ヨッシンと地学の散歩 > 旅行記
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火の山ぐるっと 2017/04/23-29


01   計画・準備・出発

 望遠鏡を車に積んでどこかに出かけたくなっています。冬の間は寒さに負けて出損ねています。3月に行こうと計画を立て初めました。日程は月明かりのない3月末。28日が新月です。土曜日の宿は取りにくいので、この日発の夜行フェリーで帰ってくることにします。となるとこのフェリーに乗るのは、3月25日か4月1日になります。1日の夕方にアルデバラン食があります。フェリーの中で見るのは今ひとつなので、25日のフェリーで帰ってくる方がいいようです。となると帰りのフェリーの乗船日は25日になります。逆算して出発日は、19日の日曜日か、20日の春分の日かになります。21日が下弦なので、あまり早い日に出ても月明かりがあります。20日出発とします。

02 4/23 大阪湾

 フェリーの乗船待機場所に戻って、客室内に持ち込む荷物をより分けようとしたら、乗船が始まりました。荷物は後にして、順番に乗り込みます。待っている車は少なく船内の車両甲板はがらがらです。トラックも車を止めた階には入っていないようです。曜日の関係なのでしょうか。車の中にある荷物から、弁当・水筒・洗面用具など、今晩と明日の朝に使うものを持って、客室に上がります。靴ではなく、スリッパで上がりましたが、客室内に備え付けてありました。

03 4/24 宮崎港

 船の中で早く寝た分、早くに目が覚めます。まだ日の出前の時間ですが、だいぶ空が明るくなってきています。デッキに出て、日の出のようすを見ることにします。
 デッキには何人かの人が、日の出を見ようと出てきています。空は雲があるものの晴れ間が広がっています。東の水平線近くの空は朝焼けでだいぶ赤くなっています。右舷後方に陸地がうっすらと見えています。予想される現在位置からすると足摺岬近辺のようです。

04 4/24 宮崎神宮

 宮崎港から宮崎神宮までの道順は事前にチェックしているのでわかっています。正面までは順調に到着しました。駐車場はどこにあるかわかっていません。案内を見つけそれに従って進みます。
 駐車場までは狭い道を指示さます。どこに行くのか心配で心細くなってきます。その先でいきなり広い道に出ます。ここからどう進んでいいかわかりません。さらに追い打ちをかけられたようです。右側を見ると護国神社と書かれた車を入れられそうな広いスペースがあります。いったんここに入れることにしました。正面に見えた鳥居です。

05 4/24 宮崎県総合博物館民家園

 宮崎県総合博物館は、宮崎神宮参道から見て本殿の向こう側にあります。ぐるっと回っていくことになります。車を止めた位置を考えると反時計回りにまわっていく方がいいようです。この経路でいくと、博物館に着く直前に民家園というのの中を通って行くことになります。
 民家園には、宮崎県の各地方の代表的な民家4軒を移築しています。進んできた道から一番近い所にあるのが米良の民家です。あおいトタン葺きになっていますが、茅葺きだったのでしょう。まわりに柵があって近づくことができません。中は畳ようなものを立てています。屋根の痛みが激しく雨漏りでもしたのでしょうか。

06 4/24 宮崎県立総合博物館

 民家園から博物館に行くには、左側二つの民家の間を通りぬけ正面に見える博物館の建物を左に迂回して進みます。右側にも埋蔵文化財センターがあって、展示室があるようです。
 民家園から博物館の入り口までの道沿いにいろいろなものが置かれています。都農というところにあった道標という道路標識のようなものです。正面に読み取れるのは「距宮崎元標十一里十三町五十六間」と宮崎からの距離が書かれています。側面には次の道標と底までの郷里が書かれているようです。

07 4/24 宮崎市生目の杜

 宮崎神宮の次は、生目古墳群に向かうことにします。該当区域は広く、駐車場がその中のどこにあるのかよくわかっていないので、とりあえず生目の杜遊古館を目指すことにします。遊古館は今日は定休日です。車を入れたり、情報を入手できたりするかどうかが問題です。
 なんとか遊古館に到着できました。埋蔵文化財センターが併設されているので、人の出入りはあり、中に入れることはできました。

08 4/24 生目古墳群

 いったん階段を下り谷になっているところにでます。ここにも駐車場が設けられています。その向こう側にも小高い丘があり、その上に1号墳、2号墳等合計5個の古墳があるようです。こちら側から見ると、手前側は林になっていて、古墳に近づくことはできません。
 パンフによると向こう側は草が刈られているみたいなので行ってみました。丘の斜面の草が刈られているだけで上にはあがることはできません。一応看板がありますが、どれが古墳なのかは見ただけではわかりません。

09 4/24 西都原古墳群へ

 次の行き先の予定は西都原古墳群になります。生目古墳群の次の時代とされている古墳群です。ここから来た道を引き返してもいけますが、かなり遠回りになります。地図でルートを確認するのも大変です。カーナビを設定します。  いきなり案内してくれたのは、切り通しの間の狭い道です。いけるかどうか、対向車が来ないかどうかが心配になりますが、それより両脇の地層の方が気になります。下の方の白いのはシラスでしょうか。上にロームが乗っています。これからするとこのあたりの高台はシラス台地ということになります。この左上が22号墳23号墳のあった場所ですから、生目古墳群はシラス台地の上に作られているということになります。

10 4/24 西都原第2古墳群

 第1古墳群から農道のような道を通って進んでいくと、道路を横断します。ここから先が第2古墳群になります。道路を横切るところに、西都原古墳群と書かれた石碑があります。来るときにここをとおったはずなのですが、これがあったのかどうかよく覚えていません。

11 4/24 西都原第3古墳群

 第2古墳群の100号墳のあともう一つ前方後円墳(109号墳)を過ぎると古墳はしばらくなくなります。さらに進んでいくと、道路を横切ります。この先からが第3古墳群になります。
 入り口から見えた第3古墳群です。小さな円墳がたくさん並んでいます。直径が10m高さが1mくらいのものが多いようです。向こうの方にもたくさんあるようです。

12 4/24 西都原から人吉

 171号墳の横から、きつめの登り坂があります。ここを登っていくと西都原考古博物館に行くことができます。その途中の右側に2つの大きな古墳があります。
 坂を登り切ったところで見えてきたのが、雑掌塚(殺生塚;170号墳)です。大きな円墳です。第3古墳群で見てきたようなものとは規模が全然違います。家型の埴輪が出土したとかが解説文に書かれています。

13 4/24 人吉市 釜の奥戸

 「釜の奥戸」とかいて「かまのくど」と読むようです。「くど」ということばで連想するのが「おくどさん」です。台所のかまどのことです。小さい頃によく聞いたことばですが、最近ではかまど自体がなくなって、耳にすることはありません。「くど」に「お」と「さん」をつけて親しみを込めて呼んでいたのでしょう。このあたりでもかまどではなく、「くど」といっていたのかどうかはわかりません。ちなみに「御」だけをつけると「奥戸」になります。

14 4/24 人吉市石野公園から相良村

 釜の奥戸の後ろ側は、クラフトパーク石野公園の中心部になります。いろいろなものを作ったりとかのできる施設が並んでいますようです。どんなものなのかはちょっとだけ興味があります。釜の奥戸から振り返って見ると、丘の上に展望塔が見えています。変わった形をしています。ここへは、いったん駐車場に戻らなくても、近道していけるようです。車まで戻りがてら、寄ってみることにします。

15 4/25 相良村深水

 3日目の朝です。日の出前に目が覚めました。朝の食事時間になるまでに散歩に出ることにします。村のパンフを見ても特に何かあるといったことは書かれていません。川辺川を渡る橋にカッパの像があるみたいなのでそこまで行って、役場をぐるっと回るような感じで戻ってくることにします。
 宿は、高台にあるのですが、その横の一番高いところに上がってみます。ここからは遠くの山が見えます。左側が江代山(津野岳;1607m)、右側が市房山(1721m)です。意外と高い山が近くにあります。

16 4/25 相良村 瀬戸堤公園

 歩いていた道を進んで行くと国道に出ます。上の高台には中学校が見えます。この時間でも登校している生徒とすれ違います。ランニングしていた人はここの先生のようです。
 そのとなりに池があります。やすらぎ池というようです。水面には波一つ立っていません。木々や空がきれいに写っています。向こう岸には変わった形の吊り橋のようなものが見えます。あちらの方を通って帰る予定ですが、ここから見える限りでは道のようなものはありません。

17 4/25 錦町ツクシイバラ

 朝食を済ませて出発です。昨日行き損ねた人吉市内に行きますが、その前に宿に置かれていたパンフレットで気になった所に先に向かうことにします。
 これから球磨川の河川敷でツクシイバラの花が咲き、5月中旬から6月初めにかけていろいろなイベントが催されるようです。今年は、発見100周年にあたるようです。あまり聞かない名前なのでこの地域独特のもののようです。県の天然記念物にも指定されています。

18 4/25 人吉城中心部

 国道に出て人吉市内に向かいます。昨日寄っていた石野公園の前を通過します。そこから、市内まではすぐでした。きのうはだいぶあると思っていました。
 最初に人吉城に向かうことにします。お城と市役所の間に駐車場がある事を確認しています。城跡が見えてきてから、右に曲がるとお城と書かれている標識があったので曲がったのですが、道は山の中の方に続いています。どこにも行きそうにないので引き返しました。先ほど曲がったところの右前に、予定の駐車場がありました。車はそこに止めました。駐車場からみた人吉城です。

19 4/25 人吉城東側

 人吉城の二の丸・本丸に入る時に三の丸を回ってきましたので、まっすぐ上がってくる中の御門跡を通っていません。帰りはこちら側を通った方が近道になりますから、中の御門跡を通って下りていくことにします。
 中の御門跡から見た御門下から三の丸です。左上方が御津賀社跡方向になります。

20 4/25 人吉城西側

 城のまわりを回るように進んできたのは、こちらに大手門跡があると書かれていたからです。狭かった切り通しをぬけると、広くなった所にでました。このあたりは、武家屋敷があったあたりのようです。さらに右手前方に橋が見えてきました。車を止める前に入った道から見えていた橋です。堀のようなものがありますが、このようなものはここだけです。この先にあった案内にはため池と書かれていました。

21 4/25 人吉市阿蘇神社

 人吉城跡から、次は同じ市内にある青井阿蘇神社に向かいます。神社の位置はわかるのですが、駐車場がわかりません。とりあえず阿蘇神社の方に車を走らせます。国道に出て西に向かって走り、駅への交差点を過ぎるといきなり右側に阿蘇神社の駐車場が現れます。ここに車を止めて、神社境内の方に行きます。このまままっすぐ入るのではなく、いったん鳥居の方に行くように指示されます。こちらに行くと交差点から見えていた赤い橋の方に向かいます。禊橋といいます。石組みのめがね橋のようです。

22 4/25 球磨村球泉洞1

 球磨川の河原に下りた所から、トンネルをぬけると右手に球泉洞と書かれた建物が見えてきました。道路から山の中に入らないとみられないと思い込んでいたので建物の裏側に回ったのですが、ここも駐車場で行き止まりでした。それなら道路側がいいので車を回します。

23 4/25 球磨村球泉洞2

 天井にできたベルホールです。ベルの形のようなへこみです。たくさんできています。できた成因はよくわかりません。鍾乳洞が水没した時代に水流が渦を巻いて削っていったという説明が別の鍾乳洞のサイトにあります。石灰岩は傷つきやすい岩石ですが、それほど削られたというようなものはみたことがありません。

24 4/25 球泉洞3探検コース

 探検コースの入り口に戻り、これから探検に出発です。洞内の明かりをつけてゲートを開けてくれます。ヘッドランプも点灯させます。汗をかくので、上着を脱ぐようにいわれますが、少し寒いのでこのままいくと答えます。服を掛けるところも用意されています。いったん階段を少し上った後、40mの高さの階段を下りていきます。3段に分かれています。斜度は70度です。後ろ向きで下りるようにいわれます。

25 4/25 球磨村 神瀬の石灰洞

 球泉洞を過ぎて少し進んだ所からしばらく行くと、西に山越えをして八代海方面にぬける道があります。このコースをとりたいのですが、そのまままっすぐ進んだところに気になるものがあります。そんなに遠くではないので、見に行くことにします。
 みたいのは、神瀬の石灰洞窟です。そのまま車を走らせていると道路標識がでていました。広くなっている鳥居の前に車を止めます。横に小さな川が流れていて、ちょっとした滝になっています。

26 4/25 長島町 黒之瀬戸・長崎鼻

 神瀬の石灰洞窟からいったん引き返し、山越えの道に入り、八代海沿いの芦北にぬけます。ここからほぼ海岸に沿って南下し、阿久根市の手前から天草の方にぬける予定です。 芦北から阿久根までの間は何も見るものもなく到着します。といっても出水市のつる飛来地というのがありましたが、ここは前回来ているということでパスしています。ツルがいる季節でもありません。

27 4/25 長島町 風車公園

 花フェスタというのは、風車公園というところでやっているみたいです。名前からして風車があるようです。ここまで来る間にも島中心部の山の上にたくさんの風力発電用の風車が見えていました。そこまで行かないといけないのなら時間的に無理かも知れません。
 車を走らせていると、道の駅の少し手前側から、山の方に会場があるとの表示が出てきます。案内に従って進むと文化ホールの横の駐車場に案内されます。正面には、花で書かれた「花フェスタ」の文字が見えます。

28 4/25 長島から天草下島へ

 風車公園を後にして、北上を続けることにします。たぶんこの後、蔵之元までは何もないでしょう。一番気がかりなのは、フェリーの時間です。船がでた直後に着いたら、待っている間に5時をまわってしまいます。
 走り始めてすぐに蔵之元港に到着です。乗船場前には車が何台かまっています。

29 4/25 天草下島 下田温泉へ

 長島蔵之元港から天草下島牛深港までの所要時間は30分ほどです。乗船時間はわずかです。航路沿いに島がたくさん見え続けてているのでそれほど陸地から離れたところまでいったという感じはしません。
 牛深港に入って見えてきたのが養殖魚のいけすです。丸い形をしています。マグロのような高速で泳ぐ魚のものでしょうか。

30 4/26 天草下島下田海岸

 下田温泉の朝は、ツバメの鳴き声で目が覚めます。明るくなったら一斉にさえずり始めたようです。天気はどんよりとしています。地面も濡れているので夜中に雨が降ったようです。今は雨が降っていないようです。散歩に出かけることにします。一応傘は用意していきます。行き先は、海岸沿いを歩くか、川沿いに遡って轟公園に行くかのどちらかです。パンフレトには、轟公園はすぐそこのように書かれていますが、だいぶありそうです。こちらは出発後に最初に寄ることにします。

31 4/26 天草下島 鬼海が浦展望所

 国道から分岐した道路の先に、駐車場と2−3の施設が並んでいます。鬼海が浦展望所というようです。道路は、元々は国道で、新しいトンネルが作られたのでここにあった施設に来るために残されたようです。この先で通行止めになっています。

32 4/26 天草下島 轟公園

 下田温泉まで戻ってきました。まだ少しだけ時間があるようなので、温泉街を一周してから宿に戻ることにします。
 足湯のあったところの裏手の川沿いに橋が架かっています。湯の華橋といいます。橋の渡り口にある常夜灯のようなものに使われている石材が気になります。近くで見ると白地に赤っぽい色の縞模様が入っています。砂岩の中に地下水がしみこみ、鉄分が沈着して縞模様ができる事があります。これだと思っていたのですが、赤みが強いのが気になります。同じ石は、宿の風呂場にもあったし、ここでも敷石の一部にも使われています。

33 4/26 天草下島 轟の滝

 水車跡から引き返し、吊り橋を渡らずまっすぐ進みます。正面に轟の滝が見えてきました。昨年九州南部でみた滝と似ている感じがします。加久藤火砕流の上にできた滝です。ここの滝も柱状節理のようなものが見えますが、岩石にやすりのようなもので削られてできたようなくぼみがみられません。砂岩にみられる方状節理のようです。縦方向の割れ目が多めなだけのようです。

34 4/26 天草下島 富岡城趾

 富岡半島に入りましたが、ここに何があるのかよくわかっていません。一番目立っているのは、城跡への案内です。案内に従っていくことにします。お城の駐車場と書かれているところがあったのですが、城への行き方をみると城を半周して向こうの東側から入るように書かれています。入り口の手前にもう一つ駐車場があります。それなら、そちらの駐車場に入れる方が得策です。再び車を移動させます。

35 4/26 天草下島 富岡半島

 本丸には、富岡ビジターセンターがあります。建物は、ここにあった多門櫓を参考に建てられているそうです。でも、本丸に多門櫓があるという話はあまり知りません。人吉城は大手門の横にありました。二の丸から見えていた変わった形の建物はこれでした。

36 4/26 天草下島 北海岸

 富岡半島から戻り、天草下島の北海岸沿いを東に向かって走ります。しばらく走っていると海岸沿いにおっぱい岩と書かれた看板が見えてきました。看板の前でいったん車を止めて、駐車できるところがないか探します。少しだけ戻ったところの山側にちょっと広いスペースがあります。ここに入れようとバックで戻りかけたのですが、すぐに車がやってきます。身動きが取れなくなってきたので、いきすぎて適当なところでUターンして戻ってきました。

37 4/26 天草下島から天草上島

 亀島の見える大島地区からは、天草下島の東側を南下し、天草上島に渡る橋のある本渡を目指すことになります。大島からはみるものもなく本渡の町に近づいてきました。天草上島にわたる前にみておきたいものが1つあります。祇園橋という石橋です。問題は正確な場所がわからないことです。市役所の西側で、今走っている道の西側、山の中から来る道沿いということだけです。山からの道に入って進み、橋をわたるときに、右側に石橋が見えました。橋を越えてから右折し、道幅がわずかに広くなっているところで車を止めます。

38 4/26 天草上島から宇土半島

 リップルランドで天草上島は半分くらい通りぬけたことになります。残り半分もほとんど何もなく過ぎていきます。途中で1つだけ気がかりなことがあります。大きな入り江などでは、干潟が大きく広がっているのが見えます。このあたりから見える海は島原湾で有明海の入り口に当たります。潮が引いたときのようすをゆっくり見ておきたいのですが、なかなか車を止められそうな所がみつかりません。米の山の手前で駐車スペースを見つけたのでそこからみた干潟です。対岸との真ん中に堤のようなものがあります。どちらが海に開いているのかよくわかりません。堤の手前側に水の流れる流路のようなものが見えます。

39 4/26 御船町から星野村へ

 宇土市から北上するには、熊本市内を通りぬけるのが一般的ですが、あまり渋滞に巻き込まれたくないので、海側か山側にさけることになります。高速道路で一気に通りぬけてしまうという方法もあります。海側の道は宿を予約指定場所から離れてしまいます。高速道路は、予備においておきます。となると山側に避けることになります。このコースをとると熊本地震の被害の大きかった益城町を通りぬけます。物見遊山気分ではいきづらいのですが、地震断層も形がしっかりしている内にみておきたいものです。こちらのコースをとることにします。

40 4/27 八女市星野村 池の山

 星野村の宿は、星のふるさと公園の中にあります。村の名前は、星に関係するのではなく、昔この付近を治めていた城主が星野氏だったことに由来しています。どちらかというと、星つながりで天文関係の施設も作られたようです。
 星のふるさと公園の中でも宿のある一画は、真ん中に池があり、そこを中心に池の山と呼ばれます。まずは、池の山の散策から始めることにします。宿を出た正面にツツジの植わっているところがあり、広さや、その色数や本数に圧倒されます。

41 4/27 八女市星野村星のふるさと公園

 池を一周したものの、朝食時間にはまだ少しあります。ふるさと公園の一番奥まで行ってみることにします。最初に現れるのが平和の広場です。その手前側の土手です。ここにもツツジが一面に植えられていて、今ちょうど満開のようです。宿入り口のものに比べてこちらの方が広いのですが、色数は少ないようです。

42 4/27 八女市星野村ミヤシノシャクナゲ園

 朝の食事をすませて、土産物を買ったりしてから、出発になります。今日の宿は久住高原に取ってあります。途中、回り道になりますが、耶馬溪にいろいろなみどころがあるので、そのうちのどこかによっていきたいと考えいます。まずは、シャクナゲまつりが開かれているというもう一つの会場、ミヤシノシャクナゲ園に寄ろうと考えています。そこから日田の方にぬけられるか宿で確認したところ、うきは市の方に行った方がよいといわれたのでそのようにします。

43 4/27 星野村からうきは市へ

 星野村からうきは市の方に行くためには、市役所支所から北側に峠越えの道を通ることになります。市役所支所から道がぐるっと回ったところに、段々畑が見えてきます。ここは茶畑が中心のようです。お茶の木の列が整然としていてきれいです。横に製茶工場があります。このあたりが星野茶の栽培中心地になるのでしょうか。面積的はここだけでは狭いようです。

44 4/27 うきは市南新川

 調音の滝から下っていくとうきはの市街地につきます。うきは市で他に何かあればよっていきたいものです。情報が全くないので、まずは情報収集しないといけません。耶馬溪の方にぬける通り道に道の駅があります。ここで情報を得られそうです。まずはここを目指していくことにします。
 星野村からの道に戻ってしばらく走ると、シャクナゲの群生しているところがあります。規模は小さめです。ここのものも個人が植えているのでしょうか。

45 4/27 うきは市居蔵の館

 通りからみて南新川と反対側に居蔵の館があります。吉井の町は江戸時代末期から明治時代にかけて何度かの大火を経験しているようです。類焼しないないようにと、建物をしっくいでかためて蔵のようになった住居を居蔵というようです。この建物は、明治末期に建てられたもので、この付近の代表的な居蔵家の1つだそうです。

46 4/27 うきは市鏡田屋敷

 鏡田屋敷も行ってみることにします。通りと南新川が並んでいるところの西端にあるのが居蔵の館で、鏡田屋敷は東の端にあります。ここは、他の建物が通りに面して建てられているのに対して、土蔵と塀で囲まれあいだに庭園をおく作りになっています。吉井の町でこのような形の建物はここだけだそうです。通りからみても土蔵が見えるだけなので、あまり立派な感じがしません。

47 4/27 うきは市白壁通り・壁しっくい通り

 次は歴史的建物群保存地区の方に行くことにします。来た道を引き返し、観光案内所からの道と合流した場所あたりから先が白壁通りになります。道は左に曲がり、南側を東西に通る筑後街道の方に向かいます。白しっくいで塗り固められた建物が見えてきます。壁に、鶴亀の絵が描かれている建物がありました。電気メータの上に亀がいます。

48 4/27 中津市奥耶馬溪魔林峡

 うきは市から先は、耶馬溪を見に行く予定です。日田を通って、奥耶馬溪トンネルをぬけて走っていると、左折で猿飛千壺峡と書かれた案内を目にします。興味はあるのですが距離がわからないのでとりあえずパスすることにします。このまままっすぐ2kmほど進むと道の駅があります。そこで情報を入手するのが優先です。
 道の駅でわかったのは、猿飛千壺峡は分岐点から2−3kmほど入ったところにあり、付近一帯は奥耶馬溪と呼ばれていることです。「何とか耶馬溪」には寄る予定でした。当然引き返していくことにしました。

49 4/27 中津市奥耶馬溪猿飛千壺峡

 万葉歌碑ロードにそって句碑がいっぱい並んでいます。一個くらいなら見ても時間がそれほどかからないのでみようかなと思うのですが、これだけあれば切りがありません。結局は素通りです。句碑よりは川がどうなっているかみたいです。といっても堰堤の上流側なので、水がたまっているところか、土砂に埋め立てられたところしか見えないでしょう。やっと見えたところは、土砂で埋まっています。

50 4/27 中津奥耶馬溪から深耶馬溪へ

 なんとか耶馬溪というのは他にもたくさんあります。情報の入手できそうな場所としては、道を下っていった先にある道の駅耶馬トピアです。次の目的地はここにします。青の洞門の近くにあります。この時点では、ここしか思いつかなかったのですが、他にも、コアやまくにとか耶馬溪サイクリングターミナルとかいくつかあったようです。

51 4/27 中津市深耶馬溪一目八景へ

 深耶馬溪の駐車場の端に観光案内所がありました。ここを見終わったらまっすぐ宿に向かわないといけない時間になっています。新たな情報が入っても意味がありませんが、一応周辺の観光情報を入手するために入ることにします。なんとかこの付近の案内図が手に入りました。詳しく書かれていると思ったのですが、合併前の耶馬溪町の範囲しか書かれていません。やまくにで入手したのは旧山国町の範囲だけでした。少なくとも中津市市内全部をまとめたものがあるといいように思います。

52 4/27 中津市深耶馬溪展望所

 一目八景展望台からは、周囲の山や崖がよく見えます。それぞれに名前がつけられいて、一目で八つ見えることから名付けられているようです。山の名前が書かれているのですが、全部あわせても8個はなかったようです。解説のないのもいくつかあるのでしょう。一目で8個ではなくたくさんという意味なのかも知れません。

53 4/27 深耶馬溪から九重山九酔渓

 深耶馬溪群猿山の展望所から下りて、駐車場に戻ります。この先まだ1時間以上走らないと宿には着きません。トイレをすませてから出発になります。トイレのある場所は、遊歩道入口側ではなく。観光案内所の隣です。再び車を移動させます。案内所はちょうど閉まろうとしていました。
 車を下りて歩き始めると鳥の声が聞こえてきます。電線に止まっているのが見えます。キセキレイです。渓流沿いに多い鳥です。

54 4/27 九重山

 茶屋のあたりから道はだんだん平坦になってきます。二つ目の茶屋を過ぎると、普通の平野のようです。火砕流台地のようです。地名でいえば飯田(はんだ)高原というところにぬけたようです。ここには最近になって大吊り橋ができたようです。入り口の前まで来ましたが、入場時間が終わっているのでゲートが閉められています。だいぶ遅くなってきたので、このまえに車を止めて宿に到着時間の連絡を入れることにします。そのついでに、この先の道について確認することにします。持っている地図には、今いる県道をまっすぐ進むコースとやまなみハイウェイに迂回するコーストが書かれています。やまなみハイウェイの方を通るようにとのことでした。分岐点に注意しながら走らせましたが、こちらにくる方がまっすぐだったようです。

55 4/28 久住高原

 九州に入って5日目の朝です。今日は雲1つないいい天気となっています。この旅行中では一番いい天気でしょう。外に出て景色を見ることにします。
 朝靄の中に遠くの山が見えます。方角的にみると阿蘇山の中央火口丘になります。2つ並んだ左側のピークが根古岳、右側が中岳と高岳になります。さらに右側緩く低くなっていく中で少し高くなっているところが烏帽子岳と杵島岳です。何となくカルデラの中に雲海ができているように見えます。

56 4/28 久住高原から黄牛の滝へ

 宿の精算をしようとしたときに、気がついたことがあります。宿のある竹田市と住んでいる市は姉妹都市になっている関係で、市に申請をすれば宿泊補助が出ます。かなりの額になるので申請すべきでした。手続きは旅行開始一週間前までとになっています。気がつくのが遅すぎました。前回泊まったときはこのような制度がある事自体知りませんでした。

57 4/28 久住高原黄牛の滝から豊後大野へ

 「黄牛」と書いて「あめうし」と読みます。肥後地方にたくさんいた牛だそうです。昔ここに住んでいた龍が悪さをするので旅の僧が子牛の頭を生け贄として投げ込んで龍を鎮めたとかいう話が残されています。
 谷の水深も深く滝の正面にまわってみることはできません。横から見るだけです。滝には半分だけ光が当たって写真写りは良くありません。

58 4/28 豊後大野市原尻の滝 1/2

 竹田市岡城の下から峠を越えると豊後大野市になります。山を降りるとすぐに原尻の滝と道の駅が並んであります。豊後大野市にはジオパークが設けられています。その情報も入手したいので、道の駅から原尻の滝に行くことにします。
 道の駅の近くまできたら右折の標識がみえたので、曲がりました。

59 4/28 豊後大野市 原尻の滝から轟橋へ

 原尻の滝を一周する直前の所から、滝下の河原に降りる道があります。降りて下から滝を眺めることにします。降りた河原は背丈くらいの高さの草がまばらに生えています。これを避けて写真を撮ろうとするとどうしても滝に近づくことになります。特等地は、三脚を構えたカメラマンが占拠しています。何とかそれを避けて写した写真です。NDフィルターを使ってプロが好む形にしてみました。近すぎるので全景を入れきることはできません。

60 4/28 豊後大野市 轟橋から沈堕の滝へ

 奥嶽川右岸沿いの道路を上流に向かって車を走らせています。所々に、この先稲積沈水鍾乳洞と書かれた案内板が立っています。この先にあれば寄ってみようと思っていました。天然橋を過ぎた所で、鍾乳洞方向は山越えになります。方向違いですので、こちらはあきらめます。水中にある鍾乳洞は、ダイビングでもしないと見えないはずです。もちろん泳げませんので、それどころの話ではありません。

61 4/28 豊後大野市沈堕の滝・発電所跡

 雪舟が陳田瀑図として陳田の滝を描いています。昔からの名所だったのでしょう。明治末期にこの滝の落差を利用して水力発電所が作られました。滝の上にも堰が設けられています。川の水は発電に使われ、一時は滝から落ちる水がなくなったようです。昭和になって元通りの滝がみられるように復元工事が行われ現在に至っています。滝の手前に見えていた建物は発電所の遺構となります。東屋のあったところから滝に行くまでの道順に沿ってみていくことにします。

62 4/28 豊後大野市岩戸から虹澗橋

 この後まだ1−2ヵ所はどこかに寄れそうです。このまま北上して大分にぬけるのは早いようです。臼杵の方に回ることにします。元の国道にもどり西に進みます。しばらくは大野川沿いに下っていくことになります。
 少し行くと正面に大きな崖が見えてきました。大野川はここで大きく左に曲がっています。崖は右側にも続いていますから、大野川だけが作ったものではないようです。帰ってから地図で確認すると、轟橋のあった奥嶽川がこの崖に沿って流れています。どちらかというと奥嶽川が作った崖でしょう。

63 4/28 臼杵市 風連洞1/2

 虹澗橋から臼杵市街に向けて走る途中、佐伯の方に曲がり7kmほど行くと風連鍾乳洞があります。こちらの方に行くことにします。稲積鍾乳洞へ無理に行かなかったのは、こちらに鍾乳洞がある事を知っていたからです。
 佐伯への道路から分かれ山の中に少し入ったところに、風連鍾乳洞はあります。洞前の駐車場は広く、ここから鍾乳洞観光センターまでもちょっとあります。花などを見ながら歩いて行きます。今は藤の花が咲いています。途中2ヵ所に吉四六さんの昔話が書かれた看板があります。この近く以外にも何カ所かにありそうです。

64 4/28 臼杵市 風連洞 2/2

 鍾乳洞の半ばをすぎたくらいのところで奥からやってきた夫婦連れから、奥は素晴らしいですよといわれました。あまり期待はしていませんが、楽しみにしますと答えておきました。もらったパンフには洞内の地図がありません。後どれくらい残っているのか見当はつきません。といっても、見学場所の設定は限界があります。そろそろ終わりかも知れません。

65 4/28 臼杵市 稲葉家下屋敷

 フェリーの時間を考えたら、臼杵市内へはいけそうですが、まわるのにそれほど時間は取れないようです。臼杵城か稲葉家下屋敷かどちらかになりそうです。下屋敷の方にいくことにします。下屋敷の前に駐車場がありますからここに車を入れます。有料でした。事前に入手していた市内地図には、駅前の駐車場は有料駐車場と書かれていてここは普通に駐車場と書かれているのでてっきり無料だと思っていました。

66 4/28 臼杵市街

 稲葉家下屋敷の中は何も考えずに歩いたので、後で写真を見直しても、どこをどう撮ったものかわかりません。外からの写真と内部の写真が入り乱れています。だいたい整理がついてわかったのは、大書院を通りぬけて縁側から庭園に下り、そのまま平井家住宅に行った後、西の間を外側からみて大書院に戻り、縁側から建物内部に入っています。内部では畳廊下を通って台所、台所2階へ行き、御居間をみてから表玄関からでて、反時計回りに御居間・台所の東側にまわっています。

67 4/28 臼杵から別府

 臼杵市の駐車場を出発した時点で、フェリーの出発時刻まであと2時間半を切っています。1時間前までに到着するようにと指示がありますから、時間に間に合うように行くには高速道路を使うしかないでしょう。地道ではかなり遠回りになります。カーナビの出した道は大分米良ICまで行ってそこから一般道に入るものです。渋滞とかがなければじゅうぶん間に合うコースでしょう。この通り行くことにします。

68 4/29 明石海峡から大阪

 寝る前に船内の案内を見ていたときに、来島海峡大橋・瀬戸大橋・明石海峡大橋の通過予定時刻が書かれているのを見つけました。来島海峡大橋・瀬戸大橋の通過は夜中になります。この時間帯に起きてごそごそするのもはばかられます。目が覚めるかどうかも問題です。船の構造上船室からデッキまで大きくぐるっと回らないといけないというのも大変です。無理はしないことにします。

69   感想・余談など(1/3)

<阿蘇山>
 今回の旅行記のタイトルは、阿蘇山を臭わせるようなものになっています。何かないかと考えている内に、阿蘇山を一周するということで、このタイトルを思いつきました。実際にはそれほど阿蘇山に近づいていないので、「大回り」をつけることにしました。これで、なんとか制限文字数10文字以内に治まりました。ただあとで、これでもタイトルが長いという気持ちになってきたので、「大回り」を取ってしまいました。

70   感想・余談など(2/3)

<溶結凝灰岩>
 今回の旅行中にいくつかの溶結凝灰岩にであいました。例を挙げてみます。阿蘇火砕流の溶結凝灰岩もそれなのですが、人吉市の釜の奥戸の加久藤溶結凝灰岩、深耶馬溪の溶結凝灰岩がそうです。おそらく、奥耶馬溪の変朽安山岩とされていたものも溶結凝灰岩なのでしょう。溶結凝灰岩にはなっていませんでしたが宮崎市や西都市のシラス(入戸火砕流堆積物)もその仲間みたいなものです。玖珠町大岩扇山の柱状節理も厚さからみて溶結凝灰岩の可能性が大きいようです。

71   感想・余談など(3/3)

<自治体の温泉(宿泊)施設>
 相良村の宿で温泉に入りに来た地元住民の人たちが、施設について話をしていました。内容は、ここの施設は赤字経営なのでどうやって協力しようかというものでした。というわりには温泉にはたくさんの人たちが来ていたようです。宿泊施設に関してはもう少し利用者がいてもいいのではという感じがしました。

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