2022年日帰旅(下)
<目次>
| 日 | 目的 | 行き先 |
| 09/14 |
淡山疎水 |
三木市防災公園 |
| 10/14 |
フラワーセンター |
加西市フラワーセンター・鶉野飛行場跡/加古川市コスモス畑 |
| 10/21 |
秋桜薔薇 |
橿原市藤原京・おふさ観音 |
| 11/18 |
紅葉 |
桜井市談山神社 |
| 11/25 |
紅葉 |
湖東三山(西明寺・金剛輪寺・百済寺)+永源寺 |
8月に三木市にある秀吉本陣跡を訪れたときに予定していた場所で、体力不足で次回チャンスがあればということにしていた場所があります。その機会は意外と早くやってきました。それほど時間がとれませんが、見にいくことにしました。
加古川水の新百選によると、三木市の旧志染町付近に御坂サイフォン(めがね橋)というのが書かれています。130番目です。唐突にサイフォンなんてでてくると気になってきます。「サイフォンの原理」の「サイフォン」なのでしょうが、関連が不明です。近くでは他にいくつか書かれています。三木市の観光案内サイトでもいくつかあります。これらをまとめてみにいくことにしました。
最初に向かったのは、三木総合防災公園です。山陽道三木東IC前から県道を南下し美嚢川を渡った先にあります。西側の入口から入りUターン気味に進んだ所に駐車場があります。他にもいくつかありますが、ここに入れることにしました。
ここからの予定は長いので、自転車で回ることにします。坂道がありますから、サドルを少し高めにして出発です。前回はサドルが下がってペダルが重すぎました。
自転車に乗って目的地方向に向かい始めたところで、すぐに自転車走行禁止の看板がありました。せっかくなのに役に立ちません。戻ってくるので置いておくこともできますが、押していくことにしました。ここからは緩やかな下り坂です。
道脇の草地を見るとヒガンバナのつぼみがでていました。そういえばまもなくお彼岸ですね。
目的の場所に着きました。六地蔵というのが正式名称ですが、普通はどっこいさんといわれているようです。語源ははっきりわかりません。石の表面に仏さんが彫られていて、下部に6人並んでいることから六地蔵と呼ばれるようです。他にもたくさんいますが、彫りが浅く風化して形のはっきりしないものもあって、全部で何人なのかはっきりしません。
彫られている石自体は、横に円墳があることから、この石室の天井かフタに使われてものと考えられているようです。古墳も復元されています。手前側の台形の石がどっこいさんです。
反対側にまわると、石室の跡(石室への通路?)がはっきり残っています。
戻る途中で離れたところから見た円墳です。看板の左側がどっこいさんです。円墳はこの北側600m離れたところにあったものが、道路整備の関係でこの場所に移転されたそうです。
戻る途中で、モンキチョウが飛んでいましたので追っかけて写しました。
今いるところは、三木総合防災公園というところです。防災公園というわりには、スポーツ施設しか見当たりません。災害があったときに何かに使われるのでしょうか。それらしい建物としては、防災科学技術研究所のeディフェンスという施設があります。他に兵庫県広域防災センター消防学校と赤十字社災害救護支援センターもあります。それにしても、これだけでは、看板倒れのような気がします。競技場は、災害時の避難所や仮設住宅用地などとして使われるのでしょうか。
eディフェンスでは建物の耐震実験ができます。地学関係者としては見ておいた方がいい施設の一つですが、コロナ感染症の流行で予約しないと見ることができません。今日は、何時にこれるかはっきりしなかったので申し込んでいません。またの機会に寄ってみようと考えています。
防災公園を航空写真で見ていると、ふしぎな水路が見えました。調べてみると淡河川疎水といって、明治時代にここから北東7kmほどのところにある淡河(おうご)川から水路を引いて、南西側の加古台地に水を供給するために作られたもののようです。
水路がはっきり見えるのは、陸上競技場と球技場の間です。車を駐めたところからは、道路をまたぐ橋を渡って真っ直ぐ行ったところにあります。自転車で向かいます。再び自転車通行禁止と書かれていますが、レンガ色に塗られたところが乗れないようなので、違う色の道をそのまま乗っていきます。少しいったところで、左側広場の向こう側に水路が見えてきました。坂とかがありますから自転車をおいて見にいきました。
水路の東側方向です。こちらから流れてきているはずですが流れははっきりしません。
反対側です。この先は草に埋もれているようです。暗渠になっているのでしょうか。
自転車の所まで戻ってさらに進んで行くと、水路の方位に分岐している道がありました。自転車は通行禁止なので、先回りしてそちらから見に行くことにします。
道を進んで野球場の方に行きます。いったん下り坂になって道路を横断します。野球場を時計回りに入った所に、坂を登る道があります。自転車ではきついので、坂の下に置いて登っていくことにします。
坂を登り切ったころに水路が見えます。左側は下流側になるはずです。右側は斜面になっていて、鉄管が一本通っています。上流側が低くなっているという奇妙な光景です。
水路に沿って進んで、振り返って見たところです。水路の先が急斜面でなくなっているのがわかります。水路にある柵のところから、水が下っていくというのならわかるのですがそうでもないうようです。といっても、水が動いている気配はありません。少なくとも向こう側に流れているのではなさそうです。
水路の反対側です。水路に架かる橋の上から見ています。
横に道がついていてこのままい進んで行くことはできますが、自転車を置いているのでまた戻ってこないといけません。ここで自転車の置いてあるところまで引き返すことにしました。
水路はこの先にはなさそうなので、車の所まで戻ることにします。途中、野球場前の道路を横断するときに、道路をまたぐ橋が見えます。位置から考えると先ほどの水路はこの上を通っているはずです。
水路の水がどこから来るのかについては、次の機会に解説することにします。
淡河川疎水の先が気になりますが、そこへ行く途中に、窟屋の金水・志染の石室(しじみのいしむろ)というのがあります。これは加古川新水の百景の129番に載せられています。ここをのぞいてからいくことにします。
志染の石室へは、三木東ICの方に戻り、川を渡る前に右折して川沿いの道にはいり、少し進んだ所で山の方に入る道を進んだ所に駐車場があります。
駐車場に車を入れて、石室の方に向かいます。駐車場の角にはお地蔵さんがいます。その横の看板もお地蔵さんです。どういう縁があるのかは不明です。石室の入口は奧の柵に入っていったところにあります。
柵はイノシシ対策のために作られたものです。開けて入ってくださいということですから入っていきます。もちろん通った後は閉めることになっています。写真撮影のために一時的に開けています。
進んで行くと薄墨桜が植えられていると書かれていましたが、どれかわかりませんでした。さらに進んで行くと道が2つに分かれます。案内がないので迷いますが、左側の下っていく道を少しだけ進んでみると、建物が見えてきました。こちらと判断しそのまま進んで行きます。
建物の向かい側、石柵の向こう側に崖が奧に窪んだところが見えます。これが志染の石室になります。履中天皇の皇子が暗殺されたときに、その子である皇子二人がしばらくの間ここに身を潜めていたということです。
窪んだところには水がたまっています。冬(春と書かれている資料もある)になると発生した藻によって金色に光ることから窟屋の金水といわれているそうです。最近では、水質の変化で光ることはなくなったようです。
別の角度から見たものです。
壁面の岩石です。神戸層群の細レキ岩です。ここから浸みだした水がたまっているように見えます。
志染の石室に降りてくるときに2つの建物が見えました。手前側のものは石室前に作られた休憩用の東屋のようです。もう一つは何なのかよくわかりません、賽銭箱が置かれていますからお寺か神社に関係したもののようです。石室にいた二王子の関係なら神社になりそうですが、どちらかというとお寺っぽい感じがします。脇には石仏がたくさん並んでいます。手前側のものが新しいようです。
建物です。どちらかというとお寺関係でしょうか。
左側にも並んでいます。こちらは一列です。
窟屋前の広場の奥にも、池があります。ふきんで水が湧き出していてたまっているように見えます。
さらに奥へと道が続いています。階段になっていて登っていくとさらに大きな池が見えてきました。この池は、川の流れをせき止めてできたもののようです。あがった場所は堰堤のようになっています。
この横に坂を登って行く道があり、あがると別の道に合流しました。二股に分かれていた右側の道の続きでしょう。ここを引き返すと車のところまで戻れそうです。この道を通って戻ることにします。
途中、木々の隙間から窟屋前の広場が見えていました。とするとこの先はオーバーハングした崖ということになります。落ちたら大変です。近寄らないことにします。
そのまま進んで行くと、道一面にヌスビトハギが生い茂っています。種がくっつかれたら取り除くのに苦労します。元来た道から戻る方がよさそうです。ほんのちょっとのことですが、大きく迂回することになります。
戻りながら崖を上から見ていると大きな溝が見えました。ここから崩れ落ちていないといいのですが..。
気になっていた「御坂サイホン」を見いくことにします。加古川水の新百景には「御坂神社の前を流れる志染川の清流にかかる眼鏡橋の別名です」と書かれています。サイフォンの近くには車を駐められそうな所は御坂神社前以外にありませんから、車はこのまま置いておいて、自転車で行くことにします。川沿いの道に出てそのまま進んで行った先、川を渡るところにあります。
途中に農産物無人販売所がありました。買おうと思ったのですが、財布を置いてきているのと、持ち歩いてまわるのは不便ということで出直すことにしました。
適当に自転車を走らせていると、左側に御坂サイフォンが見えてきました。
この道の反対側を見ると、山の斜面を降りてくる鉄管が見えました。これは防災公園野球場の横で上から眺めていた鉄管を下から見ていることになります。
鉄管の先はこの道路の下を通って、御坂サイフォンに続くことになります。めがね橋というのは鉄管を乗せるために作った橋の形から来ています。
鉄管のさらに先は対岸の山の斜面を登っていくことになりそうです。その形はサイフォンの原理のU字管そのものです。御坂サイフォンというのはまさにサイフォンの原理のことをいっていたようです。同じようなもので有名なのは熊本県の通潤橋でしょう。こちらは石と漆喰だけで作られているので大きな水圧がかかるため落差はそれほど取れなくて、そのぶん橋桁が高くなっています。
御坂サイフォンは、淡河川疎水の一部といえます。6kmほど淡河川上流から淡河川右岸に沿って引いてきた水を、ここで川越えをさせるために作られたものです。左岸側は深い谷がたくさんありますからこちらの方が苦労しそうです。淡山疎水というのは淡河川疎水の地元での呼び方だそうです。
めがね橋を渡ります。橋の上から上流側です。淵になっていますが、ここから川は分岐し左が淡河川、右が志染川になります。山田川というのがあるようですが志染川のことのように見えます。両岸が切り立った崖になっていますからこちらからは橋をみにくそうです。
下流側です。水は勢いよく流れています。
橋を渡りきって振り返って見たところです。看板の先が鉄管の通っているめがね橋で、その横に通行できる新しい橋が作られています。左側が上流側になります。
どちらかというと古い橋の方を見たいので渡って右側から川に近づけるところを探します。広場のようなところがあったのですが、ここからは完全に逆光になっています。太陽光が入ってこないところを探すと、間に木が入ってくるこの場所しかありません。
手とフードでかくそうとしたのですが、ちょっと無理がありました。
御坂サイフォンの反対側が気になります。といっても御坂サイフォンは橋の部分だけを指していっているような気もします。とりあえず今いるところから反対側を見てみます。先には鳥居があって少し大きな神社があるようです。めがね橋からは通りが1本ずれていますから、サイフォンはこの左側を通っていることになります。
神社は、御坂神社といいます。いってみました。
鳥居をくぐって正面に舞台のようなものがあり、神殿はそれにさえぎられて見えません。こちらは裏口のように見えますが、他に鳥居のある入口はありませんから、正面口なのでしょう。
拝殿です。屋根に千鳥破風がつけられています。前に単純な形をした四脚門があります。
狛犬です。こちらは阿形です。文化4○○年と彫られています。○○は丁卯のように読めます。
拝殿左側にある木です、葉の形からイチイとみていました。樹型や樹皮はクスノキです。ご神木はクスノキですから、クスノキなのでしょう。奧にあるイチイの木の枝がかぶっていたようです。
右側にも大木があります。こちらはまちがいなくイチョウでしょう。
入口からの道をふさいでいる建物です。舞台なのか土俵なのか。高さからすると舞台なのでしょう。
御坂サイフォンの反対側を見ていません。それと、橋の上から下流側に潜水橋が見えていました。潜水橋からはめがね橋が見えるかも知れません。これらを確認してから帰ることにします。
まず、御坂神社の裏手に回り県道へ出ます。県道から山手をみると大きな木がなく溝のようになっている一画があります。その下の方を見ると鉄管が見えます。これが淡山疎水が山を下ってくるところにある鉄管のようです。
御坂サイフォンを右岸にわたりきった所から川沿い下流側に川原の方に下りて行く道があります。ここから潜水橋の方に行くことができます。道の途中から振り返るとめがね橋が見えます。こちら側からだと古い橋は新しい橋の向こう側になって見えません。
前方には潜水橋が見えています。中瀬橋というようです。
中瀬橋のたもとから橋のようです。
中瀬橋の上からめがね橋を見たところです。新しい方の橋はよく見えますが、古い方の橋は見えません。
橋を渡りきったところから、上流側川原のようすです。岩盤が平らに露出しています。神戸層群の地層なのでしょう。この付近には甌穴はできていないようです。
橋を渡りきったところから橋をみたようすです。橋はもっと広いものを作ろうとしたのでしょうか。取り付け部分は広くなっています。この付近の川原は広いのですが、両岸は切り立った崖になっています。
坂をあがって、車まで戻りました。車での帰りはしっかり無人販売所の前を通って買い物をしています。その後すんなり帰れると思ったのですが、中国道が緊急工事とかで中国豊中ICの近くで1車線規制になっていたので高速道路だけで2時間以上かかってしまいました。これだと地道の方が早かったかも。
秋の花を見に行きたくなりました。淡路島とか花の文化園は春にいったので、また別のところと考えていました。町中にあるものは車では混雑するし、電車でというにはまだ抵抗があります。そこで思い出したのが、兵庫県加西市にあるフラワーセンターです。ここなら、中国道を車で走って加西までいけばすぐです。
最近ツアーで戦争遺跡の鶉野飛行場跡をめぐるというのを見たことがあります。これがある場所もすぐ近くです。他に、ウェブで地図を見ていると、コスモス畑もあるようです。ちょっと離れていますが、フルーツフラワーパークというのもいいでしょう。とりあえず、飛行場跡とコスモス畑とのセットで考えます。
問題が一つあって、工事のために中国道はしばらくの間通行止めになっています。遠回りになりますが、新名神経由でいくことにします。旅行日は10月14日としました。
14日は加西ICで中国道を降りて南下していきます。途中に農協の直売所があったので寄っていきました。前に設置された小屋でおにぎりが販売されていたので、買って行ってセンターで食べることにしました。ここのおにぎり屋は人気があるのか長い列ができていました。
ここからはフラワーセンターまではすぐです。駐車場に車を入れて入園料を支払って中に入ります。ここでGPSロガーを車に置き忘れたことに気がつきました。園内は梨で回ることにします。入場ゲートをくぐって振り返って見たゲートです。右側では花苗が売られています。帰りに見ることにします。
ここからの通路の両脇はダリアの花が咲いています。
左奥には、風車があってその前が花壇になっているようです。
道脇のダリアを見ながら進んで行きます。
これは黄色いダリアです。
カンナの花も見えます。
ダリアの花です。いろいろな色のものがあります。
ゲートからの道をまっすぐ進んで行くと正面に温室と付属する建物が見えてきます。その手前側にも中央花壇といって花や木が植えられている一画があります。ここへは今のところ深く入らずに、帰りに通る時に見直すことにします。
通路から見える花です。大きな花はダリアです。
生垣のようなところがつき出すように穂を延ばしている花がありました。解説がないのでとりあえず写真だけ写しました。後日調べたところでは、アメシストセージ(サルビア レウカンサ)と判明しました。
中央花壇のところにある、紅葉しかかったこんもりとした木です。葉の形が楕円形ですから、ケヤキだったのかな。樹型が少し違うような。
中央花壇前から左に進んでいきます。公園は真ん中に亀ノ倉池という池があります。そこを右回りにまわっていくことになります。
道沿いのダリアです。キクのようにも見えます。
菊花展を開催する予定のようです。開催日は明後日からです。それにしてもまだ花の開きが少ないようです。
ちょっと開いているのでもこの程度です。展覧会に花が間に合うのでしょうか。
こちらは大輪の菊です。開き具合は似たようなものです。
いつの間にか風車前花壇を通り過ぎていました。花にばかり気をとられていたようです。ここのものは花というより、いろいろな色をした草で模様が作られています。向こう側には中央花壇や温室と付属の建物が見えています。
道沿いの木に赤い実がついていました。いろいろ考えたあげくハナミズキとしました。
ちょっと変わった形の実がついている木もあります。名札にはリキュウバイと書かれていました。
道の両脇に何かの動物の石像があります。狛犬なのかシーサーなのか。どちらでもなさそうです。何なのでしょうか。どちらにしても阿吽にはなっていないようです。
石像の前を横に入って行く道があります。大きな木の並木を横切って進んだ先にあったのが花の展示ホールです。残念ながら閉まっていました。
ホール前から見た並木です。大きなメタセコイアが並んでいます。ちょっと色づき始めているかな。青空もきれいです。
この先は出口になりますから、元の道に戻ることにします。メタセコイアの根元には大きなアセビの木が実をつけていました。
狛犬なのかシーサーなのか謎の石像の前まで戻ってきました。
元の道を進んでいきます。道の右側は芝生広場になっています。その先に大きな木が見えます。ユリノキです。名前の由来は学名(Liliodendron)からつけられたのでしょう。葉の形が似ているということでハンテンボクあるいは花の形が似ているからチューリップツリーという呼び方もあります。
芝生広場の隅っこに石像が並んでいます。これは人型です。モアイと石地蔵を足して2で割ったような形です。地蔵さんのよだれかけのようなものもつけています。
道の左側でコスモスも咲いていました。
ここのコスモスをよく見ると、舌状花が筒状になっています。新しい品種なのでしょうか。始めて見ました。
右側の芝生が途切れたところで、池が見えてきました。センターの真ん中にある亀ノ倉池です。
空に浮かんでいる雲が奇妙な形をしています。これは、首を倒してみるとダチョウの頭のように見えます。
中国絵画にでていていそうな雲です。孫悟空の筋斗雲のようです。きんは角へんに力が正しいようです。右下には妖怪が毒気をだしているような形の雲もあります。
芝生広場の前の道はパンフを見ると友愛の道と名前がつけられています。どこからどこまでをいうのかはっきりしませんが、中央花壇からこの先の古代鏡展示館までの間のように思えます。この道の左側では菊花展の準備をしていています。いくつかの展示場が並んでいて、すでにたくさんの菊が運び込まれています。先ほども見たように花がまだ開いていないのは残念です。
展示準備中の大輪の菊です。これでも開いている方かな。
盆石の上に菊が飾られているものも展示されています。岩付盆栽というそうです。たしかに岩がなければ盆栽ですね。
ふと思ったのですが、これを載せるのは著作権法上はどうなるのでしょうか。はっきりしないこともありますから、ここからは展示会のようすでということで載せていきます。
で、展示会のようすです。この一画のものは岩がないようです。
飾り棚もあわせてセットになっているのかな。
懸垂菊といって、岩の上に菊を植え岩に根を垂らすようにしたものもあります。
個別に写したものはいくらかあるのですが、ここでは公開できないということにします。
菊花展の会場の反対側には亀ノ倉池があります。水面を見ると水草のヒシでびっしり覆われています。ところどころで白いものがみえます。花が咲いているのかと思いよく見たのですが、葉っぱが裏返っているところが白く光って見えていただけでした。後ででてくるアヒルの羽根は混ざっていたのかも知れません。双眼鏡で見える範囲ではなかったようです。
ヒシの大写しです。花が咲いているようすは見られません。
近くに小さな小屋があって、アヒルが休んでいました。小屋の周りには毛とか糞といった白いものがいっぱい落ちています。
池に水が流れ込んでいるところがあります。ここは浅くなっていてヒシで覆われていません。水面を見ると時々波紋ができます。小さなサカナがいるようです。波立っていないときに見ると注意して見ると、何とか魚影はわかります。種類まではどうも。このあたりにいるとすると、モツゴなのかな。
この先道は2つに分かれています。左へは彫刻の道から季節利用の出口にいきます。道の真ん中にには彫像が並んでいます。両脇の並木は少し色づき始めています。木の感じからするとモミジバフウかな。この先行き止まりなのでこちらへはいっていません。
道が分かれているところの正面にあるのが古代鏡展示館です。別料金なのですが、いっしょでもいいような気がします。今日は花を見に来たのでパスです。
となりが事務所です。ロビーの飾りです。もうすぐハロウィンなのですね。
事務所前から見える亀ノ倉池です。赤い屋根の建物の向こうに温室がみえています。
事務所の横の奥まったところにレストハウスがあります。レストハウス前には四季の花壇があります。真ん中に噴水があり、それを取り囲むように何重かの花壇が設けられています。近くで目立っているのは、ここでもダリアです。奧に藤棚もみえています。
藤棚の方に向かっていきます。レストハウス前には、マユミがピンク色のみをつけていました。何の実なのか、わかるまでしばらく考えてしまいました。
花壇のダリアです。ピンク色が多い一画です。
藤棚のフジです。たくさんの実がぶら下がっています。ここのは花が終わった後に剪定していないのかな。かなり生い茂っています。
藤棚の下にベンチがあったので、ここで来るときに買ったおにぎりを食べました。食べ終わると再び歩き始めます。
ダリアといっしょに目立っていたのがサルビアです。種類が書かれていないのでよくわかりません。パープルマジェスティかなと思いますが、ウェブサイトにある花のリストには載っていません。とするとグアラニチカでいいのかな。ちょっと赤味が強い感じがします。
一緒くたにしていましたが、よく見るとちょっと違います。アンゲロニアでした。
花壇の中や周辺には彫像もいくつか置かれています。
花壇中央の噴水の近くまでやってきました。噴水の周りには絶えず人がいるので、いない隙をねらって写すのには苦労します。何とか写した写真です。噴水の右側に大きな切石の上で遊ぶこどもたちの彫像が写っています。左側の建物がレストハウスです。
噴水を取り巻く一番内側の花壇にはコスモスが植えられています。全体的に白い花が多いようです。奥の赤系統の花はダリアです。
ここのコスモスは、舌状花がフリルになっています。これも新しい品種なのかな。
コスモスの花壇です。
外側のダリアです。舌状花が裏側に丸まっていて尖っているようにみえます。花の咲き方に名前がつけられているようで、その中のカクタス咲きというものに該当しそうです。
黄色いダリアです。楕円形の舌状花が内側に丸くなっています。筒状花がなく、全体に丸く咲くのはボール咲きというようです。
ピンクの花です。ボール咲きに似ていますが、舌状花が丸まっていません。デコラティブ咲きというようです。
中央花壇から離れて、亀ノ倉池の周回を続けます。この付近の道に名前がつけられていないようです。近くにふれあい花壇というのがあるようですがどれのことかよくわかっていません。
道沿いで咲いていたキバナコスモスです。オレンジ色が濃いようです。赤い花も見られます。よく見るとだいぶ落ちてしまっていますが、種をたくさんつけています。
道脇のモミジバフウです。だいぶ紅葉しています。
道の反対側にみえる亀ノ倉池です。ヒシで覆われていますが、あまりはえていないところもあります。そこは深いところなのかな。
池岸で休んでいたアオサギです。歩いていると気がついたのか飛び去っていきました。
山側の水たまりのようなところで見かけたガマの穂です。ガマはすぐに増えてくるというのですが、ここのものはそれほど多くなっていません。
道脇にバラが植えられているところにつきました。この付近にバラ園があると書かれていますが、ここはそんなに広くないのでバラ園といえるのかどうか。時期ではないのか、花はまばらです。
山側で見かけた木です。もう落葉しています。一部にかろうじて葉が残っています。樹型からするとケヤキかな。
歩いて行くと、だんだんバラの木が増えてきました。道の両脇にバラが植えられているところにつきました。ここのバラ園では、木と木の間が広く開けられて植えられています。その分、花がまばらに咲いている見えます。逆に近くまで寄ってみることができます。全体的に広い範囲で植えられています。この付近のバラ園の山側は梅園になっているようです。
比較的密に咲いているところのものです。
黄色いバラの花です。1本の木の大きさは剪定されるのでそれほど大きくありません。
別のバラの花です。
イナゴがやってきていました。でもこれまで、あまり虫を見かけていませんでした。ムシに食われた葉っぱもあまり見ていないような..。
バラに実がついていました。そういえば、他のバラ園では実がついているのを見たことがないような気がします。これは、春に咲いたものでしょうか、それとも2〜3ヶ月ほど前に咲いたものなのでしょうか。最近のなら、花の時期は終わりということになりそうです。花がまばらなのも納得です。
白いバラの花です。
バラ園ではいくつかの区画に分かれてバラが植えられています。バラ園を通る道をだいぶ進んだ所の山手側に、バラが比較的密に植わっている一画があります。他の場所に比べてたくさんの花が咲いているようです。ここのものは1本あたりの花の数にしてもたくさん咲いています。それでもいろいろなところのバラ園に比べては、木自体がまばらに植えられているので、一斉に咲いているというようには見えません。
ここのバラを載せていきます。赤いひとえのバラです。
奧のフェンスにはっていたバラです。
白いバラです。これだとまだつぼみになるのかな。
赤いバラです。逆光気味にして花の裏側から写してみました。
実がたくさんついているところもありました。花が終わってから刈り込んでいないのかな。
池に沿って細長くなっている一画のバラです。こちらは、バラとバラの快だが広く虎低ます。オレンジ色のバラです。
藤色といっていいのかな。終わって枯れた花もたくさんついています。
ピンクで中心部が白色のバラです。たくさんの花がついていました。
右側に亀ノ倉池がみえています。池の表面は相変わらずヒシで覆われていますが、さすがに真ん中付近は、深いせいか生えていないようです。池の対岸は入場口付近になります。花の展示ホールの横にあったメタセコイアが10本並んでいるのがみえています。
池岸の石の上で亀が甲羅干しをしていました。アカミミガメですね。こちらに気がついたのか、泳いで岸から離れていきました。
道の山側にはハギの花が咲いていました。
まだバラ園は続いています。このバラはピンクや白が混じっています。花が開いていくに従って赤から白へと色が変わるタイプなのでしょう。
道は、池のえん堤の上に続いています。こちら側をせき止めてつくった溜池のようです。えん堤の下にも別の溜池があります。ここの水面もヒシでびっしり覆われています。
えん堤の上でも萩の花を見ました。何となく花穗が短いのが気になります。ハギなのか不安になってきました。
ツリガネニンジンの花も見かけました。高山植物と思っていました。九周までの山野に生えているそうです。
再び萩の花です。花が咲いていくに従って、花穗が伸びているように見えます。短くてもハギだったようです。
道は林の中に入っていきます。えん堤の上を歩いている頃から、にぎやかな鳥の声が聞こえていました。カモかそのたぐいの鳥だと思っていたのですが、声は上の方から聞こえるようです。カモは木の上には上りません。地面には鳥の糞がたくさん落ちていて、白くなっています。木の上に鳥がいるのは間違いないようです。見上げて探してみるとカワウがいるのを見つけまして。声の主はこれだったようです。
ちょっと開けたところから上を見たら、カワウがたくさんとまっていました。これだけいればうるさかったのもうなずけます。糞で葉っぱが落ちてしまっているようににも見えます。
地面で咲いていた白い花です。帰ってから調べた結果では、ハキダメギクと判定しました。大正時代に北アメリカからやってきたそうです。
林の中のサルトリイバラに、赤い実がついていました。
ここで見たハギです。豆の形をした実が大きくなりはじめています。全体的には、ハギの花も終わりだったのでしょうか。
正面に温室が見えてきました。手前側の木はクロマツかな。
右側には池辺のテラスがあります。池を見ながらくつろげるようになっています。対岸左側は四季の花壇、右側がボタン園とかふれあい花壇となっている一画です。
温室のような建物に入っていきます。入った先のロビーのような所に花が置かれていました。いっしょに置かれている説明板を見ると、ここにあるのは、ダイヤモンドリリーと原種シクラメンだそうです。パンフレットには「ダイヤモンドリリーと原種シクラメン展」をしていると書かれていますが、これだけの展示では何とか展といにはちょっと貧弱です。パンフに書かれている鉢の総数は170となっています。ここのことではないのでしょうか。といっても他では、これらの花は見かけていません。
原種シクラメンです。70鉢あるはずなのですが。
ダイヤモンドリリーです。ヒガンバナの仲間だそうです。横には切り花が、たくさんの水差しに入れられていました。
この後ろの階段の上で咲いていたのが、ブーゲンビレアです。
この一画はこれでおしまい。どこからも先に進めそうなところはありません。続きの行き方がぴんときません。迷ったあげく奧にある喫茶室の入口の横にある通路を通りぬけたところ次の温室に入ることができました。
ここで、目立っていたのはベゴニアです。普通に見かけるベゴニアとは違う品種がたくさんあります。
オレンジ色の花をつけたベゴニア(と思っています)です。
壁沿いに設けられた木の柵にたくさんの鉢が下がっていて、それぞれにベゴニアの花が咲いています。
別のところの花です。
ベゴニアのあった温室では、「ストレプトカーパス展」というのをやっていました。始めて聞く植物名です。最近は学名に呼ぶものが増えてきたので余計に混乱します。後にわかったのは、イワタバコ科の植物だということです。セントポーリアもイワタバコ科です。そういえば、花は何となく似ているような気がしてきました。それにしても、これだけいろいろな品種があるとパニックになります。
品種のうちのいくつかを紹介します。ピンク色の花です。
青い花です。後の名札にはスカイブルーと書かれています。
ベゴニア・ストレプトカープスのあった温室から次の温室に移動します。シンガポールガーデンと書かれていたようです。暖かいところで見る植物がたくさん見かけます。
入口横にあったアンスリウムです。カラーと思っていました。
ガーデン風景、かな..。わかるのはパパイアぐらいです。それと後にわかったアンスリウムです。
黄色いランです。アンスリウムと同じで、他の花を調べているときに、オンシジウムという花にたどり着きました。よく似ているのでたぶんこれで間違いないでしょう。
シンガポールガーデンの庭園風になっている所の裏側をぐるっと一周できる道があります。そこにもいろいろな植物が植わっています。順番に見ていくことにします。ここも、シンガポールと関係があるのかな..。何も書かれていないのでよくわかりませんが、関係していると思っています。
いくつか解説板のある木があります。これはソーセージノキと書かれていました。実がソーセージに似ているのが名前の由来とか..。そういわれればそうなのかなというレベルです。エチオピア原産みたいです。
名前が不明の花です。熱帯植物は調べるとっかかりもわかりません。オンシジウムとかアンスリウムとかわかったのがふしぎです。
解説板によるとパラミツです。世界で一番大きな実をつける植物だそうです。食べられるのかな。
ランの新芽と思って撮影していました。たまたまウェブサイトでグズマニアというのを目にしてこれかなと思い始めています。パイナップルの仲間だそうです。
解説がない方が多いので、よくわからない植物がたくさんあります。これはジャスミンかなと思っています。
シンガポールガーデンの庭園風に飾られているところを一周したところに、ラン室・食虫植物室はこちらと書かれています。ランを目当てに来る人が多いのかな。パンフを見ると食虫植物には力を入れているみたいです。
こちら側の温室の展示はまだ続きがあります。といっても出口近くの台の上に鉢が飾られているだけです。これはアキメネスです。説明はそれだけです。これもイワタバコ科の植物だったようです。
名札がないのでよくわかりませんが、ストレプトカーパスなのかな。
これも何か不明です。ここにはイワタバコ科の花がたくさんあったので調べてみたのですが、該当する物を見つけられませんでした。
次の温室に移動します。ラン室とか書かれていますが、食虫植物がいっしょに並んでいます。ウツボカズラがたくさんあります。
こちらはランです。ランの写真はあまり写していません。
ウツボカズラです。捕虫葉というのかな、たくさんあります。ここのは蓋付きです。
これもウツボカズラ。トックリの形が少しずつ違うようです。これは口が広くラッパ型になっています。
ランなのかな。シダのような葉っぱもたくさんあります。
温室を出たところにサラセニアがありました。これも筒型になった葉で虫を捕らえる食虫植物です。温帯性なので外で育てているそうです。
温室はここまでのようです。
温室をでるとて正面に道があります。左側にも温室などがみえています。植物を育てている場所で中を見学することはできませんでした。ずっと向こうのほうまで育成温室が続いているようです。
温室を出てからは右に行くしかないようです。この付近で写した花壇というか庭園風植え込みです。場所が不明です。羊の置物とかがあって工夫されています。
温室の横を通って四季の花壇に抜けます。温室からきて花壇への入口付近から見た花壇です。黄色いのはマリーゴールドかな。
四季の花壇です。模様に沿って植え込みのある芝生広場のようです。ところどころに背の高い花が植えられているところがあります。
芝生の間で列を作って植えられているサルビアです。種類まではわかりません。ウェブにあると書かれているのはグアラニチカ・ファリナセア・レウカンサ・エレガンスです。この中で白い花を咲かせるものを見つけられませんでした。
花壇風になっている所です。手前の赤い花はヒャクニチソウ(ジニア)、背の高いのはカンナでしょう。紫の葉っぱはたくさんあったのですが不明です。
ヒャクニチソウが地面の起伏にあわせて、波にみえるように植えられていました。
道脇に停められていたトラックの荷台です。痛んだダリアの花が摘花されて積み上げられていました。
出口近くで咲いていたヒャクニチソウです。
一通りまわって入口に戻っています。ガーデンショップで大きなベゴニアを見たので買ってかえることにしました。販売員さんに、普通のベゴニアと同じ育て方でいいのかと聞いたところ、相談センターがあるのでそちらで聞いて欲しいとのことでした。販売知識としてはそれくらいは知っていて欲しいなとは思います。
外に出て振り返って見たセンター入口です。左側がガーデンショップになっています。
フラワーセンターの次は、鶉野飛行場跡に向かうことにします。戦時中に飛行機の訓練所があったところです。最近になって耳にするようになりました。場所はフラワーセンターのほぼ南隣になります。道路に出て、引き返すように進んですぐの所にある左へ向かう道に入っていきます。1kmほど進んだ所で、左側に飛行機が置かれているのが見えてきます。先に路肩が広くなっている所がありますから、ここに車を駐めます。
道路から少し入ったところから見た飛行機です。後ろ側が少し高くなっています。土盛りの間に飛行機を草木でかくして、空襲から避けられるようにした施設で、掩体壕といいます。置かれている飛行機は、海上自衛隊のSNJ−5練習機になります。
掩体壕の土手にあがってみた掩体壕内部のようすです。
斜め前から見た掩体壕と飛行機です。
ここから右後方に行ったところに、対空機銃が置かれていた場所があります。藪の中でしたが、コンクリートでできた地下室入り口の様な施設跡がありました。
藪の上にあがってみたところです。丸く大きな窪みがあります。解説には、映画撮影で使われた実物大の模型が置かれていると書かれていますが、それらしき物は見当たりません。落ちたらあがってこれそうにありません。危険なのでこれ以上は近づかないようにします。いちおう立入禁止になっています。看板の横から写しています。
この場所から見た掩体壕跡と飛行機です。
飛行場跡に向かいます。といっても、掩体壕は飛行機の避難場所ですからもうすでに飛行場の中に入っているといえそうです。掩体壕の前の道をさらに500m程進んでいくと滑走路跡を横切ります。ここに資料館がありますが、開館日は限定されていて、今日は見ることができません。
滑走路跡に沿って左に曲がり少し進んだ所にsora加西があります。駐車場入口は資料館と反対側になります。sora加西は地域活性化拠点施設としてつくられたようですが、飛行場跡を地域興しの目玉としているとみれば、この名目は何とかうなずけます。できたてのほやほやです。
建物の入口は、駐車場と反対側にあります。帰りに、見学に来ていた人が車から降りてやっているのかと聞いてきました。たしかに表に回って閉館中となったらショックが大きそうです。
表に回って建物の中に入るとみえてくるのが、航空機の模型です。
中に入ります。ここにある航空機は第二次世界大戦中にここで試験飛行していた紫電改(下)と九七式艦上攻撃機(上)の実物大模型です。
こちらは紫電改の操縦席の模型です。
計器類も実際の配置に復元されています。中に入って座ってみるということはできません。
九七式艦上攻撃機を真下から見上げたところです。パイロット養成に使われ、特攻機としても使われたようです。
階段を上がって真横から見ることができます。
ここから下を見下ろしたところです。紫電改がみえます。写真のある所より奧は、鶉野飛行場関係の資料が展示さされています。中は撮影禁止なので写真は残っていません。
2つの模型をいっしょに見たところです。
ほかにカフェやショップも併設されています。
sora加西の横から滑走路跡方向を見たようすです。道路の左側が滑走路になり1km以上にわたって真っ直ぐ延びています。反対側は、このすぐ後で終わっています。sora加西と駐車場は滑走路の端っこに作られているようです。滑走路跡の上なのかずらして建てられているのかは不明です。左側の建物がsora加西、その向こうの少し小さい建物は備蓄倉庫だそうです。
sora加西と備蓄倉庫との間の道路側に、鶉野平和祈念の碑苑があります。戦争のない平和が永遠に続くことを願って25年ほど前に作られたものだそうです。
備蓄倉庫の前に置かれているのが、転圧ローラーです。みかげ石製だそうです。これを引いて滑走路の整備をしていたそうです。
備蓄倉庫の前(裏側になるのかな)からみた滑走路跡です。ここをあのローラーを引いて整地するのは大変そうです。
次に向かうことにします。滑走路跡の他にも防空壕の跡とかの施設が残されています。sora加西で戦争遺跡めぐりガイドマップが入手できましたからこれに従って進んで行きます。ガイドマップはどちらかというと反対がわの北条鉄道法華口駅からここにやってくるコースが書かれています。
最初は、滑走路跡に沿ってまっすぐ進みます。途中で車を道脇に寄せて写した滑走路跡(左側)と道路です。
1kmほど進んだ滑走路が終わる少し手前で滑走路跡を横断します。この場所には歩行者向けの案内はありますが車向けの案内がありません。
横断時に写した滑走路跡です。sora加西方向をみています。
滑走路跡を横断してから右に入る道を進みます。飛行場跡を歩いてまわる人向けに歩道が明るいオレンジ色で塗られています。これを目印に進んで行きます。
林の横を通っているときに、右側に解説板が見えてきました。車がやってこないことをいいことに、そこに車を置いてのぞいてみました。
地下防空壕(コンクリート)と書かれています。柵があって、その中に降りていくコンクリートでできた入口がありました。中に降りたところで、まがっていくようです。
左側に巨大防空壕跡が見えてきます。道が曲がるところで少し広くなっていましたから、ここに車を駐めて見にいきました。無理にしなくても少し先に楽に駐められる駐車場がありました。
道路から見た巨大防空壕跡です。小山のようになっています。土盛りをしてカモフラージュしていたそうです。
ここは発電設備があったそうです。中が見られるようなことが書かれていましたが、2つある入口は両方とも閉まっていました。道路から見えていた側の入口です。
車に戻り、少し進んだ所にあった駐車場に車を駐めます。ここから駅の方ではなく、脇道に入っていきます。対空機銃座跡があると書かれています。
道は2つの池の間を通ります。右側の池は中池というようです。表面は浮き草のような植物でびっしり覆われています。
左側は北田池です。浮き草はなくカモが泳いでいました。あまり派手な色はしていません。コガモだったのかな。
対空機銃座跡です。パンフの写真にはなかったのですが、機銃の模型が置かれていました。掩体壕の所であると書かれていた機銃をこちらに移したのでしょうか。
機銃座への入口です。下から背丈くらいの高さの銃座にあがっていく構造になっています。
銃座へ降りていく階段です。
車に戻りさらに進んで行きます。200m程進んだ所にもトイレ付きの駐車場があります。
駐車場の端っこに1m位の大きさのコンクリートでできたかたまりが置かれています。横にある解説によると、ここを整備していたときにでてきたもので、もともとはここにあった姫路海軍航空隊の門柱の基礎部分のコンクリートだったそうです。
道路の反対側に復元されている門柱です。向こう側が入口で、姫路海軍航空隊の標札が取り付けられているようです。確認するのを忘れていました。
門柱と対をなすように設置されているのが衛兵詰所です。これも復元した物でしょう。
衛兵詰所の横に防空壕の入口があります。
この土手の先にはもう一つ防空壕の入口が見えます。
ここの防空壕の内部です。少しはいったところで左に曲がっています。爆風を避ける工夫だそうです。まがった先で、もう一つの防空壕入口からの通路と合流するようになっています。片方が爆撃で使えなくなったときの対策だそうです。
衛兵詰所前から見た防空壕入口です。奧のものは道脇に木が迫っているところのすぐ手前にあります。
この先に、防空壕(手堀)跡と弾薬庫跡があります。車を駐める所がありませんから見学はこれで終了です。ここに車を置いたまま見に行くのが正しかったのかも。
飛行場跡の施設は、公開されているものの管理の都合があるのか、鍵がかかっているところがたくさんあります。くわしくみてまわるのなら、観光協会とかでガイドを依頼するとか、なにかのイベント時に参加する、パッケージツアーに参加するといった方がいいようです。この飛行場について知ったのも、パッケージツアーからです。
まだ少し時間はあります。もう一ヵ所、志方のコスモス畑によってから帰ることにします。山陽道加古川北ICに向かって走り、ICを過ぎた所にあります。付近にコスモス畑は何ヶ所かありますが、ICから真っ直ぐ行くと最初にある所(高畑というのかな)にしました。
駐車場は、少し広めの田んぼの間にある農道です。広いといっても、車がやっとすれ違えるくらいの幅しかありません。道の真ん中に白線が引かれていて、その右側に車を駐めるようになっています。
農道に入ろうとしたのですが、入口近くに斜めに駐めている車がありました。ぎりぎり通れるかなというくらいの幅が空いています。横をチェックしているときに運転手が戻ってきました。状況を見てもう少し寄せてくれるかなと思ったのですが、運転席でスマホをいじりだしました。道をふさいでいるのには頓着していません。これは道を空けてくれるのは無理とあきらめ、ゆっくり進んで行って最初に空いていた場所に縦列駐車で駐めました。駐めてから入口付近を見ると入ってくる車の列ができていました。もう少し遅ければ、右折入場はできなかったところです。
車を降りたところからの、コスモス畑右半分です。道路の左側にも同じくらいの広さでコスモスが咲いています。
コスモス畑についたところから右前方のコスモス畑です。満開といっていいくらい咲いています。
道の反対側のコスモス畑です。こちらもいっぱい咲いています。
コスモス畑の縁に沿って右側に進んで行きます。近くで見たコスモスです。
コスモス畑です。
コスモスの写真を続けます。
角まで来ました。ここから先は、枝豆畑になっています。葉っぱがムシに食われて穴ぼこだらけです。
1つ疑問があります。コスモス畑は、他に農作物を作っているのでしょうか。育つ時期は、完全に稲作と一致しています。ということは、コスモスを植えると田んぼは作れないことになります。休耕田を利用しているということですが、この付近ではほとんどが休耕田ということでしょうか。重ならないとするなら春小麦というのがあります。これでも夏の間は米を作っているところが多いようです。
コスモス畑の巡回を続けます。縁に沿って道路と並行に進んでいます。左側コスモス畑の真ん中に、主催者が待機しているテントがあります。何かの特産品の販売とかがあるのでしょうか。
そのまま進むと水路の行き当たりました。この先にもコスモスはありますが、コスモスの少ないところもあります。ここからは水路を横切ることはできないので向こう側に行くことはできません。
水路に沿って真ん中の方に進みます。ススキがあったのでコスモス畑を背景に写してみました。
地面の上にトノサマバッタがいました。イナゴと勘違いしていました。
主催者テントの所まで来ました。小学生が作ったかかしが並べてありました。
ヒマワリの花が咲いているところもあります。
テントでは特産品というのはでていませんでした。コスモスを切り取って持ち帰れるようになっています。手ごろな価格で一抱えほど持って帰ることができます。はさみは代金と引き替えに貸し出してくれます。
切り取ってよいコスモスは、真ん中の道路から見て今まで歩いてきたのと反対側のコスモス畑です。こちら側になります。ところどころに人が通った道ができています。
ここも切ってよいところのコスモス畑です。こちらはあまり人が入っていません。
中に入って、コスモス畑を見わたしてみました。
花を切るといっても、いくつかに枝分かれしていますし、花の横にはつぼみが一杯あります。茎の真ん中くらいから切り取ることになります。それでも、ここのコスモスは背丈が高いので、切り花の長さは1m近くになります。
中に入ったついでに、アップでも写しています。花は、ピンク、濃い赤、白の三色があります。
ピンクがたくさんあるところです。
青空を背景に写してみました。
アップです。
ここでもトノサマバッタを見ました。頭から背中にかけて茶色い色をした個体です。背中に後ろに向けてとんがりがあるのが特徴です。
白花のアップです。
コスモス畑のようすです。
今日はここまでにして帰ることにします。車はターンできませんから、そのまままっすぐ進みます。でようとしたときに3台ほど車が入ってきました。通り過ぎるまで待ちましたが、先に出させてもらったら、一台は駐めていた場所に入れたことになります。こちらも、全ての車が駐車するまで待たなくてよかったので、どちらにもメリットがあります。どの運転手もそこまで考える余裕はないような気がします。
加古川北ICから山陽道に入ります。いったん、三木SAで休憩してから、東に向けて帰ります。夕陽が後ろからさして、バックミラーがまぶしく後方確認できないのは困りました。新名神経由で帰りましたが、中国道工事通行止めの影響なのか渋滞しているとなっていました。そのわりには早く帰ることができました。それでも大阪に着いた頃には夕焼け色が終わりかけていました。
昨年に引き続いて、藤原京のコスモスを見に行きました。車は大極殿に一番近い所に駐め、前回と逆の右回りで周りました。最初にキバナコスモスの所に行きました。チョウとかといっしょに写していたのですが、全て露出オーバーです。気がついたときには、キバナコスモスの所は通りぬけていました。
その南側の写真から始めます。コスモスの背景に畝傍山とその向こうに葛城山が写っています。
コスモスがたくさんさいているようすです。
加西のフラワーセンターで、舌状花が筒状になっている花が咲いていました。ここでも筒状の舌状花のを見かけました。去年はなかったようです。
地面近くでよく見かけた花です。ノゲイトウのようですが、先端部が尖っていなくて切り取られたようになっています。ノゲイトウでないのかな。センニチコウのようにも見えますが、穂の大きさ形はだいぶ違います。
このコスモスは、舌状花の縁の色が濃くなっています。これも去年は見かけなったようです。
たくさんさいているようすです。普通のコスモスと、縁の色が濃いコスモスが混ざっています。
ミツバチも来ていましたが、今年は少なめなようです。
今年は、新しい品種をたくさん見かけます。中心付近の色が濃いタイプです。舌状花の切り込みもかなり深いようです。このタイプの花も去年は見かけていないようです。全体的は背丈は、加古川市志方に比べては低いようです。というより志方が高かったのかな?
舌状花が筒状になりかけているのか、フリル状になっているのか、これも新しい品種のように見えます。
いろいろな品種のコスモスが混ざっているようすです。
背景を二上山にして写してみました。
小さなコスモスの花です。これも新しい品種なのでしょうか。それとも単に栄養不足だったのでしょうか。
下草の花です。穂先が尖っている物があるところを見るとノゲイトウなのかな。穂の先っぽだけが落ちてしまったのから納得がいきます。普通は先の方が最後に咲きますから、先の方から落ちるということはなさそうです。
下草として見た黄色い花です。チョウジタデに似ています。花弁が丸いこと、花落下後の萼が大きいのでヒレタゴボウ(アメリカミズキンバイ)のようにも見えます。としたら、アメリカ原産の帰化植物になります。
藤原京コスモス畑の周回を続けます。真ん中近くまで来ています。コスモスの花を通して東側の風景です。白い花のすぐ右側にある山が三輪山です。御神体として知られている山になります。尾根沿いに巻向山があり、遠くに重なるように貝ヶ平山が見えます。
下草のノゲイトウ?に混じって、キバナコスモスが見えます。
ノゲイトウ?にやってきていたヤマトシジミ?です。このチョウは比較的たくさんやってきていました。飛び回ったり羽を閉じたままとまることが多いので、わかるように写すのは大変です。
コスモス畑の真ん中にあるススキ(パンパスグラス?)の群落です。背景の山は、畝傍山と葛城山です。
ススキ(パンパスグラス?)の拡大です。この付近のコスモスもいろいろな品種が混じっています。
縁の色がわずかに濃いタイプのコスモスです。逆光気味に写しています。
この花の形も始めて見るようです。舌状花に縦に筋が入っています。去年に比べて品種の数が増えているようです。
インスタ用なのか、それなりの装飾品の準備をしてきて花といっしょに写してもらったり、犬と花がいっしょに写してみたりとか、凝った写真を撮ろうとしているグループをいくつか見かけました。これも今のはやりなのかな。こちらは純粋に花の写真を撮っていくことにします。コスモスのアップです。
花の少ない一画がありました。丸い物が見えるので、これから咲くのかなと思ってよく見たら、つぼみではなく大きくなりはじめた実でした。ここの花はもうおしまいのようです。
実のついたコスモスが多い一角です。
コスモスが咲いているところはだいたい見終わりました。車の方に戻ることにします。道沿いにあるネムノキに実がついています。
ヤマトシジミがミゾソバの花にとまっています。薄紫色の羽が見えています。エノコログサの穂が逆光を受けて光っています。
道沿いで見たキンモクセイの花です。花がまばらなように見えます。もうおしまいなのかな。わずかに臭っていました。
モンキチョウもいました。最初にチョウの写真をミスして写し損ねているのもあって、ことあるごとに写しています。花は何なのか不明です。センダングサに似ているようにも見えます。
駐車場に戻って次に向かうことにします。
まだ少し時間があるようなので、もう一つ寄っていくことにしました。おふさ観音といって、バラを中心に花が見られ、花曼荼羅の寺と知られているそうです。藤原京で車を駐めたところから、西に車を走らせて大きな通りを越えたところに駐車場があります。
おふさ観音の駐車場からは徒歩になります。途中に柵で囲まれた家が見えました。集会所といったところでしょうか。前に地蔵堂のような建物があります。
鳥のさえずりが聞こえるのでみるとイソヒヨドリがいました。磯というわりにはこんなに海から離れたところまで来るのですね。
おふさ観音にに到着しました。山門です。薬医門のようです。
山門をくぐったところからみた本堂です。手前に棚のような物があって赤い提灯がたくさんつり下げられています。
本堂です。向拝が入母屋風で真ん中が唐破風になっています。本堂と向拝の懸魚の形がちがっています。
提灯が下げられている棚にアサガオが絡まっていて花を咲かせています。昼はだいぶ過ぎています。こんなに遅くまで咲いているものなのでしょうか。
棚の横で咲いているバラです。
この白い花も一重咲きのバラです。
おふさ観音の本堂裏手に円空庭という庭園があります。本堂の横手をまわって見にいくことにしました。横手にはいくつかのお堂が並んでいます。その中の恵比須尊社です。大和七福八宝めぐりのエビス様になっています。
本堂横手の通路です。ビニールハウスの骨組みのような物が続いていて、ここでも提灯が下がっています。地面近くで咲いているのはアメシストセージかな。まだサルビア類はよくわかっていません。
通路を抜けたところにたくさんの水槽が並べてあって、そこに種類ごとにメダカがたくさん泳いでいます。これはヒメダカです。
体の青いメダカもいました。
本堂の裏手に回った先にも、甕が置いてあってその中にたくさんのメダカが泳いでいます。ここでいろいろな種類のメダカを繁殖させているようです。
近くにあったカエデです。少し色づき始めたところです。紅葉はまだまだです。空の青がきれいです。
横手に池があります。ここのものは亀ノ池です。亀が甲羅干しをしていました。これもミシシッピアカミミガメです。
本堂の裏にあるという円空庭は、亀ノ池にあるとしたら小さいようです。池の横に狭い道が続いています。そこを進んで行くと建物に囲まれた大きな池がもう一つ見えてきました。亀ノ池からこの池の周りが円空庭のようです。ここの庭園でザクロが実っていました。
円空庭鯉の池とその向こうが茶房おふさです。
銘の彫られた石と五輪塔です。銘は残念ながら読めません。下二つは止所かな。
庭園から引き返して、本堂です。こちらが裏手になりますが、参拝できるようになっています。本尊は十一面観音ですが、こちらからは千手観音が拝めるようです。
本堂横のアーチと提灯です。アーチにはつるバラが絡みついています。花はついていないようです。
本堂横手から本堂前に抜けたところがバラ園になっています。時期が悪かったのか花はまばらです。
何とか咲いていたバラです。
このバラは枝が垂れ下がって地面を這うようになっている所に花をつけています。
バラの花が少ないのもありますが、全体的に伸びすぎた枝もたくさん見かけます。これは鐘楼前のバラです。背丈より高く伸びています。
鐘楼前から本堂方向のバラ園です。バラは大きな鉢に植えられ、鉢がたくさん並んでいます。花のつきが悪いのは、鉢のせいなのかな。
比較的きれいに咲いているバラです。
鐘楼前のバラです。花がついていますが、見上げるくらい高いところにあります。
山門脇の朝顔です。ここのものも時刻のわりにはよく咲いています。葉が3列していませんから、普通の朝顔と違うのかな。
山門をでたところに大きなフヨウの木があって、花をつけていました。フヨウの木はそれほど大きくならない事から見ると、フヨウではないのかな。スイフヨウというのもあります。花の色が白からピンクに変わるそうです。どちらにしても八重咲きの品種です。
横にあったバラに実がついていました。
だいたいいい時刻になったので帰ることにしました。門前にあった店のさなぶり餅というのが気になったのですが、ハスの実の甘納豆というのも気になりました。べとっとした感じの甘納豆でした。
紅葉のようすを見に奈良県桜井市の談山神社に行きました。桜井から国道165号線を東に進み、町をぬける前に右折します。大きな標識はありませんが、信号交差点の左手前側に談山神社6.8km→の標識があります。ここからかなり走った山の中に信号のある交差点があります。ここを右折します。どちらかというとUターン気味になります。そのまま坂を登っていくと道の両側に談山神社の駐車場がいくつか見えてきます。3つ目の第2駐車場に車を入れました。とまっている車はほとんどありませんでした。
下の第3駐車場方向のカエデです。少し色づいているかなというところでしょうか。日影だったので、背景の光が当たっているところとの明るさの差が大きく何度も撮り直しています。
さらに下側の駐車場入口のカエデです。これはきれいに紅葉しています。
第2駐車場前の斜面を登っていくと神社にたどり着きますが、その間にもう一つ第5駐車場があるのがわかったので、そちらに車を入れることにしました。入口前には屋台が出ているところに、ツアーバスからの観光客が通りがかったこともあり入口前道路は混雑していました。無料なのですが、料金ゲートがあるのは有料の時期があるということでしょうか。
駐車場から神社の方に歩いて行きます。道と神社との間に灯籠が並んでいます。
道沿いに大は灯籠が一つあります。横にある説明によると、元徳3年(1331年)の銘があり、後醍醐天皇が寄進したとされているそうです。
入口前に到着です。この先の道沿いにもきれいに紅葉した木が見られます。
入口横の手水舎です。ドウダンツツジも赤く染まっています。
入口で拝観料を支払って中に入ります。正面に鳥居が見えます。その向こうの木もきれいに紅葉しています。
談山神社の鳥居をくぐった先は石段になっています。全体の高さは20mくらいです。受付でもらったパンフには140段と書かれています。途中で踊り場のようになっているところがありま。そこで一休みしている人がたくさんいます。最初の踊り場から横に足の弱い人向けコースが横に延びています。最初からないのがふしぎです。石段を登ってから帰りは弱い人向けコースで戻ってくる事にします。
石段の両側には、紅葉した木々が見られます。
石段のようすです。途中で休んでいる人もいます。右奥の赤い建物が本殿です。
左に登る石段があったのであがっていきました。そこから空を見上げると青空と赤く紅葉した木々が見えます。
その下側です。石灯籠が並んでいます。地面には落ちた葉っぱが敷き詰められたようになっています。
右前方には大きな建物が見えます。神廟拝所になります。
この向こう側は帰りに通りますので、ターンすることにします。神廟拝所の裏手から元の石段に戻る平らな道があります。少し進んだ所からの本殿方向のようすです。
石段まで戻ったところで、振り返って見えた神廟拝所です。
神廟拝所の山側です。十三重の塔がある付近になります。石垣の上に紅葉した木が見えます。
神廟拝所から石段に戻ったところから、まっすぐに道が続いています。しめ縄の架けられた2本の木柱があります。石でできているのなら石柱門といえるのですが、これだと木柱門となるのかな。
この先には恋神社があると書かれています。木柱の所に足らくコースとも書かれています。こちらからいくことにします。パンフでは恋の道となっています。本殿まではまだ少し石段を登らないとたどり着けません。
道を進んでいった先にあるのが東殿です。別名が恋神社です。元和元年(1619年)造営の本殿を寛文8年(1668年)に移築したと書かれています。縁結びの神様が祀られているそうです。
東殿の右手前に厄割り石というのがあります。厄割り改新玉というのを本殿前の授与所で入手して、その玉に息を吹きかけて厄を移してからこの石の上に落として厄を落とすことができるようです。
東殿の右側にあるのがむすびの磐座です。この岩をなでて思うことを祈願するとかなうそうです。
東殿と磐座の間にまだ道が続いています。その先に見えるのが観音堂です。
さらに道は続いています。この先に三天稲荷神社があるようです。稲荷神社らしい鳥居が並んでいます。5分程歩かないとたどり着けないようです。ここまでで引き返すことにしました。
東殿まで引き返した正面です。恋の道は写真の枠外の左前方から登ってきています。まっすぐではなく右にあがっていけば本殿に行けるようです。緩やかな石段なので足楽コースという名の通り楽に本殿まで登ることができそうです。
談山神社東殿前の石段をあがっていったところは広場のようになっています。右側には末社なのか祠のような物があります。他に比べてこれだけが金ぴかです。建物の由来とかの説明が周辺には見当たりませんが。パンフには春日神社とだけ書かれています。
広場の正面にある朱塗りの建物が東宝庫です。校倉造で元和元年(1619年)に本殿西側にある西宝庫といっしょに作られたものだそうです。
左側に拝殿があって、あがっていくことができます。裏口のように見える殺風景なところから入っていきます。土足禁止です。入山時に土足入れの袋をもらっています。これに靴を入れてあがっていきます。
拝殿をぐるっと回るように、縁側のような廊下があります。廻縁(まわりえん)というようですが天井と壁との間に置く飾り板も廻縁というようです。階段を上がったところから拝殿内に直接入ることができますが、外側を回って反対側から拝殿内に入ることにしました。
廊下から見た、向かい側、山方向の景色です。モミジかきれいです。
廊下には釣灯籠がたくさん下がっています。背景の紅葉とセットで写したいのですが、明るさの差が大きく、きれいには写りません。
紅葉が逆光気味になっている所を使っての写真です。
反対側の角まで来たところで写したものです。明るさはよくなったのですが、紅葉が低くなってしまいました。
廊下間近に見える紅葉です。
拝殿に入って、本殿を拝みます。本殿前の横に大きな灯籠がありました。
拝殿の廊下から下を見下ろしたときに、気になるものが見えました。朱色に塗られた柵で囲まれている大きな石です。しめ縄が巻かれていますから何かいわくがありそうです。通ってきた道を引き返すことになりますがいってみます。東殿の前から拝殿を支える柱が立っている方にあります。
近くにもパンフにも説明がなかったので何なのかははっきりしませんでした。グーグルマップには龍珠の岩座と書かれています。
柱の立っている下側から、拝殿の反対側に抜けられそうです。ここを通って向こう側に行きます。
拝殿の反対側に抜けたところの紅葉です。
こちら側にいろいろな施設があります。拝殿の表側入口になるのでしょう。手水舎もあります。手水の出口は鳥でしょうか。
この奧に菴羅樹というのがあります。藤原鎌足の長男の定慧和尚が唐から持ち帰ったとされています。カリンの原種にあるそうです。
拝殿と反対側に十三重の塔が見えます。
入口のある方向の景色です。
拝殿側です。立派な楼門があります。この手前を右に行くと拝殿に入ることができます。
拝殿・楼門前から石段を降りたところに十三重塔があります。定慧和尚が父鎌足公供養のために建てたものを享禄五年に再建されたものだそうです。木造十三重塔としてはここにしかないことで知られています。真下から見上げたようです。
その奥には権殿があります。室町時代の再建で、舞や能が演じられるところだそうです。
権殿の前から見た、十三重塔です。
十三重塔の頂部にある水煙です。九輪の一部分も見えています。
権殿前から下にある広場方向の景色です。この広場は、春におこなわれる蹴鞠大会の会場になります。
さらに進んで行くと神明神社があります。手前のしめ縄のある柱があるところは藤原鎌足公墓所への登り口に当たります。右側のイチョウからの落葉で地面が黄色くなっています。
神明神社です。屋根にイチョウの葉が積もっています。
神明神社前からみえる権殿の屋根です。ここにもイチョウの葉が落ちて乗っています。
神明神社の前は少し広くなっています。その広場を囲むように、もう一つ大きな社があります。比叡神社で飛鳥にあったものが移築されたそうです。向拝の屋根が唐破風になっています。説明では軒唐破風となっています。彫刻は色あせていますが、しっかりとした彫り物になっています。左右に末社稲荷神社(左)と末社山神神社があります。
広場から一段下のようすです。建物は総社といい左側が拝殿、右側に本殿になります。
さらに向こう側の景色です。紅葉の向こうに見える屋根は西入口向いにある屋敷のものです。
モミジです。
総社のある段まで降りていきます。すぐ右側に小さな建物が見えます。屋根はこけら葺きになっていて観音開きの格子戸があります。閼伽井屋と書かれています。江戸時代に作られたものだそうです。
閼伽井屋の中の井戸です。摩尼法井と呼ばれ龍王が出現したこともあったそうです。
石段を降りた正面にある建物の右側に総社本殿があります。
ここから見上げた比叡神社の方向です。左側の屋根は閼伽井屋の屋根でその上に見える赤く塗られた建物が比叡神社です。
近くから見た総社本殿です。拝殿との間が狭いので正面からは全体が写りません。そのまえに、拝殿と本殿の間に立入ができるという構造自体始めて見る形式です。建物は寛文八年(1668年)に作られた神社本殿を寛保二年(1742年)に移築したものだそうです。八百万の神を祀る日本最古の総社だそうです。
拝殿の正面側にまわります。拝殿の向かい側には神廟拝所が見えています。この前の広場は蹴鞠の庭と呼ばれ、春秋の蹴鞠祭で蹴鞠がおこなわれます。
振り返ってみえる総社拝殿です。これだと軒唐破風といっていいでしょう。
蹴鞠の庭を通りぬけます。振り返ると神廟拝所の向こうに十三重塔が見えています。
ここからみえる、西入口方向の紅葉です。
西入口から外に出ることができますが、ここから足の弱い人コースが正面入口の方に続いています。こちらから戻っていくことにします。
道は池の横を通って行きます。池の中に四角い島があってそこに祓戸社があります。島に渡る橋が写っています。紅葉がきれいです。
もう少し進んだ所からの祓戸社です。逆光が強く思った通りに写りません。
足の弱い人コースは、神廟拝所の石垣の下を通っていきます。コース沿いにはモミジがたくさんあって紅葉がきれいです。見上げると神廟拝所が見えます。
まっすぐ進んですぐに最初に登った石段につきます。正面の杉の木は二股に分かれたように見える夫婦杉です。
ここから見下ろしてみえる正面入口付近と鳥居です。
石段を降りながら、紅葉の写真を写します。
正面入口まで戻ったところで、この後は帰るだけになりますから、トイレを済ませておくことにします。石段を降りて左側にあるかたらいの杜の方に進んだ奧にあります。かたらいの杜前から見た石段と紅葉です。
この道沿いでも紅葉がきれいです。
駐車場に戻ったところから見える山です。紅葉はまばらといったところかな。だいぶ日が傾いて山の影の伸びてきています。暗くならない内に帰ることにします。
来た方には引き返さずに、道をそのまま進んで行くと明日香に抜けます。石舞台古墳などの横を通って、国道に出たら北上し、高田バイパスを通って戻りました。この時間帯だと高田バイパスでは、太陽が正面でまぶしくて前が見づらいのが難点でした。
談山神社の紅葉は近くまで出かけたついでに見にいったので、別に本格的にもう一ヵ所見に行くことにしました。といっても、交通手段は車しか考えていません。何となく思いつくのは、湖東三山しかなかったので、必然的にここで決定です。旅行日も天気のようすを見ながら11月25日に決定しました。
高速道路で湖東をめざします。いつも通り山崎JCT付近は流れが悪くなっています。京滋バイパスは避けることにします。ここは車が多めかなという具合で抜けたのですが、こんどは京都東IC付近を先頭に渋滞が発生しいると案内が出てきました。どちらかというとこういうのは一度にだして欲しいものです。京都南IC付近から渋滞にかかりました。ここから大津までは30分ほどかかっています。その後40分ちょっとで湖東三山SICを通過です。IC近くの道の駅には寄らずに、北から順番にということで最初の西明寺に向かいます。
ICから西明寺まではすぐにつきます。周りの紅葉はきれいです。お寺の入口はすぐ目の前ですので紅葉を見ながら歩いて行きます。入口前のモミジはきれいに色づいていました。
振り返って、駐車場側のモミジです。
脇道沿いの紅葉です。こちらは色が薄めです。
入口を入って正面に門が見えます。その前の大きなモミジの木です。
見えていた門は本坊の入口にある門です。その前にあるモミジの木もきれいでした。
右側には石段が続いています。本堂に行けますが、その前に正面にある本坊の方に行ってみます。
門の前のモミジの木です。
本坊入り口の門です。思ったよりたくさんの人が来ていて、門をくぐって中に入っています。
本坊の門をくぐって中に入ります。この門は中門というようです。総門と書かれたウェブサイトもありますが、お寺全体の入口にある門のことをいうようなので、ここのものはそういう呼び方ではないでしょう。パンフには別のところに書かれています。
中門を入ってすぐの所にあるモミジです。
本坊の前にも庭園風の庭があります。パンフにはここで見られるものとしては、不断桜があると書かれています。この時期でも花を咲かせる桜です。見ると花をつけている桜は何本かありました。花はつけているのですが、葉がついていませんからどちらかというと四季桜ではないかと思われます。ミツバチもやってきていました。
中庭の木です。紅葉している木もあります。
赤や黄色の実をたくさんつけている小さな木があります。これはマンリョウです。
黄色い実をつけたマンリョウもあります。キミノマンリョウというのかな。たくさん見られます。
モミジの奧には、サザンカの花が咲いているのも見られます。
これも草丈くらいの木ですが、黄色い実を上向きにつけています。実の付き方から見るとセンリョウでしょう。実の色から、キミノセンリョウということになるのでしょう。
灌木でピンクの花がついているのがありました。モチツツジのように見えます。あまりに脇にしているのは見たことがありません。今は花の時期ではないので狂い咲きなのでしょう。
本坊の前の庭は塀で区切られている区画があって、塀の真ん中あたりにその向こう側に抜ける門があります。その前にある解説には、向こうは江戸時代に作られた地泉回遊式の庭園で蓬莱庭とよばれ、国指定文化財になっていると書かれています。門の形式は二脚門かな。
この門の前から見た、中門の方向です。たくさんの人がやってきています。ちょうどツアーバスからの団体が到着したところのようです。
団体さんをやり過ごすためにゆっくりと見ていきます。庭園の内部のようすです。立った石がたくさんありますが、これは薬師如来と日光菩薩・月光菩薩、十二神将をあらわしているそうです。刈り込んだ木は雲なのだそうです。
中にある池です。鯉が泳いでいます。水面の上に張っている糸は、鳥よけなのかな。
池の横から斜面を上っていくコースになっています。本坊側のようすです。まだ団体客は、減ってはいるものの続々とやってきています。
池の上にまわったところからの中門の方向です。この方角にはモミジがたくさんあります。
本坊前にあった石段の近くまでやってきました。道の先には山門が見えています。この頃にはほとんどの団体客に追い抜かれています。
ここからは石段の道に抜けられないようになっています。まだしばらくは庭園に続く道を進んで行くことになります。
この付近の足元に積もっている落ち葉です。
蓬莱庭の上を進んでいるうちに道は二手に分かれるところにでました。左の森林浴コースと右の近道コースとなっています。左の道は林の中に入っていくようなので、この先どうなるのか不安です。近道コースを進んで行くことにしました。その後の経路ははっきりしていません。普通なら石段の道に出て、山門から本堂に抜けると思われるのですが、写真が撮影された順番からすると山門を通りぬけたようすがなく、いきなり本坊の横にある観林坊が写っています。
正面に三重の塔が見えます。逆光がきつくて写真には写しにくかったので、手前にある建物(千心水かな)の中から写しています。
横に見える本堂と紅葉です。
右斜め前の山門です。
本堂にあがって、上から見た洗心水です。
ここの紅葉がきれいなので違う角度から拡大しての1枚です。
本堂の中は撮影禁止なので写真はありません。追い抜いていった団体がここで説明を受けていました。この後裏側にも入っていったようですが、そこまではしていません。何が祀られていたのかよく覚えていませんが、たくさんの仏像があったようです。説明をしていた内容では、ここにある十二神将はそれぞれの干支の守り神というようなことをいっていたようでした。
その後外に出て本堂の廊下からの三重の塔を写しました。
本堂から出て、本堂前の広場をまわってから、下山することにします。三重の塔の前には鐘楼があります。この横から御足に優しいコースがありますが、このままいくと山門を素通りすることになりますから、山門を通ってから下山することにしました。
三重の塔側から見た山門です。
表側にまわると、木像があります。四天王のうちの持国天と増長天です。二天が守っているのでこのような門は二天門といいます。形式的には八脚門になります。
門を通りぬけて石段を少し降りたところから見た門です。お寺の中で一番立派な門を山門という呼び方で呼ぶことが多いので、ここでは山門としています。パンフなどを見るとそういう呼び方はしないで単に形式から二天門と呼んでいるようです。位置的にはお寺の中の方にありますから、入口近くにあるのが山門(三門)とすると少しイメージがあわなくなります。
石段脇にある夫婦杉ですここのものはちょっと離れているかな。
石段の横側奧の方で紅葉がきれいだったので寄り道していきました。
紅葉を見ながら、ぐるとまわっていくとすぐに石段に戻ります。石段を少し降りたところの横が広くなっていて、十一面観音像がありました。
十一面観音像の周りの紅葉もきれいです。下に三重の塔と鐘楼の間から続いていた御足に優しい坂からの道がぐるっと回ってくるのが見えています。こちらには行かずにそのまま石段の道の方に戻ります。観音像の前から石段の道の方にあるモミジです。
石段の道に戻って少し進むと、本坊前の中門が見えてきました。
石段の道は中門前を過ぎてもまっすぐ続いています。この先は総門に続いています。紅葉のようすを見に少し降りて見ることにしました。左側少し低くなったところに道は続いています。
観正坊の前まで降りてきました。
総門まではまだまだありそうです。ここで引き返すことにしました。この道は総門まで続くのでこちらが正規の参道になるのでしょう。大型バスは総門前の駐車場に駐めますから、団体客はこの道を歩いて往復することになります。
木の根に張り付いたコケがきれいだったので写しています。
中門前受付裏まで戻ってきました。木々の間の紅葉がきれいです。
中門近くまで戻ってくると、正面に山門(二天門)が見えてきました。
ここから駐車場に戻って次にいくことにします。
湖東三山の2番目は金剛輪寺です。西明寺から来た道を引き返しSICの手前の信号を左折して進んでいったところにあります。駐車場は広く観光バスも何台かとまっています。乗用車もたくさんとまっていたので、入口から離れたところになってしまいました。
入口まで行く途中の道路沿いで見られた紅葉です。
お寺の塀から顔を出しているモミジです。
金剛輪寺の入口の黒門です。大きな提灯が下がっています。
門前から駐車場方向にあるモミジの紅葉です。
内側から見た黒門です。形式としては高麗門になります。控え柱に乗せられている切妻屋根が異様に高いところにあるような気がします。門が全体的に高いのにあわせているのかな。
黒門から博物館の裏手のようなところを進んで行きます。この付近でみられる紅葉もきれいです。
入山受付に到着です。ここで入山料を払ってから入ります。
黒門を入った所からは石畳の道がまっすぐ続いています。この道を進んでいきます。道の両脇のモミジはきれいに紅葉しています。このお寺のもみじは血染めのもみじと呼ばれるようです。真っ赤になるからなのでしょう。でも縁起がよさそう名前とはいえません。とすると何か別のいわくがあるのではと思ってしまうような名前です。
道沿いのモミジです。
道脇には落ち葉が高く積み重なっています。落ちてしまうと、鮮やかさに欠けていくように見えます。
まっすぐ続いた道は西谷堂でふさがれたようになっています。順路としてはここを左折して進むようになっています。
モンキチョウがやってきていました。とまっているのはチヂミザサかな。
道を進んでいくと赤色の門があります。その名も赤門です。門の形式は薬医門になります。
赤門の中の前で道は右に曲がっています。枡形になっているのかな。
曲がって進んで行くともうひとつ門が見えてきました。このあたりにある紅葉もきれいです。
見えてきた門はパンフによると白門というようです。この門も形式は薬医門です。門の前に地蔵さんがいます。ここは赤門と違ってたくさんの人が出入りしています。見学可ということでしょう。中に入ることにしました。
門をくぐって正面に見えるのは明寿院です。金剛輪寺の本坊になるのでしょう。
建物に向かって右側に庭園があるようです。桃山期、江戸初期江戸末期の作とされているものが3つあるようです。明寿院を取り囲むように配置されています。
最初にあるのが桃山期の庭園です。出島があって石を組み合わせて橋を架けているというのですが..。
庭園の奧には護摩堂と茶座敷水雲閣があると書かれています。左側には江戸期初期の庭園の一部も見えています。
江戸期初期の庭園です。石を組み合わせて崖のようになっている所は滝をあらわしているそうです。
江戸期初期の庭園を正面から見たものです。右奥にも小さな滝をあらわす石組みが見えます。
明寿院の座敷にあがって庭を見ることができます。主に見えるのは江戸初期の庭になります。横側からでは江戸後期の庭が向こう側に見えています。
座敷から見た正面の江戸初期の庭です。
明寿院座敷縁側からの庭園風景です。江戸初期庭園の大きい方の滝の裏側あたりになるのかな。場所的には江戸後期の庭園の一部になりそうです。どちらかというと紅葉に目が奪われて庭園のことはあまり頭に入っていません。日光がよく当たってきれいです。
江戸初期の庭園の小さい方の滝付近です。日影になっていて滝は暗めです。
江戸後期の庭園かな..。池に舟石や石橋が設置されていると書かれているのですが..。
後ろ側の庭園です。やっぱり紅葉の方に目がいってしまいます。
アセビの木に落ちたモミジの葉っぱです。さくらの葉とかも混じっています。
池の縁から見上げてみた紅葉です。
庭園一番奧から見た、江戸後期の庭園です。紅葉が池に映っています。
庭園は、ここまでで別に出口があると思って探したのですが見当たりません。来た道を引き返すことになります。
明寿院玄関前にあった落ち葉です。梅雨に濡れて光っていました。あまりわかりませんね。
明寿院をでて次にいくことにします。門を出た次にどちらに進むかが問題になりました。やってきたのは右側からです。このほかにまっすぐ進む道と左へ行く道があります。左側の道は塀の間を通って行く道で、両脇にたくさんのお地蔵さんが並んでいます。この道は、林の中へ延々と続いていくような感じがします。あまり人通りもないので、脇道のように見えます。
左の道は何となく違うような気がしたので、まっすぐ進む道を選びました。こちら側は売店が並んでいます。紅葉もきれいです。
茶屋を抜けて林の道を進んでいくと、華楽坊の前に出ました。お寺のレストランといった建物です。
華楽坊前の庭園風のところです。このいったいも紅葉がきれいです。
食事はパスしてそのまま道を降りていきます。西谷堂の横にでました。そのまま下りて行けば、入口受付前を通って駐車場に戻ることができます。
入口受付前を通る直前に、本堂や三重の塔を見ていないのに気がつきました。もう少しで外に出るところでした。ついでに受付で道を確認すると、先ほど違うと思っていた道だったようです。再び石畳の道までもどります。
白門の前につく手前に、本堂や三重の塔へはまっすぐ進むと書かれた案内標識がありました。明寿院白門を出てからではこの標識は見えませんから、どちらに進んでいいのかわからなくなりますね。入る前にはよく見ていませんでした。
塀の間の隙間を通りぬけて進んで行きます。林の中の道になります。すぐに右側が明るくなっているところにつきます。
道から外れて、明るくなっている方に進んで行くと少し高くなったところに地蔵堂がありました。
さらに奥にもう一つお堂があります。その間に何本か桜の木があって右近の桜と書かれた標札がついています。右近は橘だったような気がして周囲を見ると左近のさくらというのもありました。これが2セットあります。御所とは関係がないのかな。みただけなので写真はありません。
この奧にあった不動堂です。こちらは入口が閉まっています。
地蔵堂の前から坂を降りてい行くときに下側に、地蔵さんが並んだところが見えてきました。本堂に向かう道に出る手前になります。それにしてもこの付近にはお地蔵さんがたくさんあります。向こう側に見えている道の両脇にもお地蔵さんが並んでいます。一つの地蔵さんの前には赤いかざぐるまが置かれています。これは何なのでしょう。
本堂への道に戻って進んでいくとこんどは左側にたくさんのお地蔵さんが並んでいるところがありました。石造りの十三重の塔もあります。パンフには千躰地蔵と書かれています。ここだけでは1000はなさそうですが、お寺の中全体を合計すると1000はいきそうです。
これは道に戻って少し進んだ所のの右側、林の中にあったものです。きれいに並んでいます。
道は緩やかに登っています。いくら進んでも本堂らしきものは見えてきません。登り坂が少しずつきつくなっているようです。階段も出てき始めています。この階段の下には大きめのお地蔵さんがいました。もちろん両脇には小さなお地蔵さんが並んでいます。
道を進み続けます。上を見るときれいな紅葉が見えます。
このまま進むと、とどめの石段があるような気がしてきました。と考えたら目の前に高い石段が見えてきました。上に山門が見えています。ここまで来たところで後から「とどめの石段」という声が聞こえてきました。誰も考えることは同じですね。
山門に到着です。大きな草鞋が下がっています。
草鞋があるので仁王門かなと思ったのですが、西明寺と同じ増長天と持国天の二天門になります。右側の増長天です。
持国天と増長天の違い、さらに仁王さんとの違いもよくわかりません。仁王さんは細長い布を首にかけているのかな。あと上半身が裸といったところかな..。
山門をくぐるとその先は開けていて、その先に本堂が見えます。普通なら本堂の正面には向拝があって、そこから本尊を拝むようになっているのですが、そのようなものは見られず、上から見ると真四角の建物になっています。鎌倉時代の建物ということなので、参拝の様式も違うのでしょう。それにしてもたくさんの人がいます。あの長い道ではそれほど人は見かけなかったような気がします。
本堂に向かって右側は広場のようになっていて、その山側には銅像が建っています。形から一瞬聖徳太子と見えました。伝教大師像と書かれています。
伝教大師像のむいている先には鐘楼があります。
本堂の左側、一段高くなった所に三重塔が見えています。
本堂です。正面から見ています。蔀戸が1枚開けられているだけで中は見えませんでした。額には大悲閣と書かれています。参拝入口は左側との案内があります。
左側にまわると本堂へ入口があります。ここからあがって中に入っていきます。
本堂内にはたくさんの仏像が真ん中に集まって並んでいます。ここを須弥壇というのでしょうか。ぐるっと一周する事ができます。本堂内は撮影禁止なので写真はありません。
本堂の縁側を正面側に周り、そこからみた山門です。山門は元々は楼門だったのですが2階部分をなくして、1階建ての八脚門にしたそうです。2階部分を取り外したようには見えません。手前にあるのは香堂です。
本堂を出て、左側入口からは正面に見える三重塔に行くことにします。
本堂から三重塔へは緩やかな坂道でぐるっと回っていくことになります。道沿いにはモミジの木がたくさんあって紅葉がきれいです。本堂側からこちらに向かって日が差していて、本堂の屋根の影がモミジの木に落ちているのが見えます。
坂を登り切る直前のところから見た三重塔です。
三重塔前から見た本堂側斜面のようすです。たくさんの木が紅葉していて、だいぶ葉っぱも落ちています。
下から見上げた三重塔です。
これも別方向から見上げたものです。周囲には、背の高いモミジの木がたくさんあって塔全体が見えるところはありません。この程度の角度が限界です。
一階部分の戸が開いていて内部が見えていました。堂内撮影禁止なのですが、いっしょに写り込んでくるというのは、許容範囲としています。大日如来が安置されています。
登ってきたのと反対側から見上げた三重塔です。
金剛輪寺の中では三重塔が一番奧にあります。ここからは来た道を引き返していくことになります。塔のある所の入口付近まで引き返したところでもう一度三重塔を見直しておきます。ここが建物全体が一番よく見えるようです。といっても紅葉した木にかなり埋もれています。
下側を見たようです。紅葉した木がたくさん見えます。
少し降りたところから見た紅葉です。
本堂の影が紅葉に落ちているのも見えてきました。
本堂のあるところまで戻りました。本堂の全景です。7間7戸の真四角、入母屋造りの建物です。
山門です。本堂側から見ています。
山門をくぐったところで、石段の上から下を見たようです。モミジの葉っぱがきれいです。
地蔵堂の前の紅葉です。
黒門まで戻ってきました。
駐車場前の紅葉です。
戻ってきたときには昼を少し過ぎています。パンを持ち合わせていたので、これを昼ご飯の代わりにしました。
次は、湖東三山三番目の百済寺になります。途中、湖東三山SICをでたところに道の駅のような施設がありました。ICを降りたときには後廻しということで寄っていません。前を通過したタイミングで寄っていきました。昼食は弁当にできないかと考えていたのですが、入手できそうもないのであきらめていました。ここで売られていたようです。残念ながら売り切れでした。最初に通った時によっていれば買えたのかも知れません。
施設を出てから前の国道を3kmほど南下したところから山の方に向かう道に入ります。案内に従って進むと百済寺に到着します。駐車場は2つに分かれていて、乗用車は右側から入ります。
駐車場からは石垣の上に紅葉した木が見えます。
石垣に沿って進んで、石段を登ると入口となる門があります。通用門という事になっています。
通用門を入って左側の建物です。寺務所になるのかな。入口庇の反りが外側ほど急になっています。
右前方の紅葉と門です。この門は表門ということになっています。気になるのは、門の形式は薬医門で、こちら側が内側になります。ということは、喜見院の入口の門ということなのでしょうか。
表門のところに受付があります。そちらに向かいます。受付前からさらに奥の方です。建物は不動堂で、手前の大きな木はボダイジュだそうです。葉が落ちてしまっているので見ただけでは何の木かわかりません。
来た道の方向です。通用門と寺務所の一部です。通用門も薬医門でこちらが内側になっています。
受付から奧に向かうのが参拝順路となっています。不動堂の正面を通ります。
参拝順路は、不動堂の前から奧に進んで庭園をまわっていくコースと直接本堂に向かうコースがあります。ほとんどの人が庭園に向かって歩いていますから、流れに従って行くことにします。庭園コースも不動堂を通り過ぎたところから、庭園回遊コースと遠望コースに分かれています。ここも流れに従って、回遊コースを進みます。
不動堂を回ったところで。池とそれを取り囲むように配置された建物が見えてきます。パンフレットに書かれている位置関係からすると本坊の喜見院のようです。
順路は池を右回りに回って向こう側から斜面を登っていくようです。
池に映る紅葉を写してみました。日向と日陰のコントラストが大きく思ったよりきれいに写っていません。
池奥側に見える紅葉です。
池の山側です。石が組まれていて、その向こうから水が流れてきているようです。
池の縁で見たヤブコウジです。赤い実をつけています。
石に生えたコケの上に、落葉した葉がたくさん積もっています。
入口と反対側から見た池です。山の上にもたくさんの紅葉した木が見られます。
池をほぼ周回し終わったところの紅葉です。建物の裏手になります。サザンカの花も見えています。
池を巡った後は、斜面を登っていくことになります。あがって行くにつれて庭園を上から見下ろす形になります。登り始めてすぐのところから見た庭園の池と本坊喜見院です。池のこちら側にあるような飛び石がここまでの間にいくつかありました。
登りきって平らになったところからの風景です。このあたりも庭園になっているのかな。向こう側に喜見院の屋根が見えています。
紅葉した木々の間から、遠くの山並が見えます。比叡山が見えているようです。
登ってきた道沿いの紅葉です。
遠見台という所につきました。天下遠望の名園と解説が書かれています。百済寺創建当時の話や信長天下統一に向けての話がここから見える範囲で展開されたというのが、その名前の由来です。
ずっと進んで行きます。紅葉の中に石灯籠が見えました。
林の中の紅葉した木です。
庭園の中から広い道に出ました。この道は両脇に石垣が積まれた立派な道です。これが正規の参道になるのでしょう。パンフには表参道と書かれています。ということは裏もあるのかな..。この道の両脇には昔はたくさんの坊が並んでいたそうです。百坊跡とかいわれていますから、たくさんあったのでしょう。信長の焼き討ちに遭い、今は喜見院だけになっています。それとも塔頭の名前が百坊というのでしょうか。
参道はところどころに石段のある道です。進んで行くと山門が見えてきました。大きなわらじが下がっています。
右側に見えた像です。弥勒半跏石像だそうです。弥勒菩薩さんでその姿勢が半跏といことでしょう。
道は少しずつ山門に近づいていきます。
山門に着きました。八脚門で、手前側に網がかかっていますから、何らかの像がありそうです。手前側の大きなわらじでここからはわかりません。
山門前のモミジの木です。
山門には、着色された像がありました。先の2寺の二天さんとは違いますから、こちらは仁王さんでしょう。
百済寺では山門をくぐってからも参道は続きます。まだまだ林の間を登っていくようです。振り返って見たようすです。降りていくたくさんの人とすれ違いました。向こう側からたくさんの人が登ってきています。この後、山門付近は混雑しそうです。この人たちはどちらもツアー客かな..。門前の紅葉がきれいです。
右側に弁天堂が見えます。
少しずつ石段が多くなっているようです。すぐに、弁天堂は上から見下ろすような形になります。ここの弁天堂も池の中にある島の上に設けられています。
石段を登り切って左側に本堂がありました。入口部分の軒が唐破風になっています。こちら側の壁面には火灯窓が設けられています。
本堂の右側にあるのが三所権現社です。石段を登りきったところの正面になります。熊野三社の主祭神を祀っているそうです。
本堂の左側にあるのが鐘楼です。梵鐘は三代目で戦後の鋳造だそうです。
鐘楼と本堂の間に千年菩提樹があります。右側が鐘楼、向こうにある建物が本堂で先ほどと反対からを見ていることになります。ここの菩提樹も葉が落ちています。信長の焼き討ちに遭って焼損したものの、何とか蘇ることができたそうです。
千年菩提樹のある所から、山を下って行く道があります。なだら坂と書かれています。表参道にある石段を避けて登ってくるコースで、こちらが脇参道となります。道の両脇の紅葉もきれいなのでこちらから下りて行くことにします。
少し降りたところからみた、鐘楼と本堂です。本堂の中は撮影禁止ということでしたので、写真記録は残っていません。
道のようすです。ところどころに紅葉した木が見られます。
下りて行くにつれ紅葉した木が増えてきました。
道は曲がりくねりながら続いています。道脇の灌木はミツマタです。坂を降り始めたところから、道脇にはたくさん見られます。観音様にお参りした後、花の香りをかぐと大きなご利益と金運に恵まれるのだそうです。
表参道の山門の下まで降りてきました。山門側です。
表参道下側の紅葉です。
表参道を降りていくと表門の前につきました。こちら側から見ると薬医門は正しく外側をむいています。百済寺本坊と書かれた標札もありますから、この門は百済寺に入る門ではなく、喜見院に入るところに設けられた門になります。大きなお寺では、参道から坊に入るところに門があるのをみかけます。
表門から先の表参道は柵がしてあって通ることができません。人が通らないためか落ち葉がたくさん積もっています。
いったん表門から喜見院に入ります。表門と通用門との間から見た喜見院です。真ん中の建物だけをいうのか全体がそれなのかは不明です。左側は寺務所とみています。右側が不動堂です。
通用門までの間は南庭というようです。ここからも近江盆地がよく見えます。
通用門からでて石段を降りたところにある紅葉です。
石段を降りて右側にある売店の方にいってお土産になりそうなものを物色しようと思います。途中に長寿桜というのがあって花をつけていました。花が遠くてよくわかりませんが、四季桜の一種のように見えます。
売店をでて、車を駐めた近くに先ほど通っていた表参道の続きのところに行ってみました。ここから30m程の区間は通れないように柵があります。
反対側です。右側が駐車場です。左側の低くなっているところに表参道がまだまだ下って行っています。ずっと先に赤門がありますが、遠そうなのでパスして車で次にいくことにしました。
表参道は下の赤門まで続いています。この後、車でこの前を通ったのですが、車窓見学に終わっています。
湖東三山の3つのお寺はめぐり終えたのですが、最後の百済寺の近くにもう一つ紅葉で有名なお寺があるのでそこにも寄っていくことにしました。永源寺です。百済寺からはずっと案内が出ていたので、それに従って進んでいくと、たどり着くことができました。
ふだんは、永源寺前にある観光案内所付近に車を駐められるのですが、紅葉の期間だけは閉鎖されていて、近くの民間の駐車場に車を入れることになります。車を走らせていて観光館内所前に車が入れられないのが見えてきました。ちょうど右側に駐車場があったので、そこに駐めさせてもらいました。
駐車場から、永源寺に向かう途中に禅の水という湧き水がありました。この水は飲めませんと書かれています。水質検査で基準を超えていたのでしょう。でも、昔の人は普通に飲んでいたような気がします。
永源寺観光案内所前の紅葉です。落葉した木はケヤキかな。
すぐ下を流れる愛知川です。駐車場のあった付近に堰堤があってこの付近ではダム湖のようになっています。
観光案内所前のモミジです。
観光案内所から奥に進んでいきます。愛知川から支流堂後谷が分かれてきています。合流する近くにあったモミジの木です。
堂後谷に沿って少しさかのぼったところで渡ります。橋の名前は大歇橋(だいけつばし)というようです。
橋の手前にも湧き水がありました。和泥水といいます。こちらは飲んで大丈夫なようです。柄杓がありました。
観光案内所の前がお寺の入口と思っていたのですが、しばらく立派めの道が続きます。ちょっと急な坂道です。右側は愛知川まで一気に落ち込んでいます。左側にはところどころで崖があります。岩の割れ方からすると湖東流紋岩でしょう。白亜紀の火砕流堆積物といわれています。
十六羅漢が見えてきました。湖東流紋岩を彫って作られているようです。左側木陰と奧の高くなった所にいます。
別の面です。手前低い所に1人、右の岩の上に1人、真ん中付近にかたまって3人と少し離れて1人、上の方に1人います。
丸いのが頭なのか、単に丸いだけなのか区別ができないものもあって結局何人いたのかはっきりしませんでした。
この付近の道のようすです。立派な道です。坂は緩やかになっています。
左側の高いところに冠木門が見えました。お墓がありそうな雰囲気です。前の説明に彦根藩主をしていた井伊家の霊廟と書かれています。立入禁止になっています。
再び湧き水がありました。洗耳水と書かれています。湧き水の多いところですね。湖東流紋岩の節理に沿って浸みだしているのかな。
門が見えてきました。永源寺の総門になります。形式は薬医門です。屋根の上に色づいて葉っぱがたくさん落ちています。
ここが入山受付になります。ここからでも道はまだ続くようです。道沿いの紅葉がきれいです。
しばらく進んで行くと、山門が見えてきました。5間3戸の二重門です。1階部分には壁がなく階段があるだけでそのまま通りぬけられるようになっています。由戸にある説明によると作られたのは棟札から享和二年(1801年)だそうです。細かい作り方も解説されていましたが、理解できていません。
門の前から見下ろした愛知川です。
門前の紅葉です。
近くから見た山門です。
山門をくぐって左側の紅葉です。奥に見える建物はパンフによると庫裏になります。左側に山門の一部が見えています。
少し進んだ所から振り返って見た山門です。
さらに進んで行くと、左手に鐘楼が見えてきました。橦木が窓から外にはみ出しています。
山門をくぐってからは、左側の一段高いところに庫裏(社務所)が見えていました。鐘楼も同じ高さのところにあります。正面にはそこまであがる石段が見えています。これが最後の階段になりそうです。階段の横には湧き水がでています。飛泉水と書かれています。湧き水の多いところですね。ここのものも飲用不可となっています。
階段を上がった正面にカラフルに紅葉したモミジの木がありました。
置き石の下で咲いていたツワブキです。
左側に本堂が見えます。茅葺き屋根です。このタイプの屋根はあまりお寺では見かけないような..。
この一画から奥に向かってたくさんの建物があります。本堂の右側に見えているのは法堂のようです。
広場から川方向にあるモミジの木です。川向こうに見える山の斜面も紅葉した木で黄色く染まっています。
法堂の右側に禅堂が見えます。山門からの道をまっすぐ進んだ正面にあります。
本堂より奥に並ぶ建物群の方に行くことにします。禅堂から伸びる渡り廊下がこれから行こうとする道を横切っています。その渡り廊下の所まで行くと左前方に法堂の建物全体が見えてきます。形式としては瓦葺き寄棟造平入りです。さらに奥にある建物に向かって渡り廊下が続いているのが見えます。
法堂の正式名称は大雄宝殿といい亨保13年(1728年)建造だそうです。
法堂から左側の本堂との間にも渡り廊下があります。この渡り廊下から山側を見ると小さなお社が見えます。鎮守社といいますが、別名があって勝山社ともいうそうです。
鎮守社の手前側は落葉した赤い葉っぱで埋まっています。
法堂を通り過ぎて先にある池に水面に映った永源寺の文字が正しく読めるようになっていました。
法堂から左前方の紅葉です。
法堂からさらに奥にある開山堂に向かって渡り廊下が続いています。壁があるし、ぐるっと一周していそうなので回廊といった方がいいのかな。
法堂から正面側です。建物がなになのかはっきりしません。右側が禅堂のようですが左側の建物はパンフには載っていません。こちら側にもオレンジ色の土壁のある渡り廊下があります。
法堂を過ぎると少し坂になります。この付近で開山時に白い鹿が現れたとかで白鹿坂と名付けられているようです。道の向こう、川側に見える渡り廊下というか回廊も坂を登るようにつけられています。この付近はモミジの多いところです。きれいな色に染まっています。
坂を登り切って正面に見えるのは経堂です。まだまだ先のなで間に紅葉した木々が入っています。
道の山側には開山堂があります。大寂塔ともいうようです。開祖の寂堂禅師の墓の上に立てられているとか。大寂という額がかかっています。といっても「寂」の字は読めませんでした。軒屋根が唐破風になっています。
近くで見た経堂です。火灯窓が四隅に設けられています。建物の形式は四角の方形造になります。
ここから山側の渡り廊下までのモミジです。赤く紅葉した木がたくさんあります。パンフには、開山御手植と書かれています。開祖寂堂禅師が植えたところとか。現在では苗を植え継いだ三代目になるそうです。
紅葉がきれいなので続けて掲載します。
地面に落ちた葉っぱもきれいです。
進んできた道の突き当たりに含空院があります。住職の居住する方丈および修行道場だそうです。建物の様式としては入母屋造り妻入り軒破風になります。本堂が質素だったので、これが一番立派な建物のように見えます。
左側に見える渡り廊下(回廊)を越えて外側に出ます。含空院に接するように建物がありその入口の門には専門道場と書かれています。左側は宗門葛藤と読むのでしょうか。含空院に付随する庫裏であり、禅を専門的に学ぶ道場だそうです。このような場所は僧堂とよばれるようです。
外に続く道沿いに風穴があります。石垣が組まれているので、崩れ落ちた岩屑の隙間から吹きだしてくるのかと思っていましたが、奧に洞穴があってその入口を塞いでいるそうです。この近くにある佐目や河内の風穴と同じような鍾乳洞なのでしょうか。湖東流紋岩には洞窟はできなさそうです。
反対側塀越しに見える建物です。位置関係からすると僧堂になります。
山側に滝のようなものがあります。こちらに気をとられていましたが、その手前にある石碑のほうが、茶筅塚といって茶道各家にとっては大事なものだったようです。
この道沿いでも紅葉が続きますが寺院関係の建物はなりました。
まだところどころで紅葉が見られますが、だんだん少なくなってきました。
駐車場とかが見えてきましたから、お寺からは外に出たようです。引き返すことにします。この付近の道沿いの紅葉です。
お寺を通りぬけしまいました。一本道でしたから、元来た道を引き返すします。ここまでくるときに見たものを、もう一度繰り返しみることになります。それでも反対側から見るとだいぶ様子が違って見えます。
建物のある所まで戻り、渡り廊下を横切って正面の経堂です。前の紅葉といっしょに。
開山御手植です。ちょっと日が傾いてきただけで印象はだいぶ変わっています。
法堂前から本堂方向です。山沿いの紅葉がきれいです。
本堂です。その前の紅葉といっしょに写しました。奥の建物は庫裏となっています。
鐘楼横の階段から山門方向です。橋は庫裏から参道横売店の2階につながるようにかけられたものです。
庫裏です。見た感じは社務所です。鉄筋コンクリート建ての建物です。
山門です。
総門と入山受付の屋根です。落葉したモミジが積もっています。奥の屋根が総門の屋根になります。
帰るだけになっていますが、総門を越えてからもまだまだ道は続きます。陽が傾き始めているので、木々の間の道は薄暗くなりはじめています。十六羅漢の前近くから、道沿いの紅葉です。
大歇橋まで降りてきました。橋の上から上流側です。堰堤が見えています。手前側でもモミジの木が色づいています。
愛知川側です。川岸のモミジがきれいです。
駐車場まで戻ってきました。前の道路脇のモミジです。
駐車場から愛知川を見下ろした所です。川岸の斜面にもモミジの木があります
。
駐車場からは愛知川沿いの国道を下っていき、八日市ICから名神高速道路に入って大阪方面をめざします。途中、瀬田西ICから8kmほど渋滞していると表示が出ます。そこを抜ければ、すんなりと帰れそうです。
ここでのもう一つの問題は西日が正面に見えることです。石山に近づいた頃から車が増えています。正面を見ると幻日が見えています。前を走る乗用車の上トラックの屋根の高さあたりのところです。
瀬田西ICまではのろのろ運転でした。そのまま進むか京滋バイパスを進むかで迷います。京滋バイパス側は途中何ヶ所かで渋滞しているようなのでそのまま進んで行くことにしました。バイパスだと八幡付近からも西日をまともに見そうです。草津JCTから実質片側4車線になっていたものが京滋バイパスを分岐してから、2車線に車線が減少するのが渋滞の原因のようです。
瀬田西ICを過ぎると、こんどは京都南IC付近と山崎JCT付近で渋滞していると表示が出ました。こういうものは一度に出して欲しいものです。京都南の渋滞は、流れが悪くなっていて渋滞といえるかどうかぎりぎりのところでした。山崎JCTは外ルートの渋滞のなで内ルートを通りぬけました。少し時間がかかったものの何とか帰り着くことができました。
今回の観光地はどことも人が多かったようです。人出はコロナ前くらいまで戻っているのでしょうか。人が入らないように写真を撮るのは苦労しました。他の人の邪魔にならないようにとか、写している隙をねらってとかで、じっくり構えている時間が余りとれないので、構図は適当でした。かなり斜めになっているものもあります。