岩の表面に不思議な形をした模様が見えます。この中に、馬蹄形をしたものがあるというので
馬蹄石
と名付けられています。右手前角にあるうっすらとしたものが何となくそのような形に見えます。
模様の部分をよく見ると、周りの泥のかたまりと違って、半透明な灰色の物質でできています。
化石を見慣れた人なら貝化石か何かとすぐに気がつくでしょう。実際に、周りを探してみると、
右のようなものがあり、カキの化石であることがわかります。
馬蹄石となっているところは、地層の中にカキ化石が密集して入っています。
そして、カキの殻の部分が川の水や雨水で溶かされ模様となって浮かび上がってできたものです。
カキ化石が密集することによって、化石の成分の炭酸カルシウムが周りの地層にしみ出し、
周りの岩石を硬くしています。そのためこの部分は浸食に強く、川に取り残され堰のようになっています。
貝化石が密集して地層中に入っている部分を
化石床といいます。
ここの化石床は、厚さ1mほどの地層のようになっていて、手前の道路直下から対岸まで続いています。
かなり広範囲にカキ化石が集まったことがわかります。
ところで、カキはここで生活していたものなのでしょうか。それともどこからか運ばれてきたものなのでしょうか。
一般的な化石床は、砂岩層中に見られることが多く、また、二枚貝の殻が別れうつぶせにたまっています。
この様な現象は、貝化石がどこかから運ばれてきたことを示しています。
ここのカキ化石の場合は、どうでしょうか。カキは泥や砂の中に潜り込む習性がありません。
そのため殻の向きで運ばれてきたかどうかを判断するのは難しいでしょう。別の面から考えてみます。
カキ化石は泥岩層中に入っています。このことから、貝殻を運ぶ水流はそれほど強くなかったと考えられます。
従って、カキはこの場所で生活していたと考えられます。
カキは岩場の岩に付着しているものをよく見かけますが、泥の上で生活するものもいたのでしょう。
それが何年もかかって地層になり、隆起し削られて、流水で模様が浮かび上がったのが、この馬蹄石です。
ここの地層は、今から約7000万年前に堆積した和泉層群と呼ばれる地層の一番下の部分です。
地面が沈み始め、干潟になる深さになった時にできたものです。
分類:堆積岩類 砕屑岩(石灰質泥岩)
産地:香川県 まんのう町 木戸
(県指定天然記念物)
カキ化石床は、大阪府高槻市上の口や箕面市小野原の約100万年前の地層中のものが有名でしたが、
宅地開発などで見ることができなくなりました。
まんのう町木戸の馬蹄石は成因がはっきりしているのですが、偶然そのような形に削られただけのものもあります。
たまたま、その近くを武将などの歴史上の有名人が通っていれば、
その人の乗っていた馬が踏ん張ったときにできたひづめの跡として伝らえれることがあります。
右写真は、長崎県壱岐市勝本聖母宮の近くにある馬蹄石で、
いくつかのくぼみが、神功皇后が朝鮮遠征時に乗っていた馬のひづめの跡とされています。
見ただけでは、どれをさしているのかは分かりません。
この部分2016.4.25追記