石を人工的に並べたような構造物はストーンサークルと呼ばれることがあります。日本語で環状列石という場合もあります。
岡山県西粟倉村と兵庫県宍粟市との県境にあるダルガ峰(だるがなる)の北西斜面にも奇妙な石の配列があります。
ストンサークルとかちょっと控えめに謎の石柱群というようにもよばれています。
ここの特徴は、石の柱が誰かが立てたように置かれているという点にあります。
細長い石が地面に突き刺さったように立っているのは自然にできたとは思えない風景です。
それも1本ではなく何本かあります。写真からは傾いているものも含めて7本確認できます。
誰かが石を細長く細工し、何らかの目的で設置したのではという考えもでてくるのは自然な成り行きでしょう。
直立する石があるものの、その配置に規則性が見られない、立っているのがやっとという急斜面上にあるといったことから、
そもそも人工的に作られたものなのかという疑問もでてきます。
とりあえずは、こういったものが自然にできないのかという点に注目して考えてみることにします。
まず、石が細長くなるという時点で奇妙だといえます。ところが、柱状節理ができると石はこのような割れ方をするのが普通です。
これは玄武岩ではよくみられる構造です。このサイト内にも、
越前松島材木岩や
田倉玄武岩公園、
生月島塩俵園地、
唐津市七ツ釜の写真があります。さらにこのページの壁紙も柱状節理を上面から見たものです。
柱状節理は玄武岩に限らず、安山岩や溶結凝灰岩でもできる事があります。
玄武岩では他の岩石に比べて、柱が細く、整った形になることが多いので、ここでは玄武岩と限定しています。
柱状節理では、柱の横断面は六角形をするのが普通です。側面どうしの角度は120度くらいになります。
右手前側の石柱は、側面が3面見えていますから、面どおしの角度は直角よりも大きな角度になっている事がわかります。
人工的な石柱に多い四角柱型ではなく、六角柱型になっているようです。他の石柱でも同様なことがいえます。
このようなことから、ここの石柱は柱状節理に沿って割れてできたように見えます。
この付近に玄武岩が露出していれば、そこにできた節理に沿って割れることで石柱が作られたと推定することができます。
地質調査所の地質図で確認するとダルガ峰に、新第三紀中新世〜鮮新世の玄武岩が分布しているとなっています。
同様の岩石は、北西約20kmのところにある津山市黒岩高原にもあるようです。
ストーンサークルのある場所の標高はダルガ峰に比べて100mほど低くなっていますから、ダルガ峰と同じ岩石があるとは限りません。
山頂部は平らで、この面はサークルのある方に向かってわずかに傾いています。
玄武岩層がこれと同じように傾いているとしてもまだ50mほど高さがずれているようです。
ここにも玄武岩が露出しているか確認する必要があります。
「ダルガなる」の「なる」には平らな場所という意味があるようです。
たとえば、平らにすることを「ならす」というように使っています。
岩石を確認します。といっても、石の表面はコケで覆われているので、岩石種は確認できません。他の方法を考えます。
まず周辺に落ちている石(転石)を確認します。
すぐ下の自然歩道上では、花こう岩の小石に混ざって玄武岩の転石がたくさん見られます。
脇にある自然歩道を50mほど登った所で溝に合流する小さな沢の底にも玄武岩が露出しています。
このことから玄武岩の可能性が濃厚になりました。
自然歩道を50mほど下ったところから横の斜面を見上げると、
少し高いところで柱状の岩石が並んで土に埋まっているようすが見えます(右写真)。
露出している部分が少ないので判定しづらいのですが、柱状節理のように見えます。
この高さとストーンサークル、沢の玄武岩の高さはほぼ同じになります。
柱状節理が直立している事から、玄武岩層はそれに直角な水平面上にあると考えられますから、
これらは全て同じ玄武岩層に属しているのでしょう。
このようなことから、ストーンサークルのあるあたりには、柱状節理を持った玄武岩が露出しているといえます。
ここまでで、石柱がどうしてできたのか判明しました。まだもう一つ疑問が残っています。
石柱はどうして直立しているのかという問題です。
少なくともはっきりわかるのは、石柱がばらばらになっている事から、柱状節理が崩れているのではという推定が成り立ちます。
一本いっぽんの石柱についてみると斜面の下にあるものほど下の方にずり落ちたように見える位置にあるというのもこの考えを裏付けているようです。
ところが、全国各地の柱状節理が見られる場所で崩れた石柱を探しても、単独で直立しているのは見かけません。
崩れるときにどうしても倒れてしまうのがその理由のようです。何か倒さずに柱状節理を崩す方法があるのでしょうか。
この付近での地質学的な大きな特徴の一つに、たたら鉱山がたくさんあるということがあげられます。砂鉄を採取していた鉱山です。
自然歩道を谷底まで降りていったところに永昌山鉄山というたたら鉱山跡があります。
ダルガ峰の向こう側の宍粟市側でも天児屋鉄山や高羅鉄山といった砂鉄を採取していたところがあります。
たたら鉱山跡は、ダルガ峰近辺だけではなく西方の山口県近くまでの中国地方に広く分布しています。
たたら鉱山では、掘ったら高濃度で砂鉄が出てくるというわけではありません。付近の山から花こう岩が風化してできた真砂土をあつめ、
川の流れを利用した鉄穴(かんな)流しという方法で、真砂土の中から砂鉄分をより分けて採取します。
鉄山がたくさんあるということは、付近の山を作る花こう岩は真砂土化している事を示しています。
ダルガ峰の反対側にあるちくさ高原は、真砂土を切り崩してできた平坦地とされています。
真砂土を採取した後に残されてできる鉄穴残丘といった特殊な形の山もあるようです。
実際この付近の崖では、花こう岩が風化した真紗を見ることができます(右写真)。
岩石が風化して真砂土になっていると何か違ってくることがあるのでしょうか。
一般的な岩石の上に、柱状節理のある玄武岩が乗っているとします。
下の岩石が少しずつ削られていくと、柱状節理の石柱は足元が不安定になってきて、バランスが悪くなり倒れていきます。
これだと崩れた後、柱が直立するというのはなさそうです。
真砂土のような崩れやすい岩盤が下にある場合、石柱はバランスが悪くなって倒れる場合もありますが
真砂土の岩盤ごと崩れてしまうこともあるでしょう。この時には、石柱は倒れずに滑るように下って行くこともありそうです。
石柱がいっしょに崩れた真紗土にに半分埋まり、立ったまま斜面に取り残されるということも起こりそうです。
斜面の下の方にある石柱ほど高度が低いというのもこれで説明がつきそうです。
柱状節理によってできた石柱が、下で支えていた真砂土ごと崩れ落ちてできたもののようです。
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<補足1>
確認しないといけないことがいくつかあります。順番に見ていきます。
1.ストーンサークル近辺の花こう岩は本当に真砂土になっているのか。
ストーンサークルの南側1.5kmほどの所に白雲の滝というのがあります。
ここには真砂土化していない花こう岩の岩盤が露出していて、その上から滝が流れ落ちています。
この場所の標高はストーンサークルのある所より50mほど低いだけです。
ちくさ高原でたたら用の真砂土を採取していた場所よりも100m以上高い所にあります。
高い所は真砂土、低い所深い所では花こう岩の岩盤というように簡単にはいかないようです。
となるとストンサークルのある場所でも真砂土化していない事だってありそうです。
この場合は石柱がずり落ちるということはめったに起こらないでしょう。
2.玄武岩と花こう岩の関係はどうなっているのか
中国地方全体で見れば、今から2500万年ほど前に大規模な侵食を受けて平野化します。大平原広がったと考えられています。
この大平原は、中国準平原と呼ばれます。この状態が数十万年前まで続きます。
この間に花こう岩が風化作用を受け表面から深い所まで真砂土化していきます。
玄武岩は、生成年代から見ると準平原が広がっている時にできたものです。
溶岩として表面を流れたもの(溶岩流)か、地下浅い所にシート上に入りこんだもの(岩床)かは、
現時点でわかっている情報からははっきりしません。
岩床の方がずり落ちた時に石と石の隙間に砂が入りこみやすそうです。でも、どちらでも大差はなさそうです。
花こう岩の溶岩が入りこんだり上を流れた時には、花こう岩が熱変成作用を受けてホルンフェルス化します。
この時にすでに、真砂土化していた場合は影響が大きく、かたくなります。
影響がどの程度あるのかはっきりしませんが、しっかりかためられてしまうとずり落ちるのは難しくなりそうです。
溶岩の場合は一般的に、熱変成によって固くなる所はそれほど大きくないことが普通です。
玄武岩が被さることで、それより下にある花こう岩は風化作用の影響を受けにくくなりそうです。
場合によっては、真砂土化しないということもありそうです。こうなるとずり落ちるのに影響を与えそうです。
こういったことによる影響は、実際に岩石がどうなっているかを確認した方がよさそうです。
3.ずり落ちるか倒れるかの違いは何か
真砂土の上に柱状節理が乗っているとしても、真砂土が実際にずり落ちるように崩れるのかどうかはわかっていません。
さらに、ずり落ちるように崩れたとしても、柱状節理の柱が倒れるように崩れるかも知れません。
このあたりは実際に確認できているわけではありません。
山の斜面が崩れていくしくみは2通りあります。一般的には、がけ崩れとよばれているものと地すべりと呼ばれているものです。
ずり落ちるという表現で書いたのは、地すべりでみられる崩れ方を想定しています。
実際の所は、どのような場合に地すべりが起こるのかといったことはわかっていません。
逆に言えばこの付近で地すべりが起こるという確証もありません。
基本的は、山の斜面の足元が削り去られた場合にいずれかの現象が起こります。
崩れ落ちているとして、そのきっかけは何なのかということも考慮しておいた方がいいでしょう。
河川による浸食ということが多いのですがそれではなさそうです。対象となる川は遠く離れています。
他に可能性としては、自然歩道を作ったとか、たたら用の土を削り取ったということがありそうです。
実際の所はわかりません。
このようなことを再調査する必要がありそうです。
といってもせっかくのミステリーロマンをつぶしてしまうことも本意ではありません。
今のところこのまま置いておくのが良いような気がしていますから、これ以上は詮索しないことにします。
<補足2>
その後、この時に写した写真を整理していると、別の場所で石柱群のようなものが写っているのが見つかりました。詳細を記載します。
ストンサークルを訪れた時は、下っていく時には見つけられず、そのままだいぶ下まで降りてしまいました。
この時のようすは
こちらで報告しています。
その往復時に斜面上にある石を写していました。1枚目の写真は戻ってくる時に写したものです。
石柱のようなものがみえます。柱の傾き方が2方向あります。奥側の右に傾いているように写っているものと、
手前側のほとんど垂直に立っているようにみえる石です。この2ヵ所の間の石の間は何となく開いているようにみえます。
さらに写真を探してみると下っていく時に同じ場所を写していました。2枚目の写真になります。
1枚目の写真では、開いているのではという石は手前にある小枝の右側の一本と重なっています。三つくっついています。
2枚目の写真では右側手前にみえます。六角形の破断面の見える石が目印です。後方の石とだいぶ離れているように見えます。
後方の白く並んだ2つの石とヒノキと重なっている石は、1枚目では右側中段に並んで写っています。
斜面に埋もれるように見えているようすから、これは明らかに岩盤となっている柱状節理の一部といえます。
判断材料が写真だけなので、石と石の間がどれくらい離れているかは確定できません。
大きく開いている場合も考えられますし、ほとんどずれていないない、上下方向にずれていただけという場合もありそうです。
こちらの方は再調査の必要があるかとは思います。いつになるかわかりませんので、
それまでの間にサークルを見たついでに探していただけたらということもあり概略の報告をしました。
場所の確認をします。どこで写したかという記録はとっていませんから、正確な場所は不明です。その上でいくつかわかることを述べます。
戻る時に写した写真と、ストンサークルのすぐ下で写した写真のタイムスタンプの差は1分30秒ですから100mほど下った所になりそうです。
1枚目写真では斜面に向かって右側から、石より少し低い所から写しています。
2枚目は斜面の左下側から見上げるような形で写しています。岩盤の真ん中が少し奧へへこんでいる所の右側半分を拡大していますから、
正面下側から写したように見えます。
このことから、下っていく時に斜面が右側にみえるにところといえます。
ストンサークルの前から道を下っていくと、すぐに右にカーブし斜面が右側になります。このあたりのどこかのようです。
ヒノキの木が何本か写っていますからこれも探す目安になりそうです。
国内にはここ以外にもストーンサークルと呼ばれるものはたくさん見られます。そのほとんどが東北地方から北海道にかけ分布しています。
それらのものは、縄文時代後期に人工的に作られたとされています。祭祀や埋葬に関連したものが多いようです。
円形に石が並べられているもの以外にも何らかの配列を持つものも含めて、環状列石とかストーンサークルと呼ばれています。
このような環状列石の内、一番代表的なものが秋田県鹿角市大湯にある大湯環状列石で、万座環状列石と野中堂環状列石が並んで作られています。
右写真は、野中堂環状列石で二つの同心円の円周上に石が並べられています。中心の左側に単独で石が立っているところがあります。
この部分は日時計型組石と呼ばれていて、同心円の中心から見ると夏至の日の太陽が沈む方向に配置されているといわれています。
基本的に国内でストーンサークルと呼ばれているものは、このような縄文時代の遺跡がほとんどということになります。
2022.06.26 掲載
2023.06.14補足2