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ヨッシンと 地学の散歩

散歩道の四方山話 


1.日本海はどのように作られたのか

 現在の日本海は今から約1500万年前にできました。どうしてそのようなことがわかるのでしょうか。 岩石は一般に非常に弱いのですが磁力を持っています。これを岩石残留磁気といいます。 この磁力の向きは、火成岩がマグマが冷えて固まるときの地球の磁場の向きにできます。そのため、 岩石残留磁気の方向は、当時の北極の方向を指すことになります。 岩石残留磁気をいろいろな時代の岩石で調べ、過去の地球の磁場の変化の様子が調べられてきました。 その結果、磁石が北極の方向を向いたり、南極の方向を向いたりする時期があったことがわかってきました。
 ところが、今から1500万年前前後に日本列島でできた火成岩の磁力の向きを調べてみると不思議なことがわかりました。 岩石残留磁気の向きは、1500万年前より新しい岩石では、現在とほぼ同じ向きかまったく逆向きになります。 これは普通に、岩石に磁力が残されたからで、向きが変わること以外特に問題になることではありません。 しかし、それより古い岩石からは、西南日本では北東方向に、東北日本では北西方向に北極があったように示されます。 当時の北極はひとつしかなかったはずなので、日本列島は不思議な回転をしたことになります。 つまり、西南日本は右回りに、東北日本は左回りに回転しているのです。このときの回転の中心はどこにあったのかは、 岩石残留磁気からはわかりません。というのは、西南日本で考えてみると、回転の中心を富山・広島・長崎と どこに置いても当時の北極を示す方向は、同じように回転するからです。
日本海拡大  そこで、日本列島の動きが出るだけ小さくなるように、また、大陸にぶつからないように動かすという条件をつけて考えてみることにします。 そうすると、回転の中心は西南日本では九州北西部に、東北日本では北海道西部に置くのがよいことになります。
 この条件に従って、日本列島を中央部で二つに分け、はじめの状態に戻してから、 そして、それぞれを回転させるとどうなるかを考えてみると右図のような図が書けます。回転を始める前の日本列島は赤系の色、 回転が終わってから(現在の日本列島)は緑系の色で記入しています。また、回転前の北(現在と同じ方向として)の方向を赤矢印、 回転させた後その方向がどちらを向くかを緑矢印で示しています。 回転の中心・角度とも正確ではありませんので、回転前がこのとおりであったというわけではありませんが、 だいたいの様子を知ることができます。
 ところで、移動前の日本列島があったところは、どうなったのでしょうか。大きな隙間ができます。 ここには、地下からマグマが噴出してきて、新しく海底が作られ、そこが日本海になりました。 大陸からきれいに切り離されたのではなく、いくつかの断片ができ、それが大和堆などとして日本海に取り残されています。
 驚くことにこの現象が起こった期間は、100万年以内と非常に短かったようです。
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2.フォッサマグナとグリーンタフ変動

 このように昔の日本列島の状態から回転させるのは、東北日本・西南日本を扉として観音開きのように開けることに相当します。 扉の動いたあとのすき間にできるのが日本海ですが、扉のあいだにもすき間ができます。このすき間でも、 地殻は大きく陥没し、激しい火山活動が起こります。このようにしてできた陥没地帯をフォッサマグナ(大地溝帯) と呼んでいます。もともと日本列島の中央を横断する形で、大きな陥没地帯が見られるということで、 大陥没地帯を意味するフォッサマグナと名づけられたものです。 一般に、 フォッサマグナの西縁は糸魚川−静岡構造線、東縁ははっきりしませんが柏崎−千葉構造線とされています。 フォッサマグナの中にも、関東山地など引きちぎられた昔の日本列島の一部が、断片的に取り残されています。
フォッサマグナ 右写真は、新潟県糸魚川市根知のフォッサマグナジオパークにある糸魚川−静岡構造線が露出している崖です。 写真の中央を横切るように糸魚川−静岡構造線が通っています。それより下(手前側)がフォッサマグナになります。  この頃の日本海沿岸地域や、フォッサマグナ地域の地層には特徴があります。 まず、 大きく陥没したことを示す巨礫岩が見られること、続いて熱水によって緑色に変色した凝灰岩・ 火山岩を主とする岩石が大量に見られることです。緑色に変色したような岩石を、 緑色の凝灰岩という意味のグリーンタフと呼んでいます。 また、このような大陥没に始まる地殻変動を、 グリーンタフ変動と呼んでいます。写真の場所では、海底噴火でできた枕状溶岩を中心とする岩石でできています。
 日本列島が動き、すき間ができ始めると、すき間に地盤が落ち込み陥没が始まります。地面が低くなりますので、 海が入り込んでくるようになります。さらにすき間が大きくなると、マントルの圧力が低下しマグマが発生し、 火山活動が起こりはじめます。比較的浅い海底での噴火なので火山岩や噴出物は変質し緑色のグリーンタフになります。
 このように、日本海の形成、フォッサマグナの形成、グリーンタフ変動は関連した地殻変動といえます。
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3.日本海形成の原因について

 それでは、日本列島を回転させ、日本海やフォッサマグナを作った原動力はどこにあったのでしょうか。 実際にははっきりとわかっていないというのが現状です。一般的にいわれているのは、次の説です。
日本海成立原因  まず、沈み込んだ海洋プレートによって水分が供給されますので、マグマが発生します。そしてそのマグマが上昇してくることによって、 マントル対流が起こります。マントル対流がわき上がってくるところではマントルが開くように流れることによって海嶺が作られ、 新しい海洋プレートが作られ日本海が作られると同時に、日本列島が押し出されます。
 この説は、日本海が現在考えられているような形ででできたとわかる以前に提唱されたものなのでいくつか現状に合わない事があります。 それだけではなく、説そのものにも難点があります。詳しく見ていくことにします。そのためなのか日本海形成の原因と書かれることは少ないようです。
 プレートの沈み込みによってマグマが発生することは、現在の東北日本の脊梁から日本海側にかけての地域にある火山帯や九州の火山帯が、 日本海溝や南海トラフから一定距離離れたところにあることから証明されています。ところが、東北地方や九州を見てもわかりますが、 現在海洋プレートが沈み込んでいる地域(サブダクション帯)の背面で海嶺が形成され陸地が猛烈な勢いで押し出され、 開くことによって溝のように低くなっているところはありません。また、海洋プレートを形成するほど大量のマグマを噴出する火山も見られません。 当然、その地域で、マントルの対流がおこっているとは非常に考えにくいのです。そもそも、海洋プレートの沈み込みによって、 大陸から離れないように大きく押されている上、このようなマントル対流は非常に弱いと考えられるので、日本海が広がっていくとは考えられません。
 日本列島が押し出されるにつれ、日本海溝の位置も押し出されていきます。そうなると、沈むプレートも押し出されていきます。 そうなるとマグマ発生の位置も動いていくことになります。ところが、に日本海拡大の原因になったマグマの上昇の中心と考えることのできる位置は、 拡大初期から終了まで変わっていないでしょう。そうでなければ、日本列島が開いていったことが説明できません。 さらに、海溝から現在のマグマ上昇の中心までの距離に比べて、日本海拡大開始時の場合の距離の方が大きいようです。
 決定的なのは、日本海形成に伴って作られたマグマは、海嶺型のマグマであり、沈み込み帯のマグマとは明らかに異なっていることです。 日本列島に見られる火山のマグマ組成は、カルクアルカリ岩系と呼ばれ、カリウムやナトリウムに比べてカルシウムが多く含まれています。 プレートの沈み込みによって、水分や二酸化炭素が供給され、マントル物質の融点が下がることによってできるマグマの特徴とされています。 これに対して、隠岐の島に見られるような日本海形成時にできた火山岩は、アルカリ岩系に属し、カリウムやナトリウムを多く含んでいます。 アルカリ岩系の火成岩は海嶺などに多く見られます。
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4.西南日本の地殻変動

 日本列島が開くように動いた原因を考える前に、それを遡った2000〜1500万年前頃、 西南日本のグリーンタフ地域に属さないところではどのようであったかを順を追って見ていくことにします。
 今から約1800万年前(日本海ができる300万年前)には、四国室戸岬の先端部で、マグマが上昇してきてハンレイ岩が作られました。 同種の岩石が、潮岬や足摺岬の先端部に見られるのでかなり広範囲にマグマが形成されたと考えられます。このマグマはどちらかといえば、 アルカリ岩に属するもので海嶺のようなところで形成されるものです。 その直後あたりから、紀伊半島中部や室戸半島中部は沈降を始め、浅海の堆積物がたまっていきます。
 1600万年前には、西南日本を東西に縦断する場所で沈降が始まり、浅海が入り込んできます。 現在の瀬戸内海とその延長地域沿いに見られるので、第一瀬戸内海と呼ばれることがあります。 この海は、一時深くなりますが、次第に土砂で埋め立てられ浅くなって、無くなっていきます。 その頃になると、ほぼ同じ地域で火山活動が始まります。 この活動で特徴的なのは、 火山岩として讃岐岩があることです。この火山活動の起こった地域を瀬戸内火山帯と呼ぶこともあります。 瀬戸内火山帯を作ったマグマは、カルクアルカリ岩マグマで海溝沿いの火山によく見られるものです。
マントルの運動  その後、火山活動は次第に弱まっていき、直後に日本海が形成されたようです。 なお、瀬戸内火山帯の活動は2期に分かれていて、 前期のものは1600万年前、後期のものは1400万年前という研究結果もあります。
 ところで、このような火山活動はどのようにして起こったのでしょうか。 日本列島南方太平洋下のマントル上部の温度は高く、 日本列島や日本海の下のマントル上部の温度は低ければ説明できると言う意見もありました。( 三宅康幸1985 瀬戸内区以南の中新世の中〜塩基性岩の組成変異など 右図参照)。 しかし、プレート理論が主流になると、 両マントルの間に沈み込むプレートが挟まり、両者は混じり合えないということでこの考えもいつのまにか消えてしまいました。
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5.日本海拡大時のプレート運動

 日本海拡大は地殻内部だけの変動ではないので、その原因はプレート運動やマントルにあると考えられます。 当時のプレート運動が、どのようになっていたかを考えるヒントは、日本列島南方の海底地形にあります。 (小林和男1980 深海底で何が起こっているか ブルーバックス)。
 日本列島南方には、伊豆−小笠原列島、その西側に四国海盆、さらにその西側に九州−パラオ海嶺と、平行に並んだ地形が見られます。 四国海盆の海底では、大西洋中央海嶺でみられるものによく似た、 地形や地磁気異常の縞模様が見られます。このことから、四国海盆は、その中央から、海底が拡大している事がわかります。 大西洋中央海嶺と違うのはそれが起こっていたのが、今から3000〜 1500万年前で、現在は拡大を停止していることです。 拡大した海底は九州−パラオ海嶺にぶつかると、 そこで沈み込んでいたようです。 それが、1500万年前にプレートがちぎれることによって、 海底の拡大が停止したようです。
 しかしこれでは、現在それがある位置で考えているので問題です。実際にはそれがあった位置、いいかえれば、 1500万年前以前の状態で考えてみる必要があります。もともとの四国海盆や九州−パラオ海嶺の昔の位置は、現在よりずっと南にあって、 フィリピン海プレートの移動によって北上してきています。また、日本海拡大前の日本列島の位置も考えるとどうなるのでしょうか。
 四国海盆を作った海嶺が伸びている方向は、それを乗せているフィリピン海プレートの動きの方向とほぼ一致します。 従って、当時の四国海盆の位置は現在とほぼ変わらない位置にあったと考えてていいでしょう。日本海拡大前の日本列島は、 大陸に張り付いていますので、日本列島沖合に列島とほぼ平行に四国海盆が伸びてきていたでしょう。 さらに、四国海盆の北方延長部で作られたプレートは、日本列島にぶつかるとそこで沈み込んでいました。 日本列島よりはるか南にあった九州−パラオ海嶺では、沈み込むプレートが1500万年前にちぎれてなくなってしまいました。
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6.マントルの変化と日本列島

 実際には、日本海ができた原因について完璧に説明できる方法は今のところ見つかっていません。正解にたどりつくためには、 いろいろな観点から検証してみる必要があります。ここでは、日本海ができる前後にマントルで起こった現象について一つの仮説を立て、 考えてみることにします。
 三宅の説では、南北のマントルの間に沈み込むプレートが挟まっていて、両者が混じり合えないというのが難点でした。 小林の説では、1500万年前に沈み込むプレートがちぎれる事件があったことが説明されています。 だとすると、 日本列島下でもマントルがちぎれ、それによって南北のマントル物質が混じり合うことができたのではないかということが考えられます。 とすると、三宅の考えた様な事柄が起こっていた可能性は非常に大きかったことになります。 一つだけ違うのは、 沈み込むプレートの影響を加味しないといけない点です。この点を考慮して考えを進めていくことにします。
日本海形成1  ここから先の話は、完全に想像だけの世界になります。学術的な根拠は乏しいので物語として読んでください。
 2000万年前までは、日本列島は大陸にくっついていました。南東から海洋プレートがやってきて、当時の日本列島にぶつかり、 そこで沈み込んでいました。
 約2000万年前に、足摺岬−室戸岬−潮岬を結ぶ線上の地下深部で海洋プレートがちぎれ始めます。 沈むプレートは、 加速しながら沈んでいきますので、ちぎれ目はだんだん開いていきます。ちょうど海嶺と同じようになりますので、 すき間にマントル物質が上昇してきて、マグマが発生し始めます。これが室戸岬のはんれい岩の元となります。 また、四国・紀伊半島南部では、沈み込むプレートによる地殻の引きずり込みがなくなりますので、隆起し陸化します。
 ちぎれたプレートは、斜めに沈み込むと同時に、ゆっくりと倒れていきます。上に冷たく重たいマントルが乗っているためです。 これに伴って、上にあるマントル・地殻が引きずり込まれ、地表は沈降します。紀伊半島南部などは沈降し海が入り込みました。
 さらに南側の地域では、暖かいマントル物質がプレートの切れ目から、冷たいマントルの上に乗り上げるように流れ込んでいきます。  このマントル物質の上昇流がぶつかる地域では逆に、地殻が持ち上げられ隆起します。同時に、ちぎれ残った海洋プレートも、 マントル物質が上昇してくるために、後から続いて押し寄せてくるプレートはあまり沈み込むことができません。 そのため、日本列島を乗せているプレートの下に滑り込むように入っていきます。
 このマントル流が上昇・下降する地域は、海洋プレートの移動に伴って次第に北側に移動していきます。
日本海形成2  1600万年前頃には、名古屋−奈良−大阪−岡山を結ぶ地域が隆起地域から沈降地域に転じ、第一瀬戸内海ができます。 これには世界的に起こっていた海水面上昇も関わって、海が大きく広がることになりました。この頃になると、この直下のマントルでは、 倒れるプレートから水分が供給されるため、マグマが発生し始めます。 これが、この地域で少し遅れて起こった火山活動のもととなりました。
 1500万年前ころには、暖かい上昇流がわき出す地域は日本海沿岸地域があった場所を越えました。 同時に、 大陸下に滑り込んでいる海洋プレートの先端よりはるか前に回り込むようになります。こうなると、海洋プレートを持ち上げる力がなくなり、 海洋プレートは沈み込みを始めます。海洋プレート下のマントル物質は回り込んでいって、マントル上昇流と合流し、マントル上昇流は強くなります。
 マントル上昇流が強くなったことによって、大陸プレートにも変化が起こります。マントル上昇流で持ち上げられた大陸プレートは、 上昇流の中心から外側に広がろうとしていました。ところが、これまでは海洋プレートに押されて広がれないでいました。 ここで、下から支えていた海洋プレートが離れると、海洋プレートと大陸プレートとの間の摩擦が少なくなりました。 摩擦が小さくなることによって、海洋プレートに押される力が弱くなっていくのと同時に、大陸プレートが広がりやすくなります。そして、 大陸プレートが一気に裂け、大陸の一部がは押し出され始めます。その裂け目は日本海となり、押し出された大陸プレートが日本列島になりました。
 その後、沈むプレートの落下速度は低下し、そのまま斜めに沈むようになります。この頃になると、沈むプレートにマントル上昇流は遮られ、 日本海海底下へのマントルの流入は止まります。こうしてわずかな期間で日本海の拡大は停止します。
 沈むプレートがちぎれたとすると、日本海ができるのが説明できたようですが、実際にはつじつまが合わないところもあります。 その中で、致命的になりうるものとして、グリーンタフ変動の活動期間をあげる事ができます。日本海沿岸地域では、地盤陥没に始まる火山活動が、 日本海ができるかなり前に始まり500万年間も続きました。この仮説では、日本海ができる直前に火山活動が始まることになります。 結局は、いろいろな説を検証し、よりよいものを見つけていくことが大事でしょう。
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7.日本海と日本列島の将来

 現在日本海の拡大は完全に停止してます。それどころか、東北日本は西に向かう太平洋プレートに押される形で西側に移動して中国大陸に近づき、 日本海は狭くなっています。日本海海底は、東北日本西側で日本列島の下にもぐりこんでいます。 そのため時々東北日本西側で地震が発生します。この潜り込みは、日本海海底が日本列島に押し寄せてきていると言うより、 日本列島が日本海に割り込んでいるため起こっていると考えた方がいいでしょう。
 東北日本の下に潜り込んだ日本海からのプレートが太平洋から沈み込んでいるプレートとぶつかるとどうなるのか想像できませんが、 どうなるにしても、東北日本は西に移動し、日本海は狭められていきます。日本海が半分くらいの大きさになった頃には、 大和堆などの海底にある高まりは集まって持ち上げられ、陸地に変わっていくでしょう。
 西南日本でも、基本的に東南東−西北西方向の圧縮が加わっています。この様子は、地震断層の走向とずれの様子や、 地震発生機構の解析からも知ることができます。このことから西南日本でも、 太平洋プレートからの力が主体であることが推定できます。しかし、地震断層が多いのは中央構造線以北の内帯のみで、、 以南の外帯では東西性の構造や活断層が目立ちます。両者では、圧縮されている様子が異なるようです。 これは、最近の中央構造線が右横ずれに動いているのと関係しているようです。内帯は太平洋プレートの力をまともに受けてつぶれているのに対して、 外帯は西にずれることで力を受け流しているように見えます。東西方向に縮まった中国地方に紀伊半島が、 北九州に四国がくっついている時がくるかもしれません。
 東北日本と西南日本内帯がぶつかり合っているのが、フォッサマグナ地域です。 ここでは、衝突によって激しい隆起が起こっていて、 日本アルプスと呼ばれる高い山地ができています。この衝突がいつまで続くか予測できません。





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