幅2cm弱の黒みがかった少し湾曲した帯状の模様ができているのが見えます。この模様は、
ところどころで枝分かれしているように見えます。昔の人はこの形が、しょうぶやアヤメの形に似ていることから
しょうぶ石とかアヤメ石とかいう名前で呼んできました。
その後この石を詳細に研究した先生が、
海岸に生えているアマモのような植物の化石だと考え、コダイアマモと名付けました。現在海岸などで見かけるアマモは、
被子植物の仲間なので花を咲かせますが、そのような器官の化石は見つかっていません。どのようにして増えていたのでしょうか。
石についた模様をよく見ると、半円形の模様が並んでいるのが見えます。これはシダ植物などで見られる胞子のうのようなもので、
ここから胞子を飛ばして(海中なので流して)いたのではないかと考えました。
この先生の考えは、長い間正しいと信じられてきました。
ところが最近になって、この模様の黒っぽく見えるところが、従来考えられてきたような炭質物ではなく泥質物であることがわかりました。
つまり、黒く見える物質は、植物体が変質してできたものではなく、地層中に泥が流れ込んでできたものだということになります。
それではどのようにして地層中に泥が流れ込んだのでしょうか。この模様の含まれている地層は、一般に砂泥互層と呼ばれている物です。
地震などが起こると、やや深い海底では浅いところから震動でかき乱された泥水が流れ込んできます。この流れを乱泥流といいます。
この時に運ばれてきた土砂は、粒の大きな物から順番にたまっていきます。従って、下の方には砂が、その上には泥がたまっていって、
砂泥互層ができます。できた、砂泥互層はこのページの壁紙のようになっています。一つの乱泥流が治まってから次の乱泥流がくるまでの間は、
しばらく時間がかかります。この時に、ある種の動物が砂の層の上面をはったり穴を開けて進んだりした跡に、
泥が流れ込んでできたと考えられます。このように、生物がはったりしてつけた模様を生痕といい、それが地層中に残されていれば、
生痕化石といいます。生痕化石も立派な化石の一種です。
しょうぶ石は、植物化石と考えられていたのですが、
生痕化石と考えられるようになりました。いずれにしても化石であることには変わりがありません。
分類: 堆積岩類 砂岩
和泉層群 (中生代白亜紀)
化石としては 所属不明
産地:和歌山市加太戎崎
一般に、葉化石などは炭質物が残っていなことがあります。また、生痕化石にも泥質物がないものがふつうです。
生痕化石だとして、乱泥流のあといつできたのか、どのように泥が流れ込んだか、栄養豊富そうな泥になぜいなかったのか等の疑問がいっぱいあります。
和歌山市加太から大阪府岬町多奈川までの海岸には、しょうぶ石がたくさん見られます。
また、みさき公園には、地層から露出した状態で化石が保存されています。
いつかは風化してなくなってしまうかもしれませんが、じっくり観察してこれらの問題を考えてみるのもいいのではないでしょうか。