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天井川はどうしててできる


天井川とは何か
 川の堤防上を歩いていると、たまに周囲の平地よりも川が高い所を流れているのに気がつくことがあります。 このような川は一般的に天井川と呼ばれています。家屋天井の高さのところを流れている川という意味です。 そのような例として、芥川のようすを示します。芥川は大阪府高槻市内を北から南に流れ、淀川に合流しています。
天井川
      図1 芥川と番田水路
 右側を手前から向こう側に流れているのが芥川です。堤防の左側にみえる水路に比べてかなり高い所を流れているのがわかります。 堤防の左側の地域は、芥川と淀川の堤防で囲まれ水はけが悪くなっています。1650年に洪水が起こったのをきっかけに、 高槻市南部に集まってくる芥川左岸の水を芥川の下をくぐらせて右岸側に排水する大樋が作られました。 現在では改修されていますが、高圧線鉄塔の手前に見える水門から芥川の反対側に抜けています。
 芥川の反対側でのようすです。
芥川をくぐってきた番田井路
 図2 芥川堤防と下をくぐってきた番田井路
 芥川の河床面ははっきりみえませんが、番田井路をくぐらせるためには少し高い所を流れている必要があります。 少なくとも芥川(淀川も同じ)の方が低ければこのようなものをわざわざ作る必要がありません。 このように考えてみても、芥川の河床は周囲の平地に比べて高い所を流れているのは明らかです。
 天井川の写真はこちらにもあります。

天井川とはどうしてできる(一般的な説明)
 ではどうして天井川ができるのでしょうか。ふつうに聞くのは以下のような説明でないでしょうか。
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 川の氾濫を防ぐために堤防を作ると、洪水時に流されてきた土砂は堤防の内側にたまって川底を持ち上げる。 そうなると、川が氾濫しやすくなるので堤防のかさ上げをしないといけなくなる。 これを繰り返していく内にだんだんと川底があがってきて天井川となる。
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 実際に川の流れを見ると川底に土砂がたまっているのを目にすることがあります。 芥川を上から見たときのようすです。上流方向を見ています。
芥川にたまっている土砂
     図3 芥川にたまっている土砂
 上面を水が流れたような模様が見えますから、洪水時にたまったものと考えられます。 現在の水面よりも高くなっているので、何となく土砂は盛り上がっていくのかなという感じがします。 とりあえず、この説を堤防かさ上げ説とよぶことにします。

堤防かさ上げ説の問題点
 ところで、川底に土砂がたまるのはいつでしょうか。洪水の時というのでは言葉足らずです。 実際に流れが遅くなるときときです。これはいつなのがというと洪水が引き始めたときになります。 だんだん流れが遅くなって運んできた土砂をおいていくようになります。 こちらに書かれている説明も参考にしてください。
 洪水が始まると流速はだんだん速くなります。川底にたまっている土砂を動かせる速度になると土砂を運び去り始めます。 流速が速い状態が続くと、その分だけたくさんの土砂を持っていきます。だんだん川底がえぐられていきます。
 洪水が起こった後の川原の写真です。
洪水でえぐられた河川敷
   図4 洪水でえぐられた河川敷
 河川敷が削られているのがわかります。水がたまっているので深さはわかりませんが、1m近く掘り下げられたところもあったようです。 後日見たときは土を詰めた大きなバッグ(フレコンバック)が埋められているところもありました。
 これからわかるのは、洪水は土砂を運んできてためるだけではなく持っていく場合もあるということです。 洪水の時間が長ければ長いほど流出する土砂は多いでしょう。洪水が治まりつつあるときにたまる土砂よりも多ければ川底は低くなります。 これでは洪水で運ばれてきた土砂がたまることによって天井川ができるといえないでしょう。

川底があがる条件
 発想を逆にしてみます。河床があがればどうなるのかということです。 川特に中下流部では、流れは一定しています。遅くなれば土砂がたまって河床を持ち上げ、速くなれば川底を削って河床を下げていきます。 結局、河床の勾配は流れの速さに従った角度で一定になっていきます。究極的には上流部まで一定の傾斜を保った川になります。 このような川は平衡河川と呼ばれています。こちらにも説明があります。
 川の勾配が一定と考えてみます。水量と運ばれてくる土砂の量が関係します、昔もそれほど変わらないとすると、勾配もそれほど変わっていないでしょう。 河床を持ち上げて勾配を同じにして下流側に追いかけていくと、現在の河口よりも沖合で海抜0mになります。 これは天井川になるためには、河口が沖合に移動しなければならないことを示しています。
 芥川の場合、写真のすぐ下流で淀川と合流するので話はややこしくなります。 基本的に淀川をいっしょにしても同じ事になりますから、芥川に淀川がくついたとして考えます。
 縄文時代早期には、写真撮影をした付近から南側にかけては大きな入り江になっていました。これは河内湾と呼ばれています。 その後川によって運ばれてくる土砂によって河内湾は埋め立てられ、現在では大阪市天満付近の河内湾入り口を超えてずっと西方で大阪湾に注いでいます。 だんだんと河口が西側遠くへ移動していったことがわかっています。
 河口が遠くなり、そこから一定の傾斜で河床が上がっていくと、昔に比べて上流にあたる地域の河床はどうしても高くなっていきます。 天井川ができるのは、河口が遠ざかっていったからといっていいでしょう。

さらなる原因
 河口が遠ざかっていくと天井川ができるとしても一つ問題が残ります。河床があがったことによって川が氾濫しやすくなります。 氾濫すると、川は今までと別の低い所を流れるようになります。 そうなった川では河床があがって周囲よりわずかに高くなってということを繰り返していきます。 結局、周辺の地面が川の勾配に見合う高さまで埋め立てられて、全体がかさ上げされていきます。 これでは天井川はできません。
 高さに差ができるためには、氾濫しなければよい。そうすると、周囲の氾濫原は低いままになります。 氾濫しないようにするには、堤防を作ればよいことになります。堤防で囲まれたところには土砂がたまります。その結果天井川になります。
 結局のところ堤防かさ上げ説が正しいようにみえます。でも、実際には堤防を作っただけでは土砂はたまらないという点でこの説は間違いです。 河口が前進しているという条件が必要です。 堤防を作ったために、本来なら氾濫原にたまるはずだった土砂を河口付近まで運んで堆積させ河口を急速に前進させるかも知れません。 そこまで説明した上での堤防かさ上げ説なら正しいでしょう。そのままでは言葉足らずです。 話は飛躍しますが、見方によったら、河口付近を埋め立てるのも、天井川を作ったり上流域に洪水を起こしたりする原因となるのかも知れません。

2024/06/30 ページ作成



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