていません。ちなみに枕も使わない方なので、こちらもしわとかがいっていません。どこで寝たのだろうという状態です。
昨晩の雨はやんでいるようです。まだガスは残っていますが、外に出てみました。ゲレンデを少し上がった所から見下ろしたようすです。
ゲレンデで咲いていた花です。ブタナでしょう。ニセタンポポともいいます。
ボールのようなものが転がっていました。穴が開いています。ホコリタケのように見えます。
昨日の駐車場を通りぬけると広い道に出ました。昨日安達太良山に向かいましたが、その旧道です。この部分は通っていません。この先で、吾妻山に向かう道が分岐していますが、そこは通行止めのままです。
昨晩の風雨で飛ばされたものか、道脇には落ち葉がだいぶ積もっています。
道路を横切る沢です。木々の葉っぱが黄色くなっています。
この横から、箕輪山経由安達太良山への登山道が続いています。登山の装備を持ってきていませんから、上までいくのはやめにします。時間もそれほどありません。それでも、10分ほどようすをみることにしました。
道は、箕輪山スキー場の横に続いているようです。横にリフトの支柱が見え続けていました。ゲレンデに抜ける道はないようようです。登山道はブナ林の中を通っています。木々はだいぶ紅葉しています。
ゲレンデの一番上までいかないうちに引き返そうと予定していた時間になりました。戻っていくことにします。途中前で物音がすると思ったらイノシシが飛び出してきました。でもすぐに見えなくなりました。
登山道の入口まで降りてきました。まだ朝食まで時間はありますので、旧道を少しだけ歩いてみることにしました。進んでいっても景色はあまり代わり映えがしないようです。次の沢を横切るところまで5分ほど歩いていったところで、戻ることにしました。
再び登山道入口まで戻ってきました。こちらの沢の方が流れが緩やかなようです。
駐車場まで戻りました。ドイツトウヒ?の枝先にホオジロが止まってさえずっているのが見えます。
真っ赤に色づいた木があります。ツツジ類のようですが、花がついていないので。種類を確定できません。
宿の前まで戻ってきました。箕輪山が山頂近くまで見えるようになってきています。天気はだいぶ回復してきたようです。
紅葉がきれいだった一画です。昨日よりも遠くが見えるようになっています。
朝食をすませて部屋に戻ってから見たようすです。また霧が出てきたようにも見えます。天気予報では回復するみたいなのですが、どうなるのでしょう。
朝食をすませた後、荷物をまとめてロビーに降りていきます。荷物は、バス車内に持ち込むものをわけておきます。今日は、五色沼と大内宿をまわったら大阪まで帰ります。
大きな荷物をトランクに預けて、バスに乗り込みます。すぐに出発です。最初の五色沼へは、昨日通ったレークラインが近道になります。昨日は席が左側でしたが、今日は入れ替わって右側になっています。小野川湖などの景色が見られそうです。昨日は、このこともあって右側の景色はあまり見ていませんでした。
バスが走り始めてからようすを見ていると、山の中には入っていきません。どうも表磐梯に抜ける道を走っているようです。遠回りですが、道がまっすぐな分こちらの方が早いのでしょうか。小野川湖は見られないようです。途中に見えていた山です。青空も広がってきているようです。
光も差してきているようです。今日は晴れてきそうです。
磐梯山の横から、裏磐梯に抜ける道に入って進んで行きます。五色沼が近づいてくると、道脇には小さな池が見えてきました。磐梯山の噴火によってこの付近にはたくさんの沼ができています。
五色沼に到着です。五色沼はたくさんの沼を巡るコースを期待していたのですが、一方の入口側である毘沙門池周辺を30分ほど散策するだけです。
できればたくさんの沼をみたいのですが、どれくらい見られるのでしょうか。他にも同じ事を考える人がいたようです。添乗員さんに、隣の池までいく時間はあるかと聞いていた人がいました。返事はノーでした。とりあえず、いけるところまでいってみることにします。
バスを降りて、レストランをまわって見えてきた毘沙門池です。横の木だけが紅葉しています。
対岸で紅葉した木が多い一画です。水の色が青っぽいような気もします。
少しだけ進んだ所からの毘沙門池です。
鳥のさえずりが聞こえてきます。探してみたら何とかつけることができました。コガラです。現地では、もう少し大きな鳥だと思っていました。
ここをでようとしたところで、ミソサザイが飛んできました。一瞬うちにどこかに行ってしまったので、写真には写せませんでした。
毘沙門沼は思ったよりも。大きな沼でした。なかなか抜けきらないうちに、引き返さないといけない時間になってきています。できるだけいけるところまでいくことにしてします。
このあたりの、沼の水の色は、レストランがあった付近よりも色が濃いように見えます。水質の違いなのか、水深の関係なのか、それとも光の当たり具合なのか、どうなんでしょう。難点は、木が多く沼がよく見えないことです。
比較的よく見えるところから見た毘沙門沼です。向こう側は磐梯山のある方角になります。
ここから見えている向こうの方が毘沙門沼の一番奥になります。
一番、奥まで行ったところからみた毘沙門沼です。この先、道は沼から離れて山の中に入っていきます。こしばらく林の中を歩いている内に時間切れとなりそうです。先に進まず、引き返すことにしました。
戻る途中です。ここからみた色が一番青かったようです。
戻る途中の毘沙門沼です。
レストラン横まで戻ってきました。ここからはかなり色づいた木が見えます。
ボート乗り場をまわって駐車場に戻ることにしました。そこから見えた毘沙門沼です。
毘沙門沼の次は、大内宿に向かいます。沼から会津若松までは、昨日の午前中に中津川渓谷から鶴ヶ城にいく間に通った道です。毘沙門沼の前では、明日はここに来るとガイドさんが言っていました。
磐梯山の東側を南下して、猪苗代磐梯高原ICに向かいます。磐梯山方面が開けてきたところからの磐梯山です。だいぶ雲が切れてきています。見えているのは赤埴山でしょうか。雲の向こうに高い山がありそうです。
ICまで近づくと、磐梯山が見えるようになってきました。まだほんのちょっとだけ雲の中です。
磐梯山の山頂から右側に見える赤埴山です。向こうの雲に隠れている山は櫛が峰です。
会津若松市街を通過し、南に走っていきます。このあたりは、柿の木がたくさんあって実がいっぱいついています。ガイドさんによると、渋柿で焼酎によって渋抜きをするそうです。みしらず柿といっていました。
山の中に入ってきました。大きな川を渡ります。阿賀川です。川の水がだいぶ濁っています。昨日の雨のせいでしょうか。
もう一度阿賀川を渡った先にあるのが芦ノ牧温泉です。花壇の花がきれいなので撮りました。看板はどこにいるのかという記録を兼ねています。
この先で川から離れて、山越えをします。ぬけた先です。木々がだいぶ黄色くなっています。
大内宿という名前からすると宿場町のようです。ここに来るまでの間に阿賀川沿いの道から山越えをしてへんぴな盆地に入ってきたような感じがします。こんなところには大きな街道があるようには見えません。宿場があるなら街道が通っていて良さそうです。ちょっとイメージが合いません。
江戸時代までは、江戸から会津若松に抜けるには、日光からここを通るのが正規のルートだったようで、奥州街道の脇街道として整備されていたようです。明治時代になって、阿賀川に沿って走る会津鉄道沿いに北上するルートが整備されるようになって、そちらのルートが主として使われるようになりました。途中バスで走ってきた道です。ルートが変わったことによって、この宿場は廃れたものの、逆に古いままに残されたようです。
大内宿の駐車場からは、バスガイドさんが宿場の真ん中まで案内してくれるそうです。トイレに行きたい人は行って済ませた後、バスの所に戻ってきたら添乗員さんが案内してくれることになっています。毘沙門沼からだいぶ時間が経っています。トイレに行ってから宿場を回ることにしました。
用を済ませてバスのある所に戻っても添乗員さんしかいません。そのままいってもよいかと聞いたところ、了解が得られました。そのままいくことにしました。少し広い道を進んでいった先に大内宿があります。
宿場入り口にあった、建物と紅葉した木です。この建物も古そうですが、宿場町時代のものではないでしょう。
ここで、初日の特急で隣の席だった人に追いつきました。あいさつをしたら、そのまま先に行きづらくなって、一緒に歩くことになってしまいました。
宿場街に到着です。街道は昔の道にしてはかなり広いようです。道を3等分するように水路が流れています。結構たくさんの人がいます。
建物を写そうとしても、人が写り込んできます。避けようとするとどうしても屋根だけの写真になってしまいます。茅葺き屋根狙いでいきます。
半分以上通りぬけた所に町並み保存館というものがあります。何か情報を知りたいのではいることにしました。入館券を買おうと並んでいると、前の人が、大人数の分の切符を購入していましたが、先に券を発行してもらうことができました。大人数の後に続いて入らなくてすみました。団体が入ってこないうちに見ていくことにします。
中の展示です。道具などが置かれていました。明治以降のものもたくさんあります・
宿場町に関しての説明はあまりありませんでした。宿場町なら本陣がどこかにあるはずのなのですが、どこにあるのかもわかりませんでした。建物中を見て回ります。
上段の間と書かれています。なんとなく殿様が泊まっていたっぽい感じがします。
建物に入った入口とは別に立派な玄関があります。偉い人の入口のような気がします。横の標札には本陣と書かれていたのには気がついていませんでした。
町並み保存館向かいの建物です。向こうの山に黄色く色づいた木々が見えています。
大内宿の建物の並びに決まりが見えます。瓦葺きの寄棟屋根で、妻面が通りに面しています。建物は平入りなので、通りから建物の間を入って行ったところに入口があります。
簡単に書けばこのようになりますが、わかりにくいので簡単に解説します。通りからは、建物の五角形の面が見えています。こちら側の屋根も通り側に向かって斜めに削られるようになっています。入口は、四角形の面にありますから、入って行くには、建物の間を通らないといけないことになります。その分建物と建物の間が広くなっています。といったところでしょうか。
町並み保存館のみが例外で、平入りの玄関が通りに面しています。つまり、ここだけ直角に向きが違っています。
保存館北側に建物との間です。通路があって井戸が設けられています。
水がたまっている中を見ると、魚が泳いでいました。イワナでしょうか。
建物の間の生垣です。イチイのようです。赤い実がついていました。
保存館向かい側の建物の屋根です。煙出しがついています。
宿場真ん中を通る街道は正面に建物があって、その前を右の方へ続いているようです。左側に石段があって上の方に上がれるようです。宿場町を見下ろせるところいけそうなので、登っていくことにします。上に上がった所にあるのが子安観音堂です。
観音堂の前から見た、大内宿です。ここからだとまだ全景が見えないようです。
少し進んでいって、少し上がった所から見た大内宿です。最初に書いた、建物の並びのようすがわかるでしょうか。明るい色をした屋根のある建物だけ向きが違っていますが、町並み保存館(本陣)はもっと向こうになります。
街道左側の建物の屋根の並びです。
大内宿に着く前に、バスガイドさんからここの名物料理について説明がありました。ネギそばといって、丸まるの長ネギが1本入っていて、箸を使わずそのネギを使って食べるのだそうです。
そろそろ昼食時間なので、食べることを考えることにします。普通なら通りに沿ってのれんが下がっていて、そこから店に入っていくのですが、そのようなものは見当たりません。通りに面した土産物屋さんは、窓とか縁側のようなところに商品を並べて売っています。建物の造りからするとどうしてもそうなるのでしょう。
建物と建物の間に看板があって、そばと書かれているところがあります。案内に従って入って行けばありそうです。そのうちの1軒に入って行くことにしました。入口はほとんど反対側の端近くにあります。入って行くときに見上げたかやぶきの屋根です。
中に入って席に着きます。へやの中のようすです。窓は妻面側、通路に面している側です。太く曲がった梁が使われています。かなり広い部屋です。ここは旅籠だったのでしょうか。だとしたら旅人は雑魚寝だったのでしょうか。
天井です。ここだけ見ると、よく見かけるような造りです。
運ばれてきたネギそばです。説明では、引っかけて食べるのではなく、椀を持って掻き込むようにして食べるのだそうです。それなら何とかできそうです。うまく食べられない人のためにお箸も用意されています。一緒にいた人は、ネギが噛み切れないといっていました。
食事が終わって会計をすませて外に出ようとしたら、資料館入口と書かれています。2階に設けられているようです。許可を得て見せてもらうことにしました。
古い道具とか食台とかが並べられています。人形もあります。会津天神といって、天神様を模して作られているそうです。乗っている台も古いタンスのようです。
外に出ます。お礼を言うのを忘れていました。外に出てから気がつきました。この場を借りて、「ありがとうございました」。
道脇で見かけた植物です。マムシグサに実がついていました。
不明な花です。花だけを見るとシャクヤクかと思っていたのですが、ダリアのようも見えます。どちらにしても背丈だけが高くて何か変です。
大内宿の外れに高倉神社というのがあります。高倉宮(以仁王)を祀っているそうです。高倉天皇と勘違いをしていました。平清盛が政権を握ったときに平家打倒の計画を立てるのですが、平家に発覚し逆に追い詰められて討ち取られたということになっています。これを契機にして源氏が各地で挙兵し最終的には平氏は追い詰められます。
高倉宮は生き残って、この地を通って越後まで逃れたという伝説が残っています。逃走の途中でここを通ったときに、都の風情が残っているということで地名を大内と改めたという伝説が残っています。
高倉神社に行くには、通りにある鳥居の所から脇道に入ります。途中、町並みを抜けた裏側から見た大内宿です。右側の建物が町並み資料館になります。
正面は田園風景が広がっているだけで、神社らしいものが見えません。遠くにこんもりとした森のようなものがあります。よく見るとそこに鳥居がありました。ちょっと離れています。
残り時間を見るとほんの少ししか残っていません。ここまで、特急で横だった人とずっと一緒です。あまり速くは歩けない方なので、一緒では時間は足りないでしょう。どうするかと聞いたところ自分は先に戻るといいます。それならということで別れて見に行くことにしました。急ぎ足でないと間に合わないでしょう。
中程まで着て振り返って見たところです。大きな茅葺きの建物が町並み資料館です。
森の入口にあった鳥居です。宿場の人通りの多さに比べると、こちらはほとんど人がいません。観光客は通りのみでこちらまでやってこないようです。
鳥居をくぐって進んだいった先に見えてきた社殿です。まわりは背の高い木々に囲まれています。
横手にまわって見えた本殿です。拝殿に比べてものすごく質素です。
出発時間がせまっているので引き返すことにします。拝殿前の参道から見た鳥居の方向です。木々に囲まれて薄暗くなっています。
街道まで戻りました。この後は上越までバスに乗り続けることになります。出発前までにトイレをすませておく必要があります。駐車場の所にありますが、だいぶ行きすぎたとこになります。町並み資料館の裏手にあるトイレの方が近そうです。こちら経由で戻ることにします。
裏側から見た町並み資料館です。
建物の横を通って表側にでます。正面からの通りになります。だいぶ人は少なくなっています。左側に火の見櫓のようなものが見えます。右側の鳥居を進んで行くと高倉神社に出ます。
急いで戻り何とか出発時間に間に合いました。
バスは大内宿を出発します。シーズンにはこの付近は大渋滞になるそうです。バスが駐車場に入るのにも時間がかかるので、いったんツアー客を降ろして見学中に駐車場にいえるそうです。シーズンは5月の大型連休、8月のお盆休み秋の紅葉シーズンの土日です。今日は土曜日ですが、まだ紅葉に早かったようでいうほどの渋滞ではなかったようです。
バスは来た道を引き返すと思っていたのですが、何となく道が違うようです。古い街道沿いの道に入ったようです。そのまま山の中に入っていきます。
道脇の水路です。水の流れがだいぶ速いように見えます。昨日の雨の影響でしょうか。添乗員さんのはなしによると昨晩の大雨で避難勧告がでた地域もあったそうです。
ダムの横を通ります。栃沢ダムというようです。ここの水かさを見る限りでは、それほど上昇しているという感じはありません。見てわからないだけかも。
盆地の中に入ってきました。果樹の畑が見えます。このあたりではリンゴが多いようです。赤く実っています。
柿の木もあります。これも渋柿なのでしょうか。
鉄道の線路を越えます。位置からすると只見線でしょう。昨日乗ったところはまだ山の中でした。
川を渡ります。阿賀川の支流にあたるはずのなのですが、大きな川のように見えます。水量が増しているようで、河川敷が見えません。ユンボが入っているのは、昨日の雨のためだったのでしょうか。ちょっと早いような気がします。
遠くに見える磐梯山方面です。ここからだと猫魔ヶ岳が見えるはずです。朝に比べてだいぶ雲が多くなっているようです。
バスは新鶴スマートICから磐越道に入り、新潟方面に向かって走っています。すぐに会津坂下ICを通過します。ここは、来るときにガイドさんが何回も利用すると行っていた場所です。使ったのは、初日にここで降りて喜多方の新宮熊野神社に向かったときと、昨日只見線乗車のために往復利用した時の合計3回で、今日は通過だけですが4回目になります。
ICを越えると。只見川を越えます。昨日は見ていません。来るときは反対の上流側が見えていました。ダムがありましたが、放水はしていないようでした。今日は下流側ですが、見た感じでは、かなり増水しているように見えます。中州とか河川敷とかがあってよさそうなのですが、見えません。ダムも相当量の水を流しているのではないかと思われます。
会津坂下ICを過ぎると、山越え道に入ります。山の斜面の灌木が色づいています。ツツジ類でしょうか。
トンネルをぬけて道は下り坂になっています。県境を越えたところでしょう。真っ平らな斜面が見えます。大きな木は生えていません。アバランチシュートのように見えます。
坂を降りて上川PA付近からは、谷間が少し開けたところにでて、すぐに川を渡ります。常浪川です。ここの水位も高いようですが、それほどには見えません。
まだまだ山は抜けきっていないようです。阿賀野川が作る谷を横目に見ながら走っていきます。
トンネルをぬけたところで、阿賀野川を渡ります。横に揚川ダムがみえます。かなりの勢いで放水しています。
すぐにもう一度、阿賀野川を渡ります。水面と川岸の高さがそれほど変わりません。水位が上がっているように見えます。
阿賀野川SAに近づいてきました。ここで、トイレ休憩が入ります。川が見えるかと、建物の裏側にある展望所に行ってみました。川は木にさえぎられていてよく見えませんが、水位が高くなって流れが速いように見えます。だいぶ濁っているようです。
この付近の山の木々もだいぶ色づいています。
バスは新潟県内を走っています。新潟県は細長いので、まだまだ先は長いようです。来た時に比べて、帰りは上越妙高駅で新幹線に乗り換えることになっていますから、糸魚川−上越妙高駅までの分は短くなっていてその分乗車時間は短くて済みます。そういってもここからの距離からすると距離的には大きな差はなさそうです。
まだしばらくは、阿賀野川に沿って走ります。渡るところから見た阿賀野川です。木々が水に浸かっているようです。中州のような所だったかも知れません。かなり水位が上昇しているのがわかります。
このあたりが本流になるのでしょう。湖のようになっていますが、速い流れがあるのも見て取れます。
しばらく阿賀野川から離れて、田園地帯を走ります。帰りにもはくちょうをたくさん見ることができました。
遠いので望遠レンズになります。何度挑戦してもぶれてしまいます。見え始めてから見えなくなるまでの時間も短いので、写すのはなかなか大変です。
川を渡りました。ここも流れが速く、水位が上がっているようすが見えます。水も濁っているようです。
新潟中央JCTから北陸道に入り上越の方に向かいます。上越新幹線燕三条駅の前を通過します。バスガイドさんから、北陸道のICは三条燕であるとの説明がありました。三条市と燕市が仲良く分け合ったそうです。
信濃川を渡ります。向こうに堰が見えます。ここの放流も多いようです。水がかなり濁っています。
長岡市に入ってから、再び信濃川を渡ります。ここでも水位が上昇しているのがわかります。草地の盛り上がったところが川の中にとり残されています。遠くに見える山は、弥彦山と角田山です。
長岡JCTを抜けると山の中を走るようになります。平地を抜けて再び山越えをしたところで、海が見えてきました。向こうに佐渡島が見えるのではということで探したのですが見つけられませんでした。だいぶ雲が晴れてきたようです。
バスは高田平野に入ってきました。もうすぐ、上越妙高駅です。太陽は、だいぶ低くなってきています。窓から少し見上げたところに、雲の間から顔を見せるようになってきました。太陽から少し離れたところにある雲が、色づいているように見えます。彩雲になっているようです。光環とはとは違うようです。太陽を中心に丸くなっていません。
拡大です。バスの走っていく向きによって見えたり見えなかったりするので、だいぶ時間が経っています。この間に、太陽に近づいてきました。
幻日も見えるようになってきました。太陽の右側にできているものです。
川を渡ります。関川です。妙高山の方から流れてきています。この川ではあまり水位があがっていないように見えます。
上越JCTから上信越自動車道に入り、上越高田ICで高速道路を降ります。ここで、自衛隊のトラックとすれ違います。災害派遣と書かれています。台風による洪水の対応でしょうか。
高速道路を降りてからも一般道を少し走ります。妙高山方面はまだ雲かかっているようです。
上越妙高駅に到着です。上越JCTからだいぶかかりました。これだと糸魚川乗換でもそれほど時間が変わらなかったような感じがします。
バスを降りて、添乗員さんが切符の手配いをする間、駅の入口でしばらく待ちます。横に見えている線路に列車が入ってきました。このあたりは、越後ときめき鉄道となっています。
用意ができたので、2階のコンコースにあがります。途中でみえた妙高山方面です。まだ妙高山は雲の中のようです。
北陸新幹線は、台風による浸水のために、一部区間が不通となり折り返し運転をしていました。昨日全線開通し直通したところます。ダイヤが決まったのは出発した前日です。ここからは指定席なのか自由席なのかが気になるところですが、指定席になっていました。前日に用意されていた切符で座席の変更になったのか、そのまま使えたのか、どうなのでしょう。
添乗員さんに誘導されて、はくたかの到着ホームに移動します。ちゃんと金沢行きの表示が出ています。出発の10分前にホームに到着です。
待っている間に、妙高山が見えるようになってきたようです。まだ少し雲がかかっています。
到着したはくたかです。みんな一斉に写そうとしたようです。スマホカメラが何台か並んでいます。
ドアが開いてから多くの乗客が下りてきました。乗り込もうとする前に発車の案内が入りました。我々の団体はまだだれも乗れていません。となりの車両のドアが開いていたので、そこから乗りした。他の人達は座席のある車両から乗ろうとまだ並んでいます。
だいたい乗り終わったところで、添乗員さんがこちらのドアから入ってきました。顔を合わせてびっくりしています。妙高山をみたいのでこちらから入って出発を待っているのだと説明しました。空いている席があるのでそこに座っていいとのことでした。
列車が走り始めて見えた妙高山です。まだたくさんの雲があります。
糸魚川まではほとんどトンネルの中でした。駅を出てから見えた姫川と日本海です。川はあまり増水していないように見えます。
黒部宇奈月温泉駅を過ぎいくつかのトンネルをぬける頃には、太陽はだいぶ低くなってきています。
富山市に入って、常願寺川を渡ります。この川もほとんど増水していないように見えます。
富山駅につく少し手前では太陽がほとんど沈もうとしていました。
富山駅を出発します。すぐに神通川を渡ります。ここもあまり増水していないようにみえます。全体的に防音壁が高いので景色は見えにくくなっています。
もう日は沈んでいます。景色は見えづらくなってきています。写真も写りませんので、撮影は終了です。
金沢からは、サンダーバードに乗換です。来た時と同じ人と隣どおしです。その人は京都駅で降りるそうです。息子さん達が迎えにきているようです。私も京都駅乗換になりました。
京都駅で降りると乗車口には、出迎えがきていませんでした。もう一つの出入り口にそれらしい人がいます。目の前に階段がありましたので、ここでお別れです。新快速で高槻までいきそこで乗換て帰ってきました。
今回の旅行の主な目的は、紅葉を見に行こうというものでした。例年なら紅葉の見頃は北から南下してきて、10月の下旬ごろだと東北南部まで下りてきています。そこで、パッケージツアーを探してみたら、会津方面ということで見つけたのが今回の旅行です。
ツアーを選ぶのは、2ヶ月から1ヶ月半前くらいにします。この頃では、先の天気の予想ができませんから、例年の状態を基準にして判断しています。今回は申し込むのが遅く、いくつかのツアーは満席になっていました。
9月になってからも暖かい日が続き、各地で真夏日が続きました。10月になって一時期気温が下がりました。これならいけそうという気になっていました。ところが、すぐに元の暑さに戻りその後はなかなか気温が下がっていきませんでした。中旬頃には、紅葉の開始が遅れいているという事も聞かれるようになってきました。
今回の旅行で紅葉の一番のスポットは、熊野新宮神社の大イチョウでした。残念ながら青々としていて、紅葉(黄葉)というのにはほど遠い状態でした。これは残念です。他の場所も、ちょっと早いかなという状態でした。安達太良山については、天気が悪く何も見えませんでした。紅葉についてはどうなっていたのかは不明です。
紅葉が一番きれいだったのは、中津川渓谷で、ここはツアーコースには入っていなくて、安達太良山の天気が悪いということで、添乗員さんの判断(多数決もありましたが)で時間を短縮して代わりに立ち寄った場所です。最後にバスの中で、どこがよかったかという意見を聞いたところ、ここをあげる人がほとんどでした。何が幸いするかわかりません。
今回の旅行記のタイトルを考えます。ほとんどのところで紅葉は早かったということ、どこにいったかというのもあったらいいかなということで「会津紅葉準備中」にしました。
計画通りにならないことの方が多いので、紅葉が真っ盛りではなくてもしかたはないと思っています。また次回どこかでチャレンジします。
出発2週間ほど前に関東地方に上陸した台風の影響で、東日本は大きな被害を受けました。ツアーに関係したところでは、直後には中津川渓谷に行くときに使ったレークラインをはじめとしていくつかの道路が通行止めになっていたようです。一番大きかったのは北陸新幹線の車両基地とその脇にある線路が洪水で水没し、不通になってしまってしまいました。車両もたくさん水に浸かって使えるのかどうか危ぶまれていました。結局廃棄処分になったようです。
1週間ほどすると、長野−上越妙高間をのぞいて部分開通しました。この頃から、ネットでの情報収集に明け暮れてきました。乗る予定の、はくたかは糸魚川折り返しになっています。乗れるのは自由席のある車両のみ(指定席も開放したらと思うのですが)で、座れるかどうかが心配です。以後の情報については繰り返しになりますので、記述されている部分を参照ください。
出発直前に台風が接近していました。日本列島の東の海上を北上するだろうということで眼中には入れていませんでした。旅行中は情報が入っていませんでしたが、その後調べてわかったことでは、台風接近にともなう雨で、関東から東北南部にかけての地域の海沿いでは大雨になり堤防が決壊したところもでていたようです。25日の晩から翌朝にかけての大雨と強風は、安達太良山の山麓でその影響が現れたという所のようです。ずっと天気がよくなかったのも台風の影響だったのでしょう。
今回もたくさん雨が降りました。雨対策として折りたたみ傘とカッパは持っていっているのですが、持ち歩き用のリュックは雨がひどければ中にしみこんできます。1日目の晩は何とかしておきたいということでいろいろと考えました。
部屋に使ってくださいと用意されているものの中に、ランドリーバッグというのがありました。合成樹脂製でリュックが入る大きさです。防水できる袋にはなりそうでした。これを雨が降っているときにはリュックに被せられるように考えてみました。理想は、雨でカバーとして使っているときは肩紐だけがでていて、使わないときは、リュックの中にしまえるものとなります。肩紐は、簡単に取り外しができませんから、つけたまま使うことになります。
そのままだとリュックの肩紐が外に出きません。穴を開ける必要があります。ハサミは持ってきていないので、フロントで借りることにします。その前にどこに開ければいいかを検討しました。とりあえず袋の底の方、両脇少し内側に二ヵ所紐を通す穴を開けることにしました。
袋を逆さまにして、リュックに被せます。リュックの紐を外して穴に通します。紐をつけてカバーはできたのですが、どうやってもリュックの中に入れることはできません。いろいろ切り刻んだりとかはできるのですが、間違えると使い物にならなくなります。結局袋をリュックの口でまとめて縛って使うことにしました。
実際に使ってみると、口がふさがるということで使い物になりませんでした。この方法は断念して、取り外してしまいました。リュックカバーは次回の課題ということにしておきます。
前回の旅行で、雨の時に三内丸山遺跡で重宝した薄手ビニールのシートが行方不明になっています。代わりになるものということで、大きめのビニール袋を開いたものを持っていきました。使いましたが、ちょっと固くてフィットしないので使い勝手がよくありませんでした。それにしてもどこにいったのでしょう。
行程でみると、同じ所を何度も行ったりきたりしていたことが気になりました。3日とも会津若松と宿のある箕輪高原間を移動しています。バスガイドさんは最初会津坂下ICを何回も通る予定といっていました。実際には3回だけでした。それでも、毎日使っていました。この移動は少し無駄だったような気がします。基本的には、宿のある箕輪高原と会津若松との間を毎日往復しています。
宿の位置がもう少し会津若松よりで、たとえば猪苗代湖付近なら、もう少し移動を減らせたように思います。2日目が安達太良山と五色沼毘沙門池、会津鉄道にして、3日目が鶴ヶ城と大内宿なら少し移動が少なくなります。2日目の食事の場所がすこし設定しにくそうです。毘沙門沼で自由にというのでよさそうです。鶴ヶ城会館との関係が何かありそうです。鶴ヶ城につくのが早くなりそうなので、どこかの見学を入れてもいいのかも。ちょっと余裕がでてきます。適当な宿がなかったということにしておきます。
写した写真の枚数は650枚で2泊旅行にしては少なめです。5年ほど前は、フイルムカメラを使っていた頃の影響もあったのか、それほどたくさん写していません。ブログに最初に載せた、流氷ツアーでは3泊で860枚でした。その後だんだん枚数が増えていって、最近では1回の旅行で最低1000枚は写しています。
今回に関しては、移動時間が長く、見学地の時間が短かった影響でしょうか。上越妙高から会津までだけも相当な時間がかかっています。
ブログは、写してきた写真を見てどれを使うか考えながら作っています。写真が多ければ、その分だけ書くことが多くなり、掲載回数が増えてきます。最近では、旅行日と掲載日とのずれが大きくなったため、1回あたりの記事の量を増やして、回数を減らすようにしています。1回の旅行で使われる写真の枚数は多くなっています。今回は280枚ほどで、これも少なくなっています。
写した写真の枚数がどう変化しているかを調べてもおもしろいのではと考えるようになっています。そのうちやってみることにします。
今までの旅行記では、あまり食事や宿の事については書いていません。いいとか悪いとかいうのは個人差があって、感じ方が違うからです。極端に良いとかいうのはわからないこともあって、書けないということもあります。食事は、並レベル以上ならそれほど違いはわかりませんし、宿泊設備については大浴場があって、じっくり寝られたらじゅうぶんです。夜は晴れていれば星を見たいので、宿の中で特に何かをするということはありません。
今回は書いてしまいました。前回も書いたような..。書いたといっても給仕係のマナーというかへの指導の問題です。設備が1ランク上を目指しているような感じの宿だったのでそのギャップが大きいような気がしました。気にしない人は気にしないのでしょう。いい方の所はわからないので、かえって気になったのかも。
最近のツアーでバスに乗って景色を見ていると、気分が悪くなってくることがよくありました。乗り物酔いになったような気分です。バス内では何もせずに寝ることにしたこともたびたびありました。
バスから降りて歩き始めるよくなるのですが、再びバスに乗るとまた悪くなって来ます。寝不足とか体調が崩れ始めていることが原因かなとか考えるようになっていました。
今回も2日目のバスで気分が悪くなってきました。昼前に、鶴ヶ城会館について、他の人達は昼食タイムとなりました。気分があまりよくなかったので、先に歩き回って、ようすを見ようと考えました。
博物館とか、鶴ヶ城とか時間いっぱい見て回って、昼食は抜きになりました。これには、また気分が悪くなったらということで、半分意図的なところもあります。その後の午後のバスの車内は快適でした。おなかが空っぽになったら、気分が悪くならなかったようにも見えます。
それならということで、3日目の朝食は控えめにしてみました。その結果なのか、バスの車内で気分は悪くなりませんでした。いままでの乗り物酔いの様な症状は、朝の食べ過ぎが原因だったような気がしてきました。バイキングだとつい食べ過ぎてしまいます。次回からは朝食の量を少し減らすことにします。
今回は行きの特急が高槻に停車したのでそこからの乗車です。帰りの特急は停車しないので京都乗換になりました。2日目の晩に、添乗員さんからどこで降りるのかと聞かれました。いつもやってもらっている方法(停車駅でない駅での下車証)を説明すると、そんなことができるのかという返事でした。とりあえず、車掌さんと交渉してくれることになりました。添乗員さんが帰りの車内であっさり発行してくれたのにはびっくりしていました。
添乗員さんは、最近関東の方から異動してきたそうです。関東で、そういうことをしていなかったというのは、関東ではそういうシステムがないということだったのでしょうか。ちょっと不思議です。
かかった経費です。旅行代金が8万円ほど、それ以外の食事土産などが3000円ほどです。パッケージツアーのわりには入館料が多めで、1000円ほど使っています。
歩数は1日目10600歩、2日目22000歩、3日目が17900歩です。まあまあの歩数です。
旅行時に写真の撮影枚数が増えていると書きました。実際にどうなっているのか調べてみました。単純には日数が多くなればその分だけ撮影枚数は増えてきます。影響をなくすために、旅行日数で割って、一日あたりの撮影枚数に換算してみることにします。
ここでも問題があって、同じ2泊3日でも夕方出発して、朝に帰ってきた場合はまるまる1日分しか観光していないことになります。3日で割るというにはいかないでしょう。基本的には朝帰り(昼まで)とか、夕方出発とかは日数に含めないことにします。これにあわせて泊数と日数を計算します。車を日中走らせ続けて目的地に着いた場合とかのような、細かいことを言い出せば切りがないのでこのあたりで手を打つことにします。
ついでに、ブログの記事との関係も調べてみました。ブログの記事に載せた旅行で、調べた結果は以下の通りになります。
行き先 泊数 |写真撮影枚数 |掲載回数 |掲 載 写 真
目 的 −日数| 総数- 枚/日|回数− /日|総数−掲載%−/日− /回
−−−−−−−−+−−−−−−− +−−−−−−+−−−−−−−−−−−−−
流 氷 3−4| 860-215|10- 2.5| 79- 9- 20- 7.9
南四国 5−5|1240-248|19- 3.8|119-10- 24- 6.3
高遠桜 1−2| 390-145| 8- 4.0| 45-12- 23- 5.6
青ヶ島 6−6|1210-201|26- 4.3|198-16- 33- 7.6
三陸津波 1−2| 320-160|10- 5.0| 52-16- 26- 5.2
隠岐島 2−3| 760-253|12- 4.0|127-17- 42-10.6
対馬壱岐 4−5| 980-196|28- 5.6|205-21- 41- 7.3
信 越 2−3| 530-177|16- 5.3|116-22- 39- 7.3
大東島 2−3| 910-303|35-11.7|243-27- 81- 6.9
与論島 2−3|2080-693|35-11.7|250-12- 83- 7.1
南九州 7−6|2030-406|68-11.7|496-24- 82- 7.3
房総半島 2−3| 650-217|13- 4.3|136-21- 45-10.5
真庭雲南 1−2| 660-330|13- 6.5|124-19- 68- 9.5
北関東花 2−3| 980-327|19- 6.3|195-20- 65-10.3
ウトウ 3−4|1370-343|44-11.0|358-26- 90- 8.1
鳥海月山 2−3| 750-250|25- 8.3|199-27- 66- 8.0
南東北 7−8|1650-206|47- 5.9|407-25- 51- 8.7
南房総 1−2| 470-235|20-10.0|146-31- 73- 7.3
与那国島 4−5|1440-288|45- 9.0|376-26- 75- 8.4
熊 本 6−5|2480-496|71-14.2|583-24-117- 8.2
龍の眼 2−3| 970-323|31-10.3|277-29- 92- 8.9
東北再訪 7−7|1750-250|62- 8.9|528-30- 75- 8.5
種子島 2−3| 740-247|35-11.7|287-39- 96- 8.2
宮古島 2−3| 810-270|37-12.3|291-36- 97- 7.8
河津桜 1−2| 390-195|19- 9.5|128-33- 64- 6.7
北部九州 7−6|1860-320|67-11.2|539-29- 90- 8.0
徳之島 4−5|1830-366|84-16.8|643-35-129- 7.7
立山流星 1−2| 606-303|17- 8.5|102-17- 51- 6.0
甑島列島 3−3| 980-327|44-14.7|315-32-105- 7.2
備 北 3−4| 950-238|48-12.0|355-37- 89- 7.4
関越索道 2−3| 750-250|33-11.0|243-32- 81- 7.4
雪割草 1−2| 460-230|22-11.0|158-34- 79- 7.2
木曽蓼科 1−2| 440-220|23-11.5|159-36- 80- 6.9
高峰高原 1−2| 500-250|27-13.5|215-43-108- 8.0
白馬八方 2−3| 950-317|45-15.0|398-42-133- 8.8
秋田岩手 6−6|2000-333|85-14.2|715-36-119- 8.4
西九州 2−3|1110-370|48-16.0|400-36-133- 8.3
会津紅葉 2−3| 640-213|36-12.0|273-43- 91- 7.6
1日あたりの撮影枚数が増えているのかといえばちょっと考える結果にも見えます。与論島がずば抜けて多いのですが、これは夜間に流星を写すために、2台のカメラを使ってインターバルで連続撮影したことに原因しています。星だけで1500枚近く撮影しています。立山も同じ理由で増えるはずでしたが、晴れていた時間が短くそれほどの枚数を撮影していません。
はじめの頃に比べてわずかに増えているようですが、各回の変動が大きくはっきりとは見えてこないようです。それぞれで何を見たのかということの方が影響が大きいようです。2015年からブログを書いていますが、写真はもっと前から撮り始めています。10年くらい前とかフィルムカメラを使っていた頃のものに比べると、15年のものでも格段に多くなっています。ツアーよりも自分で計画を立てて回ったときの方がたくさん写しているようにも見えます。立ち寄り先が多いこともあるのでしょう。
初期の頃と明らかに変わっているのは、ブログを作ることを意識した写真が入ってきているという点です。どこのものか、何をとっているのかわかるような看板や案内図といったもの、目印となるものとか一緒に写すようになっています。その分だけ枚数は増えています。といっても増えているのは1日あたり20枚くらいといったところでしょう。
確実に増えているといえるのは、1日あたりのブログ掲載回数や掲載写真数、写真掲載率、1日あたりの掲載回数です。このあたりは記事の作り方が変わってきたことの影響の方が大きいでしょう。初期の頃はその日どこにいったのかがメインで、途中からどこで何を見たのかがメインに変わっています。その分回数が増えているのでしょう。
1つの場所で見たものからだいたい何回かで掲載する写真を選んでから、文章を考え始めます。一つの場所で1回分に満たなければ他の場所との組み合わせでということになります。どちらかというと、1回分に足りないので写真を追加してということの方が多いようです。
だいたいパターンができてきているので、これ以上は増えないかなと思っています。どうなのでしょう。同じものを角度を変えてとかまだまだ写真の増える余地はありそうです。
ブログの掲載日と旅行日のずれが大きくなってきたため、1回あたりの写真枚数を増やしたつもりでした。これもあまり影響がないようです。初期の頃は、1回あたりの枚数はあまり意識していなかったようです。途中から、これくらいの量になったら1回分にしようかなというだいたいの目安ができています。ページの面積の大部分を占めるのが写真ですから写真の枚数でだいたい1日分が決まっています。