1.地震断層
1891年にあった濃尾地震は内陸部であった地震では非常に大きなものでした。
この地震で、被害状況を調べている時に地面(地盤)が大きく食い違っているところがたくさん見つかりました。
その中で最も大きずれた場所が根尾村水鳥地区(現在の本巣市根尾水鳥)のものです(右写真)。
写真の右手前から左奥に向かって延びる崖は、地震前にはありませんでした。
向こう側の地盤が、上に6m左(向こう側)に2m持ち上がるように動いてできたものです。
一般に地盤のずれた場所を断層といいます。この崖のあるところが断層ということになります。
断層は地層のずれとして確認されることがほとんどで、地盤がずれ動いたところがわかった最初の例です。
この地盤のずれたところは、近くを流れている根尾川にぞいの上流部にたくさん見つかりました。
これらのずれのある場所は、ひとつながりであると考えられる事から、それらのある地域の名前をとって「根尾谷断層」と呼ばれています。
他の場所で見つかった根尾谷断層の写真は
ここにもあります。
発見されてしばらくの間は、こういう現象もあるのだという程度にしか見られていませんでした。
その後国内でいくつかの地震が起こり、その調査をしていると動いたのではないかとみられる断層が見つかってきました。
その例を、最近のものも含めてあげていきます。
昭和2年(1927)北丹後地震です。
丹後半島の付け根の部分を横断するように、断層ができました。郷村断層といいます。
写真の場所では、側溝がまっすぐだったものが断層の動きで、手前側が右斜め下にずれています。
2本の石柱は元々隣同士だった場所を示しています。
この地震の調査後始めて活断層という言葉が使われたそうです。
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昭和5年(1930)北伊豆地震です。
この地震で、開削中だった東海道本線の丹那トンネルがずれたというので有名になりました。
断層は丹那断層といいます。
写真の場所では、石積の並びがまっすぐだったものが、断層運動で向こう側が左にずれています。
郷村断層と同じように2本の石柱で元々隣同士だった場所を示しています。
ここにも他の地点のものを載せています
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昭和49年(1974)伊豆半島沖地震です。
石廊崎の民家の裏にある崖が、半分だけ前にせり出してきた様子が観察され、詳しく報告されました。
これ以外にも、ずれの確認できたところがここから震央方向に向かって多数見つかり、石廊崎断層と名付けられました。
地震が起こる前から断層があったことがわかっていて、それが再び動いたものだということが確認されました。
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平成7年(1995)兵庫県南部地震(阪神淡路大震災)です。
震央の明石海峡から淡路島の西岸に沿って地面のずれが見つかりました。
そこは前から断層があるとされていた場所です。野島断層といいます。
シートがかぶっているところの左側の地面が40cmほど盛り上がっています。遠方の民家の塀もずれているのがわかります。
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平成28年(2016年)熊本地震です。
布田川・日奈久断層帯で起こった地震とされています。何本かの断層が動いたとみられ、地表付近でずれの確認できたところは広範囲に分布しています。
道路が補修されわかりにくくなっていますが、センターラインの曲がりなどから向こう側が右にずれながら盛り上がっていることがわかります。
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2.地震と断層の関係
地震が起こると、断層の運動が観察されます。
1回だけならたまたまということもありそうですが、何回も見つかってくると何かの関係があるように思われてきます。
地震が起こって断層が動くという理由はなさそうです。断層が動いたときに、その動きによって地震が発生するのではと考えた方が良さそうです。
このように考えてみると、地震がどうして起こるのかという問題は、
断層はどうしてずれるのか、あるいは、どうしてできるのかという問題に置き換えることができます。
右写真は、地震の時にコンクリートの建物の壁にできたひび割れです。「X」の字型に入っています。
かたいものに力が加わった時のひびの入り方は、だいたいこのようになります。岩石の一方向から大きな圧力をかけて破壊する実験をしてみます。
片側だけの「/」や「\」のようになることもありますが、「X」型に割れ目ができるのが普通です。
この時のひびは「+」ではなく「X」です。力を加えた方向に対して、斜め(45度)の方向になります。
岩石を圧縮しようとすると、コンニャクをつぶそうとしたときと同じように、加わっている力が弱い方向に膨らもうとします。
この時に膨らむ方向にも力が発生しますから、岩石に加わる力(実際にはねじれようとする力)は斜めの方向に伝わっていきます。
この力によって岩石が破壊されると、力の加わった方向
※1に対して(加わる力の一番弱かった方向に)斜めにひび割れができます。
このことからわかるのは、岩石(岩盤)に大きなひびが入る方向は、力の加わった方向に対して斜め(45度)の方向である事です。
これを逆に見れば、岩石(岩盤)にひびが入った場合、ひびの方向に対して斜め(45度)の方向に力が加わった事がわかります。
写真の場合は、上下方向か左右方向のどちらかに力が加わった事が読み取れます
※2。
※1 |
一番大きな力が加わった方向を最大圧縮応力軸、一番弱い方向を最小圧縮応力軸(地学では引張力は基本的には働かないので)といいます。 |
※2 | どちらの場合も同じようなひび割れができますから、これだけではどちらであるかの判断はできません。 |
岩石の圧縮破壊実験をすると、岩石が割れるときに大きな音がします。音は空気の振動が伝わったものです。
岩石が破壊されると、岩石で大きな振動が発生し、それが空気にも伝わってたのでしょう(他にも原因はあります)。
これが岩石を伝わってきてその表面で観測されたのなら、地震としてとらえられるでしょう。
このように、断層運動で発生した岩盤の振動が地震の原因とする考え方を「弾性反発説」といいます。
正しくいうと、断層が動く前に力で変形していた岩石が、元の形に戻る時の振動が地震の原因と考えます。
実験で壊れた岩石をよく見ると、岩石の全体の長さが圧力を加える前と比べて、圧力を加えた方向に縮んでいるのがわかります。
これは、できたひび割れに沿って、割れた石がずれていったからです。ひび割れに沿って岩石(岩盤)がずれたものが断層といいますから、
圧力が加わることによって断層ができるといえます。
岩石に上下方向に力を加えたとします。この時にできる「/」型のひびでは左上側が左下にずれていきます。
「\」型のひびでは右上側が右下にずれていきます。どちらも正断層です。これは裏側から見ても同じですね。
横方向に力が加わった時は、横に倒して考えるとわかります。この場合は、どちらも逆断層になります。
もう一つの見方があります。図を真上の方向から見ていると考える場合です。この場合圧縮応力軸は最大、最小のものとも水平方向であると示しています。
できる断層は、右横ずれ断層と左横ずれ断層の組み合わせになります。
岩盤に「X」型に断層が入っていて、ずれの方向の組み合わせも先ほど書いたようになっていれば、この断層の組み合わせは「共役断層」といいます。
ひび割れの写真にもどりす。このひび割れがどのようにしてできたのかを考えてみます。
ひび割れをよく見るとまっすぐ一直線に入っているのではなく、
「/\/\/\/\」のようにジグザグになっています。
このひび割れのすき間をよく見ると、横向きに近いものはすき間が狭くてひびがあまりはっきりしないのに対して、
縦向きに近い物はすき間が広く、ひび割れがはっきりわかります。
「/\/\/\/\」に入ったひび割れの上側が右に動いたとします。その場合、「/」のひびは狭くなり。「\」のひびは広がっていくことになります。
このような形にすき間を広げたり狭めたりする方向を考えてみると、写真のひび割れの場合どちらも正断層になるように動いたことがわかります。
交点のすぐ左上にある
「\\」の形の小さなひび割れに注目します。
この部分をよく見ると、剥がれた塗装が、膨らみ盛り上がっています。これは、ひびで挟まれた部分の長さが短くなっていることを示しています。
そのような動きになるのは、上側が右に動いた場合です。この方法での解析結果でも、正断層型の動きである事がわかります。
「\\」のような形に断層が並んでいる場合、断層の雁行配列といいます。
並び方としては
「\\」となる場合と
「//」とがあります。
「//」型の並びは写真ひび割れ交点の右上側半分くらい上がったところに見えます。
「\\」型の雁行配列を杉型雁行配列(「彡」型といった方がいいのかも知れませんが読めません)といいます。
右横ずれによってできた地表地震断層で見られることがあります。
「//」の場合はミ型雁行配列で、左横ずれの場合にみられます。
雁行配列の形からも、どちらも正断層になるように動いたことが読み取れます。
写真の場合の動きは、ずれが小さいので断層といっていいのかどうかわかりませんが、共役断層に相当します。
また、最大圧縮応力軸の方向は上下方向だったということがわかります。
※断層の雁行配列のでき方について(2023.12.xx 補足)
最大圧縮応力軸に対して45°の角度で左ずれ断層ができたとします。断層片側の岩盤を中心に考えてみます。
この時力は右後方45°の方向から押されていることになります。
この力は断層に沿う方向と断層を押さえる力に分解して考えることができます。
次に断層面に沿ってずれが発生した場合を考えてみます。岩盤が動いたことによって断層面に沿う方向の圧力が開放されます。
その分断層に沿う方向の力が弱くなったことになります。押されてくる力の向きは見かけ上、元の方向より少しだけ断層から垂直に近い方向に変わります。
上空からみると少しだけ左に回転した方向になります。基本的にはこれによってできる共役断層の向きも左に回転した方向になります。
このまま、断層が動き続けたとします。だんだんずれていく内に断層のできる方向が左にずれようとします。
ずれようとする力がたまってくると、どこかで左に曲がった方向に新しい断層を作ってしまいます。
元の断層はそのまままっすぐ延びますが、そのところどころで左に回転した断層が作られることになります。
上から見ると「ミ」の字のようにならんだ断層群ができる事になります。
右ずれ断層では、これと左右が入れ替わりますから「彡」の字のように断層が並びます。
このような断層の小規模のものは、地表地震断層でできた亀裂などでよく見られます。
地下深くでできた断層が、上に乗っているやわらかい地盤の中を伝わっていくときにその方向が回転していくことによってできます。
3.地震からわかる断層
地震は震源で発生し、そこから四方八方に広がるように地震波が伝わっていきます。
各地には、P波の方が早く到着します。この時の揺れ(初動)は震源から遠ざかるか近づくかのどちらかになります。
遠ざかる場合を「押し波」、近づく場合を「引き波」といいます。押し波になるか引き波になるかは震源の手前側の岩盤が、
近づくように動いた(押し波)か遠ざかるように動いた(引き波)かによって決まります。
ここで、地震計の記録から簡単に押し波か引き波かを見分ける方法があります。
地震は、必ず地下から伝わってきます。上下方向だけを考えると震源は地下にあります。
初動が上向きの場合を考えてみます。地下方向を見ていると、地面の最初の揺れは近づくようだったので押し波ということになります。
逆に初動が下向きの場合引き波になります。押し引き分布図といいます。
地図上にその地点が押し波であったか引き波であったかどうかを記入してみます。
下の図は、兵庫県南部地震(阪神淡路大震災)の時、押し波であった場所を●、引き波であった場所を○で印をつけてみたものです。
(この図は、高校生向けの実習としてよく使われるものです)
ここで●と○の分布域に注目します。よくみるとほぼ直交する2本の直線が分布域の境界になっているのがわかります。
また2直線の交点が、震央である明石海峡にあることも注目できます。
さらに、北東−南西方向に引かれた線は、地震断層である野島断層と平行になっています。
このように見ると、この図は地震断層と関係していることが想像できます。
押し引き分布図が、地震断層と関係があるのかどうかを考えてみます。
例として、地表で右横ずれ断層が動いて地震が発生したとします。このとき遠方の観測点でP波がどのように観測されるか考えてみます。
図は上空から見た様子で、F−F’が断層、白矢印のように地盤が動いたとします。
×印が震央(地表で起こったから震源)で、地震波はAの方向に伝わっていくとします。
このときP波は、波の伝わっていく方向にしかゆれませんから、白矢印で表されている地震によるゆれのうち、
震源とAを結ぶ方向の成分だけを持って行くことになります。この大きさは、黒矢印で示されています。
黒矢印の大きさは、AがF−F’と直角方向の位置(破線上)にあるときは大きさが0になります。
そして、それよりF’側にあるときは、P波の伝わる方向に揺れます(黒矢印の向き)から押し波になります。
逆にF側にあるときは引き波となります。また、断層に対して反対側に位置は震源に対して点対称になります。
押しの地域と引きの地域の境界線は、2本の直交する直線で分けられることになります。
2本の直線のうちどちらかが地震断層の方向になるのですが、この図だけではどちらなのかを決めることはできません。
ここで、図では震源までの距離は関係ないので、代わりに震源を中心とする球面上に投影するとして考えます。
地図上の位置の代わりに、その場所に向かってP波が進んで行く方向の面上に点を打ちます。
こうするともう少し立体的な図を書くことができます。ただこのままでは見づらいので球面の上半分を取り除いてしまいます。
ちょうど、お椀の中を上から覗くような感じになります。このお椀を震源球といい、こうして書かれた図を発震機構解といいます。
同じような図は、各地の揺れかたなどを詳しく解析することでも作ることができます。モーメントテンソル解(MT解)といいます。
右図は、平成19年能登半島地震の時のものです。
この図では、揺れの中心でのものを示しますので、初動から求めたものと少し違う場合があります。
初動から求めたものを初動発震機構解(初動解)、計算で求めたものをCMT解として区別しています。
発震機構解は解析から求められたデータをいいますが、震源球で代表させることもあります。
<発震機構解(震源球)の見方>
押し波域と引き波域の境界は平面になります。これは断層面(かそれに垂直な面)を表しています。
震源球に表した場合は、この平面と球面との交線で表されます。一般的には楕円形の線になります。
ただし、平面が垂直の場合は直線で、水平な場合は外周の円に重なります。大きく曲がった線は傾斜の緩い断層、まっすぐに近い線は垂直に近い断層です。
震源球に引かれた線によって震源球は2つから4つの領域に分けられます。
この領域の内、押し波の領域は、模様や色で塗りつぶしたりして区別しています。
この中心に印がつけられている事があります。ここが最小圧縮応力軸の方向を示します。
この場合塗られていない(白色の)ところにも印があります。これが最大圧縮応力軸の方向になります。
ふつう、震源球では最大圧縮応力軸を圧力軸として記号Pで、最小圧縮応力軸を張力軸として記号Tで、
これらに直交する方向を中立軸として記号Nで表します。
断層の走向方向(どちらの方向につながっていくか)は、外周円との交点どうしを結んだ方向になります。
能登半島沖地震の図では、A−A'かB−B'を結んだ方向のどちらかになります。発震機構解からはそのどちらであるかを判定することはできません。
下に主な断層に対して発震機構解の図がどうなるかを示します。
ただし、断層の走向は東西方向(横方向)として考えています。
右横ずれ断層の図を、右に90度回転させた図を考えてみます。左横ずれ断層と全く同じ図になります。
これは、右横ずれ断層か左横ずれ断層かは発震機構解からはわからないことを示しています。
断層が2本の線のうちどちらか確定できないからです。
正断層・逆断層の場合でも、同様に断層面がが北落ちなのか南落ちなのかは区別できません。
それでも、最大圧縮応力軸の方向はわかります(色の塗られていないところの中心です)から、
どのような力によってできた断層(地震)か確定することができます。
4.平成30年(2018年)大阪府北部の地震
平成30年(2018年)6月18日午前7時58分に大阪府北部を震央とする地震がありました。
地震のマグニチュードは6.1、震源の深さ13km、最大震度6弱です。この地震について、断層との関係を見ていくことにします。
図は気象庁から発表された発震機構解です。左側が初動解、右側がCMT解になります。
どちらの図も塗りつぶされた部分の形に注目してください。初動解では葉っぱのような形になっています。これは逆断層を示しています。
詳しくいうと、走向(断層の伸びの方向)が南北で東上がりの断層か、走向が北北東−南南西で西上がりの断層かどちらかになります。
CMT解です。線を境にして塗りつぶされていません。線のところで塗りつぶされているとみて考えてください。
「⧗」に近い形ですが、交わっているところが真ん中ではなく下(南)にずれています。
基本的には横ずれ断層です。ちょっと逆断層の動きが入っています。
走向が北東−南西で南東側が上がった逆断層ぎみの右横ずれ断層か、北北西−南南東で西側が上がった逆断層ぎみの左横ずれ断層かのどちらかになります。
どちらの図からも、Pと書かれた場所が西または東に近い場所にあります。地震は東西方向に圧縮されたことによって発生した事をしめしています。
2つの発震機構解の示す断層が違っています。これはどういうことでしょうか。
初動解でわかるのは最初に地盤がどのように動き始めたかということです。
CMT解では地震の時に地盤全体がどのような動きをしたかということがわかります。あわせて考えるとこの地震では、
動き始めは逆断層的に動いたものの、地震全体では横ずれ断層であったことを示しています。
次に地震の断層を確認することにします。最初に、前震・本震・余震の震央分布図を書いてみます。
気象庁のサイトから本震前日から約2週間分の震源データをダウンロードし、
震央近辺区域内の震央分布図を書き、地理院地図の該当区域に重ね合わせてみました。
震源データは、発表直後のもので暫定値とされています。大きな地震は大きな円で、浅い地震ほど黄色っぽい色になるように書いています。
分布図が格子点になっているのは、発表されている震源の経緯度が角度の分の単位で小数第1位までの精度で書かれているからです。
震央分布図を見ると、震央は半径約3kmの範囲内にかたまっていて、直線的な分布はないように見えます。
それでも眺めていると、本震の震央から南西方向と北西方向へ伸びているように見えます。「>」の字型に分布しているようです。
さらにうっすらですが、その反対方向でもやや余震が多くなっているようです。
なんとなく、「X」の字型にも見えてきます。
そのように見ると、共役断層の交差部を中心にして西側の2つの断層が動いたようにみえます。
本震は交差している場所近くで揺れ始めています。
その後の動きはCMT解とあわせて考えてみると、南西側に延びる断層は右横ずれ運動、北西側に延びる断層は左横ずれ運動になります。
「>」で挟まれた西側の部分は、外側に比べて東側に移動します。
これは、国土地理院が発表した箕面−宇治間で距離が縮まった(5mm)という観測結果
※とも一致します。
※大阪府北部の地震に伴う地殻変動(第3報);交野−亀岡間(南北方向)で4mm伸びたとも記されています
共役断層の交差部では地盤の動きはどうなるのでしょうか。このあたりについては、詳しいことはよくわかっていません。
そこで今回の地震について、入手できるデータから読みとれる範囲でどうなったのかを考えてみることにします。
まずは、気象庁から発表のあった初動発震機構解(約1ヶ月間の暫定値)をその経緯度の位置に置いてみました。
軸の数値は経緯度の分の値、大きな球が本震で、残りのものは余震です。震源が深くなるにつれて黄→赤と色を変えています。
どのように読み取るかは様々
※あるかも知れませんが、感じたとおりに書いていきます。
※ |
防災科学技術研究所は、地震発生直後の発表で、震央より南では横ずれ断層が北側では逆断層型の地震が発生していると書いていました。
その後の発表文ではこの文面は削除されています。以下の内容はほぼこれからの考察になっています。
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まず震源球の種類に注目します。横ずれ断層型と逆断層型の2種類が混在しています。
本震の震央を中心にしてみると、南側の3地点は横ずれ断層型です。
この3つ震源球から読み取れる断層の走向方向は2つあります。
そのうち、3地点の震央の並びやこの区域の余震の震央分布と一致するのは、北東−南西方向のものです。
これが断層をあらわしているでしょう。断層は北東−南西方向にのびる右横ずれ断層になります。
本震の震央より北側に注目します。本震の震央から北西方向に並ぶ7地点の震源球は逆断層型です
※。
震源球の示す断層の走向方向のうち、この方向に近いのは、北北西−南南東方向です。この場合は東側が持ち上がった逆断層になります。
わずかに余震の震央分布の方向とずれています。
残った3地点は横ずれ断層型になっています。ほとんど単独の分布なので、右ずれか左ずれかは判別できません。
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この文章の掲載直前に起こった8月28日の余震は、本震の震央のすぐ北北東側が震央になりますが、横ずれ断層型の初動発震機構解が発表されています。
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本震の発震機構解とあわせてみると、本震は北側の逆断層と南側の右横ずれ断層が同時に動いたといえます。
一般的には2本の断層が動いたと解釈されますが、断層は真っ直ぐ伸びるもので変位(ずれ)もほぼ同じであるという考えに縛られたものです。
単に「>」字型の割れ目に沿って東側の地盤が一体となって西側に乗り上げながら移動していっただけなのかも知れません。
どのように動いたとしても、断層ができた各部分では、ほぼ東西方向に圧縮力が加わっている点は共通しています。
この力によって、横ずれ断層ができるか、逆断層ができるかの違いを考えてみます。
横ずれ断層は最小圧縮応力軸が水平方向の場合にできるのに対して、正断層は垂直方向の場合にできます。
岩盤に加わる上下方向の力は、基本的には上にある岩石の重み(圧力)による力です。同じ深さなら、同じ大きさであるといっていいでしょう。
これが最小圧縮応力軸になるかならないかの違いは、南北方向の力がこれより大きいか小さいかによります。
断層のずれによって地盤が動いた先では、その方向に圧縮力が加わります。2方向ある断層の交わるところでは特に大きくなります。
この力が大きくなって、上下方向の力よりも大きくなれば、逆断層となるでしょう。
南北方向の力が同じでも、上下方向に加わる力が小さくなれば、最小圧縮応力軸が垂直方向となり、逆断層となります。
浅い場所では、岩石による圧力は小さくなります。同じ断層でも、地表に近くなれば逆断層となることもあります。
この地震では、余震の震源球を見る限りでは、深さによって断層の様子が変わっているようには見えません。
この節で使ったり参考にしたデータの入手元です。(2018年8月最終閲覧)
震源リスト
http://www.data.jma.go.jp/svd/eqev/data/daily_map/index.html
発震機構解(震源球)
http://www.data.jma.go.jp/svd/eqev/data/mech/ini/top.html
http://www.data.jma.go.jp/svd/eqev/data/bulletin/eqdoc.html#table5
http://www.hinet.bosai.go.jp/AQUA/aqua_catalogue.php?LANG=ja
http://www.fnet.bosai.go.jp/event/joho.php?LANG=ja
2018.08.31ここまで掲載
5.活断層を見つける
活断層が動くことによって地震が発生するとなると、活断層がどこにあるのかということが気になってきます。
活断層を見つける方法がないのか、あるいは活断層のありそうな場所を知る手がかりのようなものはないのかということについてまとめてみます。
活断層は、この数十万年の間に活動したことのある断層または、または将来再び動く可能性がある断層をいいます。
この数十万年の間に活動した断層は、一般的には将来動く可能性があると考えられます。
一般的な地殻変動は数百万年の間に渡って起こることが知られています。数十万年以内ならその範囲に収まっている上に、
その地殻変動の期間がまだまだ続くであろうことが予測されるからです。
断層がいつ活動したのかは、その断層によってずれ(変位といいます)のできた地層の年代を測定することによって求められます。
実際には活動した可能性がある年代よりも古い数値になりますが、
少なくとも地層から求められた値が数十万年前なら活断層と言える範囲に収まっています。
<断層の特徴>
断層というのは、鉱山で鉱脈を採掘しながら追いかけていると突然その鉱脈がなくなってしまう現象をfaultと呼んでいたことに由来します。
鉱脈が途切れていても、その破断面に沿って上か下の方に掘り進めていくと再び鉱脈に出合うことができる事もわかってきました。
この現象は、鉱脈が破断面に沿ってずれているために生じたと考えることができます。
断層とは地層が破断面に沿ってずれている現象と言い換えることができます。
英語ではfaultをそのまま使っていますが、日本語では断層と訳されています。
破断面を断層ということもありますが、ここは断層面と呼んだ方が正確でしょう。
右写真は、鹿児島県薩摩川内市下甑島夜萩円山公園に見られた地層中の断層です。
黒い地層(泥岩層)の中に挟まっている白っぽい層(砂質泥岩層)が途中で途切れているのがわかります。
マウスを図に重ねると、断層の位置と地層のずれのようすが示されます。
断層がずれ動くときに、断層面の両側にある岩石が強く擦りあわされ、岩石が砕かれることがあります。
断層面には、このようにして砕かれてできた岩片や粘土状の物質が詰まっていることがあります。
このような場所を断層破砕帯といいます。
右写真は、大阪府茨木市の安威川ダム建設現場近くの崖に露出していた馬場断層です。
右斜め上方向にまっすぐ木が生えていないところに断層があります。
この場所の場合は川の流れがぶつかるところにあるため、木が生えても破砕帯のある所はすぐに崩れ落ち、断層が露出します。
崩れた土砂は、川の流れですぐに運び去られていきます。
断層破砕帯に詰まっている、粘土状の物質を「断層粘土」、砕かれてできた石を「断層角レキ」といいます。
右写真は、馬場断層の断層破砕帯部分の拡大です。
灰色で縞模様の見える部分はジュラ紀付加体の岩石です。薄い青色をしたところが断層破砕帯のうち断層粘土が多い部分、
その上の薄い灰色の部分には断層角レキが詰まっています。
断層破砕帯の粘土や角レキを取り除いて断層面を露出させてみると、つるつるに磨かれていたり、
一方方向にに細かい筋がいくつも並んでいたりすることがあります。磨かれた面は「断層鏡肌」、細かい筋は「断層擦痕」といいます。
このようなものを見つけることで断層を確認することがあります。
写真2枚は「大阪の生い立ち(DVD板)」大阪地学教師グループ編の原板から引用しています。
当サイト内、他のページなどに載せられている、断層関連の写真をあげてみます。
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和歌山県橋本市中央構造線の断層破砕帯です |
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新潟県糸魚川市の糸魚川静岡構造線 看板の間に破砕帯があります |
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広島県三段峡の断層破砕帯 削り去られて溝状になっています |
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熊本県天草市の断層擦痕 縦方向に筋が見えます |
百万年ほど前に堆積した地層は、地殻変動の影響をそれほど受けていないので、ほとんど水平な地層として観察されます。
ところがまれに、大きく傾いていることがあります。傾いている方向や反対の方向に地層を見るとすぐに水平に近くなるのに対して、
傾いているのと直角の方向(走向といいます)には地層の傾きが延々と続きます。
地層はスコップで掘ることができるほどやわらかいのが特徴です。
そのために、断層の上に乗っている部分が切れずに引きずられて傾いたと考えられます。
このような地質構造を「撓曲(とうきょく・フレクシャー)」といいます。
右写真は、大阪府箕面市の宅地造成中に見られた大阪層群(100万年ほど前の地層)が傾いているようすです。
この地下には断層があると考えられます。大阪層群を変形させているので、断層の活動はこれより新しいといえます。これは活断層でしょう
大分県姫島で見られた撓曲です。水平な地層が曲げられているようすがわかります。
曲がっているところでは地層がずれているようすも見られます。
断層破砕帯は地下水の通り道となることがあります。そのために、断層に沿って湧水や温泉が湧き出しているところも見られます。
大阪府箕面温泉や兵庫県宝塚温泉・有馬温泉は高槻有馬構造線の断層に沿って湧き出したものといわれています。
<地形に現れる断層>
断層は地層だけではなく、地形をもずらすことがあります。実際にずれることによってできた地形も確認できます。その例を挙げてみます。
このようにしてできた地形は、数十万年もすると侵食によって形が崩れてしまったりしますので、
形がきれいなものであれば活断層と推定できます。
垂直方向の変位によってできる地形 平らだった地面が前を横切る断層によって向こう側が盛り上がったとします。
向こう側の地面は高台となり、その間に崖ができます。この崖は「断層崖」と呼ばれます。
盛り上がった部分は、降った雨が集まって流れることで谷ができだんだん浸食されていきます。
断層崖も「V」の字型に削られ、形が台形から三角形へと変化していきます。このようになったものは「三角末端面」といいます。
断層崖や三角末端面に似ている地形は、断層でなくてもできる事があるので、最終的には断層を見つけることで確定する必要があります。
長い距離に渡ってたくさん並んでいるというようなことがあれば、断層である可能性は高くなります。
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福井県南越前町の断層崖です 甲楽城断層が通っています |
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上空から見た四国東部の中央構造線です。 |
水平方向の変位によってできる地形 谷や尾根を横切るように横ずれ断層が動いたとすると、
断層によって尾根線や谷線にずれが生じます。単に谷や尾根の食い違いとかずれと呼んでいます。正式な用語はないようです。
このようなものがいくつも横に並んだ場合は断層があると推定できます。
右図に右横ずれ断層によって谷や尾根がずれたようすを模式的に書いてみました。
尾根がずれて谷をふさぐ場合があります。このような尾根を「閉塞丘」といいます。
閉塞丘によって上流側にある谷の流れが悪くなり水がたまることがあります。堰き止め性断層池と呼ばれることがあります。
逆に谷の上流部がなくなってしまった場合は截頭谷(せっとうだに)といいます。
ふつう水が流れなくなった谷を風隙(ふうげき)といいます。截頭谷は風隙になっていることもあります。
右図は、兵庫県中国自動車道揖保川PA付近の地形図です。地理院地図から転載しています。
自動車道を横切るように谷や尾根がいくつか見られます。この谷や尾根は自動車道の山側で左側にずれているのがわかります。
ずれている場所をつないでみると自動車道の山側に平行に延びていることがわかります。
この場所に山崎断層が通っています。断層のずれは左横ずれと読み取ることができます。
マウスを重ねると、尾根線(オレンジ色)、谷線(青色)、断層線(黒色)を表示します。
大きな横ずれ断層の場合、岩盤が移動していく先では岩石が集まってくるのでどうしても盛り上がってしまいます。
これに対して元になるところでは、岩石がなくなっていきますから窪んでいきます。
左ずれ断層の場合、断層の真ん中に立って断層の先の方をみれば(実際には遠すぎて見えませんが)、断層の右側が盛り上がっているように見えます。
濃尾地震を起こした
根尾谷断層の場合、
最初に見つかった断層(水鳥断層)では横ずれ断層のはずなのに垂直変位が大きかったのはこのことが原因しています。
断層破砕帯の侵食によってできる地形
断層破砕帯は岩石が粉々に砕かれてできています。そのために、侵食に弱く、雨水や川の流れによって削られて低くなっていることが普通です。
尾根を断層が横切っている場合を考えてみます(右図)。断層部分は削られて低くなり鞍部になります。
ここから尾根の先はふたたび高くなって丘のようになります。
鞍部をケルンコル、丘状の部分をケルンバットと呼んでいます。
このような地形は、断層がなくてもできることの方が多いのでこれ単独では断層があるかどうかの判定はできません。
いくつも並んでいるといったことで断層があると推定します。少なくとも断層があるという場所の候補を見つけることができます。
地理関係者は、ケルンコル・ケルンバットは外国では通用しないから、断層鞍部・断層突起(断層小丘)と呼ぼうと提案しています。
ここではアメリカの地質学者が提唱したこともありケルンコル・ケルンバットを使うことにします。
断層鞍部とかにすると断層を確認できるまではそう呼べないことになります。
なお、ケルンバットに対する用語はあまり定着していないようです。
断層のある所は侵食されやすいので谷になっている事がよくあります。
また、断層は真っ直ぐ延びますから断層によってできた谷もまっすぐになります。「断層谷」ということもあります。
谷が途切れた先でケルンコルを越えて、別のまっすぐな谷につながるっていくこともあります。
このようなものを、地形図や航空写真でみるとまっすぐな線を確認することができます。このような線を「リニアメント」といいます。
リニアメントも断層のある場所の候補を見つけるのに使われます。
延々と続いているとか、他の断層地形も見られるといったことがあれば活断層と考えることができます。
右写真は、長野県大鹿村から飯田市にかけての中央構造線が作る谷の写真です。飛行機と平行に谷が続いています。
次に、
2007年能登半島地震を起こした断層を探してみることにします。この地震の発生後には、活断層がどこにあるかと問題になりました。
カシミール3Dで、震源球から推定できる断層の延び(走向)の方向に震央付近が来るように、上空からから見た図を作図させてみました。
高さを2.5倍に強調しています。
図中で、矢印を結ぶ線上に真っ直ぐに谷が延びているのがわかります。
この場所は、門前町舘分から小石にかけての場所で、地形図からは約15kmにわたってリニアメントが認められます。
地形図からは、これと平行なリニアメントが多数見られること、震源球から推定される断層の傾斜が緩いことから
これが地震を起こした活断層であるとは考えにくいようです。
2007年3月29日にこの北5kmの門前町中野屋・安代原・道下・鹿磯で見つかったという新聞報道がありました。
2021.08.15この節掲載
6.活断層と地殻変動
地震発生時の地盤の動きや活断層の変位を調べてみると、地盤に大きな力が加わっていることがわかりました。
このような力が加わり続けていると、一度動いた断層は何度も繰り返しずれ動くことになります。
なぜなら、圧力を受けて地盤が破壊される時には、地盤内の弱い所で破壊が起こるからです。
一度断層ができてしまうと、そこが地盤の弱い所となります。当然次に破壊されて動く場合には、その場所として選ばれることになります。
実際に、同じ活断層が繰り返し動いた例が知られています。
一度の破壊でのずれがわずかだったとしても、繰り返し起こることによってだんだんずれが積み重なっていき、大きくなっていきます。
地形にその痕跡を残したり、高い山が作られることが起こります。
地層を変形させたりとか、山を作ったりとかといったことは地殻変動そのものです。
ここでは、近畿地方北部を中心にして、地殻変動がどのよう起こっているかをみていくことにします。
<六甲山>
近畿地方北部の地殻変動について最初に調べられたのは、六甲山を中心とする地域です。
そのいきさつから、近畿地方北部で起こった地殻変動を
六甲変動と呼んでいます。
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大阪空港から見た六甲山
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まず、六甲山の特徴と、調べてわかったこととを順番にみていくことにします。右写真は大阪空港から見た六甲山です。
六甲山は東西に細長い神戸市街地の北側背後にそびえていて、
東北東−西南西に長さ約30km幅5kmに渡ってある標高が1000m弱の大きな山の連なりをいいます。
六甲山という単独の山はありませんが、最高部を六甲山とする場合もあるようです。
山頂部が比較的平らで、東側ほど高く西側にいくにしたがって低くなっていきます。
南側の山麓は海に面していて、わずかに扇状地性の平野ができていて、ここに神戸の町並みがあります。
さらに南側は明石海峡付近で海面下100mの深さになっています。
六甲山を作っている岩石は、2種類の花こう岩です。
そのうちの1種類は山裾にある御影港から積み出されたことにより、みかげ石といわれています。
六甲山を作る花こう岩は、ロックガーデンと呼ばれる所のように大きく岩肌を見せているところがあります。
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六甲山の主要断層
地形図は地理院地図ベクター、断層線は地質調査研究推進本部の主要活断層帯、
断層名は神戸市企画局から引用
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六甲山には、北東−南西方向に伸びる断層がいくつか平行に走っています。山の南東側でそのようすが顕著に見られます。
ここにある断層は、山の南東の阪平野側から順番に甲陽断層・芦屋断層・五助橋断層と並んでいます。
断層によって、北西側が盛り上がり、階段状の地形ができています。
五助橋断層は南西側で海岸付近に達すると方位を西南西に曲げていき、
諏訪山断層・須磨断層等へと神戸市街地北部にある断層につながると考えられています。
これらの断層をまとめて六甲断層帯ということがあります。
六甲山で見られる断層は、大きく2つの形のものがあります。
一つは、断層面が山の方に傾斜して(低くなって)いて麓側に新しい地層が見られるものです。
見かけ上、新しい地層や岩石の上に古い地層や岩石が乗っているように見えるので、逆断層といいます。
断層面の傾斜が緩い場合の逆断層は、特別に衝上断層(スラスト)と呼んで区別することもあります。
神戸市街地でも衝上断層が見られ、天然記念物となっている所があります。
もう一つの断層の形は、断層面が垂直に立っているものです。垂直断層といいます。
六甲山を横切るトンネルを作るときにたくさん見られました。
この2種類の断層は全く別のものではなく、断層のどの部分を見ているのかによる違いとされています。
実際には地下深くでは垂直断層、地表付近では衝上断層という関係がみられます。
垂直断層によって山側の岩盤が盛り上がっていった時に、
地表近くになってくると盛り上がっている山の重みで断層面が麓側に押し倒されたものと考えられます。
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もともと六甲山は周辺部が落ち込んでできた地塁だという考え方がありました。
地塁は正断層に囲まれていますから、逆断層(衝上断層)が発見されたことによって地塁説は否定されたことになります。
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断層に挟まれた地域の地表面は平らになっているところがあります。
さらに周辺部を見わたしてみると、中国地方から近畿地方北西部の山頂部は比較的平らになっていることもわかります。
これは中国準平原面と呼ばれていて、今から2500万年前までに侵食によって平らになっていたことの名残です。
大阪平野側にある別の平坦面の上を調べてみると、比較的新しい時代の地層が見られるところがあります。
大阪層群と呼ばれる地層で200万年前から30万年ほど前にできた地層です。
この地層が堆積した頃は、六甲山の大阪平野側が沈降を始め海や湖、河川の後背湿地になったことを示しています。
この沈降が断層運動を伴うものであったかどうかは定かではありません。
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このような地層がたまる所(堆積盆地といいます)は断層に囲まれた区域が沈降してできるという考えがありました。
その証拠としては、巨大角レキを含む不淘汰角レキ層が基盤岩にぶつかるような不整合で接している場所があるというものです。
簡単に言えば、断層によってできた急斜面に上から落ちてきた様々な大きさの岩が最初にたまっているという考えです。
少なくとも、大阪平野近辺ではこのような場所はそれほどたくさんは見つからなかったようです。
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断層によって隆起し始めると、それ以後地層はたまることができません。
時間的な関係だけを見ると、大阪層群がたまり終わってから断層が動き始めたともいえます。
断層が動き始めたことが、大阪層群がたまらなくなった原因なのかも知れません。
このことと大阪層群の堆積時期とを合わせて考えてみると、断層運動は30万年ほど前に始まったと考えることができます。
大阪層群とは別に10万年ほど前の地層がたまっているのが見られる所もあります。
この時期は、世界的に海水面が上昇していた時期です。
横浜近くの下末吉台地でその時代の地層が研究されたということで、下末吉海進と呼ぶのが一般的です。
関西では西八木海進ともいうようです。
この頃のようすを復元してみます。六甲山は30万年前から断層によって段々に高くなっていきます。
高く持ち上げられることによって、できた山は侵食されていきます。
大阪層群がたまっていたところは削られやすいのでたくさん侵食されます。ほとんど海面の高さまで削られていたと思われます。
大阪層群が削られてしまって花こう岩が出ている所、もとから花こう岩の所は侵食されにくいので山になっていたでしょう。
ここに下末吉海進(西八木海進)が始まります。大阪層群が侵食されて低くなっていた所に海が侵入してきます。
でも山から運ばれてきた土砂によってすぐに埋め立てられていきます。これが10万年前の地層の正体です。
海が埋め立てられたことによって上面が平らな平野となります。
その後海進は終わり海面は元の高さまで低くなります。
川の流れている所から深く削られていき、少し高くなった段丘と呼ばれる地形を作ります。
その上面は平らなので段丘面といいます。段丘面は、本来あったと推定される高さよりも高い所にありますから、
このころでも、断層運動による隆起は続いていると考えられます。
大阪層群が堆積した後、海進は何回かありました。そのたびに段丘面ができています。
同じ場所にいくつかの段丘があるとしたら、古いものほど断層によってたくさん持ち上げられていますから高い所にあることになります。
いろいろな段丘面の高さは、できた時代違いを示していることになります。
下末吉海進でできた段丘は真ん中の高さにあるということから、中位段丘と呼んでいます。
段丘ができた真ん中の時代のものといってもいいでしょう。
六甲山はその南東側に、並行して延びるいくつかの断層が、今から30万年ほど前から段々を作りながら動き始め、
次第に盛り上がってできたものです。この動きは、現在も続いています。
1995年に起こった、兵庫県南部地震(阪神淡路大震災)は、この断層運動に伴う地震だとされています。
六甲山内では見つかっていないものの、延長である淡路島西部で地表地震断層が見つかった事、
地震の震源域や余震域が六甲断層帯に沿って伸びていること等はこのことを示唆しています。
<大阪平野から奈良盆地にかけて>
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大阪府から奈良県にかけての地形分布と東西断面模式図 地理院地図に加筆
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続いて大阪平野から東側に注目してみることにします。
この地域の特徴は、南北に連なる山や丘陵・台地といった凸部と盆地や谷といった凹地が交互に並んでいることです。
西側から順番に見ると、大阪湾(凹)、上町台地(凸)、河内平野(凹)、生駒山(凸)、生駒谷・平群谷(竜田川、凹)、矢田丘陵(凸)、
(富雄谷・西の京丘陵)、奈良盆地(凹)となっていて、その東側は大和高原で高地になっています。
山地や丘陵を見ると、その西斜面は急で、東側はなだらかになっているのが特徴です。
地質を調べてみると、花こう岩といった深い所まである岩石(基盤岩)の上に大阪層群・段丘層などが地形に合わせるように
盛り上がったり沈んだりしています。基盤岩が波うつように変形しています。このようなものを
基盤褶曲といいます。
図の下には、断面図としてこのようすを大まかに示しています。
色分けは、灰色:海、水色:難波層(沖積層:後で詳しく説明します)、薄緑:上町層(段丘層)、黄色:大阪層群、ピンク:基盤岩です。
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垂直断層 寝屋川市打上
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山や丘陵地の西端には南北に延びる垂直断層が見られます。上町断層・生駒断層等がこれに相当します。
右写真は、生駒断層の北端部近くで見られた垂直断層です。
山頂部や丘陵の上やそれよりも東側では地層は地面と同じように東に傾いています。これは、西側ほど大きく盛り上がったのが原因です。
地面を傾けるように持ち上げています。このような運動を
傾動運動と呼んでいます。
さらに詳しく見ていきます。凸部では大阪層群で覆われている所とそうでない所があります。
覆われていない場所は、生駒山と大和高原になります。
生駒山でも山頂部が平らになっていて東側に緩く傾いています。侵食によって平らになるのは海面近くまで削られた場合のみですから。
大阪層群が削られてなくなったということではないでしょう。もとから堆積していなかったと考えるのが妥当です。
中国準平原の続きと考えることもできます。
生駒山の東側と西側では大阪層群が堆積しています。地層がたまるには地面が窪んだりして湖や海になる必要がありますから、
生駒山のあたりはそのままの高さで、その東と西の地域ではゆっくりと沈んでいったのでしょう。
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直立する不整合面 寝屋川市打上
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生駒断層についてみれば、大阪層群を断ち切ったり引きずったりしています。これは大阪層群堆積に運き始めたことを示してます。
右写真は、大阪層群の底にある不整合面が生駒断層の運きによって垂直に傾いたようすを示しています。
鉛筆の先までが花こう岩になります。
上町台地についても、地下鉄といった工事のときのようすから地下構造が詳しくわかっています。
ここでは、断層によって盛り上がった大阪層群を不整合で覆うように上町層が乗っています。
sらに上町層も西側が上町断層によって断ち切られているようすが見つかっています。
上町層は、六甲山地域で話のあった下末吉海進によってできた地層です。
上町台地という段丘に関係してできた地層ということで段丘層ということもあります。
六甲山地域で書いたこととあわせて上町台地の成り立ちを考えると、
30万年前以後は、上町断層の東側が東に傾きながら盛り上がってきたものの、
浸食作用によってほとんど平らに削られていました(不整合面の形成)。
10万年前に起こった下末吉海進で、この付近一帯は海面下に水没し上町層がたまります。
海進が終わっても、上町断層は動き続けていたために上町層もずれを生じています。
この動きは現在も続いていると考えられています。
紙を水平な台に置いて、横方向に力を加えて、縮めてみます。紙が盛り上がってきて褶曲のようになります。
盛り上がった方向は力をを加えたのと水平直角な方向にできます。
基盤褶曲もこれと同じなので、南北方向に凸部や凹部が延びる褶曲では、東西方向に圧縮されていることになります。
このようなことから、地殻変動のようすを変化していった順番に大きくみる次のようになります。
いまから300〜30万年前は、
大和高原(凸)奈良盆地〜平群谷(凹)生駒山(凸)河内平野〜大阪湾(凹)といった波長の長い基盤褶曲ができていました。
30万年前になると、上町台地や矢田丘陵といった、今まで凹地だったところの一部が隆起を始めました。
これと同時に、凸地の隆起速度は速くなり、同時に西端にある断層が作られたと考えられます。
10万年前の地層が断層で切られていたり、隆起していることから、
断層運動や地層の隆起といった現象は少なくともこの頃までは続いてたでしょう。
現在も、さらにまだしばらくの間はこの運動を続けるでしょう。
基盤褶曲が、大阪層群堆積前に始まったということは、この頃から東西方向に圧縮される力が加わり始めたことになります。
30万年前から、褶曲運動が激しくなっています。これは東西方向のあっ主力が強くなったからです。
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近畿三角帯 産総研地質情報センタの地質図に概略位置を記入
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−近畿三角帯−
このように南北方向に延びる山地や盆地が交互に並んでいるところは、淡路島南西端、琵琶湖北部、伊勢湾入口を頂点とする
三角形の内側になります。この三角形を近畿三角帯(近畿トライアングル)と呼んでいます。
正確な場所については、書かれている図面によって異なっていますから、だいたいこのあたりということしかわかりません。
地質図から見るとこの地域は花こう岩(地質図でピンク系の色)が主体で、取り囲む地域は古生層(ジュラ紀付加体とされている
色は灰色)が主体となっています。
周辺部と地殻変動の様式が違う(詳しくは後述します)のは花こう岩が塑性変形をしやすいのではないかという考えがありました。
力が変形によって逃げやすいために、地震が発生しにくいのではという考えもありました。
兵庫県南部地震が発生するまでは実際に少なかったことがわかっていますが、大震災以後は地震についてhの記述は見かけなくなりました。
この地域が何なのかは今のところはっきりしません。
<大阪湾・大阪平野西部>
上町断層(+仏念寺山断層)の西側から大阪湾や六甲山麓にかけての地域の地層のようすを詳しく見ていくことにします。
この地域の北側は、武庫川・猪名川から運ばれてきた土砂が堆積し、大阪平野の西半分となっています。その南側には大阪湾があります。
この地域の地図
()と大まかな断面図を右に示します。
西(上)側に六甲山があり、東(下)側に上町台地、千里丘陵があります。
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猪名川流域の地形と模式断面図、地理院地図ベクターに加筆
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大阪平野より北側は、有馬高槻構造線に属する断層によって隆起して北摂山地を作っています。
山頂部は平らで、高位段丘面に対比されています。
また、比較的新しい堆積物が見られることがあります。これは、大阪層群に対比されていますが、詳しくはわかっていません。
平野部には、中位段丘と低位段丘の2つの段丘が見られます
中位段丘を作る地層はレキ層とその下の粘土層でできていて川西レキ層、川西粘土層と呼ばれています。
低位段丘を作る地層も、同じように伊丹レキ層、伊丹粘土層からなります。
粘土は海底にたまったもので海成粘土と呼ばれています。
伊丹粘土層は地層中からみつかったカキ化石から約3万年前に堆積したと推定されています。
中位段丘・低位段丘ともにその上面(段丘面)は南に緩やかに傾斜していて、尼崎市北部付近で地面の下に没するように見えます。
面の傾きは中位段丘の方が大きくなっています。
どちらの段丘も有馬高槻構造線を越えた北摂山地中でも猪名川に沿った地域に見られます。
猪名川の左岸の豊中市や池田市の丘陵部では大阪層群が南に緩く傾斜しているのが見られます。
その角度は、中位や低位の段丘よりきつくなっています。大阪層群は堆積が終わってから傾き始め、
中位段丘や低位段丘ができたときにはいくらか傾いていたことがわかります。
これらのことを総合して考えてみると、大阪層群堆積後からじわじわっと地盤が南に傾き始め、
その運動は現在まで継続していることが推測されます。
尼崎市より南側の地域の地下構造については、ボーリングという地下の岩石を筒状に掘りあげる方法によって調べられています。
その結果わかったことです。地表に近い所は主に海成粘土でできています。
場所によって深さは異なりますが、その下に天満層と呼ばれるレキ層があります。
さらに下は、砂層や粘土層、レキ層といった地層が交互に見られ、さらに下では花こう岩などの岩石が見つかっているところがあります。
ところどころに挟まれている火山灰層や花粉化石などから、周辺の段丘や丘陵で見られる地層との関係も調べられています。
時代的には大阪層群や段丘層に相当するような地層が、ほとんど途切れることなくたまっていることがわかりました。
大阪層群には、湖底にたまった粘土層と海底にたまった粘土層があります。海底にたまった粘土層は海成粘土層と名付けられています。
海成粘土については<こちら>に説明があります。
この粘土層は、最初に調べられた時に、古いものからMa1層(第1海成粘土層)、Ma2層……と順番に番号がふられました。
海岸近くの平野下の地層からは、大阪層群堆積以後の海成粘土層も見つかり、番号を延長してつけられています。
この方法で、海底のすぐ下にある粘土層はMa13層と呼ばれます。最終氷期以後に作られた地層なので沖積層とも呼ぶことができます。
川西レキ層・粘土層、伊丹レキ層・粘土層とはどういう関係になっているのでしょうか。
海成粘土層が2つあるので地下でも2枚の海成粘土層に比較できそうです。
ところが、実際には天満層が伊丹レキ層、その直下にあるMa12層が川西粘土層・レキ層と伊丹粘土層に対応できるとわかっています。
大阪湾岸地域では、この時代はずっと海域だったようです。
このようなことから、この地域では大阪層群がたまり終わって以後は、
尼崎市北部を軸として北側が隆起し南側沈降することで地盤が傾くような運動を続けていたという事がわかります。
大阪湾を越えてさらに南に行った泉北・泉南地域では、ここと似たような構造になっていますが、
地層や段丘は北西方向に傾いています。
全体的には大阪湾を中心にして沈んでいくような運動があったと見た方がいいでしょう。
この節のここまで 2023.06.14掲載
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山崎断層 地理院地図ベクターに活断層図を重ねて表示
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<山崎断層>
近畿地方北部で近畿三角帯以外の地域について調べてみることにします。
この地域で、一番目立っている地質構造としては、山崎断層があります。
山崎断層は、兵庫県南西部(西播磨地域)を西北西から東南東方向に横切る断層です(右図)。
中国自動車道の福崎ICから山崎ICを通って揖保川PAの少し先までの区間は、
断層に沿ってできる直線的な谷を利用して作られています。
断層が通っているところでは、左横ずれによる谷や尾根の変位が顕著に見られます。
揖保川PA付近でのようすは、横ずれ断層の
見つけ方の例で説明しています。
宍粟市山崎町(山崎IC)から東側では福崎方面(安富断層)と加古川市方面(暮坂峠)の2手に別れています。
まっすぐなのは加古川方面で、福崎方面は左横ずれに伴う「ミ」型雁行断層のようにも見えます。
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山崎断層 宍粟JCT付近の県道53号線から西側 ↓の所に断層が通っている。
はっきり写っていないが手前の丘にも同じようなケルンコル・ケルンバットがみられる。
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断層は地盤に大きな力が加わることによってできます。
力の方向によって断層面のできる向きが決まっていますから、これを逆に利用して地盤に加わっている力の向きを知ることができます。
力の向きは、断層面に岩盤を押しつける力と、断層面に沿って岩盤をずらす力との合力方向になります。
普通、断層面に対して45度傾いた方向になります。
山崎断層は左横ずれ断層なので、力の向きは水平面内で、断層走向方向(延びの方向)に対して左に45度回転した方向ですから、
断層の走向が西北西から東南東方向ですから、力は東北東から西南西に向かって圧縮するように加わっていることになります。
この向きは、近畿三角帯の内側で推定される圧縮力の方法とほぼ一致します。
地盤にかかる圧縮力が東西方向の場合、北東−南西方向の右ずれ断層ができることがあります。
これは北西−南東方向の左ずれ断層と共役断層の関係になります。山崎断層の近辺を見る限りではこのような関係の断層は見られないようです。
山崎断層から北西へ延長したところに東北東−西南西走向の断層が見えます。右ずれ断層なので共役断層のようにも見えます。
一般的には直角近い角度で交わりますから、共役断層にするには少し苦しいようです。右ずれ断層に伴う「杉型」雁行断層なら角度的にあいます。
1本しかないこと、説明が回りくどくなっていることから共役断層から外しておくことにします。
兵庫県南部地震(阪神淡路大震災)を引き起こしたとされる野島断層(+北西側延長上の六甲断層系)は、
山崎断層と共役の関係があると見ることができます。
実際に兵庫県南部地震の震動から震源断層を推定した図でも山崎断層の近くに震源断層推定線が引かれています。(
こちらです)
この断層については、近畿三角帯の北西縁にあたることがありますから、共役かどうかについては保留します。
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岐阜県北部の活断層 地理院地図ベクターに全国の主要活断層帯を重ねて表示。
断層名は「全国の主要活断層帯」を使用(一部一般名追記)、北東隅の断層は糸魚川静岡構造線です。
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共役の関係にある断層群は、岐阜県で顕著にみられます。そのようすを右図に示します。
全体的に山崎断層の走向に比べて、わずかに右回りに回転しているようにみえます。
南西端に書かれている
根尾谷断層は左ずれ断層です。阿寺断層でも左ずれが確認されています。
地盤にかかる圧縮方向がわずか時計回りに回転しているものの、ほぼ同一の力がかかっていると見なせます。
ほぼ東西圧縮による共役横ずれ断層は、近畿三角帯を除けば岐阜県以西の西南日本内帯にみられる地殻変動の特徴といえます。
西南日本内帯では、全体的に東西方向に圧縮力が加わっているのがわかりました。
ところで、同じ圧縮力が加わっているのに、近畿三角帯とそれ以外の地域で地殻変動に違いが見られるのはどうしてなのでしょうか。
一ついえるのは、
近畿地方の地質図を見ると近畿三角帯内は花こう岩類が主体であるのがわかります。
花こう岩とそれ以外の岩石では、壊れやすさ(脆性)変形のしやすさ(塑性)の違いによって起こっている可能性があります。
詳しいことはよくわかっていません。
地殻変動の違いが花こう岩かどうかにかかっているとすると、瀬戸内海地域はどうなるのでしょうか。この地域も花こう岩を主体としています。
地図を見ると、淡路島の西方に播磨灘とよばれる島の少ない地域があります。その西側は、小豆島に始まって備讃瀬戸と島の多い地域が続きます。
四国本州が接近していてここに瀬戸大橋が架けられています。
さらに西側は、備後灘・燧灘渡島が少なく本州四国が離れたとこがあります。その西側は芸予諸島など島が多く四国本州が接近したところ、
安芸灘・燧灘があり本州四国がはなれています。全体的に海底面を含めて地表面が50〜60kmの波長で波うっているように見えます。
このようすは、近畿三角帯特有の基板褶曲と同じと見ることができます。
地質図を見ると山崎断層のある西播磨地域も赤っぽく塗られています。
岩石としては白亜紀末〜古第三紀にかけての溶結凝灰岩などの酸性火成岩類主体とする岩石なので、断層ができやすいものとみられます。
<その他の地域>
飛騨山脈(北アルプス)
原山智他(文献リスト参照)から一部解説を加えながらまとめてみます。
この地域が隆起して山脈となった時期は大きく2つあり、200万年前(第一次隆起活動)ごろと100万年前(第二次隆起活動)頃のものです。
第一次隆起活動については詳しくは書かれていません。朝日岳(北アルプス北端)が作られたということのみです。
その後、槍・穂高岳を中心とする地域に巨大な噴火が175万年前に起こり、大量の火砕流発生とともにカルデラが形成されました。
このような噴火が起こったのは、地盤全体が水平方向に引っ張られていてマグマが上昇しやすくなったことが原因となっています。
ちなみに、この噴火による火山灰は大阪層群中から見つかっています。
また、飛騨山脈主軸部の東側を南北に延びる常念山地はこの火砕流をブロックしていますから、
この時にはすでに2000m以上の高さに隆起していたとみられます(第一次隆起活動?)。
その後、火砕流として噴出しなかったマグマはゆっくりとカルデラ底まで上昇してきて冷却固結し花こう岩が作られます。
この頃になると、飛騨山脈主軸部は隆起を始めます。その特徴としては、山脈は東に大きく傾きながら隆起(傾動)していること、
言い換えると西側ほど大きく隆起していることになります。また、山脈の西側に沿って隆起に関係した断層が見られることです。
近畿三角帯と違うのは、隆起軸が1本しかないこと、傾動が大きく地層がほとんど垂直になっているところがあるという点です。
この隆起のようすはアイスクリームの表面をスプーンでひっかいたときに似ています。
削られたアイスクリームは曲がりながらスプーンに沿って上がっていきます。盛り上がったアイスクリームが飛騨山脈で、スプーンの表面が断層面になります。
実際には断層は移動していませんから、スプーンを固定してアイスクリームを東から西に移動させれば現在のようすを再現することになります。
アイスクリームを西に動かすというのは、東から大きな力が加わっていることを示しています。
この原動力は、太平洋プレートが日本列島を東から西に押しているからです。東日本を作る地塊からは、このような力を与える事はできません。
ところで、断層面がスプーンの表面のように曲がるのかが気になります。
実際には動きながら力が横方向に逃げていくような場合は曲面になることが知られています。
例えば、地すべりの時の滑り面です。滑り面といっても実質は局所的な断層のようなものです。
滑り落ちた跡にできる山肌が球面になっていることから確認できます。そのようすは
こちらから確認できます。
中央構造線地域 和歌山県北部を中心として
中央構造線は、領家変成岩類と三波川変成岩類を区切る巨大な断層として誕生しました。
そのあたりのようすについては
別途解説しています。
その後も、何度か活動したことが知られています。ここでは、和歌山県でみられる最近の活動について注目することにします。
中央構造線は和歌山県では紀の川の北側、和泉山地のふもとに沿ってみられます。
また、ふつうは領家変成岩と三波川変成岩とが接しているところになるのですが、
この地域では領家変成岩の代わりに和泉層群が、三波川変成岩の代わりに菖蒲谷層がみられ、これらの地層どおしが断層で接しています。
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橋本市菖蒲谷の中央構造線の露頭
マウスを重ねると、地層名境界線などを上書きします
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右は、和歌山県橋本市菖蒲谷でみられた中央構造線断層露頭の写真です。この写真といくつかの補助的な資料も使って中央構造線の運動を解析してみます。
菖蒲谷層の基底付近のレキ岩層には和泉層群の岩石ばかりではなく、それが破砕されたとみられる断層粘土も含まれています。
写真でも、黒っぽい色をした断層粘土を削って菖蒲谷層が堆積しているようすが見られます。
このことから、菖蒲谷層が堆積し始める前に断層が活動し、和泉山脈が隆起していたことがわかります。
菖蒲谷層は大阪層群と共通する火山灰層が見つかっていて、同時期に堆積したものと考えられます。
大阪層群と同様に、300万年ほど前に紀の川沿いの地域が細長く沈降し、そこに川から運ばれてきた土砂がたまり始めました。
大阪層群との間は、高さははっきりしませんが、和泉山地によって隔てられていたでしょう。
これらの地層が堆積を終わると、断層が再び動き始め和泉山地が本格的に隆起します。
このことは写真の菖蒲谷層が断層近くで上方に折れ曲がっているようすから推定できます。
その後段丘層が作られます。
写真では段丘層内では断層がはっきりしないこと、断層での段丘面の傾きがそれほど変化しないことから、
その後の断層による隆起運動はわずかだったと考えられます。
また、地形図をみると段丘面は紀ノ川に向かって傾斜していること等から、和泉山地側が大きく隆起する傾動運動が起こっていることがわかります。
地形図や航空写真を見ると、中央構造線が通っているところでは川の流れが右に曲がっているようすが見られます。
このことから、最近の中央構造線の動きは、右横ずれ運動ということになります。
四国では段丘地形の変形の度合いから、千年間で横ずれが6〜9m、垂直ずれが1m程度と推定されています
※。
四国中央部では、2本の平行する断層が確認されています。一本は山(南)側に傾斜する逆断層で、もう一本はその山側にほとんど直立した断層です。
断層に沿って山側が隆起します。この時には六甲山の断層と同じ事が起こっています。
山が隆起するにつれて、断層が山から押し出されるようにまがっていくという現象です。これによって逆断層が作られます。
その後隆起が収まり、横ずれ運動に変わると再び垂直な断層面が作られたと考えられます。
最近の変動のようすをまとめると
300万年前−−東西方向に軸を持つ基盤褶曲
→菖蒲谷層の堆積
30万年前?−断層による和泉山地の隆起
10万年前−−傾動運動
→海進期に段丘層の形成
中央構造線は右横ずれ運動
となります。
※補足 四国でみられる最近の中央構造線変位量について
香川県の讃岐平野西部では300万年前の地層から、結晶片岩類のレキが見つかっています。
これは四国吉野川が運んできたもので、当時は三次市池田町付近で東へ曲がらずにまっすぐ北に進み讃岐平野に抜けていたという考えがあります。
それでも、地層の分布域は東にずれていますから、その後の右横ずれで現在地に移動したと考えます。
これからすると水平変位量は20kmほどになり、千年間に換算ずると約7mなので、段丘の変位からの推定と一致します。
そうだとしても、地層形成時には、現在の吉野川流域に同時代とみられる菖蒲谷層に相当する地層がたまっています。
これからすると和泉山地と同じように讃岐山地もある程度隆起していたものとみられます。吉野川が横切れなくなったのはいつ頃なのでしょう。
さらに、吉野川が讃岐山地のどこを超えていたのかがはっきりしません
年数が経っているために残っていないとみることともできます。吉野川程の流れなので、残っていてもよさそうです。
JR予讃線が讃岐山地を越えている猪ノ鼻峠付近が低くなっていますからここを流れていたという説もあります。これだと変位量はもっと少なくなります。
大阪府南部にも同時時代の地層(大阪層群)があり、結晶片岩のレキを含んでいます。ここでは和泉山地を横切るような川は考えられません。
とすると、讃岐平野では、無理に山越えをしたとするよりも、もっと西側から運ばれたこともありえます。
さうだとしても当時北上する大きな川が吉野川より西側になさそうなのが難点です。
吉野川が、讃岐山地の隆起によって向きを変えたのなら、別のところで同じようなことが起こっていた可能性もあります。
例えば、現在の銅山川は愛媛県新居浜市の南部から東に流れ、小歩危の下流で吉野川に合流しています。
この北側の山地は中央構造線の活動によって隆起していますから、昔はもっと低かったと考えられます。
それなら、どこかで山を横切っていて、現在の瀬戸内海の方に流れることも可能です。
例えば、高知自動車道がこの山地を横切る堀切峠は候補に挙げていいでしょう。ここには河川争奪跡のような地形がみられます。
ここから川之江の方にぬけて讃岐山地に沿って東に流れていたというのはどうでしょう。こちらなら讃岐山地の隆起の影響はそれほど受けません。
300万年前はどうなっていたのかは簡単には結論は出せないようです。
補足終わり
初期の和泉山地の隆起や、紀の川の沈降といった運動は南からの圧縮によるものでしょう。
南にあるフィリピン海プレートの沈み込みが原因しているように見えます。
プレートの沈み込みにより南海トラフ地震が発生するという説明がなされています。
西南日本のプレート(ユーラシアプレート)は圧縮され、耐えられなくなった時に元の形に戻ろうとしたときに地震を発生させます。
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南海トラフの巨大地震想定震源域
防災情報のページより
説明文の記入位置を動かしています
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南海トラフのすぐ北側では、フィリピン海プレートの上に西南日本プレートが載ったような状態になっています。
沈み込みによって地震が発生していないときは一体になって動いていることになります
※。
その北側の領域では、プレートが圧縮されて縮んでいます。
地震の時には、縮んだところとプレートの上に乗っているところがいっしょに元の位置に戻ります。
この場所が、震源域となります。南海トラフ巨大地震の震源域の分布については内閣府防災情報のページに書かれている例を右に示します。
※大きな地震でなくてもゆっくり滑りで数日から数週間かけてずれ動くことがあります。
ところでフィリピン海プレートの沈み込み方向は西北西です。
南北に圧縮するだけではなく、西方向にも動かす力が働いているとみた方がいいでしょう。これは地盤を西側にずらすように働きます。
フィリピンかプレートの上に乗っている部分ではずれが生じませんから、その北側に右横ずれ断層ができそうです。
震源域の北端あたりになります。断層の方向は西南西方向から圧縮されているとしたときにできる横ずれ断層の内の一方の走向にだいたい一致しています。
震源域の図を見ると四国ではその北端あたりに中央構造線があります。
フィリピン海プレートの沈み込みが和泉山地の隆起にどのようの関係したかというところまでははっきり読み取れませんが、
現在の右ずれ運動は沈み込みが関係しているといえるでしょう。実際に谷や尾根の変形から読み取られるずれの大きさが妥当であるかは何ともいえません。
ところで、近畿三角帯をよく見るとこのこの地域内でも中央構造線の方向と平行な断層かあるのがわかります。
その代表的な例が有馬高槻構造線です。六甲山近辺のものは
六甲山の断層図に書いています。
さらに東への延長し大阪平野北端を形成しています。その一部は
猪名川流域図に書いています。
断層の特徴としては、北側が隆起するとともに右横ずれ変位がみられることです。
他にも京都府南部の木津川沿いにみられる島ヶ原断層も同じような性質を持っています。
場所は
大阪から奈良にかけての断層図に大和高原の北側に引かれている線になります。
断層の形態が似ていることは、その成因も同じであることを示唆します。これらの断層は中央構造線とどのような関係にあるのか気になるところです。
少なくとも島ヶ原断層でいえば南海トラフ地震の震源域と関係した位置にあるように見えます。
参考にした文献等 順不同:
六甲山地とその周辺の地質 神戸市企画局 1971.3.31
神戸の大地のなりたちと自然の歴史 神戸市教育委員会
http://www2.kobe-c.ed.jp/shizen/strata/index.htm 2023.5閲覧
アーバンクボタ
https://www.kubota.co.jp/urban/ 2023.5閲覧
No.16 特集「淀川と大阪・河内平野」 1978.10 発行
No.30 特集「大阪とその周辺地域の第四紀地質図」 1991.3 発行
大阪層群 市原実編著 創元社1993.6.1
超火山[槍・穂高] 原山智・山本明著 山と渓谷社 2003.6.10
国土地理院 都市圏活断層図
https://www.gsi.go.jp/bousaichiri/active_fault.html 2023.11閲覧
内閣府 防災情報のページ
https://www.bousai.go.jp/ 2023.11閲覧
岡田篤正 吉野川流域の中央構造線の断層変位地形と断層運動速度 地理学評論43-1 1970
この節後半 2024.03.10追加掲載
2007.03.27「能登半島地震と活断層」として掲載
2007.03.29 一 部 修 正
2018.08.31「地震と活断層」に全面書換え開始
2021.08.15「5.断層をみつける」 を追加作成
2023.06.14「6.活断層と地殻変動」 を追加作成
2024.03.10「6.活断層と地殻変動」 後半部追加