この岩石は、今から200万年前に堆積した大阪層群と呼ばれる地層を作っているれき岩のれき(石ころ)です。
だから、れき岩といった方がいいのかもしれません。しかし、れきだけを取り出して、
れきが何かということに注目したらこの石は正珪岩となります。特徴は、砂粒の集まりである砂岩のように見えますが、
少し透明感があり白いチャートのようでもあるところです。つまり、砂岩とチャートの中間の岩石です。粒の大きな白いチャートといった感じです。
これは、石英ばかりでできた珪砂(けいさ)が固まってできた石だからです。
また、顕微鏡で見ると石英の粒はまん丸で大きさがそろっていることがわかります。
風化に強い石英ばかりでできていて、しかもそれがまん丸になっていることから、
石を作った珪砂は相当長時間風化をうけたもので、粒の大きさや特徴とかいったことから、砂漠で作られたものだと考えられています。
砂漠は一般に大きな大陸にありますから、大陸内部で作られた石ということになります。
中国大陸にもにた石があるそうです。これらのことからこの石は中国大陸奥地から運ばれてきたと考えられています。
写真の赤紫色をした石には石英の他に、ジルコンというこれも風化に強い鉱物も含まれています。このことからもこの岩石は、
砂漠で作られたことを裏付けています。ジルコンは内部に放射性元素を多量に含み、それが核分裂するときに小さな傷をいっぱいつけます。
そのため、古い時代のジルコンは色がついて見えることがあるそうです。実際には放射性元素のつけた傷の数を数えることによって
ジルコンが作られたのが何年前かを求めることができます。ここの石から求められていませんが、
他で見つかるよく似た石は10億年前にできたことがわかっています。
ところで、日本で採集できるもっとも古い時代の岩石は何でしょうか。普通にいわれているのは、飛騨の上麻生れき岩中の片麻岩れきで、
これは8億年前のものだといわれています。ということは、この石は日本で採集できる最古の時代の岩石といえます。
この石にはもう一つ不思議なことがあります。200万年前、大阪層群ができるときに石ころとなって中国大陸から運ばれてきたのでしょうか。
実は、この頃には日本海はすでにできていたことがわかっています。
このことについてはここのリンク先を参照してください。
つまり、石が運ばれるときに、日本海を渡ることはできませんから、
中国大陸から来たものではないことになります。つまり、中国大陸から来たはずなのに来られないという問題があるのです。
そこで考えられたのが、日本海ができる前に日本に運ばれてきていったんどこかにたまり、
200万年前に再びそこから大阪まで運ばれてきたという考えです。いったんたまったのはどこかというと、いくつか候補がありますが、
その一つは 恐竜で有名な飛騨の手取層群ともいわれています。
岩石ができるときに、風化作用によって選別され、できた後も運ばれ風化に耐えぬいて残ったという非常に忍耐強い岩石です。
分類:堆積岩類(砂岩の一種)
産地:大阪府豊中市新千里西町
(島熊山)
ある種の鉱物が集まってできた岩石の場合、岩石の名前をつけるときに、鉱物名の後ろに「岩」をつけて呼ぶことがあります。
その代表的なものとしては、かんらん石できたかんらん岩があります。このような呼び方をするのは、火成岩に限ろうといういう意見もあります。
これに従えば、石英が集まってできた火成岩は石英岩ということになります(あまり使われていませんが)。
珪岩というのは、珪砂が堆積してできた岩石という意味なので特に問題はないようですが、
「珪」は石英を表す言葉として使われていましたから、その意味では問題があるようです。
ちなみに、英語の「クォーツァイト」は、クォーツ(水晶=石英)でできた岩石という意味になります。