2022年日帰旅(中)
<目次>
| 日 | 目 的 | 行き先 |
| 05/25 |
九輪草 |
宍粟市山崎・ちくさ高原/西粟倉村ダルガ峰/佐用町平福 |
| 06/06 |
杜若 |
高島市平池 |
| 06/20 |
紫陽花 |
大和郡山市矢田寺 |
| 07/28 |
梅花藻 |
米原市醒井・伊吹山 |
| 08/08 |
向日葵 |
小野市ひまわり公園/三木市秀吉本陣跡 |
丹波市のカタクリを見にいったときにもらったパンフレットを見ていると。クリンソウの花が5月下旬から6月始めにかけてみられる場所があると書かれていました。どんな花か見たいと思ってさらに詳しく調べてみると、より西側にある宍粟市ちくさ高原付近でも見られるということがわかりました。こちらの方がたくさんさいていそうです。
ちくさ高原での花の場所は、たたら公園付近とちくさ高原の2ヵ所です。ここのクリンソウはたたら製鉄と関係があるようです。アクセスとしては、中国道山崎ICから県道53号と72号と乗り継いでいく方法と鳥取道西粟倉ICから山越えをする2通りの方法があります。
山崎ICといえば山崎断層です。断層としては有名な方です。たたら製鉄も興味があります。さらに西粟倉村といえばダルガ峰のストーンサークルに再挑戦したいとは思っていました。これらをまとめてセットで見に行くことにしました。コースとしては山崎ICから県道を使ってちくさ高原にいき、山越えをしてストーンサークルを見てから鳥取道経由で帰ってくることになります。
だいぶ歩き回りそうなのでGPSロガーを久々に持っていくことにしました。車内の置き場所確保のために針金でぶら下げられるようにしたのですが、針金を掛ける場所がなく発進時の加速で床に落ちてしまいました。この時はまだ衛星捜索中でした。車は運転中なので拾うことはできません。その後は置き場所もなく忘れてしまったのもあって帰宅するまでこのままでした。
中国道を走って安富PAの手前1kmの場所です。このあたりからしばらく山崎断層の上を走ります。高圧線鉄塔のある山がケルンバットで、中国道の通っているところがケルンコルになります。
ケルンコルにあたるところを通過中です。
安富PAで本線逆方向を見たところです。ここからだと断層のようすはよくわかりません。これだけ道路に寄るのにもかなり無理をしています。ここ以上は無理とあきらめ、帰りに反対側から見ることにします。
安富PAを過ぎて町をこえると直線的な谷の間を走ります。このあたりにも断層が通っています。
山崎ICで降り、県道53号を西に進みます。この道路沿いの谷も断層谷です。道路のちょうど先、山がいったん低くなっている所に断層があります。
高下で走路は川を渡りますが、渡らずに真っ直ぐ入ったところです。カーズミラーの左側、山がいったん低くなったところに断層が通っています。
この道からは断層がわかりやすところがあると思ったのですが。意外といろいろなものがあってよく見ませんでした。その後県道に戻る手前から見た断層方向です。
左端の裏あたりから中国道は小高い山の間に入ります、断層はこのあたりから中国道を斜めに横切り、山の中へと入っていきます。
揖保川PA近くからPAを見ています。携帯電波塔左側の崖あたりを断層が通っています。
ここから先の峠を越えると、道路は断層から離れていきます。
県道53号から72号に入ると千種川に沿って北上していくことになります。10kmほどいったところに道の駅があります。情報入手がてら寄っていくことにします。
道の駅の駐車場に入ったところ、直前に観光バスが到着していたようです。バスから降りた人たちが建物の方に向かっています。バスの案内にはクリンソウを訪ねるととか書かれています。行き先は同じのようです。こういうのを使ってくるという方法もあったようです。出発地を確認するのを忘れていました。でも、まだコロナがいっぱいいますから、ツアー参加解禁はまだ先にします。
ここにはデイキャンプ場が併設されています。ドッグランとかドッグサロンとかもあるようです。デイキャンプ場近くの千種川です。
道の駅には、クリンソウ関係の資料や付近の観光案内は見当たりませんでした。豆御飯がおいしそうだったので買いたかったのですが、昼ご飯は用意しています。パスしました。後のことを考えたら、夕食時に食べる事を考えていた方がよかったようです。
花壇にはクリンソウが植えられていました。
クリンソウの苗も売っています。育てる自信がなかったので買いませんでした。
道脇で咲いていた花です。調べたところ、ムシトリナデシコとわかりました。花柄が粘っていて、有害な昆虫を花に登っていかないようにしているそうです。そういえば、カリブラコアも萼のあたりが粘っているのでアブラムシが身動きとれなくなっています。
アオスジアゲハがやってきています。花粉を運ぶ虫はOKのようです。
バラの花も咲いていました。
道の駅は観光バスよりも先に出ました。どちらかというとツアー客がバスに乗り込み始めたので急いで出発したという感じです。後ろからついて走るのは前が見えない分、道を間違えそうです。でも、でてから少し走ったところで、左側に不思議な建物がありました。三木市吉川町にあった若宮神社の御旅所に似ています。先で道脇が広くなっていましたので、ここに車を止めて見にいきました。
説明では一里堂と書かれています。主要街道にある一里塚が地方に波及したものと書かれています。ということは旅人が休憩時に強い日差しにあたらなくていいように作られたものかな。でも、普通、一里塚には建物はなかったような。前の道は物資の輸送に利用されていたようです。
中には石仏様が祀られています。道中怪我がないようにというところでしょうか。
ここを見ている間にバスは先にいってしまいました。先に出たのが何にもなりません。後を追いかけます。国道と交差する所を越えてまっすぐ進みます。工事をしている所があり道が狭く見えたので、間違えたと思い、分岐しているもう一本の道を進んでいくと、国道に出てしまいました。道を間違えたようです。これだったら、バスについて走った方がよかったのかな。少し進んだ所で、ちくさ高原スキー場への案内があったのでそれに従ってまがっていきました。
さらに進んで行くと、いろは滝がありました。バスの後ろに回っておくれたついでに、ここも見ていきます。バスから離れている方がいいでしょう。道路脇から見える滝です。2段になっているようにみえますが、奧の大きなものがいろは滝なのでしょう。
奧まで入って行くことにしました。車からスリッパできてしまったので、歩くのに苦労します。ここの水辺で咲いていた。ガクウツギです。花弁のような苞が3枚なのが特徴です。
近くから見たいろは滝です。
毛糸クズのようなものがかたまってついた木があります。よく考えた結果ミツマタと判断ました。枝が3本ずつ分かれています。手前の丸い葉っぱはサルトリイバラです。丸い実が大きくなっています。
車を先に進めます。また左側に広場があって観音像が立っています。交通安全祈願の観音像のようです。よく見るとその前に1対の不思議な形をした石像があります。こちらの方が気になります。何の形なのかはぴんときませんが、先ほど寄った道の駅には「つちのこ」がどうのこうのと書かれていました。それからするとつちのこなのかな。確かに短い蛇のようにもみえます。昔大騒ぎになったのはもっと西側の地域だと思っていました。
横に水力発電のタービンが置かれていました。大正14年に発電所ができたとかかれています。その時のものかな。詳しい説明がないようなので、写真だけでパスです。
さらに進んだ2つ目の橋のところから正面に高羅鉄山遺跡と書かれた看板が見えてきました。たたら関係の遺跡のようなので見に行くことにします。
少し先にこうち広場というところがあってここに車を入れました。宍粟の自然水と書かれています。名水とあります。井戸水らしいのですが、どこに名水があるのかさえわかりませんでした。
こうち広場横を流れる千種川です。
高羅鉄山遺跡の方に行ってみました。看板のあったところの説明では、このあたりに鉄山関係の集落があったという記録が残っているのですが、今は田んぼになってしまっていて詳しいことはわからないそうです。看板の上の平らな所が相当します。こうち広場の近くから見たその田んぼです。
車をさらに進めていきます。道が左に大きく曲がった先に公園があります。大きな石の上に小さな石がいくつか乗せられたものがたくさん置かれています。何かの芸術作品なのでしょうか。ここに来るまでの間に石を組み合わせて置かれたようなものは何カ所かで見かけています。
石が置かれてた公園から集落を通り過ぎたところで、本道から右側の脇道に入っていきます。こちら側に天児屋たたら公園とたたらの里学習館があります。このあたりでもクリンソウの花がいっぱい咲いているようです。学習館の手前側道路脇が広くなった所が駐車場のようなのでここに車を駐めます。
バックで入れた車の後ろ側は谷になっていて、その斜面にもたくさんのクリンソウが咲いているのがみえます。
車の正面側です。広場のようになっていて、その上にもクリンソウがかたまって咲いています。看板にはここは遺跡ですと書かれています。
道路に出て振り返って見たところです。石垣は、鉄山関係の建物区画の境界に作られたものです。ところどころにクリンソウが咲いています。
花とか遺跡を見ながら道を登っていくことにします。石垣を背景にしたクリンソウの群落がみえてきました。石垣は、建物があった区画を取り巻いていたものかな。
石垣です。交互の「ハ」の字型になるようにしっかり組まれているようにみえます。関係なさそうなところもあるので、気のせいかな。
小さな祠があります。前に山ノ神祠と書かれた標札があります。
祠前の木が気になっていました。後は杉の木です。前の木は大きな枝というか幹がばっさりと切られています。横から出ている葉の形から見ると桜のようです。これだけ大胆に切ると枯れてくることがあります。「さくら切るバカ」といいます。 幹の感じが桜とは違うようだったのですが、模様がはっきりしないだけだとみた方がよさそうだと判断しました。葉の形は上の方まで桜のようです。
切り口から腐らないように薬液でコーティングしているのでしょう。となりに枯れて折れたような幹もありますから、この枝先で枯れていたのかも知れません。
山ノ神祠から道路を隔てた向かい側にたたらの里学習館があります。ここでたたら関係の情報が入手できると期待していました。入ろうとしたのですが、休館日となっていました。ちゃんとチェックしたはずなのに、できていませんでした。次回からは気をつけますといって、前回の花の文化園でもくろまろの里直売所の定休日と重なっていました。何かぼけています。
資料や情報はあきらめて、建物だけ写しておきます。
鉄山の建物があった場所には、何の建物であったかを示す立て札があります。ここの場合は米小屋と書かれています。奧の木陰でクリンソウが群生しています。
木陰で群生して咲いているクリンソウです。
クリンソウのアップです。白い花もあります。花のつく高さに段があって、そのようすが、お寺の宝塔の上にある九輪に似ていることからクリンソウと名前がついたそうです。
山の上の方から水路が続いてきています。ここは当時の状態に復元してあるそうです。鉄穴(かんな)流しの水路ではなく生活用水のためのものだそうです。
足元で咲いていたムラサキサギゴケです。
水路の縁にあったクリンソウです。湿気た所を好むようですが、このあたりは群生とまではいかないようです。
水路沿いの道に沿ってわりと高い所まで上がってきています。建物があった区画が見渡せます。手前の広い所は炭小屋と鉄砂小屋のあった所です。
道は林の中へと続いています。中にはいくつかの祠があったようです。妙見神祠と金屋子神祠といった立て札がありますがそれらしい祠は見当たりません。横に残っているのは鳥居に書かれている内容からすると稲荷大明神のようです。
林の入口ではヤブデマリが咲いていました。
祠のあった林から、水路の左岸側の建物跡があった付近のクリンソウを見ながら車を駐めた所あたりまで降りていきます。この一帯は山内小屋といって社宅のような建物があった所になります。
クリンソウの花です。下の方から上へと咲いていくそうです。咲いている所より下の段には咲く終わった花がついています。
解説なしで続けます。
クリンソウは日なたよりも日影になる所の方が多いようです。日影だと黒っぽく写って、さえた写真にはなりません。
クリンソウの花を上から撮ってみました。
コオニタビラコです。
日なたのクリンソウです。溝のような所に沿って密集しています。
最初にいた道路近くまで戻ってきています。道路沿いに水が流れている所があります。そこにある石を見るとトンボがとまっていました。赤とんぼのようにみえたのですが、調べ直してい見るとシオカラトンボの雌とわかりました。赤とんぼにしては時期が早いですね。シオカラトンボも水辺でよく見かけるトンボです。産卵のために来ていたのかな。
山内小屋跡とクリンソウです。ここのものは比較的日のあたる所で咲いていました。
学習館の建物の前まで来ました。大きな石のようなかたまりが置かれています。炉の中で大きくなりすぎて炉を壊してしまった鉄のかたまりだそうです。温度が上がらず鉄になり損ねたというのは、砂鉄が鉄に還元されなかったということなのでしょうか。
遺跡内のどこに何があったのか書かれた地図があったので見ていると鉄池というのがありました。溶けた鉄を流しだして冷ました池のように思われます。行ってみることにしました。それらしき場所にあったのは、鉄池と書かれた標柱だけでした。これだけではわかりませんね。
ここからみた、学習館方向です。勘定場や倉庫跡が間にあります。
もう一つ気になるのは鉄穴流しをした場所です。道沿いに天児屋川が流れています。このあたりが候補にそのなりそうです。さかのぼって探してみます。
途中の山側です。大きなタニウツギの木があって花が咲いています。その向こうにも遺跡の平坦地がみえ、クリンソウが咲いているのがわかります。
タニウツギの花の拡大です。
橋があったのでそこからか川を見ました。ここには、鉄穴流し跡はなさそうです。上流側にもそれらしきものはありませんでした。
引き返して、再び学習館前まで戻ってきました。正面、道路から遺跡側のクリンソウです。
影になる所で、持ってきた昼食を食べていると、目の前の石垣にニホントガゲが這い出してきました。
このあたりをしばらく動き回った後、石の隙間に入っていきました。
たたら公園はここまでにして、もう一ヵ所のクリンソウ群生地であるちくさ高原に向かうことにします。近道がありますが通行ご遠慮くださいということです。道を引き返していきます。県道に出てからさらに先に進んで行きます。道はだんだん山の中に入っていきます。途中に大釜の滝というのがあります。その手前、山側の路側帯が広くなっている所に車を駐めて少し歩いていきます。
車を駐めた所の横は水が湧き出していて岩盤を流れ落ちています。これは大釜の滝ではありません。
道脇でマムシグサが咲いています。4月ころから花を見ています。もうそろそろ終わっていてもよさそうです。
大釜の滝入口です。奥に大きな滝が見えます。
中に入っていきます。近くから見た大釜の滝です。
ガクウツギが咲いていました。ヤブデマリと思って撮影しています。葉の形、大きさが違っています。
こちらが近くで咲いていたヤブデマリです。装飾花が大の字型をしています。葉っぱが大きく、表側から見ると葉脈が溝状になっているのが特徴です。
道路沿いの水がかかる所に青い花が咲いていました。水色の花が小さくきれいです。調べた所ミズタビラコと判定しました。
谷に沿って進んで行くと、開けた所にでました、このあたりからちくさ高原になりますが、目的の栗層のある場所はまだ少し進んだ所になります。道横が広く開いていて看板とかテントのある所に車を入れて駐めました。
道と反対側に川が流れていて、その向こうの岸ではフジの花が咲いていました。一月ほど前に行った花の文化園では終わっていました。ここのものは遅いのでしょうか。それとも文化園が早かったのか。
道路向こうでは、キリの花が咲いています。色はよく似た紫色です。
ここにもクリンソウの情報が書かれているパンフなどはありませんでした。事前に調べていた情報を元に歩くことにします。クリンソウが咲いているのは、川の向こう側になります。渡れる所は2ヵ所あり、上流側から入って行くことにします。
道路ではなく川沿いに進みます。ここの川です。山の中の川というより、開けた所にでた直後の川という雰囲気です。
フジの花にも近づきました。大きく写しておきます。
川向こうに、遊歩道があってその脇でクリンソウが咲いているのがみえます。ちょうど入ってきた車にクリンソウはどこで咲いているのか聞かれましたので、そこで咲いていると答えました。
そのまま上流側に進んで行くと。歌碑のようなものが並んでいるのがみえてきました。その向こうの林床にもクリンソウがたくさんさいているのがみえます。
橋の近くまでやってきました。ここにも白い花が密集してついている木があります。何か考えましたが、葉の形からナナカマドと判定しました。
橋の手前側に案内図がありました。クリンソウを巡るコースは大中小の三種類あります。クリンソウをじっくり見るつもりでやってきていますから、当然大コースを巡ります。このコースのみ橋を渡ってから左に進みます。
橋を渡ってすぐに湿性植物園のゲートがあります。このあたりにもクリンソウが咲いています。最下段の花が終わりかけて2段目3段目が咲いている所です。たたら公園では、かなり上の段の花が咲いていました。
アキグミの花が咲いているのをみました。といってもまだつぼみです。
この奧で見られた湿地です。ミズバショウが咲くと書かれているのですが、それらしい葉っぱは見当たりません。
クリンソウは湿地の中よりも岸あたりで群生しているようです。
コースは山の中に入っていきますが、そこで通行止めとなっていました。災害があったと書かれています。がけ崩れでしょうか。残念ながらこのコースはあきらめるしかないようです。引き返すことにします。
山の入口で見かけたヤマボウシの花です。
クリンソウの花を見ながら戻っていきます。
湿地の中の少しマウンドのようになった所にレンゲツツジが咲いていました。
クリンソウです。
ちくさ高原付近は、高い山に囲まれた盆地状になっています。どちらかというと上からえぐれたような形になっていて、底はかなりでこぼこしています。普通の盆地に比べてだいぶ様子が違います。このような地形がどうしてできたのか、ヒントになりそうなものがないかということにも注意しながら歩いて行くことにします。
橋を渡った所まで戻ってきては、川に沿って下流側へ少し歩いていきます。このあたりにもクリンソウが群生しています。
句碑がたくさん並んでいます。その間にもクリンソウが咲いているのがみえます。
こおでも1段目が終わって、2段目3段目が咲いている所です。
横から流れ込んでくる沢の土です。葉っぱが混じり込んでいますから、ごちゃごちゃと混ぜもまれたもののように見えます。人工的に盛ったものなのでしょうか。底の方は地層のようにもみえます。
道脇に丸くくぼんだような所があり、その周りは石垣になっています。ここに何かがあったのでしょうか。
山側の斜面少し高くなった上の面にもクリンソウの花が見えます。
ここから山の中へと入っていきます。道脇で咲いているクリンソウの花です。一つの房の花の数は少ないようです。まだ若い花なのかな。
水の流れが作った小さな崖を背景にクリンソウを写してみました。ここのものは真砂土のように見えます。
後でわかった事は、この付近一帯で、鉄穴流しをするための真砂土を採っていたようです。全体が採掘跡の凹地のようです。
マスクをかけずに歩いています。人とすれ違うときにマスクをかけてあいさつをするつもりでいます。マスクをつけてあいさつをすると、「いい写真が撮れましたか」と聞かれました。いつも通り「下手の鉄砲方式で」と答えます。こういうときはどう答えればいいのでしょう。「とれましたよ。見て見て!」なんて変です。
谷底が広くなってきました。この付近の林の木が伐採されたのか林床が明るくなっています。クリンソウが群生しているのがみえます。ちくさ高原のクリンソウの群生地はいくつかあって、順番に七福神の名前が割り当てられています。ここのものは「恵比須」で災害でいけなかった所は「毘沙門」です。
近くからの群生のようすです。
全体的に上から見下ろすような感じになります。木陰のクリンソウを写したのですが花が暗くて何かよくわかりません。
日の当たる所のクリンソウです。この写真も葉の色が明るすぎて花が目立っていません。どう撮るのがいいのでしょうか。でも型にはまってしまうと、おもしろみがなくなってしまいます。
影になっている林床を背景にしたクリンソウです。花はいいのですが、日なたの葉の部分が明るすぎます。この葉はクリンソウよりも明るいシダ類のものです。
群生地奧の外れで咲いていたクリンソウです。この先は毘沙門に通じていますが、向こうから入れなかったのと同様に、ここから通行止めになっています。
再び戻ってきて、クリンソウを写しています。
群生地「恵比須」から離れ、しばらく小川沿いの林の中を歩きます。道の両側は小高くなっています。途中にも、クリンソウはチョコチョコっと咲いています。だんだんと道右側の谷底の幅がが少し広くなってきます。林床が広くなった所にクリンソウが群生しています。ここの群生地は「布袋と名付けられています。
クリンソウです。ここの林床は木漏れ日的な日のあたり方をしています。
花のアップです。
これもクリンソウのアップです。
前後にたくさん並んでいる所です。奧の方にピントを合わせてみましたが、手前側のぼけた花が少し邪魔です。逆にしてもしっくりきません。両方に合っていればいいのですが、そうなると三脚が必要になってきます。
「布袋」は道沿いに細長く続いています。いったん道は離れますが、再び群生地沿いに戻ります。そこから見た群生地です。
「布袋」はここまでです。再び林の中に入っていきます。道沿いの斜面にな咲いていたクリンソウです。
布袋を過ぎてからも、道沿いや沢沿いにクリンソウの花がところどころに咲いています。下草がそれほどなくクリンソウが増えているのは、シカがクリンソウは食べず、他の草ばかり食べて除草してくれるからだそうです。忌避植物というようです。
小さくかたまってさいている所もあります。
遠くにクリンソウが原生している所が見えます。ここは「大黒天」と呼んでいます。
遠景です。この一画にだけ高木がなく谷底まで光が届いています。クリンソウ以外は見当たりません。
大黒天にはまだたどり着いていません。途中の道脇のクリンソウです。他の下草がほとんどありません。
「大黒天」はだいぶ広い範囲にあるのですが、近くで見られる場所が限られています。そこからのクリンソウです。
花をシルエットに写してみました。
群生地のようすです。谷底には大木がありませんが、周辺の大きな木が適当な木陰をつくって暑くなりすぎないようにしてくれているようです。この中に日射量測定器なるものも設置されていました。
「恵比須」「布袋」「大黒天」といった群生地めぐり第1弾は終了です。第2弾の群生地めぐりはここから少し離れています。しばらくは林の中を歩いて行くことになります。この間もクリンソウはところどころで咲いていますから、見ながらということになります。
杉の木の根元で咲いていたクリンソウです。
これも遊歩道沿いのクリンソウです。
真上から写したクリンソウです。
広い舗装された道路に出ました。ここから右前方にクリンソウが群生しているのがみえています。「寿老人」になります。こちらに向かわず、順路に従って左側へ進んで行きます。
道の左側に幅の広い溝があります。その底にもクリンソウがたくさんさいています。
斜面に生えていたケヤキの葉です。虫コブのようなものがたくさんついています。
右側に大きなイベント広場があります。順路はこのイベント広場に入っていくようになっています。
広場脇の一段低くなった所にクリンソウが咲いています。
広場からみえる山です。一番高く見える所の横の山頂が平坦な山がダルガ峰(なる)です。「なる」平らな所という意味で、大山の「鏡ヶ成」「一向ヶ平」、別子銅山の「東平」等に使われています。
道はイベント広場から、林の中に入っていきます。林の中にはえぐり取ったような凹地が、いくつかつながりながら続いています。凹地の底ではクリンソウが群生しているのがみえます。最初に見た案内図からすると「弁財天」になりそうですが、立て札はありませんでした。
ここでは、高い所から凹地の底にあるクリンソウの観察になります。
別の大きな凹地です。クリンソウがいっぱい咲いているのがみえます。
木に白い花がついています。遠目でヤブデマリと判定していたのですが、拡大して見ると花のつきかたが少し違っているようにもみえます。足元にはクリンソウがたくさんさいています。
これも凹地の底のクリンソウです。倒木のようなものがたくさんあります。
遊歩道沿いで新しく伸び始めた木です。大きく裂けていない所を見ると、ウリハダカエデかな。
アセビです。花は終わったようです。まだ小さいから咲かなかったかな。新しい葉がでています。
道はだんだん、低い所に降りていきます。だいぶ横から眺められるようになってきました。この付近も倒木がたくさんあります。
道沿いで咲いていたムラサキサギゴケです。
群生地「弁財天」あたりを歩いています。実際の所どこにいるのかもわかっていません。案内図もありませんから完全に行き当たりばったりです。GPSロガーがあれば後で場所だけでも確認ができたはずです。出発時に取り付けた場所から落ちてからは、きれいに忘れていました。
クリンソウの花はところどころで様相を変えながら咲いていますので、見飽きません。
個々の凹地は細長くつながって溝状になっています。その底にクリンソウの咲いているがずっと向こうまで咲いているのがみえます。
落ちてきた枝の間で咲いているクリンソウです。
少しまばらに咲いている所で拡大写真です。1段目と2段目が咲いている所です。
クリンソウが集まっている所と、集まっていない所があります。集まっていない所で見られるのは濃い緑色のスゲ類と黄緑色で明るい色をしているシダ類です。シダやスゲは種類が多く見ただけでは種類まではわかりません。
天狗沼と書かれている所にでました。だいぶ行きすぎているようです。まだ見ていない「七福神」はどこにいったのでしょう。
向こうの方にクリンソウが群生している所がみえます。その手前側にシダやスゲ類が密集しているようです。ここは大きく水がたまっているとこのようです。
木が生えている向こう側に道路がみえています。群生地「大黒天」を通りぬけた後、渡った道路です。道脇にみえていた群生地「寿老人」の所は通り過ぎているようです。引き返すように続く道の方へ進んで行くことにします。
途中道の方に倒れていた木に生えていたキノコです。キノコ類も種類はよくわかっていません。
群生地「寿老人」は舗装路に沿って向こうの方まで続いているのがみえます。もう一つ、山の方に向かって凹地が続きこちら側にもクリンソウが咲いているのがみえます。イベント広場からの遊歩道は直接「寿老人」に抜けるように書かれています。どこかで見落としたようです。間に群生地「福禄寿」がありますから、こちらを先に様子を見に行くことにします
山の中に入った所のクリンソウの群生です。
クリンソウをやや斜め上から。
奇妙な形に凹地が続いています。土砂を採取した跡のようです。底の方でクリンソウが咲いています。
「寿老人」の標札がある所のクリンソウです。
ヤブデマリの花とその下で咲いているクリンソウです。
この後、「福禄寿」と「弁財天」の標札がほとんど並ぶように置かれていました。3種類の標札がすぐ近くにあるので、どれがどれなのかがわかりません。とりあえずは、一番奧のものがものが弁財天なのでしょう。境界は不明なままです。
「弁財天」側です。マウンドのように盛り上がった所があります。上に大きな石が乗っています。真紗を採取した後、混ざっていた岩のかたまりを積み上げたようにみえます。周辺の低い所ではクリンソウが群生して咲いています。
この少し奧で遊歩道は斜面を登っていきます。歩いていた道に出そうです。同じ所を歩いても意味が無いので、こからは引き返すことします。
小山がみえます。これも山を削り残してできたもののようにみえます。クリンソウが咲いている所は、水の流れを利用して真紗を流した跡のようです。
舗装道路の近くまで戻ってきました。いったん舗装道路に上がり、「布袋」からでてきた所まで戻り道路から花のようすをみることにします。その後は道路から駐車した所まで戻るのが順路のようですが、天狗沼まで戻ってそこから林の中の遊歩道を駐車場近くまで戻ることにします。
群生地「寿老人」には展望デッキのようなものか設置されています。その脇から見た寿老人のクリンソウ群生のようすです。
道路からは、白い花をつけた木がたくさん見えます。ヤブデマリと思っていました。似たような花はたくさんあるようです。木の向こう側でクリンソウが咲いているのがみえます。
手前側では比較的木が少なくなっています。その付近の湿地のようすです。奧の方でクリンソウが群生して咲いています。
布袋からの合流点近くまで来たので天狗沼まで引き返します。
ここから先の林床にも数は少なくなっていますが、クリンソウの花を見ることができます。途中で川を越える所があって、たまった土砂の断面がみえていました。繰り返し大量の泥水が流れてきて少しずつ埋め立てられていったようにみえます。
川のようすを見ながら歩いていると、すぐに道路に出ました。道路を下って、県道との分岐まで戻ったら俳句の小路の方に戻っていきました。すぐにフジの花が咲いていた所に到着です。こちら側からだとすぐ近くで見ることができます。
ちくさ湿原入口の橋を渡って車を駐めた所に戻ります。ムラサキサギゴケがたくさん咲いている所がありました。
ここからは県道を山の方に進めていき、西粟倉村に抜けることにします。ちくさスキー場近くでは採石のためなのか削ったできた崖があります。真砂土が見えていますが、核になる岩もかなり含まれているようです。でてきた岩が積み上げられている所もあります。
ちくさ高原をでたのは2時過ぎです。もっと時間がかかると思っていました。一部のルートが通行止めになっていた影響もあってか、意外と早く見終わりました。これだと、もう一つ予定していたストーンサークルは余裕でいけそうです。
目的地は、ちくさ高原からみえていたダルガ峰の向こう側になります。峠を越えて西粟倉村に入り、少し進んだ所からダルガ峰林道を進んで行った所にあります。入口はには目立つ看板があります。ここの前が少し広くなっているので、車を駐めて見に行きました。
看板の所から広い道が続いています、地理院地図では中国自然歩道となっています。目的の場所がどこにあるかはっきりしないので斜面の中を注意しながら歩いて行きます。歩き始めたとたん、脇見しているのもあって、砂利で滑ってこけてしまいました。要注意です。
道沿いには大きなシダがいっぱい生えています。クサソテツかな。
肝心のものを見つけられないままどんどん降りています。斜面に露出している石は要チェックです。ほとんどのものは単独の石柱ではなく岩盤にみえます。この付近は真砂土のはずなので、岩盤があること自体が奇妙なのですが気がついていませんでした。
林の上の方に、岩盤がいくつか露出しています。
ここまできてしまうと、いきすぎであろうという所まできています。道がだんだん荒れてきます。いくつかのミツマタの群落は通りぬけたのですが、完全に藪状態になってきたので引き返すことにしました。だいぶ降りすぎたので、登っていくのは大変です。前回は大茅スキー場から登ることも考えたのですがやめて正解でした。
戻っていく時も、変わった形の石がないか見ながら戻ります。薄暗いのと遠いのとではっきりとわかりませんが、岩が露出しているのは何となくわかります。
もちろん注意するのは、柱状の石です。これなんかは柱状にみえますが、束になって埋まっているようです。もちろんストーンサークルではなく岩盤でしょう。
これなんかも、岩盤の岩が柱状になっているように見えます。
帰ってから写真を確認していると、この岩盤の少し手前側に少しばらけたような柱状の石が斜面に埋まっているようにみえます。最初に載せた写真も見直してみると同じ石の配列が違う方向からみえているようです。同じ所を写していたのでしょう。
林道の車を止めたところの近くまで戻ってきています。見つけ損なったようにみえてきました。ダメかなと思いかけた所で、道の山側に柱状の石が何本か積み上げてある所がありました。その脇を見ると、人が登ったような跡も見えます。この上になにかありそうです。確認のために登ってみることにしました。
登っていくと、柱状の石が何本か立ったまま埋まっているのがみえました。状況から見るとこれがストーンサークルと呼んでいるもののようです。
ほとんど横につき出したようになっているのもあります。
左のが一番大きかった石です。真ん中のは似ていますが木の幹です。他にもばらけるようにいくつかあります。
見た印象は、柱状節理がばらけたもののようにみえるということです。石の横断面が六角形になるのがこの節理の特徴です。
柱状節理だとすると、一つ確認することがあります。柱状節理は玄武岩にできる事が多いので、岩石種が何かを調べておいた方がいいでしょう。といってもここで石を割るわけには生きません。下の道路に落ちている石で確認することにします。道路上を見た所、黒っぽい石の破片がたくさん落ちています。玄武岩としていいでしょう。
ここから林道に戻る途中、横から流れてくる沢があります。沢底にある石も黒っぽく玄武岩のようです。
看板のあった所まで戻ってきました。白い花をつけた木があります。装飾花がありませんからゴマギと判定しました。
ストンサークルを探している途中でギンランの花を見つけています。気づかなければ踏みつけられてしまいそうなところでした。盗掘される恐れがあるので、途中のどこだったのかは秘密にします。
ストーンサークルへの看板を確認してみると、うっすらとですがペンで100mと書かれていました。誰かが、読めなくなったものを手持ちのペンで書き足してくれていたのでしょう。よく見てから行くのでした。
ストーンサークルを見終わった後は、このまま林道を降りていって西粟倉村の道の駅に抜けることにします。サークルを見つけるのにかなり行き過ぎていたため、1時間ほどロスしてしまいました。少し余裕があったのに帰りのことを考えないといけない時間になっています。
雷の音も鳴り始めています。まだ遠くなのでだいじょうぶでしょう。ダルガ峰の方向でも雲が湧いています。これも遠いので大丈夫です。
林道を少し下った所に、トイレがあります。ここからの景色です。
さらに下っていった所に白雲の滝があります。行き過ぎた所で道が広くなっているのでここに車を駐めて見にいきます。ここから先の林道です。それなりに立派です。霧のようなものがでているようです。少し霞んでいます。
白雲の滝です。道路脇にあります。花こう岩の岩盤にできています。高さは3mくらいかな。
滝壺です。水の流れはこの先で道路をくぐります。
林道をまっすぐ降り、国道に出たら右に曲がり道の駅に向かいます。駐車場の向かい側に果物屋さんがあります。もう店じまいを始めています。のぞいたついでに甘夏を買いました。
道の駅は川側から入って行くことにします。相変わらずたくさんのかざぐるまがあります。通りぬけたさきでノースポールのような花がたくさんさいています。
ここにやってきた蝶です。ヒメウラナミジャノメと判定しました。
ここにやってきた目的は、川原に出ている黒い石とダルガ峰で見た玄武岩は同じものが知りたくなったこともあります。川原に下りられず遠くからしか見られないので判定はできませんでした。
小腹に入りそうなものを買おうと思って入ろうとしたのですが、もう閉店でした。コロナで早くなっているのかな。
西粟倉村の道の駅で何も入手できなかったので、佐用町の道の駅に寄っていくことにしました。西粟倉村同様閉店している可能性はありますが、行くだけ行ってみることにします。
すぐ前に鳥取道西粟倉ICがあります。ここから入って佐用JCTの手前の佐用平福ICで降りて国道を佐用町の方にすこしいけば到着することができます。佐用平福ICからは中国道の方にいけませんから、そのまま国道を進んで佐用ICから中国道に入ることになります。
道の駅に到着です。ICを降りてからだいぶ走ったようです。残念なことにここも閉まっています。定休日でした。周囲に興味深いものがありますので見ていくことにしました。
北隣に子授け子育て地蔵尊と書かれた看板があります。お寺の名前は正覚寺です。山門を入って右側が本堂かな。それにしては賽銭箱とかがありません。庇の唐破風が立派です。
左側に屋根に隠れるように地蔵さんがいます。台座だけがみえています。
下からのぞいた所です。小さなものもみんな地蔵さんかな。
地蔵堂前の花です。キリシマツツジみたいですが、花が八重になっています。
正覚寺の山門です。鐘楼門になっています。入る時には逆光が強くきれいに写りませんでした。これでもまだカメラレンズが光っています。
南隣には利神城跡展望台という看板があります。城跡でもあるのかなということでいってみようと思いました。
階段のようなものは見えるのですが入口がわかりません。説明板があったので読んでみると、ここから向かい側の山の頂上に利神城趾が見えるということでした。利神城跡がみえる展望台という意味でした。
看板の所からも山の上に砦のような形をした利神城跡がみえます。
展望台に行くには国道に出て少し進んだ所に、平福陣屋門というのがあってそこから上がっていくようです。
利神城が廃城になってからは平福は代官所支配下に置かれます。陣屋門は代官所の場所に作られたものだそうです。となると、展望台というのは代官所跡地ということになるのでしょうか。
陣屋門も少し高い所にあります。下から見上げてみたようすです。
正面からです。といってもすぐ後は崖になっていますからこれ以上離れて写すことはできません。
展望台からです。利神城跡の麓には、南石塁跡というのが残されています・薄緑色のシートに挟まれた所に石垣がみえています。利神城登り口の防護のために作られたものでしょう。
利神城跡全景です。山頂に天守跡、南石塁は薄緑色のシートが目印になります。御殿跡というのもあります。場所がはっきりしないのですが、茶色の屋根の建物の向こう側のようです。
展望台からみえる、智頭急行平福駅です。祝国指定史跡利神城跡と書かれた垂れ幕があります。
展望台広場で咲いていた花です。スイカズラのようです。花の色が白から黄色に変わっていきます。
ノイバラです。
ハゼノキです。小さな花です。
振り返ると、陣屋門がみえています。こちら側だと門を内側から見ていることになります。
道の駅に着いてから気になっているものがもう一つあります。道路を隔てた向こうの方に大きな提灯がみえています。どういうものなのでしょうか。
道路を渡って振り返って見ると、陣屋門がみえます。写してみましたが。低い太陽からの光がレンズにあたってハレーションをおこしています。
道路脇にいっぱい花が咲いています。赤いのはムシトリナデシコとわかりましたが、青いのがわかりません。よく見かけているような気がします。
本陣名残の松だそうです。本陣の中にあったと書かれています。立派な塀の外側にあるようにみえます。本陣はもっと大きかったのでしょうか。
本陣と思われる場所への入口です。小さな門なので木戸口になるのかな。
本陣内部のようすです。四角く区切られている所は本陣の建物があった場所なのでしょうか。
唯一見られる建物です。しめ縄がある所を見ると社なのかな。屋根の形は神社っぽくありません。
肝心の提灯です。本陣跡地となっている場所の角にあります。星の宿花の平福と書かれている以外は何の情報もありませんでした。
こちらが、本陣の正面入口になります。
平福は鳥取池田藩によって参勤交代のための本陣が作られたところです。その後本陣を中心に宿場町へと発展してきたそうです。現在もその名残の建物が随所に見られるようです。他にも宮本武蔵発決闘の場とかもあり、見どころはありそうです。もう遅くなっていて帰る事を考え始めています。またの機会ということで、本陣周辺をすこしだけみてから帰ることにしました。
本陣前の平野屋です。紺屋だそうです。二階のなまこ壁は建物ごとに特徴があるそうです。袖卯建も漆喰で塗りかためられています。
本陣隣の金毘羅神社です。中には入っていません。
平福の見学はここまでにして。この後は佐用ICまで車で走って、そこから中国道から帰ってきます。揖保川PA付近にも山崎断層が通っています。確認のために寄っています。
PAから大阪方向です。断層は少し山側にあり、日影になっている山とその向こうの山の間を通っています。
山側です。ソーラーパネルの台地がありその向こう側を断層が通っています。台地の左側の谷は、台地の向こうで断層によって左に折れ曲がっています。
安富PAです。大阪側のケルンコルはこちら側からでもはっきりとみえません。本線上からでないと無理なのかな。
暗くなるまでに帰ってくることができました。車内の荷物を片付けていると、床に落ちたGPSロガーは衛星を探知して記録待ち状態になっていました。出発直後にはまだ衛星をとらえていなかったので、記録開始にはしていませんでした。パソコンに記録を引き出して見ると、古い記録が大量に出てきた後に、駐車場で停止している時のデータが混じっていました。おそらくエンジンのオンオフをした時に記録されたのでしょう。
とりあえず置き場所を何とか考える必要があります。以前は、紙コップの底に小さな穴を開けてここに給電用USBケーブルを通して、コップの中でロガーと接続していました。もちろん紙コップはカップホルダーに入れていました。
この日の歩数は17600歩でした。これだけ歩いたのは、久々なのでかなり足にきています。
まだまだ旅行は日帰りにしています。6月頃で花の見られそうなところ、それも他ではあまり見かけない花が咲いているところということで探していると、滋賀県高島市に自生のカキツバタが見られるところがあるのがわかりました。函館山の裏側になります。その近くで、他に見られそうなものとしては、マキノ高原のメタセコイア並木の新緑や余呉湖のアジサイがセットにできそうです。余呉湖では他にサワオグルマの群生地もあり花の時期のようです。このあたりを目標にして見に行くことにしました。
車で出発します。でるのが少し遅くなりました。近くのICから高速道路に入り東に進んでいきます。山崎JCTからどういうわけか、京滋バイパスに入ってしまいました。すぐに間違えたことに気がついたのですが引き返すことはできません。そのまま進みます。
ルートを考え直さないといけなくなりました。そのまま行って草津までいくと行きすぎになります。琵琶湖大橋を渡るという手もありますが、地道なのでどれくらいかかるか予想がつきません。
少し進んだ所で、第二京阪道路への分岐標識がでてきました。こちらには入れは、名神京都南ICへいくことができるはずです。バスツアーでここを通ってICの近くまで行ったことがあります。
道路を乗り換えて進んで行きます。ここで問題は、どの出口から出ればいいのかがわかっていないということです。高速道路なのでカーナビを操作して確認することができません。案内があるだろうと考えそのまま進んで行っても標識はでてきません。そのうちに名神を越えてしまいました。ここまできては行き過ぎです。カーナビは全く役に立っていません。そういえばツアーバスは、京滋バイパスから第二京阪に入ったらすぐに高速を降りていたような気がします。
さらに進んで行くと、山科に行けると案内があります。京都東IC近くまでいけるのではということで、このまま進んで行きます。長いトンネルを越えると山科に抜けたようです。ここからの道もよくわかっていません。一般道に抜けたようです。問題なのは今どこにいるのかということがわかっていないのと、渋滞にはまっていることです。逆にカーナビを操作する余裕はできましたから道を確認することは可能です。
そのまま真っ直ぐ行けばT字路で行き止まりになります。そこを左に曲がってから、どこかでもう一度右に曲がらないといけないようです。T字路にきて気がついたのは、これから入る道は、京都外環状線だということです。何度も車で通って事があります。それなら、新幹線を越えたところで国道1号線と交差しているので、ここを右に曲がれば、京都東ICに抜けられます。
外環状線も結構混んでいます。片側2車線の内の右側はほとんど動いていません。左側の車線を走っています。カーナビで確認したところ、そのまままっすぐすんで、その先の三条通からくる道のところ右折してもいけるようです。この道の渋滞度合いが全く読めめないのでどちらに進んでいいのかも判断がつきません。このままだと三条通からの道になりそうです。
新幹線が近くまできたところで、右側の車線が大きく開いていました。このタイミングで入れさせてもらい、比較的スムーズに1号線に右折することができました。
京都東ICからは国道161号線バイパスから湖西道路に入るのが目的ですからそのまま真っ直ぐ進んで行きます。このあたりの車の流れも順潮とはいえません。バイパスに入ってからも車は多めです。そうこうしているうちにまた渋滞になってしまいました。途中車線数が減少するところがあります。それが原因かなと思ったのですが、そこを過ぎてからも速度は少し速くなったものの、あいかわらずのろのろとした動きです。結局真野ICの先、登坂車線ができているところで清掃車を追い抜くまでは低速のままでした。
ここの渋滞の原因は清掃車だったようです。京滋バイパスに入っていなければ、清掃者の前に回り込むことができたのでしょうか。GPSロガーの記録を確認してみると、この間で50分ほどロスしていることがわかります。
その後は、湖西道路から国道への接続も完成していて、順潮に進んで行きます。ここまで、時間がかかったこともあり昼前になっています。安曇川にある道の駅によりました。ついでに軽く昼食のおそばを食べていきます。でてくるまでに少し時間がかかりました。これは道に駅で展示されていた、和菓子で作った造形です。
国道に戻り北上を続けます。日置前ランプから国道から離れてビラデスト今津と書かれている方をめざします。琵琶湖岸の田んぼは収穫前の小麦か色づいていてきれいですが、素通りで進んでいます。
そのまま山道に入り、ビラデスト今津の駐車場に車を入れます。カキツバタが咲いているのは、この近くにある平池で最寄りの駐車場はここになっています。たくさんの車がきていました。付近では、ハイキングの格好で歩いている人をたくさん見かけます。
ビラデストには入村料が必要です。奧にある建物で支払います。ついでに付近の案内図も入手しました。建物の右側には大きな階段が見えています。京都駅とどちらが大きいか考えてしまいました。
管理施設から、カキツバタの咲いている平池の方に歩いて行くことにします。道路は工事で車は通れませんが、徒歩なら可能です。平池への道は小さな谷に沿って下っていきます。道の両脇ではいろいろ花を見ることができます。車で山を登ってくる途中でも、いろいろな木に花がついていました。ゆっくり見ている余裕はないので、ほとんどスルーできています。ここからは歩きになるので、じっくりと見ていけるでしょう。
一番目立っていたのは、タニウツギです。道脇の花のほとんどが白系ですが、これだけがピンク色です。
クマシデ(たぶん)に実がついていました。房のようになっています。
ハゼノキの花です。まだ開ききっていないようです。
似た木ですが、花序が葉の上に開いています。花は終わっています。これはナナカマドでしょう。
ヤブデマリです。白い花では一番目立っています。
まだつぼみですが、コアジサイです。
道脇に時々岩石も見えます。ジュラ紀付加体の泥質岩のようです。
タニウツギに挟まれて咲いている白い花です。タニウツギをそのまま白くしたように見えます。シロバナタニウツギというのもあるそうです。それなのでしょうか。
ツツジの花です。上側の花びらに斑点があるのがヤマツツジです。これにはないのでないのでレンゲツツジのようです。
谷沿いの坂は段々緩くなってきて、底が広い谷に合流するようです。左前方、木々の間から池が見えてきました。目的の平池(だいらいけ)のようです。カキツバタは見えませんが、黄色いキク科植物のような花がところどころにかたまって咲いています。サワオグルマのようです。余呉湖湖畔でも群生地があるので行ってみるつもりですが、ここで見られたら、これでじゅうぶんなのかな。
木の枝先についている白い花です。遠めでは、ヤブデマリと思っていましたが、近くで見るといろいろなものがあるようです。これは装飾花がありませんから、ヤブデマリではないようです。ミズキ、クマノミズキ、ガマズミ、ムスカリとかいろいろ候補はありますが、どれかに絞れません。葉とかもう少し詳しく写していればわかったのかも。
これも、毛のようなおしべが目立っています。タンナサワフタギと判定しました。
桜の花のようですが、萼筒が丸く膨らんでいます。花弁が細長く、先端が割れていません。ズミなのかな。
合流する広い谷の底で咲いているサワオグルマです。この一画は大きな木がありません。
道は池から離れたところを通っています。このままいっても池に近づきそうにありません。間には林が続いています。
人の踏み跡でできたような道が池の方に向かっています。入って見ることにしました。この道沿いで見かけたナルコユリです。
だいぶ池に近づいてきました。岸には白い花をつけた灌木が見えます。あまり意識していなかったので、詳しくは見ていません。サワオグルマも群落をつくって咲いています。
平池の岸に近づこうと、林の中の道を進んでいます。林を抜けきる直前に池の向こう岸に、カキツバタの群落が見えてきました。レンゲツツジの花もいっしょに咲いていますが、棲み分けているように見えます。水の深いところがカキツバタで、浅くなってくるとレンゲツツジやシダ類などが多くなっているようです。手前側の岸ではサワオグルマが咲いています。
別のカキツバタの群落です。池の向こう側で少し遠いのが難点です。
カキツバタを大写しにしてみました。
レンゲツツジが咲いているところです。このあたりではまだレンゲツツジはそれほど大きくなっていません。池の近くはカキツバタが多いので、水面にはカキツバタだけが映っています。
向こう岸近くにあるカキツバタの島のはしっこです。
サワオグルマです。この付近はぽつんぽつんと咲いています。わりとしっかりした土の上に生えているようです。
池の縁に沿って左回りに歩いています。カキツバタ群落の島です。
対岸に細長い葉っぱのある植物の群落があります。カキツバタのように見えますが、ここのものは花もつぼみもありません。背が少し高いようにも見えます。背景の白い花をつけた灌木も何かわかっていません。
レンゲツツジが進出してきているカキツバタの群落です。カキツバタは池の縁にまで追いやられています。
平池はどちらかというと細長い形をした池です。長い辺に沿って歩いています。途中、いったん池から離れ林の中を通るところもありました。最終的には反対側の端っこまでやってきました。ここは、たくさんの人が来るのか、池縁がしっかりと踏みかたまられているようでした。
対岸の林の中の木に白いかたまりが見えています。モリアオガエルの卵塊のようです。2つ写っています。
ここは、対岸のカキツバタまでの距離が近めです。花を大写しで撮影しました。下に垂れている花弁の真ん中に黄色ないし白い筋があるのが特徴です。
カキツバタの群落です。ちょっと花がまばらかな。
進出してきているレンゲツツジです。花びらに斑点が見られません。
カキツバタです。花が終わっているのもあるようです。
池にイモリがいました。背中を半分水面上にだしています。よっていくと逃げていきました。
最初に見ていたカキツバタの群落です。さらに向こうのサワオグルマやタニウツギも見えています。水面に林のシルエットが映るように撮ってみました。
池の端まで来ています。カキツバタが多い方の岸は保護のためか立入禁止です。ここからは、きた道路を引き返すか、山の中に入っていく道を進んでいくからのどちらかになります。山の中へいく道はもらったパンフには「ふしぎ発見の道」と書かれています。道路標識では「セラピーロード」となっています。この道をいくと旅行村のスポーツ施設のある所へ抜けられるようです。こちらの道を進んでいくことにします。
池縁から道への上がり口付近ではヤブデマリが咲いています。
振り返ってカキツバタです。
白い不明とした花です。まだつぼみです。葉の側脈が内側に曲がるように先端に集まっていますから、ミズキの仲間のように見えます。ミズキなのかな。
ヤブデマリの木にもモリアオガエルの卵塊がたくさんついていました。
いったん道に上がってさらに向こうを見ると湿地のようなものが広がっていました。のぞこうとしたのですが、近寄れません。その足元に咲いていたムラサキサギゴケです。
道からは林の間から、カキツバタが見えます。さらにその向こうには平池も見えています。
カキツバタ越しに平池の対岸までのようすです。
ふしぎ発見の道というかセラピーロードというのかどちらなのかはっきりしませんが、道に沿って登っていきます。ここは、普通の山道です。ちょっときついところもあったようです。谷沿いの林の中を進んでいます。森林浴ということで、セラピーなのかな。ここでもところどころでいろいろな花を見ることができます。
タニウツギなのかな。まだつぼみです。その分色が濃いようです。
向こう斜面には大きなホオノキがあります。花がついています。開ききったものは色が茶色いので、開きはじめのものを載せます。
途中に堰堤があって、上流側では水がたまっています。水底を見るとたくさんのイモリがいました。
白い大きな苞葉のあるのはヤマボウシです。
地面を這うように広がっているのはクラマゴケです。敷き詰めたようになっている所もありました。
階段にするためにおいてある木に、サルノコシカケがついていました。これも何種類かあるようです。コフキサルノコシカケに似ています。オオミノコフキタケというのもあるそうです。
ヤマアジサイです。装飾花は一番外側に一列に並んでいます。
道は少し開けたところにでてきました。細長い広場のようなところがあってその向こうに舗装路が並んでいます。舗装路に行きかけましたが、よく見ると広場の山側の斜面に沿ってまだ山道が続いています。広場を横断せずに、そのまま山道を歩き続けることにします。
山側の斜面にはまだまだいろいろな植物が見られます。これはマムシグサです。
ウリハダカエデに実がついていました。いくつか2列に並んでぶら下がっています。
小さくて目立ちませんがマユミの花です。
広場の縁でフタリシズカが咲いていました。2本のツノのような花序が特徴です。
花序が1本ですが、これもフタリシズカです。バッタの幼虫が2匹やってきていました。なにバッタなんだろう。
斑の入ったような葉っぱが見えます。カタクリです。花は終わっています。実はついていなかったようです。
コオニタビラコと思ったのですが、イワニガナ(ジシバリ)かも知れません。丸い葉っぱがついています。
花が終わった草です。何だろう。
山道は舗装路と合流しました。舗装路を少し進んだ所からさら続いているようですが、ここまでにします。舗装路は、スポーツ施設をくるっとまわっています。そこから山側に登ったところに展望台が見えています。山道の延長はここに降りてくるようです。展望台に行ってみました。琵琶湖が見えそうです。
登り道に沿ってあったのがヒカゲノカズラです。胞子嚢を立ち上げています。
展望台からの景色です。竹生島が見えています。
近くの山ではホオノキに花がいっぱいついているのが見えます。
展望台を降りて、森のふしぎ館という建物の近くまで行きます。ここからは、車を駐めたところまでまっすぐな道がついています。
道横からも、琵琶湖が見えます。左側の山間の平地に並木道が続いているのが見えます。マキノのメタセコイア並木です。間を通りぬけた時はもっと長かったような気がしていました。
琵琶湖の北岸、つづら尾崎方面です。だいぶ霞んでいます。
眼下の琵琶湖西岸に広がる平野です。湖西線が横切っています。湖西線より手前側の田んぼが茶色くなっているのは小麦を植えているためかな。線路の向こうは水が張られています。
左上の方に見えているのが桃瀬川、この近くから流れている川です。
海津大崎方面です。春先は桜がきれいなところです。
森のふしぎ館からの道は、ほとんど起伏がありません。横のグラウンドゴルフ場やその他の施設のあるところもほとんど平らです。森の交流館という建物のあるあたりも、だいたい同じ高さで平らになっています。
まっすぐな道はこの2つの間を結んでいますが、途中で谷を越えるところがあります。ここに、吊り橋が架かっているというのですが、おなじみのつり下げられたような構造が見えません。でも、歩いてみると吊り橋の揺れ方をします。
吊り橋入口付近で咲いていたエゴノキです。
不明の樹木です。ネジキとか候補はあるのですが、若い実がついている比較写真が見当たらず決定的なところはつかめていません。
橋の上から見えていたホオノキです。
レンゲツツジの花です。
舌状花の数が少ないので、ニガナかな。花序の苞葉が茎をだいています。
最初に見た大階段を降りて、駐車場に戻りました。そのまま山を降りて、余呉湖の方にも行ってみました。アジサイが咲いているところがあります。まだつぼみで開いていませんでした。サワオグルマの群生地は、花が終わっていました。
近くの木之本ICから高速道路に入って帰ってきました。GPSロガーはきちんと作動していました、帰ってから電池を取り外したときに電極もいっしょにとれました。前から接触が悪くいじっている内にだんだん緩んできていたようです。対策を考えないといけなくなりました。
奈良盆地南部に用事があって、出かけたついでに近くのお寺で花でも見て帰ることにしました。この時期としては、バラかアジサイになります。いくつか候補を考えてからいきました。
用事を済ませ、橿原市の商業施設で買い物をしてから併設されている観光案内所をのぞいみました。周辺観光施設の案内にそこからの所要時間書かれていました。矢田寺は考えていた別のお寺に比べて車では10分ほど余計目にかかるだけのようです。それなら、帰り道は遠回りにならないぶんだけ時間ロスは少なくなると見なせます。こちらの方が花が多そうなので、行き先を矢田寺に変更しました。案内所でコースだけは確認しておきました。
商業施設からは、予定の道を進んで矢田寺前に到着です。郡山市街は少し渋滞していました。門前では何軒か駐車場の呼び込みをしているところがあります。その一つに車を入れました。この時期は平日でも観光客が多いようです。
ここからは山門まで少し離れていますが歩いていきます。山門に到着です。
山門前にもアジサイの花が咲いているのが見られます。
矢田寺は、入ってすぐに石段が続きます。平らな所にあると思っていました。登るのに苦労している人をたくさん見かけました。
石段の途中にあったアジサイの花です。葉っぱの形がだいぶ違っています。
登り道では、ところどころでアジサイの花を見ますが、特に密集してあるという状態ではありません。
石段の途中にあった石柱です。これは何なのでしょうか。
矢田寺の石段を登り切ると平らな所にでます。その両側に塔頭(たっちゅうと読むらしいです)があります。右側が大門坊、左側が念佛院です。大門坊にはヒメシャラの木があると聞いています。橿原市近くのアジサイがさいている寺よりこちらを選んだ理由はここにあります。
ヒメシャラは、平家物語の最初にでてくる沙羅の木とされています。似た花で夏椿というのがありますが、これも沙羅の木とされることがあります。沙羅双樹というのは、これが2本あることに由来します。
こちらが大門坊です。
ヒメシャラの木はすぐに見つかりました。建物の正面です。椿のような白い花を咲かせています。ヒメから想像していたより大きな花でした。
離れて下から写してみました。
ヒメシャラの木の根元です。木は1本なのかな。少なくとも双樹ではなさそうです。散った花がたくさん落ちています。
横にあったアジサイと、その横の北向地蔵尊です。一願成就と書かれています。一の 筆跡が違うように見えます。欲張るのはよくないということでしょうか。矢田寺にはお地蔵さんもたくさんあるそうです。
建物に上がります。階段の途中から間近で写したヒメシャラです。横に実が大きくなっています。おしべの色が黒くなっているのが気になっています。花弁も茶色くなっているものがほとんどでした。昼をだいぶまわっています。「花の色、盛者必衰の理を表す」というのはこのことをいっているのでしょうか。
外廊下に上がって少し離れたところからのヒメシャラです。背後の山は矢田山というのかな。お寺の山号が矢田山です。寺号は金剛山寺というのが正しいようです。
建物から外に出て離れたところからのヒメシャラです。額には摩尼殿と書かれているのかな。
大門坊をでてお寺の奧、本堂のある方に向かいます。一段高くなったところの左側にアジサイの花がたくさんさいているところが見えます。中には見上げないといけないくらい高いところで咲いているものもあります。大きな木もありますが、これは斜面で咲いているものです。
いっぱい咲いているところです。
ガクアジサイも咲いていました。
ここは、アジサイ庭園だと思っていたのですが、さらに奥の方に矢印が向いています。ということは、アジサイ庭園ではないのでしょうか。ここだけでも、アジサイ庭園というにはじゅうぶんです。
花だけでもじゅうぶんなのですが、アクセントも兼ねて、お寺の建物が背景になるように写してみました。
同じく建物の一部といっしょです。
アジサイの花です。
ずっと、奥の谷の方でもたくさんのアジサイが咲いているのが見えます。ここは後回しにして、全体のようすを見ることにします。
大門坊前の道に戻る道にでました。反対側に向かう道もあります。反対側への道を進んで行くとにしました。その道沿いで咲いていたアジサイです。
道の右側は石垣になっていて、少しずつ登っていくように道がついています。石垣の高さが段々小さくなり、開けた平らな所に出ました。
正面右側に塔頭のような建物があります。図面を見ると南僧坊となっています。そのまま道を進んでいくと、民家のような建物が続いていますからお寺から出てしまいそうです。こちらへはいかないことにします。
道を渡ったところは広場のようになっています。南僧坊の駐車場なのでしょうか。その向こうに、庭園のようなものが見えています。アジサイはありませんが、モミジのような木がたくさんあるので、秋の紅葉はきれいそうです。
広場の右側方向を見ると、道が続いていてその先にいくつかの建物が並んでいるのが見えます。かなり大きな建物が見えます。本堂でしょう。お参りすることにします。
道の右側です。先ほどの道の横にあった石垣の上になります。ここには赤い色のアジサイが密集して咲いていました。
その先にはお地蔵さんがいます。アジサイの花もいっしょに咲いています。
石段が見えてきました。大門坊からの道の続きでしょう。その脇のアジサイです。
本堂です。本尊はお地蔵さんだそうです。かなり大きな建物です。三間向拝になっています。お参りを済ませます。
本堂の斜め前にある鐘楼です。袴のような板囲いは鐘楼でしか見ませんが、何か意味とか役目があるのでしょうか。
本堂の裏手にはアジサイ園というのがあるようです。こちらの方ものぞいて見ることにしました。本堂の左横から裏側にまわることができます。表側に比べて、こちらまでやってくる見物者は少ないようです。
本堂裏にあったお地蔵さんとアジサイです。お地蔵さんはいくつか並んでいます。いろいろな格好や飾りをつけています。
本堂の裏側に沿って道があります。ずっとその奥は建物の入り口まで続いています。北僧坊の裏口のようなところになります。アジサイの花も咲いています。
山の方に向かう道沿いにはアジサイの花がたくさんあります。ここがアジサイ園なのかな。八重咲きのアジサイがありました。といっても、アジサイの花びらのように見えるところは花びらではないので、八重咲きといっていいのでしょうか。
いろいろな色が混じったアジサイもありました。
道脇に、ドクダミが密集しているところがありました。これも花をつけています。
この一画は、アジサイがまばらにあるように見えます。全体に小さな木が多いようです。
山の中に入っていく道があります。パンフには霊場巡りというのが書かれています。ここをいくのでしょうか。この先はアジサイがなさそうなので、ここで返すことにします。
本堂の裏手から、南僧坊側にも道が続いています。こちらの方が大きなアジサイがたくさんあります。いってみました。途中の街灯の柱に遍路道はこちらと書かれています。とすると先ほどの山の中に続く道は何だったのでしょうか。
南僧坊裏手のアジサイの花です。たくさんの大きな花がついています。
石段があって、その横にも大きなアジサイがあります。青いアジサイと奧のはガクアジサイです。
石段の途中から振り返って見た南僧坊です。大きな八重のアジサイがあります。このアジサイは写真を撮る人の列ができていました。
石段の上にあったのが舎利堂です。その手前のアジサイもきれいです。
舎利堂奧の広場のアジサイです。横に石塔があります。左側の石柱は舎利堂を修理したときに建てられたもののようです。
石段から先に道は続いていますが、引き返すことにします。石段の上から、横にあったガクアジサイを写してみました。奥に青いアジサイも写っています。
石段をおりて、南僧坊の裏手をまわっているときに見たアジサイです。
本堂からここに回ってきたときの道を通ってもどり本堂前にでます。この後は、本堂前の石段を降りていくことにします。本堂の方に向かっているときに、道脇にあったカエデの実が大きくなっているのが見えました。プロペラの先もだいぶ赤くなっています。
石段からは鐘楼の向こうに、キョウチクトウの花が咲いているのが見えます。
一段降りたところで咲いていたアジサイです。
左側に行く道があって、その奥に神社があります。春日神社と書かれています。本殿は室町時代の建物のよう、重要文化財に指定されています。
神社の前から見た本堂です。間にアジサイやキョウチクトウの花が見えます。
石段の下まで戻って、道を進んでいきます。先にもう一段石垣があります。その横にもアジサイの花が咲いています。
石段の上から正面を見ると、奈良盆地が見えます。景色の方は霞んでいるのが残念です。左側の建物が大門坊、右側が念佛院になります。
春日神社から一段低い所へ降ります。この段の左(北)側にあじさい見本園があります。竹の柵で通路と区切られていて、その中にいろいろな種類のアジサイが咲いています。柵には名札がつけられていますから、アジサイの品種名がわかるようになっています。でも、あまりに種類が多いので覚え切れそうにありません。
石垣下にある通路からあじさい園と反対側、一段高くなっているところとの間です。ここにもアジサイが咲いています。青紫色が鮮やかなアジサイです。品種名は不明です。
見本園からいくつかあげます。紅ガクアジサイと書かれています。装飾花は外側にまばらについています。花の縁がピンク色で中心部は白色です。花序全体は青っぽい色をしています。
コアマチャと書かれています。アマチャもアジサイの仲間でした。ここにはアマチャだけでも何種類かありました。
ベニバナアマチャです。紅ガクアジサイと似ていますが、装飾花でない部分は白っぽい色なので少し違っています。
八重ガクアジサイと書かれています。装飾花が八重です。真ん中に普通にいう花があるのかな。南僧坊裏手で見たアジサイに似ています。
天城アマチャです。装飾花の萼片や葉っぱが細長いようです。
あじさい見本園の続きです。
木に巻き付くようについていいるアジサイがあります。全体的に花は終わったようで、名残の装飾花がいくつか残っているのみです。これは山、特に東北地方でよく見ました。ツルアジサイです。アジサイとは別の種類ということになっています。
このあたりから、品種名を記録しなくなっています。あまりにも種類が多すぎました。花だけを並べていきます。赤紫色のアジサイです。
花序の付け根のところに、綿毛のようなものがついています。この品種の特徴だそうです。
ガクアジサイで装飾花が白色の逆三角形で縁がぎざぎざになっています。
葉っぱの形が違うアジサイです。カシワバアジサイと書かれていました。山門から昇ってくる途中でも見ました。
ちょっと背の高い木に白い花がついています。ヤマボウシです。
アジサイ園からでて外側参道沿いです。お地蔵さんがアジサイに埋もれてたくさん並んでいます。この付近に味噌なめ地蔵というのがあるのに気がついていませんでした。
あじさい見本園から参道を挟んで反対側はアジサイ庭園になっています。上がってきたときにはいったんよっていますが、奧にある谷が気になるのでもう一度のぞいて見ることにしました。
道は一方通行になっているようです。谷の入口まできて上から見たようすです。斜面いっぱいにアジサイが咲いているのが見えます。
谷底まで降りました。ぬかるみにはまらないように細長い石が敷かれています。両脇には、アジサイの花が迫っています。
背丈よりも高いアジサイがいっぱいあります。通れる幅だけがあいているという感じです。
それにしてもたくさんあります。埋もれてしまいそうです。
斜面いっぱいのアジサイです。
スジグロチョウがいました。羽に黒い筋があるのが特徴です。モンシロチョウに比べて林の縁などにいることが多いそうです。
このあたりが一番奧になるのかな。人が入れないところまで、あじさいの花がびっしりと咲いています。
順路に従って、谷から上がる坂を登っていきます。念佛院に沿って進む道にでました。道はまっすぐ延びていてそのままいけば参道に出そうです。ところどころから枝道で参道横のアジサイ庭園にある広場へいけるようです。とりあえずまっすぐ進みます。ここの両脇にもアジサイがたくさんさいています。白いアジサイです。
色の違いは咲き始めてからの日数かな。段々青が濃くなっているように見えます。
紫色アジサイの3兄弟です。
念佛院の屋根を背景に1枚。ここは少し薄暗かったようです。
いろいろな色のアジサイが混じっています。
念佛院の中庭のようなところにある木の花が気になっています。遠くて望遠レンズでもこの程度にしかわかりません。花の感じからするとヤマボウシかな。
通路終わり近くで見た紅色のアジサイです。まもなく参道に出ます。
アジサイ庭園を見終わった後は、そのまま帰ることにしました。矢田寺は山の中腹の平らな所にありますから、山を下りて行くことになります。大門坊と念佛院の間を通りぬけると、急に石段のある下り坂になります。石段の上からは奈良盆地がよく見えます。といってもかなり霞んでいます。
降りる途中にあった石灯籠とアジサイです。
道脇の斜面で咲いていた花です。ジャノヒゲのようです。リュウノヒゲともいいます。
近くにあったキノコです。コザラミノシメジとみましたが自信はありません。
下まで降りきって、山門前の道を戻っていきます。この付近の民家の前にもアジサイの花を見ます。あまり見かけないような品種もあります。お寺の中でも見なかったようです。赤色の八重咲きの花です。
赤色のタマアジサイですが、装飾花が白く縁取られています。
駐車場まで戻ってきました。電線の上で鳥がさえずっているのが見えます。鳴き声からするとホオジロです。
帰りは、少し北上してから第二阪奈道路経由で帰ってきました。
バイカモを見に行くことにしました。入手できた情報では、咲いているのは丹波市青垣か米原市醒井にあります。丹波市の方は他に組み合わせてみるところがなさそうなので、米原市の方に行くことにしました。こちらでは、伊吹山とか他に組み合わせられそうな見所がいくつかあります。難点は、直前に伊吹山を含めて報道で紹介があったという事です。観光客が多そうです。密はできるだけ避けたいものです。
土日出発で高速道路の割引を利用するという手もありますが、駐車場所が確保できるかという問題がありますので却下しました。
出発を前回より少し早くしたものの、高速道は山崎JCTと草津を先頭に渋滞しているとでています。これなら京滋バイパスの方がよさそうです。高速道路に入ってみると、京滋バイパスも笠取トンネルで渋滞していると案内されました。結局どちらでもおなじなので、名神経由ということになりました。渋滞は高槻を過ぎてからずっと続いています。草津まで2時間近くかかったのでここでいったん休憩を入れました。その後は順調に走って北陸道米原ICから国道21号を通って醒ヶ井駅に到着です。ここの駐車場に車をいれました。他にも国道沿いに臨時に駐車場ができていたようです。
醒ヶ井駅でパンフレットを入手します。ネットではこうするように書かれていました。
駅前広場からは伊吹山が見えていました。ここへも行くつもりでいます。
駅前の国道を横断して、旧中山道の方に向かいます。途中道路の左側に古そうな建物が見えてきました。旧醒井郵便局です。前にポストがあるので郵便局のように見えます。通り過ぎてから写しています。
建物内部です。どのように使われていたのか想像できません。現在は、醒井宿資料館になっています。ここから奥には入っていません。
旧郵便局前の通りです。まだ旧中山道に到着していません。
建物の裏手に川が流れているのが見えました。地蔵川のようです。バイカモがないか探してみたのですが、ここにはありませんでした。
川の水です。透き通ったきれいな水が流れています。
居醒橋が見えてきました。橋の先を川沿いに通っている道が旧中山道になります。
居醒橋を渡って左に進むとすぐに地蔵川をもう一度渡ります。これで地蔵川は右側に見ながら進む事になります。橋の上から地蔵川を見るとバイカモはみあたりません。河のどこにでもあるというのではないようです。
少し進んだ所でバイカモを見ました。花が開いていないように見えます。ちょっと早かったのかと心配になってきました。
河岸で咲いていたマツバギクです。こちらは植えたもの。
十王水と書かれている場所です。水が湧き出しているところのようです。川の中には灯籠がおかれていますが、この付近の川底では水が湧いているというようなようすは見られません。細い水路があってその奥で水が湧き出しているように見えます。ここのことなのでしょうか。
左側に了徳寺があります。ここのイチョウはお葉附銀杏というようです。
中山道沿いの桜の木です。大きな木が多いので春先はたくさん花をつけていそうです。地蔵川は桜の木と奥の建物の間を流れています。
二層の入母屋造といっていいのか、立派な建物です。ネットでチェックしたときは木彫美術館となっていたのですが、見た感じではそうではなさそうです。
そのとなりに明治天皇御駐輦所というのがあります。「ちゅうれんしょ」と読むのでしょうか。ここで休憩をしたのかな。立派な門と塀があるわりには中には何もありません。
パンフレットによると駐輦所の向かい側はバイカモポイントになっています。ここにはたくさんのバイカモが咲いているのが見えます。ちょうど見頃だったようです。ここでは川原に下りることができ、近くでゆっくり観察することができます。観光客が写真を撮っているので、終わるまで順番待ちをします。
川原に下りて見たバイカモです。白い花が梅の花のようなのでこのような名前があります。
橋の上からスイカをぶら下げて川の水で冷やしていました。冷たいのかな。水温を確認するのを忘れていました。
バイカモの大写しです。
水路が分かれていて狭い方の水路に水車のようなものが置かれていました。小芋洗い機というものに似ているような気がします。
バイカモです。水流に流されています。葉っぱは水中深くに沈んでいて、花だけが水面から顔を出しています。
バイカモの花のツーショットです。
川を渡ったところに名水コーヒーの店があります。そこに入る橋の上の水槽でたくさんのバイカモが育てられています。たくさんの花がついています。これはちょっと密かな。
駐輦所前あたりから、中山道沿いの建物に宿場町というような雰囲気を持つようなものが増えてきています。醒井宿の中心部に入ってきたのでしょうか。道の右側は地蔵川に接しています。このあたりは普通の街道とは少し様子が違います。右側の建物には橋を渡って入るようになっています。
橋の上から見た地蔵川です。バイカモの群落もたくさん見られるようになっています。バイカモは下流側に流されるようにしなっています。
流れにたなびいているバイカモです。葉の作る扇形の模様もきれいです。
街道沿いの建物です。駐輦所からの続きになります。大きな石灯籠もあります。
川を渡ったところにある醒井公民館です。
街道筋の建物の続きです。大きな建物が続いています。
醤油屋さんです。一字違いの大手醤油メーカーと勘違いしていました。ここで、醤油を作っているそうです。二階の窓は虫籠窓というのかな。
醤油屋さん前の地蔵川です。密集していませんが、バイカモが見られます。きれいな水が流れています。
右側の川を渡ったところに大きな建物が見えてきました。問屋場だったところだそうです。問屋というのは、通行する大名や役人に人足や馬なとを提供したり、荷物の引き継ぎなどの仕事をしていたところだそうです。現在の問屋とは使われ方が違うようです。
前の地蔵川にバイカモもたくさん見られます。問屋場に入る橋を渡ったところから見たバイカモです。たくさんの花が咲いています。
建物を入った所です。広い板の間があります。醒井宿を描いた絵画も展示しているようです。
建物の奥の方です。川口家の住宅としても使われていたようです。
問屋場入り口付近です。まがった桁が使われていますが、飾りのようにも見えます。カエルまたというものなのかな。
川のバイカモです。クローズアップレンズで拡大して見ました。ちょっとピントが甘いのか、ぶれているのか。思ったほどシャープには写っていません。
ちょっと引いて写してみました。いっぱいの花がついています。
問屋場から旧中山道を進んで行きます。醒井宿の中山道の右側には並木があってその向こうを地蔵川が流れています。ところどころに川向こうの建物に行くための橋が架かっています。橋の上からバイカモが咲いているかといった川のようすを見ることができます。
ここは、川を斜めに横切るように石を並べて堰にしています。水流を取水口に導いているようです。石の下流側に、バイカモの群落ができています。
川を横切るように作られた堰もあります。流れ落ちる水の表面が曲面になっていて、水が透明なこととあわさってレンズのような役目をして川底の石が大きく見えています。
この堰の上流側です。バイカモの群落がまだら模様を作っています。
道路から川の向こう側に、昭和初期に建てられたような建物が見えました。碓井公会堂です。駅でもらったパンフには書かれていないのですが、いっしょにあった駐車場案内図には、昭和11年建築と書かれています。
この区間には、醒井公民館・碓井公会堂・碓井区集会所と住民が集まる建物がたくさんあります。
公会堂前の川底に見られるバイカモの群落です。
さらに進んで行くと、川向こうに木彫美術館が見えてきました。駐輦所の横にあったのも木彫美術館でした。こちらに引っ越してきたのかな。開いていないようでした。
木彫美術館前の地蔵川でも、バイカモの花がたくさんさいています。
中山道をさらに進んでいって、次に川向こうに見えてきたのが地蔵堂です。ここのお地蔵さんについては、駅でもらったパンフには魚の供養のために安置されたと書かれていますが。地蔵堂の前に設置されていた解説板にはこの地の守護神が地蔵さんを安置すると天候に恵まれると高僧に伝えたのが由来と書かれています。どちらが正しいのでしょうか。
川に浸かっていたことから尻冷やし地蔵といわれていたようです。霊験のあるお地蔵さんがあまりにもということで後の時代に辻堂を建て、そこに安置されるようになったそうです。
地蔵堂の横に灯籠があります。横には紫石灯籠と書かれた立て札があります。色は普通の石の色です。
その横から、水が湧き出しているのが見えます。
石灯籠の左側に水槽があって、中で魚が泳いでいます。地蔵川にはハリヨという魚がいるそうです。警戒心が強くめったに見られないものです、その魚のように見えます。
右側の山の斜面というか崖の下にはたくさんの地蔵さんが安置されています。これは尻冷やし地蔵ではなさそうです。
お堂の横に看板があって、お地蔵さんの説明が書かれています。そのすぐ脇に、お地蔵さんがいますから、てっきりこれが本尊さんかと思ってしまいました。2.7mもあるそうですから、ちょっと考えれば違うというのがわかるはずでした。せっかく辻堂が作られたのに外に出ているはずはありません。ということで肝心の本尊さんを拝み損ねています。
近くには水準点の看板もあります。写したのはいいのですが肝心の標石はこの中にはみあたりません。
石灯籠の横から川沿いに沿って細い道があります。ここを進めばどこかにでそうでな感じで続いています。旧中山道に戻らずにこちら側をいくことにしました。
少しいったところで、山側に銅像が見えてきました。容姿からすると日本武尊のようです。伊吹山の神との戦いで毒気に当たったもののここの水で癒やされたという話があるそうです。写真をよく見ると像の真ん前の石柱にしっかりと名前が書かれていました。
像の前から見た地蔵川です。このあたりは川幅が広くゆったりと流れています。
道造に大きな石灯籠があります。彫られている文字は「献」でしょうか。
道を進んでいくと鳥居の前に出ました。そこから急な石段が続いています。1つ登ったその先に続く石段です。鳥居と本殿が見えています。加茂神社というようです。
鳥居まで登った先に見えた本殿です。
右側の手水舎にあった竜吐水です。手洗いの水が龍の口から出てくるように作られていますが、残念ながら水は止まっています。
境内から見た中山道沿いのみです。道の左側、並木の横を地蔵川が流れています。
拝殿です。斜め横から見ています。神殿は一段高いところにあるようです。建物の右側は木で隠れていますが、すぐ近くを名神高速道路が通っています。
加茂神社の前から地蔵川の川幅が急に狭くなります。神社の裏側真下あたりに立て札が2つ立っています、右側のものには「居醒の清水」、左側には「蟹石」と書かれています。水に半分浸かっている平たい石が蟹石のように見えます。さらにこの先では、地蔵川の流れそのものが見えなくなっています。ここが源流になるようです。
清水というわりには、水底から水が湧き出しているように見えません。向こう側の水際を見ると、石の隙間から水が流れだしているように見えます。石は石灰岩のガレのように見えます。鍾乳洞の出口に崩れた石が積み上がってその隙間から鍾乳洞を流れてきた水が湧き出しているようです。
地蔵川はここまでです。バイカモはこの先は期待できません。宿場町はまだ続いているかも知れませんが、ここで引き返すことにします。
すぐに加茂神社の鳥居の前を通ります。しめ縄が下げられています。こういうのはあまり見たことがありません。しめ縄というのはここをくぐるなという意味のような気がしています。
道路側から見た、日本武尊像前の地蔵川です。バイカモはあまり生えていないようです。水深は少し深めかな。
道路反対側にあるのが緑苔寺です。ここの門の形が気になっています。薬医門ぽく見えるのですが、少し変です。駐輦所の門も似たような形でした。
薬医門では棟木が親柱側に寄せて乗せられるのですが、ここでは親柱と控柱のちょうど真ん中にあります。そもそも、親柱と控え柱の区別ができません。さらに、鐘が直接ぶら下げられています。鐘をついているときには門をくぐれそうにありません。どうするのでしょうか。
旧中山道を引き返していきます。戻り際に見えた光景です。人通りが少なくなったように見えます。
旧中山道は、川を見ながら戻っています。といっても一度写していますから、あまり写真を写していません。ほとんどそのまままっすぐ帰っています。
地蔵川です。右側に旧中山道が通っています。並木で道から隔てられいて、ここが街道沿いというようには見えません。
居醒橋から醒ヶ井駅に向かう道を進んでいきます。左側に看板があって、醒井尋常高等小学校玄関がここに移築されていると書かれていました。唐破風の立派な入口です。懸魚飾りも独特です。唐破風だとこういう形になるのかな。建物は明治時代に作られたそうです。
駅に向かう分岐がありますが、もう一つの道を進んでいきます。こちらにある商店で、鱒の佃煮を買うのが目的です。 商店の前は、少し迂回してきた地蔵川が流れています。
店の前の橋の上から川をよく見ると、バイカモの花が見えます。パンフを見直してみると、ここのバイカモの観察ポイントであると書かれていました。
川沿いの石垣の上からバイカモを写してみました。
橋の脇で咲いていた花です。赤と白の花が混じっていますから、ホットリップスと判定しました。
この後は駅に戻り、車で次に向かう予定です。
次の目的地は伊吹山にしています。その前に、昼をまわっていますから食事を考えることにします。何かを食べてからいくか、弁当を買って山の上でだべるかのどちらかです。駅前に、水の駅というのがあるので何か対応ができるかとののぞいたのですが、しまっていました。途中にある道の駅伊吹の里で対応することにしました。
伊吹の里では、隣にあったそば屋さんでそばを食べることにしました。ちょっと時間がかかるとのことでしたが、でてくるまでかなり待ちました。結局、ここについてから出発するまで1時間半近くかかっています。相当な時間ロスです。
伊吹山に登るのに30分近くかかります。帰りの時間から逆算すると、伊吹山での滞在時間はほとんどありません。とりあえずいくだけ行ってみることにしました。見ることができなければ、ドライブウェイの通行料は無駄になります。
伊吹山の駐車場に到着です。時刻からすると30分だけしか滞在できないようです。いけるところまでということになります。
駐車場からは琵琶湖が見えています。カキツバタを見にいった山はこの方向にあります。向こうからは見えなかったような。かなり霞んでいました。
山頂方向です。駐車場からすぐだったと思っていました。かなりあります。30分だと途中で引き返すことになります。引き返し始める時間を決めて戻ってくる事にします。
山頂への行く道の入口には柵があります。シカが中に入って草を食べないようにするためのものです。柵を手で開け閉めし出入りするようになっています。
道からは、黄色い花がたくさんついている草が見えます。メタカラコウと思っていましたが、花穗の頂部が平らなのでキオンなのでしょう。奧の方でも集団で咲いています。花の名前は、駐車場の施設などでもらったパンフを中心に調べています。
丸い粒のようなものがいっぱいついた細長い穂がたくさんでていました。花が終わって実になりかけていると思っていましたが、どうやらつぼみのようです。ということから考えるとサラシナショウマなのでしょう。
だいぶ登ってきました。御嶽山方面に大きな雲が湧いているのが見えます。御嶽山は見えていないようです。
クガイソウです。色が薄いのでちょっと悩みました。似た花でルリトラノオというのがあるようですが、葉に葉柄がなく対生なので区別できるそうです。これは4出輪生です。まだ開ききっていないから、色が薄かったようです。
シモツケソウです。ここのものはまだつぼみです。
だいぶ登ってきました。山頂はまだまだ先です。といってもたどり着けるのかどうか。穴理無理っぽい感じがしています。空を見ると、飛行機が飛行機雲を作りながら飛んでいくのが見えます。よく晴れていて、空の青色がきれいです。
クガイソウです。普通はこんな色をしています。
黄色い小さな花です。キンポウゲ科というのは何となくわかりますが、その先まではちょっと不明です。一応、ダイコンソウとしています。
ピンク色の小さな花です。アカバナと判定しました。棍棒状のめしべが特徴です。水湿地で育つというのがひっかかっています。
キオンです。青空をバックに写してみました。
白く小さな穂状の花です。イブキトラノオです。イブキと名のつく花はこのほかにもいくつかあります。
まだつぼみで花の色がはっきりしないので何ともいえませんが、黄色っぽく見ます。それからすると、これがメタカラコウなのでしょう。
そろそろ引き返すと予定していた時刻になってきました。山頂までは半分もきていないようです。GPSロガーでは1316mの高さまで登ったことになっています。山頂までは残り60mでした。
道の脇には少ないのですが、いろいろな花が見られました。山頂はお花畑となっているようですが、次の機会ということにします。
ここから振り返って見た駐車場です。結構きたといえるのか、まだまだなのか。
戻り道でも、花を見ています。花の形からするとマメ科になりそうです。クサフジと思っています。
シモツケソウです。花が開いているのを見つけました。道沿いの花は、小さなものばかりです。
木に赤い実がついていました。ナツグミかアキグミかというところですが、アキグミにしています。
赤紫色の小さな花です。クルマバナにしています。
サラシナショウマとしていた穂に花がついているものを見つけました。写真を軽く見ただけではイブキトラノオと間違いそうです。
これもクガイソウです。背景にあるイラクサのような植物は何かわかっていません。これが一番多かったような..。
白い小さな花です。これも現地ではわかっていませんでした。調べてオトコエシと判定しました。
駐車場まで戻りそのまま車で戻ってきました。順潮に帰れたものの、大津でいったん休憩を入れています。高速道路を降りてから少し渋滞にかかりました。ここは以前は渋滞するところではなかったようです。
GPSロガーはところどころしか記録していません。電池での起動時には電源が入りませんでした。車のUSB電源供給で無理に起動させたのはよくなかったのでしょうか。
北播磨に行く用事ができました。午前中で終わりそうなので、午後はどこかによって帰ろうと考えました。夏の花といえばひまわりと連想して、調べてみると小野市にひまわりの丘公園というのがあるのを見つけました。小野市の花がひまわりなのだそうです。
問題なのは、公園の南側の田んぼをひまわり畑としているのですが、ここのものは7月いっぱいで刈り取ったそうです。それでも、公園の中にひまわりが咲いているところがあるようです。こちらを期待していくことにしました。他にも南隣の三木市内にも興味のあるところがいくつかでてきました。これらをあわせて見に行くことにしました。
いった日は、朝から非常に暑く、午前中だけで相当体力を消耗していました。大量に飲料水や氷を用意していたのですが、用事が終わったときにはかなり堪えていました。昼ご飯は、公園の中に農産物直売所があるので、そこで食べられるものを買って、公園で食べようと考えています。
ひまわりの丘公園に到着です。右側の建物が農産物直売所です。大きな木はトチノキかな。ひょっとしてマロニエとか。
直売所ではすぐ食べられるものは、山菜ご飯しかありませんでした。これを買って公園の方に行きます。
こちらが、直売所左側にある公園入口になります。
入口脇の木にとまってさえずっていたホオジロです。
この入口から続いているのは、花の小径です。道の両脇の花壇に色とりどりの花が咲いています。
花壇の花には、標札がつけられていて名前はわかります。アンゲロニアだそうです。最近はカタカナが多くて覚えきれません。学名をそのまま花の名前にしているものが増えてきています。2つもカタカナ語が続くとなおさらパニックです。
この黄色いのはガイラルディアだそうです。もう一つアゲラタムというのもありました。これは花屋さんでも見るようになってきたような。
花の小径の両脇にある花壇から奧にも、植物が植わっていて散策できるようになっています。区画によって植えられているものが違っていて、キッチン&フルーツガーデンとか名前がつけられているようです。洋風の休憩所のようなものがあります。ここで遅めの昼食をとりました。疲れたらガゼボで休憩をと書かれていました。頭が「?」でしたが、洋風の東屋のようなものをいうようです。
ガゼボは、ローズガーデンと呼ばれる区域の中にあります。周囲にバラがあるか見ると、咲いているのがありました。匍匐性というかつる性のバラが支えがないために地面を這っているように見えます。
入口側のキッチン&フルーツガーデンです。真ん中の木はオリーブです。その下にはトマトなどが実っています。木の間から見える青い構造物がガゼボです。
横に香りの径というのがあるようです。ラベンダーがあるみたいですが、見たのはこのタイムです。名札であるからわかったのかと思いますが、実際にはいろいろなものが混じっているようです。
気になったのは、ウリ科の大きな実が地面に転がっています。ヘチマかと思ったのですが、ひょうたんと書かれています。特有のくびれはありません。
一番奧にある大きな木です。葉の形が半纏に似ているのでハンテンボクといいます。別名はユリノキです。
花で目立っていたのはノウゼンカズラです。
花の小径から奧の方に、ひまわりの塔が見えます。小野市のシンボルとして建てられたもののようです。ひまわりがモチーフで、一番高いところにある四角い石にひまわりの花が彫られています。
ひまわりの塔の周りには円形花壇とかがあるようです。公園の範囲はここまでのようです。どんな花があるのか見に行きました。
円形花壇ではいろいろな花が咲いています、見てわかるのはオレンジ色のマリーゴールドくらいです。
いろいろな色の花が咲いている場所です。大きな赤い花だけわかります。カンナです。久々に見ました。
ハーブ園とかもあるようです。持ち歩きのできる案内図がないのでこれがあるということ自体わかっていません。何となくハーブっぽいものを写しています。ローズマリーかな。よく考えたら匂いをかげばよかったですね。
塔の右側は岩を配置して庭園風になっています。ロックガーデンかな。他に兵庫県産の溶岩石を配置したドライガーデンというのがあるようですがどれのことかわかっていません。その向こうはわんぱく広場で木製のジャングルジムのような海賊船パニックワールドがあります。
ロックガーデンを通り過ぎて振り返って見えたひまわりの塔です。
わんぱく広場を通り過ぎたところ、トイレの前にキツネ塚古墳があります。2つ並んでいます。こんもりと盛り上がっていないのは古墳らしくありません。キツネが住んでいたのがその名前の由来とか。
キツネ塚から奧は、運動場のようなところなので、進むのはここまでにします。向きを右に変え、物産館のある方向に向かいます。泉の広場があって、その先に池が見えます。修景池というようです。スイレンと蓮の花が咲いています。
池の縁で咲いていた赤紫色の花です。名前はわかりませんでした。調べる方法も思いつかずお手上げでしたが、最近になってミソハギということがわかりました。日本にはわりと普通にある植物のようです。いままで見かけたことがなかったというのがふしぎです。
ハスの花です。ここのものは白い色をしています。昼をまわっていますから、開いているのはほとんどありません。何とかあるのは、終わりかけの花です。
池にはたくさんのオタマジャクシがいます。
池で咲いているスイレンです。
次にいこうとしているのは、ひまわりの咲いているところです。すぐ横にあるのですが柵があって中にはいることができません。しかたがないので道に沿って農産物直売所入口の方に戻っていきます。
道沿いには花壇があっていろいろな花が咲いています。円形花壇で見たものと同じ花かな。
農産物直売所の横に来たついでにパークセンターとかものぞいてみました。地図が欲しかったというのがあります。他にも小野市の観光案内とかあればと思ったのですが、手に入りませんでした。
パークセンターの横では、ゴーヤの実がなっていました。これはグリーンカーテンなのかな。葉がすかすかです。
ひまわりの花が見られる場所は、農産物直売所の裏手にあります。パークセンター玄関正面から裏手にまわる道があります。直売所建物の横を抜けるとひまわり花壇が見えてきます。
たくさんのひまわりがありますが、ひまわり畑というほど広くはないようです。奧にひまわりの塔やキッチンフルーツガーデンの青いガゼボが見えています。
たくさんの花をつけているヒマワリです。下を向いていて元気がないように見えます。今日は暑いですからね。水切れでしょうか。
花の終わったヒマワリの花序にネットが被せられていました。ヒマワリ畑のヒマワリが刈り取られているのに対して、ここのものが残されているのは、このようにして種をとるのが目的だったようです。花壇の入口には種を取らないでくださいと書かれていました。
ひまわり畑もどうして種を収穫しないのでしょうか。もう少しで収穫できるのに。気になります。
ヒマワリで、1つ気になっていることがありました。自宅近くのヒマワリには、グンバイ虫がたくさんついていました。この虫が全国というか、近畿地方で広がっていないのかということです。よく見るとたくさん虫がついていました。食害で葉がまだら模様になっています。
ネットのなかったヒマワリの種です。落ち始めているものがあります。それとも誰かが持っていったのかな。
オレンジ色のヒマワリです。こっちの方がちょっとだけ元気なように見えます。でも下を向いています。
拡大してみました。
ヒマワリ花壇の続きです。
ヒマワリの花は下を向いて咲いているので、どうしても下から見上げる形での撮影になります。横を向いて入れは向こう側のものとあわさってたくさんさいているように写せそうです。そうできないのが残念です。何とかたくさんあるように写せたものです。頭が垂れているのはしかたがないか。
これもヒマワリかな。花序全体が小さく、舌状花に比べて筒状花の数の割合が普通の菊と同じくらいになっています。どちらかというと黄色の野菊に近い感じです。
花序の真ん中が膨らんできていてたくさんの花がついていますから、これもヒマワリではないのかな。
ひまわり花壇とキッチンフルーツガーデンの間は、林檎の木が植えられていると書かれていました。その境界部にあった木です。書かれていたようにリンゴのように見えます。
ここからのひまわり花壇です。向こう側に背の高いひまわりがあるのでちょっと花が多いように見えます。
物産直売所の反対側から駐車場側に戻ります。横にキッチンガーデン休憩所があって、そこに植えられていたブルーベリーに実がついていました。2本あったのは別の種類なのかな。1本とか同じ種類だけだと実がならないといわれています。
あじさいの花もありました。
まだ帰るまでには時間があるみたいなので、もう少しまわっていくことにします。といっても、暑さでだいぶへばっています。どこまで体力が持つのか心配です。
加古川水の新百景によると、小野市の南隣にある三木市を流れる美嚢川(みのがわ)に甌穴があるようです。久留美・与呂木ということだけで詳しい場所ははっきりしません。久留美にある久留美東橋付近で川原に下りられそうなのでこここにいってみることにします。付近にはいくつか名所があるようです。三木市はそれらをめぐるハイキングコースが整備しています。順番に、弁慶の足跡石から久留美の潜水橋(久留美東橋)、竹中半兵衛の墓、秀吉本陣跡と続いています。ついでにこの付近もめぐってみることにしました。
最初に行くのは、弁慶の足跡石です。美嚢川沿いにあります。道は狭く車でのアクセスは少し不便です。三木市街に入るところで道を間違えました。その後も予定したコースには入れなかったようです。位置ははっきりしていますから、カーナビの示す位置を頼りに何とかたどり着くことができました。車を進めてきた三木市街がある側に道路が少し広くなっているところがあったのでそこに車を寄せて駐めました。
道脇に弁慶の足跡石と書かれた説明板があって、その両側に石が並んでいます。左側の石の表面に、足跡のような形をした窪みが見えます。
裏側にまわると、といっても奧にある田んぼとの間は非常に狭いのですが、石に仏様が彫られているのが見えます。どちらかというと、こちらが表側のような気がします。古地図によると、この付近にお寺があって、その山門があったところにあたっているとか。
ちょっと離れたところを美嚢川が流れていますから見いきました。川ではカワウが休んでいました。
川の真ん中に、岩が取り残されています。削られなかった岩盤のように見えます。神戸層群と呼ばれる、古第三紀の地層のように見えます。
川の堤防から、弁慶の足跡石の方を見ると、石仏さんが並んでいるように見えます。その向こう側が、道路になっていますから、看板はこちらから見ると裏側になります。
車に戻って、道をそのまま進んで行きます。大きな交差点の左側に、大日本標準子午線と書かれた標柱が立っていました。そういえばこのあたりが東経135になりますね。標柱の左側に、ハイキングコースを示す標識もあります。左へが弁慶の足跡石0.8km、右へは竹中半兵衛の墓1.5kmとなっています。
大日本標準子午線の標柱からハイキングコースは右に進む事になっています。そのまま美嚢川に沿って進み、久留美東橋を渡って向こう側に進んで行くと竹中半兵衛の墓につきます。久留美東橋は車では通れませんから、上流側か下流側のどちらかに迂回することになります。わかりやすいのは上流側ですから、こちらからいきました。道のりは4kmほどになります。
竹中半兵衛の墓へは平井公民館に車を駐めるようにネットには書かれています。公民館の入口にも、墓への駐車場と書かれています。はいってみたもののどこが駐車場の区画なのかはっきりしません。入って右側の広くなっている所の奧に駐めました。
これが平井公民館です。入った所から反対側から見ています。
ここからは、竹中半兵衛の墓に行くことになります。その前に、ハイキングコースの順番としては、久留美東橋が抜けています。ちょっと離れていますので、自転車で行くことにしました。坂がありそうなのが難点です。公民館からは、大きな道路を渡ってまっすぐ美?川沿いに行けばつきそうです。はっきりといけるという保証がありません。戻ってくるとなると登り坂になりそうなので、確実にいけそうな大きな道路に沿う経路でいくことにしました。下り坂なのでいくときは楽です。
道路は川から離れていきますから、途中から美嚢川の方に行く道を進みます。林の間を下りて行く道があって、そこを進んで行くと久留美東橋が見えてきました。
久留美東橋は潜水橋と呼ばれるタイプの橋です。洪水が頻繁に起こる川では橋桁を低くして、欄干などを設けないで、洪水の影響を受けにくい形にしています。四万十川では沈下橋と呼んでいるものと同じです。
加古川水の新百選によるとこの付近の河床に甌穴ができているとのことです。少なくともこれができるためには、岩盤が露出している必要があります。川の下流側を見ると岩盤がでているのが見えます。
足元を見ると、丸い穴が開いているのが見えます。
潜水橋を渡った向こう岸の岩盤の中にたくさんの丸い穴が見えます。これを甌穴としているのでしょう。でも何となく違和感があります。
橋を渡って岸に沿って下流側に行ってみました。橋から離れると丸い穴は見られなくなりました。一番端まで来たところから上流側を見たようすです。
水たまりのようになっているところの川底を見ると、岩にこびり付いたコケのようなものにたくさんの泡がついていました。天気がいいので盛んに光合成をしているようです。珪藻なのかな。
川底を再度注意しながら、橋があるところに戻っていきます。岩盤の岩が黒くなっているところがありました。木の幹の化石のようにも見えます。何か黒いものがこびり付いているだけかも知れません、調査用具は持ってきていませんし、最近はたたいたりするのは避けています。もし幹の化石だとすると、直立樹幹化石といって、立木がそのまま化石なったものの可能性もあります。
これも黒くて何となく模様が見えます。木の実の化石にも見えますが、そうでないようにも見えます。何なのでしょう。
橋近くまで戻ってくると、対岸にも丸い穴が見えます。見に行くために、いったん橋の左岸側に戻ります。丸い穴がありました。ここには、蛇がやってきていました。それにしてもこの穴はきれいにまん丸です。穴の形はきれいな円柱形のように見えます。あまりにもきれいすぎます。
丸い同心円状の模様が見えます。丸い穴に木の幹が詰まっているように見えます。幹は炭化していなく何となく新しそうに見えます。幹と穴の壁に少し隙間があって何かが詰まっているように見えます。
もう一度橋を渡って、上流側を見ることにしました。いけるところまでいったのですが、丸い穴をありませんでした。
丸い穴は、甌穴とされています。そのように考えるには、不自然なところがいくつか見られました。列挙してみます。
橋の近くだけにあること/直線的に並んでいること/穴の形が円柱形できれいすぎること/穴の周辺に紙やすりで削ったような滑らかなところが見られないこと/生々しい木が詰まっていること です。
以上のことを総合して考えると、この付近に見られる丸い穴は、橋の柱を立てるために開けた穴のようにみえます。もちろん、甌穴を利用して柱穴にしたということは否定できません。
観察はここまでにして戻っていくことにします。川岸に見られる地層です。上流側にわずかに傾いています。
林の入口の湿ったところにたくさんのカエルがいます。ツチガエルといっているのものです。小さいものばかりなので、オタマジャクシから育った直後のものなのでしょうか。尾の残っているのものはいませんでした。先ほどの蛇はこれをねらっていたのでしょうか。
久留美東橋からは、竹中半兵衛の墓まで行く予定です。ハイキングコースが整備されているはずです。どこにあるのか探しながらいくことにします。橋から川岸の斜面を登っていく途中にコースを説明する看板があります。これからするとここから左の方に入って行くようですが、どう見ても藪です。いけそうにもないので来た道を引き返すことにします。
いったん斜面の上にある舗装された農道に出てから左に進んで行くと、農道が右折する所から道なのかただ草を刈り取った場所なのかわからないところがまっすぐ続いています。その先には、しっかりとした案内標識があり竹中半兵衛の墓0.5kmと書かれています。普通の山道のようです。歩いてならいけそうですが、自転車があります。すぐには終わりそうですが、長いと困ります。距離が読めないので、来た道を引き返していくことにしました。
平井公民館から来るときは下り坂で楽でした。戻りはちょっと坂がきついようです。ずっと押して登っていました。平井公民館の横を通り過ぎて真っ直ぐ行くと、竹中半兵衛の墓と書かれた案内標識があります。距離が書かれていませんから、すぐ近くのようです。右に矢印があります。周辺にそれらしいものは見えません。奧に土塀で囲われた一画がありますが、私有地のように見えます。気温が高くへばっているのでいく元気はわずかしかありませんがいってみました。
土塀で囲まれた中に、墓石のようなものが見え横にある看板に竹中半兵衛の墓の説明が書かれています。秀吉の三木城攻め最中に陣中で病死したそうです。
これが墓石かな。竹中半兵衛重治墓と書かれています。
前に並んでいる石灯籠の1つです。文化三年に作られたと銘があります。1806年だそうです。
次に向かうのは秀吉本陣跡です。何のことかよくわかっていませんでした。秀吉が三木城を攻めたときに、城を取り囲むように付城を作りました。その中で、秀吉が陣を引いていたところです。正式には平井山ノ上付城というようです。場所は平井公民館横の道を進んでいったところ駐車場があります。
駐車場から本陣跡への登り口の前に説明板があってそこに詳しい地図の書かれたパンフレットが置かれています。いただいて登っていきます。といっても、暑さにだいぶ参っています。最初の急斜面を見てだいぶ怖じ気づいています。とりあえずいけるところまでということで登ることにしました。
登ってすぐにお社がみえてきました。愛宕社と書かれています。付城との関係は不明です。
ここから先は平坦になっています。これなら何とかいけそうです。
ヒグラシがよく鳴いています。目の前に飛んできて近くの木に止まったものもいました。
看板がみえてきました。段状の平坦地群と書かれています。秀吉の兵が平坦になった場所で待機していたそうです。ここからは急斜面になっています。見ながらですからゆっくり登るので何とか上までいけるでしょう。
平坦になっている場所です。木が多く平坦な場所がどこなのか、ゆっくり探さないとわかりません。
真ん中に木が生えていますが、ここも平坦な場所です。幅は横になったらいっぱいいっぱいというところでしょうか。ここで2年もの間生活していたのでしょうか。気になります。
登りきったところで尾根にでます。ここから少し平坦になるので歩くのは楽になりました。この道は太閤道と呼ばれているそうです。
太閤道を進んでいくと、右側に2〜3mほど高くなったところが見えてきました。道と直角方向に細長く伸びています。土を盛ってできた土手のようにみえます。地図には、このあたりに主郭があってその周囲を土塁が取り囲んでいるとかかれています。みえてきたのはこの土塁なのでしょう。
土塁に沿って奥に入っていきます。説明書にはここから三木城が見えていたと書かれています。
土塁に沿って進んだのですが、木が茂っていて景色は見えませんでした。展望台のような物もあるのですが、土台か踏板が腐敗しているのか立入禁止になっていました。結局、そのまま土塁の反対側まできてしまいました。
途中に棒のような物が建てられているところがありました。三角点の測量用の標識かと思ったのですが、調べてみたところここには三角点はありません。形も違うようです。古い写真には、ここに秀吉本陣跡の幟が立てられているのが載っていました。その支柱だけが残っていたのでしょう。
さらに太閤道に沿って進んで行くと、こんどは左側に土を盛ったような高まりがみえてきました。主郭の土塁よりは高くなっています。横にあった説明では、櫓台状の土盛りと書かれていました。ところで気になっているのですが、秀吉はどこで寝泊まりしていたのでしょうか。
さらに進んで行きます。こんどは右側に土塁のような物がみえてきました。地図には土塁が書かれていますが、説明はありません。何かの施設があったのでしょうか。
秀吉本陣跡を歩いていて、1つ困ったことがあります。暑さに参っているのもありますが、それ以上に頭のちかくまでよってきて、周りをぐるぐると飛んでいる虫がたくさんいます。振り払っても次から次へと来るので結構うっとうしいのが困りものです。
アブだと思っていたのですが、これは清流の近くにしかいないし、暑い昼間は動かないということで違うようです。それなら噛まれた跡が何日もかゆくなることはなさそうです。調べてみたところメマトイという虫のようです。目の中に入ってきて眼球にある水分を吸うとか、これもやっかいです。
道は、普通の山道になっています。特にこれといって変わったものは見当たりません。
途中に看板があって、この先大手口と書かれています。いっしょにある地図を見ると、下り坂を下りていかないとたどり着けないようです。また登ってこられるか、体力的にわからないので、先には進まず戻ることにしました。ここまででおしまいです。
来た道を戻っていると、低くなったところが平坦になっていて、真ん中に説明板のような物があります。これくらいの高さの斜面なら何とかなるだろうということで行ってみました。
書かれていたのは、谷を埋めて作られた曲輪ということです。他の所は斜面を削って作っていますから、ここはだいぶ広くなっています。何か主要な施設でもあったのでしょうか。
上にあがってから見たようです。登り口にあったものに比べてかなり広いことがわかります。
この後は、来るときにみた物以外に目新しいものがないので記録は残っていません。そのまま駐車場まで戻っています。
さらに時間があれば行こうと考えていたところがあるのですが、暑かったせいで、歩き回る気力があまり残っていませんからそのまま帰ることにしました。調べていたところは次回まわしということになります。さらに、三木城はどうなっているのかも気になります。これも次回機会があればということになりそうです。
途中淡河の道の駅によって休憩しています。ついでに2〜3買い物もしました。道の駅からは川向こうに淡河城趾とかかれた建物がみえています。他にも本陣跡とかがあるようです。このあたりも次回以後寄ってみてもよさそうです。
この先のICから中国道を通って帰ってきました。途中渋滞しているとでていたのですが、流れが悪くなっている程度で、それほどロス時間もなく帰りつくことができました。
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この日は、昼をひまわり公園で食べるつもりで出かけていました。前の農産物直売所で弁当のような物を買えればということで寄っています。
商品を選んで、レジで支払いをしているときに、食べた後の弁当がらを処分してくれないかと聞いてみました。返答は公園内はゴミ箱がありませんからお持ち帰りくださいということでした。そのような事はわかっているので聞いたのですが、こちらでは処分しませんという意思表示とみてそのまま引き下がってきました。もともと処分してくれればラッキーという気持ちでしたから。
公園内にゴミ箱が置かれていないというのはよくあることです。自然の中では持帰りが原則です。販売店が商品を利用した後にできるゴミを処分しないというのも、持帰りが前提ならば特段問題が無いでしょう。
よくいわれるのが、観光客の出すゴミの問題があります。京都の錦小路や大阪の黒門市場で売られている食べ物が食べ歩いた後、串や包装紙をポイ捨てされた結果周辺にゴミが散乱するという問題が発生しています。最近では、コンビニで売られている食品から出るゴミが近所にポイ捨てされて毎日掃除しないといけないので困っていると話を聞いたこともあります。
もちろん悪いのは、ポイ捨てする人なのですが、これほどになってくると販売者側にも責任の一端はあるような気がしてきます。だれだって、ソースのべったりついた紙をカバンに入れて持ち帰りたくはありませんね。ひまわり公園レベルでは持ち帰るのが普通でしょう。でも錦小路や黒門市場との線引きはどこなのかというと迷うところです。
でも、はっきり言えることが1つあります。最初に直売所に入ったときは、荷物になるので余分なものは買っていません。帰りに寄るつもりでいました。ここで、ゴミが持ち帰りとなったことで、そのまま寄らずに次に向かっています。ここで、ゴミを処分してくれるとなっていたら、立ち寄ったついでに何かを買って帰った可能性は非常に高かったということはいえます。現に、その先によった淡河の道の駅では買い物をしています。どちらも同じような商品が売られています。ちょっと儲け損なったのかも知れません。